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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【LITURGY : 93696】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH RAVENNA HUNT-HENDRIX OF LITURGY !!

“Life Has Been Unbelievably Better Since My Transition. Unfortunately The Politics Of Gender Are Becoming Increasingly Scary In the United States, But It’s Still Much Better To Be Living Out In The Open.”

DISC REVIEW “93696”

「男性から女性に移行してからの生活は信じられないほど良くなっているわ。 残念ながら、アメリカではジェンダーに対する政治的な圧力はますます恐ろしいものになってきているけど、それでも、オープンに生きている方が私はずっといいんだよ」
ブラック・メタルを哲学する革新者、LITURGYのハンター・ハント・ヘンドリクスは現在、ラヴェンナ・ハント・ヘンドリクスへとその名を変えています。
「私は女性よ。ずっとそうだった。様々な拒絶を恐れて明かせなかったの。私は女性として音楽家、神学者、詩人で、生まれるものは全て女性の心から。同時に男性として生まれたことを否定したくもないのよね」
長い間、女性の心を持つ男性として生きてきたラヴェンナにとって、トランスジェンダーの告白は非常に勇気のいるものでした。周りの目や差別、弾圧といった現実のプレッシャーをはねのけて、それでも彼女がカミング・アウトした理由は、自分の人生を、そして世界をより良くしたいから。彼女の理想とする天国であり想像の未来都市”Haelegen”実現のため、ラヴェンナの音楽は、魂は、いつしか抑圧を受ける少数派の祈りとなったブラック・メタルと共に、もう立ち止まることも、変化を恐れることもありません。
「ブラック・メタルはロックという枠組みとその楽器を使ってクラシックを作るものだと考えていたんだ。 みんながそう思っているわけではないけど、私にとってはそこが大きな魅力だから」
21世紀に入ってから、ブラック・メタルはメタルの多様性と寛容さを象徴するようなジャンルへと成長を遂げてきました。DEAFHEAVENの光、ALCESTの自然、SVALBARDの闘志、VIOLET COLDの願い、KRALLICEの異形、ZEAL&ARDORのルーツなど、ブラック・メタルが探求する世界は、新世紀の20年で膨大な広がりと深みを備えることになったのです。
そうしたブラック・メタルの領域においてラヴェンナは、作曲、芸術、哲学を共有する組織LITURGYを設立します。”トランセンデンタル・ブラック・メタル”、”超越的ブラック・メタル”と呼ばれるようになったLITURGYのアートはまさに超越的で、バンドに備わる審美と多様性を純粋に統合。神学、宗教、宇宙的な愛、終末論、性について探求しながら、息を呑むような壮大さで恍惚感を表現していきます。
ラヴェンナはこの場所でブラック・メタルの暗黒から歩みを進め、管楽器、アンサンブル、グリッチ、オペラ、時には日本の雅楽まで統合した唯一無二の音楽性を追求し、変化を恐れない彼女のポジティブな哲学を体現しています。その知性の煌めきと実験性は、”ヘヴィネスの再定義”につながっていきました。つまりラヴェンナは、”重さ”を神聖なもの、物語や哲学への触媒として使用することにしたのです。その方法論として彼女は、メタルと前衛的なクラシック音楽の間のスペース、危険な境界線を常に探っています。
「”93696″は”Origin of the Alimonies”のようにオペラやクラシックを想起させる緻密な構成だけど、どちらかというとロックのような安定したグルーヴがある。だから、両方のジャンルが持つすべてを提供できるような作品になればいい」
神の実在について瞑想し、LITURGYのメタル・サイドにフォーカスした”H.A.Q.Q.”と、世界の創造と人類の堕落をクラシック/オペラの音楽言語で表現した”Origin of the Alimonies”。そして、謎の数字を冠した本作”93696″は、その2枚のアルバムのまさにハイブリッドにも思える現行LITURGYの表裏一体。驚くべきことに、ハードコア・パンクの衝動まで帯電した2枚組の巨編は、LITURGYの集大成でありながら、未来をも見つめています。
「バンドの一体感が欲しかったのよ。だから、今回はよりライブに近い音で録りたいと思ったの。もともとこのバンドのバック・グラウンドがパンクだったということもあるんだけど、アルバム自体がこうしたライブ感で作られることが最近非常に少なくなってきているからね」
そうしてラヴェンナによる”ヘヴィネスの再定義”はここに一つの完成を見ます。”93696″には、おそらくこれまでのLITURGYに欠けていた最後のピース、”人間味”、バンドらしさが溢れています。ただ実験を繰り返すだけでは、ただメタルとクラシックをかけあわせるだけではたどり着けない境地がここにはあります。逆に言えば、だからこそラヴェンナは今回、ハードコア・パンクの衝動を必要とし、デジタルからあのスティーヴ・アルビニの手によるアナログの録音に戻したのかもしれません。
例えば、タイトル・トラック”93696″は、LITURGYのトレードマークである複雑かつプログレッシブなリズムとは対極にあって、ダイナミクスの揺らぎや反復の美学で神聖と恍惚を表現。レオ・ディドコフスキーの叩き出す千変万化で獰猛なグルーヴは、ティア・ヴィンセント・クラークの轟音ベースへと感染し、ラヴェンナのメロディズムと雄弁なハーモニーを奏でます。”ポスト・アポカリプス”を紡ぐLITURGYのサウンドは、あるいはもう、ブラック・メタルというよりもISISやCULT OF LUNAの指標する”ポスト・メタル”に近い音像と言えるのかもしれませんね。そしてその一体感は、さながら人の”和”こそが人類の未来であることを示しているようにも思えます。
とはいえ、もちろんこれはLITURGYの作品です。緻密で細部まで作り込まれたニュアンス豊かな楽曲と、想像力豊かなリリックには驚きが満ち溢れています。弦楽器、聖歌隊、フルート、ホルン、ベルを用いて崇高さの高みへと舞い上がる前衛的グリッチ・メタリック・クラシック”Djennaration”を筆頭に、あらゆる楽器、あらゆるジャンルから心に響く美しさを抽出するラヴェンナの才能は健在。そうして彼女は、探求の先にある未知なるものへの寛容さと未来への希望を、自らの作品で祝福してみせたのです。表裏一体から三位一体への大きな進歩。さて、人類はラヴェンナとLITURGYが想望する”天国”へとたどり着くことはできるのでしょうか?
「これは終末的なアルバムよ。そのほとんどは2020年に構築されたものだから、あの年に起こったことすべてがこの作品に影響を与えている。でもね、最終的には希望があるの。最近の世界を見ているとありえないことかもしれないけど…人類の歴史に対するポジティブな未来への憧れがね」

LITURGY H.A.Q.Q. 弊誌インタビュー

LITURGY ORIGIN OF THE ALIMONIES 弊誌インタビュー

“93696”の解説、4000字完全版は DAYMARE RECORDINGS から発売された日本盤のライナー・ノーツをぜひ!

LITURGY “93696” : 10/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【PERIPHERY : PERIPHERY Ⅴ: DJENT IS NOT A GENRE】


COVER STORY : PERIPHERY “PERIPHERY V: DJENT IS NOT A GENRE”

“They’re All Mad That We Named It That, Because We’re Clearly a Djent Band”

DJENT IS NOT A GENRE

ワシントンDCの “Djent” のパイオニアが7枚目のアルバムの名前を決めようとしたとき、出てきた案はすべて次点でした。結局、タイトルは “Periphery V : Djent Is Not a Genre” に落ち着きます。それは、彼らが自らが作る音楽以外では、まったく何も真剣に考えないバンドである証拠でした。
PERIPHERY の創設者である Misha Mansoor は、Mark Holcomb と Jake Bowen という2人のギタリストと一緒に何も気にしていないことを強調します。
「Djent はジャンルではなく、ライフスタイルなんだ!」Misha は苦笑いと共にタイトルがただのジョークであることを匂わせます。「俺はただ、どこかのデータベースにこう書かれているかもしれないと考えると笑ってしまうんだ。”Periphery V: Djent Is Not a Genre” ジャンル Djent ってね」。そうして幸せそうに笑うのです。「名前なんて人生においては小さなことさ」
「だってそうだろ? KARNIVOOL は昔から大好きなバンドだけど、あれはひどい名前だ!」と、Misha は食人を文字った恐ろしい名前の素晴らしいバンドについて話し続けます。Mark もまけずに笑いを誘うようなパンチラインを交換します。「その最たるものを教えてやろうか?KORN だよ!」
「”Djentはジャンルじゃねぇ!” というタイトルを思いつくのに、アルバム制作期間、つまり3年近くかかったと付け加えておくよ」と Jake も負けずに冗談を飛ばします。「あれは、俺たちが唯一 “うげっ!”てならなかったアイデアなんだ」

それも驚くようなことではありません。PERIPHERY の信奉者であれば、バンドにとってユーモアのセンスは必須条件であることはすでにご存じでしょうから。彼らの前作は “Periphery IV: Hail Stan” というタイトルでしたが、これはタイプミスではありません。それ以前にも、”Ow My Feelings”、”Jetpacks Was Yes”、”Froggin’ Bullfish” という笑いを誘う楽曲を書いているのですから。そして、PERIPHERY がいかに真剣にタイトルを考えていないかというのは、彼らが実際には Djent が今ではジャンルだと考えていることで伝わるのです。
「アルバムを “Djent はジャンルじゃねえ!” と呼ぶ理由は、俺たちが愛情を込めてファンを小馬鹿にするのが好きだからなんだ。愛情を込めて!だよ!」と Mark は主張します。Jake は笑って付け加えます。「俺たちは明らかに Djent バンドだから、みんなそう名付けたことに怒ってるんだ (笑) まあ、Djent については、いろいろな意見があるよね。俺たちの頭の中ではプログレッシブ・メタル・バンドとしてスタートしたのに、そうしたタグに入れられたんだ。俺には、それが奇妙に聞こえたんだよな。そこには、俺が期待していたような美的感覚がなかったというか。でも、何年もかけて、俺はそれを気にしないようになった。グランジを見ればわかるよ。グランジというのは、ジャンル名としては明らかに信じられないほど愚かな名前だと思うけど、それでも、グランジと聞くと、NIRVANA や ALICE IN CHAINS, PEARL JAM, SOUNDGARDEN など、世界的で歴史を変えるようなバンドが思い浮かぶからね」
そもそも、Djent という言葉の誕生に Misha は深く関わっています。
「MESHUGGAH のフォーラムで彼らのサウンドが “Djenty” って形容されてた。だから俺の曲を “Djentyな曲” って紹介してたら、それがジャンルだと思われてしまった。ジョークだったのにね!」

では…実際に “Djent” とは何でしょうか? Wikipedia には “オフビートと複雑なリズムパターンの使用を特徴とするプログレッシブ・メタルのサブジャンル” と書かれていますが、実際にはそれ以上の何かがあります。Djent は2000年代半ばに始まったムーブメントで、MESHUGGAH が使用するポリリズムの多弦低音弦のピッキングに魅了されたギタリストたちが、それを利用したのが始まりです。パーム・ミュートした低音弦が発する音から、このジャンルは “Djent” という擬音で呼ばれるようになり、Misha Mansoor, TesseracTの Acle Kahney, SKYHARBOR の Keshav Dhar などがそのパイオニアとなりました。しかし、それまでのメタルのムーブメントとは異なり、Djent は地理的にも文化的にも固定されておらず、ギター・オタクが世界中の寝室からフォーラムや MySpace, 長じて Bandcamp にリフや楽曲を投稿する良い意味でのカオスが生まれたのです。
Misha は、「ちょうど物事の転換期で、面白い時代だった」と振り返ります。「俺は、”スタジオはもう必要ない” という最初の波に乗った一人なんだ。レコード会社から出る予算は減り、レコードの売り上げはもはや大きな要素ではなく、レコード契約の性質や予算がすべて変わりつつあった。レーベルの若い人たちはみんな “PERIPHERY と契約しろ” って感じだったけど、もう少し年配の、インターネットや MP3 をただの流行と捉えているような上層部の人たちは、俺たちのことをよく理解していなかったんだ。彼らの言葉も、俺たちに出したオファーも、そのことをはっきりと示していたよ。実際、たくさんのオファーがあったけど、どれもひどいものだった。3年くらいは、レコード契約を断ってばかりいたよ」
実際、Misha は大きく変わった今の音楽産業にも前向きです。
「俺は他のメタル・バンドとは考え方が違う。彼らはバンドがお金を産まなくなった事実に対し前向きな変化が勝手に起こる事を期待する。でも俺はメンバーにこのバンドでは稼げないと断言している。そして機材の知識やプロデュース業で収入を確保したんだ。今もしバンドをやっているなら様々な方法で収入を確保しないと生き残れない。でも、正しいアプローチさえすれば、音楽産業には間違いなくまだチャンスはあるよ!」

自らのレーベルも立ち上げました。3DOT Recordings です。
「自分たちのレーベルを作りたいとずっと思っていたんだ。それはいつも冗談みたいなものだった。アルバムを作るたびに、”自分たちのレーベルから出せばいいじゃないか” みたいな感じで。これは俺たち全員の夢がようやく実現したようなもので、実現するとは思ってもみなかったけれど、実現したのだから、これ以上の喜びはない。素晴らしいことさ」
しかし Jake は、決して 3DOT と PERIPHERY で億万長者になりたいわけではないと話します。
「もちろん、何らかの金銭的な補償があることを望んでいるからこそ、これだけの労力を費やしている。でも、現実的に考えて、この仕事で億万長者になることはないだろうとも理解しているよ。俺も音楽試聴には主に Spotify を使っている。これは、今のところ、アーティストにとってタブーな答えだと思うけど。でも、2015年に Spotify を本格的に利用するようになってから、俺の音楽に対する視野が完全に広がったんだ。朝起きると、聴いたことのない曲がたくさん入った新しいプレイリストがあり、それを全部保存している。膨大なプレイリストができあがるからね。そのおかげで、音楽、特にエレクトロニック・ミュージックへの愛情を探求することができたんだ。
同時に俺は、Spotify に登録したアーティストであり、そこから得られる報酬を見なければならないけど、残念で不合理な額だ。問題は、彼らのビジネスモデルがよくわからないことなんだ。もちろん、地球上すべてのアーティストにライセンスを与える権利を支払うには、それなりの費用がかかる。だから、彼らのジレンマはわかるけど、コンテンツにはお金を払うべきだろ? 俺たちはコンテンツ・クリエイターで、彼らは俺たちのコンテンツをライセンスし、サブスクリプションを通じてお金を稼いでいるわけだけど、そのパワーバランスは少しずれているような気がするね。
でも、YouTube がある。Spotify で見つからない曲や、ゲームのサウンドトラックなど、Spotify にはない曲を聴きたいとき、YouTube はとても便利だ。俺は、YouTube にお金を払って、プレミアム…サービスを利用するのが好きなんだ」

PERIPHERY は、2010年にデビュー・アルバムをリリースした Sumerian から、Misha によれと “攻撃的な” レコード契約を結んでもらったおかげで、DIY と寝室を離れることになりました。しかし、皮肉なことに、”Djent Is Not a Genre” は依然として、完全無欠に “Djenty” なアルバムです。オープニングの “Wildfire” は、ドラムロールを合図に、ダウンチューンのチャグにハーモニクスの嘶きが不規則に割り込む、決して穏やかではない、Djent な幕開け。”Atropos”, “Dying Star”, “Zagreus”, Everything Is Fine” も同様に、指板の最も窮屈な場所に夢中になっているようにも思えます。
しかし、PERIPHERY が常に目指している、真のプログレッシブ・ミュージックを示すタッチもここには豊富に存在しています。フロントマンの Spencer Sotelo は、咆哮と歌唱の切り替えで対比の美学を生み出し、両手を広げて “ファック・イット!” と宣言して、シンセウェーブと脈打つ EDM ビートを取り入れます。そうして、”Djent Is Not a Genre” の最後を飾る “Dracul Gras” と “Thanks Nobuo” のデュオロジーでは、プログ、Djent、ポップ、ポストロックのカラフルな饗宴が24分にわたって繰り広げられるのです。
同時に PERIPHERY は自らの栄光の軌跡をもここに織り交ぜています。例えば “Wildfire” は、以前 “The Event” で採用されたメロディを再現したもので、2部構成のロック・オペラ、2015年の “Juggernaut” のインストゥルメンタル・セグエの再来です。
「もともと “Periphery V” は “Juggernaut” の後継作品にしたかったんだけど、それはすぐに廃案になったんだ」 と Mark は明かします。「その後、”関連する部分のいくつかを残すか” という話し合いが行われたんだ”。俺が尊敬するバンド、例えば Devin Townsend のようなミュージシャンは、何の根拠もなく突然18年前に発表した曲に関連させたりする。それって結局、彼の膨大なバック・カタログから感じられる自由さだよね。ミュージシャンとしていつかたどり着きたい、実現不可能な場所のように思えたんだ」

なぜ、”Juggernaut Part 2″ のアイデアは破棄されたのでしょう?
「コンセプト・レコードを作るのは難しいから。レコードの中で有機的に流れるように曲を書くだけでなく、それらを物語に適合させなければならないんだよ。歌詞がすべて一致し、ストーリーを語り、その下に音楽が存在し、そこでも同じようなことをしなければならない。それは長く、拷問のようなプロセスだ」
このコンセプトアルバムを巡る混乱は、”Djent Is Not a Genre” のライティング・プロセスにおける、創造的に息苦しい状況を象徴していたようです。バンド自身によれば、それが彼らをほとんど “壊しかけた” とまで言います。パンデミックが起きたとき、メンバーはリモートで作曲をしようとしましたが、その場でのフィードバックがなく、何も進展しませんでした。Misha が説明します。
「多くのアイデアはあったのだけど、Spencer がそれを気に入ったかどうか、実際に曲としてアレンジできるかどうかを確認する必要があったんだ。それ自体には何の意味もない、曲のセクションばかりがたくさんあったんだよ。パンデミックが核心的な問題であったことは間違いないだろうな。で、結局、重要なのは、批評家やファンの承認ではなく、自分たちの気持ちだとわかった。”Hail Stan” はとても簡単にできたし、あのレコードは俺が本当に誇りに思うものだった。だから、ファンや批評家が “彼らはタッチを失った” と言っても、俺は気にしなかった。自分が誇りに思っていれば無敵になれるんだよ。もし君が何かを信じているなら、もし君が自分の生み出したものを信じているなら、それはきっと君を無敵にしてくれる」
Zoom によるコラボレーションもうまくいかず、その結果、PERIPHERY は孤立した状態で、個々に自分のアルバムを作曲するようになりました。Jake は “The Daily Sun” でエレクトロニカに手を出し、Mark はエクストリーム・メタル・バンド HAUNTED SHORES を復活させ、Misha は伝説的なソロ・プロジェクト Bulb を復活させ、Spencer とドラマーの Matt Halpern はエモプログのチームアップ KING MOTHERSHIP を立ち上げました。しかし、こうした動きも彼らにとっては不利に働きました。曲作りのために、2020年10月にバンドが直接再集結するまでに、PERIPHERY はすでに “燃え尽き症候群” に陥っていたのです。その結果、”Djent Is Not a Genre” は制作に3年近くを要することになります。
Mark は “諸刃の剣だった” と当時を振り返ります。
「このアルバムに長い時間をかけていることは分かっていたし、ファンも不安に思っていた。でも、レコードを作り始めた時を考えると、これが唯一の方法だったと思うんだ。もし、何かの期限に間に合わせるために、急いでレコードを出さなければならなかったら、それは不可能だっただろうね」

そうした停滞を解決したのが、実はビデオ・ゲームでした。ご承知の通り、PERIPHERY はゲーマーのバンドです。ツアー中も、スタジオでも、家でも、ノンストップのガチゲーマー。Mark が解説します。
「2000年代半ばに出会ったとき、PERIPHERY は音楽とファイナル・ファンタジーの2つで結ばれていたんだ。俺は声優(Disco Elysium、Hello Puppets: Midnight Show)に、Misha は作曲(Deus Ex: Mankind Divided、Halo 2 Anniversary)に携わり、ゲームへの親しみはますます強くなっている。そして、ゲームが “Djent Is Not A Genre” の音楽に直接インスピレーションを与えたんだ。いくつかそのタイトルをあげてみよう。
まずは “Hades”。今回のセッションの間、Spencer, Misha, そして俺は、完全にこのゲームに夢中になっていた。仕事の休憩時間には、みんなで Switch に向かって、会話もなくただ黙々とランを繰り返していたくらいでね。この10年で一番好きなゲームのひとつだよ。ゲームプレイのループに酔いしれ、死んだらすぐに、次のランを始めたくなる。”Zagreus” という曲は、このゲームの主人公の名前から取ったもので、最後まで聴いた人なら、この曲の最後の4つのコードが、死んだときに流れるモチーフのなごりであることがわかると思う。死にゲーだから、すぐに脳に焼き付いてしまうんだよな。このゲームはダレン・コルブが全曲を作曲しており、サウンドトラックも素晴らしいんだよ。
次は “Returnal”。Misha が Jake と俺を引き込んだんだけど、どっぷりハマったよ。このゲームもまた、ゲームプレイのループが非常に楽しいローグライク・ゲームで、近年登場したゲームの中で最もフィーリングが良いものの1つだろう。サウンドデザインも素晴らしく、Blue Öyster Cultの “Don’t Fear the Reaper” が繰り返しテーマとしてゲームに使われているのが実に巧い。”Atropos” は、ゲームの舞台となる惑星にちなんで命名されたんだ。
次は、ファイナル・ファンタジー・シリーズ。あまり説明の必要はないだろう。植松伸夫は、このシリーズの主要な作曲家で、俺たちが最も影響を受けた音楽家の一人だからね。初期の PERIPHERY, HAUNTED SHORES, 古い Bulb のデモなど、俺たちの傘下にあるすべての作品に彼の足跡が残っている。最後のトラックは “Thanks Nobuo” というタイトルで、要するに彼への感謝状なんだ。この曲には、FF7のテーマが使われているよ。わかるかな?
そしてもちろん、昨年、俺の人生は Elden Ring に飲み込まれた。あのアート・スタイルがあったからこそ、自分たちの音楽をもっとダークなところに持っていきたいと思ったし、バンドとしてやることすべてが、1/10000でもあのゲームの壮大さを再現できればいいと思っていたんだよな。ラスボス戦になると、メインメニューのテーマがオーケストラで再現されるのも、特にやり込んでいる人なら満足感があったよな。PERIPHERY が過去の作品から様々なテーマやメロディーを引用するのも、その気持ちのほんの一部をリスナーと共有したいからなんだ。
最後は、ブラッドボーン、ダークソウル1~3、デモンズソウル。フロムゲーは俺がこれまでで最も好きな作品群のひとつで、俺が関わるすべての音楽に影響を与えている。HAUNTED SHORES の前作 “Void” では、アルバムアートを “Bloodborne” から切り取ったようなものにしたかったし、音楽もそのゲームと同じくらい敵意を感じるものにすることを目指した。Spencer もこのゲームには深くハマっていて、セッション中、特に作曲の初期は間違いなく2人ともインスパイアされたよ」

実際、”Periphery Ⅱ”の “Muramasa” と “Masamunue” はファイナル・ファンタジーに関連する楽曲でしたし、Misha は “FF7″ のリメイクに真剣に関わりたがっていました。
「植松伸夫は驚異的な才能だよ。彼のメロディーのセンスやテクスチャーの使い方は、俺にとって間違いなく大きな参考になっている。だから一曲でも関わりたいよな…」
苦労したセッションの最終結果は、結局、自分たちの好きなアルバムに落ち着きました。ベタな名前はともかく、”Djent Is Not a Genre” は、バンドが今でも最も折衷的で先鋭的であることを捉えています。そうして、今となってはジャンルのひとつに違いない Djent は、シンセやフック、サックス・ソロにたっぷりのユーモアもあるパイオニアの作品によってやはり牽引されているのです。Spencer はかつてこんな言葉を残しています。
「最高の芸術作品を作りながらユーモアも忘れずいたいね。音楽に個性を反映させないでシリアス一辺倒な奴らは信用できないから。一人の人間でいればいい。どうせ今、メタルで金は稼げないんだから、好きという気持ちだけで音楽を作ろうじゃないか」
ただし、PERIPHERY にとってここは決して全てでもなく、終わりでもありません。
「最終的に、自分たちが満足できなければ、アルバムはリリースしないよ。でも、そうすることで、自分たちが心から誇れるアルバムが完成するんだ。それが、唯一受け入れられる最終目標だった。誇れるアルバムなら、商業的にはどんなものでも手に入れることができるんだ。他の人たちのことは言いたくないけど……俺たちのアルバムを売り尽くしたいんだ。良いと思うなら金をくれ!(笑)」


参考文献:GUITAR.com:“We like to lovingly take the piss out of our fans!” Periphery on why Djent is, actually, a genre

METAL INJECTION:PERIPHERY Names The Video Games They Played While Recording Their New Album

LIVE METAL:INTERVIEW: Jake Bowen of PERIPHERY

COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【ZULU : A NEW TOMORROW】


COVER STORY : ZULU “A NEW TOMORROW”

“We Can’t Be Who We Want To Be”

A NEW TOMORROW

世界は分断されています。左対右、金持ち対貧乏人、私たち対彼ら。ソーシャルメディアやニュースをざっと見ただけでも、私たちの “違い” に関する言説が耳をつんざきます。そして、ヘヴィ・ミュージックのアーティストたちは、何十年もの間、この本質的な怒りと激情を音楽へと注ぎ込み、怒りをぶつけ、反乱を呼びかけてきました。しかし、人生の喜びや、世の中の良いことに焦点を当てたバンドはそれほど多くはありません。
そこでロサンゼルスのパワーヴァイオレンス・クルー、ZULU の登場です。デビューLP “A New Tomorrow” を発表した際、ボーカルの Anaiah Lei は「愛に焦点を当てたポジティブなレコードを作りたい」と語っていました。なぜそれが重要な決断だったのでしょうか。
「愛と希望は人生の主要な部分だから、それについて常に話したいと思っていたんだ。このジャンルでは、もちろん怒りを吐き出すのはクールだし、悩みを打ち明けるのは素晴らしいこと。ヘヴィ・ミュージックは、他の世界から排除され、慰めを求めている人たちが行く場所で、自分が経験したすべての問題を話し、ただそれを吐き出すための場所。歌っていても、ステージに上がっていても、ピットの中にいてもね」
物心ついたときから音楽とバンド活動に携わってきた Anaiah は、自分の発言をよく理解しています。特に ZULU は、2枚の EP とカオティックなライブでハードコア・シーンに衝撃を与え、デビュー・アルバムのプレッシャーと認知度は相当なものでしたから。彼は今度のアルバムについて、時の試練に耐えられるような “大きなステートメント” でありたいと述べています。
「怒りや攻撃性についてだけ語るのであれば、そうすることもできないわけではない。でも人生において、怒りや苦難だけでなく、人々に影響を与えたいとすれば、それは愛から来るものなんだ」

Anaiah は、私生活の変化が自分の考え方に直接影響を与えたといいます。レコード制作の途中で、自分がどうありたいかを自覚するような転換期があり、希望と幸福を見つけることに全力を注ぐことが容易になったというのです。
そして実際、”A New Tomorrow” にはアイデンティティ、連帯感、コミュニティといった概念と同様に、希望という概念が縫い込まれています。コミュニティとは、文字通り家の周辺から、Discordチャンネル、あるいは自分が働く業界など、人にとって様々で大きな意味を持つ存在。そして、そこでは必ずしもあなたが歓迎されるわけではありません。
「コミュニティで最も重要なのは、実際に一緒に何かを行い、お互いを巻き込むこと。ライヴやイベント、コミュニティ内の他のバンドをサポートすること。というのも、この社会では、俺たちはしばしば踏み絵に逆らって歩むことが多いからね。踏めないものを踏んでまで生きたくはない。だからこそ、俺たちのコミュニティは一緒にいて、調和し、団結して生きていくべきなんだ。
そうやって、同じことを考える人たちで、自分たちのシーンを形成したい。基本的には……変化し、良くなってきてはいるけれど、まだまだ先は長いし、それが現実だ。でも、人々がより団結するようになったことは、とてもうれしいことだよ。インターネットでは、簡単に人とつながることができるけど、それは自分のシーンから始まるんだ」

ハードコアへの熱狂的な情熱と、力強さと正義のメッセージにもかかわらず、Anaiah はコミュニティのある一角に受け入れられていると感じたことはなく、必要とされているとさえ思っていません。Soul Glo の Pierce Jordan をフィーチャーした “A New Tomorrow” の代表曲 “Where I’m From” で、彼はZULUのようなバンドに居場所を与えてくれない人々に対して “We can’t be who we want to be” “自分らしくいられねぇ” という言葉を突きつけました。
「あの歌詞が全てを物語っているような気がする。自分たちのシーンでさえ、自分らしくいられないんだ。ジャンルの門番たちにとって、ハードコアやメタルといった彼らが期待する音楽以外のジャンルのファンであろうとすることは奇妙なことで、他の音楽、”自分たちのものでない” 音楽を聴くこと自体が奇妙に感じられる。俺たちは見た目で人から期待されているからな。彼らは、私たちがただ一つの音楽に夢中になっていることを期待している。とんでもない諸刃の剣だよ。だって、外の世界では排除され、抑圧された人々が、逃げ込む場所のように思われているメタルやハードコアのシーンが、その空間の中ではまったく同じことをしているんだから。文字通り、邪魔されることなく、なりたい自分になることができないんだ」
この気の滅入るような皮肉は、Anaiahにとって耐えられないものです。彼は、ヘヴィ・ミュージックやハードコア・パンクに多くの人が惹かれる理由の本質として、多数派や社会に “馴染めない” “馴染みたくない” という考えを共有しています。しかし今、このシーンは “クラブのようになってしまった” と彼は言い、本来の趣旨に事実上反していると主張しているのです。
「だからこそ、ある閉鎖された集団の一部になりたいということではなく、自分のスペースを作り、自分たちのやりたいことをやり、自分たちと同じ波長の人たちと関わりたいと思うようになったんだ。もう、そういう空間には関わろうとしない。”自分たちで作るんだ”」

Anaiah は、貧富の差が激しく、悪名高いギャングの暴力や歴史的な人種間の緊張があるロサンゼルスで生まれ育ちました。幼少期には、ロサンゼルス市内のさまざまな場所に移り住む母親や父親のもとを転々とし、ゆえに “富める者” 以外の残りの半分がどのように暮らしているのかを知ることができたのです。
「郊外に住んでいて、隣人が誰かについて、誰もが異なる “議題 “を持っていた…俺は早い段階で人種差別を理解し始めたんだ。そして、ハードコア・シーンに黒人を歓迎しない雰囲気は今でもある。だから、黒人だけのバンドを作るのは大変だったよ。こういう音楽をやりたがる黒人ミュージシャンはそれほど多くないからね。シーンは主に白人が支配している。そのような場所で演奏するのは、ちょっと気が引けるんだ。だから、シーンに僕みたいなことをやっているミュージシャンが少ないというのはよくわかるよ」
しかし、どこに住んでいても音楽はありました。若い頃、Anaiah はレゲエ、ダブ、ソウルをよく聴いていましたが、やがてイギリスのポストパンクからLAのハードコアまで、よりヘヴィなサウンドに触れるようになります。何がきっかけでハードな音楽に目覚めたのかと聞かれると、「あまりに早い時期だったので思い出せないが、演奏の速さが魅力的に感じた」と笑います。
9歳のとき、Anaiah は兄の Mikaiahと THE BOTS というバンドを結成しました。2人組のガレージ・パンクは早くから注目され、12歳の時には Warped Tour でアメリカ全土を駆け巡るまでになります。10代の頃、友人たちが高校というホルモンに支配された地獄のような場所で過ごしている間、Anaiah はコーチェラやグラストンベリーに出演していたのです。
「あの若さで長い間ツアーをしたことで、音楽業界やツアーについて多くのことを学んだ…今知っていることはすべて、あのバンドで学んだことだ。まあだけど、子供の頃は、ただ成長するための試練や苦難を経験するものだけど、あのような環境で成長することは、期待と成長のバランスをどう取るかわからなかったからまさに異質だったね。どんな子供でも、そんな経験をする必要はないと思う」
Anaiah は、自分の経験をハリウッドの子役と同じように、望むよりも早く成長してしまったと認めています。しかし、そのおかげで、音楽が実際にどのように機能するのかを学び、ZULU に反映させることができたので、後悔はありません。

バンドが解散した後、Anaiah のソロ・プロジェクトとしてスタートした ZULU は、THE BOTS よりもはるかにヘヴィな存在だと言えます。低音のリフ、マシンガンのようなボーカル、パーカッションが飛び交う彼らの楽曲は、短く鋭い衝撃を与えるパワー・ヴァイオレンスで、ほとんどの曲が2分を超えることはありません。
前のバンドと明らかに違うのは、Anaiah がドラムキットの後ろではなく、前に出てマイクを持っていること。
「リズムを刻みながらバックグラウンドに存在し、バンドの他のメンバーをサポートする方がずっと簡単だった。でもね、”フロントにいるとき、自分は何を表現したいのか?” という疑問が浮かんできたんだ。前から見る世界は、自分にはどう見えるのだろう?ワクワクするんだよな。バンドのボーカルになるのは、とてもエキサイティングなことだと思う。それに、文字通り、ただドラムを叩くだけでないバンドをやりたかった。ギターを弾くのは好きなんだけどね。曲作りは今でもドラムからだけど、ますますギターの比率が高まっている。俺はいつもリアルで、自分自身に忠実でありたいと思っている。だから、ステージ上でもそれを伝えたいと思ったんだよ。手放しで音楽を感じなければならないと思った」
ZULU は GULCH や JESUS PIECE と似たような凶暴性を持っていますが、彼らのヘヴィネスというブランドは “全面戦争” というよりも、R&Bやソウル、ジャズの要素を取り入れ、Curtis Mayfield、Nina Simone、John Coltrane といった魂をその闘争に封じています。 たとえば、”Lyfe a Shorty Shun B So Ruff” では、Nina Simone  の”To Be Young, Gifted and Black” をサンプリングしています。この歌は、公民権運動の時代にアフリカ系アメリカ人を勇気づける重要な国歌。さながら今、内面の混乱の時代に自分たちが誰であるかを思い出すように促しているようです。
「彼らは俺たちが現在行っていることをしていた。彼らがいなかったら、俺たちはここにいなかっただろう」
“Music to Driveby” では、Curtis Mayfield  の “We People Who Are Darker Than Blue” が、コミュニティ内暴力についての Anaiah のリリックと皮肉に見事に呼応しています。Curtis の柔らかな軽快さは影の隠喩として機能し、救いは “彼ら” ではなく “私たち” によってのみ決定されるため、コミュニティは対立するのではなく協力しなければならないことを警告していること。” A New Tomorrow” でこうしたのサンプルに注がれた慎重な検討は、Anaiah が過去の世代の自由の闘士を認め、彼らの希望の賛歌を利用していることを示唆しています。
「このバンドはパワー・ヴァイオレンスとしてスタートしたけど、時を経て物事は変わるもの。将来的にはもっと変わるだろう。俺たちができること、俺たちが持っているスキルでできること、知っていることを制限したくはない。ジャンルを変え始めたりするのを見ると、人はいつも少し批判の目で見るけど、実際は誰がどう思うかなんてどうでもいいんだ」

実際、ハードコアやメタルのファン以外にも、ZULU は受け入れられています。
「ZULU のような活動をするのはとてもクールだよ。ハードコアにまったく興味のない人たちが  ZULU に夢中になっているのを見たことがあるからね。認めてくれて、気に入ってくれている。ジャンルが何であれ、クールなものはクールなんだ。俺はそれを疑問にも思わない。異なるタイプのショーや異なるタイプのラインナップで演奏でき、人々がそれをロックしてくれるのはクールなことだよ。24、25 トラックのアルバムを簡単に出すことはできるが、曲の長さが 1 分未満であっても、誰も 24、25 トラックのアルバムなんて聴きたがらない。 それに加えて、いくつかの曲を長くして息を吹き込む余地を与えたいと思っていた。だから最初に始めたとき、重要なのはテンポを少し遅くしたいということだった。 テンポを少し下げて、それほど複雑にならないよう。同時に、レコードを書いているときは、それに合うビジュアルについて考えている。 アルバムジャケットは俺にとってとても重要だから」
TURNSTILE に影響された部分もあります。
「俺たちは普通のハードコア・バンドとは違うことをやろうと思っているんだ。だから、ソウルもあり得るし、R&Bもあり得る。そして限界もある。TURNSTILE はコンテンポラリーなネオソウルや R&B でも少し遊び始めているように感じるけど、これはかなりポジティブな展開だと思うんだ。大好きなバンドのひとつだよ。彼らはドープなものを使って実験している。あのレコードは狂気の沙汰だった。アンタッチャブルだ。たくさんの障壁を打ち破ってくれる」
ブルックリンのアンダーグラウンドなヒップホップからの影響も。
「”Straight from Da Tribe of Tha Moon” だね。90年代にブルックリンで活動していたグループ、BLACK MOON。彼らの曲には “Slave” という曲がある。歌詞の中で、月の部族から来た人のことが出てくるんだ。でも、僕はこの歌詞を、黒人の人たちを指すのに使うことにしたんだ。そんな感じ。ただ、この歌詞を、ちょっとジャジーにアレンジしてみただけだよ。月が出てると暗いから、黒い人のためにあるってね」
“Abolish White Hardcore” 「白人のハードコアを廃止せよ」 と書かれたTシャツで物議を醸したことも。
「ハードコアのショーで白人を追い出すなんてことは言ってない。ただ、そういうショーは、とにかく白人が中心だよね。説明するのは好きではないんだけど、理解できない人たちのために……あまりに明白なことを説明しろというのは、ちょっと嫌な感じだね。とにかく、ハードコアは白人が支配する空間だ。そういうことなんだよ。それを指摘しただけなんだ。俺たちは誰かを排除しようとしているわけではない。ただ、みんなのために道を作りたいんだ。本当にそういうことなんだよ。この空間はみんなのものであるべきだ。白人が中心で、いつもそれを軸にしているという考え方は……もうやめなければならないね。それに文句を言う人がいるとしたら、その人はバカだ。俺は文字通り、そんな文句は気にしない」

ZULU は、Anaiah が彼のソウルフルで野蛮なサウンドを共有する手段であるだけでなく、考えを世界と共有する手段でもあります。この実に扇情的なデビュー・アルバムを通して、彼は自分のプラットフォームの上で、団結、銃の暴力、ブラックカルチャーの流用について語っています。しかし、アルバムのタイトルから、力強い詩の朗読 “Créme de Cassis” の歌詞に至るまで、物語の基盤は楽観主義であり、より良い未来、より良い世界への努力を歌っているのです。
インストゥルメンタルを中心とした2曲の後幕を開ける “Our Day Is Now” は、Anaiah が初日から音楽に込めたかった “一体感” と “力強さ” のアイデアを胸いっぱいに吸い込んでいます。
「この曲は、人々が人間に望んでいることの2つの側面について話している。人々は俺たちが分断することを望み、俺たちが怒ることを望んでいるんだ。つまり、時に人々は、俺たちが調和して生きることを望んでいないように感じることがあるんだよ。変な話だけど。でも、ちょっと待って。俺たちには、人々が見逃している別の側面がある。俺たちが発するたくさんの愛、たくさんの創造性、そしてたくさんの喜びがある。曲の中で言っているように、そうした人々は自分が見たいものしか見ていない。でも、俺たちにはそれ以上のものがある」
“A New Tomorrow” の核となるのは愛と希望ですが、これを弱さと混同してはいけません。なぜなら、Anaiah ほど決意に満ち、知的で、自分が何者であるか、何を目指しているかに自信を持った人はいないでしょうから。そしてこのアルバムは、彼のコミュニティのためだけでなく、外部の人々が彼らの経験を聞き、理解するために作られたのです。
“Music To Driveby” は、人々を分断させようとする銃やギャングの暴力だけでなく、分断を拡大させる社会のシステム的問題についてもコメントしています。
「ギャングの世界に生まれた人たちにとって、それが彼らの当たり前であり、それが彼らのすべてであり、それが彼らが日々直面しなければならない現実なんだ。だから、俺はそのことにほんの少し光を当て、誰にでも起こり得るいかに現実的なことかを伝えているんだよ。そして、それは銃による暴力や殺人だけでなく、精神的な分断も同様。洗脳や、白人至上主義が俺たちを分断させるという影響もある。それも、ドライブバイ (シューティング。車から射撃をする凶悪な犯罪) がそうであるように、どこからともなくやってくる」

そうして、Anaiah の人生に最も強く浸透しているのは、彼のスピリチュアルな部分かもしれません。彼はラスタファリアンとして育ちました。ZULU のグッズやアルバムの付録を見ると、アフロカリビアンやラスタファリアン文化の影響を強く受けており、歌詞の中にはジャマイカのパトワが散りばめられているのがわかります。彼は現在イスラム教徒ですが、彼らの音楽にはラスタの精神性が “根付いている” と言い、特にエンディングの “Who Jah Bless No One Curse”(タイトルは Bob Marley の曲から)はその典型的な例だと言います。
「ラスタで育ち、イスラム教徒であることは、俺の中において文化的にはさほど遠いものではなく、すべてがこのバンドが持つスピリチュアルな側面と結びついている。バンドの始まり、最初のレコードで、君はそれを聞くことができたし、すべての歴史を通して、そこには神の存在があるんだよ」
ただし、Anaiah は ZULU が宗教的なバンドでないことを熱心に指摘します。
「それは全く重要なことではなく、俺の人生の側面をそこに散りばめているだけなんだ。俺は、特にイスラム教徒として、他人が信じるか信じないかで誰かを非難するのは間違っていると考えている。誰もが自分の意思を持つ人間であり、自分自身の人生を歩む権利があるのだから。俺にできることは、イスラム教について話すことだけ。自分の現実について話すことだけで、それがこのアルバムでやっていることだ。音楽と俺の人生に影響を与えるものすべてを含めてね」
彼らはシーンをオープンにし、特定の人たちだけでなく、音楽を愛するすべての人のための空間にすることを目指しています。そして、世界は変わりつつあります。
「変化がある、変化があった、もっと変化がある。俺たちはずっとこうしてきたし、人々はずっと立ち上がり続けてきたし、これからもそうしていくだろう。俺は変化が起こること、起こり続けることを人々に知ってほしい。そして、準備をしてほしいんだ」

参考文献:KERRANG!ZULU: “People expect us to be angry, but there’s a lot of joy that we emit”

NPR:Zulu’s soul-sampling powerviolence shifts the pit toward love

NEW NOISE MAG:INTERVIEW: L.A. POWERVIOLENCE BAND ZULU

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【ATROCITY : OKKULT Ⅲ】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH ALEXANDER KRULL OF ATROCITY !!

“Atrocity And Myself Were There When It All Started!”

DISC REVIEW “OKKULT Ⅲ”

「80年代に、私の家でも何度かパーティーを開いたんたけど、メタルヘッズとゴスキッズたちはお互いに少し離れたところにいようとしたんだ。別の部屋にいることさえあって、私が走って行き来しなきゃならなかったこともあったくらいでね (笑)。だからこそ、90年代半ばに ATROCITY でメタル、ニュー・ウェーブ、ゴシックのクロスオーバーを行い、彼らを引き合わせるというアイデアが当時生まれたのかもしれないよね」
INSTIGATOR の名でドイツにおけるハードコアの煽動者となった最初期から、ATROCITY と Alexander Krull はその音楽性をカメレオンのように変化させつづけています。テクニカル・デスメタルの一大叙事詩 “Todessehnsucht” を作り上げた時代、ゴシックやインダストリアルを咀嚼し PARADISE LOST や SENTENCED の先を歩んだ時代、 妹の Yasmin と共闘してアトモスフェリックなメタルにおける女性の存在をクローズ・アップした時代、80年代のニュー・ウェーブやポスト・パンクのカバーでポップを追求した時代。ATROCITY は常に時代の先を行き、実験と挑戦の残虐をその身に刻み込んできたバンドです。
「ATROCITY のアーティスト、ミュージシャンとして、私たちは音楽的な自由を持ち、異なるアプローチでアルバムをレコーディングすることが好きなんだ。ファンとしては、常に自分の好きなものを選ぶことができるし、リスナーは気分によって、ブルータルなデスメタルが似合うか、ダークなメロディーを持つアトモスフェリックな音楽が似合うかを決められるんだから、それでいいんじゃないか?」
ATROCITY を語る時、頻繁に登場するのが “Todessehnsucht” が好きすぎてそれ以降のアルバムを認められない問題でしょう。たしかにあの作品は、イカれたテクニカル・デスメタルでありながらどこか気品があり、耽美と荘厳を兼ね備え、暗闇にフックを携えた欧州デスメタル史に残る不朽の名品です。
インタビューで Alex が言及しているように、ドイツ語のタイトルもミステリアスかつ斬新で、ここでも RAMMSTEIN の先を歩んだ早すぎた挑戦でした。音楽の世界では、往々にして真の先駆者が成功を得られないことがありますが、ATROCITY はまさにそうした存在で、ゆえにメタルの地図がある程度定まってきた今こそ、私たちは彼らの旅路を再度歩み直す必要があるのではないでしょうか。当時は突拍子もないで片付けられたアイデアも、今となればすべてが “先駆” であったことに気づくはずです。つまり、ATROCITY は結局、”道” を外れたことなど一度もなかったのです。
「2004年に行った “Atlantis” のコンセプトに関する大規模な作業では、オカルトに関するさまざまな情報や接点が驚くほど豊富にあったんだ。科学的、考古学的な研究、秘教的な理論に対する神話的な視点、第三帝国のオカルティストの不明瞭な解釈、UFO学のような突飛な世界まで、さまざまなものが存在した。そして、次に私たちが思いつくコンセプトは、世界の謎や人間のダークサイドについてかもしれないと、ほとんど明白になったんだよな。そして、1枚のアルバムでは不十分で、ここに “Okkult” 3部作が誕生したわけだ。ダークで壮大で残忍な音楽で、まさにATROCITY のこの10年間を表現しているよ」
祖父がヴァンパイア伝説の震源地、トランシルヴァニア出身であることからオカルトに興味を惹かれた Alex は、そうして世界各地の怪しい場所や伝承、ダークで壮大で残忍なデスメタルを使ってホラー映画のようにダークサイドを描くライフワークに没頭するようになります。”オカルト・シリーズ” と題された深淵もこれが3作目。
この一連の流れでバンドは、遂にデスメタルの最前線に復帰しながらも、やはり実験の精神は微塵も失うことはありませんでした。Elina Siirala (LEAVES’ EYES) と Zoë Marie Federoff (CRADLE OF FILTH) をゲスト・ボーカルに迎えた “Malicious Sukkubus” では暗黒のストンプにシンフォニックな光が差し、”Teufelsmarsch” では90年代のゴス/インダストリアルを逆輸入しつつその邪悪に磨きをかけます。重要なのは、常にオカルティックなエニグマと、地獄の腐臭が共存していること。ATROCITY の闇への最敬礼はやはり、本物の毒と気品を兼ね備えています。
今回弊誌では、レジェンド Alexander Krull にインタビューを行うことができました。「私たちはヨーロッパで最初に結成されたエクストリーム・メタル・バンドの1つとしてスタートし、メタル音楽の新しい地平を開拓するパイオニアとなり、多くの変わったプロジェクトに携わり、メタルで初めて他の音楽スタイルを組み合わせていったんだ」 どうぞ!!

ATROCITY “OKKULT Ⅲ” : 10/10

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COVER STORY 【MR. BIG : THE BIG FINISH】INTERVIEW WITH NICK D’VIRGILIO !!


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH NICK D’VIRGILIO OF MR. BIG !!

“I Could Never Replace Pat. He Had a Unique Sound And Feel And The Band Really Gelled Together In a Great Way. He Was a Huge Part Of The Mr Big Sound. All I Can Try To Do Is Play To The Best Of My Ability And Pay Tribute To Pat.”

THE BIG FINISH

パット・トーピーが私たちの前からいなくなって、どれくらいの月日が過ぎたでしょう。アイスクリームとハンバーガーを愛し、アメリカの学園モノに出て来そうな爽やかな笑顔でブロンドをなびかせ、年齢をちょっぴり詐称した歌って叩ける MR.BIG のドラマーはあのころ、文字通りみんなのアイドルでした。
ただし、ポール・ギルバート、ビリー・シーンという当代きっての弦楽隊のおかげで霞んでしまってはいましたが、パット・トーピーは顔が良いだけでなく、相当の実力者でバンドの要。”Take Cover” や “Temperamental”, “Undertow” のユニークなリズム・パターンに巧みなゴーストノート、ボンゾを思わせる骨太でタメ気味のドラミングはやっぱりスペシャルで、”Yesterday” を歌いながらソロをとるパットの姿がみんな大好きだったのです。
そして、どこか飄々として浮世離れしたポール、やんちゃなエリック、職人肌で真面目なビリーをつないでいたのもやはりパットだったのでしょう。特に、ビリーとエリックが一時、相当険悪な仲であったことはもう誰もが知る事実ですから。
結局、私たちはパットを失って再度、MR.BIG は “あの4人” でなければならないと痛感させられました。1度目はポールがバンドを去った時。FREE の名曲をその名に冠するバンドです。リッチー・コッツェンでも、むしろポールよりリッチーの方が上手くいってもおかしくはなかったのです。しかし、実際はポールの不思議なメロディ・センスやメカニカルなギターを失ったバンドは一度瓦解しました。
今、THE WINERY DOGS が生き生きとしているのは、THE WHO や FREE の21世紀バージョンを全力で追求しているから。MR.BIG の建前はたしかにほぼ同じでしたが、実のところ彼らはもっと甘いメロディやスター性、派手なテクニックを売りにしていました。その “アンバランス” が実は MR.BIG のキモで魅力だったのです。リッチーと作った ”Get Over It” は玄人好みの素晴らしいアルバムでしたが、MR.BIG はそもそも玄人好みのバンドであるべきではなかったのです。
だってそうでしょう?90年代、私を含めてどれだけ多くのキッズが彼らに憧れて楽器を始めたことでしょう?バンドを始めたことでしょう?アイバニーズのFホールやヤマハのライトグリーンがそこかしこに溢れていたのですから。今、あれだけ長いソロタイムを設けられるバンドがどれだけいるでしょう? “Raw Like Sushi” シリーズのソロタイムをみんなが食い入るように分析していたのですから。MR.BIG はあのころ日本で、楽器をより純粋で真剣な何かへと変えていきました。それは彼らがとことんキャッチーで、ある種のアイドルで、全員がスーパーなテクニカル・スターだったからできたこと。
そんな日本におけるハードロックの父、MR.BIG にも遂に終焉の時が訪れます。エリックは最近、こんな話をしていました。
「BON JOVI がこの年まで続けるとわかってたら “Livin’ On A Prayer” をあんな高くは歌わなかったと言ってた。僕もそう。南米のバンドとやるときに “Lucky This Time” をやりたいと言われたけど無理だった。”Green-Tinted” の高音でさえキツイんだ」
あのベビーフェイスで鳴らしたエリックももう62歳。ポールは56歳。ビリーにいたっては69歳。もちろん情熱は年齢を凌駕しますが、それでも人間に永遠はありません。
それでも、パットが亡くなってから数年後、エリックはこう話していました。
「MR.BIG をまたやりたいよ。あの音楽が大好きだし、バンドを愛してるから。ビリー、ポール、そしてパットの魂とまたステージに上がりたいね」
パットの座右の銘は、”Never Give Up” でした。病に倒れたあとも、パットは常にバンドと帯同し、諦めず、不屈の精神で MR.BIG の音楽と絆を守り続けてきました。だからこそ、やはり幕を下すべき時なのです。お恥ずかしい話ですが、少なくとも私はあのころ、4人の絆と友情を純粋に信じていました。でも、それもあながち間違いではなかったのかもしれませんね。エリック、ポール、ビリー、そしてパットの魂は今回の “The Big Finish” ワールドツアーを最後にやはり、バンドを終わらせるつもりのようです。とても、とても残念で寂しいですが、それはきっと正しい決断なのでしょう。
最後のツアーは、MR.BIG のアンバランスが最高のバランスを発揮した “Lean Into It” が中心となります。マキタのドリルも、”Alive and Kickin” の楽しいハーモニクスも、”Green-Tinted” のメロディックなタッピングも、”Road to Ruin” のビッグ・スイープも、もしかしたらこれが聴き納めとなるかもしれません。しかし何より、多くのファンに別れを告げるため、物語をしっかりと終わらせるため、そしてパットに対する美しきトリビュートとしても、非常に重要なツアーとなるはずです。
ドラム・ストゥールには、ニック・ディヴァージリオが座ります。現在の英国を代表するプログレッシブ・ロック・バンド BIG BIG TRAIN のメンバーで、SPOCK’S BEARD, GENESIS, FROST, FATES WARNING など様々な大御所バンドで腕を振るって来たプログレッシブの巨人。ドラムの腕はもはや疑うまでもありませんが、ニックはとにかく歌が上手い。MR.BIG がボーカル・ハーモニーを何より大事にしてきたこと、ボーカル・ハーモニーで成功を収めたことはご承知のとおり。インタビューにもあるように、実は VAN HALEN や MR.BIG を愛し、その “歌” で選ばれたニックなら、きっと素晴らしい花道を作ってくれるはずです。
「僕は決してパットの代わりにはなれないよ。彼はユニークなサウンドとフィーリングを持っていて、バンドは本当に素晴らしい形で融合していたんだから。彼は MR.BIG サウンドの大きな部分を担っていたんだ。僕ができることは、自分の能力を最大限に発揮して、パットに敬意を表することだ。でも、僕はプロフェッショナルであることを誇りに思っているし、MR.BIG の曲を本物のロック・サウンドにするために必要なことは何でもするつもりだよ」NDV ことニック・ディヴァージリオの弊誌独占インタビュー。どうぞ!!

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【OUT OF NOWHERE : DEJA VU】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH AMIN YAHYAZADEH OF OUT OF NOWHERE !!

“Iran Is Very Suppressive And Many Things That Are Normal Anywhere Else In The World Is Forbidden Here. This Includes Most Of Music Genres And The “Most Illegal” Of Them All Is Metal.”

DISC REVIEW “DEJA VU”

「残念ながらイランの政府は非常に抑圧的で、他の国では普通のことでも、ここでは禁じられていることがたくさんあるんだ。音楽もほとんどそうで、その中でも “最も違法” なのがメタルなんだ。刑務所に入れられた友人もいたし、その他にもいろいろなことがあってね…。音楽は僕たちを生かしてくれた唯一のもので、決してやめられない。だから、国を出たんだ」
イランからトルコへ。OUT OF NOWHERE という名前を体現する根無草のメタル集団は、母国の厳しい道徳的ルールと対峙しながら10年以上かけて自分たちのサウンドを磨き上げ、常に脅かされながら演奏し、危険と隣り合わせの夢を追い求めてきました。2021年、バンドは自分たちの創造的な可能性をさらに追求し、音楽を作ることで逮捕される心配のない活動をするためにトルコに移住します。そこで起こったあの大地震。彼らの情熱は今、革命の始まりのように純粋なイランの人々、そして大災害にも負けないトルコの人と共にあります。メタルの回復力、反発力と共に…
「僕たちはこのビデオをイランの女性たちに捧げた。基本的な自由のために戦い、政府によって殺されようとしている人たちに。彼女たちは僕たちの姉妹だから。イランの若い世代は、僕たちに大きく勇敢である方法を教えてくれた。彼らは、自分たちの若さと未来が台無しになることを望んでいない。僕たちイラン人は暴力的な人間ではないよ。どこの国の人でも自由を持つ権利があるけど、僕たちは基本的な自由さえ持っていなかった。言論の自由もない。政権の弾圧のために、僕たちの夢のほとんどは6フィートの深さに埋もれてしまった。でも、イランで兄弟姉妹が毎日殺されているのに、黙っているわけにはいかないじゃないか」
“Wrong Generation” は、抗議活動を悩ませた当局の暴力や、イラン人女性から基本的な自由を奪い続ける抑圧的な支配を非難するプロテスト・ソングで、協調のアンセム。彼らの情熱的な抗議の形であり、もううんざりだと判断した女性や若者の怒りを代弁しています。
昨年、22歳のイラン系クルド人ジナ・マフサ・アミニは、イランのガイダンス・パトロール(この地域の迫害警察をより洗練した言葉で表現したもの)に拘束されました。彼女の罪は、政府の基準に従って伝統的なヒジャブを着用していなかったことです。アミニは逮捕後まもなく、テヘランの病院で不審な死を遂げます。この事件をきっかけに、テヘランの女性や若者たちは伝統的な圧制に終止符を打つために街頭に繰り出しました。
デモに参加したことで約18,055人が拘束され、その結果、437人が死亡したと伝えられています。イランのサッカー代表チームも自国の女性たちとの連帯を示し、ワールドカップ初戦のイングランド戦に向けて、世界中の観客が見守る中で自国の国歌を歌うことを拒否しました。そうして、自由への連帯は “最も違法“ で悪魔の音楽とみなされていたヘヴィ・メタルにも広がっていきました。OUT OF NOWHERE はそうして、自由への障害となる壁を、地理的にも、社会的にも、音楽的にも壊していくことを望んでいるのです。
「サントゥールはイランでとても人気のある楽器で、さまざまなジャンルで広く使われているんだけど、エレキギターやメタル・ミュージックのサウンドと組み合わせることは、これまでになかったこと。僕たちは、それを最高の形で実現し、イランの伝統的な楽器のひとつを世界に紹介することに挑戦したんだ」
抑圧的な社会や法律から逃れるためにイランからトルコに移住した OUT OF NOWHERE は、国を超えた境界線だけでなく、音楽における固定観念も打ち破りました。”Deja Vu” の最初の1分間で、彼らの創造的な遺伝子に ARCHITECTS のダイナミズムと POLYPHIA の野心が眠ることをリスナーはすぐに察知するでしょう。同時に彼らは、飽和し、変身の時を迎えたモダン・メタルコアというサブジャンルに対して、その解決策の一つを提示して見せました。自らのアイデンティティであるサントゥールの使用です。あまりにもドラマティックで劇的なルーツの提示は、自分たちが何者で、どこから来たのか、どこへ進むべきなのかを瞬時に知らしめる音の魔法。そうして彼らは、音楽においても、社会においても、適切な変化と自由の重要性を世界へと訴えかけます。
今回弊誌では、フロントマン Amin Yahyazadeh にインタビューを行うことができました。「これまで僕たちは、常に逆風の中生きて来た。でもね、すべてが自分にとって不利でどうしようもないときでも、僕たちはヘッドホンをつければ別世界に行くことができたから。悲しいときやストレスがあるときだけでなく、楽しいときでも、音楽はいつも君のそばにいて、元気にしてくれる。だからこそ、僕たちは音楽を作ることができることに本当に感謝しているんだよ」どうぞ!!

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【DUSK : SPECTRUMS】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH MESHARI SANGORA OF DUSK !!

“Saudi Arabia Is Not Known As Being a Place Where Metal Music Is a Thing, But Music Knows No Boundaries.”

DISC REVIEW “SPECTRUMS”

「たしかにサウジアラビアはメタル・ミュージックが盛んな国としては知られていないけど、音楽には国境がないんだよ。音楽が大好きな僕は、大学進学を機にUAEに移り住み、リスナーとしてだけでなく、音楽に携わりたいと思うようになった。それでまず、DJ としてスタートして、それ以来音楽に対する情熱を燃やし続けている」
プログレッシブ・メタルコアのパンデミックは、北米、南米、ヨーロッパ、そしてもちろんここ日本やアジアの国々にも感染し拡大を続けていますが、さすがにサウジアラビアにまで到達し、これほどの逸材が登場するとは想像もつきませんでした。サウジアラビアの一人プログコア DUSK の首謀者 Meshari Sangora の音楽に対する情熱の焔は、実にユニークかつカラフルなデビュー作 “Spectrums” で国境や困難を燃やし尽くすのです。
「僕の生活は、ヘヴィ・ミュージックとメタルが100%なんだ。そうした音楽は、僕にとってのライフスタイルであり、メタル・ミュージックは、ジャンルとして、あるいは生き方として、僕にとって完璧なものであるといつも感じているんだよ。たしかにサウジアラビアでも本当に長い間、メタルやヘヴィ・ミュージックはタブー視されてきたし、過激なバンドや悪魔的なメタルに傾倒する人もいて、イメージは全く良くなかったんだ。でも人々はゆっくりと、しかし確実にヘヴィ・ミュージックに心を開き、メタルの物語の両面を学んでいるところだよ」
これまでインタビューを行ってきたイスラム教国家のバンドたちは、多かれ少なかれ、何かに不自由を感じていて、時には激しく弾圧を受け国外へと脱出した人たちさえ存在しました。もちろん、文化や伝統を重んじることは重要ですが、それによって生じた歪みで自由や権利が制限され、精神的、肉体的な抑圧や不利益を産むとしたら、きっと変化も必要です。”悪魔の音楽” は少なくともサウジアラビアでは、Meshari のような100%メタル人間の情熱によって、徐々に受け入れられて来ているのかも知れませんね。
実際、CREATIVE WASTED によるサウジ初のメタルライブが行われたところです。バンドのベーシストはこう語っていました。
「当時(2000年)のサウジには、どんな種類の音楽シーンもなかった。本当に何もなかった。アンダーグラウンドの民族音楽ならまだしも、それも家の中で友達に聞かせる程度。基本的に、そういうものだけ。ここには、どんな音楽シーンもなかったんだ。何もない。サウジアラビアのアーティストのほとんどは、レバノンなど、王国の外でレコーディングをしていたよ」
Meshari 息子とも言える “Spectrums” の誕生は、まさに変化の象徴でしょう。
「このアルバムは、メタルヘッズとそうでない人の両方にとっての、入り口になるような作品にしたかった。”Spectrums” は音楽が好きな人なら誰でも興味を持つことができると思うんだ。様々に異なるジャンルをミックスしているからね。このアルバムで僕がやろうとしていることは、すべての人に自分の感情や旅を体験してもらうこと。裏切りや処刑、愛、憎しみ、希望といった現実問題を扱ったテーマもある」
Meshari は、この新作をSide AとSide Bとに分けて制作しました。アルバムの前半、Side A は攻撃的なサウンドで、よりギターに重点を置き、前に進むにつれてさらなる敵意が蓄積されていくような作風。一方、後半 Side B では EDM 的なサウンドを多く取り入れ、DJ として養った現代的なデジタル•サウンドとイヤー・キャンディでメタル以外のリスナーにも広く訴えかけていきます。
「母国語を加えるというアイデアは、ユニークなタッチを加えることができると思ったし、アラビア語は僕のルーツとのつながりを保つ方法でもあるね。だから “Agnes Of Rome” という曲にはアラビア語が使われている」
“Spectrums” というタイトルは伊達ではありません。あの元 SWALLOW THE SUN の偉大な Jaani Peuhu、SOLEMON VISION の Aron Harris をはじめ、英語、ドイツ語、フィンランド語、アラビア語という異なる言語、異なるスタイルを持つボーカリストを集めたアルバムは実に多様で色鮮やか。さらに、EDM、ジャズ、ポップ、インダストリアル、アンビエントの音像が、モダン・プログコアという情熱の炉で溶かされ、再結晶した音楽は独創的でキラキラと耳に残ります。もちろん、オリエンタルな音の葉も存在しますが、それを押し売りのように無理強いしないところも見事。DUSK が蒔いた情熱の種は、この地で芽吹くのでしょうか。
今回弊誌では、Meshasi Sangora にインタビューを行うことができました。「POLYPHIA を聴いてメタルを再発見し、その場で再度メタルに転向したんだ。だから、ギターを弾く人たちに追いつくために、基本的なことをたくさん学ぶ必要があると思ったし、少なくともそうやって自分にハッパをかけて、毎日毎日練習していったんだ」どうぞ!!

DUSK “SPECTRUMS” : 9.9/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【TRITOP : RISE OF KASSANDRA】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH TRITOP !!

“This Is The Dream Of My Life And Sincerely I Don’t Care About Money Or Fame. I Am Aware Of Today’s Prog Situation But My Passion For Music And Prog Helps Me a Lot To Overcome The Difficulties.”

DISC REVIEW “RISE OF KASSANDRA”

「眠る時には、FLOWER KINGS と一緒に演奏する夢をよく見たものだよ。これは僕の人生の夢なんだ。お金や名声はどうでもいいと思っている。もちろん、今のプログ世界が置かれた状況はわかっているけど、音楽とプログへの情熱が、この困難を乗り越えるために大いに役立っているんだ」
今や音楽は、ボタン一つでAIでも作れる時代。インスタントなコンテンツや文化に支配された世界は、長時間の鍛錬や思索を必要とするプログレッシブ・ワールドにとって明らかな逆風です。そんな逆境をくつがえすのは、いつだって情熱です。イタリアというプログレッシブの聖地で育まれた TRITOP にとって、音楽はただ追求し、夢を叶えるための場所。
「僕らにはプログの “黄金時代” が残した文化遺産を守りたいという思いもあってね。プログの歴史を作ってきたバンドの足跡をたどりながら、現代化に向けて創意工夫と先見性を加え、さらに自然に生まれ、発展してきた自分のアイデアを共有しようと思っているんだよ」
音楽でヴィンテージとモダンのバランスを取ることは決して容易い仕事ではありません。しかし TRITOP はデビュー・アルバムからその難題をいとも容易く解決してみせました。HAKEN があの21世紀を代表するプログの傑作 “Mountain” で踏破したメタルとプログの稜線。その景観をしっかりと辿りながら、TRITOP は自らの個性である場面転換の妙と豊かな構成力、そして圧倒的な歌唱とメロディの”ハーモニー”を初手から刻んでみせたのです。ハモンドやメロトロン、シンセの力を借りながら。
「プログレッシブ・アイドルの真似をしたいという燃えるような思いは、成長期に発見した新しいプログレッシブ・バンドによって強められたんだ。DREAM THEATER, THE FLOWER KINGS, KAIPA, ANGLAGARD, HAKEN のようなバンドたちだ」
重要なのは、彼らがただ GENESIS や KING CRIMSON、そしてイタリアの英傑たちの車輪の再発明を志してはいないこと。23分の巨大なフィナーレ “The Sacred Law Of Retribution” を聴けば、古の美学はそのままに、ANGLAGARD のダークマターや、DREAM THEATER の名人芸、THE FLOWER KINGS のシンフォニーに HAKEN の現代性、SYMPHONY X のメタル・イズムまで、TRITOP の音楽には限界も境界もないことが伝わります。ただし、見事に完成へと導いたプログレッシブなジクソーパズルで、最も際立つのはそのメロディ。
「僕たちの目標は、複雑なハーモニーやリズムをベースにしながら、素敵でキャッチーなメロディを作ることだった。君が言う通り、STYX はもちろん、GENESIS や DREAM THEATER といったバンドは、曲を聴きやすくするために常に素晴らしいメロディーを作り出しているんだ。そうしたキャッチーと複雑さのコントラストがこの種の音楽を面白くするのだと思う」
逆に言えば今は、例えば DREAM THEATER がグラミーを獲得したように、メロディに輝きさえあればどんなジャンルにもチャンスがある時代だとも言えます。プログにしても、本当にひょんな事から TikTok でヴァイラルを得ることも夢ではありません。少なくとも、TRITOP はその可能性を秘めたバンドでしょう。さらに言えば、MORON POLICE, MOON SAFARI, BAROCK PROJECT のように、メロディの母国日本で認められることは必然のようにも思えます。それほどまでに、ラブリエやトミー・ショウの血脈を受け継ぐ Mattia の紡ぎ出すメロディは雄弁にして至高。燃える朝焼けのような情熱が押し寄せます。
今回弊誌では、TRITOP にインタビューを行うことができました。「日本は70年代以降、あらゆるジャンルの偉大な “音楽の目的地”だ。日本のファンがプログレッシブ・ロックに対して示してきた、そして今も示している大きな尊敬の念は筆舌に尽くしがたいもので、僕たちはその伝統に敬意を表することを本当に望んでいるんだ」どうぞ!!

TRITOP “RISE OF KASSANDRA” : 9.9/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【DAWN RAY’D : TO KNOW THE LIGHT】


COVER STORY : DAWN RAY’D “TO KNOW THE LIGHT”

“We Are a Black Metal Band, But Worry Not, We Are Anarchists And Antifascists. We Still Want To Be Part Of This Community.”

TO KNOW THE LIGHT

リーズのステーションハウスは、かつて警察署でした。そのため、今でも警察官と話すためにドアをノックする人が後を絶たないほどです。レコーディング・スタジオとして再利用された多くの古い建物と同様に、この場所の特徴は、新しい機能とうまくクロスオーバーしています。The Stationhouse の場合、いくつかの小部屋が、バンドがギターアンプを置いたり、ボーカルを録音したりするためのアイソレーション・ブースになっています。
Fabian Devlin は、「あの部屋は昔の留置場だったんだろうね」と言います。「僕らからするとかつての卑劣な場所でレコーディングして、今はクリエイティブになれる場所、警察を解体するアイデアを探求できる場所になっているというのは、ちょっと不思議な感じだったね」
Fabien と彼のバンド DAWN RAY’D がかつての警察署で録音した曲は、バンドのサードアルバム “To Know The Light” のオープニング・トラック “The Battle Of Sudden Flame” でした。この曲は、 “豚野郎が何もないのに子供を虐待した” 後に子供の父親が炎で反撃する物語。歌詞によると “分断の間違った側に生まれた” 警官の話。この曲は、レコーディングされた場所で行われていた “ビジネス” に対する考えが明確であり、特に「給料をもらっていた警官たちははみんなくたばれ” という宣言に、彼らの思いが込められています。
バンドのシンガー兼バイオリニストの Simon Barr がこの楽曲を微笑みながら紐解きます。
「そこには素敵なメタファーがあると思うんだ」
すでに DAWN RAY’D に目をつけている人たちにとって、こうした過激さは驚きではないでしょう。2015年に “A Thorn, A Blight EP” で登場して以来、リバプールを拠点とするブラックメタル・トリオ Simon、ギターの Fabian、ドラマーの Matthew は今や、政治的な事柄を扱うバンドの代名詞となり、イギリスのメタル・アンダーグラウンドの新星となっているのですから。”To Know The Light” のリリースを控えた彼らは、その音楽の質と発言力の両方において、英国エクストリーム・ミュージック界で最も話題のバンドのひとつとなっています。

DAWN RAY’D は警察が嫌いで、反ファシスト。資本主義はあらゆる戦争と同じくらい破壊的だと考えています。選挙は結局のところ良い方向にはあまり向かわないという思想から、投票参加しません。王室について彼らがどう考えているかは想像がつくでしょう。つまり、DAWN RAY’D は、最も基本的なレベルでの人権、コミュニティ、平等、自分自身と隣人のために周りの世界をより良くすることとそのための努力のみを信じているのです。彼らは、一度や二度ではなく、何度でも、誇りを持ってアナーキズムを実践していきます。
「アナーキズムとはギリシャ語で “指導者のいない人々” を意味する “anarcho” から来ている」と Simon は説明します。「世界で起こっていることを外から見てみると、とにかくすべてが混沌としているよな。資本主義のもとでは、世界は滅びつつある。これほどカオスな世界はないだろう。僕にとってアナーキーとは、矛盾しているようだけど、秩序、協力、組織、そしてもっと全体的な生き方を意味しているんだ」
Fabian が付け加えます。
「他の誰にも悪い影響を与えない限り、誰もが自分にとって正しい生き方をする権利を持っている。そして、それを少し拡大すると、自分が生きたいように生きられるだけでなく、他の人たちが生きたいように生きられるようにベストを尽くすべきなんだよな。人は皆喜びと幸福に満ちた人生を送るべきで、できるだけ多くの苦労を取り除くべきなんだよ」
煽情的なオープニングと、より激しい音楽的な衝動が示すように、”To Know The Light” は政治的な怒りと同じくらい個人的なテーマを扱ったレコードです。Simon は、人はスローガンに惑わされることなく、最終的なゴールを自身が生きるに値する人生であると認識することだと定めています。それが結局は、すべての人のためになると信じて。
「COVIDでは、アナーコ・ニヒリズムに傾倒したんだ」と Simon は言います。「環境は破壊され、すべてが最悪で、革命も起きないかもしれない。しかし、ただ諦めて人間嫌いや絶望に屈するべきじゃない。酷い現実に対処する方法は、とにかく抵抗すること。抵抗のために抵抗し、尊厳と喜びを見出すことなんだ。それは、この世界が何であるかを見つけ、受け入れ、続けることにつながるからね」

実際、”To Know The Light” は、様々な意味で彼らのこれまでの作品とは一線を画しています。政治的な側面は変わりませんが、以前よりも個人的な傾向を帯びていて、怒りから絶望、そして周囲の闇を根本的に受け入れ、解放と喜びという新たな理解に至るまで、アナーコ・ニヒリズムの旅を辿るような歌詞になっているのです。テーマとなる内容の多くは、怒りと抵抗に根ざしていますが、ポジティブな要素も随所に見受けられます。
DAWN RAY’D はフォーク・ミュージックを、労働者階級の人々の傷や虐待、実生活の物語を記録する方法として定義し、他の方法ではアクセスできないような情報を広める方法と目しています。だからこそ、サウンド面でも彼らは伝統的なフォーク・ミュージックの要素を自分たちの音楽に取り入れていて、特に “Requital” や “Freedom in Retrograde” などの曲ではハーモニーやレイヤーにその傾向が見られます。
アルバムのジャケットは、デモの火の前でシルエットになった人物。”To Know The Light” は、単なる叫びではなく、新しい世界の見方を提示する誠実な作品だと彼らは考えてほしいのです。
「労働者が自分たちの人生を語ることができる方法のひとつがフォーク・ミュージックだ。労働争議、革命家の人生、そして権力者が我々に対して行うあらゆる虐待を記録している。過去と現在の間に隔たりはなく、これは最善の方法で語られる真実の物語なのだ。フォーク・ミュージックは “アコースティック” の代名詞ではなく、僕たちの実際の生活の音楽であり、苦労の結晶なんだ。
女性を残酷に扱い、貧しい人々を苦しめ、有色人種を平気で殺し、虐待する金持ちをかばい、反対意見を押しつぶすような組織を憎むことは議論の余地がなく正しい。警察への反対を正当化する必要はない。それは警察を支持する人たちの責任だ」
最近、英国ではもっぱら、最高権力者の金銭スキャンダル、警察での性的暴行、行方不明の移民の子供たち、不法滞在を許さないと下院で叫ぶ現職議員(Fabian は政治の中心にある “残酷さ” を強調するだけだと言う)、給与と条件についてストライキに入った疲れ切った病院スタッフを非難する政治家など、下水のようなニュースが垂れ流されています。
「絶望の中に身を置くのは簡単だ」と Fabian は言います。「このアルバムのテーマのひとつは、絶望を受け入れ、そこに寄り添い、絶望を通過し、でも絶望感を麻痺してしまわないようにすること。絶望に打ちのめされず、そこから喜びを見いだすべきなんだ。それがアナーキズムなんだよ」

当初、DAWN RAY’D はここまで政治的なことをやるつもりはありませんでした。3人はスクリーモのバンド We Came Out Like Tigers で一緒に演奏し始めましたが、このバンドには政治的な傾向があり、政治活動家が運営するスクワットで、同じような考えのバンドとよく演奏していました。このバンドが終わると、彼らは DAWN RAY’D(19世紀のアナーキスト作家 Voltairine de Cleyre の詩から取った名前)を結成し、Simon の不思議なほど効果的なヴァイオリンをトップに、新しい、ブラックメタルの道を歩み始めたのです。政治的な内容は、ブラックメタルとの関係性により、より顕著になりました。
「ヨーロッパ本土では、ブラックメタルは危険な領域だった。ヨーロッパのスクワットでは、国家社会主義とのつながりのせいで、人々はブラックメタルをチラシに載せないんだ。どのシーンでも同じだよ。極右はとっくの昔に文化利用の重要性に気づいていたんだ。ブラックメタルでも全く同じことが起こった。ノルウェーの数人のティーンエイジャーが、物議をかもすために卍を使い、実際のナチスに食い物にされた。だけど、パンク、スカ、テクノ、民族音楽でそうした連中が処分されたように、このシーンのチンカス連中も追放されるはずさ」と Simon は言います。「だから、俺たちは最初から、”俺たちはブラックメタル・バンドだけど、心配するな、俺たちはアナーキストで反ファシストだ、俺たちはまだこのコミュニティの一員でありたいんだ” とはっきり言わなければならなかったんだ」
続けて、ブラックメタルとアナーキズムの親和性について語ります。
「たしかに、ブラックメタルは伝統的にアナーキストと考えられているシーンではないと思うけど、革命、野性、自由、権威への憎悪といった考え方は、ブラックメタルの文脈の中ですべて納得がいくものなんだ。かつて、ブラックメタルがアナーキズムと相容れないものであったとしても、今は相容れるということだよ(笑)。
ネオナチはソーシャルメディアのコメント欄で僕たちに文句を言うけど、僕たちは右翼的なものを削除するのがとても上手で、彼らはライブで僕らに何か言う勇気はないんだ。それに、僕たちの発言には信じられないようなサポートがある。演奏するすべてのショーでこうしたアイデアについて話し、大きな募金活動を何度も行い、出来うる限り声を上げる僕らを人々評価してくれているようだから。僕たちが受ける憎しみは、僕たちが得るサポートによって圧倒的に覆い隠されるのだよ」
つまり、ブラックメタルは音楽的にも、哲学的にも、革命の最中にあります。
「PANOPTICON や ISKARA のようなバンドが道を切り開き、アナーキズムがこのジャンルにさらに踏み込んでいけるような新しい波が来ているように感じるね。
それに、時代の流れでもある。僕たちは絶望的な時代に生きていて、恐ろしい未来に直面している。どんな政治家も決して何かを解決することはできず、僕たちが信頼できるのは自分自身と自分たちのコミュニティだけだということが、これほどはっきりしたことはないだろうから。僕は、今、音楽を含む人生のあらゆる部分に革命への飢えがあると思っていてね。
ブラックメタルはアナーキズムにとても適している。僕は教会が嫌いだ。白人のキリスト教の礼節が嫌いだ。カトリック帝国の犯罪が嫌いだ。それらの建物が燃えても涙を流さない。メタルの右翼は、実は白人のキリスト教的価値観を支持している。それは、我々アナーキストよりもブラックメタルから分離しているように感じるね」

彼らの精神的ルーツは、MAYHEM や EMPEROR よりも、CRASS や CHUMBAWAMBA のアナーコパンクに近いと言えるのかもしれません。しかし、かえってその折衷性が、このリバプールのバンドのメッセージと影響力を高めています。
「パンクのショーでは僕らはメタル・バンドで一部の人には重すぎるし、ブラックメタルのショーでは政治的すぎて少し面食らう人もいるけど、それを楽しんでくれる人は必ずいる」と Simon は説明します。「そういうやり方が好きなんだ。僕たちは、本当に様々なフェスに出演してきた。マンチェスターで行われた反ファシストのフェスティバルに出演したんだけど、ヘヴィなバンドは僕らだけで、ラッパーやDJが出演していたよ」
逆に言えば、”真の” ブラックメタルでないことが、DAWN RAY’D のアイデンティティだと Simon は言います。MY DYING BRIDE を手がけた Mark Mynett の起用もその恩恵の一つ。
「僕たちに対する批判は、”真の” ブラックメタル・バンドではないというものが多かった。なぜなら、僕たちは反ファシストでありアナーキストだから。でも、”真の” ブラックメタル・バンドでなければならないというプレッシャーも感じていた。ブラックメタルはこうあるべきという他の人たちの考えに訴えかけようとしていたのかもしれない。このアルバムでは、それに逆らうような形で、自分たちの言葉で本当に演奏したいレコードを作ったんだ。ブラックメタルがどうあるべきかではなく、DAWN RAY’D がどうあるべきかでね。より親しみやすくメロディック。狂気のシンセサイザー、クリーン・ボーカル、ハーモニーを強調したアカペラ・ソング、そして大聖堂のパイプ・オルガン…”グロッシー” とでも言うべきだろうか。今回のアルバムは全く違うんだ。このレコードはとても違っていて、より多くの努力と時間とお金をつぎ込んでいるんだ」

政治性はすでに長い間、個人として彼らの中にあったもの。Simon はまず学生の反戦デモに参加し、次にリバプールのDIYパンクやハードコアのライブに行き、そこで音楽と政治の意味をしっかりと結びつけていたのです。そんなライブで手にしたアナーコ集団 CrimethInc のZINEは、彼がすでに信じていたものと多くの共通点がありました。
「そこにはアナーキズムとは何かということが書かれていて、”もしあなたがこれらのことをすでに信じているなら、あなたはすでにアナーキストです” と書いてあったんだ。それが僕にとっての啓示の瞬間だった。物事が間違っていることを知り、世界をより良い場所にしたいと思ったんだよな。すでに学生の抗議活動などにも参加していて、皆が世界をより良い場所にしたいというエネルギーを持っているのだとわかっていた。CrimethInc のZINEは、それに名前をつけただけなんだ」
Fabianにとっても、より若い頃の反抗心が種になっているとはいえ、同じようなことが起こりました。
「若いころはよくスケートボードをやっていたんだ。それは、よく不法侵入して、よく追いかけられたということ。それが、権威が必ずしも正しいとは限らないという考え方につながっているんだ。その後、CrimethInc にハマり、学生のデモに参加するようになったね。アナーキストのブロックを見て、すごいと思ったのを覚えているよ。彼らは僕に新聞を売ろうとしたり、自分たちの奇妙なグループに参加するよう説得したりせず、ただ本当に親切で、協力的で、励ましてくれて、決して見返りを求めない人たちだったからね。思いやりがあって、思慮深くて、みんなよりちょっとだけ張り切っていたんだよ。これからは彼らと一緒にやっていこうと思ったんだ」
そして、BLACK SABBATH のおかげで、メタルは “政治的であることから始まった” と断言する Matt。
「ドイツやスイスなど、かなり裕福な国でも、人々は反発し、自分たちの生活を完全に自分たちのやり方で送り、さらに周りのものをより良くしようと努力している」

環境破壊に使われる機械にダメージを与えたり、フードバンクを運営したり、単に隣人が無事かどうか確認したりと、アナーキストの “反撃” とは実際には様々なことを意味します。
「パンデミックのとき、リバプールでは素晴らしい活動が行われたんだ」とFabianは例を挙げて説明します。「政府は、繁栄するコミュニティの一員であり、私達の住むコミュニティに多大な貢献をしながらも、パンデミックで働くことを許されなかったため国の支援に頼っていた難民を、馬鹿げた、執念深い理由で、街から数マイル離れた場所に移して、本当に隔離するというひどい政策をとっていた。アナーキズムの最も良い例のひとつは、つながりを維持することが直ちに必要であると認識し、対応できること。誰かが車で来て、人々が無事かどうか、法的手続きを行っている人々が必要なサポートにアクセスできるかどうか確かめ、店からどれだけ離れているかを知って、すぐに自転車を用意した。こうやって、実践的で即効性のある組織作りを行っているのは、ただ、優れた人々なんだ。委員会や多額の資金は必要ない。必要なのは、僕たちにできるポジティブな活動なんだよ」
一方で、アナーキストを、一部の人たちはただの愉快犯や破壊者だと考えているようです。
「その通りだ」 と Fabian も認めます。「長い間、無力で底辺にいるように感じられてきた人たちが、破壊を通して自分の持っている力を認識すれば、それは人生においても自分の持っている力を認識する良い方法となる。正直なところ、企業の窓ガラスが割れたところで、誰が気にするの?どうでもよいことだよ。でも、それがきっかけで、職場で上司から搾取されないように組織を作ったり、地域社会に貢献したりと、ポジティブな形で物事を実践できるようになれば、それは素晴らしいことだろ?」
「僕が会った中で、破壊で反撃をやっている人たちは、フードバンクを運営している人たちと同じだよ」と Simon は付け加えました。「彼らは同じなんだ。良いアナーキストと悪いアナーキストは存在しないんだ。僕が知っている限り、違法とされるようなことに携わってきた人たちは、思いやりのあることをやっている人たちでもあるんだ」

バンドの反警察的なスタンスについても、多くの人がいろいろと言うでしょう。
「僕たちが主張しているのは、警察の改革とか、資金の削減とか、規則の変更とかではなく、警察を廃止することなんだ」と Fabian は言います。「今日、警察を廃止すれば、世界はより良くなるのだよ」
それはとても強い主張です。それは、誰かに頭を蹴られていても警察官が止めてくれないという事態を意味します。
「でも、警察が実際にそうしているのを見たことある?たいていは、後から現れるだけだ」Fabian は真剣です。「でも、地域の人たちがお互いに気を配っている例ならある。今、僕たちが座っているこのパブでも、誰かが襲われているのを見たら、みんなその人を助けるためにベストを尽くすだろう。何もしないのは、人間として、コミュニティの一員としての義務を放棄していることになるのだから。多くの場合、人々は互いに助け合うもので、警察がいることは事態を単純化するのではなく、むしろ複雑にしてしまうのではないだろうか?
君の家に泥棒が入ったとき、警察はその犯罪を解決してくれるかい?自分のものは戻ってくる?刑務所で凶悪犯罪はなくなるの?薬物使用はなくなるか?警察は真に凶悪な犯罪を犯した人たちを罰することができるのだろうか?警察は財産と金持ちを守るために存在する。家庭内暴力や性的虐待の被害者、貧しいコミュニティ、有色人種のコミュニティに対する扱いを見れば、警察が正義を実現したり、人々を助けたりするために存在しているのではないことは明らかだろ?」
DAWN RAY’D の面々は、こうした疑問について議論し、自分たちの言動に責任を持つことを喜んでいます。同様に、自分たちの意見に反対する人たちを招き、まず話を聞き、対話をすることも厭いません。
数年前、彼らはあるフェスティバルで、政治的にいかがわしいと思われているバンドと共に出演しました。ファンの中には、なぜ彼らが降板しないのかと疑問を持つ人も。その質問に対して、Fabian は、「文化的空間は争われるものであり、もし我々がその中立の領域から一歩下がっていたら、負けを認めたことになる」と言っています。

彼らは、自分たちの意見に反対する人がいることも当然知っています。何人かの人たちから殺害予告を受けたからです。
「彼らは、すべてのひどいことを言ってきた」 と Matt は疲れ果てて話します。「他の誰かが僕たちを好きにならないように、積極的にコメント爆撃をしたり。トランス、クィア、有色人種など、あらゆる人々が僕らのファンになるのは危険だと思わせようとしたんだ。でも、彼らはずっと残ってくれている」
アメリカでのツアー中、彼らは何度も “撃たれるぞ” と脅され、ある公演では武装した警備員がいたほどでした。
「もちろん、嫌なことだ」と Matt は言いますが、脅しに屈するつもりはありません。「でも、右翼を怒らせるということは、何か正しいことをしているということなんだ。彼らは恐ろしい人たちだ!彼らは人々がより良く生きることを望んでいない。彼らの本性に訴えようとしても無駄だ。アナーキストや反人種差別主義を明確に表明するバンドの数は、本当にあっという間に爆発的に増えたんだ。今、メタル・シーンには素晴らしいバンドが沢山いるんだよ。僕たちの負担も少しは軽減されたよ!(笑)」
最終的に、DAWN RAY’D は世界がより良く、より素敵で、より公平な場所になることを望んでいます。もっとぶっきらぼうかもしれませんが、ENTER SHIKARI とそれほど違いはありません。音楽には多くのメッセージが込められていて、その最大のものは連帯とコミュニティなのですから。私たちは皆、誰かに顔をブーツで踏まれることなく、ただ生きていたいのです。アナーキーとは、彼らがそれを実現するために選んだ名前に過ぎません。
「僕らをアナーキズムと呼ぶ必要はない」と Simon は話します。「これは単なるイデオロギーではないんだ。教義を広めることでも、カルトや政党になることでも、BURZUM のシャツを着た人をライブから追い出す現場警察になることでもない。ちなみに、僕らはそんなことはしたことがない、そんなことをするために、やっているんじゃないからね。ただ、近所の人に声をかけ、地域に密着し、直すべきところを見て、自分で直す。実際にやってみれば、それがとても簡単なことだと驚くはずさ」
Fabian も同意します。
「君の持っている力は、すべてどこかで役に立つ。アナーキストである必要はないけど、今こそ世界をより良い場所にするために戦い始めるべき時なんだ。権力に助けを求めるのをやめて、自分たちでやり始める時なんだ。革命に参加する人は誰でも歓迎される。ねえ、みんな。世界を良くするために、誰かの許可を得る必要はないんだよ」

参考文献: KERRANG! Dawn Ray’d: “You don’t have to ask for permission to make things better”

REDPEPPER:Playing on the dark side: An interview with Dawn Ray’d

RUSH ON ROCK:EXCLUSIVE INTERVIEW: DAWN RAY’D

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【FROSTBITT : MACHINE DESTROY】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH IVAN HANSEN OF FROSTBITT !!

“We Have For As Long As We Have Listened To Metal Been Listening To Japanese Rock Bands Like Dir En Grey, Maximum the Hormone, Moi Dix Mois, Babymetal And a Lot Of Anime Openings!”

DISC REVIEW “MACHINE DESTROY”

「Mana 様の作品はどれも好きだけど、特に Moi Dix Mois で作られた音楽は最高だよね!Dir En Grey は、僕たちの大のお気に入り。”Yokan / 予感” や “Cage” のようなファンキーでアーバンなものから、”Obscure” のような Nu-metal、そして後のデスコアやジャンル・ブレンドのヘヴィなものまで、彼らの全てのスタイルが大好きだよ!特に特定の曲のライブ・バージョンが大好きで、より生々しくエモーショナルに聴こえるんだ。”濤声” のライブ・バージョンのようにね。あれは僕にとって完璧だ!NARUTO は特に130話までが僕にとって特別な場所。Asian Kang-Fu Generation の “カナタハルカ” は、生々しい叫びのようなボーカルで、僕に大きなインスピレーションを与えてくれた!」
日本の音楽は世界では通用しない。そんなしたり顔の文言が通用したのも遥か昔。アニメやゲームのヴァイラル化とともに、日本の音楽は今や海外のナードたちにとって探求すべき黄金の迷宮です。とはいえ、ノルウェーのノイズテロリスト FROSTBITT ほど地下深くまで潜り込み、山ほどの財宝を掘り当てたバンドはいないでしょう。
「特にボーカルとベース・サウンドは、KORN から大きなインスピレーションを受けているよ。”Solbrent” “Frostbitt” では、Johnathan Davis とChino Moreno のヴァイブに深く入り込んでいるんだ。ただ、そのせいで少し非難されたし、一時期ちょっとやりすぎたという事実にも同意しているよ。でも、この新しいレコードでは、彼らのインスピレーションはそのままに、他の多くのものも取り入れて、より味わい深いものになったという気がするね。自分たちを取り戻したような感じさ」
未だ Djent が新しく、勢いのあった10年代初頭に頭角を現した FROSTBITT は、近隣の MESHUGGAH や MNEMIC (素晴らしい!) に薫陶を受け、ローチューンのリズミック・マッドネスに心酔しながらも、同時に Nu-metal, 特に KORN や DEFTONES の陰鬱や酩酊をその身に宿す稀有な存在としてシーンに爪痕を残します。ただし、インタビューに答えてくれた Ivan Hansen の歌唱があまりにも Jonathan Davis に似すぎていたため、あらぬ批判を受けることもあったのです。まさに “Life is Djenty”。
しかし、FROSTBITT の時間旅行は “Machine Destroy” で空も海も飛び越える3Dの冒険へと進化しました。”Machine Destroy” というアルバム・タイトルが示すように、FROSTBITT の目的は常識や次元、時間、既存のメカニズムの破壊。CAR BOMB とのツアーは、FROSTBITT にとってノイズと獰猛さを探求するきっかけとなり、あの英国の破壊王 FRONTIERER をも想起させるアクロバティックなエフェクト・ノイズの数々は、”Frost-Riff” というユニーク・スキルとしてリスナーの脳裏に深く刻まれます。これはもう、ギミックの域を超越したテクニックの領域。
さらに、ここには日本からの影響も伝播しました。”Masked Ghost Host” のシアトリカルで狂気じみた呪文のような言霊の連打からの絶叫は、明らかに Dir en Grey の京をイメージさせますし、作品のテーマは攻殻機動隊。何より、”曲をリフ・サラダではなく、構造や繰り返しのある実際の歌らしい歌にしたい” という彼らの理想は非常に日本的な作曲法ではないでしょうか。タイトル・トラック “Machine Destroy” の致死的な電気の渦の中でも埋もれない、メロディの輝きは日本イズムの何よりの証拠。今作ではさらに、時に RADIOHEAD の知性までも感じさせてくれます。
デスメタルの単調とブラックメタルの飽和が囁かれるこの世界では、新しいアイデアを持ったバンドが必要とされているようです。1996年に片足を突っ込み、もう片足をThallの迷宮に突っ込んで、両腕を遠い東の島国に向けて突き上げる FROSTBITT の3Dな音楽センスは、明らかに前代未聞唯一無二で尊ばれるべき才能でしょう。
今回弊誌では、Ivan Hansen にインタビューを行うことができました。「ノルウェーは、暖かい夏と厳しい寒さの冬と雪の両方がある美しい場所。国土が広く、人々は国土全体に散らばっているから、ノルウェーを旅行するときはかなり遠くまで行くことが多いよね。それに、多くの家庭が森の中に山小屋を持っているから、歩く文化や山越えの文化も盛んなんだ。少なくとも、ブラックメタル・バンドからはそんな雰囲気が伝わってくるし、僕自身も同じようなことを実感しているんだよ」 どうぞ!!

FROSTBITT “MACHINE DESTROY” : 10/10

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