EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH RASYID JURAIMI OF WORMROT !!
“To Me, Grindcore Is The Most Free-Form Of Extreme Music. I Try To Challenge The Notions Of ‘Tough Guy’ And ‘Angry Music’. You Don’t Have To Be ‘Tough Guy’ To Listen To Grindcore Or Metal.”
“This Regime Cannot Tolerate Hearing Different Opinions And Voices Outside Their Beliefs Other Than Their Own. And We Believe That The Regime Is an Obvious Example of What Happens To a Nation Based On Religion.”
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH NICO MIROLLA OF KARDASHEV !!
“Young People Will Inevitably See The Cognitive Decline Of Someone Close To Them Beit a Grandparent, Aunt, Uncle, Or Parent In Their Life At Some Point And We Wanted To Capture That Moment In An Album.”
“We Stand With The Native People That Take Care Of The Forest. Sometimes Against Transnational And Ecuadorian Enterprises Protected By The State Which Are The Ones That Pollute The Most. It Seems Totally Stupid To Destroy One Of The Megadiverse Countries Of The World Just To Get More Oil And Minerals.”
COVER STORY : PORCUPINE TREE “CLOSURE/CONTINUATION”
This Is Not a Reunion, Porcupine Tree Has Never Broken Up, Just Like Tool Is Coming Back 15 Years Later With a New Album. We Were Even Earlier, Right?
CLOSURE/CONTINUATION
「これは再結成じゃない。PORCUPINE TREE は一度も解散していないんだ。TOOL が15年後に新しいアルバムで戻ってくるのと同じことだ。私たちの方がもっと早かったくらいだろ?」
12年前、ロイヤル・アルバート・ホールのステージから降りたとき、現在の PORCUPINE TREE 3人のメンバーのうち2人は、バンドがまだ存続していると考えていました。しかし、フロントマンでギタリストの Steven Wilson だけは、少なくとも当分の間は、このバンドはもう終わりだと判断していたのです。ただ、彼はバンド・メンバーにそのことを告げませんでした。マネージメントにも。レーベルにも。一切誰にも。
Steven Wilson。この英国人音楽家のバックカタログは、多彩なソロアルバム、No-Man、Blackfield、I.E.M、Storm Corrosion、Bass Communion、そして復活を遂げた PORCUPINE TREE と、多様なプロジェクトやコラボレーションを量産しています。もちろん、他のアーティストの作品をドルビー・アトモス音響にリミックスすることもあり、スタジオにいないときはワールドツアーを行っています。
ファンの間では長年の議論があります。Wilson は休暇を取ったことがあるのだろうか?
「PORCUPINE TREE のアルバムが終わったら、次のソロアルバムもほとんど書き終えているんだ。あと今、10枚くらいのアルバムをリミックスしているんだ。それから、家庭生活も素晴らしいよ」
Wilson は1987年、XTC の “Dukes of Stratosphere” のような、英国の伝統的サイケデリック・ロックのオマージュとして、PORCUPINE TREE を始めました。しかし、彼はそこに閉塞感を感じていました。そもそもサイドプロジェクトとして始めたものが、人々が彼を知るきっかけとなり、さらに多くのものを提供することを期待されるようになったのですから。
「これは私がやるべきことではないと思い始めたんだ。たしかに、PORCUPINE TREE は私の音楽人生のすべてを支配するものではないはずだった。他のミュージシャンとも仕事をしたかったし、他のスタイルの音楽もやりたかったんだ」
Wilson は当時、ドラムの Gavin Harrison やキーボードの Richard Barbieri から、自分が注目を浴びていることに憤りを感じ、自分の音楽性が批判されているように感じたといいます。
「バンド内で特に好かれているとか、尊敬されているとかいう感じはなかった。正直なところ、メンバー間の関係はいつも少し…”冷え切っている” という言葉は適切ではないかもしれないけど…私たちは人間として全く違う存在なんだ。実際のところ、例えば私のソロ・バンドにはいつも喜びがあったのに、PORCUPINE TREE が素晴らしかったという記憶はないんだ。ソロ・バンドではとても楽しかったけど、PORCUPINE TREE では、いつも少し憤りを感じていた。私はフロントマンになるつもりもなかったし、フロントに立つのは少し嫌だと感じていたんだ。フロントに立っていると、いつもちょっと詐欺にあったような気分になるんだ。
リード・ギター・プレイヤーであることに、いつも若干の詐術的なものを感じていたんだ。それに、技術的な能力という点では、自分がこのバンドで一番弱いミュージシャンだということを強く感じていたんだと思う。でも、ほとんどの曲を書き、ほとんどのインタビューに応じ、バンドの中心的存在だった。それを感じたのは、おそらく私が初めてではないだろうがね。Roger Waters なんかは、私の大好きな PINK FLOYD の中で、明らかに一番弱いミュージシャンだからね。
ただ、バンドが活動を停止し、お互いに距離を置いたことで、人間関係はより良くなったと思う。このアルバムを作るのは、過去のどの PORCUPINE TREE のアルバムよりも楽しかったと思う。それは、自分がただバンドの一員、チームの一員であることを許したからだと思う。私はもともと、チームプレイが苦手で、支配的な性格なんだ。だから、ソロのキャリアが確立され、時間が経って、自分も少し穏やかになった今、今度は自分自身を共同作業の一部にすることが、ようやく楽しくなったんだと思う」
他のメンバーから、今回はインプットを増やしたいという申し出はあったのでしょうか?
「いや、その反対だ。PORCUPINE TREE のレコードを作るなら、君たちにも書いてもらいたいと言ったんだ。というのも、その時点(2012年、2013年)で、私はすでにソロで2枚ほどアルバムを出していたからね。だから、私が一人で PORCUPINE TREE の新譜を書いて、それを持ちこんで、歴史的にそうであったように、”みんな、PORCUPINE TREE の新譜ができたよ” と発表することに何の意味があるんだろう、というのが私の視点だった。それなら、ソロのレコードとして作ることもできるんだ。だから、私にとっては、これをやるなら、物事を変えようということだったんだ。実際に集団で書いてみようと。とはいえ、ほとんどの曲は私と Gavin、または私と Richard のデュオ形式で書かれているけど。要は、新しい曲や新しいアイデアを思いついた瞬間から、常に誰かとの共同作業が行われていたんだよ。だから、私が法律を作ったとは言わないけれど、新しいレコードを作るなら、共作でなければならないということを原則の1つにしたんだ。もちろん、彼らはそれを気に入ってくれた。ある意味、これまでそうでなかったことに不満を持っていたようだけど、今回はもうすべてをコントロールする必要性を感じなくなったんだよね。それは、私にとっても、彼らにとっても安心できることだった」
ソロでの成功は、Wilson に何をもたらしたのでしょうか?
「フロントマンとして、シンガーとして、より自信を持てるようになったと思う。皆が口を揃えて言うのは、このアルバムのボーカルはより自信に満ちていて、よりソウルフルで、より多様に聞こえるんだそうだ。これは、シンガーとして、またフロントマンとしての役割を快適にこなせるようになった結果なのだろうね。もうひとつ、私のソロ活動で特筆すべきことは、ギタリストではなかったということ。ギターは弾くけど、キーボードも弾くし、歌も歌うし、いろいろなことをやった。でも、Guthrie Govan, Dave Kilminster など、私のライブバンドにはいつも “スーパースター” 的なギタリストがいたんだ。だから、自分をギタリストと考えるよりも、フロントマン、フォーカルポイント、リードシンガーであることを許せたんだと思うんだ」
故に当時 Wilson はわざわざ彼らに何かを伝えることはありませんでした。彼はただ去り、PORCUPINE TREE は永久に未解決の案件となったのです。数年間、他の2人は Wilson が戻ってくるのを待っていました。しかし、彼がソロ・キャリアについて語り、自分たちのバンドへの関心を否定するようなインタビュー記事を読んで現状を知ります。
1982年末に David Sylvian が JAPAN から去ったときと同じ状況に陥った Barbieri は、苦い思いと傷みを感じずにはいられなかったと言います。
「批評的にも商業的にも成功したところまで来て、まさにその時点で、置いてけぼりにされた。メンバーがただ続けるのは簡単ではないよ。そこからキャリアに踏み出すまでには、かなりの時間が必要だ。でも、フロントにいる人 (Wilson) は、同じマネージャー、同じレコード会社、同じファンベース、同じ出版社、同じプロモーター、同じエージェントと一緒にやっていける。だから、彼らにとっては、とても楽なことだった。でも、同じように時間をかけて仕事をしてきた人たちを残していくわけだからね…」
Harrison は Wilson の近くに住んでいて、2012年からもしょっちゅうジャムっていたので、インタビューにはあまり動じなかったと語っています。
「まあ、先週彼とお茶を飲んだんだけど、彼は僕にそんなことは言わなかったよって思うんだ。でも、Steven からすれば、自分が始めたバンドと自分自身、彼の頭の中で起こっている2つの異なることの間で、どこか内輪もめをしていたのだと思うし、少なくともファンには、PORCUPINE TREE がいつ復活するかよりも、自分のソロ活動に目を向けてほしかったのだろうね」
Wilson が PORCUPINE TREE の将来について言及することを拒否し続けたことは、幸か不幸か彼らが不在の間にバンドの伝説が大きくなることを意味していました。彼らは “逃亡したプログ・バンド” となったのです。この言葉を嫌う Wilson にとっては、必ずしも喜ばしいことではなかったかも知れませんが。
「このプロジェクトは、2012年に私と Gavin がジャムるところから始まった。だから、もしこのアルバムを作るなら、オンラインでストリーミング配信だけにして、大々的に発表しないほうがいいんじゃないか?ライヴもやらずに、ただ音源を出すだけでいい。そして、まあ大きなショーを1回だけやるか、ヨーロッパとアメリカで大きなショーを1回ずつやるかという感じになったんだ。
でも、マネージメントやレコード会社との交渉が始まると、このした控えめなレコードを作るという計画はすべて水の泡になった。素晴らしいことだけどね。人々が興奮しているんだから。ただ、私たちが不在の間に伝説が大きくなったのには驚いたよ。2010年当時、私たちが活動を休止したころには、2022年に私たちが演奏するような会場で演奏することは決してできなかっただろうからね。アルバート・ホールで一晩やったのが、僕らのイギリスでの軌跡の頂点だったんだ。その後、ソロ・アーティストとしてアルバート・ホールで何度も公演を行ったけど、今回、PORCUPINE TREE はそのすべてを飛び越えて、ウェンブリー・アリーナをソールドアウトさせるんだ。それも1万2000人規模の。すごいことだよ。だから、”不在は心を豊かにする” ってことわざを地で行くようなものだよ」
これだけ長い間離れていると、ケミストリーの心配を感じるかもしれませんが、それは完全なる杞憂。ニューアルバム “Closure/Continuation” のオープナー “Harridan” を駆け抜けるトリオは完璧にシンクロしているように見えます。ベースとドラムが夏草のつるのように複雑に絡み合い、その上をキーボードが波のように押し寄せ砕け散る。それは、複雑でとげとげしく、しかしメロディアスなまごう事なき PORCUPINE TREE の音の葉です。
実は “Closure/Continuation” は、PORCUPINE TREE が終わったと思われた頃から制作されていました。つまり、Wilson と Harrison が過去10年に渡って行ってきたジャムが、ロックダウン中に再訪されたのです。Barbieri が後年 Wilson に送ったテープも、曲として仕上げられていました。3人はすべてのレコーディングを自宅で行い、それゆえに2010年以降一緒に演奏することはありませんでしたが、結局誰にも知られることなくニュー・アルバムを制作することが可能となったのです。つまり、バンドは解散ではなくあくまでゆっくりと動き続けていたのです。Wilson が説明します。
「ああ、明らかに私たちはこの作品に取り組んでいることを隠していたから、多くの人が PORCUPINE TREE は終わったんだろうと結論づけたんだ。というのも、このバンドが1枚のアルバムを作る間に、私は5枚のソロ・アルバムを作っているからね。1年、あるいは2年という長い時間をかけて心血を注いだ自分の作品のプロモーションをしているときに、誰かが PORCUPINE TREE について聞いてくれば、”もういい、バンドは終わったんだ” と答えることもあるよ。何よりもフラストレーションから。まあそのことが、私たちがチームとして一緒に音楽を作るのをやめたという、人々が抱く誤解の信憑性につながったのはたしかだけど。でも、実際には、私たちはこの作品に10年以上も取り組んできたんだよ。それが長引けば長引くほど、もし戻ってくるなら、本当に強くて、これまでやってきたことと同じくらい良いものでなければならないと感じるようになったんだけどね」
PORCUPINE TREE に戻ることは “後退” だと語っていた時期もありました。
「私のキャリアで初めて、”ファンが望むものを提供する” と見られる可能性があったから。私はその原則に嫌悪感を抱いているからね(笑)。私は常々、偉大な芸術とは…私自身が偉大な芸術家であるとは思っていないけど、少なくとも誠実な芸術家とは、期待に応えるのではなく、常に期待に立ち向かうべきであると考えている。今回の作品は、最近の記憶では初めて後者を実践していると言えるかもしれないね。私は、このレコードが “同じことの繰り返し” ではないという信念を持っている。PORCUPINE TREE のレコードの真髄を感じながらも、同時に何か新鮮なサウンドでもあるんだ。
もし、このアルバムが単にこれまでと同じようなものだと感じていたら、リリースに踏み切らなかったと思うんだ。私がベースを弾いていること、皆で一緒に作曲したこと、ヘヴィなギターが強調されていないこと…このアルバムには、これまでのアルバムとは違う点がたくさんある。もしかすると、私のキャリアを広く見れば後退しているように見えるかもしれないけれどね。でも、私のソロ・キャリアはまだ続いているし、次のレコードもすでに書き終えている。だから、その点では、今は2つのことが共存しているんだ」
伝説を築き上げたのは、SNS の発展でしょうか?それともソロ活動での成功でしょうか?
「両方だね。そのすべてが関係していると思うよ。私のソロ活動を通じて PORCUPINE TREE の知名度を上げ続けたこと、Gavin が KING CRIMSON とツアーを行い、彼を通じて人々が PORCUPINE TREE について調べるようになったこと。それに、私たちが PORCUPINE TREE でやったことは…当時は認めなかったとしても、今になって振り返ってみるとよくわかるんだけど…今でも完全にユニークに聞こえる。複雑でコンセプチュアルなロックという要素、Richard のサウンド・デザインやキーボードのテクスチャーへのアプローチ、Gavin のポリリズムへの憧れ、私のシンガー・ソングライターとしての感覚、さらには電子音楽や産業音楽、メタル音楽の要素などと融合させて、完全に直感的で無意識な方法ですべてをまとめ上げていたからね。つまり、私たちは “プログレッシブ・ロック” と呼ばれているけど、当時作られていた他のどのプログレッシブ・ロックとも違うんだ。そして、それはその後も真似され続けている。でも、私たちは今でも他の誰よりも上手くやっているよ(笑)。新譜を作った今、本当にそう思っているんだ」
PORCUPINE TREE の新作と Steven Wilson のソロ作の違いはどこにあるのでしょう?
「例えば “Closure/Continuation” を聴いて、”The Future Bites” と比較すればとてもとても違うのはすぐわかる。もちろん、共通点はあるんだけど、それは私の音楽的な個性だから。それは隠そうとしても隠せないよ。自分ではすごく変わっていると思っていることをやって、親しい友人や家族に聴かせても、私の声しか聞こえないんだから!結局、何をやっても私の音にしか聞こえないんだ。だから、自分の個性を埋もれさせたくても埋められないんだ。でも、このレコードのタイミングは面白いと思う。私にとっては、PORCUPINE TREE が戻ってくる完璧なタイミングだと感じているよ。”Cannot. Erase.” などのアルバムでは、ファンか”あれは簡単に PORCUPINE TREE のレコードになり得た” と言われるような瞬間があったんだ。でも、”The Future Bites” のようなアルバムを聴くと、そうではないと思う。あれは、私が PORCUPINE TREE と一緒に作ったようなレコードではないからね。もっとエレクトロニックで、ギターを強調せず、ロック的な要素を排除している。PORCUPINE TREE はどのような存在であれ、またどのような存在になったとしても、明らかにロックバンドのようなサウンドを奏でているから」
“Closure/Continuation”。このタイトルには、バンドの将来に対する彼らの不安が反映されています。
「無理にこのアルバムを作る必要はなかったんだ」と Wilson は言います。「アメリカ・ツアーのために1,000万ドルのオファーを受けたから戻ってきたというわけでもない。ソロ・キャリアが失敗したから戻ってきたわけでもない。私たちは PORCUPINE TREE を再起動することが楽しいと思ったし、良いマテリアルを持っていた。それがアルバム・タイトルにも反映されていると思う。これが終幕なのか、それともバンドのキャリアを継続させるための新たな一歩なのか、僕には純粋に分からないんだ。”終幕 “であれば、本当にいい方法だと思うよ。あるいは、1年後に電話をして、楽しかったね。もう一回やるか? となるか。私の推測では、おそらく前者だと思う。たぶん、これが僕らが作る最後のレコードで、たぶん最後のツアーになると思うんだ。
長い間、レコードを作るなら、”これはカタログに何を加えるのか” という質問を自分に投げかけなければならないと信じてきた。このレコードを作る目的は何なのか? 同じようなことを繰り返すのは嫌だとね。というのも、多くのバンドが、単に同じものの繰り返し、同じものの繰り返し、同じものの繰り返し…AC/DC 症候群と呼ばれるような、音楽の遺産に何も加えない、ほとんど無意味なレコードをカタログに追加するようなサイクルに陥っているように思うから。私は AC/DC が大好きなので、AC/DC のことを取り上げるのは申し訳ないのだけど(笑)、彼らは私が思いつく限りその最高の例だと思っている。それは素晴らしいこと。でも、この新譜はカタログの中でその存在を正当化するものだと思うし、バンドのサウンドを新しくしたように感じる。そして、次はそれを再び見つけることができると感じなければならないだろう。だから、私たちはドアを閉めないよ。でも、これが最後のレコードだとしたら、最も重要なのは、本当に力強い方法で本を閉じることだと思うんだ。Gavin と Richard と話したんだけど、みんな同じように、最後に作った[2009年の] “The Incident” は最高傑作ではなかったし、特に良い終わり方だとは感じていなかったんだ。悪い作品ではないけれど、ベストな作品ではなかった。だから、もし “Closure/Continuation” が私たちの最後のレコードになるのなら、それについては良い気分でいられると思う」
Barbieri がつけ加えます。
「これが終わったら Steven はソロ・モードに入るだろうね。そして、それが彼をどこに連れて行くかによる。PORCUPINE TREE は Steven がその一員でありたいと思うからこそできることなんだ。僕は、このまま解散してしまっても構わないと思っているよ。それならとても快適だ。だって、いいアルバムができたんだから。そして、僕ら3人の間で良い雰囲気のまま終わることができると思うんだ。ネガティブな感情なんてないだろうしね」
とはいえ、このグループの中にいるのは簡単なことではありません。Wilson には、どんなバンドでも、実際に演奏する音楽はメンバーの好みの交点に限定されるという考えがあり、実際はそれがいかに野心を制限しているかについて話しています。
「PORCUPINE TREE の最初のピリオドが終わるころには、PORCUPINE TREE の曲の典型的な形が出来上がっていたんだ。だから最後のアルバム、最後のツアーに至るまでには、私にはもう面白くなくなっていた」
それは、他のメンバーにとっても同様でした。Harrison はソウル、ファンク、ジャズを愛するドラマーですが、かつての PORCUPINE TREE にそれが入り込む余地はありませんでした。Barbieri も、自身の好む “非常にミニマルでゆっくりと進化するアトモスフェリックなアプローチ” が、他の2人にとって大きな関心事でないことに気づいています。だからこそ、少なくとも、”Closure/Continuation” は、Wilson が主導し他の2人の貢献が少ないこれまでの PORCUPINE TREE ではなく、真の共作で大部分が構成されている、全員が楽しめたアルバムなのです。
実際、ラインナップの変更を強調するかのように、アルバムの幕開けは “Harridan” での Wilson のベースラインが新鮮な攻勢をかけてきます。このエピックはアルバムに収録されている複雑なロックの一面を象徴し、キットの裏側にいる Harrison の驚くべき名人芸をも感じ取れます。同様に、”Rats Return” や “Chimera’s Wreck” はアインシュタインの方程式のように複雑な数学ロックで、”Herd Culling” のコーラスでは、ギターのリフを核兵器の中に封じ込めたような激しさを生み出します。そしてこの大半は、Wilson がベースから始めた音楽なのです。
一方で、PORCUPINE TREE の音楽が安易なジャンル分けに抵抗する理由を示す曲も存在。”Dignity” のアコースティック・ギターは、Barbieri の鍵盤が発するナノ粒子の渦に包まれていますし、”Walk the Plank” では、痛々しいボーカルと壮大なコーラスをフィーチャーし、Wilson のソロシングル “King Ghost” や Barbieri の魅力的なソロ作品に接近。また、デラックス・エディションのボーナス・トラックとして収録されている “Love in the Past Tense” は、シンバル、キーボード、ギターが奏でるキメ細やかな音色にのって、幽玄の世界へと誘われるような壮大さが溢れています。
ただし、この豊富な音楽のためには必要とされる努力もあります。64歳の Barbieri は、自分の集中力に悩んでいます。58歳の Harrison にとっては、ドラムの肉体的な負担がより切実な問題となってきています。
「このレベルの音楽をいつまで続けられるか。今までやっていた他のバンドでは、こんなにヘヴィーでフィジカルな演奏は必要なかったんだ。PORCUPINE TREE は、常に最もハードな仕事をこなしてきた。2014年からメンバーとして参加している KING CRIMSON では、メンバーの多くが70歳をはるかに超えていたけど、70代でこうしてドラムを叩いている姿は想像できないよ…」
それでも、彼らの努力は報われています。Harrison のドラムは物理的に不可能と思われる正確さと雷鳴が混在し、Brian Eno 以来最高のサウンドスケーパーである Barbieri は水彩画家のように音に色を落とし、Wilson はギターとベースで2人のアイデアを推進し、ボーカルを自分で物語を描きます。
PORCUPINE TREE が再びファンの前でライブをするときは、これまで以上に大きな観衆を前にすることになるでしょう。そして、ツアーが終わり、3人がステージを去るとき、それが最後となるかどうかは誰にもわかりません。Harrison は、「もしかしたら、これで一区切りかもしれない」と言います。「2022年に解散するとは言っていないよ。でも、2010年は奇妙な終わり方、あるいは終わり方ではない終わり方だった。だから、もし、そうなるならね」
ただし、UK オフィシャル・チャートのデイリー・アルバムで No.1を獲得し、Wilson の考えも少し変化しつつあるようです。
「もう1枚アルバムを作る可能性は十分にあると思う。実際、Richard とそのことについて話していたんだ。2週間前にドイツでベルリンでプロモをやっていたんだけど、誰かにその質問をされたんだ。私はこう思ったんだ。まだやるべきことがあると。”Walk the Plank” みたいな曲は、我々が最後に作った曲の一つなんだけど、ギターが全く入っていなくて、私がどんどん電子音楽に移行していることを反映しているような曲なんだ。PORCUPINE TREE のアルバムで、ギターではなくキーボードだけにフォーカスしたものを作れないかと考えたんだ。何か違うものでなければ、次のアルバムを正当化することはできないだろう」
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH ZDENEK NEVELIK OF ET MORIEMUR !!
“Tamashii no Yama“ Is a Concept Album About The Japan Air Lines Flight 123 Incident That Happened In August 1985. What Inspired Me Most Than apnything Were The Notes Passengers On That Plane Left To Their Relatives And Loved Ones Before Dying. They Are Very Powerful In Their Everydayness.”
DISC REVIEW “TAMASHII NO YAMA”
「”Tamashii No Yama” は、1985年8月に起きた日本航空機123便墜落事故を題材にしたコンセプトアルバムなんだ。何よりもインスピレーションを受けたのは、あの飛行機の乗客が死ぬ前に親族や恋人に残したメモだった。ああ、彼らはとても力強く毎日を生きていたんだ…と感じるよね。だからこそ、高天原は魂の山なのだよ」
1985年8月12日、524名を乗せた日本航空の飛行機が、東京から西に約125マイル離れた高天原に墜落しました。生存者はわずか4名。史上最悪の航空事故のひとつとなりました。
チェコのブラッケンド・ドゥーム ET MORIEMUR 4枚目のアルバム “Tamashii No Yama” は、羽田空港(アルバムのオープニング “Haneda”)から最後の地高天原(14分のエンディング “Takamagahara”)までのルートを暗く、重く、荘厳にたどることで、あの運命のフライトを今に蘇らせています。そうして ET MORIEMUR はそのバンド名 “ミメント・モリ” の精神を魂の山から伝えているのです。
「尺八はとても美しい楽器で、シンプルでありながら奥深いもの。しかし、ここチェコで尺八を吹ける人を見つけるのは簡単ではなかったよ。だけど、禅の瞑想センターの友人を通じて、チェコと日本の尺八の師匠のもとで尺八を学んできたマレク・マトヴィヤに連絡を取ることができたんだよね」
命と運命の始点と終点の間で展開されるのは、華麗なオーケストレーションと、幻想のようなアヴァンギャルド・ドゥーム・メタルの組曲です。ピアノ、ヴァイオリン、ハープ、チェロ、そして日本の伝統的な尺八は、この最後の旅路において歪んだリフやひりつくような咆哮と同じくらいに重要な役割を果たしています。このアルバムに収録されているすべての音は、日航機事故の悲劇がもたらした深い痛みと許容不可能な非現実、そして今際の際の命の煌きを呼び起こすために存在しているようでさえあります。
「僕は、人間と環境との調和的な関係や、人生に対するスピリチュアルな、いわば “魔法” のようなアプローチを持つ神道にとても共感していてね。そして、もう何年も前から禅宗に傾倒しているんだ。曹洞宗の開祖である道元禅師は、この地球上に存在する最も優れた哲学者の一人であると僕は考えているんだよ」
日本神話では、高天原は天の神の宿る聖地とされています。高天原には多くの神々(天津神)が住み、天之安河や天岩戸、水田、機織の場などもあったといわれています。そんな神々が集う場所に無数の魂が引き寄せられた。チェコから神道や禅宗に心酔する Zdenek にとって、あの不幸な事故は同時にスピリチュアルな意味を帯びたのかもしれません。その神聖さと悲しみを、”魂之山” はかくも鮮やかに、エモーショナルに、生き生きと自由な魂で表現しているのです。
オープニングの “Haneda” は Zdeněk Nevělík によるピアノ主体のインストゥルメンタルで、映画音楽から抜粋されたような美しさ。アコースティックギターの正確なメロディーは、この儚い曲の美しさをさらに際立たせていて、ストリングスに和楽器が加わりスピリチュアルな世界へと引き込んでいきます。
ハープシコードとクワイアで飾り立てた “Nagoya” のゴシック・アヴァンギャルド、ドゥーム・メタル、ゴシックなアトモスフィア、デス/ブラックメタル、SIGH のアバンギャルド、ミニマル、そして日本の伝統音楽が Zdenek の千変万化な歌声で煮詰められた “Tamagahara” など、解き放たれた音魂は自由に羽ばたきながらも、他のすべての要素を超越したシンプルなメロディーの美しさでリスナーに語りかけ、共鳴し、魔法をかけていくのです。明日が必ず訪れるわけではない。今日を懸命に生きよ。他者や他の命を尊べと。
今回弊誌では、Zdeněk Nevělík にインタビューを行うことができました。「僕たちチェコ人はスローペースな生活と安全な日常生活を愛し、勇敢というよりは慎重で、どちらかというと懐疑的で、あまり愛国的ではないんだけど、僕はそれが気に入っているんだよ。この国民性は、この国で40年だけ続いた共産主義の遺産よりも重要だと思っているよ」 どうぞ!!
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH ASH GRAY OF VENOM PRISON !!
“Without Hope, What Is The Point? We Are Here Now And We Can Live, We Have To Survive, We Have To Be Happy And Our Youth Will Learn And Understand And Hopefully Generations To Come Are The People To Make The World a Better Place. If We Don’t Try, We Won’t Find Out.”
1992年。その音楽の風景は1990年とは劇的に違っていました。NIRVANA の急成長によってアンダーグラウンド・ロックの水門は開かれ、メジャー・レーベルは MELVINS, MEAT PUPPETS, Daniel Johnston といった、80年代には1ミリも触れられなかったような Kurt Cobain が認めたアーティストにプラットフォームを与えていったのです。では、チャート上位のアーティストが全員、薄汚れた変人フリークになってしまった時、FAITH NO MORE はどうしたのでしょう? 結果は、Kerrang! が “史上最も影響力のあるアルバム” と呼んだレコードが誕生しました。それは完全な真実ではないかもしれませんが、90年代後半から2000年代にかけて、”Angel Dust” ほどポピュラーなロックに大きな影響を与えたアルバムはほとんどなく、RAGE AGAINST THE MACHINE のセルフタイトル、REFUSED の “The Shape of Punk to Come”、そして NIRVANA の “Nevermind” といった他の革新的レコードと肩を並べているのはまちがいないでしょう。
それに、FNM が Nu-Metal という “嫌われ者” のジャンルへの影響をいくら否定しようとしても、例えば “Midlife Crisis” のうなり声のラップ・ヴァースは KORN のヴォーカルの下地を作り、”Everything’s Ruined” の劇的なピアノリフと轟音のグルーヴは LINKIN PARK のプロト・タイプのよう。また、”Kindergarten” や “Crack Hitler” といったトラックにおける Patton のフリーキーなヴォーカルと、DISTURBED の象徴的な “OH WAH-AH-AH!” は直系でつながっているともいえるでしょう。そして、1年後に NIRVANA がそうするように、FNM も本能に従って、最大のヒットに続く反抗的で “アン・コマーシャル” な傑作をリリースし、嫌われること、反応を引き起こすこと、境界を広げることの大切さを今に伝えているのです。
“Angel Dust” のプロダクションは、当時の他のロックレコードよりもオールドスクール・メタルとの共通点が多く、鮮明さを犠牲にして鈍重なヘヴィネスを実現し、アルバムに独特の陰険な雰囲気を与えています。ギターはより太く、ドラムはより洞窟的で、ボーカルの一部が他のバンドに滲んでいても、演奏と個性は輝き、音楽はしばしば容赦ない音のハンマーへとシームレスに収束していくのです。本作のギターソロは METALLICA というよりは PINK FLOYD に似た傾向があり、激しいシュレッドをやめて記憶に残る構成になっているのです。
1991年に入ると、FAITH NO MORE は RIP や Kerrang! を含む多くの音楽誌でバンド・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、有名なミュージシャンとなりました。高い評価を得たアルバム “The Real Thing” のプロモーションのため、バンドは89年から2年間ツアーに出続け、プレスやファンから注目され続け、新しい曲を作るどころか息つく暇もないほどの状況でしたが、この年の彼らのスケジュールはよりリラックスしたもので、ほんの数回のショーが行われただけでした。そのため、バンドは混沌とした状況から一歩引いて、次のアルバムのアイデアを練ることができたのです。 ゆえに、”The Real Thing” が1983年という早い時期に書かれたアイデアを含んでいたのとは異なり、”Angel Dust” はこのアルバムのために書かれた新鮮なマテリアルが中心となって構成されているのです。
バンドがサンフランシスコに戻った3週間後、Bill Gould, Roddy Bottum, Mike Bordin がリハーサル・スタジオに入り、キャリアの中で最も注目すべき作品を作り上げるために作曲を開始します。
Gould は Jello Bafra や覆面デスメタルバンド BRUJERIA と付き合いながら、同時にイージーリスニングからもインスピレーションを受けていました。一方、Bottum はエレクトロニック・ポップやテクノ・サウンドからインスピレーションを得ており、もちろん、Mike Patton は休むことなくアヴァンギャルド・シーンに関わり続けていました。John Zorn と過ごし、NAKED CITY と共演し、Mr. BUNGLE のデビュー・アルバムをレコーディングしながら。
この時期バンドは、GODFLESH, WEEN, YOUNG GODS, THE SUGARCUBES, Henry Manciniに影響を受けたと語っています。”Angel Dust” のデモが届くと、Patton は孤独を感じ、様々な実験に着手し、これまでで最も創造的な歌詞を書くためのインスピレーションを得ます。Jim Martin はしかしこの新しいアイデアに難色を示し、リハーサルを放棄してトラックでラテン語の練習をするようになりました。
“RV”、”Caffeine”、”The World Is Yours” の初期バージョンは、ブラジルからの帰国時に行われたいくつかのショーと、その年の後半に行われた初の東京でのショーでセットリストに加えられました。
「ベースラインとメロディーとリズムを使った新しい曲をジャムり始めたんだ。でも、キーボードとベース、キーボードとドラム、ドラムとキーボード、そういう組み合わせが多いんだ」- Mike Bordin 1992年
より大きな予算とレコード会社から許されたより多くの自由で、FNM は1991年12月にサンフランシスコのコースト・レコーダーズ・スタジオを借り入れることになります。Matt Wallace がバンドにとって4枚目のアルバムのプロデュースに戻ってきます。
「彼は僕らに手を貸さず、ただ僕らのやりたいようにやらせてくれるんだ。彼は以前にも僕らと一緒に仕事をしているから、僕らと同じように “拷問” を受ける可能性があるし、それは心地よいことだよ」- Mike Patton 1992
「彼は良い音を出そうとするし、それが彼のすべきことだと思う。スタジオに入るまでに、自分たちのやりたいことがある程度まとまっていればいいんだけど。そうすると、彼がそれをいじくり回すのは難しくなる。バンドに5人いれば、もう十分だからね。キーボードとギターとたくさんのベースとたくさんのドラム、そのバランスを取るのは簡単なことじゃないんだ」- Mike Bordin 1992
「共同プロデューサー、エンジニア、ミキサーという立場からすると、”The Real Thing” のサウンドは薄く、圧縮されすぎで、ハイエンドが強すぎると感じていたから、自分なりには距離を置いていたんだ。それがラジオやMTVでは有利に働いたんだけど。 だから、”Angel Dust” ではより充実した、より自然なサウンドのレコードを作ろうと努力したんだ” – Matt Wallace 2012年
Wallace は “Angel Dust” のレコーディングが非常に困難な経験であったため、アルバムが完成した後休みを取り、FNM から距離を置かなければならなかったものの、その結果を誇りに思ったと語っています。
「”Angel Dust” の終わりには、こうした難しいレコードを作るために、バンド内、特に皆と Jim Martin の間でかなり激しい軋轢があり、本当に激しい論争があった。Bottum は依存症の問題と格闘していたし、レコーディング・スタジオは全く協力的でなく、僕は基本的にプロデュース、エンジニア、アシスタント・エンジニア、電話応対をしなければならず、本当にストレスの多いレコードだった。それで、このアルバムの最後に、僕は2ヶ月ほど休んで、もうしばらくこの音楽はやめるよと言ったんだ。で、そのレコードの最後に、私は彼らに言ったんだ。”いいか、君たちは新しいプロデューサーか、新しいギタリスト、あるいはその両方を見つける時期だと思う “とね」Matt Wallece 2015年
FNM の意図は、必ずしもファンを混乱させるようなアルバムを構成することではなく、自分たちとリスナーに挑戦するような知的な進化にありました。しかし、その結果は一部の人にとって不愉快なものとなったのかもしれません。彼らは、”頭の中にあるものを聞いて演奏する方法を学んだ” と告白しています。
「曲作りに関して言えば、無意識にやっていることなんだ。僕たちはミュージシャンで、バンドをやっていて、曲を書く。自然にやっていることを分析するのは難しい、本当に難題だ。特に、面白い言い方をするのは、ちょっと近すぎるから難しい。自然に見える、自然にやっていることなんだ」- Bill Gould 1992年
「このアルバムには中間がない。絶対に大ヒットするか、大失敗するかのどちらかだ」- Bill Gould 1992年
既に巨大なファン・ベースを増やすために(そして銀行に現金を入れるために)、最も簡単なことは、バンドが “The Real Thing” と同じように “Epic part 2” のアルバムを続けることでしょう。 しかし、これが FNM なのです……信じられないほど個性的な5人が一緒になって爆発的な結果を出し、決して “簡単な” ことは常にしてこなかったのですから。
FNM は常に、それがポジティブなものであれネガティブなものであれ、反応を引き起こすことを楽しんできました。BLACK SABBATH の “War Pigs” のカヴァーを演奏するよう観客が要求すると、コモドアーズの “Easy” を完璧に演奏し、大衆を見下しながらニヤリと笑う。 それが FAITH NO MORE。
つまり、”Angel Dust” の多彩な音楽性は、彼らがファンを獲得したアルバムとは明らかに一線を画していました。”The Real Thing” は、そのユニークなサウンドを分類する方法を持たないプレスによって、”ファンク・メタル” というタグを付けられ、狭い穴蔵に押し込められることになっていました。ある意味、FNM はより挑戦的なレコードを作ることで、ファンク・メタルとそれが魅了した群集から意図的に距離を置こうとしたのですが、同時にそれは、単に音楽が自然に取った方向でもあったのです。
「このファンク・メタルというものには、本当にうんざりする。俺が一番やりたくないのはファンク・メタル・バンドなんだ、俺たちはそれ以外のものになろうと思っているんだ。ファンク・メタルを演奏するバンドはすべて嫌いだし、ほとんどのバンドが同じように感じていると言ってもいい」 Bill Gould 1992年
実際、彼らはこの新譜が人々に嫌われることを確信しており、”Alienating Your Public” というタイトルにするべきだと冗談を言っていたくらいです。
「おそらくこの新譜は、ファンを混乱させ、大衆を遠ざけるために、前作より少し奇妙なものになるだろう。少なくとも、僕たちはそう非難されてきた。別に何かの主張を押し通そうとしたわけではなく、ただ僕らが書きたい音楽なんだ」 – Roddy Bottum 1992年
「僕たちは人を怒らせて喜んでいるなんて言うべきじゃない。ただ、自分たちがやりたいことをやりたいだけであって、必ずしも彼らが期待しているようなことをやりたいわけじゃないんだよな。このレコードが “The Real Thing Part II” になると期待している人は、目を覚ました方がいい!すでに怒っているファンもいる。もうすでに腹を立てているファンもいるんだ」- Mike Patton 1992年
バンドはミキシングの段階まで、Slash のレコード会社の重役に楽曲を隠していましたが、ついに “Angel Dust” を聞かせたとき、彼らも自分たちの投資の結果を信じられないほど心配していました。
「レコード会社の社長がスタジオにやってきて、こう言ったんだ。”誰も家を買わなければよかったのに” とね。 部屋の空気が一変した。あれは、現実を突きつけられるいい瞬間だった。僕の仲間の何人かはすでに家を買っていたからね」- Jim Martin 2012年
「レコード会社は完成したアルバムを聴いて、本当に怖くなった。それが、自分たちが正しいことをしたのだと知る唯一の方法だった。もし、彼らが気に入ってくれたら、何かが間違っていることになる。ミキシングを始める前は心配そうな顔がたくさんあったよ」- Roddy Bottum 1992年
「誰かが痙攣するのを見るのは素晴らしいことだと思わないか?本当に緊張しているのを見るのは素晴らしいことだと思わないかい?僕らのレコード会社でそういうことがあったんだ。彼らは僕ら一人一人に働きかけて、自分たちが何をやっているのかわかってるのか?と説得してきた。彼らは “The Real Thing” のファンを遠ざけることになると言った。理想を言えば、どこかにもうひとつ “Epic” を入れて欲しいということだ。どうやって売り出したらいいかわからないだとよ」- Mike Patton 1992年
このレコード会社の無関心、反発は、FNM を決して動揺させるものではなく、より一層 “Angel Dust” を誇りに思うようになります。
「このレコードは、僕たちをさらに一歩前進させるものだと思う。より自信に満ちたユニットとして、また、まだ学び、成長していることを示している。これは間違いなく進歩だよ。今回は、より良いレコードを作りたかっただけで、必ずしもプレスや他の人たちが並べようとするガイドラインに従う必要はなかったからね。自分たちの内面を掘り下げて、挑戦的で、対立的で、極めてユニークなものを出そうとしたんだ。僕はこの作品にとても満足しているよ」- Mike Bordin 1992年
では、これまでとは何がそんなに違っていたのでしょうか?
まずはよりシアトリカル。曲は断片的で、伝統的なヴァース/コーラス/ミドルの構成に従うのではなく、アルバムの各曲は、クラシックの序曲と同じように、音楽が激変する時に対立するセクションをしばしば持つ旅でとなります。そこには信じられないほど中毒性の高いメロディーがある一方で、激しいリフやドローン、病的なムードの変化もあったのです。Bottum はこれまでにないようなサウンドと、様々なソースからのサンプルの数々で実験をしていました。ギターソロは制限され、あるところではリフが残忍に露出し、あるところではほとんど聴こえません。ヴォーカルはより複雑で、パットンはその強大な声域をフルに使い、歌詞はより不穏で工夫されたものに化けました。結局このアルバムは、前作から完全に脱線したわけではなく、単に境界線をさらに押し広げただけだったのです。
「同じバンドがもう1枚アルバムを作っているんだ。もしみんなが少し変わったと言うなら、明らかに僕たちは何か正しいことをしているんだ。いつもと同じことをやっているんだけど、みんながそれに気づくくらいに面白くしているんだから」 – Bill Gould 1992年
「僕は “Surprise! You’re Dead” は前作の中でも特に過激なものだったと思う。このアルバムには、人々を驚かせるような極端な方向性のものが含まれている。つまり、何が不穏なのかよくわからないし、それが不穏なのだと思う。今回は自分たちのあり方を無茶苦茶に伸ばしたんだよな。それは素晴らしいことだよ。このレコードを家に持ち帰って、”これは一体何なんだ!” と思ってくれたら、僕たちは本当に嬉しい。そうなるだろうし、それはいいことだ。今回はレコード会社が少しきつめにネジを回そうとしたのは認めざるを得ない。サンプルも多いから、ちょっとビビったんだ。『おや、これにはたくさんの “サンプリング” が使われているじゃないか!ロックの聴衆はこのサンプリングに混乱すると思わないか?』ってね。あとは、『ちょっとレフトフィールドすぎる』とか、『ボーカルが役者じみてる』とかね。つまりロックじゃないってことだよ」- Mike Patton 1992
「シンガーというのは俳優と同じだ。人は歌手の言うことをそんなに真剣に受け止めるべきではない」- Roddy Bottum 1992年
加入して初の “The Real Thing” のプロモーション・ツアー中、Patton が新しい生活スタイルになかなか馴染めなかったことは周知の通り。 彼のあらゆるものに対する嫌悪感は明らかでした。 彼は仲間のバンドメンバーやプレスに擦り寄り、甘やかされたガキ大将のように振る舞い、Mr.Bungle に集中するためにいつでもバンドを脱退することを示唆し続けていたのです。
「あの頃は、受けるべきではないインタビューにたくさん答えていた時期だったんだ。FAITH NO MORE にうんざりしていたんだ。誰もアルバムを買ってくれないし、ただツアーを続けるだけだった。幻滅したんだ。ツアーをしていると、バンドとしてネズミのような生活をしているような感覚に陥ることがある。一時的に忙しくさせられたり、バカにされたり。ポン引きが売春婦を扱うように扱われるんだ。そして、その一員になりたくないと思えば、フラストレーションが溜まる。僕は這ってでも逃げ出したかった」
しかし、1991年になると変化が待っていました。Patton は徐々に FNM の一員であることに納得し、自分の役割に満足していくようになります。まだひねくれ者ではありましたが、だんだん大人になってきたのです。
「人間関係も、初めのうちは、いろいろなことを我慢している。でも、しばらくすると、そういうのが全部なくなって、一緒にいて落ち着くんようになる。たぶん、そういうことなんだと思う。相手の前でオナラや罵声を浴びせる方法を学ぶんだ。それが健全なんだ。いつも何かを恐れていたら、何もできない。みんなが少し楽になれば、どんなアイデアでも引き出せるし、それを操作したり、レイプしたり、バカにしたり、何でもできるようになる。でも、それでも……いいんだ。なぜなら、そうやってクソが作られるからだ。僕はそう確信している」- Mike Patton 1993
「どんなバンドなのか分からなかった。僕らはデフォルトでハードロック・バンドになった。それは偶然だった。でも美しいのは、僕ら全員が大事なことを知っていたことだ。僕たちはお互いに顔を見合わせて、どんなに悪くなっても、どんなにペットの猿になったとしても、どんなにペットのファンク・メタル・ロック・バンドになったとしても、それに対処しなければならない他の4人がいるんだと言うことができたから。そして、それぞれの人がそれぞれのやり方で、それに対処していた。僕がバンドに残ることに何の疑問も抱いたことはなかった。このアルバムのための曲作りを始め、確信に変わった。”The Real Thing” の時は他の誰かの音楽、他の誰かのバンドのようで、義務的なもののように感じていた」
「このアルバムの前にも、僕はアイデアを投げかけていた。それが愚かな勇気であれ何であれ、僕はいつも勇気をもっていたんだ。ただ、しばらくは誰かと一緒に刑務所にいたような気分だった。そして今、僕たちはちょっと奇妙な方法で友達になっているんだ」- Mike Patton 1994
Patton の外見の変化も明らかで、1992年の最初のプロモショットでは、ヘアメタル的なイメージは消え、シリアスなフロントマンの外見に変わっていることが確認できます。しかし、最も顕著な変化は彼の声。”The Real Thing” で彼に大きな注目をもたらしたファンク由来の鼻声は消え、ラップもなくなります。彼の歌声は、その声帯を駆使した極限のサウンドを聴かせてくれるようになったのです。うなり声、叫び声、悲鳴、激しい息づかい…数え上げたらきりがないほどに。
小便を飲む、タンポンを食べる、暴れる、叫ぶ、侮辱する、冗談を言う、歌詞を書く、1989年の暗い面を持つ。彼は、世界中のやんちゃで好奇心旺盛で歪んだ若者の定義となり、ただ地獄を見るために何でもやってみるという人物に見えました。しかし、そこからの Patton 最大の躍進は、FAITH NO MORE のメンバーとして幸せになったことか大きな要因でしょう。
「最初は果実が熟していなかったんだ。実は、バンドについて知りたいこともあったし、知りたくないこともたくさんあったから、それを無視していたんだ。問題に直面するよりも、無視する方がずっと簡単だと思ったんだ。 好戦的で反感を買うのは、本能なんだよ。全体が地獄に向かってスパイラルしているような不安定な状況に入った時、もう少しかき混ぜるんだ。このLPで、ようやく全員が同じ方向にスパイラルすることができたんだ」
歌の中のキャラクターになりきり、怒りを吐き出すのはセラピーになるのでしょうか?
「いや、怒りを公にするのは良いことではないから。作詞家やシンガーには、常に “自分の内面を投影している” という神話があるけど、そんなの嘘っぱちだ。歌い手は最悪だ。僕らは楽器の後ろに隠れることができないんだ……」Mike Patton 1992
Matt Wallece は、”The Real Thing” から “Angel Dust” へと成長を遂げた Patton に畏敬の念を抱きました。
「僕にとって、Patton の中の大きな変化は、”The Real Thing” の間、彼はまだ100% FNM にコミットしていなかったということにある。これは僕の読みで、間違っているかもしれないけど、彼が自分を守る方法、自分がまだ Mr. BUNGLE の一部だと感じる方法は、”The Real Thing” でほとんど別の人格になり、それによって、”ああ、僕はこのバンドにいるけど、本当は一員ではない” と簡単に言えるようにすることだったんだろう。でも、”Angel Dust” になってから彼は曲の成り立ちにずっと関わっていて、作曲中もその場にいたし、アレンジの指導もしていた。つまり、自分の声を楽器として使い、深く歌い、声域のあらゆるスペクトルを使うようになれたんだ。彼はチベットの詠唱やエスキモーの鼻歌など、あらゆるものを聴いていて、ヘヴィロックやオルタナティブ、プログレッシブ・バンドの文脈の中で、自分のボーカルがどうあるべきかというアイデアをレコードに持ち込んでいたんだ。このアルバムの後、多くのバンドが彼の後を追ったんだよ。でも、Patton は臆することなく、異なるボーカル・アプローチや歌詞、中にはかなり挑戦的な歌詞にも挑戦していたからね。彼が前面に出てきて旗手になったのは、本当に見事なことだと思ったよ。あれはスリルだった。あのレコード全体がスリルだったんだ」- Matt Wallece 2015年
1988年に Patton が FNM に参加したとき、”The Real Things” の音楽はすでに完成しており、彼は2週間の間に付随するメロディと歌詞を書き上げただけでした。”Edge Of the World” や “Zombie Eaters” の曲で試みたキャラクターの発明やロールプレイは、今や本格的な芸術形式となっています。
「歌詞を通して自分自身を明らかにする義務はないと思うんだ。というか、立ち位置が違う。歌詞がスリーブに印刷されているのは残念なことだよ。世間は啓示を期待しているのだから。歌詞は、僕たちの過去や人生について何かを語っているはずで、そして、歌詞を通してそのようなつながりを持つことは、ほとんど危険なことなんだ」- Mike Patton 1992年
Jim Martin と他の4人のメンバーとの間に亀裂が入ったのは、アルバム制作の最中でした。
「僕は何も違うことをしようとはしていない。ただ、僕が見たとおりの、あるべき姿でこれらの曲を演奏しようとしているだけだ。自分たちを再発明しているわけではない、そう断言できる。だから、”新しいことをする” なんてたわごとを持ち込まないようにね」Jim Martin 1992年
FNM は、自分たちの音楽がどのようなものであるべきかについての相反する個性やアイデアから常に成功を収めてきました。こうしたありえないような組み合わせが、常に素晴らしい結果を生んできたのです。
Martin の “Angel Dust” に対する態度は最初から緊張していて、曲からレコーディング、アルバム・タイトルに至るまで、すべてに納得がいかないようでした。リハーサルが始まる数週間前に彼の父親が亡くなり、バンドは彼のためにスタジオをサンフランシスコからオークランドに移したのですが、それでも Martin は参加しないことに決めたのです。
「バンドのメンバーも僕も、”一時中断して、数ヶ月後に再集結して、お父さんを悼んで落ち着く時間を作ろうよ” と言っていたんだけど、彼はもっとマッチョな人生観を持っていて、”いや、僕のプライベートな話はいいから、このアルバムを作ろう” って言ったんだ。それでバンドはオークランドにリハーサル場所を確保したんだけど…」- Matt Wallece 2015年
そのため、Martin は自宅でギター・パートを作り込むことになりました。
「変なテンションになるんだよ。彼は家で作業しているけど、僕たちが曲を作るときはギターも含めて全部をイメージするんだから。でも、彼が初日からそこにいなかったら、彼の心を読むことは期待できないでしょ?」。Bill Gould 1992年
「Martin と僕は両極端なんだ。天秤のバランスを保つために、僕が僕の方向に進めば進むほど、彼は彼の方向に進まなければならない。もし、彼が今のままで、僕がさらに進み続ければ、物事はおかしくなってしまう。だから、現状では、僕たちは少し微妙な関係になっているけど、これから解決していくだろうね」Roddy Bottum 1993年
曲作りに参加していなかったため、Martin は他のメンバーがどのような方向に進んでいるのか理解することが難しく、「とても作為的で、バンドが一生懸命になりすぎている」と感じていたのです。「自分がどこにフィットするのか理解するのに時間がかかったよ」とも。そのため、Gould はアルバムの一部でギターを弾いています。
「唯一苦労したのは、ギター・パートだった。Martin は僕らがやっていることをあまり理解していなかったから、ちょっとパニックになってしまって、自分たちでやってしまったんだ。いくつかのギター・パートは、ベースの Gould が演奏したんだ」 Mike Patton 1992年
「ギター・パートは僕のもので、すべてのトラックで僕がギターを弾いている。曲作りとアレンジにはかなり貢献した。Gould は “Midlife Crisis” と “Midnite Cowboy” に少しフワッとした感じのギターを加えてくれた。”The Real Thing” に続くという変なプレッシャーがあり、その結果、アルバム “Angel Dust” は僕が必要だと思う以上に音楽的に作り込まれたものになってしまった。僕はこのアルバムをもっとスタジオで作りたかったし、Gould はスタジオに入る前に最後の一手まで釘付けにしておきたかったんだ。僕は時間をかけて作りたかったんだけど、マネージメントとレコード会社は急いで作りたかったんだよ」 Jim Martin 2012年
「Martin はこのレコードを “ゲイ・ディスコ” と呼び続けた。何か演奏するたびに、”これはゲイ・ディスコの集まりだ” と言うんだ。で、僕は言ったんだ。”おい、もしお前がそのクソデカいギターを入れたら、それは “ゲイ・ディスコ” じゃなくなるだろう。だから、このプロジェクトに参加する必要があるんだ” ってね。それで、彼はギターのパートを担当するんだけど、翌日にはバンドがやってきて、そうじゃなくて彼に Jim Martin のままでやってほしいと思っていたんだ。だから、怒鳴り合いや意見の相違がたくさんあった。かなり醜かったね」- Matt Wallece 2015年
レコーディングはさらに拷問のようで、バンドと Martin の溝はエスカレートし、怒りが爆発していきました。
「最初から不愉快な経験だった! とても不愉快だったけど、これまで FNM とレコードを作ってきた経験と大差はない。いつもとても不愉快な経験だった。多くの人が子分を味方につけるために奔走し、愚かなゲームをして、状況を煙に巻く」 Jim Martin 1992年
“Angel Dust” のすべてが Martin を怒らせたわけではなく、彼は Patton のボーカルと歌詞をとても褒めています。 また、ギターが以前の FNM のレコードよりもずっと目立たなくなっていますが、それも全体のテイストには合っています。この作品でギターが脚光を浴びると、あるところでは非常に激しく、またあるところでは楽しくメロディアス。”Angel Dust” はソロが少ないものの、ギターのリフやメロディーはとても良いのです。
「曲作りに携わるときは、ギターのために書く。いつもそうしていればいいんだけど、今回のアルバムではキーボード・パートを先に書いていることが多かったから、それに合わせてギター・ラインを書こうとすると、”タフ” になってしまうんだよな。それは確かにチャレンジングなことで、いろいろと試行錯誤の末、結局は最もシンプルなものを使うことになるんだ」- Jim Martin 1992年
“Angel Dust” というタイトルは Bottum のアイデアで、レコーディングの早い段階で決まりました。薬物そのものとの関連はなく、「本当に恐ろしい薬物のための本当に美しい名前」というアイデアが気に入ったのです。
アルバムのジャケットは、Werner Krutein による飛翔前の白鷺の写真。裏面は Mark Burnstein による屠殺場に吊るされた牛の頭と肉の写真。美とグロテスクの極限を表現したタイトルとイメージは、彼らの音楽の中に完璧なまでに映し出されています。
「バンドそのもの、バンドの音、レコードの音、収録曲、タイトル、ジャケットなど、幅の広いものから狭いものまで、ここにはいろいろな要素がある。このバンドは多くの要素を持っていると思うんだ。重いものもあれば、美しいものもある。このアルバムは、アグレッシブで不穏なものもあれば、とても落ち着くものもあり、バランスがとれていると思う。レコードのタイトルは、もしドラッグに詳しくなければ、美しく聞こえるだろう。美しいようで恐ろしいものなんだ。表ジャケットは美しいもので、裏ジャケと合わせると不穏なものになる。そういうものにしたかったんだよ。レコードのジャケットとレイアウトは自分たちでデザインして自分たちで組み立てたんだ」” – Mike Bordin 1992年
当時、Martin はこのレコードのタイトルにも反対していましたが、2012年にさらに説明し、赤の広場にいるロシア兵にバンドの頭を重ねた写真を担当した経緯も語っています。
「このアイデアは Bottum のもので、他の誰も関わっていないんだ。彼は、フロントが鳥、バックが肉用ロッカー、そしてタイトルがエンジェルダストという基本的なコンセプトを持ってやってきた。問題は、”どうやってそのアイデアをレコードジャケットに反映させるかだった。”The Real Thing” と “Introduce Yourself” はレコード会社が考案しデザインしたジャケットで、僕たちは単にそのツケを払ったというだけのこと。これは芸術的な表現の機会であり、最終的に僕たちのうちの誰かが、誰もが納得するようなアイディアを持っていただけなんだ。スリーブにロシア軍を入れるというアイデアは、当時ハマっていた THE POGUES のアルバム “Rum Sodomy and The Lash” にインスパイアされたもの。結局、僕たちはリソースをコントロールし、人材を活用し、クリエイティブなコントロールを維持することができたんだ」 Jim Martin 2012年
1. Land of Sunshine
ワーキングタイトル : The Funk Song
「大好きだ、本当に高揚感がある。ほとんど天使のようだ」- Roddy Bottum 1992年
“Angel Dust” のオープニング・トラックは、FNM の伝統であるアップビートで騒々しいエネルギーの爆発。 Patton はこの曲を “グロテスクでポジティブな曲” と表現しています。歌詞は十分に楽しいにもかかわらず、ヴォーカルは皮肉なトーンで表現されているのです。
3日間寝ないでコーヒーを飲み、深夜のテレビ番組に没頭し、フォーチュン・クッキーを何袋も買って睡眠不足の実験中に思いついたのがこの曲の歌詞。 “Angel Dust” のなかでも特に誇りに思う歌詞の一つです。
「アメリカでは、深夜にセミナーやサイエントロジー、伝道のテレビ番組が放送されている。これは大掛かりな詐欺で素晴らしい。30分のコマーシャルでセミナーを全部買わせようとする。そしてもちろん、俺の本当のヒーロー、伝道師のロバート・ティルトンのような奴らのことを歌っている。ロバート・ティルトンには、何ものも、そして誰も触れることができないよ。彼はかなりの人物だ。テレビの上に手を置いてください、テレビの力であなたを癒しますと頼む。テレビの悪霊を使って、悪魔の頭を切り落とすために。ダラスに行ったら、彼の教会を訪ねよう!」 – Mike Patton
Patton は歌詞の一部をテレビ局のアナウンサーのような深い声で叫び、この曲の捕食的資本主義のインチキに対する批判に個性を与えています。最初の歌詞は、明るい未来への漠然とした約束で埋め尽くされていますが、最終的に、この曲のメインテーマである “弱者が利用される” ことに踏み込むのは2番目のヴァースで、彼はサイエントロジストの性格診断から直接引用したセリフを口にしているのです。
「感情的な音楽は、あなたにかなりの影響を与えますか?」
「あなたはよく遊び半分で歌ったり口笛を吹いたりしますか?」
自分の笑い声が響く中、Patton はコーラスを歌います。
「人生は価値あるものに見えますか?」
2. Caffeine
ワーキング・タイトル:Triplet
ギターはブルータル、キーボードはアトモスフェリックで夢のよう、ドラムはワルツの拍子を難なくこなす。Patton は唸り声と爆音の間を行き来し、あちこちで厳しい囁きも聞かせています。
歌詞は、Patton の睡眠遮断実験中に書かれたもので、3日目には幻覚を見るようになり、彼が唯一使用を認めた覚せい剤に敬意を表しています。
3. Midlife Crisis
ワーキング・タイトル : Madonna
“Midlife Crisis” は軽妙なラップで始まり、ジャジーでアル・ジャロウ風の弧を描いて上昇し、純粋なハードコアの接近戦で激突。歌詞は、中流階級で、安全で快適な繭を作り上げた、”安全な遊び人” のような人たちを非難し、なじります。Simon & Garfankel “セシリア” をサンプリングして作られた魅力的なグルーヴを持つこの曲は、”Epic” といくつか類似点があります。どちらもシンプルなベースライン、ラップのヴァース、そしてかなり難解な歌詞の内容を持っており、アルバムの中でも特に楽しい曲の一つであることは間違いありません。バンドはインタビューで、この歌詞がマドンナにインスパイアされたものであることや、有名人の下らない自己中心的な性質についてだと話しています。
「君は完璧だ、そう、その通りだ。でも、私がいなければ、あなたはあなたでしかない。
君の生理中の心/ 二人のための十分な出血はない」
自己執着というテーマは、歌詞にも反映されており、ほとんど間違いなく抽象的なオナニーの引用で満たされています。
Gouldは1998年、この曲の作曲過程についてこう語っています。
「この曲はみんなに責任がある。キーボードのパートから始まったんだ…みんなが僕らが次のレコードを出すのを待っていて、世界制覇を約束していた時期だった。で、彼らの目には、僕らが少し反抗的に映ったようで、それがある意味歌詞に反映されていると思うんだ。僕の立場からすると、全体が1音しかないような、でも歌になるような曲をやりたかった。だから、ベースパートが1つだけで変わらないものにしたかったんだ。レコーディングして初めて、プロデューサーが僕の意図を理解してくれたんだけど、当時は自分の足を撃つようなものだと思ったよ……」- Bill Gould1998年
Patton は歌詞の内容を少し話しています。
「この曲は、たくさんの観察とたくさんの推測に基づいている。でも、ある意味、マドンナのことを歌っているんだ…テレビや雑誌で彼女のイメージに溢れていた時期だったと思うし、彼女のやり方は僕に語りかけてくるようなところがある…まるで彼女がある種の問題を経験しているようなね。ちょっと自暴自棄になってるみたいなんだよ」- Mike Patton 1992年
4. RV
ワーキング・タイトル : Country & Western
このアルバムの中で最も不思議な曲の一つで、最初に書かれた曲の一つで。完璧なカントリー&ウエスタンの小曲をFNMの作法に合うように醜くねじ曲げたもの。
「最初は僕がピアノでやっていたんだけど、Gould と一緒に遊び始めて、ブラジルのツアーの時に完成させて、ライブで演奏するようになったんだ」- Roddy Bottum 1992年
Patton が自分の歌詞を伝えるために、キャラクターになりきった最も分かりやすい例で、この場合は嫌な中年で貧乏な白人です。
「この曲の歌詞は本当にめちゃくちゃで、ホワイト・トラッシュ (貧乏な白人) の武勇伝なんだ。 多くの曲はキャラクター・スケッチみたいなものだよ。僕はそれが悪いとは思わない。多くの人がそのことで僕に文句を言いたくなるかもしれないけどね」- Mike Patton 1992年
「R.V.とはレクリエーショナル・ビークルのことだ。アメリカの典型的な文化で、人々は休日はキャラバンに住んでいる。我々は彼らを “ホワイトトラッシュ” と呼んでいる。アメリカでは、誰もがR.V.に住んでいる人を知っている。この人たちは見下されているが、誰もが社会の一員であることを知っている。このような人々はたいてい太っていて、一日中テレビを見て、テレビを見ながら夕食を食べている。R.V.という歌は、あの豚たちの名誉の象徴のようなもの。私の家族もそうだ。一日中キャラバンの中にいて、”もう誰も英語を話さない” と文句を言うような人たち。誰も彼らの話を聞いてあげないから、独り言ばかり言っている」 – Mike Patton 1992年
5. Smaller and Smaller
ワーキング・タイトル : Arabian Song
キャッチーなキーボードのメロディーと雰囲気のあるストリングス、動悸のするリズムに研ぎ澄まされたギター、サンプリングに歌声と鳴き声の間を行き来するボーカル。他に類を見ないほど、お馴染みのFNM 成分が全て揃っています。
「退屈な曲だ。自分が何をやっているのかよくわからなかった。曲全体が中東のように聞こえたから、頭の中で聞こえる音を見つけるまで、指板を上下させた。僕はいつもそうしている。あまり教育を受けているプレイヤーではないからね」- Jim Martin 1992年
搾取される労働者階級のための革命の歌でしょうか。中盤にはサンプルをふんだんに使ったセクションがあり、特にネイティブ・インディアンの聖歌が素晴らしく配置されています。
「…Shameless culture rape。僕たちはインディアンの聖歌を取り上げて、それをめちゃくちゃにすることに決めたんだ。”ダンス・ウィズ・ウルブズ” の美学のようなものさ」 – Mike Patton 1992年
「僕らにとって FNM は2つの異なるバンドのようなもので、1つは音楽を作って録音するために存在し、もう1つは70~90分のセットを出来るだけパワフルなものにしようとするライブバンドなんだ。なぜか、僕らの曲はいわゆる “ミドルテンポ” …つまり、速くはないけれどバラードでもない曲に惹かれる傾向があるんだよね。聴いている分にはいいんだけど、ライブで演奏するとなると、ミドルテンポの曲が多すぎると、僕らもお客さんも本当に退屈してしまう。そうなったら、もう最悪だ。最悪の悪夢は、セットの途中で勢いがなくなってしまうことだ…その時点でハード・ワークになってしまい、楽しみが減ってしまう。”Smaller and Smaller” はかなり壮大なコンセプトではあるけれど、ライブでやるには長すぎるし、地道すぎる気がした。それに、実を言うと、この曲には他の曲ほど思い入れがなかったんだ……」- Bill Gould 2012年
6. Everything’s Ruined
ワーキング・タイトル|Carpenter’s Song
多幸感あふれるコーラスとメランコリックなヴァースという、対照的なムードを持つ素晴らしい曲。また、唯一ギターソロが全編にわたってフィーチャーされている曲のひとつでもあります。
「このアルバムには、とても奇妙な曲がいくつかある。その多くは絶望的で、とても不穏な雰囲気を持っている。”Everything’s Ruined” はその良い例だ。この曲は、このアルバムに収録されている曲の中でも、よりストレートなロックの一つ。前作の “Surprise You’re Dead” と聴き比べてみてほしいね。僕らがどう変化したかがわかると思う。自分たちがイメージしているものを演奏するのが上手くなっているんだ」 – Mike Patton 1992年
7. Malpractice
ワーキング・タイトル : Patton’s Song
「これはデスメタルの映画音楽だ」Patton のみによって書かれた、恐ろしくて映画的な楽曲。複雑なセクションを持つ彼らしい手法で、一撃必殺のインダストリアル・メタルと不気味なオルゴールがミックスされている。完璧な音楽的悪夢。
1992年、Patton は FNM での作曲スタイルについてこう語っています。
「僕たちは任天堂キッズだから、スタジオに入るとダイヤルを回してボタンを押すだけなんだ。Mr. BUNGLE は基本的に曲の作り方を知らないんだ。だから、ヴァース/コーラス/ヴァース/コーラスという直線的な曲の上に何かを乗せようとするのは、僕にとって奇妙なこと。それはそれでいいんだけど、何をするにももっともっと時間をかけて、もっともっと打ち込んでいこうと心に誓っている」- Mike Patton 1992年
この歌詞は、Pattonのひねくれたキャラクターが繰り広げる、手術のゴシック・ホラー。
「そうだな、ある女性が外科医のところに行って手術を受けているんだけど、彼女は自分の中に入ってくる外科医の手が好きなんだと気づく、という内容の曲を書いたことがある。彼女は治すことに興味もなく、ただ誰かの手が自分の中に入ってくるのを望んでいるんだ。彼女はそれの中毒になるんだ」- Mike Patton 1992年
8. Kindergarten
ワーキング・タイトル : F Sharp
予想外のメジャーからマイナーへのコードを配置することで、FNM のソングライティングをひねり出す好例。この曲では、Gould が音を奇妙な形にひねっていく素晴らしいベースソロがあります。
9. Be Aggressive
ワーキング・タイトル : I Swallow
ハモンド・オルガン、ド迫力のベースライン、ワウワウ・ギターが特徴的。コーラスはシュガーヒル・ギャングの1983年の曲 “Winner Is” から引用していて、チアリーダー(バンドの女友達)が「B-E A-G-G-R-E-S-I-V-E 」という今では不滅のフレーズを唱えているという、かなり倒錯した内容です。Roddy Bottum はこの年、ゲイであることを告白。
「”Be Aggressive” のいいところは、同性愛的なマッチョな曲なのに、FNMのリスナーの多くは、男性ではなく女性がひざまずいて飲み込んでいる姿を想像することだろう。かなり過激だろう?ゲイっぽい歌だと思った?それがいいところなんだ。ある人は “なんだこれは!” と声を上げるだろうし、ある人は気味悪がるだろうし」- Roddy Bottum 1992年
10. A Small Victory
ワーキング・タイトル : Japanese
オリエンタルなキーボードとギターのデュエットがメロディックな螺旋を描く、野心的でドラマチックな曲。メイン・ボーカルのラインは “Angel Dust” の中では最も “The Real Thing” の声に近いでしょう。
「あの曲では、プログラム、ストリングス、ピアノとは対照的に、音源は “マテリアル” だった。そのほとんどは DAT プレーヤーで、外を歩きながら録音したもので、それをキーボードそのものに入れ込んだんだ」- Roddy Bottum
Patton は、この曲が父親との関係について歌ったものであることを明かしています。「父がコーチをしていたから、僕の人生最初の16年間は勝つことばかり考えていたようだ。でもね、僕は勝ち続けられないとわかったんだよ。畜生!」
11. Crack Hitler
ワーキングタイトル: Action Adventure
FNM の中で最も映画に近い曲。パットンの圧縮され歪んだメガホンの効果は、後に続く全ての Nu-metal バンドが真似をすることになります。イントロのサンプルは、リオデジャネイロ・ガレアン国際空港のフライトアナウンスを読むブラジル人女優イリス・レティエリで、この人の声に Patton は惚れ込んだのです。彼女はこの曲を聴いた後、バンドを訴えようとしましたが、失敗に終わります。
「ブラジルでかなり有名なこの女性の声をサンプリングしたんだ。彼女は Varig 航空のフライトのアナウンスをしていて、僕たちはその声が本当に好きだったし、彼女の声は僕たちのブラジルでの経験をすべて集約しているようなものだった。それで彼女を録音して、その声を使ったんだけど、今になって、彼女の声を無断で使ったとして訴えられているんだ」- Roddy Bottum 1992年
この曲の歌詞は、またしても Patton の別人物。「ヒトラーのようになった麻薬ディーラーの話なんだ。ドラッグの影響でヒトラーのような気分になった黒人のね。この曲は、バンドがシナリオを視覚化することによって曲のアイデアを発展させていった例だ。例えば、事前に曲のビジュアルイメージを考えておくこともあったよ。例えば、ヒトラーの口髭を生やしたクラック・ディーラーがスーパーマンキャップをかぶって、路地を走りながら警官を撃っているようなイメージ。そのビジュアルイメージを音楽的に解釈するんだ。それがバンドが曲を作るときのやり方なんだ」- 1992年
12. Jizzlobber
ワーキングタイトル : Jim’s Song
「素晴らしい曲だ。拷問された魂のようなもの」 – Mike Patton 1992年
Jim Martin の血に飢えたメタル曲は、アンセム的なドラム、”サイコ” なキーボードのリフで始まり、Martin の最も残忍なギタークランチに乗せて Patton が言葉を吐き出していき、Gould によって作曲された壮大なチャーチオルガンのエピローグで終わります。
「アルバムに自分の曲を入れたかったし、本当に恐ろしくて醜いものを書きたかったんだ。このタイトルは僕が考えたジョークで、僕は本当の意味での “ギタージジー” な音楽は好きではないからだ。もちろん、サトリアーニやヴァイみたいな演奏はどうやってもできない。あの人たちは全く別の楽器を弾いているような気がするんだ」- Jim Martin 1992年
歌詞の内容は、パットンが繰り返し見る投獄された悪夢を扱ったもの。
「刑務所に入ることへの恐怖を歌っているんだ。いつかそうなることは分かっているんだ…。一度行ったことがあるけど、いつかすごく長い間行くような気がするんだ」- Mike Patton 1992年
13. Midnight Cowboy
「イージーリスニングが好きな Gould のアイデアで、僕も好きなんだ。この曲は本当にハイパーな美しい曲で、聴くのに苦労するほどだ。エレベーターで聴くようなソフトな音楽が、ヘビーな音楽であることもあると思うんだ。ラウドロックにはない深遠さと力強さがある」 – Roddy Bottum 1992年
最後のトラックは、1969年に公開された同名の映画からジョン・バリーのテーマをカバーしたもので、陶酔させられる。この曲もデジタルサウンドとは一線を画し、Bottum はアコーディオンを使ってリードメロディーを演奏しています。
「”Midnight Cowboy” のカバーには本当に満足している。これからは、イージーリスニングが主流になる。もうすぐエレベーターのための音楽のEPを出す予定なんだ」- Roddy Bottum 1992年
“We Feel Lucky That We Are Holding Instruments Rather Than Guns. We Feel Lucky That We Are Expressing Love Rather Than Hatred. We Feel Even More Lucky That Our Music Is Able To Connect People From Japan, China, USA And Other World”
DISC REVIEW “DREAMS”
「台湾人として、私たちは毎日恐怖の中で生活している。恐怖は私たちの潜在意識に溶け込んでいるんだ。時には、日常生活を送るために、私たちの意識はそうした恐怖を忘れて、否定しなければならないこともあるくらいにね。戦争が起これば、私たちは戦場に行かなければならないんだ。だから、銃ではなく、楽器を持っていることが幸せなんだよ。憎しみではなく、愛を表現していることを幸運に思うんだよ」
2012年に “マスロック” に対する至上の愛を共有し結成された Elephant Gym。2年後にリリースしたファーストアルバム “Angle” で彼らは、”数学のロック” に共通する複雑な拍子記号やテクニカルな演奏によって、幾何学的な音楽のタワーを見事に構築しました。もちろん、10年の時を経た今でもそうした無機的な音の伏魔殿は彼らの一部として存在をしていますが、より柔軟に世界を広げた台湾のトリオは、音楽という方程式に対する解法をいくつも手に入れたようです。憎しみではなく、愛を表現するために。
「”夢” は、Elephant Gym にとって “音楽のインスピレーションはどこから来るのか” という問いに対する答えなの。眠りについた後、脳は今までに経験したすべてのことをバラバラにして、非常に変わった方法で混ぜ合わせ、再編成するの。これは実は、音楽を作るプロセスと非常によく似ていてね。過去に記憶した音を独自の方法で現在に再編成し、一つ一つが特別な夢であるのと同じように、それぞれの特別な曲となっていくから」
Elephant Gym にとって “夢” とは、現実に溶け込む恐怖からの退避場所であり、音楽のインスピレーションの源であり、マスロックという狭い檻から超越するための手段でもあります。冷淡で機械的とも捉えられかねない理系のロックに、夢見がちでエモーショナルなポストロックの文学性を注ぎ込んだ彼らは、ロックの力強さも、ジャズの知性も、クラシックの優美もすべてをパズルのピースとして使用し、最新作 “Dreams” で想像力や表現力の境界を越えたのです。
「Lin Sheng Xiang は、私たちの音楽に対するアティテュードにかんして大きな影響を与えた人なんだ。彼と音楽の仕事をするのは、私たちの目標の一つだった。私たちと Lin の音楽の異なる美学を共存させ、互いのバランスを見つけることは、挑戦的でありながら非常に興味深いことだよ」
狭い場所にとどまらず、柔軟性を保ち、表現の解法を多く探るため、Elephant Gym は様々なアーティストとのコラボレーションを積極的に進めてきました。ブレイク中のネオソウル・アーティスト9m88、客家のフォークシンガー Lin Sheng Xiang、そして日本の若獅子 chilldspot の比喩根。奇しくもアルバムには、北京語、英語、客家語、日本語という台湾の人たちが話す言葉が集結することとなりました。
マスロックのルーツを提示するため、日本の鬼才 Toe の “Two Moons” を “Go Through The Night” にサンプリングする一方で、CHIO-TIAN FOLK DRUMS & ARTS TROUPE 九天民俗技藝團とのコラボレーションでは、”Deities’ Party” の直感的な轟音に到達します。客家との共演もそうですが、伝統的なアジアの音楽には、彼らが演奏するのと同じ奇妙な拍子記号がありながらも、音符では表現不可能な直感的ニュアンスが存在しています。だからこそ、伝統的なサウンドとの共存は、彼らの世界を一度破壊して、夢のように再構築するための最高のスパイスとなったのです。
そうして彼らは、”Dear Humans” のダーウィンや、”Witches” のシェイクスピアで映画やミュージカルの世界まで広く見据えることになりました。すべては、音楽に境界はない、世界に境界はないという想いから。自分と反対側、別世界を受け入れ、尊重することで世界はもっと面白くなるから。多様性は許容し愛することから生まれるから。解へとたどり着く道は、決して一つではないのですから。
今回弊誌では、Elephant Gym の3人にインタビューを行うことができました。「私たち人間の血には暴力が根付いていて、戦争は私たちの集合意識の中にある、劣等感と圧倒的な混乱の結果なんだろうな。でも私たちは、たとえ宣戦布告をした相手であっても、誰も悪者とは見なさないよ。なぜなら、彼らはもっともっと心に痛みを抱えていたはずだから」 どうぞ!!
Elephant Gym 『Dreams』
Release Date:2022.05.11 (Wed.)
Label:WORDS Recordings
Tracklist:
1. Anima
2. Go Through The Night
3. Shadow feat. hiyune from chilldspot
4. Witches
5. Dreamlike
6. Wings feat. Kaohsiung City Wind Orchestra
7. Happy but Sad
8. Shadow feat. 9m88
9. Deities’ Party feat. Chio Tian Folk Drums And Art Troupe
10. Dear Humans -Japanese ver.-
11. Gaze At Blue -Album ver.-
12. Fable
13. Dream of You feat. Lin Sheng Xiang