EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH ADAM DOOLING OF GOSPEL !!
“I Think Both Hardcore And Prog Are High Energy Forms Of Music. It Makes Sense To Me That You Could Play Progressive Rock Loose And Fast Like Punk…Or Play Punk With Odd Chords And Scales Like Prog.”
DISC REVIEW “THE LOSER”
「バンドが一度終わったのは、自分たちが燃え尽きてしまったからだよ。一生懸命やってもうまくいかなかった。当時のリスナーは今とは違って、このバンドを好きではなかったんだ。喧嘩も多かったし、ツアーやいつも一緒にいることにも疲れていたんだ。若い頃は問題を解決できるほど成熟していなかったし、みんな生活の安定を望んでいた。だから、一度バンドが終わると、また演奏できるようになるまで GOSPEL を振り返ることはなかったんだ」
本来あるべき姿を失ってもなおとどまり続けるのもバンドであれば、一瞬の煌めきを残し閃光のように消え去るのもまたバンド。ひとつ確かなことは、GOSPEL が描いた美しき肖像画は時の試練に耐え、虚ろでねじ曲げられた虚構のアートとは明らかに一線を画していることでしょう。
「僕たちは宗教家や宗教的なバンドではなく、その逆なんだ。子供の頃、カトリックの学校に通っていたから、宗教や権威に反抗したくなったんだ。GOSPEL という名前は、社会が神聖視するものを破壊することを意味したんだよ。それに、みんなが覚えてくれるシンプルな名前でもある。ゴスペルの定義が “原則と信念” であるならば、僕たちはその原則と信念に疑問を投げかけたいんだ。それを覆したいんだ。なぜなら僕たちはパンクバンドなんだから!!」
2005年。ブルックリンを拠点とするこの4人組は、突如としてアンダーグラウンドのスクリーモ・シーンに参入し、このジャンルに新たな高みを築いただけでなく、シーンの “原則と信念” を破壊する偉大なる自由を残しました。バンド唯一の遺産であった “The Moon is a Dead World” は8曲からなるユニークな迷宮で、その反抗という名の魔法によってプログとハードコアの境界を鮮やかに消し去ったのです。しかし、登場するやいなや、彼らは姿を消しました。
「今日、誰もが音楽を説明するための基準点、またはレッテルやジャンルを必要としている。でも GOSPEL の音楽は、僕らにとってはただラウドでヘヴィでヘンテコなだけなんだ。僕たちは今日スクリーモと呼ばれるアンダーグラウンドのハードコアシーンからやってきて、奇妙なロックを演奏しているだけ」
熱狂的なカルトファンを持ち、プログレッシブ/ハードコアの頂点に立つ可能性を秘めたバンドは、自分たちが “これ以上ないもの” を作り上げたことを悟り、あまりにも潔く幕を閉じることを選びました。しかし、スタジオの外で充実した生活を送っていた彼らは、どこかで何かが足りないとも感じていました。そうして友人の結婚式で再会した彼らは、17年の隠遁の後、ラウドでヘヴィでヘンテコな待望の2ndアルバムを作る必要があると決意したのです。
「僕はハードコアもプログもハイ・エナジーな音楽だと思うんだ。だから、プログをパンクのようにルーズに速く演奏したり、パンクをプログのように変則的なコードとスケールで演奏するのは理にかなっていると思う。それに、僕らには4人で演奏しているときにのみ機能する、非常に特殊な演奏スタイルがある。僕たちの楽器が僕たちの個性を反映しているようなものでね。GOSPEL とはこの4人が一緒に演奏しているときの音なんだ」
ダンボールに殴り書きされた “敗者” の文字は、彼ら自身のことなのでしょうか? 少なくとも、長い間待ちわびていたリスナーにとって、”The Loser” はすべての期待に応えた傑作であり、GOSPEL は再び勝者の地位へと返り咲いたにちがいありません。
解散後も衰えるどころか、むしろ、そのケミストリーはこれまで以上に強烈強力。GOSPEL といえば Vincent Roseboom の千変万化なパーカッションですが、彼は期待通りバンドを支えるエンジンとして、迷宮を支配する猛烈なフィルの数々を配置。Adam Dooling の悲痛な叫びは痛みと感情を増して、よりハスキーなトーンで眼前に迫ります。
プログレッシブ・ロックへの移行が顕著になり、従来のスクリーモからは若干離れたものの、サウンドは前作と同様にフレッシュで活気に満ちています。彼らのルーツである70年代のプログ・ロック は、CITY OF CATERPILLAR や CIRCLE TAKES THE SQUARE のようなポストロックを抱いたスクリーモが使用するパレットよりもさらに直接摂取するのが難しく、ひとつ間違えばピント外れでダサい音楽にもなりかねません。
しかし、”The Loser” はレトロスタイルのオルガンと薄暗い電子ピアノの爆音へ果敢に挑み、その幻想的な広がりとハードコアな獰猛との間でえもしれない緊張感を醸し出すことに成功しています。17年前に私たちが目にした、知的に濁った陽気な騒動はかくも完璧に研磨され、洗練され、本来あるべき姿の完成品として届けられたのです。
今回弊誌では Adam Dooling にインタビューを行うことができました。「僕は2017年に日本に短期滞在していたんだ。2017年の1月から5月まで、淡路島で4ヶ月間、日本に住んでいたんだよ!ガーデナーの研修生として働き、日本のガーデニングを学んでいたんだ。その時僕は ALPHA キャンパスの寮に住んでいたんだけど、素晴らしい先生がいてね。彼女は “関西のオバチャン” と自称していたよ」どうぞ!!
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH NICK LEE OF MOON TOOTH !!
“I Liked The Idea Of Putting Something Out In The World That Might Give People Some Release From Their Anxiety And Frustration Right Now Instead Of Just Mirroring It With More Anger And Existentialism.”
DISC REVIEW “PHOTOTROPH”
「僕たちは、ロックのヒーローたちと、彼らがそれを実現するために果たさなければならなかった道のりに敬意を表しながら、何か新しいことをしようとしているんだ。 レミーならどうしただろう?ってね」
ロングアイランド出身の MOON TOOTH による目まぐるしきサード・アルバムは、過去25年間にオルタナティブ・ロックが果たしてきた奇妙で先進的な音楽の扇動に対する解答のように感じられるかもしれません。
ALICE IN CHAINS や SOUNDGARDEN にはじまり、DEFTONES の絹のような感情表現、QUEEN OF THE STONE AGE の石器時代の鼓動、MASTODON の知的な砂漠、そして TOOL の複雑怪奇なグルーヴ。”Phototroph” には、たしかにこうした瞬間が散りばめられています。しかし、”次の METALLICA になりたい” と宣言する MOON TOOTH の特異性や野心は、彼らにとっての “始まりの地” からすでに “約束の地” へと舵を切っています。
「チャック・ベリーから MOON TOOTH まで、ロックのひとつのラインをたどれるようにしたいというのが本音なんだ。他のバンドが今何をやっているかなんて、どうでもいい。僕の頭の中と心の中では、真のロックンロール・バンドでありたいんだよ」
MOON TOOTH が次の METALLICA となるために必要だったのは、”ユニーク” を超えること。METALLICA のように、他の誰もやっていないことをやること。そのために彼らは、メタル以前の音楽をもモダン・メタルで再調理して、アルバムの中でロックの歴史を一つにつなげる荒唐無稽を実現しました。
ここには、オーティス・レディングの躍動も、ヘンドリクスのリフ革命も、QUEEN のハーモニーも、クリムゾンの難解なパズルでさえ存在し、再び命を得ています。
「ギターソロを早送りで聴く?ハァ?15秒~30秒のギターソロを聴くことができないほど忙しいの? ソロを早送りするのに、なぜバンドを聴いているんだ?!?!失礼ながら、君が言うような人たちは、おそらくギターソロそのものを聴くよりも、ギターソロに反応する人の YouTube ビデオを見る方が好きなんだろうな。冗談じゃないよ!」
重要なのは、この作品にロックの不純物がひとかけらも混入してはいないことです。あの RIOT V にも所属する Nick Lee の左腕にはスリルとエモーション、それにかつて誰もがギターに期待していたスペクタクルが存分に宿っていますし、自然保護施設でも働く John Carbone の表現力、感情を高めた歌声には人知を超えた野獣が降臨。ロックの王道が忘れ去られた世界で、ロックの王道を一人、むき出しの感情、むき出しのサウンドで歩んでいます。
さらに、タイトル・トラック “Phototroph” を聴けば、RUSH を思わせる千変万化なコンポジションに、FOO FIGHTERS もたじろぐほどのアリーナ・サイズのフックを刻み込んでいることが伝わるはず。”Nymphaeaceae” では、歪んだリフの曲がりくねった迷路に THE ALLMAN BROTHERS の遺志を込め、その奥深くにボーカル・フックを丁寧に埋め込んでいます。MOON TOOTH は実験とポップのシーソーを誰よりも巧みに乗りこなすのです。
「30のアイデアのうち、この11曲がとてもうまくまとまったんだ。楽観的で希望に満ちた感じがするから。今の時代の不安やフラストレーションを、怒りや実存主義に置き換えるのではなく、そこから解放されるようなものを世に送り出したいという思いがあったんだ」
パンデミック、戦争、政治の腐敗、独裁者の台頭。混乱と混沌の20年代においても、MOON TOOTH は人間の強さを信じています。”Phototroph” “光栄養生物” と訳されるアルバム・タイトルには、希望という光に向かって進んでいく私たちの姿が重ねられています。
たしかに今、誰にとっても、”聖域” は消え去りました。しかし逆に今こそ、Nick の言葉を借りれば、これまで自覚することのなかった、目を背けていた私たち自身の “不寛容” と向かい合うチャンスなのかもしれませんね。”Phototroph” はそんな私たちの “光合成” を促すような作品ではないでしょうか。
2012年に結成された MOON TOOTH は、初期にタグ付けされたプログ・メタルというタグをいまでは取り払ったように見えます。それは彼らの音楽が十分にプログレッシブでもなく、十分にメタルでもなかったからではなく、その二つ以上のものを兼ね備えていたから。今回弊誌では、Nick Lee にインタビューを行うことができました。「人間は時に、ポジティブなことに集中したり、目標を設定してそこに向かって進んだりすることを、自分で選択しなければならないことがある。それを伝えたかったんだ」 三度目の登場。スケール感が倍増しています。どうぞ!!
“In Japan,There’s This Thing About Karoshi, Salarymen Who Work Themselves To Death. I Don’t Talk About This Much, But My Uncle Kiichi Killed Himself. His Name Is My Middle Name.”
どのようなレコードが、Heafey のサブジャンルへの愛を形成したのでしょう?
「これらのアルバムは、最後の2枚を除いて、僕がブラックメタルにハマり始めた頃のもの。まず最初に、ストックホルムの MORK GRYNING の2001年の “Maelstrom Chaos”。このレコードはプロダクションとスタイルの面で僕にとても影響を与えている。このアルバムに収録されている “My Friends” という曲はとても奇妙で、”ブラック・メタルではない” と感じると同時に、とてもブラックメタルだと感じるんだ。
ウメオの NAGLFAR による2003年の “Sheol”。ストックホルムの DARK FUNERAL による2001年の “Diabolis Interium”。彼らは半伝統的なオールドスクール・サウンドにこだわっている。プロダクションに重点を置いていることが、僕にとって意味があったんだ。1995年、DISSECTION による “Storm Of The Light’s Bane”。1997年のオスロの OLD MAN’S CHILD による “The Pagan Prosperity”、DIMMU BORGIR の別バンドのGALDER。信じられないほどメロディアスで、バロックとネオクラシカルを同時に表現している。1997年の DIMMU BORGIR の “Enthroned Darkness Triumphant”。もちろん、1997年の EMPEROR の “Anthems To The Welkin At Dusk” と1996年の SATERICON の “Nemesis Divina” も名盤だ。これらは僕の “ブラックメタル少年時代” のアルバムなんだよ。
それから、ENSLAVED による2012年の “RIITIIR”、BEHEMOTH による2014年の “The Satanist” だ。”The Satanist” は新しいし、人々は基本的にノルウェーとスウェーデンのバンドをこのジャンルの “リーダー” として見る傾向があるけれど、この作品はブラックメタル史上最高のレコードのトップ10に入るよ」
Heafey は、ブラック・メタルの物語が、魂を震わせるサウンドを高めていると指摘します。
「ブラックメタルにのめり込んでいくうちに、なぜ彼らがああいった見た目をしているのか、なぜ曲やアートワークがこうなっているのかが分かってきて、本当にいろいろなもので構成されていることで好きになったんだ。彼らはもともとはスラッシュに傾倒していたんだけど、その後、クラシック音楽の要素やスカンジナビア民謡など、さまざまな影響を持ち込むようになった。そういう民俗的なストーリーは本当に魅力的だと思うんだ。
TRIVIUM の初期の曲で、”Oskoreia” という北欧の伝説にまつわる曲がある。白い顔をした幽霊の騎兵が超高音で叫び、人々の魂を奪っていくというものなんだけど、これは僕がどれだけブラックメタルの伝説にハマっていたかを示しているね。あらゆる本を読み、あらゆるバンドについて調べ、あらゆるシャツやCDを手に入れていたからね。このアルバムのターニングポイントは、Ihsahn と話していて、”もし僕がスカンジナビア人だったら、ThorとRagnarok について書けたのに…” と言った時だったんだ。
彼は2つのことを教えてくれた。1つは、僕にもルーツが存在すること、もう1つは、自分の日本的な面をもっと見るべきだということ。背中にタトゥーしている神道の八岐大蛇(やまたのおろち)のようなものを参考にできるとわかったとき、状況が一変したんだよね」
IBARAKI の既成概念にとらわれないアプローチに道を開いた先駆者は誰にあたるのでしょう?
「ブラックメタルのパイオニアたちは、メタルは商業的になりすぎて、同じようなことばかりやって言っていると言っていた。この音楽はその対抗策だったんだ。でも、その後、自分が作ったものに固執すると、結局、それをまた別のものに変えるための反抗が必要になるんだ。EMPEROR は、僕がこのジャンルを発見したときの最大のバンドのひとつだった。TRIVIUM のどこにブラックメタルがあるのかと聞かれたとき、僕はいつも、サウンド面では必ずしもそうではないけれど、EMPEROR は僕にすべてのレコードを前とは異なるものにする自信を与えてくれたと説明してきたんだ。
“In The Nightside Eclipse” にはじまり, “Anthems To The Welkin At Dusk”, “IX Equilibrium”, Prometheus”, “The Discipline Of Fire & Demise” まで、彼らはそれが可能であることを証明してくれた。ULVER の “Perdition City” はブラックメタルではないけれど、正反対であるからゆえに、ブラックメタルとして非常に重要なレコードなんだ。WARDRUNA もそうだ。あのバンドはブラックメタルとは似ても似つかないけど、同じ素材を使っているから、同じように重要だと感じる。一方で、BEHEMOTH の “The Satanist” は、このジャンルに回帰しているにもかかわらず、とても異なっているように感じられた作品だね。僕にとっては、”O Father O Satan O Sun!” が BEHEMOTH の曲の中で一番メロディが良いんだよ!
そして、Ihsahn の2010年のソロ・アルバム “Eremita” を聴くと、まるで初めて “Anthems” を聴いた時のような感覚になる。あのレコードがきっかけで、IBARAKI が別名義から自分名義のプロジェクトにシフトしたんだ」
教会の焼き討ち、ファシスト思想、殺人など、ブラックメタルの残忍な裏の顔はたしかに問題視されています。
「正直なところ、若い頃は、ブラックメタルの暗さに惹かれたんだ。別に肯定も宣伝もしているわけではないんだけど、音楽的な対立でバンドメンバーが殺し合うようなジャンルがあったというのは、若い人には絶対に響いてしまうと思うんだよ。だけど大人になってみると、このジャンルには人種差別や偏見に固執する、本当に問題のある側面があることがわかってくるし、それは僕が強く反対していることでもある。最初に若さゆえの “目隠し” が取れたとき、”信じられない!” と思う反面、”なんてこった、これが見えてなかったなんて!”とも思ったものだよ。でも、それは僕がブラックメタルを書き直す手伝いをしたいということでもあるんだ。
“Rashomon” の制作を終えた頃、(COVIDの無知が原因で)世界中で反アジアの感情が高まっていたんだ。だから、このアルバムは、日本の文化にスポットを当てて、その物語についてもっと知ろうと思ってもらえるようにするためのミッションだと考えるようになった。そして、中国や韓国の物語、ヨーロッパの物語、アフリカの物語など、地球上に学びのボキャブラリーを広げていきたいんだよ。僕にとって “Rashomon” は、ブラックメタルについて僕が好きなものを維持し、そうでないものを超越するための作品なんだ」
“America Used To Have an Obsession With Remaking The Famous Japanese Horror Films, And To Me, They Were Never Scary, Because It Placed Those Stories In Our Culture. To Me What Makes Japanese Horror Stand Out, And What Makes It Scarier, Is The Differences In Our Surroundings, And Cultures.”
“Punk Is Anything We Want It To Be. I Like ‘Do-it-yourself’ Because It’s Whatever You Feel Like. It Doesn’t Have To Be a Certain Way.”
GROWING UP
「言いたいことは何でも言うべきだし、言えたらそれを誇りに思うべき」
まだ若く、会場によっては客として入れないかもしれませんが、LA のパンクバンド THE LINDA LINDAS はシーンに特別注目されています。昨年の大ヒット “Racist, Sexist Boy” で Epitaph にピックアップされた後、強さと10代特有の青を持った彼女たちは、すでに世界を相手にする準備が整っているのです。
ニーハイソックスとグラフィックTシャツに身を包んだアジア系とラテン系の4人の少女は、パンデミックの中で急増した反アジアの憎悪に対して、勇ましくも正当で、活気ある雄叫びを上げました。
自分の10代を振り返ってみればわかるでしょうが、ティーンエイジャーの多くは夏休みの過ごし方をあまり考えてはいません。数ヶ月に及ぶ授業、宿題、試験の後、一年のうちで最も晴れやかな時期を気ままに過ごせる自由はあまりに優雅です。綿密な計画は必要ありません。友達に会ったり、日光浴をしたり、学校の時間割にはない楽しさとリラックスを詰め込むためのシンプルな時間。
しかし今年、Lucia と Mila の De La Garza 姉妹、いとこの Eloise Wong、長年の友人 Bela Salazar は、THE LINDA LINDAS 初のヘッドライン・ツアーに出発し、他に類を見ない冒険の夏休みを過ごすことに決まっています。BIKINI KILL の Kathleen Hanna が彼女たちの母親に直接メールを送り、彼女のバンドの再結成ツアーの前座を務めてもらえないか頼んだという逸話も。彼女たちはリラックスしている場合ではないのです。
多くのバンドとは異なり、THE LINDA LINDAS にはフロント・パーソンがいません。4人全員が歌い、作詞作曲をすることで、それぞれの声がほぼ均等に聞こえるようになっています。ベーシストの Eloise は最も熱狂的な性格で、怒りに満ちた楽曲にぴったりの力強いシャウト・スタイルを持っています。ギタリストの Bela はビッグなリフを奏でながら、メランコリックで物思いにふけったり、ヒステリックな叫び声をあげるのに適した硬質な歌声を披露。
一方で、同じくギターの Lucia は、晴れやかな楽観主義で、世界をありのままにとらえながらも、そこに喜びを見出すような曲を書き連ねます。ドラマーである Mila の歌詞は、姉の Lucia でさえ 「彼女がまだ11歳だなんて信じられない!12歳、いや15歳くらいに感じる時もあるわ!」 と語るほど自己認識と思慮深さに秀でています。
昨年半ば、LA市立図書館で “Racist, Sexist Boy” を披露した動画は予想外に拡散され、この4人組はシーンに突如現れることとなりました。Mila の同級生が、父親から、彼女のような中国系には近づくなと言われたことがすべてのはじまりでした。ジョージ・フロイドの殺害事件と BLM で世界が変化を求めているときに、反ヘイトの気迫に満ちた彼女たちの賛歌が心を打ったのでしょう。彼女たちが見せた強さと希望は、まもなく伝説的なパンクレーベル、Epitaph へと4人を導くことになりました。
「BAD RELIGION, DESCENDENTS, RED AUNTS, L7 など、私たちが大好きなバンドがたくさん所属しているレーベルの一員になれるなんて、シュールな話ね。SOUL GLO と THE MUSLIMS が Epitaph と契約したことにも興奮しているわ」
そして、”RSB” の拡散は、同じように “嫌な奴” の無知に悩まされた見知らぬ人たちから多くのメッセージが殺到することにもつながりました。
「この曲が人々をひとつにするのは素晴らしいことだけど、多くの人が共感してしまう状況は本当に悲しいことだわ」
Mila と Eloise は、2020年11月にロックダウンが始まる1週間前に Mila がクラスメートと交わしたやりとりを受けて、この曲を書き下ろしました。
「彼は、お父さんに中国人に近づくなと言われたと、ピンクの大きなパーカーから頭を覗かせながら言うの。なぜそんなことを言われるのか、とても困惑したわ。何が起きているのかわからなくて、私が中国系だと言ったら、彼は私から離れ始めたの」
Mila は家に帰り、家族とバンド仲間にその出来事を話しました。”Racist Sexist Boy “が誕生したのは、それからズームコールによって誕生していきます。虐げられてきたすべての人の力になることを願いながら…
「”Racist Sexist Boy” が爆発的にヒットした直後は、バンドにいるアジア人ってどんな感じなのかって質問されたよ…音楽で自分を表現することは、私にとってとても大切なこと。怒っているときに怒ったり、悲しんでいるときに悲しんだりすることができるのが、音楽のいいところなの。音楽があれば、他の方法では封じ込めてしまうようなことも話すことができる。政治的、社会的な問題であろうとなかろうと、吐き出したいことは何でも書くわ」と Eloise は打ち明けます。
「自分たちの声を、声をもたない人たちのために使いたかった」と Mila も頷きます。
当初、この曲は “Idiotic Boy” と呼ばれ、「馬鹿で愚かな」男の子について歌っていましたが、彼女たちは能力主義について学び、Eloise はその言葉がいかに人を傷つけるかを学んだと言います。
「この歌は、人種差別的で性差別的な男の子に対抗するためのものだったけど、私たちが差別的なことをしては元も子もない。だから、言葉を変えたの。私たちは知性についてではなく、いじめっ子であることについてより多く語ることにした。9歳の少女に実際に起こったことを物語にしたかった。そうすれば、世界は無視できなくなるから」
今でも少年からの謝罪はありません。しかし、Lucia たちにとってそれはもうすでに重要なことではないのです。
「もう、彼のことはどうでもいいの。より良くなるため、やってはいけないことを人々に伝えるため、そして私たち全員がより良くなるためのものになったから。私たちは完璧ではない。たとえ男の子でなくても、人種差別や性差別をしないこと。ホモフォビック(同性愛嫌悪)であってはならない。ただ、悪い人にならないように。そして能力主義にも陥らないように」
THE LINDA LINDAS の4人は、BEST COAST, THE CLASH, THE ADOLESCENTS, YEAH YEAH YEAHS といった反抗の音に囲まれて育ちました。「私は “子供の音楽” を聴いたことがなかったの」 と語る彼女たちは、まだ幼稚園に通っているときでさえ、分厚い耳栓で武装して初めてコンサートに参加しました。その多くは、世界最大の独立系レコード店と自負する Amoeba Records で行われた全年齢対象の昼間のショーでした。音楽的な生い立ちとしては、かなり印象的でしょう。
4人は2018年、Girlschool LA festival のピックアップ・バンドに誘われ、そこで BEST COAST の Bethany Cosentino と YEAH YEAH YEAHS の Karen O に初めて会った後、一緒に音楽を作るようになります。さらに、Lucia と Mila は、父親であるグラミー賞受賞プロデューサー兼サウンドエンジニア Carlos De La Garza が、PARAMORE の最新アルバム2枚と Hayley Williams のソロ・アルバム2枚を手掛けていることから、PARAMORE からも恩恵を受けることになります。実際、二人がこれまでに受けた音楽業界に関する最高のアドバイスは、Hayley からのもの。
「いつノーと言うべきか。そしてノーは時としてイエスと同じくらいパワフルであることを知ること。クールな両親を持ったわ。パンクのライブに行ったり、ミックステープを作ったり、誰でも何でもできるというパンクの DIY 文化とともに育ったから。パンクは、私たちが望むものなら何でもできる。決められたやり方なんてないの」
THE LINDA LINDAS が代表曲 “Rebel Girl” をカバーしたのを見た Kathleen Hanna は、30年前に BIKINI KILL が歩んだのと同じ攻撃的でフェミニストなパンクの道を歩むバンドにチャンスを与えるべきだと考え、2019年に彼女たちをツアーに帯同します。Lucia が振り返ります。
「あれは大きなチャンスだった。BIKINI KILL がいなかったら、私たちはおそらくバンドをやっていなかったと思う。彼女たちは、女性がバンドに参加し、コンサートに行くことについて、それほど批判されることなく受け入れられるようになるという革命を起こしたの。これは本当に特別なことよ。そして、初日から私たちを信じて、応援してくれた人たちがたくさんいる。私たちが望むような方法で、クリエイティブになれると教えてくれたの」
誰もがそうではありませんが、インターネット上のある種の人々は、楽器を演奏する4人の女の子を見て、彼女たちのメッセージには興味を示さずただ、”かわいい” と切り捨てています。当然、それは THE LINDA LINDAS を苛立たせ、Mila は見下すようなコメントよりも憎しみを感じるくらいだと言います。「男だけのバンドにそんなこと言わないでしょ」とルシアは指摘します。
「私たちは自分たちがしていることを真剣に受け止めている。この仕事を長く続けているわけではないけれど、音楽を作ることは私たちにとってとてもとても大切なことだとわかっているのだから」
視野の狭いキーボード・ウォーリアーたちは、本当に見逃していることがあります。この4人の仲間は、今、私たちの時代に対するあまりにダイレクトなメッセージを持っていることを。THE LINDA LINDAS の “パンク” を疑ってかかると、きっと後悔することになるはずです。”Racist, Sexist, Boy” はたしかに THE LINDA LINDAS を成層圏まで押し上げて、彼女たちの道筋を決めました。しかし、Lucia は単に表現と寛容のために戦うだけではないことを強調しています。
「私たちは、人種差別や性差別について話すことを期待される立場に置かれることが多くなった。もちろん、それについても話したいと思っているけど、それが私たちのすべてではないのよね。私たちが有色人種の若い女性だからといって、それが私たちの責任になることを望んではいないのよ。誰かに話をする義務があるわけではないの」
しかし、COVID-19がアメリカの海岸に届く前から彼女たちは、メキシコ人を犯罪者、麻薬の売人、強姦魔と決めつけ、COVID-19を “中国のウイルス” と呼んだホワイトハウスの老人のおかげで、かなり複雑で、物議を醸す状況で育つことを余儀なくされました。
「毎日何かあったのは確かよね。パンデミック、大統領選挙、Stop Asian Hate や Black Lives Matter みたいなことが立て続けにあったわ。何が起こっているのか、自分には何もできないと感じながら、家で座っているのは本当につらかった。そんな時には、自分が自分自身の最大の敵にならないように、心の中で何が起こっているのか、つまり、内面的に何かを理解する方法を見つけなければならないの。それがソングライティングなのよ」
ゆえに、彼女たちが音楽を通じて共有している世界観の形成に、アメリカの前政権は極めて大きな影響を及ぼしました。ホワイトハウスの横暴もあって、彼女たちは “Racist, Sexist Boy” を書き上げ、2020年の大統領選でついにトランプが大統領から解任されたその渦中に楽曲を完成させたのです。
彼女たちは投票するには若すぎたために(そして今も)トランプの横暴に対して何もできないままでした。だからこそ、THE LINDA LINDAS での活動は、彼女たちが感じた無力感に対する解毒剤になったのです。大人たちは、この困難な時代に育つ子供が若すぎて政治的なレトリックや意味、立場を理解できないと思っているかもしれません。しかし、それは真実から遠く離れていることを Mila は主張しています。
「でも、私たちは毎日状況を見ているんだよ。私たちは政治を理解しているの。わからないことがあれば、説明をしてほしい。難しくても理解したいと願うから」
Lucia は、このアルバムに収録されている曲のうち、よりハッピーな曲を好んで提供しました。アッパーなタイトル”Growing Up” は、成長という潮流に流されることを受け入れ、可能な限りその中から楽しみを絞り出すという内容です。彼女は、スタジオでは悲しい曲も書いていましたが、自分の感情をさらけ出す準備が出来ていないようでした。それでも懸命に絞り出したのが、パンデミックの暗い雰囲気の中で希望を見出そうとする Mila との共作、”Remember”。
「パンデミックにおける “Zoom スクール” の日々では、すべての日が同じで1つにぼやけているように感じられ、何も把握することができなかった。ある日に、何もしなかった自分を許すにはどうしたらいいか、生産的になれないことに罪悪感を持たないようにするにはどうしたらいいか、それを考えるのが大変だったわ。時には、何もしないことを受け入れることも必要なのよね。自分にとってそれが必要な時もあるのだから」
Bela は曲作りの際、自分の感情を深く掘り下げることに抵抗がありました。彼女は、自分の感情を世界と共有することは、難しく苦しいと認めていて、”Nino” のように、より幸せで簡単なトピックにこだわることを好んでいます。掘り下げたい感情があっても、公にするのが怖いと感じたとき、彼女は “Cuantas Veces (How Many Times)” を書くことでその方法を見つけました。歌詞はスペイン語で書かれています。
「スペイン語は誰もが理解できるわけではないので、自分の感情を共有するのにより神聖で安全なことだと感じていたわ。私はスペイン語を話して育ち、スペイン語と英語を同時に学んだかは、スペイン語は私という人間の本当に深い部分だと言えるの」
パンクらしい DIY の精神も貫かれています。Eloise が解説します。
「ジャケットアートは、私たち一人一人の紙人形を作って、友達の Zen Sekizawa さんが撮影してくれた。ニッキ・マクルーアの切り絵や、テ・ウォンユの紙の彫刻にインスパイアされたの。パンクは単なる音やスタイルではない。好きなことを好きな人とやって、自分にとって重要なことを貫くこと。誰もやらないなら、自分でやること。ただクリエイティブでいて、楽しむこと」
THE LINDA LINDAS の成功はあっという間に高々と聳え、彼女たちはまだそのすべてを吸収しきれてはいません。彼女たちは、自分たちがアルバムを作ったという事実さえもまだ頭の中で整理できていないのですから。2005年の日本映画 “リンダ リンダ リンダ” で、女子高生が THE BLUE HEARTS の “リンダ・リンダ” を習うシーンにインスパイアされた THE LINDA LINDAS は、その後、Netflixのドキュメンタリー映画でオリジナル曲を披露し、今では完全に “バイラル” な状況に置かれています。
「ただ楽しかっただけなのに……”うぉー、ハリウッド・パラディアムで演奏したぞー” って。それから、”すごい、映画に出たぞ!” って。そして今、私たちはバイラルな状態。学校に行けば歓声が上がる。正直、ついていくのが大変よ」
当然、期待に胸を膨らませていますが、何よりもこの4人は、このアルバムが自分たちの夢の扉を開く鍵になることを望んでいます。
「より多くの人に聴いてもらえるように、そして世界のいろんな場所で演奏できるように。旅をしたいし、もっと音楽を発表したい。でも、それ以上に大切なことがある。それは、自分たちが好きなことをやりつづけること」
彼女たちは “かわいい” と言われるのが嫌いで、Lucia は自分たちの名声がいつまで続くのか心配になることがあるといいます。
「私たちが若くて、女の子で、アジア系で、ラテン系だから、みんなに好かれるのだろうか?私たちが年をとったらどうなるんだろう?私はいつも起こっていることを否定して悲観的になっている気がする。でも、ここ数日は楽しくて仕方がない。だから、楽しもうって感じ。そして、もっともっと曲を書いて、続けていくつもりよ!」
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH MANUEL GAGNEUX OF ZEAL & ARDOR !!
ALL PHOTOS BY GEORGE GATSAS
“For The Moment I Just Make Music That I Personally Enjoy. There Was No Intention Of Revitalising a Genre Or The Hubris Of Thinking I Can Rebirth Anything. Only Time Will Tell If It Has Any Impact. Until Then I’ll Just Keep Making Music.”
“It’s Always Good To Push Your Boundaries. It’s Fun! The Feeling Of Accomplishment Is The Feeling Of Fulfillment.”
INVIOLATE
Steve Vai 最後のスタジオ・アルバムから6年が経ちました。エレクトリック・ギターの巨匠は、確かに他の追随を許さない驚異の作品群を有していますが、意外にもその数は決して多くはありません。彼のファンが望むことはただ一つ。「もっと!」
そして遂にその望みが叶います。”Inviolate” は Steve の最も冒険的で妥協のない演奏に満ちながら、シュレッド以上に彼のトレードマークとなった独特のニュアンスとアヴァンギャルドな個性を前面に押し出しています。
肩の手術のため片手で演奏した “Knappsack” や、ホローボディのジャズギターを使った “Little Pretty”、それに目玉のヒドラギターといった異常事態も謳歌する威風堂々。むしろ挑戦のために自ら異常事態に飛び込むその創造性は驚異的。そうして、万華鏡のようなエキゾチックなヴィジョンで、”Apollo in Color” や “Zeus in Chains” といった楽曲はリスナーの心中に喚起的な絵を描きだしていきます。それにしても、アポロやゼウス、ヒドラとはまるでギリシャ神話の世界です。
「そうなんだ。不思議な感じだよね。それって偶然の産物で、意図的なものではなかったからね。まあその後、意図的になったんだけど。”Zeus in Chains” を作ってレコーディングした後、タイトルが決まっていなかったんだよね。面白いことに、私は聴くだけで、その曲がタイトルを教えてくれることが多いんだ。それで、中間部の巨大で低音のギター・リフがハモりながら、その上に超絶不協和音の音が浮かんだところで、あの曲が “これは Zeus in Chains という曲だ”と言ったんだ(笑)
“Apollo in Color” は、妻の馬の名前なんだ。ただ、その名前を、いつも素晴らしい曲のタイトルになるぞと思っていたんだ。”Apollo in Color” ってタイトルは、基本的に僕があの曲を作るのを助けてくれた。だから、ある時は曲がタイトルを教えてくれるし、またある時はタイトルにその曲がどんな風になるかを左右されるという、逆の状況が起こり得るんだ」
それでも、不可能を可能にするのが Steve Vai という男です。
「10秒くらい強烈な懸念があったんだけど、それから別の声が聞こえてきたんだ。こういうときはたいてい自信に満ちた自分の声が聞こえてくる。そしてその声は、”黙ってやれよ、Vai! お前ならやれる! 時間をかければできるんだ!黙ってやってみろ!” ってね。”黙ってやれ!始めろ!”。そして私は、”わかったよ…” という感じでゆっくりと曲を書き始めたんだ。面白いのは、多くの場合、不可能に思えることでも一度始めてしまえば不可能に思えなくなるということなんだ。ただ、始めるだけでいい。だから、私はそうしたんだよ」
“The Teeth of the Hydra” はまさにヒドラギターのための楽曲です。
「”The Teeth of the Hydra” を聴くと、面白いことにベース、7弦、12弦、ハープ弦のすべてが、あのギターで一度に演奏されているから、非常にリニアなんだよね。イントロができたところでヴァースに入り、エレガントでシームレスなサウンドになるまで作業を続けていった。バラバラな音楽ではダメなんだ。そうではなく、ギターの、そして私自身の可能性に敬意を表したかったんだ。そして、それができたと思っているよ」
“The Teeth of the Hydra” が、ヒドラギターで作られたことは理解していたとしても、同時に通して演奏していると気づいた人は多くはないでしょう。誰もがマルチトラックでのレコーディングだと考えるはずです。
「このギターがあれば、全部できるんだ。録音した後にやったことは、ハープの弦が全てを拾ってしまいノイズが多いので、トラックをもう1つレイヤーしただけだよ」
リニアな演奏といえば、片手だけで弾ききった “Knappsack” は超絶でした。
「私にとって、楽曲の中で最も重要なのはメロディーだ。 “Knappsack” のように、片手で録音するというアイデアは必要に迫られてのことだったんだ。そして、自分にはそれができると思っていた。片手でレガートとハンマリングを駆使したギターを弾くのは、それほど難しくも、不思議なことでもないんだよ。でも、メロディーは Vai ならではのものでなければならないし、私が音楽を作る理由は、メロディーを書くのが好きだからなんだからね。”Knappsack” をレコーディングするときに、メロディとヴァースのコード・チェンジを書き出して、何かわかったような気がしたんだ。このメロディーを作れば、あとは楽勝だと思ったんだ。狂喜乱舞できる! ってね。この曲で実現したかったことのひとつは、容赦のない感じだった。私はそれが好きなんだ。執拗さの中にエネルギーがあり…Zakk Wylde と一緒にステージに立つと、それはもう容赦ないんだよね。彼のパワーは半端じゃないから、ごまかしがきかないんだ!(笑)。でも、作った後にあのビデオを見るのは本当に楽しかったし、それこそが僕の目的であるエンターテイメントなんだ。僕はエンターテイナーなんだよ!」
音楽家が片方の腕を失うというのは、一時的とはいえ大変なことで、自分の力の半分が失われたようなものでしょう。そんな中でも Vai は実にポジティブかつ楽観的です。
「そうだね、とても簡単に受け入れたよ。それは挑戦だけど、何が起きても自分の利益になるようにと考える。結局それは自分のためになっているんだよ。だから、肩が痛くなったとき、まず、現状を受け入れた。なぜなら、現状を受け入れないと深い苦しみが生じるから。戦っても決してうまくいかないけど、受け入れることでうまくいくんだよね。だから、右手が使えないこと、肩がこることを受け入れたら、片手でやるという決断も視野に入ってきたんだよ。そして、私はただ、レモンからレモネードを作ったんだ」
“Avalancha” は Steve が今まで書いた中で最高の曲のひとつではないでしょうか?
「素晴らしいメロディーを持つ、本当にヘビーなものが欲しかったんだ。凶暴で、激しく、熱狂的なサウンドにしたかったんだけど、同時に良いメロディーが欲しかったんだ。ベースは Billy Sheehanなんだけど、”Real Illusion”(2005)時代に録音したもので、”Building the Church” とこの曲で迷った時に前者を選び、 “Avalancha” はしばらく棚にしまっておいたんだ。完成させたいとずっと思っていたから、これはいい機会だったね。基本的にベースとドラムはできていて、あとはメロディーを書いて肉付けしていったよ」
“Greenish Blues” は Peter Green へのオマージュなのでしょうか?
「そうじゃないんだ。Peter のことはもちろん尊敬しているけど、私はそういうブルース・プレイヤーではないからね。グリーニッシュ・ブルースと名付けたのは、コード・チェンジがブルースのコード・チェンジに似ているからで、この曲での私の演奏はブルース的ではあるけれど、従来のブルースというよりは私の奇妙な偏屈さが出ているんだ。グリーンという色は、私のキャリアを通じて、ほとんど最初から使っていた色なんだよね。”Alien Love Secret” のタイトルもあの緑色だよね。だから、この曲を “Greenish Blues” と名付けたのは、”Vai Blues” と言うのと同じことなんだ」
以前、Stevie Ray Vaughan にオマージュを捧げていたことがありますね?
「Stevie へのトリビュート(”The Ultra Zone” 収録の “Jibboom”)は、彼がやりそうなことを私もやっていたからなんだけど、Peter Green の場合は彼のことを考えていたわけじゃないんだ。もしそうなら、彼の演奏を聴いてその感性を自分の演奏に反映させ、偉大なアーティストに敬意を表し自分の声を出すかもしれないけど、そんなことはしなかったからね。もちろん、彼のことは知っているけど、私のお気に入りのギタリストというわけではないんだ。どうせブルースなんて弾けないしね(笑)」
明らかに Steve Vai は今でも “Little Stevie” の冒険心を持っていて、長い間ギターに熟達しているからこそ、新鮮さと興味を高く保つために新しい挑戦を行なっているようにも思えます。
「プレイヤーとしてどんな状態であろうと、実績があろうとなかろうと、自分の限界に挑戦することは常に良いことだ。何より、楽しいよね。達成感があるからこそ、充実感があるんだから。12歳のときに初めてギターを手にしたとき、すぐに病みつきになったんだ。楽譜の読み方はわかるけど、ギターの弾き方はまったくわからないという、何もできない状態だった。LED ZEPPELIN の曲集を買ってきて “Since I’ve Been Loving You” の弾き方を覚えたら最高の気分になった。そして、その感覚はずっと続いている。できないことを想像して、でもそれを実行に移せば手が届くとわかっていて、そしてそれを成し遂げて予想以上にうまくいったときは、まるでパーティーを開いているような気分になるんだ! 爆発しそうなくらいにね。いつもそうなるとは限らないよ。でも、次に進むんだ!(笑)。自分らしい表現ができたときの達成感は、喜びだね。それが病みつきになるんだよ。だって、世の中がどうであろうと関係ない。人がどう思うかなんて関係ない。政府が何をしていようが、宗教が何をしようが、経済がどうであろうが・・・自分自身の小さな秘密が進行中で、そこに集中し、それを尊重するとき、そんな時間は本当に楽しいものだ。それを尊重するべきだよね」
楽器とのコミュニケーション、あるいは楽器との関係は、プロになってから40年あまりで変化を遂げたのだろうか?それとも、20歳の頃と同じなのだろうか?
「ミュージシャンと楽器の関係はミュージシャンによって異なると思う。とても知的なアプローチをする人もいれば、とても感情的なアプローチをする人もいる。そのどれもが有効であり、そのどれにもリスナーがいるわけだから。ある人は、感情的な部分をうまく表現できず、そのような刺激を好む知的な人たちから支持されるでしょう。ある人はその逆かもしれない。私は、そのすべてが欲しいんだ。中でも私は、素晴らしいメロディーの感覚を味わいたい。それが、自分にとっては一番大事なことなんだ。泣いたり、笑ったり、ズタズタにしたり……”Inviolate” を聴くと、前作ほどシュレッドしているとは思えないだろう? だけど、それはシュレッドから離れたからではなく、単にメロディーを刺激することに興味があるんだと思うんだ。
私の場合、人生の中で演奏について、より知的なことを考えた時期がとても長かったんだ。自分のスキルを磨いたともいえる。でも、それは楽器とのつながりではなく、自分自身とのつながり、そしてそれを弦と指板のでどう表現するかということなんだ。もちろん、楽器に個性を持たせることはあるよ。でも、長年にわたってツアーに出たり、演奏したりしてきた結果、私が身につけたもの、そして今も身につけ続けているものは、楽器の上で、自分の内耳とつながることなんだ。それは、即座に創造的な表現ができるようになることと言い換えてもいいだろうね」
Vai が演奏するときの仕草や表情はとても印象的です。
「何年も前から、自分にはちょっと風変わりな動きやおかしな表情があることに気づいていて、それを叩かれることもあった。なぜ、そんな動きをするんだ?どうしてそんな変な顔をするんだ?(笑)。でも、やめられないんだよ。勝ってにそうなってしまうんだ!だから、数年前にそれに身を任せたんだよ。なぜなら、自分の自然な傾向に身を任せるって、本当に自分自身であることだし、それはとても気持ちのよいものだから。実際のところ、批判する人たちにエサを与えない限り、彼らは君に対して何の力も持たないよ。私は馬鹿にするのが大好きな人たちに、そのエサを与えてしまった。そんなことをしていたら、肝心なことを見逃してしまうよ。だから、もう今の私にとって重要なのは、楽器や観客、自分の身体とのつながりを、自然に感じられるようにすることなんだ。そして、もうそれについて言い訳はしない。それがありのままの姿だから(笑)」
かつて、Steve Vai は12時間ぶっ続けで練習をしている、なんて噂がありました。
「よく自分の練習や規律について質問されることがあるんだけど、正直言って、何もないんだよ(笑)。やりたくないことはできないからね。重要なのは情熱さ。情熱は、規律よりもはるかに優れた創造のエンジンだから。規律というのは、何かをしなければならない、苦労しなければならないということを意味する。”やりたくないことでも、絶対にやるんだ!”、誰が何と言おうと、私はそんなやり方が嫌いだよ。ここに座って2時間音階の練習をする、それが私の鍛錬だとか、私はそんな風に思ったことはないんだ。ただ自分にとって、ギターから離れることが、唯一、規律を必要とする時だったといえるね。ギターの技術やエクササイズを演奏し、30時間のワークアウト、それは喜びでしかなかったよ。好きでなければ、そんなに長い時間座ってギターを弾くことはできないからね。他のことはすべて気晴らしで、ギターが一番。なぜだかわからないけど、そういうものなんだよね。
自分自身のユニークな創造性に、自然で熱狂的だと感じられる時だけ、情熱を味わうことができるんだ。幸せをつかむためには、”偉大でなければならない”、”成功しなければならない” と信じるプレッシャーやストレスから君を解放してくれる、本当に素敵な鍵が必要だ。自分自身の創造的な喜びを表現すること。それが鍵なんだよ。そして、成功はその結果で、オマケでしかない。プリンスやボウイ、あるいはベートーベンといった偉大な芸術家を見ればわかるよね?」
とはいえ、手癖と楽しいだけでは上達しないのも事実でしょう。
「もちろん、自分の情熱のためには、ある種の規律を用いなければならないこともあるよ。ヒドラの後ろに座ったときもそうだった。訓練は必要だったけど、そのビジョンは情熱的で、達成できるとわかっていたんだ。自分の手の届かないところにあるアイデアに触発され、でもがんばればそれを手に入れられるとわかっているとき、君ならどうする?それは、宇宙が君のために特別に作り上げた本物のアイデアなんだよ。幸せになるために到達しなければならないと信じていることを、未来に先送りしてもしかたがない。今が不幸なら、いつになったら幸せになれるというんだい?幸せになれるのは、今だけなんだよ。もし君がギターを弾いていて、自分の音楽が好きならば、名声や成功への希望をすべて捨てて、今まさに演奏している喜びに全神経を注げば、それこそが成功へ邁進する創造のエンジンなんだよ」
それでも、若いギタリストにはある種の “手引き” が必要でしょう。
「”Alien Guitar Secrets” というライブストリームをやっている。そこでは音楽やギターについて、一般のギタリストが興味を持ちそうなことをすべて話しているんだ。もう一つのライブストリーム、”Under it all” では、スケールやその他のものよりも、自分自身について理解することがより重要だといった、心理的なものに焦点を当てているんだ。自分の欲求や能力など、自分自身についてどう感じているかということが、すべてに優先するからね。そして、その感じ方は、音楽家を前進させ、育成し、進化させる上で最も重要なもの。すべては、君が頭の中で自分に言い聞かせる言葉の中にあるんだからね」
“Inviolate” のツアーに私たちは何を期待すればよいのでしょう?
「ライブに来た人たちに体験してほしいのは、ただ楽しい時間を過ごしたい、楽しませたいという人たちと同じ環境に身を置くこと。音楽と完全に一体となったバンドを見ることができ、興味深く、魅力的で、楽しく、美しいメロディーを奏でるパフォーマーを見てほしい。それが、私が望む体験だよ。ショーにかんしては、もし自分が観客としてショーを見ていたらどんな感じだろう、自分が見たいもの、感じたいもの、体験したいことは何だろう、と想像しながら作るのが好きなんだ。音楽に関して言えば、今回のツアーでは、過去のセットリストを洗い直すことができる。”For the Love of God”, “Tender Surrender”, “Bad Horsie” など、みんなが聴きたいと思っている曲をいくつか、それから、カタログの中から演奏したことのない曲を入れたいと思ってるんだ。リストの中の1曲は “Dyin’ Day”(1996年の “Fire Garden” 収録、オジー・オズボーンとの共作)という曲で、一度も演奏したことがなくて、ずっとやりたいと思っていたものさ。ライブではダイナミックな流れを作ろうと思っているから、重いノイズばかりではなく、眠いバラードばかりでもなく、エネルギーを生み出したいね」
“Passion and Warfare”(1990年)は今も名盤として高く評価されている一枚です。
「とても光栄なことだよ。本当にとてつもなく光栄なことだし、稀有な存在だからこそ、それに対する評価も高いんだ。ある特定のジャンルにぴったり符号するレコードは、たとえそれが古くて名盤であっても、若い人たちでさえ少なくともチェックする必要があると見てくれるんだ。若いギタリストの中には、”Steve Vai はあまり好きじゃないけど、このレコードは名盤と言われ、みんな素晴らしいと言っているし、ウィキペディアを見ても素晴らしいと書いてあるから、とにかくチェックしてみようかな” と思う人もいるかもしれないね。だから、そういう人たちがチェックすることで、必然的にその価値を理解してくれるなら、ネットもいい場所だよね」
そして、”Windows to the Soul”(”The Ultra Zone” 収録)は、今でも Vai にとって特別な一曲です。
「私のカタログの中の多くの楽曲は、他のアーティストの楽曲よりも私の心に触れる。それはたいてい、レコーディングしているときに、自分がつながっていたからなんだ。すべての要素が一緒になっていたからね。サウンド、メロディ、ソロ、フレージング。そのつながりの深さが、効果を持続させるんだ。その曲を聴くと、その曲とのつながりが聴こえるからね。ストーリーがあり、波があり、流れがある。今までやったことのないようなテクニックも入っている。もうひとつ、僕にとって本当に特別な曲、おそらく最も革新的な曲だと思うのは、”Modern Primitive”(2016年)の “And We Are One” だね。あれがソロなんだよ、私にとっては。独特で、全部メロディで、全部フレージングなんだ。あそこでやったことには、聴いたことがない要素がたくさん含まれていた。とても繊細だ。でも、それが好きなんだ。このような小さな変化は、私にとって小さな秘密となり、時には他の人がそれを発見することもあるんだよ」
“For the Love of God” で使用した Ibanez Universe はプリンスに贈られました。
「私はプリンスが大好きで、大ファンだったんだけど、彼が7弦を持つべきだと思ったんだ、彼が7弦を使って何かするのを見たいから。どのギターを何に使うかなんて考えもしなかったよ。何本も持っていたから、言ったんだ。”彼に7弦をあげたいんだ。あれはどうだろう?” ってね。それが “For the Love of God” を弾いたものだとも知らなかったんだ。でもいいんだ、彼はとても親切で、とても感謝してくれて、こう言ったからね。”今度、みんなが送ってくれたギターを置く部屋を作るから、そこに置くんだ”ってね。最高だったよ」
彼は “Tender Surrender” をカバーしたそうですが?
「確かそうだったと思う。それか “Villanova Junction” (Jimi Hendrix) か。あまり自信はないんだけど。CDの箱には ‘Tender Surrender’ by Steve Vai と書いてあって、彼は最初のヴァースを何度も何度も弾いているんだけど、私にはジミのように聞こえるんだ。でも、どうだろうね」
Yngwie Malmsteen、Zakk Wylde、Nuno Bettencourt, Tosin Abasi と行ったGeneration Axe ツアーはどう受け止めているのでしょう?
「私のお気に入りだよ。彼らは兄弟みたいなもので、ツアーでは本当に楽しい時間を過ごしたよ。彼らは完全にプロフェッショナルだ。いい意味で非常識で(笑)、みんな自分の仕事に自信を持っていて、長年にわたって究極の形で結果を出してきた。バンドやソロ・プロジェクト、その他もろもろを離れて、ただ外に出るという素晴らしい機会なんだ。簡単な仕事だよ。あの人たちと一緒にいるだけで、とても楽しいよ。みんな大好きだし」
Frank Zappaと共演した時期は、その後のキャリアにとってどのように役だったのでしょうか?
「Frank と一緒に仕事をしていたとき、私はとても若かったんだ。だから、とても観察力が鋭かった。彼のやることなすことすべてを見ていたから、その後の自分行動の多くは Frank を見ていたことに起因しているんだ。彼の仕事の進め方を見ていたんだ。Frank はいつも公平で、人をだましたり、嘘をついたりすることはなく、正直で、いつもクリエイティブだった。すべてがクリエイティブになるチャンスだった。彼はいつも賢くて機知に富んでいた。フランクの口から何が出てくるかわからないけど、みんながそれを待っていた。彼は、自分の仕事に完全に専念していた。私が Frank から得たものの中で、私のキャリアに深く関わっていると思うのは、彼が自由な思想家であったということ。彼は、他人の信念や恐怖心に縛られることなく、自分の考えで真っ直ぐ進んでいたんだよ。だから、私は思ったんだ。”これこそ、音楽をやる方法、やりたいことをやる方法だ” とね。
また、Frank はビジネス面でも、ミュージシャンとして自分を守る術を心得ていて、私も多くを学んだよ。スタジオについても、編集やレコーディングのやり方など、すべて彼を見て学んでいった。つまり、数値化できないんだ。18歳のときに Frank のテープ起こしを始め、20歳のときにバンドに加わり、3年間一緒にツアーをし、常にレコーディングをしていたからね。その年頃はとても感受性が豊かだから」
Eddie Van Halen も Vai にとって重要な人物です。
「素晴らしい思い出がいくつかある。ある時、ソフトボールをやっていて、その時に初めて彼の兄(Alex)に会ったんだけど、彼はとても印象的な男で、彼の奥さんと私の子供も一緒に遊ぶようになったんだ。Eddie の家に行った時、スタジオを見せてもらったんだけど、彼があるアンプを指差して言ったのを覚えてる。”あのアンプを見ろ、あのヘッドでデビュー・アルバムの全曲を録音したんだ、2曲は除いてな”ってね。それから全然知らない曲のテープにあわせて演奏を始めた。私はこの曲を聴いて、こう言ったんだ。”これはすごいぞ!” ってね。つまり、彼がバンドでやっていたこととは似ても似つかぬものだったんだ。もちろん、彼のタッチは入っているんだけど、いくつか素晴らしい曲を聴いて、私はこう言ったんだ。”ソロのレコードを作ったらどう?” ってね。だけど、それは彼の趣味じゃなかった。彼が好きなのは “VAN HALEN のために作ったギター・パートが自分のソロ・レコードだ” というやり方だったからね。彼はそんな風に思っていた。
もうひとつ、Eddie との素晴らしい思い出がある。私は自分のスタジオで、ギターとペダルとスピーカーとアンプを使ってレコーディングしていたんだけど、Ed が入ってきたんだ。私たちはぶらぶらしていて、ただ話をしていたんだけど、彼が今やっていることについて話してくれて、私のギターを掴んで弾き始めたんだ。それは驚くべきことだった。まさに Ed の音で(笑)、私は思ったんだ。”俺の機材を使って、よくもまあ、完全に VAN HALEN な音を出してくれたな!”ってね。すべては自分の頭の中にあるということを、改めて認識する機会になったよ。結局、大事なのは機材でもなんでもないんだよ。もちろん、一部はそうなんだけど、自分のサウンドの大部分は自分の頭の中にあるんだよ。自分の頭の中で、物事がどのように聞こえているかということなんだ。Ed が私のスタジオで、私の家で、私の機材を使ってギターを弾いたとき、それがはっきりとわかったんだ」
アコースティック・アルバムの制作も行われているようですね?
「まだ完成には遠いんだけど。パンデミックの時に始めたんだ。15曲あって、そのうち13曲はシンプルなアコースティックギターで録音したんだ。それからボーカルを始めたんだけど、途中から肩の手術を受けなければならなくなったんだ。手術が終わってから、演奏ができるようになるまでしばらくかかった。その頃には、ツアーに出て、ロック・インストゥルメンタルのアルバムをサポートしたいと思うようになっていた。だけど、アコースティックと歌のツアーをいつかやるかもしれない。絶対にないとは言えないよ。Jeff Beck は80年代にフィンガーピッキングを始めた。彼は40歳の時に、これだけの名盤を残していながら完全に奏法を変えたんだ。人生はこれからだよ」
Steve Vai の創造性は尽きることがありません。
「あからさまにクリエイティブというわけではないよ。でも、自分の心に響く創造的なアイデアは必ず実現できる、それを邪魔するものは何もないという確信があるんだよね。多くのクリエイティブな人たちは、自分の熱意を信じていないんだよ」
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH CHERI MUSRASRIK & DEREK WEBSTER OF SUCCUMB !!
“Including a Song About The Boxer Rebellion Was a Personal Choice Though It Does Have a Tie To The Album In Its Being Against Westernization And Christianity In Their Rejection Of Ancestor And Nature Deity Worship.”
DISC REVIEW “XXI”
「私には、リアルな部分でとても男性的な面があって、それが演奏するときに姿を現すことは認めるわ。そうやって生の感情や暴力的な態度を表現する自由があることに感謝しているのよ。ただ、ジェンダーを考慮することで私は男性と女性の興味深いダイナミクスを加えることができるわけだけど、だからといってジェンダーを考慮することが常に必要だとは思っていないわ」
人生の選択、クリエイティブな仕事をする上での選択、音に対する選択にかんして、SUCCUMB のボーカリスト Cheri Musrasrik は女性であることに囚われることはありません。それ以上にもはや、エクストリーム・メタル界の女性をめぐる会話は少し陳腐だと言い切る彼女の喉には、性別を超越した凄みが宿り、”The New Heavy” の旗手としてアートワークの中性神のように自信と威厳に満ち溢れています。
「ベイエリアとカナダのシーンから受けた影響を否定することはできない。この2つのシーンに共通しているのは、彼らは常にそれぞれのアートを新しい領域に押し上げる努力をしているということだよ」
超越といえば、SUCCUMB の放出するエクストリームな音像もすべてを超越しています。ベイエリア、カナダというヘヴィな音楽のエルドラドを出自にもつメンバーが集まることで、SUCCUMB は突然変異ともいえる “The New Heavy” を創造しました。洞窟で唸るブラストビートと野蛮なデスメタルから、ハードコアの衝動と五臓六腑を締め付けるノイズまでスラッシーに駆け抜ける SUCCUMB の “エクストリーム” は、最新作 “XXI” においてより混迷の色合いを増し、くぐもっていた Cheri の声を前面に押し出しました。同時に、BRUTAL TRUTH や NAPALM DEATH のようなグラインドコアから、フューネラル・ドゥームの遅重までエクストリームなサブ・ジャンルを網羅することで、遅と速、長と短、獰猛と憂鬱をまたにかける不穏な混沌を生み出すことに成功したのです。
「様々なジャンルのある種のお決まりをコピーペーストするだけでは、あまりにあからさまだし、必ずしも素晴らしい曲作りになるとは限らない。その代わりに、僕たちはそれらの異質なサウンドの間に存在する音の海溝を掘り下げようとしているんだ」
とはいえ、SUCCUMB の “クロスオーバー” は単なる “いいとこ取り” ではありません。だからこそ彼らの発する “無形の恐怖” はあまりに現代的かつ唯我独尊で、基本的はよりアンビエントで実験的なアーティストを扱うレーベル The Flenser にも認められたのでしょう。そう、このアルバムにはリアルタイムの暴力と恐怖が常に流れているのです。その源流には、環境破壊や極右の台頭、世界の分断といった彼らが今、リアルタイムで感じている怒りがありました。
「義和団の乱を選んだのは個人的な選択だけど、祖先や自然の神への崇拝を否定する西洋化やキリスト教に反対しているという点では、このアルバムの趣旨と関係があるのよね。私は太平洋の小さな島の出身なんだけど、その島は恐ろしい宣教師と彼らの間違った道徳によって、固有の文化や習慣の多くが一掃されてしまったの」
アルバムの中心にあるのは、自然や大地を守っていくことの大切さ。アルバム・タイトル “XXI” は21番目のタロットカード “The World” を指し示していますが、正位置では永遠不滅、逆位置では堕落や調和の崩壊を意味するこのカードはまさに SUCCUMB が表現したかったリアルタイム、2021年の “世界” を象徴しているのです。
特に、義和団の乱を扱った “8 Trigrams” には彼らの想いが凝縮しています。中国の文化や貿易だけでなく、自然崇拝や宗教まで制圧し植民地化した列強と、それに激しく対抗した義和団。中でも、道教の自然や四元素へのつながりと敬愛を基にした八掛結社は、先住民の文化や習慣を抑圧し軍事基地や核実験の場として使用された太平洋の島を出自にもつ Cheri にとっては共感をせずにはいられない歴史の一ページに違いありません。そうして、世界がまた抑圧を強いるならば、私たちが音楽で義和団になろう。そんな決意までも読み取れる壮絶な7分間でアルバムは幕を閉じるのです。
今回弊誌では、太平洋の島からベイエリアに移住した Cheri Musrasrik とカナダ出身 Derek Webster にインタビューを行うことができました。「90年代は音楽業界で “成功する” 可能性についての妄想を捨てるというメタル界の考え方の変化により、多くの実験が行われたんだよ。アーティストが自分たちのサウンドを進歩させるために外部のインスピレーションを求めるようになり、その結果、TYPE O NEGATIVE などのバンドが大成功を収めることになったように思えるね」どうぞ!!
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH CONNIE SGARBOSSA OF SEEYOUSPACECOWBOY !!
“The Romance of Affliction” Is The Satirical Side As a Call Out To The Romanticization Of Things Like Mentel Health Struggles And Addiction That I Feel Aren’t Things To Be Romanticized Cause I Live With It And Its Not Something Anyone Should Look At Positively.”
DISC REVIEW “THE ROMANCE OF AFFLICTION”
「このアルバムでは、バンドを始めたばかりの頃に持っていたカオスや奇妙さ、それに生意気さや皮肉を取り戻したいと思っていたの。その予測不能な奇妙さにメロディと美しさを融合させられるかどうか、自分たちに挑戦したかったのよね」
混沌と厳しさと審美の中で生きる宇宙のカウボーイが放った最新作 “The Romance of Affliction”。EVERY TIME I DIE の Keith Buckley、UNDEROATH の Aaron Gillespie、If I Die First、そしてラッパー Shaolin G といった幅広いゲストが象徴するように、この苦悩のロマンスではデビューLP “The Correlation Between Entrance and Exit Wounds” で欠落していた初期の混沌と拡散、そして予測不可能性が再燃し、見事に彼らの美意識の中へと収束しています。ドロドロと渦巻くマスコアの衝動と、ポスト・ハードコアの甘くエモーショナルな旋律との間で、両者の軌道交わる最高到達点を目指した野心の塊。
初期のEPと数曲の新曲を集めた “生意気” に躍動するコンプ作品 “Songs for the Firing Squad” と比較して “Correlation” は暗く、悲しく、感情的に重い作品だったと言えるでしょう。それはおそらく、ボーカル Connie Sgarbossa の当時の状況を反映したものでした。重度の薬物依存性、体と心の不調、そしてそこに端を発する人間関係の悪化。大げさではなく、オーバードーズで死にかけたことさえありましたし、友人は亡くなりました。
「多くの依存症者は、社会的な汚名を被ることを恐れてそれを口にすることができず、一人で苦しみ、不幸にも人生を壊してしまうか、ひどい時は死んでしまう。私は、この汚名を少しでも払拭し、人々が一人で負担を背負う必要がないと感じられるように、この問題について話し助けを与えることができるようにしたいのよ。誰かがオーバードーズで亡くなった後にはじめて、その人が薬物の問題を抱えていたと知ることがないようにね」
Connie は今も依存症と戦い続けています。最近では、SNS で自身が重度の依存症であることを明かしました。それは、依存症が一人で抱えるには重すぎる荷物だから。同時に自らが悲劇と地獄を経験したことで、薬物依存が映画の中の、テレビの中の、クールなイメージとはかけ離れていることを改めて認識したからでした。
「メンタルヘルスや依存症といったものがロマンチックに語られることに警鐘を鳴らす意味があるの。私はそれを抱えて生きているからこそ、肯定的に捉えてはならないものだと感じているのよ」
自分のようにならないで欲しい。そんな願いとともに、”The Romance of Affliction” は Connie にとってある種セラピーのような役割も果たしました。音楽に救われるなんて人生はそれほど単純じゃないと嘯きながらも彼女がこれほど前向きになれたのは、弟の Ethan 以外不安定だったバンドの顔ぶれが、オリジナル・メンバー Taylor Allen の復帰と共に固まったことも大きく影響したはずです。そしてそこには、KNOCKED LOOSE の Isaac Aaron のプロデューサーとしての尽力、貢献も含まれています。
依存症者が依存症者に恋をするという、三文オペラのような筋書きの、それでいて興味を示さずにはいられないオープナー “Life as a Soap Opera Plot, 26 Years Running”。Connie はこの曲で、ドラッグやセックスに溺れる依存症の実態を描き、「みんなは結局こういう話が好きなんでしょ?でもそんなに良いものじゃない」 と皮肉を込めてまだまだ緩い、炎の中で燃えたいと叫び倒します。まるでパニックのような激しいギターとスクリームの混沌乱舞は、あの FALL OF TROY でさえ凌いでいるようにも思えますね。
“Misinterpreting Constellations” や “With Arms That Bind and Lips That Lock” では、今回バンドが追い求めた予測不能と予定調和の美しき融合が具現化されています。狂気の暗闇を縦糸に、メロディックな光彩を横糸に織り上げたカオティック・ハードコアのタペストリーはダイナミックを極め、3人のボーカリストがそれぞれ個性を活かしながら自由にダンスを踊ります。もちろん、ジャズ、メタルコアのブレイク・ダウン、唐突のクリーン・トーン、本物のスクリーム、そしてデチューンされたギター・ラインが混在する “Anything To Take Me Anywhere But Here” を聴けば、彼らのアイデアが無尽蔵であることも伝わるでしょう。
重要なのは、宇宙のカウボーイが、往年のポスト・ハードコア、メタルコア、マスコアのサッシーなスリル、不協和音、エモポップのコーラス、メロディックな展開に影響を受けつつ、人間らしさを失わずに洗練されている点でしょう。Connie の想いが注がれたおかげで。
今回弊誌では、Connie Sgarbossa にインタビューを行うことができました。「カウボーイ・ビバップ” のエンドカードとフレーズは私にとって常に印象的で、私はずっとあのアニメのファンでもあったから名前をとったのよ」 どうぞ!!
SEEYOUSPACECOWBOY “THE ROMANCE OF AFFLICTION” : 9.9/10
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH BRANDON CRUZ OF SO HIDEOUS !!
“Why Waste Opportunity Trying To Do Laurestine or Last Poem Part 2 The Sequel To Please a Small But Loud Subset Of Closed Minded Internet Message Board Music “purists” Clinging To The Past? That’s a Terrible Way To Live.”
DISC REVIEW “NONE BUT A PURE HEART CAN SING”
「アルバムをリリースするのは、自己表現という意味では一生に数回しかないチャンスだ。なぜ “Laurestine” や “Last Poem” の Part 2 みたいな “続編” を作って、インターネット掲示板で少数だけど喧しい “音楽純粋主義” 集団を喜ばせなきゃならないのか?それはひどい生き方だよ」
例えば政治であれ、例えば社会であれ、例えば音楽であれ、純粋さが失われた現代において、真っ直ぐに愛する音楽を奏で、正直に言葉を紡ぐ SO HIDEOUS がいなければ、世界はさらに “とても醜い” ものになってしまうでしょう。
「このバンドは基本的に “エクストリーム・ミュージック・コミュニティ” に向けて売り出されていて、彼らは実際に “極端な” 音楽と呼ばれる音楽を掲げているにもかかわらず、最も保守的なリスナーであることが多いんだよね。どのジャンルやレーベルの下で活動すべきかということに非常に固執し、それを武器にバンドに牙をむいたりね。そんなのクソくらえだよ」
SO HIDEOUS が長い休止期間を経て戻ってきたのは、ポストブラックやブラックゲイズといったジャンルの掟を踏襲するためでも、プライドだけが肥大化したファンという名の何かを満たすためでもなく、ただ自由に望んだ音楽を追求するため。前回のインタビューで Brandon 自らが “コンサート・ホールでシンフォニーが奏でるような完全で妨げる余地のないリスニング体験” と呼んだ、きらびやかで感情的、そしてオーケストレーションを極めた傑作 “Laurestine” さえ過去にする最新作 “None But A Pure Heart Can Sing” には、メタル世界で最も想像力に富んだバンドの野心と矜持と反骨が詰まっているのです。
「叙情的なオーケストレーションではなく、リズムに根差した曲を演奏するのがとても自由なことに思えたんだ。Mike、DJ、Kevin が活動してきたバンドやプロデュースしたバンドに人々はこだわると思うんだけど、実際のところ、彼らはマス/ポストカオティック・ハードコアとか、そういうジャーナリストによって入れられた箱よりもずっと多様なミュージシャンなんだよ」
ポスト・ハードコアの混沌をリードする THE NUMBER TWELVE LOOKS LIKE YOU のリズム・セクション Mike Kadnar と DJ Scully の参加、そして THE DILLINGER ESCASE PLAN の Kevin Antreassian のサウンドメイクは、結果として SO HIDEOUS の宇宙を果てしなく拡げる重要な鍵となりました。獰猛と静寂の邂逅。整合と混沌の融合。
「このバンドのメンバーは、LITURGY と Hunter Hendrix の作品をとても楽しんでいて、絶大な敬意を払っているんだ」
オーケストラやシンフォニックな要素を取り入れている点で SO HIDEOUS は同じニューヨーク出身の LITURGY にも似ています。さらに今回、彼らはより多くのリズムを求めて、フェラ・クティやトニー・アレンのアフロビート、ジェームス・ブラウンのホーン・セクション、オーティス・レディングやサム・クックのバラードなど色彩を多様に吸収して、雅楽までをも抱きしめる LITURGY の哲学に一層近づきました。ただし大きな違いもあります。LITURGY が “超越したブラックメタル” を追求するのに対して、SO HIDEOUS はもはやブラックメタルのようにはほとんど聞こえません。
「以前は、”Screaming VS Orchestra” というシンプルなバンドの “アイデア” にこだわっていたように思うんだよね」
アルバムは、CONVERGE, CAVE IN, ENVY あるいは THE DILLINGER ESCAPE PLANE のようなポスト・ハードコア、メタルコア、マスコアのスタイルにはるかに近く、ブラックゲイズの慣れ親しんだ荘厳とは明らかにかけ離れています。重要なのは、彼らがネオクラシカルなサウンドとこの新しいポスト・ハードコア/メタルコアのスタイル、そして中近東からアフリカに西部劇まで駆け巡るワールド・ミュージックとの間に絶妙な交差点を見つけ出した点で、ストリングスとホーンの組み合わせがヘヴィーなリフと無尽蔵のリズムを際立たせ、苦悩から熱狂を創造する “The Emerald Pearl” の緊張感と即興性はアルバムを象徴する一曲だと言えるでしょう。
今回弊誌では、Brandon Cruz にインタビューを行うことができました。「僕がギターを弾いているのは、Envy の 河合信賢と MONO の Taka Goto のおかげなんだよ。僕は彼らを恩師だと思っていて、彼らの音楽には人生で永遠に感謝し続けるだろうね」 ニ度目の登場。どうぞ!!
SO HIDEOUS “NONE BUT A PURE HEART CAN SING” : 10/10