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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【MDOU MOCTAR : AFRIQUE VICTIME】


COVER STORY: MDOU MOCTAR “AFRIQUE VICTIME”

“I’m Not Calling Anyone To Provoke War, But I Am Calling The Whole World To Stand Up And Revolt Against The Conditions We Face. We Don’t Have The Technology Here In Niger To Manufacture Weapons, So How Are They Entering The Country? Why Are Other Nations Storing Tools Of War On Our Land? France, The US, NATO – They’re All Complicit.”

TEARS OF SAHARA

Mdou Moctar の人生は見えない運命に導かれているようです。彼の物語は、縺れ合う巨大な糸の塊のようであり、その中には何度も立ち止まり、また歩みを進める場所があるのです。
Mdou は80年代半ば、ニジェール南西部の町アバラックで生まれました。彼は、ニジェールの人口の約10%を占める、サハラ砂漠に住む歴史的な遊牧民であるトゥアレグ族の一人。青衣の民、トゥアレグの文化では、音楽はコミュニティの根幹であり、解放の道具であり、闘争からの解放でもあります。しかし、Mdou の宗教的な両親は、彼が創造的に探求することを拒みました。それでも彼は、自転車のワイヤーと廃材を使って最初のギターを手作りし、左手で弾き語りを始めたのです。
その後、トゥアレグ族の伝統的な歌に、隣国ナイジェリアで流行していたドラムマシンやオートチューンを融合させるという新境地を開拓した Mdou。そうして2010年代初頭には、彼の曲のラフ・レコーディングはサハラ砂漠を吹き抜ける幻の風のように、Bluetooth やメモリーカードを介して携帯電話から携帯電話へと侵食していったのです。
これに興味を持ったのが、旅するアメリカ人ブロガーで音楽学者のクリス・カークリーでした。1億人に1人の才能を聴いていると確信したカークリーは、何年もかけて彼を追跡し、Mdou のためにあつらえた左利き用の漆黒のギターを背中に背負って砂漠を自転車で走りつづけました。ミッションは成功します。
2013年から2015年にかけて、Mdou から大量のアルバムが生み出され、カークリーのレーベル Sahel Sounds から世界中にリリースされていきます。時を同じくして、”Purple Rain” のセミオマージュフィルムが制作されます。この作品は、トゥアレグ族の言語であるタマシェック語で撮影された歴史上初の長編作品。カークリーは、Mdou と Prince のカリスマ的な類似性を引き出すことを意図しましたが、1つだけ問題がありました。タマシェック語には「パープル」という言葉が存在しなかったのです。
そうして2015年に公開されたのが、音楽ドラマ “Akounak Tedalat Taha Tazoughai”(訳注:『青の色の雨に少しの赤が混じっている』)でした。この映画はカルトヒットとなり、その後5年間 Mdou のカレンダーを海外ツアーの日程で埋め尽くしました。1980年代の Prince の全盛期に一緒に演奏したリサ・コールマンは、この比較はまったくもって正当であると後に語っています。
こうした伝説をまとめると、マハマドゥ・スーレイマン(Mdou は省略されたニックネームで、Moctar または Mokhtar はアラビア語で「選ばれし者」を意味する)は、アフロビートの父、フェラ・クティのような西アフリカの神話的ミュージシャンと肩を並べる、そんな期待感が渦巻きます。

ただし、Mdou Moctar は神話ではなく一人の人間です。彼は現在、タホアの街に住み、働く男で、彼の仕事は音楽だけではありません。
「アルバムを出すたびに井戸を掘っている。ニジェールでは水の確保が大きな問題になっているんだ。だから村々をまわって、援助を買って出ているんだよ。女性が現地でどのような扱いを受けているか確かめ、医療の改善を促し、家族の中における父親のような存在になりたいと思っているんだ」
世代を超えた才能を持つ Mdou ですが、つまり彼の現実は Prince やフェラ・クティのような大物とは大きく異なるのです。クティは、母親が女性の権利擁護の先駆者であり、1980年代には処刑の脅威にさらされ、ラゴスの警備された屋敷で活動する必要があったといいます。Prince のペイズリー・パークは、それ自体が要塞でした。
Mdou は、タホア、アガデス、そしてその他の地域で、意欲的なミュージシャンの間では大きな影響力を持っていますが、彼は普通に人々の間を歩いています。結婚式のセレナーデを彼に依頼したり、小額で彼の車を借りたりすることも可能。
30代になる以前、Mdou は西洋のロックンロールを知りませんでしたが、エディ・ヴァン・ヘイレンのような新旧の人気バンドの演奏を吸収して以来、彼のテクニックはさらに大胆になっています。フレットを指で叩いても、親指と人差し指をボディに当てて振動させても、噴出する太陽フレアのように音が炸裂し、ファズは空中にそびえ溶けていくのです。
Mdou の演奏は、色、進化するリズム、豊かなメロディーが織りなす変幻自在のライオットと言えるでしょう。それは、エレクトリック・ギターに潜む無限の可能性を思い出させてくれるものであり、錆びついたペンタトニック・シェイプや退屈なロックの決まり文句から新しい血を搾り取ろうとして行き詰るプレイヤーへの解毒剤でもあるのかもしれませんね。
彼の喜びに満ちた現代的なフィンガースタイルの演奏は、砂漠のブルースやトゥアレグのギタースタイルと、ウェスタンロック、サイケデリア、ジャズの要素を融合させています。彼の評価は、サヘル(サブサハラ)のギター音楽を代表する一人というだけでなく、世界で最も優れた、そして間違いなく最も表現力のあるギタリストの一人であるというコンセンサスが徐々に形成されつつあるのです。

2019年の “Ilana: The Creator” によって Mdou はより多くの人に知られるようになりましたが、最新作 “Afrique Victime” は彼をさらに一段推し進めることになりそうです。インディーレーベル Matador からリリースされたこのアルバムは、フランスとアメリカの帝国主義に対する痛烈な反撃であり、ニジェールでの天然資源の略奪に反発する一方で、砂漠の生活の美しさを主張しています。前作 “Ilana” は、この異文化間の抱擁の結果として生まれた作品でした。アメリカで録音されたアルバムは、ニジェールの砂漠からミシシッピ・デルタを経て、西海岸の太陽の光を浴びた海に足を踏み入れるまでの、激しいサイケ・ロックの旅。一方で今回のアルバム “Afrique Victime” は、Mdou の祖国とアフリカ大陸に対する感情を極限まで表現しています。帝国の崩壊や政情不安の中で耐え続けている苦しみを訴えるものから、愛する人や故郷であるアガデス地方での優しい満足感に浸るものまで。つまり、最も直接的で政治的なアルバム。
「僕は自然の中で見たものや、もちろん自分の周りで起きている最近の出来事からインスピレーションを受けて作品を作っている。だから、作品を作った時期によっても内容は異なるよね。現在は、特にカダフィが殺されてからのアフリカの苦悩を強く感じているんだ。様々な国でテロが多発している。ボコ・ハラムのテロリストが毎日のように襲ってきているしね。そして、サヘルやアフリカ全体のさまざまな国で犯罪が起きている。
もちろん、それぞれの国にはより具体的な問題があり、事情は異なっている。ニジェールの場合は、砂漠でのテロリストの問題と、フランスとアメリカの軍事基地が設置されていることによる影響が大きいと思うんだ。他のアラブ諸国からも影響を受けているよ。例えば、最近ではアフリカの指導者イドリス・デビーが殺害された。彼はチャド出身のリーダーだったんだ。彼はテロリスト、特にボコ・ハラムと戦っていた。悲しいことに、彼はもういない」
“Afrique Victime” には、これまでで最も野心的でパワフルな演奏(タイトル曲のヴァン・ヘイレン風の驚くべきソロなど)が収録されていますが、もちろん “Ilana” 以前に磨いたアコースティックな作業をより多く取り入れているため、”Tala Tannam” のような繊細な演奏も封入されています。彼自身の言葉を借りれば、「初期の VAN HALEN と BLACK FLAG と BLACK UHURU」に近いもの。つまり、目の覚めるようなギターライン、新たな政治的怒りと、自分の土着の文化を代表し称えること。彼が挙げたアーティストの精神は間違いなくアルバムへと書き込まれています。

ただし Mdou は、自分の作品を意図した通りにプロモーションすることができていません。
「ツアーはしたいけど、今はあまり音楽に触れられないんだ。新しい生活に適応しなければならないから」
ロンドンからアガデスまで、飛行機で3回、バスで28時間かけて移動しなければならないことを考えると、ロックダウン中の移動は困難を極めます。2月下旬、選挙結果が争われたことで、ニジェールは一時的に不安定な状態に陥っていました。緊張を和らげるために(あるいは反対意見を封じ込めるために)、2週間ほどインターネットさえ使えなくなったのですから。
ブルックリン出身のプロデューサーで、Mdou のベーシスト Mikey Coltun。彼のふわふわの髪の毛とアメリカ訛りは、このバンドの中で明らかに異端児であることを示しています。父親が所有する西アフリカやアバンギャルドのレコードに精通していたMikey は、00年代後半 Sublime Frequencies の “Guitars From Agadez” シリーズに魅了され、10年以上にわたってマリやナイジェリアのグループで演奏してきました。2017年にMdouの初のアメリカ旅行を、ブッカー、マネージャー、ドライバー、そして万能のブースターとして促進した Mikey は、ライブでもベースを担当。そしてアメリカツアーが終わるとニジェールに来てトゥアレグ族として生活をはじめたのです。
「変わった状況に置かれるのが好きなんだ。トゥアレグの生活スタイルは信頼が第一で、みんなとても仲がいい。いつも何人もの人が一緒にいて、足を絡めたり、床に寝そべったりして、お互いに重なり合っている。自分の部屋に行って何かをしようというようなことがないんだ。プライバシーというものは、存在として非常に異なっているんだな。トゥアレグ族は、一人になる時間を利用して考え事をする。それはとても美しいことだよ」
Mikey は、パンデミックに見舞われる前、Mdou の3年間で500回以上のライブを行ったと推測しています。この4人組は1日に何組もの地元の結婚式をこなしていたのです。
「僕がアガデスに到着した最初の夜、僕たちは人里離れた茂みの中の結婚式に車で直行したことを覚えている。アンプや機材を水に浮かべて川から運び、セッティングして、演奏して、解体して……。僕はワシントンDCのパンクシーンで育ったから、このDIYのやり方はとても自然に感じられたんだ。コミュニティに馴染むためには、とにかくやってみることが一番なんだよね」
13年来のつきあいで、Mdou が弟と呼ぶリズムギタリスト Ahmoudou Madassane にとって、欧米に行くことは同胞のためにも重要でした。
「僕は、同志のサポートにとても個人的な思い入れがあるんだ。彼らが直面している問題や障壁は、僕も経験したことがあるから。欧米に行くことで得られるメリットを共有し、彼らの成長を支援したいんだよね」
グループには本物の親近感が漂っています。10代の頃にリビアを1週間かけて歩いたことが、十分な耐久トレーニングになったとMdouは笑います。Ahmoudou は、ジャック・ホワイトのサードマン・スタジオでのレコーディングの合間に、デトロイトのモータウン・ミュージアムを訪れたことを懐かしく思い出しながら、”音楽の歴史にとって重要な場所” を訪れるために、空いた時間を活用しています。
少年時代にひょうたんで演奏してリズム感を磨いた Souleyman にとって、Mdou は尊敬する人から、褒めてくれてジャムをしようと言ってくれる人、そして初めてニジェールの外に連れて行ってくれる人になりました。ドラマーは、「Mdou は私の兄弟だと思っている」と平然といってのけます。

バンドはトゥアレグ文化の大使であることを誇りにしています。彼らは、伝統的なタジェルムストを身にまとい、顔を覆ったり、ベールを肩に流したりしながら、プラム色、クリーム色、そしてこの地方で好まれるインディゴ色を交互に配したローブを着て演奏します。Mdou は、故郷に女子校を建設するための資金調達のために、トゥアレグ族のジュエリーを販売するマーチャンダイジングテーブルを設けています。
Ahmoudou の妹である Fatou は、Les Filles de Illighadad という素晴らしいバンドを率いています。このバンドは、厳格な家父長制の文化の中で活動する、画期的な女性フロントのバンドです。Ahmoudou は必要に応じてオンオフのマネージャーとギタリストを務めていますが、トゥアレグ族初の女性ボーカルバンド Les Filles de Illighadad が国外で人気を博しているのは Mdou の支援の賜物です。女性の権利の問題も、”Afrique Victime” が正面から取り組んでいるテーマなのですから。
「僕は多くの家族と話をして、できる限りの支援をしようとしているんだ。だけど特に遊牧民の家族の場合、女性を教育することを恐れているというのが、ニジェールでの大きな問題のひとつ。砂漠には良い高校がないから、女の子は一人で街に出なければならない。通常、両親は彼女を経済的に支えることができないので、彼女は食べることと家賃を払うことに苦労し、簡単に利用されてしまうんだよね。妊娠した女の子を退学させる学校の傾向が問題をより悪化させている。将来的にはより良い、より支援的な教育機会を提供できればいいんだけど」
親密なバンドは完全にコントロールされています。Mdou と Ahmoudou のリフに続く Mikey の変幻自在のグルーヴ、Souleyman は唇からタバコを垂らしながらドラムを叩いていきます。女性が前に出て月明かりに照らされながら踊り出れば、Mdouは、プリンスのように口角を上げて軽やかに彼女の方向に向かってホットステップを踏み、その後、ハチドリのようなスピードでソロを披露します。
「観客が僕のエネルギー源だということを、何年もかけて理解してきた。観客は僕に勇気を与えてくれ、普段は出せない音を出すことができる。ライブで起こったことは再現できないよ」。
「年配の、白人の、”ワールドミュージック” の観客を相手にしたショーをやったことがあるんだ(笑)。お金はいいかもしれないけど、僕らはいつもそんな場所からは離れていたいと思っていたんだ。”Ilana” や”Afrique Victime” では、BLACK SABBATH やZZ Topをよく聴いていたから、Mdou が実現したいサウンドや感覚は、まさに “クリーンだけど生々しい” というものだったよね」 そう Mikey は付け加えました。

Mdou は当初、歌詞に政治的なテーマを盛り込むことを拒み、代わりに都会に住むトゥアレグ族の若者たちにアピールする音楽を目指していました。”Afrique Victime'” はそのすべてを変えました。基本的にアルバム全体を通して、Mdou は汎アフリカ的な連帯感を表現し、周囲の人々に嫉妬を捨てて信仰を抱くよう呼びかけ、サハラの生活を広くロマンチックに描いています。
ただし、タイトルトラック “Afrique Victime” は、Mdou Moctar がテープに残した中で最も直接的な曲であり、恐るべきアートの反抗です。Mdou は、不安定さを助長する残存する植民地勢力を非難し、ネルソン・マンデラへの不当な扱いを非難し、フランス語でリフレインを繰り返します。
「アフリカは非常に多くの犯罪の犠牲者である/もし我々が黙っていれば、それは我々の終わり/兄弟たちは、アフリカのために何かをしなければならないのだ」
Mdou には伝えなければならないことがありました。
「僕はずっとフランスの統治システムが嫌いだった。フランス人を侮辱しているわけではないけど、政府が僕たちを人間ではないかのように扱うのは耐え難いことだよ。フランスの企業はニジェールのウランと金をすべて採掘しているけど、僕たちの問題は何も解決していない。僕は幼い頃からそれをずっと見てきたんだ。現代の奴隷制度、人種差別、植民地主義が合わさったようなものだよ。さらにこのニジェールでも、肌の色が濃いトゥアレグ族と薄いトゥアレグ族に分かれているんだから。肌の色が濃い人たちは最も力のない少数派で、僕は自分の特権を彼らと分かち合うことを大切にしている。具体的には、僕が利用できるお金のことだよ。だけど、人口の90%が電気を利用できないとしたら、こんなな状況でどうやって良い生活を送ることができるんだい?」
Mdou の声が熱を帯びていきます。
「僕は誰かに呼びかけて戦争を誘発しようとしているわけではないんだよ。”Afrique Victime” では全世界の人々に、僕たちが直面している状況に対して立ち上がって反乱を起こすよう呼びかけているだけなんだ。ニジェールには武器を製造する技術がないのに、どうやって武器が国内に入ってくるんだ? なぜ他の国は僕たちの土地に戦争の道具を保管しているんだろう?フランスもアメリカもNATOも、みんな共犯だよ。ここではみんな、フランスこそが真のテロリストだと言っているよ。なぜ彼らはここにいるのか?なぜだ?」
激しさは頂点に達します。
「アメリカは空から人を殺せるようになったのに、パイロットは砂漠に住む4000人のテロリストを排除できないのか?52カ国の影響力をもってしても、その問題を解決できないのか?どうして?!…それは彼らが我々を弄んでいるからだと思う。彼らは僕の仲間を弄んでいる」

アフリカで音楽が果たす役割についてはどう感じているのでしょうか。
「僕にとって音楽は武器。音楽があれば、僕の血涙のメッセージを全世界に向けて発信し、私の周りで起こっていることを語ることができる。それ以外の手段はないんだよ。
今のところ、僕の音楽が周りに大きな変化をもたらすことができたとは言えないけれど、いつかはそうなるかもしれないと思って期待しているんだ。たとえ変わらなくても、サヘルで何が起こっているかを人々が少なくとも知ることができただけでも、僕にとっては大きな収穫であり、非常に重要なことなんだ。だからこそ、このような状況に関するメッセージを発信する手段として、僕は音楽を選んだんだよ。
今日、物事はどんどん速く変化している。この種のメッセージを発信しているアーティストは僕だけじゃないよ。サヘル地域では、Tinariwen や Alpha Blondy などのバンドが同じように、革命のメッセージを発信している。みんながベストを尽くしているのだから、僕もその道を歩みたいし、最終的な目的は平和なのだから、そのための努力を続けたいよね」
何世紀にもわたって蓄積されてきた貧困と隷属を解消するだけでなく、Mdouが日々取り組んでいる重要な問題もあります。
「女性の権利も重要な課題だよ。病院の改善は必須だしね。いまだに砂漠の木の下で出産している人がいるけど、これはとても危険だよ。長期的には、すべての女性が学校に通い、自分で医者になったり、音楽の仕事をしたりする機会を持つべきなんだ。機会の平等こそが、現代生活の次のステップだと思っているから」
彼が資金提供していた学校は現在も建設中ですが、最近の市民運動の影響でいくつかの井戸が汚染されたり破壊されたりしているため、Mdou はまずそちらにエネルギーを集中させる必要があると考えています。
「僕たちがやっていることを通じて、情報を広めていきたいと思っているんだ。世界の権力者たちがこの話題に触れ、罪のない人々が無駄に苦しんでいることを真に受けなければ、変化は起こらないと思っているからね。ニジェールでは、電気、教育、食糧へのアクセスが少なく、それが国民を抑圧し続ける不平等なシステムを維持する重要な要因となっている。誰が善人で誰が悪人なのかを皆が知ることは非常に難しく、情報へのアクセスが厳重な秘密にされているんだよ」

国際的なツアーが再開されるたびに、Mdou とバンドを待ち受ける観客は、以前よりも彼の価値観を鋭く認識するようになり、必然的に多くの人が集まり知るようになるでしょう。マタドールは、ジュリアン・ベイカーや QUEENS OF THE STONE AGE などと並んで、”Afrique Victime” を2021年の優先作品として位置づけています。これは、Mdou の無限の可能性と、ますます揺るぎない意志、そして、増大する影響力を実質的な社会変革に結びつける予感を示唆しているのです。
それまでの間、Mdou Moctarはこの相対的な孤独を、自分自身を見つめ直すための時間とするでしょう。それは、彼の血の中にあるものだからです。
「僕の願いは、新しい世代の音楽家が繁栄し、発展し続けることなんだ。僕よりも若いアーティストには、近代化してもトゥアレグ族独特のスタイルを貫くようにアドバイスしている。僕が生きている間に、このメッセージが世界中に伝わっていることは、とても嬉しいことなんだ。長い間、僕の音楽は家ではちょっとしたジョークだと思われていたからね。自分が世界的なアーティストになる可能性があるとは思っていなかった。今でも頭の中では自分は初心者だと思っているよ。そして、それは永遠に変わらないと思うんだ」
特にアフリカでは、教育も重要な課題です。
「若い音楽家にとって最も重要なのは、演奏するための道具、つまり楽器を与えることだよ。ちゃんとしたギターとかね。ニジェールでそれを手に入れるには、旅をしている人が持ち帰るしかないんだから。国内では弦も買えないよ。もうひとつは、ニジェールには音楽学校がないということ。だから、その両方が必要なんだ。
音楽学校については、教え方というよりも、重要なのは彼らが集まり、好きな方法で自由に芸術的表現をすることができる場所を作ることだと思っている。ニジェールでは日常的にそうするのは非常に困難だからね。砂漠に行って演奏したり練習したりして、それが終わったら家に帰らなければならない。それが僕たちのやり方なんだ。音楽が嫌われる可能性があるという危険と、テロリストに狙われるという危険の両方があるからね。だから、彼らには洗練された楽器で演奏できる場所がどうしても必要なんだよね」
最後に、Mdou から若いミュージシャンへのアドバイスを記しておきましょう。
「必ずしも特定のテクニックについてアドバイスするわけじゃない。最近の若い人たちは、早く有名になりたいと思っている人が多いように感じるね。演奏を始めて1、2ヶ月もすれば、エディ・ヴァン・ヘイレンやジミ・ヘンドリックスのようになってコンサートに出られると思っている人もいるだろう。しかし僕は、自分のスタイルや曲を作るためには、時間をかけて努力しなければならないと思っているんだ。努力が必要なんだよ。急いでやろうとしても、正しいビジョンは見えてこないからね。
努力が報われ、努力があってこそ、素晴らしいものを生み出すことができる。だから、僕が一番言いたいのは、忍耐強く、ゆっくりとやることかな」

参考文献: DAZED Mdou Moctar: the shred star of the Sahara

NEW NOISE:Interview: Mdou Moctar, Desert Soul and the Sounds of Freedom

MUSIC RADER:Mdou Moctar: “My intention is for the guitar to be spitting out the sound of revolution”

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【BLACK COUNTRY, NEW ROAD : FOR THE FIRST TIME】


COVER STORY : BLACK COUNTRY, NEW ROAD “FOR THE FIRST TIME”

“Black Country, New Road Is Like Our Very Own ‘Keep Calm and Carry On’ Or Tea-mug Proclaiming That You Don’t Have To Be Crazy To Work Here But It Helps. It Basically Describes a Good Way Out Of a Bad Place. Excited People Sometimes Claim To Have Lived Near The Road And I Keep Having To Explain To Them That It Doesn’t Exist”

BLACK COUNTRY, NEW ROAD

英国最高のニューバンド、世界最高のニューバンド。デビュー作ですでに最高の評価を得て、将来が約束されたかのように思える BLACK COUNTRY, NEW ROAD。しかしこの独創的な、全員がまだ20代初頭の若者たちは地に足をつけて進んでいきます。
「せいぜい、10点中7点くらいの評価だと思ってたよ。誰もが好きになるわけはないからね。大抵、Twitter で音楽を発表しても、2割が熱狂し、5割が知らん顔、残りの3割が嫌うって感じでしょ?」
サックス奏者の Evans がそう呟けば、ベースHyde も同意します。
「私たちはただの7人のベストメイトで音楽を作っているだけなの。注目されることは名誉なことだけど、私はそれとはあまり関係がないのよ」
このケンブリッジシャー出身の7人組モダン・ロックバンドは、プレスの注目を浴びようとはしていません。彼らは結成してまだ2年半ほどしか経っていませんが、今のところプレス、マスコミの必要性を感じていないのです。なぜなら、ライブが、強烈な口コミの熱量を生み出しているからです。
今、南ロンドンのロック・ミュージック周辺で何かが勃発しています。ポストパンクやポストハードコアの枠組みを使って、アシッドフォークからクラウトロック、クレズマー、ジャズ、ファンク、アートポップ、ノイズ、ノーウェーブまで、様々な影響を受けた多様なバンドが、奇妙な新しい方法でそれらを組み合わせて、奇妙な新しい音楽を生み出しているのです。
こういった素晴らしい手腕を持つ若いバンドは、現役または元音楽学生の場合が多く、結果としてお金をかけずに実験や成長ができる練習場へのアクセスが若い才能にとっていかに重要かを示しています。実際、BC,NR のうち3人はクラッシックの教育を受けています。

BLACK COUNTRY, NEW ROAD に参加しているミュージシャンのほとんどは、何人かがそのまだ学生であった2014年にイースト・カンブリッジシャーで結成された NERVOUS CONDITIONS というバンドに所属していました。そのライブパフォーマンスはエキサイティングという言葉でさえ控えめに思え、ダブルドラマーのラインアップは、1982年の THE FALL や1993年の NoMeansNo のような雰囲気を醸し出して、BEFHEARTIAN の喧騒と BAD SEEDS の勢いまで感じさせていました。さらにグラインドコアの激しさと、憎まれ口や軽蔑の念が、瞬時に静謐な美しさに変わるような、煌びやかな輝きを携えていました。
ただし2018年1月にシンガーの Conner Browne がSNSの投稿を通じて2人の別々の人物から性的暴行を受けたと告発され、数日後にバンドは解散を余儀なくされたのです。声明の中で、Conner は告発をした2人の女性に謝罪しただけでなく、バンド仲間にも謝罪しました。
数ヶ月も経たないうちに、ほとんど何の前触れもなく、同じようなラインナップの新しいグループがロンドンと南東部を中心に激しいギグを行っていました。Conner がいなくなり、元ギタリストの Izaac Wood がフロントマンとなり、ドラマーの一人 Johnny Pyke は去りましたが、Chalie Wayne はまだキットの後ろにいます。ベースの Tyler Hyde, サックスの Lewis Evans, シンセサイザーの May Kershaw, ヴァイオリンの Georgia Ellery とお馴染みの顔が新たなバンドを彩ります。セカンドギタリストには Luke Mark が加わりました。

ただし、ラインナップが似ているとはいえ、バンドとしては(全くではないにしても)かなり違ったサウンドになっていました。BC,NR の方が優れていると、数回のライヴで明らかになります。新たにフロントマンとなった Izaac Wood の超越的で文学的なインスピレーションがバンドをさらに進化させたとも言えるでしょうか。
すでにトレードマークとなったシュプレヒコール・ヴォーカルだけではなく、個人的な経験を歌っているというよりも、歌詞の一部または全部がフィクションになっているような、物語性のある曲作り。Wood は散文、詩、韻を踏んだ連歌などを1曲の中で簡単に切り替えています。彼は、視点の変化を伴う複数の物語や、他の曲へのメタ・テキスト的な参照など、ポストモダン的な手法を用いています。
Speedy Wunderground からリリースされたデビュー・シングル “Athen’s France” のセッションで Wood は、1億再生を記録した Ariana Grade の “Thank U, Next” と、彼自身が同年に THE GUEST としてソロでリリースした “The Theme From Failure Part 1” というあまり知られていないシングルをチェックしたと語っています。これらの曲をはじめ、詩的に音楽的に確かな足取りのを並置することは、BLACK COUNTRY, NEW ROAD がどこから来ているのかにかんして、多くの手がかりを提供してくれるはずです。
では Isaac Wood がソングライターになる前は、日記を書いたり、10代の詩人であったり、熱烈なエッセイスト、PCで戦うキーボードの戦士など、文章に馴染み深い人間だったのでしょうか?
「言葉を書くことに関しては、特に長い歴史はないし、豊かな歴史もない。初期の試みはいくつかあったけど、本気で書くことにコミットした最初の記憶は、2018年の “Theme From Failure Pt.1” だった。」
この曲は、歌詞が陽気でメタモダンなシンセポップな作品でした。
「今まで寝たことのある全ての女の子に自分のパフォーマンスを評価してもらったけど、その結果は恐ろしいものだった。 あの曲は、全く同じことを言う方法が50通りもあることを証明しているんだ。」

歌詞の影響力といえば、Wood はブリクストンのザ・ウィンドミル・パブと Speedy Wunderground のレーベルを中心とした狭いシーンの中で同業者、尊敬する人たちを挙げています。南ロンドンの音楽シーンは控えめに言っても今、沸騰しているのです。彼は特に Jerskin Fendrix を称賛しています。
「自分の音楽をやっている時にはほとんど把握していなかった音楽的なコンセプトが、初めて彼を見た時にはすでに Jerskin のセットの中で完全に形成されていたんだ。彼がやったことは面白くて感動的だったけど、決してくだらないものではなかった。僕たちの関係を最も正確に表現するならば、僕は彼の甥っ子ということになるだろうね。」
それに Kiran Leonard の “Don’t Make Friends With Good People” も。
実際、BLACK MIDI, SQUID と共に、BC, NR は単なるポストパンクの修正主義者と定義することはできないにせよ、純粋に優れたポストパンクの復活を祝っているようにも思えます。もちろん、重要なのは彼らがフリージャズやクラウトロックを漂いながら1970年代後半の最高で最も突出したバンドが持っていた精神、ダイナミズム、実験性を備え、新たに開発されたジャンルまで横断している点ですが。コルトレーンの精神から SWANS の異能、TOOL の哲学まで、受け止め方も千差万別でしょう。
「彼らは僕らをもっと良くしようと背中を押してくれるんだ。彼らより優れているというよりも、より良いミュージシャンになって、より良い曲を書けるようにね。もっと練習しなきゃと思うよ」

文学的な影響については、「もちろん、僕はいくつかの本を読んだことがある。明らかに僕は何冊かの本を読んでいて、それらの本が言葉にも不確かだけど影響を与えているんだ。」 と語っていますが、具体的には 数年前に読んでいた Thomas Pynchon (アメリカの覆面作家。作品は長大で難解とされるものが多く、SFや科学、TVや音楽などポップカルチャーから歴史まで極めて幅広い要素が含まれた総合的ポストモダン文学) と Kurt Vonnegut (人類に対する絶望と皮肉と愛情を、シニカルかつユーモラスな筆致で描き人気を博した。現代アメリカ文学を代表する作家。ヒューマニスト) の名前を挙げます。
「芸術の高低の境界線を尊重していない人がいることは問題だけど、少し成功している作家はその境界線を尊重し、それを理解し、それを覆したり、操作したりしているんだよ。彼らは文化についてのつまらない一般化したポイントを作るためにやっているのではなく、実際に人々が共感できるような、感情的に共鳴する何かを言うためにやっているのだから。僕たちは皆、文化的な価値の高低という点では、高いものも低いものも経験しているけど、それらが交差したとき、あるいは境界線が存在するように感じられないとき、その境界線が取り払われたとき、それはその瞬間の感動や感情的な共鳴の一部となるんだ。それが正確に表現できれば、信じられないほどインパクトのあるものになる。だから僕はヴォネガットのような作家に興味を持っているんだ。物語に興味を持ってもらうための安っぽいトリックかもしれないけどね。でも、リスナーが風景を想像するのに美しい言葉や文学的なセンスを使う必要はないんだよ。コカコーラのように、彼らがすでに知っているものを与えて、あとは好きなものを好きなだけ詰めればいい」
意外かもしれませんが、Wood は Father John Misty の大ファンであることも公言して憚りません。
「正直、彼のことをちょっとセクシーな愚か者だと思っていたんだけど、気がつけば彼の後を追いかけていた。彼は世界最高の作詞家ではないけれど、彼の考えていることは完全に、完全に正直だからね」

Wood 自身の初期の文学的な実験としては、”Kendall Jenner” が挙げられるでしょう。ホテルのスイートルームに宿泊するTVスターを、彼らの意志に反して強引にその場を訪れるリアリティーショーの一場面。もちろんフィクションですが、Kendall (カーダシアン家のお騒がせセレブライフで知られるモデル、タレント) は自殺の前に、(私はNetflixと5HTP の申し子/私の青春時代すべてがテレビで放送されている/何も感じることができない/ジュエリーを脱ぐと私は空気よりも軽いのよ)と嘆きます。
「僕はちょうど面白いと思った物語の装置を試してみたかった。音楽の終わりは前のセクションとはかなり対照的で、物語にはある種のクライマックスが必要だと思ったので、多くのものと同じように、死で終わったんだ。この作品は、彼女の立場や場所について、あるいは彼女のファンや視聴者についてのより広い解説を意図したものではないんだ。別に視聴者の共犯性をあげつらってもいない。いつも彼女や彼女の家族の出来事を楽しんでいたからね。ストレートな物語性のある作品を作るのは初めての試みで、今振り返ってみるとちょっと刺激的すぎたかもしれない。もちろん、女性を差別する意図なんてないよ?そんなことは考えたこともなかった。」
“For The First Time” は昨年3月にイギリスがロックダウンに入る前にレコーディングされた最後のアルバムの一つであり、混乱の中で録音されたアルバムとして完全にふさわしいものだと感じられます。屹立したポストロックの冒険と皮肉なポップカルチャーへの言及に満ちたレコードは、反商業的で、リスナーが純粋なポップミュージックを期待していたのであれば間違った作品を手に取ったと言えるでしょう。
では、この作品で Wood はソングライティングの際に実際の自分に近いペルソナを採用したことはあるのでしょうか?
「最初の曲(”Athen’s France” や “Sunglasses”)では、大きな不安の中で自分を守ろうとしたときに現れる、哀れでシニカルな思考に焦点を当ててきた。だから、そうなんだと思うよ…男の内面をキャラクターで書いてきたからね。それは厄介で、時々うまく翻訳できないこともあると思うんだけど…。例えば、初期の曲では女性の描写がやや一次元的だったと思われていたのは間違いなく後悔しているよ」

カニエ、NutriBullets、デンマークの犯罪ドラマへの言及でポップカルチャーへのアイロニーを匂わせながら、不快なほどに生々しく別れの領域を掘り下げる “Sunglasses”。その機能と意味はまるでボックスを踏み続けるダンスのように、9分という時間の中でずっと続いています。傷ついた自我、嫉妬、不安、その他全てを語るこのトラックの強烈さを考えると、当然のことながら、Wood は具体的な解説を避けようとします。
「多くの人の心の中にある特定の視点から書かれている。それは信じられないほど悲観的で傲慢に感じることがある声なんだ。多くの人が初めて’Sunglasses’を聴いた時に、耳障りで擦り切れたような感じがすると思うんだ。でも実際には、音だけじゃなくかなり苛立たしげな声を出していて、かなり馬鹿げた抑揚をつけていて、それはとても泣き言で、演技的で、かなり大げさなんだよね。聞いているとかなりイライラしてしまう。他の多くの人もそうだろうね」
そもそも、ポストパンクやそれに隣接するシンガーで実際誰もが認める実力者など、Ian McCulloch, David Bowie, Scott Walker くらいではないでしょうか。Mark E Smith, Sioux, Ian Curtis, Iggy Pop への評価が突然負から正へと反転したリスナーは少なくないでしょう。
「願わくば、僕のヴォーカルをたくさん聴いて、声に対する経験がある時点で反転してしまえばいいんだけど。そうすれば、リスナーは僕の歌に夢中になり、それを楽しむようになるからね」
“Sunglasses” の異質なアレンジメントについては「この曲は、物語の中で何が起こるのかという点を、音楽的にかなり露骨に設定していると思う。説明するまでもないだろうけど。何かが起こって、最初の道とは別の道で終わる。音楽はそれを追っているだけなんだ。天才的なポップ・コーラスが書けない時には、この書き方が効果的だと思うよ」
最近まで Wood は10代でした。彼にはまだ時間がたっぷりと残されています。そして刻々と変化を続けるはずです。もちろん、だからこそ現在の曲作りには、若者特有の不安感も。
「不安が意識的に影響しているとは全く考えていないけど、とても重要な時にはよく感じるし、自然とそのことについて書いたり歌ったりするね。そして、なにかを放出する時には、単純に自分自身かなり圧倒されていることに気づくことがあるよ」

BLACK COUNTRY, NEW ROAD という奇妙な名前を Wood はプロパガンダだと説明します。
「僕たちなりの『Keep Calm and Carry On』のようなもので、ここで仕事をするのに必ずしも狂っている必要はないけど、助けになることはあると宣言しているんだ。基本的には、悪い場所から抜け出すための良い方法だと説明しているんだよ。興奮した人たちが時々、この道を知ってるなんて言うんだけど、僕はそれが存在しないことを彼らに説明し続けなければならないんだよ」
このバンドの飄々としたウィットは “For The First Time” 全編に現れていますが、特にオープニングの “Instrumental” でのおかしなキーボードリフはその証拠でしょう。通常、待望のバンドのデビュー・アルバムを紹介するような方法ではありません。Evans が紐解きます。
「奇妙だからといって、それが必ずしも悪いとは限らない。シンセのラインが目立つのはおかしいし、曲の中心になるのもおかしい。だけどそれは素晴らしいことだと思うよ。僕たちは4つのリード楽器を持っている。実際には5つかもしれない。2本のギター、ボーカル、サックス、バイオリン、そして鍵盤を使って、みんなで細部にまで気を配る必要があるんだ。細部にまで気を配っていないと、たぶん聴いていて気持ちの良いものにはならないだろうね。僕たちは我慢しなければならない。だからこそうまくいくんだ」
実験的レーベル Ninja Tuneと契約したのは、収穫でした。コンタクトはラブレターという21世紀において脇に追いやられ、枯れ果てたスタイル。型にはまらない契約だったからこそ、完璧にフィットしていたのでしょう。未知の世界への感覚も魅力の一つだったと Hyde は説明します。
「彼らが私たちメンバーの中の誰かを知っているとは思えなかった。とてもエモーショナルになったわ。私たちに契約を申し入れていた他の誰も、このような方法で感情を表現していなかったからね。彼らはわざわざそんなことをする必要はなかったけど、そうしてくれたの」
このグループがすでに若いファンの想像力を掻き立てていることに注目すべきでしょう。”Opus” を制作した最初のセッションでは、新グループと旧グループとの差別化を図るための議論があったのではないでしょうか?
「具体的にいつ、どのようにしてそうなったのかは覚えていないけど、BC,NRで何をしたいのかという理解はあったのだと思う。NERVOUS CONDITIONSを2~3年やっていたんだけど、その間に開発したものをいくつか取り入れたいと思っていたのは確かだよ。でももちろん、それまでとは違う種類の音楽を作りたいという願望もあるし、現在の作品は、僕ら全員にとってよりくつろげるものになっていると思う」
Hyde も同意します。
「感情的にも音楽的にもつながっているんだから、私たちは何かを作り続けるしかなかったの。感情的には脆くなって、もがいていたけどね」

最新シングルとなった “Science Fair” は、前衛的なギターとブラスのモンスター。Evans のお気に入りです。
「この曲はかなりストレートなものだよ。キューバ風のビート・フリップなんだ。科学的に完璧なドラム・ビートだよ」
一方、Georgia は、起源が東欧とドイツ、伝統的なユダヤ人の民族音楽クレズマーがバンドにもたらした影響を説明します。ヴァイオリンとサックスは伝統的なロックの楽器ではありませんが、クレズマーのバックグラウンドは新たな扉を開きました。
「祝賀会の音楽みたいなものよ。パーティーミュージックなの。ユダヤ文化の中で人々が集まる時に演奏されるのよ。悲しい音楽でも、かなりハッピーな音楽。でも、マイナーキーだから悲しそうに聞こえるのよね」
アルバムのタイトルでさえも、奇妙な場所から抜かれています。それは Isaac が偶然見つけた “We’re All Together Again for the First Time” と題されたデイヴ・ブルーベックのジャズ・アルバムからの抜粋でした。
曲作りのプロセスは決まっているのでしょうか?
「具体的なプロセスはないんだけど、最初のアイデアはたいてい Lewis と僕がスケッチをして、それからハーモニーを奏でることのできるメンバーがトップラインなどでそのスケッチを補強していくんだ。その後、グループ全体で肉付けをして分解し、全員が満足できるものに仕上げていくんだよ。その時にテーマを考えて、歌のための言葉をまとめるんだ。曲作りの過程で言い争うことはほとんどないね」
それはバンドのサウンドの断片の組み合わせ方にもはっきりと表れています。”For The First Time” は例えば「エキゾチックな」着色剤を使っただけのロックではありません。クレズマーとポスト・ハードコアという、表向きは全く異なる要素が反復合成されていることを考えると、このバンドにはいくつかの「異なる陣営」が存在しているのではないかと疑いたくもなります。
「確かに相対的な専門知識のポケットはいくつかある。Georgiaと Lewis はクレズマー音楽の経験が豊富で、Georgia は現在 Happy Bagel Klezmer Orkester と共演しているし、Lewis は若い頃に経験豊富なクレズマー音楽家と共演して彼らから即興演奏の仕方を教わり、それが彼の作曲に大きな影響を与えているんだよ。May はクラシックの分野に最も多くの時間を割いているし、僕はARCADE FIRE のアルバムを最も多く所有している。でも、これらの影響を受けたもの同士がお互いに争っているわけではないんだ」
Evans も同意します。
「僕たちはとても仲が良いから、誰かにアイデアがクソだと言われても気が引けることはないよ。ソングライターの中には、音楽は自分の赤ちゃんのようなものだと言う人もいるけど、それは僕たちのエートスではないんだよ。僕らは常に曲を変えているし、7人組のバンドでは手放す能力が本当に重要なんだ。独裁者にはなりたくないんだよね。他にも6人の素晴らしい才能を持った人がいるんだから、彼らを無視して何の意味があるんだろう?それは音楽を悪くするだけだ。もしそれが1人の手によるものなら、僕らの音楽はクソになっていただろうね」


そもそも、千年紀の変わり目に生まれた多くのミュージシャンのように彼らはバンドの音楽をそのような臨床的カテゴリーに当てはめることには全く興味がないようです。Hyde が続けます。
「ロックの方が簡単だと思うこともあるけど、ポップの方が簡単だと思うこともあるわ。一つのものに留まる時間はほとんどないから、それを何か呼ぶのは無意味だと思うのよ」
しかし、それでもこれは Isaac Wood のバンドなのでしょうか?不可解な答えが返ってきます。
「BLACK COUNTRY, NEW ROAD が “僕のバンド” というのは、クラッシュした車に乗っていたオーストラリア人の男が “仲間を待っていた” のと同じ意味だ。少なくとも、私はアル・ゴア副大統領のように広く尊敬されている」
ダイナミクスとは何か、インパクトとは何かを再評価することもバンドにとって重要な課題でした。Hyde が説明します。
「当たり前のことのように思えたけど、非常に静かなパートと非常にラウドなパートを使い分けるというシンプルなテクニックは、曲の中で進行や物語のような構造を作り出すのに役立ったわね。それに静かに演奏することで、楽器を切り取ることができるということも学んだわ。ヴァイオリンとサックスは、しばしば音を非常に拡張的にしているわね。それが、よりオーケストラ的で映画的なアプローチにもつながっている。曲の中には、引き込まれるような音楽の波があるの」
たしかに、BLACK COUNTRY, NEW ROAD の音楽は少なくとも、絶対的な新しさの前衛ではないかもしれません。ただ他の誰とも似ていないというだけで、たとえ構成要素のほとんどを挙げることができたとしても、それは明らかに十分すぎるほどの眩しさでしょう。
「SLINT を崇拝してるからね。信じられないくらい良いバンドだ。だから比較されても気にならないよ」
とはいえ、SLINT, SONIC YOUTH, OXBOW, COWS, TORTOISE, BATTLES, TALK TALK TALK。誰かが彼らが他のバンドと「全く同じ」ように聞こえると主張するたび、その誤りを正すのは簡単です。もちろん、ポップカルチャーは今、より粒体化されているような気がしますし、至る所でつながりがあり、すべてが奇妙かつ予測不可能な形で機能しています。
例えば、もし誰かが BC,NR を SHELLAC の模造品だと非難したいのであれば、まず最初に考慮しなければならないのは、サックス、ストリングス、シンセを使ったクレズマーと自由な即興演奏、次に、彼らのグローバルなポップカルチャーへの没頭でしょう。さて、では彼らの新たな道のりは次にどこへ向かうのでしょうか?

「最初は ARCADE FIRE みたいになるって冗談を言ってたんだ。当時はそれが面白かったんだけど、僕らは結果的にそういう感じのアルバムを書いたんだ。今はカンタベリー・シーンのことを冗談にしているんだ。だから、もしかしたら3作目にはリュートが出るかもしれない。少なくとも20%の人が聴いてくれることを願っているよ」
“Track X” は次の作品にとっての “X ファクター” となるかもしれません。
「Track X ” は、新しい作品がどんなものになるのか、ちょっとしたアイデアを与えてくれる区切りのようなものだ。でも、これまでとは違うものになるだろうね。奇妙な音や無調なもので表現するのではなく、曲作りの中に奇妙さを埋め込んでいくんだよ。複雑な不規則性でね」
その名前が示すように、「Black Country, New Road」にはまだ目的地はなく、ただただ速度と逃避感、そして懸命に稼いだ自由があります。絶対的な可能性を秘めているのはたしかです。日本でそのライブパフォーマンスが目撃できるのはいつになるでしょうか?

参考文献: The Quietus:Making Good Their Escape: Black Country New Road Interviewed

The Quietus:Frenz Experiments – Black Country, New Road Interviewed

DIY Mag:CLASS OF 2021: BLACK COUNTRY, NEW ROAD

The Guardian: Interview ‘30% hate us, 50% don’t care’: Black Country, New Road, Britain’s most divisive new band

ファラ:Black Country, New Road “For the First Time”

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【NILI BROSH : SPECTRUM】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH NILI BROSH !!

“There Are So Many More Professional Women Guitarists Kicking Ass Out There. I’d Rather Think Of It As “Everyone’s Era”, Where Gender, Race, Ethnicity (Or Genre!) Doesn’t Matter…I Hope The Era I Live In Is The One Where The Music Is What Matters.”

DISC REVIEW “SPECTRUM”

「プロフェッショナルの女性ギタリストがどんどん増えてきているわよね。だけどむしろ私は、性別、人種、民族、そしてジャンルでさえ関係ない “みんなの時代” だと思っているのよ…私の生きている時代は、音楽が大事な時代であってほしいわね。」
ある時は Tony MacAlpine の頼れる相棒、ある時は Ethan Brosh の美しき妹、ある時はシルクドソレイユのファイヤーギター、ある時は DETHKLOK の怪物、ある時は IRON MAIDENS のマーレイポジション。
多様性が特別ではなくなった “みんなの時代” において、イスラエルの血をひくギタープリマ Nili Brosh は培った音の百面相をソロキャリアへと集約し、性別、人種、民族、そしてジャンルの壁さえ取り払うのです。
「アルバムのジャンルに関係なく、それが音楽であるならば一つになって機能することを証明したかったのよ。だから文字通りスペクトラム (あいまいな境界を持ちながら連続している現象) というタイトルにしたの。私たちがまったくかけ離れていると思っている音楽でも、実際はいつも何かしら繋がっているのよ。」
地中海のバージンビーチからセーヌの流れ、日本の寺社仏閣、そしてマンハッタンの夜景を1日で堪能することは不可能でしょうが、Nili の “Spectrum” は時間も空間も歪ませてそのすべてを44分に凝縮した音の旅行記です。プログレッシブな音の葉はもちろん、R&B にジャズ、ワールドミュージックにエレクトロニカなダンスまで描き出す Nili のスペクトラムは万華鏡の色彩と超次元を纏います。
特筆すべきは、テクニックのためのインストアルバムが横行する中、”Spectrum” が音楽のためのインストアルバムを貫いている点でしょう。オープナー “Cartagena” から大きな驚きを伴って眼前に広がる南欧のエスニックな風景も、Nili にしてみればキャンパスを完成へ導くための美しき当然の手法。幼少時にクラッシックギターを習得した彼女が奏でれば、鳴り響くスパニッシュギターの情熱も感傷も一層際立ちますね。
“Andalusian Fantasy” では Al Di Meora のファンタジアに匹敵する南欧の熱き風を運んでくれますし、さらにそこからアコーディオン、ジプシーヴァイオリンでたたみ掛けるエスノダンスは Nili にしか作り得ないドラマティック極まる幻想に違いありません。
Larry Carlton のブルージーな表現力とエレクトロニカを抱きしめた “Solace” はアルバムの分岐点。日本音階をスリリングなハードフュージョンに組み込んだ “Retractable Intent”, プログとダンスビートのシネマティックなワルツ “Djentrification” とレコードは、彼女の出自である中東のオリエンタルな響きを織り込みながら幾重にもそのスペクトラムを拡大していきます。
EDM や ヒップホップといったギターミュージックから遠いと思われる場所でさえ、Nili は平等に優しく抱擁します。ただ、その無限に広がる地平は音楽であるという一点でのみ強固に優雅に繋がっているのです。それにしても彼女のシーケンシャルな音の階段には夢がありますね。鬼才 Alex Argento のプログラミングも見事。
今回弊誌では、Nili Brosh にインタビューを行うことができました。「音楽は音楽自身で語るべきだと信じてきたから、私にできることはお手本になって最善の努力をすることだけなの。もし私が女性だからという理由で私と私の音楽を尊重してくれない人がいるとしたら、それはその人の責任よ。」 どうぞ!!

NILI BROSH “SPECTRUM” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【STEVE HACKETT : AT THE EDGE OF LIGHT】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH STEVE HACKETT !!

2018 © Tina Korhonen/ www.tina-k.com

“Chris Wanted Yes To Continue Without Him. We All Want To Continue Our Legacies. The Music Which Is Classic And Special Keeps Going, And We’re Proud To Hold The Torch For It.”

DISC REVIEW “AT THE EDGE OF LIGHT”

夕暮れを迎え創作活動のペースを落とす巨星の中で、一際輝きを増すプログレッシブロックの明星が一つ。
ソロアルバム、ライブアルバム、GENESIS の再訪、Chris Squire や Djabe とのコラボレート。とりわけ、2010年にロックの殿堂入りを果たして以来、Steve Hackett の創作意欲は圧倒的です。
「僕は世界中の文化や音楽のスタイル、そして楽器についてどんどん探求していくのが好きなんだよ。この世界はいつも発見の連続だよ。」溢れる創造性の源について Steve は、2011年に結ばれた妻 Jo の存在と共に、地球上様々な場所に根付いた文化、音楽、楽器への好奇心を挙げています。
そうして、ロックとクラッシック、ジャズ、ブルース、フォークを融合させるプログレッシブロックの伝統にエスニックな深みを重ねる Steve の立体的な音楽、多様性はアートとしての瑞々しさを纏い続けているのです。
実際、26枚目のソロアルバムとなった最新作 “At the Edge of Light” で Steve は、ロック世界の “ワールドミュージックアンバサダー” として1つの完成形を提示して見せました。変幻自在なギタートーンが白眉のオープナー “Fallen Walls and Pedestals” は、すぐさま中東のオリエンタルな情景へとリスナーを連れ去ります。
Steve にとってアルバムとは、多種多様な地域、風景を旅歩き受けたインスピレーションを描くキャンバスです。もしくは映画なのかも知れません。Roger King, Jonas Reingold, Rob Townsend, Nick D’Virgilio, Simon Phillips といった名手たち。さらに、シタール、ヴァイオリン、フルート、サックス、タール、ドゥドゥク、ディジュリドゥなどカラフルな楽器群。自身のビジョン、そして人生観を投影するため、Steve は無垢なる画布に様々な楽器やキャストを配置していきます。
同時に、近年 Steve は自身のボーカルを以前よりフィーチャーしています。その趣向も同様に彼の内なるテーマと情熱をより濃密に伝えるため。1938年チェンバレンのスピーチ “Peace in our time” を文字った “Beasts In Our Time” で彼は、自らの声で当時アメリカが打ち出した孤立主義と現在の状況とを比較し、世界の光と闇に焦点を当てます。
そうしてオーケストレーションと KING CRIMSON の滑らかな融合で示唆された”世界は光と闇の境界線にある”。それはアルバムの重要なテーマとなったのです。
「Chris は彼抜きでも YES を続けて欲しいと願っていたよ。僕たちプログレッシブロックの住人は、全員が自分たちの遺産、レガシーを引き継いでいって欲しいと願っているんだよ。」
亡き Chris Squire に捧げられたようにも思える YES のスピリット、レイヤードセオリーを宿した “Under the Eye of the Sun”、McBroom 姉妹の参加とゴスペルの風情が PINK FLOYD を想起させる “Underground Railroad”。”新たなサウンド” を生み出すレコードは一方で、プログロックのレガシーを継承し祝祭します。
何より11分のエピック “Those Golden Wings” では繊細かつ清廉、そして “ポジティブ” な音像で、自らの出自である GENESIS の偉業を讃えプログレッシブの灯火を高々と掲げているのですから。それは革新の海に漂う矜持の燐光。
“ポジティブ” であることが世界の安寧への枢要なファクターだと語るギタリスト、ソングライター、そしてプロデューサーは静穏を望む旅の締めくくりに美しきトリロジーで自らの存慮を仄めかしています。
“Descent” でカオスの階段を下降し、”Conflict” で混迷と闇に縺れる現代社会。しかしその先にエセリアルで心洗われる “Peace” を用意することで、Steve は人の良心、徳性を信じてみせるのです。
今回弊誌では、Steve Hackett にインタビューを行うことが出来ました。「クラッシックで特別な音楽は引き継がれていくよ。そして僕たちは、その特別な音楽の火を絶やさず掲げ続けることを誇りに思っているんだ。」2度目の登場に感謝。もちろん、Chris Squire の偉業にも。どうぞ!!

STEVE HACKETT “AT THE EDGE OF LIGHT” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【SNARKY PUPPY : FAMILY DINNER VOL.2】JAPAN TOUR 2016 SPECIAL !!


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH MICHAEL LEAGUE OF SNARKY PUPPY !!

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TWO TIMES GRAMMY WINNER, JAZZ ORIENTED REVOLUTIONALY GROUP, SNARKY PUPPY ARE GOING TO COME TO JAPAN ON JUNE WITH THEIR AMAZING NEW RECORD “FAMILY DINNER VOL.2”!!

2014年には “Something” で Best R&B Performanceを、今年はアルバム “Sylva” が Best Contemporary Instrumental Album を、2度もあの栄誉ある Grammy Award を獲得。世界中のアーティストや音楽ファンから尊敬を集めるコンテンポラリーJAZZ集団 SNARKY PUPPYが新作 “Family Dinner Vol.2” をリリースしました!!同時に cero, origami PLAYERS, Michelle Willis といった新世代の注目アーティストをサポート/オープニングアクトに起用した6月の単独公演も決定しています。
SNARKY PUPPY は北テキサス大学でベーシストの Michael League を中心に結成された、総勢30~40名が所属する大所帯のコンテンポラリーJAZZグループ。Robert Glasper 以降の所謂 “Jazz the New Chapter” 文脈で語られることも多く、その唯一無二な音楽性は新しく拡散するJAZZやアートの形を提唱しているように思えます。
流動的なメンバーですが、主要人物は12名ほど。彼らの多くが JAZZ はもとよりメインストリームのアーティストたちにも引く手あまたで、Kendrick Lamar, John Mayer, Marcus Miller, Snoop Dog, Justin Timberlake, といった才能たちと共演を果たしています。中には日本人パーカッショニスト小川慶太さんや、ソロ作も非常に充実している鍵盤奏者 Bill Laurance といった顔もありますね。
最新アルバム “Family Dinner Vol.2” は2013年にリリースされた “Family Dinner” の続編として制作されました。ゲストボーカリストたちを迎え、彼らの楽曲をリアレンジして収録するという試みは今回も同じですが、前作が R&B 色の濃い作品だったのに対して、今作では世界中からゲストを招き、より多彩でキャッチーな、ワールドミュージックの影響も強く感じさせる作品に仕上がりました。
中でも、アフリカはマリ出身、アルビノの奇才 Sarif Keita をボーカリストに迎え、ブラジルのパンデイロやフルート奏者を合流させた “Soro(Afriki)” の素晴らしさは筆舌に尽くし難いですね。アフリカのオリエンタルな伝統音楽にサンバのリズムが加わり、それを現代的なサウンドで立体的に表現した楽曲は全音楽ファン必聴と断言したいほど。また御年71歳を迎えたペルーの伝説、Afro-Peruvian リバイバルの重要人物 Susana Beca と Joe Satriani に師事し D’Angelo や John Mayer にも認められた8弦ギター使い Charlie Hunter の共演 “Molino Molero” では、ブルースとAfro-Peruvianに共通するルーツ”アフリカ”を強く感じることが出来ます。この2曲は、白人音楽と黒人音楽の歴史的背景にまで想いを馳せるよう意図されているのかも知れませんね。
新進気鋭のボーカル多重録音アーティスト Jacob Collier の “Don’t You Know” も衝撃的。自らのボーカルを多重録音し、アカペラと卓越した楽器の演奏で音楽シーンに登場した彼のパフォーマンスは、この楽曲に置いても輝きを放っていますね。対照的に、アルバムを締めくくる David Crosby 御大の飾り気のない “Somebody Home” での歌唱も見事の一言でした。
“We Like It Here”, “Sylva”, そして今作と、スタジオライブレコーディングを続けている SNARKY PUPPY。彼らの様々な新しい試みからは、音楽シーンを本当に変えてやろうという気概が強く伝わって来ます。そしてそれが遂に受け入れられつつあることはシーンの希望だと心から思います。
今回弊誌では、グループの首謀者 Michael League に独占インタビューを行うことが出来ました。少し難しく綴ってしまったかもしれませんが、彼らの本質は JAZZ, HIP HOP, ROCK, R&B, DANCEといった音楽のハイブリッド良いとこ取り。万人が楽しめる音楽だと信じます。どうぞ!!

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SNARKY PUPPY “FAMILY DINNER VOL.2” : 10/10

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