COVER STORY【AMON AMARTH: GUIDE TO VIKINGS】DOWNLOAD JAPAN 2020 SPECIAL !!


COVER STORY: AMON AMARTH

“Okay, So If Vikings Didn’t Have Horns On Their Helmets, Why Did We Have Them On Our Drum Riser? Amon Amarth Is a Show. It Makes For a Good Stage Prop To Have Horns, Even Though It’s Not Historically Accurate.”

JOHAN’S GUIDE TO VIKINGS & NORSE MYTHOLOGY

AMON AMARTH がヴァイキングの歴史、北欧神話、そして壮大な戦闘絵巻について書いた最初のメタルバンドという訳ではありません。それでもこのストックホルムの5人組は、世界で最もヴァイキングをイメージさせる雄々しき邪神です。
過去4半世紀にわたって、彼らはムーブメントの創始者でさえ想像も成し得なかったオーディンメタルを紡いで来ました。ビルボードデビュートップ20、ワールドツアー、さらにはモバイルビデオゲームまで、その社会的影響と成功、さらにアリーナを熱狂に巻き込むライブパフォーマンスを鑑みればネクスト IRON MAIDEN の座を確約されているように思えます。
純粋性という観点で言えば、AMON AMARTH は真のヴァイキングメタルではないかもしれません。ブラックメタル第一波の先駆者である BATHORY がサタンを称賛しなくなり、異教のルーツを受け入れたように。そう、アトモスフィアと剣撃を配置した新たな BATHORY の音の葉は、後にヴァイキングメタルのトレードマークとなる魔法を含んでいました。

90年代半ばから後半にかけて、UNLEASHED, ENSLAVED, EESIFERUM, ELUVIETIE はヴァイキングの旅団に加わり、ブラックメタルを北欧民族の神話や伝承、神から得る知恵と力、怒りの海を股にかける航海、暗く危険な森、死との戦い、ヴァルハラの門を越えた永遠の生といったテーマに憑依させました。
対照的に、AMON AMARTH は、AT THE GATES や DARK TRANQUILLITY といったスウェーデンのメロディックデスメタルをスタート地点としています。故に、先述のヴァイキングメタルパイオニアとは毛色が異なります。しかし当初から、ボーカリストの Johan Hegg はヴァイキングの祖先に魅了されていました。彼は詩的な民間伝承を知っていて、コロンブスが到達する500年前の北アメリカの海岸線へのヴァイキング遠征と、ウクライナとロシアへの9世紀の探検を深く研究していたのです。

実際、フロントマン Johan がヴァイキングに注ぐ情熱は並々ならぬものがあります。
AMON AMARTH でバンドメイトを率いるだけでなく、彼は “バイキング時代の文化からインスピレーションを得て解釈された” ヴァイキンググッズのレプリカを製造しているGrimfrost という会社を共同所有している程なのですから。Johan はラグナル・ロドブロークの伝説と空想の狭間で語られる大人気のテレビドラマ “ヴァイキング-海の覇者たち-” についてこう語っています。
「本当に良いショーだと思う。他にはバーナード・コーンウェルの本に基づいた “最後の王国” と呼ばれる別の素晴らしいシリーズもあるね。
ヴァイキングは明らかに歴史の中で自由を謳歌しているけど、彼らは物語を本当にうまく構築し、キャラクターを非常に客観的に描写したと思うな。必ずしもヴァイキングを善悪の二面性のみで演じるわけではなく、多面性を描いている。それはヴァイキングを描写しようとする以前の試みには欠けていたものだ。それまでのテレビドラマは戦い、性交し、飲む!の1次元的なものだったからね。」


ヴァイキングに関する誤解にも言及します。
「3つの大きな誤解があると思う。まず、ヴァイキングのヘルメットには角がなかったんだ。実際のヘルメットは俺が知る限り3つしか見つからなかったから、実際の姿は知る由もないんだよ。おそらくヘルメットは手作りで、異なる装いがあっただろうが、当時の描写はどれもホーンを身に着けていなかったんだ。19世紀からそんな描写になったみたいだよ。
ヴァイキングが大群で略奪する殺人集団だったというのが2つ目の誤解。たしかに彼らはそういった行いもしたけれど、それは他の戦争で他の人々が行う略奪と同じようなものだった。彼らはただ異なる戦術を持ち、戦闘に非常に長けていただけなんだ。まあもちろん、旅と戦いと流血はメタルに最高にハマるんだけど。
3つめの誤解は、彼らが汚れていて臭い獣だというイメージ。実際は、ヴァイキングはとても良好な衛生状態を保つことで知られていたんだ。少なくとも週に一度は体を洗っただろう。」
ではなぜ AMON AMARTH のヘルメッドラムライザーにはホーンが掲げられているのでしょう?
「ヴァイキングのヘルメットに角がなかったのに、なぜ俺たちのドラムライザーに角があるのだろう?たしかに俺は角の設置にあまり熱心ではなかったよ。
だけど、Grimfrost は正確さに基づいて構築された会社だけど、AMON AMARTH はショーなんだ。歴史的に正確ではないけれど、角は優れた舞台用小道具になる。AMON AMARTH はエンターテイメントだから、必ずしも完全に正確であるとは限らないよ。」


Grimfrost の設立はヴァイキングコミュニティーへの寄与を念頭においてのものでした。
「もともと、友人から会社の顔になるようにアプローチされ、当初はマーケティング側に関与するつもりだったんだが、人々が求めているものを理解していたからね。
明らかにビジネスだけど、ヴァイキングの文化と歴史に興味がある人々のためのコミュニティを構築しようともしているんだ。俺たちが持っている知識を共有してね。(北欧のフォークグループ)WARDRUNA の Einar Selvikや “Vikings” キャストのメンバーの体験についてもインタビューを行ったよ。ルーンの専門家の本も販売している。ヴァイキングの文化と歴史に興味のある人が来て、学ぶことができるコミュニティを構築しようとしているんだ。製品を販売するだけでなく、理解と帰属意識を作り出すことも重要だからね。」
Johan は当然ローイングピットを愛しています。
「2017年にヘッドライナーを務めた Bloodstock のローイングピットはかなり壮観だった。素晴らしいメタルヘッドとは何かを教えてくれたし、素晴らしいファンの証だと思う。そう、メタルヘッドはただ酔って、ただ想像もできないような最も残忍な音楽を聴きながら、ただ愚かなこと楽しみたいだけなんだ。その全てを愛しているよ。」


トールキンの影響を忘れるわけにはいきません。
「トールキンからバンド名を取ったんだ。AMON AMARTH とは”ロード・オブ・ザ・リング” に出てくるドゥーム山 (オルドルイン) の噴火だからね。だけど多くの人々は彼がスカンジナビアの神話にどれほど影響を受けたか知らないかも知れないね。北欧神話を読むと、ガンダルフを始めとするトールキンのルーツが垣間見えるよ。フィンランドのカレワラも彼のルーツの一つ。彼は基本的に北欧の神話に似た彼自身の神話を書きたかったんだ。」
Johan は9歳の頃から北欧神話の神々に魅了されてきました。しかし敬虔なクリスチャンの多いストックホルムから20キロの地元の町では、ヴァイキングが崇拝した異教の神を積極的に教えることはありませんでした。
「オーディンやトールを本で簡単に教えるくらいだよ。キリスト教からは見下されているからね。だから姉の励ましもあって図書館に向かい、12,3世紀の詩を読み漁ったんだ。そしてトールキンに出会った。そのフィクションに魅了されたんだ。」
豆知識にも精通しています。
「知ってる? Wednesday, Thursday, Friday は北欧神話の神にちなんで命名されたんだ。Wednesday は Oden, Thursday は Thor, そしてFriday は Frey の日なんだ。」

現代のヴァイキングに寄せるメッセージとは?
「ヴァイキングは誠実で忠誠心を持つ。重要なのは、約束を守ることなんだ。約束を守れば、コミュニティーから追放されることはないだろう。
また、あまり知られていないかもしれないが、ヴァイキングは非常にオープンマインドだった。彼らは世界を旅し、取引し、戦った。たとえば、コンスタンティノープルのヴァラング親衛隊は伝説的だよ。彼らは基本的にビザンチン皇帝の個人的なボディーガードで、信頼できて忠実なヴァイキング戦士だった。彼らは異なる文化で活動するために必要であれば改宗さえ行い、家に帰ってからは馴染みのやり方に戻っていたわけさ。
誠実とオープンマインド。この二つは今の社会にもぜひ持ち込むべき心得だと思うな。」

THE HISTORY OF AMON AMARTH: FULL DISCOGRAPHY

ヴァイキングはメタルはもちろん、ロック世界の歴史、文化、言語に忘れられない痕跡を残しました。1970年、LED ZEPPELIN がリリースした移民の歌はヴァイキングとロックのけたたましき婚姻でしたし、数十年後、MOTORHEAD は “Deaf Forever” でヴァイキングの夢を語りました。そうして BATHORY のアルバム “Blood Fire Death” がヴァイキングメタルの出発点となり、多種多様な後続を生み出しました。
現代では、AMON AMARTH が最大最悪のヴァイキングメタルバンドです。
拡大と再建は AMON AMARTH の長寿にとって、先祖と同じように重要でした。バンドのルーツは、ギタリスト Olavi Mikkonen とドラマー Niko Kaukinen がストックホルムのグラインドコアバンド SCUM で演奏していた80年代後半に遡ります。
唯一のデモをリリースした後、2人のミュージシャンは Johan と力を合わせて、古いフォーミュラに従うことなく、音楽的、テーマ的に新たな道を辿るバンドを結成しました。そして、EDGE OF SANITY の Dan Swano, ENTOMBED の LG Petrov, Deicide の Glen Benton に薫陶を受けた John の力強い雄叫びは、AMON AMARTH を鮮やかなバイキングのイメージへと導いたのです。

「俺たちが書いた最初の曲は “Thor Arise” だった。ヴァイキングが北欧の雷神トールを称賛し、戦闘中彼に呼びかける歌なんだ。俺はいつも自分の歌詞を映画の一場面だと思っているよ。物語を語るんだ。歴史に基づいていることもあれば、神話に由来することもあるし、ヴァイキングのテーマに隠した自分自身のパーソナルな話のこともある。」
1996年、Johan はバンドの最初のEP “Sorrow Through the Nine Worlds” を通じて北欧のテーマを織り上げ、1998年のデビューフル “Once Sent from the Golden Hall” からのヴァイキングの道を歩き続けてきました。しかし当時は21年後も彼らがまだオーディン、トール、ロキについて歌い、巨大な帆船を組み込んだステージでパフォーマンスをしているなどと想像もつかなかったはずです。
「当時、まさかキャリアを通してヴァイキングをやり続けるなんて思ってもみなかった。だけど理にかなってはいるんだ。なぜなら、このトピックは掘り下げるべきことが沢山あったからね。」
ハーシーなメロディックデスメタルから、トラディショナルなメタル、スラッシュ、デス。エクストリームな荒波の中から生まれ来るヴァイキングのメタルは、彼らの闘争と勝利の証明です。

“Once Sent from the Golden Hall” (1998)

IRON MAIDEN と ENTOMBED から等しくインスピレーションを得た、1998年のデビューフル “Once Sent from the Golden Hall” は、後のレコードよりも洗練の度合いは低いと言えます。John は未だ自らの咆哮を見つけられておらず、楽曲は強力ながら精神分裂症的であり、陶酔的なギターのハーモニーに味付けされたギャロップのリズムと、ドゥームやブラックメタルのトレモロが倒錯的に同居しています。
たしかに少し焦点は合っていませんが、”Once Sent from the Golden Hall” はそれでも新境地を開拓することを決意したバンドの血判状でしょう。
「俺たちは間違いなく急ぎすぎていると感じていた。最初のEPはイエテボリのアビススタジオで HYPOCRISY の Peter Tägtgren と作ったんだけどその後このアルバムでは、お金を節約するためだけにストックホルムのサンライトスタジオに移ったんだ。
だけど何らかの理由で、スタジオのエンジニアはこの作品をデモか何かだと見なしたから、注意深く仕事を行わず全てががクソのように聞こえたね。やり直す必要があることに気付いたから、Peter に電話してスケジュールに絞り込んでアルバムを再録音してもらえないかと尋ねたんだ。幸運にも彼は引き受けてくれたけど結局レコードをやり直し、全てを時間内にやり遂げることが課題となってしまった。」

“The Avenger” (1999)

デビューフルのコンセプトに満足した AMON AMARTH は1999年のセカンドアルバム “The Avenger” でバイキングとしての船旅を続けることに決めました。後のエピックサウンドが開花を始めた作品で、1996年に Niko Kaukinen の後任として加入した Martin Lopez は OPETH 参加のため脱退。長期にわたる選考の後、GUIDANCE OF SIN から Fredrik Andersson を獲得。同時期にギタリストのAnders Hansson がバンドを去り Johan Söderberg が加入しています。
「状況が整うのに時間がかかりそれほどリハーサルできなかったんだ。ちょっとトリッキーなシチュエーションだったね。新しいラインナップが整うとライブのリハーサルを始めたんだけど、一緒に仕事をすることを快適に感じる所から始めなければならなかったから楽曲をまとめるのは大変だった。ですから、もちろん、学習曲線が必要だった。だから、アルバムにはたった8曲しか収録されていないんだ。」
ストレスの多いライティング環境にも関わらず、”The Avenger” は、前作よりもまとまりがあり、インテンスと自信に満ちています。タイトな楽曲群は雄大さをも備えます。John の勇壮は、バイキングヒーロー、ラグナル・ロドブロークに似て猛烈で、記憶に残るギターのパッセージは陰影に富み多様です。
John は “The Avenger” のテーマをお気に入りの BATHORY のレコード “Hammerheart” のになぞらえて制作しています。
「ほとんどの部分で “The Avenger” のリリックはヴァイキングの歴史に基づいている。ただし、BATHORY がやったように、歴史に基づきながら自分の物語を創造して歌詞を書いたんだ。メンバーが思いついた音楽を聞いて、これが映画のサウンドトラックだったら、どんな映画になるだろうって考えながらね。楽曲のスタイルが異なるから、コンセプトアルバムではないけれどストーリーは存在するんだ。」

“The Crusher” (2001)

“The Avenger” の次の作品に取り掛かる前から、AMON AMARTH はこれまでで最も重く、破壊的なレコードを作成することを決意していました。
「俺たちは皆、全てを粉砕するアルバムを書くことに同意していた。だからこそアルバムを “クラッシャー” と呼んだんだ。」
目標を達成するために彼らは、ツーバス連打の無慈悲なスラッシュアタック、トレモロピッキング、研ぎ澄まされた鋭利なリフ、そして残酷さを損なうことなくドラマを強化するメロディックなミドルセクションを搭載した AMON AMARTH の雛形を作成しました。
レコーディングには一月もかからず、完成品の “見直し” を行わなかったこともレコードの勢いに寄与しました。唯一の弱点はプロダクションかも知れませんね。再度アビススタジオでレコーディングを行いましたが、Peter は別のプロジェクトに取り組んでおり、Hypoccrisyの元ドラマーでもあるアシスタントの Lars Szökeをフックアップすることになったのです。
「残念ながら奇妙なレコーディング体験となったね。俺たちはPeter との仕事に慣れていたんだけどあの時それは不可能だった。非常に残忍な曲もあるけど、その一部はプロダクションで失われてしまった。」
“The Crusher” の大部分は、”神の鉄槌” をそのストーリーとしています。ただしレコードの最後に収められた “Hammerfest of Annihilation of Hammerfest”、”Fall Through Ginnungagap”、”Releasing Surtur’s Fire” の関連する組曲は、神とモンスターについてより物語的でコンセプト志向のソングライティングを築いています。

“Versus The World” (2002)

5年間タイトにツアーをこなしながらヘッドライナーの地位を掴めなかった AMON AMARTH は、メジャーな成功を手に入れられない現実に失望していました。そのため、メンバーは次の作品を最後のアルバムと決め、タイトルも当初は “The End” と考えていました。
そうして完全なコンセプトアルバムではありませんでしたが、2002年の”Versus the World” は、黙示録の引き金となる神々の間の戦争、ラグナロクの神話を扱うこととなったのです。
これまでと異なるサウンドを実現するために、バンドはプロデューサー Berno Paulsson とスウェーデンのマルメでレコーディングを行いました。これまでより大胆になることを決意した彼らは叙事詩のように解放され、映画のようなオーディオアドベンチャーを書くことに全てを費やしたのです。
アレンジメントは成熟を遂げ、これまでの大胆なミッドセクションと唐突なリズムとテンポの変化はよりナチュラルにシームレスに楽曲を覆います。結果としてアルバムはグランドフィナーレとなる代わりにバンドのターニングポイントとなりました。
「このアルバムでは世界の終わりを告げるバイキングの神話を扱った。だけどそのテーマに反してこの作品は俺たちにとって新しい始まりのようだったね。アルバムは良かったし、素晴らしい曲が入っていて、自信も持てた。そして、人々の反応も圧倒的だったから、バンドを続けていくことに決めたのさ。」

“Fate of Norns” (2004)

鉄は熱いうちに打て。”Versus The World” の成功を受けて AMON AMARTH は2004年、すぐさま Berno Studios に戻り”Fate of Norns” を作成しました。彼らは、プロデューサー Berno Paulsson が振りかける魔法の灰で再びバンドの創造性を刺激することを望んだのです。
“Fate of Norns” には風を受けて疾走する “Valkyries Ride”、オーディンの守護の下戦地に切り込む “The Pursuit Of The Vikings” を筆頭に魔法の瞬間を多く内包していますが、アルバムは5日間という短期で制作されました。
「とにかく急いでいたからね。少し速すぎるとも思ったけどなんとかやり遂げることができた。」
AMON AMARTH の伝統に沿って、”Fate of Norns” の楽曲は主に古代スカンジナビアの歴史に触発されています。一方で、内省的なタイトルトラックは、Johan がこれまでに書いた中で最もパーソナルで、崩れつつある関係を嘆く悲恋の歌。
なぜ苦しむ必要がある? なぜこの痛みを感じなければならない? 俺の人生は意味を失った。そう、俺は狂ってるんだ」
「当時俺はガールフレンドと別れたから、とても感情的な時期だった。タイトルトラックは “ヴァイキングの幼い息子の死” について。恋人との別れがテーマじゃないけど、この歌詞が相応しいように感じたんだ。彼女と街から家まで車を運転しているとき、歌が降りてきたんだ。俺たち2人はとても静かだった。 “Fate of Norns” のヴァースが頭に残っていて、それから歌詞が出てきたんだよ。家に戻った時、俺は座って歌詞を書いていた。非常に個人的なものだよ。」

“With Oden on Our Side” (2006)

“Fate of Norns” のリリースと2006年の “With Oden on Our Side” の間に、いくつかの大きな変更が行われました。最も重要な取り決めは、バンドメンバーは今後 AMON AMARTH を何よりも優先すること。そして “Fate of Norns” の成功を経て、Johan のボーカルを除きデスメタルのルーツとの共通点を減らし、JUDAS PRIEST, IRON MAIDEN, MOTORHEAD といったメタルのパイオニアからよりインスピレーションを取り入れて行くこと。
「俺たちは全員がスタジオにいる必要があると決めたから、楽曲の精製を手伝う人数が増えたんだ。そして、自分がレコーディングに関わっていない間は、みんなのために料理をしたり、チームの一員となって手助けをしていたんだよ。俺たちは全て一緒にこなし、バンドとして一体になったんだ。」
全ての曲が形を成すと、バンドとプロデューサーの Jens Bogren は、スウェーデンのオレブロにある Fascination Street Studios に入り、マテリアルの微調整を行なっていきます。
「彼はアレンジの方法について多くの新しいアイデアをもたらしてくれた。これまで俺たちがやったことのない方法で、全てを共に機能させていったんだ。」
John は今回も神々と戦いについて歌いましたが、ヴァイキングの歴史をさらに深く探求することで視野を広げました。
「”Valhall Awaits Me” で、ヴァイキングがロシアの川を下り東へと航海した方法について探求したんだ。さらに “Prediction of Warfare” で、ヴァイキングがイギリス諸島へどのように旅したのかを歌っているよ。」
メイデンのギャロップ遺伝子を受け継ぎながら、「戦士のメットが陽の光で輝く」 と歌う “Cry Of The Black Birds” は名曲です。

“Twilight of the Thunder God” (2008)

“With Oden on Our Side” でより実践的なアプローチへ舵を切った AMON AMARTH。 2008年の “Twilight of the Thunder God” ではこれまで以上にメロディーへと焦点を当て、中毒性極まるリフと鋭いフックを、リズミカルなボーカルラインへと密着させました。
イヤーキャンディとインテンスを両立させたタイトルトラックはもちろん、アンセミックな “Guardians of Asgaard” が代表するミッドテンポの楽曲こそ千変万化なリフ建築と息を呑むアトモスフィアを同時に探索する AMON AMARTH の象徴とも言えました。
「俺たちは全てのアイデアを最大限に活用しようとしていたね。それにアレンジについては多くの意見が Jens から寄せられた。彼とは一度仕事をしていたから、全てがより速く創造されて本当に楽しかったね。」
ENTOMBED の LG Petrov, ex-CHILDREN OF BODOM の Loope Latvala, APOCALYPTICA のゲスト参加はさらに雷神の夕暮れをユーフォリアへと染め上げました。それでも、John はリリックを冷厳で暴力的に保ちます。
「ヴァイキングについて書いているバンドのほとんどは、常にヴァイキングがどれだけ勇敢で成功し、素晴らしいかということばかり強調している。俺たちもヴァイキングは当然リスペクトしているけど、彼らは厳しい環境に住んで、困難な生活を送っていたんだよ。最後の曲 “Embrace of the Endless Ocean” は何年も奴隷にされていた男に関する楽曲、ついに彼は解放され、愛する人たちの家に帰るんだ。彼は家に帰れることに本当に興奮していたんだけど、帰途で彼の船は転覆し、全員が死んでしまう。当時は生き延びることさえ難しかったと伝えたかったんだ。」

“Surtur Rising” (2011)

すでに Jens Bogren と2枚のアルバムを録音していた AMON AMARTH は、彼との仕事をさらに延長。音楽的に決して劣ってはいませんが、”Surtur Rising” は快適さに慣れすぎて少し定型的なレコードとなったようにも思えます。スペシャルなゲストが存在しない “Twilight of the Thunder God” パート2と呼ぶべきでしょうか。
“パート2″はその前身と異なり歴史よりも北欧の伝承に根ざしています。
「歌詞を書く時、創造を強制したりはしない。自分の心にあるものについて書いているだけなんだ。この時は神話についてかなりクールなアイデアがあったね。」
ファンタジーに満ちたリリックは、鋲付き革ジャンにピタリとフィットします。”War of the Gods” は、初期の MANOWAR、そして “Painkiller” 時代の司祭のファンへと等しくアピールする、遥かなる神話のアース神族とバニル神族のバトルアンセムです。
「大成功したアルバムのフォローアップだから、プレッシャーはあったんだ。今でも素晴らしいアルバムだと思うし、今でもこの作品から多くの曲をライブで演奏している。 だけど、Jens とレコードを作ることが、とても日常的なことのように感じたんだ。つまり僕たちの中に “エッジ” が存在しなかったんだよ。だからリリース後、彼とのレコーディングは最後にすることと決めたんだ。」
北欧の異教神 Freya と 火の巨人 Surtur の壮大な闘いです。

“Deceiver of the Gods” (2013)

メロディックデスの恩恵はさらに減退し、’80年代のスラッシュとトラディショナルメタルに根ざした、”Deceiver of the Gods” はヴァイキングをテーマとした MEGADETH の “Countdown to Extinction”。
JUDAS PRIEST, MEGADETH, TESTAMEET などに貢献した Andy Sneap のプロデュースもその方向性を後押ししたでしょうか。バンドは NWOBHM の SABBAT でプレイしていた Andy を雷神のようにリスペクトしていました。結果として、Johan のグロウルは歌唱の域へと達します。
「アンディから多くのことを学んだ。彼は俺たちのサウンドと、アレンジを使用し曲をより強力にするアイデアを沢山持っていた。特にボーカルのフレージングは俺と共に心血を注いだね。」
レコードの推進力は悪意のある、時には脆弱なバイキングの神ロキが担っています。
「ロキは神の中で最も人間に近い。彼は多くの善行をして、多くの悪行もする。最初に彼が引き起こした災いも、最終的には自分で鎮めたりする訳さ。そうした二面性によって、彼は全ての神話の中で俺のお気に入りのキャラクターの一人となったんだ。」
“Deceiver of the Gods” には、AMON AMARTH にとって最もメタルのメインストリームに接近したパッセージと叙情的な音の葉が存在しています。それでも究極的には野蛮なヴァイキングを頂きながら。

“Jomsviking” (2016)

“Jomsviking” は遂にそのエピカルな音の葉を映画への挑戦に込めたコンセプトアルバム。
「アルバムのために研究を重ね、多くの事実を真っ直ぐに保ちながら、架空の物語として歴史にいくらかの自由も取り戻したね。
実際に140ページの映画の脚本も書いたんだ。基本的にトリロジーで、”Jomsviking” の物語の背景として設定されている。映画の資金調達は簡単じゃないし実現するかどうかはわからないけどね。スペクタクル映画はかなり高い予算を必要とする可能性が高いだろうから。ストーリーは素晴らしいと思うよ。」
そうした一大スペクタクルの中でも、”Raise Your Horns” は、今夜は飲むぜ!!!とただひたすら酔いつぶれるだけの酒飲みソング。メタルとヴァイキング最大の共通点は酒でしょう。

“Berserker” (2019)

コンセプトアルバム “Jomsvrking” を大成功に終えた AMON AMARTH は、しかし柳の下のドジョウを狙うような打算的なヴァイキングではありませんでした。
「あれを超えるストーリーがなければコンセプトアルバムは作れないよ。だから今回は音楽が導いてくれる方向に歌詞を持って行ったんだ。」
タイトルトラックとも言える “Berserker at Stamford Bridge” は、ヴァイキング時代の終わりを告げるスタンフォードブリッジの戦いを描いたバトルソング。
「夜襲と速攻に長けていたヴァイキングは英国軍を圧倒していたけど、同様の戦術を取られ窮地に追い込まれた。ヴァイキングは3000、英国軍は15000。撤退の最中、大斧を抱えた狂気のヴァイキングがスタンフォード橋に立ちはだかったんだ。彼は40人を殺したと伝えられている。橋の下からいかだに乗った兵に槍で突かれて絶命したんだけど、勇敢だよね。」
勇敢なのは Johan も同様。MMA、総合格闘技でトレーニングを重ねています。
「パフォーマーとしての俺に必要なのかは分からないが、体型を保つことは出来るね。何より楽しいんだ。レスリング、ボクシングにムエタイ。全身を使用して様々なエクセサイズをこなせるからね。」

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参考文献:REVOLVER:AMON AMARTH ON NEW ALBUM, SECRETLY PERSONAL SONGS, INSANE VIKING LORE

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