COVER STORY : AT THE GATES “THE GHOST FROM A FUTURE PAST”
“It’s not the music, it’s more like the friendship. From the reunion, I would say we were the best of friends. I mean, we hung out outside the band as well and were almost like a family. So I will always share the friendship of it.”
THE GHOST OF A FUTURE DEAD
2025年9月16日。Tomas “Tompa” Lindberg は稀少で進行の速い癌である腺様嚢胞癌との勇敢な闘病の末、52歳で亡くなりました。北欧アンダーグラウンド・シーンのアイコンだった彼は、2024年初頭の入院、手術を前に、新作のボーカル・パートをすべて完成させていたのです。その後も彼はバンドとリモートで精力的に作業を続け、後に様々な感情に満ちたアルバム “The Ghost of a Future Dead” となる作品の隅々までを作り上げていきました。
「彼はとても勇敢だった。手術後もアルバム制作に取り組んだことが、彼自身と彼の状況にとってプラスになったと思う。創作活動を続け、いわば制作過程に身を置くことで、彼は最悪の時期を乗り越えることができたと思う」
そう、盟友 Anders Björler は語っています。音楽と歌詞は Tomas の診断前に完成していましたが、バンドは Tomas 自身の希望でアルバムのタイトルを変更しました。そのタイトルは、今となっては伝説のフロントマンへの痛切で予言的な墓碑銘となっています。
「曲も歌詞も全て完成していたんだ。アルバムの仮タイトルは “The Dissonant Void(不協和音の虚無)” だった。2曲目のタイトルだね。ところが、手術と放射線治療の後、彼は機嫌が悪かったり、悪夢に悩まされ、薬の効き目が強かったりして、アルバムのタイトルを変えてしまったんだ。だから、”The Ghost of a Future Dead (未来の死者の亡霊) ” が Tomas の選んだタイトルなんだよ。僕たちなら絶対に使わなかったようなタイトルだけど、彼自身が選んだものなので、それでいいと思っている。とても衝撃的で、とても陰鬱で、今振り返ると、ある意味予言的とも言えるタイトルとなったね。あまり深く話し合ったわけではないけれど、今思えば、彼は最終的に生き残れないかもしれないという不安を抱えていたのだと思う。いまではないにしても、数年後にはそうなるかもしれないと。だから、これはこれから起こることの予兆のようなものだったのかもしれないね。うん、本当に力強いタイトルだ。Tomas のタイトルだよ」
音楽的に、Tomas はシンプルなスタイルに回帰することを望んでいました。
「Tomas と他のメンバーは僕がバンドに戻ってきたことを本当に喜んでいて、僕が戻ってきたことで彼らはどういうわけか新しいエネルギーを得たようだった。Tomas の希望は “Slaughter Of The Soul” や “At War With Reality” のような、よりシンプルなアレンジ・スタイルに戻ることだと言っていたね。というのも、彼らは過去2枚のアルバムでプログレッシブなスタイルのパートを作っていたから。それで、僕と Jonas は曲作りを始め、ほぼ半々で書きあげたんだ」
終焉の全貌を理解するには、まずは始まり、つまりイエテボリで道を切り開こうとしていた若者たちの馴れ初めに遡る必要があります。彼らはメジャーなメタルとアンダーグラウンドの両方から影響を受けていました。
「つまり、最初は基本的に僕と Jonas と学校の友達だったんだ。ACCEPT の “Restless and Wild” みたいな音楽を聴き始めて、もっとヘヴィな音楽を探し求めていた。もっと速く、もっとヘヴィに、もっとブルータルに、でも少しだけスケールアップした感じの音楽が欲しかったんだ。
ACCEPT の次の段階は、W.A.S.P. がファーストアルバムを出した時だった。それから、”Animal (Fuck like a Beast) EP” もね。まあ、父が英語が分かるから買えなかったんだけど。それに(Blackie Lawlessが)股間にノコギリの刃を刺してたし。僕たちまだ10歳くらいだったからね(笑)。
それから METALLICA, SLAYER へと進み、1989年に Tomas と出会ったことで、MORBID ANGEL やアンダーグラウンド・メタル・シーン全体に足を踏み入れることになったんだよね」
Björler 兄弟が Tomas と出会ったことで、すべてが変わりました。Tomas は当時、後に AT THE GATES のメンバーとなる Alf Svensson と共に GROTESQUE というバンドで地元のシーンにおいて既に頭角を現していました。
「Tomas はストックホルムで NIHILIST, DISMEMBER, TIAMAT, GRAVE のメンバーなど、たくさんの知り合いがいたんだ。でもイエテボリに来てからはかなり孤独だったから、もっと関われる何かを求めていたんだよ。自分の音楽を広めたかったんだろうね。
彼と、カスケード誌を創刊した友人は、イギリスのメタル雑誌 “メタル・フォース” にたくさんの広告が載っているのを見つけたんだと思う。それで、他の雑誌の広告やデモテープなどの広告もカスケードに載るようになった。いわばセミ・アンダーグラウンドな雑誌だったんだけど、普通の書店でも手に入ったから、既に流通していたといえる。だけど、アンダーグラウンド系の広告も載っていたんだ。だから、AT THE GATES は Tomas との出会いで始まったと思う。彼は僕に新しい世界を開いてくれたからね」
兄弟は1990年に Tomas, Alf, そしてドラマーの Adrian Erlandsson と共に AT THE GATES を結成し、デビューEP “Gardens of Grief” をリリース。その後、Alf が脱退するまでに、1992年に “The Red in the Sky is Ours”、1993年に “With Fear I Kiss the Burning Darkness” という2枚のアルバムをリリースしました。
「Alf は最も複雑でひねくれたアイデアを提供してくれていた。僕たちは彼から大きな影響を受けていたし、今もそうだ。彼は素晴らしい音楽を書いていた。初期の作品の問題点は、プロダクションがひどいことだね。良いサウンドだったら、もっとずっと面白くなっただろう。でも、93年に彼が脱退した後、THE HOUSE OF USHER の Martin Larsson が加入し、ソングライティングはよりストレートになったよ」
当時のバンドの技術はまだまだ未熟で、楽器の上達にも情熱を傾けていました。
「本当に大変だったんだ。僕たちはイエテボリの南にある小さな村の出身だった。イエテボリというより、本当に小さな村でね。だから、奇跡みたいなものだよ。確かに、僕たちは何かユニークなことをしていると思っていたし、実際そうだった。でも、世界最高のバンドだとは思っていなかったよ。僕にとって一番大きな問題は、楽器の演奏が本当に下手だったこと。いつも練習していたんだけどね。たぶん “Terminal Speed Disease” の頃になって、少しずつ上達し始めたよ。それからは、少なくともマシにはなった。だから、最初の頃の本当の苦労は、演奏が下手だったことだね。でも、僕が初めてギターを手に入れたのは1990年の2月だったんだ。つまり、AT THE GATES を始める数ヶ月前のこと。だから、たくさん練習しなきゃいけなかった。最初のミニアルバム “Gardens of Grief” は冬、12月と1月にレコーディングしたんだ。だから、練習期間はたった10ヶ月しかなかった」
バンドは1994年にピースヴィル・レコードから “Terminal Spirit Disease” をリリースし、1995年にはイヤーエイク・レコードから、今や名盤の誉れ高い “Slaughter of the Soul” をリリースしました。これが彼らにとって以降19年間の最後のアルバムとなりました。 しかし皮肉なことに、バンドとその仲間たちは不在の間にカルト的な人気を獲得し始めます。そうして、イエテボリ・サウンドはより幅広い層にアピールするようになっていきました。
「確か DARK TRANQUILLITY の Mikael が、1998年頃にドイツで行ったインタビューで、イエテボリ・サウンドとかいうやつを耳にしたのがきっかけだったと思う。そう、その頃、それから2年後くらいだったかな。アメリカのバンドの多くは、東海岸で行われたMORBID ANGEL, DISSECTION, AT THE GATES のライブに出演したがっていたんだ。SHADOWS FALL, KILLSWITCH ENGAGE, UNEARTH のメンバーと話をしたよ」
2008年に数回の再結成ライブを行いましたが、バンドが本格的に復活し、名盤 “Slaughter of the Soul”のラインナップを擁する、強烈な5thアルバム “At War With Reality” をリリースするまでには、さらに6年の歳月を要しました。もし、あの解散がなければバンドはより大きくなっていたのでしょうか?
「僕は衝動的で感情に流されやすい性格なので、最初にバンドを脱退するのは非常に感情的な決断でした。10ヶ月間も無給でツアーを続け、膨大な量の仕事をこなさなければならなかった。僕たちはまだそんな準備ができてなかったんだ。まだ20歳で、若くて、早すぎたんだ。もちろん、お酒もたくさん飲んだしね。ちょっとした喧嘩もあったけど、深刻なものではなかったね。Tomas は、ビッグなバンドになることに非常にこだわっていたけど、僕はそうではなくて、音楽を作ることに夢中だった。そしてそれは今も変わらない。重要なのははアートを創造すること。キャリアには興味がない。街で声をかけられたりするのは嫌なんだよ。だからインタビューも好きじゃない。ごめんね。以前は Tomas がインタビューを全部やってくれてたから、僕にとっては全然新しい経験でね。僕はかなりシャイな人間だからね。でも、音楽を作ること、それが僕にとって常に重要だった。つまり音楽そのものが大切なんだ。名声には興味がない」
Anders は2017年にバンドを脱退し、ツアーやレコーディング活動とは無縁のキャリアを歩み始めましたが、5年後、彼はバンドメンバーと再会し、ライブを再開。後に “The Ghost of a Future Dead” となる楽曲制作に取り掛かりました。
「復帰はとても自然な感じだった。戻ってきてすごくいい気分だったし、エネルギーもみなぎって、また楽しくなった。もちろん、みんな連絡を取り合っていたし、Jonas は双子の兄弟みたいなものだ。他のメンバーとも連絡を取り合っていた。彼らは怒ったりしなかった。僕たちも年を取ったからね。誰かがグループを離れて別のことをしようと決めたとしても、わだかまりはない。人生ってそういうものだからね」
90年代と今とでは、変わったことがあるのでしょうか?
「一番大きな変化は、音楽理論に関する知識が格段に増えたことだと思う。つまり、音楽についてずっと多くのことを知っていて、よりこだわりが強くなったということかな。ドラムのBPMが0.5倍ずれているだけでも、チューニングが0.05%間違っているだけでも、すぐに分かるからね。本当に、まあ、職業病みたいなものだね。40年、いや35年もの間、膨大な量の音楽を聴いてきたわけだから。でも、初期の頃のあのエネルギー、あの若々しさが懐かしいよ。僕たちは本当に、本当に、世界を変えられると信じていた。実際にそう信じていたんだよ。
ああ、そう、俺たちは自分たちがビートルズかローリング・ストーンズか何かだと思ってたんだ。でも実際は、奇妙な影響を受けたクレイジーなデスメタル・バンドだった。あの頃のエネルギーと集中力が懐かしいよ。もう53歳だしね。ちょっと怠け癖が出て、モチベーションを維持するのが難しくなる時もある。家族や友達と過ごす時間を増やしたくなるしね。だから、そう。それが以前との大きな違いなんだ」
Anders の音楽の嗜好も変わってきたようです。
「最近は60年代のジャズ、例えばコルトレーンやマイルス・デイヴィスみたいなものはよく聴くね。妻はアンビエントとか、すごくダークな音楽をよく聴かせてくれる。新しいポップスも聴くよ。つまり、良い気分になれるもの、良いものなら何でもいいと思う。でももちろん、クラシック・メタルも聴くし、BLACK SABBATH や RAINBOW などの70年代のメタルも好きだ。SLAYER や TROUBLE なども今でもよく聴く。聴かないのは難しい。何でもいい。でも、モダンメタルは聴かない。だから、メタルを聴くとしたら、MORBID ANGEL とか、89年か90年に出た頃まで。それ以降はあまり聴かないね。
昔の音楽を聴くのは、それが自分が育った音楽だから。だから、現代の音楽はメタルじゃない。何か別のものだ。だから何でもいい。映画音楽、サウンド・トラック、何でも。昔のイタリアやスペインのカルト映画、つまりマカロニ・ウェスタンやガロ・スリラー、それから “食人ゾンビ” などもよく観るし、イタリア映画のサウンドトラックもよく聴くね。ブライアン・イーノ、エンニオ・モリコーネなど、有名な作曲家はたくさん、他にも100人くらいるね。ロシアのクラシック音楽も素晴らしいよ。AT THE GATES に大きな影響を与えていると思う。チャイコフスキー、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフなど、特に不協和音のハーモニーが重要だ。Jonas もよく聴いていたんだ」
復帰の条件として、大規模なツアーやメディア対応はしないと冗談交じりに話しながら、Anders は、このアルバムに関わるすべて―プレス対応からアートワークやビデオの制作、あらゆる計画や祝賀会まで―は、すべて Tomas 追悼のためだと強調します。
「これは Tomas のためにやっているんだ。ああ…話すのはとても辛いよ…つまり、ジャーナリストと話すのは非常に厄介なことであると同時に、セラピーのようなものでもあるんだよな。というのも、多くのジャーナリストが Tomas を個人的に知っていたことに気づいたからね。実際、彼の話をしていると、泣き崩れてしまうジャーナリストもいたくらいでね。誰にとっても、彼の死は大きな出来事だったんだ」
30年以上にも及ぶ友情、青春時代から大人になるまでの道のりを振り返ると、音楽よりも大切なのはメンバーとの兄弟のような絆でした。
「音楽というより、友情の方がずっと大切だった。最初の数年間は確かに友情があったけれど、それはまだ青春時代だったからね。だから、それから色々な感情が渦巻いてきて、いくつか間違った決断もしたし、ツアーが中止になったり、イライラすることもたくさんあった。
でも、その後、30代になって大人になった頃、Tomas に息子が生まれた。彼はすっかり別人のように、謙虚になった。バランスが取れた人間になっていたんだ。先生として働いてもいたしね。だから再結成した時、僕たちは最高の親友だったと言えるだろう。バンド以外でも一緒に過ごしたし、まるで家族みたいだった。だから、この友情はいつまでも僕の大切な宝物なんだ」
ドラマー Adrian Erlandsson は、アルバムの歌詞をまだ聴けていません。
「正直に言うと、歌詞については何も言えないんだ。歌詞を読んでいないからね。Tomas の病気、そして最終的には彼の死という、このアルバムを取り巻く様々な出来事があったから、長い間、聴くのが辛かったんだよ…彼が亡くなる直前から、ようやくまた聴き始めたんだけどね…」
残されたバンドメンバーにとって、”The Ghost of a Future Dead” のリリースは、悲しみと表裏一体でした。すべての音、すべてのサウンド、すべての映像は、フロントマンであり、そして何よりも大切な友人であった、今は亡き Tomas のことを思い出させます。しかし同時に、この遺作は彼の情熱、不屈の精神、そして比類なき才能の証でもあるのです。
「ちゃんと彼を悼む時間がなかったことに気づいた。まだ真っ只中にいるからね。まだこのアルバムに没頭している。インタビューを受けたり、アルバムの最終調整をしたり、彼のミュージックビデオを作ったりしているんだ。
すべてが彼の存在を感じさせる。どこに行っても彼のことを思い出す。音楽も、映像も、”The Fever Mask” のビデオも、街を歩いているだけでもそうだ。よく通っていたパブやレストランの前を通ったり、かつて住んでいた場所へ向かう古いバスを見かけたりするとね…つまり、何もかもが Tomas を思い出させるんだよな…
彼の残した功績にとても重きを置いているよ。それが一番大切なことなんだ。彼の記憶を後世に伝えることが本当に…重要だ。彼は非常に強い意志を持った人物で、特に音楽シーンに大きな影響力を持っていた。彼に会ったことのある人、ジャーナリスト、他のバンド、出身地を問わず、誰もが彼のことを覚えている。彼はとても社交的で、いつも新しい人をみんなに紹介してくれたから、誰も疎外感を感じなかったんだよな。僕は、人々が彼をそんな風に記憶してくれることを願っているよ」
バンドはこれからどうなるのでしょう?
「何も予定はない。というのも、アルバムを Tomas が望む形に仕上げることに集中してきたからね。彼がもう歌えないとわかってからは、Tomas の遺産を世に残すことに集中し、それを実現しようとしてきた。それが最優先事項だった。バンドの継続については全く話し合っていないよ。Tomas の代役なんて、そもそも不可能だろう。彼は本当に個性的な人物だったからね…」
REST IN POWER…TOMAS “TOMPA” LINDBERG
参考文献: METAL INJECTION :The Ghost Of A Future Dead: The Life & Legacy Of AT THE GATES & TOMAS LINDBERG
ROCKING GREECE :At The Gates: “It’s all about creating art, not a career”






