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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【ELECTRIC CALLBOY : TEKKNO】 FOX_FEST 24 SPECIAL !!


COVER STORY : ELECTRIC CALLBOY “TEKKNO”

“You Listen To With Your Ears But Feel In Your Heart. You’d Never Predefine The Type Of Person You’d Fall In Love With, So Why The Songs?”

TEKKNO

「僕たちが考えた他の新しい名前はどれも間違っていると感じた。ESKIMO CALLBOY は10年以上僕らの名前だったから、新しい名前にするのは違和感があったんだ。でも、僕らにはバンドとしての責任があることは分かっていた。他人のことを気にしないバンドにはなりたくない。人々を分断したり分離させたりするのではなく、ひとつにまとめなければならないんだ」
長く親しんだ名前を変えること。それは容易い決断ではありません。大人気のバンドならなおさら。それでもドイツのヤング・ガンズは改名に踏み切りました。 彼らは “Eskimo” という単語を “Electric” に変更しましたが、これはエスキモーという言葉が北極圏のイヌイットやユピックの人々に対する蔑称と見なされるため。その後、彼らは過去のアルバムのアートワークを新名称で再リリースしたのです。
「僕は初めて父親になったが、すでに存在するバンドに新しい名前をつけるのは難しいよ。だから、僕たちは “EC” というイニシャルを残したかった。”エレクトリック” ならかなり流動的だったし、イニシャルも残っていた。そうでなければ、リブランディングは大きな問題になると思ったんだ。みんな受け入れてくれるだろうか?多くの不安があった。でも、たぶん受け入れられるのに1ヵ月もかからなかったし、みんなそんなことは忘れてしまったよ。この新しい名前はとてもクールだよ」

改名のタイミングも完璧でした。最新作 “Tekkno” のリリース前、ロックダウン中。彼らのインターネットでの存在感を通してファンとなった人たちは、”Hypa Hypa” で津波のような畝りとなります。何よりも、ネオン輝くエレクトロニック・ミュージックとメタルの鋭さは、人々が最も暗く、そしておそらく最も慢性的に憂鬱をオンラインで感じているときに必要なものだったのです。
この曲の大成功は、すでに5枚のアルバムをリリースし、新時代の到来を告げるドイツのグループにとって強力な基盤となりました。
ラインナップの変更も発生。クリーン・ボーカリストの Nico Sallach が加入し、それに伴いグループ内に新たなケミストリーが生まれました。Sallach ともう一人のボーカリスト兼キーボーディスト Kevin Ratajczak の間には紛れもない絆が生まれ、それは ELECTRIC CALLBOY のライブ体験の特別な基盤となっています。そんな絶好調の彼らを “ドイツ最大の輸出品” と推す声も。
「今は2年前のような、みんながすごく期待していたような感じではないんだ。パンデミックの間に高まっていたバブル(誇大広告)だよ」

バブルは弾けるものですが、この人気の津波は決して彼らが儚い泡のようなアーティストではなかったことを証明しています。極彩色をちりばめた “Tekkno” のリリースは、バンドにとってスターダムへの最後の後押しとなりました。
重厚なブレイクダウンと自信に満ちたメタルコアのリフ、大胆にポップへと傾倒した予測不能なボーカル・メロディ。”Tekkno” は、ELECTRIC CALLBOY にドイツで初のアルバム・チャート1位をもたらしただけでなく、ヨーロッパやイギリスの他の地域のアルバム・チャートでもトップ20の栄誉を与えました。
さらに、このアルバムはソングライター、プロデューサーとしての彼らの洗練された芸術性をも実証しました。曲作りからプロダクション、ビデオへの実践的なアプローチに至るまで、そこに彼らの一貫した意見と指示がないものはありません。
「僕たちはお互いを高め合っている」 と Ratajczak は言います。「多くのバンドは、プロデューサーとバンドの1人か2人で曲を作っている。でも僕らは、みんなで曲について話し合うんだ。みんな、自分たちのアイディアを持っている」

つまり、ELECTRIC CALLBOY は、バンドだけでなく、音楽的にも生まれ変わったと言っていいのでしょう。
「Nico を新しいシンガーに迎え、以前のシンガーが辞めたこと。これは新たなスタートであり、かつてのバンドの死でもあった。新しいスタートを切り、2010年に戻ったのだから、何が起こるかわからなかった。 でも、少なくとも “Tekkno” で何をしたいかはわかっていた。”再生” という言葉がぴったりだと思う。これが自分たちだと胸を張って言える。これが僕らの音楽なんだ」
“Tekkno” に込めたのは、純粋さと楽しさ。シリアスなテーマのメタルコア・バンドが多い中、より楽観的なサウンド・スケープにフォーカスして作られたこのアルバムで彼らは、たまには解放されてもいいと呼びかけました。
「人生でやりきれないことがあったら、そのままにして人生を楽しもう。自分のために何かをしよう。
バンドを始めたとき、僕らは20代半ばだった。パーティーと楽しい時間がすべてだった。他のことはあまり気にしていなかった。責任感もなかった。ただその瞬間を生き、楽しい時間を過ごした。それは音楽にも表れていた。
しかし、成功とともに責任も重くなった。僕はいつもスパイダーマンとベンおじさんの言葉を思い出す。”大いなる力には大いなる責任が伴う”。だから多くのバンドが、政治的なテーマであれ、その他さまざまな深刻なテーマであれ、シリアスなテーマを取り上げるようになる。
でも僕たちは、たとえ嫌な気分、仕事で嫌なことがあったり、配偶者とケンカしたりしたときでも、その状況から気持ちを切り離して、そのままにしておいて、楽しい時間を過ごしたり、映画を観たり、例えばエレクトリック・コアを聴いたり、ただ放心状態になったりすると、日常生活の問題に再び立ち向かえるほど強くなれることに気づいたんだ。哲学的に聞こえるかもしれないけど (笑)。でも、これは普通の行動だと思う。自分のために何かをする、自分を守るためにね」

“パーティー・コア” “エレクトリック・コア” というジャンルに今や真新しい輝きがないことは多くの人が認めるところですが、彼らは改名を機に、このジャンルに再度新たな命を吹き込みました。
「5人全員が同意して、またこのジャンルをやってみたいと思った時期があって、再び書き始めたんだ。
“Rehab” は悪いアルバムだった (笑)。好きな曲もあったけど、あれはひとつの時代の終わりだった。あのアルバムを仕上げるのは、ほとんど重荷だった。昔のシンガーと妥協点を見出すのは不可能に近かったから。もうスタジオには行きたくなかった。その結果、僕たちは以前のボーカリストと決別することになった。正直なところ、これは僕たち全員にとって最高の出来事だった。というのも、僕たちは皆、バンドを愛し、10年以上もこのために懸命に働いてきた。だからそれがすべて崩れ去ることを恐れていたんだ。
恐怖だけではなかった。どうやって続けるのか?ファンは新しいボーカリストを受け入れてくれるだろうか?僕たちは新しいボーカリストを受け入れるのか?言っておくけど、前のボーカルのせいにはしたくない。彼は彼自身のことをやっている。彼も同じ話をするだろう。その後、5人全員がスタジオに来て、”2010年のように音楽を作ろう” と言ったんだ」
THY ART IS MURDER, SCOOTER, THE PRODIGY が彼らの中で同居することは、それほど奇妙ではありません。
「僕たちは、ジャンルの境界線が難しいと信じたことは一度もない。もちろん思春期には、自分が何者で、何を聴くかによって自分がどう違うかを定義しようとするものだ。でもね、音楽に説明はいらない。耳で聴き、心で感じる。どんな人と恋に落ちるかは決められないのに、なぜ好きになる歌はジャンルで決めるの?」

ゆえに、ELECTRIC CALLBOY にとって “メインストリームになる”、あるいは “メインストリームに引き寄せられる” といった揶揄は、いささかも意味をなしません。それは彼らのインスピレーションの源は、ほとんど無限であるだけでなく、ブラックメタルやデスコアのようなジャンルに閉じこもるバンドが、現実的には世界人口の1%にも届かないことを痛感しているからでしょう。
「僕の経験では、ヘヴィ・バンドが “メインストリームになる” というのは、バンドが自分たちの音楽を変えるということなんだ。彼らはよりソフトになり、より親しみやすくなり、より多くのリスナーを積極的に求めている。僕らはそんなことはしていない。確かに、ELECTRIC CALLBOY がメタル・ミュージックを “非メタル・ファン” の人たちにも親しみやすいものにしていると言われれば、それはとても美しいことだと思う。それでも、世界人口の60%以上にリーチできるかもしれないポップ・アーティストに比べれば、誰もが僕らを知る機会があるわけじゃない。僕たちは、すべての人々にリーチしたいし、その可能性があると信じている。だけどね、そのために変わることはない。大事なのは、僕たちのショーに参加した人たちが、友達みんなに伝えてくれて、次にその人たちも来てくれるようになることなんだよ」


参考文献: KERRANG! :Electric Callboy: “We’re living our best lives right now. This is the time to celebrate that”

OUTBURN:ELECTRIC CALLBOY: Rebirth

LOUDERSOUND:”We have to bring people together not divide them”: Electric Callboy don’t mind being tagged a ‘novelty’ band so long as they can make metalheads smile

FOX_FEST JAPAN 特設サイト

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【LOHARANO : VELIRANO 】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH LohArano !!

“One Of Our Major Objectives Is To Restore The Value Of Malagasy Culture, Which We Feel Is Being Lost Over Time. Our Language, Our Musical Sound, Our Ancestral Wisdoms, We Have So Many Extraordinary Things That We Tend To Devalue In Comparison With Western Culture, It’s Sad.”

DISC REVIEW “VELIRANO”

「私たちの大きな目的のひとつは、時間の経過とともに失われつつあると感じているマダガスカル文化の価値を回復することなのだから。私たちには言語、音楽、先祖代々の知恵など、素晴らしい文化がある。だけどそれらは西洋文化に比べて軽視されがちなんだよね。悲しいことだよ」
ヘヴィ・メタルの感染力は、もはやとどまることを知りません。文化や言語、人種に宗教の壁を越えてアジアや南米を侵食したメタルの種子は、ついにアフリカの南端の島までたどり着きました。そう、インド洋のグルニエことマダガスカルに。
マダガスカルといえば、まず私たちは色とりどりの豊かな自然と、独自の進化を遂げた固有種を思い浮かべることでしょう。そんなメタルらしからぬ場所にまで、今やメタルは届いています。そして、首都アンタナナリヴォを拠点とする新鋭トリオ LohArano は、島のシンボルであるワオキツネザルのように、ヘヴィ・メタルを独自に、魅力的に進化させていくのです。
メタルの生命力が傑出しているのは、世界各地で芽吹いたメタルの種を、その土地土地が育んだ文化の色に染め上げていくところ。LohArano は、ツァピキーやサレギーといった人気の高いマダガスカル音楽のスタイルを、オルタナティブなメタルを融合させた非常にユニークなサウンドを得意としています。それは文化を守ること。それは伝統を抱きしめること。LohArano は、培われた文化は平等に尊いこと、そして消えてはならないことを肌で感じて知っているのです。
「そう、ここでメタルをやるのはとても大変なんだ。日々の食事に事欠くくらいに大変なのだから、楽器を買い、スタジオを借り、演奏することがどれほど大変か想像してみてほしい。もしそうすることができたとしても、ここでのコンサートはお金にならないし、メタルは社会のステレオタイプに対処しなければならない。マダガスカルの多くのスタジオは、ハードロック/ヘヴィ・メタルのバンドを受け入れることを拒否しているんだから」
そうした “楽園” のイメージが強いマダガスカルですが、そこに住む人たちにとってこの国は決して “楽園” ではありません。世界最貧国のひとつと謳われるマダガスカルは、貧困と病が深刻な状況で、抑圧的な政治も機能せず、そうした権力に反抗する暴動も頻発しています。そんな苦難の中で、RAGE AGAINST THE MACHINE や SYSTEM OF A DOWN のような “プロテスト・メタル” と出会った彼らはメタルで状況を変えよう、世界を良くしようと思い立ちます。
「”Velirano” “誓い” は、政治家たちが国民をいかにぞんざいに扱っているか、生存のわずかな望みのためなら何でも受け入れる国民に対する不条理で馬鹿げた誓いの風刺なんだよ」
だからこそ、LohArano のモッシュ・ピットは散々な目に遭わされ、打ちのめされ、騙され、不条理を受け止め続けた人たちの、もうたくさんだという正義の怒りにあふれています。そうして、さながらLIVING COLOUR の “Cult of Personality” や、暴力的でディストピア的な独裁ファンタジーを暴露する “The Wall” のマダガスカル版ともいえるこの曲で、彼らはついに世界的な大舞台 Hellfest に到達します。
「私たちがその名を知られ始めているのは事実で、もうそれがすでに大きな一歩。だって、私たちの言葉に耳を傾ける人が増えるんだから。同意する、しないにかかわらずね」
そう、彼らはマダガスカルの “声” を届けるため、この場所まで進んできました。そうして長い苦闘の末、ついに彼らの声は世界に届き始めたのです。私たちは、メタルの寛容さ、包容力で、今こそ LohArano の戦いを、声を、音楽を、抱きしめるべき時でしょう。
今回弊誌では、LohArano にインタビューを行うことができました。「Hellfest の出演は素晴らしいニュースだし、Lovebites と一緒にプレーできることを光栄に思うよ!Lovebites はロックだ!素晴らしいバンドとステージを共有できることに興奮している!あとは Maximum The Hormone の大ファンなんだ!彼らはクレイジーさ!大好きなんだ!」 どうぞ!!

LohArano : “Velirano” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【FRIKO : WHERE WE’VE BEEN, WHERE WE GO FROM HERE】FUJI ROCK 24!!


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH FRIKO !!

“I Personally Am Obsessed With Whatever That Magic Is That Makes Records “Classic”. So I Spent a Lot Of Time Over The Past Few Years Listening To All These Records That We Give This Honor And Taking In What They Had To Say.”

DISC REVIEW “Where we’ve been, where we go from here”

「レコードを “クラシック” にする魔法、それが何であれ、それに取り憑かれている。だから、ここ数年、僕たちはそうした “名盤” だと思えるレコードを聴き、そのレコードが語っていることを受け止めることに多くの時間を費やしてきた。僕にとって、これらの “名盤” たちに共通しているのは、彼らが何かを語っているということ。それが言葉であれ音楽的なものであれ、そこには目に見える即効性があった。”Pet Sounds” における即効性は、”OK Computer” における即効性とはまったく違うけれど、それでも僕の中では同じカテゴリーのものなんだ」
“friko4u”。みんなのためのFRIKO。それはシカゴのインディー・ロック・シーン、HalloGallo 集団から登場し、瞬く間に世界を席巻した FRIKO のインスタグラムにおけるハンドル・ネーム。FRIKO が何者であろうと、彼らの音楽は世界中から聴かれるために、つまり音楽ファンの喜びのために作られているのです。
そのために、FRIKO のフロントマン Niko Kapetan とドラマー Bailey Minzenberger は、THE BEACH BOYS から RADIOHEAD まで、自らが名盤と信じる作品を解析し、”目に見える即効性” という共通点へとたどりつきました。カラフルであろうと、難解であろうと、先鋭であろうと、名盤には必ずある種の即効性が存在する。そうして彼らは、その信念を自らのデビュー・フル “Where we’ve been, where we go from here” へと封じ込めました。
「シカゴのシーンがとにかくフレンドリーであるところだと思う。たとえば他の3つのバンドと一緒にライブをすると、みんなお互いのセットに残って見てくれる。みんなコラボレーションしたり、他のバンドで演奏したりする。シカゴは、LAやニューヨークのような他のアメリカの主要都市と違って、20代から30代前半の人たちが手頃な家賃で住めるということもあると思う。だから、ここでの生活をエキサイティングなものにしようとする若者がたくさんいるんだよ」
アルバムに込められた想い。それは、”私たちがいた場所、そしてここから進む場所”。シカゴのインディー・シーンは決してLAやNYCのように巨大ではありませんが、それを補ってありあまるほどのエナジーと優しさがありました。競争ではなく共闘。その寛容さが彼らを世界規模のバンドへと押し上げました。DINASOUR JR? ARCADE FIRE? THE CURE? レナード・コーエン?ショパンにワグナー?!比較されてもかまわない。彼らは “名盤” のタイムマシンでただ世界を笑顔にしたいだけなのです。
FRIKO のオフィシャル・サイトの URL は “whoisfriko.com”。そこには ARCTIC MONKEYS が2006年に発表したEP “Who the Fuck Are Arctic Monkeys” を彷彿とさせる不敵さがあります。きっとFRIKO って誰?の裏側には、誰だって構わない、私たちは私たちだという強い信念が存在するはずです。
「SQUID, BLACK MIDI, BLACK COUNTRY, NEW ROAD の大ファンなんだ。彼らは、私たちよりもっとヴィルトゥオーゾ的なミュージシャンだと思うし、だから技術的なレベルでは太刀打ちできないから、エモーショナルでタイトなソングライティングの面でアクセントをつけようとしているんだ (笑)。でも、そうした新しいエネルギーが再びロック・ミュージックに戻ってきているのを見るのは素晴らしいことだし、若い人たちにとってはエキサイティングなことだと思う」
そうして FRIKO は、ポスト・ロックやプログまで抱きしめた新たな英国ポスト・パンクの波とも共闘します。いや、それ以上に彼らの寛容さこそが、長年すれ違い続けたアメリカと英国のロックの架け橋なのかもしれません。なぜなら、そこには David Bowie や QUEEN、そして THE BEATLES の魂までもが息づいているのですから。FRIKO は誰?その質問にはこう答えるしかありません。大西洋を音楽でつなぐエキサイティングな時計の “振り子” だと。
今回弊誌では、FRIKO にインタビューを行うことができました。「僕は宮崎駿の映画で育った。ジブリ映画は、僕が書く音楽に、音楽以外のどの作品よりも影響を与えている。宮崎駿には、世界中の人々に通じる特別な何かがあるんだ」 どうぞ!!

FRIKO “WHERE WE’VE BEEN, WHERE WE GO FROM HERE” : 10/10

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COVER STORY 【REMEMBERING VITALIJ KUPRIJ (ARTENSION, RING OF FIRE, TRANS-SIBERIAN ORCHESTRA)】


REMEMBERING VITALIJ KUPRIJ (ARTENSION, RING OF FIRE, TRANS-SIBERIAN ORCHESTRA)

“Knowledge, Experience, and Confidence Are The Tools That I Use To Improve Myself. Knowledge Is Something You Gain As You Do It. You Apply Your Knowledge And Get Experience Out Of It. Confidence Is Something You Need In Your Vision To Survive And To Defend Your Point Of View As An Artist. Otherwise You Are Just a Copy Machine Or a Shallow Artist.”

HIGH DEFINITION

ウクライナ系アメリカ人のマエストロ、Vitalij Kuprij が亡くなりました。享年49歳。Vitalij は、コンサートホールのグランド・ピアノでベートーヴェンの協奏曲第4番を弾くのも、アリーナでフル・ロック・バンドに囲まれてネオクラシカル・メタルを披露するのも、両方お手のものでした。
Vitalij はクラシック、メタル、どちらのジャンルにも精通しており、クラシックの楽曲を演奏するソロ・アルバムと、コルグのキーボードでロックするプログ・メタル ARTENSION や RING OF FIRE でも存在感を発揮。のちに、あの TRANS-SIBERIAN ORCHESTRA にも加わり、メタル世界にとって不可欠な存在となっていきました。ARTENSION のファーストは本当に斬新で、キャッチーで、変態で、あの時代に消えかけていたプログ・メタルの炎を再燃させてくれました。
特筆すべきは、彼が教育をしっかりと受けたプロのクラシック奏者だったことで、当時メタル世界の演奏者に彼のような背景を持つ人物はほとんどいませんでした。だからこそ斬新で、個性的な作曲術、特殊なミキシング、鍵盤を打ちのめすような演奏、強烈なアイデンティティまで愛されるようになりました。アルバムを聴けば、音を聞けば、クレジットを見るまでもなく彼だとわかる。
だからこそ、あまりに早すぎるのです。ただでさえ、メタル世界にカリスマ的キーボーディストはほとんど残されていませんし、新たに登場してもいません。Jens Johansson, Andre Anderson, Jordan Rudess, Derek Shrenian…残念ながら、明らかに両手に収まるほどの人数です。Vitalij がこれから残すはずだった音楽、育てるはずだった人たち…あまりにも大きな喪失です。せめて、彼の言葉、ストーリー、メソッドをここに残しておきましょう。音楽は永遠に消えませんが、物語は語り継がねば消えてしまうのですから。

Vitalij の家はミュージシャンの家系でした。
「父はプロのトロンボーン奏者だった。彼はたくさんの役割があってね。トロンボーンが主な楽器だったけど、音楽教師でもあり、音楽学校の校長でもあり、文化会館の館長でもあった。 自分のバンドも持っていて、ベース奏者でもあったね。父は私をトラブルに巻き込んだ張本人さ (笑)。
最初は父の親友が、私にアコーディオンを習わせようとしたんだ。アコーディオンは、ウクライナではとてもとてもポピュラーな楽器だこらね。父はその年の9月のアコーディオン・レッスンに申し込んだ。レッスンを始める前日、父は私を仕事場に連れて行った。そこでフォーク・バンドのために作曲をしていて、私はそこにあったアップライト・ピアノに駆け寄ったんだ。後で父に聞いたんだけど、私はそこでジャムを始めたらしい!私の指は自然にピアノの鍵盤に触れた。 父はその友人に電話して、私をアコーディオンのレッスンからピアノのレッスンに変えることを告げた。 私の人生は完全に変わったんだ! 本当に感謝しているよ。アコーディオンは嫌いじゃないけど、ピアノは王様だからね!」
そうして Vitalij は、ウクライナでクラシックの訓練を受けることになりました。
「クラシックの訓練は基本的に伝統的な西洋音楽だったね17~18世紀の偉大な作曲家を学んでいった。モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスとかね。ウクライナにも偉大な作曲家が何人かいて、学校では彼らの曲も教わったよ。 その中には今日まで心に残っている素晴らしいピアノ曲がいくつかある。 もちろん影響を受けたよ。 レフコ・レヴツキーという偉大な作曲家がいた。彼の音楽は、とても民俗的なものだ。とはいえ、私の訓練の主な基礎はドイツとフランスの音楽だったね」

最も影響を受けたクラシックの作曲家は誰だったのでしょう。
「いつも変わるんだ。自分の楽器や真のクラシック・トレーニングの技術をマスターしたければ、視野を広げ、一つのことに集中しないこと。ただ私にとって際立っていた作曲家はショパンかな。 ショパンは主にピアノのために作曲した。幼い私にとって、ショパンは憧れの存在だったよ」
11歳の時、Vitalij は音楽的訓練を続けるために家を出てモスクワに行き、その後、全ユニオン・ショパン・コンクールに史上最年少で出場して優勝しました。
「当時のソ連では、どんな訓練を受けてもスパルタだった。軍事であれ、音楽であれ、絵画であれ何であれ、軍隊のように行われていたんだ。とても厳しかった。 狭い部屋に5人という寮生活で、プライバシーはなく、すべてが公開されていた。シャワーは週2日。それは最も奇妙なことだったけど、同時に感謝しているんだ。私は必要な規律を得たからね。レッスンは、西欧やアメリカで行われているような週1回ではなかった。私は1日に2、3時間のレッスンを2日おきに受けていた。残りの時間は練習に充てたね。
すべての作曲家を勉強したけど、先ほども言ったようにこの頃の私はショパンに惚れ込んでいて、他の曲は弾きたくなかった。 それは政府に “ファック・オフ” と言っているようなものだった。 先生に “他の曲は弾きたくない” と言ったので、学校の先生たちは、ショパンだけに専念させていいかどうかで議論になった。最終的に、学校の代表としてショパン・コンクールに出場するなら、ショパンの曲だけに専念してもいいということになったよ。
そのコンクールで優勝したことで、本当に道が開けた。 13歳の時に3ヶ月間、列車でソ連をツアーしたんだ。
ショパン・コンクールはロシアの北にあるカザンで開催されてね。私は初めて飛行機に乗ったのだけど、ひどい吹雪の中だったよ。まあだから、良い思い出もあるんだけど、ロシア人と思われることもあるのは困るね。私はウクライナ出身だから」

そんなクラシックの申し子が、他のジャンルに目を向けるきっかけが、Yngwie Malmsteen でした。
「たしかに父がフォーク・バンドで演奏したりするのは見ていたけれど、私は完全にクラシック・オタクだった。 当時、ソ連にはメロディヤというレコード会社しかなかったんだ。兄が Yngwie のアルバム “Trilogy” を買ってきてくれたんだ。それをかけて、あの素晴らしき “Liar” を聴いた。 すぐにバンドを組みたくなった。友達に頼み始めたんだ。
Yngwie のアルバムに心を掴まれたけど、THE BEATLES の “A Taste of Honey” というアルバムもあったし、QUEENのアルバムもあった。 それらすべてをいつも聴くようになったんだ」
Yngwie のどこに惹かれたのでしょう?
「Yngwie はそれほどキーボードをフィーチャーしていなかった。 初期のアルバムではもっと多かったかもしれないけどね。だから結局は、Yngwie の演奏だった!とてもテクニカルで、同時にメロディアスだった。表現力とハーモニーが大好きだった。
それから何年も経ってから、イングヴェイから電話があって、彼のバンドに誘われたんだ。彼のアルバム “Alchemy” に参加してくれってね。彼は電話してきて、私をフロリダに呼んで、このアルバムでキーボードを弾いてくれと言ってくれたんだ。
でも当時私はすでにソロアルバムを2、3枚出していて、ARTENSION のアルバムも2、3枚出していた。そしてクラシックの世界でもブレイクしようとしていたんだよね。だから、そのオファーを丁重に断ったんだ。
Yngwie と一緒に仕事をしたかったけど、彼がシュレッドしている間に2つか3つのコードを弾くために、自分のレコードや ARTENSION のレコードでやっていたことを諦めたくなかったんだ。でも、ギターとキーボードの革命的なシュレッドでネオ・クラシックのモンスターを作れたら最高だと思う!そのレコードは音楽的に素晴らしいと思う。
ただね、気がつくと、彼は日本のマスコミで私のことを “経験がない” と酷評していた。私はロックの世界に入ったばかりで、まだ何も発表していないとね。彼は私のことをよく知りもしなかった。私が “イエス” と言わなかったからって、マスコミで私をゴミ扱いしないでよ (笑)」

ウクライナやソビエトでは、メタルを学ぶことも簡単ではありませんでした。
「徐々に学んで行ったよ。私の国では何でも手に入るわけではなかったからね。西洋のロックバンドのほとんどは、ずっと後になってから来るようになった。私の国にはロック文化がなかったんだ。 でも結局、兄が洋楽をたくさん集めていたので、それを聴いて自分の音楽スタイルを確立していったんだ」
コンクールで優勝した後、Vitalij はソビエトで国内ツアーを行いその後、スイスでさらに修行を積みました。
「バーゼル音楽院で4年間、全額奨学金をもらって勉強したよ。有名なオーストリアのピアニスト、ルドルフ・ブッフビンダーに師事してね。彼は西洋の演奏スタイルや規律について多くのことを教えてくれたんだ。私はロマン派的でロシア的な環境で育ったので、ブッフビンダーは西欧的な規律ある態度で私を磨いてくれたんだよ」
ARTENSION のギタリスト Roger Staffelbach に出会ったのもスイス留学中でした。
「Roger はもう25年来の友人だよ。夏の間、スイスの小さな町に住んでいたんだけど、そこにピアノ・バーがあって、よく通ってジャムっていたんだよ。そこに Roger が入ってきて、自己紹介してくれたんだ。私はドイツ語が話せなかったから、少し言葉の壁はあったけど、彼はキーボード奏者を探していてね。彼と私は意気投合し、一緒に演奏するようになった。月曜日から金曜日まで、私は電車で1時間のところにある音楽アカデミーで音楽を学び、金曜日の夜、電車で Roger の家に行き、週末は彼のガレージでリハーサルをした。 日曜の夜はまたアカデミーに戻る。
Roger と私は、さらに2人のスイス人奏者と素晴らしいインストゥルメンタル・カルテットを結成したんだ。ATLANTIS RISING という名前だった。私はネオクラシックの曲を書き始め、カセットテープを作るためにお金をつぎ込んだ。カセットテープを300本は作ったと思う。私たちはスカンクのように無一文で、CDを作りたいだけのハングリーな少年だった!」

このカセットの一つが、シュレッドの総本山、シュラプネル・レコードに届くことになりました。
「シュラプネルの Mike Varney が聴いてくれたよ。Roger と私は2人ともアメリカに行くことになった。Roger が西海岸にいる間に、私はカーティス音楽院のオーディションを受けるためにフィラデルフィアに行ってね。 オーディションの後、私は Roger のところへ飛んで行き、その後2人でカリフォルニアのノバトへ飛んで Mike に会ったんだ。当時、シュラプネルは、私たちがやっていることと似たような音楽をたくさんリリースしていたからね。そして彼らは私たちと契約し、それが ARTENSION となったんだ」
世界でも有数の難関音楽学校に入学し、ARTENSION を結成してファースト・アルバムをリリースし、翌年にはファースト・ソロ・アルバムをリリース。カーティスに通いながら、どのようにすべてのバランスをとっていたのでしょう。
「大きなキャリアを築くのは、2つの分野を情熱的にターゲットにすると難しい。でも、私はそれがどんなに難しいことであっても気にしなかった。学期を終えて、他の学生が休みに入っている間、私はピアノで作曲をし、自分が何を書いていたかを思い出す。そしてカリフォルニアに飛び、ARTENSION でレコーディングをし、また戻ってクラシックの勉強に戻る。カーティスは厳しい学校で、おそらく世界ナンバーワンだろうな。
ARTENSION だと、”Phoenix Rising” は素晴らしいと思うし、もちろん “Into the Eye of the Storm” は最も印象に残る作品だけど、私は “Forces of Nature” が本当に好きなんだ。新しいベーシストとドラマー (John Onder と Shane Gaalaas が加わって、また違った雰囲気になった」

ARTENSION でツアーは行ったのでしょうか?
「いや、ARTENSION はライブをやったことはないんだよ。でも、日本での成功が大きかったので、ほとんどやれそうだった。ファースト・アルバムはゴールドになるところだったからね。日本でのツアーを計画したんだけど、ツアー・マネージャーが私の書類をめちゃくちゃにしたんだ。 当時私はまだ若く、ソ連のパスポートを持っていて、アジアを旅行するときにどんな特典があるのか知らなかった。 私はサンフランシスコのホテルで就労ビザが下りるのを待っていた。で、結局私はそのツアーに出られなかったので、他のメンバーはプロモ出演をして、飛行機で帰ってきたんだ」
ARTENSION のアルバムには、”I Don’t Care”, “I Really Don’t Care”, “I Really, Really Don’t Care” というピアノ曲が収録されていました。
「最初のアルバムでは “I Don’t Care” だった。座ってジャムったんだ。Mike が私の才能を高く評価してくれていたから、ちょっと披露したかったんだ。アルバムにピアノ・ソロの曲を入れなければならなかった。 そして次の作品では、そのコンセプトを続けたいと思った。安っぽいけど面白い(笑)」
2001年にボーカリストの Mark Boals のソロアルバム “Ring of Fire” で彼と一緒に仕事をするようになりました。
「Mark とやれることで興奮はしなかったが、もちろん賞賛はした!彼は僕にとってとても重要なアルバム “Trilogy” で歌っていて、一緒に演奏しようと誘ってくれたんだからね!楽しかった。そのソロ・アルバムにちなんで、実際のバンドになったんだ。私が曲を書き、Mark が歌詞とメロディーを書いた」

バンドは2枚のスタジオ・アルバムと、日本で録音された2枚組の素晴らしいライヴ・アルバムをリリースしました。ただ、Vitalij が参加していない作品もあります。
「Mark と私はいくつかの点で誤解しあっていた。大げさなことではなく、私たちが同意できなかったことがあっただけなんだ。ARTENSION は、キャリアの始まりという点で、私の心に少しだけ近かったので、私は ARTENSION と自分の作品に集中し続ける一方で、Mark には他のプレイヤーと一緒にやるように伝えたんだ」
Vitalij のソロアルバムはほとんどがインストゥルメンタルで、ソロのための十分なスペースがあり、鍵盤を前面に出しています。ARTENSION はボーカルを起用していますが、RING OF FIRE ほど大人しくはありません。
「ソロ作は私がほとんどの曲を書いたので、常にキーボード中心だ。ボーカルを書く機会も模索していたけどね。ボーカルものでは、私が派手になるという点では限界があったかもしれないけれど、ソロ・アルバムを通してならそれができる。 アルバムが進むにつれて、バンド自体のパワーに集中するようになったから、私が目立つことは少なくなった。でも、どのアルバムにも必ず私らしさがあるよ。
それに、ARTENSION では John West の音域を知り、バンドのスタイルを知り、バンド内のプレイヤー同士の相性を知りながら書くことも意識した。RING OF FIRE でも同じだ。
今は、ただ書いて、とてもパワフルでエモーショナルな感じの音楽にしたいと思っている。より作曲に集中し、より成熟したレベルに持っていく。自分が経験したことから集めた知識をすべて活用し、特定のバンドやプロジェクトをターゲットにすることなく、淡々と書いている。私はただ自分の書いたものを捕らえ、保存し、発展させ、変化させ、また戻ってきたいだけなのだ。 音楽を書くことは、とにかく驚異的だ。とても無邪気なプロセスで、新しい情報が生まれるから大好きだ。 何もないところから始めて、音楽的でスピリチュアルな情報を得る」

例えば、RING OF FIRE アルバムの中を見ると、”All music written by Vitalij Kuprij” と書かれていますが、ギター、ベース、ドラムのパートも Vitalij が書いているのでしょうか?
「すべての曲、すべてのパートをキーボードで書いているよ。だから、ギター、ドラム、ベースがキーボードで演奏され、他のメンバーが何を演奏すべきかの明確な方向性を示しているんだ。 特に後期のアルバムでは、より考え抜かれたものになっている。即興的なものはなるべく省いて、自分自身に任せるようにしている。 だからレコーディングのためにメンバーが集まったときには、構造的にはかなり練られているんだ。
ただ、決まった公式があってはならないと考えている。何かを目指さなくてはならないが、物事は自然に起こるものだ。それがあなたなのだから」
TRANS-SIBERIAN ORCHESTRA での最初のツアーは2009年のイースト・ツアーでした。
「あれは完全に “青天の霹靂” 。ある朝起きてコーヒーを飲み、メールをチェックした。彼らのマネジメントから、Paul O’Neill と会うためにフロリダまで来てほしいというメールが来ていた。 彼らがどのようにして私のことを知ったのかはわからない。Paul が何でもできてフレキシブルなキーボーディストを探していたのは知っている。彼はレコード業界で一緒に仕事をしたことのある人に電話して、その人が私を推薦してくれたんだ。数週間後、私はそこにいた」

TSOや SAVATAGE のことは知っていたのでしょうか?
「SAVATAGE は知っていたよ!なんて素晴らしいバンドなんだ!Burrn! 誌の SAVAGAGE 特集に載ったこともあるんだ。SAVAGAGE の曲を演奏するのは楽しいよ。もし彼らと一緒にツアーに出て、彼らの曲だけを演奏できるのなら、今すぐにでもやりたいよ。とてもロックで楽しくて、本当に僕の好みなんだ。Chris Caferry は John West と仲が良かったので、彼のことはよく聞いていたしね」
2015年の Wacken では、その SAVATAGE の一員とさはてプレイしました。
「うれしい依頼だった!私は彼らと彼らの音楽が大好きなんだ。これも私にとって忘れられない瞬間だった。それが Wacken だったことも、イベントの規模も忘れて。SAVATAGE の音楽を演奏することは、僕にとってとてもスリリングなことだった。Roger と初めて会って、ATLANTIS RISING を結成したときのことを思い出すよ。フロリダでリハーサルをやっていたんだけど、演奏しながら文字通り飛び跳ねていたよ。
“Jesus Saves” を演奏しているとき、私は飛び跳ね、汗をかき、ただとても楽しかった。2014年のヨーロッパTSOツアーで SAVATAGE の曲を演奏したのは素晴らしかったけど、SAVATAGE の一員として、SAVATAGE を愛し、SAVATAGE を観に来てくれたファンのためにここで演奏するのは本当に特別なことだった」

ウォームアップのルーティンなどはあるのでしょうか?
「楽屋にキーボードがあって、指の運動をして血の巡りをよくするんだけど、それはクラシックで訓練されたキーボード奏者としてはごく普通のことなんだ。でも、本番前の精神集中が大事なんだ。 ステージに上がる10分くらい前からシャットダウンして、目を閉じてアドレナリンと責任感に苛まれるモードに入るんだ」
Vitalij のアルバムのライナーノーツには、たいてい、”知識、経験、自信” を使っていると書かれています。
「それは私が自分自身を向上させるために使うツール。知識はやっていくうちに得られるもの。知識を応用して経験を積む。自信は、アーティストとして生き残り、自分の視点を守るために必要なものだ。そうでなければ、ただのコピーマシンか、浅薄なアーティストになってしまう」
クラシックの方だけに専念して、クラシックのピアニストとして名を馳せることを考えたことはあるのでしょうか?
「もちろん、若い頃はね!ヴラジミール・ホロヴィッツは私のアイドルだからね!ヨーロッパでオーケストラと共演したこともある。リサイタルもやったし、マスタークラスも開いた。ブラームスのピアノ協奏曲第1番、ラフマニノフの第2番、ベートーヴェンの第4番を演奏したよ!でも、そう、私は木のように自分を広げている。 私は音楽の力と喜びを感じられることをしたいんだ。私はクラシックの訓練を受けているので恵まれているけど、選択肢はたくさんある。クラシックを演奏することもできるし、ネオクラシカルなシュレッドを演奏することもできる。 私に音楽の喜びをもたらしてくれるものなら何でもいいんだ」

ホロヴィッツをアイドルとして挙げていますが、ロック面では誰に影響を受けているのでしょうか?
「ロックをあまり聴くことができなかった国から来たので、そのような影響という点では、本当にスクエア・ゼロからのスタートだった。尊敬する偉大なロック・キーボードのレジェンドたちのディスコグラフィーを研究していたら、自分自身の何かを失ってしまうということに気づいたんだ。私は完全に暗闇の中で狩りをするような気持ちでやっている。 偉大な音楽の一部が無意識のうちに沁み込んでしまい、”生の自分” を少し失ってしまうことが怖いんだ。
確かに Keith Emerson, Jon Lord, Rick Wakeman には大きな愛と敬意を抱いている。そして現役のプレイヤーでは、Jens Johansson を尊敬している。昔の彼はとても面白くて、とてもクールだった。彼自身も素晴らしい。Mike Pinella の大ファンでもある。Jordan Rudess も大好きだ。以前は、テクノロジーに重点を置く彼の芸術へのアプローチに懐疑的だった。 私は作曲してからスタジオでレコーディングするのが好きなんだ。しかし、そうしたプレーヤーに憧れているにもかかわらず、私は彼らから影響を受けてはいない。よくアーティストに尋ねると、”この人やこの人がいなかったら、私は今やっていない” と言うだろうが、私はそうではない。 自分の要素に集中する余地がなくなるから、頭の中にあまり詰め込みたくないだけなんだ」
メタルで好きな作品はあるのでしょうか?
「私は DREAM THEATER が大好きだ。すべてのアルバムを知っているし、メンバー全員にも会ったことがある。まだスイスにいた1993年に彼らのアルバム “Images and Words” にハマったんだ。Gary Moore, QUEEN, Sting も大好きだ」
クラシック以外の音楽を探求したことはありますか?
「もちろん。 常にね。ジャズでもヒップホップでも何でも、いろいろなジャンルの音楽を探求するのが好きなんだ。私はいつも作曲をしているし、これらのスタイルの音楽を演奏したり書いたりしてきた。音楽に限界はないんだよ」 安らかに…


参考文献: MUSIC AND ART: INTERVIEW VITALIJ KUPRIJ

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【SOULMASS : PRINCIPALITY OF MECHANICAL VIOLENCE】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH SOULMASS !!

“Gundam’s Anti-war Message Has Endured Long Enough To Affect Many Generations Now And We Are Glad If We Introduced Others To It With This Album.”

DISC REVIEW “PRINCIPALITY OF MECHANICAL VIOLENCE”

「僕たちが年を重ねるにつれて、ガンダムを厳密に善と悪の物語として見なくなった。例えば、EFSFとジオンの二項対立だけじゃなく、その両組織内のさまざまな人々の人間ドラマは、良い例だと思う。”どちらの側にも良い人がいる” という議論ではなく、腐敗はどのようなスペクトラムにも起こり得るというテーマ。それは最初からメタルにおいてかなり語られていたと言えるね。権力を持つことによる腐敗、戦争に誇りなどないこと。今のところ、KREATOR と METALLICA が思い浮かぶね」
数あるロボット・アニメ/特撮ものの中で、ガンダム・シリーズが常にトップを走り続ける理由。それは、善と悪で割り切れる単なる勧善懲悪のストーリーではなく、何層にも折り重なる複雑かつ深淵な世界設定の中で、権力や腐敗に振り回される、抑圧を受けて苦悩する近未来の私たちの姿が描かれているから。ガンダム・シリーズはそして、例えばバスク・オムの暴走で、例えばミハルの悲惨な最後によって、権力の腐敗と戦争の無惨を浮き彫りにしていきました。
これはまさに、KREATOR が “Flag of Fate” で、METALLILA が “One” で語ってきたテーマそのものでしょう。すなわち、反戦、反権力、反抑圧はガンダムとメタルの間で長く共有されてきた重要なミノフスキー・核融合炉だったわけです。だからこそ、デスメタルのホワイトベースであるフロリダから、”ガンダムのメタル” を描く SOULMASS がこの時代に登場することは、ある意味必然でした。
「こうした世界で絶望を感じたり、無力感を感じたりするのは普通のことだよ。ガンダムの曲を作ることは、権威主義や社会的不公正の問題を現実に直接取り上げることに、間違いなく最も近いところにいる。ガンダムの反戦のメッセージは、今や多くの世代に影響を与えるほど長く続いているし、このアルバムで他の人たちにそれを紹介できたならうれしいね」
オープナーの “Jet Stream Attack” は、まさに権力が暴走し、抑圧が放置される2024年に向けて繰り出された黒い三連星の強撃。そうしてアルバムは、星の屑作戦からのコロニー落としで、平穏な暮らしを営む普通の人々が、いかに権力の欲望や歪んだ理想の犠牲となるのかをドゥーム・デスの獰猛で描き出していきます。
「力強さや残虐さを描いていることもあるけれど、僕らのアルバムの根底にあるのは、想像を絶する恐怖に直面してもアイデンティティーの感覚を保つということで、それは偶然にもガンダムと見事に合致していると思う」
バンドは BOLT THROWER や ENTOMBED、そしてもちろん往年のスラッシュやドゥーム・クラシックにインスパイアされていますが、それ以上に人間の暗い思考を反映した陰鬱と冷徹、そして暴力性をその身に宿しています。以前彼らがテーマとした “Bloodborne” 的死にゲーを思わせるその中毒性の高さは、まさに “重力に魂を惹かれた” 者たちの心も、”地球を知らぬ” 者たちの心もを鷲掴みにしていきます。
スペースノイドにも、アースノイドにも、いや誰にだってそれぞれの主張があり、それぞれに一理があるのは当然。重要なのは、どんな理不尽や恐怖に晒されても、一人一人が人間性を失わないこと。自分であり続けること。いつでも調和を目指すこと。ソロモンよ、SOULMASS は帰ってきた。
今回弊誌では、SOULMASS の二人にインタビューを行うことができました。「”Ζガンダム” は全シリーズの中で最も美しく、大仰な音楽だけど、最近の “鉄血のオルフェンズ” や “水星の魔女” の音楽も大ファンだね。Man With A Mission の “Raise Your Flag” は間違いなく僕の心に残るアンセムだ。アイナ・ジ・エンドの “Red:birthmark” も大好きだね」 どうぞ!!

SOULMASS “PRINCIPALITY OF MECHANICAL VIOLENCE” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【MADDER MORTEM : OLD EYES, NEW HEART】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH AGNETE M. KIRKEVAAG OF MADDER MORTEM !!

“Globalisation Means a More Diverse Culture Generally, Which Also Goes For Metal. It’s Not Only a White Male 18-25 Scene Anymore, Which Suits Me Fine.”

DISC REVIEW “OLD EYES, NEW HEART”

「私たちはますます個人主義になり、自分の内面や感情に焦点を当てるようになっている。その良い面は、人々が自分の課題や悩みをより自由に共有できるようになったことだと思う。また、世界のグローバル化は多様な文化を促進し、それはメタルにも当てはまる。メタルシーンは18~25歳の白人男性だけのシーンではなくなっているの。私にとっては素敵なことだわ。みんな自分の経験を書く傾向があるからね」
ノルウェーのメタル・バンド、MADDER MORTEM とそのボーカル Agnete M. Kirkevaag のドキュメンタリーが話題を呼んでいます。彼女は、ステレオタイプなイメージに取り憑かれていたメタル世界で過食摂食障害と闘い、内なる悪魔と闘うために手術を受けることを決意します。新曲のレコーディング、ヨーロッパ・ツアー、オスロでの元メンバー全員によるライブなど、バンド結成20周年記念の年に撮影した本作は、そうしたバンドの日常を追いながら内なる悪魔、スカンジナビアの文化的規範、イメージに取り憑かれたメタル世界との齟齬と葛藤を巧みに描いていきます。
「私にとっては、ブラックメタルの音楽的アプローチの一部、特にダーティなサウンドと雰囲気が好きだった。でもね、シーンの半ファシズム的、人種差別的な側面は本当に好きではなかった。社会不安を抱えた18歳の男たちが自分たちのことを “エリート” だと言っていたのよ。バカらしく思えたわ。女性として、そのシーンには私が興味を持てるような部分はなかった。私が感じたところでは、自己主張の強い女性ミュージシャンが活躍できる場はほとんどなかったと思うわ」
“私たちは社会やメタル・エリートの中では負け犬かもしれない。でもね、負け犬は負け犬なりに吠えることができるのよ” はみ出し者にははみ出し者の意地がある。社会とも、メタルの伝統ともうまくやれなかった Agnete が、いかにして世界中のファンに届く感動的な音楽を生み出したのか。それはきっと、21世紀に花開いたメタルの多様性に対する寛容さ、そしてメタルに宿った “回復力” と密接に関係しているはずです。そう、もはやメタルは限られた “メタル・エリート” だけのものではないのですから。ドキュメンタリーのタイトルは “Howl of the Underdogs” “負け犬の遠吠え”。しかし、もはや彼女は負け犬ではありませんし、彼女の声は遠吠えでもありません。
「このアルバムは父に捧げられたものなんだよ。彼の思い出を称えるには、それが一番だと思った。彼はいつも私たちの活動を誇りに思ってくれていたし、このアルバムには彼のアートワークも入っているから、とてもしっくりきたの。でも、同じような喪失感を感じている人たちが、この音楽の中に慰めを見出すことができれば、それが最高の結果だと思う。だれかに理解されたと感じることが最高の慰めになることもある」
回復力といえば、喪失からの回復もメタルに与えられた光。MADDER MORTEM の中心人物 Agnete と BP 兄弟は多才な父を失い悲嘆に暮れましたが、その喪失感を最新作 “Old Eyes, New Heart” で埋めていきました。バンドのゴシック、ドゥーム、プログレッシブ、ポストメタル、アメリカーナとジャンルの垣根を取り払った “アート・メタル” は、あまりにも美しく、哀しく、そして優しい。そうして亡き父の描いた絵をアートワークに仰ぎながら、MADDER MORTEM は、同様に喪失感に溺れる人たちが、この音楽に慰めを、光を見出すことを祈るのです。
今回弊誌では、Agnete M. Kirkevaag にインタビューを行うことができました。「音楽は精神を高揚させ、慰める最も偉大なもののひとつであり、耐え難いことに耐えるための方法だと思う。そして願わくば、私たちの周りにある醜いものすべてに美を見出す方法でもあればいいわね」 どうぞ!!

MADDER MORTEM “OLD EYES, NEW HEART” : 9.9/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【NOSPUN : OPUS】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH NOSPUN !!

“The Truth Is That We Write Prog Music Because It’s What We Love. Basically We Are Writing Songs That We Want To Hear.”

DISC REVIEW “OPUS”

「10代の頃に DREAM THEATER を聴きはじめたんだけど、彼らの音楽はプログレッシブ・ミュージックを作り始めるという僕たちの決断に間違いなく影響を与えたんだ。だからこそ、自分たちの楽器を使いこなすために本当に時間をかけなければ、彼らのような音楽は作れないと思っていた。何時間も、何時間も練習して、今に至るんだよ!」
SNSやストリーミングの伸長でインスタントになった音楽世界。さらにAIまでもが音楽を生み出し始め、すべてが “ワン・クリック、ワン・セカンド” を要求される現代の音楽世界において、プログレッシブ・ミュージックは、主流とは真逆の異端です。長時間の練習、長い産みの苦しみを経ることでしか誕生し得ない、複雑で知的な音楽は今や風前の灯なのかもしれません。
「僕たちがプログを書くのは、自分たちが好きだからという部分が大きいね。だから基本的には、自分たちが聴きたい音楽を書いているんだ。そして、このスタイルが好きな人が他にもいることを期待して、想定して、その曲を世に送り出す。例え誰にも聴いてもらえなくても、僕たちはプログをやるだろう。だからこそ、それを楽しんでくれる人がいるというのは、本当にうれしいことなんだ!」
しかし、だからこそ、現代でプログレッシブ・ミュージックを綴る音楽家には本物の情熱、本物の才能が存在します。苦労のわりにまったくあわない報酬や名声。その差額を埋めるのは “好き” という気持ちしかありません。アメリカに登場した NOSPUN は、自分の愛する音楽を徹底的に突き詰めながら、プログの延命措置に十分すぎる電気ショックをお見舞いしました。
「予想外のことをやってみようというバンドとしての意欲。メタル・バンドが曲の途中にポルカ・セクションを入れるのは普通じゃないけど、僕らにとってしっくりくるなら、やってみたいんだよね。”Earwyrm” のスキャット・セクションは、実はスタジオでふざけていて、そのまま使おうと決めただけなんだ」
明らかに、NOSPUN の音楽は DREAM THEATER と SYMPHONY X、つまりプログ・メタル二大巨頭の遺伝子を平等に受け継いでいます。例えば、”Change of Seasons” で唸りを上げる Russell Allen のような “夢の共闘”。それを体験できる機会は、実はこれまでほとんどなかったと言えます。なぜなら、多くの後続たちは巨頭のどちらかに寄っていたから。その点、NOSPUN の旋律と重さ、テクニックとカタルシス、伝統とモダンのバランスは実に優れていて、HAKEN のやり方とつながる部分も見え隠れします。
一方で、NOSPUN はシリアスなムードが支配するプログ世界に笑顔をもたらし、その意外性をトレードマークとしていきます。突然のポルカ、突然のディスコ、突然のスキャット。彼らの目指す “予想外” は、クリシェと化したプログ・メタルの定型に風穴を開け、リスナーに新鮮な驚きを届けます。そう、彼らはそもそも、スプーンをないものだと思いたいのです。
用意された物語も、この “Opus” に相応しいもの。”若い作曲家が両親や他の入居者たちと下宿している。傑作を作曲するという破滅的な強迫観念が、彼と世界や周囲の人々とのつながりを断ち切ってしまう。ある日下宿人が殺されているのが発見される。徐々に他の入居者も姿を消し始め、ついには彼はこの家にひとり閉じ込められる。彼を取り巻く宇宙は崩壊し、残されたのは彼と彼の傑作、そして家だけとなる。そのすべてがひとつの球体の中に閉じ込められ、孤立した空っぽの宇宙となる。そして彼の前に見覚えのある目が現れ、犠牲を払わなければならなくなる” 彼らの “傑作” は世界に評価されるのでしょうか?それとも、小さな球体に閉じ込められたままなのでしょうか?
今回弊誌では、NOSPUN にインタビューを行うことができました。「映画 “マトリックス” の中で僕らが好きなシーンのひとつに、ネオが予言者のもとを訪れるシーンがある。そこには小さな修道僧の子供がいて、心でスプーンを曲げているんだ。ネオがスプーンを曲げようとすると、その子供が “スプーンを曲げようとするのではなく、スプーンなど存在しないという真実を悟るんだ” という意味のことを言うんだよ。そこで僕たちは、その “No Spoon” の部分をユニークな綴りにして、ネット上で簡単に見つけられるようにしたんだ」 どうぞ!!

NOSPUN “OPUS” : 10/10

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COVER STORY 【NECROPHAGIST : ONSET OF PUTREFACTION / EPITAPH 25TH, 20TH ANNIVERSARY】


COVER STORY : “ONSET OF PUTREFACTION” / “EPITAPH” 25TH, 20TH ANNIVERSARY

“I Don’t Think Every Death Metal Maniac Should Buy My Album, But Anyone Who Is Tired Of All These Average Shit, Where One Band Sounds Like The Other.”

NECROPHAGIST

「”ネクロ “を名前に持つバンドは多すぎる。でも、1988年当時、”ネクロ” を含む名前を選んだバンドはほとんどなかった。今となっては、そんなことをするバンドはクソつまらないし、バカげてる。
僕らの名前が “Necrophagist” だからといって、世間からつまらないと思われるのは良くない。”Necropha-gist” は、音楽にのみ優先順位を設定し、それを改善し、独自の新しいスタイルのデスメタルを開発するためのバンド。だから僕のせいにしないで、ネクロを使っているデスメタル・バンドの “新時代” のせいにしたいね。君たち、想像力は一体どこにあるんだ?」
今からちょうど四半世紀前。Muhammed Suiçmez は、ギターとマイクとコンピューターを持ってスタジオに閉じこもり、史上最もユニークで影響力のあるメタル作品のひとつを録音しました。今にして思えば、 “Onset of Putrefaction” が1999年という前世紀に発表されたことが信じられません。音楽的なスタイルもプロダクションも、明らかに未来。案の定、この作品は、来るべき現代のテクデス・ワールドほとんどすべての規範となったのです。

「リハーサル・ルームで録音したんだけど、プロフェッショナルなサウンドに仕上がったよ。レコーディングに使った機材もプロ仕様。ミックスも最終的に、その道のプロと一緒にやったんだ。だから、リハーサル室で作ったとは思えない仕上がりになっている。そう、とても大変だったんだ。時間も神経も使ったけど、それだけの価値はあったよ」
2000年代に入る前、SUFFOCATION のようなデスメタル・バンドは、ハイゲインの氾濫とカオティックなエネルギー、そしてブルータルな重量が本質的ににじみ出る音楽を生み出していました。ただし、彼らのデスメタルはテクニカルな複雑さとは裏腹に、オーガニックな人間味が多く残されていたのです。NECROPHAGIST は、テクデスを次のステップに進め、より臨床的で冷たく、マシナリーで極めて正確なスタイルを打ち立てました。
「多くの人はデスメタルにおけるドラム・マシーンを好まないが、ドラム・ラインをプログラムするのに3週間、毎日12時間かかった。その結果、このCDはほとんど自然なサウンドになったんだよ」

それまでもテクデスは、もちろんある種の几帳面さを好む傾向がありましたが、”Onset of Putrefaction” は、強迫的な細菌恐怖症と例えられるほどに、無菌状態の完璧主義が貫かれています。プログラムされたドラムは、ロボットのような正確さと非人間的な冷たさを加え、偽物のように聞こえる以上にデスメタルのエッジとAIの無慈悲を獲得するのに役立っています。一方で、テクデスの命ともいえるリフは、当時の常識以上に可動性が高く、慌ただしく、細部まで作り込まれていました。さらにそれらはすべて、ディミニッシュ・アルペジオ、ホールトーン・スケール、クロマティック・ムードといった異端を最大限に活用して、流動的かつリズミカルな魅惑的な”音楽” に加工する魔法に覆われています。
そんな高度に機械化された無菌室は、デスメタル本来の穢れを祓い、過度に衛生化されるという懸念を、次から次へと収録される楽曲の超越したクオリティで薙ぎ払っていきます。一方で、ステレオタイプな低いうなり声のボーカルは、単に楽曲の意味を伝えるものとなり、リズム楽器の一つとして有効に機能しています。
「歌詞のほとんどは昔の CARCASS のようにゴアなテーマを扱っているけど、もっとセンスのあるものもある。これらはより新しいものだ。新しい歌詞はもっと哲学的なものになると思う」

NECROPHAGIST(ギリシャ語で「死者を喰らう者」の意)は、トルコ系ドイツ人のギタリスト/ボーカリスト Muhammed Suiçmez が結成し、フロントを務め、彼がすべてを決定するワンマン・バンドでした。
彼らのデビュー・アルバム “Onset of Putrefaction” は、Hannes Grossmann が制作したドラム・サンプルを使った新版が作られています。
「僕はドイツで生まれたので、1975年からここに住んでいる。ドイツの社会は奇妙で退屈だ。大学を卒業したら、この国を離れると思う。母国にはあまり行ったことがないし、トルコとの関係が希薄なんだ。
偏見を感じることはある。人々は異なる文化を恐れ、偏見を持ち、奇妙な振る舞いをする。とはいえ、僕はここで何人かのドイツ人と友好関係を築いた。彼らとの間には常に距離があるけれどね。私の親友は非ドイツ人であることを明言しなければならないよ。ドイツ人は、僕を自分自身や友人とは異なるものとして理解しているのだ」

そうしたある種の “孤高” と “孤独” の中でも、Muhammed は2010年の解散までに Christian Münzner, Hannes Grossmann, Marco Minnemann, Sami Raatikainen といったドイツの才能を次々と発掘し、彼らが OBSCURA のような次世代の旗手となっていったのはご承知の通り。そうした人を活かすアルバムとして発表された2004年の “Epitaph” は、その完璧な仕上がりとは裏腹に、文字通りバンドの墓標となってしまっています。アルバムでは、Muhammed自身も、7弦と27フレットを備えた新しいカスタムショップのIbanez Xiphosギターで攻めていました。唯一無二であることにこだわるが故の、消滅。
「昔から他のバンドをコピーするバンドはいたし、オリジナルなバンドもいた。その点では何も変わっていないが、レーベルが生き残るために利益を上げる必要がある限り、彼らは手に入るものは何でもリリースするだろう。少なくとも一部のレーベルはそうだ。特にアンダーグラウンドの小さなレーベルは、今でも利益を最も必要としている。それがビジネスであり、ある程度は理解できるが、これでは音楽の発展はない。
NECROPHAGIST は主に自分自身のためにやっているが、もちろん、人々が我々の音楽に影響を受けていると聞くのは光栄なことだ。
音楽的には、確かに僕らのルーツはデスメタルの最初の時代にある。それを除けば、僕たちはどんな音楽にもオープンだし、みんなかなり多様な音楽を聴いている。自分のことしか言えないけど、マルムスティーンのソロ・スタイルはかなり影響を受けていると思う。あとは、パワーメタルは影響を受けているが、それはある程度までだ。SONATA ARCTICA 以外によく聴くパワー・メタル・バンドは思いつかない。とにかくさまざまな角度から影響を受けてもいるよ。重要なのは、自分たちの音楽がどう聞こえるかだ」

“Onset of Putrefaction” から25年。”Epitaph” から20年。年月を経た2枚のアルバムは、今やテクデスの聖典として、様々な後続に崇め奉られています。
「まあ、すべてのデスメタル・マニアが僕のアルバムを買うべきだとは思わないけど、他のバンドと同じように聴こえるような、平均的なクソにうんざりしている人なら誰でも買うべきだよ。申し訳ないけど、バンドはギターやドラムスティックを持てるようになったら、すぐにCDをレコーディングするべきではないと思うんだ。だから、NECROPHAGIST が10年前から存在し、音楽が年々向上していることを知っておいてほしい。新しい、あるいは違ったスタイルの音楽を聴いてもらいたいんだ。”Onset” が他のバンドに似ていると言っている人は、みんなよく聴いていない。だから、この音楽は間違いなくデスメタル・マニアのために作られたものだけど、ブラストビートやダウンチューニングのギターだけがここにあるわけじゃないんだ」

デスメタル・アルバムにおいて、ラジオ・ソングのように、すべての曲が他の曲とまったく違うと自信を持って断言できることがどれほどあるでしょう?NECROPHAGIST は魔法の公式を見つけたと思い込んで、それを繰り返し、同じようなサウンドの濫用になるようなバンドではありませんでした。すべての異なるトラックを全く異なる雰囲気で収録し、そのどれもが地獄のようにキャッチーであるという最も野心的な目標を達成してきました。つまり、彼らが残した2枚の聖典はジャンルを超越し、デスメタルの専門家でない人にとっても潜在的な興味対象であるという特殊性を持つ、史上数少ない真に偉大なアルバムとなったのです。
「ハードドライブのどこかに新しいアルバムは録音してある。でも今はもうバンドをやる気はないんだよな」
これが2019年、Muhammedからの最後の便り。今はエンジニアの資格をとって BMW でエンジニアとして働いているとも噂されていますが、このアニバーサリーの年に何か動きはあるでしょうか…


参考文献: MASTERFUL MAGAZINE : NECROPHAGIST

NIHILISTIC HOLOCAUST: NECROPHAGIST

ZWAREMETALEN Interview

COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【BERRIED ALIVE : BERRIED TREASURE】


COVER STORY : BERRIED ALIVE “BERRIED TRASURE”

“Balenciaga Or Moschino Are Great Examples In Fashion For Being Incredibly Technical Clothing That Doesn’t Take Itself Too Seriously. That’s Really What We Want The Most In Music, To Connect With People.”

BERRIED TREASURE

「Charles Caswell というギタリストがいる。彼は奥さんと BERRIED ALIVE というデュオをやっている。彼は、私が今まで聴いた中で最もクレイジーなギターを弾いている。彼のプレイスタイルは、私がこれまで聴いた中で最も速いプレイヤーなんだ」
ギターレジェンド Joe Satriani がこれほど興奮して紹介するギタリスト。その人物が凡庸なはずはありません。そして当然、世界中が注目します。そのギタリストとは、BERRIED ALIVE というデュオでの活動で知られる Charles Caswell です。
BERRIED ALIVE は、Charles と妻の Kaylie Caswell によるデュオ。彼らのジャンルを説明するのは少し難しいかもしれません。一応、彼らのウェブサイトには、”トラップ、ハードロック、メタル、ヒップホップ、アバンギャルドの要素を取り入れたEDMポップ” のようなものだと書かれています。
Satriani は興味深い比較をしながら、こう付け加えました。
「BERRIED ALIVE の音楽は、Tosin Abasi とかと同じくらい複雑だ。しかし、彼が何を選択し、どのように作曲するのか…それは他の誰とも違っている。人生は挑戦だ。そうして若いギタリストたちは、今この現代を生きることがどういうことなのか、私たちに教えてくれているんだ。美しいことだよ。インスタグラムを見に行って、スマホの前で誰かが僕が弾けないものを弾いているのを見るたびに、”やったー!” って思うんだ。誰かがギターを前に進めているんだからね!」
Satriani の賛辞に、Charles も応えます。
「Joe Satriani は偉大なレジェンドだ。僕が初めてギターを手にして “Surfing With The Alien” を弾いて以来、多大なインスピレーションを受けてきた人物からこんな優しい言葉をかけてもらえるなんて、信じられないほどうれしくて勇気づけられるよ!」

BERRIED ALIVE の芸術的な活動は、2012年に “音楽ベンチャー” という冒険的な形態で始まりました。それ以来、2人はレコードやシングルを精力的にリリースしています。現在までに、BERRIED ALIVE のカタログは、7枚のスタジオ・アルバムと30枚以上のシングルにまで及んでいるのです。その音楽はたしかに、トラップ、ハードロック、メタル、ヒップホップ、アヴァンギャルドの要素を取り入れたEDMポップという表現がぴったりなのかもしれません。バンドの大胆不敵で感染力のある楽曲、まばゆいばかりの音楽性、そしてシアトリカルなセンスは、YouTubeの総再生回数950万回、Spotifyのリスナー数12万人以上という数字に直結し、多くのリスナーを魅了しています。そして、Satriani のみならず、RAGE AGAINST THE MACHINE の Tom Morello, AVENGED SEVENFOLD の Synyster Gates, MOTLEY CRUE の Tommy Lee といったアイコンたちからの喝采までも集めているのです。
「僕たちは普段、いつもギターを弾いているわけでもなく、ただ好きな音を見つけているだけなんだ。ギターで音を模倣する方法を学んだから、音を見つけたら、それがどんな音なのか、たとえクレイジーな音のドラムか何かであっても、それを自分なりに再現することができる。
自分自身や自分たちに対して批判的になるのは好きではないんだ。厳しいやり方は健康的じゃない。僕はギターに3時間、ボーカルに3時間、作曲に2、3時間、マーチャンダイズやソーシャルメディアに2、3時間といった具合に。グッズの注文もすべてこなさなければならない。ギターを弾いているだけじゃなく、何かを作り、リハーサルをし、人々とつながる。運動などで心身の健康に気を配りながらね。1日の中で少しずつでもすべてのことをやっていれば、終わる頃にはかなり満足感があるし、自分を過小評価しなかったように感じる」

重要なのは、彼らがただ驚異的で “リディキュラス” なバンドであるだけでなく、”音楽ベンチャー” という形態をとっている点でしょう。BERRIED ALIVE は、冒険的な音楽と多感覚的なグッズの厳選された世界を構築していて、最近ではビール会社との提携までも行っています。
「空港のレンタカーで、カウンターのお姉さんにおすすめのお店を聞いたんだ。彼女は Heathen Brewing を勧めてくれた。料理も雰囲気もビールも気に入った。数年後、彼らから連絡があり、ビールのコラボをしないかと誘われた。僕たちは彼らの醸造所で会い、数ヶ月かけてすべてのロジスティクスを考え、ビールを造った。かなりクレイジーだったよ!
乳糖を混ぜて、ろ過した後の穀物をすくい取って…僕たちがワインやシャンパンが好きだと知っていたので、自家ぶどう園のぶどうを収穫してくれて、自家栽培のぶどうを使うことができた!醸造所の文化にも本当に感化されたね。みんな協力し合い、助け合うことを厭わないから、僕が音楽の世界で経験してきたことと比べると新鮮だ。Heathen とも将来的にもっとコラボできる可能性がある。そこから生まれたビールの名前が、アルバム “The Mixgrape” にちなんでいるんだ」
マーケティング用語で言えば、BERRIED ALIVE 社は気まぐれでカラフルなライフスタイル・ブランドであり、彼らが提供する商品メニューは拡大し続けているのです。ただし、創業者である Caswell 夫妻は、それほど計算高くはありません。ジャンルにとらわれない音楽、遊び心がありながらも高級感のある服、巧みなマーケティングのアイデアの裏には、自由奔放な芸術的対話がつねにあります。
「僕たちは聴かれて、着られて、berry だけに味あわれるものなんだ (笑) 。すべての感覚にクリエイティブなものを提供したいんだよ!最近、友人が DEFTONES のコンサートに行ったとき、少なくとも10人以上の人が BERRIED ALIVE のグッズを身に着けていて、とても目立つから気づいたと言われてね。たしかに目立つ!僕たちはあまり外に出ないから、反響を知るのはとても楽しいよ」

BERRIED ALIVE の服は明るくポップで遊び心があり、常に人気のあるイチゴと十字架のデザインがトレードマークです。Supreme を彷彿とさせる高級ストリートウェア・ラインとして作られていますが、それは夫妻の甘く歪んだ心と密接に結びついているのです。
2人は、曲作り、服のデザイン、商品ラインにそれぞれ意見を出しながら、流れるようにいつも一緒に創作しています。Charles は、BERRIED ALIVE の楽曲のプロデュース、ミックス、マスタリングを担当し、ブランドとバンドの予算を洋服や没入型ビデオ、将来の作品に充て、Kaylie が歌詞、服のデザイン、ベースラインを担当し、一緒にマーケティング・コンセプトを考えています。実は、そうした阿吽の呼吸には確固たる理由がありました。
BERRIED ALIVE の幻想的な世界のはじまりは、おとぎ話のような出会いにまでさかのぼります。2人が出会ったのは中学1年生のときでしたが、付き合い始めたのは高校に入ってからでした。付き合い始めて早々、Charles は Kaylie がファッションの溢れんばかりの才能と適性を持っていることに気づいたのです。
当時、Charles はバンドやツアーで演奏するテック・メタル・ギターの魔術師 (あの REFLECTIONS にも在籍していた) でしたが、バンドでのドラマや苦労から離れ、孤独なアーティストへと進化していきました。そんな中で、BERRIED ALIVE という音楽団体は当初、Kaylie が提案したサイドプロジェクトのようなものだったのです。
「名前は当時のメタル界にあったダークな名前をもじったダジャレのようなものだったわ。私は芸術としての服がずっと好きだったの。私たちは本当に小さな町の出身で、そこではみんな同じような服を着ていた。そこで私が着ている服について人々が話しているのを耳にすることがあって、それは必ずしも良いことばかりではなかったのよね。でも、服装は自己表現で、人と話す前にその人について知ることができる大事なアイデンティティ。同時に、いつでも脱ぐことができる、表面的なものでもある」

2人の美学はやがて融合し、既存のバンドTシャツを超えたユニークな商品ラインを開発しようと試みます。これが BERRIED ALIVE のアパレル・ラインとなっていきました。彼らがこだわるのは、”深刻になりすぎないこと”。
「僕たちがやっていることはとても深い要素を持っているけど、決して深刻に考えすぎることはない。深刻になりすぎると、どんなメッセージや音楽からも命が吸い取られてしまうと思うからね。それをうまくやっている芸術は他にもあるよ。ドラマを見ても笑える瞬間があるし、漫画を見ても絵が美しいと思う一方で笑ってしまう。
バレンシアガやモスキーノは、ファッションの世界では信じられないほどテクニカルな服でありながら、深刻になりすぎず、時には派手であることに感動するという素晴らしい例だね。派手でありたいときもあれば、ソフトでありたいときもある。それが僕たちが一番望んでいることで、結局は人々とつながりたいんだよ」
そうして今日に至るまで、BERRIED ALIVE は、ビジョンを持ち、それを追求するために努力した2人のマーケティング能力によって、自立したビジネスとなっています。彼らの成功はすべて、直感と芸術的ビジョンに基づくもの。
「レコード・レーベルを持ち、ツアーをするという伝統的な道を歩むことなく、自分たちの夢を叶えることができたのは、大きな成果だと思っているよ。僕たちが一緒にこの仕事をできるのはとても意義深いことだし、フルタイムの仕事になったのはとても特別なこと。とても感謝しているんだ」

実際、Charles がかつてのようにツアーとレコーディングで疲弊するメインストリームの音楽業界にまだいたとしたら、彼らの夢は叶わなかったでしょう。
「あのころ僕はツアー生活をしていて、いつも大事なものから離れていて、自分のベッドで寝たことがなかった。”Melon-choly” は、”スマホを見ながら、君に電話できたらいいなと思う” という一節から始まったんだけど、この曲を書いたとき、その生活の大変な部分をたくさん思い出していたんだ。
今はインターネットがあるから、内向的な人や、何らかの理由で家族と家にいなければならない人でも、アートを作ったり音楽を作ったりできる方法がある。ある意味 DIY でパンクだよね。Kaylie はヴィヴィアン・ウエストウッドが大好きなんだ (笑)。
僕もパンク・ロックがきっかけでギターを弾くようになった。そうやって楽器を愛するようになったし、ルールなんてクソくらえで、みんながやれと言うことの反対をやればいいんだと学んだ。それが BERRIED ALIVE の本質なんだ!僕たちがツアーやライブをやらないことは、ギター界の門番たちを怒らせた。でも僕たちは気にしていないし、それは何の問題にもなっていない」
結局、彼らが求めるのは好きな人たちとつながること。
「ギター世界を敵に回してもかまわないさ。僕らがレコーディングしたものをスピードアップしてるなんていう陰謀論者のいる世界なんだから (笑) 。ボブ・ディランじゃないけど “Go Where They’re Not”。年々、それが身に染みていると思う。僕はただ、歌がうまくなること、より強力な曲を書くこと、そして人々とつながることに集中するようにしている。目標のひとつは、音楽が上手になることとは関係ないレベルで、もっと多くの人とつながろうとすることだ。以前はCNCの機械工で、調剤薬局でも働いていたんだけど音楽とはまったく関係のない、信じられないほどクールな人たちによく会ったよ。音楽の趣味よりも、性格が一致する方が話したいと思うんだよな」

とはいえ、Charles はギターに対する情熱をなくしたわけではありません。
「スタイルは本当に様々。とてもアバンギャルドなんだ。頭の中にアイデアが浮かんだら、それを演奏できるようにするためにまったく新しいテクニックを編み出さなければならないこともある。ある日は超クレイジーなテクニックを駆使した曲を書き、次の日はアコースティックで伝統的な構成のシンガーソングライターの曲を演奏する。完全に自由な表現なんだよ。
ギターや音楽に何か新しいものをもたらすことは、僕にとって本当に重要なことなので、作曲や練習をするときは、今まであまり見たり聴いたりしたことのないようなものになるよう最善を尽くす。そうすることで、より多くの人に聴いてもらえるから。僕は自分の音楽にできる限りの価値を込めたいと思っている。そのためには、楽器をいじったり、練習したり、プロデュース・スキルを磨いたりすることが必要なんだ」
そして、音楽世界を改革し続けることにも熱心です。
「僕たちはエルトン・ジョンが大好きで、マーチャンダイジングをしながらよく聴いているよ。それから SPARKS!僕が彼らにインスパイアされたのは、80年代、もしかしたら70年代後半かもしれないけれど、彼らが自分でレコーディングする方法を学んだからなんだ。当時は前代未聞だった。今では誰でもできる。でも、そんな前例がなかった時代に努力を重ねたことは先進的だし、今もそれを続けているのは超クールだよ!
彼らは自分たちを改革し続けている。何年もかけて、いろんなフェーズやスタイルを作り上げてきた。Jimi Hendrix もそう。彼がギターで話すことに興味を持たせてくれた。それかOzzy Osbourne, PANTERA, BLACK SABBATH でメタルにのめり込んだ。今はあまり音楽を聴いていなくて、オーディオブックや瞑想的なものを聴いている。友人の曲がリリースされたときなどはチェックするけど、ほとんどは頭の中でクレイジーなものを作っているだけだよ!(笑)」

彼らの理想の音楽世界には、エゴも嫉妬も憂鬱もありません。
「僕たちは自分たちが世界最高のギタリストであることを証明したいわけじゃない。もし普通の仕事に戻らなくてはならなくなったとしても、僕らが作る音楽に十二分に満足しているし、お金を稼ぐためにそれを変えようとは思わないから、全然平気だよ。お金儲けのために自分たちの音楽を変えようとは思わない。
自分たちがやっていることにとてもポジティブなメッセージを持つようにしている。そしてみんなにも、自分たちがやっていることが何であれ、自分たちの芸術性や創造性だけで十分だと感じてほしいんだ。メタル世界では、ポジティブであることは一般的ではないけれど、それが僕たちの気持ちなんだよ」
では、BERRIED ALIVE にとっての “成功” とは?
「”ヒーローが友達になったとき、お前は到達したんだ “って父が言っていた。それは究極の成功だ。そもそも自分がやっていることをやりたいと思わせてくれた誰かに認められることがね。
そうしたサポートは、誰かにひどいことを言われたとしても、それを帳消しにしてくれる。最小限のストレスの中で、アートを通して自分たちを維持できることだけが望んでいたことなんだ。誰が見ているかわからないし、誰とつながるかもわからない。数年前には、こんな人生になるとは想像もしていなかったからね!」

BERRIED ALIVE Bandcamp

参考文献: CURIOSITY SHOT:Berried Alive | Feature Interview

OUTBURN:BERRIED ALIVE: In Praise

COVER STORY + INTERVIEW 【ARCH ENEMY : JOEY CONCEPCION】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH JOEY CONCEPCION OF ARCH ENEMY !!

“Guitar Kids have to do it for the love of the music and find music that inspires them. In doing that, they will find their own sound. They should practice guitar every single day, and do it with passion or not at all.”

SHRED WITH PASSION

「音楽への愛情を原動力とすること。そしてインスピレーションを与えてくれる音楽を見つけることだね。そうすることで、自分の音を見つけることができる。毎日毎日ギターを練習し情熱を持ってやるべきで、それ以外は全くやらないのと同じだと思うよ」
“Shred With Passion”。情熱を秘めたシュレッド。それが新たに ARCH ENEMY に加わった新進気鋭、33歳のギタリスト Joey Concepcion の座右の銘です。コネチカット州出身のアメリカ人ギタリストは、メロデスへの愛とシュレッドへの情熱でついにビッグ・バンドへの挑戦権を勝ち取りました。しかし、栄光までの道のりは決して平坦なものではなかったのです。
「この10年間、たくさんのバンドとツアーをすることができて、信じられないような旅だった。ARMAGEDDON, THE ABSENCE, JASTA、そして SANCTUARY は、ツアー・ミュージシャンとしての僕を形成し、現在の僕へと導いてくれたんだ」
2008年、敬愛する LOUDNESS にも参加していた Mike Vescera からの依頼で、Joey のキャリアは幕を開けます。当時まだ17歳だった Joey は、アルバム “Sign of Things To Come” でギター・ソロを披露し、その若さとルックス、そしてハイパー・テクニカル&クラシカルなシュレッドで、あの偉大なる Jason Becker の後継者と目されるようになります。そう、彼のギターには、Jason 同様、天使と悪魔が宿っています。
「2012年に Christopher Amott から Skype でギターのレッスンを受け始めて、すぐに彼と親友になったんだ。その時に ARMAGEDDON に加入して、何年も一緒にプレイする中で、ARCH ENEMY と一緒にライヴをしたこともあったんだ。2015年のラウド・パークでの来日公演や、2016年のメキシコ・シティでの公演もあった。その時に、みんなでつるんで素晴らしい時間を過ごし、ARCH ENEMY のメンバーと仲良くなったんだ」
ただし、物事は、人生は決して一足飛びには進みません。THE ABSENCE, Jamie Jasta の JASTA, SANCTUARY と流浪し渡り歩く中で、徐々にその確かな才能と輝きが認められた Joey は、ギターの師匠で親友、ARMAGEDDON のバンド・メイトでもあった Christopher Amott の橋渡しによって ARCH ENEMY とのつながりを築きました。
2018年には Jeff Loomis の代役として ARCH ENEMY と欧州ツアーを敢行。そこで信頼を得た Joey が、Jeff の脱退に際してリストのトップにあがるのは当然でした。もちろん、あの NEVERMORE でテクニカル・メタルの真髄を極めた Jeff の後任というポジションは生半可なものではありません。それでも、Joey のシュレッドに対する情熱の炎は、きっと ARCH ENEMY をさらに前進させることでしょう。
同時に Joey は、自身のソロ・アルバムも2枚発表しています。デビュー作 “Alignment” のリリースに際して、Joey はこんな言葉を添えていました。
「このアルバムを、強迫性障害、不安障害、うつ病の患者たちに捧げたい。自分を信じ、ポジティブに、忍耐強く、常に最終的な結果を考えながら前に進めば、夢は必ず叶う。運命や宿命が生まれた時から決まっているかどうかはわからないよ」
そう、彼も多くのメタル戦士たちと同様に、不安と共に傷ついた心を抱える孤独なたちの味方です。それはきっと、自らも不遇な時代を過ごしてきたから。そう、どんなに世界から見放され、1人だと感じたとしても、愛するものを信じてやり続ければ、Joey のようにきっと夢はかなうのです。
今回弊誌では Joey Concepcion にインタビューを行うことができました。「LOUDNESS, CRYSTAL LAKE, EZO といったバンドも大好きだよ。ARCH ENEMY が日本ツアーで制作したライブ・アルバムは僕のお気に入りのひとつだし、武道館での Yngwie Malmsteen のライブ・アルバムや、Paul Gilbert と Mr.BIG のライブ・アルバムも大好きだ。僕の最も大切な瞬間のひとつは、ラウド・パーク15で ARCH ENEMY の演奏を観ることができた時なんだ」 どうぞ!!

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