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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【BUMBLEFOOT : …RETURNS!】”THE ADVENTURES OF BUMBLEFOOT” 30TH ANNIVERSARY


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH RON “BUMBLEFOOT” THAL !!

“I Always Loved To Learn, Explore, Experiment…I Love Astronomy, Science, Physics… The Things I Love, The Way I Feel, The Way I Live, This Is What Comes Out In My Music.”

DISC REVIEW “…RETURNS!”

「あの作品はシュラプネル・レコードにとっては異質なものだったけど、僕にとってはごく普通のものだった。 フィルターを通さず、不完全で、若く、無邪気で、とても正直で、自分が何者であるかをありのままに表現したものだったんだ。レコーディングとミックスのためのツールは生々しく、洗練されていなくて、でもそれがアルバムの個性に拍車をかけている! もちろん、アートワークも!だから、何も変えたくないんだ。人生のある時期の一人の人間の写真集のようなものだよ。全ての瞬間は僕たちにとって一度しかないからね」
“The Adventures of Bumblefoot”。今からちょうど30年前、1995年のこのレコードと、”Bumblefoot” “趾瘤症” という猛禽類の足の病気を名乗るギタリストの登場はあまりにも衝撃的でした。楽曲名はすべて動物の病気の名前。足やチーズを模した異様なギター。そして、ギター世界の常識である24フレット以上のハイフレットを操り、時にはフレットレスまで駆使した超常的サウンド。指抜きなどのトリッキーな技も冴え渡り、複雑怪奇に入り組んでファストなフレーズが絡み合うその楽曲群は、ギター虎の穴シュラプネルにおいてもあまりに異質だったのです。
革命児のそんな評判は瞬く間に業界の目に止まり、ソロ・キャリアを重ねる中で GN’R、ASIA といった巨大なバンドの一員にも抜擢され、一方では Mike Portnoy のような大物と共に SONS OF APOLLO というスーパー・バンドを立ち上げるに至りました。
「完全なインストゥルメンタルなので、ギターが “声” になるスペースが増え、さまざまなムード、さまざまなサウンド、さまざまなエネルギー……など、より多くのことができるようになったんだ。僕は自分の直感に従っただけで、それぞれの曲は独自の方法で発展していった。ある曲はより過激で対照的で、ある曲はより予想された方法で発展していった…ゴールはその瞬間の正直なフィーリングを捉えることだったんだ..」
その歌声も高く評価される鬼才ですが、ただやはり彼の本質はギタリズムにあります。デビュー作から30年、”復活の Bumblefoot” を冠したアルバムで彼は再び始まりの地、”Bumblefoot の冒険” へと回帰しました。30年ぶりにオール・インストゥルメンタルで制作されたアルバムには、ギターに対する愛情、情熱があふれています。ただし、30年前とは異なる点も。それは、彼がギターをより自身の “声” として自由自在に操っているところでしょう。
オープナー “Simon in Space” を聴けば、90年代にはなかった瑞々しいメロディの息吹が感じられるはずです。とはいえもちろん、以前の混沌や荒唐無稽、ヘヴィな暗がりも失われるはずもなく、結果として両者のコントラストが耳を惹く前代未聞のギター作品が完成をみました。
「進化、革新、進歩するテクノロジーやコミュニケーション、そしてそれを使って自分たちの活動を共有する方法については、私は別にかまわないと思っているよ。15秒の動画からフルアルバムまで、今の世の中には誰もが楽しめるものがある!そうやって私たちは皆、自分が選んだ様々な方法で自分の才能をシェアするべきだし、そうできる世界になったことを嬉しく思うよ」
何よりも、Bumblefoot はギター世界において最も “オープンな” メンターのひとり。新しいもの、異質なものを取り入れることになんの躊躇もありません。当時のヒーローの多くがヴィンテージに回帰する中で嬉々として Helix を愛用。表現力豊かでメロディアスなリック、お馴染みのショパンやリストへの傾倒、ウイスキーを注ぎたくなるようなカントリー、微睡のスローなブルース、異国の香り、Djent も真っ青なチャグチャグ・リフと、場所も時間も飛び越えて、自らの直感とテクニックだけで広大なギター世界を築き上げていきます。
Brian May, Steve Vai, Guthrie Govan という、時代の異なる情熱のギターヒーローがここに集ったことも付け加えておきましょう。Vai 参加の “Monstruoso” など、”Fire Garden” 時代の彼を思い出して歓喜すること必至。そう、彼らのアイデアは今でも、アートワークのギター船のように宇宙高く飛び立ちます。ギター世界にはまだまだ情熱と探求の余地が残されているのです。
今回弊誌では、Ron “Bumblefoot” Thal にインタビューを行うことができました。「世界には素晴らしいミュージシャンがたくさんいるし、その中でも日本はとても注目に値するよ! 才能に溢れている!日本の音楽にはずっと注目してきたんだ。Akria (Takasaki) のアルバム “Tusk of Jaguar” までさかのぼると、リリースされた当時、子供のころは本当に聴き入っていたよ。14歳の時には、僕のバンドが LOUDNESS の曲をたくさんカバーしていたんだ。”Girl”, “Crazy Doctor”, “Esper”…もう少し経ってからは “Run For Your Life” もね!」  二度目の登場。どうぞ!!

BUMBLEFOOT “…RETURNS!” : 10/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【DREAM THEATER : PARASOMNIA】


COVER STORY : DREAM THEATER “PARASOMNIA”

“Not Every Band Survives, Right? Bands Break Up, Members Leave. We Know How Lucky We Are To Have a 40-year Career!”

PARASOMNIA

DREAM THEATER の新作 “Parasomnia” は、睡眠障害にちなんだタイトルです。しかしこのアルバムは、40年の歴史を持つプログ・メタル・レジェンドのファンにとってはむしろ “夢” を叶えるアルバムだといえます。
“Parasomnia” は、2009年の “Black Clouds & Silver Linings” 以来初となる、ドラマーで共同創設者 Mike Portnoy がバンドに復帰した作品です。ボストンのバークリー音楽大学で出会い、1985年に MAJESTY としてこのバンドをスタートさせたギタリスト(兼アルバム・プロデューサー)の John Petrucci、ベーシストの Jonh Myung とは久々の再会となります。
DREAM THEATER は Portnoy が脱退後に5枚のスタジオ・アルバムをリリースしていますが、それでも Petrucci は 「Mike が復帰し、僕らが再び一緒になることの重大さを十分に理解している」 と語ります。
Portnoy にとっても DREAM THEATER はずっと帰りたかった “おうち” でした。
「”オズの魔法使い” でドロシーがかつて言ったように、ずっとおうちに帰りたかった。オリジナルのラインナップではないけど、”クラシック” なラインナップだ。このメンバーでアルバムを作っていた時代、基本的に99年から2009年までは、いろんな意味でこのバンドの黄金時代だったと思うし、DREAM THEATER の歴史の大きな部分を占める音楽だった。だからこのラインナップが再結成されることは、本当に特別なことなんだ」

もう一人の “幼馴染” John Myung も Portnoy の復帰を祝福します。
「バンドでミーティングをしたんだ。その要旨は、 “Mike と話したところ、彼は家に戻る準備ができている” というものだった。あの頃バンドは本当にうまくいっていたし、音楽的にも Mike と一緒にいたときが一番強かったと思う。だから彼が戻ってくるのは理にかなっていたね。レコーディングも本当に順調だった。何の問題もなかった。Mike が元々バンドにいた頃を思い出すような感じだ。彼が戻ってきて、かつてのようなケミストリーが生まれたのは本当に素晴らしいことだった。彼が脱退してからはいろいろなドラマーをオーディションして彼らの個性を知ることができたし、一方で Mike がバンドに戻ってきてくれたことは、僕らにとって本当に素晴らしいことだった。僕たちは本当にいい場所にいて、すべてが少しずつ理解できるようになった。振り返って、当たり前だと思っていたことに気づくことができた。だから、バンドと今のケミストリーをより理解できるようになったんだ」

かつて、Portnoy との確執も噂されたボーカリスト James LaBrie も今回の再結集を祝います。
「Mike と僕が久々に出会ったのは……ニューヨークのビーコン・シアターでのライブだった。それがきっかけで、僕たちみんなが本気で考え始めることができたんだ。Mike はすでに John のソロ・アルバムに参加していて、その後 LIQUID TENSION EXPERIMENT では John と Jordan とも仕事をした。だから、そうしたすべてのことが、彼が再びメンバーとして活動できるように、ゆっくりと、でも確実に、その扉から歩みを進めていたんだ。
だから Mike が復帰して、実際にそうなったときは、とても自然だった。本当にうまくいくのか?このバンドでいいのか?といった不安は絶対になかった。正直に言うと、Mike の脱退はまるで彼がコーヒーを飲みに出かけて、戻って来てから作曲を始めたような感じだったと冗談交じりにインタビューで話したこともある。でも、とてもスムーズで、隙がなかった。実際にその環境に入ってアルバムを書き始めると、しっかり感じ取れるようなケミストリーを思い出し始めるからね。
“Parasomnia” を書き始めて最初の日か2日くらいですでに、冗談を言い合ったり、笑ったりしていた。あのやりとりや、曲に対する分析的なアプローチや、それらがゆっくりと、でも確実に、完全な構成へと進化していく様子を覚えているよ。だから、一歩も踏み外していないように思える。非常に楽だった。13、14年前とは思えないほど、”よし、ここから続けよう” という感じだった。とても本能的で自然な感じで、スタジオに入って何か新しいものを作ろうという、自分たちが一番得意とすることに没頭できたんだ。僕ら5人がスタジオに入ったらどうすればいいか、わかっていることをやっただけなんだ」
LaBrie は Portnoy の前任 Mike Mangini への感謝も忘れてはいません。
「彼はとてもプロフェッショナルだった。とても立派な人だった。つまり、明らかに動揺していたと思う…動揺していたに違いないが、彼はそれを受け止めて”なんだか納得したよ、みんな” みたいなことまで言ったんだ。なぜこうなるのか、なぜ必然的にこうなるのかがわかった。バンドにとっても、君たちがともに歩んできた歴史にとっても、理にかなっている。自然なことだってね。そう、彼は上品な男だった。上品なね」

Portnoy は脱退から “いくつかのフェンスを修復しなければならなかった” と認めていますが、彼と Petrucci は2020年の Petrucci のソロ・アルバム “Terminal Velocity” で共にに働き、一緒にツアーを回りました。それから2人は、2021年に LIQUID TENSION EXPERIMENT 3枚目のスタジオ・アルバムに Rudess, ベーシストの Tony Levin と参加することになります。 しかし Petrucci はそうした動きを “予行演習” ではなかったと主張します。
「ああしたコラボレートは、Mike が戻ってくる可能性を示唆するものではなかった。Mike Mangini はバンドにとても強い存在だったからね…”Portnoy はいつ戻ってくるのか?” と常に聞かれたけど、僕たちはグラミー賞を初めて受賞したばかりでツアーも順調だった。
どんな理由であれ、2023年の秋、あの瞬間に星が一直線に並んだだけなんだ。 Portnoy が戻ってくるだけでなく、また一緒にスタジオに入るという発表をすることで、ファンが熱狂することは理解していた。 それをアルバムで聴いてもらえると思う」

全8曲、71分のこのアルバムは、ロングアイランドにあるDREAM THEATER のDTHQスタジオでレコーディングされ、バンドにとって通算16作目。ビルボードのトップ・ハード・ロック・アルバム、トップ・ロック・アルバム、インディペンデント・アルバム・チャートでトップ10入りを果たした2021年の “A View From the Top of the World”に続く作品となりました。複雑なアレンジ、超常的ダイナミクス、ウルトラ・テクニカルな演奏、長大な構成(6曲が7分を超え、エンディングを飾る大曲 “The Shadow Man Incident” は19分32秒にも及ぶ)により “Parasomnia” は過去の DREAM THEATER すべてを包み込みながら、リフのタイム感やサウンドの立体感は明らかに現代的に仕上がっています。
「モダンでありながらクラシックなサウンドにしたかったんだ」と Petrucci は語ります。 「1999年から2009年の間に作られたアルバムのいくつか、そしてその時期は、ファンにとても愛されている。だから、 Mike が再加入することで、そのノスタルジーが戻ってくることを期待しているんだ。確かにあの雰囲気はある。ああ、これは “Scenes from a Memory” や “Train of Thought” からの曲っぽいなと思っても、それを捨てたりはしなかった。クールだ、これで行こうって感じなんだ。僕らは僕らなんだ。
プロデューサーとしては、今までのどのアルバムよりもいいサウンドを作りたいと思っている。 だから、レコーディングの方法で限界に挑戦するんだ。 モダンなテクニックを使いながら、ヴィンテージの機材を使って、それらを完璧な形でマッシュアップするという組み合わせなんだ。まだ新しいレコーディング・テクニックを試しているところだ。1991年や1995年に使っていたような機材を使うことで、レトロなサウンドではなく、モダンだけどヴィンテージで暖かく、居心地の良いフィーリングを含んだレコードを作ることが目標だった。この組み合わせはとても意図的だったよ。8弦と7弦のギターを使ったリズム・サウンドで、よりモダンなアプローチを作る。ヘヴィでアグレッシブだ。今のメタル事情に合うようなサウンドだ。でもリード・サウンドを聴くと、オールドスクールな Santana の雰囲気がある。ドラムのミックスの仕方も含めて、アルバムではそういう並置をたくさんやった。アンディ・スニープと話し合ったんだけど、Mike のドラム・サウンドはとても独特なんだ。オーバー・プロセスやオーバー・プロデュースはしてほしくない。彼がドラムを叩いているようなサウンドにしたいんだ。それが、僕らが最初から目指していたことだった。そうして、ジミー・T、アンディ・スニープ、マーク・ギッツといった素晴らしい人材を起用することで、レコーディングを未来へと導き、モダンなサウンドに仕上げている。 新旧のバランスが完璧なんだ」

伝説的なアーティスト、ヒュー・サイム(2005年の “Octavarium” 以来、DREAM THEATER のほぼ全アルバムのアートワークを担当)がデザインした “Parasomnia” のメイン・イメージは、LPの包括的なテーマであるパラソムニアを見事に体現しています。 サイムはかつて、DREAM THEATER の音楽は「”ありえない現実と夢の状態” の世界を楽しむ僕のアートにぴったりだ!」と述べています (ただし最近、ORION というプログ・メタル・バンドのアートワークへの使い回しが問題視されている)
興味深いのは、サイムのアプローチが、バンドの金字塔1992年の “Images and Words” を意識したものに思えるところ。 どちらの写真もナイトガウンを着た少女がベットからほんの数フィート離れて立っています。もちろん、DREAM THEATER のエンブレムも両方に写っており、このつながりはあの記念碑的な作品への独創的な回帰と見ることも、とてもクールな偶然の一致と見ることもできるのです。さらにブックレットの中には、かつての作品のアートワークが壁にかけられていたりもします。
そう、過去の作品への回帰もこの作品の愛すべき側面のひとつ。彼らのコンセプチュアルな大作 “Metropolis Pt. 2: Scenes From A Memory” への言及が複数あるのもダイハードなファンへの贈り物。 例えば、 “Parasomnia” の3枚目のシングル “Midnight Messiah” で LaBrie はこう歌っています。”In my dreams, there’s a song I oncе knew / Like an uncanny strange déjà vu”、”For all eternity / It’s calling me back to my home” 。当然、私たちは “Strange Déjà Vu” と “Home” の両方を思い出すでしょう。
同様に、”Dead Asleep “の8分あたりには “Beyond This Life” を彷彿とさせるインストゥルメンタル・ブレイクもあり、最後の大曲のイントロで “Metropolis Pt.1” を思い出すファンは少なくないでしょう。 “Midnight Messiah” に戻ると、LaBrie はこうも歌っています。”In my life / I’ve lost all self-control / Like a sword piercing this dying soul”。そう、彼らはまさにこの作品で自らの伝説と抱擁を果たしたのです。

Petrucci によれば、”Parasomnia” のコンセプトは、ずっと温めていたものだそう。
「ずっとポケットにしまっておいたんだ。この言葉の響きが好きでね。 夢や DREAM THEATER との結びつきも好きだし、題材がとても不気味でダークでヘヴィになるのも好きだった」
“Parasomnia” は DREAM THEATER のレコードのタイトルとしては謎めいていて素晴らしいものですが、ただ Petrucci はこのタイトルの由来を自分の手柄とは言えないと告白します。
「ある日、息子と話していて彼がこのタイトルを口にしたんだ。彼はただ “パラソムニア” と言っただけだけど、すぐにこれはクールなアルバム・タイトルになると思って、数年間頭の片隅に置いておいたんだ。まさに DREAM THEATER の完璧なタイトルだ。息子には認めていないんだ。そろそろ息子に言わないとね(笑)」
Petrucci は、夢遊病、夜驚症、夜間麻痺など、さまざまな睡眠時随伴症を研究し、それらを曲の礎にしました。そのうちのひとつ、”Dead Asleep” は、侵入者と戦っている夢を見ているうちに、誤ってベッドで妻の首を絞めてしまった男の実話から引用したもの。
一方、組曲のような “The Shadow Man Incident” は、Petrucci によれば、”悪魔や暗い人物” の存在を感じるという目覚める前の現象に基づいています。
「パラソムニアとは、夢遊病、睡眠麻痺、夜驚症など、睡眠に関連した破壊的な障害を指す言葉だ。 僕らのバンド名は文字通り、夢を見ている時に流れる劇場なんだから、これをもっと早く思いつかなかった方がおかしいよ」

このアルバムが特別なのは、パラソムニアの不穏な性質がシークエンス全体に浸透していることでしょう。 全曲のタイトルや歌詞が睡眠、悪夢などに何らかの形で関連して、まるでつながったビジョンのように展開させる聴覚的な戦術がとられています。
具体的には、オープニングのインスト・オーヴァーチュア “In the Arms of Morpheus” は、不気味なギター・ライン、時を刻む時計、誰かがベッドに入る音で始まり、それに呼応するように、壮大なクローザー “The Shadow Man Incident” では、不吉な声が “目を覚ませ” と囁きながら、冒頭のサウンドを再現して終わります。”Dead Asleep” も “In the Arms of Morpheus “と同様の始まり方。そして、”Are We Dreaming? ” はその名の通り、心地よい声とキーボードのコードで構成された夢のような楽曲です。そして何より、白昼夢のように美しき “Bend the Clock”。もちろん、メインテーマとなるメロディがアルバムを通して何度も顔を出すのは彼らが慣れ親しんだやり方。
「このアルバムはテーマ性のあるコンセプト・アルバムなんだ。 僕たちはそういうことが大好きなんだ。 コンセプトを加えることで、アルバムが別の次元に引き上げられると思うんだ。より壮大で、よりクラシックで、より特別なものになる。とても楽しいよ。
このアルバムに取りかかったとき、Mike が “もう一歩踏み込んで、もっとコンセプチュアルな作品にしたらどうだろう” と言ってくれたんだ。だから、さまざまな曲で繰り返されるテーマを持つようになったし、耳触りのいい曲を追加して、すべての音楽をつなげ、序曲を持つようになった。だからこそ、DREAM THEATER のアルバム体験が期待できるんだ」

一方、Portnoy は、”Parasomnia” で DREAM THEATER をコンセプチュアルな方向に押し進めたことを誇りに思っています。
「僕らにとってとても重要なアルバムだから、単なる曲の集まり以上のものにする必要があると思ったんだ。映画を観たり、本を読んだりするように、最初から最後まで消化するような1つの作品という観点でアルバムを作り始めたんだ。その方向で行くと決めてから、このアルバムを特別なアルバムにするための扉が本当に開いたんだ」
Petrucci が言っていることの典型的な例が、アルバムからのセカンド・シングル “A Broken Man” でした。この曲は、戦争帰還兵の体験を詳述していて、戦後ストレス障害、PTSD が彼らの睡眠パターンを大きく乱し、ひいては戦闘から帰還した後の彼らの生活の質に悪影響を及ぼす可能性があることに焦点を当てています。
「James LaBrie が “A Broken Man” の歌詞を書いたんだ。基本的に、このアルバムのために歌詞のガイドラインは、パラソムニアの出来事や経験について書くというものだった。僕の場合は、夜驚症や睡眠麻痺について書いた。
James は、退役軍人が睡眠不足によってどのような影響を受けるか、PTSD が元戦闘員の心理をどのように混乱させるか、それが彼らの睡眠パターンや生活にどのような影響を与えるか、それがどれほどフラストレーションになるかを書くことにした。それを彼は “Parasomnia” の話題と結びつけて書くことにしたんだ」

“Night Terror” は彼らが再び集まって最初に書いた曲だったと Petrucci は回想します。
「”Night Terror” は、スタジオに入って最初に書いた曲なんだ。だから、僕らが感じていたことをそのまま反映した曲となった。ファンにとっては、その興奮やエネルギーを感じ取ることができたと思う。また、このアルバムがどのような作品になるかというトーンも示してくれたと思う。つまり、確かにヘヴィで、僕らが大好きな DREAM THEATER の様々な要素、プログの要素、リフの要素、そういったものをすべて含んでいるんだ。
40周年記念ツアーでこの曲を披露するのは最高だったよ。この曲に入ると、ずっとカタログに載っている曲のように感じるんだ。それに、夜驚症の人たちが経験する本当に怖い感覚を表現するような歌詞を書くのも楽しかった」
今回のツアーではニュー・アルバムからの曲もいくつか演奏されますが、そのほとんどは、昨年海外で始まった DREAM THEATER 40周年記念を継続するためのもので、今年後半にはより “Parasomnia” 中心のツアーが予定されているといいます。その時にニュー・アルバムを全曲演奏したいと彼らは計画しています。
そのツアーで Portnoy が再び管理していることのひとつが、セットリストであり、Petrucci にとってそれは大きな安心材料となっています。
「Mike は本当にセトリを作るのが上手で、いつ、どこで、どの曲を演奏したかを一番把握しているんだ。彼は音楽やバンドのファンだから、ファンの視点からもアプローチしてくれる。繰り返しになるけど、彼はそれが本当にうまいんだ。僕はその仕事から解放され、彼が戻ってきたことをうれしく思っている。それって、僕らが見逃していたものだと思う。彼がそうしていたこと、そしてセットリストが興味深いものであったこと。僕たちのファンは、彼が戻ってくると聞いたとき、おそらく彼がその担当に戻ってくることを望んでいたはずだ。だから、今回も彼の担当なんだ」

40年バンドを続けること…それは生半可なことではありません。
「12歳の時に出会った中学の同級生と、18歳の時に出会った大学に入りたての男と、まだ同じバンドをやっているなんて信じられないよ。僕らはみんな、バンドをやるのが大好きなんだ。楽器を演奏するのも、一緒に曲を作るのも、一緒にレコーディングするのも、一緒にツアーするのも大好きなんだ。ケミストリーと兄弟愛がとても強いんだ。それに加えて、国際的で広く、忠実で献身的なファンベースがある。それを当然だとは思っていない。
すべてのバンドが生き残るわけではないだろ?バンドは解散し、メンバーは去っていくもの。40年のキャリアを持つことがどれだけ幸運なことか、そして、メンバーが脱退しても、また戻ってきて、幸せと興奮に包まれながら再合流できることを、僕たちは知っている。それはみんながこのバンドを愛している証拠であり、お互いに愛し合っている証拠なんだ」
実際、Petrucci が40年以上にわたってこのバンドに在籍しているという事実は、いまだに彼の心を揺さぶっています。
「ワイルドだよ。自分の好きなバンドを考えてみても、そんなに長く続くバンドはそうそうない。R40、つまり RUSH の40周年について考えても、”もうそんな時期なのか!”と思う。
John Myung とは12歳のときに知り合ったんだ。今でも同じメンバーで同じバンドをやっていて、まるで家族のようであり、兄弟のようであり、みんなこのポジションにいることを本当に幸運だと思っている。ファンもずっと応援してくれる。そうしたすべてが当たり前だとは思っていないよ」


参考文献: WALL OF SOUNDS: John Petrucci – Dream Theater ‘Four Decades of Living the Dream’

BILLBOARD : Dream Theater Open Up About Reuniting With Mike Portnoy on New Album

BLABBERMOUTH :DREAM THEATER’s JOHN MYUNG On Reunion With MIKE PORTNOY: ‘It Made Sense To Bring Him Back’

UCL:HOW DREAM THEATER EMBRACED THEIR LEGACY WITH ‘PARASOMNIA’

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【DRAGONKNIGHT : LEGIONS】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH MIKAEL SALO OF DRAGONKNIGHT !!

“I Think In Tough Times Power Metal Can Be Something You Hang On To, And When Times Are Good It Is Something To Celebrate Life With! I Think I Might’ve Heard That Quote Actually From André Matos In a Japanese Interview !”

DISC REVIEW “LEGIONS”

「学生時代、ちょっとはみ出し者だった僕にとって、BLIND GUARDIAN の “Nightfall in Middle-Earth” や ANGRA の “Temple of Shadows” のようなアルバムは、人間の領域を超えた壮大な物語を体験させてくれ、心に音楽的な冒険を与えてくれたからね。パワー・メタルは、辛いときには心のよりどころとなり、幸せなときには人生を祝福してくれるものだと思う!この言葉は、日本のインタビューで読んだ Andre Matos の言葉の受け売りなんだけどね!」
早いもので、Andre Matos が亡くなってもう6年の月日が経ちました。メタル・ファンの多くは、未だにこの喪失の大きな穴を完全には埋められていないでしょう。しかし、彼の遺志と音楽は今も生き続けて、リスナーの心に寄り添い、もしくは後続のインスピレーションとして燦然と輝いています。フィニッシュ・パワー・メタルの新鋭 DRAGONKNIGHT も Andre Matos に薫陶を受けたバンドのひとつ。
「このアルバムは重層的な作品と言える。アルバムのいくつかの曲は “時を越えた地” からの短い物語に過ぎないが、アルバムの全てにわたる広いコンセプトもある。ドラゴンロードとして知られる5人の兄弟が、打ちのめされた子供時代を経て、力を取り戻し、子供時代の故郷であるアトランティスを奪還する。アルバムの最後を締めくくるのに、神秘的なアトランティスの再征服以上の勝利があるだろうか?」
日本語を学び、日本の音楽を愛するフィンランドの Ronnie James Dio こと Mikael Salo が語るように、パワー・メタルのファンタジーはこの暗い世界において素晴らしき逃避場所だと言えます。私たちは大人になっても、DRAGONKNIGHT というバンド名に心奪われても、闇の皇帝を頂く仮面で匿名の5人の亡霊を名乗っても、ドラゴンが飛翔する異世界に憧れても良いのです。痛みを忘れて、想像力を羽ばたかせることはいくつになっても素敵なこと。厳しい現実、無慈悲な社会から少々はみだしても大丈夫。きっとヘヴィ・メタルがそんなあなたを丸ごと抱きしめてくれるから。
「特に日本のフォーク・ミュージックに多く見られるペンタトニック・ハーモニーを多用するのが好きなんだ!必要なときに、全体的な音楽体験に神秘的でダークな雰囲気を与えてくれると思う。また、シンガーとしても、Yama-B、坂本英三、森川之雄、小野正利など、日本の巨匠たちの激しさや情感にいつもインスパイアされているよ!」
そうして、Mika の歌うメロディは、ファンタジーのメッカ日本の音楽に触発されています。時代は変わり、今や日本のメタルは世界中から注目を浴びています。不滅のドラゴンロードたちが奏でる壮大なアンセミック・シンフォニー。ドラムの疾走感が、見事なシュレッドと複雑なギター・ワークに向かって、彼らの航海を前進させます。そう、その主役は、日本のメロディで育ったサー・ミカ・サロ卿。
実際このアルバムは、海賊からドラゴンに至るまで、素晴らしいファンタジー、冒険映画のサウンドトラックになり得るでしょう。剣に生き、剣に死ぬ。その彼らの華麗な剣技は、間違いなくいつも人生に寄り添ってくれた BLIND GUARDIAN や ANGRA、彼らから受け継いだパワー・メタルの血、祝福そのものなのです。
今回弊誌では Mikael Salo にインタビューを行うことができました。「メタル以外での僕の “ギルティプレジャー” は、最近80年代の日本の “シティポップ “だ。普段はYouTube Musicで様々なアルバムの曲を個別に聴いているんだ。杏里のこのアルバムはバンガーをたくさん収録しているので、間違いなく最近のお気に入りアルバムのひとつに挙げられる!”I Can’t Stop The Loneliness” と “Windy Summer” は、暗くて寒いフィンランドにいても、沖縄のビーチでくつろいでいるような気分にさせてくれるね(笑)」 二度目の登場!。どうぞ!!

DRAGONKNIGHT “LEGIONS” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【INGURGITATING OBLIVION : ONTOLOGY OF NOUGHT】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH FLORIAN ENGELKE & NORBERT MULLER OF INGURGITATING OBLIVION !!

“I Find The Now “Industrially” Standardized Production And Songwriting In Metal Music Boring And Annoying. It’s Become Boring As Hell.”

DISC REVIEW “ONTOLOGY OF NOUGHT”

「メタル・ミュージックは、今や “工業的に” 標準化されたプロダクションとソングライティングが退屈で腹立たしいものになった。地獄のようにつまらなくなった。こういう図式化された大量生産物の一部にはなりたくない。プログ・メタルの50%でさえ、画一化されている。もちろん挑戦すれば、ボツになったり、プロダクションを台無しにするリスクは常にあるけど、それを跳ね返していきたいんだ」
その並外れた生命力と感染力で世界中に種を蒔き、芽吹かせてきたヘヴィ・メタル。しかし、これほど裾野が広がった世界においても、真に挑戦的な音楽を志すアーティストは決して多くはありません。それはある意味当たり前のことでしょう。アーティストも我々と同じ人間です。普通に生活して人気を得、承認欲求を満たすためにはある程度 “アート” を犠牲にしてでも認知され売れることが必要だから。しかし、INGURGITATING OBLIVION にそんな “打算的” 考えは毛頭ありません。
「僕が常に心がけているのは、何よりもまず自分が好きで、個人的に満足できる音楽を作ることだ。それはアーティストの特権だ。僕たちは、ただ共有するのではなく、音楽を録音し、ある時点で発表/共有することを選んだ。これはもちろん、批判や嘲笑を浴びるリスクを伴う。信じてほしいのだけど、僕はメタル・シーンやそれ以外の世界で、僕たちのバンドをうっとうしい、気取っている、つまらない、長い、はっきりしない……何でもありだと心から思う何百人もの人々に会ってきた。幸いなことに、それでも僕はあまり気にしていない。僕たちの蛇行した複雑な音楽表現を楽しんでくれている素敵な人たちの輪があるから」
書籍を出版するほどの本物の哲学者 Florian Engelke 率いる INGURGITATING OBLIVION は、ただ自分たちが満足できる音楽と哲学のみを “Ontology of Nought” に記録しました。だからこそ、パターンも、手がかりも、建築的根拠も、どこにも見つからない。まったく脈絡がないままに、しかし壮大な迷宮が完成していく。デスメタルを名乗るものにこれほど迷わされ、興味をそそられたことは未だかつてありません。
不協和音、途切れ途切れのリズム、漆黒のインテンシティ、テクニカルなアルペジオ、フレットレスの夢幻、スポークンワード、呪術的なアトモスフィア、凶悪なノイズが結びついたアヴァンギャルドな地下大迷宮は1時間15分近くに及ぶ5曲からなり、さまざまな楽章に分かれています。忍耐強く、有機的に、しかし盲人が盲人を導くような意図と方向性をもって彼らの “バベルの図書館” は刻々と変化していきます。
「僕に言わせれば、人は形成期というものを経験する。僕の場合、それは MORBID ANGEL, OBITUARY, DISINCARNATE, MY DYING BRIDE といったバンドだった。彼らの印象は今でも僕の中に残っている。でもDjent全体は、ほんの短い間だけ楽しめたものだった。それがすべて過ぎ去り、印象が残って、次に進んだのかもしれないけどね」
彼らの生み出す音の迷宮は、Djent のように機械仕掛けで精密なものではありません。むしろ、デスメタルがその凶暴を発揮し始めた90年代初頭の、おどろおどろしい混沌を百鬼夜行の壮大さで実現した狂気。そこにバルトークやライヒのような現代音楽の実験や、フランク・ザッパとマイルス・デイヴィスの挑戦を込めた奇々怪界は真に唯一無二。だからこそ、有機的で、実存的で、革命的な音楽が生まれるのです。
今回弊誌では、INGURGITATING OBLIVION にインタビューを行うことができました。「僕らのバンド名が哲学的に聞こえる主な理由のひとつは、僕がある時期哲学を勉強していた(その後、言語学に科目を変更した)という事実そのものにあると思う。だから、自然と哲学的なことや根源的なことに関心を持つようになったんだ。いくつかの古典(孫子、老子、ソクラテス、プラトン、デリダ、ニーチェ、そして宗教的/精神的な経典の数々)を読み、政治的/哲学的な言説に親しみを持っているからね。2024年初頭、僕はRoutledgeから “The Ethical Bottomline(倫理的ボトムライン)” というタイトルの最初の本を出版したんだ」 Tom Fountainhead がフレットレス・ギターを奏でるツールはEBOW ( 弦に近づけるだけでサスティンをコントロールできるアタッチメント。バッテリー駆動でバイオリン、ホーンや木管楽器のようなハーモニーを奏でることができる)。どうぞ!!

INGURGITATING OBLIVION “ONTOLOGY OF NOUGHT” : 10/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【ALL THAT REMAINS : ANTIFRAGILE】


COVER STORY : ALL THAT REMAINS “ANTIFRAGILE”

“The Biggest Thing That’s Happened To Us Was Oli Passed Away… It Was a Really, Really Big Deal.”

ANTIFRAGILE

「人間には不屈の魂が必要だ」
そう語るのは、ALL THAT REAMINS のバンドリーダーでボーカリストの Phil Labonte です。彼はメタルの “回復力” を知っています。
Labonte は、ATR が前作 “Victim of the New Disease” をリリースした2018年後半から、待望の10枚目のスタジオLP “Antifragile” の登場となる2025年初頭までのこの6年間、心が折れるような悲劇を含め、多くの障害に直面してきました。
現在、Labonte とギタリストの Mike Martin を除けば、バンドのラインナップは6年前とはまったく異なっています。最も深刻だったのは、2018年、リード・ギタリスト、Oli Herbert がコネチカット州スタッフォード・スプリングスの自宅敷地内、池のほとりで遺体で発見されたことでしょう。彼はまだ44歳でした。この事件は現在も未解決のまま。
Jason Richardson(元 CHELSEA GRIN、BORN OF OSIRIS)が Herbert の後を継ぎ、最初はツアー・メンバーとして、その後フルタイムのリード・ギタリストとなります。しかし、パンデミックにより、ALL THAT REMAINS の再始動、その勢いはすぐに止まってしまったのです。
2022年、ライブ・サーキットがようやく再開されると、グループは “The Fall of Ideals” のアニバーサリー・ツアーを行い、遅ればせながらアメリカン・メタルコアの画期的なレコード15歳の誕生日を祝いました。
さらにそこから大きな変化が待ち受けていました。Labonte 個人としては、ポッドキャスト Timcast IRL の共同司会とプロデュースを始めました。ALL THAT REMAINS としては元レコード・レーベルと友好的に決別。2024年春、ベーシストの Matt Deis とドラマーの Anthony Barone を加えた5人組は、自分たちだけで独立し、オール・ザット・リメインズ・レコーズという名の独立レーベルを設立したのです。

それでも、Labonte は彼とバンドメンバーが乗り越えてきたすべてのことに活力を感じています。そしてそれこそが新譜のテーマとなりました。
「僕は、ポジティブで高揚感のあるコンセプトが欲しかった。人生で経験する苦難は、実は私たちをより強くしてくれるものなのだからね。
人には目的が必要だ。ビーチでマルガリータを飲みながらぶらぶらするだけでは十分じゃない。”喜びは目的地ではなく旅にある” という古いことわざは、真実だ」
つまり、ALL THAT REMAINS の新作は、近年の苦難の旅の中で鍛え上げられた、正真正銘の銘刀であり、バンドが輩出した初期の西マサチューセッツ・メタルコア・シーン、その特徴的なサウンドを想起させながら、ウルトラ・テクニカルなギター・プレイから精巧に磨き上げられたヴォーカル・フックに至るまで、現代的なタッチが加えられているのです。
ではこのバンドのリーダー Labonte にとって、この6年間で最大の苦難は何だったのでしょう。
「そうだね、いろいろあったよ。一番大きかったのはやっぱり Oli が亡くなったことかな…本当に、本当に大きな出来事だった。Oli は ALL THAT REMAINS に加入した最初の男だった。まだフルバンドになる前だった。ギタリストの Mike がやってきて、リフを弾いてみたんだけど、当時はまだうまく弾けなかったからね。Mike が彼の先生に会うべきだって言うんだ。それで Oli に会って意気投合したんだ。彼は最初から僕と一緒だった…
だから彼を失ったとき、彼なしで ALL THAT REMAINS をやれるのか、Oli Herbert 抜きの ALL THAT REMAINS とはどういうものなのかという大きな疑問が湧いたんだ。バンドののサウンドに欠かすことのできない存在だった彼抜きで何をやるのか?それを乗り越えるには長い時間がかかったね」

人として、Oli はバンドにとってどんな存在だったのでしょう?
「Oli はまるで家族のようだった。僕たちみんなを笑わせてくれた変なこととかがすぐ思い浮かぶんだけど、個人的なことだからあまり話したくないんだ。でも、みんなが変だと思うようなくだらないことこそ、家族みたいで大好きだったんだ。Oli が僕たちの1人か2人にイライラすることもあったけど、今振り返ると笑ってしまう。
昔の写真なんかを見ていると、ツアー中に彼が変なところで気絶しているのがたまらなく好きだ。空港とかホテルのロビーとか、変な格好で寝ている Oli の写真がフォルダに入っているんだ。バスを降りてすぐの草むらで気絶している Oli の写真もある。彼は “草の感触を味わいたかったんだ” って言ってた。僕らはそうだな!と笑ってた。
Oli について考えるとき、私はそういうことを思い出すのが好きなんだ。奇妙で風変わりなことが、彼をユニークで特別な男にしていたからね」
Oli の跡を継ぐ Jason Richardson と Labonte は本当に気が合うようです。
「彼はギターのサイボーグだからね!(笑) そう、彼はコンピュータープログラムなんだ。頭の中は1と0だけ。それだけ。あの子とは何度も一緒に出かけたけど、”彼は本物のロボットだ” って結論に達した (笑)。彼の演奏で本当に素晴らしいのは……彼は音楽理論や何やらについて深く膨大な知識を持っていて、小さなアイデアでもそれを発展させることができるんだ。僕たちは彼に2つのリフを渡して、”さて、どうしよう?”と言うことができる。そうすると彼は、曲全体で使える6、7種類のパートと、そのバリエーションとかを考えてくれるんだ。
ちょっとしたアイディアが浮かんだら、それを音楽理論に詳しい人に持っていくと、そのアイディアだけでなく、そのキーの他のスケールとの関係や、別のキーに移動させる方法などを教えてくれるんだ。それらはすべて、バンドが開いて実験できるドアなんだ。そういう人と一緒に仕事ができるのは本当に素晴らしいことだ。それが、僕たちが仲良くなれる理由のひとつだと思う。
もちろん、それは Oli が得意としていたことの1つであり、Jason が Oli と共有していることの1つだと思う。とにかく彼はワールドクラスのプレイヤーだが、ワールドクラスの知識も持っているんだ」

Labonte にとって、Oli の “モノマネ” をするギタリストは必要ではありませんでした。
「あの子は最高だよ。もし死後の世界があったとして、Oli が自分の場所に立っているのが Jason だとわかったら納得するだろうね。だから、それが重要なんだ。Oli になりすまそうとするようなヤツは獲りたくなかった。Oli は Oli だった。彼のリフの書き方、彼の個性。長髪でひげを生やしている人を断ることはなかったけど、長髪でひげを生やしてなければならないとは言わなかった。そんなことは求めていなかった。僕らが一番避けたかったのは、オーリーになりきってもらおうとしたように思われることだった。もう誰も Oli にはなれないんだから」
Richardson がギター・サイボーグになれたのはふたりの天才のおかげでした。
「Alexi が亡くなってから、CHILDREN OF BODOM をまた聴き始めたんだ。DREAM THEATER 並んで、僕が最も影響を受けて育ったバンドのひとつだからね。彼のギターは僕の嫌いなものばかりだけど、ずっと欲しかったんだ。 とんがっているのは好きじゃないし、EMG のファンでもないし、ノブは1つだし、ロッキング・ナットがついているし、フロイド・ローズもついている。 でも大人になってからは、Alexi か Petrucci かのどちらかが欲しかったんだ。周りの楽器屋には Petrucci のギターしか置いてなかったんだ」
Richardson にとって、ALL THAT REMAINS への加入は驚きでした。
「明らかに予想外だった。前任のギタリスト、Oli は20年間バンドに在籍していたんだけど、その Oli が亡くなったんだ。 ネットで見て、”なんてこった” って思った。彼は僕の友達で、以前一緒にツアーを回ったし、ジャムも一緒にやった。何時間も話をした。
それから1週間半後くらいだったと思うけど、彼らはインスタグラムにメッセージをくれた。”ちょっと聞きたいことがあるんだけど、僕らはすでにツアーを予約していて、アルバムのリリースも決まっているんだけど、このツアーの代役をやってもらえないかな?” ってね。ATR とは過去に何度か他のバンドでツアーをしたことがあったから、すぐにイエスと答えたよ。時間さえかければ曲は弾けると思っていた。幸運なことに、Oli はすべてを譜面に書き起こしていた。当時の新譜からの最新曲以外は、耳コピの必要はなかった。正直なところ、耳コピすることが唯一の不安だったんだ。それ以外のことは、もう一人のギタリストの Mike がビデオを送ってくれたりして、それで曲を覚えることができた」

Richardson は奇抜なソロキャリアと王道の ATR 、その二刀流を楽しんでいます。
「ATR は何枚もアルバムを出しているし、彼らのサウンドを評価する大勢のファンがいる。だから、彼らと一緒に曲を書いている間は、そのことを100%念頭に置かなければならない。でも幸いなことに、彼らには超クレイジーなテクニカル・メタルの旧作もたくさんあるし、”What If I Was Nothing” のようなストレートなロック・ヒット曲もある。意図的にラジオ用に書かれた曲が1、2曲ある。だから、よりシンプルで消化しやすいサウンドになっているのは明らかだ。
僕のソロをミュージシャンでない人が聴いて、”ああ、これは最高だ!” とは思わないだろう。僕のソロを聴くのは、ギタリストやミュージシャン・オタクだけだよ。ミュージシャンでなくても、”What If I Was Nothing” を聴けば、すぐにそれに惹きつけられるだろう。この曲は本当にキャッチーで、すぐに頭に残るから、バンドのために曲を書くときはいつも、もっとビジネス的な帽子をかぶらなければならない。その両方ができるようにならないとね。狂気的なメタルの曲も作りたいし、ラジオ向けのバラードも作りたい」
新メンバー、Richardson とドラマーの Anthony に加え、旧メンバーのベーシスト、Matt Deis もバンドに復帰しました。
「素晴らしいよ。2005年に Matt が脱退したときも、彼は僕らと仲が悪かったわけじゃないんだ。彼は CKY で演奏する機会を得たんだ。彼は大ファンだった。彼はそのバンドが大好きで、彼らのやっていることが大好きだった。ATR の2004年のセカンド・アルバム “This Darkened Heart” は発売されたばかりか、発売されて間もなかった。”The Fall of Ideals” はまだ出ていなかった。だから、僕らと一緒にいてもまだ何が起こるかわからないという状態だった。”Darkened” が少し成功して、みんなが僕たちを見て “これは誰だ?” という感じになったけど、それがキャリアになるかどうかは明らかではなかったんだ。
だから、彼が “こんなチャンスをもらったよ “と言ったとき、僕たちは “わかったよ。僕らにとっては最悪だけど、それでも君を愛している” って感じだった。連絡は取り続けたよ。彼はマサチューセッツ州西部の出身だから、幼馴染みみたいなものさ。Matt のことはずっと好きだったから、彼が戻ってきてくれて嬉しいよ。僕たちはいつも本当に仲が良かった。
それに素晴らしいミュージシャンなんだ。ピアノもベースもギターも弾く。音楽理論にも詳しいしね」

Labonte は作詞家として、”人間の条件に関する歌が最も説得力がある “と言っています。
「”Kerosene” は10月7日のイスラエル同時多発テロの直後に書かれたもので、パレスチナ人とイスラエル人の間で起こっている戦闘をアウトサイダーとして解釈したものなんだ。双方の言い分を聞けば、どちらにもそれぞれの物語があり、それぞれの理解の仕方がある。そのため、双方がそれぞれの理解の仕方を持っている。この確執は長い間続いている。1948年だけでなく、何千年もさかのぼるものなのだ。
彼らが相手側を少なくとも正当なものとして認め、同意することができない限り、このような事態はさらに続くだろう。”言葉がただの灯油になるとき” というサビのセリフがある。10月7日に実際に起こったことを聞いて、本当に、本当につらかった。控えめに言ってもね。2015年にパリの会場で行われた EAGLES OF DEATH METAL のコンサート中にバタクランで起きたテロ事件を思い出したよ。いろいろなものを見ていて、バタクランのことを考えずにはいられなかった。バタクランにいた人たちを知っていたから。
“Kerosene” を書いたのは、10月7日の事件の次の週末だったと思う。プロデューサーのジョシュ・ウィルバーとロサンゼルスにいて、そのことを話し始めたんだ。ただ会話が流れていて、”これを曲にできるかもしれない” と思ったんだ。この曲の出来栄えには本当に満足しているよ」
特に、ライブを楽しんでいただけの罪のない人々が巻き込まれたのですから、人ごとだとは思えませんでした。
「”Cut Their Tongues Out ” について話そうか。もっと怒っている曲だから (笑)。レコードのために最初に作った曲は “Divine”だった。Jason が曲を提供してくれて、僕とジョシュが一緒になって、アルバムのメッセージをどうしたいかを話し始めたんだ。このアルバムはパンデミック以来の作品だったから、全体的にダウナーな雰囲気にはしたくなかったんだ。この2年間、ロックダウンや抗争、そして多くの人たちが互いに罵り合ったりして、みんなもう十分に打ちのめされていたからね。
だから “Divine” は、自分が好きなことを何でもやっていて、自分が有能で、どうすればそれができるかを知っているとき、すべてがうまくいっているときに感じる感覚を表現しようとしたんだ。スポーツの世界では、それを “ゾーンに入る ” と呼ぶ。マイケル・ジョーダンがミスを一切許さなかったときのようにね。僕はその映像を覚えている。マイケル・ジョーダンが素晴らしいスリーポイントを決めたとき、彼は振り返ってコーチのフィル・ジャクソンの方を見るんだよな。”神 “とは、自分が着手しているどんなことでも、そのやり方を学ぶために全力を注いできたおかげで、ほんのちょっとだけ手に入れることができる小さな神性のかけらなんだよ。全てを注げば最高に有能になれるし、その結果には疑問の余地はない」

そうした揺るぎない “好き” “得意” を作ることはまさに “Antifragile” “こわれにくいもの” のミッション・ステートメントと一致しています。どんなことでも、自分が充実していると感じられればいい。だからこそ、ATR は独立の道を選んだのでしょうか?
「レーベルに所属し、レーベルを通じてライセンス契約を結ぶという選択肢もあったけど、レーベルに付随する多くのネガティブな要素に煩わされることなく、自分たちの手で作品を作り上げるというアイディアがとても気に入ったんだ。もうね、今となっては、レーベルは単なる広告代理店に過ぎないから。
もし君たちが若いバンドなら、レーベルに所属したいと思うのは分かるよ。でもね、ALL THAT REMAINS にとって、これは10枚目のリリースなんだ。僕らには歴史がある。”Fall of Ideals” のアニバーサリー・ツアーをやったんだけど、20年近く前にリリースされたレコードの曲を聴きに来てくれたんだ。そうした影響力を持ち、人々がまだ気にかけてくれていることは、とても幸運なことだ。でも、もし僕らのようなカタログや歴史がなかったら、”何か突破口を見つけ、人々の注目を集める方法を見つけなければならない” と思うのは自然なことだからね」
Lebonte のもう一つの仕事、ティム・プールとのTimcast IRLの共同司会とプロダクションの仕事は、どのように始まったのでしょう?
「ツイッターだよ。2013年に彼が “ウォール街を占拠せよ” を取材していた時に、彼の番組をいくつか見たんだ。それから、ティムの毎日の番組を見るようになった。彼はただビデオを作るだけで、基本的にただカメラを回して自分自身を撮影するだけだった。
僕がレガシーな、大きなメディアから離れ始めたのは、彼らが僕が魅力的だと思うものを本当に表現していなかったからだ。9.11の直後、僕はニュース中毒になった。なぜ起きたのか、何が起きているのか、そういったことを知りたかった。YouTubeが普及し始めたこともあって、インターネットでいろいろなものを見るようになり、自分の関心のあることについて話している人たちを見つけるようになった。ティムもその一人だった。
2016年頃、ツイッターでティムと交流するようになり、その後、バンドがきっかけでIRLのゲストに招待されたんだ。そしてある日、彼から電話がかかってきて、”お願いできる?” ってね」

Lebonte は明らかに、政治的に非常に率直な人物ですが、ATR は決して政治的なバンドではないでしょう。
「僕は常に分けて考えようとしてきた。その理由は、ATR には常に異なる政治的意見を持つ人々がいたからだ。僕と元ベーシストは、かなりはっきりした政治的意見を持っていた。Jason と僕は、政治的な意見の違いがはっきりしている。でも僕は、これまでの人生で、政治的なことが誰かとの友達付き合いをやめる理由になると思ったことは一度もない。だから僕にとっては、”ステージに上がって説教することはできない” という感じだった。ATR のライヴでやったことのある政治的なことといえば、2012年にロン・ポールのシャツを着たことくらいかな。
あと、マリファナに耽溺していた頃、コロラド州でマリファナが合法化されたばかりだったと思うんだけど、そのときに言ったんだ。コロラド州がマリファナを合法化したのはいいことだ。もちろん、今となっては全く議論の余地はない。
バンドには、僕と同じ考え方のヤツもいれば、僕と全然違う考え方のヤツもいる。それが普通だと僕は思う。意見が合わない友達がいないなら、そっちのほうが異常な気がする」
反対意見を持ちにくい時代になった?
「そうだと思う。でもそれは変わりつつあると思う。マーク・ザッカーバーグは昨日、5年ほど前に行った自由な意見交換についてのスピーチを撤回した。
結局のところ、アメリカでは誰もが相違点よりも共通点の方が多いんだよ。そして、隣人を敵視するよう人々を駆り立てる衝動は、もう限界だと思うし、ほとんどのアメリカ人はそれにうんざりしていると思う。僕らは反対する人の意見にも耳を傾けるべきだ。
僕は、とてもとても “生かされて生きる” タイプの男だ。極端な政治的意見は持っていない。非常に穏健だ。正直に言うと、90年代の民主党的なんだ。ナチス呼ばわりされたことは数え切れないほどあるが、同時にナチスからユダヤの回し者、イスラエルの回し者として攻撃されたことも数え切れないほどある。両側からそう言われているのなら、どちらの側にもそこまで極端にはなれないはずだ」

キャンセル・カルチャーは滅びるのでしょうか?
「その力があるかどうかを決めるのは、一般人である僕たちだ。炎上時に起こることは、誰かが何かを言って、”ああ、この人はこんなことをしたんだ” となる。そしてネットで大騒ぎになる。
それが社会にとって良いことだとは思わない。特に、意図的にやっていない人の場合はね。だから、もし誰かが何かを言っていて、それが侮辱的であったり、分断的であったり、偏見に満ちていたりするつもりはなく、何かについて話していて、それがただ無慈悲な言葉でないなら、人々が自分の人生に悪影響を及ぼす理由はない。誰かが誰かを罵倒したりするのであれば、企業が “あなたとはもう付き合いたくない” と言うのは理にかなっているかもしれないけどね。
でも、軽はずみなキャンセル・カルチャーはもう終わりだと思う。でも、他人の行動に影響を与える方法として暴挙を利用しようとする人々がいる限り、常に暴挙は続くと思う。ただ、人々は絶え間なく憤慨し続けることに飽きているのだと思う。だから、少なくともしばらくの間はね…」


参考文献: REVOLVER MAG:HOW TRAGEDY AND TURMOIL MADE ALL THAT REMAINS ANTIFRAGILE

GUITAR WORLD :Jason Richardson on his love of Alexi Laiho, soundtracking Lifetime movies and how his late pet pug’s progressive drinking habits shaped his new album

NEW ENGLAND SOUNDS :Jason Richardson On Filling Big Shoes In All That Remains

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【VICTORIANO : LIVING AN ODYSSEY】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH SERGIO VICTORIANO FROM VICTORIANO !!

“I Fell My Selfattracted By The Originality Of Japanese Music, The Way They Mix Many Styles Into One Piece, That’s Absolutely Outstanding, For Example I Really Like Acid Black Cherry, Cause They Have Songs In Different Styles, From Rock, Jazz, Ballad, Pop. etc…”

DISC REVIEW “LIVING AN ODYSSEY”

「日本の音楽のオリジナリティに惹かれたんだ。いろんなスタイルを1つの作品にミックスするやり方は、本当に素晴らしい。例えば、僕は Acid Black Cherry が大好きなんだけど、彼らはロック、ジャズ、バラード、ポップスなど様々なスタイルの曲を持っている。日本のバンドから受けた影響によって、僕らの心は新しい音楽の地平へと開かれ、日本の音楽によって VICTORIANO は様々な音楽スタイルに挑戦し、自分たちの道を見つけることができた」
かつて、日本の音楽は西欧よりも “遅れている”、テクニックが足りていない、外国では売れない、日本語が壁になるなどと言われていた時代がありましたが、インターネットの進歩によってそうした言説が誤ちであることが証明されつつあります。もちろん、他文化を受け入れる風潮が高まったという時流の変化もあるでしょうが、むしろ日本の音楽は “発見” されていなかっただけで、今ではその独特のコード感やメロディ、日本語の響きを含めて “クール” だと感じる外国人が明らかに増えています。
地球の反対側、チリから現れた VICTORIANO もそんなバンドのひとつ。ただし、彼らの日本に対する愛情はアメリカ大陸においても群を抜いています。
「数年間日本語を勉強していて、日本語はとても美しい言語だと気づいたし、その響きが好きになったから。その頃僕は、何か本当にオリジナルなことをしたいと思い、アメリカ大陸で日本語でフルアルバムをリリースする初めてのバンドになるという挑戦を自分に課したんだ。僕らの音楽を日本のリスナーの心に届けることは、僕にとってとても重要なこと。だからすべての愛を込めて、特に日本の人たちのためにアルバムを作ったんだ」
日本の音楽、その美しいメロディと多様なスタイル、そしてリリックの侘び寂びに魅せられた VICTORIANO。だからこそ、彼らは “日本語で” 歌うことにこだわりました。当然、ラテン系の言語と日本語の間には大きな隔たりがあります。その習得だけでも容易ではありません。ましてや、心を込めて歌うことには相当の鍛錬が必要でしょう。そうして彼らはやりきりました。
「最近日本の音楽でよく聴いているのは、Iron Attack, Imari Tones, 陰陽座, Siam Shade, Acid Black Cherry, Xie, Saluki, Galneryus だね。VICTORIANO のスタイルはかなり実験的で、ロック、ダブステップ、インダストリアル・メタル、プログレッシブ・ロック、ポップ、ジャズの間のミクスチャーだ。僕たちにとって最も重要なことは、他のバンドのスタイルを真似たり、守ったりするのではなく、オリジナルのスタイルを確立することだ」
“Living an Odyssey” を聴けば、その音楽のそこかしこに、古き良き往年のパワー・メタルと共生する日本の息吹を感じるはずです。バンドとして敬愛する Acid Black Cherry を筆頭に、Siam Shade, L’Arc~en~Ciel といったVとメタルの架け橋となったバンドの刹那のメロディ。さらにはボーカルの Sergio が幼少期から愛するアニソンとメタルの架け橋、Make Up や影山ヒロノブの遺伝子。そして Yama-B のゲスト参加が物語るように、日本を代表するパワー・メタルの伝説 GALNERYUS の純真。聖飢魔IIや Daita のシュレッドを思わせる場面も。
チリは敬虔なカトリックの国ですが彼らはプロテスタントで、興味深いことに彼らはそうした日本に対する愛情をキリスト教文化の中に落とし込みました。ルカの福音書にインスピレーションを得た “神の許しがない” を筆頭に、STRYPER も顔負けの穢れなきまっすぐなリリックは、不思議と日本語の響き、日本の音楽に自然に融合し、新たなアマルガムを創造していきます。広がるメタルの世界。その情報過多とも思える彼らの創造こそ、まさに今のメタルが翼を広げて飛翔する姿の象徴でしょう。
今回弊誌では、Sergio Victoriano にインタビューを行うことができました。「間違いなく僕は子供の頃からパワー・メタルが大好きだった。そして、これからもパワー・メタルを、新しい曲を作り続けていきたい。今の時代、パワー・メタルがそれほど人気がなくても構わないんだ。大事なのは、心の中にある音楽を作れるかどうかだから」 二度目の来日にも期待。どうぞ!!

VICTORIANO “LIVING AN ODYSSEY” : 9.9/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【HARAKIRI FOR THE SKY : SCORCHED EARTH】


COVER STORY : HARAKIRI FOR THE SKY “SCORCHED EARTH”

“Even If I Am Generally Lucky, I Have a Very Cool Band, I Have a Very Cool Wife And All That, But In The Meantime All That Is Happening In The World, Gets Me In a State Of Mind Where I Should Not Be And It May Be The Answer If People Ask How I Get Into This Sad Mood To Write Those Lyrics.”

SCORCHED EARTH

絶望、喪失、愛、そして実存的葛藤は、常にHARAKIRI FOR THE SKY の特徴的なサウンドの基盤。そうして2011年の結成以来、マルチ・インストゥルメンタリストのM.S.とボーカリストのJ.J.は、アトモスフェリックなエクストリーム・メタルとメロディアスなポスト・ロック、グランジ、モダン・ハードコアを融合させたエモーショナルなサウンドで音楽の境界を押し広げ、独自のジャンルを確立してきました。HARAKIRI FOR THE SKY は、ある意味過小評価されているバンドだと言えます。このオーストリアのデュオのメロディに対するこだわりは誰にも引けを取らず、憧憬のアトモスフィアと黒々とした攻撃性、そして瞑想的なテンポを組み合わせながらも、決して “虚弱さ” に陥ることはありません。あくまでもメタルの文脈の中で、筋肉質な重さとメロディックなモチーフにその情熱を注いできました。このスタイルのトレードマークであるゆっくりと燃え上がる “スロウ・バーン” を追求しながら、彼らは常に “ポスト・ブラック” という形容の落とし穴を避け、弱々しくきらびやかでしかし “簡単な” 道を選ぶことはなかったのです。
つまり彼らは小手先の技に頼らず、美しさ、憂鬱さ、残虐さのバランスを保ちながら、その中に光と希望を輝かせる卓越したソングライティングで、音楽の限界を押し広げてきました。感情を揺さぶるという使い古された言葉では言い表せないほどに。
それにしても、日本人としてはこの突拍子もないバンド名が気になります。
「Harakiri とは割腹自殺のこと。そう、経験したくはないことだ。これはボーカル J.J. のアイデアで、彼の夢と関係があるんだ。自殺は彼にとってとても重要なテーマで、彼は崖から落ちるような夢を見たんだけど、自分を刺しそれから飛び始めたんだと思う。僕の知っている限り、彼はそうやってこの名前を思いついたんだと思う。だから、彼の歌詞の中にも、いろいろなことの比喩があると思ったんだ」

2010年代初頭、寝る間も惜しんで Bandcamp を漁っていたメタル・ナードにとっては忘れられない名前でもあります。
「覚えている限りでは、我々は2011年の春か夏頃、古いアパートで HFTS のアイデアを思いついたんだ。夜通し酒を飲みながら、WOODS OF DESOLATION やALCEST、HERETOIR といった初期のポストブラックメタルを聴いていた。2人とも、当時組んでいた他のバンドにあまり満足してなくて、何か新しいもの、違うものを求めていたんだよね。こうして HFTS が誕生した。デビューのための最初のレコーディングをするまでに、そんなに時間はかからなかった。2012年の初めに完成し、その数ヵ月後に僕らが今も所属しているレーベル、AOPレコードからリリースされることになった。そう、それがこのバンドの起源だ」
ちょうど、オーストリア、そしてインターネットから生まれたバンドが飛躍し始めたころ。
「オーストリアは大きな国ではないし、大きなシーンもなかったけど、SUMMONING や ABIGOR、ELLENDE のような新しく、とても有望で影響力のあるバンドがいる。バンドを始めた当初は、Facebook や Bandcamp などを通じて、オーディエンスを見つけることができたのも大きかったな。そのおかげで、オーストリアの外でもすぐに演奏することができたし、ツアーにも出ることができたと思う。当時はポスト・ブラック・メタルはまだ新しかったし、インターネットはそれを “流行らせる” のにとても役に立ったんだ」
ポスト・ロックとブラック・メタルの融合は、最初から目指していたものなのでしょうか?
「もちろん、バンドを始めた頃は雰囲気のあるブラック・メタルのバンドを聴いていたし、同じようなことをやりたかったんだ。メランコリックな雰囲気がありつつもハーシュな音楽で、僕らが好きな音楽、聴いていた音楽からすべて何かしらの影響を受けていたから、頭に浮かんだものをそのまま書いたんだ。それが全体的なサウンドなんだけど、特定のバンドのようなサウンドにしたかったわけでもないし、特定の影響を受けたわけでもない」

HARAKIRI FOR THE SKY を10年以上続けてきたその原動力とはなんだったのでしょう?
「他人やファンとのコミュニケーションのためにやっているとは思わない。でも、僕らの作る歌詞や音楽の中に、同じような心の重荷というか、なんというか……そういうものを感じて、自分自身を見出すことがあるとしたら意義深いことだ。僕らははいつも、ある種のセラピーとして、自分自身を表現するためにやってきた。でも、他の人たちが僕たちの作るアートに共感してくれるのは、いつだって嬉しいことだし、そう、僕たちの曲のすべてに通じる特定のテーマや問題があるんだ」
それはどんなテーマなのでしょう?
「僕らの歌詞は常に自伝的なもので、つまり、書けるのはそれしかない。歌詞のほとんどは、人生のマイナス面、憂鬱、失恋、疎遠、薬物乱用などについてのものだ。でも、それは人間の心の奥底に宿っているもので、僕たちは多かれ少なかれ、そうしたネガティブな感情を処理しなければならない。そこでアートが生まれる。良い芸術や良い音楽は、通常、優雅な時に生まれるのではなく、憂鬱や悲しみから生まれるものだから」
人間嫌いと噂されることも少なくありません。
「人間嫌いかどうかはわからない。なぜなら、人間関係で何か不快なことや嫌な経験をしたとき、それをただ飲み込むのではなく、僕らは吐き出す必要があるからだ。音楽はそのための素晴らしいフィルターであり、そういったことに対処するための個人的なカタルシスなんだ。もちろん、世界でいろいろなことが起きている中で、ポジティブなことを見つけるのは難しいけど、それよりも、個人的に起きた悪いことに対処しているんだ」
彼らの音楽からは明らかに “冬” の景色が聴こえます。
「僕は完全に秋冬派だね。春も好きだけど感動するというわけではない。月並みな言葉だけど、寒くなり、自然が死んで、数ヵ月後の春にまた生まれ変わるとき、いつも何か重要なことが起こるという意味でね。つまり、多くのアルバムや音楽が四季に言及しているのは、それが感動的なものだからだ。僕は個人的には寒い季節が好きだ。僕は山の中腹出身だから、雪や氷が好きだったんだ」
動物を使ったアートワークの数々も、彼らの美学を彩ります。
「最初のアルバムでカラスを使ったときから、それが僕たちのコンセプトであり、意図となった。動物には、メランコリックな音楽にぴったり合う特別な美学があるんだ。こうしたジャケットやイラストは絶対に残していくよ。”Scorched Earth” の新しいアルバム・ジャケットには、過去5枚のアルバムの動物をすべて集めた。これは、新しいアルバムが過去に書いたすべての音楽的なコレクションであることを示すためだ。僕たちの音楽の旅を示しているんだ」

2021年の “Maere”(ドイツの公式チャートで4位を記録)の後、4年の歳月をかけて次なる壮大な章 “Scorched Earth” を作り上げた HARAKIRI FOR THE SKY。このアルバムは、私たちが生きている世界のスナップショットといえます。私たちの社会は根底から分断され、ここ数十年、平和からかつてないほど遠ざかっています。危機が次から次へと押し寄せてくるような、そんな差し迫った破滅の予感が “Scorched Earth” には込められているのです。
4年というインターバルは彼らにとってこれまでなかったことでした。それは、パンデミックが及ぼした影響でした。
「コロナのために多くのコンサートやツアーが延期され続けたことも関係している。結局、この2年半で、2020年の初めからやるべきことをほぼすべてやり遂げた。年間80本ものコンサートを行い、さらに移動とその周辺のすべてをこなすとなると、継続的に新曲に取り組む時間とエネルギーはあまり残されていない。作曲はツアーの休憩時間に限られていた。
それに、あまり外に出ず、家にいる時間が長いと、インプットがなければアウトプットもない。インスピレーションを与えてくれるものがないんだ。だから全体的に時間がかかるんだ。それに6枚目のアルバムでは、物事が迅速に進まないということもある。同時に何千ものアイデアを思いつくことはなくなり、全体的に内省的になる」
一方で、パンデミックのおかげで、初期の “Harakiri For The Sky” と “青木ヶ原” を再録することができました。
「最初のロックダウンは本当にクールだった。でもある時点で、おそらくほとんどの人がそうであるように、ある種の無気力に陥ってしまった。結局、最初の2枚のアルバムを再レコーディングして再リリースすることで、時間を使うことにした。無理に新曲を作るのではなく、このようなプロジェクトに時間を使おうと考えたんだ。
何度もライブで演奏し、現在のサウンドを実感しているからね。Ver. 2.0ではまったく違うサウンドになっている。僕の声色はこの10年で大きく変わった。当時のアルバムは、ドラムをプログラムして自宅でレコーディングしていた。ノスタルジックに言えば、それはそれで魅力的なのだが、これらのアルバムが今の HARAKIRI FOR THE SKY のようなサウンドだったら、どんなにクールだろうと思った。特に本物のドラムで、プロのスタジオで録音され、宅録のクオリティを損なうことなくね。
バンドを始めたとき、僕たちはバンドがどこに行くのかわからなかった。DIYのミュージシャンで、家ですべてを解決していた。でも、ある時点で僕たちは話し合ったんだ。リマスター?いや、それだと本物のドラムをミックスできない。リミックス?だったらアルバムを完全に録り直すことにしたんだ。この決断にはとても満足している。オリジナル・バージョンはYouTube や Spotify などに残っているから、ファンにとって問題はない。だから、どのバージョンが好きかは君たちが決めればいい」

“Scorched Earth” はプレス・リリースによれば、”悲惨なまでに壊れてしまった世界 ” にインスパイアされたものだといいます。それは “内省的” なものから離れているようにも聞こえます。
「このアルバムは政治的なアルバムかとよく聞かれるんだ。でも政治的なアルバムではないんだよ。ただ、ここ数年、特にロシアのウクライナ侵攻以来、そして一昨年の10月7日以降、実は “コロナ” 以降なんだけど、世界の出来事がどれだけ僕らの精神的にネガティブな影響を及ぼしているかに気づいたんだ。朝から晩まで悲惨なヘッドラインにさらされ、そのどれもが自分を落ち込ませる。政治的なアルバムではないけど、このような世界の出来事がアルバムのムードに自然に影響を与えているんだよ。
でも、HARAKIRI FOR THE SKY では、いつも僕ら自身が経験した自伝的なトピックについて書いている。ファンタジーは書けないし、書きたくない。2020年の半ばか終わりに、僕の人生はかなり破綻した。当時のガールフレンドは6年間付き合った僕を捨てたんだ…理由はともかく。コロナがやってきて、ライブもなく、僕は文字通り実存的な危機に陥った。そのすべてがこの作品反映され、だから歌詞には悲痛な思いが強く表れているんだ
アルバムのトラックリストを発表したとき、ある人から “エモい” と言われたんだ。”Without You, I’m Just a Sad Song ” や “Too Late for Goodbyes” のような曲やタイトルは、実際とてもエモく聞こえる。曲目が一緒にリストアップされているのを見たことがなかったから、そのことに気づかなかった。しかし、そう、最初から最後まで失恋ソングなんだよ。それは HARAKIRI FOR THE SKY にとって目新しいことではない。薬物乱用、メンタルヘルス、うつ病、壊れた人間関係といったトピックは、僕たちの音楽の重要な部分だ。そうしたテーマは僕らを夢中にさせるし、おそらくこれからもずっとそうだろう。人生は楽にはならないし、年を取れば取るほど、別れは頻繁に訪れるようになる。今は幸せな恋愛をしているし、結婚して1年になるけれど、そういう経験はいつも心に響く。幸運にも僕はとてもクールなバンドをやっていて、とてもクールな奥さんがいて、いろいろなことに恵まれているんだけど、その間に世界で起こっているすべてのことが、僕を本来あるべきでない精神状態にしてしまう。簡単に言うと、僕は繊細すぎるんだ」

古き良き、もしかしたら今よりも平和で気楽だった過去へのノスタルジーも、彼らの音楽にはタペストリーのように織り込まれています。
「HARAKIRI の音楽はいつも、すべてがより良かった過去への強い憧れの感情、究極のメランコリーを反映している。人類の歴史には常に、すべてが非常に悪いと思われた時代があり、その後、より良い時代がやってくる。個人的にも初めての恋とか、今はもういない人間関係とか、そういうことを思い出すと、メランコリックな気持ちになることは誰にでもあると思う」
また同じプレスリリースには、”Scorched Earth” は、すべてのアルバム、”HARAKIRI” が象徴するもの、音楽的、歌詞的なすべての結論のようなものとも書かれています。
「このアルバムは “HARAKIRI FOR THE SKY” の長所を1枚にまとめたものだと思う。瞑想的なポスト・ブラックのパートに、ブラスト・ビート、トレモロ・ギターといった、僕らがいつもやっているようなサウンドは健在だ。同時に、インディー・ロックやグランジ、ポスト・パンク的なアプローチなど、より実験的な要素も多く含まれている。
基本的に、このアルバムはファースト・アルバム以来の僕たちの音楽的な旅を要約したものであり、これまでのアルバムのベストを総括したものでもある。でも、これからもスタイルを根本的に変えることはないと思う。基本的に自分たちが進みたい方向は決まっている。もちろん、新しい影響は僕たちに影響を与えるけど、例えば “Scorched Earth ” で単なる “Mære 2.0 ” を作りたくはなかった。さらなる発展が僕らにとって重要だったんだ。
ただし、バンドが自分たちのスタイルを見つけるのはいいことだが、同じことを繰り返したくはない。だからこのアルバムを “Conclusio” と呼んでいるんだ。アルバム・ジャケットには、過去に登場した5匹の動物が描かれている。動物たちは燃え盛る森から逃げ惑い、そのうちの何匹かはすでに燃えている。つまり、これは終わりではなく、HARAKIRI FOR THE SKY がこれまでやってきたことの論理的帰結なんだ」

アルバムには多くのゲスト・ボーカルが参加しています。
「時系列で説明しよう。まずは AUSTERE の Tim から。AUSTERE に出会ったのは彼らのファーストアルバムが出たときで、2006年か2007年のことだった。当時18歳か19歳で、ほとんどアンダーグラウンドのブラックメタルばかり聴いていた。AUSTERE, LIFELOVER, NYKTALGIA…憂鬱なブラックメタルばかりだった。ポスト・ブラック・メタルが登場する前は、それが僕のちょっとした宗教だった。その15年後、あるライブで Tim に会った。彼は HARAKIRI のジャンパーを着ていて、僕らのファンだったんだ。彼の歌声は素晴らしかったね!
SVALBARD はもう知ってるよね。少なくとも今は、ALCEST とのツアー以来だけどバンドとの付き合いはかなり長い。2015年にウィーンのコンサートで彼らを見たときからのファンだからね。Serena は美しくクリーンな歌唱もできるし、非常にクールなハーシュ・ヴォーカルもできる。そのコンサート以来、僕はSVALBARD のファンになった。以前からスクリームもできる女性と仕事をしたいと思っていたので、彼女は第一候補だった。M.S.も、クリーン・ボーカルとのコンビネーションという点に惹かれたんだ。それに彼女は超超超素敵な女性だよ!
GROZAのP.G.は、今では親友だ。彼はザルツブルクのすぐ近くに住んでいて、しょっちゅう会っている。一緒にコンサートをしたバンドはとても少ないんだ。P.G.はもともと僕と一緒にスクリーム・ヴォーカルをやるはずだったんだけど、彼は自発的に ALICE IN CHAINS のようなスタイルでやってみたんだ。僕たち全員がかなりのグランジ・ファンであることは周知の事実だ。この曲はとてもいい仕上がりになったと思う。僕らのファンのための曲でもあると思う。
最後の曲についてだけど、M.S.はもう少し KATATONIA の流れを汲む曲を書きたかったようだ。僕も KATATONIA のファンだけど、M.S.は本当にファン・ボーイなんだ。その路線で何か書いてみたいと。僕は歌えないことはないけど、音域は信じられないほど広くはないんだ。この曲でボーカルを務めた Daniel は、実は KARG と自身のバンド BACKWARDS CHARM のギタリスト。かなり古典的なシューゲイザー・バンドだと思うよ」

RADIOHEADのカバー “Street Spirit” をボーナス・トラックに決めたのはなぜだったのでしょう?
「アルバムのボーナス・トラックとして特別盤に収録される曲のカバー・ヴァージョンを毎回制作していたんだ。典型的なブラック・メタルやポスト・メタル、ハードコアなどではなく、常に違うジャンルの曲でなければならない。いわば、僕らのバンドの手袋をはめた原曲のような、新しい解釈であるべきなんだ。僕らは、Placebo や Radiohead のようなバンドの大ファンだった。過去2枚のアルバムでは、それは完全に理にかなっていた。確かに Radiohead は Harakiri のようには聴こえないし、その逆もしかりだけど、この曲の始まり方はHFTSでもあり得たと思う。だから、この曲は僕らにぴったりの曲だと思う」
重苦しさ、痛み、哀しみ、絶望、カタルシス、残虐性など、”Scorched Earth” はあらゆる暗さに触れ、ほんの一握りの光を灯し、エネルギッシュかつ憂鬱な雰囲気を漂わせながら、聴く者を難なく彼らの世界へと導いていきます。このアルバムにおける極端な表現のバランスは、もはや HARAKIRI のサウンドスケープとして唯一無二のトレードマークとなっています。Evoken de Valhall Production による来日公演も大盛況。そんな彼らは今、どんなバンドとの共演を夢見ているのでしょう?
「ALCEST, CONVERGE, そして AMENRA かな。彼らは本当に大きな存在だから」


参考文献: Arrow Lords Metal: Harakiri For The Sky

Disciplin Mag:IN CONVERSATION WITH – Harakiri For The Sky – Interview

Metal Imperium: Interview Harakiri For The Sky

Metal de: Harakiri For The Sky Interview

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【MIKAEL ERLANDSSON : THE SECOND 1】 “THE 1” 30TH ANNIVERSARY


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH MIKAEL ERLANDSSON !!

“Melodic Hard Is My ”Backyard” And My Home! I Will Continuing Doing This Til The Day I Die. Doesn’t Matter If It’s Popular Or Not – For Me It’s My Music Lifestyle – Love It !!!”

DISC REVIEW “THE SECOND 1”

「メロディック・ハードロックは私の “バックヤード” であり、私の家なんだ!だから、死ぬまでやり続けるつもりだよ。人気があろうがなかろうが関係ない!私にとって、この音楽はライフスタイルなんだ。ただ、愛しているんだよ!」
“ダサい” 音楽とは何でしょうか?流行や時代にそぐわない音楽のことなのでしょうか?だとしたら、たしかにメロディック・ハードロック、通称メロハーは “ダサい” 音楽なのかもしれません。ただし、もし、”ダサい” が情熱や信念もなくただ時流に乗るだけの、名声、金、モテを欲するポーザーを指すとしたらどうでしょう?明らかにメロハーは “ダサい” から最も遠い場所にいます。なぜなら、大きな名声や金銭は今の時代、メロハーでは得られないものだから。
それでも北欧の貴公子 Mikael Erlandsson がこの音楽をやり続けるのは、メロハーが、美しい旋律がただ好きだから。あの傑作 “The 1” から30年。ついにリリースされる続編 “The Second 1” には、長い月日を経ても枯れることのなかったメロハーに対する愛や情熱が溢れています。
「私は美しいメロディーがただただ大好きなんだ。そしてそれは、私の頭の中で常に鳴っている。メジャー・キーでもマイナー・キーでも、音楽のルールにとらわれず、自分なりのやり方でやるのが好きなんだよ」
1994年、ゼロ・コーポレーションからリリースされた “The 1” はメロハーを定義づけるレコードの一枚となりました。ハードな曲もソフトな曲も、メジャー・キーでもマイナー・キーでも貫かれる旋律の審美。
もちろん、アップテンポでハード、北欧の哀愁が浸透した “It’s Alright” は特にここ日本で爆発的な人気を得ましたが、それだけではありません。例えば “Show me”, “Reason” のようなおおらかなメロディの泉や、”Wish You Were Here”, “Life is a Hard Game to Play” のようなクリスタルで澄み切った北欧の景色に “We Don’t Talk Anymore” のタンゴまで、Mikael のハスキー…ボイスが紡ぎ出すメロディはすべてが珠玉で、ジャンルの醍醐味を心ゆくまで見せつけてくれたのです。
「私は自分をシンガーソングライターとして見ているんだ。そして自分のやっていることを愛している。そうした有名になることについて、ただ興味がないんだよ。だから、人気があろうとなかろうと、これからも音楽を続けていくつもりだよ。自分のため、そして私に興味を持ってくれる人のために」
世界が音楽だけに収束していくような “C’est la vie” を聴けば、メロディがゆっくりと密やかに孤独を癒してくれるような “Paper Moon” を聴けば、Mikael のメロハーに対する情熱が些かも衰えず、むしろ今もなお燃え盛っていることが伝わるはずです。
ここには、LAST AUTUMN’S DREAM, AUTUMN’S CHILD, SALUTE など紆余曲折を経ても守り続けた美旋律の牙城が堂々と鎮座しています。メロハーは今や万人受けでも、時代の万能薬でもありませんが、それでも “Put Some Love In the World”、ほんの一欠片の愛情を、優しさを世界にお裾分けすることならできるはず。暗い時代に Mikael はそう信じて、明日も歌い続けるのです。
今回弊誌では、Mikael Erlandsson にインタビューを行うことができました。「日本は私にとって…本当にすべてなんだ。私の音楽を最初にリリースしてくれた国だから。”The 1” がすべての扉を開けてくれた。このアルバムをとても誇りに思っている。最初からね。もともとはただのデモだったものなんだ。でも、なんとかリリースにこぎつけることができた。その日から、私はほぼ毎年アルバムをリリースしているんだ!」 どうぞ!!

MIKAEL ERLANDSSON “THE SECOND 1” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【UTOPIA : SHAME】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH JOHN BAILEY OF UTOPIA !!

“Allan Holdsworth Is My Biggest Musical Influence By a Long Way. I Studied Allan’s Music Eligious For Many Years. I Actually Had a Tribute Quartet And We Used To Go Out Playing Allans Music Round The UK.”

DISC REVIEW “SHAME”

「SikTh は大好きだったよ。よく聴いていたよ。THE DILLINGER ESCAPE PLAN のほうが中心だったけど。彼らの暴力性と攻撃性は本当に僕に語りかけてきたし、そのヴァイヴと僕のジャズの知識を融合させようとしたんだ」
“実験的” という言葉は、ヘヴィ・ミュージックのテクニカルな側面においてよく使用される言葉です。ただし、ただ速く、複雑なフレーズを乱立することが本当に “実験的” な音楽なのでしょうか?むしろ、ジャンルの殻を破るような破天荒にこそ、実験という言葉は相応しいようにも思えます。そうした意味で、メタル・コア、プログ・メタルの殻を完全に突き破った SikTh は実に実験的なバンドでした。四半世紀の時を経て、SikTh の志を継ぐ UTOPIA は、同じ UK の鬼才 Allan Holdsworth の遺伝子をも取り入れて、世界に再び実験の意味を問います。
デスメタル、グラインドコア、ドゥーム・メタル、ハードコア、プログレッシブ・ロック、ジャズ、そして時には “謎” としか言いようのないものまで、多様性のモダン・メタルを象徴する楽園 UTOPIA は、実際あまりにも前代未聞です。
「Allan Holdsworth は、僕の音楽的な最大の影響者だ。僕は何年も Allan の音楽を熱心に研究した。実際にトリビュート・カルテットを持っていて、イギリス中で彼の音楽を演奏していたんだ。彼のソロを書き写したり、彼の曲を学んだりするのに、文字通り何千時間も費やしたよ。 同時に、Pat Metheny, Mike Morenom Julian Break, Kurt Rosenwinkel, Nelson Veras, Jonathan Kreisberg も僕に大きな影響を与えているんだ」
Allan Holdsworth の影響を受けたメタルといえば、もちろん真っ先に MESHUGGAH が浮かぶはずです。ただし、彼らの場合はどちらかといえば Fredrik Thordental のソロイズムに Allan の影を見ることのほうが多かったような気がします。一方で、プロのジャズ・ギタリストでもあり、Holdsworth 研究に何千時間も費やしてきた UTOPIA のギタリスト John Bailey はソロのみならず、アトモスフィアやリズムの意外性にまで大きく踏み込んでいます。
それは、MESHUGGAH 的なポリリズミック、整合を不整合に見せるテクニックではなく、まさに奇想天外、青天の霹靂なオフキルター、不穏と破綻の一歩手前、ズレたリズムの面白さ。
「最近は、人々が僕らを発見しようがしまいが、本当にどうでもいいんだ。僕個人としては、自分たちのアウトプットにとても満足しているし、みんながそれを気に入ってくれるなら最高だけど、僕にも尊厳があるし、ソーシャルメディアやインスタント・カルチャーに自分の音楽人生をどう構成するかを左右されるようなことはしたくない。君のような人たちが僕らにメールをくれたり、インタビューを申し込んでくれたりするのは、とても個人的なことなんだ。それを聴いて気に入ってくれる人が何人かでもいれば、それは僕にとって素晴らしいことなんだ」
フィレンツェの哲学者マキャベリについて考察したオープナー “Machiavelli” は、そんな破綻寸前のスリルを醸し出す UTOPIA の真骨頂。デスメタルとハードコアで即座に惹きつけ、段階を踏んで展開し、不協和音のギター・ワーク、フレットレスの魔法、様々な拍子、そしてクジラの鳴き声に似たリラックスした不気味なアンビエント・インタールードまで、その破天荒は破綻寸前。だからこそ面白い。
目的のためには手段を選ばない、力の信奉マキャベリズムは、政治から人々の個人的な生活にまで広げることができる興味深い概念です。それはおそらくほとんどの人の中に存在し、権力や影響力のある地位にしがみつくために道徳的な行動や才能を堕落させます。UTOPIA の “実験性” はそんなマキャベリズムとは真逆の場所にいて、自分たちの才能ややりたい音楽だけを信じて邁進し続けるのです。だからこそ尊い。
今回弊誌では、John Bailey にインタビューを行うことができました。「15年間は、ほとんどジャズとクラシック音楽一筋だったんだ。ジャズの修士号を取得し、さまざまなジャズ・アンサンブルを結成した。クラシック・ギターのツアーも何度かやったし、ジャズのライブもたくさんやった」 どうぞ!!

UTOPIA “SHAME” : 10/10

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