COVER STORY : BRUCE DICKINSON “THE MANDRAKE PROJECT
“I Try To Be More In Control And Analytical When I’m Fencing, Which Is Not Really 100 Percent My Nature, But In Music I Can Be The Opposite – I Can Be The Creative.”
THE MANDRAKE PROJECT
「何年も前にリリースされるべきだったのだけど、このプロジェクトがより強く、より大きくなったので、遅れたことを喜んでさえいる」
Bruce Dickinson 65歳。世界最大のヘヴィ・メタル・バンド IRON MAIDEN のボーカリストにして、マーケティング・ディレクター、ビジネスマン、コマーシャル・パイロット、DJ、脚本家、作家、音楽の博士号、歴史教授、サラエボの名誉市民、フェンシングの達人、英国空軍名誉中隊賞など100の顔を持つ才能の塊であり、癌サバイバーでもあります。まさにメタルの回復力。
“1843” 誌は、ビジネス、文化、人間性、そして何よりも国際的に傑出したさまざまな著名人の知識に関する世界規模の調査を実施し、彼らは Bruce を正しく定義できる言葉は “ポリマス(polymath)” “博学者” であると結論づけました。この言葉は、例えばレオナルド・ダ・ビンチのように人生を通してさまざまな分野で広範な情報を持っている人物を指します。そして、間違いなく、Bruce とポリマスは特別な関係にあるのです。
そんな Bruce が話しているのは、2024年、ついに世に送り出された全く新しいソロ・アルバム “The Mandrake Project” のこと。当初は10年前にリリースされる予定でしたが、咽頭癌の診断がその計画を頓挫させ、回復後はIRON MAIDEN のワールドツアーが続き、そして “世界が突然奇妙な病気にかかり、我々は全員閉じ込められてしまった” のです。
しかし、彼の副業と本業に偶然の隙間ができたことで、2005年のLP “Tyranny Of Souls” からギタリストの Roy Z、ドラマーの Dave Moreno、天才キーボード奏者 Maestro Mistheria とタッグを組んで、7枚目のソロ・アルバムに取り組む時間ができました。
Bruce は The Mandrake Project を IRON MAIDEN の作品と比較して “とても個人的な旅” だと語っています。
「まず第一に、より長いプロセスだ。このアルバムは、何層にも重なったロックを通して浸透していったんだ。ある曲は一度に浮かび上がり、ある曲は時間がかかり、ある曲は20年前から掘り出した。素晴らしいのは、それらがすべてフィットしていることだ。サウンド的にはすべてフィットしている。どれも明らかに私が作ったか、私が貢献している。Roy とのコラボレーションもかなりあるし、ギターも何もかも完全に一人で書いた風変わりなものもある。まあ俺は、”Powerslave” や “Revelations”, “Flash Of The Blade” も完全にひとりで作ったんだがね」
とはいえ、明らかに IRON MAIDEN のクラシックなサウンドとは全く異なります。
「ヘヴィ・ロック・アルバムだけど、ニッチに収まらなければならないという制約はないんだ。ここには、好きなだけヘヴィになる自由があるし、様々な方法でヘヴィになる自由もある。5分しかないからどうする?みたいな制約もない。このアルバムには、理由もなくそこにあるものは何もない。他の曲と調和しているからそこにあるんだ。それはとても珍しいことだ。どのアルバムを作っても、2、3曲は “ああ、この曲はちょっと違うな” っていう曲があるんだ。でも、このアルバムには、聴いて好きにならない曲はひとつもない。
“The Number Of the Beast” だってそうじゃなかった。あのアルバムには名曲がたくさんあるけど、”Invaders” とかについてはいつも “うーん…” って感じだったからね。でも、他の曲は本当に素晴らしいから、そんなことは忘れてしまうんだ。
ほとんどの人は、俺の最高傑作は “The Chemical Wedding” だと言うだろうし、もっとストレートなメタルが好きなら “Accident Of Birth” もいい。それから、”Skunkworks” は本当にめちゃくちゃ良い、良すぎるという人も時々いる。”Skunkworks” は実際、かなり良かったけど、当時の人々の感覚からすると、それはとても大きな変化だった。多くの人たちは、メイデンがメイデンであることを評価していたけど、だからといって他のすべてがメイデンのようである必要はない。この15年で本当に変わった。より多くの人たちが、音楽に関してより既成概念にとらわれない考え方をするようになった。まあだから、一方で彼らは物事にうるさく、プレイリストを作り、アルバム全体を聴くことはめったにない。このアルバムがその例外になることを願っているんだ」
Rob Halford の FIGHT と、SKUNKWORKS はほぼ同時期に行われたメタルの異端審問会でした。
「結局みんな同じ穴のムジナなんだ。Rob は FIGHT をやったし、俺は SKUNKWORKS をやった。どちらもクールなプロジェクトだった。どちらもうまくいかなかったけど、クールなものがあった。つまり、SKUNKWORKS でたくさんのことを学んだし、それは自分でやってみて見つけるしかない。歌詞の書き方の違い、歌のアプローチの違い。邪悪で、グランジで、メタルの終焉だ!なんて言われたけどね。頼むから消えてくれ!これは音楽だ!SKUNKWORKSの後、俺はとても落ち込んでいた。もう消えてあきらめようかと思った。棚を積み上げる仕事に就くとか、民間航空会社のパイロットになるとか、本気で考えていた。自分には、誰も興味を持ってくれるような何かが残っているのかどうか、わからなかったんだ。そこに Roy が現れた」
IRON MAIDEN の作品とは異なり、Bruce Dickinson のソロ・アルバムでは、エンニオ・モリコーネを呼び起こしたり、ボンゴを叩きまくったり、ベートーヴェンにインスパイアされた10分に及ぶアンビエント曲を聴くことができます。Bruce の違った一面を垣間見る喜びは、メイデンのギグでアドレナリンがほとばしるのとは違う、より繊細で複雑なもの。つまり “ポリマス” なアルバム。
「”Sonata (Immortal Beloved)” はもう25年も前の曲だ。ゲイリー・オールドマンがベートーヴェンを演じた “Immortal Beloved” を観た後、Roy は映画から遅く帰ってきて、この10分のアンビエント・サウンドトラックを作ったんだ。ギターとシンセのベッドにドラムマシンが入っていて、大きなドラムフィルも何もなく、ドラムマシンだけが変化する。”眠れる森の美女” のひねったバージョンなんだ。王女ではなく、女王が登場する。ちょっと待てよ、”Taking The Queen” (1997年の “Accident Of Birth” 収録)の女王じゃないかと思ったんだ。”Taking The Queen” で女王は死んだ。今、彼女は死んでいて、従者たちがまだ彼女の周りにいて、彼女を見ている。そして暗い森から王がやってくる。王だ。王が暗い森から出てくる。なぜ?彼女を愛しているから?ああ、そうかもしれないが、それ以上に、彼は彼女が必要なのだ。彼女がいなければ、彼はもう王ではないからだ。その話はすぐに思いついた。楽曲の話し言葉はすべてその場で作られたもので、オリジナルのパフォーマンスなんだよ。
あまりに違う曲だったから、どうしたらいいかわからなかったんだ。そしてついに、妻が車の中で聴いていたんだ。彼女は “最高に美しいわ” と言った。彼女は泣きそうになって、とても感動し、”アルバムに収録されなかったら離婚する” って言うんだ。だからアルバムに入れたんだ。
“Fingers In The Wounds” を作ったとき、Mistheria がキーボードを送ってきてくれて、すべてが変わった。大きくて瑞々しいキーボードの曲から、まばらなキーボード、ビッグなロックのコーラス、そしてモロッコに入り、カシミールかどこかに行く。モロッコじゃないのは明らかだけど、ツェッペリンの影響という意味では “Kasymir” だね。何かリズミカルで奇妙で、完全にレフトフィールドだった。アルバムの中にもそういう瞬間がいくつかある。
“Resurrection Men” は Roy に言ったんだ。”スパゲッティ・ウエスタンから飛び出してきたようなギターのイントロにしたい” って。サーフ・ギターみたいな感じで。それができた途端、”自分たちがクエンティン・タランティーノだと想像してみよう。クエンティン・タランティーノなら次に何をするだろうか?答え:ボンゴ。ボンゴに決まってる!” というわけで、ボンゴの演奏デビューした。テクニックがないから凄く痛かったよ。
“Eternity Has Failed” もそう。本当は、エンニオ・モリコーネのような雰囲気のある本物のマリアッチ・トランペットが欲しかったんだ。シェイカーとガラガラヘビをバックにね。マリアッチ・トランペットを手に入れるところまではいかなかったが、ロイはフルートで同等のことをするペルー人のフルート奏者を見つけたんだ」
The Mandrake Project にとって、”旅” いう言葉は重要です。このアルバムは物語の円環。ネクロポリス博士やラザロ教授のような彼自身が創作したキャラクターや、怪しげな悪役プロジェクトの卑劣な所業が詳細に描かれた、ねじれたオカルトとSFの融合したストーリー。
「コミックとメタルが関係あるべきものであることは、以前から明白だった」
ただし、この世界観はオーディオだけにとどまりません。The Mandrake Project は音楽以上のもの。3年にわたる創作活動で、12冊のコミックに渡って物語を広げています。Bruce は、IRON MAIDEN が同名のビデオゲームと連動してリリースしたコミック “レガシー・オブ・ザ・ビースト” には少し失望したと認めています。
「グラフィックは素晴らしかったけど、そこに本当のストーリーはなかった。でも、そのとき思ったんだ。俺がアルバムを作ったら、アルバムと一緒にコミックも作れるかもしれない。よし、じゃあストーリーを考えよう……」。
IRON MAIDEN の “The Writing On The Wall” の壮大なバイカー・ビデオで初めて絵コンテに挑戦した Bruce は、次のステップに進み、音楽とは別の才能を具体的で大きなものにできたのです。
The Mandrake Project のコミックは、ブラジルのサンパウロで開催されたCCXPコミック・コンベンションで発表されました。このサーガは、薬物を摂取し、オカルトに取り憑かれ、入れ墨をした20代の科学者、ネクロポリス博士を中心に展開します。ネクロポリス博士は、極秘プロジェクト Mandrake で、瀕死の金持ちから魂を採取し、新しい健康な肉体に戻すまで保存しようと試みます。
Bruce はコミコンの主賓として、リード・シングル “Afterglow Of Ragnarok” の長編ビデオを満員の観衆の前で初公開します。ラグナロクとは本来、北欧神話の数々の戦い、自然災害、そしてオーディン、ソー、ロキといった神々の死による世界の終焉のこと。しかし、Bruce が興味を持ったのは、凍てつくようなハルマゲドンではなく、浄化と贖罪の物語で、”太陽が再び昇る” その後に起こることでした。
「この世の終わりではなく、ただ今の世の終わりなだけなんだ。ラグナロクの物語でさえ、”よし、世界は滅び、ビフレストは消え、神々と人間の結びつきは砕け散り、世界の終わり、大洪水……さあ次を始めよう” という楽観主義を持っているんだよ」
これまでに存在したあらゆる常識の破壊は曲作りのための肥沃な土台。The Mandrake Project は、鮮やかで絶えることのない想像力から生まれた、さらなる物語や情景で溢れています。例えば、”Many Doors To Hell” は、ただ死にたいと願う女性ヴァンパイアの話。
「何が何でも人間に戻りたい。どうでもいい、永遠に生きたくない、こんなクソみたいなことはもうたくさんだ。永遠の命がありながら、永遠の死もある。何世紀も生きるより、現実に生きる方がいい」
“Rain On The Graves” は、ブルースが死者と一緒に過ごした経験から生まれた曲です。
「この曲、あるいはその一部を書いたのは墓場だった。湖水地方にあるワーズワースの墓の前に立っていたんだ。教会のそばに立っていて、そこに彼の墓があったんだけど、霧雨が降っていて、灰色だった。墓の上に雨が降っていたんだ。これが何なのかわからないけど、これは一瞬の出来事で、続きを書いたら何なのかわかるだろう…って思ったんだ。
それがたぶん2008年かそのくらいのことだった。引き出しの中に、歌詞の断片や、いつかは表に出てくるようなものばかりが散らばっていたんだ。墓場で悪魔に出会った男の話なんだけど、悪魔が “何のためにここにいるんだ” と言うんだ。なぜ俺たちは墓地に入るのか?何を探しているのか?墓地には死人がたくさんいるのに!でも、俺たちは墓地に入ることで、何か不気味なものを感じたり、インスピレーションを得たりすることがあるんだよ」
詩人ワーズワースの墓を訪ねたとき、何を探していたのでしょう?
「わからない。あれだけ伝説的な存在でありながら、ただ土の中に埋もれていることについて、ある種のメランコリーを感じたんだ。あれほど素晴らしい詩を作った人が、今はただの四角い岩になっているのは皮肉なものだ。そして、俺はそれを物語に変えていくことにした。俺と悪魔の会話から、とてもクールな言葉が生まれたんだ。その中に “祭壇や司祭ではなく、詩人の前にひざまずく” というセリフがあるんだけど、これは俺のことなんだよ!俺は墓石からインスピレーションを得ようとしているんだ。それがアーティストのすることだ。アーティストはすべてから盗み、あらゆるところからインスピレーションを得る。それが見つからなければ、墓地に座って誰かの死霊を借りればいい(笑)」
死、神々、死後の世界、そして究極の終末への言及は、レコードのあちこちに散りばめられています。”Resurrection Men” は、その解決策を提示します。世界中のハイテク億万長者たちが、飢えた人々や病人、ホームレスを助ける代わりに、永遠の命にお金を浪費する話。
「この歌は人間の魂を取り出し、それを保存することについて歌っている。死ぬ瞬間にスラブの上にいなければ手遅れだ。それは一瞬のことであり、魂を収穫するためにはそこにいなければならない。もちろん、永遠に生きるというアイデアには、人々は大金を払うだろう」
死といえば、1994年12月14日、Bruce は人生で最も危険なライブを行いました。ボスニア・ヘルツェゴビナ独立直後の首都サラエボは、1992年2月にセルビア軍に包囲されていました。それは4年近く続く戦争で、第二次世界大戦の悪名高いスターリングラード包囲戦よりも3年長く、約14,000人(その多くは民間人)の死者を出した地獄、ジェノサイド。
こうした状況の中、文字通り地球上から街を消し去ろうとする殺戮者によって砲撃されている街で、Bruce は街の中心部にある小さな会場のステージに立ち、4つの不滅の言葉を叫びました。”Scream For Me, Sarajevo!” “俺のために叫べ、サラエボ!”。
それから30年経った今でも、Bruce はあの夜の反応に驚かされ続けています。
「すべてサラエボの人々のためだったんだ。俺がいたのは数日間だった。でも、あのギグでのリアクションは他に類を見ないものだった」
Bruce は知りませんでしたが、そのライブはファンによって撮影されており、さらに驚いたことに、その場にいたファンたちは、それから数年後、そのライヴと、その場にいた人々を記録した映画 “Scream For Me Sarajevo” の制作に取りかかったのです。この映画は、音楽がどんなに耐え難い状況にも入り込み、力を与えることができることを証明しました。
「それから俺の人生は変わった。テレビのニュースを見て、今も同じような境遇にいる人たちを見て、俺も同じような境遇にいたことがある。わかるよって思うね」
それは Bruce の人生を変えることになったギグとなりましたが、それでも彼の人生における膨大なギグのうちの一つに過ぎません。彼はこの40年間、文字通り何千ものギグ、途方もない旅、歴史を刻んできました。そう、Bruce が愛してやまない “歴史”を。
Bruce が15歳か16歳の頃、彼の関心は演劇に向けられていました。そのため、彼はこの芸術についてもう少し学ぼうと、学校のアマチュア劇作家協会に入ることにしたのです。そこで彼は、文学、歴史、政治、普遍哲学など、さまざまな知識で心を育て始めます。その後、Bruce はロンドン大学のクイーン・メアリー校とウェストフィールド・カレッジで古代史を学び始めました。
ここで彼は、大学レベルの古代史教授としての学位を得ます。しかし、ロンドン大学が伝説の Bruce Dickinson の人生に加えたものはこれだけではありません。。2011年7月19日、同大学の教育機関は彼に名誉音楽博士号を授与します。この名誉称号は、メイデンのヴォーカリストが長い時間をかけて世界に与えてきたすべての音楽と作曲に対する報酬の象徴。そうして Bruce はその報酬を、再度世界へと還元していきます。
2016年、英仏海峡に浮かぶジャージー島という島の海岸でカメの群れが座礁。生き残ったのはたった1匹。推定年齢6〜8歳のその個体は、傷を負い、漁網に絡まり、危険な低体温症の症状を示していた。
地元住民が発見した後、動物病院に移されたこのカメは親しみを込めて “テリー” と名付けられ、その物語は英国で大きな注目を集めました。テリーの回復と海への帰還のための資金を集めるキャンペーンが開始され、約8000ユーロが集まります。
テリーの状況を知り、登場したのが Bruce Dickinson。パイロットの知識を生かし、ブルースはテリーをジャージーからグラン・カナリア島まで自家用機で運び、すべての費用を負担すると申し出たのです。
スペインに到着後、カメは経験豊富な専門家から1カ月以上にわたって治療とケアを受け、その後、テリーは旅を追跡するGPS装置とともに海に戻されました。この出来事はBBCでも放送され、テリーは Bruce の支援のおかげで自然の生息地に戻り、人類は地球上の他の種に対する思いやりと誠意を示すことができたのです。
Bruce は自らもサバイバーです。喉頭癌からの生還の後、この2年間で Bruce はアキレス腱を断裂し、2度の人工股関節置換術を受けています。65歳になった今、Bruce は、あと50年現役を続けるためにさらなるお金を払うのでしょうか?
「いいコンディションでいられるのなら、そうしたいね。俺たちは皆、本来想定されていたよりもずっと長生きしているし、活動時間も長くなっている。医療技術のおかげで俺は生きている。昔は癌と診断されれば、基本的に死の宣告だったが、今はそうではない。俺の腰は両方ともすり減ったが、今は新しいものを使っている。テクノロジーは、俺たちがより長く、より効果的に生きられるよう、さまざまな点で進歩している。それは素晴らしいことだ」
そもそも Bruce には、時間がいくらあっても足りないでしょう。先に挙げた副業以外でも、Bruce は人生の大半をフェンシングにも捧げていて、1987年には英国ランキング7位となり、ナショナルチームのメンバーにもなりました。昨年、彼は英国フェンシング・ベテランズの正式メンバーとなっています。一方で、1年のうち何カ月もステージを何時間も飛び回り、アンデッドの巨人と戦い、火炎放射器を振り回す65歳は、驚異的です。
「フェンシングの好きなところは、スキーのような他のスポーツと同じで、そこだけに集中できるところなんだ。逃避するには最高の方法だよ。ボクシングのようなものだが、脳へのダメージはない。ボクシングは好きだけど、頭を殴られるのは好きじゃないんだ」
フェンシングと音楽の取り組み方を Bruce はほとんど正反対だと説明します。
「フェンシングをしているときは、よりコントロールし、分析的になろうとするんだ。でもソロアルバムではもっとクリエイティブだ。コントロールと分析には Roy がいるし、そのためにプロデューサーがいる。だから歌の仕事をしているときは、本能に頼っているし、いい意味でうまくいかないことも恐れない。ハッピーアクシデント。このアルバムには、そういう瞬間がたくさんある。最後の曲 “Sonata(Immortal Beloved)” のように、ボーカルの90パーセントは無意識の流れだった。ワン・テイクでね。
そういう魔法みたいなものがあるときは、いじっちゃいけない。ミスがあったとしても、それはミスじゃない。極端な話、曲の生命をすべてコントロールしようとする人もいる。技術的な理由で、彼らの目には以前より完璧になったように見えても、生命はすべて消えてしまっている。誰かがピカソを見て、”バカバカしい、人間はあんな形じゃない!”と言うのと同じだ。的外れだよ」
純粋なイマジネーションに浸れるアルバムで、本能の赴くままに行動し、幻想的な世界とつながるアルバムの中の異端児。”Face In The Mirror” という曲は、壮大なイメージとは関係なく、アルコール依存症というタブー視されがちなテーマと、それが個人とその周囲の人々にもたらす荒廃を提起しています。
「この曲は、アルコール中毒者をたくさん知っていることから生まれたんだ。俺は自分自身に多くの質問を投げかけていた。俺は酒を飲むけど、一般の人とアル中の境界線はどこにあるのだろう?酒に溺れた人間には、時に偉大で深遠な真実を語る奇妙で危険な知恵がある。
鏡を見て、自分自身を見て、あれは誰?でもそれは、公園でスペシャル・ブリューの缶を持って座っている男を見下す人々の偽善でもある。人々は “ああ…彼は弱すぎる” と言う。弱すぎるって?彼の人生を知らないくせに。この男はすごい作家だったかもしれないし、投資銀行家だったかもしれないし、戦争の英雄だったかもしれない。世間は批判的なことばかり言う。そんなこと言わなくても、わかっているんだ」
自伝の制作と、”An Evening With Bruce Dickinson” という自らの半生を語るライブも行いました。
「自伝から始めたんだ。するとみんなが俺に自伝のストーリーを読みきかせてほしいと言ったんだ。自伝を読むのは誰にでもできる。もう少し構成があるはずだし、Q&Aみたいにすることもできる。
率直に言って、手探りでやったんだけど、うまくいったから、それが今の一人芝居の骨格になったんだ。生まれたときから、ガンにかかったり、シエラレオネで傭兵と漁に出たり、道に迷ってあれこれ逮捕されたり、ドラッグを初めて経験したり、イギリスの寄宿学校に通ったり、初めて歌を習ったり、そんな俺の人生を描いたものなんだ。音楽的な内容もあるけれど、基本的には、誰も聞いたことがないような町から来た背が低い子供が、世界最大のロックバンドでとんでもないズボンを履くことになるまでを描いている。
IRON MAIDEN を知っている人も知らない人も、ファンでも何でもないかもしれないけど、俺にとってのリトマス試験紙は、何も知らない人が入ってきて、終わった後に気分が良くなって帰っていくことなんだ。それがショーの後に感じてもらいたいことなんだ」
60年半の間に誰よりも多くのことを成し遂げてきた Bruce は、ようやく人生と遺産について考える時間を持ったようです。彼は鏡を見て何を思うのでしょうか?
「自分が期待しているのと同じくらいの年齢の顔を見たいものだ (笑)。ああ、神様、お願いだから、目の下の袋と皺をなくしてくれないかな って感じで鏡を見るんだ。同年代の人たちほどではないかもしれないけど、それでも俺の顔には生活感がある。でも、結構満足しているよ。物事はうまくいっている。他の選択肢を選ぶよりはいい。
この数年で、たくさんのことを学んだ。好奇心が尽きないということは、自分自身について知らなかったことを知ることができるということだ。自分でも気づかなかった能力があることに気づくんだ。若すぎて、忙しすぎて、テストステロンでいっぱいで、走り回っていたから、完全に無視していた人生の他の塊があることに気づかなかったのかもしれない。このアルバムはその一部なんだ」
音楽以外では、パイロット、航空会社の機長、航空起業家、ビール醸造家、やる気を起こさせる講演者、ポッドキャスター、映画脚本家、小説家、ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラー作家、ラジオ司会者、テレビ俳優、スポーツコメンテーター、国際的なフェンシング選手など、挙げればきりがない才能の数々で、Bruce が最も誇りに思う業績は何でしょうか?
「そうだね、これらのことはすべて、自分が実際にできるかどうかを確かめたかったからやったことなんだ。ずっと飛行機を飛ばしたいと思っていたけど、学生時代は数学が大の苦手だったから無理だと思った。文字通り、”このボタンは何をするものなんだろう” という気持ちで始めて、そのうち自分にもできるかなと思った。フェンシングも同じようなもので、学校では唯一、一貫して得意なスポーツだったんだけど、他のみんなは俺よりずっと体格が良くて、ラグビーをやっていたら座られてしまいそうだったから、フェンシングは俺にもできることだったんだ。だからきっと誰もがフェンシング選手になれるし、誰もが航空会社のパイロットになれる。
それが面白さであり、俺にとっては、そういった特殊な道や職業、そういったものに対する興味深い見方を提供してくれる。俺の人生で唯一まともな仕事は、航空会社のパイロットだった。17年間出勤し、スマートな格好をし、テストやチェックを受け、その他もろもろをこなさなければならなかった。自然に身につくものでもないし、俺は経験を大いに信じている。できないと思っていることが何であれ、まずはやってみることが大事なんだ」
そして現在はコミック作家まで多彩な経歴とポリマスの才能を持つ Bruce は、それでも自身にとって音楽は特別だと信じています。
「時折、音楽が競技スポーツのように感じられることもある。だけど音楽は愛と喜びについてのもので、さまざまなアプローチ方法がある。時には競技であったこともあるけれど、現実にはそういうことではないんだ。この年のこの日に、俺たちがこのバンドや他のバンドよりチケットが売れたなんて誰も覚えていない。愛と喜びが唯一重要なことで、音楽すべてにおいて唯一実在すること。それがこの仕事を続ける原動力なんだ。このソロアルバムは、俺にとって本当に特別なもの。この “旅” を楽しもうじゃないか」
参考文献: KERRANG!:Bruce Dickinson: “We’re all living longer and more effective lives, which is great – as long as you do something with it”
STEREOGUM:We’ve Got A File On You: Iron Maiden’s Bruce Dickinson
METALHEAD COMMUNITY:10 Reasons Why Bruce Dickinson of Iron Maiden is a Great Man