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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【KING’S X : THREE SIDES OF ONE】


COVER STORY : KING’S X “THREE SIDES OF ONE”

“I wrote lyrics with my age in mind, so it has become sort of my mantra for what I’m doing for the rest of my life”

THREE SIDES OF ONE

これまで、KING’S X ほど見過ごされてきたバンドはいないかもしれません。ただし、dUg Pinnick, Ty Tabor, Jerry Gaskill の3人は、チャートのトップに立つことはなかったかもしれませんが、熱心なファンの心には深く刻まれ続けています。
80年代半ば、このトリオはテキサス州ヒューストンに渡り、メガフォース・レコードと契約。”Out of the Silent Planet”(1988)、”Gretchen Goes to Nebraska”(1989)、”Faith Hope Love”(1990)と、口紅とロングヘアのゴージャスな時代において、あらゆるジャンルの規範を無視した伝説のアルバムを3枚録音しました。
だからこそ、90年代初頭には、多くの仲間のロックバンドを虐殺したグランジの猛攻撃から免れることができたのかもしれません。音楽界の寵児として、また “次の大物” として、KING’S X はアトランティック・レコードに移籍し、セルフタイトルのアルバム(1992)を録音しましたが、残念ながらビルボードに並ぶほどの成功は得られませんでした。それでも彼らは、90年代から2000年代にかけて、感情を揺さぶる、音楽的に豊かなアルバムを次々と発表し続けました。
そうしてロックミュージックで最も露出の少ないバンドは、2008年に突然沈黙するまで、自らの道を歩み続けたのです。
休止中も、dUg は KXM や GRINDER BLUES で音楽を作り続け、自身の名義でレコードをリリースするなど、ゲリラ戦士として戦いを続けていました。クリエイティビティに溢れるベーシストは KING’S X の終焉を考えることはありませんでしたが、一方で、次のアルバムも必ずしも期待しているわけではありませんでした。こうして14年という長い間、KING’S X はただ沈黙を守り続けました。世界は変遷し、新しい現状が形成され、KING’S X はもはや時代の一員ではなくなったかに思われました。
しかし、14年という長い年月を経て、その門戸は開かれます。ついに彼らは再び一緒に作曲し、レコーディングすることを決断したのです。その経緯を dUg が語ります。
「72歳になるんだけど、歳を重ねた実感があるんだ。自分の年齢を意識して歌詞を書いたから、アルバムは残りの人生をどうするかという詩的なマントラのようなものになった。基本的に、私は人生が終わるまでなんとか乗り切るつもりだ。世の中が見えてきてね。友達のこと、Chris Cornell, Chester Benington, Layne Staley…死んだり自殺したりした人たちのことを考えると、ただただ痛くて、”自分は絶対にそんなことはしない” といつも思っている。人生を乗り切るためには、麻酔をかけられなければならないだろう。けど、あの世で何が起こっているのかわからないし、この世で惨めで痛い思いをしてまで、何も知らないあの世に移りたいなんて馬鹿げてる…それが私の論理なんだ。だから、アルバムはそういうところから生まれたものなんだ」

たしかに、”Three Sides of One” は、一見すると瞑想的な作品に見えます。
「まあ、メンバーはレコードを作りたくなかったんだ。なぜなら、作るなら今まで作ったどの作品よりも良いものでなければならなかったから。これまでは、自分たちがやったアルバムのレパートリーに加えるべきものがあるとは感じていなかったんだ。だから、14年かかってようやく “よし、これはいけるぞ” と思えたんだ。私自身は、初日から準備万端だった。14年の間に、いくつかのサイド・プロジェクトを立ち上げたり、いろいろなことをやっていたからね。私が持ち込んだ曲は27曲で、全部新曲だし、Jerry と Tyも何曲か持ち込んでいて、それも全部新曲だ。それで、リストに載っているものを全部、十分な量になるまで実際に覚えていったんだ」
アルバムのタイトル、”Three Sides of One” は3人が共有する生来のケミストリーを表現しています。
「いつもは、アルバムの名前は決まっているんだけど、今回は誰も思いつかなかったんだよね。それで、マネージャーが “Three Sides of Truth” と言ったんだけど、私は、なら “Three Sides of One” はどうだろうと思って、みんなが、ああ、それならいいと言って。そして、そこから出発したんだよ。しばらくすると、子供を持つのと同じで、名前はそれほど重要ではなくなるものだ (笑)」
アルバムには、歳を重ねた3人の自然な姿がさながら年輪のごとく刻まれています。
「Jerry は、基本的に臨死体験から多くの曲を書いている。そして Ty は、今の生活を観察して曲を書いた。私も同じで、72歳になるんだけど、世界が今までの人生とは違って見えてきたんだ。だって、今まで生きてきた距離に比べたら、もうそんなに長くは生きられないんだとやっとわかったからね。そして、そのことについて話したり歌ったりしたかったんだよね。70歳を迎えて、私にとって一番大きなことは、今の世界をどう見ているかを詩的に歌詞にすること、そして同時に自分の周りで起こっていることを書くことだった。政治や人々が憎しみ合う様子など、でたらめなことが起きていることは分かっていたんだ。それを歌うんだけど、ただ説教しているように聞こえたり、すでに聞いたことのあるようなことを言ったりしないように、工夫しているつもりなんだ。
今は、言葉に気をつけないと、アメリカでは自動的に批判される。私は問題を解決するのが好きなんだ。私の問題は、直せないものを直そうとすること。私はいつも、なぜ世界がうまくいかないのかを論理的に解明しようとしてきた。ある意味、人は全員とは分かり合えないというのが結論なのかもしれない。だから、年齢は私たち全員に影響を与えたと思うんだ。また、Jerry はバンドに曲を提出することはあまりない。でも実際は、彼の曲が全員の中で一番いい曲だと思うこともあるんだ。だから曲を持ってきてと言ったんだ。自分たちのアルバムにするために、本当に頭を使ったんだよ」

dUg は今回、”慣れ親しんだバンドでありながら、新しいバンドにいるような気がする” という言葉を残しています。
「新しいバンドに入ったという感じではなく、自分たちを再発見したという感じだと思う。なんというか、”自分は実はいいやつなんだ” と気づくような感覚なんだ。わかるかな?結局、スタジオからずっと離れていて、演奏し始めると、疑心暗鬼になるんだよね。つまり、私たちはいつも自分たちのやることなすこと全部が嫌で、本当のアーティストらしく、自分の芸術に対して否定的なんだ。でも今回は、最初に作った曲のとき、スタジオに行ってベーシックなトラックを聴いたら、生まれて初めて “おお、すごいな!” 思ったのを覚えているよ。やっとわかったよ…と。私たちの演奏には、欠点ばかりに気を取られていて気づかなかった何かがあるんだよな。だから、とてもエキサイティングで、もっともっと探求したくなったんだ」
その新たなマインドは、アルバムの歌詞の内容にも表れています。
「絶望的に見える世界の状況も、人類に何らかの救済や和解があることを願いつつ、それが歌詞に深く刻み込まれている。まあ、自分の周りで起こっていることを考えただけなんだけど。”Give It Up” は、私の気持ちを代弁してくれているような気がするね。私はライトが消えるまで、絶対に諦めない。Layne, Chris, Chester…友達が自殺していくのを見てきたんだ。クリスが死んだ頃にこの歌詞を書いていて、思ったんだよ。”ライトが消えるまで、絶対にあきらめないぞ” と。だって、死後の世界に何があるのかわからないし、そこを好きになれないかもしれないから。だから死ぬことは考えないよ。今できることを精一杯やりたい。最後に麻酔をかけられるまで、ずっとここにいたい。これが私の知っているすべてで、終わるまで乗り切るつもり。それが私にとっての知恵だから。それ以外のことは、他の人が決めることだけどね」

“Swipe Up” は時代を反映した楽曲。
「この曲は Jerry がジョン・ボーナムのスイッチを入れているね。インターネットや iPhone を利用しているときの体験がテーマになっているんだ。私たちはただスワイプし続けるだけで、アルゴリズムが自分だけの小さな世界の中で欲しいものを与えてくれる。だから、この曲は全部それについて歌っているんだ。iPhoneの小さな世界で生きていることについて」
テクノロジーの進歩は、音楽全般に対して悪影響を及ぼしているのでしょうか?
「進歩が起これば芸術も変わる。そういう観点では考えていないよ。例えば、最初のドラムマシンが登場した時、多くのドラマーが職を失った。しかし、突然、ドラムマシンのような安定性とタイミングを持った機械が登場したことで、私たちは皆変わり、クリックトラックで演奏するようになり、ドラマーはより良くなったんだ。オールドスクールはまだ存在して、まだレコードを買い、CDを買っている人もいるけど、新しい世界では音楽の見方や聴き方が違うよね? 彼らは iPhone で音楽を聴くし、彼らが好きな音楽も全然違う。それが “彼ら” の音楽なんだよ。
私が若い頃、THE ALLMAN BROTHERS を聴いていたら、親が “そんなのブルースじゃない” と言うようなものさ。よく、”BB KING を聴きなさい” と言われたものだよ。つまり、進歩とは、そこから何を学ぶか、そして自分の芸術をどのように変化させるかということなんだ。私は、すべてのことをポジティブにとらえるようにしている。難しいけどね。ナップスターが登場したとき、みんなが我々の音楽を配り始めて、それは最悪だった。それで、私たちはひどい目に遭ったよ。でもね、それでどうなったか?私たちは、人々が買ってくれるような素晴らしい商品を作る方法を学ばなければならなかったし、人々が私たちのライブを見に来るような良いコンサートをやらなければならなくなった。自分に起こることはすべて、自分なりの方法で適応していくしかないんだ。あの出来事で泣く人がいるなんて、そんなの戯言だ。泣いてばかりじゃダメだ。立ち上がって、やり遂げるんだ」

ネットがもたらしたものとその弊害にも言及します。
「人との関係において私が常に念頭に置いているのは、相手の行動を理解し、自分の気持ちを明確にして、争いのない方法でお互いに共存できるようにすることなんだ。私はいつも、平和を作るための新しい方法を探している。昔、このことを歌にしたことがあってね。私の人生は、どうやって人と良い友達になるかの積み重ねだった。彼らを知り、彼らを理解し、彼らを愛するようになることのね。
私は、人と一緒にいて、同意したり、反対したりして、みんながうまくやっていけることに心地よさを感じていたし、そのことに満足していた。だけど突然、アルゴリズムが入ってきて、みんながYouTube やスマホなどを見ていると、ビッグブラザーが私たちの行動をすべて見ていて、私たちの好みをフィード、与えてくるようになった。それが始まって10年ほど経ったよね。遂に私たちは、スマホの向こうに同じ現実を持っている人は一人もいないというところまで導かれてしまった。一人もね。一つの信念に溺れるまでとことん与えられる。そして、突然、誰も信用できなくなり、それぞれが快適で同じ意見を持つ人だけが集まる洞穴の”部族”に戻ってしまうんだ。
インターネットがもたらしたもの、それは私たちが原始人だった頃のような “部族”を生み出したということなんだ。
私には出口がわからない。今のところ、出口は見えないよ。たとえコンピュータを全部止められても、私たちにはすでに強固な”部族”がある。そのどれもが外部からの影響を受けないようになっているんだよ。変えることができる唯一のものは、洪水や宇宙人の侵路で、全員が警戒心を捨てて人類のために戦い、何か統一的な危機が訪れることしかないよね」
アルバムのクローサー “Everything Everywhere” はまさに完璧なエンディングです。
「ビートルズのようなサウンドの曲を書きたかったんだ (笑)。観客たちが叫びながら歌っているような感じで、私のアンセムという感じ。大勢の人が手を挙げて歌っているのを見れたらいいなと思うんだ。そうしたら気持ちいいからね。この曲には真実の要素が含まれていると思う。なぜなら、私たちは皆、愛を探しているから。愛には、たわごとをかき分け、すべてを癒し、すべてを乗り越える力がある。この曲は私の家路であり、私の癒しだから」

他の作品よりも優れていなければ、必ずしもアルバムを作る必要はないということは、14年経った今、この作品はこれまでやってきたことをすべて上回るということなのでしょうか?
「ああ、そうだね、このアルバムは今までのどの作品よりも優れているね。というのも、私たちは43年間バンドとして活動してきたわけだから、何をするにしても、すでにやったことよりも良くなければならない。あらゆる意味でそう思っているよ。例えば、子供にマーカーを持たせて、 “毎日、壁に直線を引きなさい” と言うと、50歳か60歳になる頃には、その直線があまりにもまっすぐで、びっくりするくらいになるはずだ。だから、私が考えるに、自分のやっていることを続けていれば、必ず良くなる。それは当たり前のことなんだよ。
ZZ TOP や MESHUGGAH など、私たちと同じくらい長く活動しているバンドを観に行って、20年、30年前に書かれたものを今聴くと、”ああ、同じ曲なのに、どうしてこんなに素晴らしく良く聞こえるんだろう” と思うことがある。だから、私たちも同様に良くなっていると思う。曲作りに関しては、とにかく曲を作り続けて、みんながそれを気に入ってくれることを祈るしかないけどね。でも、シンプルな曲の書き方や、複雑な曲の書き方を学び、それを成功させるために、あらゆる方法で限界に挑戦し続けているんだ。それでも、誰かがつまらないと文句を言うかもしれない。だから、結局は、自分の頭の中に何があるのか、そして、世界中が納得するような曲を書きたいと思ったときに何をやり遂げることができるのか、ということなんだ。たとえそれが、おそらく実現することのない盲目的なファンタジーであっても、それは私の目標であり、実行するだけでもやりがいがあるんだ。つまり、人に伝わろうが伝わらなかろうが、音楽をやり続けること、それが僕にとって最も意味のあることなんだ」
心の中で、KING’S Xはもう二度とレコードを作らないかもしれないと思ったことはあるのでしょうか?
「本当に考えなかったよ。唯一、もう二度とレコードを作らないかもと考えたのは、Jerry が初めて心臓発作を起こしたとき。彼の奥さんからメールが来て、”Jerry が心臓発作を起こした。生きられる確率は50/50″ と。それを見て、私はベッドから飛び起き、”ああ、大変だ…私たちはもう終わってしまうのか” と思ったよ。”全世界で最高の親友の一人がいなくなるのか?バンドができなくなるのか?私が持っているもの、私たちが持っているもの、すべてを失ってしまうのか?” とね。その時に書いたのが “Ain’t That The Truth” で、これはソロアルバムの “Naked” に収録された。1週間後くらいに書いたんだけど、1行目に50/50の可能性みたいなのがあって、すごく影響を受けたんだよね。それ以外は、KING’S X の終わりを意識することはないね。だから、考えたこともないんだと思う。すごい。そう考えると、ちょっとクレイジーだよね!」

2022年はバンドが1992年にリリースしたセルフタイトルのレコードから30周年にあたりました。
「まあ、Sam Taylor との最後のレコードだったわけで、それはそれで意味があった。それまでは、KING’S Xのサウンドを最大限に追求していたと思うんだ。最初の3枚は、インスピレーションを受けたものを何でも書いて、自分自身を見つけようとしていたし、自分自身のサウンドを見つけようとしていたから、いろんな意味で実験的だったと思うんだ。でも、4枚目のアルバムになると、ある程度定まってきたよね。曲作りに関して言えば、”The World Around Me” のような曲は、私が “バックス・バニーのリフ” と呼んでいるもので、ああいうカートゥーンのサウンドが好きなんだ。あのレコードが完成したとき、私たちは気に入っていたし、サウンド的にも良かったと思うんだけど、バンドにとってはひとつの終わりであり、ある種のサウンドの終わりでもあったんだ。Sam Taylor が抜けた後、次のアルバムは “Dogman” で、Brendan O’braien は “このアルバムに何を求めているんだ” と言ったんだ…”ライブで鳴っているような音を出したいんだ。ロックバンドのようなサウンドにしたいんだ” と答えたね。だから “Dogman” では、Brendan はすべてのレイヤーを取り払って、ただひたすらレコードを作らせてくれたんだ」
KING’S X はメジャーレーベルであるアトランティック・レコードから初めて作品をリリースしたバンドでもあります。
「我々はレコード会社からプレッシャーを感じたことはない。なぜなら、我々はレコード会社に “勝手にしろ” と言えるくらい反抗的だから (笑)。私たちはいつもそうだったんだ。アトランティックの子会社だったメガフォースに所属していたんだけど、”Over My Head” が出たときに、彼らが我々に電話してきて言ったんだ。”ラジオで流れてヒットしそうな曲を書くと、いつもその真ん中に何かを入れて、すべてを台無しにするのはなぜだ?”って。こう答えたよ。 “それが私たちの音楽の書き方だからな。ピクニックの真ん中に列車の事故を置いたり、その逆が好きなんだ” ってね。だから、私たちのことを説明したり、カテゴリーに入れたりするのは苦労したよ。ある時期、私たちは音楽業界の寵児で、誰もが私たちが大成することを応援していた。でも、要するに、世の中は茶色いコーラを飲み続けるということなんだ。透明なコーラの味がまったく同じであっても、未知の味に乗り換えることはないでしょう。茶色のコーラを飲み続けるんだ。私に言わせれば、何百万も売り上げているバンドのほとんどは、自分のやりたいことをやっていない。そのようなバンドは、もう一度、本当のことをやりたいと願っているんだ」

反抗的といえば、dUg はかつてキリスト教という “権威” にも牙を剥いています。”Let It Rain” の歌詞はまさにそんな dUg の心情を反映した楽曲。”世界の終わりか新しい始まりか?救世主は?神々は? 今こそ私たちを救ってはくれないのか? 誰もが権利を主張し誰もが戦いたがっている 誰もが自分を正当化して だから雨を降らせよう 恐れを洗い流すために”
「ゲイであることを公表したとき、ハードロック・コミュニティからの反発はなかったんだ。私は声明を出したり、プレス発表をしたことはなくてね。ただ、メジャーなクリスチャン雑誌のインタビューを受けたんだ。彼らが延々と話すから、私はただ思ったんだ。”クリスチャンの偽善にはうんざりだ。私はゲイだと言って、それで終わりにしよう” とね。
今日、それは問題ではない。誰からも反発されたこともないしね。ただし、あの記事が出たときは別だった。KING’S Xのレコードがキリスト教系の店で販売禁止になったんだ。その時、私たちは “素晴らしい!これでキリスト教の汚名から逃れられる”と思った。なぜか、KING’S Xはクリスチャン・バンドと思われていたからね。当時の私たちの信仰がそうだったからかもしれないけど、今はもう誰もそうではない。イエス・キリストは救世主ではないからね。70歳になったとき、世界を見渡してみたんだ。人々にはもっと思いやりと愛が必要だと思った。”雨を降らせて恐怖を洗い流せ” というのは、いい例えだよ。つまり、私たちが問題を抱えているのは、私たちが恐怖を恐れているから。立ち上がり、”怖がるのをやめよう!” と歌う、それが私の仕事なんだ」
しかし、dUg が3歳の時、連れ去られた宇宙人はキリストのようだったとも。
「3歳だって記憶しているのは、母がまだ一緒に住んでいたから。母は私が3歳のとき去ったからね。私が寝ていると、その人が部屋に入ってきたんだ。長いブロンドの髪の毛でローブを着て、それに銀色のベルトを巻いていた。すごく背が高かったのを覚えてる。足に巻き付けるサンダルを履いていたよ。裏口から外に出て、舞い上がったのを覚えてる。私は目が覚めたばかりだったが、外はとても明るかった。その時点で何かおかしいって思って、その人物から離れようとあばれたんだ。ようやく、彼は私の手を放した。次に覚えているのは、母の膝の上にいたこと。それって、ずっと、クレイジーで馬鹿げたことだと考えていた。でも40を過ぎたとき、”Ancient Aliens” を見ていて、わかったんだ。彼らは、人間がコミュニケーションを取ったり、拉致されたという4つのエイリアンのタイプについて話していた。その一つ、Nordic と呼ばれているエイリアンが、まさに彼だった。それまでは、夢を見てたんだって思ってた。でも、40年が経ち、理解したよ。私は拉致されたんだ」

宗教は dUg にとっていつしか虐待へと変わっていました。
「ゲイは忌み嫌われる存在で、神はそれを聖霊への冒涜以外の何ものでもないと嫌ってる。聖書によれば、男は他の男と寝てはならない。私はずっとそう言われてきたけど、でも同性愛者だ。
だから、誰にも言えなかったんだよ。ある時、”じゃあ、イエスがしたようにやってみよう” と決心したね。3日間断食して、自分を”ストレート”に変えてくれるよう神様にお願いしようと思ったんだ。田舎のトレーラーに座って、2日間断食して、食べずに水だけ飲んでたよ。祈って、祈って、泣いて、神が私を変えてくれるように懇願したけど、私は何も変化を感じなかった。そして、私は立ち止まって、”あきらめます” と言ったんだ。心の奥底にあったのは、人々が言う『神をあきらめるな』『神はまだ終わっていない』『神を待たねばならない』『神のタイミングで物事を得ることはできない』という聖句のことだった。だからその時は、何をやってもうまくいかないのは、すべて自分のせいだと思った。
ほら、私にとって宗教は抑圧的なものでしかなかったから。宗教は私に何もさせてくれなかった。4、5歳の頃、教会で曾祖母と一緒に最前列に座って、牧師が “踊ったり、酒を飲んだり、夕バコを吸ったりしたら、地獄に落ちるぞ。悪魔がお前を捕まえるぞ” と叫んでいるのを聞いたのを憶えている。悪魔がやってきて私を苦しめるんじゃないかと、子どもの私は毎晩死ぬほど怖くてベッドに入った。悪夢にうなされ、叫びながら目を覚ましたものだよ。
つまり私にとっては、宗教は虐待だった。他の人はそうではないし、私はそれでいいと思う。でも、私にとっては、そうなんだ。誰かが、”ああ、神はあなたを愛し、あなたの罪のために死んだ” と言ってきたら、心の中で “くたばれ” と言いたくなる。でもその代わりに、他のみんなにそうであってほしいと思うように、その人が誰で、何を信じているかを受け入れて、その人を愛するだけだよ。
私は、多くの、多くの、多くの、多くの、真の信者がいると信じているし、彼らを賞賛し、拍手を送るよ。だけどね、宗教でお金を要求する人たちはみんな、デタラメで、うそつきさ。彼らは、人からお金を搾り取る方法を見つけた、ナルシストの集団だ。私は彼らに嫌悪感を抱いている。そして、それを信じていた人たち、今も信じている人たちに対して、悲しみを覚えるんだ。嫌悪感ではなく、悲しみなんだよね。さらに悲しいことに、私は彼らが受け入れないようなタイプの人間だから、離れていなければならないんだよね。それが悲しいんだ。でも、それが人生なんだよね」

自身では、KING’S X のサウンドをどのように “カテゴライズ” しているのでしょうか?
「私たちはスリーピースのロック・バンド。ただそれだけだよ。パンクの曲も、ロックの曲も、ファンクの曲も、同じように演奏できるんだ。ドラム、ギター、ベースさえあれば、どんな曲でも演奏できる。私たちは本当に良いリズムセクションが根底にあって、それが KING’S Xのマジックだと思う。お互いのニュアンスの中で演奏する。音楽だけではなくてね。実際、KING’S Xは、私がこれまで演奏してきたバンドの中で唯一、みんながお互いの話をよく聞いているバンドなんだ。今まで一緒に演奏した他のバンドでは、周りを見渡すとみんな話を聞いていない。お互いの言うことを聞かないし、私の言うことも聞かない。でも私たちは皆、自分たちのやっていることに耳を傾けていて、その結果、違いを見分けることができるんだ」
最近では、”ロックは死んだ” というミームも使い古されてきたようです。
「ロックは死んでいない。ただ、怠け者が外に出て音楽を探さなくなっただけだ。GRETA VAN FLEETの曲は最低だけど、でも、ああした音楽を再現している子供たちがいる。20代の若者たちがサバスや BON JOVI を同時に吸収して、本物の何かを作り出しているんだ。問題は、それをやるための場所がないことだ。彼らを拾ってくれるレコード会社もない。MTVもない。新しいロックを聴かせるFMラジオもない。誰も彼らにチャンスを与えようとしないから、みんなツアーに出ている。そういうバンドを見に行くと、会場は満員になるんだけど、誰もそのことを知らない。”ロックは死んだ” 論者たちに言いたいのは、”おい、泣くなよ。彼らはそこにいるんだ。決して変わっていない。YouTube や Tik-Tok で見るような天才たちが素晴らしい音楽をやっているんだから、そこにいるんだよ” とね。私たちが子供だったころは、MTV はあったけど、Tik-Tok や YouTube がない時代だった。だから、まったく新しい世界、新しい世代の子供たちがいて、世界に対して違う見方をしていて、私が経験することのない違う経験をしている。才能はこれからも変わらず現れるだろう。ロックは決して止まらない」

dUg は世界的に名の知れたロックスターですが、決して裕福な暮らしを送っているわけではありません。
「金がなければサイドプロジェクトをやるだけだ。レコード契約を結んで、2、3ヶ月の間、支払いをするんだ。私たちは誰も9時から5時までの仕事には就いていない。でも、私たちにできることは何なのか。私たちは市場において価値があるから、クリニックとかそういうことができる。手書きの歌詞を作ることもできる。黒い紙に銀色のインクで書き出し、サインと日付を入れるんだ。何百枚も書いたよ…それでうまくいく。それに、この歳になると、ソーシャル・セキュリティーを受けることができる。3年ほど前に社会保障を受け始めたんだ。社会保険で家賃が払えるから、心配することはなくなった。それ以外のことは、自分でできる。街角でギターを弾けば、5ドルが手に入る。友だちに電話して、”お金がないんだ。今日、ご飯を食べさせてくれないか?” と言えば、OK! となる。それに、私にはシグネチャー・ペダルと、シグネチャー・ベースがあって、みんな買ってくれるんだ。だから、時々、6ヶ月分の小切手をもらって、助かっているよ」
ロックの精神は健在でも、同時代の多くのアーティストが降参したり撤退する中で、KING’S Xが長生きできたのはなぜでしょう?
「バカだからだよ (笑)。どんな困難にも負けず、自分たちのやるべきことをやり続けたし、今もそうだ。そして、ステージに上がると、世界に対して私たちが立ち向かうことになる。このバンドは誰も解散するつもりがない。私はこのバンドを辞めないし、Ty も Jerry も辞めない。誰も辞めないよ、だってバンドを解散させる責任を取るつもりはないんだから。私たちはそんなことするつもりはない。そんな愚かなことをするには私たちは優秀すぎるんだ。だから、誰かが死ぬしかないんだ、それでおしまい。この3人のいない KING’S Xは存在しない。それはあり得ないよ。もちろん、KING’S Xのトリビュート作品は常に存在しうるし、もし私が生きていれば、それに出演することもあるかもしれない。でも、私と Ty と Jerry のいない KING’S Xは存在しないだろうし、それは私の心の中で感じていることなんだ。他の人は違う意見を持っているかもしれないけど、これが私の気持ちなんだ」

参考文献: VW MUSIC:An Interview with dUg Pinnick of King’s X

DEFENDER OF THE FAITH:dUg Pinnick (King’s X) Interview

BLABBERMOUTH:DOUG PINNICK Says KING’S X Has ‘Never Been Profitable’: ‘We All Have To Do Outside Things To Make Ends Meet’

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【WINGER : SEVEN】 JAPAN TOUR 23′


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH KIP WINGER OF WINGER !!

“I Do Feel Overall SEVEN Has All The Hallmarks Of Classic WINGER.”

DISC REVIEW “SEVEN”

「全体的に “SEVEN” はクラシックな WINGER の特徴を備えていると感じているんだ。それは、Paul Taylor の復帰とオリジナル・ロゴの復活でより強調されているね」
WINGER は巨大な才能を持ちながら、同時に “二刀流” というジレンマに悩まされてきたバンドです。華やかなロックやメタルには知性が強すぎ、プログレッシブの宮殿に入るには騒がしすぎる。この、実は非常にユニークな並列の魔法は、爆発的なヒットとなったデビュー2作のあと、局所的なリスペクトを得ることを生贄に、バンドの足枷として長く活躍の妨げともなってきたのです。
「僕たちは決して “解散” していないんだよ。グランジ・ミュージックに支配され、その間に “Beavis and Butthead” と METALLICA の騒動が起こって、当時僕たちは続けることが不可能になったから、長い間休んでいただけなんだ。アーティストとして、僕なら他のアーティストを公然と侮辱するようなことは絶対にしないよ。”Pull” に関しては、あのレコードは僕らのベスト盤のひとつだと今でも信じているんだ」
生贄といえば、WINGER はまさに90年代の “生贄” となったバンドなのかも知れませんね。ヘアメタルと呼ぶには、あまりに高度なオーケストレーションに演奏技術を纏いながら、売れてしまったがゆえに祭り上げられた不可解なシンボルの座。Reb Beach は最近、当時を振り返ってこう語っています。
「90年代に入って、グランジが台頭して、ギター20本と家を売った。アニメに WINGER のTシャツを着たキャラが登場してね。家に帰ると両親も WINGER、犬まで WINGER のTシャツを着てる(笑)。全員オタクなんだ。ダサくなったヘアメタルの象徴というかね。翌週からチケットが全く売れなくなったよ…」
METALLICA は “Black Album” のレコーディング・セッションで、Lars Ulrich が Kip Winger のポスターにダーツを投げつける映像を公開しました。今思えば、非常に愚かな行為ですが、当時ライブ会場で投影された時には、観客から大きな笑いが起こっていたそう。最近、James Hetfield が直接 Kip に謝罪の電話をかけたそうですが、時すでに遅し。やはり “時代” のスケープゴートとなった感は拭えません。非常にオーガニックかつ、ALICE IN CHAINS のような暗がりの知を宿した名品 “Pull” のリリースも焼け石に水。1994年にバンドは沈黙を余儀なくされたのです。(これまで、”解散” だと言われていましたが、Kip によると “活動休止” だったとのこと)
「僕は自分の人生や周りの人々の人生について、個人的な視点から歌詞を書いているんだ。だから、ある意味、世相を反映していると受け取ってもらっても構わないと思う。僕や周りの人はこの暗い状況で生きているんだから、このアルバムはよりシリアスなトーンになったんだろう」
00年代初頭の短期的な復帰を経て、2006年、WINGER は海外に駐留する米兵の現実を描いた “Ⅳ” でついに完全復活を遂げます。以前よりも社会性を全面に押し出し、よりプログレッシブに躍動するこのアルバムが、以降の WINGER の指針となりました。
バンドが経験してきた浮き沈みを “業” として書き綴った “Karma”、ポジティブなトーンでより良い世界の実現を願った “Better Days Comin” と、彼らは80年代のイメージを払拭するような等身大で現実的な高品質のアルバムを残していきます。ただ一つ、WINGER が WINGER である所以、”キャッチー” な一面をどう扱うのか…常にその命題と向き合いながら。
9年ぶりとなる最新作 “Seven” は、そんな WINGER の社会性、プログレッシブでシリアスな一面と、出自であるハードロックのロマンチシズムが完璧に噛み合ったアルバムと言えるでしょう。
“Resurrect Me” はそんな最高傑作の中でも、特に WINGER ここに極まれりという名曲。シリアスでダークなスタートから一転、コーラスではロマンチシズムが雷鳴のように響き渡り、フックの嵐の中を Kip のキャッチーな雄叫びがこだまします。Reb のギターが炎を吹き、Rod の尋常ならざるフィルインが轟けば、WINGER はその翼を大きく広げて自らの “復活” を宣言します。
QUEEN への憧憬を織り込んだ “Voodoo Fire” を経て到達する “Broken Glass” は、復活 WINGER のもう一つの翼。Paul Taylor の復帰をしみじみと実感させるエモーショナルな音絵巻。WINGER 屈指のメランコリー・オーケストラ “Rainbow in the Rose” を、Kip のソロキャリアで熟成したかのような内省的な審美感は、96年に初めての妻を突然の事故で失って以来、彼の命題となった痛みと優しさの色彩を完璧に投影しているのです。
ヘヴィで繊細。ラウドでソフト。知的で野蛮。痛みで優しさ。ダークでロマン。WINGER の二刀流はいつしか、何 “マイル” も先で多様に花開いています。今回弊誌では、Kip Winger にインタビューを行うことができました。「かつてより世界は悪くなっているよね。金持ちはより金持ちになり、貧乏人はより貧乏になったように感じる。権力闘争の政治家、過激なイデオロギーのインフルエンサー、宗教的狂信者たちは、わざわざ力を尽くして世界の人々を分断しようとしている。とても悲しいことだよね」 どうぞ!!

WINGER “SEVEN” : 10/10

INTERVIEW WITH KIP WINGER

Q1: This is Winger’s first new record in about 10 years! I’ve been really looking forward to it and it’s a wonderful incredible masterpiece! Why did you decide to make a new WINGER record now?

【KIP】: It was the first time Reb and I both had an opening in our schedules. I have been working on Classical for many years now plus a musical entitled Get Jack. Reb has been mostly working with Whitesnake for the last 10 years. When we finally had an opening we starting working, but then COVID stopped everything and we had to wait again to be able to travel. Finally it came together.

Q1: ほぼ10年ぶりとなる WINGER の新作は、長く待った甲斐のある、実に素晴らしい作品ですね!なぜ今、新しい WINGER のアルバムを作ろうと決めたのですか?

【KIP】: Reb と僕のスケジュールがやっと合ったんだよ。僕はもう何年もクラシックの仕事をしているし、”Get Jack” というタイトルのミュージカルもやっている。Reb はこの10年間、主に WHITESNAKE と仕事をしてきたよね。
で、遂にスケジュールが合って、制作に取り掛かったんだけど、パンデミックがすべてを止めてしまった。互いに行き来ができるようになるまでまた待たなければならなかったんだよ。やっとまとまったんだ。

Q2: “IV” was about the story of American soldiers serving overseas, but the world seems to be more contentious than it was back then. How do you perceive the darker world of recent years?

【KIP】: I agree, The world now is worse. It’s seems that the Rich got richer and the poor got poorer. Power struggles, extremist ideology and religious fanatics have gone out of their way to divide the people of the world. It’s very sad.

Q2: “IV “は海外に駐留するアメリカ兵の物語でしたが、当時と比べると世界はより物騒で争いが増えているように感じます。近年の暗い世の中をどのように受け止めていますか?

【KIP】: そうだね、かつてより世界は悪くなっているよね。金持ちはより金持ちになり、貧乏人はより貧乏になったように感じる。権力闘争の政治家、過激なイデオロギーのインフルエンサー、宗教的狂信者たちは、わざわざ力を尽くして世界の人々を分断しようとしている。とても悲しいことだよね。

Q3: Your last album “Better Days Comin” was an album of hope that the world would get better, literally, but this “Seven” album seems to have a more tragic tone, as if people keep making mistakes and fighting over and over again, would you agree?

【KIP】: Well, I write from a personal perspective of my life and the life of the people around me. So in some cases yes, the album is Of a more serious tone, but for example the song It’s Okay is literally Better Days Coming 2.0. I feel that SEVEN is very balanced record over all and it hits all the classic Winger markers song by song.

Q3: 前作 “Better Days Comin” は文字通り世界が良くなることを期待する希望のアルバムでしたが、今回の “Seven” はより悲劇的なトーンで、まるで人類が何度も同じ失敗を繰り返し、争い続けるような印象を受けます。そのあたりも、現代の状況を反映しているのでしょうか?

【KIP】: そうだな…僕は自分の人生や周りの人々の人生について、個人的な視点から歌詞を書いているんだ。だから、ある意味、そう受け取ってもらっても構わないと思う。僕や周りの人はこの暗い状況で生きているんだから、このアルバムはよりシリアスなトーンになったんだろう。
でも一方で、例えば、”It’s Okay” “大丈夫だよ” という曲は、文字通り “Better Days Comin’ 2.0″ だと言える。つまり、”SEVEN” は全体的に非常にバランスの取れたアルバムで、WINGER のクラシックな特徴を一曲一曲ごとにすべて打ち出していると感じているんだよ。

Q4: I feel that this album has the best balance between the catchy side of WINGER and the “Thinking Man” side of WINGER, a duality that WINGER has sometimes respected and sometimes suffered from, but do you feel that you have finally found the right balance?

【KIP】: Exactly, as I said in the last question, I do feel overall SEVEN has all the hallmarks of classic WINGER. Add to this the return of Paul Taylor and the return of the original Logo.

Q4: 仰る通りこのアルバムは、WINGER のキャッチーな部分と、”考える人” としての部分、WINGER が時に敬愛され、時に枷としてきた二面性を、最もバランスよく表現できていますよね?

【KIP】: その通りだよ!さっきの質問でも言ったけど、全体的に “SEVEN” はクラシックな WINGER の特徴を備えていると感じているんだ。それは、Paul Taylor の復帰とオリジナル・ロゴの復活でより強調されているね。

Q5: I think METALLICA’s biggest mistake was to make fun of a great band called WINGER and force you to break up. That said, I also love “Pull”, a product of its time, and believe it should be reevaluated. Have your feelings about METALLICA and “Pull” changed between then and now?

【KIP】: First of all, we never “broke up” we took a long break because grunge music took over and between that, Beavis and Butthead and the Metallica thing it was impossible for us to continue at that time. As an Artist I would never publicly insult another artist. As far as Pull goes, I’ve always stood by that record as being one of our best.

Q5: WINGER という素晴らしいバンドを “ネタ” にして、解散に追い込んだのが METALLICA 最大の過ちだと私は思いますよ。とはいえ、私はあの時代の産物である “Pull” も大好きですし、再評価されるべきだと考えています。METALLICA や “Pull” に対する思いは、当時と今とで変わりましたか?

【KIP】: まず第一に、僕たちは決して “解散” していないんだよ。グランジ・ミュージックに支配され、その間に “Beavis and Butthead” と METALLICA の騒動が起こって、当時僕たちは続けることが不可能になったから、長い間休んでいただけなんだ。
アーティストとして、僕なら他のアーティストを公然と侮辱するようなことは絶対にしないよ。”Pull” に関しては、あのレコードは僕らのベスト盤のひとつだと今でも信じているんだ。

Q6: This time, Paul Taylor returns to the album for the first time in a really long time. Personally, I feel that the songs are more “romantic” when he is here, but what do you really think of his contribution?

【KIP】: Paul is extremely talented and definitely adds to the power of the band. Having said that, I did the mahout of the writing so I’m not sure how you come to that conclusion. Perhaps your nostalgic feeling of early WINGER is influencing your perception.

Q6: 今回、本当に久しぶりに Paul Taylor がアルバムに帰ってきました。個人的には、彼がいると曲がより “ロマンティック” になるような気がするのですが、実際のところ、彼の貢献度はどうなのでしょうか?

【KIP】: Paul は非常に才能があり、間違いなくバンドのパワーを高めている。とはいえ、作曲の大半は僕がやっているので、なぜそのような結論になるのかよくわからないというのが本音だ。おそらく、君の初期 WINGER を懐かしむ気持ちが、認識に影響を与えているのだろうね。

Q7: WINGER, you, Reb, and Rod’s lineup has not changed since its inception, which I think is very rare for a band like this. Of course, you have a solo career and the other two are involved in various projects, but what is the special chemistry between the three of you?

【KIP】: We are very good friends. We never fought about anything. We love hanging out with each other and admire each others talents. Paul Taylor and John Roth included.

Q7: WINGERは、あなた、Reb、Rod の3人のラインナップが結成当初から変わっていません。ロックやメタルのバンドとしては非常に珍しいと思います。もちろん、あなたはソロ・キャリアを持ち、他の2人は様々なプロジェクトに参加していますが、3人で集まるとやはり特別なケミストリーが生まれるのでしょうか?

【KIP】: まず、なんと言っても僕たちはとても良い友達なんだよ。僕たちは何事においても、喧嘩したことがないんだよね。お互いにつるむのが大好きで、お互いの才能を賞賛しているからね。そこには、もちろん Paul Taylor と John Roth も含まれているよ。

Q8: In the world of metal, Japan’s Babymetal has recently gained popularity. You are also a good dancer, having taken ballet lessons, how do you feel about their fusion of metal and dance?

【KIP】: I’ve never heard one song. Apologies.

Q8: メタルの世界では、最近、日本の BABYMETAL が人気を博しています。あなたはかつてバレエを習っていたこともあり、歌って踊れるベーシストなどとも称されていましたが、彼女たちのメタルとダンスの融合についてどう感じていますか?

【KIP】: 実は一曲も聴いたことがないんだ。ゴメンね!

FIVE ALBUMS THAT CHANGED KIP’S LIFE!!

Joe Walsh “The Smoker You Drink The Player You Get”

The Beatles “Abby Road”

Peter Gabriel “Security”

Black Sabbath ” Sabbath Bloody Sabbath”

Mike Oldfield “Tubular Bells”

MESSAGE FOR JAPAN

こんにちは !! We are VERY excited to come back to Japan. We love the Japanese fans and Look forward to seeing all of you again!

KIP WINGER

WINGER 35周年 JAPAN TOUR / CREATIVEMAN
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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【STARGAZER : LIFE WILL NEVER BE THE SAME】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH STARGAZER !!

“TNT Was The First Norwegian Hard Rock Band With International Success, And We, Coming From The Same City As Them, Were So Proud.”

DISC REVIEW “LIFE WILL NEVER BE THE SAME”

「僕たちは HAREM SCAREM や BAD MOON RISING を知っているし、彼らが僕たちと同じようなバンドから影響を受けていることもわかってもらえると思う。グランジやストーナー・ロックが主流になる中で、自分たちのスタイルを貫いたバンドたちだよ。彼らがいたからこそ、僕らも元々インスパイアされていた音楽にこだわっていると言えるかもしれない」
メロディック・ハードロック北欧5人組 STARGAZER は、2001年に F.R.I.E.N.D. というバンド名で結成され、2005年にEPをリリース。2008年に STARGAZER へと改名し、2009年にセルフ・タイトルを、10年の時を経て2019年に2ndアルバム “The Sky Is the Limit” をリリースし、古き良きメロディ志向のリスナーから高い評価を得続けています。なぜでしょう。それは、このノルウェーの美しき星見櫓にたしかな理由と信念が存在するからです。
「まず第一に、僕らは昔ながらの方法で、マイクを使ってアナログで録音しているんだ。アナログの伝統的なプリアンプを使い、リ・アンプは一切行わず、すべての信号を本物らしく保つ。僕たちは、ティン・パン・アレー (アメリカの大衆音楽業界の象徴。Frontiers のやり方を揶揄していると思われる) のような音楽メーカーから曲を買うのではなく、時間と労力をかけて、自分たちの音楽を根本から作り上げているんだよ。だから、僕たちが作る音楽は、僕たちの心に最も近い音楽なんだ」
ご承知の通り、近年の “メロハー” その大部分はイタリアの Frontiers Music から供給されていて、好きものにとっては最後の砦、生命線ともいえるような存在となっています。ただし、心を打つような素晴らしいリリースと同時に、メンバーをシャッフルした集金プロジェクトも少なくないのが事実。また、Alessandro Del Vecchio を中心とした “ホーム・バンド” に作曲、編曲、演奏を依存することも多く、すべてが “心からの” 音楽とは言い難い状況でしょう。
STARGAZER の素晴らしさは、そうしたしがらみに縛られることなく、自分たちのやり方で、心からの音楽を追求しているところにあります。もちろん、HAREM SCAREM にも、BAD MOON RISING にも常に迷いはありましたが、それでもあの困難な時代においてハードロックを追求し続けたその気概と音楽は今よりももっと賞賛されるべきでしょう。そしてSTARGAZER は、そんな90年代の荒波を乗り越えたメロハーの信念をその身に宿しているのです。
「TNT はノルウェーで初めて国際的な成功を収めたハードロック・バンドで、彼らと同じ都市に住む僕たちはそれをとても誇りに思っているんだ。彼らのアルバム “The Knights of the New Thunder” は、僕たちの心を激しく揺さぶったね!彼らは、ノルウェーのような小さな国からでも、世界のシーンに大きな影響を与えることができることを、他のハードロック・バンドに示したんだから」
そして、何より STARGAZER はあの TNT の血脈を引いています。同じトロンヘイムの出身で、Ronnie のギターを受け継ぎ、Morty の客演を成功させた STARGAZER 以上に TNT イズムを体現するバンドはいないでしょう。オーロラのハーモニーに、ガラス細工の美旋律、そしてギターのマシンガンの三位一体は、John Sykes と WHITESNAKE の骨太を加えて、完璧な1987年を今ここに蘇らせました。”Life Will Never Be The Same”。そう、彼らのメロハーを知った後の人生は、これまでとは決して同じではないはずです。
今回弊誌では、シンガーの Tore Andre Helgemo とギタリストの William Ernstsen にインタビューを行うことができました。「ギタリストとしての William はもちろん John Sykes の影響を受けているし、シンガーとしてのTore André は David Coverdale の素晴らしい軌跡と共に歌ってきた。BLUE MURDER も僕らがよく聴いているバンドなんだ」 どうぞ!!

“Of course we recognize Harem Scarem and Bad Moon Rising, and you might see that they are influenced by a lot of the same bands as we are. These are bands sticking to their guns while grunge and stoner-rock took the mainstream. Therefore, you can say we too hold on to that music we were originally inspired by.”
Melodic hard rock Scandinavian five-piece STARGAZER formed in 2001 under the band name F.R.I.E.N.D., released an EP in 2005, changed their name to STARGAZER in 2008, self-titled in 2009, and after 10 years, released their second in 2019 album “The Sky Is the Limit” and continues to be highly acclaimed by old-school, melody-oriented listeners. Why is that? Because there are certain reasons and beliefs that exist in this beautiful Norwegian stargazing turret.
“First thing is we record the old-fashioned way, analogue with microphones. Using analogue traditional pre-amps and no re-amping, to keep every signal authentic. We don’t go out there and buy songs from Tin-Pan-Alley-like music makers, but we spend time and dedication in creating our own music from the bottom. The music we make is the music closest to our hearts.”
As you know, the majority of “Melo-hard” music in recent years has come from Italy’s Frontiers Music, which has become something of a last resort and lifeline for the likes of you. However, along with the mind-blowingly great releases, the fact is that there have been a few collection projects that have shuffled members around. Also, they often rely on their “home band,” led by Alessandro Del Vecchio, to compose, arrange, and perform, so not all of their music is “from the heart. The beauty of STARGAZER is that it is a band with a lot of heart.
The beauty of STARGAZER is that they are not bound by these ties, but pursue music from the heart in their own way. Of course, Harem Scarem and Bad Moon Rising always had their doubts, but their spirit and music that continued to pursue hard rock in those difficult times should be praised even more than now. And STARGAZER carries in its body the conviction of a melodic musician who overcame the stormy seas of the 90s.
“TNT was the first Norwegian hard rock band with international success, and we, coming from the same city as them, were so proud. Their album “The Knights of the New Thunder” blew our minds! They kind of showed the way for other hard rock bands that it was possible to come from a small country like Norway, and make a big impact on the world scene anyway. ”
Above all, STARGAZER is in that TNT vein. Hailing from Trondheim, no band embodies the TNT-isms more than STARGAZER, which inherited Ronnie’s guitar and successfully guest-starred Morty. The trinity of Aurora’s harmonies, the beautiful melodies of Glasswork, and the machine guns of the guitars, with the added brawn of John Sykes and WHITESNAKE, brings the perfect 1987 back to life here and now.” Life Will Never Be The Same”. Yes, Our life will never be the same after discovering their melodies.
We had the pleasure of interviewing singer Tore Andre Helgemo and guitarist William Ernstsen. Here
we go!

STARGAZER “LIFE WILL NEVER BE THE SAME” : 10/10

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COVER STORY 【MR. BIG : THE BIG FINISH】INTERVIEW WITH NICK D’VIRGILIO !!


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH NICK D’VIRGILIO OF MR. BIG !!

“I Could Never Replace Pat. He Had a Unique Sound And Feel And The Band Really Gelled Together In a Great Way. He Was a Huge Part Of The Mr Big Sound. All I Can Try To Do Is Play To The Best Of My Ability And Pay Tribute To Pat.”

THE BIG FINISH

パット・トーピーが私たちの前からいなくなって、どれくらいの月日が過ぎたでしょう。アイスクリームとハンバーガーを愛し、アメリカの学園モノに出て来そうな爽やかな笑顔でブロンドをなびかせ、年齢をちょっぴり詐称した歌って叩ける MR.BIG のドラマーはあのころ、文字通りみんなのアイドルでした。
ただし、ポール・ギルバート、ビリー・シーンという当代きっての弦楽隊のおかげで霞んでしまってはいましたが、パット・トーピーは顔が良いだけでなく、相当の実力者でバンドの要。”Take Cover” や “Temperamental”, “Undertow” のユニークなリズム・パターンに巧みなゴーストノート、ボンゾを思わせる骨太でタメ気味のドラミングはやっぱりスペシャルで、”Yesterday” を歌いながらソロをとるパットの姿がみんな大好きだったのです。
そして、どこか飄々として浮世離れしたポール、やんちゃなエリック、職人肌で真面目なビリーをつないでいたのもやはりパットだったのでしょう。特に、ビリーとエリックが一時、相当険悪な仲であったことはもう誰もが知る事実ですから。
結局、私たちはパットを失って再度、MR.BIG は “あの4人” でなければならないと痛感させられました。1度目はポールがバンドを去った時。FREE の名曲をその名に冠するバンドです。リッチー・コッツェンでも、むしろポールよりリッチーの方が上手くいってもおかしくはなかったのです。しかし、実際はポールの不思議なメロディ・センスやメカニカルなギターを失ったバンドは一度瓦解しました。
今、THE WINERY DOGS が生き生きとしているのは、THE WHO や FREE の21世紀バージョンを全力で追求しているから。MR.BIG の建前はたしかにほぼ同じでしたが、実のところ彼らはもっと甘いメロディやスター性、派手なテクニックを売りにしていました。その “アンバランス” が実は MR.BIG のキモで魅力だったのです。リッチーと作った ”Get Over It” は玄人好みの素晴らしいアルバムでしたが、MR.BIG はそもそも玄人好みのバンドであるべきではなかったのです。
だってそうでしょう?90年代、私を含めてどれだけ多くのキッズが彼らに憧れて楽器を始めたことでしょう?バンドを始めたことでしょう?アイバニーズのFホールやヤマハのライトグリーンがそこかしこに溢れていたのですから。今、あれだけ長いソロタイムを設けられるバンドがどれだけいるでしょう? “Raw Like Sushi” シリーズのソロタイムをみんなが食い入るように分析していたのですから。MR.BIG はあのころ日本で、楽器をより純粋で真剣な何かへと変えていきました。それは彼らがとことんキャッチーで、ある種のアイドルで、全員がスーパーなテクニカル・スターだったからできたこと。
そんな日本におけるハードロックの父、MR.BIG にも遂に終焉の時が訪れます。エリックは最近、こんな話をしていました。
「BON JOVI がこの年まで続けるとわかってたら “Livin’ On A Prayer” をあんな高くは歌わなかったと言ってた。僕もそう。南米のバンドとやるときに “Lucky This Time” をやりたいと言われたけど無理だった。”Green-Tinted” の高音でさえキツイんだ」
あのベビーフェイスで鳴らしたエリックももう62歳。ポールは56歳。ビリーにいたっては69歳。もちろん情熱は年齢を凌駕しますが、それでも人間に永遠はありません。
それでも、パットが亡くなってから数年後、エリックはこう話していました。
「MR.BIG をまたやりたいよ。あの音楽が大好きだし、バンドを愛してるから。ビリー、ポール、そしてパットの魂とまたステージに上がりたいね」
パットの座右の銘は、”Never Give Up” でした。病に倒れたあとも、パットは常にバンドと帯同し、諦めず、不屈の精神で MR.BIG の音楽と絆を守り続けてきました。だからこそ、やはり幕を下すべき時なのです。お恥ずかしい話ですが、少なくとも私はあのころ、4人の絆と友情を純粋に信じていました。でも、それもあながち間違いではなかったのかもしれませんね。エリック、ポール、ビリー、そしてパットの魂は今回の “The Big Finish” ワールドツアーを最後にやはり、バンドを終わらせるつもりのようです。とても、とても残念で寂しいですが、それはきっと正しい決断なのでしょう。
最後のツアーは、MR.BIG のアンバランスが最高のバランスを発揮した “Lean Into It” が中心となります。マキタのドリルも、”Alive and Kickin” の楽しいハーモニクスも、”Green-Tinted” のメロディックなタッピングも、”Road to Ruin” のビッグ・スイープも、もしかしたらこれが聴き納めとなるかもしれません。しかし何より、多くのファンに別れを告げるため、物語をしっかりと終わらせるため、そしてパットに対する美しきトリビュートとしても、非常に重要なツアーとなるはずです。
ドラム・ストゥールには、ニック・ディヴァージリオが座ります。現在の英国を代表するプログレッシブ・ロック・バンド BIG BIG TRAIN のメンバーで、SPOCK’S BEARD, GENESIS, FROST, FATES WARNING など様々な大御所バンドで腕を振るって来たプログレッシブの巨人。ドラムの腕はもはや疑うまでもありませんが、ニックはとにかく歌が上手い。MR.BIG がボーカル・ハーモニーを何より大事にしてきたこと、ボーカル・ハーモニーで成功を収めたことはご承知のとおり。インタビューにもあるように、実は VAN HALEN や MR.BIG を愛し、その “歌” で選ばれたニックなら、きっと素晴らしい花道を作ってくれるはずです。
「僕は決してパットの代わりにはなれないよ。彼はユニークなサウンドとフィーリングを持っていて、バンドは本当に素晴らしい形で融合していたんだから。彼は MR.BIG サウンドの大きな部分を担っていたんだ。僕ができることは、自分の能力を最大限に発揮して、パットに敬意を表することだ。でも、僕はプロフェッショナルであることを誇りに思っているし、MR.BIG の曲を本物のロック・サウンドにするために必要なことは何でもするつもりだよ」NDV ことニック・ディヴァージリオの弊誌独占インタビュー。どうぞ!!

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【PLUSH : PLUSH】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH MORIAH FORMICA OF PLUSH !!

“I Taught Myself How To Play Guitar By Taking My Dad’s Aerosmith CD’s And Not Coming Out Of My Room Until I Learned a Song.”

DISC REVIEW “PLUSH”

「父の AEROSMITH の CD でギターを学んでいったわ。曲を覚えるまで、自分の部屋から出ないくらいのめりこんだのよ」
ロックは死んだ。そんなクリシェが囁かれるようになって、どれ程の時が過ぎたでしょうか。今のところロックは息をしていますし、メタルに至ってはより生命力をみなぎらせながらその重い鼓動を刻んでいるようにも思えます。それでも、黎明期、全盛期を支えてきたレジェンドたちが次々と病に倒れる中、私たちロック・ファンは潜在的にロックが消え去る日の恐怖を抱えながら生きているのかもしれません。ただし、そんな心配は結局、杞憂となるはずです。PLUSH の登場によって。
「6歳からギターを始め、10歳からライブ活動をしているの。16歳のときには NBC の “The Voice” シーズン13に出演したわ」
世界を変えるようなファースト・アルバムをリリースすることができるバンドは決して多くはありません。古くは LED ZEPPELIN, THE DOORS, BLACK SABBATH, 時が満ちて VAN HALEN のファーストはロック・ギターに革命を起こしましたし、GUNS N’ ROSES のデビューは文字通り破壊衝動を封じられていた若者たちの “食欲” を解放しました。さらに、SLIPKNOT や KORN の登場はメタルの在り様を変え、EVANESCENCE は女性がメタル世界に進出するきっかけとなりました。そして、PLUSH のセルフ・タイトルも同様に、世界を変えるようなファースト・アルバムとなるはずです。
「性別は関係なく、誰でもいいから探してみようと思ったんだけど、そんな時に Lzzy Hale がSNS でシェアしてくれて、Bella に出会うことができた。だから、最初の目標は女性だけのバンドを作ることではなかったんだけど、結果的にはそうなってよかったわね」
EVANESCENCE がメタルの門を女性に大きく解放してから18年の月日が経ちました。少しづつ、少しづつ、ボーイズ・クラブだったメタル世界も変化を遂げ、ついに21歳以下の女性4人が世界を震わせる時が訪れたのです。
もちろん、セクシーであること、キュートであること、”女性らしく” あることを求める人たちは今でも少なからず存在し、SNS で場違いなコメントを振りかざしています。ただし、PLUSH が勝負している土俵は、女性として “ホット” であるかどうかではなく、音楽が “ホット” であるかどうか。「女の子ばかりなのにあんなに上手いとは思わなかった、みたいな無邪気なコメントもあるわね」 という Moriah の言葉通り、ただロック/メタル・バンドとして、PLUSH は最高峰の実力と楽曲を兼ね備えているのです。
「Brooke は GODSMACK や TOOL みたいなヘヴィなバンドに大きな影響を受けている。一方、私はクラシック・ロックやメタルが好きなんだけど、同時に最近のポップスも大好きなのよ。レディー・ガガが大好き!Ashley は独自の雰囲気を持っていて、幅広いジャンルの音楽を愛しているんだけど、ALICE IN CHAINS は大好きみたいね。Bella はクラシック・ロックだけじゃなく、Joe Satriani をはじめとする伝説的なギタープレイヤーも愛しているわ。そうやって、私たちは皆、自分が影響を受けたものを演奏や作曲に取り入れているんだと思う」
重要なのは、PLUSH が AEROSMITH に端を発するアメリカ的なアリーナ・ロックを受け継ぎながら、70年代から現代に連なる様々なロックの色彩を野心的に、大胆に調合している点でしょう。例えば、オープナーの “Athena” には HEART の壮大さ、HALESTORM の熱量、LED ZEPPELIN の野心が混ざり合い存分に五感を刺激しますし、”傷つけられた。幸せでいて欲しくない。でもそんなあなたをまだ欲しがる私が大嫌い” と負の感情をぶちまける “Hate” にはたしかに ALICE IN CHAINS の暗がりが宿ります。
“Better off Alone” のダイナミックなリフワークには TOOL や GODSMACK のインテンスが封入され、一方で “Sober” や “Sorry” には Alanis Morrisette の知的で内省的な面影が見え隠れ。”Bring Me Down” で Gaga や Pink のモダンなポップスに接近したかと思えば、”Don’t Say That” では AEROSMITH 仕込みのパワー・バラードを披露。
PLUSH はロックの教科書を熟読しつつ、強烈な個性を誇る Moriah の絶唱と、バークリー仕込みの Bella のシュレッド、そして DISTURBED や ALTER BRIDGE, MAMMOTH WVH にも通じるダークでスタイリッシュなアメリカン・モダン・ハードを三本柱に、強力で未知なるアリーナ・ロックを完成させたのです。DISTURBED や STAIND を手がけた Johnny K の仕事も見事ですね。NWOAHR だけでなく、ENUFF Z’NUFF や MEGADETH もプロデュースしているだけあって、メロディーや曲想の陰陽が立体的。そうして “ぬいぐるみ” と名付けられたバンドには命が吹き込まれ、敬愛する EVANESCENCE, HALESTORM とツアーに出ます。
それにしても、ドーピングした Ann Willson の表現が完璧にハマるほど、Moriah の歌唱は絶対的。James Durbin にも圧倒されましたが、それ以上の逸材かもしれません。アメリカのオーディション番組恐るべし。
今回弊誌では、Moriah Formica にインタビューを行うことができました。「私たちがよく経験するセクシズムは、ソーシャルメディアでのコメントよ。正直なところ、ライブでは経験したことがないのよね。だけど、SNS は無知や愚かな行為がチェックされず、まかり通る場所でもあるのよね」どうぞ!!

PLUSH “PLUSH” : 10/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【MÅNESKIN : TEATRO D’IRA VOL.1】


COVER STORY : MÅNESKIN “TEATRO D’IRA VOL.1”

“We Don’t Want To Be The Guys Who Give New Life To Rock-n-Roll, We’re Just Four Guys Who Love To Play”

ROCK IS NOT DEAD

「お互いがいるからラッキーなんだよ…」
2014年にKISSのジーン・シモンズが “ロックンロールは死んだ” と宣言したとき、その理由は、現代の自らを “ロックンロール” と称するバンドには、”グラマラスでエキサイティングでエピックなもの” を生み出すクリエイティブな才能が欠けているというものでした。
その2年後、まるでシモンズが理想のバンドを顕在化させたかのように、Damiano David, Victoria De Angelis, Thomas Raggi, Ethan Torchio の4人からなるイタリアのロックグループ、MÅNESKIN が結成されました。シモンズが好むと好まざるとにかかわらず、このバンドはそれまでの無数のロック・アーティスト以上にグラマラスでエキサイティングな冒険をやってのけています。
リード・ヴォーカルの Damiano David はロックの有り様について語ります。
「僕らはロックンロールに新しい息吹を与えるような存在になりたいなんて思っていないし、ただ演奏することが好きな4人なだけなんだ。みんなが演奏しなければならないと思い込んでいる普通のポップ・ソングに飽きていたのかもしれないけど、ロックは僕たちにとってとても大切なものだよ。ロックはみんなに評価されているものやラジオで流れているものに常に合わせる必要はなくて、自分自身でいられるからね。そして自分のロックを好きになってもらえれば、自分自身まで好きになってもらえる。もうみんなは他人のふりをすることに飽きていて、本物を求めている。みんなが僕たちの音楽を本当に楽しんでくれるということは、僕たち自身が認められたということだから。新しい人々に届くことを嬉しく思うよ」

MÅNESKIN の音がただ新しい人たちに届いているという表現は、控えめな気もします。2016年に正式に結成されたデンマーク語で月光を意味する (Victoria がデンマークとのハーフであるため。発音は “Morn-e-skin”) MÅNESKIN は、最初の1年をイタリアの路上で大道芸人と肩を並べながら過ごした後、X-Factorのイタリア版で2位を獲得し、デビューアルバム(2018年の「Il ballo della vita」)をリリース。今年の初めにはサンレモ音楽祭で優勝し、先月、”Zitti e buoni” でユーロビジョンの制覇を成し遂げました。決勝パフォーマンスの YouTube 再生数は5,000万回に達します。
芸術的な好奇心と爽やかな率直さを併せ持つ MÅNESKIN は、英語で歌わないミュージシャンにとってユーロビジョンがいかに重要であるかを認識していますが、コンテストのファンとして育ったわけではありません。1999年から2001年に生まれた彼らは、ユーロビジョン世代ではありませんでした。1990年にトト・カットーニョが優勝した後、イタリアではユーロビジョンの存在感が薄れ、1998年から2010年の間コンテストに参加さえしませんでしたから。
「Xファクターもサンレモもロックバンドにはふさわしくないと言われるかもしれないけど、僕たちはそんな堅苦しい考え方をしないように心がけている。イタリアに住んでいると、世界的なオーディエンスを獲得するのは難しいけど、いったん機会を得ればあとは音楽が語ってくれるものだから」

今や、MÅNESKIN は世界的な現象となっています。アルバム “Teatro d’ira Vol.I” に収録されている “Zitti e buoni” と “I Wanna Be Your Slave” は、ヨーロッパのチャートにランクイン。特に “I Wanna Be Your Slave” は、イタリアのロックバンドがイギリスでトップ10入りした最初の曲となり、2017年にカバーした “Beggin” とあわせて、オフィシャル・シングル・チャートでトップ10入りを2回果たすという歴史を作りました。また、このバンドが世界すべての Spotify チャートとすべての TikTok ユーザーの “For You” ページを完全に掌握していることも見逃せない事実でしょう。
ベーシストの Victoria De Angelis は、そうした評価を本当の意味でまだ実感できていないと語ります。
「私たちが今までにやったことのないことで、他の人もやったことのないことで、どう表現したらいいのかもわからないの。これが本当のことなのか、それとも単なる夢なのか、まだ頭をグルグル回っている気がするわ。私たちの音楽が多くの人々に届くこと。そのことに興奮しているの。それが私たちにとっての最大の関心事だから。たとえ歌詞を理解していなくても、人々が気に入ってくれて、私たちの音楽を楽しんでくれることは素晴らしいことよ」
Damiano もその振る舞いに変化はないと言います。
「スターだなんて、いやいや (笑) ユーロビジョンの前は、インスタグラムをあまり使っていなかったけど、今は使おうとしているよ。正直なところ、僕はソーシャルメディアにあまり興味がないから、いつまで続くかはわからないけど。でも、一生懸命やっているよ。一番うれしいのは、ウクライナ、ロシア、トロント、マンチェスターなど、世界中からメッセージが届くことだね」

MÅNESKIN の音楽が世界中の人々の心に深く響くのには理由があります。彼らの2ndアルバム “Teatro d’ira Vol.1″ には、イタリア語と英語の曲が数曲収録されており、抑圧者と抑圧された者の間の関係を探り、あらゆるタイプの適合性に反抗し、脱却することを奨励しているのです。全体としてこのレコードは、社会の期待や圧力から脱却したいと切に願う人への呼びかけであり、バンド自身もステージ上で、音楽の中で、普段の日常生活の中でさえ、抑圧からの脱却を実現しようと努力しているのです。
「このバンドを始めたとき、私たちの見た目や演奏する音楽について、多くの批判や愚かなコメントを受けたわ」と Victoria は言います。「もし誰かが私たちの全員または一人について馬鹿げたことを言ったとしても、他のメンバーが介入し守ってくれる。私たちは何を言われても気にしないけど、誰かが言ったことで他の多くの人が傷つくことになる。だから私たちは、”ありのままの自分でいいんだよ” という統一したメッセージを伝えようとしているの。他の人が望むもの、期待するものに合わせる必要はないんだから」
アルバムは、ライブでの確固たるエンターテイナーとしての彼らの評判を高め、作家としての野心をも加えています。MÅNESKIN の音楽は、70年代のロックに世紀末のノスタルジーを加えたもので、LED ZEPPELIN, RED HOT CHILI PEPPERS, ARCTIC MONKEYS の間を絶妙な感覚で行き来しています。ダンサブルでキャッチーでグルーヴィー。彼らはこのアルバムを、これまでの多くの偉大なロックバンドと同様に人里離れた田舎のスタジオで、ライブでレコーディングを行いました。Damiano が振り返ります。
「最初のアルバムを出した後、僕らはまだとても若かった。立ち止まって 自分たちはどんなバンドになりたいのか?と問い続けたんだ。この模索は2年間続いたよ」

Thomas は、Damiano のソウルフルなボーカルに焦点を当てるのをやめ、バンド全体で演奏しているような感覚を生み出したと語ります。
「作品には、より芸術的な成熟が見られるね。僕たちの芸術的なビジョンは、ますます鮮明になってきているよ。僕たちは楽器を徹底的にテクニカルに研究したんだ。同じ目標に向かって懸命に努力したからこそ、僕たちのクオリティーは飛躍的に向上したんだよ」
Spotify 総再生数が一億回を突破。5月だけで1800万人のリスナーを惹きつけた “Zitti e Buoni” の成功は、イタリア語とメインストリームの組み合わせによるものだと Damiano は考えています。
「”Zitti e Buoni” は、僕たちにとって本当に古い曲なんだ。ボーカルとギターだけのアコースティックなバラードだったんだけど、説得力のあるコーラスが思いつかなかったんだ。だけど数年後、Thomas が持ち込んだリフのおかげで、この曲が復活したんだよ。プシューッ! と魔法がかかったようだったな」
イタリアでは、ポップスやインディー・トラップが圧倒的な強さを誇っていましたが、そこに今、MÅNESKIN が加わりました。”Zitti e Buoni” と同じく全英トップ30に入っている英語版のアンセム “I Wanna Be Your Slave” も、緩やかに火がついた楽曲だと Victoria は証言します。
「Damiano は、私たちのグループチャットにオーディオノートを送ってきたことがあるの。そこには、『おい、俺がピアノで作ったこの曲を見てくれ』と書いてあったわ。私は Thomas と一緒にいたんだけど、二人で『これはひどい音だ』と言っていたのよ。彼のオーディオは本当に酷かった。後から彼は、想像力でなんとかしろと言ってたけどね」

“まだ20歳だから” という免責事項で始まるバラード “Vent’Anni(20 Years)” は、自分自身に忠実であることについての楽曲。「”Vent’Anni” は、僕たちのもうひとつの側面。僕たちは若く、怒りや憤り、攻撃性もあるけど、より内省的な一面もあるんだよ」と Damiano は語ります。
イタリアのシンガーソングライターの伝統である詩的なイメージをロックと組み合わせた “Coraline” は、イタリアのカンタウトーリへのオマージュです。”赤いバラのような” “銅線のような” 髪の毛を持つ少女の描写から始まったこの楽曲は、まだ若者でありながら、最終的には世界を背負っていくであろうメンバー Victoria のイメージが重なります。「彼女は海を求めているが、水を恐れている。しかし、海は彼女の中にあるのかもしれない。一つ一つの言葉は斧であり、彼女の背中を切るものだ」
MÅNESKIN の成功は、イタリアでもユーロビジョンでも、彼らがポップスではなくロックバンドであるがゆえに、奇異なものとして扱われてきました。たしかに、過去にユーロビジョンで優勝したロック・グループは、2006年にフィンランドの LORDI が “Hard Rock Hallelujah” という壮大なスペクタクルで優勝しただけでした。しかし、それでもロックのエントリーはユーロビジョンの定番となっています。
エトロ社がデザインしたメタリックレザーのグラムロック風ユニタード (David Bowie に深いインスピレーションを受けている) を着用し、背景に堂々とした影を落とすセットを使って、MANESKIN はエネルギッシュかつエレガントなパフォーマンスで観客を楽しませ、ユーロビジョンでロックが記憶に残ることを証明したのです。

さらに他国のリスナーはほとんど知りませんが、70年代のプログバンド P.F.M から、VASCO ROSSI や Gianna Nannini など80年代以降にメインストリームで安定した成功を収めているアーティストまで、イタリアの根底にはロックの伝統が根づいています。
1979年、プログレッシブ・ロッカー (DELIRIUM) からシンガーソングライターに転身したイヴァーノ・フォッサーティは、イタリアの歌姫たちのために芸術的に洗練された曲を書き下ろし “La Mia Banda Suona Il Rock” を発表しました。この曲は、イタリアで批評的、商業的、文化的に大きな影響を与えたロック・ソングで、歌詞の中で音楽、特にロックを、世界共通のコミュニケーションの導線として賞賛しています。”ロックは壁に染み込み、ドアを破り、最後には自らの魂が死んでいないことを教えてくれる”
MÅNESKIN はこの理念に沿って、現実と空想の間を行き来しています。Thomas にとってロックとはまさに理想郷。
「音楽は、僕たちがあらゆる感情を表現するための手段なんだ。ステージは魔法の箱のようなもので、やりたいことは何でもできる。なぜなら100%自由で、実際の自分を表現できるからね」
MÅNESKIN は、前述の ARCTIC MONKEYS や ZEP, RHCP に加え、REMや、”多くのプログレッシブ・ロック” など、英語圏のアーティストが彼らの基盤になっていることを認めています。にもかかわらず、Victoria は、ノイズロックとイタリアのシンガーソングライターの伝統を融合させたMARLENE KRUNTZ、グランジを取り入れた VERDENA、そしてアルトロックバンドの AFTERHOURS など、80年代から90年代のイタリアのロックバンドへの憧憬を隠そうとはしません。
「確かに、イタリアではポップスやインディー・トラップの優位性は否定できないけど、そこに MÅNESKIN が現れたのよ!今、新たなロックの支配が始まったの!」

イタリア語で歌うと小さな池の中の大魚になってしまう危険性があり、英語で歌うと大海の中の金魚になってしまう危険性があるとの警告も、両方を使いこなす彼らにとっては杞憂でしかないでしょう。
バンドは固定観念に挑戦することで知られていますが、新たな名声を得ても、その本質はまったく妨げられていません。現地ポーランドの反LGBTQ の姿勢を無視してパフォーマンスの最後に Damiano と Thomas がキスをしたことは記憶に新しいでしょうが、バンドのスタイルや美学を通してジェンダーに根付いた規範を覆し続けています。Victoria はインタビューで自身をバイセクシャルであると公表。これは固定観念に挑戦するためのジェスチャーだと Damiano は語ります。イタリアでは昨今、著名な音楽家たちが自らのプラットフォームを使って、人種の多様性や LGBTQ の権利を支持しています。
「ショーの中でキスをするのは、LGBTQ をサポートするための方法でメッセージだよ。人種差別やホモフォビアを目の当たりにしたとき、僕たちは常に何かを発信するよ。僕たちの発言(または行動)が人々の心を変えることがあるんだから。ああいったステレオタイプを克服することが重要だから、常に自分の意見を述べるようにしているんだ」
MÅNESKIN が最も影響を受けた人物の一人、ハリー・スタイルズが話題に上がると、Damiano は TikTok が彼を新しい “ロックの神” と呼び、スタイルズを退けたことに反旗を翻します。
「僕たちはハリーを愛している!誰も彼を失脚させないよ、特に僕は!」

“Zitti E Buoni” は、”静かで良い子” から脱却し、他人に判断を仰がないようにすることを歌った曲ですが、ユーロビジョンで優勝した数時間後に Damiano が薬物摂取で非難されたことを思い出すと、バンドにとっては皮肉な話です。瞬時にバンドは団結し、オンラインで声明を発表しました。ダミアーノは、自分たちの勝利を奪おうとするすべての批判者を黙らせるために、薬物検査を受けることに同意しました。
「僕たちが “ロックバンドである” というだけで、あんなことが起こったと思うよ。ロックバンドというと、ドラッグをやって、酔っ払って、一日中セックスをしているようなステレオタイプがあるけど、実際にはそんなことはないんだかは。僕たちは、自分たちが好きなことに努力を惜しまない普通の4人だよ。恥ずかしかったし、馬鹿げていたけど、これもゲームの一部なんだろうね。自己満足に浸るなんてくだらないけど、実際パフォーマンスは良かったからね。信用を下げたかったんだろう。優れている人ほど批判される。そう考えるようにしたよ」
Victoria はバンドを守る気持ちと、自分たちと同じように疑惑に傷ついた人たちへの情熱を同居させています。
「驚いたのは、私たちが何もしていないことを知っている人たちからの怒りと反発だった。だから私たちはただとても幸せだったし、今もそうよ。たとえ誰かがそれで私たちを悲しませようとしたとしても、通用しなかったわね!」
アルバム全体のすべての歌詞が、外部からの意見や共同作業ではなく、Damiano、Victoria、Thomas、Ethanの4人だけで構成されていることは、そのままバンドの芸術性を物語っています。クリエイティブ・コントロールは、 MÅNESKIN が決して手放すことのない至宝。胸の内に秘めた光を解放することで、楽曲は可能な限り彼らの真の姿を映し出します。
「最初から、自分たちが感じていることを音楽で表現したいと思っていたよ」と Thomas は回顧します。「自分たちが何をしたいのか、自分たちのやり方がわかっていたからね。誰かに曲を作ってもらって、それを自分たちに与えるのではなく、自分たちが何かを表現して、それを人々と共有したいから曲を作る必要があるんだよね」
Ethan もこの気持ちに同意します。「僕たちの音楽を聴いて、理解してもらい、そして見に来たいと思ってもらえれば幸せだよ。僕たちは、コンサートに来てくれる人たちと最もつながりを持てると感じている。それは、多くのエネルギーを共有し、みんなと交流できるから。曲を作るたびに、ライブで演奏したときにどうなるかを考えるよ。チャートや Spotify などで起こったすべてのことを考えれば、世界のすべての国で演奏して、みんなに会うことも不可能じゃないよね」
本当に久しぶりに現れた華々しいロックスター。それでも等身大の4人の気持ちは一つです。
「僕たちはただの4人の友人で、好きなことをやっているだけだし、このまま楽しく続けていきたいだけなんだよね。この4人がいるから、ラッキーなんだよ」

参考文献: CLASH MAG: In Conversation: Måneskin

VOUGE:“We Are Just Four Friends Doing What We Love”: Eurovision Breakout Star Måneskin’s Damiano David Plans On Staying Humble

THE GUARDIAN:Eurovision winners Måneskin: ‘Cocaine? Damiano barely drinks beer!

MANESKIN Official

COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【MDOU MOCTAR : AFRIQUE VICTIME】


COVER STORY: MDOU MOCTAR “AFRIQUE VICTIME”

“I’m Not Calling Anyone To Provoke War, But I Am Calling The Whole World To Stand Up And Revolt Against The Conditions We Face. We Don’t Have The Technology Here In Niger To Manufacture Weapons, So How Are They Entering The Country? Why Are Other Nations Storing Tools Of War On Our Land? France, The US, NATO – They’re All Complicit.”

TEARS OF SAHARA

Mdou Moctar の人生は見えない運命に導かれているようです。彼の物語は、縺れ合う巨大な糸の塊のようであり、その中には何度も立ち止まり、また歩みを進める場所があるのです。
Mdou は80年代半ば、ニジェール南西部の町アバラックで生まれました。彼は、ニジェールの人口の約10%を占める、サハラ砂漠に住む歴史的な遊牧民であるトゥアレグ族の一人。青衣の民、トゥアレグの文化では、音楽はコミュニティの根幹であり、解放の道具であり、闘争からの解放でもあります。しかし、Mdou の宗教的な両親は、彼が創造的に探求することを拒みました。それでも彼は、自転車のワイヤーと廃材を使って最初のギターを手作りし、左手で弾き語りを始めたのです。
その後、トゥアレグ族の伝統的な歌に、隣国ナイジェリアで流行していたドラムマシンやオートチューンを融合させるという新境地を開拓した Mdou。そうして2010年代初頭には、彼の曲のラフ・レコーディングはサハラ砂漠を吹き抜ける幻の風のように、Bluetooth やメモリーカードを介して携帯電話から携帯電話へと侵食していったのです。
これに興味を持ったのが、旅するアメリカ人ブロガーで音楽学者のクリス・カークリーでした。1億人に1人の才能を聴いていると確信したカークリーは、何年もかけて彼を追跡し、Mdou のためにあつらえた左利き用の漆黒のギターを背中に背負って砂漠を自転車で走りつづけました。ミッションは成功します。
2013年から2015年にかけて、Mdou から大量のアルバムが生み出され、カークリーのレーベル Sahel Sounds から世界中にリリースされていきます。時を同じくして、”Purple Rain” のセミオマージュフィルムが制作されます。この作品は、トゥアレグ族の言語であるタマシェック語で撮影された歴史上初の長編作品。カークリーは、Mdou と Prince のカリスマ的な類似性を引き出すことを意図しましたが、1つだけ問題がありました。タマシェック語には「パープル」という言葉が存在しなかったのです。
そうして2015年に公開されたのが、音楽ドラマ “Akounak Tedalat Taha Tazoughai”(訳注:『青の色の雨に少しの赤が混じっている』)でした。この映画はカルトヒットとなり、その後5年間 Mdou のカレンダーを海外ツアーの日程で埋め尽くしました。1980年代の Prince の全盛期に一緒に演奏したリサ・コールマンは、この比較はまったくもって正当であると後に語っています。
こうした伝説をまとめると、マハマドゥ・スーレイマン(Mdou は省略されたニックネームで、Moctar または Mokhtar はアラビア語で「選ばれし者」を意味する)は、アフロビートの父、フェラ・クティのような西アフリカの神話的ミュージシャンと肩を並べる、そんな期待感が渦巻きます。

ただし、Mdou Moctar は神話ではなく一人の人間です。彼は現在、タホアの街に住み、働く男で、彼の仕事は音楽だけではありません。
「アルバムを出すたびに井戸を掘っている。ニジェールでは水の確保が大きな問題になっているんだ。だから村々をまわって、援助を買って出ているんだよ。女性が現地でどのような扱いを受けているか確かめ、医療の改善を促し、家族の中における父親のような存在になりたいと思っているんだ」
世代を超えた才能を持つ Mdou ですが、つまり彼の現実は Prince やフェラ・クティのような大物とは大きく異なるのです。クティは、母親が女性の権利擁護の先駆者であり、1980年代には処刑の脅威にさらされ、ラゴスの警備された屋敷で活動する必要があったといいます。Prince のペイズリー・パークは、それ自体が要塞でした。
Mdou は、タホア、アガデス、そしてその他の地域で、意欲的なミュージシャンの間では大きな影響力を持っていますが、彼は普通に人々の間を歩いています。結婚式のセレナーデを彼に依頼したり、小額で彼の車を借りたりすることも可能。
30代になる以前、Mdou は西洋のロックンロールを知りませんでしたが、エディ・ヴァン・ヘイレンのような新旧の人気バンドの演奏を吸収して以来、彼のテクニックはさらに大胆になっています。フレットを指で叩いても、親指と人差し指をボディに当てて振動させても、噴出する太陽フレアのように音が炸裂し、ファズは空中にそびえ溶けていくのです。
Mdou の演奏は、色、進化するリズム、豊かなメロディーが織りなす変幻自在のライオットと言えるでしょう。それは、エレクトリック・ギターに潜む無限の可能性を思い出させてくれるものであり、錆びついたペンタトニック・シェイプや退屈なロックの決まり文句から新しい血を搾り取ろうとして行き詰るプレイヤーへの解毒剤でもあるのかもしれませんね。
彼の喜びに満ちた現代的なフィンガースタイルの演奏は、砂漠のブルースやトゥアレグのギタースタイルと、ウェスタンロック、サイケデリア、ジャズの要素を融合させています。彼の評価は、サヘル(サブサハラ)のギター音楽を代表する一人というだけでなく、世界で最も優れた、そして間違いなく最も表現力のあるギタリストの一人であるというコンセンサスが徐々に形成されつつあるのです。

2019年の “Ilana: The Creator” によって Mdou はより多くの人に知られるようになりましたが、最新作 “Afrique Victime” は彼をさらに一段推し進めることになりそうです。インディーレーベル Matador からリリースされたこのアルバムは、フランスとアメリカの帝国主義に対する痛烈な反撃であり、ニジェールでの天然資源の略奪に反発する一方で、砂漠の生活の美しさを主張しています。前作 “Ilana” は、この異文化間の抱擁の結果として生まれた作品でした。アメリカで録音されたアルバムは、ニジェールの砂漠からミシシッピ・デルタを経て、西海岸の太陽の光を浴びた海に足を踏み入れるまでの、激しいサイケ・ロックの旅。一方で今回のアルバム “Afrique Victime” は、Mdou の祖国とアフリカ大陸に対する感情を極限まで表現しています。帝国の崩壊や政情不安の中で耐え続けている苦しみを訴えるものから、愛する人や故郷であるアガデス地方での優しい満足感に浸るものまで。つまり、最も直接的で政治的なアルバム。
「僕は自然の中で見たものや、もちろん自分の周りで起きている最近の出来事からインスピレーションを受けて作品を作っている。だから、作品を作った時期によっても内容は異なるよね。現在は、特にカダフィが殺されてからのアフリカの苦悩を強く感じているんだ。様々な国でテロが多発している。ボコ・ハラムのテロリストが毎日のように襲ってきているしね。そして、サヘルやアフリカ全体のさまざまな国で犯罪が起きている。
もちろん、それぞれの国にはより具体的な問題があり、事情は異なっている。ニジェールの場合は、砂漠でのテロリストの問題と、フランスとアメリカの軍事基地が設置されていることによる影響が大きいと思うんだ。他のアラブ諸国からも影響を受けているよ。例えば、最近ではアフリカの指導者イドリス・デビーが殺害された。彼はチャド出身のリーダーだったんだ。彼はテロリスト、特にボコ・ハラムと戦っていた。悲しいことに、彼はもういない」
“Afrique Victime” には、これまでで最も野心的でパワフルな演奏(タイトル曲のヴァン・ヘイレン風の驚くべきソロなど)が収録されていますが、もちろん “Ilana” 以前に磨いたアコースティックな作業をより多く取り入れているため、”Tala Tannam” のような繊細な演奏も封入されています。彼自身の言葉を借りれば、「初期の VAN HALEN と BLACK FLAG と BLACK UHURU」に近いもの。つまり、目の覚めるようなギターライン、新たな政治的怒りと、自分の土着の文化を代表し称えること。彼が挙げたアーティストの精神は間違いなくアルバムへと書き込まれています。

ただし Mdou は、自分の作品を意図した通りにプロモーションすることができていません。
「ツアーはしたいけど、今はあまり音楽に触れられないんだ。新しい生活に適応しなければならないから」
ロンドンからアガデスまで、飛行機で3回、バスで28時間かけて移動しなければならないことを考えると、ロックダウン中の移動は困難を極めます。2月下旬、選挙結果が争われたことで、ニジェールは一時的に不安定な状態に陥っていました。緊張を和らげるために(あるいは反対意見を封じ込めるために)、2週間ほどインターネットさえ使えなくなったのですから。
ブルックリン出身のプロデューサーで、Mdou のベーシスト Mikey Coltun。彼のふわふわの髪の毛とアメリカ訛りは、このバンドの中で明らかに異端児であることを示しています。父親が所有する西アフリカやアバンギャルドのレコードに精通していたMikey は、00年代後半 Sublime Frequencies の “Guitars From Agadez” シリーズに魅了され、10年以上にわたってマリやナイジェリアのグループで演奏してきました。2017年にMdouの初のアメリカ旅行を、ブッカー、マネージャー、ドライバー、そして万能のブースターとして促進した Mikey は、ライブでもベースを担当。そしてアメリカツアーが終わるとニジェールに来てトゥアレグ族として生活をはじめたのです。
「変わった状況に置かれるのが好きなんだ。トゥアレグの生活スタイルは信頼が第一で、みんなとても仲がいい。いつも何人もの人が一緒にいて、足を絡めたり、床に寝そべったりして、お互いに重なり合っている。自分の部屋に行って何かをしようというようなことがないんだ。プライバシーというものは、存在として非常に異なっているんだな。トゥアレグ族は、一人になる時間を利用して考え事をする。それはとても美しいことだよ」
Mikey は、パンデミックに見舞われる前、Mdou の3年間で500回以上のライブを行ったと推測しています。この4人組は1日に何組もの地元の結婚式をこなしていたのです。
「僕がアガデスに到着した最初の夜、僕たちは人里離れた茂みの中の結婚式に車で直行したことを覚えている。アンプや機材を水に浮かべて川から運び、セッティングして、演奏して、解体して……。僕はワシントンDCのパンクシーンで育ったから、このDIYのやり方はとても自然に感じられたんだ。コミュニティに馴染むためには、とにかくやってみることが一番なんだよね」
13年来のつきあいで、Mdou が弟と呼ぶリズムギタリスト Ahmoudou Madassane にとって、欧米に行くことは同胞のためにも重要でした。
「僕は、同志のサポートにとても個人的な思い入れがあるんだ。彼らが直面している問題や障壁は、僕も経験したことがあるから。欧米に行くことで得られるメリットを共有し、彼らの成長を支援したいんだよね」
グループには本物の親近感が漂っています。10代の頃にリビアを1週間かけて歩いたことが、十分な耐久トレーニングになったとMdouは笑います。Ahmoudou は、ジャック・ホワイトのサードマン・スタジオでのレコーディングの合間に、デトロイトのモータウン・ミュージアムを訪れたことを懐かしく思い出しながら、”音楽の歴史にとって重要な場所” を訪れるために、空いた時間を活用しています。
少年時代にひょうたんで演奏してリズム感を磨いた Souleyman にとって、Mdou は尊敬する人から、褒めてくれてジャムをしようと言ってくれる人、そして初めてニジェールの外に連れて行ってくれる人になりました。ドラマーは、「Mdou は私の兄弟だと思っている」と平然といってのけます。

バンドはトゥアレグ文化の大使であることを誇りにしています。彼らは、伝統的なタジェルムストを身にまとい、顔を覆ったり、ベールを肩に流したりしながら、プラム色、クリーム色、そしてこの地方で好まれるインディゴ色を交互に配したローブを着て演奏します。Mdou は、故郷に女子校を建設するための資金調達のために、トゥアレグ族のジュエリーを販売するマーチャンダイジングテーブルを設けています。
Ahmoudou の妹である Fatou は、Les Filles de Illighadad という素晴らしいバンドを率いています。このバンドは、厳格な家父長制の文化の中で活動する、画期的な女性フロントのバンドです。Ahmoudou は必要に応じてオンオフのマネージャーとギタリストを務めていますが、トゥアレグ族初の女性ボーカルバンド Les Filles de Illighadad が国外で人気を博しているのは Mdou の支援の賜物です。女性の権利の問題も、”Afrique Victime” が正面から取り組んでいるテーマなのですから。
「僕は多くの家族と話をして、できる限りの支援をしようとしているんだ。だけど特に遊牧民の家族の場合、女性を教育することを恐れているというのが、ニジェールでの大きな問題のひとつ。砂漠には良い高校がないから、女の子は一人で街に出なければならない。通常、両親は彼女を経済的に支えることができないので、彼女は食べることと家賃を払うことに苦労し、簡単に利用されてしまうんだよね。妊娠した女の子を退学させる学校の傾向が問題をより悪化させている。将来的にはより良い、より支援的な教育機会を提供できればいいんだけど」
親密なバンドは完全にコントロールされています。Mdou と Ahmoudou のリフに続く Mikey の変幻自在のグルーヴ、Souleyman は唇からタバコを垂らしながらドラムを叩いていきます。女性が前に出て月明かりに照らされながら踊り出れば、Mdouは、プリンスのように口角を上げて軽やかに彼女の方向に向かってホットステップを踏み、その後、ハチドリのようなスピードでソロを披露します。
「観客が僕のエネルギー源だということを、何年もかけて理解してきた。観客は僕に勇気を与えてくれ、普段は出せない音を出すことができる。ライブで起こったことは再現できないよ」。
「年配の、白人の、”ワールドミュージック” の観客を相手にしたショーをやったことがあるんだ(笑)。お金はいいかもしれないけど、僕らはいつもそんな場所からは離れていたいと思っていたんだ。”Ilana” や”Afrique Victime” では、BLACK SABBATH やZZ Topをよく聴いていたから、Mdou が実現したいサウンドや感覚は、まさに “クリーンだけど生々しい” というものだったよね」 そう Mikey は付け加えました。

Mdou は当初、歌詞に政治的なテーマを盛り込むことを拒み、代わりに都会に住むトゥアレグ族の若者たちにアピールする音楽を目指していました。”Afrique Victime'” はそのすべてを変えました。基本的にアルバム全体を通して、Mdou は汎アフリカ的な連帯感を表現し、周囲の人々に嫉妬を捨てて信仰を抱くよう呼びかけ、サハラの生活を広くロマンチックに描いています。
ただし、タイトルトラック “Afrique Victime” は、Mdou Moctar がテープに残した中で最も直接的な曲であり、恐るべきアートの反抗です。Mdou は、不安定さを助長する残存する植民地勢力を非難し、ネルソン・マンデラへの不当な扱いを非難し、フランス語でリフレインを繰り返します。
「アフリカは非常に多くの犯罪の犠牲者である/もし我々が黙っていれば、それは我々の終わり/兄弟たちは、アフリカのために何かをしなければならないのだ」
Mdou には伝えなければならないことがありました。
「僕はずっとフランスの統治システムが嫌いだった。フランス人を侮辱しているわけではないけど、政府が僕たちを人間ではないかのように扱うのは耐え難いことだよ。フランスの企業はニジェールのウランと金をすべて採掘しているけど、僕たちの問題は何も解決していない。僕は幼い頃からそれをずっと見てきたんだ。現代の奴隷制度、人種差別、植民地主義が合わさったようなものだよ。さらにこのニジェールでも、肌の色が濃いトゥアレグ族と薄いトゥアレグ族に分かれているんだから。肌の色が濃い人たちは最も力のない少数派で、僕は自分の特権を彼らと分かち合うことを大切にしている。具体的には、僕が利用できるお金のことだよ。だけど、人口の90%が電気を利用できないとしたら、こんなな状況でどうやって良い生活を送ることができるんだい?」
Mdou の声が熱を帯びていきます。
「僕は誰かに呼びかけて戦争を誘発しようとしているわけではないんだよ。”Afrique Victime” では全世界の人々に、僕たちが直面している状況に対して立ち上がって反乱を起こすよう呼びかけているだけなんだ。ニジェールには武器を製造する技術がないのに、どうやって武器が国内に入ってくるんだ? なぜ他の国は僕たちの土地に戦争の道具を保管しているんだろう?フランスもアメリカもNATOも、みんな共犯だよ。ここではみんな、フランスこそが真のテロリストだと言っているよ。なぜ彼らはここにいるのか?なぜだ?」
激しさは頂点に達します。
「アメリカは空から人を殺せるようになったのに、パイロットは砂漠に住む4000人のテロリストを排除できないのか?52カ国の影響力をもってしても、その問題を解決できないのか?どうして?!…それは彼らが我々を弄んでいるからだと思う。彼らは僕の仲間を弄んでいる」

アフリカで音楽が果たす役割についてはどう感じているのでしょうか。
「僕にとって音楽は武器。音楽があれば、僕の血涙のメッセージを全世界に向けて発信し、私の周りで起こっていることを語ることができる。それ以外の手段はないんだよ。
今のところ、僕の音楽が周りに大きな変化をもたらすことができたとは言えないけれど、いつかはそうなるかもしれないと思って期待しているんだ。たとえ変わらなくても、サヘルで何が起こっているかを人々が少なくとも知ることができただけでも、僕にとっては大きな収穫であり、非常に重要なことなんだ。だからこそ、このような状況に関するメッセージを発信する手段として、僕は音楽を選んだんだよ。
今日、物事はどんどん速く変化している。この種のメッセージを発信しているアーティストは僕だけじゃないよ。サヘル地域では、Tinariwen や Alpha Blondy などのバンドが同じように、革命のメッセージを発信している。みんながベストを尽くしているのだから、僕もその道を歩みたいし、最終的な目的は平和なのだから、そのための努力を続けたいよね」
何世紀にもわたって蓄積されてきた貧困と隷属を解消するだけでなく、Mdouが日々取り組んでいる重要な問題もあります。
「女性の権利も重要な課題だよ。病院の改善は必須だしね。いまだに砂漠の木の下で出産している人がいるけど、これはとても危険だよ。長期的には、すべての女性が学校に通い、自分で医者になったり、音楽の仕事をしたりする機会を持つべきなんだ。機会の平等こそが、現代生活の次のステップだと思っているから」
彼が資金提供していた学校は現在も建設中ですが、最近の市民運動の影響でいくつかの井戸が汚染されたり破壊されたりしているため、Mdou はまずそちらにエネルギーを集中させる必要があると考えています。
「僕たちがやっていることを通じて、情報を広めていきたいと思っているんだ。世界の権力者たちがこの話題に触れ、罪のない人々が無駄に苦しんでいることを真に受けなければ、変化は起こらないと思っているからね。ニジェールでは、電気、教育、食糧へのアクセスが少なく、それが国民を抑圧し続ける不平等なシステムを維持する重要な要因となっている。誰が善人で誰が悪人なのかを皆が知ることは非常に難しく、情報へのアクセスが厳重な秘密にされているんだよ」

国際的なツアーが再開されるたびに、Mdou とバンドを待ち受ける観客は、以前よりも彼の価値観を鋭く認識するようになり、必然的に多くの人が集まり知るようになるでしょう。マタドールは、ジュリアン・ベイカーや QUEENS OF THE STONE AGE などと並んで、”Afrique Victime” を2021年の優先作品として位置づけています。これは、Mdou の無限の可能性と、ますます揺るぎない意志、そして、増大する影響力を実質的な社会変革に結びつける予感を示唆しているのです。
それまでの間、Mdou Moctarはこの相対的な孤独を、自分自身を見つめ直すための時間とするでしょう。それは、彼の血の中にあるものだからです。
「僕の願いは、新しい世代の音楽家が繁栄し、発展し続けることなんだ。僕よりも若いアーティストには、近代化してもトゥアレグ族独特のスタイルを貫くようにアドバイスしている。僕が生きている間に、このメッセージが世界中に伝わっていることは、とても嬉しいことなんだ。長い間、僕の音楽は家ではちょっとしたジョークだと思われていたからね。自分が世界的なアーティストになる可能性があるとは思っていなかった。今でも頭の中では自分は初心者だと思っているよ。そして、それは永遠に変わらないと思うんだ」
特にアフリカでは、教育も重要な課題です。
「若い音楽家にとって最も重要なのは、演奏するための道具、つまり楽器を与えることだよ。ちゃんとしたギターとかね。ニジェールでそれを手に入れるには、旅をしている人が持ち帰るしかないんだから。国内では弦も買えないよ。もうひとつは、ニジェールには音楽学校がないということ。だから、その両方が必要なんだ。
音楽学校については、教え方というよりも、重要なのは彼らが集まり、好きな方法で自由に芸術的表現をすることができる場所を作ることだと思っている。ニジェールでは日常的にそうするのは非常に困難だからね。砂漠に行って演奏したり練習したりして、それが終わったら家に帰らなければならない。それが僕たちのやり方なんだ。音楽が嫌われる可能性があるという危険と、テロリストに狙われるという危険の両方があるからね。だから、彼らには洗練された楽器で演奏できる場所がどうしても必要なんだよね」
最後に、Mdou から若いミュージシャンへのアドバイスを記しておきましょう。
「必ずしも特定のテクニックについてアドバイスするわけじゃない。最近の若い人たちは、早く有名になりたいと思っている人が多いように感じるね。演奏を始めて1、2ヶ月もすれば、エディ・ヴァン・ヘイレンやジミ・ヘンドリックスのようになってコンサートに出られると思っている人もいるだろう。しかし僕は、自分のスタイルや曲を作るためには、時間をかけて努力しなければならないと思っているんだ。努力が必要なんだよ。急いでやろうとしても、正しいビジョンは見えてこないからね。
努力が報われ、努力があってこそ、素晴らしいものを生み出すことができる。だから、僕が一番言いたいのは、忍耐強く、ゆっくりとやることかな」

参考文献: DAZED Mdou Moctar: the shred star of the Sahara

NEW NOISE:Interview: Mdou Moctar, Desert Soul and the Sounds of Freedom

MUSIC RADER:Mdou Moctar: “My intention is for the guitar to be spitting out the sound of revolution”

日本盤のご購入はこちら。BEATINK
MDOU MOCTAR Bandcamp

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【ALCATRAZZ : BORN INNOCENT】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH JOE STUMP OF ALCATRAZZ !!

“I Hated All That Grunge Shit , There Was No Bad Ass Guitar In It, Just a Bunch Of Dudes In Flannel Shirts And Wool Hats Playing Shit a 10 Year Old Could Play. One Of The Reasons My Early Records Got a Decent Amount Of rpecognition During That Period Was That I Was One Of The Only Guys Making These Kind Of Over The Top Shred Guitar Records During That Time.”

DISC REVIEW “BORN INNOCENT”

「Graham は俺のオールタイムフェイバリットのうち3枚のレコード、”Assault Attack”, “Down To Earth”, “No Parole” で歌っているからね。この3枚のレコードは、それこそ若いころ、盤に穴が空くほどに聴いていたんだけど、今でも大好きなんだから彼と一緒に演奏できるなんて最高だよ。」
サングラスにスーツ、ジャパニーズヤクザの出で立ちでカンペを凝視しデシベルの限界を超える Graham Bonnet は、Yasushi Yokoyama のスピリットでギターの超新星を発掘する天才でもありました。
ALCATRAZZ で若き Yngwie Malmsteen, Steve Vai を掘り起こし、Chris Impellitteri のデビューフル “Stand in Line” でもその野声を響かせた怪人が、そうして34年ぶりの監獄島再浮上に目をつけたギタリストこそ Joe Stump でした。
「Yngwie との比較は嬉しいことだよ。だって俺が Yngwie を愛していることは秘密でもなんでもないからね。彼は俺のヒーローの一人で、最大の影響元だよ。だから誇らしく感じているんだ。」
90年代、鳴り物入りで Shrapnel からデビューを果たした “シュレッド卿” (自分発信) は、そのフルピックを多用するクラシカルな様式美が Yngwie のクローンとしてある種のバッシングを浴びた人物でもあります。
しかし、「俺がイライラするのは、(このスタイルの音楽に関しては無知で無学な人に多いんだけど) 俺の演奏すべてが彼のようなサウンドだけだと言われることだよ。俺は様々な影響を受けていて、それは俺の音楽にはっきりと表れているんだから。」 と自らが言及するように、音聖への愛情を注ぎながら、パワーメタルやスラッシュ、エクストリームメタルとよりダークな音像を湛えた邪悪なギター捌きは、”音速を超えたシュレッドマシーン” “スピードメタルメサイア” といった凡人には到底思いつかない仰々しいアルバムタイトルと共に、その自信と独自性を高めていったのです。
「だって俺はあのクソグランジすべてが大嫌いだからな。あの音楽に超クールなギターなんて全然なかっただろ? ただネルシャツとウールハットを身につけた野郎どもが、10歳でも弾けるようなクソをプレイしてただけさ。俺の初期のレコードがあの時期にそれなりの評価を得た理由の一つは、俺がこの手の限界を超えたシュレッドギターレコードを作っていた唯一の男だったからだ。」
限界を超えていたかどうかは議論が別れるところでしょうが、少なくとも Joe Stump は自らの信念を捨て去ることは決してありませんでした。そんな彼の様式美愛が今回遂に ALCATRAZZ 加入という結果に繋がったとも言えるはずです。
そうして再びネオクラシカルな翼を手に入れた ALCATRAZZ にとって、Jimmy Waldo, Gary Shea の名は実に重要な復活の呪文でした。例えば、2016年に Graham がリリースしたソロアルバム “The Book” はたしかに強力なメンバーを揃えた力作でしたが、それでも ALCATRAZZ と呼ぶに相応しいレコードではありませんでした。それはきっと、あの NEW ENGLAND にも所属した Gary のメロディーセンス、そして何より Jimmy の荘厳なハモンドの響きが欠けていたからに他ならないでしょう。
かつてもビッグフットやクリーナクリーといった UMA を題材としてきた Graham が、遂に北極熊へと焦点を当てた “Polar Bear” は、最も名作 “No Parol” の厳かな躍動を運ぶ楽曲かもしれませんね。”Too Young To Die, Too Drunk To Live” の刹那と熱情が瑞々しく蘇ります。
「ALCATRAZZ としても初期の “No Parole” なヴァイブを取り戻したがっていたからね。ただし、より邪悪でメタルな感覚を宿しながらだけど。」
もちろん、”Born Innocent” は単なる焼き直しのアルバムではありません。Chris Impellitteri がゲスト参加を果たしたタイトルトラックにしても、より硬質でダークなサウンドデザインが施行され34年のギャップは巧みに埋められていきます。
おそらく、Yngwie は “No Parol” の時点ではまだ入念にギターソロを構築しており一音一音に神々しささえ感じさせましたが、90年代中盤以降の Yngwie が乗り移ったような荒々しい Joe のギターの濁流も、よりイーヴルな”無垢の誕生” には適しているのかも知れませんね。
“We Still Remember” や “I am the King” を聴けば、Graham のメジャーコードの魔術師たる由縁が伝わるはずです。ポップ畑を通過した彼だからこそ映える、プログレッシブなアレンジメントも嬉しい限り。
さらに、Steve Vai が作曲を行った “Dirty Like the City” では、あの奇天烈ハードロック “Disturbing The Peace” の片鱗を感じることができますし、日本のライジングサン Nozomu Wakai が大暴れの “Finn McCool” は MSG や RAINBOW のハイスピードバージョンと受け取ることも可能でしょう。何より、”Reallity” はハリウッドの孤独に通じる佳曲です。”Hiroshima Mon Amour” の遺産を受け継ぐ歴史ソングは、ロンドンの大火を紡ぐ “London 1699″。
今回弊誌では、Joe Stump にインタビューを行うことができました。「俺はいつも演奏し、練習し、作曲し、レコーディングを行なっている。そうしたくても、そうしたくなくても、1日に6時間以上は必ずギターを手にしているよ。幸運なことに、俺は今でも若いころと全く同じようにギタープレイを愛しているから。」 発言すべてが一周回ってカッコいいです。どうぞ!!

ALCATRAZZ “BORN INNOCENT” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【FREAK KITCHEN : CONFUSION TO THE ENEMY】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH MATTIAS “IA” EKLUNDH OF FREAK KITCHEN !!

“I Think The Change Of Music Industry Is a Brave New World With Tons Of Opportunities. You Can’t Sit Home And Complain It Was Better Before. Adjust Or Die.”

DISC REVIEW “CONFUSION TO THE ENEMY”

急速に拡大を続ける “ギターナード” の世界。真のギターフリークの間で、最もイノベーティブかつ画期的なプレイヤーとして崇拝を浴び続ける “Freak of the Freak” Mattias IA Eklundh。
水道のホースクリップ、テレビのリモコン、櫛、大人のディルドーにラジカセアンプ。目につくもの全てを “ギミック” としてギタープレイに活用し、レフトハンドのハーモニクスから両手タッピング、ミステリアスなスケールにポリリズムの迷宮まで自在に操るマエストロのアイデアは決して尽きることがありません。
同時に、弦は錆び付いても切れるまで交換せず、スウェーデンの自然とジャーマンシェパードを溺愛し、音楽産業の利益追求主義を嫌悪する独特の思想と哲学は Mattias の孤高を一層後押ししているのです。
「FREAK KITCHEN を立ち上げたのは少しだけコマーシャルな音楽を志したから。だけど適度にひねくれていて、様々な要素をミックスしながらね。」 とはいえ Mattias が情熱を注ぐスリーピースの調理場は、ただ難解で複雑な訳ではなく、むしろキャッチーでフックに満ち溢れた色とりどりのスペシャリテを提供して来ました。”Pop From Hell” とも評された、甘やかでインテリジェント、Mattias の “歌心” を最大限に引き出した “Freak Kitchen” はまさにバンドのマイルストーンだったと言えますね。
ジャズからボサノバ、アバンギャルド、ブログにインド音楽と手を替え品を替えエクレクティックに食材を捌き続けるバンドは、そうして最新作 “Confusion to the Enemy” でさらなる未踏の領域へと到達したように思えます。
「AC/DC は僕がいつも帰り着く場所なんだよ。Angus にただ夢中だし、Phil Rudd の熱狂的なファンでもあるんだ。」 近年、AC/DC のやり方に再びインスパイアされたことを明かす Mattias。その言葉を裏付けるかのように、作品には以前よりシンプルでスペースを活用した、ヴィンテージロックやブルースのエネルギッシュな息吹が渦巻いているのです。
例えば “Good Morning Little Schoolgirl” をイメージさせるブルースパワーにアンビエントな風を吹き込んだ “The Era of Anxiety”、スウェーデン語で歌われる “Så kan det gå när inte haspen är på” のシンプルな突進力とスライドギターのスキャット、さらにトラディショナルなブルースのクリシェをベースとしながら、愛車のボルボをパーカッションに EXTREME の “Cupid’s Dead” の要領で問答無用にリフアタックを繰り広げる “Auto” の音景は明らかに魅力的な新機軸でしょう。
もちろん、KINGS X を思わせるダークなオープナー “Morons” から胸を締め付ける雄大なバラード “By The Weeping Willow” まで、クラッシックでヴィンテージなサウンドを背景に Mattias らしいルナティックなギタープレイと甘く切ないメロディーのデコレーションを疎かにすることはありません。
圧巻はタイトルトラック “Confusion to the Enemy” でしょう。バンド史上トップ5に入ると語る楽曲は、アルバムに存在する光と闇を体現した究極なまでにダイナミックなプログレッシブ絵巻。MESHUGGAH を想起させる獰猛なポリリズムと空間を揺蕩うアンビエンス、さらにFKらしいイヤーキャンディーが交互に顔を覗かせる未曾有のサウンドスケープは、バンドが辿り着いた進化の証。
時という “敵” であり唯一の資産を失う前に成し遂げた記念碑的な快作は、そうして “We Will Not Stand Down” で緩やかにエモーショナルにその幕を閉じるのです。
今回弊誌では Mattias IA Eklundh に2度目のインタビューを行なうことが出来ました。「ゼロから何かを生み出す作業は、未だに究極の興奮を運んでくれるんだ。ただのルーティンの練習はそうではないよね。」 どうぞ!!

FREAK KITCHEN “CONFUSION TO THE ENEMY” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【URIAH HEEP : LIVING THE DREAM】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH MICK BOX OF URIAH HEEP !!

“We Are a Family Away From Our Family So To Speak. I Have Always Said a Working Band Is a Happy Band And That Is Why We Smile a Lot. “

DISC REVIEW “LIVING THE DREAM”

凛々しきハードロックとプログの幻想が交差する、プロト-メタルの “桃源郷” URIAH HEEP。
波瀾万丈、紆余曲折を潜り抜け、半世紀の年輪を刻んだ今も未来への雄渾なる熱情を宿し続ける不死鳥は、ただ純粋にロックへの殉教に焦がれます。
悪魔の叫び David Byron、ハモンドの魔術師 Ken Hensley、そして Mr. ブルーノート Mick Box。三者三様の個性で織り上げるエピカルでシアトリカルなバンド初期のレガシーは、ヒストリーオブロックの一ページ、秘伝の黄金律として今も色褪せることはありません。
実際、Mick の野性味溢れるハードドライブと、Ken の翳りを帯びたプログレッシブなミステリーは David の艶やかな表現芸術を携えてこの上ないカタルシスを創出し、至高の “夢幻劇” は静の “July Morning” から動の “Easy Livin'” まで “対自核” のダイナミズムを深くその舞台に刻んだのです。
そしてもちろん、彼らの分厚くゴージャスなボーカルハーモニーは、しばしば比較を受ける DEEP PURPLE には存在しないものでしたね。
ただし、バンドのマスターマインド Mick Box は、その両翼を徐々に欠いた後も偉大なスピリットを穢すことは決してありませんでした。
アメリカの空を仰ぎ始めた John Lawton との冒険においても “Sympathy” では “哀れみの涙” をしめやかに流し、Peter Goalby を迎えたNWOBHM とのシンクロ二ティーでもそのキャッチーな魅力は些かも陰ることなく、そして何より Bernie Shaw との現行ラインナップが “Sea of Light” で見せたロマンチシズムは、バンド本来の魅力を存分に主張する新たなる決意の欠片だったのですから。
そして Mick は 長年バンドに貢献を続けた Lee Kerslake を健康問題で、Trevor Bolder に至っては逝去という悲しい理由で欠きながらも遂に更なるマイルストーンを築き上げました。
「まさに僕たちはロックに宿る夢を実現しているよね。そしてそれ故にアルバムタイトルになったんだ。」と語るように最新作 “Living the Dream” は、自らが辿った栄光と自由の軌跡。
オープナー “Grazed by Heaven” を聴けばリスナーは、来年結成50周年を迎えるバンドがこれほどまでにフレッシュでエネルギッシュな音楽を奏でることに驚愕を憶えるはずです。
Phil Lanzon が過去のレガシーを礼賛するハモンドの魔法を奏でれば、浮かび上がるはバンドの心臓、Mick の荒々しくも硬質なリフアタック。そうしてダイナモ Russell Gilbrook の卓越したパワーとテクニックは、Bernie を中心とする壮麗なる5ウェイハーモニーをも誘ってロックとプログの濃密なる交差点を作り上げていくのです。
一方で、クリアー&パーフェクトなプロダクションの妙は、今を生きるバンドの挑戦的でコンテンポラリーな姿をも浮き彫りにしていますね。
言ってみれば “Living the Dream” こそがブリティッシュハードの桃源郷なのかも知れません。タイトルトラックの QUEENにも匹敵する重層のコーラス、ZEP のフォークが花開く “Waters Flowin'”、 GENESIS への敬意を表明した “It’s All Been Said”、想像力を掻き立てる8分のプログエピック “Rocks in the Road” にメランコリックで壮大な “Dreams of Yesteryear”。枚挙に暇がありません。
そうして、キャッチーでフックに満ちた英国のバスストップにおいて、”Falling Under Your Spell” は特別な一曲となりました。
70年代から数えても、バンドにとって屈指のキラーチューン。もちろん、”Easy Livin'” を想起させるビッグなコーラス、ターボを積みこんだシャッフルビートに荒れ狂うオルガンサウンドはある意味ヴィンテージな “幻想への回帰” にも思えます。
しかし、「バンドのキャラクターを保つことはもちろん、同時に新鮮味を持ち込むことも重要だったんだ。」と語るように、サウンドのトータルバランスは群を抜いてモダンでダイナミック、不思議な程にフレッシュで現在を写す煌きのポートレートに思えるのです。テンポチェンジ、転調に静と動のコントラスト。アルバムを通してそうしたフックと緩急は常に新たな驚きと喜びをリスナーへと届けます。
きっとそれは巧みの熟練、そして “情熱” の成せる技なのかもしれませんね。常に音楽シーンの変化に目を光らせているという Mick の言葉は真実です。そして “悪魔と魔法使い” が出会う25回目の “魔の饗宴” は、新たなファンという更なる “罪なきいけにえ” を一層増やすに違いありません。
今回弊誌では、レジェンド Mick Box にインタビューを行うことが出来ました。「いつも言っているんだけど、よく働くバンドはハッピーなバンドだと思うんだ。僕たちもそうだし、だからこそたくさん笑えるんだよ。」どうぞ!!

URIAH HEEP “LIVING THE DREAM” : 10/10

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