NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【PENSEES NOCTURNES : DOUCE FANGE】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH LEON HARCORE A.K.A. VAEROHN OF PENSEES NOCTURNES !!

“Pensees Nocturnes Is Drinking a Glass Of Champagne On The Edge Of The Abyss, Where Everything Is Falling.”

DISC REVIEW “DOUCE FANGE”

「僕は音楽を優先し、バンドをケースバイケースで判断し、なるべくカタログ化しないようにしているからね。インターネットの発達により、国籍という概念は音楽においてもはや意味を持たなくなったと思う。だから、たとえフランスに強力なブラックメタル・シーンがあるように見えても、フランス人であることに特に誇りを持つことはないんだ」
メタルヘッズがブラックメタルを想像するとき、ノルウェーのフィヨルドや教会を思い浮かべるのか一般的でしょう。しかし、”実験好き” な人たちはその限りではありません。PLEBEIAN GRANDSTAND, DEATHSPELL OMEGA, BLUT AUS NORD, CREATURE, そして IGORRR。バゲットとエスカルゴとエッフェル塔の国は、確実に今、そのトリコロールに血と知の漆黒を加えつつあります。
それでも、PENSEES NOCTURNES の首謀者 Leon Harcore A.K.A Vaerohn は、音楽に国籍はないと嘯きます。レッテルを剥がす、固定観念を疑う、欺瞞の美を笑う。それこそが彼らの目的なのですから。ある意味、そのニヒリズムとシニシズムこそ、フランスらしいと言えなくもないでしょうが。とにかく、この夜想と不安の申し子は、圧倒的なブラックメタルの核を、オーケストレーション、ジャズ、フォーク、エキセントリックな装飾、そして皮肉にもセーヌの滸やルネサンス、それにアール・ヌーヴォーでコーティングした裏切りの饗宴を催しています。
「なぜ好きな楽器を使えるのに、3つや4つに楽器を限定してしまうんだい?PENSEES NOCTURNES はライブと違ってスタジオでは常にワンマンバンドとして活動しているから、好きなものを何でも試すことができるのさ」
常識を疑い、当たり前をせせら笑う PENSEES NOCTURNES にとって、”ノン・メタル” な楽器の使用はある意味至極当然。ヴァイオリン、フルート、クラリネット、アコーディオン、トランペット、トロンボーン、サックス、ディジュリドゥ、ティンパニー、コントラバス、ハーモニカなど雑多なオーケストラと通常のメタル・サウンドが混在するインストゥルメントの狂気は、あのシルク・ド・ソレイユさえも凌駕します。ただし、Leon のサーカスは安全と死の狭間を良く知っていて、様々な要素をバランスよく取り入れながら、地獄の綱渡りを渡り切って見せるのです。
「PENSEES NOCTURNES は明らかに唯物論的な音楽であり、今ここで聴くべき音楽だ。憂鬱でもなく、無邪気な喜びでもなく、美しくもなく、酷くもなく、現実的で悲劇的な人生のビジョンだから。むしろ、僕たちの存在に対するニヒリズムと笑いのシニシズム (慣習の否定。冷笑主義)なんだよ」
フランスを笑う狂気のブラックメタル・サーカス “Douce Fange” は人間大砲の音で開演し、”Veins Tâter d’mon Carrousel” ですぐさま狂騒曲の舞台を設定します。芝居がかった叫び声は同じフランスの IGORRR を想起させ、刻々と変化する音の曲芸は無限にアクロバティック。ブラスセクションで始まる “Quel Sale Bourreau” は、DIABLO SWING ORCHESTRA にも似て、曲芸師のように様々な演目を披露。IMPERIAL TRIUMPHANT 的なブラックメタルのカオスとオペラが戦う様は、まさにニューヨークとフランスの決闘。そうして次々に、無慈悲なピエロたちはジャンルの境界線を歪めながらメタル化したワルツを踊り、笑い笑われながら即物的な享楽を与え、漆黒のアトラクションを血と知に染めあげていきます。
「キリスト教が現世の死である以上、ブラックメタルは生でなければならない。つまり、ブラックメタルは物質主義的な快楽であるべきで、それ以上の何かを望むことなく、今あるわずかな人生を楽しむことだ。 神秘的、超越的な側面も、サタンも、神も、どんな信念もない。 ただ、現実が、可能性と限界を伴ってあるがままにある。 その観点からすると、PENSEES NOCTURNES は他のどのバンドよりもブラックメタルなんだ」
Leon にとって、ブラックメタルの反語はキリスト教。天国に行くという目的のために、現世における享楽を放棄して、真面目に粛々と生を全うするその教義は彼にとって全くのナンセンス。美しいとされる “人生を楽しまない” 生き方に Leon は疑いの目を向け、快楽と狂気と反骨の三色に染まったトリコロールの旗を振ります。ブラックメタルこそが生。重要なのは、一見、ふしだらで退廃的で危険で強欲にも思えるこのサーカスには、実のところ何の強制力もありません。
今回弊誌では、Leon Harcore A.K.A. Vaerohn にインタビューを行うことができました。「PENSEES NOCTURNES は、すべてが落ちていく深淵の縁でシャンパンを飲んでいる」名言ですね!タイトルはもちろん、シャルル・トレネの “優しいフランス” のオマージュで  “汚れたフランス”。どうぞ!!

PENSEES NOCTURNES “DOUCE FANGE” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【DYMBUR : CHILD ABUSE / RAPE CULTURE】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH DYMBUR !!

“We Cannot Expect To Change The World. We Are Just a Small Band From a Remote Corner Of The World So If Our Music Can Touch Just a Few Hearts And Bring About Just a Small Change Then We Would Consider Our Duties Fulfilled.”

CHILD ABUSE, RAPE CULTURE

「バンド名の DYMBUR はカシ語源で、英語では “Fig Tree” “イチジクの木” と訳される。カシ族は、インド北東部のメーガーラヤ州に住む先住民族なんだ。イチジクの木とは、古い枝から新しい葉が新しい形を形成する事、乾燥した期間の後に再生し新たに成長する能力から、再生、進歩、闘争の後の勝利への進化を象徴しているんだよ」
インド北東部の高地シロンを拠点とする DYMBUR。雨と雲に愛され、神の庭とも称される熱帯雨林を守るカシ族の申し子は、この10年でそのバンド名イチジクの木のように再生、進歩、そして勝利を手にしてきました。そもそもは、Djent とプログレッシブ・メタルに専念するバンドとして、国内のメタル・シーンで存在感を示していた彼ら。しかし、2020年になり、バンドは自分たちの音楽スタイルを一歩進めることを決め、その場所にカシ族の伝統音楽を融合させるようになったのです。
「僕たちは Djent/Metal とカシ族の伝統楽器を融合させ、独自のサウンドを作り上げることを決意し、ジャンルに “THRAAT” という言葉を加え、”Khasi Thraat Indian Folk Metal” と名づけることになった。例えば、デュイタラ(カシの小型ギター)は、8弦ギターと調和するように改造しなければならない。伝統的なデュイタラには4本の弦が張られているけど、僕たちは6本の弦に変更し、ナイロン弦を使うようにした」
今では、”Khasi Thraat Folk Metal” というアイデンティティで活動している DYMBUR。”Thraat” という新鮮な言葉は、長い年月をかけて、伝えるべきメッセージによってさまざまな形をとりながら熟成されてきました。”3連符の連鎖からの突然の停止”。DYMBUR 特有の音やグルーヴを見事に表現するその語感は、Djent における Thall と近い部分もあるのかもしれません。とにかく、今インドで “Thraat” とタグ付けすれば、それは即ち DYMBUR のこと。”Thraat” の最新形は、イントロにシンセウェーブのフィーリングを加えつつ、民族楽器のデュイタラやボムと融合させ、よりアグレッシブにラップまでをも取り入れています。LINKIN PARK や NU-METAL に対する憧憬を込めながら。
「インドではレイプが “文化” に変わり、人々は被害者に対して何の反省も同情もなく、日常生活を送ってしまっているんだ。場合によっては、被害者さえも、レイプされたのは自分のせいだと思い込んでしまうほど。だからどうしても、DYMBUR はこの曲を書き、制作しなければならなかったんだ」
2019年にリリースしたアルバム “The Legend of Thraat” に続き、2021年11月に社会派の新曲 “Rape Culture” を携え帰ってきた DYMBUR。彼らにとって “Rape Culture” とは、犯罪を矮小化したり常態化したりする行為が当たり前となっているインド社会を、少しでも変えたいという気持ちの現れでした。あまりにも犯罪が多すぎて、犯罪が “文化” となってしまう現実。DYMBUR はその “不都合な免疫” をメタルで洗い流そうとしているのです。
「僕たちは、変化をもたらすために少しでも努力しているだけなんだよ。インドにおける児童虐待は深刻だ。この曲の歌詞には、正確な事実が書かれている。1,000万人の子どもたちが児童労働に従事していて、毎日100人以上の子どもたちが何らかの形で虐待を受けている」
“Rape Culture” のリリース直後から、DYMBUR はインドの社会問題をさらに掘り下げ、”Child Abuse” を完成させます。児童労働、児童婚、児童虐待が蔓延するインドにおいても、特に彼らの出身地シロンは、炭鉱における限界を超えた劣悪な児童労働というデリケートなテーマに直面しています。
必要なのは、きっと国内以上に海外からの反響でしょう。もし BLOODYWOOD のようにこの曲が世界から大きな注目を集めることができれば、きっと世界は黙ってはいないでしょうから。さらに、社会に変化をもたらしたいという願望にとどまらず、DYMBUR はシロンを拠点とする非営利団体 SPARK のため資金集めも行っています。この団体は、社会から疎外された人々、特に女性や子どもたちの権利向上と福祉に力を注いでいます。
今回弊誌では、DYMBUR にインタビューを行うことができました。「僕たちは世界を変えようとは思っていない。僕たちは世界の片隅に住む小さなバンドに過ぎないから。でもだからこそ、僕たちの音楽がほんの少しでも人の心に触れ、ほんの少しの変化をもたらすことができれば、僕たちの任務は果たされたと考えられるんだ」 どうぞ!!

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【FELLOWSHIP : THE SABERLIGHT CHRONICLES】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH FELLOWSHIP !!

“Power Metal Can Do So Much To Lift Peoples’ Spirits And Really Motivate Them. It’s Fast, High energy, And It Allows Us To Talk About Themes Like Courage And Ambition, So It Was Really The Best Genre For Us To Effect The Change That We Wanted.”

DISC REVIEW “THE SABERLIGHT CHRONICLES”

「僕たちにとってパワーメタルは、人々の気分を高揚させ、やる気を起こさせるのにとても有効な音楽なんだ。スピード感があって、エネルギーがあり、勇気や野心といったテーマも語れるから、世界に僕たちが望む変化を起こすには最適なジャンルだったんだよ」
皆さんはメタルに何を求めるでしょうか?驚速のカタルシス、重さの極限、麻薬のようなメロディー、華麗なテクニック、ファンタジックなストーリー…きっとそれは百人百様、十人十色、リスナーの数だけ理想のメタルが存在するに違いありません。
ただし、パンデミック、戦争、分断といった暗い20年代の始まりに、これまで以上にヘヴィ・メタルの “偉大な逃避場所” としての役割が注目され、必要とされているのはたしかです。MUSE を筆頭に、メタルへのリスペクトを口にする他ジャンルのアーティストも増えてきました。暗い現実から目をそらし、束の間のメタル・ファンタジーに没頭する。そうしてほんの一握りの勇気やモチベーションを得る。これだけ寛容で優しい “異世界” の音楽は、他に存在しないのですから。
「正直なところ、僕たちは自分たちが楽しめて、他の人たちが一番喜んでくれるような音楽を演奏しているだけなんだ。たしかに、パワーメタルには新しいサウンドを求める動きがあるんだけど、僕らの場合、曲作りは何よりもメロディが重要なんだ。結局、技術的なことって、ただミュージシャンとしての自分たちをプッシュしているだけの自己満足だからね」
特に、”逃避場所” として最適にも思えるファンタジックなパワーメタル。UK から彗星のごとく登場した FELLOWSHIP は1枚の EP と1枚のフルアルバムだけで、そのメタル世界の “モチベーター” としての地位を確固たるものとしました。彼らは、このジャンルをただ無鉄砲に覆すのではなく、過去のパワーメタルと現代のパワーメタル最良の面を融合させ、未曾有の寛容で親しみのあるポジティブな波動を生み出しているのです。
TWILIGHT FORCE ほどテクニカルではなく、DRAGONFORCE ほど容赦なく速いわけでもありませんが、それこそが FELLOWSHIP の真骨頂。その名の通り、かつての HELLOWEEN や GAMMA RAY が大事にしていた “親しみやすさ” をモダンで過剰なパワーメタルの文脈に組み込むことで、彼らは気さくさと過剰さのバランスを完璧に操縦しています。
近年のパワーメタルに顕著なシンフォニック、フォーキッシュ、ハイテクニックな要素は瑞々しく散りばめられながら、決して劇画的、映画的にはなりすぎないメタルの血統が逆に新鮮。華やかなメロディー、爽快なソロイズム、そして壮大なファンタジー。そうした底なしの喜びの泉、シンプルなメタルの原点こそ、この狂った時代に正気を保つための常備薬なのかもしれませんね。
「このアルバムの物語は、日常の心の葛藤を寓話として語る古典的なファンタジーなんだ。主人公は悪の帝国を撃退するために伝説の剣の試験を受けるんだけど、自分を疑ったときに剣が手から消えてしまう。そこからは、彼が自分を信じることの大切さを発見する物語として続いていき、最後のシーンが僕たちのアルバムのジャケットになっているんだよ」
ただし、FELLOWSHIP が驚くべき速度でシーンの旗手となったのは、その斬新なソングライティングだけが理由ではなく、異世界と現実をつなぐ歌詞の完成度も重要でした。
他のパワーメタル・バンドが “Eagle Fly Free” の青写真を延々と掘り続け、浅はかな幸福を追求するのに対し、”The Saberlight Chronicles” は何不自由のない異世界にありながら、疑いや自己否定といった人間の弱さにもしっかりと言及してリスナーの親近感を高めています。自分の勇気、価値、そして強さを、人間らしい本物の方法で疑い、そして最後には苦悩と勝利を通してこうした疑念を見事に払拭してみせます。逃避場所は逃避場所で、いつかは現実に戻らなければなりません。重要なのは自分を信じること。これは自己肯定感を授ける力のメタル。
「今回弊誌では、FELLOWSHIP にインタビューを行うことができました。実際、Matt は大学でアニメのサークルを運営していたし、Sam はアニメのテーマソングが大好きだから、僕らの曲の多くはアニメのオープニングに適しているかもしれないね。そうなれば本当、夢が叶ったって感じだね!特に、”王様ランキング” がいいな!あのアニメのテーマは、僕たちの音楽や歌詞にピッタリだからね!」アニメもそうですが、時折あの偉大な GALNERYUS を彷彿とさせる瞬間も。どうぞ!!

FELLOWSHIP “THE SABERLIGHT CHRONICLES” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【CRESTFALLEN DUSK : CRESTFALLEN DUSK】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH RYAN CLACKNER OF CRESTFALLEN DUSK !!

“It Is Worth Noting That Even When Bleak And Miserable, The Blues Does Tend To Be Life-Affirming Though The Opposite Tends To Hold True For Black Metal, Which Is a Very Powerful Contrast.”

DISC REVIEW “CRESTFALLEN DUSK”

「このアルバムのテーマは、アメリカや南部の神話的な記憶の中にある遠い場所を呼び起こし、ブラックメタルとブルースの正当なクロスオーバーが可能だと思われる場所で、歌詞的にも視覚的にも両者を融合させるというものだった」
モダンメタルを多様性と定義し、メタルに備わった寛容さを追い求めてきた弊誌。サブジャンルと文化の掛け算によるメタルの細分化、そしてその可能性はまさに無限大です。ただし中には、その可能性を逆手に取ったセルアウトの野心が見え隠れすることも事実。それでもなお、いくつかの新しいバンドは、夜の丘に立つ灯台のように、宇宙に瞬く一等星のように光り輝いています。
「ヴィンテージ・ギターも使って、いつものメタルらしいギターサウンドを排除して、古くて埃っぽいけどむせ返るような風景を想起させ、僕のアイデアがまだしっかり自立しているかどうかを確認しようとしたんだ。ブラックメタルとブルースの対比を際立たせ、ユーモアたっぷりにするため、ギター以外は基本的にすべて歪ませたんだよね」
ブラックメタルとブラック・ミュージックを融合させた魅力的な音楽といえば、おそらく多くのリスナーが ZEAL & ARDOR を想像するはずです。ただし、ZEAL & ARDOR a.k.a. Manuel Gagneux の場合は、ブラックメタルと、アメリカ南部を中心としながらも黒人の音楽全般という幅広いコンセプトが先にありました。
CRESTFALLEN DUSK の Ryan Clackner の場合は、そもそも大学でアメリカ南部の音楽と歴史を研究し、出発点がブルース、ジャズ、アメリカ南部の古いカントリー/フォーク音楽にあります。よって、このバンドではまずあの山と森と砂と埃と酒と音楽のアメリカ南部、ミシシッピの悪魔を召喚しつつ、その場所にブラックメタルの狂気を加えていくことにしたのです。
つまり Ryan の言葉を借りれば、「このアルバムは、他のブラックメタル・プロジェクトに広く見られるカントリーやフォークの影響から離れ、ジュニア・キンブローやR.L.バーンサイドのような巨人の影響を受けた強いヒルカントリー・ブルースでブラックメタルを再創造しようとする試み。全てのリズムギターは1958 Fender Musicmaster で録音されている」
つまり、もっと狭い場所の音楽をとことんまで深く追求してブラックメタルで煮詰めた地域密着、ど田舎のどニッチなブラックメタルと言えるのです。
「昔のブルース・アーティストたちは、ヒル・カントリーであろうと他の場所であろうと、基本的に抑圧されてもどんな場所でも自分たちの居場所を見つけることができた。そして、殺伐とした悲惨な状況にあっても、命を肯定する傾向があったことは注目に値するよ。これはブラックメタルとは真逆の傾向で、それが非常に強力なコントラストになる」
興味深いのは、同じ悪魔の音楽でありながら、Ryan にとってブルースとブラックメタルは真逆のものであるところ。ど田舎の寂寞、奴隷としての抑圧、惨めな貧困をかかえながら、ヒル・カントリーのブルースマンたちは、決して絶望にとらわれることはありませんでした。むしろ、どんな悲惨な状況にあっても、彼らは生に執着して命の音楽を奏でました。
一方で、ブラックメタルは同様に社会から抑圧され、孤立した人たちの集まりだったかもしれませんが、時には自らの命を断ち、時には他人を殺め、さらには教会を燃やしてその鬱屈を刹那に晴らしたと言えるのかもしれません。そんな “生” に対する真逆の考え方、執着と刹那のコントラストが見事に “Crestfallen Dusk” の世界には描かれているのです。つまり、この再創造は、ヒルカントリーのブルースをブラックメタルの “言語” に翻訳したものなのです。
ローファイで乾いた南部の景色に、ブラストビートが機械兵器のように突き刺さる様は、さながら南北戦争のダンスホールに集結したサタンのお祭り騒ぎのようでもあり、山と砂漠、鬱蒼とした森を照らす大きな月の下に潜むホンキートンクな悪魔の踊りのようでもあり。ヴィンテージ・ギターの息吹に黒々としたメタルがしばしば散乱し、爪を立て、ベースが雪崩のように鳴り響き、ドラムは砂嵐の暴力で命の雫に絶望感を叩きつけていきます。ブラックメタルであることは間違いないのですが、それにしても、今までのものとは全く違う、まさに悪魔の契約。
今回弊誌では、Ryan Clackner にインタビューを行うことができました。「アラバマ出身の大学時代の友人を通じて、ヒルカントリーのブルース・ミュージックに目覚めたんだ。まだ完全には解明されていないけど、ヒルカントリーは僕の人生を変えたんだ」 どうぞ!!

CRESTFALLEN DUSK “CRESTFALLEN DUSK” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【A-Z : A-Z】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH MARK ZONDER OF A-Z !!

“The Main Focus Was Songs And Big Catchy Choruses. Nothing Better Than a Catchy Sing-Along Chorus.”

DISC REVIEW “A-Z”

「大衆にアピールしつつ、自分たちらしさも忘れない。それが当初からの目標。主な焦点は歌とキャッチーなコーラスだった。 そういうことをするバンドは、たいてい世界で一番大きなバンドだ。でも、このバンドで演奏しているメンバーなら、同時に素晴らしい音楽性が光るし、プログの人たちにもアピールできると思ったんだ。キャッチーなシンガロング・コーラスほど素晴らしいものはないからね」
FATES WARNING, WARLORD のドラマーとして名を馳せた Mark Zonder が2020年初頭に新バンドの計画を立てた時、彼は非常に明確なビジョンを持っていました。それは、ビールのコマーシャルや車のコマーシャルで使えそうな音楽。ただし、なにもポップスやヘアメタルが作りたかったわけではありません。これまでのキャリアを活かした洗練された音楽パートを保ちつつ、ハーモニーやメロディー、ビッグなフックを最優先に取り組むことにしたのです。なぜなら、それこそが 「リスナーの大多数が求めるものだから」。
洗練された知性とコマーシャルな大衆性の両翼をどちらも羽ばたかせるために選んだメンバーは極上でした。Steve Vai/ RING OF FIRE のベーシスト Philip Bynoe、ARABESQUE などで知られるギタリスト Joop Wolters、先ごろ美しきリーダー作を発表したキーボーディスト Vivien Lalu。そして最後のピースとなる “歌” を Mark が探した時、そこに降臨したのはかつて FATES WARNING で苦楽を共にした名シンガー Ray Alder だったのです。
「彼がコマーシャルな音楽に夢中になっていることは以前から知っていたし、何より彼はこの種の音楽を理解して、いつもとてもコマーシャルなポケットの中のグルーヴで歌ってくれると思っていたんだ」
A-Z というバンド名は Alder Through Zonder の意味。そこにはもちろん、悠久の時を超えたリユニオンの浪漫も込められていますが、それ以上に名前でバンドの音楽を限定してリスナーの数を決めてしまいたくないという強い想いが存在します。例えば、ドラゴンや剣を題材にすればメタルのリスナーを、大自然や宇宙をテーマにすればプログのリスナーをある一定数は取り込めるでしょうが、彼らはリスクを犯してでもそんな狭い檻を飛び出したいのです。
「個人的にはこういう大衆受けするヒット曲の音楽の方がずっと好きだったんだ。”Perfect Symmetry” の “Through Different Eyes” で、FATES WARNING の商業的な分野での発展が見られるとあの時思ったんだよな。あのドラムのパートは、誰もがついていけるような素晴らしいグルーヴとフィーリングを作り上げているよ」
とはいえ、これが FATES WARNING という運命的な夢の続きであることも事実。以前 Daymare Recordings からの再発盤のライナーにも記したとおり、FATES WARNING はある種カメレオン的な性格を有していて、時と場所を選びながら様々な方向に振れていったのですが、ビルボード20位という結果が示すとおり “Parallels” は最も異質で最もコマーシャルな作品でした。疑いようもなく、QUEENSRYCHE の大成功にも影響を受けていたでしょう。
コンパクトで洗練されていて知的でメロディアス。以降、Mark はアーティスティックな方向に進む FATES WARNING にある種の違和感を抱いていたのでしょう。つまり A-Z は “もし FATES WARNING が商業的な成功を追いかけていたら?” という If の世界を具現化したスーパーグループでもあるのです。
興味深いことに、ここでの Ray Alder は FATES で見せるハイパーな歌唱を捨てて、Harry Hess のようなハーモニー、メロディー、声質のアプローチを選択しています。加えて、名手たちのツボを押さえたテクニカルな演奏、洗練された作曲術によって、開幕から HAREM SCAREM や MILLENIUM を想起させるプログレッシブ・ハードの目眩く世界が展開されていきます。ただし、そこだけに終わらないのがこのバンドの恐ろしいところで、Vai 時代の ALCATRAZZ, TOTO, 80年代の YES に RUSH といったジャンルを超越したまさにロックの A-Z な色彩の妙がアルバムを通して展開されていくのです。
どの楽曲にも、オッ!と感じる旋律やウッ!と拳を握りしめるフックが必ず内臓されているのがミソ。結局、複雑極まる音楽でも単純明快な音楽でも、メロディーが死んでしまっては意味がありません。そうして英雄たちの邂逅は、FATES WARNING 夢の続きを確信させる3連打で幕を閉じるのです。
今回弊誌では、Mark Zonder にインタビューを行うことができました。「DREAM THEATER は “Pull me Under” が MTV でとてもプッシュされたからね。その後メジャーレーベルの助けも借りて成功を収めたんだ。もちろん、彼らは自分たちのやり方を貫き、とても努力した。 だけど同時に、ビデオ再生やメジャーレーベルの力、リソースも非常に役立ったのはたしかだよ」どうぞ!!

A-Z “A-Z” : 10/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【SLAUGHTER TO PREVAIL : 1984】


COVER STORY : SLAUGHTER TO PREVAIL “1984”

“If You Say You Are Against The War, If You Do Something Like You’re Protesting, And All This Shit, You Can Probably Go To Jail.”

1984

世界で最も危険なデスコアバンドのひとつ、SLAUGHTER TO PREVAIL。彼らが昨年発表したミュージック・ビデオには、バズーカ砲の発射、戦車での巡航、命がけのロシアンルーレット、フロントマン Alex Terrible が熊と格闘するなど、母国ロシアのステレオタイプを大々的に取り入れた姿が映し出されていました。
メタルヘッズにとっては、この仮面をかぶったバンドの大げさな MV は、古き良きデスコアの過激さとバカバカしさを限界まで引き出したものに過ぎませんが、ロシア政府の目に彼らは脅威の悪魔崇拝者集団と映り、彼らの母国公演は、暴力と悪魔賛美のプロパガンダであるという理由で頻繁に警察によって閉鎖されました。
Alex Terrible は現在、フロリダ州オーランドに移住し、デスコアが最も盛んななアメリカに住むことを計画中。2021年のアルバム “Kostolom” 以来の新曲 “1984” は、ハリウッド映画のような空想上の暴力から、ウクライナでの流血を止めろ!というロシアへの鋭い政治的批判に向かってそのテーマを大きく転換した破砕的なシングル。この紛争は Terrible にとっての優先順位を完全に方向転換させ、バンドの今後の創造性にも鋭く影響を与えました。
今年2月にロシアがウクライナに侵攻し、現在も続く流血の紛争が始まったことで、ロシアにも、多くの変化がありましたが、ロシアの侵略が始まってすぐに、Alex Terrible はソーシャルメディア上でこの戦争に対し声高に反対の声をあげました。
「俺たちは残忍な音楽を演奏しビデオには武器も出る。だけどどんな戦争にも反対だ。ウクライナで起こっていることにとても傷ついている。どうかロシア国民全体を共犯者だと思わないで欲しい。皆の頭上に美しい、平和な空が広がりますように」
先日、同じロシア出身のプログ・チェンバー・デュオ、IAMTHEMORNING の Gleb と会話をした際、彼は今のロシア、そしてその国民を “ゾンビ” と呼びましたが、全員が全員 “噛み付かれて” ゾンビになっているわけではありません。ロシアが突き進む全体主義、差別主義、帝国主義に疑問を呈するアーティストやスポーツ選手、資産家が少なからず声を上げています。逮捕や暗殺の危険もかえりみず。
我々個人にできることは決して多くはないでしょう。しかし、まず恐ろしい戦争が今も続いていることを忘れないこと。戦争や弾圧、人の死に慣れないこと。そしてロシアとロシア人すべてを憎み切り捨ててしまわないこと。ロシアの全てを完全否定してしまうことは、そうした “自浄作用” の芽までも潰してしまいかねない危険な行為かもしれませんし、そもそもロシアがやっていることと何ら変わりがありません。
SLAUGHTER TO PREVAIL は昨日、戦争を止めるための第二の矢を放ちました。彼らが最も得意な方法で戦争と流血、そして全体主義について強く発言することを決めたのです。”1984″というタイトルの、強烈なエクストリーム・メタルによって。


1984

もし、あの場所で起きていることがすべて自分のことだったら?
あの涙が自分の家でも流れたとしたら?
お前はあんなクソを白い壁に塗りたくれるか?
自分の家で家族と一緒に
良心は死に絶えた!
行進する軍隊が見える
痛みが走る…だがそこにいる友にはもはや顔も運命もない
死と痛みが群衆の後ろに続く
一体何なんだ?何が起きている?
暴力を止めろ
地球上の流血を止めるんだ
怖がる子供たちの目を見て自分を取り戻せ
暴力を止めろ
地球上の流血を止めるんだ
なあ、兄弟たち
怒りは記憶の中で生き続ける! 怒りは生き続け、そしてはびこってしまうんだ!
罪のないふりをする
見ないふりをする
自分の戦争ではないふりをする
戦争反対のふりをする…そうじゃねえだろ?
ヤツらの目は呪われている
ヤツらの信仰は磔にされている
戦争によって!
ヤツらの舌は石だ
ヤツらの舌は死んでいる
戦争によって!
あのクソ野郎はいつかお前の背中にもナイフを突き刺すだろう

“どうか暴力を止めてくれ、地球上の流血を止めてくれ” という心からの率直な呼びかけを続けながらも、ジョージ・オーウェルの名作小説 “1984” を背景として “抗議” に奥行きを持たせているところはさすがとしか言いようがありません。オーウェルが1949年に執筆した、全体主義国家によって分割統治される近未来の恐怖。70年以上も前の空想が今、リアリティーを持って襲い来るなどと誰が想像したでしょうか。そうして彼らは戦争のみならず、政府による監視、検閲、権威主義の暴走に対しても抗議の声をあげているのです。”1984″ の仮のタイトルが “ヨーロッパ最後の人間” だったというのも、今となっては皮肉な話。オーウェルの言葉を置いておきましょう。
「この小説は社会主義に対する攻撃ではなく、倒錯を暴露することを意図したもの。小説の舞台はイギリスに置かれているが、これは英語を話す民族が生来的に他より優れているわけではないこと、全体主義はもし戦わなければどこにおいても勝利しうることを強調するためだった」
これほど直線的に暴力の嵐を叩きつけてくるバンドが、悪魔の顔を被ったバンドが、実は誰よりも平和を願っている。彼らの存在だけで、仮面の裏の素顔をしっかりと見極めることがいかに重要か伝わります。オーウェルと握手をかわし、ロシアの純血主義のため自分のアートを捨て去ることを拒否し、600ポンドの熊と戦い、顔の傷跡の凄みを明かし、デスコアに飽きたと宣言する。SLAUGHTER TO PREVAIL の野望と狂気と真実と未来はすでに約束されているのかもしれません。まずは、ロシアを離れた理由から話してもらいましょう。

「ロシアのメタル・シーンはアメリカに比べてそれほど大きくないからだ。でも、俺は自分の国が好きなんだ。家族も友達もまだそこにいるからね。俺はロシアで育った。自分の国のことは何でも知っている。ロシアにいる方がずっと楽なんだ。でも、戦争が始まると、ビジネスのコネクションなど、すべてを失ってしまう…制裁で何もできない。そこで、アメリカに移り住むことを即決し、ビジネスもアメリカに移したのさ」
Terrible が手がけているビジネスとは何なのでしょう?
「自分の商品、マスク、その他もろもろを売っているんだ。うまくいってるからビジネスみたいなもんだ。たくさん売れて儲かってるんぜ。俺のバンドにとってもいい金だ。PayPal はロシアと手を切った。Visa と MasterCard も閉鎖した。ロシアから他の国への送金ができないんだ。今は難しい。移住にはヨーロッパの国々や、おそらくメキシコ、アメリカなど、いくつかの選択肢があったな。でも、一番いいのはアメリカだと思った」
戦争によって物理的な危険もあったのでしょうか、それとも制裁によって去ることになったのでしょうか?
「それはちょっと危険な話だ…。戦争に反対だと言って、抗議するようなことをすれば、おそらく刑務所に入るか、3万ルーブル(約500ドル)か5万ルーブル(約800ドル)の切符を切られるかもしれないんだ。それほど高くはないが、それでもとんでもないことだよ。戦争に反対しているだけで、政府からただ “オマエには問題がある。黙れ。黙ってろ” と言われるのさ。特に音楽をやっていて、戦争に反対していたら、おそらく政府はショーを行わせないだろうし、シャットダウンする…… 俺は芸術のためなら何でもする。そうだよ、俺たちは少し問題を起こした。政府は俺たちが悪魔崇拝者だと考えている」
具体的に何があったのでしょう?
「暴力、暴力のプロパガンダ、悪魔崇拝、その他もろもろの理由で、俺らのショーはキャンセルされたんだ。俺や他のバンドにとって、それは非常に危険なことだ。ロシアでは何もしなくても刑務所に入れられるからな。ロシアは今、政府がかなり強くて、すべてをコントロールしているんだ。ヤツらが気に入らなければ、簡単に刑務所に入れられるんだよ」
Terrible はロシアで刑務所に入れられたことがあるのでしょうか?
「俺はないよ。ありがたいことにね。でも、俺の友人には、何もしていないのに刑務所に入れられた人がたくさんいる。ロシアではよく言われる言葉がある。”刑務所に行くかもしれないから、準備しておけ”。今はまさにそんな感じさ」
ライブが政府によってキャンセルされるときは、軍が踏み込むのでしょうか?
「警察が来て、”貴様らは演奏はできない”と言われるだけ。音楽も何もかも消されるんだ。あるいは、その前にショーを主催している人たちに電話して、ヤツらは演奏はできないと言うんだ。問題を起こしたくなければ、キャンセルしろとね」

新曲 “1984” は、かなり政治的に踏み込んだ内容です。
「俺はこれまで政治的なことには無頓着だった。でもな、歳をとると、自分の国で起こっていることをしっかり見なければならないことに気づくんだよ。そこで生きているんだから。政治的でなければならないんだ。この状況について歌ったこの曲。とても感情的だ。俺はとても感情的な男なんだ。だって音楽をやっているんだから。すべてのアーティストが感情的だと思う。それだけ、この状況は本当に心にキタんだよな…自分の仲間が他の国、つまりウクライナに行って、お互いに殺し合っているんだから。たしかに、今のような状況になる前にも、誰もがそのような話をしていた。ロシアがウクライナに侵攻するってね。でも俺はそんなことは信じていなかった。冗談のように思っていた。一体どうなっているんだ?何を言っているんだ?だけど、実際に起こった」
驚きましたか?
「気が狂いそうだったよ。”1984″ という本の中で言われていた、嘘は真実であり、暴力は愛であるといった状況が、ロシア政府にもはっきりと見て取れるからね。実に愚かで強力なプロパガンダが行われ、戦争に反対する人たちを刑務所に入れるという政府の本当に愚かな行動がね。刑務所ではなく、国自体がもう牢屋よ。切符を切られるんだからな。”そんなことはやめなさい。あなたは間違っている” もうね、イかれてるよ」
ロシア政府に従うという選択肢も存在したはずです。
「この曲では “暴力はやめろ” と歌ってる。”なぜこんなことをする?” 間違ってると思うからさ。俺は多くのことを知らないよ。でも俺はクソじゃない…俺は政治家ではないし、ドンバスの紛争もよく知らないし、こんなクソみたいな戦争の理由も知らない。でも、無学な俺にとって、今起きていることは好ましくないんだ。だって人が死んでいるんだから。民間人が苦しんでいる。マリウポルは破壊された。街全体が破壊されている。俺は無学だが、他人の立場に立って考えることはできる。例えば、マリウポリに住んでいて、こんなことが起こったと想像してみるんだ。家族を失い、家も失い、そしてこのような事態になる。ロシア政府を憎むだろう。ロシアが憎くてたまらなくなる。俺はただ… 何て言えばいいんだろう…本当に感情的な人間なんだ。ロシアでは、心の中ですべての人が戦争に反対していると思うよ」
あなたように政治的な問題に言及するロシア人が増えることで、今後、ウクライナにおける殺戮が沈静化することはあるのでしょうか?
「そう願うよ。誰もが、ただ黙っていることはできないからね。なぜなら、ロシア人はロシアに住んでいて、家族もロシアにに住んでいるから。自分の子どもたちも、この国で生きていく。今は俺に起きていることだけど、明日は自分子供や親に起きることなんだ。俺たちはこんなこと望んでいないよ。ロシア人にできる最も小さなことは、ただ何かを言うことだ。そして俺は幸運にも、自分のバンドや音楽を通して、何かを言うためのツールを持っている」

“1984” とそのミュージック・ビデオは、ロシア以外の国で録音されたのですよね?
「いや、もしロシアにいたとしても、俺はこのビデオを公開しただろう。このクソが始まったとき、戦争が始まったとき、俺はいつも自分のインスタで “政府なんてクソだ。戦争なんてクソだ。俺はアイツらなんて怖くねーから” と言ってきた。親には “気をつけなさい。黙っていてくれ” と言われたけどな。ダチはそうしてる。でも俺は嫌だな。俺は言いたいことは何でも言う」
あの曲をロシアで作ったことが政府に知れたら、どれだけの問題になるのでしょう?
「わからない。たぶん、誰かが俺らに興味を持って、敵対するようなことがあれば、トラブルになる可能性はあるけど、それはわからない。わからないけど…でも、常にリスクはあるよ。もし俺がロシアに戻り、そこに留まり、今のような言動を続けたなら、おそらく問題になるだろう…。たぶん、切符を切られ、2枚目の切符を切られ、そして刑務所に行くことになるのだろう」
ネット上では、”デスコアバンドで、暴力的なイメージの音楽を作っているのに、反戦だと言っている偽善者” と揶揄されることもあります。
「彼らは愚かだ。俺は感情的な人間なんだ。戦いは好きだし、武器やライフルも好きだけど、戦争が好きなわけではないんだよ。人々が苦しむのを見たいわけがない。人殺しが好きとか、そういうことじゃないんだ。奴らはただのバカだ。まあ、多くの人はバカだ。それはそれでいい。俺はそれを無視してるんだ。だって、デスコアってのは、蝶々や愛について歌うんじゃなくて、攻撃的な音楽なんだから。でも、いざ戦争になったら、何か言わなきゃいけないと思うし、俺は自分の歌で自分の思いを歌うんだ」
ロシアのおとぎ話をテーマとした “Baba Yaga” のビデオも強烈でした。
「戦車、バズーカ、熊など、かなりロシア的なテーマだったよね。ロシア的なものを1つのビデオにまとめただけというか。Baba Yaga は、小さな子供を怖がらせて食べようとするとても醜い女性の物語。ロシアではとても一般的なおとぎ話だよ。俺たちは、それをとてもシリアスで、とてもアグレッシブなものにしようとしただけなんだ。ロシアで戦車を走らせ、毎日熊と格闘しているわけではないよ。あれはただのアートだから。まず第一に、見ていて楽しい。第二に… 俺は武器や戦いが好きだ。だが常に一線を画している。それを理解する必要があるんだよ。大人の男なら分かるはずだ。一線は必ずある。多くの人がこう言う。なぜ戦車やバズーカのことを歌うのに戦争には反対なのか?その通りだよ。ただ、俺にはバカバカしいとしか思えない。一線を越えるか越えないかだよ。俺は人間で、常に人間でいようと思っているだけだ。何が起ころうとも、俺はいつも物事を落ち着かせようとしているんだ。たくさん分析しようとする。俺は人が苦しむのが好きじゃない。動物の苦しみも好きじゃない。だから6年間ヴィーガンだったんだ…よくわからないけど。世界はもっと優しくなるべきだと思う」
実際に熊と戦ったんですよね?
「もちろん、訓練されたクマだけど。でも、まあ訓練されていようがいまいが関係ないよ。だってあれは本物の熊なんだから。クマの本性は野性的で、何を考えているかわからない。数秒のうちに、もしかしたら突発的に食べられてしまうかもしれない。銃がないから止められないし… 俺たちの周りは棒だけを持っていた。トレーナーやコーチが “やめろ”と言いながらバン バン。それでおしまい。え?マジで?棒で熊を止めるのか?みたいな。クマの体重は200キロか300キロくらい。トレーナーは “何も問題ない。このクマは何度も人間とやりあってる” と言ってたな」

実際に武器を持っているのでしょうか?
「ロシアでは AK をたくさん持っている。ショットガンのAK、ごく普通の AK-47、スナイパーのもの、VSS など。俺たちはヴィントレスと呼んでいます。ロシアでもかなり一般的なライフルだね。アメリカではもうAKとAR、それに狙撃銃も買ったよ。50BMGとか。俺は射撃がかなり好きなんだ。子供のころはずっと “カウンターストライク” をプレイしていたから、武器の見た目がとても好きなんだよな(笑)」
プロの格闘家としても活躍しているんですよね?
「プロフェッショナルではなく、あくまで趣味だよ。本当に好きなんだ。6歳の時に親に連れられて、プロレスのフリーコーナーみたいなところに行って、それから一度辞めた。17歳か18歳のとき、ジムに行ってリフトを始めて、ガリガリだったから筋肉をつけたんだ。ガリガリが嫌だったんだよ。特にロシアに住んでいると、かなりポピュラーなのがゴプニク。ゴプニクというのは、強盗とか喧嘩とか、そういう悪いヤンキーたちのこと。本当に痩せていると狙われて困るんだよね。いつも銃を持っているわけにもいかないし、ね」
格闘技もステージに役立っているようですね?
「そうだね。確かにね。特にデスコアのボーカリストならね。ステージでは、叫びながらヘッドバンキングして、同時に動くのは本当に大変なことなんだ。エネルギーを費やして、呼吸をして……。MMAと似ているよね」
その顔の傷は…格闘でできたのですか?
「ただの傷跡だよ。わざとやったんだ。自分で顔を切っただけだ。タトゥーや体の模様替えが 好きなだけだよ。女の子がメスを持っていて、それで切っただけ。痛みは苦手なんだけど、タトゥーやその他もろもろが好きなんだ」

SLAUGHTER TO PREVAIL の新作のサウンドはどうなるのでしょう?
「”Kostolom” の良いところを取り入れ、それと同じかそれ以上のものを作ろうと思っている。おそらくデスコアにはならないだろうね、デスコアには飽きたから。正直に言うと、スラミングとかデスコアとか、そういう本当にヘヴィなものには飽きたんだ。デスメタルも好きだ。デスコアも好きだ。だけど、何か新しいものを作りたいんだ。何か巨大なものを作りたいんだ。例えば、RAMMSTEIN 。彼らはかなりクソ重いギターリフを持ってる。クソ重いけど、シンガーが歌っている。彼はクリーン・ボーカルをとる。でも、同時に、人々が(歌詞を)理解することができるから、かなり巨大なバンドなんだ。みんながあの雰囲気を感じ取ることができるんだ。俺たちはそういうものを作り出さなければならない。例えば、SLIPKNOT。90年代、彼らはデスメタルとヘヴィメタル、そしてニューメタル、これらすべてをミックスした。俺も同じことをしたい。SLAUGHTER TO PREVAIL と Alex Terrible の名前を音楽史に刻みたい。俺は普通のデスコアやデスメタルバンドにはなりたくない。何かクレイジーなことをしたいんだ」

参考文献:  “OUR GOVERNMENT THINKS WE’RE SATANISTS”: SLAUGHTER TO PREVAIL TALK RUSSIA, WAR, FIGHTING BEARS, NEW MUSIC

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【WAKE : THOUGHT FORM DESCENT】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH RYAN KENNEDY OF WAKE !!

“I Think We’re a Metal Band. For Better Or Worse There’s No Specifying Sub-genres For The Type Of Music We Want To Make, In My Opinion. We Play Metal.”

DISC REVIEW “THOUGHT FORM DESCENT”

「最近、僕らの音楽活動に対して “成長” や “発展” という言葉がメディアによってよく使われているけど、僕らにとっては、すべてが論理的で当たり前のステップのように感じられる。長い間同じ音楽を聴いてきて、その時々に浮かんだアイデアを形にするだけ。それが “ユニーク” かどうかはわからないけど、少なくとも自分たちを正直に表現しているとは言えると思う」
カナダの WAKE は決して同じことを繰り返すだけのバンドではなく、リリースのたびに進化を遂げているとメディアは評します。しかし彼らはただフワフワとジャンルの境を漂う根無し草などではなく、溢れ出る自らの音楽的な創造の泉を “エクストリーム” “ブルータル” とは何かを再考し再発明するための挑戦の場として活用しているのです。
「”ブルータル”、”クラッシング”、”デヴァステーティング” という言葉は、エクストリーム・ミュージックの形容詞として乱用されすぎだ。僕たちは、”ブルータル” や “エクストリーム” のアイデアはブラストビートや鋭いトライトーンだけではないことを証明したいし、もっと重要なのは “ブルータル” な要素は鋭さだけでなく受動的な緩やかさからも生み出せるんだ。そのどちらにも通じる、ユニークな衝撃を生み出すことができるというアイデアを、人々に直面させようと思ったんだ」
その結果、容赦なくヘヴィなものから絶妙な美しさまで、時に片側一車線、しばしば相互通行で同時に駆け抜けるニュアンス豊かな8曲が誕生しました。それは瞬時にリスナーの心を掴み、全ての神経を張り巡らせれことを要求します。”Thought Form Descent” は豊かな質感と緻密なレイヤーで構成され、聴くたびに奥行きを感じさせ、WAKE をナチュラルに新たな次元へと導いているのです。
「僕たちは単にメタル・バンドだと思うんだよ。良くも悪くも、僕らが作りたい音楽のタイプにサブジャンルの指定はないと僕は思っているんだ。僕らが演奏するのはメタルであり、あらゆるジャンルを網羅したメタルなんだ。僕たちの個性は、ジャンル、テンポ、音色がどうであれ、僕たちが導入するあらゆる音の要素の間に常に潜んでいるから」
重要なのは、WAKE が “クラスで一番” を目指しているわけではなく、メタル世界全体の “目覚め” を誘うことに重きを置いている点でしょう。例えば同郷の ARCHSPIRE のように、”テクニカル・デスメタル” という狭い “教室” を極め尽くして一番になる。それも名を上げる一つの方法です。しかし、WAKE はあらゆるメタル、あらゆるサブジャンルを網羅した包括的な “ヘヴィ・メタル” でメタルの革新を願うのです。故にグラインドに 端を発する彼らの旅路には、ブラックも、デスも、ドゥームも、スラッジも、プログレッシブも存在し、ポストメタルでさえ顔を覗かせていきます。
「今回は多くのアイデアが試されたけど、すぐに却下されていった。なぜなら、典型的な怒りに満ちた攻撃的な歌詞から軌道修正する必要性があったから。同時に、あまりに憂鬱で個人的なものでもないようにしたんだ。そうして僕たちは、自分たちのドリーミーな方向性を追求していったんだ」
タイトルの “Thought Form Descent” は、「心の中に一種の迷宮を作り、それを現実に物理的に顕在化させる」というアイデアに由来しています。自分自身の無意味さ、人生の虚無感に直面した主人公が現実と対立し、未知の世界に大きな意味を見いだすというもの。
明晰夢、瞑想、幽体離脱、臨死体験といった手段で、彼は未知の場所に旅立ち、良くも悪くも現実の扉の向こう側を発見します。己の生との対立、現実との対立。そうして主人公はアストラルセルフとフィジカルセルフのどちらが真の存在なのかで混乱し、2つの間を引き裂くような意識状態の中で戦っている自分に気づきます。そして最終的に彼は、両方を元に戻して絶対的な無になろうとするのです。
現実からの逃避と夢見がちなストーリー・ライン。その音楽的な具現化には、ALLEGAEON, CATTLE DECAPITATION, KHEMMIS, PRIMITIVE MAN などモダンメタルの多様を牽引するプロデューサー Dave Otero も一役買っています。彼のメタルだけでなくポップ・ミュージックとその構成を理解する能力、音楽理論の知識、リフだけでなく曲の動きとコード進行にも連動する姿勢は、”デスメタル” “ブラックメタル” をはるかに超え、同様に “超越者” である GORGUTS の Kevin Hufnagel が流麗なメロディーを奏でることでアルバムは至上の域に達しました。
今回弊誌では、ベーシスト Ryan Kennedy にインタビューを行うことができました。「たしかに僕は DARKTHRONE や MAYHEM, BATHORY などを聴いて育ったから、ブラックメタルと僕は強い感情的なつながりを持っているけど、哲学的な意味合いを持っているわけではないからね。それに、僕も歳をとったから、哲学的な傾倒がより多様化する傾向にあるしね」 どうぞ!!

WAKE “THOUGHT FORM DESCENT” : 10/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【ITHACA : THEY FEAR US】


COVER STORY : ITHACA “THEY FEAR US”

“I Want People To Say ‘I’ve Never Seen a Band That Looks Like Ithaca” I’m Gonna Go And Do That”

THEY FEAR US

傷ついたデビュー作 “The Language Of Injury” に全ての怒りを注ぎ込んだ UK 出身のヘヴィ・ヒーロー ITHACA は、ロックダウン中に自らを再発見し見つめ直しました。ニューアルバム “They Fear Us” に込められた感情や経験は、バンドが自分たちの過去と向き合い、その傷を癒すためのモチベーションを見出したことを物語っています…。
バンドのボーカリスト Djamila Boden Azzouz の歌詞が怒りに満ちていたのは当然のことで、デビュー前の7年間、彼女は性差別や人種差別の受け皿として苦心してきたのですから。ITHACA は2012年末、ギタリストの Sam Chetan-Welsh が掲示板に、アメリカの THE CHARIOT に影響を受けたハードコアグループを立ち上げ、ボーカリストを探していると書き込み、結成されました。Djamila は、違う理由でそのサイトを閲覧していました。
「彼女は EAGLES のカヴァー曲を探していたんだ」と Sam。「時代が違うのよ!」と Djamila は笑います。
「TikTok はなかったし、YouTube も今のような形ではなかったわ。掲示板の他にどこで笑うことができるの?(笑)」
UKのメタリック・ハードコア・シーンは当時、今とは全く異なる場所でした。EMPLOYED TO SERVE, SVALBARD, ROLO TOMASSI など、現在では主流となっているバンドが皆若手だったため、ITHACA は代わりに強気のグラインドコアやデスメタルとステージを共にすることになったのです。
「ブラックメタルやハードコアのバンドの多くは、本当に歓迎してくれた。まだ自分たちのサウンドが何なのかよく分かっていなかったから、多くの異なるラインアップに問題なく溶け込めたのもあるわね。それは私たちにとって本当に有益なことだったの」
多くの仲間は ITHACA を受け入れてくれましたが、プロモーターやコンサート参加者からはバンドに対して偏見がちらほら存在しました。インドの血を引く Sam は、「パブで、ギグを企画していた人物から人種差別的な言葉を浴びせられた」と回想しています。一方、アルジェリア系のバイセクシャル女性、Djamila は、自分が直面したあまりに多い偏見の数を思い出そうとして諦めます。
「ある時、”人種差別的なバンドを支持するのはやめろ” と書かれたTシャツをライヴで着たの。そしたら、私たちの Facebook ページに、実際に存在するネオナチが押し寄せてきて、こう言われたのよ。”殺しにいくぞ!”って」
「私たちのショーに出演するバンドが、少なくとも一組は男性ではない、多様なラインアップであることを確認することさえ、非常に大きな議論を呼んだのよ!」と彼女は続けます。「人々はそんなことを、本当に問題視したの。ああ、そんなことをやっているのか?ってね。そうよ!悪い?!」

Djamila Boden Azzouz が言葉を濁すことはありません。ITHACA のニューアルバムについて、その “売り” を聞かれたとき、彼女は一片の曖昧さも許しませんでした。
「私たちは他の誰よりも何マイルも進んでいると思う。それをどう受け止めるか。傲慢?そうかもしれない。それは本当なのか?そうおもう、たぶん… 今、こんなことをやっている人は誰もいないと思う。音楽的な面でも、特にイギリスでは、私たちは私たちのようなバンドとは比較にならないくらい、豊かで多様な影響を受けている。このレコードは、私たちが作るような音楽を作る多くの人が、達していないような創造性と繊細さを示しているの。だから、私たちは他の誰よりも優れていると思う…傲慢に聞こえるわよね?でも事実は事実よ (笑)」
ITHACA のギタリスト、Sam Chetan-Welsh も、彼女の意見に同意しています。
「人によっては傲慢だと思うかもしれないね。でも、自分がそう思っていなければ、構わないんだよ」
とはいえ、今 ITHACA の言葉を傲慢と捉える人はほとんどいないでしょう。この大言壮語は、少し皮肉っぽく聞こえるかもしれませんが効果的で、二人が言っていることは間違いなく真実なのです。
“They Fear Us” は、意味と深みに富んだヘヴィ・ミュージック作品です。Sam は慎重に “プログ・ハードコア” という表現を使いながら、比較対象として ROLO TOMASSI を挙げていますが、実際このレコードは感情的で知的で創造性に富み、DEFTONES, CONVERGE からジャネット・ジャクソンやプリンスまで、幅広い影響を完璧に消化しているのです。当然、ジャンルに縛られることは Djamila が最も忌みきらうこと。
「私はジャンルに縛られるのが好きではないけど、私たちが様々なカテゴリーに当てはまることはとてもうれしいわね。これは、私たちが自分たちのためにしか音楽を書いてこなかったという証。自分たちがハッピーになれる音楽を書いて、それを好きになってくれる人がたくさんいるのは本当にラッキーなことよ。だから、メタルコア・アルバムとかブラッケンド・ハードコア・アルバムとか、そういうものをハナから書くつもりで座っている人たちが本当に不憫。なんてつまらないんだろう」

彼らのデビュー・アルバム、2019年の “The Language Of Injury” は、EMPLOYED TO SERVE, SVALBARD, CONJURER, PUPIL SLICER, DAWN RAY’D といった多様でスペシャルなアーティストを擁する最近の英国メタルシーン、その頂に ITHACA が君臨することを知らしめたレコードでした。ツアーでは、ハマースミス・アポロのような大きなステージで演奏し、何も知らない観客には、ITHACA を見る人は耳栓を用意した方が良いという警告が会場に掲示されたこともありました。ギザギザのハードコアに口ずさむメロディーをちりばめたことで絶賛を浴びた “The Language of Injury”。それに続く “They Fear Us” は、バンドのヘヴィネスとアティテュードを損なうことなく、シューゲイザーに近いレベルの輝きを加えた、今年最も野心的でカリスマ的なジャガーノートに仕上がっています。
当然、今の時代の苦難もありました。パンデミックです。Djamila が回想します。「もう二度とライブを取り戻せないんじゃないかと心配になったわ」
しかしバンドはゆっくりと、書き、作り、録音をはじめ、すぐに新しいレコードに入れるべきものがたくさんあることに気がつきます。ロックダウンに加え、悲しみ、精神的な問題、内紛、そして暗い状況下でのレーベルの崩壊といった激動は、再考と成長の機会も意味していたのです。Sam はそれを “再生” と呼び、さらに ITHACA は “6回ほど再生した” と付け加えています。
「前作は辛いことを歌っていたんだ。おそらく、人生のどん底の一つだった。私生活でもバンドでも、何度も何度も不運に見舞われたような気がした。いつになったら僕らにとって正しいことが起こるんだろう?って感じだった。だけどこのアルバムは、パワーや強さ、自信を手に入れるためのもの。エンパワーメントのアルバムさ!」
実際、この2つのアルバムが意図するところは大きく異なっています。”The Language Of Injury” は、熱狂的で血まみれ、傷だらけのレコードでした。無軌道な怒りから生み出されたこの作品は、有刺鉄線で編んだ布団のような痛みと心地よさを与えてくれます。Djamila はその内容を “多くの自己嫌悪” と表現していました。自分とバンドメンバーの人生に起きていることに対する “直感的な反応” を直感的に描いた作品だと言います。
Sam にとって、このアルバムは母親の死後間もなく取り掛かった作品でした。自分のパートを録音することになったとき、彼は「血まみれのアルバムを作るために、ベッドから起き上がるのが精一杯だった」と言います。
「本当に、とても生々しい悲しみの中にいたんだ。レコーディングに没頭することで忘れようとしていた。あのアルバムは、僕たちが感じていた深い痛みに対する直接的な感情的反応だった。基本的に吐いているような感じだったよ」

一方で、”They Fear Us” は再び立ち上がることをテーマにしています。痛々しい暴力性を伴った再起の音牙。オープニングの “In The Way” では Djamila の「あなたの血を流し台で洗いなさい 私たちは記念品を取っておかないから」という不穏な宣言が、意図的かつ明瞭に、ふさわしい敵に向けられます。
「曲の多くは復讐をテーマにしているの。もし、あなたを傷つけた人たちに償わせることができるとしたら、あなたはそうする?」
Sam によれば “冷笑やニヒリズムはとても安い通貨だ” そう。彼らは、傷や恐怖を深く浴びることに何の意味があるのか、反撃する方法を教えないでどうするのか、と考えたのです。
「怒りや自己嫌悪をすべて外に向けるべき。私のせいではないんだ、と気づくことが大事なの」 と Djamila は言います。
「一番深いところまで落ち込んで、でもそこから立ち直ることが大事だ。そして実際、この作品は非常に暗いアルバムではあるけれど、特に最後のほうになると楽観的な部分も多くなってくると思うんだ。多くのレコードがそうであるようにね。個人的には、これは過激な反抗の行為だと感じている」と Sam は結論付けました。
“ラディカルな反抗” について語るとき、”They Fear Us” の多くがクローズアップされます。Djamila は虐待、人種差別、性差別、その他あらゆる問題に取り組む必要があると考える人物であり、それらを拒否することは、バンドに期待されるクリエイティビティに疑問を投げかけることにも繋がります。ITHACA では、歌詞、写真、テーマ、音楽的影響、映像など、あらゆる要素に何重もの注意が払われ、あらゆる角度が芸術的あるいは意味深いものとなって深みを持って語られるのです。それは、多くの人がヘヴィ・バンドに期待するものとは違うのかもしれませんが。
アルバムには “Healing” “癒し” という言葉が何度か登場します。Sam は、パンデミックによって、レコードを書きアイデアを徹底的に追求するために、通常よりも時間をかけることができただけでなく、精神的に多くのことを解明する機会を得たと言います。母親を亡くした傷を癒したのは、母親の葬儀のためにインドを訪れ、ガンジス川のほとりで僧侶がガンガー・アールティの祝福の儀式を行う様子を録音したこと。
「僕たちは皆、パンデミックの始まりと前後して、個人的な悪魔に立ち向かわなければならなかった。そして、パンデミックによって、深い内なる仕事が始まりまったんだ。僕自身は、自宅で、自分自身とどう向き合っていたのか、頭の中の声とどう向き合っていたのかに直面させられた。精神的な面でも、自分が対処できていないことがたくさんあったし、それはバンドの他のメンバーも同じなんだ」

何度も出てくるもう一つのフレーズは、”神聖な女性的パワー” です。Samは、この言葉はバンドのストーリーの中で誰もが共有している “虐待的な男性の権力構造” を反映しているものだと言い、その一例として、オーナーによる性的虐待の疑惑を受け、彼らの前レーベルである Holy Roar が崩壊したことを挙げています。彼らは、メタルは強さとパワーがテーマなのに女性の側に立つことはあまり持ち出されないアイデアだと指摘します。
「バンドやミュージシャンにとって、”私はフェミニストです” と言うことは非常にハードルの低いこと。でも、”いや、この曲は神聖な女性の力についてで、男性の力の乱用には積極的に反対しているんだ” と言った瞬間に、みんなに正気じゃないと思われてしまう」と Djamila は嘆きます。
「人々が恐れているのは、偏見を持って見られることだと思うの。このバンドはこういう考えだってね。だから彼らは仄めかすくらいにとどめておく。最低限のことはやっても、100パーセントのコミットメントはできないと。でも私たちは、とことんまでやるわ。
ただ、ネットで発言するときは、自分がバンドの大使であることを忘れないようにしないといけないね。クソみたいな投稿をしたり、愚かなことを言ったりしてしまうことはある。でも、ほとんどの場合それは、誰かがバカだったり、バカなことを言ったり、攻撃的なことを言ったり、人種差別や性差別的なことを言ったりしたときの反応。わざわざ理由もなくアホなことはしないのよ」
2020年9月には彼らのレーベル Holy Roar の代表であるアレックス・フィッツパトリックが複数の女性から性的暴行で訴えられました。ITHACA はこの悪夢に公的に対応した最初のバンドのひとつで、すぐにレーベルを離れ、こうツイートしています。
「Holy Roar Records は死んだ」
Djamila は、「もしお前がレイプ犯で、公共の場で見かけたら、ボコボコにしてやる!」と発言しました。
Djamila に “They Fear Us” の “They” とは誰かを尋ねると、彼女はこう答えます。
「自分の怒りを向ける相手や状況、それが自分を抑圧する相手であることは、多くの状況下で多くの人に当てはまるもの。このアルバムから何かを感じ取ってもらえるとしたら、それは力を与えてくれる感覚なの。”彼ら” とは、あなたにある種の感情を抱かせた人であれば誰でもいいの。それは人それぞれだと思う。”彼ら” とは、あなたに自分の価値を低く感じさせた人、何らかの理由で自分に価値がないと感じさせた人、過去にあなたを傷つけた人などよ」

“In The Way” のような曲は明らかに復讐を扱っていますが、他の曲では心の内面にも焦点を当て、自己と世界の結びつきを解き明かしています。例えば、”Camera Eats First” では、自己イメージと、自分が世界の中でどのように位置づけられているかという悩みにスポットライトが当てられています。この曲は、自己嫌悪を根底に持つ曲ですが、そこからの悟りや不必要な重荷を取り除くことも含まれている、とシンガーは言います。
「この曲は、自分自身をどう見ているか、そして自分自身についてどう感じられているか、また、他の人が自分をどう見ているかを検証することをテーマにしている。私は歪んだセルフイメージを持っていて、多くの人が共感してくれると思う。ドラマチックに聞こえるかもしれないけれど、”自分がどんな風に見えるのか、さっぱりわからない。自分がどんな顔をしているのかわからない。自分がどんな顔をしているのか、もう全然わからない”。でも、なぜそれが重要なの?なぜ私たちはそれにこだわるのでしょうか?セルフイメージに拘ることでどれだけ時間を無駄にしたか、どれだけ人生から遠ざかったか。カメラは自己嫌悪に陥ることのメタファーなの。自分をどう見るか、他人がどう見るか、 その両方は大きく異なるから」
Sam は、Djamila がグループの中で占めているポジション、立ち上がって叫ぶこと、そして自分の中にあるものを共有しようとする姿勢に感心しています。
「Djamila のような人は、非常に勇気があるし、弱さもある。そうした勇気と弱さを持ち合わせた人は、ほとんどいないだろうな」
“They Fear Us” は過去10年間に彼らが耐えてきた偏見とトラウマを武器にしています。メタルコアのラインナップに性別の多様性を求めないと非難された後、アルバムのアートは、ITHACA の男性メンバーが青白く従順に見える中、鮮やかなオレンジ色の服を着た Djamila を玉座に置くことで反撃しているのです。歌詞も同様に、シンガーを台座に乗せ、世の中の偏屈者や否定的な人たちを言葉巧みに罵倒しています。
アートワークで Djamila は王冠をかぶった女王のような力強い存在。その周りには男性陣がほとんど保護するように描かれています。このビジュアルは、アルバムのスリーブやバンドの写真を飾り、ビデオにも反映されています。
「男性が支配するようなアルバムジャケットの写真は、MANOWAR でもない限り、メタル界ではもう作られることはないでしょうね。私たちは、とても堂々としていて、パワフルでありながら、活気のあるものを作りたかった。大胆で鮮やかな色彩や、雰囲気のあるものなど、多くのメタルでは見られないものを入れてね」
アートワークは、80年代のニューウェーブ、TALKING HEADS のコンサートフィルム “Stop Making Sense” から影響を受け、バンドのフロントマン、David Byrne が、彼らのルックスは “過激なアイデア” を伝える方法だと説明したことに後押しされています。Sam が説明します。
「僕たちは Djamila の後ろにいる。でも、彼女のボディガードとかじゃなくて、彼女の後ろに立つ防御線なんだ。そうして僕たちは自分たちの中にある女性らしさを伝え、親密さを伝えている。手をつないだり、触れ合ったり、ヘヴィーなバンドが厳つい服を着て遠く離れた場所に立っているのとは正反対のことをやっているんだ。みんなが近くにいて、色彩があり、ラファエル前派の絵画があり、クィア・アートへの言及があり、親密さがあり、愛があり、喜びがあるんだ。なぜなら、それらは癒しの核となるものだから」
つまり Sam は、あれがメタルバンドか!と驚かれたいのです。
「台座の上の Djamila のコンセプトは、神聖な女性の力にリンクしている。タイトル曲には、母なる女神を招き入れるインドの儀式のサンプルが使われ、神聖な女性の力についてすべてが語られている。他の文化圏から来た人たちや、ヘヴィ・ミュージックで何か言いたいことがある人たちの中には、” これは私のためのものなのか?と思っている人たちがいるだろうね。そういう人たちに、ITHACA みたいなバンドを見たことがない、行ってみよう!と言ってもらいたいんだ」

Djamila はタイトルトラックの MV もお気に入りです。
「このビデオで気に入っているのは、主なロケ地がイギリスの地主階級の大邸宅なこと。壁に描かれた植民地時代のイメージと対比させて、ドアを蹴破り、空間を占有する私たちを表現しているのよ。これは、私たちにとって非常に印象的なことだった。ディレクターのポールは、こうしたアイデアをつなぎ合わせて、私たちが想像もしなかったような方法で命を吹き込んでくれたのよ」
もし COVID によって物事が減速していなかったら、”They Fear Us” が違っただけでなく、彼らも違ったものになっていたでしょう処理時間や息抜き、そして生まれ変わる機会がなかったとしたら、今よりもずっと暗い場所にいる2人の会話を想像してしまいます。一方で、”They Fear Us” は、正直で純粋。そしてそこから、必ずしも平和だけではなく、希望も生まれるのです。
「もし若い頃の自分に話せるとしたらやめなさい!と言いたくなるようなこともある。でも真面目な話、過去の自分自身に言えることなんて何もないと思うのよ。あのアルバムは起こるべくして起こったと思うし、戻って変えたいとは思わない。とても変わったアルバムだけど、それなりの理由があって特別なものだと感じている。あのレコードがなかったら、”They Fear Us” も今の私たちもなかっただろうしね」
“セルフ・カインドネス” とは、自分自身に対して、他人に対して話すような方法で話すこと。Sam はそうやって痛みを乗り越えてきました。
「良くなるとは思っていなかったと思う。あの喪失感から立ち直れるとは思っていなかったし、人生を立て直し、感情を豊かにし、自分らしく背伸びすることができるとも思っていなかった。このアルバムが僕にさせてくれていること。このアルバムをレコーディングして以来、僕が学んだ大きなメッセージは、本当の自分への思いやりとは何かということなんだ。ただ寝たり、ケーキを作ったりするのではなく、他の人に話すように、自分にも話すということだ。そのことに気づき、実践し始めると、すぐに人生が変わり、感情の状態も変わっていった。そして、自己嫌悪や自己愛の欠如を深く掘り下げることで、初めて反対側に出てくることができたんだ。だから “癒し” は可能。ありのままの自分に正直に、より勇敢に、より大胆になることは可能なんだ」
これほど傲慢から遠いことはないでしょう。Djamila が付け加えます。
「この数年間で、私たちはみんな人間的に成長した。”Language” を書いたとき、私はとても被害者的な感覚だった。だからこそ今回、”They Fear Us’ がアルバムのタイトルになったのは、とても自然なことだと感じたの。なぜなら、このアルバムにはもっと多くのエンパワーメントが含まれているから。全く違うアルバムで、より勝利に満ちているから」

参考文献: GUARDIAN:Ithaca: ‘We said: “Stop supporting racist bands”. Our Facebook page was flooded with Nazis

KERRANG!:Ithaca: “This is about divine feminine power”

NO ECHO:Ithaca Vocalist Djamila Azzouz on Their New Album, Breaking the Band in America + Mor