COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【DEAFHEAVEN : LONELY PEOPLE WITH POWER】


COVER STORY : DEAFHEAVEN “LONELY PEOPLE WITH POWER”

“If Power Is Influence, We Have a Responsibility To Be As Understanding, Empathetic And Knowledgeable As Possible”

LONELY PEOPLE WITH POWER

第二次世界大戦の冷酷と殺戮の後、アメリカの心理学者グスタフ・ギルバートは悪の本質について何年も考え続けました。そして1947年に出版された “ニュルンベルク日記” の中で、生き残ったナチスの指導者たちとのインタビューについて書いた彼は、悪の本質を見つけたと信じていました。 悪、すなわち戦犯たちを結びつける一つの特徴は、弱者や少数派の苦境に関わることができない、あるいは関わろうとしないことであると。悪とはつまり、共感の欠如であったのです。
「国民が戦争したがるように仕向けるのは簡単。国の危機を宣伝し、平和主義者を非難すればいいだけ。これはどんな体制でも同じ」
80年後、グスタフの教訓は忘れ去られようとしています。世界中のポピュリスト政治家たちが、再び人間の自己中心性を食い物にしているから。 弱者蔑視と外国人憎悪を武器に足場を固め、富裕で影響力のあるオリガルヒに屈服し、自分たちの今でも計り知れない富がさらに膨れ上がるのであれば、喜んで工作に協力する。
「西洋文明の根本的な弱点は共感であり、共感搾取である」と、世界一の大富豪イーロン・マスクは最近CNNで説き、非正規移民に基本的な医療を提供することが、公的資金配分の誤りだと主張しました。 マスクは弱者や少数派への共感を西洋文明の “バグ” だとして、そこから犠牲を強いられる “集団” を救うとさながら英雄のように強弁したのです。非常に怖い話です。
George Clarke は、DEAFHEAVEN の素晴らしき6枚目のアルバム “Lonely People With Power” で、西洋社会の右傾化について特に語っているわけではありません。 実際、常に冷静で知的なこのフロントマンは、アルバムに込められたアイデアを解き明かす際、政治的な対立をむしろ避けようとしています。しかし、マクロ的なレベルでは、個人的な出世や富のために共同体を捨てるというコンセプトは、まさにこの暗い現代に対するアンチテーゼといえるでしょう。
「私は万能で慈悲深い世界の創造主など信じていない。このレコードに関連して “力” について語るとき、私は本当に影響力について話しているんだ。 視点を形作る力、世界観を形作る力、それに伴う責任についてだ。 彼らのような富と影響力を手に入れるためには、周囲のものを手放すことが必要なんだよ。彼らは孤独な目的を追い求めている。それは、隣の人の幸福など気にも留めないほど圧倒的なシニシズムと虚無感がなければ達成できないものだから。”孤独” は時に無知やナルシシズムや精神の空虚さの代用品となる。そうやって、共感を捨てて得た冨や影響力は、逆に精神的な空虚さを表している」

ウィリアム・ランドルフ・ハーストは1951年8月14日に亡くなりました。DEAFHEAVEN の本拠地サンフランシスコで生まれたこの新聞王は、米国のセンセーショナルなタブロイド紙の先頭に立ち、1900年代を通じてニューヨーク州知事選、ニューヨーク市長選、合衆国大統領選に出馬して落選しました。当初は進歩的な政治を支持していたハーストでしたが、20世紀に入ると保守的で孤立主義的な政策を採用。1930年代には、ナチス・ドイツを声高に支持した人物です。
多くの点で、ウィリアム・ランドルフ・ハーストは George の語る典型的な孤独な権力者だといえました。
「ハーストのメディアの巨人としての時代は、今日私たちが目にしている多くのことの先駆けのように感じられる。ああした人たちは常に熾烈で、嘘をつくことも誇張することも厭わず、道徳的な境界線というものをまったく理解していない。ハーストの人間関係は、刹那的で執着的な傾向があったにもかかわらず、決して人間的ではなかった。ハーストは、人間や、世界が動くより大きなメカニズムにまったく関心がなく、非常に利己的だった。それは奇妙な二律背反だった。支配欲を満たすためには、寛大さもヒューマニズムもなく、他人を蹴落とし周囲の世界から皮肉なまでに切り離される必要があるんだよ。
コミュニティーの欠如、自己孤立、自己保存、利己的な動機はすべて、人が支配力を集め、権力を獲得するために必要なもので、単にその権力が他よりも価値があると見なすために必要なものだ。 政治や産業界ではよく見られることだ」
サイコパスと呼ばれようが、ソシオパスと呼ばれようが支配欲が満たされれば関係ないのでしょう。
「最も多くの富を蓄え、最も多くの人々を支配するためには、反コミュニティである必要がある。普通の人なら困惑するだろう。10億ドルを与えられて、それで何をしたいかと聞かれても、僕にはわからない。率直に言って、そのような目標を追い求めるなら、仲間とつながる時間はなくなってしまう。だから莫大な物質的なものを追い求めることに、共感する余地はないんだ」

ソーシャルメディアは、ハーストの新聞全盛期以来、金と影響力の最も明白な混同を生み出しました。DEAFHEAVEN でさえ、その引力から逃れることはできません。彼らは1月27日のアルバム発表から3月28日のリリースまでの間に、ミュート・ウィドウズが監督した各曲の一連のショート・クリップを公開。それは最終的に包括的な物語に結びついていて、アルバムの前後の素晴らしさをより明確に描き出しています。
芸術的な深みを加えながらリスナーに届くという点でその手法は優れていて、フェイスブックやインスタグラム、XやTikTokの否定的な側面とは対極にあるようにも思えます。George は、SNS の隆盛で名声と富を求めるキッズたちのゴールポストが変わったと見ています。
「セレブ文化は常に存在し、華やかさはその性質上魅力的だ。しかし、以前は成功しないかもしれないと思いながら多くの犠牲を払わなければならなかったもの、今はコメントや “いいね!”、そしてマネタイズによって “成功” の度合いが小さくなっている。かつては一部の人にとっての大きな夢であったことが、ビジネスになってしまったんだ」
しかし、陰湿なアルゴリズム、ねじ曲がったデジタル・リアリティ、死んだような目をしたSNSのオーナーたちは、結局はかつての新聞王以上にその支配力を際限なく拡大させています。
「前例のない瞬間を生きていると思うか?と聞かれることがある。私はそうは思わない。メディアが存在する限り、人々はそれを形作ることに憧れてきた。しかし、テクノロジーがそれを変えたのは確かだ。ソーシャルメディアには即効性があり、中毒性がある。即効性があり、すべてを飲み込むように感じられ、負の感情を強調しようとする勢力がある。常に恐怖を煽り、悪いニュースの嵐だ。人々はリラックスすることを許されない」
そうして、テクノロジー業界の億万長者たちが、アメリカ大統領就任式で選挙で選ばれた人たちが座るはずの最前列の席を占拠しているのです。
「私は歴史家ではない。でも、ちょっと馬鹿にされているような気がしないでもない。これって、製薬会社のCEOが薬物中毒のジャンキーたちの部屋に入り込むようなものだと思っている。この時点で、彼らは笑っているだけだ。まあ終わったことは終わったことだ。彼らの影響力はあまりに強く、人々はその中で迷い込んでしまう」

デビューから15年、DEAFHEAVEN は “Sunbather” のように再び自分たちを定義できるようなアルバムを作る必要性を感じていました。そうして伝説的なメタル・レーベル、ロードランナーとのレコード契約を受け、新たなスタートを切ったのです。KNOCKED LOOSE や INTERPOL など様々なアーティストと共演し、自分たちを証明してくれる潜在的な新しいファンの川は深く流れていました。
「”Infinite Granite” が楽しくて必要なアルバムであり、私たちがあのアルバムを誇りに思っているのと同じくらい、私たちのヘヴィ・ミュージックへの愛に再び火をつけたのは、あの作品の曲をツアーする過程だった。 長い間、あのメロウな音楽を演奏していたから、もっとヘヴィな曲を演奏したかったんだ。 それに、”Sunbather” のアニバーサリー・ライヴをやる機会もあったし、KNOCKED LOOSE とのツアーも楽しかった。 速くてハードな演奏をするという精神が復活したんだ。 特に Kerry にとっては、これが自分の好きな音楽なんだという個人的な気づきにつながった。 彼は、このレコードがまだ DEAFHEAVEN らしいものであるという条件付きで、スピードと重厚さを取り戻すという真のビジョンを持っていた。 一つの方向には向かっていないんだ」
“Lonley People With Power” の野心的なアプローチについて、George はこう説明しています。
「DEAFHEAVEN はバンドとして十分な年月が経っているので、自分たちが以前に何をしてきたかを参考にすることができる。今までのアルバムや一緒に経験したことを通して、このバンドが一体何なのかを消化し始めることができる。それを抽出しようと試みることさえできる… このバンドのDNAには、ちょっとした貧乏根性が埋め込まれていると思う。 私たちは2人とも、一生懸命やっても誰も気に留めないようなバンドに何年も在籍していた。 だからこのバンドのDNAに深く刻み込まれているのは、オーバーワークなんだ。すべてが完璧だと感じられない限り、十分な働きはできない。私たちは泡銭、家のお金で遊んでいるようなもので、本当はここにいるべきでないようなもの。だから、それを最大限に活用しないのは、宇宙に対して失礼なことだと思う」

かつてポーザーと呼ばれていたのが馬鹿らしいほど、彼らはもはやメタルを代表する存在となりました。
「何年もの間、みんなが DEAFHEAVEN を “ポーザー “と呼びたがっていたのに、今ではその話題もなくなってしまった。我々のバンドを支持する人も嫌いな人も、それが退屈な会話だということに同意して握手していると思う。 DEAFHEAVEN のことを嫌っている人たちでさえ、”ああ、クールだ、新譜が出たんだ” と思えるくらい、私たちは長く活動してきた。
メタルがここ数年、大きな盛り上がりを見せていることが救いだ。 多くの素晴らしいバンドが誰でも簡単にアクセスでき、ツアーを行い、常に素晴らしいショーを行っている。 私たちは皆、その方がいいと思う」
NINE INCH NAILS, St. Vincent, THE MARS VOLTAといったアーティストを手がけるベテラン・プロデューサー、ジャスティン・メルダル=ジョンセンは、”Infinite Granite” に参加して、そのアルバムのソフトなエッジに驚かされました。そして今回、彼は期待をさらに上回る驚きを “Lonely People With Power” に感じました。
「初めて彼に “Revelator” を聴かせたときのことを覚えているよ。彼は、”ワオ、これは私が期待していたヘヴィネスを満たしているだけでなく、それをはるかに超えている… “という感じだった。
それは、私たちが以前やっていたやり方を引き継いだものだ。 そう、”Magnolia” は音楽的にかなり攻撃的だ。そして、このアルバム全体を通して、似たようなサウンドの部分がある。 確かに “Lonely People With Power” には獰猛さがあるが、DEAFHEAVEN は常にエモーショナルな核を維持し、物事を特異なレンズを通して見ないことを目指してきた。 その意味で、このアルバムの多くは、赦すこと、あるいは自分自身を含む権力の力学を認識することをテーマにしている。 そう、怒りがある。 しかし、決意、許し、認識もある。 そして、それらは均整のとれた音のパレットで表現されている」

激烈な “Magnolia” の後、セカンド・シングル “Heathen” は、彼らのアヴァンギャルドでポスト・メタル的な傾向を再び紹介するための意識的な努力のように感じられます。
同時に、事実上のオープニング曲 “Doberman”, 前述の “Revelator”、そして変幻自在の叙事詩 “Winona” で、George が2013年の名作 “Sunbather” の流れを汲む痛快なブラストビート・ブラックメタルに回帰していることも否定できないでしょう。
実際、”Sunbather” のジャケットであえてピンク色を使い、メタル全体に衝撃を与えたことから、前作 “Infinite Granite” ではメタルをほぼ完全に排除したことまで、あらゆる決断がバンドをこの瞬間へと導いたように感じらます。 ブラックメタルはその本質的な暗さにもかかわらず、多くの新しいリスナーを輝かせるチャンスがあることを証明する大作に仕上がりました。
「今は獰猛さにインスパイアされるんだ。もっと獰猛になりたくなる。自分たちのサウンドを抽出したいという欲求があったのと同じように、歌詞のテーマも抽出したいという衝動に駆られた。家族、アルコールと中毒の個人的な経験、自殺願望、友人との関係、女性との関係は、バンドにとって常に試金石だった。自分たちらしさを最大限に発揮しようとすることが、自分にとって何を意味するのかを考えた。それは、そうした考えやテーマに対してより直接的であることを意味する。これまではかなり抽象的だった。でもこのアルバムでは、私は自分の足で歩いている」
実際、George はこのレコードを作るにあたって、ヘヴィな世界を再発見していました。
「WOE の大きな世界を再発見した瞬間があった。僕らの新曲を聴いて SPEATRAL WOUND のことを言う人もいて、それは間違ってはいないんだけど、彼らが好きなバンドは我々も好きなんだ。DARKTHRONE, EMPEROR の鍵盤とベル、IMMORTAL も少し。
それに影響を受けたバンドが宇宙みたいにたくさんいる。 ウォー・メタルもあった。”Revelator” を聴いてみると、リフの背後にあるのは、DEAD CONGREGATION をもっと PORTISHEAD のコードに置き換えたらどうなるだろう、というような試みだった」

そうやって焦点を絞ることで、”Lonely People With Power” のよりパーソナルな側面が明らかになります。George は常に、両親や教師のような影響力を持つ人々からの影響について考えてきました。 アルバム “Sunbather” は、”私は父の息子/私は誰でもない/愛することはできない/それは私の血の中にある…” という嘆きで幕を閉じました。”Magnolia” にも同じような慰めの感覚が内包されています。タイトルは、 George の父の実家があるミシシッピ州の州花にちなんだもので、そこは叔父の葬儀に参列した場所でもあります。歌詞は、George の父と共通の特徴である、叔父のアルコール中毒とうつ病を問い、共有された遺伝と、新たな発見と温かさと受容とともに受け継がれた教訓を受け止めています。”私の愛は果てしない/あなたのすべてが私/一歩一歩が墓場へ向かう/私たちが与えられたのは肉と血だけだったのだろうか?”
“孤独” は “無知” の代名詞でもあると George は考えています。
「両親のような人々について話すとき、彼らのほとんどは自分が何をすべきかわかっていないように感じる。 このアルバムには、両親や教師が自分の人生において欠点やハンディキャップを抱えているにもかかわらず、それでも最善を尽くしていることが多いということを認識するんだよ。寛容の要素が含まれているんだ」
アートワークは、車の助手席の子供を挟んで話す両親と見ることもできますが、あまり健全でないことで道行く女性に寄っていく父親と見ることもできます。
「それは人々が自分で決めることだ。 運転する大人、窓際の女性、助手席の子供。 それをどう思うかは人それぞれだ。 しかし、人々は常に答えを得るよりも多くの疑問を見出すものだ。 私たちにとって、それは重要なことだよ」
切迫して脈打つような “Body Behaviour” では、年上の男性が、若い男の子にポルノグラフィーを見せて絆を深めるという “伝統” を描いています。そこに悪意はないと George は考えています。不気味でもない。ただ、知識を共有するための奇妙な試みなのだと。ある世代から次の世代へと受け継がれる、歪んだ通過儀礼のひとつなのかもしれません。そう歪んだ…
「正直なところ、私が知っている男たちは皆、父親や叔父、年上のいとこ、あるいは誰であろうと、そのような話を何バージョンか持っている。これは現代社会の “症状” であり、現在の男同士の関係の基準なんだ…」

このような話題は気まずく不快なものですが、それに立ち向かう姿勢は DEAFHEAVEN に信念を貫く勇気があることの証でしょう。ポピュリズムとインフルエンサー・カルチャーが有害な行動を強化し、有意義な人間関係を腐食させている世界において、男らしさ、”男はこうあるべき” という古い固定観念についての力強い議論とオープンな自己検証は、言うべき意味があります。
「どんな理由であれ、メタル・ミュージックでは “男らしさ” をアップデートするようなトピックは今でもタブーとされることが多い。それはとても奇妙なことだと思う。異なる視点を提供し、状況を打破し、”若い頃、こんなことがあったんだ。それは奇妙なことだった。そして、それがその後の人生にどう影響したかを知ることができる…” それが、感情的に健康な人間になるために必要なことなんだ。同時に、私は、周囲の世界からの逃避の方法として、空想的な主題に満ちた音楽を演奏するバンドを批判したくないと思っている。私も含め、多くのリスナーはそのような手の込んだストーリーテリングに惹かれるものだから」
ソーシャル・メディアの一角に身を置くと、多くの若者にとって不穏なロールモデルを見つけることができるでしょう。パトリック・ベイトマン。ブレット・イーストン・エリスが1980年代のヤッピー・アメリカのナルシシズムを風刺するために生み出したキャラクター、このアメリカン・サイコそのものが、一匹狼の “シグマ・メール” (アルファ・メール(勝ち組男性) と同程度の成功を収めているイケメン男性だけど、群れない人。頭もよく、見た目もよく、お金もあるけど、一匹狼) の憧れの的として再利用されています。裕福。怒りっぽい。周囲の人々から完全に切り離されている…2000年に映画化されたメアリー・ハロンの名作からのクリップをシェアしている人たちの中には、このジョークに乗っかっている人もいるでしょう。しかし、パトリック・ベイトマン自身が執着する対象であるドナルド・トランプがホワイトハウスに座っている現実では、出世のために喜んで絆を断ち切ろうとする人が現実に多く出現しているのです。
George は、ステージ上でベイトマンになりきっていたかもしれない初期のツアーを思い起こしながら、あの冷淡な離人感にはいつも魅了されてきたと過去の自分を振り返ります。
「あのキャラクターが好きなのは、自分自身の中にそれを見たからでもある。それは、パフォーマンスを魅力的なものにする大きな要素だ。少し深く掘り下げ、自分の中にあるものを見つけ、それを見世物のために裏返すのだ。
友人に聞けば、僕らの関係はより “リアル “になったと言うだろうね。若いうちは、受け入れられようとするあまり、見栄を張ってしまう。AからBに行くために、きれいごとやパフォーマンス的な習慣を身につける。仮面をはがすこと、本当のつながりに必要な弱さを見せることは、かつての私にとって難しいことだった。年を重ねるにつれて、正直でいることができるようになった。でも、それは目的地ではなく、むしろ旅路なんだ」

同様に、DEAFHEAVEN 自体も、彼の血管の中にある氷の単なるはけ口から、それを処理するための重要なツールへと変貌を遂げました。
「初期のころは、これが他の方法ではできない自己表現の方法だと感じていた。今は、セラピーのようなものだ。ツアーから離れることで、外に出ることがどれだけ自分の幸せにとって重要かがわかる。旅行や演奏だけでなく、新しい人々に会い、新しい文化を体験し、自分のバンドをよりよく知り、自分を違った形で知ることができるんだ!」
DEAFHEAVEN のオーラの中で、ブラック・メタルらしい危険や脅威はいまだに大きな役割を果たしています。それを今も維持し続けるのは難しいことなのでしょうか?
「ステージにいると、大きなパワーを感じる。エゴの塊だよ。ある程度の誇大妄想もある。私は今でもその極悪非道なキャラクターに傾倒するのが好きなんだ。大観衆の前での瞬間が、日常生活といかに違うかを目の当たりにし、私は自分の分身を掘り続けることを選ぶ。今の自分をどう見ているかの違いは、自己認識が深まったことと、そのキャラクターがとても優しく、共同的で人間的な瞬間のために、今の自分を壊すことを許されるようになったことだ。観客の中に入って誰かを抱きしめたり、バリアの上で泣いているファンに寄り添ったり。私の音楽は、私が最も傷つきやすいときのもの。パフォーマンスは、私が最もパワフルな時のものだ。キャラクターが壊れるとき、私は最も自分らしくなる。もし人々が本当に DEAFHEAVEN のシンガーと瞬間を共有し、歌詞を歌い、あるいは歌詞にしがみついているとしたら、それは Georgeと瞬間を共有していることになる…」

創作、パフォーマンス、個人的な経験の相互関係を分析することで、どのアーティストも、少なくともある程度は、力を持つ孤独な人間であるという気づきを George は得ました。
「パワーが影響力であるならば、私たちは皆、ある程度のパワーを持っている。インタビューはその典型的な例だ。誰かが私の発言を読み、それが彼らの意見を形成するかもしれない。だから私たちには、できるだけ理解し、共感し、知識を持つ責任がある。どうすれば誰かの教師になれるのか、と自問自答する。でも、それは常に進化する謎なんだ」
“Lonely People With Power” の最も難しい教訓は、まさにその最後に訪れる。ジャン・ウジェーヌ・ロベール=ウーダンの悪名高い19世紀の複雑な錯視にちなんで名づけられた “The Marvelous Orange Tree” “驚異のオレンジの木” は、自殺について歌った厳しくも美しい曲。”この病気と一緒に生きて/震える肌を見せながら/あなたと一緒に、私の終わりのない病気で/私の終わりのない病気で/暗闇の中を歩いていく” という表向きは絶望的なセリフで締めくくられています。しかしこれは、奈落の底へ転落するのではなく、常に足元に気をつけるようにという戒めなのです。
「物事には終わりがある。自分の中の悪魔を見極めているとき、”もう心配ない!” とか “もう終わったことだ!” と言うのは難しい。ドアは常に開いていると認識することが重要だ。それは、負けるとか屈するという意味ではない。ただ、本は決して閉じられていないということを知ることだ。
人は何かを打ち負かしたと思ったり、無視することを選んだりすると、思いもよらない形で再び忍び寄ることがある。この曲は、そのような負の感情がいつもまだ存在し、これからも存在し続けるということを認めている曲なんだ。死にたくなったことを話したくなったら、話すべきだし、そうしている。それを放棄することで起こりうる驚きに直面したくない。結局のところ、このアルバムは共感と許しが中心となっている。他人の欠点に対しても、自分自身の欠点に対しても。それはすべて、認識と理解に関係している。”Amethyst” の歌詞で歌ったように、ここには非難するようなものは何もない….」


参考文献: KERRAMG! :Deafheaven: “If power is influence, we have a responsibility to be as understanding, empathetic and knowledgeable as possible”

KERRANG! :https://www.kerrang.com/deafheaven-new-album-lonely-people-with-power-george-clarke-interview

LOUDWIRE

NEW NOISE MAG

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【TC.KYLIE : RE:BIRTH よみがえり】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH TC. KYLIE !!

“Just As Dream Theater Layers Contrasting Musical Ideas To Build Tension And Release, I Often Blend Jazz Fusion With Cinematic Storytelling, As Seen In My Reinterpretation Of Merry-Go-Round of Life.”

DISC REVIEW “RE:BIRTH よみがえり”

「今日のジャズは、伝統と革新の両方を取り入れた、境界を押し広げ、進化し続ける芸術なの。 チェット・ベイカーやオスカー・ピーターソンのようなクラシック・ジャズの伝説がその基礎を築いた一方で、モダン・ジャズはニュージャズ、ジャズトロニカ、フュージョンにまたがり、ヒップホップ、エレクトロニック、ファンクといったジャンルを融合させている。 ミュージシャンたちは現在、それぞれの文化的遺産をジャズに注入し、ユニークなサブジャンルを生み出している。 例えば、日本のアシッド・ジャズは、Jabberloop, Toconoma といったバンドに見られるように、複雑なグルーヴ、映画のようなハーモニー、躍動的なブラス・アレンジを披露する。Fox Capture Plan のようなバンドは、ストリングス・アンサンブルやオーケストラを加えることも得意としているよね」
モダン・メタルは今や多様性とローカルな文化の融合を謳歌する一大ムーブメントとなっていますが、ジャズの世界にもそうした伝統と多様性の蜜月が訪れているようです。TC.KYLIE は、香港、日本、イギリスの文化を融合させたデビュー・アルバムでまさに最先端の音楽的哲学と共鳴して、ダイナミックなジャズ・フュージョンを生み出しました。日本のジャズ・ロックを象徴するキーボードとシンセ・キーターで、カントンポップとUKジャズの息吹を纏い、ダイナミックにステージをリードする TC. KYLIE には、それができるだけの人間的深みがあります。
「ロンドンに移り住んだことは、私の人生における新たな一歩で、人生の自由、創造的な自由、そして芸術的な探求を意味する。香港はかつてイギリスの植民地だったから、この2つの都市の歴史的なつながりは私にとって深い意味を持つのよ。私はフルタイムで音楽を追求する前は、香港でニュース・ドキュメンタリー・ジャーナリストとして働き、複雑な政治的風景の中で人間の物語を紡ぐことを専門としていたの。この経験は、ストーリー・テリングと文化的アイデンティティに対する私の深い認識を形成し、現在、私の作曲とアレンジに浸透している要素ともなっているの」
TC. KYLIE が生まれ育った香港からロンドンへと旅だったのは自由を手にするためでした。それは、人生の自由であり、創造的な自由でもあります。ジャーナリストとして働いていた香港時代、彼女は生まれ育った故郷の複雑な政治的背景を思うように綴れない状況に悩みます。そして、彼の地に住む人々が、香港の魂であるカントンポップと故郷の悲喜交々を関連付けて生き抜いていることにも気づかされます。自分の愛するジャズだって文化を綴るハーモニーだ。ならば、ジャズでもカントンポップのように地元と密着したストーリー・テリングができるのでは?
「音楽の旅が進むにつれ、私は日本のアシッド・ジャズに傾倒し、そのハイエナジーなグルーヴ、シンコペーションのリズム、躍動的なブラス・アレンジに魅了されたのよ。Fox Capture Plan, Jabberloop, Toconoma, Jizue, Bohemianvoodoo といったバンドの熱心なフォロワーとなり、それぞれがこのジャンルにユニークな個性をもたらしていることを知ったの」
そんな TC. KYLIE の背中を押したのが日本と日本の文化でした。彼女は2020年、パンデミックでジャーナリストの仕事を諦め、自身の健康と情熱を大切にするため、無期限の休養を取ることを決意します。そして青森の十和田湖にあるジャズ喫茶とホステルに滞在。ジャズ愛好家だったホステルのオーナーに勧められ、TC. KYLIE はピアノの前に座り、政治・社会部記者時代に耐えてきたことを表現するために、思索し、散らばった音を弾き紡ぎました。何年も音楽から遠ざかっていた彼女はそうして、再び生活の中に音楽を取り入れることに喜びを感じるようになります。ジブリの名曲 “人生のメリーゴーランド” をカバーしたのはきっとそんな日本での出来事が、彼女のメリーゴーランドを回すきっかけになったから。それだけではなく、toe のようなポスト/マスロック、Fox Capture Plan のようなジャズ、そしてソニックのようなゲーム音楽まで、彼女の再生 “Rebirth 重生” の多くは日本の文化が根っことなって支えているのです。
今回弊誌では、TC. KYLIE にインタビューを行うことができました。「DREAM THEATER の “The Count of Tuscany” や “Illumination Theory” などのオーケストラ・アレンジは、私の作品に壮大なストリングスやホーン・セクションを取り入れるきっかけになったね。ジャズのハーモニーを映画のようなテクスチャーと融合させ、没入感のある感情豊かなサウンドスケープを創り出すのが好きなんだ」 どうぞ!!

TC.KYLIE “RE:BIRTH よみがえり” : 10/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【BLOODYWOOD : NU DELHI】 JAPAN TOUR 25′


COVER STORY : BLOODYWOOD “NU DELHI”

“It’s True For Babymetal As Well. Like Wasabi, It’s an Acquired Taste. Once You Understand It, You Cannot Get Enough!”

NU DELHI

「BLOODYWOOD はメタルなんだけど、たくさんのスパイスが効いていて、五感を圧倒するんだ。 誰もがヘドバンして、最後は僕らと一緒に踊ることになるよ」
これは、メタル界で最も独創的なバンドのひとつである BLOODYWOOD のミッション・ステートメントです。 2016年に結成された BLOODYWOOD は、伝統的なインド楽器を用いてメタルの常識を覆しました。彼らの曲にはクランチング・リフと同じくらいのバーンスリーやドールがフィーチャーされています。 ステージでは6人編成になる彼らは、オリジナル曲を作る前にYouTubeでポップ・ソングやオルタナティブ・ヒットをカバーし、バイラル・センセーションを巻き起こしました。そこから彼らの人気に火がつきました。
最初のギグは、2019年のドイツのメタル・フェスティバル、ヴァッケン・オープン・エア。その4年後、彼らはイギリスのダウンロード・フェスティバルで、日曜日の早い時間にメイン・ステージにおいて大勢の観客を集めました。 フジロックでの好演も記憶に新しいところ。
2022年のデビュー・アルバム “Rakshak” がUKロック&メタル・チャートとUSデジタル・チャートでトップ10入りを果たしたとき、国際的な好意は確信に変わりました。さらに、彼らの楽曲 “Dana Dan” がアクション超大作 “Monkey Man” のワンシーンのサウンドトラックに採用されると、その人気はさらに高まっていきました。BLOODYWOOD はインド史上最大のメタル輸出品となったのです。
「インドのメタル・シーンなんて誰も気にしてなかったんだ。そこで僕らが考えたのは、インターネットで自分たちを全世界に発信することだった。 その土地の言葉でヒップホップやポップスをやっていれば、その土地のアーティストになれる。 でも、メタルでそれをやっても、少なくともインドでは通用しなかった。だから世界を目指したんだ」

ローカルをすっ飛ばして世界へ。BLOODYWOOD は当初インドのシーンではなく、FacebookやYouTubeにカバー曲を投稿してファンを増やしていきました。バイラルを叩き出すために、インドのサウンドスケープが欠かせないもの。彼らの曲は、8弦ギターのリフで鼓膜をへし折るかのような、脈打つような Nu-metal を核にしていますが、ヒンディー語の歌詞を英語に混ぜ、ドールのような民族楽器も使っています。
「ヤギの皮でできていて、どの種類の木かもわからないんだ」
しかし、彼らはただアイデアと遊び心のある奇抜な人気者というわけではありません。ギタリストの Karan Katiyar はソーシャルメディア上で 「ここ2、3年はこれまで以上に多くのいじめや憎悪を目にする。 また、その多くがエスニシティに向けられたものであり、だからこそ自分たちのストーリーを伝えることがより重要になった」と語っています。
ボーカリストの Jayant Bhadula は年上のいとこを通じてヘヴィ・メタルに出会い、ヴァイキング・メタル AMON AMARTH の音楽を教示され、SLIPKNOT から SYSTEM OF A DOWN までモダン・クラシックの詰まったCDを焼いてもらいました。その両者からの影響は、まさに BLOODYWOOD の音楽に滲み出ています。「誰かが僕をモッシュピットに放り込んでくれて、人生で最高の時間を過ごしたよ」
ただ、最初から順風満帆だった訳ではありません。
「最初にレコーディングしたのは、本当のスタジオではなかったんだ。 狭くて、夜はとても寒かった。 毛布がなかったから、カーテンを下ろして代わりに使っていた。 貧乏だったわけじゃない。両親には自分の活動を隠すのが一番だと考えていたからね。
インドでは、親が認める職業は3つしかない。医者、弁護士、役人だ。 当時なら親はきっと賛成してくれなかっただろうけど、今は賛成してくれて嬉しいよ」

Katiyar の最初のギターは “Givson” でした。
「インドの偽ギター業界を紹介するよ!最初のギターは、”Givson” というブランドのエレクトロアコースティックだった。そのアンプのひとつにオーバードライブのセッティングがあって、もちろんノブなんだけど、ノブをゼロから0.01でも何でもいいから少し回した瞬間に、信号が完全に歪んでしまうんだ (笑)」
ラップを担当する Raoul Kerr に出会った時のことを、Katiyar は今でも覚えています。善のための力になろうというバンドの意欲をアピールする Kerr は、強いメッセージで性的暴力を非難しています。 今日、彼はほとんどいつも “No Flag” の文字が入ったマッスルベストを着て、BLOODYWOOD が分断ではなく団結を望んでいることを一貫して証明しているのです。
「彼に会った瞬間から、僕たちが同じビジョンを共有していることは明らかだった。最初はレスラーのようだと思ったけどね! 彼のライムとフロウは、まさに僕たちがまだ探していたピースだった。 僕たちは何を探しているのか正確には知らなかったが、とにかくそれを見つけたんだ」
ラッパー Kerr にとっての神様は、多面的でした。
「Mike Shinoda が僕の最初のインスピレーションで、Nu-metal 的な要素もあった。LINKIN PARK は僕の最初の音楽的な神だ。 昔は他の人と同じように、ラジオから流れている音楽は何でも聴いていた。でも、LINKIN PARK は初めて好きになったバンドで、積極的に追いかけた。その後、ヒップホップの入り口が開かれ、Eminem に入ったんだ。彼は、一世代前のラッパーたちにとって誰もが認めるインスピレーションの源だから、多くの人が彼を1位にする。 彼について好きになれるものはたくさんある。 嫌いなところもたくさんある。でも、ひとつだけ反論できないのは、彼が正直で、自分をさらけ出しているということだ。 彼のテクニックは手がつけられないほどだけど、正直なところ、テクニックとかよりも、彼は正直なんだ。 だから僕はこう言いたい。Mike, Eminem, RAGE AGAINST THE MACHINE は、僕が大人になってからの神だった。 彼らが音楽と政治の融合で社会変革の境界線をどこまで押し広げ、社会的インパクトを与えることができたかという点で、影響は大きいね」

Bhadula によれば、彼らの出身地であるデリーでは音楽教育が盛んで、ギターやドラムのクラスがあるところがたくさんあるといいます。
「学校では音楽を演奏している人の中でも、いつもメタルを演奏している人がみんなの度肝を抜いていた」
と Katiyar は回顧します。 しかし、そうした状況がインドのメタル・シーンに広く浸透しているとはまだいえません。
「インドはとても大きな国だから、メタルのリスナーが少ないという事実をつきつけられるのは不思議なことだよ」
インドのメタルはライブだけでなく、音楽のプロモーションというインフラも欠けていると Bhadula はいいます。
「インドでは、音楽の仕事といえば基本的にボリウッドで働くことであり、メタルは仕事になるわけじゃない」
つまり、BLOODYWOOD は多くのローカルなアンダーグラウンドのバンドを背負って、世界でほぼ一人でインドの旗を振っているのです。
「自分たちの音楽で国や文化を表現するのが大好きなんだ」と Katiyar はいいます。 「プレッシャーは全くないけれど、時々頭を悩ませるのは、インドという国全体を代表することが難しいということだ。 文化も言語もたくさんあるし、楽器の数も数えきれない。それでも、可能な限り、みんなを代表したいんだ」

BLOODYWOOD が2023年のダウンロードのメインステージのオープニングを飾ったとき、6月の日差しを浴びる観客の多さは、このインドのメタル・アクトが本物であることを証明していました。デビュー・アルバム “Rakshak” をリリースしたばかりの彼らは、ドールやタブラといったインドの伝統楽器と怪物的なリフを融合させ、インド・メタルを世界地図にしっかりと刻み込んだのです。
「大盛況だった! 僕たちは決して期待しないで臨む。なぜなら、期待値を低く抑えれば、いつもそれを上回ることができるからね。 でも、あれは子供の頃に夢見た瞬間のひとつだった。ヨーロッパの人々が僕たちのところにやってきて、僕たちの曲が彼らにとってどれほど重要かを話してくれたとき、自分たちが到達したレベルを理解し始めた。 僕たちの曲のいくつかは、世界中で困難な時期を乗り越える人々を助けてきた。 天職を見つけたという意味での “made it “だね」
2019年のドキュメンタリーを “Raj Against the Machine” と命名し、ナン色のレコードを販売するなど自分たちの文化に遊び心を加えて紹介する一方で、彼らはシングル “Gaddaar” で憎悪に満ちたレトリックを使って分断を図ろうとする政治家たちに反撃し、レイプ・カルチャーに反対するために音楽を使ってステイトメント、連帯の意思表示を発してきました。「これは世界的な問題であり、僕たちが強く主張ていることだよ」と Katiyar は言います。 「愛する人のために立ち上がること以上にメタルなことはあまりないと思う」
彼らのニューアルバム “Nu Delhi” は、2022年のデビュー作 “Rakshak” に比べて政治色が抑えられています。Katiyar は、ロシアがウクライナに侵攻したのと同じ週に “Rakshak” がリリースされ、それ以来、世界は絶え間なく毒のような敵意に渦巻いていると指摘します。
「人々はどちらか一方を選び、もう一方と戦うことに熱心だ」

だからこそバンドは、自分たちの祖国と歴史の物語を祝うことで、毒性、ステレオタイプ、いじめに対抗することを選んだのです。 「音楽を通して、世界を生きやすい場所にしようとしているんだ。音楽のポジティブな面をできるだけ多くの人に届けたいんだよ」
BLOODYWOOD のニュー・アルバムのタイトルは “Nu Delhi” ニュー・メタルとインドの影響を融合させたダジャレのようなもの。しかしその歌詞は、音楽と同様に彼らの国の文化への敬意に満ちています。タイトル曲は、人口3,400万人の大都市、インドの首都の過密な通りへとリスナーを引きずり込みます。
「ここでは誰もが試されている。聖人も罪人もいる、街ではなくチェスのゲームだ」
彼らにとっての目標は、より広い世界に、正真正銘のインド観を提供すること。同時に英語とヒンディー語の両方で精神疾患に光を当て、性的虐待を告発し、愛と喪失の両方を探求することが彼らのヘヴィ・メタル。そう Bhadula は主張します。
「僕たちはいつも、自分たちの身近にあるものをテーマにしようとしているんだ。”Nu Delhi” では、インドにはメタルだけでなく、世界に匹敵するような盛んな音楽シーンがあることを知らせたかったんだ。ファースト・シングルの “Nu Delhi” そのものが、僕たちからこの街へのラブレターなんだ」
“Tadka” ではインド料理に対する不滅の愛を表現しました。
「”Tadka” の正確な意味は、”スパイスや調味料のエッセンスを引き出し、料理を爆発的な味に変える技術” なんだ。料理の味を引き立てるために使うんだよ。”Tadka” を使うと赤唐辛子、マスタードオイル、マスタードシードなど、その料理の味がまるで別物のようになる。南インドから北インドまで、東インドから西インドまで、同じ食材でも使い方は人それぞれだ。味の大爆発なんだ!」
料理について熱く語ったメタルはそうそうないでしょう。
「僕たちが書くトピックはすべて、僕たちの心に近いものなんだ。ツアー中、僕らはヨーロッパ料理を食べていて、それは数日間はいいんだけど、最終的にはインド料理が食べたくなった。じゃあインド料理の素晴らしさについて書けばいいじゃないか。インド料理は芸術なんだ。スパイスのバランスを保たなければならないからね。
Karan がインストゥルメンタル・パートを考えてくれたんだけど、サビに入るリフが何か言っているような感じがしたんだ。”Tadka” は素晴らしい言葉だし、それが雪だるま式に広がっていった。料理だけに使われる言葉ではないから、人生に味をつける、人生にスパイスを加えるという比喩として使うことができる。とはいえ、僕たちは皆、本当に食べ物に対する情熱を持っているんだ」

“Bekhauf” では、BABYMETAL とアジアン・メタルの新たな歴史を作りました。
「以前から BABYMETAL のファンだったんだ。彼女たちを知ったのは “ギミチョコ!!” で、”メギツネ” も聴いたんだけど、あれはアレンジの点で、今まで聴いた中で最高のメタル・トラックのひとつだよ。”ド・キ・ド・キ⭐︎モーニング” がとても好きだし、”KARATE” も大好きだ。 実は BABYMETAL の曲も何曲かカバーしてみたんだけど、歌詞がめちゃくちゃでね(笑)。
最初は興味本位でビデオを見ていたんだけど、甲高いボーカルで歌い始めて、その間にバンドが全力疾走しているんだ。 最初は不思議だと思ったんだけど、一緒に聴くとすごくいいんだ。わさびと同じで、後天的な味覚だ。 一度理解したら、それなしでは満足できない。
ある時、BABYMETALのプロデューサーである KOBAMETALがライブに来てくれたんだ。それからずっと後になって、Karan が “Bekhauf” のためにインストゥルメンタルを作っていたんだけど、偶然にも同じ頃にKOBAから “一緒に何かやろう”というメッセージを受け取ったんだ。
僕たちはすでに BABYMETAL のためにパートを書いていて、それを気に入れば先に進めようということになっていた。僕たちは音節をどのようにヒットさせたいかというアイディアを持っていて、3人はそれを実現してくれた。すべてが相乗効果でうまくいったね」
BLOODYWOOD はバンドとして、日本の文化にゾッコンです。
「日本のマーケットはメタルを本当に受け入れているんだ。 僕はずっとアニメを見てきた。 例えば、”Death Note” の主題歌、MAXIMUM THE HORMONE の “What’s Up People?!!!” はとてもヘヴィだ。 こういう曲が日本のテレビで放送されていることにいつも衝撃を受ける。 インドでは、生まれてこのかた、テレビでメタルの曲を見たのは1曲だけだよ。メタルファンは100%素晴らしいコミュニティだ。 世界中のメタルヘッズは、どこの出身であろうと共通の特徴を持っているからね」

アニメとメタルは世界をつなぐ架け橋だと彼らは考えています。
「バンド全員が “ドラゴンボールZ” と “進撃の巨人” のアニメシリーズを見ていて、大好きなんだ。音楽だけでなく、キャラクターやストーリーも楽しめる。”ドラゴンボールZ” の界王拳を引用した “Aaj” という曲は、自分の限界に挑戦し、より良い自分になることを歌った曲なので、ぴったりだったよね。
曲を書いているときに、この言葉を使えると思ったんだ。 簡単なディスカッションをして、たとえみんながその言葉を知らなくても、耳にはとてもいい響きに聞こえると判断したんだ。 驚いたのは、僕たちの支持基盤の多くが即座にその言葉を理解したことだ!
僕たちのファンの多くがアニメも見ていることに気づいたよ。だから今、僕らはソーシャルメディア上でアニメの推薦を受け入れるようになり、最新の情報を得るようになった。 最近、映画 “呪術廻戦0” を観に行ったんだ。友達は誰もアニメを観ないから、ひとりで。 リクライニング・チェアがあり、ポップコーンがあり、幸せだった! 」
そうして世界中とコラボしてツアーすることで、ニューデリーの良さを再認識できたと Bhadula は考えています。
「このアルバムは、ニューデリーが “やあ、僕らもメタル世界にちゃんと入ったよ” と言っているんだ。もちろん、ニューデリーにいるときはもっと好感が持てる。家にいて、周りに友達がいて、ある種の安心感がある。でもツアーに出ているときも、故郷のように感じるよ。だってヒンドゥー語を知らない人たちが、一緒に歌っているのを見ることができるからね。グラスポップ・メタル・ミーティングでは、ヨーロッパに住むパキスタン人(インド国旗を掲げていた)がいて、 “君たちのおかげでメタル世界の一員になれた気がする” と言っていた。この感謝の気持ちが、ホームシックなんて吹き飛ばしてくれるんだ…料理は別としてね!」
最近のドキュメンタリー “Expect A Riot” で彼らは、このアルバムで “インドに対する認識を変えたい” と語っていました。
「どのようなソーシャルメディア上でも、あるレベルのインド嫌いが蔓延している。”BABYMETALよ、なぜこんなP******とコラボしたんだ?” みたいなね。僕たちは常に平和な場所にいるわけではない。それは SNS 上で取り組まなければならないことで、僕たちのためだけでなく、世界中のすべての人のためでもある。僕たちができる最初の一歩は、そうした人たちの偏見、インドに対する認識を変えることだ。
僕たちは、世界で最も古い文明のひとつから生まれた。インドの文化は非常に多様で、一生かけてもインド全土を巡り、そのすべてを理解することはできないだろうね。そして伝統や文化だけでなく、科学にも多くのものを提供してきた国なんだ。他の誰かを攻撃することで、この認識を変えることはできない。このアルバムは、僕たちの一部分と、僕たちの出身地であるこの街への愛を分かち合うものだ。願わくば、人々が理解し、巷にはびこるインド人嫌いのフィルターを越えて見てくれることを願っているよ」

インドに対する偏見は、TikTok の影響だとも。
「インドに対する人々の印象は、実際とはかなり違っていて、その多くはTikTokに関係している。TikTokでは、インドの偏ったバージョンが常に描かれているんだ。汚い食べ物、汚い道路、汚い人々。 でも、実際にはそういうもは、探さなければ見つからない。 もしインドに来て、まずい店を探すなら、まずい街のまずいところに行くしかない。 この国はそういう国じゃないんだ。もしそうだとしたら、美味しい物が好きな僕たちみんな死んでるよ (笑)」
“Bekhauf” でのシンセサイザーの多用は、より純粋なフォーク・メタル・スタイルからの逸脱を予言しているのでしょうか?
「危険な要素もあるんだ。僕らのフィルターを通さない意見からだけでなく、このアルバムで実験した方法からもね。実験のひとつは “Bekhauf” で、次のアルバムで何をすべきかについて、誰もがそれぞれの意見を持っていた。でも、僕たちは最初からそうしてきたように、最も正直な気持ちを吐き出し、それを聴いてもらうことで、好きか嫌いかを決めてもらうことにしたんだ」
歌詞をすべて追えなくても、彼らの曲がいかに心からのものであるか、その情熱が伝わるはずです。そしてこの “Nu Delhi” は政治色よりもアットホームな要素を全面に押し出しました。例えば、”Halla Bol” では歴史的に重要な事件を扱い、”Hutt” では自己承認や否定的な雑音に立ち向かうという考え、あるいは “Tadka” ではインド料理の楽しさなど、ポジティブな意思を発信しています。
「音楽が世界に与える影響の限界を押し広げようとしているんだ。それが内なる戦いであれ、より良い世界のための戦いであれ、僕らのサウンドはみんなをひとつにして勝利に導くためのものなんだ」
常に “謙虚” だからこそ、BLOODYWOOD のメッセージは多くの人の心に届きます。
「実は…この成功は夢のようなものなんだ。インドでは、海外に出て、世界最大の舞台で国際的な観客のためにプレーする人はあまりいないんだ。つまり、50%は夢のようなもので、現実であるには素晴らしすぎる。 でも、あとの50%はとても信じられる。 なぜなら、インドだけでなく、世界中には、24時間365日、音楽が好きで働いているミュージシャンのように、懸命に努力している人たちがたくさんいることを知っているから。どんなに才能があっても、運という要素は必要だ。僕たちはそれを手に入れた。 でも同時に、自分たちの仕事を必死でやっていたから、幸運が訪れた。だから、このバンドはみんな謙虚でいられるんだと思う」


参考文献: JAPAN FORWARD :INTERVIEW | India’s Bloodywood Are Babymetal Fans and Out to Inspire Change in the World

KERRANG! :Bloodywood: “This album is New Delhi saying, ‘Hi, we’ve entered the metal world chat’”

THE GUARDIAN :Indian rock sensations Bloodywood: ‘What’s more metal than standing up for people you love?

GUITAR.COM :https://guitar.com/features/interviews/bloodywood-interview-karan-katiyar-nu-delhi/

来日公演の詳細はこちら。SMASH JAPAN

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【CYBER BAND : THROUGH THE PASSAGES OF TIME】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH ANDREW PATUASIC OF CYBER BAND !!

“My Dad Advised Us To Learn Tom Sawyer And YYZ by Rush If We Wanted To Win. And Through Learning Both Of The Songs Made Us Love Prog Rock And Opened Our Eyes To a New World Of Music.”

DISC REVIEW “THROUGH THE PASSAGES OF TIME”

「僕たちがまだ初心者だった頃、アマチュアのバンド・バトルに参加しては負け続けていたんだよ。父は、コンテストに勝ちたければ RUSH の “Tom Sawyer” と “YYZ” を覚えろとアドバイスしてくれた。この2曲を覚えたことで、僕たちはプログが大好きになり、新しい音楽の世界に目を向けるようになったんだ」
DREAM THEATER や GOJIRA のグラミー獲得。Steven Wilson の全英チャート1位。もしかすると、インスタントな文化、音楽に対する反動として、プログレッシブ・ミュージックの復権、その狼煙があがったように見える昨今。とはいえ、結局そうした怪気炎も音楽に対価を支払い、アルバム単位で鑑賞する過去の風習が染み付いた40代以上の踏ん張りに支えられているようにも思えます。
実際、シーンを牽引し、ムーブメントを起こすのは若い力。そうした意味で、20代前半からなるフィリピンの至宝 CYBER BAND が注目を集め始めていることに、プログの民はどれほど勇気づけられることでしょう。彼らの “情熱” は、勝利と喜びの味を教えてくれた RUSH とプログに対する恩返し。だからこそ、信頼できるのです。しかも彼らが現れたのはプログ未開の地、フィリピン。メタル同様、第三世界から登場する才能の芽は、シーンの未来を明るく照らします。
「僕らはプログの神様、EMERSON LAKE & PALMER, RUSH, YES, KING CRIMSON, GENESIS から影響を受けている。”Through The Passages of Time” は、壮大なプログ・ロック・ソングへの愛から生まれたもので、自分たちで作ろうと決め、自分たちの限界に挑戦したんだ。テクノロジーの台頭によって、より多くのミュージシャンが革新的で新しいものを生み出すようになると思う。プログの神々が当時そうであったように、もっと多くのアーティストが自分たちの限界に挑戦するようになれば、21世紀のプログレッシブ・ロック・ミュージックはもっと新しい音楽的次元へと進化していくだろうな」
事実、23分のオープナー “Through the Passages of Time” は、音楽の喜びを教えてくれたプログの神々に対する愛情にあふれています。さながら目前でライブを見ているかのような生々しいプロダクションはまさに70年代の偉大なプログやクラウトロックを彷彿とさせます。当時、レコーディングは生のまま、ある意味不完全なものが多くありましたが、だからこそバンドの演奏の楽しさとアイデアの豊かさが際立った側面はあるはずです。このアルバムのサウンドも同じで、パワフルでありながら扇情的で、レトロでありながらモダン。彼らのスピリットを余すことなく伝えていきます。
レトロとモダンの鍔迫り合いは音楽やアイデアにも飛び火します。CYBER BANDは、ドラム、ギター、ベース、ボーカルというクラシックなラインナップを基本としながらも、ストリングス、ピアノ、管楽器、エレクトロニック・エレメントがサウンドを豊かにし、多彩な音のビッグバンを作り出すことでプログ宇宙を拡張していきます。ジャズからクラシックまで、あの頃の巨人と同様に音楽の冒険を楽しみながら、シームレスに調和を取りながら、自らの歩みを進めるのです。
“Epitaph” や “Red Barchetta” を想わせる名演が繰り広げられるアルバムの中で、CYBER BAND をさらに特別な存在へと押し上げるのが、インタビューイ Andrew Patuasic の素晴らしい歌声でしょう。Wetton, Lake, Mercury といった伝説が帰還したかのようにエモーショナルで心を揺さぶる伸びやかな Andrew の歌唱はロックの本質、感情の昂りをリスナーに思い起こさせてくれます。それにしても、Arnel Pineda といい、フィリピンの人は本当に歌心がありますね。
今回弊誌では、Andrew Patuasic にインタビューを行うことができました。「アニメが大好きなんだ!”坂道のアポロン” というアニメが大好きで、日本がいろいろな音楽にオープンであることも大好きなんだ。”賭ケグルイ”のサウンドトラックを聴いて衝撃を受け、日本がいかにあらゆる音楽を愛しているかということを思い知らされたよ」 鍵盤とベースを同時に操る眼鏡クィッの彼も秀逸。どうぞ!!

CYBER BAND “THROUGH THE PASSAGES OF TIME” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【DAWN OF OUROBOROS : BIOLUMINESCENCE】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH TONY THOMAS OF DAWN OF OUROBOROS !!

“We All Grew Up Near The Coastline Of California So The Pacific Ocean Has Been a Major Theme Across All Of Our Music. In The Case Of Bioluminescence, Chelsea Felt It Was a Theme She Found Beautiful, And Wanted To Express Her Admiration Of It Through The Music.”

DISC REVIEW “BIOLUMINESCENCE”

「僕たちはみんなカリフォルニアの海岸線の近くで育ったから、太平洋は僕たちの音楽すべてに共通する大きなテーマなんだ。”Bioluminescence” の場合は、Chealsea が美しいと感じたテーマで、音楽を通して生物発光の素晴らしさを表現したかった。主にアルバムのタイトル曲でね」
“Bioluminescence”(生物発光)とは、生物の体内で起こる化学反応が光を生み出すことを表します。これは、カリフォルニア州オークランドの DAWN OF OUROBOROS、その自らの尾を飲み込む円環の音蛇を実に的確に比喩した言葉なのかもしれません。様々に異なる曲作りの技法を組み合わせた彼らの虹色の輝き、それはまさにブラックメタルの生物発光。
重要なのは、彼らがそうしたインスピレーションを、自らが生まれ育った太平洋の海岸線、美しき海原と生命の神秘から受けていることでしょう。もちろん、今日ブラックメタルはその出自であるサタニズムの手を離れて、自然崇拝や少数派、弱者の代弁、スピリチュアリズムなど様々な分野に進出していますが、彼らも自らのアイデンティティを余すことなくブラックメタルに注いでいます。メタルにおける自己実現。それはきっと、とても尊いこと。
「作曲を始めるときは、いろいろなドラムのアイデアに合わせてギターを弾き、気に入ったものが出てくるまでその上で即興演奏するんだ。だから、インプロビゼーションを通して自然に生まれるものなんだよ。でも、僕たちのサウンドが人々の心に響くのは、イントロ部分の Chelsea の歌のおかげだよ。彼女もそのボーカルの多くを即興で歌うので、曲に自然なジャズ・フィーリングが生まれたんだ」
そうして唯一無二の方法で育まれた DAWN OF OUROBOROS の音楽は、当然ながら他のブラックメタルとは一線を画しています。現代的なブラックメタルとデスメタルが巧みに混ざり合う “Bioluminescence” の世界には、さながら深海を探索するようなポスト/プログのアトモスフィアが漂います。発光生物の多くが海に生息しているように、DAWN OF OUROBOROS の音色は明らかに水中のイメージを想起させ、ボーカルとギターのメロディーにはオワンクラゲのごとくみずみずしき浮遊感が存在します。
一方で、リズム・セクションが津波のようなシンセ・ラインとともに脈動し、激しいうなり声や叫び声が大空から轟いてくることもあり、この太平洋の神秘と荒波の二律背反こそがウロボロスの夜明けを端的に表しているに違いありません。
「僕たちは自分たちが好きな音楽を作ること以外を目指したことはなかったから、他のバンドがよくやること、当たり前なことなんて考えたことはなかったんだ。それに、Chelsea の声はそれ自身で彼女がいる意味を物語っていると思うし、何より彼女はハーシュ・ヴォーカルもクリーン・ヴォーカルも、他のヴォーカリストよりもうまくこなせるんだ」
そうした DAWN OF OUROBOROS の両極性を増幅させるのが、Chelsea Murphy の多面的なボーカルでしょう。ドリーミーな歌声と生々しい叫び声を瞬時に切り替える彼女の類まれな能力は、ROLO TOMASSI の Eva Korman を想わせるほどに魅力的。
“Slipping Burgundy” ではスムースでジャジーに、”Fragile Tranquility” では荒く、ほとんど懇願するようなトーンでリスナーの感情を刺激します。 先程までラウンジで歌声を響かせた歌姫が、まるで燃え盛るマグネシウムのまばゆい輝きのように耳を惹き、ハリケーンのように畏敬の念を抱かせるスクリームで世界を変える瞬間こそ圧巻。バスキングと威嚇を繰り返すウロボロスの円環はあまりにも斬新です。
今回弊誌では BOTANIST でも活躍する Tony Thomas にインタビューを行うことができました。「最近では、ALCEST や DEAFHEAVEN, 明日の叙景、LANTLOS, HERETOIR のようなポスト・ブラックメタルや、COMA CLUSTER VOID, ROLO TOMASSI, ULCERATE のようなプログレッシブ・メタルを探求しているね」 どうぞ!!

DAWN OF OUROBOROS “BIOLUMINESCENCE” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【FROGG : ECLIPSE】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH SKY MOON CLARK OF FROGG !!

“Obviously I LOVE Tech Death, But Yes, One Has To Admit There’s a Formulaic Approach To Both Production And Songwriting In The Genre.”

DISC REVIEW “ECLIPSE”

「特定のサブジャンルにこだわる必要なんてなくて、どんなアイデアも排除したくなかったんだ。 だから “Eclipse II” にはメタル・コア、Djent、フュージョンの要素があり、Will が演奏した何十種類もの楽器を使ったギター・ソロ・セクション、特にファースト・ソロで目立つタブラの妙技、そして黒く染まったシンフォニック・デスメタルのアウトロまでがある。 まさにそれが僕たちが感じていたものだった」
“Frogging the Horses” という SikTh の狂った名曲がありますが、Frogg の二つ名はプログ世界にとってはどうやら僥倖。”どんなアイデアも排除しない” という意味で、明らかにニューヨークのセンセーション FROGG はあの SikTh の魂を受け継いでいます。いや、SikTh だけではありません。00年代、SikTh と “カオス” の覇権を激しく争った PROTEST THE HERO の高鳴るギター・メロディ。ANIMALS AS LEADERS の超重低音とシステマティックな陶酔。BETWEEN THE BURIED AND ME の驚異的で雑多な構成力。NECROPHAGIST の性格無比な超速暴威。そうした21世紀を代表するプログ・メタルを養分として蓄えた巨大なカエルが今、メタルの境界をすべて飲み込みます。
「間違いなく Alexi Laiho だね。 僕がギターを弾き始めたのは高校1年生のときで、かなり後発組だった。 でも、ギター中毒になってしまって、ギターを弾くのを止められなかったよ。僕はPCゲーマーだったから、ネットで独学する方法を知っていたんだ。 Ultimate Metal Forums と sevenstring.org は、当時ギターを学ぶのに人気のサイトだった。まだYoutubeのコンテンツが豊富ではなかったから、フォーラムとギター・タブが主流だったね。僕は地元でフルタイムのインストラクターを雇う余裕がなかったから、Guitar Proが最初の先生だったよ」
そうした21世紀の多様性に FROGG はギター・ヒーローの魂を持ち込んでいます。奔放でカラフル、まるでメインストリームのポップ・ミュージックのように光り輝く “Wake Up” においても、Alexi Laiho から受け継いだ高速の “ピロピロ” がメタルの証を主張します。
実際、”フロッゲンシュタイン” などと例えられるパッチワークな FROGG の音楽において、Sky Moon Clark と Brett Fairchild のシュレッドがすべてを縫い合わせている、そんなイメージさえリスナーは感じることになるでしょう。Alexi Laiho と Guitar Pro の遺産が実りをもたらす時代になりました。”Double Vision Roll” なんて実に COB ですよね。
そうして紡ぎ出されるのは、テクニカル・デスメタルらしからぬスケール感と意外性、そしてお洒落なムード。空想的なメロディ、短いポップなブレイク、奔放な音楽的ショーマンシップに自由を見出した薔薇色のメタル。今の時代、”テック” だけでメタル世界の水面に波紋を広げることはできません。しかし、FROGG の棲む水面にはステレオタイプに飽きたリスナーが渇望する、ぞわぞわとしたカタルシスとカエルが舌を伸ばすようなお茶目な驚きと遊び心が混じった何かが渦を巻いています。まさに新時代のメタル両生類。
今回弊誌では、ボーカルも務める Sky Moon Clark にインタビューを行うことができました。「Will(ドラマー)はこのアルバムのもう一人の主要なソングライターで、BTBAM や SikTH に影響を受けている。 THE FACELESS, COB, SCAR SYMMETRY にはもっと影響を受けたと思う。 FFO (For Fans Of) にBTBAMに入れたのは、彼らが DIABLO SWING ORCHESTRA や UNEXPECT と並んで Will に大きな影響を与えたからなんだ」 UNEXPECT!!ARSIS の名盤を挙げているのも嬉しい。また Emma のショルキーが最高よね。どうぞ!!

FROGG “ECLOPSE” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【SAOR : ADMIST THE RUINS】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH ANDY MARSHALL OF SAOR !!

“When People Listen To SAOR, I Want Them To Close Their Eyes And Be Transported Somewhere Else―Away From Their Worries, Even If Just For a Little While. Music Has That Power, And I Think That’s What Makes It So Special.”

DISC REVIEW “ADMIST THE RUINS”

「メタルには生の激しさがあり、伝統的な民族音楽と見事に調和するパワーがある。民族音楽は魂に語りかけるもので、歴史や感情、土地との深いつながりを運んでくる。それとメタルのヘヴィネスとエネルギーとを組み合わせると、重厚で深い感動が生まれる。自然な融合だよ」
ブラックメタルが根付いた土地の文化や自然を愛する営みは、今やメタル世界において最も純粋さが感じられる尊い瞬間のひとつ。その老舗であり盟主、SAOR の中の人 Andy Marshall は世界屈指のフォーク/ブラックメタル・アーティストであり、スコットランドの計り知れない美しさと民俗文化に誰よりも思いを馳せ、愛情を注ぎながらその音楽を書いています。そう、ヘヴィ・メタルも伝統音楽も、魂に語りかける歴史と感情の音楽。だからこそ両者は、純粋に、そして外連見なく溶け合います。
「僕はいつもスコットランドの歴史に魅了されてきたんだ。”グレンコーの虐殺” は、僕たちの過去において最も暗く悲劇的な瞬間のひとつだった。僕は自分の音楽でスコットランドの歴史の異なる時代を探求していくのが好きなのだけど、当時は、この特殊なストーリーがとても心に響いたんだよね」
“Amidst the Ruins” “廃墟の中で” と題された SAOR 6枚目のアルバムは、ここ数作で少し霞んでいたスコットランドの自然、荒涼とした高地、艶やかな湖、霧に覆われた渓谷が再びまざまざと眼下に広がる作品に仕上がりました。壮大でプログレッシブ。伝統楽器とディストーションがドラマチックに勇躍する旋律の重厚舞踏。
ブラックメタルの激しさとケルト民謡のメロディーの壮大な融合はそうして、ハイランドの歴史に生命を吹き込んでいきます。 カレドニアの精神に導かれ、SAOR の音楽は故郷の古代の物語と響き合い、時を超えます。哀愁漂う廃墟と自然の中で SAOR の奏でる音魂は、人間の裏切りから森がささやく秘め事まで、時代を超越した風景と人類の業を風化した幽玄なる渓谷から蘇らせていくのです。
インタビューの中で Andy は、歳をとるにつれて政治に関心がなくなってきた、暴力や欺瞞が蔓延る暗い現代よりも自分の音楽に集中したいと語っています。実際、スコットランドの独立を願っていた以前よりも肩の力が抜けて、スコットランドの美点へとよりフォーカスした作品はそんな考え方の変化を反映しているようにも感じます。
ただし、そうした変化の中でも Andy は、荘厳にして深淵、一際悲哀を誘う “Glen of Sorrow” で “グレンコーの虐殺” を取りあげました。これは17世紀にイングランド政府が手引きして起こった、スコットランド、グレンコーの罪なき村人たちが殺戮された忌まわしき事件。この一件により、スコットランドとイングランドはより険悪な関係となり、その余韻は300年を経た今でも少なからず続いています。ハイランドの嘆きの谷。そこに巣食う亡霊は今の世界を見て何を思うのでしょうか?きっと、Andy Marshall はそんな問いかけをこの美しくも悲しい暗がりで世界に発しているのではないでしょうか?
今回弊誌では、Andy Marshall にインタビューを行うことができました。
「僕はメタルだけじゃなく、すべての音楽は、ある意味で逃避場所になりうると思う。人々がSAORを聴くとき、目を閉じてどこか他の場所へ…ほんの少しの間でも悩みから遠ざかってほしい。音楽にはそういう力がある。それが音楽を特別なものにしていると思う」それでも、私たちにはヘヴィ・メタルがある。二度目の登場。 どうぞ!!

SAOR “ADMIST THE RUINS” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【SEVENTH STATION : ON SHOULDERS OF GIANTS】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH SEVENTH STATION !!

“We Had This Inspiration- What If All These Master Composers Were Alive Today, Having Access To The Technology And All The Musical Capacity Of Everything We Have Today, How Would It Sound?”

DISC REVIEW “ON SHOULDERS OF GIANTS”

「もし、現代音楽の巨匠、作曲家たちが今に生きていて、現代のテクノロジーとあらゆる音楽的能力を利用できるとしたら、どんなサウンドになるだろうか?それは素晴らしい創造的な挑戦であり、僕たちにインスピレーションを与えてくれる音楽の巨匠たちに謙虚な敬意を払う機会でもあったんだ」
ヘヴィ・メタルとクラシック音楽は、RAINBOW, SCORPIONS や Yngwie Malmsteen が証明するように、太古の昔から美しきアマルガムを演じてきました。荘厳かつ影のあるネオ・クラシカルな旋律と、メタルのダークな重さは実に相性が良く、そのマリアージュは今やメタルの顔と言っても過言ではないでしょう。
一方で、アヴァンギャルドかつ多様な20世紀以降のクラシック、現代音楽とメタルの融合はあまり進んでこなかったというのが実情でしょう。もちろん、例えば SYMPHONY X のように現代音楽まで踏み込んで咀嚼するバンドは少なからず存在しますが、それ相応の音楽知識と好奇心、挑戦心を兼ね備えたアーティストは決して多くはないのです。SEVENTH STATION はそんな状況に風穴を開けていきます。
「DREAM THEATER と一緒にステージに立つという生涯の夢が、Jordan とのつながりの直後、このレコードで実現した。僕の音楽的マインドを解放してくれた最も影響力のあるヒーローたちと一緒に演奏するという信じられないような特権を得たし、このクレイジーな夢に50人もの才能あるバークリーの友人たちを招待することができた。DREAM THEATER のライブ・レコーディングに指揮者兼アレンジャーとして参加したことは、今でも思い出すとゾクゾクする」
そうした前代未聞を実現したのは、労力と時間をかけた学びの力でした。SEVENTH STATION は、スロベニア、トルコ、イスラエルを拠点とする多国籍プログレッシブ・エクスペリメンタル・メタル・バンド。エルサレムの音楽アカデミーとボストンのバークリー音楽大学の間で結成された彼らの “学びの力” “学びへの意欲” は多くの音楽家を凌駕しています。だからこそ、鍵盤奏者でプログラマーの Eren Başbuğ はあの Jordan Rudess の愛弟子となることができました。DREAM THEATER のオーケストレーションも担当。そうして彼らは常に高い到達点を目指し、感情的に複雑で巧みな芸術を追求し、アルバムごとにプログレッシブ・ミュージックがあるべきビジョンに向かって前進しているのです。
「美的にも芸術的にも、20世紀初頭に憧れがあるのは間違いない。テクノロジーが未熟だった時代にね。現代人がいつでも誰でもすぐに情報にアクセスできるようになったことで、多くの謎や心の余裕が失われてしまった。そのミステリーとマインドフルネスには、世界と互いについて常に好奇心を持ち、夢を見続けるという、人と人との表現とつながりという意味があった」
そんなSEVENTH STATION が理想とするのが、まだテクノロジーが未熟で、だからこそそこに謎や驚き、意外性が存在した20世紀初頭。ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチ、ヴォーン・ウィリアムズにモノトーンの無声映画。彼らはそうした古き良き時代にあった驚き、不確実性、不調和、シュールレアリズム、そして実験精神をヘヴィ・メタルで見事現代に甦らせました。木琴も彼らの手にかかれば立派なメタル楽器。異端児や歌舞伎者の魂は、決して一朝一夕、インスタントに貫くことなどできないのです。
今回弊誌では、SEVENTH STATION にインタビューを行うことができました。
「”Nagasaki Kisses” は、ラルフ・ヴォーン・ウィリアムズの交響曲第6番の第1楽章を僕たちが再構築したもの。多くの学者やリスナーは、ヴォーン・ウィリアムズの交響曲第6番、特にその第1楽章は、第二次世界大戦の暗い感情の余波を反映していると推測しているんだ。ヴォーン・ウィリアムズが交響曲第6番を作曲したのは戦後の数年間で、世界中が原爆戦争の悲惨な結末と、紛争が残した深い傷跡と格闘していた時期だった。暗く、陰鬱で、時に不穏な雰囲気を持つこの交響曲の陰鬱な曲調は、この破滅的な出来事から生じた「死」「絶望」「喪失」の感情と一致しているよ」 どうぞ!!

Dmitri Alperovich – Electric and Acoustic Guitars
Eren Başbuğ – Keyboards, Editing, Programming
Davidavi (Vidi) Dolev – Vocals [2, 4, 5]
Alexy Polyanski – Bass Guitars
Grega Plamberger – Drums, Marimba [3], Percussion

SEVENTH STATION “ON SHOULDERS OF GIANTS” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【NEURAL GLITCH : CONVINCED TO OBEY】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH CHRIS PARKER OF NEURAL GLITCH !!

“I Consider Editing And Effects Design To Be As Vital an Instrument To The Overall Project As The Guitars, Drums, Bass, And Vocals.”

DISC REVIEW “CONVINCED TO OBEY”

「スタジオ・エンジニアとして、またソングライターとして、編集とエフェクト・デザインは、ギター、ドラム、ベース、ボーカルと同様に、プロジェクト全体にとって不可欠なひとつの “楽器” だと考えているんだ。僕は、NEGATIVELAND, EMERGENCY BROADCAST NETWORK, John Oswald など、編集とオーディオ操作の美しさに特化したオーディオ・コラージュ・アートの大ファンだからね。メタルの行く末を予測するのは難しいけど、これまで未開拓だった領域へと広がっていくことは間違いないと思う。僕の音楽がモダン・メタルの進化に少しでも貢献できれば、とても光栄に思うよ」
90年代初頭。グランジの台頭で絶滅の危機へと追い込まれたヘヴィ・メタルは、さながらかつて小惑星の衝突で絶滅待ったなしとなった地球の生物のように、多様化と細分化を押し進めることになりました。ただし、そんなステレオタイプから距離を置いたモダン・メタルの世界においても、やはりメタルらしい “流れ”、メタルらしいカタルシスを排除し、”脱構築” するバンドは皆無に近かったと言えるでしょう。テキサスの NEURAL GLITCH とその鬼才 Chris Parker は遂にその前代未聞に革命的なメスを入れます。
「僕は様々な形のメタルが好きだけど、それぞれのジャンルの枠の中では限定的すぎると思うことがよくあった。僕はすべてをミックスしたかった。私生活では実に様々な音楽を楽しんでいるので、このような多様な音楽的アイデアのパレットをまとまりのあるプロジェクトに取り入れたいと思ったんだ」
もちろん、多様性から生まれ出る “混沌” がひとつの “顔” となったモダン・メタルの現在ですが、それでもその “混沌” はすべからく意図して作られた混沌。NEURAL GLITCH はその混沌をある意味、神の手に委ねています。いや、もちろん Chris の話を聞けばその混沌は綿密に計算されたものですが、少なくともリスナーの耳にはあまりに突拍子もなく非連続な偶然の産物に聴こえます。
しかし、NEURAL GLITCH がずば抜けているのは、その偶然の産物が往々にして実にクールに連鎖していくこと。
「Devin Townsend と IGORRR の例えについてだけど、彼らの名前を挙げてもらえるだけでも大変光栄だよ。特に Devin は、長い間僕のソングライティングとスタジオ・プロダクションのヒーローの一人だったからね。彼の初期の作品は素晴らしいし、彼のアルバム ”Empath” はジャンルを融合させた傑作であり、スタジオ・プロダクションの最高峰だと僕は思う。僕は彼ら天才の作品の何分の一かのクオリティに達する努力しかできないよ」
なぜこれほど NEURAL GLITCH の “カット・アップ” はクールなのか?それは、Chris が音楽の切り貼り、”コラージュ” を自らの愛するメタルと様々な色彩のジャンルで埋めているから。オールド・スクールなデスメタル、スラッシュ・メタルから始まり、YES の壮大知的なプログレッシブ・ミュージック、MR. BUNGLE の前衛性、MINISTRY のインダストリアルに、Devin Townsend が司る複雑性の全知全能。
そうした Chris の愛情が注がれた音楽の断片たちは、唐突であっても決して偽物やセルアウトのようには聴こえません。むしろ、これこそが “グリッチ・アート”、美しき偶然性で、美しきエラー。我々はこのメタルを壊しながらメタルを愛する不思議な場所から何が生まれるのか、しっかりと見守る必要がありそうです。
今回弊誌では、Chris Parker にインタビューを行うことができました。 「The Boredams は容赦なく狂気的で、聴いていても信じられないようなサウンドだ。 彼らのアルバムを何枚か持っている。 彼らのボーカル、山塚アイのバンド、NAKID CITY での活動は、高く評価してもしきれない。 後にも先にもこのようなレコードはないね。 素晴らしいノイジーなエレクトロニック・パンク・アルバムをリリースしている Space Streakings も大好きだ。 数年前、Igorrr の前座で Melt Banana を見る機会に恵まれたんだけど、彼らのパフォーマンスは強烈で爆発的だった! さらに最近では、ジャンルを超えた予測不可能なサウンドと魅惑的なビジュアルで魅了する Deviloof を発見した。 それに、数週間後にHanabie. と Crystal Lake のライブを見るのが楽しみなんだ。驚異的な Kim Dracula と共演するんだよ」 どうぞ!!

NEURAL GLITCH “CONVINCED TO OBEY” : 10/10

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MASTERPIECE REVIEW + INTERVIEW 【ATHEIST : PIECE OF TIME, UNQUESTIONABLE PRESENCE】 JAPAN TOUR 25′


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH KELLY SHAEFER OF ATHEIST !!

“In My Opinion, Death Has Zero To With The Pioneering Aspect Of Tech-metal, That Title Belongs To Atheist.”

DISC REVIEW “PIECE OF TIME” “UNQUESTIONABLE PRESENCE”

「もともとプログレッシブ・バンドや複雑な音楽が好きだったし、エクストリーム・メタルも好きだったから、そのふたつを組み合わせるのは自然なことだった。でも、それは決して意図的なものではなく、他の誰かになりたかった訳でもないんだよ。ただ自分たちがそうでありたかっただけで、でもありがたいことに、人々は私たちのユニークなアプローチを徐々に認めてくれるようになった。そして、私たちは自分たちの道を見つけたんだ。人々が最終的にそれを理解するまでには何年もかかったけどね」
デスメタルはその黎明期においてさえ、骨子である過激さに忠実であると同時に、境界を押し広げ、さまざまなサウンドを探求するジャンルとして進化を模索していました。それは、フロリダを一挙にデスメタルのメッカへと押し上げた MORBID ANGEL, OBITUARY, CANNIBAL CORPSE といった黎明期の偉人からの伝統。彼らにしても十二分に異様な音楽を叩きつけていましたが、それでも殻を破るバンドはいつの時代も出てくるものです。
特に90年代初頭には、デスメタルをそのコンフォート・ゾーンから脱却させ、よりプログレッシヴでテクニカルな道へと押し進めようとするバンドの波が押し寄せました。DEATH, CYNIC, PESTILENCE, NOCTURNUS といったバンドが、この奇抜でしかしあまりにも好奇心を誘う音楽の中心にいました。そして、そうしたバンドの “パイオニア” と自負するバンドこそ、ATHEIST です。
「CYNIC は私が契約するのを手伝ったバンドで、私は彼らのデモを Scott Burns と一緒に作った。Paul Masvidal と私は今でも数十年来の素晴らしい友なんだよ。
私の意見では、DEATH はテック・メタルのパイオニアという側面とは全く関係がない。そのタイトルは ATHEIST にこそ相応しい。DEATH は違う種類のメタルのパイオニアであり、プログレッシブになったのは CYNIC の私の子たちが Chuck Schuldiner と一緒になってからだ。それ以前の Chuck はとてもベーシックなプレイヤーだったからね」
もはや伝説となった CYNIC の Paul Masvidal や DEATH の Chuck Schuldiner をこのジャンルにおいては “ひよっこ” 扱いする ATHEIST の心臓 Kelly Shaefer。しかしその言葉に異論を唱える人は誰もいないでしょう。それだけ、ATHEIST と Kelly の功績はずば抜けていました。
「私にとってのお気に入りは、”Unquestionable Presence” だね。このアルバムでプレーしているすべての音を誇りに思う。でも、そうだね、4枚ともまったく違うアルバムだ。 そうなるべきだったんだ。だって、誰も同じアルバムを何度も聴きたくはないだろう。 でも、ATHEIST の雛形は “Unquestionable Presence” だと思うよ」
今年35周年を迎えた ATHEIST のデビュー・アルバム “Piece Of Time” は驚異的なテクニカル・スラッシュとデスメタルの要素をミックスした、オールドスクールでありながら破天荒、非常に狂暴なアルバムで、テクニカルな華やかさとプログレッシブな屈折がふんだんに盛り込まれた名品でした。
それでも ATHEIST の最高傑作に次の “Unquestionable Presence” を推す声が多いのは、おそらくプログレッシブ・デスメタル、テック・メタルというジャンルそのものの雛形を作り上げたから。この作品で彼らはオールドスクールなスラッシュ、デスメタルから離陸し、ジャズ/フュージョンがメタルといかに親密になれるかをその一音一音で証明していきました。
とはいえ、ソリッドなリフと辛辣なヴォーカルは健在。迷宮の中を浮遊して探索するような音楽の中で、リフはより複雑に、ギター・ソロは巧みさを増し、ベースとドラムは以前より遥かに印象的になりました。まだ Kelly はその巧みなギターを弾くことができましたし、ベーシスト Roger Patterson は悲劇的な死を遂げる寸前、このアルバムのためにベース・パートを書きあげていました。そうして、Roger の後任、CYNIC, PESTILENCE, ATHEIST を渡り歩いた稀代のベースマン Tony Choy の独特の音色はこのアルバムを真に特別なものへと昇華したのです。
今回弊誌では、Kelly Shaefer にインタビューを行うことができました。「テック・メタルは私たちから始まったのだけど、多くの人が私たちのアプローチを取り入れ、複雑な新天地へと進んでいったんだ。残念なことに、ジャズ・フュージョンとメタルを最初に激しく融合させたという点で、私たちが評価されることはほとんどないのだけどね」テック・メタルの起源、奇跡の初来日決定。どうぞ!!

ATHEIST “PIECE OF TIME” “UNQUESTIONABLE PRESENCE” : 10/10

ATHEIST ARE: Kelly Shaefer – lead vocals (1987–1994, 2006–present), guitars (1987–1994)
Dylan Marks – drums (2023-present)
Yoav Ruiz Feingold – bass (2019–present)
Jerry Witunsky – guitars (2023–present)
Alex Haddad – guitars (2023–present)

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