“I Personally Am Obsessed With Whatever That Magic Is That Makes Records “Classic”. So I Spent a Lot Of Time Over The Past Few Years Listening To All These Records That We Give This Honor And Taking In What They Had To Say.”
DISC REVIEW “Where we’ve been, where we go from here”
「レコードを “クラシック” にする魔法、それが何であれ、それに取り憑かれている。だから、ここ数年、僕たちはそうした “名盤” だと思えるレコードを聴き、そのレコードが語っていることを受け止めることに多くの時間を費やしてきた。僕にとって、これらの “名盤” たちに共通しているのは、彼らが何かを語っているということ。それが言葉であれ音楽的なものであれ、そこには目に見える即効性があった。”Pet Sounds” における即効性は、”OK Computer” における即効性とはまったく違うけれど、それでも僕の中では同じカテゴリーのものなんだ」
“friko4u”。みんなのためのFRIKO。それはシカゴのインディー・ロック・シーン、HalloGallo 集団から登場し、瞬く間に世界を席巻した FRIKO のインスタグラムにおけるハンドル・ネーム。FRIKO が何者であろうと、彼らの音楽は世界中から聴かれるために、つまり音楽ファンの喜びのために作られているのです。
そのために、FRIKO のフロントマン Niko Kapetan とドラマー Bailey Minzenberger は、THE BEACH BOYS から RADIOHEAD まで、自らが名盤と信じる作品を解析し、”目に見える即効性” という共通点へとたどりつきました。カラフルであろうと、難解であろうと、先鋭であろうと、名盤には必ずある種の即効性が存在する。そうして彼らは、その信念を自らのデビュー・フル “Where we’ve been, where we go from here” へと封じ込めました。
「シカゴのシーンがとにかくフレンドリーであるところだと思う。たとえば他の3つのバンドと一緒にライブをすると、みんなお互いのセットに残って見てくれる。みんなコラボレーションしたり、他のバンドで演奏したりする。シカゴは、LAやニューヨークのような他のアメリカの主要都市と違って、20代から30代前半の人たちが手頃な家賃で住めるということもあると思う。だから、ここでの生活をエキサイティングなものにしようとする若者がたくさんいるんだよ」
アルバムに込められた想い。それは、”私たちがいた場所、そしてここから進む場所”。シカゴのインディー・シーンは決してLAやNYCのように巨大ではありませんが、それを補ってありあまるほどのエナジーと優しさがありました。競争ではなく共闘。その寛容さが彼らを世界規模のバンドへと押し上げました。DINASOUR JR? ARCADE FIRE? THE CURE? レナード・コーエン?ショパンにワグナー?!比較されてもかまわない。彼らは “名盤” のタイムマシンでただ世界を笑顔にしたいだけなのです。
FRIKO のオフィシャル・サイトの URL は “whoisfriko.com”。そこには ARCTIC MONKEYS が2006年に発表したEP “Who the Fuck Are Arctic Monkeys” を彷彿とさせる不敵さがあります。きっとFRIKO って誰?の裏側には、誰だって構わない、私たちは私たちだという強い信念が存在するはずです。
「SQUID, BLACK MIDI, BLACK COUNTRY, NEW ROAD の大ファンなんだ。彼らは、私たちよりもっとヴィルトゥオーゾ的なミュージシャンだと思うし、だから技術的なレベルでは太刀打ちできないから、エモーショナルでタイトなソングライティングの面でアクセントをつけようとしているんだ (笑)。でも、そうした新しいエネルギーが再びロック・ミュージックに戻ってきているのを見るのは素晴らしいことだし、若い人たちにとってはエキサイティングなことだと思う」
そうして FRIKO は、ポスト・ロックやプログまで抱きしめた新たな英国ポスト・パンクの波とも共闘します。いや、それ以上に彼らの寛容さこそが、長年すれ違い続けたアメリカと英国のロックの架け橋なのかもしれません。なぜなら、そこには David Bowie や QUEEN、そして THE BEATLES の魂までもが息づいているのですから。FRIKO は誰?その質問にはこう答えるしかありません。大西洋を音楽でつなぐエキサイティングな時計の “振り子” だと。
今回弊誌では、FRIKO にインタビューを行うことができました。「僕は宮崎駿の映画で育った。ジブリ映画は、僕が書く音楽に、音楽以外のどの作品よりも影響を与えている。宮崎駿には、世界中の人々に通じる特別な何かがあるんだ」 どうぞ!!
FRIKO “WHERE WE’VE BEEN, WHERE WE GO FROM HERE” : 10/10
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH ISABEL “IZZY” JOHNSON OF CONQUER DIVIDE !!
“The Metal Community Is a Great Escape For People Because The Music Has So Much Energy And The Listeners Are So Welcoming To One Another. We Can Be Outcasts…But We Are Outcasts Together!”
“I wrote lyrics with my age in mind, so it has become sort of my mantra for what I’m doing for the rest of my life”
THREE SIDES OF ONE
これまで、KING’S X ほど見過ごされてきたバンドはいないかもしれません。ただし、dUg Pinnick, Ty Tabor, Jerry Gaskill の3人は、チャートのトップに立つことはなかったかもしれませんが、熱心なファンの心には深く刻まれ続けています。
80年代半ば、このトリオはテキサス州ヒューストンに渡り、メガフォース・レコードと契約。”Out of the Silent Planet”(1988)、”Gretchen Goes to Nebraska”(1989)、”Faith Hope Love”(1990)と、口紅とロングヘアのゴージャスな時代において、あらゆるジャンルの規範を無視した伝説のアルバムを3枚録音しました。
だからこそ、90年代初頭には、多くの仲間のロックバンドを虐殺したグランジの猛攻撃から免れることができたのかもしれません。音楽界の寵児として、また “次の大物” として、KING’S X はアトランティック・レコードに移籍し、セルフタイトルのアルバム(1992)を録音しましたが、残念ながらビルボードに並ぶほどの成功は得られませんでした。それでも彼らは、90年代から2000年代にかけて、感情を揺さぶる、音楽的に豊かなアルバムを次々と発表し続けました。
そうしてロックミュージックで最も露出の少ないバンドは、2008年に突然沈黙するまで、自らの道を歩み続けたのです。
休止中も、dUg は KXM や GRINDER BLUES で音楽を作り続け、自身の名義でレコードをリリースするなど、ゲリラ戦士として戦いを続けていました。クリエイティビティに溢れるベーシストは KING’S X の終焉を考えることはありませんでしたが、一方で、次のアルバムも必ずしも期待しているわけではありませんでした。こうして14年という長い間、KING’S X はただ沈黙を守り続けました。世界は変遷し、新しい現状が形成され、KING’S X はもはや時代の一員ではなくなったかに思われました。
しかし、14年という長い年月を経て、その門戸は開かれます。ついに彼らは再び一緒に作曲し、レコーディングすることを決断したのです。その経緯を dUg が語ります。
「72歳になるんだけど、歳を重ねた実感があるんだ。自分の年齢を意識して歌詞を書いたから、アルバムは残りの人生をどうするかという詩的なマントラのようなものになった。基本的に、私は人生が終わるまでなんとか乗り切るつもりだ。世の中が見えてきてね。友達のこと、Chris Cornell, Chester Benington, Layne Staley…死んだり自殺したりした人たちのことを考えると、ただただ痛くて、”自分は絶対にそんなことはしない” といつも思っている。人生を乗り切るためには、麻酔をかけられなければならないだろう。けど、あの世で何が起こっているのかわからないし、この世で惨めで痛い思いをしてまで、何も知らないあの世に移りたいなんて馬鹿げてる…それが私の論理なんだ。だから、アルバムはそういうところから生まれたものなんだ」
たしかに、”Three Sides of One” は、一見すると瞑想的な作品に見えます。
「まあ、メンバーはレコードを作りたくなかったんだ。なぜなら、作るなら今まで作ったどの作品よりも良いものでなければならなかったから。これまでは、自分たちがやったアルバムのレパートリーに加えるべきものがあるとは感じていなかったんだ。だから、14年かかってようやく “よし、これはいけるぞ” と思えたんだ。私自身は、初日から準備万端だった。14年の間に、いくつかのサイド・プロジェクトを立ち上げたり、いろいろなことをやっていたからね。私が持ち込んだ曲は27曲で、全部新曲だし、Jerry と Tyも何曲か持ち込んでいて、それも全部新曲だ。それで、リストに載っているものを全部、十分な量になるまで実際に覚えていったんだ」
アルバムのタイトル、”Three Sides of One” は3人が共有する生来のケミストリーを表現しています。
「いつもは、アルバムの名前は決まっているんだけど、今回は誰も思いつかなかったんだよね。それで、マネージャーが “Three Sides of Truth” と言ったんだけど、私は、なら “Three Sides of One” はどうだろうと思って、みんなが、ああ、それならいいと言って。そして、そこから出発したんだよ。しばらくすると、子供を持つのと同じで、名前はそれほど重要ではなくなるものだ (笑)」
アルバムには、歳を重ねた3人の自然な姿がさながら年輪のごとく刻まれています。
「Jerry は、基本的に臨死体験から多くの曲を書いている。そして Ty は、今の生活を観察して曲を書いた。私も同じで、72歳になるんだけど、世界が今までの人生とは違って見えてきたんだ。だって、今まで生きてきた距離に比べたら、もうそんなに長くは生きられないんだとやっとわかったからね。そして、そのことについて話したり歌ったりしたかったんだよね。70歳を迎えて、私にとって一番大きなことは、今の世界をどう見ているかを詩的に歌詞にすること、そして同時に自分の周りで起こっていることを書くことだった。政治や人々が憎しみ合う様子など、でたらめなことが起きていることは分かっていたんだ。それを歌うんだけど、ただ説教しているように聞こえたり、すでに聞いたことのあるようなことを言ったりしないように、工夫しているつもりなんだ。
今は、言葉に気をつけないと、アメリカでは自動的に批判される。私は問題を解決するのが好きなんだ。私の問題は、直せないものを直そうとすること。私はいつも、なぜ世界がうまくいかないのかを論理的に解明しようとしてきた。ある意味、人は全員とは分かり合えないというのが結論なのかもしれない。だから、年齢は私たち全員に影響を与えたと思うんだ。また、Jerry はバンドに曲を提出することはあまりない。でも実際は、彼の曲が全員の中で一番いい曲だと思うこともあるんだ。だから曲を持ってきてと言ったんだ。自分たちのアルバムにするために、本当に頭を使ったんだよ」
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH IVAN HANSEN OF FROSTBITT !!
“We Have For As Long As We Have Listened To Metal Been Listening To Japanese Rock Bands Like Dir En Grey, Maximum the Hormone, Moi Dix Mois, Babymetal And a Lot Of Anime Openings!”
DISC REVIEW “MACHINE DESTROY”
「Mana 様の作品はどれも好きだけど、特に Moi Dix Mois で作られた音楽は最高だよね!Dir En Grey は、僕たちの大のお気に入り。”Yokan / 予感” や “Cage” のようなファンキーでアーバンなものから、”Obscure” のような Nu-metal、そして後のデスコアやジャンル・ブレンドのヘヴィなものまで、彼らの全てのスタイルが大好きだよ!特に特定の曲のライブ・バージョンが大好きで、より生々しくエモーショナルに聴こえるんだ。”濤声” のライブ・バージョンのようにね。あれは僕にとって完璧だ!NARUTO は特に130話までが僕にとって特別な場所。Asian Kang-Fu Generation の “カナタハルカ” は、生々しい叫びのようなボーカルで、僕に大きなインスピレーションを与えてくれた!」
日本の音楽は世界では通用しない。そんなしたり顔の文言が通用したのも遥か昔。アニメやゲームのヴァイラル化とともに、日本の音楽は今や海外のナードたちにとって探求すべき黄金の迷宮です。とはいえ、ノルウェーのノイズテロリスト FROSTBITT ほど地下深くまで潜り込み、山ほどの財宝を掘り当てたバンドはいないでしょう。
「特にボーカルとベース・サウンドは、KORN から大きなインスピレーションを受けているよ。”Solbrent” “Frostbitt” では、Johnathan Davis とChino Moreno のヴァイブに深く入り込んでいるんだ。ただ、そのせいで少し非難されたし、一時期ちょっとやりすぎたという事実にも同意しているよ。でも、この新しいレコードでは、彼らのインスピレーションはそのままに、他の多くのものも取り入れて、より味わい深いものになったという気がするね。自分たちを取り戻したような感じさ」
未だ Djent が新しく、勢いのあった10年代初頭に頭角を現した FROSTBITT は、近隣の MESHUGGAH や MNEMIC (素晴らしい!) に薫陶を受け、ローチューンのリズミック・マッドネスに心酔しながらも、同時に Nu-metal, 特に KORN や DEFTONES の陰鬱や酩酊をその身に宿す稀有な存在としてシーンに爪痕を残します。ただし、インタビューに答えてくれた Ivan Hansen の歌唱があまりにも Jonathan Davis に似すぎていたため、あらぬ批判を受けることもあったのです。まさに “Life is Djenty”。
しかし、FROSTBITT の時間旅行は “Machine Destroy” で空も海も飛び越える3Dの冒険へと進化しました。”Machine Destroy” というアルバム・タイトルが示すように、FROSTBITT の目的は常識や次元、時間、既存のメカニズムの破壊。CAR BOMB とのツアーは、FROSTBITT にとってノイズと獰猛さを探求するきっかけとなり、あの英国の破壊王 FRONTIERER をも想起させるアクロバティックなエフェクト・ノイズの数々は、”Frost-Riff” というユニーク・スキルとしてリスナーの脳裏に深く刻まれます。これはもう、ギミックの域を超越したテクニックの領域。
さらに、ここには日本からの影響も伝播しました。”Masked Ghost Host” のシアトリカルで狂気じみた呪文のような言霊の連打からの絶叫は、明らかに Dir en Grey の京をイメージさせますし、作品のテーマは攻殻機動隊。何より、”曲をリフ・サラダではなく、構造や繰り返しのある実際の歌らしい歌にしたい” という彼らの理想は非常に日本的な作曲法ではないでしょうか。タイトル・トラック “Machine Destroy” の致死的な電気の渦の中でも埋もれない、メロディの輝きは日本イズムの何よりの証拠。今作ではさらに、時に RADIOHEAD の知性までも感じさせてくれます。
デスメタルの単調とブラックメタルの飽和が囁かれるこの世界では、新しいアイデアを持ったバンドが必要とされているようです。1996年に片足を突っ込み、もう片足をThallの迷宮に突っ込んで、両腕を遠い東の島国に向けて突き上げる FROSTBITT の3Dな音楽センスは、明らかに前代未聞唯一無二で尊ばれるべき才能でしょう。
今回弊誌では、Ivan Hansen にインタビューを行うことができました。「ノルウェーは、暖かい夏と厳しい寒さの冬と雪の両方がある美しい場所。国土が広く、人々は国土全体に散らばっているから、ノルウェーを旅行するときはかなり遠くまで行くことが多いよね。それに、多くの家庭が森の中に山小屋を持っているから、歩く文化や山越えの文化も盛んなんだ。少なくとも、ブラックメタル・バンドからはそんな雰囲気が伝わってくるし、僕自身も同じようなことを実感しているんだよ」 どうぞ!!
“It’s Something I Need To Remind Myself Of Daily. That It Wasn’t My Fault And That All The Shame And Guilt That I Felt Shouldn’t Be Mine. But Should Be Felt By The Perpetrator.”
DISC REVIEW “THIS SHAME SHOULD NOT BE MINE”
「私たちの歌詞は、いつも現実をテーマにしているの。実際の現実のことを書けるのに、ファンタジー的な暗さや悪のような題材を探す衝動に駆られないんだ。それが、私たちの音楽の、辛辣で時に直接的なサウンドにぴったりだと思うのよ」
辛く抑圧的な現実からの逃避場所。目の前の痛みを忘れられるファンタジー。ヘヴィ・メタルがそうして、多くの人の心を癒し救っているのはまちがいありません。バンドの義務は演奏と作曲で、政治的発言や不快な真実を突きつける必要はないと考える人も多いでしょう。それでも、メッセージのあるバンドは、現実と向き合うアーティストは時に、人の心を激しく揺さぶり、音と言論の組み合わせが超常現象を引き起こすことを証明します。オランダの GGGOLDDD がヘヴィ・メタルに込めたメッセージはただ一つ、”合意のない性交をするな!”
「”この罪悪感は私のものじゃない”。それは私が毎日自分に言い聞かせるべきことでもあるの。レイプの被害を受けたのは私のせいではない。私が感じたすべての恥や罪悪感は、私のものであってはならないということをね。それは加害者が感じるべきものなのよ」
GGGOLDDD のメッセージは、痛々しい実体験に基づいています。バンドのフロントを務める Milena Eva は19歳のときにレイプされ、17年間も羞恥心と罪悪感を持ち続けてきました。
それは、彼女がバンドで作る音楽にも時折反映され、波状的に表面化しながらも、決して沸騰することはありませんでした。しかし、パンデミックの停滞期に時間を持て余し、思考が巡る中で彼女のトラウマは完全に噴出し、それが “This Shame Should Not Be Mine” 制作の原動力となったのです。このアルバムは、ただ被害者意識に浸るのではなく、むしろ背筋を伸ばし、身をもって罪の意識を感じさせるほど激しい怒りと非難を秘めることになりました。
「アルバムを書くことが必ずしもセラピーとは言えないと思うけど、そうすることでカタルシスを感じ、あの出来事と真剣に向かい合うことはできた。どちらもセラピーの説明として使える言葉だとは思うのよ。自分があの出来事をどう感じ、何を経験してきたかを言葉にする助けにはなったのよね」
メタルにおいて歌詞はしばしば後回しにされがちですが、”This Shame Should Not Be Mine” では歌詞を素通りすることはできません。性的暴行。そのトラウマを背負った羞恥と罪の意識の人生にスポットライトを当て、婉曲や比喩で和らげることはありません。”Spring”では、死んだようなモノトーンの目で “臭いを消してほしい/皮膚が剥がれるまでシャワーを浴びたい” とつぶやき、”Strawberry Supper” では “オマエは私を太陽と呼び、私を引き裂いた” とレイプ犯に直接語りかけます。そして、”Notes on How to Trust “では、同じ苦痛を再び経験するリスクを冒さず、どうすれば他人にに心を開くことができるかを考えていきます。
音楽を通してトラウマに対処し、トラウマを曲作りに反映させる。LINGUA IGNOTA は、この点で GGGOLDDD の良き理解者でしょう。しかし、これほどまでに荒々しく、直接的な方法でトラウマを扱っているバンドはほとんどなく、Milena の歌詞は詩というよりも、棘の鞭や鋭いナイフのような物理攻撃に特化した武器にも思えます。
この容赦のない怒りの津波は、オルタナティブ、インダストリアル、ブラック・メタルの境界で嘶くその音楽にも反映されています。そしてこの荒涼としたテーマの完璧な背景となりながら、メロディックなフックと反復の魔法によって、このアルバムは頭にこびりつくような麻薬にも似た中毒性を帯びていきます。
もちろん、”This Shame Should Not Be Mine” は、楽しいアルバムではありません。万人受けするようなアルバムでもないでしょう。ただ GGGOLDDD は、近年のメタルらしい不協和音や異質な曲の構成によってではなく、楽曲を難解にしないことによって、アクセスを容易にすることによって、むしろ意図的に不快感を与えているのです。恥や罪、痛みや長い苦しみを加害者の胸の奥に深く、永遠に刻み込むかのように。
今回弊誌では、GGGOLDDD にインタビューを行うことができました。「鎧のコンセプトは、”This Shame Should Not Be Mine” の内容を可視化することだった。この鎧は、私たちがいつも持ち歩いているもの。そして、自分と他者との間に残る、盾のような境界線」 日本の至宝、MONO とのツアーも決定!どうぞ!!
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH MONIQUE PYM OF RELIQA !!
“A ‘Relic’ Refers To Something Old, Like an Artefact. A Lot o Of People Say This Contradicts Us a Bit, And We Agree, Because One Of Our Goals As Musicians Is To Create Sounds That Are Contemporary And New.”
DISC REVIEW “I DON’T KNOW WHAT I AM”
「深い意味合いでは、バンド名の元となった “relic” とは古い人工物のようなものを指すの。だから、多くの人が矛盾していると言うわ。なぜなら、私たちのミュージシャンとしてのゴールのひとつは、現代的で新しいサウンドを作り出すことだから (笑)」
シドニーの現代的なプログレッシブ集団 RELIQA。その名前は実は不適切で矛盾をはらんでいると言わざるを得ません。RELIQA というバンド名は過去の遺物、アイテム、工芸品を連想させますが、そのサウンドと音楽は未来を見据えた全く異なるイデオロギーに満ちているのですから。
もちろん、そんな異変に気づく賢明なリスナーなら、第二の異変、この EP のタイトルにも明らかな矛盾を感じるはずです。”I Don’t Know What I Am”。”自分が何者なのかわからない”。しかし、このバンドは間違いなく、自分たちが何者であるか、自分たちの方向性は何か、音楽的に何を達成したいのかを、正確かつ的確に把握しているのですから。そしてそれは、過去ではなく、現在と未来の超越的にプログレッシブでヘヴィな音の葉を創造すること。
「自分たちに対して正直であることが重要なのよ。それが何であれ、”自分たち” らしさを感じる音楽を作る。それが大事。確かに少し奇抜ではあるけれど、自分たちの音楽をわかりやすく、まとまりのあるものにするために積極的に取り組んでいるわ」
ヘヴィ・プログの常識を破る女性がフロントに鎮座したパフォーマンス、きらびやかで最先端のプロダクション、そしてダイナミックで驚きと楽しさに満ちた不可解な楽曲をさながら現代建築のごとく巧みに組み立てる想像力など、このバンドの意識は前時代の慣習すべてを置き去りにするほどモダンで先鋭的。
そのサウンドは、90年代以降に芽吹いた音の新芽を沸騰した鍋に投入し、轟音とともにかき混ぜ、完璧な味付けをほどこし、カラフルでありながら逆説的に首尾一貫まとまった形で仕上げられた、耳なじみの良いプログのオージー料理。
一見、バラバラな要素が組み合わされ、完成するはずのないパズルが完成してしまう。”Safety” のメタル好きにはたまらないヘヴィネスはもちろん、ストリングスとピアノが導く甘く高揚感のあるバラード “Second Naure”、実験的インスト曲 “blip”、ポップなボーカル、ラップにエレクトロニカ、果てはエスニックで東洋的な瞬間など、実際、この6曲入り EP にはあまりに多くのアイデアが滝のように密集して流れ落ちているのです。
個々の技術、曲作りの技術、そしてそれらを分かりやすく聴きやすいパッケージに落とし込む技術に長けた異能の集団。その料理の腕前は あの GOJIRA や SYSTEM OF A DOWN を彷彿とさせるほど。
「長い間男性に支配されてきたこの業界で、周りの女性たちと支え合うネットワークを形成できることは、とても “神聖” なことだと思っているの。だからこそ、SPIRTBOX の Courtney が “Good For A Girl” “女の子のために” というポッドキャストを始めたとき、彼女の目的がいかに素晴らしいものであるかということがよくわかったのよね」
10代後半から20代前半の若者が葛藤しながら向き合い、探し出す自分。そんな魂とアイデンティティの探求をテーマとした作品で、バンドのボーカリスト Monique は女性であることにも対峙しました。今やメタル世界のカリスマとなった SPIRTBOX の Courtney LaPlante。彼女と連帯することで、Monique の物語はさらに深い色を帯びていきます。
女性の学びの経験やエンパワーメント、女性らしさについて、ヘヴィ・メタルを牽引する女性たちがポッドキャストで配信する。そのネットワークや配信自体、そして、ポッドキャストや YouTube チャンネル、SNS のようなプラットフォームを開拓することがいかに重要で、抑圧された人たちを解放する力となるのか。彼女たちは自らを研ぎ澄まし、語り合い、支え合い、成長し、表現することで伝えようとしています。
「オージー・バンドのミュージックビデオを見ていると、YouTube のコメント欄には必ず “オーストラリアの水には何かがある!” と書かれているのよ。私もその通りだと思う。本当にたくさんの素晴らしい才能がここは存在している。そういう背景があるから、今、彼らの多くとステージを共有し、オーストラリアのプログレッシブ・メタルの新たな新興世代の一員となったことが、どれほど特別な気分か想像できるでしょ?」
オーストラリアがヘヴィ・ミュージックやプログレッシブのエルドラドであることを隠さなくなった10年ほど前から、数多のバンドが “急成長中” や “新星” というレッテルを貼られ、期待を寄せられていますが、一方でその中の大半はひっそりと消え行く南半球の仇星となったのが実情。
しかし、RELIQA は、例えば SPIRTBOX の Courtney LaPlante から賛辞を送られたり、MAKE THEM SUFFER の Sean Harmanis が作品に参加したりと、大器の片鱗をすでに見せています。彼らが正しい行動さえとれば、プログレッシブ・ヘヴィの未来は約束されているのです。
今回弊誌では、Monique Pym にインタビューを行うことができました。「ミュージシャンとしての私たちが自分たちが何者で、どこに属しているのかよくわからないのと同じように、人間としての私自身も、まだ自分が何者で、周囲の世界の中で自分のアイデンティティは何なのかを見極めようとしているところなのよ」Z世代の苦悩と葛藤、そして光。どうぞ!!
COVER STORY : ALICE IN CHAINS “DIRT” 30TH ANNIVERSARY
“Two Of Us Aren’t Here,These 30-year Things Are Really Nice, But It’s Bittersweet. That’s Just Our Reality. It’s Everybody’s Reality. Everybody’s Gonna Lose People They Love In Life.”
30 YEARS OF DIRT
1992年9月29日、ALICE IN CHAINS はセカンド・アルバム “Dirt” を発表しました。”Dirt” は間違いなく90年代のマスターピースであるだけでなく、史上最高のロック作品の一つだと言えます。このアルバムは、リスナーを中毒のような詩的な旅に連れ出す比類なき能力を持っています。かつて輝かしいグラム・ロッカーのような装いをしていた ALICE IN CHAINS はもうここには存在しません。”Dirt” は不幸のグランドキャニオンへ裸でフリーフォールしているような錯覚を覚えるような作品。岩に縛り付けられ、毎日猛禽類に肝臓を食われるプロメテウスのような運命を、この神火は背負ってしまったのでしょうか。”Dirt” は人類が知り得る音楽の中で最もソウルフルで、不穏な作品のようにも思えます。女優のマライア・オブライエンによるアートワークも完璧。今年、 “Dirt” はなんと5回目のプラチナ認定を受け、30周年記念リイシューの栄誉を得ました。
「あの頃の僕らのうち、2人がもうここにはいないんだ」と Sean Kinney は語ります。「30年という歳月は本当に素晴らしいものだが、ほろ苦いものだ。それが僕らの現実なんだ。皆の現実でもある。誰もが人生で愛する人を失い、恋しく思う。そういうものなんだ。過去にさかのぼって、若くて、すべてが活気に満ちていた頃を思い出そうとするんだよ」
「30年経った今でも、ノースウエスト出身の4人が1992年に作ったレコードについて誰かが話しているんだ。それはとてもクールだよ」 と Jerry は言います。「アーティストとして究極のゴールは、何世代にもわたって聴き継がれるものを作ることだ。”Dirt” は万人向けではないけれど、特定の人たちには心から愛されている」
ALICE IN CHAINS のオリジナル・メンバー、Layne Staley(ボーカル)、Mike Starr(ベース)、Jerry Cantrell(ギター&アディショナル・ボーカル)、Sean Kinney(ドラムス)のうち、もう Layne と Mike はこの世にいません。二人の薬物依存は致命的なものとなり、Layne は Kurt Cobain の死からちょうど8年後の2002年8月5日に他界。生前の Layne を最後に見た Mike Starr も、2011年3月8日に薬物の過剰摂取で死亡しています。
“Dirt” はそんな ALICE IN CHAINS オリジナル・ラインナップの終わりを告げた作品でもあります。Mike Starr が Mike Inez と交代する前の最後のアルバム。Mike と Sean は、9歳の頃から一緒にジャムっていました。一方、Jerry と Layne はハウスパーティーで初めて出会い、そして、あるライブの後に再会します。Layne は、Jerry が母親と祖母を亡くしたばかりであることを知り、シアトルのミュージック・バンクにこの天才少年を招き、一緒に暮らすことにしたのです。
「”Facelift” がリリースされたとき、僕らはすでに “Dirt” に向けて動いていたんだ」と Sean は説明します。「”Facelift” のツアーで、”Dirt” のいくつかの曲の異なるバージョンをライブで演奏し、最終的な形に仕上げていったからね。”Facelift” がリリースされた頃にはすでに、他の曲のレコード契約が結ばれていたからね」
Jerry が付け加えます。「”Facelift” のツアーとキャンペーンは大成功で、おそらく1年半はツアーをしていただろう。その間、俺はいつもアイデアを集めていた。当時は、小さな携帯用テープレコーダーか、タスカムの4トラックを使って、自分のアイデアを書き込んでいたんだ。リハーサルや楽屋でのジャム、サウンドチェックでもね。そのツアーが終わったときには、いいアイデアがたくさんあったし、バンドとしても面白いことが起こっていたよ」
“Dirt” の後、Layne は “鎖につながれた” 兄弟たちと共に、傑作EP “Jar of Flies”(1994年)とセルフタイトル “Alice In Chains”(1995年)を録音することになります。そしてちょうど13年前、再結成した ALICE IN CHAINS は “Black Gives Way to Blue”(2009年)を発表。”Lay down, I’ll remember you.”(横になって、あなたを思い出す)。ピアノで Elton John をフィーチャーしたタイトル曲とその歌詞は Layne のオマージュとなりました。ALICE IN CHAINS はフロントマンの William DuVall を得て今も強力なパフォーマンスを続けていますが、一方で彼らは常に “Layne の亡霊に取り憑かれて” いて、その呪いは奇妙にもバンドの財産となっているのです。なお、最新アルバム “Rainier Fog” のタイトル・トラックも、Layne と Starr の喪失について歌った楽曲。
SCREAMING TREES の故 Mark Lanegan は、ALICE IN CHAINS が強豪となった理由を完璧に理解していました。「彼らのサウンドの立役者である Jerry Cantrell は、ニュアンスを保ちながら力強いハーモニーを奏で、それが彼らの曲に独特の、心に残る、唯一無二の “質” を与えていた…」と彼は書いています。つまり、Jerry の甘い聖歌隊のような声と、ソングライター、作詞家としての卓越した能力は、Layne の才能と見事に調和していたのです。Lanegan はこう続けます。「Layne はモンスター級のボーカリストだった…彼は私がこれまでに聴いた中で最も印象的なハードロック・シンガーだった…」
“Dirt” の30周年を迎えるにあたり、SLIPKNOT の Corey Taylor はこう明かしています。
「ALICE IN CHAINS は、ヘヴィなものと美しいもの、そしてサディスティックなものと希望に満ちたものを組み合わせて曲を書くことができると教えてくれた」
Evan Sheeley は、ALICE IN CHAINS の魅力のあまり議論されていない部分を強調しています。
「Mike Starr はどちらかというとスラッシャーで、それがバンドを素直にしたんだと思う。彼らのサウンドの大きな部分を占めていたんだ」
“Dirt” のエンディング・トラックである “Would?” が ALICE IN CHAINS の亡き友人、MOTHER LOVE BONE の Andrew Wood に捧げられていることは、多くののロック・ファンが知るところでしょう。バンドは、1990年にヘロインの過剰摂取で Andrew が亡くなったことに深い影響を受けていました。亡き Chris Cornell は Facebook の投稿で、マネージャーの家で彼を偲んでいたことを思い出していました。
「Layne が飛んできて、完全に泣き崩れ、深く泣いて、本当に怖くて迷っているように見えたよ。とても子供のようだった」
しかし、この悲劇的な喪失は、大きなショックに対処した後、逆説的にバンドをハードな生き方に対する否定へと押しやりました。ゆえに、”Would?” での正直さと謙虚な感覚が際立つのです。
“Would?” は、キャメロン・クロウ監督の映画 “Singles”(1992年)に使用されます。ミュージック・ビデオで Layne は、Andrew が持っていた赤みがかったオレンジ色のシャツを着ていました。
残念ながら、カリフォルニアでの “Dirt” の制作は、 LAの暴動により停滞します。ALICE IN CHAINS は砂漠に逃げ込み、SLAYER の Tom Araya と共にほとぼりが冷めるまで過ごすことになりました。そうして Araya は “Dirt” の10曲目、”Iron Gland” / “Intro (Dream Sequence) / Untitled” に参加することになります。
“Dirt” は、ドラッグが ALICE IN CHAINS に対して作用し始めた時期の作品です。とはいえ、問題を抱えながらもやり抜いたことは、大きな評価に値します。このレコードの制作は、まるで腐った歯を抜くようなものとも言えましたが、Layne はインスピレーションに満ちていました。 “Facelift” のオープニング曲 “We Die Young” によく似た “Them Bones” の冒頭で即興的に叫んだ瞬間は、このシンガーの最高の魔法のひとつでしょう。
Dave Jerden の仕事は “過剰なプロデュース” という感じは全くしません。それどころか、Jerden は自分の仕事を芸術的にこなし、”Dirt” は強烈に生々しく、有機的で、親密なものとなっています。”Dirt” のセッション中、Jerden は Layne の薬物乱用について向き合わざるを得なくなり、大きな議論に発展しました。この問題は解決したものの、数年後、ALICE IN CHAINS の最後の2曲、”Get Born Again” と “Died” のレコーディング中に、2人は再び大爆発を起こしてしまうことになります。
結局、”Dirt” は、明らかに別世界でこれ以上ない出来栄えとなりました。とはいえ、これは勝利と敗北の両方を意味します。名声によって彼らは暗くなり、ドラッグやアルコールがツアーで欲しいだけ公然と手に入るようになったから。しかし、彼らのネガティブな経験は明らかな芸術的な美しさに転化されていきました。
“Dirt” は明らかに、どんなに成功しても否定できない本物の痛みから生まれたもの。痛みが通行手形ともいえるアルバムを生み出した代償は、あまりにも大きかったのです。Sean が「あれは僕にとってタフなアルバムなんだ。でも、みんなは、あなたの最高傑作のレコードだって言うんだ。ほろ苦いね」と語るように。
“Dirt” は統一されたコンセプト・アルバムとしてシームレスにまとまりましたが、Jerry はその制作過程を “フリー・フォーム” と表現しています。タイトル曲 “Dirt” は、最も病的で、最も刺激的な曲のひとつ。”汚い味が欲しいんだ。口の中で、舌の上で、ピストルが突き刺すような…” “Dirt” は注射器のように尖り、精密なナイフのように鋭いのです。
Layne のリリックに忘れがたいイメージを作り出す能力は、彼の非音楽的な性癖と密接に関係しています。実は Layne は、余暇にはビジュアル・アーティストとして活動していて、シアトルのギャラリーに絵を展示していたこともあるのです。ステンドグラスや時計の文字盤を作ったり、粘土でキャラクターやジュエリーを作ったりするのが趣味でした。このことを踏まえれば、”Angry Chair” の次の一節に新しい意味が付与されます。”道の向こうに何が見える?粘土で成形された自分を見てくれないか”。かつて Layne は創作についてこう語っています。
「俺たちは、多くの人に見られる感情をそのまま表現している。人々は同じような感情を経験し、その曲が自分のために書かれた、あるいは自分のことについて書かれたと確信するほど、共感してくれる。歌詞は、他の人が自分の物語や人生に適用できるようなルーズなものにしている。辛い気持ちを美しい音にして、人々がその思い出と向き合いやすくしているんだ」
“Angry Chair” は、さまざまな解釈が可能。しかし、”Angry Chair” が幻覚的に聞こえるほどに鋭いリスナーは、実はこの曲が AA/NA (アルコール、薬物依存の自助グループ) への具体的な言及をかなり含んでいることに気がつくでしょう。この曲は12曲目に収録されていますが、中毒から回復するプログラムはちょうど12段階。Layne は、回復期の中毒患者の多くが最初に感じる人工的な高揚感である “ピンクの雲” が、”今は灰色に変わってしまった” と訴えています。
この曲は、真剣に受け止めてほしいという懇願のように演奏されます。”孤独は段階的なものではない。痛みの原野が憩いの場だ。平穏は遠くにある”。そうして Layne は、安らぎの祈りが自分には効かないことを表現しているのです。Layne は中毒の告白のみが評価されるような罪悪感の文化に疲れていたのかもしれません。そして、この曲の最後の要求は、卑屈に感じるように意図されています。”Get on your knees time to pray, boy.” “ひざまづいて祈れ、少年よ”。
“Angry Chair” 同様、”Hate to Feel” の歌詞とリフは Layne が書いたもの。このとき、ギターを弾けるようになりたいという彼の決意が花開きました。この楽曲には、”親父のようにはなりたくないと誓っていたのに” という一節があります。”今こそ自分の姿に向き合う時だ” 。元婚約者デムリ・パロットの死後、Layne は Mark Lanegan と数ヶ月間一緒に暮らしました。そこで SCREAMING TREE のボーカルは、Layne の父親 Phil が麻薬の運び屋として働いていたことを確認します。Lanegan は Phil Staley のことを「…息子と同じくらい優しくて、面白くて、賢い男で、Layne の鏡のような存在だった」と回想しています。そしてこの言葉は、”Facelift” の “Sunshine” を思い浮かべると、真に胸に迫ってくるのです。”俺はお前の鏡か! 溶けるような鏡の微笑み”
大胆不敵な自伝的作品 “Dirt” は、依存症患者の病気の過程で変化する自己認識のレベルを再現しています。Jerry Cantrell はかつてこの音楽を “悪魔を追い払うもの” と呼びました。これが “Dirt” の背後にある真の意図。
「”Junkhead” はかなりあからさまな曲で、まるでドラッグ使用の旗を振っているように聞こえる。でも、要は、多くの人が外に出てめちゃくちゃになることは素晴らしいことだと信じていること、パーティーでドラッグを使用する人の姿勢を反映しているんだ。”God Smack” からは、本当に何が起こっているのかがわかり、”Angry Chair” や “Hate to Feel” では、中毒が正しい生き方ではないことに気づかされる。全体として見れば、本当にポジティブな内容なんだけど、多くの人が文脈からネガティヴに受け取るだろうね」
Layne はリハビリ中に “Sickman” と “Junkhead” の歌詞を書きました。”Junkhead” は、Layne がユーザーの心を理解しろと医者にドラッグを試すように勧めている、つまりセラピーセッションの行き違い。中毒者を助けるには中毒者が必要だと主張します。冒頭に出てくる “Junk fuck!” の掛け声は、Sean Kinney が自然に発したもの。一方、”Sickman” では、Layne のリクエストに応えて、Jerry がこれまでにないひねくれたアレンジを書き下ろしました。
そうして “Dirt” は、薬物乱用と戦う人たちに力を与えただけでなく、薬物を完全に避けるように人々を勇気づけていきました。Jerry も言っているように、自分の問題をオープンに語ろうとする Layne の姿勢は、本当に勇気のあるものだったからです。”Facelift” が “Real Thing” で冗談っぽく終わったのに対して、”Dirt” のユーモアはドライで辛辣。真剣で遊びはほとんどありません。Layne はかつてドラッグに対する想いを正直に語っていました。
「俺がドラッグを試したとき、それはとても素晴らしいもので、何年も俺のために働いてくれたのに、今は敵対している。ヘロインがクールだとファンに思われたくないんだよな。でも、ファンが近づいてきて、ハイになったと言って親指を立てるんだ。それこそ起きてほしくなかったことだ」
“Dirt” では、ドラッグが他人に与える影響への懸念も多く聞かれます。ドラッグによる対人関係における葛藤。”Down in a Hole” と “Rain When I Die” はガールフレンドについて書かれた曲で、”Dam that River” は Sean と Jerry の喧嘩に触発されたもの。後のセルフタイトル・アルバムで、Layne はこう歌っています。”友達ってなんだろう?不当に乱用された言葉だ” このスターは最終的に世捨て人になってしまうのです。Sean はのちに、Layne の死について “世界で最も長い自殺” と語っています。中毒は克服するたび、時間をかけて再度忍び寄ります。「ヘロインは死と隣り合わせで、それが一番魅力的なことだろう。危険なんだ。でも、俺はそれに打ち勝ち、死に打ち勝った。俺は不死身だ!」実際には、彼は勝者でも、不死身でもありませんでした。
ただし Jerry は、”Rain When I Die” は、当時進化していた Layne とのソングライターとしてのパートナーシップを証明するものとなったと語ります。
「特に歌詞とメロディーの面で、俺たちは本当に面白いやり方で仕事をしていたんだ。Layne と俺は、かなり良いパートナーシップを築いていた。あまり多くを語らなかったけど、相手が持っていないものを半分ずつ補っていたのさ。俺がどこかに行き詰まったり、アイデアがなかったりすると、Layne はいつもそれを持っていて、逆に彼がどこかに行き詰まると、俺はいつもそれを持っていた。俺たちは本当にクールな関係だったんだ。あの曲で、彼は自分のアイデアを見せ、俺は自分のアイデアを見せた。不思議なことに、俺が歌詞を書いて歌う場所が、彼にとっては曲の中の空間や息遣いになっていたんだよ。だから俺は、俺のセリフは君の隙間に合って、君のセリフは俺の隙間に合っている。一緒にしてみようって。そうして俺たちはただ歌詞を組み合わせただけなんだけど、それでうまくいったんだ。不思議だった。この曲はアルバムの中で一番好きな曲の一つだよ」
“Hate to Feel” と “Angry Chair” のワンツーパンチは、ソングライターとしての Layne の成長を最もよく表しています。実はこの2曲は、当初はソロ・プロジェクト用に書いたものでした。
「Layneがギターを弾き始めて、リフを持っていたんだけど、彼が本当にバンドで使いたかったのかどうかは分からない」と Sean。「彼は他のことを考えてたと思う。でも、僕たちがこのリフがいかにクールで、どんなにジャムりたいと思ったか…それはよく覚えている。だから結局、それらを ALICE IN CHAINS の曲として発展させ、レコードに収録したんだ」
「Layne はギタリストとして本領を発揮し、”Hate to Feel” と “Angry Chair” でギターによる素晴らしい楽曲をいくつか書いた」と Jerry は付け加えます。「彼がギターを手にするきっかけを作ったという事実も気に入っている。彼がこの曲たちを聴かせてくれて、自分でレコードにしようと考えていたのを覚えているよ。彼は NINE INCH NAILS や MINISTRY といったインダストリアル系の大ファンで、そのための楽曲をポケットに忍ばせていたんだよ。で、彼がそれを聴かせてくれたんだけど、俺たちみんな、”すげえ、かっこいいな。バンドでやるべきだ” と。そしたら彼はしぶしぶ同意してくれたんだ。確かにレコードにとても合う素晴らしい2曲になったよな」
“Dirt” の “恥” の物語を深く掘り下げると、”Rooster” が Jerry の父親と他のベトナム帰還兵の誇りのための曲であることがわかります。つまり、”Rooster” は Jerry Cantrell Sr. の物語。 Jerry は Chris Cornell の家で “Rooster” を書いたことを覚えています。1993年初頭にメインストリーム・ロック・エアプレイ・チャートで7位を記録した “Rooster” のルーツについて、Jerry 次のように語っています。
「10代の頃は、ポップと一緒に過ごす時間が少なかったんだ。俺は母親と一緒に祖母の家で育ったから、父とはそんなに親密じゃなかったし、彼は別の州に住んでいたからたまにしか会えなかった。この曲は、俺がそのことを受け入れ、彼を批判しないようにするための方法だったんだよな。彼の立場に立って、彼を厳しく判断せず、彼の経験を理解しようとしたんだ。そして振り返れば、この曲は彼の人生と俺ら家族に大きな影響を与えたと思うんだ」
「僕たちが初めて会ったとき、Jerry の母親と祖母は共に早くに、しかも立て続けに亡くなっていた。まさに育ての親たちがね」と Sean は回想します。
「彼は父親と少し疎遠になっていたんだ。だから、このような状況を経て、どこかで彼は2人の関係を修復したり、再び結びつこうとするこの曲を作り始めた。Jerry が家族と疎遠なのことを、Layne も僕も理解していた。もし僕らがもっと利己的で、自分勝手で、ただ成功を望んでいたなら、あの曲はすぐに没にできただろう。23歳の若者は、ベトナムについて6分間じっくり語ることにそれほど興奮しないからね。でも、みんなあの曲には思い入れがあったし、Jerry にとっても大切な曲だった。今にして思えば、この曲が今のような形になるとは思ってもみなかったよ」
“Dirt” のリリース後に行われたツアーは、多くの点で大失敗に終わることになります。Mike Starr は演奏後に過剰摂取し、Layne によって蘇生。Mark Lanegan は、SCREAMING TREE で一時的に彼の代役を務めた Layne との薬物使用により、腕の切断することをぎりぎりで免れます。Layne は足を骨折しました。不幸のリストは続きます。しかし、ALICE IN CHAINS はそれでもなお折れませんでしたが、Layne がツアーに出るにはあまりに自己破壊的であることは明白でした。
次の “Jar of Flies” で彼らは、”Would?” が投げかけた問いに答えることになります。”家に帰るには遠くまで走りすぎたかな?”。最終曲の “Swing on This” で Layne はこう歌っています。「母が帰って来いと言った。父は帰ってこいと言った…俺は言った、放っておいてくれ。大丈夫だから」 と。そう、彼らはもう戻れないところまで来てしまったのです。
30年の月日を経て “Dirt” を再体験できる私たちは、幸運にも30年の長い闘いを生き残ったサバイバーなのかもしれません。今回の登場人物で存命なのは本当に一握りなのですから。1994年、Jerry は “Them Bones” に次のように語っています。
「この曲は死や死についてではなく、人生の終わりに向かって、残された時間と向き合うことなんだ。自分が永遠に生きられるわけではないことを実感するのは、とても悲しいことだ。だからこそ、その間に、できる限りのことをやっておいたほうがいい。俺はそうやって生きているよ」
今の二人は、”Dirt” について、ALICE IN CHAINS について、どう感じているのでしょう。
「これが僕たちの人生。僕たちが大切にしていること。ラジオでヒットさせるために契約したわけではないし、そういうことをするために設計されたわけでもない。そして、どうにかこうにか乗り切ってきた。それが、最も誇り高いことのひとつだと思う。僕たちは自分たちの世界を築いただけで、これはすべての人のためのものではないんだよ。でも、意外と多くの人が共感してくれて、それが今、ますます明らかになってきている」
「”Dirt “の音楽性はかなり大胆で、最初の音を聴いただけで、このレコードに本当の獰猛さがあることがわかるよ」と Jerry は付け加えます。「本当に合理的で、脂肪分が全くないんだ。筋肉と骨と歯だけだ。このアルバムには雰囲気があって、それを表現できたことが嬉しいし、このアルバムが人々にとって重要なものであることが理解できてきたよ」
“We Stand With The Native People That Take Care Of The Forest. Sometimes Against Transnational And Ecuadorian Enterprises Protected By The State Which Are The Ones That Pollute The Most. It Seems Totally Stupid To Destroy One Of The Megadiverse Countries Of The World Just To Get More Oil And Minerals.”
1992年。その音楽の風景は1990年とは劇的に違っていました。NIRVANA の急成長によってアンダーグラウンド・ロックの水門は開かれ、メジャー・レーベルは MELVINS, MEAT PUPPETS, Daniel Johnston といった、80年代には1ミリも触れられなかったような Kurt Cobain が認めたアーティストにプラットフォームを与えていったのです。では、チャート上位のアーティストが全員、薄汚れた変人フリークになってしまった時、FAITH NO MORE はどうしたのでしょう? 結果は、Kerrang! が “史上最も影響力のあるアルバム” と呼んだレコードが誕生しました。それは完全な真実ではないかもしれませんが、90年代後半から2000年代にかけて、”Angel Dust” ほどポピュラーなロックに大きな影響を与えたアルバムはほとんどなく、RAGE AGAINST THE MACHINE のセルフタイトル、REFUSED の “The Shape of Punk to Come”、そして NIRVANA の “Nevermind” といった他の革新的レコードと肩を並べているのはまちがいないでしょう。
それに、FNM が Nu-Metal という “嫌われ者” のジャンルへの影響をいくら否定しようとしても、例えば “Midlife Crisis” のうなり声のラップ・ヴァースは KORN のヴォーカルの下地を作り、”Everything’s Ruined” の劇的なピアノリフと轟音のグルーヴは LINKIN PARK のプロト・タイプのよう。また、”Kindergarten” や “Crack Hitler” といったトラックにおける Patton のフリーキーなヴォーカルと、DISTURBED の象徴的な “OH WAH-AH-AH!” は直系でつながっているともいえるでしょう。そして、1年後に NIRVANA がそうするように、FNM も本能に従って、最大のヒットに続く反抗的で “アン・コマーシャル” な傑作をリリースし、嫌われること、反応を引き起こすこと、境界を広げることの大切さを今に伝えているのです。
“Angel Dust” のプロダクションは、当時の他のロックレコードよりもオールドスクール・メタルとの共通点が多く、鮮明さを犠牲にして鈍重なヘヴィネスを実現し、アルバムに独特の陰険な雰囲気を与えています。ギターはより太く、ドラムはより洞窟的で、ボーカルの一部が他のバンドに滲んでいても、演奏と個性は輝き、音楽はしばしば容赦ない音のハンマーへとシームレスに収束していくのです。本作のギターソロは METALLICA というよりは PINK FLOYD に似た傾向があり、激しいシュレッドをやめて記憶に残る構成になっているのです。
1991年に入ると、FAITH NO MORE は RIP や Kerrang! を含む多くの音楽誌でバンド・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、有名なミュージシャンとなりました。高い評価を得たアルバム “The Real Thing” のプロモーションのため、バンドは89年から2年間ツアーに出続け、プレスやファンから注目され続け、新しい曲を作るどころか息つく暇もないほどの状況でしたが、この年の彼らのスケジュールはよりリラックスしたもので、ほんの数回のショーが行われただけでした。そのため、バンドは混沌とした状況から一歩引いて、次のアルバムのアイデアを練ることができたのです。 ゆえに、”The Real Thing” が1983年という早い時期に書かれたアイデアを含んでいたのとは異なり、”Angel Dust” はこのアルバムのために書かれた新鮮なマテリアルが中心となって構成されているのです。
バンドがサンフランシスコに戻った3週間後、Bill Gould, Roddy Bottum, Mike Bordin がリハーサル・スタジオに入り、キャリアの中で最も注目すべき作品を作り上げるために作曲を開始します。
Gould は Jello Bafra や覆面デスメタルバンド BRUJERIA と付き合いながら、同時にイージーリスニングからもインスピレーションを受けていました。一方、Bottum はエレクトロニック・ポップやテクノ・サウンドからインスピレーションを得ており、もちろん、Mike Patton は休むことなくアヴァンギャルド・シーンに関わり続けていました。John Zorn と過ごし、NAKED CITY と共演し、Mr. BUNGLE のデビュー・アルバムをレコーディングしながら。
この時期バンドは、GODFLESH, WEEN, YOUNG GODS, THE SUGARCUBES, Henry Manciniに影響を受けたと語っています。”Angel Dust” のデモが届くと、Patton は孤独を感じ、様々な実験に着手し、これまでで最も創造的な歌詞を書くためのインスピレーションを得ます。Jim Martin はしかしこの新しいアイデアに難色を示し、リハーサルを放棄してトラックでラテン語の練習をするようになりました。
“RV”、”Caffeine”、”The World Is Yours” の初期バージョンは、ブラジルからの帰国時に行われたいくつかのショーと、その年の後半に行われた初の東京でのショーでセットリストに加えられました。
「ベースラインとメロディーとリズムを使った新しい曲をジャムり始めたんだ。でも、キーボードとベース、キーボードとドラム、ドラムとキーボード、そういう組み合わせが多いんだ」- Mike Bordin 1992年
より大きな予算とレコード会社から許されたより多くの自由で、FNM は1991年12月にサンフランシスコのコースト・レコーダーズ・スタジオを借り入れることになります。Matt Wallace がバンドにとって4枚目のアルバムのプロデュースに戻ってきます。
「彼は僕らに手を貸さず、ただ僕らのやりたいようにやらせてくれるんだ。彼は以前にも僕らと一緒に仕事をしているから、僕らと同じように “拷問” を受ける可能性があるし、それは心地よいことだよ」- Mike Patton 1992
「彼は良い音を出そうとするし、それが彼のすべきことだと思う。スタジオに入るまでに、自分たちのやりたいことがある程度まとまっていればいいんだけど。そうすると、彼がそれをいじくり回すのは難しくなる。バンドに5人いれば、もう十分だからね。キーボードとギターとたくさんのベースとたくさんのドラム、そのバランスを取るのは簡単なことじゃないんだ」- Mike Bordin 1992
「共同プロデューサー、エンジニア、ミキサーという立場からすると、”The Real Thing” のサウンドは薄く、圧縮されすぎで、ハイエンドが強すぎると感じていたから、自分なりには距離を置いていたんだ。それがラジオやMTVでは有利に働いたんだけど。 だから、”Angel Dust” ではより充実した、より自然なサウンドのレコードを作ろうと努力したんだ” – Matt Wallace 2012年
Wallace は “Angel Dust” のレコーディングが非常に困難な経験であったため、アルバムが完成した後休みを取り、FNM から距離を置かなければならなかったものの、その結果を誇りに思ったと語っています。
「”Angel Dust” の終わりには、こうした難しいレコードを作るために、バンド内、特に皆と Jim Martin の間でかなり激しい軋轢があり、本当に激しい論争があった。Bottum は依存症の問題と格闘していたし、レコーディング・スタジオは全く協力的でなく、僕は基本的にプロデュース、エンジニア、アシスタント・エンジニア、電話応対をしなければならず、本当にストレスの多いレコードだった。それで、このアルバムの最後に、僕は2ヶ月ほど休んで、もうしばらくこの音楽はやめるよと言ったんだ。で、そのレコードの最後に、私は彼らに言ったんだ。”いいか、君たちは新しいプロデューサーか、新しいギタリスト、あるいはその両方を見つける時期だと思う “とね」Matt Wallece 2015年
FNM の意図は、必ずしもファンを混乱させるようなアルバムを構成することではなく、自分たちとリスナーに挑戦するような知的な進化にありました。しかし、その結果は一部の人にとって不愉快なものとなったのかもしれません。彼らは、”頭の中にあるものを聞いて演奏する方法を学んだ” と告白しています。
「曲作りに関して言えば、無意識にやっていることなんだ。僕たちはミュージシャンで、バンドをやっていて、曲を書く。自然にやっていることを分析するのは難しい、本当に難題だ。特に、面白い言い方をするのは、ちょっと近すぎるから難しい。自然に見える、自然にやっていることなんだ」- Bill Gould 1992年
「このアルバムには中間がない。絶対に大ヒットするか、大失敗するかのどちらかだ」- Bill Gould 1992年
既に巨大なファン・ベースを増やすために(そして銀行に現金を入れるために)、最も簡単なことは、バンドが “The Real Thing” と同じように “Epic part 2” のアルバムを続けることでしょう。 しかし、これが FNM なのです……信じられないほど個性的な5人が一緒になって爆発的な結果を出し、決して “簡単な” ことは常にしてこなかったのですから。
FNM は常に、それがポジティブなものであれネガティブなものであれ、反応を引き起こすことを楽しんできました。BLACK SABBATH の “War Pigs” のカヴァーを演奏するよう観客が要求すると、コモドアーズの “Easy” を完璧に演奏し、大衆を見下しながらニヤリと笑う。 それが FAITH NO MORE。
つまり、”Angel Dust” の多彩な音楽性は、彼らがファンを獲得したアルバムとは明らかに一線を画していました。”The Real Thing” は、そのユニークなサウンドを分類する方法を持たないプレスによって、”ファンク・メタル” というタグを付けられ、狭い穴蔵に押し込められることになっていました。ある意味、FNM はより挑戦的なレコードを作ることで、ファンク・メタルとそれが魅了した群集から意図的に距離を置こうとしたのですが、同時にそれは、単に音楽が自然に取った方向でもあったのです。
「このファンク・メタルというものには、本当にうんざりする。俺が一番やりたくないのはファンク・メタル・バンドなんだ、俺たちはそれ以外のものになろうと思っているんだ。ファンク・メタルを演奏するバンドはすべて嫌いだし、ほとんどのバンドが同じように感じていると言ってもいい」 Bill Gould 1992年
実際、彼らはこの新譜が人々に嫌われることを確信しており、”Alienating Your Public” というタイトルにするべきだと冗談を言っていたくらいです。
「おそらくこの新譜は、ファンを混乱させ、大衆を遠ざけるために、前作より少し奇妙なものになるだろう。少なくとも、僕たちはそう非難されてきた。別に何かの主張を押し通そうとしたわけではなく、ただ僕らが書きたい音楽なんだ」 – Roddy Bottum 1992年
「僕たちは人を怒らせて喜んでいるなんて言うべきじゃない。ただ、自分たちがやりたいことをやりたいだけであって、必ずしも彼らが期待しているようなことをやりたいわけじゃないんだよな。このレコードが “The Real Thing Part II” になると期待している人は、目を覚ました方がいい!すでに怒っているファンもいる。もうすでに腹を立てているファンもいるんだ」- Mike Patton 1992年
バンドはミキシングの段階まで、Slash のレコード会社の重役に楽曲を隠していましたが、ついに “Angel Dust” を聞かせたとき、彼らも自分たちの投資の結果を信じられないほど心配していました。
「レコード会社の社長がスタジオにやってきて、こう言ったんだ。”誰も家を買わなければよかったのに” とね。 部屋の空気が一変した。あれは、現実を突きつけられるいい瞬間だった。僕の仲間の何人かはすでに家を買っていたからね」- Jim Martin 2012年
「レコード会社は完成したアルバムを聴いて、本当に怖くなった。それが、自分たちが正しいことをしたのだと知る唯一の方法だった。もし、彼らが気に入ってくれたら、何かが間違っていることになる。ミキシングを始める前は心配そうな顔がたくさんあったよ」- Roddy Bottum 1992年
「誰かが痙攣するのを見るのは素晴らしいことだと思わないか?本当に緊張しているのを見るのは素晴らしいことだと思わないかい?僕らのレコード会社でそういうことがあったんだ。彼らは僕ら一人一人に働きかけて、自分たちが何をやっているのかわかってるのか?と説得してきた。彼らは “The Real Thing” のファンを遠ざけることになると言った。理想を言えば、どこかにもうひとつ “Epic” を入れて欲しいということだ。どうやって売り出したらいいかわからないだとよ」- Mike Patton 1992年
このレコード会社の無関心、反発は、FNM を決して動揺させるものではなく、より一層 “Angel Dust” を誇りに思うようになります。
「このレコードは、僕たちをさらに一歩前進させるものだと思う。より自信に満ちたユニットとして、また、まだ学び、成長していることを示している。これは間違いなく進歩だよ。今回は、より良いレコードを作りたかっただけで、必ずしもプレスや他の人たちが並べようとするガイドラインに従う必要はなかったからね。自分たちの内面を掘り下げて、挑戦的で、対立的で、極めてユニークなものを出そうとしたんだ。僕はこの作品にとても満足しているよ」- Mike Bordin 1992年
では、これまでとは何がそんなに違っていたのでしょうか?
まずはよりシアトリカル。曲は断片的で、伝統的なヴァース/コーラス/ミドルの構成に従うのではなく、アルバムの各曲は、クラシックの序曲と同じように、音楽が激変する時に対立するセクションをしばしば持つ旅でとなります。そこには信じられないほど中毒性の高いメロディーがある一方で、激しいリフやドローン、病的なムードの変化もあったのです。Bottum はこれまでにないようなサウンドと、様々なソースからのサンプルの数々で実験をしていました。ギターソロは制限され、あるところではリフが残忍に露出し、あるところではほとんど聴こえません。ヴォーカルはより複雑で、パットンはその強大な声域をフルに使い、歌詞はより不穏で工夫されたものに化けました。結局このアルバムは、前作から完全に脱線したわけではなく、単に境界線をさらに押し広げただけだったのです。
「同じバンドがもう1枚アルバムを作っているんだ。もしみんなが少し変わったと言うなら、明らかに僕たちは何か正しいことをしているんだ。いつもと同じことをやっているんだけど、みんながそれに気づくくらいに面白くしているんだから」 – Bill Gould 1992年
「僕は “Surprise! You’re Dead” は前作の中でも特に過激なものだったと思う。このアルバムには、人々を驚かせるような極端な方向性のものが含まれている。つまり、何が不穏なのかよくわからないし、それが不穏なのだと思う。今回は自分たちのあり方を無茶苦茶に伸ばしたんだよな。それは素晴らしいことだよ。このレコードを家に持ち帰って、”これは一体何なんだ!” と思ってくれたら、僕たちは本当に嬉しい。そうなるだろうし、それはいいことだ。今回はレコード会社が少しきつめにネジを回そうとしたのは認めざるを得ない。サンプルも多いから、ちょっとビビったんだ。『おや、これにはたくさんの “サンプリング” が使われているじゃないか!ロックの聴衆はこのサンプリングに混乱すると思わないか?』ってね。あとは、『ちょっとレフトフィールドすぎる』とか、『ボーカルが役者じみてる』とかね。つまりロックじゃないってことだよ」- Mike Patton 1992
「シンガーというのは俳優と同じだ。人は歌手の言うことをそんなに真剣に受け止めるべきではない」- Roddy Bottum 1992年
加入して初の “The Real Thing” のプロモーション・ツアー中、Patton が新しい生活スタイルになかなか馴染めなかったことは周知の通り。 彼のあらゆるものに対する嫌悪感は明らかでした。 彼は仲間のバンドメンバーやプレスに擦り寄り、甘やかされたガキ大将のように振る舞い、Mr.Bungle に集中するためにいつでもバンドを脱退することを示唆し続けていたのです。
「あの頃は、受けるべきではないインタビューにたくさん答えていた時期だったんだ。FAITH NO MORE にうんざりしていたんだ。誰もアルバムを買ってくれないし、ただツアーを続けるだけだった。幻滅したんだ。ツアーをしていると、バンドとしてネズミのような生活をしているような感覚に陥ることがある。一時的に忙しくさせられたり、バカにされたり。ポン引きが売春婦を扱うように扱われるんだ。そして、その一員になりたくないと思えば、フラストレーションが溜まる。僕は這ってでも逃げ出したかった」
しかし、1991年になると変化が待っていました。Patton は徐々に FNM の一員であることに納得し、自分の役割に満足していくようになります。まだひねくれ者ではありましたが、だんだん大人になってきたのです。
「人間関係も、初めのうちは、いろいろなことを我慢している。でも、しばらくすると、そういうのが全部なくなって、一緒にいて落ち着くんようになる。たぶん、そういうことなんだと思う。相手の前でオナラや罵声を浴びせる方法を学ぶんだ。それが健全なんだ。いつも何かを恐れていたら、何もできない。みんなが少し楽になれば、どんなアイデアでも引き出せるし、それを操作したり、レイプしたり、バカにしたり、何でもできるようになる。でも、それでも……いいんだ。なぜなら、そうやってクソが作られるからだ。僕はそう確信している」- Mike Patton 1993
「どんなバンドなのか分からなかった。僕らはデフォルトでハードロック・バンドになった。それは偶然だった。でも美しいのは、僕ら全員が大事なことを知っていたことだ。僕たちはお互いに顔を見合わせて、どんなに悪くなっても、どんなにペットの猿になったとしても、どんなにペットのファンク・メタル・ロック・バンドになったとしても、それに対処しなければならない他の4人がいるんだと言うことができたから。そして、それぞれの人がそれぞれのやり方で、それに対処していた。僕がバンドに残ることに何の疑問も抱いたことはなかった。このアルバムのための曲作りを始め、確信に変わった。”The Real Thing” の時は他の誰かの音楽、他の誰かのバンドのようで、義務的なもののように感じていた」
「このアルバムの前にも、僕はアイデアを投げかけていた。それが愚かな勇気であれ何であれ、僕はいつも勇気をもっていたんだ。ただ、しばらくは誰かと一緒に刑務所にいたような気分だった。そして今、僕たちはちょっと奇妙な方法で友達になっているんだ」- Mike Patton 1994
Patton の外見の変化も明らかで、1992年の最初のプロモショットでは、ヘアメタル的なイメージは消え、シリアスなフロントマンの外見に変わっていることが確認できます。しかし、最も顕著な変化は彼の声。”The Real Thing” で彼に大きな注目をもたらしたファンク由来の鼻声は消え、ラップもなくなります。彼の歌声は、その声帯を駆使した極限のサウンドを聴かせてくれるようになったのです。うなり声、叫び声、悲鳴、激しい息づかい…数え上げたらきりがないほどに。
小便を飲む、タンポンを食べる、暴れる、叫ぶ、侮辱する、冗談を言う、歌詞を書く、1989年の暗い面を持つ。彼は、世界中のやんちゃで好奇心旺盛で歪んだ若者の定義となり、ただ地獄を見るために何でもやってみるという人物に見えました。しかし、そこからの Patton 最大の躍進は、FAITH NO MORE のメンバーとして幸せになったことか大きな要因でしょう。
「最初は果実が熟していなかったんだ。実は、バンドについて知りたいこともあったし、知りたくないこともたくさんあったから、それを無視していたんだ。問題に直面するよりも、無視する方がずっと簡単だと思ったんだ。 好戦的で反感を買うのは、本能なんだよ。全体が地獄に向かってスパイラルしているような不安定な状況に入った時、もう少しかき混ぜるんだ。このLPで、ようやく全員が同じ方向にスパイラルすることができたんだ」
歌の中のキャラクターになりきり、怒りを吐き出すのはセラピーになるのでしょうか?
「いや、怒りを公にするのは良いことではないから。作詞家やシンガーには、常に “自分の内面を投影している” という神話があるけど、そんなの嘘っぱちだ。歌い手は最悪だ。僕らは楽器の後ろに隠れることができないんだ……」Mike Patton 1992
Matt Wallece は、”The Real Thing” から “Angel Dust” へと成長を遂げた Patton に畏敬の念を抱きました。
「僕にとって、Patton の中の大きな変化は、”The Real Thing” の間、彼はまだ100% FNM にコミットしていなかったということにある。これは僕の読みで、間違っているかもしれないけど、彼が自分を守る方法、自分がまだ Mr. BUNGLE の一部だと感じる方法は、”The Real Thing” でほとんど別の人格になり、それによって、”ああ、僕はこのバンドにいるけど、本当は一員ではない” と簡単に言えるようにすることだったんだろう。でも、”Angel Dust” になってから彼は曲の成り立ちにずっと関わっていて、作曲中もその場にいたし、アレンジの指導もしていた。つまり、自分の声を楽器として使い、深く歌い、声域のあらゆるスペクトルを使うようになれたんだ。彼はチベットの詠唱やエスキモーの鼻歌など、あらゆるものを聴いていて、ヘヴィロックやオルタナティブ、プログレッシブ・バンドの文脈の中で、自分のボーカルがどうあるべきかというアイデアをレコードに持ち込んでいたんだ。このアルバムの後、多くのバンドが彼の後を追ったんだよ。でも、Patton は臆することなく、異なるボーカル・アプローチや歌詞、中にはかなり挑戦的な歌詞にも挑戦していたからね。彼が前面に出てきて旗手になったのは、本当に見事なことだと思ったよ。あれはスリルだった。あのレコード全体がスリルだったんだ」- Matt Wallece 2015年
1988年に Patton が FNM に参加したとき、”The Real Things” の音楽はすでに完成しており、彼は2週間の間に付随するメロディと歌詞を書き上げただけでした。”Edge Of the World” や “Zombie Eaters” の曲で試みたキャラクターの発明やロールプレイは、今や本格的な芸術形式となっています。
「歌詞を通して自分自身を明らかにする義務はないと思うんだ。というか、立ち位置が違う。歌詞がスリーブに印刷されているのは残念なことだよ。世間は啓示を期待しているのだから。歌詞は、僕たちの過去や人生について何かを語っているはずで、そして、歌詞を通してそのようなつながりを持つことは、ほとんど危険なことなんだ」- Mike Patton 1992年
Jim Martin と他の4人のメンバーとの間に亀裂が入ったのは、アルバム制作の最中でした。
「僕は何も違うことをしようとはしていない。ただ、僕が見たとおりの、あるべき姿でこれらの曲を演奏しようとしているだけだ。自分たちを再発明しているわけではない、そう断言できる。だから、”新しいことをする” なんてたわごとを持ち込まないようにね」Jim Martin 1992年
FNM は、自分たちの音楽がどのようなものであるべきかについての相反する個性やアイデアから常に成功を収めてきました。こうしたありえないような組み合わせが、常に素晴らしい結果を生んできたのです。
Martin の “Angel Dust” に対する態度は最初から緊張していて、曲からレコーディング、アルバム・タイトルに至るまで、すべてに納得がいかないようでした。リハーサルが始まる数週間前に彼の父親が亡くなり、バンドは彼のためにスタジオをサンフランシスコからオークランドに移したのですが、それでも Martin は参加しないことに決めたのです。
「バンドのメンバーも僕も、”一時中断して、数ヶ月後に再集結して、お父さんを悼んで落ち着く時間を作ろうよ” と言っていたんだけど、彼はもっとマッチョな人生観を持っていて、”いや、僕のプライベートな話はいいから、このアルバムを作ろう” って言ったんだ。それでバンドはオークランドにリハーサル場所を確保したんだけど…」- Matt Wallece 2015年
そのため、Martin は自宅でギター・パートを作り込むことになりました。
「変なテンションになるんだよ。彼は家で作業しているけど、僕たちが曲を作るときはギターも含めて全部をイメージするんだから。でも、彼が初日からそこにいなかったら、彼の心を読むことは期待できないでしょ?」。Bill Gould 1992年
「Martin と僕は両極端なんだ。天秤のバランスを保つために、僕が僕の方向に進めば進むほど、彼は彼の方向に進まなければならない。もし、彼が今のままで、僕がさらに進み続ければ、物事はおかしくなってしまう。だから、現状では、僕たちは少し微妙な関係になっているけど、これから解決していくだろうね」Roddy Bottum 1993年
曲作りに参加していなかったため、Martin は他のメンバーがどのような方向に進んでいるのか理解することが難しく、「とても作為的で、バンドが一生懸命になりすぎている」と感じていたのです。「自分がどこにフィットするのか理解するのに時間がかかったよ」とも。そのため、Gould はアルバムの一部でギターを弾いています。
「唯一苦労したのは、ギター・パートだった。Martin は僕らがやっていることをあまり理解していなかったから、ちょっとパニックになってしまって、自分たちでやってしまったんだ。いくつかのギター・パートは、ベースの Gould が演奏したんだ」 Mike Patton 1992年
「ギター・パートは僕のもので、すべてのトラックで僕がギターを弾いている。曲作りとアレンジにはかなり貢献した。Gould は “Midlife Crisis” と “Midnite Cowboy” に少しフワッとした感じのギターを加えてくれた。”The Real Thing” に続くという変なプレッシャーがあり、その結果、アルバム “Angel Dust” は僕が必要だと思う以上に音楽的に作り込まれたものになってしまった。僕はこのアルバムをもっとスタジオで作りたかったし、Gould はスタジオに入る前に最後の一手まで釘付けにしておきたかったんだ。僕は時間をかけて作りたかったんだけど、マネージメントとレコード会社は急いで作りたかったんだよ」 Jim Martin 2012年
「Martin はこのレコードを “ゲイ・ディスコ” と呼び続けた。何か演奏するたびに、”これはゲイ・ディスコの集まりだ” と言うんだ。で、僕は言ったんだ。”おい、もしお前がそのクソデカいギターを入れたら、それは “ゲイ・ディスコ” じゃなくなるだろう。だから、このプロジェクトに参加する必要があるんだ” ってね。それで、彼はギターのパートを担当するんだけど、翌日にはバンドがやってきて、そうじゃなくて彼に Jim Martin のままでやってほしいと思っていたんだ。だから、怒鳴り合いや意見の相違がたくさんあった。かなり醜かったね」- Matt Wallece 2015年
レコーディングはさらに拷問のようで、バンドと Martin の溝はエスカレートし、怒りが爆発していきました。
「最初から不愉快な経験だった! とても不愉快だったけど、これまで FNM とレコードを作ってきた経験と大差はない。いつもとても不愉快な経験だった。多くの人が子分を味方につけるために奔走し、愚かなゲームをして、状況を煙に巻く」 Jim Martin 1992年
“Angel Dust” のすべてが Martin を怒らせたわけではなく、彼は Patton のボーカルと歌詞をとても褒めています。 また、ギターが以前の FNM のレコードよりもずっと目立たなくなっていますが、それも全体のテイストには合っています。この作品でギターが脚光を浴びると、あるところでは非常に激しく、またあるところでは楽しくメロディアス。”Angel Dust” はソロが少ないものの、ギターのリフやメロディーはとても良いのです。
「曲作りに携わるときは、ギターのために書く。いつもそうしていればいいんだけど、今回のアルバムではキーボード・パートを先に書いていることが多かったから、それに合わせてギター・ラインを書こうとすると、”タフ” になってしまうんだよな。それは確かにチャレンジングなことで、いろいろと試行錯誤の末、結局は最もシンプルなものを使うことになるんだ」- Jim Martin 1992年
“Angel Dust” というタイトルは Bottum のアイデアで、レコーディングの早い段階で決まりました。薬物そのものとの関連はなく、「本当に恐ろしい薬物のための本当に美しい名前」というアイデアが気に入ったのです。
アルバムのジャケットは、Werner Krutein による飛翔前の白鷺の写真。裏面は Mark Burnstein による屠殺場に吊るされた牛の頭と肉の写真。美とグロテスクの極限を表現したタイトルとイメージは、彼らの音楽の中に完璧なまでに映し出されています。
「バンドそのもの、バンドの音、レコードの音、収録曲、タイトル、ジャケットなど、幅の広いものから狭いものまで、ここにはいろいろな要素がある。このバンドは多くの要素を持っていると思うんだ。重いものもあれば、美しいものもある。このアルバムは、アグレッシブで不穏なものもあれば、とても落ち着くものもあり、バランスがとれていると思う。レコードのタイトルは、もしドラッグに詳しくなければ、美しく聞こえるだろう。美しいようで恐ろしいものなんだ。表ジャケットは美しいもので、裏ジャケと合わせると不穏なものになる。そういうものにしたかったんだよ。レコードのジャケットとレイアウトは自分たちでデザインして自分たちで組み立てたんだ」” – Mike Bordin 1992年
当時、Martin はこのレコードのタイトルにも反対していましたが、2012年にさらに説明し、赤の広場にいるロシア兵にバンドの頭を重ねた写真を担当した経緯も語っています。
「このアイデアは Bottum のもので、他の誰も関わっていないんだ。彼は、フロントが鳥、バックが肉用ロッカー、そしてタイトルがエンジェルダストという基本的なコンセプトを持ってやってきた。問題は、”どうやってそのアイデアをレコードジャケットに反映させるかだった。”The Real Thing” と “Introduce Yourself” はレコード会社が考案しデザインしたジャケットで、僕たちは単にそのツケを払ったというだけのこと。これは芸術的な表現の機会であり、最終的に僕たちのうちの誰かが、誰もが納得するようなアイディアを持っていただけなんだ。スリーブにロシア軍を入れるというアイデアは、当時ハマっていた THE POGUES のアルバム “Rum Sodomy and The Lash” にインスパイアされたもの。結局、僕たちはリソースをコントロールし、人材を活用し、クリエイティブなコントロールを維持することができたんだ」 Jim Martin 2012年
1. Land of Sunshine
ワーキングタイトル : The Funk Song
「大好きだ、本当に高揚感がある。ほとんど天使のようだ」- Roddy Bottum 1992年
“Angel Dust” のオープニング・トラックは、FNM の伝統であるアップビートで騒々しいエネルギーの爆発。 Patton はこの曲を “グロテスクでポジティブな曲” と表現しています。歌詞は十分に楽しいにもかかわらず、ヴォーカルは皮肉なトーンで表現されているのです。
3日間寝ないでコーヒーを飲み、深夜のテレビ番組に没頭し、フォーチュン・クッキーを何袋も買って睡眠不足の実験中に思いついたのがこの曲の歌詞。 “Angel Dust” のなかでも特に誇りに思う歌詞の一つです。
「アメリカでは、深夜にセミナーやサイエントロジー、伝道のテレビ番組が放送されている。これは大掛かりな詐欺で素晴らしい。30分のコマーシャルでセミナーを全部買わせようとする。そしてもちろん、俺の本当のヒーロー、伝道師のロバート・ティルトンのような奴らのことを歌っている。ロバート・ティルトンには、何ものも、そして誰も触れることができないよ。彼はかなりの人物だ。テレビの上に手を置いてください、テレビの力であなたを癒しますと頼む。テレビの悪霊を使って、悪魔の頭を切り落とすために。ダラスに行ったら、彼の教会を訪ねよう!」 – Mike Patton
Patton は歌詞の一部をテレビ局のアナウンサーのような深い声で叫び、この曲の捕食的資本主義のインチキに対する批判に個性を与えています。最初の歌詞は、明るい未来への漠然とした約束で埋め尽くされていますが、最終的に、この曲のメインテーマである “弱者が利用される” ことに踏み込むのは2番目のヴァースで、彼はサイエントロジストの性格診断から直接引用したセリフを口にしているのです。
「感情的な音楽は、あなたにかなりの影響を与えますか?」
「あなたはよく遊び半分で歌ったり口笛を吹いたりしますか?」
自分の笑い声が響く中、Patton はコーラスを歌います。
「人生は価値あるものに見えますか?」
2. Caffeine
ワーキング・タイトル:Triplet
ギターはブルータル、キーボードはアトモスフェリックで夢のよう、ドラムはワルツの拍子を難なくこなす。Patton は唸り声と爆音の間を行き来し、あちこちで厳しい囁きも聞かせています。
歌詞は、Patton の睡眠遮断実験中に書かれたもので、3日目には幻覚を見るようになり、彼が唯一使用を認めた覚せい剤に敬意を表しています。
3. Midlife Crisis
ワーキング・タイトル : Madonna
“Midlife Crisis” は軽妙なラップで始まり、ジャジーでアル・ジャロウ風の弧を描いて上昇し、純粋なハードコアの接近戦で激突。歌詞は、中流階級で、安全で快適な繭を作り上げた、”安全な遊び人” のような人たちを非難し、なじります。Simon & Garfankel “セシリア” をサンプリングして作られた魅力的なグルーヴを持つこの曲は、”Epic” といくつか類似点があります。どちらもシンプルなベースライン、ラップのヴァース、そしてかなり難解な歌詞の内容を持っており、アルバムの中でも特に楽しい曲の一つであることは間違いありません。バンドはインタビューで、この歌詞がマドンナにインスパイアされたものであることや、有名人の下らない自己中心的な性質についてだと話しています。
「君は完璧だ、そう、その通りだ。でも、私がいなければ、あなたはあなたでしかない。
君の生理中の心/ 二人のための十分な出血はない」
自己執着というテーマは、歌詞にも反映されており、ほとんど間違いなく抽象的なオナニーの引用で満たされています。
Gouldは1998年、この曲の作曲過程についてこう語っています。
「この曲はみんなに責任がある。キーボードのパートから始まったんだ…みんなが僕らが次のレコードを出すのを待っていて、世界制覇を約束していた時期だった。で、彼らの目には、僕らが少し反抗的に映ったようで、それがある意味歌詞に反映されていると思うんだ。僕の立場からすると、全体が1音しかないような、でも歌になるような曲をやりたかった。だから、ベースパートが1つだけで変わらないものにしたかったんだ。レコーディングして初めて、プロデューサーが僕の意図を理解してくれたんだけど、当時は自分の足を撃つようなものだと思ったよ……」- Bill Gould1998年
Patton は歌詞の内容を少し話しています。
「この曲は、たくさんの観察とたくさんの推測に基づいている。でも、ある意味、マドンナのことを歌っているんだ…テレビや雑誌で彼女のイメージに溢れていた時期だったと思うし、彼女のやり方は僕に語りかけてくるようなところがある…まるで彼女がある種の問題を経験しているようなね。ちょっと自暴自棄になってるみたいなんだよ」- Mike Patton 1992年
4. RV
ワーキング・タイトル : Country & Western
このアルバムの中で最も不思議な曲の一つで、最初に書かれた曲の一つで。完璧なカントリー&ウエスタンの小曲をFNMの作法に合うように醜くねじ曲げたもの。
「最初は僕がピアノでやっていたんだけど、Gould と一緒に遊び始めて、ブラジルのツアーの時に完成させて、ライブで演奏するようになったんだ」- Roddy Bottum 1992年
Patton が自分の歌詞を伝えるために、キャラクターになりきった最も分かりやすい例で、この場合は嫌な中年で貧乏な白人です。
「この曲の歌詞は本当にめちゃくちゃで、ホワイト・トラッシュ (貧乏な白人) の武勇伝なんだ。 多くの曲はキャラクター・スケッチみたいなものだよ。僕はそれが悪いとは思わない。多くの人がそのことで僕に文句を言いたくなるかもしれないけどね」- Mike Patton 1992年
「R.V.とはレクリエーショナル・ビークルのことだ。アメリカの典型的な文化で、人々は休日はキャラバンに住んでいる。我々は彼らを “ホワイトトラッシュ” と呼んでいる。アメリカでは、誰もがR.V.に住んでいる人を知っている。この人たちは見下されているが、誰もが社会の一員であることを知っている。このような人々はたいてい太っていて、一日中テレビを見て、テレビを見ながら夕食を食べている。R.V.という歌は、あの豚たちの名誉の象徴のようなもの。私の家族もそうだ。一日中キャラバンの中にいて、”もう誰も英語を話さない” と文句を言うような人たち。誰も彼らの話を聞いてあげないから、独り言ばかり言っている」 – Mike Patton 1992年
5. Smaller and Smaller
ワーキング・タイトル : Arabian Song
キャッチーなキーボードのメロディーと雰囲気のあるストリングス、動悸のするリズムに研ぎ澄まされたギター、サンプリングに歌声と鳴き声の間を行き来するボーカル。他に類を見ないほど、お馴染みのFNM 成分が全て揃っています。
「退屈な曲だ。自分が何をやっているのかよくわからなかった。曲全体が中東のように聞こえたから、頭の中で聞こえる音を見つけるまで、指板を上下させた。僕はいつもそうしている。あまり教育を受けているプレイヤーではないからね」- Jim Martin 1992年
搾取される労働者階級のための革命の歌でしょうか。中盤にはサンプルをふんだんに使ったセクションがあり、特にネイティブ・インディアンの聖歌が素晴らしく配置されています。
「…Shameless culture rape。僕たちはインディアンの聖歌を取り上げて、それをめちゃくちゃにすることに決めたんだ。”ダンス・ウィズ・ウルブズ” の美学のようなものさ」 – Mike Patton 1992年
「僕らにとって FNM は2つの異なるバンドのようなもので、1つは音楽を作って録音するために存在し、もう1つは70~90分のセットを出来るだけパワフルなものにしようとするライブバンドなんだ。なぜか、僕らの曲はいわゆる “ミドルテンポ” …つまり、速くはないけれどバラードでもない曲に惹かれる傾向があるんだよね。聴いている分にはいいんだけど、ライブで演奏するとなると、ミドルテンポの曲が多すぎると、僕らもお客さんも本当に退屈してしまう。そうなったら、もう最悪だ。最悪の悪夢は、セットの途中で勢いがなくなってしまうことだ…その時点でハード・ワークになってしまい、楽しみが減ってしまう。”Smaller and Smaller” はかなり壮大なコンセプトではあるけれど、ライブでやるには長すぎるし、地道すぎる気がした。それに、実を言うと、この曲には他の曲ほど思い入れがなかったんだ……」- Bill Gould 2012年
6. Everything’s Ruined
ワーキング・タイトル|Carpenter’s Song
多幸感あふれるコーラスとメランコリックなヴァースという、対照的なムードを持つ素晴らしい曲。また、唯一ギターソロが全編にわたってフィーチャーされている曲のひとつでもあります。
「このアルバムには、とても奇妙な曲がいくつかある。その多くは絶望的で、とても不穏な雰囲気を持っている。”Everything’s Ruined” はその良い例だ。この曲は、このアルバムに収録されている曲の中でも、よりストレートなロックの一つ。前作の “Surprise You’re Dead” と聴き比べてみてほしいね。僕らがどう変化したかがわかると思う。自分たちがイメージしているものを演奏するのが上手くなっているんだ」 – Mike Patton 1992年
7. Malpractice
ワーキング・タイトル : Patton’s Song
「これはデスメタルの映画音楽だ」Patton のみによって書かれた、恐ろしくて映画的な楽曲。複雑なセクションを持つ彼らしい手法で、一撃必殺のインダストリアル・メタルと不気味なオルゴールがミックスされている。完璧な音楽的悪夢。
1992年、Patton は FNM での作曲スタイルについてこう語っています。
「僕たちは任天堂キッズだから、スタジオに入るとダイヤルを回してボタンを押すだけなんだ。Mr. BUNGLE は基本的に曲の作り方を知らないんだ。だから、ヴァース/コーラス/ヴァース/コーラスという直線的な曲の上に何かを乗せようとするのは、僕にとって奇妙なこと。それはそれでいいんだけど、何をするにももっともっと時間をかけて、もっともっと打ち込んでいこうと心に誓っている」- Mike Patton 1992年
この歌詞は、Pattonのひねくれたキャラクターが繰り広げる、手術のゴシック・ホラー。
「そうだな、ある女性が外科医のところに行って手術を受けているんだけど、彼女は自分の中に入ってくる外科医の手が好きなんだと気づく、という内容の曲を書いたことがある。彼女は治すことに興味もなく、ただ誰かの手が自分の中に入ってくるのを望んでいるんだ。彼女はそれの中毒になるんだ」- Mike Patton 1992年
8. Kindergarten
ワーキング・タイトル : F Sharp
予想外のメジャーからマイナーへのコードを配置することで、FNM のソングライティングをひねり出す好例。この曲では、Gould が音を奇妙な形にひねっていく素晴らしいベースソロがあります。
9. Be Aggressive
ワーキング・タイトル : I Swallow
ハモンド・オルガン、ド迫力のベースライン、ワウワウ・ギターが特徴的。コーラスはシュガーヒル・ギャングの1983年の曲 “Winner Is” から引用していて、チアリーダー(バンドの女友達)が「B-E A-G-G-R-E-S-I-V-E 」という今では不滅のフレーズを唱えているという、かなり倒錯した内容です。Roddy Bottum はこの年、ゲイであることを告白。
「”Be Aggressive” のいいところは、同性愛的なマッチョな曲なのに、FNMのリスナーの多くは、男性ではなく女性がひざまずいて飲み込んでいる姿を想像することだろう。かなり過激だろう?ゲイっぽい歌だと思った?それがいいところなんだ。ある人は “なんだこれは!” と声を上げるだろうし、ある人は気味悪がるだろうし」- Roddy Bottum 1992年
10. A Small Victory
ワーキング・タイトル : Japanese
オリエンタルなキーボードとギターのデュエットがメロディックな螺旋を描く、野心的でドラマチックな曲。メイン・ボーカルのラインは “Angel Dust” の中では最も “The Real Thing” の声に近いでしょう。
「あの曲では、プログラム、ストリングス、ピアノとは対照的に、音源は “マテリアル” だった。そのほとんどは DAT プレーヤーで、外を歩きながら録音したもので、それをキーボードそのものに入れ込んだんだ」- Roddy Bottum
Patton は、この曲が父親との関係について歌ったものであることを明かしています。「父がコーチをしていたから、僕の人生最初の16年間は勝つことばかり考えていたようだ。でもね、僕は勝ち続けられないとわかったんだよ。畜生!」
11. Crack Hitler
ワーキングタイトル: Action Adventure
FNM の中で最も映画に近い曲。パットンの圧縮され歪んだメガホンの効果は、後に続く全ての Nu-metal バンドが真似をすることになります。イントロのサンプルは、リオデジャネイロ・ガレアン国際空港のフライトアナウンスを読むブラジル人女優イリス・レティエリで、この人の声に Patton は惚れ込んだのです。彼女はこの曲を聴いた後、バンドを訴えようとしましたが、失敗に終わります。
「ブラジルでかなり有名なこの女性の声をサンプリングしたんだ。彼女は Varig 航空のフライトのアナウンスをしていて、僕たちはその声が本当に好きだったし、彼女の声は僕たちのブラジルでの経験をすべて集約しているようなものだった。それで彼女を録音して、その声を使ったんだけど、今になって、彼女の声を無断で使ったとして訴えられているんだ」- Roddy Bottum 1992年
この曲の歌詞は、またしても Patton の別人物。「ヒトラーのようになった麻薬ディーラーの話なんだ。ドラッグの影響でヒトラーのような気分になった黒人のね。この曲は、バンドがシナリオを視覚化することによって曲のアイデアを発展させていった例だ。例えば、事前に曲のビジュアルイメージを考えておくこともあったよ。例えば、ヒトラーの口髭を生やしたクラック・ディーラーがスーパーマンキャップをかぶって、路地を走りながら警官を撃っているようなイメージ。そのビジュアルイメージを音楽的に解釈するんだ。それがバンドが曲を作るときのやり方なんだ」- 1992年
12. Jizzlobber
ワーキングタイトル : Jim’s Song
「素晴らしい曲だ。拷問された魂のようなもの」 – Mike Patton 1992年
Jim Martin の血に飢えたメタル曲は、アンセム的なドラム、”サイコ” なキーボードのリフで始まり、Martin の最も残忍なギタークランチに乗せて Patton が言葉を吐き出していき、Gould によって作曲された壮大なチャーチオルガンのエピローグで終わります。
「アルバムに自分の曲を入れたかったし、本当に恐ろしくて醜いものを書きたかったんだ。このタイトルは僕が考えたジョークで、僕は本当の意味での “ギタージジー” な音楽は好きではないからだ。もちろん、サトリアーニやヴァイみたいな演奏はどうやってもできない。あの人たちは全く別の楽器を弾いているような気がするんだ」- Jim Martin 1992年
歌詞の内容は、パットンが繰り返し見る投獄された悪夢を扱ったもの。
「刑務所に入ることへの恐怖を歌っているんだ。いつかそうなることは分かっているんだ…。一度行ったことがあるけど、いつかすごく長い間行くような気がするんだ」- Mike Patton 1992年
13. Midnight Cowboy
「イージーリスニングが好きな Gould のアイデアで、僕も好きなんだ。この曲は本当にハイパーな美しい曲で、聴くのに苦労するほどだ。エレベーターで聴くようなソフトな音楽が、ヘビーな音楽であることもあると思うんだ。ラウドロックにはない深遠さと力強さがある」 – Roddy Bottum 1992年
最後のトラックは、1969年に公開された同名の映画からジョン・バリーのテーマをカバーしたもので、陶酔させられる。この曲もデジタルサウンドとは一線を画し、Bottum はアコーディオンを使ってリードメロディーを演奏しています。
「”Midnight Cowboy” のカバーには本当に満足している。これからは、イージーリスニングが主流になる。もうすぐエレベーターのための音楽のEPを出す予定なんだ」- Roddy Bottum 1992年
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH STEPHEN BRODSKY & JOHN-ROBERT CONNERS OF CAVE IN !!
“I Guess Heavy Pendulum Could Mean How One Decides To Use Their Time Navigating These Hardships. The More Weight That We Allow Things To Have In Our Lives, The Heavier The Pendulum Swings.”
DISC REVIEW “HEAVY PENDULUM”
「Caleb が命を吹き込んだ曲を演奏することで、この2つのバンド (CAVE IN と OMG) 全員が彼の思い出を一緒に祝うことができて、とても感慨深いものがあったんだ。そして、あのイベントを企画し、参加してくれたすべての人々から受けたサポートは、とても心地よく、僕たちが創造性を前進させ続けるべき理由を思い出させてくれたんだよね」
マサチューセッツのヘヴィ・ロック・カルテット CAVE IN は、度重なる活動休止、ラインナップの変更、そして長年ボーカル/ベースを務めた Caleb Scofield の急逝など、重く苦しい経験と戦い続けてきました。Caleb の死をきっかけにリリースされ、彼がバンドのため最後に尽力した2019年の “Final Transmission” がそれでもバンドのほろ苦いスワンソングとならなかったのは、CAVE IN が養ってきた強さと共に、世界が彼らを求め、喪失の苦しみを共有し、サポートしたからに他なりません。
「”Heavy Pendulum” の制作では、20年代の暗い世界を尋常ないほど意識していたんだ。このアルバムのタイトルには、そうした苦難を乗り越えるために時間をどう使うかを決める、そんな意味もあるんだろうね。人生における物事の重みが増せば増すほど、振り子の揺れは重くなるのだから」
“重い振り子” と名付けられたアルバムには、苦闘と革新を続けてきた CAVE IN の折れない心、粘り強い才能が見事に投影されています。人生は振り子のようだ。良い時もあれば、悪い時もある。多くのトラウマに耐えた後、これほどの傑作で “幸福” に振り戻すことは決して容易ではないでしょう。巨大なリフとアンプを最大限活用した純粋なヘヴィ・ロックは、優雅と複雑のサブリミナル効果を活用しながら、悲しみと喪失があふれる世界に一筋の光を投げかけます。
「このレコードでは、2017年、 “Final Transmission” となった作品のスタート時に、Caleb が僕たちに勧めたビジョンを完全に具体化したかったんだ。だからある意味、借りを返すというか、約束を果たす意思こそがバンドが今回、より高いレベルに昇りたいと思う原動力となったんだ」
2000年代初頭、CAVE IN は90年代のハードコアを取り入れた作品群に続いて、新しいサウンドを模索。2000年にリリースされた “Jupiter” では、Brian McTernan 指揮のもと、スペースロックとアバンギャルドの影響を大きく取り入れるように変化。2003年、RCAレコードというメジャーに移籍すると、ポップとも捉えられる音楽性で大舞台での可能性を追求。
カオスもエモも、メタリック・ハードコアもドゥームもオルタナも捕食し、カラフルな繭で巣作りを続けてきた肉音獣。そのターゲットの変遷には常に確固とした理由がありましたが、Relapse に移籍を果たした “Heavy Pendulum” の原動力は故人との固い約束でした。
「悦生さんと彼のバンドやプロジェクトに直接触発された、僕の最近のノイズへの旅の始まりのいくつかは、実際に CAVE IN の新曲で聴くことができるよ。”Blinded by a Blaze” の終わりと “Nightmare Eyes” の終わり近くは、彼と彼の仲間を念頭に置いて演奏したんだよね」
CAVE IN が失ったのは、Caleb だけではありません。彼の追悼イベントともなった “Leave Them All Behind 2020” で共演し感銘を受けた ENDON の那倉悦生氏、そして POWER TRIP の Riley Gale。きっと亡き二人の実験魂もこの作品には生きています。
“CAVE IN は、実験とリスクを冒すときに最高の状態になる” そんな格言が生まれそうなほどに、この大作は挑戦的。もちろん、スラッジやポストメタルの “重力”、”Floating Skulls” や “Careless Offering” のような銀河系プログレッシブ・メタルはこのアルバムの基軸でしょうが、それだけではありません。
例えば、”Reckoning” は、ダーク・アメリカーナと FLEETWOOD MAC の蜜月を堪能できる CAVE IN の枠を超えた逸品ですし、タイトル曲の “Heavy Pendulum” はブルースのリズムをグランジの色合いで染め抜き、彼ららしい特徴的なギター・サウンドを使用した感情の洞穴。”Blinded by a Blaze” は SOUNDGARDEN や ALICE IN CHAINS と “Jupiter” における冒険が、ENDON を触媒に融合しているようにも思えます。
一方で、メタルマシーン “New Reality” や “Blood Spoiler” で新加入 Nate Newton が吠える喉をかき切る印象深いハウリングも見事。12分のフィナーレ “Wavering Angel” はまさに現在の CAVE IN を物語る真骨頂でしょう。もしかするとこの完全無欠に構築されたアートは、21世紀における LED ZEPPELIN、そんな異次元の領域を引き寄せたのかもしれません。時間もジャンルも、生と死さえも超越した音楽という深い好奇心の湖。
今回弊誌では、Stephen Brodsky と John-Robert Conners にインタビューを行うことができました。「悦生さんをはじめ、ENDON のメンバーの皆は、僕にとても親切にしてくれたんだ。悦生さんは “マッドマックス” に出てくるようなメッセンジャー・バッグのような楽器を演奏していたんだけど、僕はアレが今でもどんなものなのかわかっていないんだ。彼は、それだけでも非常にユニークなバンドのルックスとサウンドに、さらに特別なものを加えていたね」
苦難を乗り越えて前進することを決意し、轟くような激情と高鳴るフックの狭間で素晴らしいバランスを確保。サイクルの終わりにして始まりの作品は、CAVE IN の過去に敬意を表しながら、豊かな未来を予感させてくれますね。どうぞ!!
CAVE IN “HEAVY PENDULUM” : 10/10
CAVE IN are (associate acts)
STEPHEN BRODSKY: Guitar / Vocals
スティーヴン・ブロッズキー (NEW IDEA SOCIETY, CONVERGE, MUTOID MAN, OLD MAN GLOOM)
JOHN-ROBERT CONNERS: Drums
ジョン-ロバート・コナーズ (NOMAD STONES, DOOMRIDERS)
ADAM McGRATH: Guitar / Vocals
アダム・マッグラス (CLOUDS)
NATE NEWTON: Bass / Vocals
ネイト・ニュートン (CONVERGE, OLD MAN GLOOM, DOOMRIDERS)
CALEB SCOFIELD
ケイラブ・スコフィールド (ZOZOBRA, OLD MAN GLOOM)