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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【CALVA LOUISE : EDGE OF THE ABYSS】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH JESSICA ALLANIC OF CALVA LOUISE !!

PIC BY HENRY CALVERT

“I grew up during a very hard economic and social crisis in Venezuela so the alternative scene was disappearing, I felt the need to leave the country.”

DISC REVIEW “EDGE OF THE ABYSS”

「多様なルーツはアドバンテージだよ。なぜなら、それぞれの文化から吸収した影響があって、ひとつに左右されないから。私たちが共通して持っているものに従い、より純粋な形でつながることができるから」
世界は、異なる文化や人種を再び “排斥” する方向へと向かっています。SNS において無闇に恐怖を煽る、悪質なデマを流す大声の煽動者たち。しかし、そもそも本当に異文化や異人種は “悪” なのでしょうか?寛容さはお花畑なのでしょうか?差別と区別は異なるものなのでしょうか?
イギリスに本拠地を置きながらも、ベネズエラ、フランス、ニュージーランドと多国籍な “移民” が集う CALVA LOUISE は、音楽によって壁を壊し、世界をつなげられると信じています。
「私はベネズエラの非常に厳しい経済・社会危機の中で育った。そんな状況だからベネズエラのオルタナティヴな音楽シーンは消えつつあり、国に止まる以外の様々な可能性を考慮しなければならなかったのよ。非常に複雑なプロセスに直面して、国を離れる必要性を感じていたのね。
しかし、最終的には、そうして国を離れたにもかかわらず、ベネズエラの人々、そして世界中の多くのベネズエラ人から多くの好意的なコメントを受け取っているのよ!」
まるで THE DILLINGER ESCAPE PLAN に加入した Poppy。そんな例えが違和感なく感じられる、破天荒なボーカリスト Jessica Allanic。そんな彼女の音楽人生もまた、波乱に満ちたものでした。
ベネズエラに生まれた Jessica は、彼の国の政情不安、ハイパーインフレーション、貧困、そして治安の悪化と向き合いながら育ちました。しかし彼女が最も耐え難かったのは、MUSE や SYSTEM OF A DOWN, QUEENS OF THE STONE AGE に憧れながら、ベネズエラのメタルやオルタナティブ・シーンが国力と共に衰退していったこと。そうして彼女は、欧州への移住を決意します。
「メタルにはカタルシスという側面もあるし、生々しく純粋な感情や深いメッセージを表現することで、そしてこのジャンルが人々にもたらす複雑な感情を表現することで、本物のつながりを作ることができる。私たちはバンドとして、特に今、それが本当に重要だと感じているのよ」
フランスで盟友と出会い、そしてイギリスでまた別の大陸の盟友と出会った Jessica は、自身の幼少期の想像の世界、SFの理想と夢を CALVA LOUISE で現実のものとします。彼女の夢には、どんな壁もありません。スペイン語、フランス語、英語はあまりにも自然に Jessica の夢幻世界へと溶け込み、オルタナティブもポップもNu-metalもメタルコアもプログもフォークもまた、あまりにも自然に夢のシチューで煮込まれて、えもいわれぬ極上の美味と混沌を生み出します。
バンド名の由来となったイヨネスコの不条理劇は、画一化されたアートへの反抗、社会規範への同調、その危険性を皮肉たっぷりに描いています。そして、CALVA LOUISE もまた、移民であること、多国籍であることをアイデンティティとして、全体主義、画一化への抵抗、創造的自由の追求をかかげているのです。音楽で世界をつなげるために。
今回弊誌では、Jessica Allanic にインタビューを行うことができました。今年の2月に2週間日本に行くことができ、最高の経験をしたの! デジモン、セーラームーン、カードキャプターさくら、その他たくさんのアニメを見て育ったからね! Maximum the Hormone のような日本のバンドや、Bunnyのような新しいアーティストも大好き! 私の夢は、いつか日本で演奏すること!」 どうぞ!!

CALVA LOUISE “EDGE OF THE ABYSS” : 10/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【SKUNK ANANSIE : THE PAINFUL TRUTH】


COVER STORY : SKUNK ANANSIE “THE PAINFUL TRUTH”

“Having a Black, Female, Gay Lead Singer Was Completely Different Than All The Other Bands, Me Being The Face Of a Rock Band Made a Lot Of People Uncomfortable.”

THE PAINFUL TRUTH

「私がロックバンドのフロントを務めたことで、多くの人々が不快感を抱いていた」
SKUNK ANANSIE は、Oasis, Blur, Pulp といったバンドがラジオを席巻した 90 年代半ばのブリット・ポップの流れに関連して、一躍有名になりました。しかし、このムーブメントの軽快なインディーズ・ロックに流されることなく、ロンドンの 4 人組はよりヘヴィで政治的な要素の強い、反抗的なサウンドを選択していました。それは、オルタナティブで時にメタル。そうして、Skin の激しく詩的な表現を完璧に引き立てていったのです。
Skin のかつてないルックス、恐れ知らずの性格、そして抑圧された人々のために立ち上がる心意気が、当時の他のバンドと SKUNK ANANSIE を明確に区別し、彼女を世界的なアイコンへと押し上げました。Skin はアイコニックなDr.マーチンのブーツを履き、ステレオタイプを恐れずに打ち破りました。
「黒人で、女性で、クィアのリードシンガーがいることは、他のバンドとは完全に違っていた。私は人々の先入観に挑んだんだ。私がロック・バンドの顔となることは、多くの人を不快にさせたから」
1990年代半ばは、イギリス音楽にとって特筆すべき時代でした。現代とは異なり、ジャンルやスタイルの統一性がより強く支配していた時代において、アメリカン・オルタナティブ・ミュージックの氾濫に対する対抗馬として台頭したブリットポップは、ラジオや主流メディアを席巻しました。しかし、この注目を浴びたムーブメントの特筆すべき特徴は、その人種的・性別的な均一性でした。つまり、白人男性中心のトレンドだったのです。

一方、時々 “ブリット・ロック” と呼ばれた SKUNK ANANSIE, THE WILDHEARTS, FEEDER といったアーティストは、異なる人種的背景を持つメンバーを擁していました。
「そこに情熱と真実味があるから、ロックにハマるの。そして、そこには怒りと憤りもある。本当にアウトサイダーが集まる場所。90年代、ロックやメタルにハマることは、確実に主流に逆らう選択だった。それはアンダーグラウンドで、少しエッジの効いた音楽だった。だから、私はあの時代の人々ははるかに共感力があると思う。ロックのオーディエンスははるかに共感力がある」
2020年代に入っても、SKUNK ANANSIE が大きな会場を埋められる事実が、このバンドの音楽が “人々の音楽” であることを証明しています。
「それは私がブリストン出身だからよ。1970年代のブリストンは、私が育った頃、南ロンドンの資金不足で忘れ去られた地域だった。黒人たちが住む場所だった。そして、そのことは語られなかった。黒人たちの問題は語られなかった。私たちは本当に自分たちで何とかするしかなかった。さらに、スース(容疑者)法という問題もあった。多くの黒人居住地域は、非常に差別的な警察組織とも対峙しなければならなかった。彼らは黒人男性を疑いだけで逮捕し、捜索した。彼らは街中で裸にさせることもできた。私は3人の兄弟がいるので、その現実をよく知っていたの」
彼女の歌声は、しばしばロック界で最高の歌声と称されています。 純粋で、ハスキーという表現は決して適切ではありません。 高くて正確で、ビブラートがたっぷりかかっているのです。ウィンドラッシュ世代としてジャマイカからイギリスに移り住んだ Skin の家族にとって、そうした音楽とのつながりは天性のものだと感じています。
「私の家族はみんな歌えるの。ただ、練習してこなかったから、いい声が出なかっただけでね。 でも、私みたいに練習していたら、きっとうまくなっていたはず。私は音楽をやって成功したいという意欲と野心を持っていたから」

表舞台で活躍する中で、Skin が耐えてきた逆境は、 “居心地が悪い” という表現がぴったりでした。 他人の偏見や不安の受け皿となることを繰り返してきた彼女は、社会的、政治的な問題に関しては決して尻込みすることなく、長年にわたって差別の事例について率直に語ってきたのです。Skin は SKUNK ANANSIE のキャリアを通して、”Selling Jesus”, “Intellectualise My Blackness”, “On My Hotel TV”, “Little Baby Swastikkka” といった曲で、人種差別、虐待、組織宗教、資本主義の貪欲さに立ち向かってきました。 2020年9月に出版された自叙伝 “It Takes Blood and Guts” の中で彼女は、1996年に SEX PISTOLS のオーストラリア・ツアーに参加した際、人種差別を経験したと語っています。
「髪型だけでナチスだと誤解された。”ステージから降りろ、この黒人女!” とか叫ばれてね。そして、私たちを擁護する人たちが巻き込まれて、小さな乱闘になることもよくあったわ」
ベーシストの Cass も黒人であるバンドは、敵対する者たちを怒りに満ちたパフォーマンスで吹き飛ばし、無表情で束縛することなく反応したのです。
「私たちは、黒人らしく、獰猛に、ラウドになりきったの。その不条理な差別や偏見のおかげで、ステージでより良いパフォーマンスをするためのエネルギーが湧いてきたんだよ」
この活力は、フロントマンのジョニー・ロッテンを含む SEX PISTOLS からのサポートがなかったとされることで、さらに拍車がかかりました。
「彼は私たち四面楚歌になっているのを見て、何もしなかった。そういう沈黙の中に暴力があると思うの。詩的な文章だね、くそったれ! それを書き留めて」

このような抑圧に対する反骨精神が、Skin が多くの人々にとって伝説となった理由のひとつといえます。しかし、何十年にもわたって人々の偏見の的となり続けたことは、どんなに強い人間にとっても重い十字架となるはずです。
「でも、私はそれを背負わなかった。 人種差別、性差別、同性愛嫌悪など、他人の問題を引き受けてしまうと、その人たちが私に重荷を背負わせているようなものになってしまう。 だから前向きに成功について話す方が生産的だと思う。 実際に起こったいくつかの事件や、物事を難しくするようなことが、結果的にバンドの原動力となって成功した理由になっているのだから」
Skin が背負っている問題はたくさんあって、彼女がひとつひとつの十字架を背負う余裕がないのは当然のことです。30年間にわたる闘いの中で、彼女は社会と文化の活動家として、恐れずに声を上げ続けています。LGBTQ+の権利を擁護する活動——これは彼女が数十年にわたり続けてきたもので、当時、多くのアーティストがカミングアウトしていなかった時代から始まっています——以外の時間には、アフリカ女性主導の組織 “Forward” のアンバサダーとして、女性器切除反対運動を展開しています。
The Medical Foundation for the Care of Victims of Torture(現在はFreedom From Tortureとして知られる)や、黒人や少数民族コミュニティを支援するBaobab Foundationといった慈善団体と協力し、Skinは音楽療法を通じて若年の難民申請者を社会に統合する支援も行っています。また、ソーシャルメディアを通じて黒人コミュニティの物語を伝え、差別反対を訴えています。
「先日読んだ研究によると、Instagramのコメントの80%が否定的なものだったそう。人間は他人を批判するのが好きで、他人を励ますことには興味がないんだよ。だから、人々がその対処法を学ぶのは良いことだと思う。なぜなら、それは決して変わらないから。重要なのは、フィードバックを適切に評価すること。99%の人があなたのことを気に入っていても、1つの悪いコメントがあれば、その悪いコメントに焦点を当ててしまう。それは無意味よ。私はソーシャルメディアを最もポジティブな形で使い、善のために活用している。人生で何をするにしても、善のために活用してほしいわ。そうすれば、多くの善が返ってくるでしょう」

2020年、Skin はキャリアの新たな段階を開始し、Absolute Radioで毎週放送されるラジオ番組 “The Skin Show” の司会を務めるとともに、ポッドキャスト “Skin Tings” を立ち上げました。このポッドキャストでは、彼女の音楽のヒーロー、著名な友人、そして新進気鋭のアーティストをインタビューしています。しかし、彼女がインタビューしたアーティストたちと同じように、ロック音楽にとって重要な存在であるのは彼女自身です。彼女の明るい態度とダイナミックな精神は、Nova Twins, Rico Nasty, Little Simz など多くのアーティストに道を開き、自分らしくありながら成功を収めるよう鼓舞してきました。
「自分らしさを保つことは本当に重要だと思う」と Skin は、特に現在の過密な音楽シーンにおいて、多くのアーティストがトレンドを追う代わりに独自の個性を共有しない中で、個性の重要性について振り返ります。
「あなたが興味深いのは、あなたがあなた自身だから。他人を真似るな。本質的にあなたではない方法で物事を始めるな。あなたの素晴らしいところは、あなたが本質的にあなた自身であり、この地球上にあなたのような人は他にいないこと。それがあなたが録音すべき音であり、あなたが集中すべきもの。観客やロック批評家に媚びて成功を追い求めるために、自分ではない誰かになる必要があるなら価値はない。実際、成功とは何だろう?音楽を作り、世に送り出すこと—私にとっては、すでにそれが成功なの。そうすればあなたは実際に音楽業界の一部なのよ。ロック批評家の目を通して自分の成功を見ることは、自身の integrity(誠実さ)と authenticity(本物さ)を損なう可能性があるのだから」

イギリス王室さえも、Skin がジャンルを超えたアイコンとしての地位を認めています。彼女は音楽への貢献を称えられて、OBE勲章を授与されました。リーズ芸術大学の総長でもあります。つまり、英国ロック史で最も影響力のある人物の一人であるわけですが、よく与えられる “先駆者” という称号を受け入れているのでしょうか?
「後から振り返ると、バンドとして私たちの影響力とインパクトはわかる。でも、その中にいてやっている時は、人々が何について話しているのか全然わからない。黒人で女性で同性愛者の歌手が、セクシーで小さな服を着ていないこと、むしろアンドロジナスで政治的な音楽を歌っていたことが、どれだけ狂っていたか思い出す。それは本当に重かった。そして、90年代に多様性と意識の高さを追求した私たちの成果を振り返ると、今や実際に黒人、ゲイ、トランスジェンダーの文化に熱中することがクールになった。それは素晴らしいことだ。だから、私たちは先駆者だったと今なら理解できる」
先駆者といえば1998年7月16日、Skin と Cass は、南アフリカのクルーガー国立公園で、元大統領ネルソン・マンデラの80歳の誕生日を祝うための集まりに参加し、1,000人もの人々と共に夕食を摂っていました。その夜の司会者が、ステージに上がることを許可された人々の名前を短くリストアップし始めた時、2人は、自分たちも呼ばれるだろうと冗談を言いました。そして、本当に呼ばれたのです。
「私たちは “呼ばれるよ!” と笑い合っていた。そして “SKUNK ANANSIE!” って。やばい! それで私たちはステージに上がった。ネルソン・マンデラと少し会話し、その後マイケル・ジャクソン、ダニー・グローバー、スティーヴィー・ワンダー、ニナ・シモンと並んで立ち、全員でネルソンに “ハッピー・バースデー” を歌った。スティーヴィーがピアノを弾き、私がリードを歌い、マイケル・ジャクソンがハーモニーを担当した。そう、本当に魔法のような夜だった…」

まさに伝説に残る一夜でした。1994年にロンドン・キングスクロス地区の怪しげなリハーサルルームで活動を始めたバンドとしては、悪くない成果です。31人が焼死した地下鉄駅を出て、Skin は強盗の目を避けるため、目的地の街を走って移動していました。そこでは薬物依存、売春、ホームレスが蔓延していたのです。
「キングス・クロスは人間社会の汚物溜めだった。まさに汚物溜めだったが、輝かしいものだった。最高のバンドは汚物溜めから生まれると思う」
27年半後、現在 Skin はニューヨークとロンドン北東部を往復する生活を送っています。最初のラジオシングル “Little Baby Swastikkka” から 30 年近く経った今日、彼女は “成功” “今でも観客を前に、チケットが完売のライブを行っていること” と定義しています。
「人々は私に “成功とは600万枚のアルバムを売ることですか?” とか聞いてくるけど、私は “いいえ、成功の定義は、自分が方向付けた人生を送れていて、それでも十分な収入を得られるから、他のことをする必要がないこと” だと答えるわ。私にとって、成功とは、楽しみながらお金を稼ぎ、素晴らしいライブを続け、人々に称賛されることよ。おそらく今、私たちは “伝説的な地位” のカテゴリーに入っているようで、興味深いね。おそらく私たちは、今や人々が憧れるバンドの一つであり、若者たちが憧れる存在になっているでしょう」
間違いなくそうでしょう。2019年の夏、O2アカデミー・ブリクストンでの SKUNK ANANSIE のライブでは、他の同様の激しいライブでは時々見られない、特に同性カップルや有色人種の女性を含む、明らかに多様な層の観客がいました。もちろん、そのシーンが必ずしも排他的な場所というわけではありませんが、彼らのシンガーが説明する通り、このグループは “慰めを提供する “のです。「人々は SKUNK ANANSIE のライブに来て、自由になれる。私たちのライブのプライバシーの中で、彼らはその1時間や2時間を、ただ自分らしくいることができるの」

同じく2019年、Stormzy が “グラストンベリーでヘッドライナーを務めた最初の有色人種アーティスト” と誤って主張した件(SKUNK ANANSIE が彼より20年も前にその栄誉を獲得していた)に対し、ラッパーは正式な謝罪を表明しました。
「正直に言えば、ビヨンセが “グラストンベリーでヘッドライナーを務めた最初の黒人女性” だと発言したときのほうが、私はもっと苛立った。Stormzy は大好きで、彼は多くの良いことをしている。彼を批判したり、その瞬間を奪ったりすることは絶対にしない。でも、自分を守らなければならなかったから訂正を求めたの。彼は本当に品格がある。個人的にDMを送ってくれて、素敵なメッセージだった。少し会話した。私たちは皆、彼が黒人男性として、黒人男性らしいことをしていることに誇りを持っている」
実際、Skin の人気急上昇期の記憶は輝かしいものでした。彼女はダライ・ラマの前でパヴァロッティとデュエットし、ネルソン・マンデラに誕生日を歌い、1999年にグラストンベリーでヘッドライナーを務めた最初の黒人イギリス人となったのです。黒人女性として切り開いてきた道。それは確実に、報われようとしています。
「今や状況は変わった。人々は、変化をもたらすべきのは女性ではなく、他の人々であることに気づいた。女性が服装を変える必要はない。女性が自分を証明するために5倍努力する必要もない。それは私たちの責任ではない。他人が態度を変えるべきだし、それが女性以外の責任なの。90年代はそうではなかったけど、私はずっと前からその態度を持っていたの」
あの MOTORHEAD の Lemmy とは親友でした。
「彼はとても優しかった。 私が会った人の中で、一番本物の人だった。 彼はありのままの自分で、それを隠そうとしなかった。 それに、彼は想像以上に完璧な人だった。 彼はとても紳士的だった。私がLAにいるときはいつも一緒に曲を書いていて、彼からのメッセージもとても嬉しかった。 あるとき、彼と一緒に曲を書くことになっていたのに、私は恋人と別れてしまって書けなかった。 すると彼はLAに来て、”君のためにきたよ。一緒に遊ぼう” って。 本当に優しい人だった」

自伝、ツアー、ニューアルバム…多くのことが進行中ですが、Skin はいつか音楽から完全に離れることを考えるでしょうか?「どうやって止めるの?」と彼女は微笑みながら言う。「なぜ止める必要があるの?」
そう、SKUNK ANANSIE 9年ぶりの7thアルバム “The Painful Truth” (2009年の再結成以来最高の作品)は、再結成したグループの一部が形式的に活動するのと対照的に、このバンドがは2025年に活躍するためのバンドであることを見事に証明しました。
「最も良いのは、すべてが音楽から来ていること。新しい曲は人々に好まれ、古い曲はボーナスだ。私は常にこの強い信念を持っていた…素晴らしいアルバムを作れば、すべてが変わる…とね。私たちは “続けるか、続けないか” という自問自答をしたの。本当に質の高い曲をまだ作れるなら、未来があるとね。しかし、平均的な曲しか書けないなら、創造的に終わりかもしれないって。そうやって、ただ緩やかな衰退をたどれば人々は、90年代の私たちにしか興奮しなくなるだろう」
“The Painful Truth” には彼らの特徴的な歌詞と音楽の重厚さに、情熱的なオルタナティブの要素、電子音楽の要素、大衆向けの大きなコーラス、そしてスキンによる “巧妙な言葉遊び” が見事に融合されています。 “Shoulda Been You” のような堂々たるポップな曲から、率直で容赦ない “Shame”(「あの歌詞で一部の人から批判されるかもしれないけど、もうすでにその人たちからは十分批判されてるから!」と Skin が冗談を交えて語る)まで、これはまさに SKUNK ANANSIE が作りたかったアルバムであり、人々が予想していた過去の彼らから進化を遂げた作品でした。
「ファンが気に入ってくれるかどうか、という不安はある。なぜなら、”The Painful Truth” は私たちが普段やっていた音楽ではないから。でも、人々が本当に求めているのは、自分たちが欲しかったと気づかなかった本当に素晴らしいものを享受すること。私たちの仕事は他人を追いかけることではないからね」

そしてもちろん、それが常に SKUNK ANANSIE のやり方でした。90年代の白人男性中心のロックシーンを切り裂いてきた頃から常に。
「当時は気づかなかった…私たちはただバンドとして活動していただけだから。でも、私のような人たちがロック音楽への門を大きく広げたと信じたい。私たちは結局のところ、それを発明したんだから!今なら、小さな黒人少女や多様なバンドでも、それほど多くの反発を受けずに自分の道を歩めるだろう」
そうして時代がやっと追いついてきた今、SKUNK ANANSIE はメンバーの闘病という苦難にまたさらされています。しかし、30年もの間、世界のあらゆる試練を乗り越えてきた SKUNK ANANSIE は、今さら引き下がるつもりはありません。
“An Artist Is An Artist” や “Cheers” といった素晴らしい新曲が、”Weak” や “Little Baby Swastikkka” といった名曲と見事に調和しています。バンドは、ついに彼らが常に受けるべき尊敬を受ける時が来たのでしょう。
「いいメッセージを持ったバンドとして記憶されるのは悪くない。”彼らは本気で、いくつかの障壁を打ち破り、正しいことをした” ってね。私たちがやってきたことに比べれば、まだ花は咲いていないけど…私たちは毎晩、人々から花をもらっているよ」

参考文献: REDBULL:Skunk Anansie rocks out while Skin does the trailblazing

KERRANG!:Skin: “We offer solace. At a Skunk Anansie gig, people can be themselves, be free…”

KERRANG!:“I always had this strong belief: ‘If you do a great album, everything changes…’” How Skunk Anansie forged their dazzling future

VICE: Skin from Skunk Anansie Will Always Be a True Original

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【FRIKO : WHERE WE’VE BEEN, WHERE WE GO FROM HERE】FUJI ROCK 24!!


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH FRIKO !!

“I Personally Am Obsessed With Whatever That Magic Is That Makes Records “Classic”. So I Spent a Lot Of Time Over The Past Few Years Listening To All These Records That We Give This Honor And Taking In What They Had To Say.”

DISC REVIEW “Where we’ve been, where we go from here”

「レコードを “クラシック” にする魔法、それが何であれ、それに取り憑かれている。だから、ここ数年、僕たちはそうした “名盤” だと思えるレコードを聴き、そのレコードが語っていることを受け止めることに多くの時間を費やしてきた。僕にとって、これらの “名盤” たちに共通しているのは、彼らが何かを語っているということ。それが言葉であれ音楽的なものであれ、そこには目に見える即効性があった。”Pet Sounds” における即効性は、”OK Computer” における即効性とはまったく違うけれど、それでも僕の中では同じカテゴリーのものなんだ」
“friko4u”。みんなのためのFRIKO。それはシカゴのインディー・ロック・シーン、HalloGallo 集団から登場し、瞬く間に世界を席巻した FRIKO のインスタグラムにおけるハンドル・ネーム。FRIKO が何者であろうと、彼らの音楽は世界中から聴かれるために、つまり音楽ファンの喜びのために作られているのです。
そのために、FRIKO のフロントマン Niko Kapetan とドラマー Bailey Minzenberger は、THE BEACH BOYS から RADIOHEAD まで、自らが名盤と信じる作品を解析し、”目に見える即効性” という共通点へとたどりつきました。カラフルであろうと、難解であろうと、先鋭であろうと、名盤には必ずある種の即効性が存在する。そうして彼らは、その信念を自らのデビュー・フル “Where we’ve been, where we go from here” へと封じ込めました。
「シカゴのシーンがとにかくフレンドリーであるところだと思う。たとえば他の3つのバンドと一緒にライブをすると、みんなお互いのセットに残って見てくれる。みんなコラボレーションしたり、他のバンドで演奏したりする。シカゴは、LAやニューヨークのような他のアメリカの主要都市と違って、20代から30代前半の人たちが手頃な家賃で住めるということもあると思う。だから、ここでの生活をエキサイティングなものにしようとする若者がたくさんいるんだよ」
アルバムに込められた想い。それは、”私たちがいた場所、そしてここから進む場所”。シカゴのインディー・シーンは決してLAやNYCのように巨大ではありませんが、それを補ってありあまるほどのエナジーと優しさがありました。競争ではなく共闘。その寛容さが彼らを世界規模のバンドへと押し上げました。DINASOUR JR? ARCADE FIRE? THE CURE? レナード・コーエン?ショパンにワグナー?!比較されてもかまわない。彼らは “名盤” のタイムマシンでただ世界を笑顔にしたいだけなのです。
FRIKO のオフィシャル・サイトの URL は “whoisfriko.com”。そこには ARCTIC MONKEYS が2006年に発表したEP “Who the Fuck Are Arctic Monkeys” を彷彿とさせる不敵さがあります。きっとFRIKO って誰?の裏側には、誰だって構わない、私たちは私たちだという強い信念が存在するはずです。
「SQUID, BLACK MIDI, BLACK COUNTRY, NEW ROAD の大ファンなんだ。彼らは、私たちよりもっとヴィルトゥオーゾ的なミュージシャンだと思うし、だから技術的なレベルでは太刀打ちできないから、エモーショナルでタイトなソングライティングの面でアクセントをつけようとしているんだ (笑)。でも、そうした新しいエネルギーが再びロック・ミュージックに戻ってきているのを見るのは素晴らしいことだし、若い人たちにとってはエキサイティングなことだと思う」
そうして FRIKO は、ポスト・ロックやプログまで抱きしめた新たな英国ポスト・パンクの波とも共闘します。いや、それ以上に彼らの寛容さこそが、長年すれ違い続けたアメリカと英国のロックの架け橋なのかもしれません。なぜなら、そこには David Bowie や QUEEN、そして THE BEATLES の魂までもが息づいているのですから。FRIKO は誰?その質問にはこう答えるしかありません。大西洋を音楽でつなぐエキサイティングな時計の “振り子” だと。
今回弊誌では、FRIKO にインタビューを行うことができました。「僕は宮崎駿の映画で育った。ジブリ映画は、僕が書く音楽に、音楽以外のどの作品よりも影響を与えている。宮崎駿には、世界中の人々に通じる特別な何かがあるんだ」 どうぞ!!

FRIKO “WHERE WE’VE BEEN, WHERE WE GO FROM HERE” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【CONQUER DIVIDE : SLOW BURN】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH ISABEL “IZZY” JOHNSON OF CONQUER DIVIDE !!

“The Metal Community Is a Great Escape For People Because The Music Has So Much Energy And The Listeners Are So Welcoming To One Another. We Can Be Outcasts…But We Are Outcasts Together!”

DISC REVIEW “SLOW BURN”

「メタル・コミュニティは人々にとって素晴らしい逃避場所よ。なぜなら、メタルにはエネルギーが溢れているし、リスナーたちはお互いを歓迎しているからね。そうね、私たちは社会から追放されることもある……でも私たちは一緒に追放されているから大丈夫なんだよ! 」
分断された社会やパンデミックで、孤独に苛まれる世界。誰もそばにいない、誰もわかってくれない、誰も手を差し伸べてくれない。誰もが社会から一瞬で “追放” され、転がり落ちる危険をはらんだ世界で、メタルの叫びはきっと蜘蛛の糸。君はひとりじゃない。自らも社会から疎外された経験を持つ CONQUER DIVIDE はそうして様々な孤独の檻を、”Slow Burn” 緩やかな優しさの炎で燃やしていきます。
「私たちはみんな BRING ME THE HORIZON のファンなのよ。みんなと同じように、ミュージシャンも変化する。アーティストとして、何度も何度も同じような古い音楽を作るのはファンに対する冒涜だから」
長い活動休止を経て復活した国際的な5人組 CONQUER DIVIDE は、さながらリスペクトを捧げる BRING ME THE HORIZON のように豊かな成熟を遂げていました。クラシックなメタル・コアから、洗練と実験のオルタナティブへ。色彩と幅が広がった5人の音楽は、5人の内面や経験を語ることでさらに新たなレベルのカタルシス、芸術性、内省をもたらし、物語のメタル・コアとして孤独に挑むことになりました。
「”gAtEkEePer” は基本的に、私たちが女性だけのバンドであることを理由に、私たちを粗末に扱ってきた業界関係者や同業者すべてに対して立てた中指なの。それは、常に女性がフロントマンを務める音楽をブロックしようとする音楽業界のゲートキーパーたちに直接向けられたものよ」
CONQUER DIVIDE にとって新時代の到来を告げるこのエモーショナルでヘヴィなアルバムには、リスナーの心を揺さぶる感情や傷が幾重にも含まれています。そんな傷の中でも “いじめ” は一つの大きなトラウマとして常に語られています。
女性であることで拒絶され、SNS で誹謗中傷された傷。学生時代に文字通りのいじめを受けた傷。そうした “傷” は、加害者が思うよりも長く、永遠のように心の中に燻り続けることを彼女たちは知っています。だからこそ、ここでバンドもアンセムで、バラードで、そしてメタル・コアの叫びでその負の感情を解放し、同じような悩みでもがき続けるリスナーにも感情の解放を促しました。
“いつまでも過去にとらわれず、前へ進もう”。そうしてCONQUER DIVIDE は、”INVISIBLE” で世界から “透明人間” “のけもの” として傷ついた過去を捨て去り、みんなで未来へ進もうと呼びかけるのです。一緒なら大丈夫と抱きしめながら。
今回弊誌では、ギタリストの Isabel “Izzy” Johnson にインタビューを行うことができました。「10代の頃はアニメをよく見ていたし、J-ロックにもハマっていて、2008年にはロンドンでMIYAVI を見たよ。MIYAVI を見て14~15歳の頃のようなギターを弾く情熱が戻ってきたんだよ。正直なところ、MIYAVI の影響がなかったら、今の私は音楽をやっていなかっただろうね!」 どうぞ!!

CONQUER DIVIDE “SLOW BURN” : 9.9/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【KING’S X : THREE SIDES OF ONE】


COVER STORY : KING’S X “THREE SIDES OF ONE”

“I wrote lyrics with my age in mind, so it has become sort of my mantra for what I’m doing for the rest of my life”

THREE SIDES OF ONE

これまで、KING’S X ほど見過ごされてきたバンドはいないかもしれません。ただし、dUg Pinnick, Ty Tabor, Jerry Gaskill の3人は、チャートのトップに立つことはなかったかもしれませんが、熱心なファンの心には深く刻まれ続けています。
80年代半ば、このトリオはテキサス州ヒューストンに渡り、メガフォース・レコードと契約。”Out of the Silent Planet”(1988)、”Gretchen Goes to Nebraska”(1989)、”Faith Hope Love”(1990)と、口紅とロングヘアのゴージャスな時代において、あらゆるジャンルの規範を無視した伝説のアルバムを3枚録音しました。
だからこそ、90年代初頭には、多くの仲間のロックバンドを虐殺したグランジの猛攻撃から免れることができたのかもしれません。音楽界の寵児として、また “次の大物” として、KING’S X はアトランティック・レコードに移籍し、セルフタイトルのアルバム(1992)を録音しましたが、残念ながらビルボードに並ぶほどの成功は得られませんでした。それでも彼らは、90年代から2000年代にかけて、感情を揺さぶる、音楽的に豊かなアルバムを次々と発表し続けました。
そうしてロックミュージックで最も露出の少ないバンドは、2008年に突然沈黙するまで、自らの道を歩み続けたのです。
休止中も、dUg は KXM や GRINDER BLUES で音楽を作り続け、自身の名義でレコードをリリースするなど、ゲリラ戦士として戦いを続けていました。クリエイティビティに溢れるベーシストは KING’S X の終焉を考えることはありませんでしたが、一方で、次のアルバムも必ずしも期待しているわけではありませんでした。こうして14年という長い間、KING’S X はただ沈黙を守り続けました。世界は変遷し、新しい現状が形成され、KING’S X はもはや時代の一員ではなくなったかに思われました。
しかし、14年という長い年月を経て、その門戸は開かれます。ついに彼らは再び一緒に作曲し、レコーディングすることを決断したのです。その経緯を dUg が語ります。
「72歳になるんだけど、歳を重ねた実感があるんだ。自分の年齢を意識して歌詞を書いたから、アルバムは残りの人生をどうするかという詩的なマントラのようなものになった。基本的に、私は人生が終わるまでなんとか乗り切るつもりだ。世の中が見えてきてね。友達のこと、Chris Cornell, Chester Benington, Layne Staley…死んだり自殺したりした人たちのことを考えると、ただただ痛くて、”自分は絶対にそんなことはしない” といつも思っている。人生を乗り切るためには、麻酔をかけられなければならないだろう。けど、あの世で何が起こっているのかわからないし、この世で惨めで痛い思いをしてまで、何も知らないあの世に移りたいなんて馬鹿げてる…それが私の論理なんだ。だから、アルバムはそういうところから生まれたものなんだ」

たしかに、”Three Sides of One” は、一見すると瞑想的な作品に見えます。
「まあ、メンバーはレコードを作りたくなかったんだ。なぜなら、作るなら今まで作ったどの作品よりも良いものでなければならなかったから。これまでは、自分たちがやったアルバムのレパートリーに加えるべきものがあるとは感じていなかったんだ。だから、14年かかってようやく “よし、これはいけるぞ” と思えたんだ。私自身は、初日から準備万端だった。14年の間に、いくつかのサイド・プロジェクトを立ち上げたり、いろいろなことをやっていたからね。私が持ち込んだ曲は27曲で、全部新曲だし、Jerry と Tyも何曲か持ち込んでいて、それも全部新曲だ。それで、リストに載っているものを全部、十分な量になるまで実際に覚えていったんだ」
アルバムのタイトル、”Three Sides of One” は3人が共有する生来のケミストリーを表現しています。
「いつもは、アルバムの名前は決まっているんだけど、今回は誰も思いつかなかったんだよね。それで、マネージャーが “Three Sides of Truth” と言ったんだけど、私は、なら “Three Sides of One” はどうだろうと思って、みんなが、ああ、それならいいと言って。そして、そこから出発したんだよ。しばらくすると、子供を持つのと同じで、名前はそれほど重要ではなくなるものだ (笑)」
アルバムには、歳を重ねた3人の自然な姿がさながら年輪のごとく刻まれています。
「Jerry は、基本的に臨死体験から多くの曲を書いている。そして Ty は、今の生活を観察して曲を書いた。私も同じで、72歳になるんだけど、世界が今までの人生とは違って見えてきたんだ。だって、今まで生きてきた距離に比べたら、もうそんなに長くは生きられないんだとやっとわかったからね。そして、そのことについて話したり歌ったりしたかったんだよね。70歳を迎えて、私にとって一番大きなことは、今の世界をどう見ているかを詩的に歌詞にすること、そして同時に自分の周りで起こっていることを書くことだった。政治や人々が憎しみ合う様子など、でたらめなことが起きていることは分かっていたんだ。それを歌うんだけど、ただ説教しているように聞こえたり、すでに聞いたことのあるようなことを言ったりしないように、工夫しているつもりなんだ。
今は、言葉に気をつけないと、アメリカでは自動的に批判される。私は問題を解決するのが好きなんだ。私の問題は、直せないものを直そうとすること。私はいつも、なぜ世界がうまくいかないのかを論理的に解明しようとしてきた。ある意味、人は全員とは分かり合えないというのが結論なのかもしれない。だから、年齢は私たち全員に影響を与えたと思うんだ。また、Jerry はバンドに曲を提出することはあまりない。でも実際は、彼の曲が全員の中で一番いい曲だと思うこともあるんだ。だから曲を持ってきてと言ったんだ。自分たちのアルバムにするために、本当に頭を使ったんだよ」

dUg は今回、”慣れ親しんだバンドでありながら、新しいバンドにいるような気がする” という言葉を残しています。
「新しいバンドに入ったという感じではなく、自分たちを再発見したという感じだと思う。なんというか、”自分は実はいいやつなんだ” と気づくような感覚なんだ。わかるかな?結局、スタジオからずっと離れていて、演奏し始めると、疑心暗鬼になるんだよね。つまり、私たちはいつも自分たちのやることなすこと全部が嫌で、本当のアーティストらしく、自分の芸術に対して否定的なんだ。でも今回は、最初に作った曲のとき、スタジオに行ってベーシックなトラックを聴いたら、生まれて初めて “おお、すごいな!” 思ったのを覚えているよ。やっとわかったよ…と。私たちの演奏には、欠点ばかりに気を取られていて気づかなかった何かがあるんだよな。だから、とてもエキサイティングで、もっともっと探求したくなったんだ」
その新たなマインドは、アルバムの歌詞の内容にも表れています。
「絶望的に見える世界の状況も、人類に何らかの救済や和解があることを願いつつ、それが歌詞に深く刻み込まれている。まあ、自分の周りで起こっていることを考えただけなんだけど。”Give It Up” は、私の気持ちを代弁してくれているような気がするね。私はライトが消えるまで、絶対に諦めない。Layne, Chris, Chester…友達が自殺していくのを見てきたんだ。クリスが死んだ頃にこの歌詞を書いていて、思ったんだよ。”ライトが消えるまで、絶対にあきらめないぞ” と。だって、死後の世界に何があるのかわからないし、そこを好きになれないかもしれないから。だから死ぬことは考えないよ。今できることを精一杯やりたい。最後に麻酔をかけられるまで、ずっとここにいたい。これが私の知っているすべてで、終わるまで乗り切るつもり。それが私にとっての知恵だから。それ以外のことは、他の人が決めることだけどね」

“Swipe Up” は時代を反映した楽曲。
「この曲は Jerry がジョン・ボーナムのスイッチを入れているね。インターネットや iPhone を利用しているときの体験がテーマになっているんだ。私たちはただスワイプし続けるだけで、アルゴリズムが自分だけの小さな世界の中で欲しいものを与えてくれる。だから、この曲は全部それについて歌っているんだ。iPhoneの小さな世界で生きていることについて」
テクノロジーの進歩は、音楽全般に対して悪影響を及ぼしているのでしょうか?
「進歩が起これば芸術も変わる。そういう観点では考えていないよ。例えば、最初のドラムマシンが登場した時、多くのドラマーが職を失った。しかし、突然、ドラムマシンのような安定性とタイミングを持った機械が登場したことで、私たちは皆変わり、クリックトラックで演奏するようになり、ドラマーはより良くなったんだ。オールドスクールはまだ存在して、まだレコードを買い、CDを買っている人もいるけど、新しい世界では音楽の見方や聴き方が違うよね? 彼らは iPhone で音楽を聴くし、彼らが好きな音楽も全然違う。それが “彼ら” の音楽なんだよ。
私が若い頃、THE ALLMAN BROTHERS を聴いていたら、親が “そんなのブルースじゃない” と言うようなものさ。よく、”BB KING を聴きなさい” と言われたものだよ。つまり、進歩とは、そこから何を学ぶか、そして自分の芸術をどのように変化させるかということなんだ。私は、すべてのことをポジティブにとらえるようにしている。難しいけどね。ナップスターが登場したとき、みんなが我々の音楽を配り始めて、それは最悪だった。それで、私たちはひどい目に遭ったよ。でもね、それでどうなったか?私たちは、人々が買ってくれるような素晴らしい商品を作る方法を学ばなければならなかったし、人々が私たちのライブを見に来るような良いコンサートをやらなければならなくなった。自分に起こることはすべて、自分なりの方法で適応していくしかないんだ。あの出来事で泣く人がいるなんて、そんなの戯言だ。泣いてばかりじゃダメだ。立ち上がって、やり遂げるんだ」

ネットがもたらしたものとその弊害にも言及します。
「人との関係において私が常に念頭に置いているのは、相手の行動を理解し、自分の気持ちを明確にして、争いのない方法でお互いに共存できるようにすることなんだ。私はいつも、平和を作るための新しい方法を探している。昔、このことを歌にしたことがあってね。私の人生は、どうやって人と良い友達になるかの積み重ねだった。彼らを知り、彼らを理解し、彼らを愛するようになることのね。
私は、人と一緒にいて、同意したり、反対したりして、みんながうまくやっていけることに心地よさを感じていたし、そのことに満足していた。だけど突然、アルゴリズムが入ってきて、みんながYouTube やスマホなどを見ていると、ビッグブラザーが私たちの行動をすべて見ていて、私たちの好みをフィード、与えてくるようになった。それが始まって10年ほど経ったよね。遂に私たちは、スマホの向こうに同じ現実を持っている人は一人もいないというところまで導かれてしまった。一人もね。一つの信念に溺れるまでとことん与えられる。そして、突然、誰も信用できなくなり、それぞれが快適で同じ意見を持つ人だけが集まる洞穴の”部族”に戻ってしまうんだ。
インターネットがもたらしたもの、それは私たちが原始人だった頃のような “部族”を生み出したということなんだ。
私には出口がわからない。今のところ、出口は見えないよ。たとえコンピュータを全部止められても、私たちにはすでに強固な”部族”がある。そのどれもが外部からの影響を受けないようになっているんだよ。変えることができる唯一のものは、洪水や宇宙人の侵路で、全員が警戒心を捨てて人類のために戦い、何か統一的な危機が訪れることしかないよね」
アルバムのクローサー “Everything Everywhere” はまさに完璧なエンディングです。
「ビートルズのようなサウンドの曲を書きたかったんだ (笑)。観客たちが叫びながら歌っているような感じで、私のアンセムという感じ。大勢の人が手を挙げて歌っているのを見れたらいいなと思うんだ。そうしたら気持ちいいからね。この曲には真実の要素が含まれていると思う。なぜなら、私たちは皆、愛を探しているから。愛には、たわごとをかき分け、すべてを癒し、すべてを乗り越える力がある。この曲は私の家路であり、私の癒しだから」

他の作品よりも優れていなければ、必ずしもアルバムを作る必要はないということは、14年経った今、この作品はこれまでやってきたことをすべて上回るということなのでしょうか?
「ああ、そうだね、このアルバムは今までのどの作品よりも優れているね。というのも、私たちは43年間バンドとして活動してきたわけだから、何をするにしても、すでにやったことよりも良くなければならない。あらゆる意味でそう思っているよ。例えば、子供にマーカーを持たせて、 “毎日、壁に直線を引きなさい” と言うと、50歳か60歳になる頃には、その直線があまりにもまっすぐで、びっくりするくらいになるはずだ。だから、私が考えるに、自分のやっていることを続けていれば、必ず良くなる。それは当たり前のことなんだよ。
ZZ TOP や MESHUGGAH など、私たちと同じくらい長く活動しているバンドを観に行って、20年、30年前に書かれたものを今聴くと、”ああ、同じ曲なのに、どうしてこんなに素晴らしく良く聞こえるんだろう” と思うことがある。だから、私たちも同様に良くなっていると思う。曲作りに関しては、とにかく曲を作り続けて、みんながそれを気に入ってくれることを祈るしかないけどね。でも、シンプルな曲の書き方や、複雑な曲の書き方を学び、それを成功させるために、あらゆる方法で限界に挑戦し続けているんだ。それでも、誰かがつまらないと文句を言うかもしれない。だから、結局は、自分の頭の中に何があるのか、そして、世界中が納得するような曲を書きたいと思ったときに何をやり遂げることができるのか、ということなんだ。たとえそれが、おそらく実現することのない盲目的なファンタジーであっても、それは私の目標であり、実行するだけでもやりがいがあるんだ。つまり、人に伝わろうが伝わらなかろうが、音楽をやり続けること、それが僕にとって最も意味のあることなんだ」
心の中で、KING’S Xはもう二度とレコードを作らないかもしれないと思ったことはあるのでしょうか?
「本当に考えなかったよ。唯一、もう二度とレコードを作らないかもと考えたのは、Jerry が初めて心臓発作を起こしたとき。彼の奥さんからメールが来て、”Jerry が心臓発作を起こした。生きられる確率は50/50″ と。それを見て、私はベッドから飛び起き、”ああ、大変だ…私たちはもう終わってしまうのか” と思ったよ。”全世界で最高の親友の一人がいなくなるのか?バンドができなくなるのか?私が持っているもの、私たちが持っているもの、すべてを失ってしまうのか?” とね。その時に書いたのが “Ain’t That The Truth” で、これはソロアルバムの “Naked” に収録された。1週間後くらいに書いたんだけど、1行目に50/50の可能性みたいなのがあって、すごく影響を受けたんだよね。それ以外は、KING’S X の終わりを意識することはないね。だから、考えたこともないんだと思う。すごい。そう考えると、ちょっとクレイジーだよね!」

2022年はバンドが1992年にリリースしたセルフタイトルのレコードから30周年にあたりました。
「まあ、Sam Taylor との最後のレコードだったわけで、それはそれで意味があった。それまでは、KING’S Xのサウンドを最大限に追求していたと思うんだ。最初の3枚は、インスピレーションを受けたものを何でも書いて、自分自身を見つけようとしていたし、自分自身のサウンドを見つけようとしていたから、いろんな意味で実験的だったと思うんだ。でも、4枚目のアルバムになると、ある程度定まってきたよね。曲作りに関して言えば、”The World Around Me” のような曲は、私が “バックス・バニーのリフ” と呼んでいるもので、ああいうカートゥーンのサウンドが好きなんだ。あのレコードが完成したとき、私たちは気に入っていたし、サウンド的にも良かったと思うんだけど、バンドにとってはひとつの終わりであり、ある種のサウンドの終わりでもあったんだ。Sam Taylor が抜けた後、次のアルバムは “Dogman” で、Brendan O’braien は “このアルバムに何を求めているんだ” と言ったんだ…”ライブで鳴っているような音を出したいんだ。ロックバンドのようなサウンドにしたいんだ” と答えたね。だから “Dogman” では、Brendan はすべてのレイヤーを取り払って、ただひたすらレコードを作らせてくれたんだ」
KING’S X はメジャーレーベルであるアトランティック・レコードから初めて作品をリリースしたバンドでもあります。
「我々はレコード会社からプレッシャーを感じたことはない。なぜなら、我々はレコード会社に “勝手にしろ” と言えるくらい反抗的だから (笑)。私たちはいつもそうだったんだ。アトランティックの子会社だったメガフォースに所属していたんだけど、”Over My Head” が出たときに、彼らが我々に電話してきて言ったんだ。”ラジオで流れてヒットしそうな曲を書くと、いつもその真ん中に何かを入れて、すべてを台無しにするのはなぜだ?”って。こう答えたよ。 “それが私たちの音楽の書き方だからな。ピクニックの真ん中に列車の事故を置いたり、その逆が好きなんだ” ってね。だから、私たちのことを説明したり、カテゴリーに入れたりするのは苦労したよ。ある時期、私たちは音楽業界の寵児で、誰もが私たちが大成することを応援していた。でも、要するに、世の中は茶色いコーラを飲み続けるということなんだ。透明なコーラの味がまったく同じであっても、未知の味に乗り換えることはないでしょう。茶色のコーラを飲み続けるんだ。私に言わせれば、何百万も売り上げているバンドのほとんどは、自分のやりたいことをやっていない。そのようなバンドは、もう一度、本当のことをやりたいと願っているんだ」

反抗的といえば、dUg はかつてキリスト教という “権威” にも牙を剥いています。”Let It Rain” の歌詞はまさにそんな dUg の心情を反映した楽曲。”世界の終わりか新しい始まりか?救世主は?神々は? 今こそ私たちを救ってはくれないのか? 誰もが権利を主張し誰もが戦いたがっている 誰もが自分を正当化して だから雨を降らせよう 恐れを洗い流すために”
「ゲイであることを公表したとき、ハードロック・コミュニティからの反発はなかったんだ。私は声明を出したり、プレス発表をしたことはなくてね。ただ、メジャーなクリスチャン雑誌のインタビューを受けたんだ。彼らが延々と話すから、私はただ思ったんだ。”クリスチャンの偽善にはうんざりだ。私はゲイだと言って、それで終わりにしよう” とね。
今日、それは問題ではない。誰からも反発されたこともないしね。ただし、あの記事が出たときは別だった。KING’S Xのレコードがキリスト教系の店で販売禁止になったんだ。その時、私たちは “素晴らしい!これでキリスト教の汚名から逃れられる”と思った。なぜか、KING’S Xはクリスチャン・バンドと思われていたからね。当時の私たちの信仰がそうだったからかもしれないけど、今はもう誰もそうではない。イエス・キリストは救世主ではないからね。70歳になったとき、世界を見渡してみたんだ。人々にはもっと思いやりと愛が必要だと思った。”雨を降らせて恐怖を洗い流せ” というのは、いい例えだよ。つまり、私たちが問題を抱えているのは、私たちが恐怖を恐れているから。立ち上がり、”怖がるのをやめよう!” と歌う、それが私の仕事なんだ」
しかし、dUg が3歳の時、連れ去られた宇宙人はキリストのようだったとも。
「3歳だって記憶しているのは、母がまだ一緒に住んでいたから。母は私が3歳のとき去ったからね。私が寝ていると、その人が部屋に入ってきたんだ。長いブロンドの髪の毛でローブを着て、それに銀色のベルトを巻いていた。すごく背が高かったのを覚えてる。足に巻き付けるサンダルを履いていたよ。裏口から外に出て、舞い上がったのを覚えてる。私は目が覚めたばかりだったが、外はとても明るかった。その時点で何かおかしいって思って、その人物から離れようとあばれたんだ。ようやく、彼は私の手を放した。次に覚えているのは、母の膝の上にいたこと。それって、ずっと、クレイジーで馬鹿げたことだと考えていた。でも40を過ぎたとき、”Ancient Aliens” を見ていて、わかったんだ。彼らは、人間がコミュニケーションを取ったり、拉致されたという4つのエイリアンのタイプについて話していた。その一つ、Nordic と呼ばれているエイリアンが、まさに彼だった。それまでは、夢を見てたんだって思ってた。でも、40年が経ち、理解したよ。私は拉致されたんだ」

宗教は dUg にとっていつしか虐待へと変わっていました。
「ゲイは忌み嫌われる存在で、神はそれを聖霊への冒涜以外の何ものでもないと嫌ってる。聖書によれば、男は他の男と寝てはならない。私はずっとそう言われてきたけど、でも同性愛者だ。
だから、誰にも言えなかったんだよ。ある時、”じゃあ、イエスがしたようにやってみよう” と決心したね。3日間断食して、自分を”ストレート”に変えてくれるよう神様にお願いしようと思ったんだ。田舎のトレーラーに座って、2日間断食して、食べずに水だけ飲んでたよ。祈って、祈って、泣いて、神が私を変えてくれるように懇願したけど、私は何も変化を感じなかった。そして、私は立ち止まって、”あきらめます” と言ったんだ。心の奥底にあったのは、人々が言う『神をあきらめるな』『神はまだ終わっていない』『神を待たねばならない』『神のタイミングで物事を得ることはできない』という聖句のことだった。だからその時は、何をやってもうまくいかないのは、すべて自分のせいだと思った。
ほら、私にとって宗教は抑圧的なものでしかなかったから。宗教は私に何もさせてくれなかった。4、5歳の頃、教会で曾祖母と一緒に最前列に座って、牧師が “踊ったり、酒を飲んだり、夕バコを吸ったりしたら、地獄に落ちるぞ。悪魔がお前を捕まえるぞ” と叫んでいるのを聞いたのを憶えている。悪魔がやってきて私を苦しめるんじゃないかと、子どもの私は毎晩死ぬほど怖くてベッドに入った。悪夢にうなされ、叫びながら目を覚ましたものだよ。
つまり私にとっては、宗教は虐待だった。他の人はそうではないし、私はそれでいいと思う。でも、私にとっては、そうなんだ。誰かが、”ああ、神はあなたを愛し、あなたの罪のために死んだ” と言ってきたら、心の中で “くたばれ” と言いたくなる。でもその代わりに、他のみんなにそうであってほしいと思うように、その人が誰で、何を信じているかを受け入れて、その人を愛するだけだよ。
私は、多くの、多くの、多くの、多くの、真の信者がいると信じているし、彼らを賞賛し、拍手を送るよ。だけどね、宗教でお金を要求する人たちはみんな、デタラメで、うそつきさ。彼らは、人からお金を搾り取る方法を見つけた、ナルシストの集団だ。私は彼らに嫌悪感を抱いている。そして、それを信じていた人たち、今も信じている人たちに対して、悲しみを覚えるんだ。嫌悪感ではなく、悲しみなんだよね。さらに悲しいことに、私は彼らが受け入れないようなタイプの人間だから、離れていなければならないんだよね。それが悲しいんだ。でも、それが人生なんだよね」

自身では、KING’S X のサウンドをどのように “カテゴライズ” しているのでしょうか?
「私たちはスリーピースのロック・バンド。ただそれだけだよ。パンクの曲も、ロックの曲も、ファンクの曲も、同じように演奏できるんだ。ドラム、ギター、ベースさえあれば、どんな曲でも演奏できる。私たちは本当に良いリズムセクションが根底にあって、それが KING’S Xのマジックだと思う。お互いのニュアンスの中で演奏する。音楽だけではなくてね。実際、KING’S Xは、私がこれまで演奏してきたバンドの中で唯一、みんながお互いの話をよく聞いているバンドなんだ。今まで一緒に演奏した他のバンドでは、周りを見渡すとみんな話を聞いていない。お互いの言うことを聞かないし、私の言うことも聞かない。でも私たちは皆、自分たちのやっていることに耳を傾けていて、その結果、違いを見分けることができるんだ」
最近では、”ロックは死んだ” というミームも使い古されてきたようです。
「ロックは死んでいない。ただ、怠け者が外に出て音楽を探さなくなっただけだ。GRETA VAN FLEETの曲は最低だけど、でも、ああした音楽を再現している子供たちがいる。20代の若者たちがサバスや BON JOVI を同時に吸収して、本物の何かを作り出しているんだ。問題は、それをやるための場所がないことだ。彼らを拾ってくれるレコード会社もない。MTVもない。新しいロックを聴かせるFMラジオもない。誰も彼らにチャンスを与えようとしないから、みんなツアーに出ている。そういうバンドを見に行くと、会場は満員になるんだけど、誰もそのことを知らない。”ロックは死んだ” 論者たちに言いたいのは、”おい、泣くなよ。彼らはそこにいるんだ。決して変わっていない。YouTube や Tik-Tok で見るような天才たちが素晴らしい音楽をやっているんだから、そこにいるんだよ” とね。私たちが子供だったころは、MTV はあったけど、Tik-Tok や YouTube がない時代だった。だから、まったく新しい世界、新しい世代の子供たちがいて、世界に対して違う見方をしていて、私が経験することのない違う経験をしている。才能はこれからも変わらず現れるだろう。ロックは決して止まらない」

dUg は世界的に名の知れたロックスターですが、決して裕福な暮らしを送っているわけではありません。
「金がなければサイドプロジェクトをやるだけだ。レコード契約を結んで、2、3ヶ月の間、支払いをするんだ。私たちは誰も9時から5時までの仕事には就いていない。でも、私たちにできることは何なのか。私たちは市場において価値があるから、クリニックとかそういうことができる。手書きの歌詞を作ることもできる。黒い紙に銀色のインクで書き出し、サインと日付を入れるんだ。何百枚も書いたよ…それでうまくいく。それに、この歳になると、ソーシャル・セキュリティーを受けることができる。3年ほど前に社会保障を受け始めたんだ。社会保険で家賃が払えるから、心配することはなくなった。それ以外のことは、自分でできる。街角でギターを弾けば、5ドルが手に入る。友だちに電話して、”お金がないんだ。今日、ご飯を食べさせてくれないか?” と言えば、OK! となる。それに、私にはシグネチャー・ペダルと、シグネチャー・ベースがあって、みんな買ってくれるんだ。だから、時々、6ヶ月分の小切手をもらって、助かっているよ」
ロックの精神は健在でも、同時代の多くのアーティストが降参したり撤退する中で、KING’S Xが長生きできたのはなぜでしょう?
「バカだからだよ (笑)。どんな困難にも負けず、自分たちのやるべきことをやり続けたし、今もそうだ。そして、ステージに上がると、世界に対して私たちが立ち向かうことになる。このバンドは誰も解散するつもりがない。私はこのバンドを辞めないし、Ty も Jerry も辞めない。誰も辞めないよ、だってバンドを解散させる責任を取るつもりはないんだから。私たちはそんなことするつもりはない。そんな愚かなことをするには私たちは優秀すぎるんだ。だから、誰かが死ぬしかないんだ、それでおしまい。この3人のいない KING’S Xは存在しない。それはあり得ないよ。もちろん、KING’S Xのトリビュート作品は常に存在しうるし、もし私が生きていれば、それに出演することもあるかもしれない。でも、私と Ty と Jerry のいない KING’S Xは存在しないだろうし、それは私の心の中で感じていることなんだ。他の人は違う意見を持っているかもしれないけど、これが私の気持ちなんだ」

参考文献: VW MUSIC:An Interview with dUg Pinnick of King’s X

DEFENDER OF THE FAITH:dUg Pinnick (King’s X) Interview

BLABBERMOUTH:DOUG PINNICK Says KING’S X Has ‘Never Been Profitable’: ‘We All Have To Do Outside Things To Make Ends Meet’

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【FROSTBITT : MACHINE DESTROY】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH IVAN HANSEN OF FROSTBITT !!

“We Have For As Long As We Have Listened To Metal Been Listening To Japanese Rock Bands Like Dir En Grey, Maximum the Hormone, Moi Dix Mois, Babymetal And a Lot Of Anime Openings!”

DISC REVIEW “MACHINE DESTROY”

「Mana 様の作品はどれも好きだけど、特に Moi Dix Mois で作られた音楽は最高だよね!Dir En Grey は、僕たちの大のお気に入り。”Yokan / 予感” や “Cage” のようなファンキーでアーバンなものから、”Obscure” のような Nu-metal、そして後のデスコアやジャンル・ブレンドのヘヴィなものまで、彼らの全てのスタイルが大好きだよ!特に特定の曲のライブ・バージョンが大好きで、より生々しくエモーショナルに聴こえるんだ。”濤声” のライブ・バージョンのようにね。あれは僕にとって完璧だ!NARUTO は特に130話までが僕にとって特別な場所。Asian Kang-Fu Generation の “カナタハルカ” は、生々しい叫びのようなボーカルで、僕に大きなインスピレーションを与えてくれた!」
日本の音楽は世界では通用しない。そんなしたり顔の文言が通用したのも遥か昔。アニメやゲームのヴァイラル化とともに、日本の音楽は今や海外のナードたちにとって探求すべき黄金の迷宮です。とはいえ、ノルウェーのノイズテロリスト FROSTBITT ほど地下深くまで潜り込み、山ほどの財宝を掘り当てたバンドはいないでしょう。
「特にボーカルとベース・サウンドは、KORN から大きなインスピレーションを受けているよ。”Solbrent” “Frostbitt” では、Johnathan Davis とChino Moreno のヴァイブに深く入り込んでいるんだ。ただ、そのせいで少し非難されたし、一時期ちょっとやりすぎたという事実にも同意しているよ。でも、この新しいレコードでは、彼らのインスピレーションはそのままに、他の多くのものも取り入れて、より味わい深いものになったという気がするね。自分たちを取り戻したような感じさ」
未だ Djent が新しく、勢いのあった10年代初頭に頭角を現した FROSTBITT は、近隣の MESHUGGAH や MNEMIC (素晴らしい!) に薫陶を受け、ローチューンのリズミック・マッドネスに心酔しながらも、同時に Nu-metal, 特に KORN や DEFTONES の陰鬱や酩酊をその身に宿す稀有な存在としてシーンに爪痕を残します。ただし、インタビューに答えてくれた Ivan Hansen の歌唱があまりにも Jonathan Davis に似すぎていたため、あらぬ批判を受けることもあったのです。まさに “Life is Djenty”。
しかし、FROSTBITT の時間旅行は “Machine Destroy” で空も海も飛び越える3Dの冒険へと進化しました。”Machine Destroy” というアルバム・タイトルが示すように、FROSTBITT の目的は常識や次元、時間、既存のメカニズムの破壊。CAR BOMB とのツアーは、FROSTBITT にとってノイズと獰猛さを探求するきっかけとなり、あの英国の破壊王 FRONTIERER をも想起させるアクロバティックなエフェクト・ノイズの数々は、”Frost-Riff” というユニーク・スキルとしてリスナーの脳裏に深く刻まれます。これはもう、ギミックの域を超越したテクニックの領域。
さらに、ここには日本からの影響も伝播しました。”Masked Ghost Host” のシアトリカルで狂気じみた呪文のような言霊の連打からの絶叫は、明らかに Dir en Grey の京をイメージさせますし、作品のテーマは攻殻機動隊。何より、”曲をリフ・サラダではなく、構造や繰り返しのある実際の歌らしい歌にしたい” という彼らの理想は非常に日本的な作曲法ではないでしょうか。タイトル・トラック “Machine Destroy” の致死的な電気の渦の中でも埋もれない、メロディの輝きは日本イズムの何よりの証拠。今作ではさらに、時に RADIOHEAD の知性までも感じさせてくれます。
デスメタルの単調とブラックメタルの飽和が囁かれるこの世界では、新しいアイデアを持ったバンドが必要とされているようです。1996年に片足を突っ込み、もう片足をThallの迷宮に突っ込んで、両腕を遠い東の島国に向けて突き上げる FROSTBITT の3Dな音楽センスは、明らかに前代未聞唯一無二で尊ばれるべき才能でしょう。
今回弊誌では、Ivan Hansen にインタビューを行うことができました。「ノルウェーは、暖かい夏と厳しい寒さの冬と雪の両方がある美しい場所。国土が広く、人々は国土全体に散らばっているから、ノルウェーを旅行するときはかなり遠くまで行くことが多いよね。それに、多くの家庭が森の中に山小屋を持っているから、歩く文化や山越えの文化も盛んなんだ。少なくとも、ブラックメタル・バンドからはそんな雰囲気が伝わってくるし、僕自身も同じようなことを実感しているんだよ」 どうぞ!!

FROSTBITT “MACHINE DESTROY” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【GGGOLDDD : THIS SHAME SHOULD NOT BE MINE】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH GGGOLDDD !!

“It’s Something I Need To Remind Myself Of Daily. That It Wasn’t My Fault And That All The Shame And Guilt That I Felt Shouldn’t Be Mine. But Should Be Felt By The Perpetrator.”

DISC REVIEW “THIS SHAME SHOULD NOT BE MINE”

「私たちの歌詞は、いつも現実をテーマにしているの。実際の現実のことを書けるのに、ファンタジー的な暗さや悪のような題材を探す衝動に駆られないんだ。それが、私たちの音楽の、辛辣で時に直接的なサウンドにぴったりだと思うのよ」
辛く抑圧的な現実からの逃避場所。目の前の痛みを忘れられるファンタジー。ヘヴィ・メタルがそうして、多くの人の心を癒し救っているのはまちがいありません。バンドの義務は演奏と作曲で、政治的発言や不快な真実を突きつける必要はないと考える人も多いでしょう。それでも、メッセージのあるバンドは、現実と向き合うアーティストは時に、人の心を激しく揺さぶり、音と言論の組み合わせが超常現象を引き起こすことを証明します。オランダの GGGOLDDD がヘヴィ・メタルに込めたメッセージはただ一つ、”合意のない性交をするな!”
「”この罪悪感は私のものじゃない”。それは私が毎日自分に言い聞かせるべきことでもあるの。レイプの被害を受けたのは私のせいではない。私が感じたすべての恥や罪悪感は、私のものであってはならないということをね。それは加害者が感じるべきものなのよ」
GGGOLDDD のメッセージは、痛々しい実体験に基づいています。バンドのフロントを務める Milena Eva は19歳のときにレイプされ、17年間も羞恥心と罪悪感を持ち続けてきました。
それは、彼女がバンドで作る音楽にも時折反映され、波状的に表面化しながらも、決して沸騰することはありませんでした。しかし、パンデミックの停滞期に時間を持て余し、思考が巡る中で彼女のトラウマは完全に噴出し、それが “This Shame Should Not Be Mine” 制作の原動力となったのです。このアルバムは、ただ被害者意識に浸るのではなく、むしろ背筋を伸ばし、身をもって罪の意識を感じさせるほど激しい怒りと非難を秘めることになりました。
「アルバムを書くことが必ずしもセラピーとは言えないと思うけど、そうすることでカタルシスを感じ、あの出来事と真剣に向かい合うことはできた。どちらもセラピーの説明として使える言葉だとは思うのよ。自分があの出来事をどう感じ、何を経験してきたかを言葉にする助けにはなったのよね」
メタルにおいて歌詞はしばしば後回しにされがちですが、”This Shame Should Not Be Mine” では歌詞を素通りすることはできません。性的暴行。そのトラウマを背負った羞恥と罪の意識の人生にスポットライトを当て、婉曲や比喩で和らげることはありません。”Spring”では、死んだようなモノトーンの目で “臭いを消してほしい/皮膚が剥がれるまでシャワーを浴びたい” とつぶやき、”Strawberry Supper” では “オマエは私を太陽と呼び、私を引き裂いた” とレイプ犯に直接語りかけます。そして、”Notes on How to Trust “では、同じ苦痛を再び経験するリスクを冒さず、どうすれば他人にに心を開くことができるかを考えていきます。
音楽を通してトラウマに対処し、トラウマを曲作りに反映させる。LINGUA IGNOTA は、この点で GGGOLDDD の良き理解者でしょう。しかし、これほどまでに荒々しく、直接的な方法でトラウマを扱っているバンドはほとんどなく、Milena の歌詞は詩というよりも、棘の鞭や鋭いナイフのような物理攻撃に特化した武器にも思えます。
この容赦のない怒りの津波は、オルタナティブ、インダストリアル、ブラック・メタルの境界で嘶くその音楽にも反映されています。そしてこの荒涼としたテーマの完璧な背景となりながら、メロディックなフックと反復の魔法によって、このアルバムは頭にこびりつくような麻薬にも似た中毒性を帯びていきます。
もちろん、”This Shame Should Not Be Mine” は、楽しいアルバムではありません。万人受けするようなアルバムでもないでしょう。ただ GGGOLDDD は、近年のメタルらしい不協和音や異質な曲の構成によってではなく、楽曲を難解にしないことによって、アクセスを容易にすることによって、むしろ意図的に不快感を与えているのです。恥や罪、痛みや長い苦しみを加害者の胸の奥に深く、永遠に刻み込むかのように。
今回弊誌では、GGGOLDDD にインタビューを行うことができました。「鎧のコンセプトは、”This Shame Should Not Be Mine” の内容を可視化することだった。この鎧は、私たちがいつも持ち歩いているもの。そして、自分と他者との間に残る、盾のような境界線」 日本の至宝、MONO とのツアーも決定!どうぞ!!

GGGOLDDD “THIS SHAME SHOULD NOT BE MINE” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【RELIQA : I DON’T KNOW WHAT I AM】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH MONIQUE PYM OF RELIQA !!

“A ‘Relic’ Refers To Something Old, Like an Artefact. A Lot o Of People Say This Contradicts Us a Bit, And We Agree, Because One Of Our Goals As Musicians Is To Create Sounds That Are Contemporary And New.”

DISC REVIEW “I DON’T KNOW WHAT I AM”

「深い意味合いでは、バンド名の元となった “relic” とは古い人工物のようなものを指すの。だから、多くの人が矛盾していると言うわ。なぜなら、私たちのミュージシャンとしてのゴールのひとつは、現代的で新しいサウンドを作り出すことだから (笑)」
シドニーの現代的なプログレッシブ集団 RELIQA。その名前は実は不適切で矛盾をはらんでいると言わざるを得ません。RELIQA というバンド名は過去の遺物、アイテム、工芸品を連想させますが、そのサウンドと音楽は未来を見据えた全く異なるイデオロギーに満ちているのですから。
もちろん、そんな異変に気づく賢明なリスナーなら、第二の異変、この EP のタイトルにも明らかな矛盾を感じるはずです。”I Don’t Know What I Am”。”自分が何者なのかわからない”。しかし、このバンドは間違いなく、自分たちが何者であるか、自分たちの方向性は何か、音楽的に何を達成したいのかを、正確かつ的確に把握しているのですから。そしてそれは、過去ではなく、現在と未来の超越的にプログレッシブでヘヴィな音の葉を創造すること。
「自分たちに対して正直であることが重要なのよ。それが何であれ、”自分たち” らしさを感じる音楽を作る。それが大事。確かに少し奇抜ではあるけれど、自分たちの音楽をわかりやすく、まとまりのあるものにするために積極的に取り組んでいるわ」
ヘヴィ・プログの常識を破る女性がフロントに鎮座したパフォーマンス、きらびやかで最先端のプロダクション、そしてダイナミックで驚きと楽しさに満ちた不可解な楽曲をさながら現代建築のごとく巧みに組み立てる想像力など、このバンドの意識は前時代の慣習すべてを置き去りにするほどモダンで先鋭的。
そのサウンドは、90年代以降に芽吹いた音の新芽を沸騰した鍋に投入し、轟音とともにかき混ぜ、完璧な味付けをほどこし、カラフルでありながら逆説的に首尾一貫まとまった形で仕上げられた、耳なじみの良いプログのオージー料理。
一見、バラバラな要素が組み合わされ、完成するはずのないパズルが完成してしまう。”Safety” のメタル好きにはたまらないヘヴィネスはもちろん、ストリングスとピアノが導く甘く高揚感のあるバラード “Second Naure”、実験的インスト曲 “blip”、ポップなボーカル、ラップにエレクトロニカ、果てはエスニックで東洋的な瞬間など、実際、この6曲入り EP にはあまりに多くのアイデアが滝のように密集して流れ落ちているのです。
個々の技術、曲作りの技術、そしてそれらを分かりやすく聴きやすいパッケージに落とし込む技術に長けた異能の集団。その料理の腕前は あの GOJIRA や SYSTEM OF A DOWN を彷彿とさせるほど。
「長い間男性に支配されてきたこの業界で、周りの女性たちと支え合うネットワークを形成できることは、とても “神聖” なことだと思っているの。だからこそ、SPIRTBOX の Courtney が “Good For A Girl” “女の子のために” というポッドキャストを始めたとき、彼女の目的がいかに素晴らしいものであるかということがよくわかったのよね」
10代後半から20代前半の若者が葛藤しながら向き合い、探し出す自分。そんな魂とアイデンティティの探求をテーマとした作品で、バンドのボーカリスト Monique は女性であることにも対峙しました。今やメタル世界のカリスマとなった SPIRTBOX の Courtney LaPlante。彼女と連帯することで、Monique の物語はさらに深い色を帯びていきます。
女性の学びの経験やエンパワーメント、女性らしさについて、ヘヴィ・メタルを牽引する女性たちがポッドキャストで配信する。そのネットワークや配信自体、そして、ポッドキャストや YouTube チャンネル、SNS のようなプラットフォームを開拓することがいかに重要で、抑圧された人たちを解放する力となるのか。彼女たちは自らを研ぎ澄まし、語り合い、支え合い、成長し、表現することで伝えようとしています。
「オージー・バンドのミュージックビデオを見ていると、YouTube のコメント欄には必ず “オーストラリアの水には何かがある!” と書かれているのよ。私もその通りだと思う。本当にたくさんの素晴らしい才能がここは存在している。そういう背景があるから、今、彼らの多くとステージを共有し、オーストラリアのプログレッシブ・メタルの新たな新興世代の一員となったことが、どれほど特別な気分か想像できるでしょ?」
オーストラリアがヘヴィ・ミュージックやプログレッシブのエルドラドであることを隠さなくなった10年ほど前から、数多のバンドが “急成長中” や “新星” というレッテルを貼られ、期待を寄せられていますが、一方でその中の大半はひっそりと消え行く南半球の仇星となったのが実情。
しかし、RELIQA は、例えば SPIRTBOX の Courtney LaPlante から賛辞を送られたり、MAKE THEM SUFFER の Sean Harmanis が作品に参加したりと、大器の片鱗をすでに見せています。彼らが正しい行動さえとれば、プログレッシブ・ヘヴィの未来は約束されているのです。
今回弊誌では、Monique Pym にインタビューを行うことができました。「ミュージシャンとしての私たちが自分たちが何者で、どこに属しているのかよくわからないのと同じように、人間としての私自身も、まだ自分が何者で、周囲の世界の中で自分のアイデンティティは何なのかを見極めようとしているところなのよ」Z世代の苦悩と葛藤、そして光。どうぞ!!

RELIQA “I DON’T KNOW WHAT I AM” : 10/10

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COVER STORY 【ALICE IN CHAINS : DIRT】30TH ANNIVERSARY


COVER STORY : ALICE IN CHAINS “DIRT” 30TH ANNIVERSARY

“Two Of Us Aren’t Here,These 30-year Things Are Really Nice, But It’s Bittersweet. That’s Just Our Reality. It’s Everybody’s Reality. Everybody’s Gonna Lose People They Love In Life.”

30 YEARS OF DIRT

1992年9月29日、ALICE IN CHAINS はセカンド・アルバム “Dirt” を発表しました。”Dirt” は間違いなく90年代のマスターピースであるだけでなく、史上最高のロック作品の一つだと言えます。このアルバムは、リスナーを中毒のような詩的な旅に連れ出す比類なき能力を持っています。かつて輝かしいグラム・ロッカーのような装いをしていた ALICE IN CHAINS はもうここには存在しません。”Dirt” は不幸のグランドキャニオンへ裸でフリーフォールしているような錯覚を覚えるような作品。岩に縛り付けられ、毎日猛禽類に肝臓を食われるプロメテウスのような運命を、この神火は背負ってしまったのでしょうか。”Dirt” は人類が知り得る音楽の中で最もソウルフルで、不穏な作品のようにも思えます。女優のマライア・オブライエンによるアートワークも完璧。今年、 “Dirt” はなんと5回目のプラチナ認定を受け、30周年記念リイシューの栄誉を得ました。
「あの頃の僕らのうち、2人がもうここにはいないんだ」と Sean Kinney は語ります。「30年という歳月は本当に素晴らしいものだが、ほろ苦いものだ。それが僕らの現実なんだ。皆の現実でもある。誰もが人生で愛する人を失い、恋しく思う。そういうものなんだ。過去にさかのぼって、若くて、すべてが活気に満ちていた頃を思い出そうとするんだよ」
「30年経った今でも、ノースウエスト出身の4人が1992年に作ったレコードについて誰かが話しているんだ。それはとてもクールだよ」 と Jerry は言います。「アーティストとして究極のゴールは、何世代にもわたって聴き継がれるものを作ることだ。”Dirt” は万人向けではないけれど、特定の人たちには心から愛されている」

ALICE IN CHAINS のオリジナル・メンバー、Layne Staley(ボーカル)、Mike Starr(ベース)、Jerry Cantrell(ギター&アディショナル・ボーカル)、Sean Kinney(ドラムス)のうち、もう Layne と Mike はこの世にいません。二人の薬物依存は致命的なものとなり、Layne は Kurt Cobain の死からちょうど8年後の2002年8月5日に他界。生前の Layne を最後に見た Mike Starr も、2011年3月8日に薬物の過剰摂取で死亡しています。
“Dirt” はそんな ALICE IN CHAINS オリジナル・ラインナップの終わりを告げた作品でもあります。Mike Starr が Mike Inez と交代する前の最後のアルバム。Mike と Sean は、9歳の頃から一緒にジャムっていました。一方、Jerry と Layne はハウスパーティーで初めて出会い、そして、あるライブの後に再会します。Layne は、Jerry が母親と祖母を亡くしたばかりであることを知り、シアトルのミュージック・バンクにこの天才少年を招き、一緒に暮らすことにしたのです。
「”Facelift” がリリースされたとき、僕らはすでに “Dirt” に向けて動いていたんだ」と Sean は説明します。「”Facelift” のツアーで、”Dirt” のいくつかの曲の異なるバージョンをライブで演奏し、最終的な形に仕上げていったからね。”Facelift” がリリースされた頃にはすでに、他の曲のレコード契約が結ばれていたからね」
Jerry が付け加えます。「”Facelift” のツアーとキャンペーンは大成功で、おそらく1年半はツアーをしていただろう。その間、俺はいつもアイデアを集めていた。当時は、小さな携帯用テープレコーダーか、タスカムの4トラックを使って、自分のアイデアを書き込んでいたんだ。リハーサルや楽屋でのジャム、サウンドチェックでもね。そのツアーが終わったときには、いいアイデアがたくさんあったし、バンドとしても面白いことが起こっていたよ」
“Dirt” の後、Layne は “鎖につながれた” 兄弟たちと共に、傑作EP “Jar of Flies”(1994年)とセルフタイトル “Alice In Chains”(1995年)を録音することになります。そしてちょうど13年前、再結成した ALICE IN CHAINS は “Black Gives Way to Blue”(2009年)を発表。”Lay down, I’ll remember you.”(横になって、あなたを思い出す)。ピアノで Elton John をフィーチャーしたタイトル曲とその歌詞は Layne のオマージュとなりました。ALICE IN CHAINS はフロントマンの William DuVall を得て今も強力なパフォーマンスを続けていますが、一方で彼らは常に “Layne の亡霊に取り憑かれて” いて、その呪いは奇妙にもバンドの財産となっているのです。なお、最新アルバム “Rainier Fog” のタイトル・トラックも、Layne と Starr の喪失について歌った楽曲。

SCREAMING TREES の故 Mark Lanegan は、ALICE IN CHAINS が強豪となった理由を完璧に理解していました。「彼らのサウンドの立役者である Jerry Cantrell は、ニュアンスを保ちながら力強いハーモニーを奏で、それが彼らの曲に独特の、心に残る、唯一無二の “質” を与えていた…」と彼は書いています。つまり、Jerry の甘い聖歌隊のような声と、ソングライター、作詞家としての卓越した能力は、Layne の才能と見事に調和していたのです。Lanegan はこう続けます。「Layne はモンスター級のボーカリストだった…彼は私がこれまでに聴いた中で最も印象的なハードロック・シンガーだった…」
“Dirt” の30周年を迎えるにあたり、SLIPKNOT の Corey Taylor はこう明かしています。
「ALICE IN CHAINS は、ヘヴィなものと美しいもの、そしてサディスティックなものと希望に満ちたものを組み合わせて曲を書くことができると教えてくれた」
Evan Sheeley は、ALICE IN CHAINS の魅力のあまり議論されていない部分を強調しています。
「Mike Starr はどちらかというとスラッシャーで、それがバンドを素直にしたんだと思う。彼らのサウンドの大きな部分を占めていたんだ」
“Dirt” のエンディング・トラックである “Would?” が ALICE IN CHAINS の亡き友人、MOTHER LOVE BONE の Andrew Wood に捧げられていることは、多くののロック・ファンが知るところでしょう。バンドは、1990年にヘロインの過剰摂取で Andrew が亡くなったことに深い影響を受けていました。亡き Chris Cornell は Facebook の投稿で、マネージャーの家で彼を偲んでいたことを思い出していました。
「Layne が飛んできて、完全に泣き崩れ、深く泣いて、本当に怖くて迷っているように見えたよ。とても子供のようだった」
しかし、この悲劇的な喪失は、大きなショックに対処した後、逆説的にバンドをハードな生き方に対する否定へと押しやりました。ゆえに、”Would?” での正直さと謙虚な感覚が際立つのです。
“Would?” は、キャメロン・クロウ監督の映画 “Singles”(1992年)に使用されます。ミュージック・ビデオで Layne は、Andrew が持っていた赤みがかったオレンジ色のシャツを着ていました。

残念ながら、カリフォルニアでの “Dirt” の制作は、 LAの暴動により停滞します。ALICE IN CHAINS は砂漠に逃げ込み、SLAYER の Tom Araya と共にほとぼりが冷めるまで過ごすことになりました。そうして Araya は “Dirt” の10曲目、”Iron Gland” / “Intro (Dream Sequence) / Untitled” に参加することになります。
“Dirt” は、ドラッグが ALICE IN CHAINS に対して作用し始めた時期の作品です。とはいえ、問題を抱えながらもやり抜いたことは、大きな評価に値します。このレコードの制作は、まるで腐った歯を抜くようなものとも言えましたが、Layne はインスピレーションに満ちていました。 “Facelift” のオープニング曲 “We Die Young” によく似た “Them Bones” の冒頭で即興的に叫んだ瞬間は、このシンガーの最高の魔法のひとつでしょう。
Dave Jerden の仕事は “過剰なプロデュース” という感じは全くしません。それどころか、Jerden は自分の仕事を芸術的にこなし、”Dirt” は強烈に生々しく、有機的で、親密なものとなっています。”Dirt” のセッション中、Jerden は Layne の薬物乱用について向き合わざるを得なくなり、大きな議論に発展しました。この問題は解決したものの、数年後、ALICE IN CHAINS の最後の2曲、”Get Born Again” と “Died” のレコーディング中に、2人は再び大爆発を起こしてしまうことになります。
結局、”Dirt” は、明らかに別世界でこれ以上ない出来栄えとなりました。とはいえ、これは勝利と敗北の両方を意味します。名声によって彼らは暗くなり、ドラッグやアルコールがツアーで欲しいだけ公然と手に入るようになったから。しかし、彼らのネガティブな経験は明らかな芸術的な美しさに転化されていきました。
“Dirt” は明らかに、どんなに成功しても否定できない本物の痛みから生まれたもの。痛みが通行手形ともいえるアルバムを生み出した代償は、あまりにも大きかったのです。Sean が「あれは僕にとってタフなアルバムなんだ。でも、みんなは、あなたの最高傑作のレコードだって言うんだ。ほろ苦いね」と語るように。

“Dirt” は統一されたコンセプト・アルバムとしてシームレスにまとまりましたが、Jerry はその制作過程を “フリー・フォーム” と表現しています。タイトル曲 “Dirt” は、最も病的で、最も刺激的な曲のひとつ。”汚い味が欲しいんだ。口の中で、舌の上で、ピストルが突き刺すような…” “Dirt” は注射器のように尖り、精密なナイフのように鋭いのです。
Layne のリリックに忘れがたいイメージを作り出す能力は、彼の非音楽的な性癖と密接に関係しています。実は Layne は、余暇にはビジュアル・アーティストとして活動していて、シアトルのギャラリーに絵を展示していたこともあるのです。ステンドグラスや時計の文字盤を作ったり、粘土でキャラクターやジュエリーを作ったりするのが趣味でした。このことを踏まえれば、”Angry Chair” の次の一節に新しい意味が付与されます。”道の向こうに何が見える?粘土で成形された自分を見てくれないか”。かつて Layne は創作についてこう語っています。
「俺たちは、多くの人に見られる感情をそのまま表現している。人々は同じような感情を経験し、その曲が自分のために書かれた、あるいは自分のことについて書かれたと確信するほど、共感してくれる。歌詞は、他の人が自分の物語や人生に適用できるようなルーズなものにしている。辛い気持ちを美しい音にして、人々がその思い出と向き合いやすくしているんだ」
“Angry Chair” は、さまざまな解釈が可能。しかし、”Angry Chair” が幻覚的に聞こえるほどに鋭いリスナーは、実はこの曲が AA/NA (アルコール、薬物依存の自助グループ) への具体的な言及をかなり含んでいることに気がつくでしょう。この曲は12曲目に収録されていますが、中毒から回復するプログラムはちょうど12段階。Layne は、回復期の中毒患者の多くが最初に感じる人工的な高揚感である “ピンクの雲” が、”今は灰色に変わってしまった” と訴えています。
この曲は、真剣に受け止めてほしいという懇願のように演奏されます。”孤独は段階的なものではない。痛みの原野が憩いの場だ。平穏は遠くにある”。そうして Layne は、安らぎの祈りが自分には効かないことを表現しているのです。Layne は中毒の告白のみが評価されるような罪悪感の文化に疲れていたのかもしれません。そして、この曲の最後の要求は、卑屈に感じるように意図されています。”Get on your knees time to pray, boy.” “ひざまづいて祈れ、少年よ”。
“Angry Chair” 同様、”Hate to Feel” の歌詞とリフは Layne が書いたもの。このとき、ギターを弾けるようになりたいという彼の決意が花開きました。この楽曲には、”親父のようにはなりたくないと誓っていたのに” という一節があります。”今こそ自分の姿に向き合う時だ” 。元婚約者デムリ・パロットの死後、Layne は Mark Lanegan と数ヶ月間一緒に暮らしました。そこで SCREAMING TREE のボーカルは、Layne の父親 Phil が麻薬の運び屋として働いていたことを確認します。Lanegan は Phil Staley のことを「…息子と同じくらい優しくて、面白くて、賢い男で、Layne の鏡のような存在だった」と回想しています。そしてこの言葉は、”Facelift” の “Sunshine” を思い浮かべると、真に胸に迫ってくるのです。”俺はお前の鏡か! 溶けるような鏡の微笑み”

大胆不敵な自伝的作品 “Dirt” は、依存症患者の病気の過程で変化する自己認識のレベルを再現しています。Jerry Cantrell はかつてこの音楽を “悪魔を追い払うもの” と呼びました。これが “Dirt” の背後にある真の意図。
「”Junkhead” はかなりあからさまな曲で、まるでドラッグ使用の旗を振っているように聞こえる。でも、要は、多くの人が外に出てめちゃくちゃになることは素晴らしいことだと信じていること、パーティーでドラッグを使用する人の姿勢を反映しているんだ。”God Smack” からは、本当に何が起こっているのかがわかり、”Angry Chair” や “Hate to Feel” では、中毒が正しい生き方ではないことに気づかされる。全体として見れば、本当にポジティブな内容なんだけど、多くの人が文脈からネガティヴに受け取るだろうね」
Layne はリハビリ中に “Sickman” と “Junkhead” の歌詞を書きました。”Junkhead” は、Layne がユーザーの心を理解しろと医者にドラッグを試すように勧めている、つまりセラピーセッションの行き違い。中毒者を助けるには中毒者が必要だと主張します。冒頭に出てくる “Junk fuck!” の掛け声は、Sean Kinney が自然に発したもの。一方、”Sickman” では、Layne のリクエストに応えて、Jerry がこれまでにないひねくれたアレンジを書き下ろしました。
そうして “Dirt” は、薬物乱用と戦う人たちに力を与えただけでなく、薬物を完全に避けるように人々を勇気づけていきました。Jerry も言っているように、自分の問題をオープンに語ろうとする Layne の姿勢は、本当に勇気のあるものだったからです。”Facelift” が “Real Thing” で冗談っぽく終わったのに対して、”Dirt” のユーモアはドライで辛辣。真剣で遊びはほとんどありません。Layne はかつてドラッグに対する想いを正直に語っていました。
「俺がドラッグを試したとき、それはとても素晴らしいもので、何年も俺のために働いてくれたのに、今は敵対している。ヘロインがクールだとファンに思われたくないんだよな。でも、ファンが近づいてきて、ハイになったと言って親指を立てるんだ。それこそ起きてほしくなかったことだ」
“Dirt” では、ドラッグが他人に与える影響への懸念も多く聞かれます。ドラッグによる対人関係における葛藤。”Down in a Hole” と “Rain When I Die” はガールフレンドについて書かれた曲で、”Dam that River” は Sean と Jerry の喧嘩に触発されたもの。後のセルフタイトル・アルバムで、Layne はこう歌っています。”友達ってなんだろう?不当に乱用された言葉だ” このスターは最終的に世捨て人になってしまうのです。Sean はのちに、Layne の死について “世界で最も長い自殺” と語っています。中毒は克服するたび、時間をかけて再度忍び寄ります。「ヘロインは死と隣り合わせで、それが一番魅力的なことだろう。危険なんだ。でも、俺はそれに打ち勝ち、死に打ち勝った。俺は不死身だ!」実際には、彼は勝者でも、不死身でもありませんでした。

ただし Jerry は、”Rain When I Die” は、当時進化していた Layne とのソングライターとしてのパートナーシップを証明するものとなったと語ります。
「特に歌詞とメロディーの面で、俺たちは本当に面白いやり方で仕事をしていたんだ。Layne と俺は、かなり良いパートナーシップを築いていた。あまり多くを語らなかったけど、相手が持っていないものを半分ずつ補っていたのさ。俺がどこかに行き詰まったり、アイデアがなかったりすると、Layne はいつもそれを持っていて、逆に彼がどこかに行き詰まると、俺はいつもそれを持っていた。俺たちは本当にクールな関係だったんだ。あの曲で、彼は自分のアイデアを見せ、俺は自分のアイデアを見せた。不思議なことに、俺が歌詞を書いて歌う場所が、彼にとっては曲の中の空間や息遣いになっていたんだよ。だから俺は、俺のセリフは君の隙間に合って、君のセリフは俺の隙間に合っている。一緒にしてみようって。そうして俺たちはただ歌詞を組み合わせただけなんだけど、それでうまくいったんだ。不思議だった。この曲はアルバムの中で一番好きな曲の一つだよ」
“Hate to Feel” と “Angry Chair” のワンツーパンチは、ソングライターとしての Layne の成長を最もよく表しています。実はこの2曲は、当初はソロ・プロジェクト用に書いたものでした。
「Layneがギターを弾き始めて、リフを持っていたんだけど、彼が本当にバンドで使いたかったのかどうかは分からない」と Sean。「彼は他のことを考えてたと思う。でも、僕たちがこのリフがいかにクールで、どんなにジャムりたいと思ったか…それはよく覚えている。だから結局、それらを ALICE IN CHAINS の曲として発展させ、レコードに収録したんだ」
「Layne はギタリストとして本領を発揮し、”Hate to Feel” と “Angry Chair” でギターによる素晴らしい楽曲をいくつか書いた」と Jerry は付け加えます。「彼がギターを手にするきっかけを作ったという事実も気に入っている。彼がこの曲たちを聴かせてくれて、自分でレコードにしようと考えていたのを覚えているよ。彼は NINE INCH NAILS や MINISTRY といったインダストリアル系の大ファンで、そのための楽曲をポケットに忍ばせていたんだよ。で、彼がそれを聴かせてくれたんだけど、俺たちみんな、”すげえ、かっこいいな。バンドでやるべきだ” と。そしたら彼はしぶしぶ同意してくれたんだ。確かにレコードにとても合う素晴らしい2曲になったよな」

“Dirt” の “恥” の物語を深く掘り下げると、”Rooster” が Jerry の父親と他のベトナム帰還兵の誇りのための曲であることがわかります。つまり、”Rooster” は Jerry Cantrell Sr. の物語。 Jerry は Chris Cornell の家で “Rooster” を書いたことを覚えています。1993年初頭にメインストリーム・ロック・エアプレイ・チャートで7位を記録した “Rooster” のルーツについて、Jerry 次のように語っています。
「10代の頃は、ポップと一緒に過ごす時間が少なかったんだ。俺は母親と一緒に祖母の家で育ったから、父とはそんなに親密じゃなかったし、彼は別の州に住んでいたからたまにしか会えなかった。この曲は、俺がそのことを受け入れ、彼を批判しないようにするための方法だったんだよな。彼の立場に立って、彼を厳しく判断せず、彼の経験を理解しようとしたんだ。そして振り返れば、この曲は彼の人生と俺ら家族に大きな影響を与えたと思うんだ」
「僕たちが初めて会ったとき、Jerry の母親と祖母は共に早くに、しかも立て続けに亡くなっていた。まさに育ての親たちがね」と Sean は回想します。
「彼は父親と少し疎遠になっていたんだ。だから、このような状況を経て、どこかで彼は2人の関係を修復したり、再び結びつこうとするこの曲を作り始めた。Jerry が家族と疎遠なのことを、Layne も僕も理解していた。もし僕らがもっと利己的で、自分勝手で、ただ成功を望んでいたなら、あの曲はすぐに没にできただろう。23歳の若者は、ベトナムについて6分間じっくり語ることにそれほど興奮しないからね。でも、みんなあの曲には思い入れがあったし、Jerry にとっても大切な曲だった。今にして思えば、この曲が今のような形になるとは思ってもみなかったよ」
“Dirt” のリリース後に行われたツアーは、多くの点で大失敗に終わることになります。Mike Starr は演奏後に過剰摂取し、Layne によって蘇生。Mark Lanegan は、SCREAMING TREE で一時的に彼の代役を務めた Layne との薬物使用により、腕の切断することをぎりぎりで免れます。Layne は足を骨折しました。不幸のリストは続きます。しかし、ALICE IN CHAINS はそれでもなお折れませんでしたが、Layne がツアーに出るにはあまりに自己破壊的であることは明白でした。

次の “Jar of Flies” で彼らは、”Would?” が投げかけた問いに答えることになります。”家に帰るには遠くまで走りすぎたかな?”。最終曲の “Swing on This” で Layne はこう歌っています。「母が帰って来いと言った。父は帰ってこいと言った…俺は言った、放っておいてくれ。大丈夫だから」 と。そう、彼らはもう戻れないところまで来てしまったのです。
30年の月日を経て “Dirt” を再体験できる私たちは、幸運にも30年の長い闘いを生き残ったサバイバーなのかもしれません。今回の登場人物で存命なのは本当に一握りなのですから。1994年、Jerry は “Them Bones” に次のように語っています。
「この曲は死や死についてではなく、人生の終わりに向かって、残された時間と向き合うことなんだ。自分が永遠に生きられるわけではないことを実感するのは、とても悲しいことだ。だからこそ、その間に、できる限りのことをやっておいたほうがいい。俺はそうやって生きているよ」
今の二人は、”Dirt” について、ALICE IN CHAINS について、どう感じているのでしょう。
「これが僕たちの人生。僕たちが大切にしていること。ラジオでヒットさせるために契約したわけではないし、そういうことをするために設計されたわけでもない。そして、どうにかこうにか乗り切ってきた。それが、最も誇り高いことのひとつだと思う。僕たちは自分たちの世界を築いただけで、これはすべての人のためのものではないんだよ。でも、意外と多くの人が共感してくれて、それが今、ますます明らかになってきている」
「”Dirt “の音楽性はかなり大胆で、最初の音を聴いただけで、このレコードに本当の獰猛さがあることがわかるよ」と Jerry は付け加えます。「本当に合理的で、脂肪分が全くないんだ。筋肉と骨と歯だけだ。このアルバムには雰囲気があって、それを表現できたことが嬉しいし、このアルバムが人々にとって重要なものであることが理解できてきたよ」

参考文献: BILLBOARD:Alice In Chains’ ‘Dirt’ at 30: Jerry Cantrell & Sean Kinney Look Back on ‘Vibrant and Strange’ Era

KERRANG!:Alice In Chains: The enigmatic power and inner torment of Layne Staley

Metal Injection:30 Years Of Dirt: Celebrating ALICE IN CHAINS’ Iconic Masterpiece

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【CURARE : PORTALES DE LOS ANDES】METAL ANDINO SAVES ECUADOR


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH CURARE !!

“We Stand With The Native People That Take Care Of The Forest. Sometimes Against Transnational And Ecuadorian Enterprises Protected By The State Which Are The Ones That Pollute The Most. It Seems Totally Stupid To Destroy One Of The Megadiverse Countries Of The World Just To Get More Oil And Minerals.”

METAL ANDIO SAVES ECUADOR

「エクアドルでは13日間に渡ってゼネストが行われていた。これはエクアドルの先住民族を中心とした民衆の反乱ともいえる。僕たちは、この正当な抗議活動(石油や鉱山の開拓地での抗議活動も含む)を、音楽と路上やSNSでの存在感で、できる限りバックアップしてきたんだ。僕たちの国のすべての人にとって、つらい時期だ。でも僕たちは歴史の正しい側に立つことができて幸せだよ」
6月12日に SNS を通じて呼びかけられたエクアドルの人々の抗議行動は長期化の様相を呈しています。物価や燃料価格の高騰、コロナ禍による貧困の進行、労働者の非正規化、そして先住民族が受ける弾圧。そうした一般市民の不安や不満は強烈な渦となって噴出し、状況はラッソ大統領が非常事態令を出すまでにエスカレートしています。
世界中、どんな場所においても、”歴史の正しい側” に立つことは簡単ではなく、常に困難がつきまといます。しかし、CURARE のように、メタルの包容力はそれでも、いつでも、”正しい側”、いや少なくとも “弱いものの味方” “声なきものの味方” でありたいと願っているのです。
「僕たちは、森林を大切にする先住民族の人々とともに歩んでいるんだ。時には、国家によって保護されている多国籍企業やエクアドル企業、つまり最も汚染している企業にも強く反対する。より多くの石油や鉱物を得るためだけに、世界有数の巨大な多様性を持つ国の一つを破壊することは、まったく愚かなこととしか言えないだろ?」
アマゾンの大森林、アンデスの山々、そして太平洋とガラパゴス。3つの異なる大自然に抱擁されたエクアドルはしかし、不安定な政情、貧困と物価の上昇、マフィアの暗躍、そして無造作な自然破壊に苛まれる “悩める国家” でもあります。CURARE は、その研ぎ澄まされた音楽の弓矢に強烈な毒薬を塗りつけて、先住民族、農民、油田や鉱山の労働者、そして恩恵を受けた大自然のために戦い続けるメタルの救世主ともいえる存在です。
「南米の伝統音楽をメタルに取り入れるのが僕たちの義務だと思っているから。南米のシーンで様々なバンドを見てきたけど、僕たちの目の前にある全ての豊かな要素を取り入れたフォーク・メタルのサブジャンルを作ろうとする試みは今までなかったからね。南米の音楽的、神話的な要素を、ここのメタル・シーンでは誰も音楽的な創造に使用しなかったんだ。そのすべてが、僕たちの愛する要素であり、共に生きる要素なのに。だから、何があってもやり遂げたいんだ」
アンデスの民族音楽から、アフロ・エクアドル、パシージョ (エクアドル・ワルツ) など、エクアドルは自然だけではなく音楽も多様。そのすべてを吸収する CURARE のヘヴィ・メタルは想像を遥かに超えた生命力にあふれています。もちろん、南米のトライヴァルとメタルを結びつけた SEPULTURA は偉大ですが、CURARE のフォークメタルは、例えば FINNTROLL や SKYCLAD のようなフォーキーな遊び心がこの地の多様性をしっかりと包容しています。PRIMUS や RED HOT CHILI PEPPERS, RATM, SOAD といったオルタナティブでファンク由来の瞬間も刻々と投影され、時にはマラカスのハードコアからジプシーパンクまで縦横無尽。
カリヨンのようなギター、複雑なドラムパターンで始まり、ケーナが加わり、メタルからジャズに、ジャズからプログレッシブに、そして、ラテン・アコーディオンが加わり、ハードコアの攻撃的な主張で締めくくられる “Machalí” の躍動感は、まさにアンデスとアマゾン、そしてカリブ海をまたにかけるエクアドル・メタルの真骨頂でしょう。それにしても、ケーナの響きの美しさよ。メタルはついに、南米の神秘的な自然にまで到達し、感染したのです。
今回、弊誌では CURARE にインタビューを行うことができました。「CURARE をバンド名にしたのは、アマゾン(地球最後の緑の肺)からの強力な名前で、アマゾンの森の人々の古代の知恵が含まれているからなんだ。そしてもちろん、狩猟や戦争のための武器でもある。
2000年に行われたアマゾンの人々の抗議行動で、僕たちはアマゾンのキチュワ族の戦士たちと出会い、共に歌い、”チチャ・デ・ユカ”(儀式用の飲み物)を飲んだ。それが僕たちの世界観に大きな印象を残したんだよ。僕たちは、自分たちが作る音楽によって彼らに敬意を表そうと努めているんだ。先住民は歴史的に最も搾取されてきた民族で、彼らの多くは今もなお、自分たちの文化や生活様式を守り、石油や金産業から自分たちの土地や森林を守るために戦っているんだよ」 どうぞ!!

CURARE “PORTALES DE LOS ANDES” : 10/10

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