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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【虚极 (BLISS-ILLUSION) : 森羅万象】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH DRYAD OF 虚极 (BLISS-ILLUSION) !!

“I Personally Believe That Black Metal Is a Very Special Form Of Music, With Themes Given To It By People. I Don’t Care About These Things, I Love Black Metal Very Much, But I Won’t Be Limited To My Love For It.”

DISC REVIEW “森羅万象”

「僕たちの音楽テーマは “雰囲気” という多くの概念を統合したもので、言葉で表現するのは難しいんだ。個人的には、ロマンティックで神秘的な色彩にとても敏感だよ。僕たちの音楽作品に対する理解が固定化されないことを、ただ願っているだけだよ」
中国名の虚极とは古代の書物 “道德经”(TaoTeChing)に出てくる言葉で、この言葉は非現実と現実の間に似た状態を表しています。中国・北京出身の虚极(Bliss-Illusion)は、文字通り、現実と非現実の間にあるメタルを奏でているようです。彼らの現実であるアトモスフェリックなポスト・ブラックのサウンドは、エモーショナルで瞑想的、そして純粋に美しいアートです。しかし、それ以上に際立っているのは、彼らの非現実、スピリチュアルなテーマでしょう。仏教的な歌詞の内容、中華的なイメージ、そしてそれらを具現化した音のパレットは暗黒の烙印を押されがちなこのジャンルにおいて、独特の新鮮な風を吹き込んでいます。
「僕は個人的に、ブラックメタルは人によって異なる与えられたテーマを持つ、とても特別な音楽形態だと信じている。つまり、悪魔崇拝とかそんなことはどうでもよくて、僕はブラックメタルをとても愛しているんだよ。でも、その愛に縛られるつもりはないんだ」
原始的なブラックメタルがそのイメージやリリシズムに至るまで、悪魔崇拝を根底に置いていることは否定できない事実でしょう。そして、その背景は Bliss-Illusion のスピリチュアルなアイデンティティとは対極にあるようにも思えます。しかし、彼らはブラックメタルを近年の流れと同調しながら、より自由に、より多様にその神秘性を追求する器として使用しています。
ただし、ブラックメタルと仏教には共通項も存在します。両者には天国と地獄があり、神秘的な生け贄の儀式も存在します。さらに仏教にはサタンに似た “悪魔” 波旬(ボー・シュン)が存在しますがこれは、六道の魔王、六波羅蜜の主、天魔の主、あるいは自己変容の主として様々な苦悩をもたらすもの。こうした共通の概念は、Bliss-Illusion の仏教ブラックメタルにに無限の可能性を与えているのです。つまり、白と黒の表現が違うだけで、核心は不変。
「僕自身は、仏教は宗教ではなく、普遍的な法則であり、非常に賢明な哲学だと信じているんだ。音楽は人が創り出すもので、それは無限なんだ。宇宙よりも広いのは、僕たちの想像力、それだけだからね」
Bliss-Illusion の宇宙には、仏教だけでなく、道教や儒教の哲学も含まれています。ゆえに、ここに伝統的な意味でのブラックメタルは存在しません。しかし、伝統的な中国人の意識に沿った宗教哲学をブラックメタルで表現したいという彼らの熱意、挑戦心こそ、本来ブラックメタルに備わっていた反骨でしょう。そしてその長江の流れのように瞑想的で、悠久で、オリエンタルな彼らの音楽は、まずは欧州から世界へと羽ばたこうとしています。
今回弊誌では、仏教に改宗したボーカリスト Dryad にインタビューを行うことができました。「僕はゲーム機を集める筋金入りのハードコア・プレイヤーなんだ。ブックオフ、ゲオ、スーパーポテトによく行くよ。4歳からゲームをしていて、たくさんのゲーム機を集めているんだ!アタリ、ゲームウォッチ、GB、FC、SFC、N64、NGC、MD、ドリームキャスト、SS、NDS、3DS、PSP、PSV、ワンダースワン、ゲームギア、WiiU、PSなどなどだね!」 どうぞ!!

虚极 (BLISS-ILLUSION) “森羅万象” : 10/10

INTERVIEW WITH DRYAD

Q1: I don’t have that much information, but I do have the impression that there have been an increasing number of great Chinese metal bands in recent years. What kind of metal scene in China or Beijing did you guys grow up in?

【DRYAD】: Hello, it’s a pleasure to accept your visit. Personally, I rarely listen to metal music anymore. I have devoted most of my energy and time to the creation of my personal band. My personal works do not involve many elements of metal music, but they are still based on Blackgaze as the core. Of course, I hope that China’s metal music can develop better and better.

Q1: それほど多くの情報を持っているわけではありませんが、近年、中国の素晴らしいメタルバンドが増えている印象はあります。あなたたちは中国や北京のどんなメタル・シーンで育ったのですか?

【DRYAD】: こんにちは!個人的には、最近、メタルを聴くことはほとんどなくなっているんだ。自分のエネルギーと時間のほとんどを、個人的なバンドの制作に捧げているからね。僕の個人的な作品にはもう、メタルの要素はあまり含まれていないけど、それでもたしかにブラック・ゲイズを核としてはいる。もちろん、中国のメタル音楽がますます発展することを願っているしね。

Q2: Why did you choose the band name 虚极 (Bliss-Illusion)?

【DRYAD】: Many people have asked this question, to put it simply, our music theme integrates many concepts of atmosphere, which is a difficult thing to express in language. Personally, I am very sensitive to romantic and mystical colors. I hope people’s understanding of our music works is not fixed.

Q2: なぜ虚极(Bliss-Illusion)というバンド名を選んだのですか?

【DRYAD】: 多くの人からこの質問を受けたけど、簡単に言うと、僕たちの音楽テーマは “雰囲気” という多くの概念を統合したもので、言葉で表現するのは難しいんだ。個人的には、ロマンティックで神秘的な色彩にとても敏感だよ。僕たちの音楽作品に対する理解が固定化されないことを、ただ願っているだけだよ。

Q3: Truly, your atmospheric post-black metal sound is emotional, meditative, and purely beautiful! How did you come up with the idea of having a flute player (who fits the music very well) in the band?

【DRYAD】: We need some ancient ethnic instruments to enhance our music atmosphere. In the future, I will also try to add different instruments, which are determined by the needs of music creation.

Q3: 本当に、あなたたちのアトモスフェリックなポスト・ブラック・メタル・サウンドは、エモーショナルで、瞑想的で、純粋に美しいですね!その音楽にマッチした、笛の奏者をバンドに入れるというアイデアはどのようにして生まれたのですか?

【DRYAD】: 僕たちの音楽の雰囲気を高めるためには、古代の民族楽器が必要だったんだ。将来的には、音楽制作のニーズに応じて、さまざまな楽器を追加していくつもりだよ。

Q4: Speaking of matching the music, the theme of Buddhism also matches your music very well! Why did you decide to “fuse” Buddhism and metal music?

【DRYAD】: I personally believe that Buddhism is not a religion, but a universal law, a very wise philosophy. In the future, people may hear other thematic elements in our works, and I don’t want to fix the current style and thematic concepts.

Q4: 音楽にマッチしているといえば、仏教というテーマもあなたの音楽にとてもマッチしています!なぜ仏教とメタルを “融合” させようと思ったのですか?

【DRYAD】: 僕自身は、仏教は宗教ではなく、普遍的な法則であり、非常に賢明な哲学だと信じているんだ。将来的には、僕たちの作品の中に他にも別のテーマ的な要素が出てくるかもしれないし、今のスタイルやテーマ的なコンセプトを固定化したくはないんけどね。

Q5: Black metal in particular is said to be Satanist music, which seems to be a genre at odds with Buddhism, How do you feel about such “difference”?

【DRYAD】: I personally believe that Black Metal is a very special form of music, with themes given to it by people. I don’t care about these things, I love Black Metal very much, but I won’t be limited to my love for it.

Q5: 特にブラックメタルは悪魔崇拝の音楽と言われ、仏教とは相反するジャンルのように思えますが、両者の “違い” についてはどう感じますか?

【DRYAD】: 僕は個人的に、ブラックメタルは人によって異なる与えられたテーマを持つ、とても特別な音楽形態だと信じている。つまり、悪魔崇拝とかそんなことはどうでもよくて、僕はブラックメタルをとても愛しているんだよ。でも、その愛に縛られるつもりはないんだ。

Q6: More recently, bands like Bloodywood and The Hu have been breaking out, blending traditional music from their native countries with metal. You guys also have a Chinese traditional music vibe, but metal and Chinese traditional music match very well, would you agree?

【DRYAD】: As I mentioned before, music is created by people, and it is infinite. Even broader than the universe is our imagination, that’s it.

Q6: 最近では、BLOODYWOOD や THE HU のような、母国の伝統音楽とメタルを融合させたバンドがブレイクしています。あなたたちも中国の伝統音楽の雰囲気を持っていますが、メタルと中国の伝統音楽はとてもマッチしていますよね?

【DRYAD】: 前にも述べたように、音楽は人が創り出すもので、それは無限なんだ。宇宙よりも広いのは、僕たちの想像力、それだけだからね。

Q7: How do you choose themes such as Mt. Sumeru, Mukti, Shinrabansho, and Prajna?

【DRYAD】: My band’s guitarist Wang Xiao is responsible for composing these songs, and we have talked a lot about these songs together. I am not qualified to answer all of this question, but I am glad that people can like them!

Q7: 須弥山、ムクティ、森羅万象、般若などのテーマはどのように選んでいるのですか?

【DRYAD】: 僕のバンドのギタリスト、ワン・シャオがこれらの曲の作曲を担当していて、一緒にテーマについてたくさん話をした結果だよ。この質問にすべて答える資格はないけれど、みんなに気に入ってもらえたらうれしいね!

Q8: Right now, the governments of Japan and China may have a delicate relationship with each other. However, I believe the people there are not. Are you guys influenced by Japanese culture, anime, games, music?

【DRYAD】: I have personally been to Japan several times, and I really like Nara and Kyoto. I am a hardcore player who collects game consoles, haha. I like to visit Bookoff, GEO, and Super Potato stores. I have been playing video games since I was 4 years old, and I have collected many game consoles! Atari, Game watch, GB, FC, SFC, N64, NGC, MD, DreamCast, SS, NDS, 3DS, PSP, PSV, Wonder Swan, Game Gear, WiiU, PS.

Q8: 今、日本と中国の政府は微妙な関係にあるかもしれません。しかし、人々の関係はそうではないと信じています。あなたたちは日本の文化、アニメ、ゲーム、音楽に影響を受けていますか?

【DRYAD】: 個人的に日本には何度か行ったことがあり、奈良と京都がとても好きだよ。僕はゲーム機を集める筋金入りのハードコア・プレイヤーなんだ。ブックオフ、ゲオ、スーパーポテトによく行くよ。4歳からゲームをしていて、たくさんのゲーム機を集めているんだ!アタリ、ゲームウォッチ、GB、FC、SFC、N64、NGC、MD、ドリームキャスト、SS、NDS、3DS、PSP、PSV、ワンダースワン、ゲームギア、WiiU、PSなどなどだね!

FIVE ALBUMS THAT CHANGED DRYAD’S LIFE!!

Jónsi “Go”

Alcest “Souvenirs d’un autre monde”

Sigur Rós “Með suð í eyrum við spilum endalaust

Envy “Insomniac Doze”

Violet Cold “Anomie”

MESSAGE FOR JAPAN

I am glad to accept your interview and wish you all the best! Thank you! I’ll see you at the future performance!

インタビューをありがとう!では、いつか日本のライブで会おうね!

DRYAD

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【TesseracT : WAR OF BEING】VR GAME FIRST MEETS METAL


COVER STORY : TesseracT “WAR OF BEING”

“There Are a Lot Of Gamers In The Progressive Following We Have And In Metal In General.”

WAR OF BEING


今年、英国プログ・メタルの英雄 TesseracT は突然ギアをトップに入れました。最後のスタジオ・アルバム “Sonder” からはすでに5年が経っていて、ファンはもうあの37分の作品だけでは満たされない体になっていました。誰もが彼らの “声” をもっと聴きたがっていました。
バンドは可能な限り大げさなやり方で戻ってきました。彼らはこの10年間で最長の楽曲、11分に及ぶ “War of Being” をシングルとして発表したのです。同時に、9月にリリースする待望の新作が1時間のコンセプト・アルバムとなること、2024年5月までの全公演を一挙に発表しました。
ギタリストの James Monteith は、TesseracT にはこうしたビッグなカムバックが必要だったと語っています。
「できるだけ大きな形で戻って来て、大きな声明を出す必要があった。長い曲、素晴らしいビデオ、世界中どこでも演奏すること。僕らの旅の次のステージをスタートさせる意思表明が必要だった!」
すでに TesseracT の旅は、充分に波瀾万丈の物語です。2003年、ギタリスト Alec “Acle” Kahney がベッドルームで MESHUGGAH にインスパイアされたリフを刻むところから始まった TesseracT は、今や英国プログ・メタルの金字塔。2011年のデビュー・アルバム “One” は、SikTh や PERIPHERY のシンコペーションとスクリームを踏襲しながらも、メロディックなブレイクとポストロック的なスペーシーさが、その正八胞体サウンドを新たなレベルへと押し上げました。

以来、TesseracT はフェスティバルのヘッドライナーを務め、世界中をツアーしていますが、彼らの音楽が停滞することはありません。セカンド・アルバム “Altered State” は15分の組曲を含む “プログレッシブ”、”Polaris” は メロディック、そして飾り気のない “Sonder” は “ストレート” というように、彼らの立体は様々な面を際立たせながら回転を続けていたのです。そして今回の “War of Being” に関しては、”包括的” という言葉がシックリとくるのかもしれませんね。
「”One”, “Altered State”, “Polaris”, “Sonder” を統合しようと意識的に決めたわけではないんだ。でも、全員が同じ部屋にいて、スタジオで生ドラムでレコーディングするという決断は間違いなくあった。ファースト・アルバムでは本物のドラムを使ったけど、1日か2日で急いで録った。このアルバムでは、ジャム、レコーディング、実験に集中するために、1ヵ月という最高の時間があった。するとどういうわけか、どのアルバムにも似たようなサウンドに仕上がったんだ」
リリカルな “War of Being” は、TesseracT 初のロック・オペラです。その物語は、宇宙船 “ザ・ドリーム” が不時着した後、この見知らぬ土地で離れ離れになった2人の人物、エクスとエルを描くもの。2人の探検家は、”ザ・フィアー” という存在に導かれ、内面を見つめ、自分たちの存在そのものに疑問を抱きながら、この隔絶された世界をナビゲートしなければならないのです。
雰囲気のある “Natural Disaster” の冒頭から、 “War Of Being” がリスナーの全神経を集中させる哲音の旅であることが伝わります。Dan の声の豊かで幽玄な重なりは、バンドの技術力と難なく融合し、魅惑的なサウンド体験を生み出していきます。

そうして TesseracT 自身の包括的な世界へと旅は超越します。”Legion” は、混沌としていながらも破壊的に構築され、これまでに経験したことのない次元へと浮遊していきます。Dan は、絶叫し、ファルセットを響かせ、リスナーの知らない高みに到達するヴォーカル・パフォーマンスを披露。まさに傑出した瞬間でしょう。
ソフトでデリケートな “Tender” が静寂のひとときを作り出し、11分に及ぶ巨大なタイトル・トラックがフューチャリスティックなサウンドで耳の穴の奥深くまで探訪。超高速で宇宙船エンタープライズ号からリフが転送されたような “Sacrifice” でアルバムは幕を閉じます。
このアルバムが卓越しているのは、メロディーや親しみやすさを犠牲にすることなく複雑さを提供している点でしょう。”War Of Being” は徹頭徹尾、リスナーを内省的な旅へと誘い、何度でもこの乗り物への扉を開きます。
このロック・オペラは非常にプログレッシブな物語で、Amos が人生において人が経験する内的葛藤のメタファーとしてこのコンセプトを考案しました。ベーシストはまた、アルバムのストーリーを基にした小説を書きたいとも考えています。
「歌詞が複雑でクレイジーであればあるほど、オタクはそれを愛するだろう」

新しいアイデアの登用とともに、”War of Being” でのギターの扱いは試行錯誤の連続でした。Acle は、作曲の過程でも音楽的な体現者であり、アルバムのリフはすべて自分でレコーディングしました。James は、TesseracT の常として、後からパートを学んでいくのです。
「昔は、すべて耳で聴いていた。でも今は、Acle がとても親切にビデオを送ってくれる。新しいアルバムで一番難しいリフは、面白いことに、”War of Being” の一番最初の部分だった。あのベンドをチューニングから外れないようにするのは本当に難しいんだ!」
Acle は、”War of Being” で信頼する Mayones Setius AK1 の7弦シグネチャーを使用しました。「ある種のギターには魔法がかかっていることがあるんだ。僕にはその魔法の機材があるんだ」
Acle はまた、常に荒々しいポリリズムを扱っていますが、音楽の数学的要素について考えることはほとんどないと言います。
「僕はただグルーヴと流れに身を任せ、それがどう聞こえるかを感じるだけだ。数学的なことが出てくるのは、Jay の脳内で何かがうまくいかず、16分の1ずつ何かを変えなければならないときだけだ。そうなると混乱してしまうんだ。だから、すべて耳で聞いているんだ」

最も重要なのは、TesseracT にとって、音楽を作って売るだけではもはや十分でも成功でもないことでしょう。
“War of Beingのプロモーションのため、TesseracT のボーカル、Dan Tompkins を含む小規模な開発チームは、アルバムのテーマと連動し、音楽に没入できる一人称視点のSF VR探索ゲームをデザインしました。同じく “War of Being” というタイトルのこのゲームは、Steamでアクセス可能で、VRでも非VRでもプレイできます。
これまで、こうした没入型のゲームと音楽のタイアップはあまり行われてきませんでしたが、TesseracT はさらにプレイを促すため、ゲーム内でシングル “The Grey” をリリースしました。
「音楽を消費してもらうための新しいメディアを作るという意味合いが強い」 と Dan は語っています。
ゲーム “War of Being” は、”What Remains of Edith Finch” のようなナラティブ・アドベンチャー・ゲームのような展開で、探索とパズルに重点が置かれています。プレイヤーは、各レベルに散らばっているバンドの5人のメンバーを探し出し、”The Grey” の全コンポーネントをアンロックしなければなりません。するとプレイヤーは、TesseracT が得意とするキャッチーなリフとグルーヴに溢れた6分間の大曲をフルで聴くことが可能に。斬新なアイデアを、プレイヤーは新鮮な方法によって探求することができるのです。
Dan によれば、TesseracTは伝統的なアルバム・サイクルに不満を感じていたといいます。それはつまり、レコードを書き、ミュージック・ビデオをリリースし、ツアーを行い、またそれを繰り返すというミュージシャンの円環。

「ああいうサイクルと自分の理想にギャップを感じ、新たなチャレンジを実現したいと思ったんだ。エキサイティングで、新しいオーディエンスを開拓できるようなことは何だろう?ってね」
ビョークの “Vulnicura VR” は、TesseracT に最も近いパラレル体験かもしれませんが、”War of Being” はそれ以上に従来のビデオゲームのように感じられます。それは偶然ではありません。
「でも、曲を聴くためだけに10時間もプレイさせることで、非ゲーマーをイライラさせたくはなかった。どのタイプの人にも合うようにしたかったんだ。ゲームをしない人たちにも楽しんでもらおうと思っていた」
それが、”War of Being” が1時間ほどで完遂できる、6ドルの商品である大きな理由でしょう。
「バンドの音楽を探求することが大前提だけどね。ゲームを楽しみながらレコードを買うようなもの。だから手頃な値段にしたいんだ」
もちろん、メタル世界は伝統的にゲームとの親和性が高いジャンルです。
「プログレッシブのファンやメタル全般にゲーマーがたくさんいることも知っている。その最良の例の 1 つは、”DOOM” (2016)とミック・ゴードンが作成したサウンドトラックからの反応だ。人々がこの作品にどれほど情熱を注いでいるかがわかるし、この作品のクロスオーバーの可能性も伝わる。これまでにもそれに手を出したバンドは間違いなく他にも存在し、”Hellsinger”(2022)のような音楽ゲームを制作したさまざまなプロジェクトも数多く存在し、マイケル・ジャクソンとムーンウォーカーを制作したときのように80年代にまで遡ることもできる。それでも、バンドが本格的な VR ゲームを制作している例は見つからないよね」

このコンセプトは、Dan が Twitch でChatVR を使ってファンのためにパフォーマンスをしていたときに生まれました。そして最終的には、彼のスタジオをバーチャルに再現し、ラウンジや映画館、ライブの体験も呼び起こすマーチャンダイズ・エリアも設置することになりました。そうして “War of Being” のアルバム・コンセプトが進化するにつれ、VR体験のアイデアも自然とまとまっていったのです。
「もし僕たちが、すべてのファンが集えるメタヴァースを最初に作ったバンドのひとつになれたら、素晴らしいことだと思わない?」 そこから、コンセプトは “ゲーム” のアイデアに発展していきました。しかし、経験の浅い開発者にとって、このアイデアを実現するのは至難の業でした。
「僕はこのためにすべてを投げ出した。これを実現することだけに集中し、1年分の収入を失ったんだ。僕は歌手だけどゲーマーで、ゲームを開発した。僕たちは控えめなメタルバンドだ。資金も手段も豊富な SLIPKNOT のようなバンドではないんだよ。だから、僕らにとっては大きなリスクなんだ」
そのリスクは報われたようで、”War of Being” は現在 Steam で Very Positive の評価を得ています。
TesseracT は、より多くの視聴者に対応するため、非VR版も作成したが、トンプキンスによれば、これにより実質的に作業量は倍増したといいます。
「多くの人はVRを持っていないので、自然とデスクトップに移行していくだろう。僕たちは(VR以外の)体験のレベルを、VRで行っていることに匹敵するように引き上げようとしているんだ。VRは少し小康状態にあり、非常に高価で、まだ成熟途上のメディアだけど、将来、費用対効果が上がり、改善されれば、より多くの人が使いたいと思うようになると感じているよ」
“War of Being” はどのようにプレイするにしても、その広大なレベルと没入感のあるデザインのおかげで、随所に陰謀が散りばめられ、注意を払うことを要求される雰囲気のある体験になっています。

「僕は子供の頃からゲーマーで、サイレント・ヒルやバイオハザード シリーズ全体、さらには DOOM のような一人称シューティングゲームに没頭してきた。素晴らしいビジュアルを伴う美しく雰囲気のある音楽を聴くと、グラフィックが年々向上しているのがわかるし、ゲームは本当にさまざまな意味でインスピレーションを与えてくれるよ。視覚的にも音楽的にも刺激を受け、あらゆる種類の感情やアイデアを呼び起こすことができるから」
TesseracT は “War of Being” の将来について、ゲームの範囲を拡大する可能性も含めて、大きな計画を持っています。Dan は、いつの日か “大きなインベントリ・システム” を搭載し、プレイヤーが素材を集めて武器やその他のアイテムを作るようになることを望んでいるのです。”ザ・フィアー” はこのゲームの主な敵役で、プレイヤーは最終的にフィアーを倒す必要があります。
「なぜゲームが必要だったのか。それはこのアルバムが、究極の比喩として、知識と恐怖という2人のキャラクターを中心にしているから。フィアーからゲームでマスクを剥がして彼を倒し、知識のロックを解除する必要がある。そしてそれは、人々が真実や人生の真実を受け入れず、知恵や知識に対してオープンでないことの比喩だと思う。多くの場合、人生のさまざまな場面でそれは恐怖によって覆い隠されているが、恐怖を克服することで知識が解放されると感じているんだ。それがこのゲームの大前提だと思うよ」
“War of Being” の将来がどうなるにせよ、Dan は、このゲームを作った経験は “贅沢” であり、音楽産業のルーティンに大胆な発言をする機会となったと胸を張ります。
「人生という存在は多くのカーブボールを投げてくる。僕はもう何年も前のことだけど、警官だったんだ。18歳でノッツ警察に入って8年間。それから初めてレコード契約を結んだから、音楽一筋になるために辞めたんだ。今こそ、最高のものを作る時だ」

曲作りの面では、TesseracT が始まりの場所、ベッドルーム時代から大きく飛躍したわけではありません。Acle はバンドを10代の若者のプロジェクトとしてスタートさせました。当時所属していたバンド、FELLSILENT ではテクニカルすぎるオフ・キルターなメタル・リフを録音し、マイスペースにアップロードしていました。
ギタリストのアイデアが SNS という駆け出しの領域で注目されるようになると、彼は ENTER SHIKARI のライヴでサポート・バンドとして演奏していた Jay に感銘を受け、彼を引き抜きました。そして、古いラップ・メタルの衣装で FELLSILENT とステージを共にした James とAmos を TesseracT のメンバーに組み込んだのです。James が当時を振り返ります。
「2004年だったんだ。FELLSILENT のサウンドチェックを見て、”なんてこった!これは MESHUGGAH みたいだ!こいつらは最高だ!” って。僕たちは明らかに、あの種の音楽をお互いに楽しんでいたんだ」.
ミルトン・キーンズのプロモーターから Acle を紹介された Dan Tompkins は、2009年にバンドに加わりました。その時点で、TesseracT はすでに先代のヴォーカリスト、Abisola Obasanya とともにアンダーグラウンドで名を馳せていました。2007年のデモには、すでに “One” の楽曲 “Concealing Fate Part I: Acceptance”, “April”, Sunrise” の初期ヴァージョンが収録され、ネット上で口コミで話題となっていたのです。この注目により、バンドはブリティッシュ・メタル界で最高の無名アーティストの1つと呼ばれるようになり、ワシントン・ポスト紙に特集され、2008年には2万人収容のブラッドストック・オープン・エアのセカンド・ステージのヘッドライナーを務めました。

2010年になると、もはや TesseracT に対するインターネット上の喧騒は無視できないものとなり、バンドはメジャー・レーベルのセンチュリー・メディアにピックアップされます。センチュリー・メディアから “Concealing Fate EP” をリリースした後、”One” 、そして(シンガーの Ashe O’hara が一時的にフロントを務めていた)”Altered State” をリリースします。そして今日、 “Sonder” と “War of Being” の間に5年の空白があるにもかかわらず、5人組は依然として新たな人気を獲得し続けています。彼らは2022年の ArcTanGent フェスティバルのヘッドライナーを務め、1万人を動員し、”War of Being” のビデオは公開から24時間以内に10万回以上視聴され、YouTube のトレンド・タブにまでランクインしたのです。Acle が振り返ります。
「バンドを始めたときやりたかったのは、フェスティバルで演奏することだけだった。だけどそれ以来、TesseracT はいい意味でゆるやかに成長してきた。Download や Hellfest でいきなり4万人の観客の前に立たされたことはない。
ティーンエイジャーの頃と数十年後とでは、野心は全く違う。誰もが偉大になり、成功したバンドになりたいと思っているが、成功が何を意味するのかよく分かっていないんだ。あのころは、成功とは何かを理解する経験もなく、ただギグを演奏して楽しんでいただけなんだ」
Acle と James は、”War of Being” に求める成功とは、TesseracT の継続的な成長だと話しています。秋から9ヶ月の間に4大陸を回るツアーで、それはすでに実現しているようですが、ある意味 Acle にとって、TesseracT がこれほど大きな存在となることは驚き以外の何者でもないのです。
「僕やろうとしていたのはそんなことじゃない!って時々思うね。当時はただ MESHUGGAH からパクりたかっただけなんだから!」


参考文献:  GAME OBSERVER :How TesseracT Created Their Own VR Game: Interview with Singer Daniel Tompkins

How a Metal Band Is Using Gaming to Redefine How We Experience Music

GUITAR.COM:Tesseract on why they needed to “come back and make a big statement”

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【BLOODY TYRANT (暴君) : HAGAKURE Ⅱ】 JAPAN TOUR 23′


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH BLOODY TYRANT (暴君) !!

“Retelling Our Root Story Is a Very Important Thing As a Taiwanese Musician. We Have So Many Interesting And Beautiful Stories In This Small island, I Don’t Want These To Be Forgotten.”

DISC REVIEW “HAGAKURE Ⅱ”

「BLOODY TYRANT の新しいラインナップの日本ツアーは今回が初めてだから、日本のファンに新しいタイラントを見てもらうのが待ちきれないよ!個人的には、また明治神宮に行きたいね! 本当に美しい場所だから…」
3年間の活動休止と大幅なメンバー・チェンジを経て、台湾の BLOODY TYRANT はバンドが不死鳥であることを証明しました。偉大なる Chthonic の後ろ姿を追っていたのも今や昔。シンフォニック・ブラックの皮を徐々に脱ぎ捨てた彼らは、今では独自のエスニックなメロディック・デスメタルで堂々と、欧州の列強たちに挑戦状を叩きつけています。ただし、Chthonic との共通点として、今でも守られているものもあります。それは、台湾の誇りと日本への愛情。そうして彼らは、アジアの “ヴァイキング” として島国の物語を語り継いでいくのです。
「僕の観点では、日本は台湾にとって最も重要な影響力を持つ国で、特に第二次世界大戦中は台湾の軍隊が武士道の影響を多く受けていた。だから、”ここから始めてはどうかな” と考えていたんだよね。戦争が終わって何十年も経った今でも、僕らの日常生活の中に日本の影響を受けたものがあるのを感じるし、武士道が日本人の考え方に少しずつ影響を及ぼしていることも感じるんだ」
最新 EP “Hagakure Ⅱ” は、大名鍋島光茂の家臣であった山本常朝(1659-1719)の回想からなる “葉隠” の物語を締めくくるもの。この写本は150年以上も鍋島家に隠されていた秘伝の書。”武士道といふは死ぬ事と見付けたり” という一節から始まるため、死を賭して君命を果たすと誤解されがちですが、”葉隠” は武士達に死を要求しているのではありません。死の覚悟を不断に持することによって、生死を超えた “自由” の境地に到達し、そうすることで “武士としての職分を落ち度なく全うできる” という意味が込められています。武士として “恥” をかかずに生き抜くための教訓とでも言えるでしょうか。
つまり、死ぬ覚悟さえあれば、生を全うできるという”メメント・モリ” 的な思想でもあるわけです。そうして、血の圧制者、暴君はまさにそこに惹かれました。
「そう、漫画のシグルイに僕は一番影響を受けているよ!そして、シグルイの物語を含む小説、駿河城御前試合。僕たちには、駿河城御前試合の最終章を題材にした “劍士皆亡” という曲があるんだ」
“武士道は死狂ひなり。一人の殺害を数十人して仕かぬるもの”(武士道は死に狂いである。一人を殺すのに数十人がかりでかなわないこともある)を由来とする漫画 “シグルイ”。BLOODY TYRANT がこの物語に感化されたのは、おそらく今の台湾情勢も影響しているでしょうか。中国/台湾の伝統的な撥弦楽器であるピパの音色そのものが持つ魔力は、彼らの音楽に潜む孤独や暗闇を増幅させ、運命に翻弄される台湾という国のメランコリーを引き出していきます。それでも彼らは武士に焦がれます。一騎当千、死の覚悟も厭わない BLOODY TYRANT の面々は、メタルにおいても、政治においても、決して自らの意思を折ることはないのです。
オルガン、オーボエ、チェロ、ヴィオラなどを導入して、台湾の創世をアルバムとした “島嶼神話” のフォーク・メタルはひとつの転機だったでしょうか。島の歴史を知ることは、自分自身を知ることの始まり。歴史を忘れた民族は滅びると歌った彼らの決意も、もちろん武士道の一環に違いないのです。
今回弊誌では、BLOODY TYRANT にインタビューを行うことができました。「台湾は第一列島の真ん中に位置し、非常に複雑な歴史を持ち、隣国から様々な影響を受けている。だから、僕たちのルーツ・ストーリーを語り継ぐことは、台湾のミュージシャンとしてとても重要なことなんだ。この小さな島には、面白くて美しい物語がたくさんあるからね。それを忘れられたままにはしたくないんだ」来日決定!どうぞ!!

BLOODY TYRANT “HAGAKURE Ⅱ” : 10/10

INTERVIEW WITH BLOODY TYRANT

Q1: First of all, your Japan tour with Fintroll & Metsatoll has been announced! How do you feel now? Are there any places you want to go?

【BLOODY TYRANT】: We are really really excited about it! This is the first time for Bloody Tyrant’s new line up tour in Japan, we just can’t wait to let Japanese fans see the new Tyrant!!!
Personally, I want to go to Meiji Jingū again, it’s such a beautiful place to visit!

Q1: Fintroll & Metsatoll との日本ツアーが決まりましたね!

【BLOODY TYRANT】: 本当に本当に興奮しているよ!BLOODY TYRANT の新しいラインナップの日本ツアーは今回が初めてだから、日本のファンに新しいタイラントを見てもらうのが待ちきれないよ!
個人的には、また明治神宮に行きたいね! 本当に美しい場所だから…

Q2: You have performed in Japan several times. Can you tell us about some of your most memorable moments?

【BLOODY TYRANT】: The first time we performed in Japan was 2016, with Anaal Nathrak. After a few months, I went to Loud Park, and I saw fans wearing our merch there, and even some of them recognized me in the arena. I’m really moved about this, Japan is such a nation of Rock and Metal music in Asia!!!.

Q2: 日本で特に思い出深い出来事はなんですか?

【BLOODY TYRANT】: 日本で初めて演奏したのは2016年で、ANAAL NATHRAK と一緒だった。その数ヶ月後、僕はラウドパークに行ったんだけど、そこで僕らのグッズを身に着けているファンを見かけたし、アリーナで僕を認識してくれた人もいた。日本はアジアにおけるロックとメタルの国なんだ!!これには本当に感動したよ!

Q3: Are there any influences from Japanese music, anime, or video games?

【BLOODY TYRANT】: Yes, manga, シグルイ influenced me the most! And the novel which also include the story of シグルイ, 駿河城御前試合。
We have a song which based on the final chapter of 駿河城御前試合, titled 劍士皆亡.

Q3: 日本の文化、アニメや漫画からの影響はあるんですか?

【BLOODY TYRANT】: そう、漫画のシグルイに僕は一番影響を受けているよ!そして、シグルイの物語を含む小説、駿河城御前試合。僕たちには、駿河城御前試合の最終章を題材にした “劍士皆亡” という曲があるんだ。

Q4: What do you think about the significance of retelling Taiwan’s myths and history in metal?

【BLOODY TYRANT】: Taiwan is located in the middle of the first island chain, which has a very complex history and many different influences from our neighbor. So retelling our root story is a very important thing as a Taiwanese musician. We have so many interesting and beautiful stories in this small island, I don’t want these to be forgotten.

Q4: あなたたちのように、台湾の神話や歴史をメタルで語り継ぐのには、どういった意義があるんでしょうか?

【BLOODY TYRANT】: 台湾は第一列島の真ん中に位置し、非常に複雑な歴史を持ち、隣国から様々な影響を受けている。だから、僕たちのルーツ・ストーリーを語り継ぐことは、台湾のミュージシャンとしてとても重要なことなんだ。この小さな島には、面白くて美しい物語がたくさんあるからね。それを忘れられたままにはしたくないんだ。

Q5: What is it about the traditional Pipa that makes the band so special to you? Is it difficult to use it in metal?

【BLOODY TYRANT】: It’s a funny story for me to add pipa in our music, it was a boring night many years ago, I’m being a couch potato and scrolling through every channel of television, when I scrolled to a movie channel and it was playing 十面埋伏(House of Flying Daggers), and there is a famous classical music played by pipa also titled 十面埋伏, then this idea just struck my head, “Why not adding pipa into metal music!?”
And actually, using pipa in metal music is not difficult at all! This instrument has a very percussive sound and will stand out quite easily, perfect for playing lead melody within metal music!

Q5: ピパ (中国の琵琶) を使うことも、あなたたちにとっては大切なんでしょうね?

【BLOODY TYRANT】: 何年も前の退屈な夜、カウチポテトをしながらテレビの各チャンネルをスクロールしていたんだ。映画のチャンネルにスクロールしたとき、”十面埋伏” をやっていて、ピパで演奏する有名なクラシック音楽のタイトルも “十面埋伏” だったんだ。それを聞いて、アイデアが降りてきたんだよ。”メタルにピパを加えたらどうだろう! ?” ってね。
そして実際、メタル音楽にピパを使うことは全く難しくないんだ!この楽器はとてもパーカッシブなサウンドで、メタル音楽の中でリード・メロディーを演奏するのに最適なんだよね!

Q6: Sometimes you guys deal with themes of Japanese origin, such as the Sakai Jiken or Hagakure, don’t you? Why is that?

【BLOODY TYRANT】: In my point of view, Japan has been the most important influence for Taiwan, especially the time period during World War II, and the army was influenced by Bushido a lot, so I was thinking, “Why not start from here?”
Even though the war is over for decades, I can still feel there are some Japan-influenced things in my daily life, and I can also feel that Bushido still affects Japanese people’s mindset, little by little.

Q6: 堺事件や葉隠れなど、BLOODY TYRANT はしばしば日本をテーマにとりあげています。

【BLOODY TYRANT】: 僕の観点では、日本は台湾にとって最も重要な影響力を持つ国で、特に第二次世界大戦中は台湾の軍隊が武士道の影響を多く受けていた。だから、”ここから始めてはどうかな” と考えていたんだよね。
戦争が終わって何十年も経った今でも、僕らの日常生活の中に日本の影響を受けたものがあるのを感じるし、武士道が日本人の考え方に少しずつ影響を及ぼしていることも感じるんだ。

Q7: We live in a dark world of pandemics, wars, and a divide. Taiwan in particular has some difficult political, diplomatic issues, how are you dealing with those political and social issues?

【BLOODY TYRANT】: “More caring, less ignoring”
I always tell my friend to care about international, political issues more, because in my point of view, how you deal with these topics will be the way it goes back on you. Politics is all about our daily life

Q7: 私たちはパンデミック、戦争、そして分断という暗い世界に生きています。特に台湾は政治的、外交的に難しい問題を抱えていますが、あなたはそのような政治的、社会的問題にどのように対処していますか?

【BLOODY TYRANT】: “より気にかけ、無視しない” ことだ。
僕はいつも友人に、国際的な、政治的な問題にもっと関心を持つように言っている。僕の見解では、こうした話題にどう対処するかが、直接自分に跳ね返ってくるからね。
政治は僕たちの日常生活に関わることなのだから。

Q8: Chthonic is one of the most famous Taiwanese metal bands in the world. And Jesse Liu does a great job on your albums as well. They are really a political band, right? What do you think about them and To change society with metal?

【BLOODY TYRANT】: Part of our former album was produced in Jesse Liu’s studio, he had done a great job on tweaking our guitar tone!
Chthonic has always been my most respected band, not just telling historical stories, but also promoting Taiwan Indiependent, which is always against communism as well.

Q8: Chthonic は世界で最も有名な台湾のメタルバンドの一つです。ジェシー・リュウはあなたのアルバムでも素晴らしい仕事をしています。彼らは本当に政治的なバンドですよね?メタルで社会を変えるということについてどう思いますか?

【BLOODY TYRANT】: 以前のアルバムの一部はジェシー・リウのスタジオで制作されたんだけど、彼は僕らのギターのトーンを微調整するのに素晴らしい仕事をしてくれた!
Chthonicは、歴史的な話をするだけでなく、常に共産主義に反対する台湾独立を推進している。いつも僕の最も尊敬するバンドなんだよ。

FIVE ALBUMS THAT CHANGED BLOODY TYRANT’S LIFE!!

Whispered “Song Of The Void”

Eluveitie “Ategnatos”

Insomnium “Winter’s Gate”

Wintersun “Wintersun”

陰陽座 “迦陵頻伽”

MESSAGE FOR JAPAN

We are really excited to have this chance to tour in Japan with our new line up!
SEE YOU THERE!!!!!!!

新たなラインナップでまた日本に戻れて興奮しているよ!日本で会おう!!!

チケットの詳細はこちら。Evoken de Valhall

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【Metsatöll : Katk kutsariks】JAPAN TOUR 23′


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH LAURI OUNAPUU OF Metsatöll !!

“By Respecting Our Own Culture, We Also Learn To Respect The Stranger, Even If We Cannot Agree With Them And Don’t Share The Same Values.”

DISC REVIEW “Katk kutsariks”

「私はあらゆる文化に敬意を抱いている。特に、自分たちのルーツや先祖に誇りを持ち、自分たちの民族文化に偽りの羞恥心を抱くことなく、あえて自分たちらしくいようとする人々には敬意を抱いている。過激な民族運動に見られるような民族中心主義や、人種中心主義について言っているのではない。自国の文化を尊重することで、たとえ意見が合わなかったり、同じ価値観を共有できなかったりしても、見知らぬ人を尊重することを学ぶのだ」
例えば、私たちはヘヴィ・メタルを愛しているからこそ、メタル以外の音楽も尊重し、リスペクトすることができるのかもしれません。それは、ジャンルこそ違えど、音楽やその文化を愛することがいかに尊く、純粋であるかを知っているから。それはきっと、国籍や人種、宗教においても同じなのではないでしょうか?自らのルーツを愛し、ルーツの尊さを知るからこそ、他者のルーツを尊重できる。自国は常に “正義” で、他国は “悪” なのでしょうか? そんなはずはないでしょう? 他者やそのルーツに対する “寛容さ” があまりにも必要とされている現代社会において、フォーク・メタルは、自身はもちろん、他者の文化や民族を尊重するための完璧なツールなのかも知れませんね。
「エストニア人も日本人も、多くの同じものを見ていることは確かだ。小国に対する西洋文化の圧力がますます強まっているにもかかわらず、私たちの文化にはかなり古い世界観が残されていて、それは “非二元的” な世界観に反映されている。すべては観察者の視点と現象の解釈次第であり、その本質は果てしない否定主義や肯定主義に囚われることなく、ヒーローもアンチヒーローもなく、完全な善も悪も、白も黒もない。非二元的な世界観、伝統や神話を愛し、物語を語ることは、間違いなくエストニアと日本の文化を結びつけるものだよ」
そもそも、江戸時代、日本で “勧善懲悪” が好まれるようになったのは、幕府が物事を単純化して人民を統治しやすくためだったという説もありますが、たしかに古事記を紐解けばイザナキとイザナミの兄妹婚や神なのにやたらと人間臭いスサノヲノミコト、コノハナサクヤビメの一夜孕みなど、タブーを積極的に扱うことで、世界は白か黒か、善か悪かに単純には割り切れないことを示していたような節があります。そして、世界中の神話の中には、そうしてタブーを扱った話が決して少なくはないのです。エストニアの伝承や神話、伝統音楽をメタルに結んだ Metsatöll は、かくしてフォーク・メタルを哲学していきます。
「ここでいうフォーク・メタルとは民族の音楽言語を使うフォーク・メタルで、民族楽器、民謡、母語を使う。中世的なロマンチックな衣装を身にまとい、ギター・リフの合間に映画音楽にインスパイアされたメロディーを奏でる “フォーク・メタル” もクールで良い音楽であることは間違いないが、あれはただのメタル・ミュージックだ。 自分の民族のルーツが何なのか、先祖の文化や音楽が何だったのかを知ることは重要だ。ルーツにはすごい力がある。少なくとも私にとっては、民族楽器を演奏するときに重要なのは、その楽器を演奏することだけでなく、その楽器の歴史、その楽器の音色、歴史的にどのように演奏されてきたのか、そしてその楽器がおそらくどこから来たのかを知ることだと思う」
フォーク・メタルの哲学者、森の賢人 “狼” の異名を持つ Metsatöll は、90年代から活動を続け、シーンの酸いも甘いも噛み締めてきた歴戦の勇者。だからこそ、BLOODYWOOD や THE HU の大ブレイクで活気付くフォーク・メタルの台頭にも、一つの願いを覗かせます。それはルーツを愛すること。ルーツを愛し、文化を愛し、歴史を愛し、言語を愛した真の “フォーク・メタル” だからこそ、強く、寛容になれる。
エストニアは、長年の占領と抑圧、ソ連崩壊とそれに続くグローバリゼーション、資本主義、物質主義がもたらした価値観の変化によって引き起こされた文化的トラウマを抱えてそれでも、ITや学問の分野で台頭し、力強く生き延びてきました。強いだけでも、優しいだけでもない、非二元論の “誇り” が彼らを支えたとすれば、Metsatöll の音楽にはまさしくその誇りが見事に宿っています。呪術的で重苦しく、リズムの迷宮にあって、しかしどこか牧歌的で、歌える生命力にみちた秘宝。それはきっと、”側” だけをドラマティックに仕立てた偽のフォーク・メタルにはないものなのかもしれませんね。
今回弊誌では、Lauri “Varulven” Õunapuu にインタビューを行うことができました。「私はスタジオジブリ、特に宮崎駿の作品に感銘を受けてきた。”猫の恩返し”、”千と千尋の神隠し”、”紅の豚” が子供向けか大人向けかは議論の余地があるが、彼らが扱うテーマや世界を反映する方法は時代を超越していて、典型的なハリウッドの世界よりも人間の本質をより明確に表現していることは間違いない。芸術は問いを投げかけ、問いは人々に考えさせるものでなければならない」エストニア大統領にも賞賛させる国民的バンドの来日が決定。どうぞ!!

Metsatöll “Katk kutsariks” : 10/10

INTERVIEW WITH LAURI OUNAPUU

Q1: You have decided to come to Japan for the first time! You guys sometimes use animated stuff in your artwork and videos. First of all, please tell us about Japan and your impressions of Japanese anime and game culture.

【LAURI】: It is indeed a great honour to travel to our first concerts in Japan, we have tried many times before to find contacts and opportunities to perform in the Land of the Rising Sun, it has not been easy for the Estonian band, after all, Japan is quite far from us. Both physically and certainly culturally. Although it must be said that we humans here and there certainly see many things in the same way, both Estonians and Japanese. Regardless of the ever-increasing pressure of a Western culture on small nations, we have preserved a rather ancient worldview in the culture of our people, which is reflected in a non-dual worldview. Everything depends on the perspective of the observer and the interpretation of phenomena, the essence of which is not stuck in endless negativism or positivism, there are no heroes and anti-heroes, completely good or bad. This worldview is also in the art of the Estonian artist Jüri Arrak, with whom we have had the honor to collaborate. You can find Arrak’s art and animations on Metsatöll’s albums and videos. To the sadness of all of us, Jüri Arrak is no longer with us, he passed away a year ago.
It is fascinating that the same kind of non-dual world view can be observed also in Japanese animation, I am of course not talking about everything that concerns Japanese-like expressions, probably more about what I myself have experienced and what I have managed to observe. Of course, I have been impressed by Studio Ghibli and especially Hayao Miyazaki’s work, it can be argued whether “Neko no ongaeshi”, “Sen to Chihiro no kamikakushi” or “Kurenai no buta” are intended for children or adults, but the topics they deal with and how they reflect the world is timeless and certainly expresses the human nature more clearly than the typical Hollywood world. Art must raise questions, and questions make people think. This is one of the basic principles of human nature, when we stop analyzing and thinking, even about the meaning of life and human nature, we stop being a part of the world. However, if we detach ourselves from reality and the world itself, will the world still be able to accept us and maybe even tolerate us. By turning into a cancer-tumor of the planet, we cannot be sure of that.
A non-dual world view, love of traditions and myths, telling stories is definitely something that unites Estonian and Japanese culture.
Maybe it’s changing, I can’t comment on it because I don’t have a TV, I don’t know what’s shown and what’s being watched. I also don’t spend my days playing computer games, maybe everything is different there and the narratives that are told are already different. How I see the transmission of cultures over time is that each nation and tribe has primordial features and knowledge, which have become like the root-texts of one nation, something that has been learned and heard from one’s parents, grandparents, etc. These texts from the primeval times still influence the culture of the people, we see the world from the same perspective as our predecessors, but during the triumph of mass communication, this is changing, we copy and imitate also cultures that are a mouse-click away, but are unfamiliar and alien. In the global world, non-habituation becomes habituation, little by little we lose our own face. However, there is a counter-movement in folk cultures, a counter-reaction of the people themselves, we are looking for our roots and true self, it is good if it is preserved and does not lose its relevance in today’s culture. Metsatöll is one of those milestones in the Estonian resistance movement in the global soup pot.

Q1: 初来日が決まりましたね!あなたたちはアートワークや映像にアニメーションを使うことがありますが、まずは日本について、そして日本のアニメやゲーム文化についての印象を聞かせてください。

【LAURI】: これまで何度も、日出ずる国で演奏するために連絡先や機会を見つけようと試みてきたけど、エストニアのバンドにとってそれは簡単なことではなかったんだ。物理的にも、文化的にも。
とはいえ、エストニア人も日本人も、多くの同じものを見ていることは確かだ。小国に対する西洋文化の圧力がますます強まっているにもかかわらず、私たちの文化にはかなり古い世界観が残されていて、それは “非二元的” な世界観に反映されている。すべては観察者の視点と現象の解釈次第であり、その本質は果てしない否定主義や肯定主義に囚われることなく、ヒーローもアンチヒーローもなく、完全な善も悪も、白も黒もない。このような世界観は、私たちがコラボレーションしたエストニアのアーティスト Jüri Arrak のアートにもある。Arrak のアートやアニメーションは、Metsatöll のアルバムやビデオで見ることができるよ。残念なことに、彼は1年前に他界してしまったがね。
同じような非二元的な世界観が、日本のアニメーションにも見られるのは魅力的だ。もちろん、日本的な表現にまつわるすべてについて話しているのではなく、私自身が経験し、観察することができたことについて話しているのだがね。もちろん、私はスタジオジブリ、特に宮崎駿の作品に感銘を受けてきた。”猫の恩返し”、”千と千尋の神隠し”、”紅の豚” が子供向けか大人向けかは議論の余地があるが、彼らが扱うテーマや世界を反映する方法は時代を超越していて、典型的なハリウッドの世界よりも人間の本質をより明確に表現していることは間違いない。
芸術は問いを投げかけ、問いは人々に考えさせるものでなければならない。これは人間性の基本原則のひとつであり、人生の意味や人間の本質についてでさえ、分析したり考えたりすることをやめたとき、私たちは世界の一部であることをやめてしまう。しかし、もし私たちが現実や世界そのものから自分を切り離したとしても、世界は私たちを受け入れることができるだろうか。地球の癌腫瘍と化すことで、私たちはそれを確信することはできない。非二元的な世界観、伝統や神話を愛し、物語を語ることは、間違いなくエストニアと日本の文化を結びつけるものだよ。
私はテレビを持っていないので、何が放映され、何が見られているのか知らない。また、コンピューターゲームに明け暮れることもない。もしかしたら、そこではすべてが違っていて、語られる物語もすでに違っているのかもしれない。私が考える文化の継承とは、それぞれの国や部族が原初的な特徴や知識を持っていて、それがひとつの国の根源的なテキストのようになり、両親や祖父母などから学んだり聞いたりしてきたものだということだ。これらの原始時代からのテキストは、今でも人々の文化に影響を与え、私たちは先人たちと同じ視点から世界を見ている。
しかし、マス・コミュニケーションの勝利の間に、この状況は変わりつつあり、私たちは、マウスをクリックするだけでアクセスできる、馴染みのない異質な文化もコピーし、模倣している。グローバルな世界では、慣れとなり、私たちは少しずつ自分の顔を失っていく。自分たちのルーツや真の自己を探し求め、それが保存され、今日の文化との関連性を失わないのであれば、それに越したことはないのだがね。Metsatöll は、世界的な鍋の中のエストニアの抵抗運動における、そのような一里塚のひとつである。

Q2: You guys sing about Estonian folklore and traditions, but Japan also has a long history and various myths. Do you feel any sympathy for Japan?

【LAURI】: I have respect for all cultures, especially those who dare to be themselves without feeling false shame about their folk culture, who are proud of their roots and ancestors. I am not talking about the ethnocentrism that we can sometimes find in extremist national-movements, nor the racial centrism. By respecting our own culture, we also learn to respect the stranger, even if we cannot agree with them and don’t share the same values.
What also unites the traditional world view of Japan and Estonia, as I see it, is respect for your opponent, even if fate has taken you to different sides in the fight, there is no reason to think that the opponent does not deserve respect after death.
This is reflected in the Estonian traditional peasant culture in the same way, perhaps you have noticed something similar in Japan – if a person hunts or keeps animals, uses their meat, milk, labor, then the peasant treats these animals in the same way as his own equal, although apparently, as per the 21st century worldview, the person would be an imaginary at the top of the pyramid of exploitation, traditional peasant wisdom still points to the fact that we are and will remain just a tiny cog in the throbbing-steaming world machine.

Q2: あなたたちはエストニアの伝承や伝統、歴史を歌にしていますが、日本にも長い歴史や様々な神話があって、そういう意味で共感する部分もあるのではないですか?

【LAURI】: 私はあらゆる文化に敬意を抱いている。特に、自分たちのルーツや先祖に誇りを持ち、自分たちの民族文化に偽りの羞恥心を抱くことなく、あえて自分たちらしくいようとする人々には敬意を抱いている。過激な民族運動に見られるような民族中心主義や、人種中心主義について言っているのではない。自国の文化を尊重することで、たとえ意見が合わなかったり、同じ価値観を共有できなかったりしても、見知らぬ人を尊重することを学ぶのだ。
私が思うに、日本とエストニアの伝統的な世界観を結びつけるものもまた、相手に対する敬意だろう。たとえ運命に翻弄され、戦いの中で異なる側についたとしても、死後、相手が敬意に値しないと考える理由はない。
このことは、エストニアの伝統的な農民文化にも同じように反映されている。おそらく、日本でも似たようなことに気づくのではないか。ある人が動物を狩ったり飼ったりして、その肉や乳や労働力を利用する場合、農民はこれらの動物を自分と同等に扱う。どうやら21世紀の世界観に従えば、人は搾取のピラミッドの頂点に立つ想像上の存在になるようだが、伝統的な農民の知恵では依然として、私たちはどろどろと蒸し上がる世界の機械の小さな歯車に過ぎず、これからもそうあり続けるという事実を指し示しているんだよ。

Q3: It is difficult to imagine hard rock and metal music in Estonia, but can you tell us how you got into such music in such a place? What is the Estonian hard rock and metal scene actually like?

【LAURI】: I can say that looking at the world from here in tiny Estonia, it is equally difficult to imagine Japanese bands and what they could sing about or what kind of music they could play! The only solution to dispel such fog is to see with your own eyes and listen with your own ears what is actually being done over there on the other side of the world.
As you can imagine, just like in any band, Metsatöll, even though there are only four of us, are people with very different worldviews, different musical backgrounds, and different preferences. What unites us is respect for Estonian culture, -language and metal. So, putting all this together, it makes perfect sense that our songs are in Estonian languages (we write texts in the dialects of different Estonian localities, we use archaisms and language layers from different eras), woven through Estonian history, and of course metal.
In general, however, Estonian music is quite the same as in other parts of the world, it especially concerns both rock and metal genres. We cannot get over or around the world’s music trends, but there are also quite original, let’s say, Estonian-ish bands and musicians with a unique musical-language. In the last decade, Estonian folk music has become very relevant again, so there have been quite a few bands that use Estonian folk songs, folk instruments and want to reflect Estonian culture.

Q3: エストニアのメタルやロックと聞いてパッと想像するのはなかなか難しいのですが、そうした場所でメタルにハマっていったきっかけを教えてください。

【LAURI】: 逆に、ここ小さなエストニアから世界を眺めたところで、日本のバンドが何を歌い、どんな音楽を奏でるのかを想像するのは難しい!そんな霧を晴らす唯一の解決策は、地球の裏側で実際に何が行われているかを自分の目で見て、自分の耳で聴くことなんだ。
ご想像の通り、どのバンドでもそうであるように、Metsatöll はたった4人とはいえ、まったく異なる世界観、異なる音楽的背景、異なる嗜好を持つ人々だ。私たちを結びつけているのは、エストニアの文化、言語、そしてメタルに対する敬意なんだよ。だから、私たちの楽曲がエストニア語で書かれ(エストニアのさまざまな地方の方言で文章を書き、さまざまな時代の古語や言葉のレイヤーを使っている)、エストニアの歴史が織り込まれ、そしてもちろんメタルであることは、これらすべてをまとめると完全に理にかなっている。
しかし一般的に、エストニアの音楽は世界の他の地域とまったく同じで、特にロックとメタルの両方のジャンルに近いね。ただ、私たちは世界の音楽トレンドに流されることはないし、エストニア独自の、言ってみれば独自の音楽言語を持つバンドやミュージシャンもここには存在する。ここ10年、エストニアの民族音楽は再び重要性を増していて、エストニア民謡や民族楽器を使い、エストニア文化を反映させようとするバンドがかなり出てきているんだ。

Q4: Why did you decide to combine Estonian folk music with metal? Did you think it would work so well from the beginning?

【LAURI】: The music we make is very closely related to the people who play the instruments and write the songs for us. Metsatöll started as a basement band, so there was no desire to succeed in the global music market. There was also no plan to think, or to direct this thought in any special way, whether the use of Estonian folk instruments and the folk sound and Estonian language could somehow be useful for breaking through and whether it should therefore be emphatically national.
It cannot be denied that we would not have noticed that people like this certain national self-expression. In retrospect, one can think that surely no one would know much about Metsatöll if we had played the kind of music that all Estonian metal bands did anyway. songs in English, copying idols from other world.
It can also be said that such an indigenous approach in the early years of Metsatöll was not a very safe way to become famous and loved. Of course we were funny, the others were serious copies of Immortal, Exodus, My Dying Bride etc, we just did some incomprehensible thing in Estonian. This led to the doubts of some band members as to whether Estonian folk instruments should still be played in our metal music, and if so, should they be played so much? But fortunately, our listeners made this choice easier for the band – Metsatöll has become one of Estonia’s national symbols. So a big thank you to our supporters.

Q4: エストニアのフォーク・ミュージックとメタルがこれほどフィットすると、最初から思っていましたか?

【LAURI】: 私たちが作る音楽は、私たちのために楽器を演奏し、曲を書いてくれる人々ととても密接な関係がある。Metsatöll は地下バンドとしてスタートしたから、そもそも世界的な音楽市場で成功したいという願望はなかった。また、エストニアの民族楽器や民族的な音、エストニア語を使うことが世界への突破口になるかどうかとか、ゆえに強調すべきは民族的なものであるかどうかを考えたり、それを特別な形で方向づける計画もなかったね。
もちろん、このようなある種の民族的な自己表現が人々に好まれていることに、私たちが気づかなかった可能性は否定できない。振り返ってみれば、エストニアのメタル・バンドがみんなやっているような、英語で歌い、他国のアイドルをコピーするような音楽をやっていたら、きっと誰も Metsatöll のことをよく知らなかっただろうと思うからね。
逆に言えば、Metsatöll の初期には、そうした土着的なアプローチは、有名になり愛されるようになるにはあまり安全な方法ではなかったとも言える。もちろん当時の私たちは異端な存在だったからね。他のバンドは IMMORTAL, EXODUS, MY DYING BRIDE みたいなバンドのコピーをやっていて、私たちはエストニア語でわけのわからないことをやっていただけだったからね。
だからバンドメンバーの中には、エストニアの民族楽器をメタル音楽の中でまだ演奏すべきなのか、これほど演奏する必要があるのか、という疑問を持つ者もいたんだ。幸いなことに、この選択をバンドにとって容易なものにしてくれたのはリスナーだったね。そうして、Metsatöll はエストニアの国家的シンボルのひとつとなった。だからサポーターのみんなには本当に感謝しているんだ。

Q5: You guys also use Estonian traditional instruments as lead instruments, almost like guitars, Could you introduce some of the traditional instruments?

【LAURI】: Yes, I have been playing Estonian folk instruments since I was quite young, and I am glad that they have also merged into Metsatöll’s music. So I have the opportunity not only to direct Metsatöll music, but also Estonian music in a broader sense. Why not more broadly, it’s no secret that so many bands in the world have found the desire to use their folk instruments in metal music, just like Metsatöll. We are only happy about it.
I find, at least for me, that it is important when playing folk instruments not only to play these instruments, but also to know the history of these instruments, how they sounded, and how they were played historically and from where these instruments probably came from.
A lot could be said and written about these Estonian folk instruments that sound in Metsatöll, in fact, I have a book about the Estonian bagpipes in preparation, but will anyone be able to read about it all in one short interview and what the reader might find exciting and what they would like to know about these instruments, that is the question .
I play the Estonian bagpipe – “torupill”, it is one of a very large family of instruments known all over the world. Most people know the Scottish bagpipes, but the Estonian bagpipes are quite different, it belongs to the group of Eastern European bagpipes, its easier to play and it sound a little softer. In Estonia, the bagpipe has been known since the 16th century, but its age is probably much older, in our cultural area, bagpipe playing has been known since the 14th century, while it should be noted that the historical first mention of any phenomenon does not always mean the beginning of that phenomenon. Especially since Estonian culture has always been an oral culture for the most part, written texts and documents are quite late. Therefore, we cannot determine the birth of many historical events and objects. We will stick to the fact that torupill is a very old instrument loved by Estonians.
I also play the Estonian “kannel”, which is a bit similar to the Japanese Koto. The kannel is also a very old and historical Estonian instrument, its age is believed to be even 2000 and more years in Estonia, even 4000 years has been suggested, but we cannot be sure of that (linguistical approach). However, when determining the age of each instrument, one aspect must also be taken into account – what instruments did the representatives of our people, our ancestors, actually play thousands of years ago, for example 6000 years ago? It would be absurd to think that they played nothing. It is true that a whistle made of bone has been found in the grave of a child buried in Estonia 6000-7000 years ago. There was also another remarkable find in the grave of this child – the wings of a Common Crane (Grus grus lat.) were placed in the grave by both hands. What they symbolized, and whether it was related to the whistle, which probably could represent the sound of the Crane, we do not know. But it creates respect for the people who lived back then.
I also play whistles and flutes in Metsatöll. Also parmupill, the jaw-harp, which is known almost everywhere in the world. And occasionally a hiiukannel, which was probably brought to Estonia from the Swedish area of Finland. The historical name of this instrument is Estonian-Swedish: Talharpa, translated as horsehair-harp or pine-harp. It also somewhat resembles bowed instruments in Japan.

Q5: 仰る通り、エストニアの伝統楽器はさながらギターのように楽曲の中心にありますね?

【LAURI】: そうだね、私は若い頃からエストニアの民族楽器を演奏してきたし、それが Metsatöll の音楽にも溶け込んでいることをうれしく思っているんだ。だから私は、Metsatöll の音楽だけでなく、広い意味でのエストニア音楽を愛する人と接する機会がある。 Metsatöll のように、民族楽器をメタル・ミュージックに取り入れたいと考えるバンドが世界中にたくさんいることは周知の事実だ。私たちはそれを喜んでいるだけだよ。
少なくとも私にとっては、民族楽器を演奏するときに重要なのは、その楽器を演奏することだけでなく、その楽器の歴史、その楽器の音色、歴史的にどのように演奏されてきたのか、そしてその楽器がおそらくどこから来たのかを知ることだと思う。
実際、私はエストニアのバグパイプについての本を準備中なのだけど、一回の短いインタビューでそのすべてを語り、読むことができるだろうか。また、読者はこれらの楽器について何に興奮し、何を知りたいと思うだろうか…それが問題だな。
私はエストニアのバグパイプ、”トルピル” を吹いている。ほとんどの人はスコットランドのバグパイプをよく知っているだろうが、エストニアのバグパイプは全く違っていて、東ヨーロッパのバグパイプのグループに属し、演奏しやすく、音も少し柔らかい。エストニアではバグパイプは16世紀から知られているけど、おそらくその歴史はもっと古く、私たちの文化圏ではバグパイプの演奏は14世紀から始まっている。特に、エストニアの文化は常に口承文化だったから、文字による文章や文献はかなり遅れていてね。そのため、多くの歴史的な出来事や物の誕生を断定することはできないんだ。ここでは、トルピルがエストニア人に愛されている非常に古い楽器であるという事実にこだわることにしよう。
私はエストニアの “カネル” という日本の琴に少し似た楽器も演奏している。その年代は、エストニアでは2000年以上とも、4000年とも言われているけど、確証はなくてね。ただ、それぞれの楽器の年代を決定する際には、様々な側面を考慮しなければならないよ。私たちの民族の代表者、私たちの祖先は、何千年も前、例えば6000年前に、実際にどのような楽器を演奏していたのだろうか?何も演奏していなかったと考えるのは馬鹿げているよね。確かに、6000~7000年前にエストニアに埋葬された子供の墓から、骨でできた笛が発見されている。この子供の墓には、もうひとつ驚くべき発見があった。両手にツルの羽が置かれていたのだ。それが何を象徴しているのか、おそらくツルの鳴き声を表す笛と関係があるのかどうかはわからない。しかし、その事実は当時を生きた人々に対する尊敬の念を抱かせるよ。
私は Metsatöll でも笛やフルートを吹く。パルミュピルという顎のハープも。これはおそらくフィンランドのスウェーデン地方からエストニアに持ち込まれたものだろうね。この楽器の歴史的名称はエストニア・スウェーデン語だから。タルハルパ(Talharpa)は、馬の毛のハープまたは松のハープと訳される。また、日本の弓楽器にも多少似ているんだ。

Q6: The Estonian language also makes you guys stand out! Is it important to you to sing Estonian folklore in Estonian?

【LAURI】: I think it could be important for all the bands to sing in their own language. In your own language, you can express something that is culturally impossible to translate, which would be lost in translation. When singing and writing in a foreign language, the language deteriorates, simpler and simpler forms with simpler and simpler universal symbols come into use. We do not wish to contribute to the degeneration of cultures.
It is true that singing in certain languages could presumably contribute to the increase in popularity as well as intelligibility, but in that case, a large part of the world could sing in Spanish or Chinese. The logical error of the English language using in small nations also arises in connection with the fact that we expect that other nations would receive us better if we sang in a language they could understand. Come to your senses! First, it’s time to learn something about your own culture, and then learn other languages semantics that you don’t understand. And we would happily not expect that when a band comes to play from, for example, Burkina Faso or Nepal, that they will sing songs in English.

Q6: エストニア語の歌詞も、Metsatöll の音楽を引き立てていますね?

【LAURI】: すべてのバンドにとって、自国語で歌うことは重要かもしれないね。母国語であれば、文化的に翻訳不可能なものを表現することができるから。外国語で歌ったり書いたりすると、やっぱり言語は劣化し、より単純でシンプルな普遍的記号が使われるようになる。私たちは、そうやって文化の退化に貢献したくはないんだ。
確かに、特定の言語で歌うことは、理解しやすさだけでなく、人気の向上にも貢献するだろう。しかし、その場合、世界の大部分はスペイン語や中国語で歌うべきだろ? 小国で英語を使うことの論理的な誤りは、他国が理解できる言語で歌えば、よりよく受け入れてくれるだろうと期待していることとも関連している。正気に戻らなければ!まずは自国の文化について学び、それから理解できない他言語の意味を学ぶべきだ。そして、例えばブルキナファソやネパールのバンドが演奏に来たとき、彼らが英語で歌を歌ってくれるとは、私は嬉しいことに期待しないんだ。

Q7: Recently BLOODYWOOD and THE HU, have made it big by incorporating traditional music from their home countries into metal. Including you guys, Why do you think that folk metal, which incorporates its own roots and culture in this way, is starting to come back into the limelight again?

【LAURI】: The use of native culture and national sound language in mainstream and popular music has been continuous. We can mainly talk about the change of musical currents and genres, in which the sound language and folk music of our people are interwoven. However, The Hu and other similar hot bands have made it possible that, in general, maybe 21st century mainstream music is seen as an opportunity to play music at big festivals for a lot of people, without the culture and musical mother tongue losing its face. Of course, there are also compromises here – for example, a large part of the world’s traditional music cannot be played on a piano or a guitar, because these instruments simply do not have such notes and scales. The same problem is, of course, in Estonian folk music – tempered tuning and -rhythm breaks the traditional approach. But we have the opportunities we have, there’s nothing we can do about it. This is also why I prefer to sing Estonian folk songs without accompanying instruments and arrangements.
That folk-metal in its most literal sense (folk metal that uses the musical-language of its people, uses folk instruments, folk songs, its native language. I don’t mean here the music that plays, no doubt cool and good, just metal music, dresses medieval-romantically and plays between guitar-riffs the melodies that are inspired by movie-music) is on the rise again, is great. It is important to know what are the roots of your people and what was the culture and music of your ancestors. Roots have incredible power. A leaf may think that it is above the roots, and no doubt it really is, nevertheless, as soon as autumn comes and the leaf on the tree feels that it is free from the distressing direction of the food chain by the roots, the meaning of this leaf disappears – it becomes soil again in the spring, which in turn feeds the roots, if it goes well. If it gets worse, a sheep comes with its own food chain problems, and we already know very well what happens to the leaf when it is digested.

Q7: 最近、BLOODYWOOD や THE HU が母国の伝統音楽をメタルに取り入れて大成功を収めました。あなたたちも含めて、このように自国のルーツや文化を取り入れたフォーク・メタルが再び脚光を浴び始めているのはなぜだと思いますか?

【LAURI】: メインストリームやポピュラー音楽における土着文化や民族音語の使用は絶え間なく続いている。私たちは主に、民族の音言葉と民族音楽が織り成す音楽の流れやジャンルの変化について語ることができる。しかし、THE HU や他の似たようなホットなバンドのおかげで、一般的に、21世紀の主流音楽は、文化や音楽の母国語の面目を失うことなく、大きなフェスティバルで多くの人々に音楽を演奏する機会として捉えられているのかもしれない。
もちろん、ここにも妥協はある。例えば、世界の伝統音楽の大部分はピアノやギターでは演奏できない。これらの楽器には西洋的な音符や音階がないからだ。同じ問題は、もちろんエストニアの民族音楽にもある。調弦やリズムが伝統的なアプローチを壊してしまうのだ。でも、私たちにはチャンスがあるのだから、どうすることもできない。これが、私がエストニアの民謡を伴奏楽器やアレンジなしで歌うことを好む理由でもある。
最も文字通りの意味でのフォーク・メタルが再び人気を得ているのは素晴らしいことだよ。ここでいうフォーク・メタルとは民族の音楽言語を使うフォーク・メタルで、民族楽器、民謡、母語を使う。中世的なロマンチックな衣装を身にまとい、ギター・リフの合間に映画音楽にインスパイアされたメロディーを奏でる “フォーク・メタル” もクールで良い音楽であることは間違いないが、あれはただのメタル・ミュージックだ。 自分の民族のルーツが何なのか、先祖の文化や音楽が何だったのかを知ることは重要だ。ルーツにはすごい力がある。しかし、秋が来て、木の葉が根による食物連鎖の苦しい方向から解放されたと感じるや否や、この葉の意味は消えてしまう。羊に消化されると葉がどうなるかは、すでによく知られている。

Q8: Since last year, Russia’s atrocious aggression against Ukraine has continued. Estonia and Japan, which are close to Russia, are no strangers to this. In such times, do you think your folk metal will be one of the factors to strengthen the hearts of people in your home country?

【LAURI】: I’m absolutely sure of that. It is sad that we live in such a world at the moment. But, of course, we have lived in it for centuries and managed, survived for the most part. The habit of war-loving dictators to drag their people into perpetual distress and misery is depressing. The contempt that the rest of the world reflects on the dictator is transferred to its people. 150 years ago we could not yet speak of nations, then the time of self-awareness of nations had just begun, we did not have a direct subconscious need to despise all the nation. Now this subconscious has started to work in full, what will happen to the people who call themselves Russians, no one knows. We do not want confrontation and opposition, but we have no other options. Undoubtedly, we as a nation always feel more secure when we have spokespeople, musicians and leaders who encourage their people to be reasonable and themselves, full-fledged descendants of their people.

Q8: 昨年から、ロシアによるウクライナに対する非道な侵略が続いています。
ロシアに近いエストニアや日本も他人事ではありませんが、そのような時代にあって、あなたたちのフォーク・メタルは、母国の人々の心を強くする光のひとつになると思いますか?

【LAURI】: それは間違いないよ。今、私たちがこうした世界に生きていることは悲しいことだ。しかし、もちろん、私たちは何世紀にもわたってその中で生きてきたし、ほとんどの部分はなんとか生き延びてきた。戦争を愛する独裁者たちが、国民を永遠の苦難と不幸に引きずり込む習性は憂鬱だ。世界の他の国々が独裁者に向ける軽蔑は、結局その国民に向けられる。
150年前、私たちはまだ国家というものを口にすることができなかった。当時はまだ、国家を自認する時代が始まったばかりで、人よりも国家を軽蔑するという直接的な潜在意識はなかった。今、この潜在意識は完全に機能し始めたが、ロシア人を自称する人々がこれからどうなるかは誰にもわからない。対立や反対は望まないが、他に選択肢はない。間違いなく、国民に道理をわきまえさせ、一人前の子孫であることを奨励するスポークスマン、音楽家、指導者がいれば、私たち国民は常に安心できるのだが。

FIVE ALBUMS THAT CHANGED LAURI’S LIFE!!

【LAURI】I’m not so sure if music can change a life. Rather, life changes, and with it you discover music for yourself, which remains into your memories, which you can later recall as milestones in your life, when everything changed, including your worldview, preferences, life. But there is nothing more to all of this than you have simply become older.
The deepest musical experiences are often not related to albums, but to direct performances. 1. As a child, I would skip guitar lessons and sneak out to the concert hall door to listen to the organ play. 2. Thanks to my friends, as a young boy I came across the concert of GGG, one of the first big heavy-metal bands in Estonia. 3. As a teenager, I ran away from home with the plan of never coming back and heard a piano player in Poland playing Frédéric Chopin’s Nocturne No. 20. 4. While on the American tour, I snuck out the back door of a New York club to calmly smoke my pipe and enjoy the aroma of good tobacco in the dim streets of the real Metropolis. There was an old black man, who asked me for a few pennies, said that he was not a beggar, but a wanderer, and that he had also sung songs himself. I heard something that folk song collectors probably heard 100+ years ago in old south of USA – a man sang work songs from old Alabama that he learned from his grandfather. 5. In the fall of 2023, while on a Japanese tour, I met a person who.. (hopefully I can complete this fifth experience when I return from your country)

【LAURI】音楽が人生を変えられるかどうかはわからない。むしろ、人生が変わることで、自分にとっての音楽が発見され、それが記憶に残り、世界観や嗜好、人生など、すべてが変わった人生の節目として後で思い出すことができる。しかし、これには単に年をとったという以上の意味はない。
最も深い音楽体験は、多くの場合、アルバムとは関係なく、直接的な演奏にある。1. 子供の頃、ギターのレッスンをサボってコンサートホールの入り口に忍び込み、オルガンの演奏を聴いていた。2. 幼い頃、友人のおかげで、エストニアで最初の大きなメタルバンドのひとつであるGGGのコンサートに出くわした。3.10代の頃、二度と戻らないつもりで家を飛び出した私は、ポーランドでピアノ奏者がフレデリック・ショパンのノクターン第20番を弾いているのを聴いた。4. アメリカツアー中、私はニューヨークのクラブの裏口からこっそり抜け出し、本場メトロポリスの薄暗い通りで落ち着いてパイプを吸い、良いタバコの香りを楽しんだ。そこに黒人の老人がいて、私に小銭を要求し、自分は乞食ではなく放浪者であり、自分も歌を歌ったことがあると言った。フォークソングコレクターがおそらく100年以上前にアメリカ南部で聞いたであろうことを聞いた。5. 2023年の秋、日本ツアー中に、私はある人物に出会った…(日本ツアーから帰った時、この体験が事実になることを願うよ)

MESSAGE FOR JAPAN

We are really looking forward to these Japanese concerts, as well as meeting the awesome people there. If You should meet us, after or before the concert, don’t be afraid to exchange a few words with us, we are ordinary Estonian people and nothing makes us happier than a good reception and direct contact with exciting people from Japan. I think that the first question for us when we are back in Estonia is how we felt then, what the people were like and what the listeners thought of Estonian music. Without a cool audience and nice conversations, it would be difficult to answer these questions.
Suur tänu ja ägedate kohtumisteni Jaapanis!

日本でのコンサートをとても楽しみにしているよ。私たちは普通のエストニア人で、日本のエキサイティングな人々と直接触れ合い、良い歓迎を受けることほど嬉しいことはないんだから。エストニアに戻ったとき、私たちにとって最初の疑問は、そのとき私たちがどう感じたか、人々はどうだったか、リスナーはエストニアの音楽をどう思ったかということだと思う。クールな観客と素敵な会話がなければ、こうした疑問に答えることは難しいだろうね
Suur tänu ja ägedate kohtumisteni Jaapanis!

来日公演の詳細はこちら。Evoken de Valhall Production

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【WELKIN : 武勇】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH HASTHUR OF WELKIN !!

“I Was Struck With Incredibly Profound Emotion. It Was Probably Then That I Was Fully Set On Dedicating This Album To The Three Kingdoms Period, And More Specifically, To The Brothers Of Liu Bei, Guan Yu, and Zhang Fei.”

DISC REVIEW “武勇”

「若いバンドにどんなアドバイスができるかと聞かれたら、俺はいつもこう言うんだ。音楽だけでなく、コンセプトが必要なんだとね。色々な面で注目を集める必要がある。SABATON や POWERWOLF のようにね。何か特別なことをしなければならない。音楽だけではそう簡単にはいかない時代なんだよ」
メタル世界の大御所 Udo Dirkschneider の言葉です。そしておそらくそれは、正鵠を得ています。無料でワンクリックで膨大な音楽が聴ける時代です。溢れかえる音の宇宙から見つけてもらうためには、素晴らしい音楽を作るだけではもうダメなのかもしれませんね。ただし、いかにコンセプトが優れていても、音楽が魅力的なものでなければ本末転倒。もしくは、例え音楽が素晴らしいものでも、コンセプトが陳腐なものであればやはり長続きはしないでしょう。シンガポールから登場した三国志のブラックメタル WELKIN は、明らかにその両者を抱擁した2023年の完璧なメタル・モデルケースでしょう。
「関羽の忠義に僕は信じられないほど深い感動に襲われ、ふとしたひらめきで、タイトル曲の最後のリフ(9分18秒の “Emblems of Valour”)が僕の前に姿を現したんだ。このアルバムを三国時代、特に劉備、関羽、張飛の兄弟に捧げようと完全に心に決めたのは、おそらくその時だったな」
中国名で “皇天” の名を抱く WELKIN の首謀者 Hasthur は、1800年も昔の中国の物語に、今ではは失われてしまった人と人の絆を見出します。デジタルの世界では、ただボタンを押すだけで手元に品々が届けられ、ワンクリックで誰かとつながることも可能です。しかし、Hasthur はその “絆” に疑問を感じています。テクノロジーの盲信的な進化によって、人は他者や自然を軽んじる、私利私欲のためにそこからただ搾取するのみの存在となってしまった。本来の “絆” とは、物質的な利害を超えた “自由” な関係ではないか?劉備も関羽も張飛も、決して利害で動いていたわけではありません。彼らはただ、”自由” に互いに惚れあって、”自由” に己を捧げあっていたのです。
「”除邪” のアートワークは清朝時代の絵画集 “謹遵聖諭辟邪全圖”(悪を祓う勅令に従え)なんだ。この場合の “悪” とはキリスト教のこと。この解放の本質は、自己克服と奴隷道徳の完全否定だ」
そうして Hasthur が三国志の絆を描くためにブラックメタルを選んだのには、確固たる理由がありました。中国に出自を持つシンガポール人の Hasthur は、清朝時代に “侵略者” であった西欧列強とキリスト教を “悪” と捉え、”奴隷化” されたアジアの人々が西洋の物質文化やキリスト教から解放されることを、ブラックメタルという “西洋” の入れ物で願ったのです。皮肉にも、キリスト教を “敵” と捉える点で、二者のベクトルは同じ方向を向いていました。そう考えると、”ブラックメタルと悪魔崇拝の結びつきは、本質的なものというよりはむしろ美的なものである” という Hasthur の言葉には、真実味が増してきます。逆に言えば、Hasthur が “イカれた共産主義” と嫌悪する現中国政府も、彼にとってはキリスト教と同様のものなのかもしれませんね。
「ジャンルの枠にとらわれない要素を意識的に取り入れる場合、”これは適切なのか?それとも、ただエキゾチックに聞こえるからXを加えたいだけなのか?” と自問しなければならない。民族楽器や民族メロディ、あるいは確立された文化に関連するものの場合、この問いに対する答えが、真にユニークな作曲と、還元主義的なオリエンタリズム/オクシデンタリズム/自分自身をバカにすることとの分かれ目となる」
もちろん、Hasthur のブラックメタルにあるオリエンタリズムは決して陳腐なものではありません。むしろ、そこにあるべくしてあったもの。WELKIN が目指す独自の道筋。その音楽はタイトなプロダクションをベースにさらに成熟し、ロマンティックに”武勇” と共に挑戦し、雄叫びをあげながら真の東洋ブラックメタルの壮大さで遠い過去の戦場の炎と栄光を呼び起こしていきます。音に刻まれし悠久。歴史から、ブラックメタルから、我々は何を学べるでしょうか?
今回弊誌では、Hasthur にインタビューを行うことができました。「偉大なる三島由紀夫 (注: 三島もニヒリズムに傾倒した作家) の言葉を借りよう。”自分を超越した価値を見出すことができなければ、精神的な意味での人生そのものが無意味になってしまう”」 インペリアル・ブラックメタルの飛翔。どうぞ!!

WELKIN “武勇” : 10/10

INTERVIEW WITH HASTUR

Q1: Singapore has the image of being a very modern, rich, and beautiful country. I have interviewed WORMROT before, but what is the state of the metal scene in your country right now?

【HASTHUR】: Perhaps I am not the best person to answer this question because I have mostly kept to myself these past few years, especially during the pandemic, and intend to persist in this seclusion for the foreseeable future. But from what I know, I feel the current metal scene in Singapore is in an awkward position where most of the notable bands of the 90s and early 2000s (Beheaded Nasrani, Impiety, Abhorer, Infernal Execrator, Nechbeyth, As Sahar, Draconis Infernum, etc.) have either (a), split up; (b), are not active locally (as in the case of Draconis Infernum); or are (c), have not been active (recording new music or playing shows) for many years; and as for the bands that have come after them – I will only say, refraining from explicitly naming any one in particular, that most do not tend to stay around for very long. The gig situation is not much better. A lot of live venues that were around when I first entered the scene have since closed down due to economic reasons or worse, senseless scene politics and drama; this, in addition to the recent rut of inflation that Singapore has found itself in, has lead to the cost of organising live shows rising tremendously, especially when it comes to renting out spaces.
All this is not to imply, however, that the scene is “dying” in any sense of the word. On the contrary, in spite of these conditions, there have been a number of killer bands that have formed in the past few years, most notable of which would have to be metal-adjacent HM-2 Death/Punk act, Doldrey (I was fortunate enough to catch them opening for Japanese Death/Doom maniacs Anatomia in June!). As long as such bands continue to churn out great releases, and carry on the spirit of underground music, there is nothing to worry about. The core of any metal scene will always be, first and foremost, the music it produces.

Q1: シンガポールはとても現代的で富があり、美しい国というイメージがあります。メタルシーンはどういった状況なんですか?

【HASTHUR】: その質問に答えるのに僕はおそらく適任ではないだろうね。というのも、僕はここ数年、特にパンデミックの間はほとんど自分の中に閉じこもっていたし、当分の間はこの閉じこもりを続けるつもりだから。 しかし、僕の知る限り、シンガポールの現在のメタル・シーンは、90年代から2000年代初頭にかけての著名なバンド(Beheaded Nasrani、Impiety、Abhorer、Infernal Execrator、Nechbeyth、As Sahar、Draconis Infernum など)のほとんどが、(a)解散してしまった、(b)地元で活動していない(Draconis Infernumの場合)、(c)活動(新曲のレコーディングやライヴ)をしていない、という厄介な状況にあると感じている。
その後のバンドについては、特に名前を挙げることは控えるけど、ほとんどのバンドはあまり長く活動しない傾向にあるね。ギグの状況はあまり良くない。僕が初めてこのシーンに足を踏み入れた頃にはあったライブハウスの多くが、経済的な理由や、もっと悪いことに無意味なシーンの政治やドラマのために閉鎖されてしまった。これに加えて、最近のシンガポールはインフレの轍を踏んでいて、ライブをオーガナイズするためのコスト、特にスペースを借りるとなると途方もなく上昇しているんだよ。
とはいえ、このような状況だからといって、シーンが “死にかけ” になっているというわけでは決してない。それどころか、このような状況にもかかわらず、ここ数年で結成されたキラー・バンドは数多く、中でもメタルに隣接する HM-2のデス/パンク・アクト、Doldrey(僕は幸運にも、6月に彼らが日本のデス/ドゥーム・マニア、Anatomia のオープニングを務めたのを観ることができた!)は特筆すべき存在だ。このようなバンドが素晴らしい作品を作り続け、アンダーグラウンド・ミュージックの精神を継承している限り、何も心配することはない。どんなメタル・シーンでも、その核となるのは常に、何よりもまずそのシーンが生み出す音楽なのだから。

Q2: You play black metal that deals with Chinese history and culture, do your roots lie in China?

【HASTHUR】: Indeed. Like most Singaporeans from a Chinese background, I was born in Singapore, but I am, in blood and spirit, Han Chinese (漢). My ancestors originated from China, and it was only during the turbulence of the early 20th century that some of them decided to set sail for the southern seas. It just so happens that one of them ended up in Singapore!

Q2: あなたは中国の歴史や文化をテーマとしたブラックメタルを創造していますが、ルーツは中国にあるのでしょうか?

【HASTHUR】: その通りだよ。中国系シンガポール人の多くがそうであるように、僕もシンガポールで生まれたけど、血も心も漢民族だ。僕の祖先は中国出身で、20世紀初頭の激動の時代に、何人かが南の海へ船出することを決めたんだ。偶然にも、そのうちの1人、僕の祖先がシンガポールにたどり着いたんだよ!

Q3: Singapore is almost a dictatorship, and I hear that many young people are politically dissatisfied. Perhaps that could be the same for China. Is there any suppression of metal and hardcore music?

【HASTHUR】: I agree with your characterisation of Singapore as “almost a dictatorship,” and indeed there are many youths that are dissatisfied with the current political climate. In particular, there has been a series of scandals involving high-ranking officials from the ruling People’s Action Party (PAP) that has stirred up debate amongst citizens about the current state of the Singaporean government. However, I think many fail to realise how much better we have it compared to a lot of other countries. Yes, there is no denying that Singapore has been ruled by the PAP since its inception, but the party has done a good job in managing the country. And unlike what ignorant westerners would like people to believe, Singaporeans do not live in a dystopian police-state where a thought-crime will land someone in a re-education camp. Yes, I must admit that some freedoms are limited here, such as freedom of the press; but for the vast majority of people, the government does not impinge upon personal freedom: on the level of the individual, I do not believe Singaporeans are any less free when compared to your average Japanese citizen. If I had to describe Singaporean politics and/or the government in a single word, it would be “inoffensive,” “dull,” or something along those lines. This is where my “praise” of the government must end, though.
To answer your question of whether there is any suppression of metal and hardcore music. The short answer is “no,” and the slightly longer answer would be “not directly.” There exists a government body in Singapore known as the Infocomm Media Development Authority (IMDA). Whenever someone wants to organise a live show or bring over an overseas band, information such as identity of band members, song lyrics and titles, and sometimes stage setup must be provided to the IMDA. Whether the show can be held is subject to their approval. This, of course, is to ensure that the contents of such performances do not tread on sensitive topics, especially when it comes to race and religion. This is understandable given that Singapore is a multicultural nation. The government’s top priority is maintaining social cohesion and harmony, so I think you can imagine the trouble it takes to bring extreme metal bands here. Despite this, shows still happen even for bands with “problematic” lyrical themes such as Blood Chalice who came in 2019, and Archgoat in 2018. The IMDA’s go-to method for “dealing” with such shows is usually to enforce an 18+ rating. Unfortunately, there are exceptions to this, like with Watain in 2019: a few hours before they were to perform, the IMDA suddenly retracted their permit for the show and demanded the immediate cancellation of the gig. To this day, the reasons behind this sudden change are not entirely clear, but I would wager that the sudden outrage from incensed christians on social media had something to do with it.
For individual bands and musicians in Singapore, there is practically no censorship. We are free to put out whatever music we like, and this is, in my opinion, a very good thing. The same cannot be said for mainland China. I can hardly imagine having to operate under the perverted boot of communism. I have tried to get Welkin’s music on Chinese platforms to allow fans from China to listen without a VPN, but was unable to get past censorship. In the end, I had to rely on friends over there to help me upload my music.

Q3: シンガポールはほとんど独裁国家で、多くの若者が政治的不満を持っていると聞きます。それは中国も同じかもしれませんね。メタルやハードコアに対する弾圧はありますか?

【HASTHUR】: シンガポールを “ほとんど独裁国家” と評する君の意見には賛成だ。実際、現在の政治情勢に不満を抱いている若者は多い。特に、与党・人民行動党(PAP)の高官のスキャンダルが相次ぎ、シンガポール政府の現状について市民の間で議論が多く巻き起こっている。
ただ、多くの人は、他の多くの国々と比べて、シンガポールがどれほど恵まれているかを理解していないように思う。確かに、シンガポールは建国以来 PAP に統治されてきたけど、PAP は国をうまく運営してきた。そして、無知な西洋人が人々に信じさせようとしている話とは異なり、シンガポール人は思想犯罪を犯せば再教育キャンプに入れられるようなディストピア警察国家には住んでいないんだ。たしかに、報道の自由など、いくつかの自由が制限されていることは認めなければならないが、大多数の人々にとって、政府が個人の自由を侵害することはない。シンガポールの政治や政府を一言で表すとすれば、”無関心”、”退屈”、そんなところだろう。とはいえ、政府を “褒める” のはここまでにしておこう。
メタルやハードコア音楽に対する弾圧はあるのか、という質問に答えよう。短い答えは “ノー “で、少し長い答えは “直接的にはない” だ。シンガポールには、IMDA(Infocomm Media Development Authority)という政府機関がある。誰かがライブを企画したり、海外のバンドを招聘したい場合、バンドメンバーの身元、曲の歌詞やタイトル、場合によってはステージ設営などの情報を IMDA に提供しなければならない。ライブを開催できるかどうかは、IMDA の承認が必要だ。これはもちろん、こうした公演の内容が、特に人種や宗教に関するデリケートな話題に踏み込まないようにするためだ。シンガポールは多文化国家。政府の最優先事項は社会の結束と調和を維持することだから、ここにエクストリーム・メタル・バンドを呼ぶのに手間がかかるのは想像がつくと思う。にもかかわらず、2019年にここに来た Blood Chalice や2018年の Archgoat のような “問題のある “歌詞のテーマを持つバンドでも、ショーはまだ行われている。
そのようなショーに “対処” するための IMDA の常套手段は、通常18歳以上のレーティングを強制することだ。
残念ながら、2019年の WATAIN のように例外もある。彼らが出演する数時間前、IMDA は突然ショーの許可を撤回し、ライブの即時キャンセルを要求した。今日に至るまで、この突然の変更の背景となった理由は完全には明らかになっていないけど、ソーシャルメディア上で激昂したキリスト教徒からの突然の怒りが関係しているのではないかと僕は推測している。
シンガポールの個々のバンドやミュージシャンには、実質的に検閲はない。僕たちは好きな音楽を自由に発表できるし、これはとても良いことだと僕は思う。中国本土では同じことはできないからね。共産主義のイカれた靴の下で活動しなければならないなんて、とても想像できないよ。僕は、中国のファンがVPNなしで聴けるように、中国のプラットフォームで WELKIN の音楽を配信しようとしたんだけど、検閲を通過することができなかった。結局、向こうの友人に音楽のアップロードを手伝ってもらうしかなかったんだ。

Q4: The Three Kingdoms is very popular in Japan, and I have loved the story since I was a child, through books, games, and manga. That’s why I am very happy to see a band that deals with the Three Kingdoms in the metal genre, which I also love. Why did you decide to play Black Metal music with the “Three Kingdoms” story?

【HASTHUR】: Before the release of the debut album Recollections of Conquest and Honour, after mixing and mastering were completed (sometime around late 2019 and early 2020), I had already been determined to take Welkin in the direction you see today: that is, in short – a Heroic form of Black Metal, committed to honouring the illustrious history, culture, and traditions of my ancestors. I began working on the album just as I entered high school. During this time was when I also decided on the Chinese name for Welkin, 皇天. Back then, I had only an idea of the spirit I wanted to capture, and still had yet to settle on a concept for the record. It was only until I read this section from chapter 76 of The Romance of The Three Kingdoms itself that some semblance of what was to become 武勇 / Emblems of Valour came to me:
關公正色而言曰:「吾乃解良一武夫,蒙吾主以手足相待,安肯背義投敵國乎?城若破,有死而已。玉可碎而不可改其白,竹可焚而不可毀其節。身雖殞,名可垂於竹帛也。汝勿多言,速請出城。吾欲與孫權決一死戰!」
In English:
Lord Guan [referring to Guan Yu] spoke, his expression stern, “I am but a simple warrior from Jielang, yet my lord and I are sworn to brotherhood. How could I betray him and give myself up to an enemy country? If the city falls, then I shall merely die. Jade may shatter, but its whiteness remains; bamboo may burn, but its joints endure. My body may perish, but my name shall go down in the annals of history. Speak no excess of words, and leave the city, I beseech you. Against Sun Quan, I am resolved to fight to the death!”
I was struck with incredibly profound emotion, and in a flash of inspiration, the final riff from the title track (Emblems of Valour at 9:18) revealed itself to me. It was probably then that I was fully set on dedicating this album to the Three Kingdoms period, and more specifically, to the brothers of Liu Bei, Guan Yu, and Zhang Fei.

Q4: 今回のテーマである三国志は、日本でもとても人気があって、私も子供のころから大好きな物語なんですよ。なぜ、ブラックメタルで三国志を表現しようと思ったのですか?

【HASTHUR】: デビュー・アルバム “Recollections of Conquest and Honour” のリリース前、ミキシングとマスタリングが完了した後(2019年後半から2020年前半頃)、僕はすでに WELKIN を今日のような方向に持っていこうと決心していたんだ。このアルバムの制作を始めたのは、ちょうど高校に入学した頃だった。WELKIN の中国語名 “皇天” もこの頃に決めた。でもその頃はまだ、自分が表現したい精神のイメージしかなく、アルバムのコンセプトも定まっていなかった。三国志の第76章にあるこの部分を読んで初めて、武勇伝のようなものが浮かんできたんだ。
關公正色而言曰:「吾乃解良一武夫,蒙吾主以手足相待,安肯背義投敵國乎?城若破,有死而已玉可碎而不可改其白,竹可灼不可毀其節,身雖殞,名可垂於竹帛也」
訳すと
(樊城の戦いにおいて) 関公[関羽のこと]は厳しい表情で語った。「私は潔良の一介の武士に過ぎませんが、主君と私は兄弟愛を誓っています。どうして彼を裏切り、敵国に身を委ねることなどできようか。都が陥落すれば、私はただ死ぬだけだ。玉は砕けてもその白さは残り、竹は燃えてもその節は耐える。私の肉体は滅びても、私の名は歴史に残るだろう。余計なことは言わず、この街を去りなさい。孫権と、私は死ぬまで戦うことを決意している!」
僕は信じられないほど深い感動に襲われ、ふとしたひらめきで、タイトル曲の最後のリフ(9分18秒の “Emblems of Valour”)が僕の前に姿を現したんだ。このアルバムを三国時代、特に劉備、関羽、張飛の兄弟に捧げようと完全に心に決めたのは、おそらくその時だったな。

Q5: I was surprised when I heard “武勇” that your black metal fits so well with the Three Kingdoms! To begin with, black metal is a music that originated in Europe with devil worship, so how does it fit so well with Chinese culture, music, and stories?

【HASTHUR】: Some maintain that only “Satanic” Black Metal is “TRVE” Black Metal – I am of the opinion that such people are missing the bigger picture. First we should ask why Satanism and devil worship, in their authentic forms, seem so drawn to the genre. Put simply, it is because Black Metal, driven by an extreme devotion to its ideals, has always sought to go beyond the realm of music, and we can see this very spirit animating many of those first bands that sprung up in the early 90s. Most of them chose to embrace Satanism in radical opposition to Christianity, thus setting a precedent which many bands today still follow, and forever tethering the image of Black Metal to the devil. However, this is but a superficiality – one we must look past if we wish to inquire deeper into the nature of Black Metal. The emergence of Black Metal can only be described as highly anomalistic considering the age we find ourselves living in, and I believe signals, if we are to use the language of Nietzsche, a possible return of the Dionysian to music, as evidenced by that longing to transcend music I mentioned earlier, and Black Metal’s more mystical aspects: its profound ability to completely, and violently, hurl the listener into a flurry of Apolline images before they are utterly shattered, in a single instance, to give way to an enstrengthening of the soul – I cannot find more appropriate a description of how it feels listening to bands like Macabre Omen, Windir, and Bathory. When understood in these terms, the link between Black Metal and Satanism is revealed to be aesthetic rather than essential. Verily, culture and myth offer another way to achieve that same overwhelming exultation, one better suited to what I wish to bring forth with Welkin; and I hope I have been able to accomplish that authentically with 武勇 / Emblems of Valour.

Q5: “武勇” を聴いて、これほどブラックメタルと三国志がフィットするのかと驚きましたよ!ブラックメタルはそもそも、西洋の悪魔崇拝が起源の一つですからね。

【HASTHUR】: 悪魔崇拝のブラック・メタルだけが “TRVE” ブラック・メタルだと主張する人もいるが、僕はそのような人たちは全体像を見逃していると考えている。まず、なぜ悪魔主義や悪魔崇拝が、その真の形において、このジャンルにこれほどまでに惹きつけられるのかを問うべきだ。それは端的に言えば、ブラック・メタルがその理想への極端な献身に突き動かされ、常に音楽の領域を超えようとしてきたからであり、この精神が90年代初頭に誕生した多くのバンドを動かしてきたんだ。
彼らのほとんどは、キリスト教と根本的に対立する悪魔主義を受け入れ、今日でも多くのバンドが従う前例を作り、ブラック・メタルのイメージを永遠に悪魔に結びつけることを選んだ。しかし、これは表面的なものに過ぎず、ブラック・メタルの本質をより深く探究したいのであれば、過去に目を向けなければならない。
ブラック・メタルの出現は、僕たちが生きている時代を考えると、非常に変則的としか言いようがない。ニーチェの言葉を使うなら、音楽へのディオニュソスの回帰の可能性を示唆していると僕は信じているんだ。その深遠な能力とは、聴く者を完全に、そして暴力的に、アポリーヌ的なイメージの奔流の中に放り込み、それが完全に砕け散る前に、一挙に、魂の強化に道を譲るというものだ。
Macabre Omen, Windir, Bathory のようなバンドを聴いて感じることについて、これ以上適切な表現は見当たらない。このような観点から理解すると、ブラックメタルと悪魔崇拝の結びつきは、本質的なものというよりはむしろ美的なものであることが明らかになる。そして確かに、中国の文化と神話は、僕が WELKIN でもたらしたいものにより適した、同じような圧倒的な歓喜を達成する別の方法を提供してくれる。

Q6: I see that the album is dedicated to the 劉關張三兄. I too love the Peach Garden Oath 桃園誓scene, Few people today have that much courage and loyalty, don’t they? As the world becomes more convenient and better, are we losing what is important to us?

【HASTHUR】: We live in a time where I can participate in this interview despite us being separated by thousands of kilometres; where with a plane ticket, the whole globe is practically accessible; and where commodities are mass-produced and shipped to us at the press of a button. People don’t even have to leave their homes to socialise anymore, let alone form meaningful bonds: now, there’s always the choice of entering a parasocial relationship with your favourite idol/streamer/etc, which is absurd when you really think about it! We are well and truly in the era of convenience, and the driving force behind this convenience is – Technology – or rather, the technological worldview: modern man conceives of the world as being wholly external to himself, as something that challenges him, and thus, something to be conquered, something to impose his will upon; and insofar as he is blinded by this artificial provocation, nature is to him merely a store of resources to be exploited, raped, and pillaged in the name “progress,” and nothing more. Man is alienated from himself, violently severed from the past, and enthralled by an illusory future; Being is reduced to a great nothingness, to nil; and the supreme poetry of existence is cut off, left unheard and forgotten. In such a world, whither are higher ideals to be found? And, indeed, how could they be found when modern man’s highest greatest preoccupation is preserving his hollow comfort?
At the bottom of modernity lies a gaping nihilism, and we are caged within it by technology. Let this not, however, be a call to forego technological advancement, or to embrace crude primitivism. Man must instead, to quote Martin Heidegger, gain a “free relationship to [technology].” Only then shall there be any possibility of the return of a mode of Being that gazes beyond just the material. In the words of the great Mishima Yukio:
[If] one cannot find a value that transcends oneself, life itself, in a spiritual sense, is rendered meaningless.

Q6: “武勇” は劉備、関羽、超飛の三兄弟に捧げられた作品だそうですね?桃園の誓いが私も大好きなのですが、今、あれほどの誠実さや勇気を持つ人はほとんどいないでしょう。世界は当時に比べて飛躍的に便利になりましたが、失ったものも少なくないのでしょうか?

【HASTHUR】: 僕たちは、何千キロも離れているにもかかわらず、このインタビューに参加することができる時代に生きている。飛行機のチケットがあれば、世界中に実質的にアクセスすることができ、日用品は大量生産され、ボタンを押すだけで僕たちの手元に届く。人々は、有意義な絆を結ぶどころか、社交のために家を出る必要さえなくなっているんだよ。今は、お気に入りのアイドルやストリーマーなどとパラソーシャルな関係になる選択肢が常にある!
この便利さの原動力は、テクノロジー、いや、テクノロジーの世界観だろう。現代人は、世界を自分にとって完全に外的なもの、自分に挑戦するもの、したがって征服すべきもの、自分の意志を押し付けるものとして考えている。この人為的な挑発に目を奪われている限り、人にとって自然とは、”進歩” の名の下に搾取、強姦、略奪されるべき資源の貯蔵庫に過ぎず、それ以上のものではない。
人間は自分自身から疎外され、過去から暴力的に切り離され、幻想の未来に心を奪われる。存在とは、大いなる無、ゼロへと還元され、存在の至高の詩は断ち切られ、聞こえないまま、忘れ去られる。そのような世界で、より崇高な理想がどこにあるのか。そして実際、現代人の最大の関心事が空虚な安らぎを守ることであるときに、どうしてそれが見出されようか?
近代の底には隙間だらけのニヒリズムがあり、僕たちはテクノロジーによってその中に閉じ込められている。しかし、これは技術の進歩を見送れとか、粗野な原始主義を受け入れろということではない。その代わりに、マルティン・ハイデガーの言葉を借りれば、人間は”(テクノロジーとの)自由な関係” を獲得しなければならない。そうして初めて、物質的なものを超えたところに目を向ける存在様式が戻ってくる可能性があるんだよ。偉大なる三島由紀夫 (注: 三島もニヒリズムに傾倒した作家) の言葉を借りよう:
[自分を超越した価値を見出すことができなければ、精神的な意味での人生そのものが無意味になってしまう]

Q7: By the way, I like 張任 and 姜維, except for the three brothers, but which general is special to you? And Why?

【HASTHUR】: This is a hard question. There are just too many interesting characters from the Three Kingdoms period! But if I had to choose, it’d definitely be Xiahou Dun (夏侯惇). There is this famous scene in the novel from chapter 18:
卻說夏侯惇引軍前進,正與高順軍相遇,便挺槍出馬搦戰。高順迎敵。兩馬相交,戰有四五十合,高順抵敵不住,敗下陣來。惇縱馬追趕,順遶陣而走。惇不捨,亦遶陣追之。陣上曹性看見,暗地拈弓搭箭,覷得真切,一箭射去,正中夏侯惇左目,惇大叫一聲,急用手拔箭,不想連眼珠拔出;乃大呼曰:「父精母血,不可棄也!」遂納於口內啖之,仍復挺槍縱馬,直取曹性。性不及提防,早被一槍搠透面門,死於馬下。兩邊軍士見者,無不駭然
In English:
The armies led by Xiahou Dun advanced under his command, meeting first with Gao Shun’s troops, upon which Xiahou Dun rode out, spear readied, to offer a challenge. Gao Shun accepted, and on horseback, the two generals exchanged forty to fifty blows, but Gao Shun could not match his foe and was forced to retreat. Xiahou Dun gave chase, and not one to falter, followed his adversary deep into enemy lines. It was then that Cao Xing, still unnoticed, nocked an arrow, and drew his bowstring, firing when he saw his target was near enough. The arrow flew and struck Xiahou Dun squarely in his left eye. He shrieked and hurriedly pulled out the arrow, not expecting that his eye would come out with it. “Essence of my father, blood of my mother – this I cannot relinquish!” he cried, proceeding to put the eye in his mouth, and swallowed it whole. Then, Xiahou Dun once more readied his spear, and rode towards Cao Xing. The latter, unable to guard against this in time, was speared through the face, and died by his horse. Soldiers from both sides were left dumbstruck at the sight.
Simply incredible.

Q7: 私は桃園の三兄弟を除けば、張任と姜維が好きなのですが、あなたはどの武将の生き様を愛していますか?

【HASTHUR】: これは難しい質問だ。三国時代には興味深い人物が多すぎる!でも、僕が選ぶとしたら、間違いなく夏侯惇だね。小説の18章にこんな有名なシーンがある。
卻說夏侯惇引軍前進,正與高順軍相遇,便挺槍出馬搦戰。高順迎敵。兩馬相交,戰有四五十合,高順抵敵不住,敗下陣來。惇縱馬追趕,順遶陣而走。惇不捨,亦遶陣追之。陣上曹性看見,暗地拈弓搭箭,覷得真切,一箭射去,正中夏侯惇左目,惇大叫一聲,急用手拔箭,不想連眼珠拔出;乃大呼曰:「父精母血,不可棄也!」遂納於口內啖之,仍復挺槍縱馬,直取曹性。性不及提防,早被一槍搠透面門,死於馬下。兩邊軍士見者,無不駭然
訳すと
[(呂布との戦いで) 夏侯敦が率いる軍勢は彼の指揮のもと進軍し、最初に高順の軍勢と出会った。高順はこれを受け、馬上で両将は40~50の打撃を戦わせたが、高順は及ばず退却を余儀なくされた。夏侯惇は追撃し、怯むことなく敵陣の奥深くまで敵の後を追った。その時、呂布軍の曹性はまだ気づかれていなかったので、矢をつがえ、弓の弦を引き、標的が近くにいるのを確認すると、矢を放った。矢は飛んできて夏侯敦の左目に命中した。夏侯惇は悲鳴を上げ、急いで矢を引き抜いた。”父の精髄、母の血、これを手放すわけにはいかない!” 彼は叫び、眼球を口に入れ、丸呑みにした。そして、夏侯惇は再び槍を構え、曹性に向かって馬を走らせた。曹性は間一髪のところでこれを防ぐことができず、顔面を槍で貫かれ、馬に轢かれて死んだ。両軍の兵士はその光景に唖然とした。]
単純に、信じられないよね!

Q8: What is the story or time period you are trying to depict in “除邪”?

【HASTHUR】: There isn’t really any story depicted in the “除邪 / Will to Purification” compilation. However, the cover art is from a collection of paintings from the Qing Dynasty known as the 《謹遵聖諭辟邪全圖》 (Obey the Imperial Edict to Expel Evil). The “evil” in this case refers to Christianity. The essence of this release is self-overcoming and total rejection of slave morality.

Q8: 前作の “除邪” でも歴史的なテーマを扱っていたのでしょうか?

【HASTHUR】: ““除邪 / Will to Purification” はコンピレーションのようなもので、描かれているストーリーは特にないよ。だけど、アートワークは清朝時代の絵画集 “謹遵聖諭辟邪全圖”(悪を祓う勅令に従え)なんだ。この場合の “悪” とはキリスト教のこと。この解放の本質は、自己克服と奴隷道徳の完全否定だ。

Q9: Recently, metal has drawn inspiration from a variety of sources, including old Memphis music, classical music, folk music, and even Japanese video game music. Do you welcome such diversification and expansion of metal, especially black metal?

【HASTHUR】: I don’t think it’s inherently bad. Consuming a wide variety of music is how each musician shapes their sense of melody, harmony, rhythm and musical structure, and through this process, develops their own unique sound. But when consciously choosing to incorporate certain elements that lie outside the scope of a genre into a piece of music, one must ask themselves, “Is this appropriate? Or do I just want to add X because it sounds exotic?” In the case of folk instruments and folk melodies, or anything associated with a well-established culture for that matter, the answer to this question is what separates a truly unique composition from reductionist orientalism/occidentalism/making a fool of oneself.
Outside of metal, I’m influenced by a lot of classical music (the works of Richard Wagner in particular), JRPG soundtracks, film scores and, of course, Chinese folk songs and neofolk.

Q9: 最近のメタルは、古いメンフィス音楽、クラシック音楽、民族音楽、さらには日本のゲーム音楽など、さまざまなソースからインスピレーションを得ています。メタル、特にブラックメタルがこのように多様化し、拡大することをあなたは歓迎しますか?

【HASTHUR】: 本質的に悪いことだとは思わない。多種多様な音楽を聴くことで、ミュージシャンはメロディー、ハーモニー、リズム、音楽構造の感覚を形成し、その過程で独自のサウンドを作り上げていくからね。しかし、ジャンルの枠にとらわれない要素を意識的に取り入れる場合、”これは適切なのか?それとも、ただエキゾチックに聞こえるからXを加えたいだけなのか?” と自問しなければならない。民族楽器や民族メロディ、あるいは確立された文化に関連するものの場合、この問いに対する答えが、真にユニークな作曲と、還元主義的なオリエンタリズム/オクシデンタリズム/自分自身をバカにすることとの分かれ目となる。
メタル以外では、僕は多くのクラシック音楽(特にリヒャルト・ワーグナーの作品)、JRPGのサウンドトラック、映画音楽、そしてもちろん中国の民謡やネオフォークに影響を受けているよ。

FIVE ALBUMS THAT CHANGED HASTHUR’S LIFE!!

Metallica “Master of Puppets”

Emperor “Into the Nightside Eclipse”

Satanic Warmaster “Strength & Honour”

Holyarrow “衷赤 / Oath of Allegiance”

Vothana “Biệt động quân / Commando”

MESSAGE FOR JAPAN

I am eternally grateful to all the Japanese fans that have supported Welkin through the years. Even from the days of the debut album Recollections of Conquest and Honour, I know I received no shortage of orders from Japan! For this, I thank each and every one of you from the bottom of my heart.

長年にわたって WELKIN を応援してくれた日本のファンのみんなには、感謝の気持ちでいっぱいだよ。デビュー・アルバム “Recollections of Conquest and Honour(征服と名誉の回想)”の頃から、日本からの注文には事欠かなかった!その一人一人に心から感謝しているよ。

WELKIN

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【SHEPHERDS REIGN : ALA MAI】


COVER STORY :SHEPHERDS REIGN “ALA MAI”

“We Were Drawing Energy From The Ground, But For The Band, It Will Be Drawing Energy From Our Ancestors, Which Is One Of The Main Ideas That We’re Trying To Portray In Our Song.”

ALA MAI

ハカとはサモアのラグビー・チームがピッチで他の選手たちを圧倒する前によく耳にする、ポリネシアの男たちが叫び踏み鳴らす音魂です。SHEPHERDS REIGN はその自らのルーツがあまりにヘヴィ・メタルであることを、誰よりも感じていました。2019年12月に彼らはそのミッションを遂行し、ハカとメタルの共演はすぐに大きな波を起こしました。太平洋の怪物のようなシングル “Le Manu” は現在、YouTube で300万回以上の再生回数を誇り、Spotify でもほぼ同数のストリーミングを記録しています。母国ニュージーランド以外ではあまり注目されていなかったバンドが、ほぼ一瞬にしてブレイクを果たしたのです。
そう、90年代、絶滅が近いとも思われたヘヴィ・メタルはしかし21世紀に入り、そのメタルの生命力、感染力、包容力が世界を圧倒し、拡大し、包み込んでいます。
様々なジャンルを飲み込み、あらゆる場所に進出し、どんな制約をも設けない。一見攻撃的でダークなヘヴィ・メタルに宿る優しさや寛容さが世界中、あらゆる場所のあらゆる人にとっての希望の光となっている。メタルには崇めるべき神も、虐げられる主人も、壁となる国境も存在しない。年齢や人種、宗教や信条を問わずすべての人々と分かち合える。そんな現代の理想郷をメタルは育んでいると、きっと多くの人が感じているはずです。
しかしそれでも、メタルの闇や極寒、狂気とは真逆のサモアという南国の楽園で、高い感染力を秘めた鋭きメタルの刃が研がれているとは多くの人にとって想像もつかなかったでしょう。

最新作 “Ala Mai” には、間違いなく以前よりも成長を果たした彼らの姿が刻まれています。このアルバムには、SHEPHERDS REIGN のオンライン・ヒットが収録されているだけでなく、グルーヴ・メタルで彼らの文化や私生活をより深く掘り下げているのですから。
先祖代々鉄壁のサモアのプライドで結ばれた SHEPHERDS REIGN は、不屈の精神、家族、そしてサバイバルへの賛歌を歌っています。 ”Ala Mai” は、キャッチーなコーラス、GOJIRA のヘヴィネス、90年代のグルーヴ・メタル、そして SEPULTURA のルーツ・メタルが融合した力強い作品です。
純粋に、アーティストにとって最も重要なことは、明確なアイデンティティを持つことでしょう。ポリネシア出身の5人組は何よりも、自分たちの文化遺産を大切にしていて、その土着の音楽性、言語、美学が世界中から脚光を浴びています。グルーヴィーなマオリ・メタルといえば ALIEN WEAPONRY が先行してこのスタイルの鉱脈を突いてきましたが、彼ら以上に “Ala Mai” の怒りは全開で、同時に楽観的な二面性も表現されています。さらに彼らのトライバル・メタルは進化を遂げ、”Cold Summers Night” のようなラジオ・ロック・アンセムや、”Finally” のようなメロディック・メタルコアへのアプローチを含んだアルバムは多様性に満ちています。つまり、彼らの爆発は紛れもなく必然だと言えるのです。

重要なのは、SHEPHERDS REIGN のメタルには、ポリネシアの文化遺産だけではなく、クラシックやポップスからの影響も含まれている点です。
「より多くの要素を取り入れることができれば、より良いものができる。リード・シンガーのFiliva’a James は、Backstreet Boys の感覚を取り入れるのが好きなんだ」
とギタリストの Oliver Leupolu は笑います。
実際、SHEPHERDS REIGN は Filiva’a と Oliver の “クラシカル” な組み合わせから始まりました。
「僕と Oliver は、実は一緒に教えていたんだ。僕たちは学校でピアノの家庭教師をしていて、そこでなんとなく親しくなって、一緒にバンドを作ろうと話し始めたんだ。僕とオリバーは在学中に家庭教師をしていたんだよね。メンバーを探していたところ、ドラマー Shaymen Rameka を紹介されて、同じ学校に通うことになったんだ…それ以来、僕たち3人はずっと一緒だよ。
それから “MAINZ “に行って、もう一人のギタリスト Gideon Voon に会った。2015年とかだったかもしれない。それからギデオンも一緒に加わったんだ。Oliver はマヌウェラ高校の教師になって、そこでマヌウェラ高校の生徒だったベーシストの Joseph Oti-George と出会ったんだ。Oliver が言うには、彼は素晴らしい技術を持っていて、音のすべてに耳を傾けてくれるとのことだった。だからぴったりだった。彼はまだ16歳だったから、僕たちは彼が18歳になるまで待って、やっとバンドに入ってほしいと伝えたんだ!」

Filiva’a と Oliver は、クラシック音楽を始めた後、”ロックとメタルの影響を受けた” 自分たちの音楽を創ることに目を向けました。
「例えば、GOJIRA, AVENGED SEVENFOLD, LAMB OF GOD, SLIPKNOT をよく聴いていたね。同時に僕と Filiva’a はクラシックのバックグラウンドもある。バッハやショパンのようなクラシックの作曲家が大好きなんだ。
ギタリストの Gideon はポップミュージックが好きで、作曲にポップミュージックの要素を取り入れている。そして、サモアの音楽という文化的要素も取り入れている。リズムや歌詞の内容、パルテドラムなど、音楽的な要素も多分に取り入れているんだ」
今日、彼らはサモア語で歌うメタルで知られていますが、最初からそうだったわけではありません。Filiva’a が当時を振り返ります。
「若い頃にメタルを始めたから…最初は英語で歌ったんだ。昔からサモア語を流暢に話せたから、サモア語を使わない理由は特になかったんだけどね。
あまりに新しすぎたんだと思う。サモア語で歌うことに可能性を感じていなかった。でも、ずっとやりたかったんだ。このジャンルのメタルでサモア語が歌われたら、きっとみんな喜ぶだろうと思った。サモア語を歌い、サモア語を使うのはいい選択だった。そして今、私たちはサモアのメタル・バンドとして知られている」

バンド名にも、サモアの哲学が込められています。
「バンド名を決めるのは、実は一番難しいことのひとつなんだ。その名前をいつまでもどこにでも持っていくことになるからね。サモアのリーダーは、家族や友人のことを考え、彼らの世話をする。だから羊飼いを思い浮かべたんだ。羊飼いは自分の群れの世話をする。羊の世話をして、餌を与えたりする。だけど、”羊飼い” って名前はちょっとおかしいなと思ったんだ。それで、”Shepherds Reign” “羊飼いの統治” になったんだ」
ただし、サモアにも現代社会の闇は存在します。Filiva’a の歌詞は、家庭内暴力という不快なトピックにも取り組んでいます。
「”Ua Masa’a” のリフには、本当にシリアスなテーマを歌うべきだと思ったんだ。リフを聴いた後、ずっと頭の中をぐるぐる回っていたんだ。そしてある夜、”ああ、くそっ!サモアで殺された姉のことを歌にしたいとずっと思っていたんだ!” って思ったんだよ。
亡くなった愛する人への曲は、たいてい素敵でソフトで、本当にエモーショナルなものだろ?でもこの曲は、その感情的な面を逆手にとって、僕たちが書くことのできる最も怒りに満ちた曲にしたんだ。歌詞は、姉と夫の間に起こった出来事で、最後は僕が姉になったつもりで話しているんだ。彼女が亡くなる前に考えていたであろうこと、言っていたであろうこと。だから、僕が書いた歌詞には、怒りやフラストレーションがたくさん含まれているんだ」

曲のタイトル “Ua Masa’a” は、サモア語で直訳すると “こぼれた” という意味になります。
「サモア語には、”ua masa’a le ipu vai”、つまり “覆水盆に返らず”という古いことわざがあるんだ。一度失われた信頼は決して戻らないことを比喩しているんだ。割れたコップに水を入れると、水はこぼれる。それがこの曲で言おうとしていることなんだ。彼女はかつて彼を愛したが、コップは割れてしまったんだよ」
カタルシスや個人的な悲劇から文化的な歴史や神話まで、サモア語の歌詞はほろ苦い内省と前向きな強さの源です。
「”Aiga” はイントロで聴けるサモアの伝統的な歌が元になっている。多くのことを学び、もう家族の愛情は必要ないと考える人について歌っている。世界を味わいたいと思い、世俗的な誘惑の多くに陥る。だけどその後、唯一の幸せは自分のルーツにあることを知る。家族だ。僕たちのバージョンは、彼らに本当の幸せを見つけることができる家族のもとへ帰れと促しているんだよ。僕たちサモア人は地面からエネルギーを汲み上げているけど、バンドにとってそれは先祖からエネルギーを汲み上げることになる。僕らはそれを曲の中で表現したいんだ」

サモアの戦士に捧げられた楽曲も。
「”Le Manu” はサモアで最も強力な戦士の一人、マヌ・サモアの戦争チャント。僕たちはこのチャントを、自分たち自身について詠うように拡大したんだ。戦争への旅に出る代わりに、祖先と家族に、僕たちが世界で最も強力なメタル・バンドのひとつになるための導きを求めたんだ」
もちろん、サモアの神に捧げられた楽曲も。
「”Nafanua” はサモアの戦争の女神、ナファヌアについての物語。ナファヌアは、冥界の神である Saveasi’uleo の娘で、血の塊から生まれ、地中に埋められたけど、この古代の神は冥界から蘇り、愚かな王の手によって苦しめられた家族を守るため、立ちはだかるすべての戦士を打ち負かした。彼女は誰からも恐れられたんだ」
ポリネシア全体に対する “目覚め” を喚起する楽曲もあります。
「”Ala Mai” (目覚めよ) は、サモア人としてではなく、ポリネシア全体として、さまざまな国々を旅しながら自分の足跡を残していくための力と導きを求める祖先への呼びかけだ。僕たちの前には多くの障害が立ちはだかるだろうけど、祖先の助けがあれば、僕たちの物語は必ず世界に届くと信じている。世界に平和がもたらされることを祈るよ。特に、変化が多く、世界中で多くの困難に直面する現代においてはね」

“The World Breed” や “Cold Summer Night” では都会に生きる現代人のライフスタイルに疑問を呈します。
「今日の世界の苦しみ、世界中で犯される多くの罪と堕落したライフスタイル。僕たちは目を覚まし、この困難な時代に気づき、より良い方向へ変わらなければならない。人がいかに信念を失い、かつての生きようとする純粋な意志を失い、いかに崩れ落ちて惨めな時間の流れを見ているだけであるか。それでも最後には希望があり、問題を克服できると僕たちは考えているよ」
サモアの文化は何よりも子供たちを大切にしています。
「”Never forgotten” は残念ながら他界したギタリスト Oliver の息子へのオマージュとして作られた、ソフトでとてもエモーショナルな曲。サモア語、英語、トンガ語で歌われ、それぞれの文化を表現している。Tomは決して忘れ去られることはないだろう。”ATALI’I” には息子という意味がある。これは子供たちへの愛を示すために書いた曲。僕たちが世界のどこにいようと、彼らが将来どこに行こうと、僕たちはいつも子供たちを心から愛し、大切にしているということを伝えたくて作ったんだ」

そうして命は続いていきます。”Samoa Mo Samoa” には命をかけて強敵から国を守った祖先に対する感謝と敬意が溢れています。
「悲劇と勝利の物語。死と勝利。恐怖と勇気。この小さな太平洋の国を支配しようとした世界最大の国々に我々は屈しなかった。我々は戦い、殺し、我々の土地を守った。僕たちの土地を守るために、多くの男性、女性、子どもたちが命を落とした。皆、記憶される。サモアのためのサモア人たちよ」
どうやら、ポリネシアの人たちには不可能を可能にする力が備わっているようですが、それは望めば私たちにもできること。
「型にはまることを恐れず、何か違うことをやってみることだ。既成概念にとらわれない発想は、大きなパワーと可能性を秘めている。人がどう思うかなんて、最終的にはどうでもいいことなんだから。自分のやっていることを本当に信じていれば、たとえそれが変わったものであっても、人々は応援してくれる」


参考文献: NZ MUSICIAN:SHEPHERDS REIGN: DRAWING ENERGY FROM THEIR ANCESTORS

DECIEBEL MAG: TRACK BY TRACK

PROMPRIALRADIO: SHEPHERDS REIGN

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【VALKEAT : FIREBORN】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH MIIKKA VIRTAPURO OF VALKEAT !!

“For Us As Artists It’s Important To Do Something New And Fresh, And Not Only Redo Stuff That People Have Already Done. We Want To Expand The Map Of Kantele Music And Metal Music.”

DISC REVIEW “FIREBORN”

「僕たちはパイオニアとして、人々がこれまでに聴いたことのないような新しいカンテレ・ミュージックを作りたかったんだ。僕たちアーティストにとって重要なのは、何か新しく新鮮なことをすることであって、すでに人々がやっていることをやり直すことではない。いわば、カンテレ・ミュージックとメタル・ミュージックの地図を広げたいんだよ」
古くはジャン・シベリウスが、メタル世界では AMORPHIS が、フィンランドの民間伝承から生み出された国民的叙事詩カレワラをインスピレーションとして音楽を創造し、彼の地の空気、風景、文化、そして人の有り様を伝えてきました。カレワ族の勇士たちの物語が、フィンランドのロシアからの独立を強く後押ししたことを述べるまでもなく、カレワラはフィンランドの心であり、そこから生まれた伝統楽器カンテレはフィンランドの音であり続けています。
そう、AMORPHIS の楽曲にもあるように、カンテレはフィンランドの音であり、ヘヴィ・メタルも当然、フィンランドを代表する音楽です。ゆえに、VALKEAT はその両者をより太い糸で結び付けようと思い立ちました。そうやって彼らは、カンテレの地図も、メタルの地図も広げながら、フィンランド音楽のアンバサダーとして世界に羽ばたいていくのです。
「カンテレは、フィンランドが誇る国民的楽器だ。日本の琴のようなものといえばいいかな。そして、カンテレは琴と同じように、僕らが創造するどんな音楽にも合うんだ!」
実際、カンテレは想像以上にメタルとの相性が良さそうです。もちろん、その蜜月は VALKEAT の類稀なるコンポジションの妙あってこそ。”Fireborn” は非常に複雑で多層的なアルバムで、リスナーをフィンランドのモダン・フォークとシンフォニック・メタルの新時代へと同時に導く灯台ののような輝きを纏っています。
「サンポのストーリーは、それを持つ者に無限の富を生み出す機械、誰が持とうと永遠の富を生み出すのさ。だから僕たちは、サンポの音楽版のような、それを聴く人に比喩的に “富” を生み出すものを作りたかった。サンポは火で鍛えられたものだから、このアルバムを “Fireborn” “火から生まれしもの” と呼ぶことにしたんだ」
“Fireborn” はカレワラに登場する、所有する者に永遠の富をもたらす機械、サンポにちなんで名付けられました。そうして、壮大なフィンランドとメタルの物語の偉大な伝統を受け継いだアルバムには、崇高な賛美歌、荘厳な歌声、フォーク・メタルの陽気さと原始的なメロディー、異教の精神が詰まっていて、そもそもカンテレがあるべくしてあるよう巧みに設計されています。
非常にダークでアグレッシブな冒頭の “My Crown” で、フィンランド人の深層心理を掘り下げた彼らは、リリックでは精神の最も暗い部分に踏み込み、音楽ではストリングスとブラスのオーケストラを吹き込んでいきました。サーミの人たちの素晴らしい文化に敬意を表した儀式的な “Moraš”、フィンランドのバンドのメランコリックでフォーキーな側面にフォーカスした “Swan Song” でも北欧の色と音を伝えながら、リスナーに無限の富であるカタルシスを与え続けます。
まさにフィンランドへのラブレターとなった涼やかなアルバム。今回弊誌では、ボーカリスト Miikka Virtapuro にインタビューを行うことができました。「僕たちは CHILDREN OF BODOM と同じ地域の出身で、実は Alexi は僕と同じ学校のちょうど10年先輩なんだよ。もちろん、あれほどの才能が若くして亡くなるなんて、とても悲しいニュースだったな…」 どうぞ!!

VALKEAT “FIREBORN” : 9.9/10

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COVER STORY 【VAI : SEX & RELIGION】 30TH ANNIVERSARY


COVER STORY : VAI “SEX & RELIGION” 30TH ANNIVERSARY

“At The Core Of All Religion And At The Core Of All Sex, There’s Love. It’s Just Interesting To See How That Gets Perverted And Transformed.”

SEX & RELIGION

「”セックス” と “宗教” はとてもパワフルな言葉だ。”宗教のセックス” は、”Passion of Warfare” “戦争の情熱”のようなものだ。最も純粋な形のセックスは、2人の個人が意識の最前線で神との親密な関係を見出す場所なんだ。それは神聖な愛の行為だ。そしてもう一方の端には、欲望という倒錯がある。殺人のようなものまである。私たちの多くは、その中間に位置していると思う。
宗教も同じだ。宗教の基本は純粋なインスピレーションであり、ある個人が現れて神を悟り、その指示を世界に与えるところから始まった。しかし、それがエゴや関係者のニーズに合わせてねじ曲げられる。すべての宗教の核心には愛があり、すべてのセックスの核心にも愛がある。それがいかに曲解され、変容していくのかを見るのは興味深い。つまり、宗教は歴史上、戦争の最大の原因のひとつなんだよ。
誤解しないでほしいが、私はどんな宗教も非難しているわけではない。しかし、世の中には宗教やセックスで金儲けに走っている連中もいる。彼らはお金で希望の約束を売る。信じてほしいが、神の美しい青い地球上で、宗教的な変質者ほど危険なものはない。とにかく、私はこの2つのコンセプトに非常に興味をそそられる。それに、多くの人がセックスと宗教にこだわっているしね」
30年前の Steve Vai の言葉です。さて、彼は預言者でしょうか?それとも占星術師?とにかく、今やギター世界すべての人から敬われ、愛されるようになったギターの魔術師は、30年前の時点で倒錯した現代の暗闇を予見していました。特に、日本に住む私たちはつい最近、統一教会の横暴を目にし、DJ SODA の性被害を目撃したばかりです。Vai の言うように、核となるべきは愛、探るべきは要因であり、曲解の理由であるはずなのに、私たちはしばらく祭のようにSNSで大騒ぎして、被害者も加害者も焼け野原のごとく断罪して、そうしてすぐに何もかも忘れてしまいます。実際、このレコードのワーキング・タイトルは “Light Without Heart”、心なき光だったのですから。
最近日の目を見た Vai のバイカー・カルチャー作品 VAI/GASH のアルバムを差し置いて、Vai が唯一、リーダーとしてバンド形式で制作した “Sex & Religion” は真のゲームチェンジャーでした。それはもちろん、音楽的な革新性、多様性のみならず、扱ったテーマの深淵とも密接に関連しています。つまり、”Sex & Religion” は音楽とコンセプト、その両輪が激しく火花を散らしながらもガッチリと噛み合って、”ヘヴィ・メタルでも実験や哲学が可能” であることを証明した先駆的な作品だったのです。

加えてこの7弦ギターの悪魔は、ベースの怪人 T.M. Stevens やドラムの名手、Terry Bozzio と意気投合してアルバムの異様な基盤を固めました。最後のピースは Devin Townsend。分身となるボーカルに選んだのは、20歳で、カナダのバンクーバー出身の無名のシンガー/ギタリスト。後に、STRAPPING YOUNG LAD やソロ・プロジェクトでメタル世界を背負う鬼才の発掘でした。
David Lee Roth のバンドや ALCATRAZZ, WHITESNAKE でプレイしてきた Vai は、派手で優秀なリード・シンガーを知らないわけではありません。キッズ・ロックの Bad 4 Good をプロデュースしたことで、レコーディング・スタジオでの若者のハイテンションに対する対処法も学んでいました。しかし、奔放で運動神経が旺盛な Devin には、事前の経験ではまったく歯が立たなかったのです。しかしこの噴火直前のキッズは、ダンテの地獄篇の最下層における迷える魂のように叫ぶことも、ゲーテのように神々しくもロマンチックに唄うこともできました。
「彼のギターケースにウンコをした。タッパーにウンコを詰めてギター棚に忍ばせたりね。感情的に未熟すぎてそんなやり方でしか不満を表せなかった。彼は唖然として、なんで…?って感じだったけど、今も見守ってくれてるよ」
Vai が Devin に手を焼いたのは、Devin が Steve Vai 式裕福なロックライフが気に入らなかったから。それでも巨匠は決して匙を投げたりはしませんでした。そんな Vai の寛容さは、自身のヒーロー Allan Holdsworth に会った時の体験が元となっています。
「Allan はとても優しかった。とても優しく話しかけてくれた。もし自分が有名になったり、誰かから尊敬されたりしたら、こんな人になりたいって思ったんだ。だからこそ、今もそういう人間になりたいんだ。誰かに気を配り、興味を持ち、心配し、柔らかく、ね。完全に傲慢じゃない。僕は、路地にいる18歳か19歳の子供だったにもかかわらず、だ。そしてショーは驚異的だった」

“Sex & Religion” のほとんどの曲はメタル/ハードロック/ポップスの領域から始まりますが、Vai のトレードマークである破天荒なアックスワークに後押しされ、すぐにハーモニーやリズムが奇妙な方向へと逸脱していきます。”Frank Zappa のせいだよ” と巨匠は師匠の名をあげて笑います。
Vai がまだバークリー音楽院の多感な3年生だった頃、Frank Zappa はこの若いギタリストの天才的な献身ぶりを高く評価し、Zappa のバンドの複雑なアレンジをすべて書き写すという困難な仕事を任せました。Vai はその知識を手に、卓越した技術と才能、狂信的とも言えるほどの献身的な努力によって、偉大な存在へと上り詰めたのです。
“Sex & Religion” 以降、時に歌も活用しつつ魅惑のインスト・アルバムを連発することとなる Vai ですが、93年当時は歌モノに戻ることを自然な流れだと語っていました。
「コンセプトとしては、ヴォーカリストと、強力で明確なスタイルを持つプレイヤーたちと一緒にレコードを作りたかった。ロックの要素もありつつ、私が普段やっているようなひねりのあるものを作りたかった。そもそも、”Passion And Warfare” 以外は、ボーカルを使ってきたんだ。ボーカル・アプローチに戻るのは自然な流れだと思ったんだ。だからといって、今後私がやることすべてにボーカルが入るというわけではない。だから私はミリオンセラー・アーティストにはなれないだろう」
Devin Townsend はテープの山の中からまさに “発掘” されました。それは、Vai がかつて “David Coverdale ほど歌がうまい人はいないし、David Lee Roth ほどショーマンな人もいない。でも、両方のシンガーの長所を兼ね備えたシンガーが必要なんだ” と語っていたその要求を完全に満たす人物でした。
「ゴミ袋5つ分くらいのシンガーのテープがあるんだ。みんな素敵で、歌がうまくて、安全でいい曲を書くんだ。でも、Devin が作った “Noisescapes” というテープは、インダストリアルでヘヴィだけどメロディアスという、想像を絶するハードコアな音楽だった。テープを作ったときはまだ19歳だった。彼はそれを私のレコード会社(Relativity)に送り、私はその会社を通してそれを手に入れた。1分間そのテープを聴いた瞬間、彼は特別な人だと思った。私たちはタホの私の家に集まった。私と彼とエンジニアのリズだけで、雪の中を転がったり、ジャグジーでジャンプしたりした。彼には本当に素晴らしい、何にでも挑戦しようとするアティテュードがある。彼は本当に外向的で、素晴らしいリード・シンガーだった」

異形ドレッドの Vai と、全身にマジックで何かを書き散らしたスキンヘッドのイカれたサイコ野郎の組み合わせは衝撃的。パワーがあり、音域が広く、風変わりで、しかも独自のスタイルを持った Devin は、さながらドーピングをブチかました Mike Patton のように、Devin の言葉を借りれば “金玉で” 叫んでいました。さらに蓋を開けてみれば、Devin Townsend は素晴らしいリード・シンガーであるだけでなく、素晴らしいギタリストでもありました。
「彼は素晴らしいギタリストなんだ。本当に驚異的なスウィープをやることができる。彼はおそらくライブでたくさんギターを弾くだろう。でもこのアルバムでは、ギターは全部自分で弾いた方がいいと思ったんだ。将来的には、もっとライブ・ジャムを録音するかもしれない。でも、このアルバムがフュージョンみたいにならないように気をつけたかったんだ」
実際、Steve Vai はギター・インストの第一人者ですが、その楽曲のほとんどはフュージョンではなくあくまでロックやメタルです。
「まあ、私が言いたかったのは、悪いフュージョンもできるということだ。私にとってフュージョンはディスコと同じで、ある種のテイストなんだ。フュージョンは私の生い立ちの大部分を占めているし、フュージョンから得られる素敵な瞬間もあると思う。6分の曲の中で、特定の2小節のフレーズがとてもうまく機能しているとかね。でも、曲全体がギターソロで埋め尽くされ、蛇行するようなオーギュメント・ナインスコードで構成されてしまうと、典型的なフュージョンになってしまうからね」
たしかに、このリズム隊で典型的なフュージョンをやってしまうと、Steve Vai にしてはあまりに “安全” なコンセプトとなってしまったでしょう。
「T.M. Stevens については、スペインでジョー・コッカーと一緒にテレビ・コンサートで演奏しているのを見た。彼が演奏できることは知っていたが、あれほどうまく演奏できるとは知らなかったね。それに、彼は本当にうまくなりそうなルックスをしていた。Terry Bozzio は、ずっと一緒に仕事がしたかったんだ。ずっと好きなドラマーだった。彼は普段ロックンロールが好きではないから、このプロジェクトに参加させるのはとても奇妙な挑戦で、でも彼はやってくれた」

もちろん、Vai 自身の挑戦も継続して行われました。
「まあ、”Rescue Me Or Bury Me” という曲があって、これはギター・アルバムから最も遠いところにある曲なのに5分間も蛇行する長いギター・ソロがあるんだ(笑)。そこでは本当に奇妙なテクニックに触れていて、ある音をタップし、ワーミー・バーを引き上げて、バーを引き上げたままメロディーを弾くんだ。それからバーを押し下げ、バーを押し下げたまま演奏する。バーを上げたり下げたりしながら演奏する。これはとても難しい。見事なイントネーションが必要だしね。クールなのは、ギターではとても不自然に聞こえる音符のベンドが自然にできることだ。
あのソロの一番最初にやったもうひとつのことは、ピックの代わりに指で弾くことだった。そうすると、Jeff Beck にとても似ていることに気づいたんだ。同じ音でも、弦の太さでトーンが変わったりするテクニックも使ったね。”Touching Tongues” では、ハーモニクスとワーミーペダルを組み合わせて天空の音を創造したし」
Vai はギターを弾く際、自分を律するために瞑想をすることで知られています。
「まあ、みんな瞑想していると思うよ。私が瞑想を意識するようになったのは、Zappa のために採譜をしていたときだ。自分の心の別の部分を使っていることに気づいたんだ。意識がぶれることなく何かに集中すると、本当に新しい世界に入り込むことができる。テープ起こしをするときもそうだし、練習するときも、ギターのテクニックに集中する。気が散ることなく集中できたとき…それはとても難しいことだけど…望む結果を得ることができる。”Sex & Religion” には、瞑想の賜物である瞬間があったと思う」
ただし、瞑想もギターも、Vai にとっては手段の一つでしかありません。
「音楽は素晴らしいし、心から愛している。でも、それは私にとっては手段なんだ。私の目的は、ギターをファンタスティックに弾けるようになることではない。素晴らしい演奏に触れたことはあるよ。でも、ギターを弾くことは私にとって大切なことではあるけれど、人生で最も重要なことではないんだ。
もし私が手を失ったらどうなるだろう?培ってきたものすべて失う可能性がある。耳が聞こえなくなったり、目が見えなくなったり……。そしたらどうなる?ギターの腕前は?君には何がある?あるのは自分自身、つまり意識だけだ。だから、私の次の戦いはギターとの戦いではない。自分自身と自分の意識との戦いだ。それはいつも自分とともにあるものだから」

Vai の言うとおり、”Sex & Religion” の革新性はギター以上にそのコンポジションにあるのかもしれません。ロックやメタルでは通常聴くことのないハーモニーやモードが溢れているのですから。
「他のレコードやロックでは聴いたことのないようなモードが聴こえるだろう。例えば “Deep Down In The Pain” の最後、奇妙な誕生のシークエンス。何が起こっているかというと、子供が子宮から出てくるんだよ。神性の声を聞いたり、質問したり、奇妙なことばかりしている。でも、バックで聞こえてくるのは、私が考案した音階に基づいた荒々しい音楽なんだ。
私はそれを “Xavian” “ザヴィアン” スケールと呼んでいる。私がやったのは、12音列をキーボードでサンプリングして音を作ること。そこから、いろいろな音律を試すのが好きなんだ。(ヨーロッパの12音音階は、オクターブ間の周波数帯域を分割する1つの方法に過ぎない。他の文化や、ラモンテ・ヤングやウェンディ・カルロスといった作曲家の作品には、異なるシステムが存在する。現代のシンセサイザーの中には、別の音律を提供するものもある)
オクターブを9段階か10段階に分けた、さまざまな音階があって、私はそれを “フラクタル” と呼んでいる。”Deep Down In The Pain” の最後では、オクターブを16等分したスケールを使った。つまり、その中の各半音階は、従来の半音階とはちょっと違っていて、100微音階に対して60微音階なんだ。私はこれを半音階と呼ばず、”クエーサー” と呼んでいる。
その異なる音程が、この16音列から私が抽出した10音音階であるザヴィアン・スケールを作り出す。このスケールを使って和音を弾くと、まるで神の不協和音のようになる。ザヴィアン・スケールから広がる、ねじれた感情の世界を想像してみてほしい!私たち人間は、進化の過程で音楽によって形作られてきた。より多くの人がこのようなフラクタルの実験に没頭するようになれば、まったく違った感情の状態が生まれると思う。しかし、METALLICA がザヴィアン・スケールでジャムるのを聴くことはないだろうね (笑)。Kirk に16フレットのギターを貸すよ。普通のフレットの楽器ではこんなことはできない。オクターブまで16フレットのギターがあるんだ。スティーブ・リプリーが何年も前に作ってくれたんだ。彼はオクターブに対して24分割のものも作ってくれたよ」
一方で、”Sex & Religion” には類稀なるフックとポップ・センスが宿っています。
「あの “In My Dreams With You” のように、フックのあるポップなコーラスは、実は僕の友人でロジャー・グリーンウォルドという男が書いた曲からきているんだ。彼は本当に優れたギタリストであり、プロデューサーでもある。私が大学生の頃に彼が書いた曲の一部なんだけど、私はずっとこの曲で何かやりたいと思っていたんだ。
基本的に曲の構成は全部書き直したんだけど、それからデズモンド・チャイルドと一緒に歌詞を考えたんだ。デズモンドは本当にユニークな作詞家だ。彼は BON JOVI や AEROSMITH のようなバンドで大金を稼いだから、多くの人は彼のことをシュマルツ・ポップの帝王だと思っている。でも、彼は本当に何でもできるんだ。”In My Dreams With You” はこのアルバムに収録された彼との唯一の曲だけどね」

Devin は歌詞に関して何か意見を言ったのでしょうか?
「”Pig” は Devin と一緒に書いたんだ。すごくいい曲だよ。かなり奇妙な曲だね。”Pig” は、ある日MTVで BLACK CROWS を見ていて生まれたんだ。私は彼らが好きなんだよ。彼らが “Remedy” という曲を演奏していて、すごくいい曲だと思ったんだ。で、誰もが共感して一緒に歌えるような、ストレートな曲が必要だと思った。それで “Pig” を書いたんだ。
それに当時はよく PANTERA を聴いていたんだ。Dimebag Darrell は、私のお気に入りのギタリストになったよ。彼はどうかしている。カミソリの刃のような独特のトーンを持っている。
だから、このアルバムはおそらく現存するレコードの中で最もラウドなミックスになった。カオティックなハーモニーのフリー・フォー・オールだ。彼らが街に来たときに一緒にプレイしたかったんだけど、残念ながら私はその時街にいなかったんだ。
彼が TIN MACHINE と一緒に演奏するのを見たんだけど、今まで見た中で最も楽しいギター・コンサートのひとつだったよ。彼はとてもアウトなんだ。彼は本当にクレイジーで神経質なビブラートを持っている。もし彼が “Remedy” のような曲を書こうとしたら、おそらく “Pig” のようなレフトフィールドなものを書くだろうね」
2人のクリエイティヴな巨人が集まれば、傑作が生まれると同時に、大量のカオスと対立も生まれるもの。「僕らはコインの裏表みたいなものなんだ。僕らは仲がいいんだけど、お互いに潰瘍を作ってしまうんだ」と1993年のインタビューで Devin は語っていましたが、近年 “Modern Primitive” での共演などで雪解けは確実に進んでいるようです。
「私たちは2人とも、自分たちの好きな音楽に対する強いビジョンと願望を持っている。”Sex & Religion” に取り組み始めた頃、私はそのビジョンにかなり集中していた。素晴らしいシンガーが必要で、Devin を聴いたとき、すぐに “この人だ!” と思った。でも、当時私は、これが私のビジョンであり、私が集中したいことという非常に厳格なアプローチをしていたから、曲作りやプロデュースに関して、クリエイティブなコラボレーションはあまりなかったんだよ。日本盤のボーナストラックの “Just Cartilage” と、Devin と私が一緒に書いた “Pig” 以外はね。実はこの2曲は私のお気に入りの曲で、私がコントロールを固く握っていたのを緩めたゆえに良いものができた。でも残念ながら、あの時は誰もが私の神経質な要求に従うことになった。当時は、Devin がどれほど才能があり、創造的であったかを理解していなかったんだ」

たしかに、Terry Bozzio も当時の “やりすぎ” な Vai の姿を鮮明に記憶してきます。
「Steve とは “Sex and Religion” で一緒に仕事したが、ちょっと問題があって、辞めさせてもらった。今でも仲は良いけどね。彼は仕切りたがるんだよ。俺とは音楽へのアプローチが全く違う。俺は即興を重んじる。彼はあらかじめ全部組み立てておいて、メンバーにいちいち指示する。なんだか工場で働いてるみたいな気分だった。ほとんど全ての小節ごとに喧嘩してたような感じで、ちっともクリエイティヴじゃなかったんだ」
Devin はしかし、Vai の当時の “コントロール・フリーク” ぶりを擁護します。
「ちょっとだけ悪魔の代弁をさせてもらえば、僕は当時19歳で、16歳のときに Steve のレコードを聴きまくっていた。両親の寝室で “クロスロード” を見て、大好きになったのを覚えているよ。Steve と一緒にやるとなったとき、それは僕にとって突然の公然の出来事で、だから彼と別のアイデンティティを持つことに必死だったと思う。僕は僕でありたかった。で、僕が持っていたのは、完全な好戦性だった。その多くは Steve とは直接関係なく、物事に対する自分の反応に関係している。”Sex & Religion” の経験を経て、僕は何かを誰かに指図されるのが嫌になった。その好戦的な態度が、最終的に STRAPPING YOUNG LAD になった。だから、僕の音楽的成長、そしてそのメンタリティに根ざした多くのことに大きく影響しているんだ。40代半ばになった今でも、20代前半の頃と比べれば、好戦的な感情はずいぶん減ったかもしれない。でも、すべてをコントロールするという点では、それに共感できる人がいるとすれば、それは僕もそうだ。だから、あの時 Steve がしたことは、そのビジョンのために必要なことだったと思う。同じ立場なら、僕もまったく同じことをしたと思うよ」
Devin に不満があったとすれば、それは音楽産業そのものに対してでした。
「僕は最初から、少なくとも自分の音楽的思考をまとめ始めたときから、音楽の本質は人間を超えたもの、ある意味で神聖なものに根ざしていると感じていた。そして、LAで突然、目が覚めたんだ。Steve のせいでも、彼の周りの人間のせいでもない。言ってみれば、音楽業界と俳優業界のせいだ。もちろん、そこには Steve のように努力して、地に足をつけた人も多い。だけど一方で、名声や地位、コネクションが幅を利かせているのも事実だからね」

Vai は “Sex & Religion” 以降の Devin の活躍に目を細めています。
「Devin の作品は多様だ。そして、その多様性の中に、声という糸がある。アンビエントのレコードであろうと、準カントリーのレコードであろうと、メロディーと Devin のプロダクション・サウンドの発泡性がある。すべてが美しく包み込まれている。私が最も注目したことのひとつは、Devin の音楽は、Devin の人生を通しての個人的な変容に深く根ざしているということだった。
例えば、”Truth”。私にとってこの曲は、おそらく Devin のカタログのどの曲よりも、ただ爆発している。Devin が今いる場所、そしてこの曲が今の Devin にとって何を意味するのかに折り合いをつけるために、この曲を再訪し、再録音したことはとても興味深い。音楽は、自らの内面を映し出す結果のようなものだから。浸透しているよ。Devin がやっていることを、多くのファンは本当に理解している。私自身、自分自身の成長の捉え方と類似している部分もあって、とても興味深いね。そのひとつは “Truth(真実)” にある。心の無知に身を委ねることで、真実が見えてくる。その言葉を口にするだけでも、そこにはたくさんの知恵が詰まっているよ」
Devin はこの30年で音楽業界が衰退して、”Truth” を見失い、”クソ” になったのは幸せな偶然だと考えています。
「ラジオを追いかける理由がなくなって、その時点で “さて、どうしよう?”という感じで。それは大きな重みから解放されるようにも思えた。架空のマーケットを喜ばせる必要がある?どうせ売れるものは売れるんだから、売れないものは売れないんだから、いっそのこと街に繰り出そう!みたいな感じ。僕の前では多くの “売春” が行われている。僕は絶対的な強迫観念を持つ完璧主義者で、これまで何一つうまくいったことがないし、これからもうまくいくことはないだろう。でもね、この苛立ちの底流が推進力になっているんだ」
Vai も目的は “売ること” ではないと同意し、音楽業界本来のあるべき姿を見据えます。
「私が気づいたのは、”Sex & Religion” の、あれだけの音楽をレコーディングしたとき、自分がいかに自由で無邪気だったかということだ。何の期待もしていなかった。自分以外の誰かを喜ばせようとしないでね。あの頃の私は、”自分を楽しませるために何ができるか?” だけを考えていた。ある面では、何年もの間、音楽業界から遠ざかっていた。なぜなら、それが何かを創作することの価値であり、まず重要なのは自分自身を喜ばせることだからだ」


参考文献: GUITAR WORLD:Steve Vai Discusses Devin Townsend and New Album, ‘Sex And Religion,’ in 1993 Guitar World Interview

PREMIER GUITAR:PG Exclusive! Devin Townsend Interviews Steve Vai

EON MUSIC: STEVE VAI

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【FLESHVESSEL : YEARNING : PROMETHEAN FATES SEALED】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH FLESHVESSEL !!

“Super Adventurous Music And Very Traditional Music Should Be Able To Exist Harmoniously Within Any Genre, Be It Death Metal Or Celtic Folk Music.”

DISC REVIEW “YEARNING: PROMETHEAN FATES SEALED”

「僕にとって、音楽的な面白さの多くは、さまざまな音色とテクスチャーの無限の組み合わせが生み出す色彩にある。メタルは、多くの場合、音色的に精彩を欠くことがあるから、さまざまな音や楽器を使うことで、もう少し音楽的な面白さを取り入れたいと思っているんだ」
モダン・メタルの多様化は、ジャンルの壁だけでなく、文化の壁も取り払います。ギター、ベース、ドラムという “メタル楽器” だけが正義の時代は終焉を迎え、サックスやフルート、シンセサイザーはもちろん、メタルが感染した様々な土地の様々な伝統楽器もヘヴィ・メタルは喰らい、その血肉としているのです。それでも、プエルトリコのクアトロ、フルート、ピッコロ、オカリナ、ヴィオラ、ハープ、ピアノ、タイのピン、グロッケンシュピール、スレイベル、フィンガー・シンバル、トランペット、クラリネット、ダルブカと無限の “ノン・メタル” 楽器を喰らい尽くしたメタル・バンドは FLESHVESSEL がはじめてでしょう。加えて、Alexander Torres, Amos “Troll” Hart, Gwyn Hoetzer, Sakda Srikoetkhruen はその大半を自らで奏でているのです。
「僕たちは、自分の作りたいアートやサウンドを作ることができ、オープンであるべきだと信じている。あえて逆らい、型にはまらず、やりたいことをやる。でも、超冒険的な音楽と非常に伝統的な音楽は、デスメタルであろうとケルトの民族音楽であろうと、どんなジャンルの中でも調和して存在できるはずなんだよ」
伝統と実験、冒険と安心、異端と常識、メタルとノン・メタル。”Yearning: Promethean Fates Sealed” は、そのすべての逆説がアートのために調和したようなレコードです。繊細な瞬間から幕を開けるアルバムは、鮮やかな色彩と奇妙なフォルムで描かれ始め、メタルの異世界で恐怖と熱情と安らぎを見つけるまで止まることはありません。そうして、たしかに映画的ではありますが、このアルバムはそれ自体が物語を語り、命を吹き込むため、映像媒体を必要としていません。
4人の鬼才が築き上げた55分の巨塔は7つのトラックに分かれ、4曲の長大なプログレッシブ・ソングがインストゥルメンタルの “ヴィネット” で区切られています。このヴィネットがアルバムの各所からメロディックなテーマを引用し、思索と内省の中でモチーフを再考。繊細、重厚、爽快、瞑想が同居し、死の淵に押し潰され、風の蝶に魅了され、前衛的な騒乱にまみれるアルバムは、パッケージ全体がジグソーパズルのように不思議と集積し、印象的な1枚の名画としてまとまっているのです。
オープナー “Winter Came Early” はまさにこの類稀なる音の美術館への招待状。クラシカルで繊細なイントロからブラックメタルの絶望が炸裂し、伝統的な激しさが強調され、さらにプログの空想飛行、落ち着きのあるフォークのパッセージ、陽気なジャズのベースライン、アヴァンギャルドな悪夢のようなサウンドなど、色彩のパレットは200色以上の豊かさを誇ります。
「プロメテウスの物語は、世界をより良くしようとする僕たち人間の闘いのアナロジー (似ていることを根拠に異なることを推し量ること) として、このアルバムで使われているよ」
これだけのエピックに、秘められた意味がないはずがありません。プロメテウスとは、神々の火を盗んで人類にもたらし、その裏切りによって罰せられたタイタン。アルバム・タイトルはこのよく知られた神話を、悟りを求め、より良い、より寛容な世界を作り出そうとする人類と、その目標に到達するため障壁となる人類自身との戦いの寓話として扱っています。結局のところ、この分断された世界で私たちを救ってくれる巨人は存在しません。運命の封印を解き、善に心を開くためには、私たち自身の内側から解き放たれる炎を守る必要があるのです。
今回弊誌では、FLESHVESSEL にインタビューを行うことができました。「重要なのは、僕たちはオーケストラ音楽の “メタル版” やメタルの “シンフォニック版 “を作ろうとしているのではなく、さまざまな影響を受けた深い井戸の中から作曲し、演奏することができるということなんだだ」 どうぞ!!

FLESHVESSEL “YEARNING: PROMETHEAN FATES SEALED” : 10/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【VOICE OF BACEPROT : RETAS】


COVER STORY : VOICE OF BACEPROT “RETAS”

“When I Pray To My God, It Gives Me The Strength To Believe That I Can Achieve My Dreams.”

CARRYING OUT OUR DREAMS WITHOUT FORGETTING OUR ROOTS

ヒジャブのメタル戦士 VOICE OF BACEPROT の3人組、Sitti, Widi, Marsya は歩くときは腕を組み、三つ子と間違えられるほど似た姿で笑顔を振りまきます。3人は決して笑いを止めません。その笑いはさながらヘヴィ・メタルのごとく周りに伝染し、3人が母国語のスンダ語で話しているにもかかわらず、誰もが笑顔を纏うようになるのです。VOICE OF BACEPROT は、お互いの皿から食べ物を食べ、疲れたときにはお互いを支え合い、昼寝をするときにはそれぞれが腕や足、頭を他の誰かの上に置いて眠る。まるで、互いに手を離すとどこかへ飛んで行くのではないかと心配しているかのように。
スンダ語でうるさい声の意味を持つ VOICE OF BACEPROT は、インドネシアの西ジャワにある小さな村、シンガジャヤの出身です。シンガジャヤには 無線LAN もレコーディング・スタジオもなく、5人家族が月30ポンドで暮らしています。VoB の3人は学校の進路指導カウンセラーのPCを覗いているときに、SYSTEM OF A DOWN のアルバム “Toxicity” を偶然発見し、2014年バンドを始めることを決意します。
当時14歳だった Sitti は、学校にあった申し訳程度のドラムセットで1ヶ月の大半を譜面を覚えることに費やしました。Marsya はギターを、Widi はベースで同じことをやって、1ヵ月後には最初のカバーを完成させます。そうして、バンド結成のきっかけとなったコンピュータの教師、アーバ・エルザは3人の情熱と才能に驚き、彼がうっかり蒔いた種を育てることに専念しようと決意するのです。

今ではインスタのフォロワー数20万を誇る VOICE OF BACEPROT ですが、3人はスンダ語と英語を織り交ぜながら、いかに自分たちに友達がいないのかを説明します。
「私の村では、誰かが私を見ると、こうやって背中を向けるのよ!」と、21歳のリード・ボーカル兼ギタリスト、Firdda Marsya Kurnia は言います。彼女はヒジャブの黒いひだだけが見えるように振り返り、明るくはにかみます「本当よ!」
ドラムの Euis Siti Aisyah も21歳。ベーシストの Widi Rahmawati は22歳でバンドの年長者ですが、同様に不服そうに首を横に振ります。残念ながら地元に友だちはいませんが、それでも VOB のフォロワーは爆増中なのです。
インドネシアはイスラム教徒が大多数を占める国で、西ジャワは特に保守的。そのコミュニティにおいて、音楽はハラーム(イスラム法で禁じられている)だと信じられているため、3人がメタルの世界に飛び込んだときも彼らはあまり良い反応を示さなかったのです。Marsya は、『悪魔の音楽を作るな』と書かれたメモに包まれた石で頭を殴られ、さらにはオートバイにわざとぶつけられたり、母親の店の窓ガラスを割られたりと散々な目にあいました。VOB がステージに上がる直前に宗教指導者が電源を抜いたこともあり、マネージャーはバンド解散を迫る脅迫電話を受けたこともあります。言うまでもなく、VOB はふざけているわけでも、何かをバカにしているわけでもありません。彼女たちはただ、夢を実現するためにすべてを犠牲にしてきたのです。

デビューから9年、世界各地をツアーする忙しい日々を送っていながら3人は、観客から脅迫を受けたり、石を投げつけられたりしたことは、今でも昨日のことのように覚えているといいます。ただし、大人としての知恵と成熟を得たメンバーは、今ではそれを笑い飛ばすこともできるようになりました。「あの投石は、彼らがわたしたちを気にかけている証拠だったのよ」と Widi は笑っていいます。
暴力は時間とともにおさまりましたが、ソーシャルメディア上の憎悪に満ちた下品な発言はいまだに後を断ちません。Sitti は、ドラムを叩いているときに半袖のシャツを着ていただけで、イスラムの教義に反すると糾弾されたことを思い出しました。
「彼らは、わたしが長い緩い袖でドラムを叩いて嫌な思いをしたことを知らないのよ。叩いていると引っかかるの!わたしににとっては危険なことなの。あの嫌われ者たちは、わたしにとって何がベストかを考えず、ただ自分の好きなことを言いたいだけなんだ」
「人々は私たちを天使だと思っているの。わたしたちは決してミスを犯してはいけない、誰かの理想でなければならないと思われているの…」と Marsya も嘆きます。

では、VOICE OF BACEPROT はイスラム教を憎んでいるのでしょうか?初のヨーロッパ・ツアーで、3人はヒジャブについて多くの質問を受けました。なぜなら、欧州においてベールを被った女性は抑圧の象徴だったから。
「ベールじゃないわ。これはヒジャブよ」
Marsya は、宗教がいかに自分に喜びと強さをもたらしてくれるかを説明し、ヒジャブは自分の意思でかぶるものであり、平和と美の象徴であると語りました。
バンドはこうした質問に驚いてはいませんが、少し疲労しています。ヨーロッパのイスラム教に対する認識は3人にとって想像を超えていて、押し寄せるステレオタイプの波に呑まれそうになっていたのです。「もしわたしが爆弾を持っていると言って広場の真ん中に走り出し、バッグの中を濡れて臭くなった靴下でいっぱいにしたらどうなるかな?」と皮肉を言う Sitti の気持ちもわからなくはありません。
結局、彼女たちにとってヒジャブを着用することは、朝デオドラントをつけたり、家を出る前にズボンを履いたりするのと同じくらいありふれたことなのです。
「わたしたちが聞かれたいことのリストがあるとしたら、ヒジャブはそのリストの100番目くらい後ろになるでしょうね。そこに注目されることを望んでいないの。それよりも、自分たちの技術について話したいのよ。わたしたちは昼も夜も訓練してテクニックを磨き、素晴らしい曲を作ってきた。その話をしようよ!わたしたちが有名なのは、着ている服のおかげだと思っている人たちがいるの。うんざりだわ!」と Marsya は訴えます。

そうした騒音と嘲笑は、3人に “God, Allow Me (Please) To Play Music” “神様、お願いだからわたしたちに音楽を演奏させて!” という楽曲を書かせました。”わたしは憎しみの深い穴に落ちていくような気がする/わたしは犯罪者じゃない/わたしは敵じゃない/ただ魂を見せるために歌を歌いたいんだ”。しかし、そうした周囲のノイズはトリオに寛容と敬意についての貴重な教訓をも与えました。大切なのは、ルーツを忘れずに夢を追うこと。
「女性だけのメタルバンドがヒジャブを着ているのは、それほど一般的ではないのは事実よ。でも、わたしたちの国はそれほど厳格ではないのも事実。わたしたちは村では、(イスラム教徒として)多数派である自分たちの特権に安住しすぎていたの。でもメタル・シーンに入ると、ヒジャブをかぶった女性はメタル・シーンの一部とは見なされず、わたしたちは少数派になってしまった。だからこそ、許し合うこと、平和と寛容のメッセージがとても重要だとわかるのよ」
自分たちの身体や服の選択についてのコメントにうんざりしていた若きロックスターたちは、 “Not Public Property” という曲を思いつきました。3人は家庭内暴力やジェンダーに基づく暴力の被害者を支援するためにこの曲を捧げました。また、ウーマン・オブ・ザ・ワールド(WOW)財団と協力して、被害者を支援するために資金を集めています。
「この曲は家庭内暴力の被害者へのラブレター。そのほとんどは子供と女性なの。彼女たちは一生トラウマを抱えて生きていかなければならないの。彼女たちは常に責められている。そして人々は、女性が人前でどのように振る舞うべきかを取り締まり始める。まるで女性の体が公共物であるかのような気分にさせられるわ。誰もそんな扱いを受けたくはない!わたしたちは、この問題の支持者が増えていることを実感しているの。ステレオタイプではない環境に生きていることを嬉しく思うわ。異なる視点が必要よ」と Marsya は付け加えました。

3人の成長は、”Retas” 収録の新曲のひとつで、バンド初のインストゥルメンタル・ナンバーである “Kawani” を聴けば明らかです。スリリングなスンダ語で “勇気” の意をも持つ楽曲は、グルーヴィでヘヴィなセクションとスンダ風味のベース・ソロが4分足らずの長さで展開されていきます。この曲は、VOICE OF BACEPROT がスンダ音楽を探求するきっかけになるかもしれない。「将来的には、スンダの伝統楽器を演奏できる人とコラボレーションできるかもしれない」と Marsya はつぶやきます。
インドネシアではメタルが盛んです。61歳のジョコ・ウィドド大統領まで、自らをメタル・ヘッドだと語っています。シーンは密度が高く、Hellprint, Hammersonic, Rock In Solo といった巨大なフェスティバルが毎年何十万人もの観衆を魅了しています。バンドのマネージャー Nadia は何十年もの間、男性中心のシーンでマネージメントしてきましたが、2017年にアーバ・エルザから VOB のマネージメントを手伝ってほしいという電話を受けたとき、ひどく興味をそそられました。彼女はジャカルタから11時間かけて3人のの村まで会いに行き、2時間かけて音楽業界の落とし穴、上下関係、政治、そして名声についての説明を行いました。そして、何か質問はないかと尋ねました。
Marsya が手を挙げます。「食べ物が飛んでいる飛行機の中で、どうやって食事をとるの?」 Widi が重々しく付け加えます。 「あと、オシッコも」
その時、Nadia は3人の旅にどうしても参加しなければならないと思いました。

2017年、VOB はインドネシア全土で公演を行い、全国放送のテレビに出演し、あの Guardian 紙にも取り上げられました。翌年、デビュー・シングル “School Revolution” をリリースし、この複雑かつ奔放なスラッシュ・メタルは、3人の卓越した技術力と巧みなソングライティング・スキルを存分に見せつけました。このシングルは、ニューヨーク・タイムズ紙や BBC、アメリカの公共ラジオ・ネットワーク NPR、ドイツの国営放送 DW などのメディアに掲載され、バンドを国際的な存在へと押し上げました。しかしその後、パンデミックが発生し、すべてが停止しまったのです。
しかし Nadia は、この中断をバンドのスキルを磨く絶好の機会と捉え、3人の若い女性が首都ジャカルタに引っ越すべき理由を家族に説明するために彼女たちの村まで長距離ドライブを敢行しました。現在 VOB はジャカルタでアパートをシェアしていますが、バンドの練習の合間には Nadia の家でプールの水しぶきを浴びて過ごすことも。トリオは過去1年間、インドネシアのロックバンド Musikimia と Deadsquad のメンバー、そしてジャズベース奏者のバリー・リクマフワの指導を受けてきました。しかし、すべてが順風満帆だったわけではありません。村のコミュニティ内での苦闘と同様、インドネシアのメタル・シーンに受け入れられるためにも3人は戦わなければならなかったのです。
「進歩はしているけど、インドネシアのメタル・シーンにいる女性の数はごくわずかで、未だにわたしたちにとって安全な空間ではない。性的暴行はいまでもコンサートで起きているし、ソーシャルメディアは明らかに有害。”どうして VOB が選ばれるの?もっとメタルなバンドがいるじゃない” とか、わたしたちの身体や肉体的なことに関する発言は、いまだによくあることなの。ヨーロッパ・ツアーを2度行い、現在アメリカ・ツアーを行っていることは問題ではない。地元に帰ると、”いつ結婚して子供を産むの?”と聞かれるのが現実よ!」

地元のバンドの中には、3人の若い女性がやってきてショーを “盗む” ことを良しとしない人たちも少なくありませんでした。彼女たちは陰口をたたかれ、VOB がフェスティバルに出演するために金を払っているとデマを振りまかれました。Nadia はそれにもめげず、大人の男たち全員に文句を言ってまわりました。そして今、5年間の努力の末、VOB はインドネシアのメタルシーンの全面的な支持を得ました。2021年のシングル “God Allow Me (Please) to Make Music” は、インドネシアのすべての主要放送局でオンエアされ、シーンすべてのメタル・ヘッドからリポストされるようになったのです。
VOICE OF BACEPROT は、当初から自分たちの音楽を用いて重要な社会問題に関心を寄せてきました。初期の曲のひとつである “The Enemy of Earth is You” は、環境汚染と気候変動を嘆く楽曲で、VOB の出身地である西ジャワ州ガルトの鉄砲水など、インドネシアで記録的な自然災害が発生した2016年にリリースされています。さらに高校生だった3人は、硬直した教育システムを批判する “School Revolution” を書いた。そしてアルバム “Retas” は2017年に書いた反戦賛歌 “What’s the Holy (Nobel) Today?” で幕を開けます。
VOICE OF BACEPROT の楽曲は、宗教的寛容、気候変動、女性差別、戦争といった “問題” を取り上げていて、Nadia は彼らの肩にかかる重すぎる責任に罪悪感を感じることがあると認めています。「インドネシアにおけるイスラム教の意味を世界に示すのは、3人次第なのよ」

ゆえに Nadia は、3人の若いバンド・メンバーの精神的な健康を心配しています。Marsya はパニック障害に苦しみ、Sitti は母親を脳卒中で亡くして以来、時々手が震えてしまいます。しかし、宗教がバンドを支えているのです。
「神はわたしの話や悲しみを聞いてくれる。人にそれを話すと、予想外の反応が返ってくるかもしれないからね」そう語る Sitti に Marsya も同意します。
「何か心配なことや怖いことがあると、神に相談するの。他の人のようにわたしを責めることはないし、わたしが言うことは何でも聞いてくれるから。神に祈ると、夢を実現できる、そう信じる力が湧いてくるの」
コンサート・ホールが満席になると、VOBの軽やかな笑い声は緊張した沈黙へと消えていきました。バンドは西ジャワの伝統的な素材を使った黒い衣装を着ています。Sitti はアンプの上に座り目を閉じてエア・ドラムを叩き、Marsya は黙々と歌詞を朗読し、Widi はエア・ベースを弾いて待ちます。
「ステージにいるとき、私たちはひとりぼっちのように感じるの。だからステージにいないときは、いつも近くにいようと約束してるんだ」

照明が落ちる。時間だ。最後の音が鳴り終わると、Marsya がマイクに向かいます。彼女の緊張は消え去り、ベテランのカリスマ性に変わっていました。
「このライヴの前にインタビューがあって、みんなわたしたちのヒジャブについて聞いてきたの。まるでファッション・ショーのためにここに来たような気分よ。わたしたちは夢を叶えるために、そしてヒジャブが平和と愛と美の象徴であることを示すためにここに来たのに!」
観客は賛同の声を上げます。
「もし誰かがわたしたちのヒジャブについて尋ねたら、どうするか知っている? もし誰かがわたしたちに憎しみを込めた言葉を使ったら、どうするか知ってる?ヒジャブはわたしたちの選択なのかと聞かれら、どうするかわかる?こうするんだ!」
間髪を入れず、Marsya がマイクに向かって叫び、Sitti がドラムを叩き、Widi がベースをかき鳴らす。VOICE OF BACEPROT には世界を変える力があるのです。
3人のヒジャブの戦士は、現在 “テレビゲームのラスボス” と彼女たちが例えるアメリカをツアー中。US ツアーのニュースはバンドの地元にも届き、Marsya の家族にシュールで愉快な出会いをもたらしました。
「今朝、ママから電話がかかってきて、誰かが土地を売りに来たって。”あなたの娘がテレビに出たんだから、きっと大金持ちに違いない!”ってね!」
2021年、ヨーロッパ・ツアーの直前、トリオは永遠のヒーローのひとり、Tom Morello と話す機会を得ました。「俺は君たちのの大ファンだ。君たちのバンドとしての存在そのものが、世界中の人々にインスピレーションを与えているんだ」と Tom は3人に言ったのです。
つまり、もう誰も VOICE OF BACEPROT 止めることはできません。村の名前であるシンガジャヤ、つまり “栄光のライオン” である彼女たちの雄叫びが止むことはありません。


参考文献: REDBULL:LIVING ON A PRAYER WITH INDONESIAN ROCK BAND VOICE OF BACEPROT

The ASEAN:Voice of Baceprot: Breaking Barriers with Heavy Metal

NME:Hard as rocks: Indonesian metal trio Voice of Baceprot keep breaking boundaries