“Maybe Melancholy Is In Our DNA That’s Been Also Formed By Quite a Tough Historical Path Our Country Is Taking”
DISC REVIEW “ROOMBAYA”
「アルメニアの若い世代の嗜好には、SYSTEM OF A DOWN が大きな影響を与えているということだね。正直に言おう、アルメニア人は他のアルメニア人が有名になるのが好きなんだよ。だから僕たちは、単純に彼らのことを無視できなかったんだ」
2023年が終わろうとしている現在に至っても、アルメニアの英雄 SYSTEM OF A DOWN が新しいアルバムを出す気配はありません。もちろん、ライブでのケミストリーは十分という彼らの言葉通りしばしばツアーは行なっています。アルツェフとアルメニアで起きた紛争や虐殺に際しては、実に15年ぶりとなる新曲で世界に訴えかけもしました。とはいえ、非常に残念ですが、おそらく2005年以来となるアルバムは、来年も、再来年も、届くことはないでしょう。しかし、案ずることはありません。私たちには同じアルメニアの血を引く MANAPART がいます。
「たとえ音楽が世界を変えることができなくても、ある特定のグループの人々がこの世界について感じていることを反映することはできる。だから、より良い未来への希望があると感じたら、僕たちはそれを歌で伝えるんだ。音楽は命を救うことはできないけど、少なくとも気分を良くさせることができる。そうすれば、この世界に小さくても良い変化を与えることになるんだよ」
SYSTEM OF A DOWN と違って、MANAPART はアメリカに拠点を置いてはいませんし、伝説的プロデューサーのリック・ルービンも共にはいません。しかし、彼らには誠実さと野心、創造性が無尽蔵に備わっています。常に紛争と隣り合わせの場所で生まれ育ったからこそ、身に染みて感じる命と平和、希望の大切さ、そして悲しみ。
「僕たちの音楽にある哀愁は、僕たちの国が歩んできた厳しい歴史的な道によって形成され、僕たちのDNAの中にあるものだと思う。正直に言うと、人々を幸せな場所に届けるような本当に良い曲を書くのはとても難しいんだよ」
MANAPART は2020年の結成以来、世紀末の Nu-metal と東洋音楽、アルメニアのフォーク・ミュージックのユニークな婚姻を成功させ、SYSTEM OF A DOWN のフロントマン Serji Tankian その人からも賞賛されるまでに頭角を現してきました。MANAPART が母国の英雄と比較されるのは、彼らが SOAD のカバー・バンドから始まったことはもちろん、それ以上に同じアルメニアの悲哀を抱きしめているからでしょう。
大国をバックとした係争地、ナゴルノ=カラバフを巡るアゼルバイジャンとの血で血を洗う紛争は、彼の地に生きる人々の心を、体を疲弊させていきました。だからこそ MANAPART は、表現力豊かな音楽で社会的不公正、抑圧や心の憂鬱など感情をとらえた力強いメロディーを通して、人生の不条理と複雑さを探求していきました。そうして彼らは、リスナーをメランコリーに満ちたアジアと欧州、そして中東の交差点へと誘いますが、その一方で、作品全体の根底にあるテーマはより良い未来と開放のための希望と光が溢れているのです。
今回弊誌では、MANAPART にインタビューを行うことができました。「Roombaya とはアルメニアの儀式の踊り。僕たちの魂が解放される儀式のようなもので、神聖な火の周りで踊るブードゥー教のダンスのようなものだ。この炎は僕たちの魂を時空を超えて高揚させ、本当の自由を感じさせてくれるんだ」 どうぞ!!
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH FLOYD LONDON OF THE ALMIGHTY !!
“Rock Show Is All About Screaming Your Head Off, Fists In The Air, With a Bunch Of Like-minded Individuals Making a Real Connection With Band Stood Right In Front Of You. The Crowd Feed Off The Band, The Band Feed Off The Crowd, Becoming One”
DISC REVIEW “BLOOD, FIRE & LOVE”
「ストリーミングのライブと本物のライブは比較にならないと思う。ある種の落ち着いたジャンルでは、ストリーミングの方がうまくいくかもしれないけど、ロックのライヴは、目の前にいるバンドと本当のつながりを作りながら、志を同じくする大勢の人たちと一緒に、拳を振り上げて、頭を振り上げて叫ぶことがすべてだから。観客はバンドを糧とし、バンドは観客を糧とし、一体となるんだよ!」
ライブやその音源の方が、雑だけどスタジオ盤よりもかっこいいし強烈で興奮する。それが当たり前だった風景は今や昔。THE ALMIGHTY が2023年に復活する理由があるとすれば、間違いなくこれに尽きます。彼らがロックやメタルの世界から消えている間に、音楽産業のあり方は大きく変わりました。
彼らが生きた時間をかけて “足を運ぶ” 時代は遠ざかり、清廉潔白で”正しい” 音源もライブ配信も情報も、すべてがワンクリックで手に入る現代。そんなインスタントでバーチャルな無菌室の音世界に、THE ALMIGHTY は “体験” や “経験” の汚染を取り戻そうとしています。
「人々が私たちを見たいと望むかぎり、このバンドが私の居場所だと感じるようになったんだ。
最近、長いドライブ旅行をしたんだけど、最初の5枚のアルバムをプレイリストに入れて、フルボリュームで聴いたんだ。最近ではそれが音楽を聴く唯一の方法なんだよな、実際。で、自分たちの曲なのに腕の毛が全部逆立つような感じだったよ。今でも興奮した。曲は時の試練に耐えているんだ。今のバンド内の雰囲気はとてもいいんだ。私たちの人生の魔法のような時期に戻ったようで、特別な感じがするよ。だからこそ、本当にうれしいんだ!」
Ricky Warwick, Stump Monroe, Floyd London。80年代、スコットランドで学生時代からの幼馴染が結成した THE ALMIGHTY は、いつしかその存在感を世界中で大きくしていきました。特に、ここ日本では、THE WILDHEARTS, THUNDER , SKIN, THERAPY? らと共に、”生粋のメタルではないがとにかくメロディと勢いとルックスが強烈な英国勢” として人気が爆発。今では車の中でしか存在意義がないような CD も飛ぶように売れ、来日公演も大盛況だったのです。
「個人的に一番好きなのは “Crank” だ。パンクの攻撃性をロックの音楽性と明瞭な歌詞で表現したこのアルバムが、私たちのピークだったと思う。ただ、”Blood Fire & Love” には、他のアルバムとは異なるエネルギーと意図があって、今でもライブで演奏する曲が多いからな。時の試練に耐えていることは確かだよ」
CD のジャケットが色褪せたとしても、THE ALMIGHTY の音楽が時の試練に耐えたのは、一重にそれが “全能の” ロックだったからでしょう。グラムやゴス、MOTORHEAD の暴走機関車から始まり、”Powertrippin” のヘヴィ・グルーヴ、”Crank” の UK らしい口ずさめるパンクに “Just Add Life” の Pop’n Roll まで、彼らはその圧倒的なライブ・パフォーマンスにモノを言わせてやりたいことをやりたいように突き進んできました。
だからこそ、どのアルバムを聴いても新しいし、どのアルバムを聴いてもエネルギーに満ちている。それがきっと、真の音楽 “体験” なのでしょう。
「再結成してメンバー間の齟齬を脇に置くということは、すべての齟齬を脇に置くということだ。物語の始まりを祝う35周年というのは、そのための十分な口実に思えたんだ」
そんな彼らが、再集結の会場に選んだのは、始まりの場所グラスゴーであり、始まりの音 ”Blood, Fire & Love”。ギタリストも、オリジナル・メンバーである Tantrum が選ばれました。もちろん、Alice Cooper の下で学んだトリッキーな Pete Friesen を愛するファンも多いでしょうが、Tantrum の直情型ギタリズムもまた至高。
35年という時の試練や周りの雑音、メンバー間のわだかまりに耐えた THE ALMIGHTY、全能のスコティッシュが、来年以降も予定されているライブやアルバムでどんな “体験” をもたらしてくれるのでしょうか。私たちがかつて、ロックやメタルを聞いて感じていたあの全能感を、全能神が取り戻してくれることはたしかでしょう。
「記憶が正しければ、ハイライトは大阪の野外円形劇場だったな。5,000人の観客が座席に座り、静かに辛抱強く私たちを待っていた。私たちがステージに上がると、観客は熱狂し、ショーが終わると、5分も経たないうちにみんなが整然と去っていった。素晴らしかったね」来日もあわせて期待しましょう!Floyd London です。どうぞ!!
現代のインストゥルメンタル・ギター界は想像力と独創性に溢れています。Tim Henson, Tosin Abasi, Ichika, Manuel Gardner Fernandes, Jakub Zytecki, David Maxim Micic, Aaron Marshall, Yvette Young のようなミュージシャンは、アクロバティックな演奏だけではなく、技術性と音楽性が共存できることを証明しています。Plini がその一員であることを誇りに思うシーン。
「多くの進化と才能に囲まれているのは素晴らしいことだ。ANIMALS AS LEADERS にしても、UNPROCESSED の曲にしても、テクニカルでありながら、シンプルなメロディのようにエモーショナルでキャッチーなんだ」
このシーンは、DIYが主流であり、ビジネスやレーベルを重視していないことも Plini は気に入っています。
「ビジネスにかんして、僕はできるだけ人を避けるようにしているんだ。僕にはレコード会社もマネージャーもいない。そうすることで、僕と同じ目標を持っていないような人たちと話す時間を無駄にしなくてすむからね。ツアーに出るときも、一緒にいるのはみんな友達だから、何か問題があってもすぐに話せる。一緒に仕事をする人たちはみんな、自分の仕事を愛し、本当にいい仕事をしたいという同じ姿勢を持っている。
僕は幸運なことに、典型的な音楽業界のしきたりやならわしの多くを避けてきた。でも、特にこのシーンやジャンルでは、観客がそれでもアーティストのハードワークを評価してくれるから良いよね。生半可なプログ・バンドが有名になっても、ギター・オタクの人たちはみんなわかっていて、”そんなに良くないよ。聴く気にならない” ってなるからね。だから、このシーンで活動するのはとても正直なことなんだ」
“I Founded My Inspiration In The Sounds Of The Swedish Mysterious And Enchanting Forest And The Nordic Light And Through My Journeys In Eastern Europe.”
DISC REVIEW “GIPSY POWER”
「私は伝統的なギター・ヒーローの典型的なタイプではなく、自分の音楽を前進させ、新しい音楽表現の方法を探求することに重点を置いていたんだと思う。スウェーデンの神秘的で魅惑的な森の音や北欧の光、そして東欧の旅を通してインスピレーションを得ていたんだ。東欧の音楽には、速いテクニカルな部分への挑戦がある一方で、挑戦的でプログレッシブな部分も非常に多いからね」
トルコとフランスを結ぶ豪華寝台列車、オリエント急行。アガサ・クリスティのミステリーの舞台にもなったこの列車の風景は、エジプトから中東、インド、そしてヨーロッパをまたにかけたジプシーの足跡をたどる旅路にも似ています。
ジプシーの文化はその渡り鳥的な生き方を反映して、実に自由かつ多様でした。言語はもちろん、風習、食事、そして音楽。ジプシーであるロマ族に生まれ、放浪生活の中でスウィング・ジャズとジプシー民謡を天才的に融合させた巨匠、ジャンゴ・ラインハルトのオリエンタルな音楽はその象徴でしょう。
1990年代前半、そんなジプシーのエスニックでオリエンタルな音楽をメタルで復活させた若者が存在しました。スティーヴン・アンダーソン。美しく長いブロンドをなびかせたスウェーデンの若きギタリストは、デビュー作 “Gipsy Power” で当時の日本を震撼させました。紺碧の背景に、真紅の薔薇と無垢なる天使を描いたアートワークの審美性。それはまさに彼の音楽、彼のギタリズムを投影していました。
重要なのは、スティーヴンのギター哲学が、あの頃ギター世界の主役であったシュラプネルのやり方とは一線を画していた点でしょう。決して技巧が劣るわけではなく、むしろ達人の域にありながら (イングヴェイがギターを始めたきっかけ) 、ひけらかすためのド派手なシュレッド、テクニックのためのテクニックは “Gipsy Power” には存在しません。いや、もはやこの作品にそんな飛び道具は相応しくないとさえいえます。楽曲と感情がすべて。スティーヴンのそのギタリズムは、当時のギター世界において非常に稀有なものでした。
では、スティーヴンが発揮した “ジプシー・パワー” とはいったい何だったのでしょうか?その答えはきっと、ギターで乗車する “オリエント・エクスプレス”。
スティーヴンのギターは、ジミ・ヘンドリックスの精神を受け継いだハイ・エナジーなサイケデリック・ギターと、当時の最先端のギター・テクニックが衝突したビッグバン。ただし、そのビッグバンは、ブルース、ロック、フォーク、プログレッシブ、クラシックの影響に北欧から中東まで駆け抜けるオリエンタルな旅路を散りばめた万華鏡のような小宇宙。
“The Child Within” の迸る感情に何度涙を流したでしょう。”Gipsy Fly” の澄み切った高揚感に何度助けられたでしょう。”Orient Express” の挑戦と冒険心に何度心躍ったことでしょう。”‘The Scarlet Slapstick” の限りない想像力に何度想いを馳せたでしょう。
その雄弁なギター・トーンは明らかに歌声。”Gipsy Power” は少なくとも、日本に住むメタル・ファンのインスト音楽に対する考え方を変えてくれました。私たちは、まだ見ぬ北欧の空に向かって毎晩拝礼し、スティーヴンを日本に迎え入れてくれた今はなきゼロ・コーポレーションを2礼2拍手1礼で崇め奉ったものでした。
しかし、より瞑想的で神秘的でプログレッシブなセカンド・アルバム “Missa Magica” を出したあと、スティーヴンは音楽シーンから忽然と姿を消してしまいました。”Gipsy Power” の虜となった私たちは、それ以来スティーヴンをいつでも探していました。向かいのホーム、路地裏の窓、明け方の桜木町…こんなとこにいるはずもないのに。言えなかった好きという言葉も…
私たちが血眼でスティーヴンを探している間、不運なことに、彼は事故で腕を損傷していました。その後炎症を起こし、何度も結石除去術、コルチゾン注射、さまざまな鍼治療法を受けましたが状況は改善せず、スティーヴンのギターは悲しみと共に棚にしまわれていたのです。
しかし、それから10年近く経って、彼は再びギターを弾いてみようと決心し、愛機レスポールを手に取りました。それはまさに、メタルのレジリエンス、反発力で回復力。スティーヴンの新しいバンドElectric Religions は、初めての中国、珠海国際ビーチ音楽祭で3万人以上の観客の前で演奏し、中国の映画チームによってドキュメンタリーまで制作され、その作品 “The Golden Awakening Tour in China” がマカオ国際映画祭で金賞を受賞しました。
マカオでの授賞式の模様は中国とアジアで放送され、推定視聴者数は18億人(!)に上りました。スティーヴンは現地に赴き、”文化的表現によって民主主義の感覚を高める” というマニフェストに基づいて心を込めて演奏しました。そして数年の成功と3度のツアーの後、彼は GIPSY POWER をバンドとして復活させるために、Electric Religions を脱退することを選んだのです。
長年の友人であり、音楽仲間でもあるミカエル・ノルドマルクとともに、スティーヴンは GIPSY POWER をバンドとして再結成。アルバム ”Electric Threads” は、2021年11月19日、ヨーロッパの独立系音楽・エンターテインメント企業 Tempo Digital の新しいデジタル・プラットフォームにより、全世界でリリースされました。新たな相棒となったミカエル・ノルドマルクは、MIT で学んだことはもとより、あのマルセル・ヤコブにレッスンを受けた天才の一番弟子。期待が高まります。ついに、大事にしまっていた宝石箱を開ける日が訪れました。奇しくも来年は、”Gipsy Power” の30周年。私たちは、ジプシーの夢の続きを、きっと目にすることができるでしょう。「日本は私のプロとしてのキャリアの始まりでもあった。日本にはたくさんの恩があるし、今でも日本という美しく歓迎に満ちた国に行って、クラブ・ツアーをしたいと思っているんだよ」 Steven Anderson です。どうぞ!!