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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【CONJURER : PATHOS】


COVER STORY : CONJURER “PATHOS”

Me And Dan Have Always Talked About Wanting To Take That Extreme, Roadburn Sound, And Trying To Distil It Into Something More Accessible.

PATHOS

「すでにこのバンドは、僕らの誰もが可能だと考えていたよりも遠くに来ている…これは客観的に見て、今まで誰も作ったことのないベスト・アルバムだ。何が起こるか予想できるようなバンドにはなりたくないんだ」
メタル世界で今、最も謙虚で、しかし目覚ましい成長を遂げたバンドこそ CONJURER。誇りを込めて、彼らは自らの音の葉を “リフ・ミュージック” と呼んでいます。ロックダウンを経て、ドラマー Jan Krause の脱退を受け入れたミッドランドの英傑は、驚異的なセカンドアルバム “Páthos” で、”Neo-New Wave of British Heavy Metal” の旗手の座をたぐりよせました。過去2年半の残酷な現実の後、彼らは再び英国で最も需要のある輸出品 “ヘヴィ・メタル” の担い手として夢を生きているのです。
CONJURER は謙虚なバンドです。彼らは、1ミリも我慢できないロックスター志望者でもなければ、”自分のブランド” を築こうとする計算高いソーシャルメディア・パーソナリティでもありません。ただ、私たちと同じ、生粋のメタルヘッズというだけ。デビュー作 “Mire” が様々な媒体で満点の評価をさらったのは、センセーショナルで見出しを飾るようなハイコンセプト、ギミックのおかげではなく、その息苦しいほどドロドロした楽曲を地下室や裏部屋で何百回も演奏して練り上げたからこそ、メタルヘッズの心に響くものとなったのです。会場が大きくなり、世界中でブッキングされる今でも、ギタリストの Dan Nightingale はステージから降りると、その非現実的な光景を噛み締めます。
「僕らにはイメージもないし、裏話もないし、カルト的な人気もない。僕らはただメタルが好きな、信じられないほど退屈な4人組で、それでもどうにかここまで来た。もちろん、音楽に共鳴してくれなければ、こんなことにはならなかっただろうし、ファンにはとても感謝している。でも、裏を返せば僕らがやっていることだけを好きでいてくれる人たちがいて、そのおかげでこれほどの成果を達成できるなんて、今でも正気の沙汰とは思えないよ。だから、みんなに乾杯!変人たちよ!」

7月1日にリリースされた CONJURER のセカンド・アルバム “Páthos” は、メガレーベルNuclear Blast と契約して以来初の作品。そして、ベーシストの Conor Marshall と共に書いた初の楽曲群でもあります。言うまでもなく、2022年にリリースされるメタルの中で最も期待されている作品のひとつであることは間違いありません。フロントマンの Brady Deeprose は、まだそんなバンドの躍進を信じられないと語ります。
「”Mire” のマスターを提出したら、レーベルがアルバム・タイトル、ミュージック・ビデオ、アートワークを要求してきたのを覚えているよ。僕たちはただ “なんだ!?自分たちが何をやっているのか、まったくわからない!” って混乱していた。4年経って、地元のバンド、つまり仲間の何人かが集まったバンドから、正当なヘッドライン・アクトにステップアップすることがどういうことかやっとわかりはじめたよ。より大きな経験、成熟、認識。それが僕らの姿なんだ。つまり、僕たちは初めて正当なバンドになったようなものなんだ。これが始まりって感じだよ….」
ESOTERIC の Greg Chandler と共にバーミンガムの The Priory と、Excalibur Cottage と名付けたノーザンプトンの邸宅の間でレコーディングを完了させた CONJURER。3日間にわたるレコーディングは、マイクの不具合により中止となり、Brady はマイクの交換のためにロンドンに緊急帰郷することになりました。さらにドラマーの Jan Krause がその直後、すねを痛めてさらにレコーディングを遅らせることになったのです。2分半の “Suffer Alone” の収録を即座に変更したため、Conor はこのアルバムで最も難しい曲を暗記して、一晩でトラッキングを行わなければならなくなりました。さらに、ロックダウン中の出来事というプレッシャーも加味されます。ミキシングとマスタリングは、ハードコアのスーパー・プロデューサー、Will Putney を今日。彼らのゴリゴリとしたライブの質感をできるだけ引き出すことを目的に、アルバムをアメリカ国内に送り、彼の本拠地グラフィック・ネイチャーで完成させたのです。
アルバムの発売に際して、Brady にプレッシャーはあったのでしょうか?
「プレッシャーというより、初日から僕らをサポートしてくれた人たちに対する義務だね。ライヴに足を運んでくれたり、Tシャツを買ってくれたり、多くの時間とお金を投資してくれたレコード会社、何年も僕らと仕事をしてくれたブッキング・エージェントやPRなどのため、いい作品を作りたかった。しかし、最終的に僕たちが喜ばせようとしているのは、僕たち自身だけなんだ。この信条を守れば、逆に僕たちに投資してくれた人たちに対する義務を果たすことになる。もし、このレコードが気に入らない人がいたら?僕たちは “間違っていてもいいんだ” と言いたいね。僕たちは努力してこれを作り上げた。1年半かけて作ったんだ。もし気に入らなくても、もう少し努力して味方になってあげるべきかもね」

“Mire” のサウンドが、がその制作中に行った無数のショーによって定義されたとすれば、”Páthos” は CONJURER が全く演奏できなかった期間の落とし胤です。しかし、ギリシャ語で “苦しみ” と訳されるタイトルにもかかわらず、リスナーはパンデミックの経験についての鋭い考察を期待する必要はありません
「ライブで演奏することができなかったんだ。微調整やロードテストもできなかった。ただ、自分の家でじっくりと演奏して、それがアルバムに収録されるんだ。世界が再び開かれ、ギグが再び行われるようになった今になって、”Pathos” の曲をライブで演奏しようとしたら、”なんてこった!”って感じなんだよ」
“Mire” に伴うツアーでは “100万回” 演奏したと Brady は語ります。
「”Mire” では、週末に演奏して、ローカル・オープナーになって、週末にぶらぶらしてリフを書いてただけなんだ。でも、その後、フェスティバルや大きなバンドと一緒にちゃんとしたツアーをやるようになったから、このアルバムではその恩恵を受けることができるだろうね。GOJIRA やヘヴィな音楽をやりたいと思わせてくれたバンドをベースにしていたのが、今はもっと深みにはまり、他の影響を受け始めたところなんだ。”Mire” は、僕らが消費しているものやバンドの方向性と比べると、かなりベーシックな感じがするね。僕と Dan は、ロードバーンのようなエクストリームなサウンドを、より親しみやすいものにしたいといつも話しているんだ。今、”Mire” を聴くと、ただビッグで馬鹿みたいなリフがあるだけ。”Pathos” は間違いなく僕たちが目指しているものを凝縮しているんだ」
2020年にスタジオを訪れた際、Brady がバンドの昔のサウンドをビッグでクレイジーなリフがあるだけ” と表現したのはやりすぎかもしれませんが、”It Dwells” の変幻自在な巨人のリフ、”Those Years, Condemned” の陽気なフォークと角ばったマスロックの婚姻、”In Your Wake” の胃が潰れるほどのデスゲームを聴けば、その表現もあながち大袈裟ではありません。バンドによると、1曲目の “It Dwells” は、アルバム全ての個性を1曲のメタルで表現しているとのこと。GOJIRA や YOB、CONVERGE や ELECTRIC WIZARD といった、彼らのアイドルの影響も未だ残っていますが、それはこれまでよりもはるかに計算されたニュアンスで展開されています。さらに Brady は北米ポストメタル界の至宝 SUMAC の名前をインスピレーションの一つはに挙げていて、彼が取り込もうとしているメタルの “深み、先進性、無双、極限” の波を、オランダのアヴァンギャルド・メタル集会 “Roadburn” シーンとして要約することを好んでいます。
「いつか、ロードバーンのサウンドを、ダウンロード・フェスティバルのオーディエンスに親しみやすいものにしたいんだ。TRIVIUM, BULLET FOR MY VALENTINE, THE BLACK DAHLIA MURDER を聴いて育った人の感性で、IMPERIAL TRIUMPHANT のような作品をフィルタリングしたいんだよね。ダウンロードが好きな人たちはロードバーンのバンドを聴いて、”これで楽しかったら、10点満点になるのに” と言うでしょう?僕たちはそれができるバンドなんだ 」
Dan も同意して肩をすくめます。「ロードバーン・シーンには素晴らしいバンドがたくさんいるけど、あまり楽しくないよね」

ちなみに、2018年の時点で CONJURER がこれほどビッグな存在になるとは予想もしていなかった弊誌ですが、当時行ったインタビュー で Brady が興味深い言葉を述べています。
「僕にとっては GOJIRA と THE BLACK DAHLIA MURDER こそがスターティングポイントだった訳だからね。そして決定的な瞬間は YOB をライブで見た時だった。多くのバンドは一つか二つのメジャーな影響を心に留めながら作曲していると思うんだけど、僕たちはどの瞬間も30ほどの影響を考慮しながらやっているんだ。ギター/ボーカルの Dan Nightingale と僕は、当時同じようなフラストレーションを抱えて仲良くなったんだ。ローカルシーンがいかにクソになったか、メタルコアがいかに退屈かという鬱憤だよ」
ただし、その “楽しい” ことだけが “Páthos” の明らかなセールス・ポイントというわけではありません。マンチェスターのポストロッカー PIJN との2019年のコラボレーション “Curse These Metal Hands” と比較して、Brady は「”CTMH” が50パーセントのアルコールであるのに対し、”Pathos” はとてもシラフな体験だ」と言い切ります。それでもこのアルバムは、鬱と実存的な恐怖をブレンドした魂の叫びであり、特に残酷な二日酔いによく似ていると言えるのかもしれません。
例えば、ロンドン在住のヴォーカリスト兼作曲家 Alice Zawadzki の力強い歌声が響く “All You Will Remember” は、亡くなった祖母がアルツハイマー病と認知症と10年間戦う姿を見た Dan の実体験。
「いろいろな意味で、認知症は死の前の死だ。この曲は感情的だ。今年の初めに祖母が亡くなってから、この曲は間違いなく別の光を帯びている。祖母が亡くなった今、この曲を世に出すべきかどうか、自問自答しなければならないことがあるんだ。でも、それがこの病気の現実なんだよな。認知症を患った人がもうかつての愛する人ではないという考えと格闘しても、患者が心の奥底では自分に何が起こっているのか分かっているのだと思うと、胸が張り裂けそうになる」

ネット上の哲学者Rokoによる同名の思考実験にインスパイアされた “Basilisk” は、仮想の人工知能が、想像しながら実現するために働かなかった人を拷問する動機があるという “決定理論” と、そのシナリオが人間の自由意志に及ぼす影響についてとりあげています。この抽象的なコンセプトは、Google のエンジニアが同社のチャットボットに意識が芽生えたことを示唆したとして停職処分を受けたという最近のニュースを思い起こさせる一方で、完成した楽曲は、歌詞としてはあまりにも濃密で、その中心には “思考は破滅と似ているか” という問いがうっすらと漂っているのです。
「アルバムにコンセプトはなく、ただただ惨めな曲ばかり。認知症の影響についての曲もあるし、認知症になった人の愛する者として、また自分自身がそのような状況に陥るかもしれないという可能性、それに対処するための曲もある。本当に惨めで、鬱や不安といった内面的な葛藤や、それにどうアプローチしていくかというトラックもある。鬱や不安がどのように現れるかという二面性、そして本当の自分とネガティブな自分とのバランス。それから、ロボットが世界を征服してしまうという曲もある」
クローザー “Cracks In The Pyre” は、カーディフ・シティのサッカー選手であるエミリアーノ・サラが英仏海峡上空の飛行機事故で死亡し、彼の遺体が見つからなかったことを受けて Jan が胸中さらけ出したことに端を発しますが、すぐに悲しみと偉大な来世のためのより複雑なメタファーへと発展していきました。”かつて穏やかだった潮流は、今は苦しめ、思い出させるだけだ “あの世” の君を思い描こうとしても、君の優美さは見えないまま 僕は否定される”。Brady はこう説明します。
「僕たちは誰も宗教家ではないんだけど、宗教家が故人が “より良い場所” に行ったと信じることで得られる許しをうらやむという話をしていた。それを信じていなければ、誰かがいなくなったとき、彼らはただいなくなっただけになってしまう。この興味深い、感情的な、信じられないほど憂鬱なテーマが、熟考するきっかけになった」

他の曲でもソングライターたちは、悲しみを自らに語らせることに喜びを感じています。”It Dwells” と “Rot” は、精神疾患がもたらす対照的な影響について歌い、”Suffer Alone” では、苦痛に満ちた孤独を力強く反芻。”In Your Wake” では、拒絶と喪失の影響を扱っています。Brady と Dan は過去に不安やうつ病の経験を公言していますが、それでも “Pathos” は CONJURER がこれまで見せたどの作品よりも親密で、思いやりと希望に満ちているように感じられます。
「個人的な歌詞を書くとき、自分にとってトラウマになるようなこと話したくないという思いが常にあったんだ。でも、人生にはいろいろなことが起こるから、それを話さないわけにはいかないんだ。ロックダウンが僕らに影響を与えなかったと言うのは愚かなことだ。このアルバムは、僕たちがこれまでで最もつながりが薄かった時代の、つながりと共感について書かれたもの。もし、別の時期に制作していたら、もっとハッピーなアルバムになっていたかもしれない。でも、同じように聴こえたと思いたいね」
“Páthos” の物語は、音楽だけでは終わりません。2021年3月に最終マスターを受け取ってから15ヶ月後にリリースされるまでの遅れは、ハードコアなファンにアナログ盤の素晴らしさを味わってもらうために、リリース日にフィジカルレコードを届けたい(または供給が不安定な現状では可能な限りそれに近づけたい)という CONJURER の希望によるものでしたが、そのおかげでパッケージ全体の完成度を高めることができました。
ペイントされたアートワークのアイデアは “Mire” の頃からありましたが、今回、時間とリソースを追加したことで、バンドはフランスのアーティスト Jean-Luc Almond に依頼することができました。彼は、油絵の抽象画に落ち着いたポートレートを重ねた独特のスタイルを持ち、アルバムの変幻自在の悲しみと共鳴しています。特別に依頼され、額装された彼の作品は、パッケージ用に両面撮影されました。Brady は興奮を抑えられません。「音楽とビジュアルは同じものなんだ!」
Dan にとって、この印象的なビジュアルは、曲の中で表現されている個人的な目覚めと完璧に呼応しています。ロックダウンの末に自閉症であることが判明し、それまで苦しんでいた断絶を理解し対処できるようになったことで、痛みから解放されたのです。
「僕が今まで感じていたけれども表現できなかったことをすべて表現しているんだ。両手で頭を抱えながら、顔の奥底から大きな色の塊が出ている人のイメージは、僕が心の中に抱え込み、話すことができないと感じたすべてのものを象徴しているんだよ」

一方、Jan にとっては、昨年の夏が一つの区切りとなりました。6月19日に開催されたDownload Pilot のメインステージで演奏した後、重要なソングライターであり、スタジオでの事実上の芸術監督でもある創設者のドラマーは、バンドメンバーにスティックを置くことを告げたのです。
「本当に悲しいよ」と Brady は嘆息します。「結婚して数日後、母親、妻、義理の両親と一緒に食事をしているときに、メッセージを受け取ったんだ。携帯電話を見て、”Jan がバンドを辞めた!” って言いながら見返したんだ。レコードのスクラッチみたいな感じ。どう処理していいかわからなかったよ!少しの間、本当に怒っていたよ。Jan は10歳の頃から少なくとも2つのバンドを同時にやっていて、一時期は6つもやっていた。誰よりも多くギグをこなしてきた。彼はツアーが嫌いだと公言していたが、かつてはステージ上の30分に価値があると感じていた。最初のアメリカ・ツアーが始まって2週間目に、彼はもう演奏するのは楽しくないと言ったんだ。そして、ダウンロード・パイロットのとき、彼は広報担当者にキレて、自分の機嫌の悪さが自分を悪い人間にしていることに気づいたんだ。彼にとっては、このバンドは自分には合わないと悟った瞬間だった。彼はこのバンドを辞めただけでなく、所属していた全てのバンドを辞めたんだ。そして、恐ろしいことではあるけど、離れてみることは彼の精神衛生上とても良いことだった。最近彼に会って、僕の好みからすると不穏にハッピーに近い感じだな!って思ったんだ」
空いたスツールは、新鮮な出会いも与えてくれました。ギルフォードのハードコアクルー POLAR の Noah Seeが、CONJURER の新しいドラマーとして登場したのです。昨年11月以来、代役を務めてきた彼は、思わず笑みがこぼれる。
「Janはこのバンドでとても重要な役割を担っていたけど、僕たちは音楽的にも個人的にもとてもうまくいっているんだ。このメンバーで新しい経験をし、外に出て、人々に自分の印象を与えることを楽しみにしているんだ」
新鮮なエネルギーは、これほど重いアルバムを世に送り出す上で極めて重要なものです。
「Noah が加入したことで、バンドとしてどうあるべきか、どうありたいかを再確認することができた」と Conor は思っています。「Noah に参加してもらった後、彼は僕らにバンドの本当のゴールは何かと聞いてきたんだ。これはただ4人の仲間で、ちょっと手に負えなくなったギグをやるだけなのか、それとも本当にやりたいことをやるのか?ってね。ということです。パンデミックによって元気を取り戻したように、今は4人目のメンバーが本当にここにいたいと思ってくれている。彼のおかげで、自分たちのやりたいことに気づけたんだ」
そして、もし “Páthos” がファンから同じような熱意を引き出すことができたら?それは最高の喜びだと Dan は強調します。
「アルバム全体が、つながりを求めているんだ。このアルバムは、僕たちみんなが経験していること、感じていることを理解するためのものなんだ。リフを聴くだけなら、それはそれでいいんだ。でも、”Mire” の時以上に僕らとつながってくれたら、それは素晴らしいことだよ」

CONJURER はブリティッシュ・メタルの未来なのでしょうか?Conor は慎重です。
「トリッキーだね。一方ではとても親切なことであり、人々が僕らのバンドを聴いてそのように感じ、わざわざインターネットに載せるということは正気の沙汰とは思えないほど。でも、一方で、僕たちは4人のバカなバンドマンなんだ、ということも少しはある。自分たちが作る音楽が好きで、明らかに自分たちのために第一に作っていて、他のみんなにも気に入ってもらえたらいいなと思っているような。だから、みんなが気に入ってくれるのはとても嬉しいんだけど、でも、本当にそうかな?僕たち?僕たちがブリティッシュ・メタルの未来なのか?でも、ここ数年、みんなが僕らについて良いことを言ってくれていることには感謝している。EMPLOYED TO SERVE や PALM READER といったバンドとは本当に良い友達になれたよ。Heriot のシャツを着ていて、彼らは次の大物という感じがする。ブリティッシュ・メタルの未来について語るなら、彼らは今まさに台頭してきて、シーンを席巻しているバンドのひとつだと思うんだ。でも、この5~7年の間に、素晴らしいバンドが次々と現れて、僕らもその一員になれて、肩を並べられることを光栄に思っているんだ」
「これは有機的に成長することなんだ」 と Brady は結論付けています。
「クレイジーなマーケティングやお金の後押しはいらない。ただ、僕らの音楽に情熱を感じてくれる人たちとつながり続ける機会を持ちたいし、僕らが再び訪れるたびに、それぞれの都市にもう少し多くの人が集まってくれるようにしたいんだ。そう、このケーキはすでにチェリーで覆われている。でも、このアルバムのサイクルが終わる頃には、80パーセントのチェリーと20パーセントのケーキの割合にしたいんだ….」

参考文献: KERRANG!:Conjurer talk new album Páthos: “I don’t want to be the sort of band where people can anticipate what’s going to happen”

KERRANG!:Conjurer: “Already, this band has come further than any of us thought was possible…”

Could Conjurer be “the future of British metal”?

COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【PORCUPINE TREE : CLOSURE/CONTINUATION】


COVER STORY : PORCUPINE TREE “CLOSURE/CONTINUATION”

This Is Not a Reunion, Porcupine Tree Has Never Broken Up, Just Like Tool Is Coming Back 15 Years Later With a New Album. We Were Even Earlier, Right?

CLOSURE/CONTINUATION

「これは再結成じゃない。PORCUPINE TREE は一度も解散していないんだ。TOOL が15年後に新しいアルバムで戻ってくるのと同じことだ。私たちの方がもっと早かったくらいだろ?」
12年前、ロイヤル・アルバート・ホールのステージから降りたとき、現在の PORCUPINE TREE 3人のメンバーのうち2人は、バンドがまだ存続していると考えていました。しかし、フロントマンでギタリストの Steven Wilson だけは、少なくとも当分の間は、このバンドはもう終わりだと判断していたのです。ただ、彼はバンド・メンバーにそのことを告げませんでした。マネージメントにも。レーベルにも。一切誰にも。
Steven Wilson。この英国人音楽家のバックカタログは、多彩なソロアルバム、No-Man、Blackfield、I.E.M、Storm Corrosion、Bass Communion、そして復活を遂げた PORCUPINE TREE と、多様なプロジェクトやコラボレーションを量産しています。もちろん、他のアーティストの作品をドルビー・アトモス音響にリミックスすることもあり、スタジオにいないときはワールドツアーを行っています。
ファンの間では長年の議論があります。Wilson は休暇を取ったことがあるのだろうか?
「PORCUPINE TREE のアルバムが終わったら、次のソロアルバムもほとんど書き終えているんだ。あと今、10枚くらいのアルバムをリミックスしているんだ。それから、家庭生活も素晴らしいよ」
Wilson は1987年、XTC の “Dukes of Stratosphere” のような、英国の伝統的サイケデリック・ロックのオマージュとして、PORCUPINE TREE を始めました。しかし、彼はそこに閉塞感を感じていました。そもそもサイドプロジェクトとして始めたものが、人々が彼を知るきっかけとなり、さらに多くのものを提供することを期待されるようになったのですから。
「これは私がやるべきことではないと思い始めたんだ。たしかに、PORCUPINE TREE は私の音楽人生のすべてを支配するものではないはずだった。他のミュージシャンとも仕事をしたかったし、他のスタイルの音楽もやりたかったんだ」
Wilson は当時、ドラムの Gavin Harrison やキーボードの Richard Barbieri から、自分が注目を浴びていることに憤りを感じ、自分の音楽性が批判されているように感じたといいます。
「バンド内で特に好かれているとか、尊敬されているとかいう感じはなかった。正直なところ、メンバー間の関係はいつも少し…”冷え切っている” という言葉は適切ではないかもしれないけど…私たちは人間として全く違う存在なんだ。実際のところ、例えば私のソロ・バンドにはいつも喜びがあったのに、PORCUPINE TREE が素晴らしかったという記憶はないんだ。ソロ・バンドではとても楽しかったけど、PORCUPINE TREE では、いつも少し憤りを感じていた。私はフロントマンになるつもりもなかったし、フロントに立つのは少し嫌だと感じていたんだ。フロントに立っていると、いつもちょっと詐欺にあったような気分になるんだ。
リード・ギター・プレイヤーであることに、いつも若干の詐術的なものを感じていたんだ。それに、技術的な能力という点では、自分がこのバンドで一番弱いミュージシャンだということを強く感じていたんだと思う。でも、ほとんどの曲を書き、ほとんどのインタビューに応じ、バンドの中心的存在だった。それを感じたのは、おそらく私が初めてではないだろうがね。Roger Waters なんかは、私の大好きな PINK FLOYD の中で、明らかに一番弱いミュージシャンだからね。
ただ、バンドが活動を停止し、お互いに距離を置いたことで、人間関係はより良くなったと思う。このアルバムを作るのは、過去のどの PORCUPINE TREE のアルバムよりも楽しかったと思う。それは、自分がただバンドの一員、チームの一員であることを許したからだと思う。私はもともと、チームプレイが苦手で、支配的な性格なんだ。だから、ソロのキャリアが確立され、時間が経って、自分も少し穏やかになった今、今度は自分自身を共同作業の一部にすることが、ようやく楽しくなったんだと思う」

他のメンバーから、今回はインプットを増やしたいという申し出はあったのでしょうか?
「いや、その反対だ。PORCUPINE TREE のレコードを作るなら、君たちにも書いてもらいたいと言ったんだ。というのも、その時点(2012年、2013年)で、私はすでにソロで2枚ほどアルバムを出していたからね。だから、私が一人で PORCUPINE TREE の新譜を書いて、それを持ちこんで、歴史的にそうであったように、”みんな、PORCUPINE TREE の新譜ができたよ” と発表することに何の意味があるんだろう、というのが私の視点だった。それなら、ソロのレコードとして作ることもできるんだ。だから、私にとっては、これをやるなら、物事を変えようということだったんだ。実際に集団で書いてみようと。とはいえ、ほとんどの曲は私と Gavin、または私と Richard のデュオ形式で書かれているけど。要は、新しい曲や新しいアイデアを思いついた瞬間から、常に誰かとの共同作業が行われていたんだよ。だから、私が法律を作ったとは言わないけれど、新しいレコードを作るなら、共作でなければならないということを原則の1つにしたんだ。もちろん、彼らはそれを気に入ってくれた。ある意味、これまでそうでなかったことに不満を持っていたようだけど、今回はもうすべてをコントロールする必要性を感じなくなったんだよね。それは、私にとっても、彼らにとっても安心できることだった」
ソロでの成功は、Wilson に何をもたらしたのでしょうか?
「フロントマンとして、シンガーとして、より自信を持てるようになったと思う。皆が口を揃えて言うのは、このアルバムのボーカルはより自信に満ちていて、よりソウルフルで、より多様に聞こえるんだそうだ。これは、シンガーとして、またフロントマンとしての役割を快適にこなせるようになった結果なのだろうね。もうひとつ、私のソロ活動で特筆すべきことは、ギタリストではなかったということ。ギターは弾くけど、キーボードも弾くし、歌も歌うし、いろいろなことをやった。でも、Guthrie Govan, Dave Kilminster など、私のライブバンドにはいつも “スーパースター” 的なギタリストがいたんだ。だから、自分をギタリストと考えるよりも、フロントマン、フォーカルポイント、リードシンガーであることを許せたんだと思うんだ」

故に当時 Wilson はわざわざ彼らに何かを伝えることはありませんでした。彼はただ去り、PORCUPINE TREE は永久に未解決の案件となったのです。数年間、他の2人は Wilson が戻ってくるのを待っていました。しかし、彼がソロ・キャリアについて語り、自分たちのバンドへの関心を否定するようなインタビュー記事を読んで現状を知ります。
1982年末に David Sylvian が JAPAN から去ったときと同じ状況に陥った Barbieri は、苦い思いと傷みを感じずにはいられなかったと言います。
「批評的にも商業的にも成功したところまで来て、まさにその時点で、置いてけぼりにされた。メンバーがただ続けるのは簡単ではないよ。そこからキャリアに踏み出すまでには、かなりの時間が必要だ。でも、フロントにいる人 (Wilson) は、同じマネージャー、同じレコード会社、同じファンベース、同じ出版社、同じプロモーター、同じエージェントと一緒にやっていける。だから、彼らにとっては、とても楽なことだった。でも、同じように時間をかけて仕事をしてきた人たちを残していくわけだからね…」
Harrison は Wilson の近くに住んでいて、2012年からもしょっちゅうジャムっていたので、インタビューにはあまり動じなかったと語っています。
「まあ、先週彼とお茶を飲んだんだけど、彼は僕にそんなことは言わなかったよって思うんだ。でも、Steven からすれば、自分が始めたバンドと自分自身、彼の頭の中で起こっている2つの異なることの間で、どこか内輪もめをしていたのだと思うし、少なくともファンには、PORCUPINE TREE がいつ復活するかよりも、自分のソロ活動に目を向けてほしかったのだろうね」
Wilson が PORCUPINE TREE の将来について言及することを拒否し続けたことは、幸か不幸か彼らが不在の間にバンドの伝説が大きくなることを意味していました。彼らは “逃亡したプログ・バンド” となったのです。この言葉を嫌う Wilson にとっては、必ずしも喜ばしいことではなかったかも知れませんが。
「このプロジェクトは、2012年に私と Gavin がジャムるところから始まった。だから、もしこのアルバムを作るなら、オンラインでストリーミング配信だけにして、大々的に発表しないほうがいいんじゃないか?ライヴもやらずに、ただ音源を出すだけでいい。そして、まあ大きなショーを1回だけやるか、ヨーロッパとアメリカで大きなショーを1回ずつやるかという感じになったんだ。
でも、マネージメントやレコード会社との交渉が始まると、このした控えめなレコードを作るという計画はすべて水の泡になった。素晴らしいことだけどね。人々が興奮しているんだから。ただ、私たちが不在の間に伝説が大きくなったのには驚いたよ。2010年当時、私たちが活動を休止したころには、2022年に私たちが演奏するような会場で演奏することは決してできなかっただろうからね。アルバート・ホールで一晩やったのが、僕らのイギリスでの軌跡の頂点だったんだ。その後、ソロ・アーティストとしてアルバート・ホールで何度も公演を行ったけど、今回、PORCUPINE TREE はそのすべてを飛び越えて、ウェンブリー・アリーナをソールドアウトさせるんだ。それも1万2000人規模の。すごいことだよ。だから、”不在は心を豊かにする” ってことわざを地で行くようなものだよ」

不在といえば、昔からのファンはベーシスト Colin Edwin の不在を驚いたはずです。
「大きなストーリーがあるわけではないんだ。小さなことがたくさん重なって、このような形になった。まず、このプロジェクトの発端は、ある日 Gavin の家にふらっとお茶を飲みに行ったときに、彼がジャムをしようと言ってきたこと。彼のスタジオを見回すと、ギターはなかったけど、ベースがあった。それで私はベースを手に取ったんだ。そして、初めて一緒になった時、このアルバムの冒頭を飾る “Harridan” のグルーヴをジャムり始めたんだと思う。そんな感じで、わざわざギターを持っていかなくても、ベースを弾くのが楽しいというセッションが何度かあってね。多くのギタリストがそうであるように、私もベースを手にすると、ギタリストのように弾く傾向がある。だから、メロディーを弾いたり、コードを弾いたり、”ちゃんとしたベーシスト” がやりそうもないようなことを、かなり高いレベルでやってしまうんだ。だから、このアルバムの根幹、つまりDNAは、私と Gavin がジャムって、Colin のスタイルとは全く異なる私のスタイルでベースを弾くことによって構築されたんだ。だから、そういう意味では、3、4曲できた時点で、”ああ、じゃあ、このアルバムのベースは私だな” と、ちょっとした既成事実ができたんだ。
でも、他にもいろいろあったんだ。Colin とは何年も音沙汰がなかったしね。2010年に全員が別々の道を歩むことになったんだけど、Richard と Gavin からは定期的に、”いつ新しいことをやるんだ?” “一緒にやろうか?” “食事でもしようか?” “お茶でもしようか?” という連絡があったんだ。Colin からは、いまだに連絡がないんだよ。だから、彼は新しいことに積極的に関わろうとはしなかった。でも、私が思うに、バンドのクリエイティブな中心は常に私たちら3人だったんだ。Gavin は複雑なドラムや拍子記号、ポリリズムに興味を持ち、Richard はサウンド・デザインや質感のあるキーボードプレイに重点を置いている。この2つの要素が、私のシンガー・ソングライターとしての感性にフィルターをかけているんだ。また、最初のころの話になるけど、PORCUPINE TREE はソロ・プロジェクトとしてスタートしたから、当然私はベースを弾いていたんだよ。最初の3枚のアルバムでは、私がベースを弾いていた。その間にリリースされた曲でも、より自分のスタイルに合ったベース、よりアグレッシブでよりギターに近いスタイルでベースを弾いていた。2002年の “In Absentia” や2005年の “Deadwing” でもベースを弾いているから、まったく前例がないわけではないんだ」
ちなみに、Colin Edwin のステイトメントはたしかに Wilson の言葉を裏付けます。
「PORCUPINE TREE の新しいバンド活動や作曲セッション、再活性化の可能性については、長い間、何の兆候も示唆もなかった。私のバンド O.R.k は2019年に (Gavin の) PINEAPPLE THIEF とツアーを行い、私たちは皆仲良くなったけど、Gavin からは PORCUPINE TREE の新しい作品の可能性について全く言及がなく、他の誰からも何も言われていなかった。だから、2021年3月、Steven からメールが来て、新しいアルバムが作られていて、彼はすでにすべてのベース・パートを演奏しているので、”君の役割はない” と言われたのは驚きだったんだ。その後すぐに彼の弁護士から連絡があった。それ以来、誰からもまともな連絡はない」

これだけ長い間離れていると、ケミストリーの心配を感じるかもしれませんが、それは完全なる杞憂。ニューアルバム “Closure/Continuation” のオープナー “Harridan” を駆け抜けるトリオは完璧にシンクロしているように見えます。ベースとドラムが夏草のつるのように複雑に絡み合い、その上をキーボードが波のように押し寄せ砕け散る。それは、複雑でとげとげしく、しかしメロディアスなまごう事なき PORCUPINE TREE の音の葉です。
実は “Closure/Continuation” は、PORCUPINE TREE が終わったと思われた頃から制作されていました。つまり、Wilson と Harrison が過去10年に渡って行ってきたジャムが、ロックダウン中に再訪されたのです。Barbieri が後年 Wilson に送ったテープも、曲として仕上げられていました。3人はすべてのレコーディングを自宅で行い、それゆえに2010年以降一緒に演奏することはありませんでしたが、結局誰にも知られることなくニュー・アルバムを制作することが可能となったのです。つまり、バンドは解散ではなくあくまでゆっくりと動き続けていたのです。Wilson が説明します。
「ああ、明らかに私たちはこの作品に取り組んでいることを隠していたから、多くの人が PORCUPINE TREE は終わったんだろうと結論づけたんだ。というのも、このバンドが1枚のアルバムを作る間に、私は5枚のソロ・アルバムを作っているからね。1年、あるいは2年という長い時間をかけて心血を注いだ自分の作品のプロモーションをしているときに、誰かが PORCUPINE TREE について聞いてくれば、”もういい、バンドは終わったんだ” と答えることもあるよ。何よりもフラストレーションから。まあそのことが、私たちがチームとして一緒に音楽を作るのをやめたという、人々が抱く誤解の信憑性につながったのはたしかだけど。でも、実際には、私たちはこの作品に10年以上も取り組んできたんだよ。それが長引けば長引くほど、もし戻ってくるなら、本当に強くて、これまでやってきたことと同じくらい良いものでなければならないと感じるようになったんだけどね」
PORCUPINE TREE に戻ることは “後退” だと語っていた時期もありました。
「私のキャリアで初めて、”ファンが望むものを提供する” と見られる可能性があったから。私はその原則に嫌悪感を抱いているからね(笑)。私は常々、偉大な芸術とは…私自身が偉大な芸術家であるとは思っていないけど、少なくとも誠実な芸術家とは、期待に応えるのではなく、常に期待に立ち向かうべきであると考えている。今回の作品は、最近の記憶では初めて後者を実践していると言えるかもしれないね。私は、このレコードが “同じことの繰り返し” ではないという信念を持っている。PORCUPINE TREE のレコードの真髄を感じながらも、同時に何か新鮮なサウンドでもあるんだ。
もし、このアルバムが単にこれまでと同じようなものだと感じていたら、リリースに踏み切らなかったと思うんだ。私がベースを弾いていること、皆で一緒に作曲したこと、ヘヴィなギターが強調されていないこと…このアルバムには、これまでのアルバムとは違う点がたくさんある。もしかすると、私のキャリアを広く見れば後退しているように見えるかもしれないけれどね。でも、私のソロ・キャリアはまだ続いているし、次のレコードもすでに書き終えている。だから、その点では、今は2つのことが共存しているんだ」

伝説を築き上げたのは、SNS の発展でしょうか?それともソロ活動での成功でしょうか?
「両方だね。そのすべてが関係していると思うよ。私のソロ活動を通じて PORCUPINE TREE の知名度を上げ続けたこと、Gavin が KING CRIMSON とツアーを行い、彼を通じて人々が PORCUPINE TREE について調べるようになったこと。それに、私たちが PORCUPINE TREE でやったことは…当時は認めなかったとしても、今になって振り返ってみるとよくわかるんだけど…今でも完全にユニークに聞こえる。複雑でコンセプチュアルなロックという要素、Richard のサウンド・デザインやキーボードのテクスチャーへのアプローチ、Gavin のポリリズムへの憧れ、私のシンガー・ソングライターとしての感覚、さらには電子音楽や産業音楽、メタル音楽の要素などと融合させて、完全に直感的で無意識な方法ですべてをまとめ上げていたからね。つまり、私たちは “プログレッシブ・ロック” と呼ばれているけど、当時作られていた他のどのプログレッシブ・ロックとも違うんだ。そして、それはその後も真似され続けている。でも、私たちは今でも他の誰よりも上手くやっているよ(笑)。新譜を作った今、本当にそう思っているんだ」
PORCUPINE TREE の新作と Steven Wilson のソロ作の違いはどこにあるのでしょう?
「例えば “Closure/Continuation” を聴いて、”The Future Bites” と比較すればとてもとても違うのはすぐわかる。もちろん、共通点はあるんだけど、それは私の音楽的な個性だから。それは隠そうとしても隠せないよ。自分ではすごく変わっていると思っていることをやって、親しい友人や家族に聴かせても、私の声しか聞こえないんだから!結局、何をやっても私の音にしか聞こえないんだ。だから、自分の個性を埋もれさせたくても埋められないんだ。でも、このレコードのタイミングは面白いと思う。私にとっては、PORCUPINE TREE が戻ってくる完璧なタイミングだと感じているよ。”Cannot. Erase.” などのアルバムでは、ファンか”あれは簡単に PORCUPINE TREE のレコードになり得た” と言われるような瞬間があったんだ。でも、”The Future Bites” のようなアルバムを聴くと、そうではないと思う。あれは、私が PORCUPINE TREE と一緒に作ったようなレコードではないからね。もっとエレクトロニックで、ギターを強調せず、ロック的な要素を排除している。PORCUPINE TREE はどのような存在であれ、またどのような存在になったとしても、明らかにロックバンドのようなサウンドを奏でているから」

近年、音楽業界はアルバム文化よりも SNS、特に TikTok に力を入れています。
「私は年寄りなので、TikTok の印象は、キッチンでめったやたらと踊る主婦やスライムで遊ぶ子供たちの15秒のクリップで、それは私の義理の娘たちが見せてくれるものがほとんど (笑)。
まあ、私がこの状況を理解し、自分自身をある意味納得させようとしたのは、音楽は常に進化し、変化し、発展することに長けているから。そして、その一部は、もちろん、物事が取り残されることであり、それはあるべき姿なんだよね。レコードやCDといったフィジカル・メディアの偉大な時代、そしてアルバムという形で音楽と関わり、レコードやシングルの両面にわたって45分間音楽が連続する時代は、音楽の歴史、ポピュラー音楽の歴史の中ではほんの一瞬に過ぎず、消えつつある。20世紀半ばから存在し始めたものは、すでに廃れつつあるんだ。
人々の音楽への関わり方も、また変わってきているね。それ以前、つまり20世紀前半から遡って、人々が音楽と関わる方法は、コンサートに行くことだった。あるいは、家庭用ピアノの周りに集まって、楽譜に書かれた歌を歌ったりしていた。今、私たちは、暗い部屋で長時間音楽を聴き、レコードのスリーブや歌詞カードをじっくりと見るという概念に、信じられないほどのノスタルジアを持っている。20世紀後半以前の人々にとって無意味だったように、これからの人々にとってそれは無意味なんだ。
20世紀後半にロックがジャズにしたことを、今、アーバン・ミュージックがロックにしている。そうでなければならない。将来、同じようなことをするものが出てきて、アーバン・ミュージックもカルト的な存在になる。カルトミュージック、アンダーグラウンド・ミュージックになるだろう。今、アーバン・ミュージックは、ロックが50年間そうであったように、メインストリームの最前線と中心を担っている。50年間ロックがそうであったように。
私はそれをできるだけポジティブに捉えようと思っているんだ。音楽が進化し、変化し続け、私たちの音楽への関わり方もまた進化し、変化し続けるというのは素晴らしいこと。いずれにせよ、私はそれを認めるよ」
Wilson は近年、明らかに “プログレ” のタグから距離を置きたがっていました。
「意識的に分析しようとするのではなく、自然にそうなるようにやっていたのはたしかだよ。例えば、”The Future Bites” のようなアルバムに取り組むとき、最初から “何か違うことをしたい” という明確な意志があったことを、私は認めざるを得ない。プログレッシブ・ロックの世界とは全く関係のないレコードを作りたかった。それは意図的な再発明ではなかったけれど、それでも無意識的な再発明の試みであり、それは成功したと思う。一方、PORCUPINE TREE には、そのような考え方はまったくない。単純に、これが私たちが集まってやることなんだ。どう位置づけるか、どう宣伝するか、どう売り込むか、などということは考えていない。つまり、自分のキャリアのある時点になれば(私はプロとしてもう30年やっている)、自分自身の音楽の世界を作り上げた人間として見られる権利を得たと強く信じているんだよ。そして、そんなアーティストにこの “ジャンル” という考え方は必ずしも適用されるべきではないと思っているよ。
だってそうでしょ? ボウイやザッパ、ケイト・ブッシュのようなアーティストについて考えるとき、ジャンルについて考えるかい?そうではないでしょう?私はそうではなく、彼らが “デヴィッド・ボウイの音楽” ”ケイト・ブッシュの音楽” を作っていると考えるだけだよ。30年やってきて、いろんな音楽を作ってきて、自分がひとつのジャンルに簡単にカテゴライズされるという考え方は、もう当てはまらないはずだと信じたい。”ジャンル” から解き放たれたとね」

“Closure/Continuation”。このタイトルには、バンドの将来に対する彼らの不安が反映されています。
「無理にこのアルバムを作る必要はなかったんだ」と Wilson は言います。「アメリカ・ツアーのために1,000万ドルのオファーを受けたから戻ってきたというわけでもない。ソロ・キャリアが失敗したから戻ってきたわけでもない。私たちは PORCUPINE TREE を再起動することが楽しいと思ったし、良いマテリアルを持っていた。それがアルバム・タイトルにも反映されていると思う。これが終幕なのか、それともバンドのキャリアを継続させるための新たな一歩なのか、僕には純粋に分からないんだ。”終幕 “であれば、本当にいい方法だと思うよ。あるいは、1年後に電話をして、楽しかったね。もう一回やるか? となるか。私の推測では、おそらく前者だと思う。たぶん、これが僕らが作る最後のレコードで、たぶん最後のツアーになると思うんだ。
長い間、レコードを作るなら、”これはカタログに何を加えるのか” という質問を自分に投げかけなければならないと信じてきた。このレコードを作る目的は何なのか? 同じようなことを繰り返すのは嫌だとね。というのも、多くのバンドが、単に同じものの繰り返し、同じものの繰り返し、同じものの繰り返し…AC/DC 症候群と呼ばれるような、音楽の遺産に何も加えない、ほとんど無意味なレコードをカタログに追加するようなサイクルに陥っているように思うから。私は AC/DC が大好きなので、AC/DC のことを取り上げるのは申し訳ないのだけど(笑)、彼らは私が思いつく限りその最高の例だと思っている。それは素晴らしいこと。でも、この新譜はカタログの中でその存在を正当化するものだと思うし、バンドのサウンドを新しくしたように感じる。そして、次はそれを再び見つけることができると感じなければならないだろう。だから、私たちはドアを閉めないよ。でも、これが最後のレコードだとしたら、最も重要なのは、本当に力強い方法で本を閉じることだと思うんだ。Gavin と Richard と話したんだけど、みんな同じように、最後に作った[2009年の] “The Incident” は最高傑作ではなかったし、特に良い終わり方だとは感じていなかったんだ。悪い作品ではないけれど、ベストな作品ではなかった。だから、もし “Closure/Continuation” が私たちの最後のレコードになるのなら、それについては良い気分でいられると思う」
Barbieri がつけ加えます。
「これが終わったら Steven はソロ・モードに入るだろうね。そして、それが彼をどこに連れて行くかによる。PORCUPINE TREE は Steven がその一員でありたいと思うからこそできることなんだ。僕は、このまま解散してしまっても構わないと思っているよ。それならとても快適だ。だって、いいアルバムができたんだから。そして、僕ら3人の間で良い雰囲気のまま終わることができると思うんだ。ネガティブな感情なんてないだろうしね」

とはいえ、このグループの中にいるのは簡単なことではありません。Wilson には、どんなバンドでも、実際に演奏する音楽はメンバーの好みの交点に限定されるという考えがあり、実際はそれがいかに野心を制限しているかについて話しています。
「PORCUPINE TREE の最初のピリオドが終わるころには、PORCUPINE TREE の曲の典型的な形が出来上がっていたんだ。だから最後のアルバム、最後のツアーに至るまでには、私にはもう面白くなくなっていた」
それは、他のメンバーにとっても同様でした。Harrison はソウル、ファンク、ジャズを愛するドラマーですが、かつての PORCUPINE TREE にそれが入り込む余地はありませんでした。Barbieri も、自身の好む “非常にミニマルでゆっくりと進化するアトモスフェリックなアプローチ” が、他の2人にとって大きな関心事でないことに気づいています。だからこそ、少なくとも、”Closure/Continuation” は、Wilson が主導し他の2人の貢献が少ないこれまでの PORCUPINE TREE ではなく、真の共作で大部分が構成されている、全員が楽しめたアルバムなのです。
実際、ラインナップの変更を強調するかのように、アルバムの幕開けは “Harridan” での Wilson のベースラインが新鮮な攻勢をかけてきます。このエピックはアルバムに収録されている複雑なロックの一面を象徴し、キットの裏側にいる Harrison の驚くべき名人芸をも感じ取れます。同様に、”Rats Return” や “Chimera’s Wreck” はアインシュタインの方程式のように複雑な数学ロックで、”Herd Culling” のコーラスでは、ギターのリフを核兵器の中に封じ込めたような激しさを生み出します。そしてこの大半は、Wilson がベースから始めた音楽なのです。
一方で、PORCUPINE TREE の音楽が安易なジャンル分けに抵抗する理由を示す曲も存在。”Dignity” のアコースティック・ギターは、Barbieri の鍵盤が発するナノ粒子の渦に包まれていますし、”Walk the Plank” では、痛々しいボーカルと壮大なコーラスをフィーチャーし、Wilson のソロシングル “King Ghost” や Barbieri の魅力的なソロ作品に接近。また、デラックス・エディションのボーナス・トラックとして収録されている “Love in the Past Tense” は、シンバル、キーボード、ギターが奏でるキメ細やかな音色にのって、幽玄の世界へと誘われるような壮大さが溢れています。
ただし、この豊富な音楽のためには必要とされる努力もあります。64歳の Barbieri は、自分の集中力に悩んでいます。58歳の Harrison にとっては、ドラムの肉体的な負担がより切実な問題となってきています。

「このレベルの音楽をいつまで続けられるか。今までやっていた他のバンドでは、こんなにヘヴィーでフィジカルな演奏は必要なかったんだ。PORCUPINE TREE は、常に最もハードな仕事をこなしてきた。2014年からメンバーとして参加している KING CRIMSON では、メンバーの多くが70歳をはるかに超えていたけど、70代でこうしてドラムを叩いている姿は想像できないよ…」
それでも、彼らの努力は報われています。Harrison のドラムは物理的に不可能と思われる正確さと雷鳴が混在し、Brian Eno 以来最高のサウンドスケーパーである Barbieri は水彩画家のように音に色を落とし、Wilson はギターとベースで2人のアイデアを推進し、ボーカルを自分で物語を描きます。
PORCUPINE TREE が再びファンの前でライブをするときは、これまで以上に大きな観衆を前にすることになるでしょう。そして、ツアーが終わり、3人がステージを去るとき、それが最後となるかどうかは誰にもわかりません。Harrison は、「もしかしたら、これで一区切りかもしれない」と言います。「2022年に解散するとは言っていないよ。でも、2010年は奇妙な終わり方、あるいは終わり方ではない終わり方だった。だから、もし、そうなるならね」
ただし、UK オフィシャル・チャートのデイリー・アルバムで No.1を獲得し、Wilson の考えも少し変化しつつあるようです。
「もう1枚アルバムを作る可能性は十分にあると思う。実際、Richard とそのことについて話していたんだ。2週間前にドイツでベルリンでプロモをやっていたんだけど、誰かにその質問をされたんだ。私はこう思ったんだ。まだやるべきことがあると。”Walk the Plank” みたいな曲は、我々が最後に作った曲の一つなんだけど、ギターが全く入っていなくて、私がどんどん電子音楽に移行していることを反映しているような曲なんだ。PORCUPINE TREE のアルバムで、ギターではなくキーボードだけにフォーカスしたものを作れないかと考えたんだ。何か違うものでなければ、次のアルバムを正当化することはできないだろう」

参考文献: THE GUARDIAN:Reunited prog-rockers Porcupine Tree on surviving their rift: ‘You can’t help but feel bitter

UNDER THE RADAR :Porcupine Tree’s Steven Wilson on “Closure/Continuation” “Don’t call it a reunion…”

SUPER DELUX EDITION :Steven Wilson on the return of Porcupine Tree 

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【VENOM PRISON : EREBOS】Becoming a Mother in a Metal World


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH ASH GRAY OF VENOM PRISON !!

“Without Hope, What Is The Point? We Are Here Now And We Can Live, We Have To Survive, We Have To Be Happy And Our Youth Will Learn And Understand And Hopefully Generations To Come Are The People To Make The World a Better Place. If We Don’t Try, We Won’t Find Out.”

BECOMING A MOTHER IN A METAL WORLD

「とても残念だけど、2022年に予定されている公演を全てキャンセルすることにしたわ。妊娠中、私は生まれてくる子供と共に VENOM PRISON のフェスティバルやショーを実現させるために計画を立ててきた。でも今になって、私は野心的で、初めての母親業をこなしながら物事を実現するため自分にプレッシャーをかけすぎていたことに気づいたの。
メンバーたちは、私の状況に合わせながら、ステージに復帰するために本当によく動いてくれていた。そして、彼らのサポートと理解にはとても感謝しているの。私たちは本当に努力したんだけど、息子と家族には今、フルタイムで私が必要なのよ」
VENOM PRISON のボーカリスト Larrisa Stupar が6月8日に出したステイトメントです。そしてここには、ライブを愛するメタルのカリスマとしての Larrisa と、家族を愛するひとりの女性としての Larrisa、その狭間で悩み、苦しみ、葛藤する等身大の彼女がそのまま投影されています。
「Larissa と夫の James に元気な男の子が生まれたんだ! そして、Larrisa がこのような野心を持ち、僕たちが “人生はこうあるべきだ” と言われてきたような従来のやり方に甘んじようとしない人であることが、とてもクールで、尊敬に値すると思っているよ」
Larrisa の妊娠をうけて、当の Larrisa 夫妻とその家族だけでなく、VENOM PRISON のメンバー全員、ひいてはメタル世界すべてが喜びにつつまれました。かつて弊誌のインタビューで 、”私はメタルという自分のミクロな宇宙の中だけでなく、あらゆるレベルで性差別と戦いたいと思うのよ” と語り、実際、インドにおける商業的な代理出産 (インドの貧困の中で暮らす脆弱な女性から搾取し、自分の子供を持つことが困難な米国の若い家族からも搾取するという悪魔の二重構造) 負の輪廻に “Samsara” という牙を叩きつけ、“Uterine Industrialisation” “子宮工業化” に怒り狂った彼女にとって、母になることとは明らかに特別な経験であり祝祭だったのです。
「希望なくして、何の意味があるのだろう。僕たちは今ここにいて、生きることができている。生き延び、幸せにならなければならないんだよ。若者たちには学び、理解し、願わくば、来るべき世代が世界をより良い場所に導くための人々であってほしいのだよ。やってみなければ、わからない。為せば成る、為さねば成らないのだから」
もちろん、2022年において子を持つ、母となることは並大抵のことではありません。安い賃金、貧困、取得できても短い育休、保育園の不足など、取るべき対策を取らない政府や富裕層によって、ほとんど世界共通で “育てる” ということのハードルが非常に高くなっています。加えて、様々な差別、欺瞞、戦争、さらにパンデミックや戦争が跋扈するこの世界を新たな命に見せたくない、そう思う人も少なくありません。それでも、Larrisa と VENOM PRISON の面々はこの世界に新たな命を迎えることを喜び、音楽と希望を託していくことに決めたのです。Larrisa は、今年の国際女性デー、KERRANG! 誌にこうした文章を掲載しました。
「この10年、職場や仕事の機会、社会における平等は少しずつ改善されてきている。しかし、音楽業界は、全体的にまだ男性優位の分野。SNS や音楽メディアを見ると、男女の表現は多かれ少なかれ平等であるように見えるかもしれないけど、研究結果はそうではないことを示しているわ。2012年から2017年にかけて、ビルボードの年末 Hot 100チャートにランクインした600曲のうち、女性が演奏した曲はわずか22.4%で、女性のソングライターの数はさらに少なかったそう。これは、レーベルや雑誌、ブッキング・エージェンシーで女性が占める地位ではないのだから、非常に厳しい数字よ。さて、このような大きな男女格差の原因とその解決策について述べることもできるけど、これはもう何度も議論されてきたこと。その代わりに、男性が支配するこの業界を女性がどのように乗り越えていかなければならないかを取り上げたいと思う。
VENOM PRISON がパンデミックに襲われる前、2019年の最後のライヴを行ったとき、次に2021年の Bloodstock に出演するためにステージに戻るとき、自分が妊娠9週目になるとは思ってもみなかった。最近、スタジオで “Erebos” のレコーディングを終えた私は、練習セッション中にこのニュースをバンドの他のメンバーに伝えることにしたの。私は、音楽業界で働く他の多くの女性たちと同様、妊娠を知った人たちがどのような反応を示すかとても心配だった。多くの女性ミュージシャンにとって、将来母親となることを発表することは、おめでたいことではなく、むしろ不愉快なことかもしれないから。ツアー中のミュージシャンの場合、影響を受けるのは自分のバンドだけでなく、マネージメント、レコード会社、ブッキングエージェント、PR、ツアークルーなど、一緒に仕事をする人たちにも及ぶから。
ありがたいことに、バンド仲間、レーベル、マネージメント、みんなが前向きで私の状況を理解してくれて、とてもサポートされていると感じていても、ミュージシャンとしての将来はとても不安だったわ。ライブ業界でのキャリアは、多くの新進気鋭のミュージシャンにとって仕事というよりもライフスタイルのようなもので、ツアースケジュールをこなすことはは非常に難しく、新しい母親にとってはほとんど不可能に思えるかもしれないくらいにね。
そのためか、ロックやメタルの世界では、出産を控えた女性ミュージシャンやすでに親になっているミュージシャンをあまり見かけない。この世界は自分のキャリアを計画するのが難しく、多くの人が音楽的願望やキャリアを追求するために子供の世話を犠牲にしなければならないことを恐れているの。私はメタルの世界で母となるため、多くの質問や疑問を抱えているけど、単に誰も頼ることはできないの。音楽のキャリアをどう進めるか、休業中の経済的負担はどうするか、他の女性たちはツアーと子育てをどう両立させているかなど、自分一人で考えなければならないのよ。
だから、私たちは意識改革を行う必要がある。より包括的になるために、業界は妊娠と母性という概念を理解する必要があるわ。ライブハウス業界では女性はまだ少数派で、それがこうした話題がほとんど出てこない大きな理由の一つ。妊娠中のミュージシャンやクルーのための戦略や手配を導入する必要があるわね。他の業界と同様に、妊娠を理由に差別をしないこと、妊娠中の親とこの問題について敬意を持って話し合うこと、可能な限りサポートを提供することを学ぶ必要がある。私たちは、世界を良くしていく必要があるの」
結果として、Larrisa の野心や挑戦は出産直後という難しい状況において、うまくはいかなかったかもしれません。もちろん、幼い頃は子供に寄り添うべきという議論もあるでしょう。しかし、ライブと家族、愛するもの両方を大切にしたい、どちらも失いたくないという彼女の気持ちは多くの人々に届いたはずですし、そんな決して大望とはいえない願いを叶えていくのが優しい世界というものでしょう。きっと、メタルの包容力があれば叶うはず。そして何より、Larrisa のこれからの長い人生において、子育てとメタルの両立はライフワークとなり、時に強烈で時に繊細な彼女の歌のように、誇り高きメタルの母親像を提示していってくれるはずです。”Erebos” で体現したように、闇や混沌をなぎ払いながら。
今回弊誌では、Ash Gray にインタビューを行うことができました。「貧困と暴力の連鎖は、結局富裕層からのサポートがないことに起因しているんだ。僕は貧困層の人たちと一緒に働き、彼らの生活を見てきた。制度がいかに彼らを完全に失敗させ、弱者として残し、そこから生き残るために決断を下さざるを得ない状況をね」もともと、Larrisa が受けてくれる予定でしたが難しくなり、急遽代役を引き受けてくれたのですが、現在バンド、そして世界が置かれた状況を素晴らしく伝えてくれています。世界を良くしたい。願わくばそう望む人が一人でも増えますように。どうぞ!!

VENOM PRISON “EREBOS” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【SOMALGIA : INVERTED WORLD】【SPIDER GOD : BLACK RENDITIONS】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH TC OF SOMALGIA & SPIDER GOD !!

“Everything Is Backwards, Everything Is Upside Down. You Either Resonate With That Quote Or You Don’t – If You Do, Then You’ll Probably Understand ‘Inverted World”

DISC REVIEW “INVERTED WORLD”

「現在 Repose には、PAPANGU, LYKHAEON, SPIDER GOD, SOMALGIA. GATE MASTER, REIGN といったバンドが所属していて、非常に多彩な顔ぶれが揃っているんだ。こうしたバンドは全て、ブラックメタルの境界を押し広げ、現在革新の最前線にいると感じているよ。僕は同じものを何度も聴きたくないし、レーベルもその精神を反映している。 イノベーションか、時代遅れになるかの二択だよ。僕は、エクストリームとプログレッシブの間のギャップを埋めるという使命を担っているからね」
エクストリームとプログの架け橋 SOMALGIA でギター、ボーカル、シンセを担う TC は、楽器以外にも三足の草鞋を履いた英国メタル・アンダーグラウンドの鬼才。ZOPP で知られる Ryan S との蜜月 SOMALGIA 以外にも、BACKSTREET BOYS やブリトニー、果ては K-Pop のブラックメタル化で度肝を抜いた SPIDER GOD に携わり、さらにそうしたブラックメタルの革新を担う俊英たちを一手に引き受けた Repose Records まで立ち上げてしまいました。TC のそうしたイノベーションとチャレンジの哲学には、米国のエッセイスト、マイケル・エルナーの言葉が根幹にありました。
「マイケル・エルナーの言葉が、”Inverted World” “逆さまの世界” のコンセプトを完璧に言い表していると思っているんだ。”すべてが逆で、すべてがひっくり返ってる。医者は健康を破壊し、弁護士は正義を破壊し、精神科医は心を破壊し、科学者は真実を破壊し、主要メディアは情報を破壊し、宗教は精神性を破壊し、政府は自由を破壊する”。 この言葉に共鳴するかしないかだよ。もし共鳴するならば、おそらく “Inverted World” を理解することができるだろうね」
非常に陰謀論めいていて、非常に反抗的で、非常に極端な思想です。少なくとも、バランスのとれた思考の持ち主なら即座に笑い飛ばすでしょうし、当然これを鵜呑みにしてしまうわけにはいきません。
ただし、ここにはおそらく、真実も少なからず含まれています。メディアが情報を大事にしているのか?宗教が心を大事にしているのか?政治が人間を大事にしているのか?あなたがまともだとしても、この問いにはたして即答できるでしょうか? TC は、ややアレな面はあるにせよ、常識を疑い、権力を疑い、メディアを疑うことで、ブラックメタルにかつて宿っていた狂気じみた反抗の精神を、良きにせよ悪しきにせよ、現代に蘇らせているのです。
「僕はプログレッシブとポップ・ミュージックへの情熱を共有していて、ブラックメタルに著しく欠けているものはメロディ、フック、構造だと感じていた。もちろん、Varg が 構造、プロダクション、ハーモニーに反抗したことが、そもそもこのサウンドを生み出したのだと認識しているし、彼らのアルバムは永遠に不滅だよ。しかし、現状を打破して変える必要があるとも思うんだ。同じアイデアを繰り返せる回数は限られているからね。純粋主義者と破壊主義者の戦いは常に続いている」
もちろん、TC の疑いの眼差しは、閉塞的なメタル世界にも向けられています。彼らはメタルの常識を覆し、新しいものの見方(あるいは聴き方)の創造を、自分の頭で考えて、自分たちだけの力で実現しようとしています。例えば、アヴァンギャルドを極めた CREATURE や Igorrr がそうであるように、SOMALGIA はエレクトロニカ、トリップホップ、サイケ、プログレッシブとブラックメタルの複雑な婚姻を次のレベルへと旅出させています。ソマリアなのか、マトリックスの影響なのか、とにかくブラックメタルらしからぬ常夏のアートワークもまさに常識の破壊。
TC は20年後の音楽を生きていて、私たちは彼を通してそれを追体験することができるのかもしれません。さらに SOMALGIA は “The March of Tyranny” のように、ノルウェーの大物アーティストに負けず劣らずアンセム的な名曲を生み出すことができるのです。TC のそうしたポップセンスは、彼が携わるもう一つのブラックメタルの破壊、ポップの黒化を指標した SPIDER GOD にもありありと提示されています。
今回弊誌では、TC にインタビューを行うことができました。「僕たちは、このシーンがかなり陳腐化していて、ちょっとした揺り戻しが必要だと感じていたんだよね。確かに、境界線を押し広げ、常に優れた音楽をリリースしているレーベルやプロジェクトはあるんだけど、誰もがベッドルーム・スタジオとセルフ・リリースのプラットフォームを使えるようになったことの弊害として、クオリティ・コントロールが以前とは違ってきていることが挙げられると思うんだ」 どうぞ!!

SOMALGIA “INVERTED WORLD” : 9.9/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【YES : THE QUEST】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH BILLY SHERWOOD OF YES !!

“There’s No Replacing Such a Giant. That Said, I Know Chris Trusted Me To Keep The Flame Burning, So To Speak, Along With The Other Guys In The Band. I Do My Best To Honor His Wishes And Push Forward With YES.”

DISC REVIEW “THE QUEST”

「Chris のような巨人に代わるものはいないよ。とはいえ僕は、Chris が僕が YES の炎を燃やし続けることを信じていたことを知っている。バンドの他のメンバーと同様にね。だから僕は、彼の遺志を尊重し、YES を前進させるために最善を尽くすだけなんだ」
Trevor Horn との一時的な再邂逅 “Fly From Here” から10年。Jon Davison をボーカルに迎えた Chris Squire 最後のスタジオ・アルバム “Heaven & Earth” から7年。結成から半世紀以上を経て、遂にオリジナル・メンバーは誰もいなくなりましたが、それでも YES の炎は赤々と燃え続けています。プログの巨人にとって22作目となる2020年代最初のアルバムは、ファンからの期待、自らのコンフォート・ゾーン、そして未来を見据えた野心そのすべてのバランスが完璧に釣り合った “探求” の結晶。
「複雑な感情だよ。本当に。もちろん、この新譜でYES が前進していることに感激しているよ。だけど、Chris が亡くなったことで、ほろ苦い気持ちもあるんだよね」
WORLD TRADE のアルバムに Chris Squire がゲスト参加を果たして以来、ボーカル、ギター、ベースに鍵盤までこなすマルチ・プレイヤー Billy Sherwood にとってベースの伝説は尊敬する兄のような存在でした。ゆえに、正式メンバーとしては数年の在籍でしたが、1989年からバンドの内外で関わり続けた YES に亡き Chris の後任として、ベーシストとして再び加入することには複雑な想いもありました。
しかし、Chris の遺志と、そして Billy の言葉を借りれば運命、宿命、何かしらの巡り合わせが彼をこのバンドへと再び誘い、その特別な場所で彼は巨人の仕事を継ぎながら、同時に YES を未来へと羽ばたかせる重要な2つの役割を果たすことになったのです。
「すべてのバンドにはリーダーがいると思うんだけど、Steve はその地位を獲得したと思うよ。 彼は長年にわたってバンドに貢献してきたからね。僕は Steve がプロデュースや、いわば “交通整理” をする機会を得たことを嬉しく思っているんだ」
バンドの内外から YES と共に歩み続けた Billy にとっても、現在の Steve Howe を核とした YES が最も “バランス” の取れたしっくりくる布陣なのかもしれませんね。パンデミックにおいて、ファイル共有やオンラインでの共同作業など非常に現代的な方法で制作された “The Quest” は、Steve Howe によってプロデュースまでなされています。1人のメンバーにこれほどその “パワー” と責任が与えられたのは、1994年に Trevor Rabin が “Talk” をプロデュースして以来のことでしょう。
それが一つの理由でしょうか。Roy Thomas Baker の繊細で抑制された “Heaven & Earth” に比べ、”The Quest” は生き生きとした躍動感に満ち溢れています。過去のマスターピースを凌ぐほどの作品かと問われれば答えは否かもしれませんが、それでも遡ることなど決して不可能な時の流れを逆流させるほどの気迫は十分です。その原動力は、やはり決して瑞々しさを失わない Steve Howe の独特なギタリズム。
久々の開幕にプレッシャーのかかるオープナー “The Ice Bridge” ですが、氷の橋は決して割れない強い意志を纏っていました。”Fanfare For The Common Man” を想起させるイントロから安定感を与えるのは Billy Sherwood。Steve Howe 独特のタイム感とギミックは火花のように飛び散り、優雅なボーカルが絶妙に加わります。明らかに、ここには YES の哲学が貫かれています。
環境問題を歌い紡ぐ Jon Davison はやはり Jon Anderson のように聴こえるというよりも、おそらくそうせざるを得ないのでしょうが、間違いなくこれまで以上に自信に満ちていて雄弁。ラストを飾る Steve と Geoff の掛け合いも含めて “Going For The One” のクライマックスのような爽快感を敷き詰めたといっても決して大げさではないはずです。
“Dare To Know” ではオーケストラが一段上の次元へ導き、ミドルテンポの “Minus The Man” では Jon と Steve の音色の甘さを存分に見せつけ、”Leave Well Alone” では Steve が大活躍する ASIA といった風情の80年代的レトロフューチャーがノスタルジアを誘います。そうしてこれまでの YES とは一味違う、70年代の映画のような懐かしさと温かみがアルバムを通して貫かれていくのです。楽曲至上主義を掲げつつ、新たなアイデア、バンドの真価、ファンの期待、そのすべてに必ずしも100%とは言わないまでも大きく応える現行 YES の魂がここにはあります。
「ファンの中に何がベストかを知っていると思っている “腕利きの将軍” はいつの時代にもいるものだけど、結局のところ、運命を決めるのはバンド自身なんだ。 僕は今の YES の一員であることを誇りに思っているし、仲間たちも同じように思っているはずだよ。ただ、現在のラインナップが、YES の歴史の中で最も長く続いているという事実は、僕にとって驚きだったよ。今後もこの方向を変える予定はないし、前に進んでいくだけさ」
Howe, Davison, White, Downs, Sherwood。例えば Jon Anderson, 例えば Rick Wakeman を期待して、もしくは最上級のテクニックを未だに忘れられず、並行世界の YES を夢見るファンが少なくないことはたしかでしょう。
しかし、2015年からバトンを受け継いだこの5人が、最高にクリエイティブで、YES の過去、現在、そして未来を奏でていることもまた事実です。瑞々しくも、Jon Anderson の小宇宙を感じさせる “The Western Edge” には、きっと彼らが今ここにいるすべての理由が詰まっているのかも知れませんね。Roger Dean による美麗なアートワークはもはや勲章。
今回弊誌では、Billy Sherwood にインタビューを行うことができました。「僕にとってプログレッシブ・ロックとは、音楽に宿る自由、表現、想像力の象徴なんだ。 ミュージシャンとしてもライターとしても、そういったものを大切にしているからね」 どうぞ!!

YES “THE QUEST” : 10/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【CARCASS : TORN ARTERIES】


COVER STORY : CARCASS “TORN ARTERIES”

“We’ve Always Been Self-referential. There Are Links Like That Between Every Album. It’s Just This Lovecraft-ian Mythos That Carcass Has Built, This Multiverse. There Are Bookends On Either End Of What Carcass Does, And We Have To Fit Within Those Parameters”

VEGE-HEARTS

CARCASS の “Torn Arteries” は、2021年にリリースされるエクストリーム・メタル作品の中でも最も期待されている作品の一つでしょう。しかし、Jeff Walker は、ファンの一部がこの作品を気に入らないことを想定しています。
「実は、このアルバムに対する反発を期待しているんだ」
Jeff のその予想は、コロナ・ウイルスに関連した数え切れないほどの混乱、それが一つの要因となっています。”Torn Arteries” は、リバプールの残虐王にとって再結成後2作目、通算7作目、8年ぶりのフルアルバムで、当初は2020年に発売される予定でした。しかし、グルーヴと暴力的に満ちたリードシングル “Under the Scalpel Blade” がリリースされた直後、パンデミックによってその計画は吹き飛ばされ、アルバムは1年以上も棚上げされてしまいました。
その長い “待ち時間” は、ただでさえモダン・メタル時代に降臨した野蛮で濃密な最高のカムバック・レコード “Surgical Steel” からの8年間で上がりきっていたハードルの高さをさらに押し上げてしまいました。ゆえにJeff は、ネット上の荒らしがこの作品について何かしら文句をつけること、そんな反発はすでに織り込み済みなのです。
「”Surgical Steel” は非常に評判が良かったから、今回反発があることはわかっているんだよ。だからある意味、”Torn Arteries” は “2番目に難しいアルバム” なんだよね。個人的には、多少のネガティブな意見も覚悟しているよ…」
Bill Steer も楽観的でありながら慎重です。
「このアルバムは “Surgical Steel” よりも優れていると感じているけど、同様に、今回はより多くの非難を浴びることを覚悟しているんだ。以前のように、人々を驚かせることはできないからね。
2013年に長い間休んでいたのに、レコードを出すと聞いた人たちは、当然のことながら、”ああ、これはくだらないものになるだろうな” というような想像をしてたわけで。だから、”Surgical Steel” が比較的良いものであることがわかったとき、多くの人はある種のショックを受けたんだ。でも、あんなことはもう二度とないんだよ」
実際、あの魔法のような “Surgical Steel” の制作にあたって、Jeff はファンが期待している “Necroticism” や “Heartwork” のような作品にしようと意識したのでしょうか、それとも自然にそうなったのでしょうか?
「自然に出てきたものだよ。あまり意図的に考えたわけではないんだ。正直に言うと、50曲を録音たけど、それらは非常にバラエティに富んでいて、その中で意図的に CARCASS のある時代やスタイルを選んだわけではないんだよ。意図的にそれをやるとすぐに CARCASS のように聞こえてしまうんだよね。
腰を据えて古いアルバムを聴いたわけではなく、自然と自分たちの音楽を演奏するようになっているんだ。だから、”Heartwork” や “Necroticism”, “Swansong” あるいは “Symphonies” や “Reek” に似ているところがあったとしても、それは純粋に偶然の産物なんだよな。ある意味で、あのアルバムは俺たちの過去を固めたものだ。俺たちがやってきたことを再現しようと意図的に試みたものではなくね。そうなったのは偶然の産物だよ。ある意味では、自分たちのバックカタログを集約して、1枚のアルバムに圧縮したようなものかな」

パンデミックは、断裂した動脈から血が溢れ出るのを大幅に遅らせました。1年半の間、どんな想いで Jeff はリバプールに籠っていたのでしょうか?
「最初は家のリフォームをしていたんだけど、すぐに飽きてしまったよ。ちょっと情熱が冷めてしまったね。最終的にはそこにたどり着くだろうが。80歳になっているかもしれないけどね。俺は解体は得意だが、建設や装飾にはそれほど熱心ではないということに気づいたよ。自転車にも少し乗っているし、歩くことも増えた。
不思議なもので、年齢を重ねると1日の時間が足りなくなるものなんだけど、俺は今、何もしないことの専門家のようさ。この暑さの中では、肉体労働をする気にもなれないしね。CARCASS の強制的な休止も、最初は悪くなかったんだけど、長引いていて、正直なところ終わりが見えないんだよね」
Bill Steer は、常に自分のギタープレイを新たな分野に押し進めてきました。グラインドコアのパイオニアであるNAPALM DEATH での冒険や、印象的な CARCASS の作品群、FIREBIRD, GENTLEMANS PISTOLS, ANGEL WITCH におけるストーナー、リフ・ロック、クラシック・メタルの表現まで、彼のギタースキルは80年代半ばに登場して以来、変化を遂げながら注目を集めてきたのです。ゆえに、このパンデミックの過ごし方も彼らしいものでした。
「エレクトリック・ギターよりもアコースティック・ギターを弾くことが多かったね。それは、エレキの場合観客に届くということを、ある程度想定していたからだと思うんだ。エレクトリック・ギターはそのために発明されたのだからね。だから、小さなアコースティック・ギターを手にすることは、より意味のあることだったんだよ。
ここには私と2つの小さな部屋があるだけだ。深い監禁状態が続いている間、私はこの楽器を選んでいたと言っても過言ではないだろうな。最近になって、またエレキ・ギターを手にするようになったんだ。非常に新鮮な気分だよ。アコースティックではできないことがたくさんあるからね」

誰にとっても予測のできない、日常とはかけ離れた事態。Jeff は自身の抱える病気との戦いも気にかける必要がありました。
「レーベルからは2020年にリリースするというオプションも与えられていたんだけど、俺が延期するという経営判断を下したんだ。振り返ってみればそうすべきだったのだけど、つまり、去年リリースすることもできたわけだよ。
ただ、明らかに俺はこのパンデミックがこれほど長引くとは思っていなかった。豚インフルエンザも鳥インフルエンザも、俺たちの生活にはほとんど影響を与えなかっただろ?半年くらいで終わるだろうと思っていたんだけど、明らかに間違っていたね。俺には動脈瘤の治療も必要だったし。でも正直なところ、これが8年後に発売されても問題はなかったと思うよ。今のままのサウンドさ。古くなることはない。ただ、CARCASS のサウンドなんだよ。
もちろん、実際に聴いてみると、もっとこうすればよかったと思うこともいくつかあるけど、リスナーにとっては劇的に何かが変わるわけではなく、ちょっとした微調整に過ぎないんだ。だから、俺たちはアルバムをベッドに置いて、それで終わりにしたんだよ。FEAR FACTORY のように、何かを作り直すようなことはしていないさ。すでに十分な時間を費やしているのからな」
それにしても、8年は長い長い “待ち時間” でした。
「Bill と Dan は、2015年頃からジャムを始めたんだよ。その頃には、”SURGICAL STEEL” のプロモーションも一段落して、ちゃんとした曲を作ってスタジオに入りたいと思っていたんだよ。でも、SLAYER のツアーのオファーがあったんだ。それからもずっとオファーを受け続けていてね。とても魅力的で、オファーが来たら断るのは難しいんだが、俺たちはレコーディングをしたくてたまらなかった。1回のセッションですべてを行うことは無理だから、ギグの前後にもレコーディングをを行っていたよ。
基本的にバンドはずっと仕事を続けていたから、パンデミックで強制的な休止期間があったのは良かったと思うよ。でも、1年以上も一緒に演奏していないから、今はちょっとヤバいね。俺たちは錆びついているかもな」

ただし、Jeff のそんな皮肉の数々とは対照的に、”Torn Arteries” はバンドのハードコア・ファンのために作られた作品に思え、CARCASS の “腐りきった” 遺産の痕跡がそこかしこに散りばめられています。
ブラストの慟哭 “Under the Scalpel Blade” は、1993年のランドマーク “Heartwork” のグロテスク&プログレッシブな飢餓感を彷彿とさせますし、タイトル曲 “Torn Arteries” では、当然のように手術台での惨事を口にする Jeff がいます。”自然発生的な冠動脈梗塞/椎骨の一過性虚血発作”。しかし、同時に彼は “In God We Trust” で気候変動の恐ろしさを発するする際にも同様に厳しい表情を浮かべており、処刑の物語である “Dance of Ixtab (Psychopomp & Circumstance March No.1) ” では Death & Roll のグルーヴの上で絞首刑の再現を試みています。
CARCASS は長い間、デスメタルや自身に対するメタ的なアプローチを続けながら、自らのレガシーを維持しているのかも知れませんね。1989年のアルバム “Symphony of Sickness” が2年後の “Necroticism: Descanting the Insalubrious” に収録された “Symposium of Sickness” へ受け継がれたことを覚えているファンも多いでしょう。”Torn Arteries” は、その自己言及的な慣習をしっかりと踏まえています。アルバム・タイトル “Torn Arteries” は、オリジナル・ドラマーの Ken Owen が作った古いデモにちなんでいますし、”Wake Up and Smell the Carcass” は、90年代にバンドが制作した同名のビデオ・コンピレーションにヒントを得ています。
「バンドとは何かという本質的なテーゼから、どこまでも逸脱することはできないよ。それを怠慢だとは思わないし、盗作だとも思わない。相互に関連づけておくのがクールなのさ」
もちろん、”Eleanor Rigor Mortis” は、THE BEATLES の “Eleanor Rigby” にちなんだタイトルですが、CARCASS が BEATLES に言及したのはこれが初めてではありません。”Heartwork” の “Buried Dreams” には、”All you need is hate” という一節が登場していました。
「”Eleanor Rigor Mortis” は多分、行き過ぎたジョークだと思うよ。これは初期の頃に考えていたタイトルで、当時はちょっと安っぽすぎると思っていたんだよな。でも、気に入っていたからこそ、また引っ張り出してきたんだよ。考えたのが Ken だったのか Bill だったのかかはわからない。1986年の時点ではやり過ぎだったかもしれないけどね。
ただ、今の多くの人は、これが BEATLES の引用であることを理解できないと思うよ。理解できると思うなら、それは若い世代の平均的な文化的知性を過大評価しているんだ。BEATLES を聴いたことがない世代もいる。BEATLES を知っていることで、俺たちは自分の年齢を明かしているのさ。
俺たちは、若者と同じ芸術的感情を共有しているとは思ってないからな。自分のために音楽を作っているし、もう50歳を超えた。ティーンエイジャーや20代半ばの人々など、幅広い層にアピールしようとは思っていないから」
音楽的に、THE BEATLES と CARCASS の “Eleanor” はこれ以上ないほどに離れています。しかし、どちらもそれぞれの方法で、死について考えています。
「”Eleanor Rigby” は、とても陰鬱な曲だ。俺たちの曲は、陰鬱ではないと思うけどそれでも十分に病的だ。でもとてもコミカルで皮肉な曲だとも思うよ。変態的で、奇妙で、ひねくれたラブソングなんだよ。死体愛好家のことではないだろう。いや、もしかしたらそうかもしれない。死体への性的虐待の歌かもな」

“Eleanor Rigor Mortis” は初期に作られた楽曲のタイトルで、”Wake Up And Smell The Larcass” も90年代のビデオ・コンピレーションで使われていました。音楽的にも初期とのつながりは存在するのでしょうか。
「俺たちはいつも自己言及的だよ。どのアルバムにもそういったリンクがある。CARCASS が構築したラヴクラフト的な神話、つまり多元宇宙のようなものさ。でも俺たちがやっていることの両端にはブックエンドがあって、そのパラメーターの中に収まらなければならないんだ。
“Wake Up and Smell the Carcass” は基本的には “Caveat Emptor” という曲が始まる前の音楽の部分のタイトルなんだ。俺とってその部分は、”Symphony of Sickness” の “Ruptured in Purulence” のイントロのようなものを、キックアップしてグルーヴィーに、そしてモダンにしたものだ。このタイトルを付けないこともできたんだが、2つの独立した作品であるというアイデアが気に入ったからね。”Wake Up and Smell the Carcass” は、明らかに完全な曲ではなく、3つのリフで構成されている、”Caveat Emptor” のきっかけとなったものだ」
CARCASS の “パラメーター” で欠かせないのが医学的なリリックの数々。これはどこまで医学的に “正確” なのでしょうか?
「CARCASS を聴いて、医者や病理学者、獣医になった人や、肉を食べるのをやめた人に会ったことがある。彼らの中の誰かなら、これが正確かどうか確かめることができるかもしれないな」
“Dance of ixtab” の “you’re so jugular vane” のように、アルバムの中にはグロテスクなダジャレがいくつも登場します。
「誰かが言ったことややったことを繰り返したり、決まりきったことを避けているんだ。そうすれば、結果的に賢く聞こえるようになる。見た目ほど賢くはないが、俺たちは他の人からの盗用を意図的に避けているんだ。真似したくないんだよな。
俺は、そうやって歌詞を書いている。リフを書くのと同じで、メモを取って貯めているんだ。そして、それらを文学的な散弾銃のカートリッジに装填して、紙に向かって撃ち、何が刺さるかを見るんだよ。”Torn Arteries” の歌詞を書き出すときは、ほとんど1回のセッションで完成したね。ベルギーのサウンドマンのところに行って、デモを持って彼と1週間過ごして、ひたすら歌詞を書き続けた。これまでにやったことのないことさ。今までは、いつも素材の大部分を書き、時間をかけて微調整していたんだ。でも今回は、その異なるアプローチが気に入ったんだよな」
アートワークの “ベジタブル・ハート” はまさにその意表を突いた “異なるアプローチ” を象徴しています。
「これまでにやったことのない、白を基調としたとてもクリーンなデザインだよ。邪悪さやデスメタルらしさはないけど、コーヒーテーブル・ブックのような清潔感が気に入っている」
異なるアプローチといえば、”Flesh Ripping Sonic Torment Limited” のような構造は、これまでと異なるアプローチの典型でしょう。10分を超えるバンド史上最も長い曲で、中間部にはドゥーミーなクリーンセクションやブルージーなチャグも備えています。
「ある意味 “放り投げた” というか。意図的に長い曲を作り、できるだけ多くのリフを詰め込もうとしたんだよ。まあ、笑いのためとは言わないが、そこまで不遜ではないし、投げやりでもない。もちろん、良い曲にしたいと思っているからな。MERCYFUL FATE の影響を受けているかも知れないね。
ただ、過去に “Necroticism” のいくつかの曲でそうしようとはしたんだ。10分を超えたことはなかったと思うけど。”Surgical Steel” では、”Mount of Execution” はどのくらいだったかな、9分? 特に “Mount” が面白いのは、演奏していてもそれほど長く感じないことなんだよな。”Flesh Ripping” がそうなのか、そうでないのかはまだわからないけどね。リフの数を数えてみたら、18個か19個あった。多いような気がするんだが、必ずしもそうではないんだよな」

Bill Steer は “Torn Arteries” に影響を与えた10枚のアルバムを挙げているのですが、その筆頭は奇遇にも MERCYFUL FATE の “Melissa” です。
「あのアルバムには “Satan’s Fall” が入っているからね。あんなにエッジの効いた曲を他に知らないよ。JUDAS PRIEST, URIAH HEEP, SCORPIONS の影響はたしかに感じるんだけど、それを遥か彼方に進めている。だから彼らが好きなんだ。
他にこの作品に影響を与えたのは、SAXON の “Wheels of Steel”, JUDAS PRIEST の “Killing Machine”, RAVEN の “Rock Untill You Drop”, SCORPIONS の “Lovedrive”, NAZARETH, WARGASM, ZOETROPE, それに BLUE MURDER のファースト・アルバムだね。あのアルバムは音楽的にヤバいね。クラッシック・ロックを基調にしたパワートリオだけど、John Sykes は彼が WHITESNAKE で打ち立てたアイデンティティーを、別のステージに運んだんだよ」
不遜といえばレコードの中で最も不遜な瞬間は、”In God We Trust” でのハンドクラップのセクションでしょう。 Jeff が説明します。
「メロトロンやピアノ、タンバリンなどのパーカッションを加えることで、過去にはバンドメンバー間で激しい議論があったと思う。誰かが抗議のために部屋から出て行ったかもしれない。でも、誰かがアイデアを持っているなら、それを試してみようと思うよ。いいと思ったら、やってみようってね。
ハンド・クラップについては、スタジオでのちょっとした楽しみかな。”Dance of Ixtab” のイントロでの足踏みとハンド・クラップもそうだけど、これはそれほど大きな音でミックスされていないかもしれないね。俺たちはただ、笑いとちょっとした楽しみのために試してみたのさ。そうじゃなきゃ、スタジオで干からびちまう。もちろん、CATHEDRAL がハンド・クラップを発明したわけではないけど、ヘヴィー・ミュージックにおいては、彼らを参考にしているよ」
“Necroticism” といえば、1991年にリリースされたあのアルバムの30周年から2週間後に、”Torn Arteries” がリリースされました。ノスタルジックな趣向にも思えます。
「俺は知らなかったし、気にもしていなかったよ。俺は、バンドが何かの20周年を祝うとか、あまりにも無意味なことだと思うぜ。”なんてこった……よくやった! もう20年もやってるのか!” …それがどうしたんだ?
まあでも、皮肉なことに、俺らが “Torn Arteries” でやっていることのいくつかには、ちょっとしたノスタルジアがあるんだ。正直なところ、それもさっきの自己言及の話なんだけど、自分たちの系譜というかね。ファースト・アルバム “Reek of Putrefaction” に戻って、Dビートを使っているんだ。そうやって、影響を受けたのは自分たちの過去のものかもしれない。だから、俺たちがそこまで先進的だとは言わないよ。ただ、必ずしも自分たちの過去を完全に焼き直しているわけではないんだよね。このアルバムはノスタルジックなものではないと思うけど、俺らは過去をとても意識しているし、そうしなければならない。それがこのアルバムに強さを与えていると思う」

ノスタルジアといえば、脳血栓症でプレイが難しくなったオリジナル・ドラマー Ken Owen について、”Surgical Steel” で彼らはこう語っていました。
「信頼性を高めるためにも、バンドの歴史を維持するためにも、Ken に全体の一部であると感じてもらうことは重要だと思う。CARCASS は俺や Bill と同じように彼のバンドでもあったから、彼を歴史から消し去ることはできないんだよ。アルバムで彼がドラムを叩けないからといって、彼を無視するわけにはいかないんだ。彼がドラムを叩いていなくても、ドラムや歌詞、アイデアの中に彼の存在を感じることができるのは、彼が CARCASS のコンセプトの一部だからだ。CARCASS で当たり前のように使っているアイデアの多くは、彼から生まれたものなんだ。
彼は15年前に昏睡状態に陥り、2度の脳手術を受けた。もう二度とドラムは叩けないよ。なぜ、人々は彼が奇跡的な回復を遂げることができると考えるのだろうか?彼は回復して、可能な限り健康な状態に戻った。だけど完全に回復することはないんだ…」
Jeff にとって唯一残された相棒ともいえる Bill Steer はどういった存在なのでしょうか。
「CARCASS を機能させるために、お互いに何かを引き出しているんだ。Hetfield と Ulrich のような関係だよな。あの二人の関係を見れば、本当は愛し合っていないのに共依存していることがわかるだろ?Hetfield は Ulrich にできないことをテーブルにもたらし、その逆もある。それは俺と Bill も同じなんだ。Bill のリズムは Hetfield。ビジネス志向で意欲的な俺は Ulrichだよ」
あの METALLICA に例えても違和感がないほど、今の CARCASS はメタル世界である種の “権威となっています。
「トム・ハンクスがビバリー・ヒルズでパーティーを開いていて、友人たちに “Reek Of Putrefaction” を聞かせていたという記事を何年も前に雑誌で読んだことを覚えているよ。もしかしたら、どこかの軟弱者が勘違いして、(デスメタル・ファンとして知られる)ジム・キャリーのことを言ったのかもしれないがね。あるいは、私の記憶がそうさせたのかもしれない。とにかく、俺の中のナルシストは、それが自分の運命だと思い込んでいる。でも、俺たちが他とは違うことをしたからこそ、人々や他のバンドに影響を与えたんだと思うよ。別に褒められたことではないけど、まあ、それはそれで大きなことだよね」
Jeff の言葉を借りれば Nu-metal も CARCASS の副産物、もしくは副作用でしかありません。
「別に手柄にするわけじゃないが、俺たちがBにダウンチューニングして、それをメタルの世界に広めたようなものだ。Bにチューニングした人は他にもいただろうけど、誰も思い浮かばないからな。それは、Nu-metal のような悲惨な副作用をもたらしたけど。
だから、ある面では、俺たちにも責任があるような気がしてるんだ。みんな Ross Robinson と一緒に仕事をしていて、彼は CARCASS のファンだったんだから。彼らの多くはBにチューニングしていたけど、なぜそうしているのか半分もわかっていないんじゃないか」

つまり、Jeff が2008年に EMPEROR を見たのは、もっと言えば CARCASS から “逃げて” いるように見えた Bill を動かせたのは本当に僥倖でした。
「LAで EMPEROR が演奏しているのを見て、Bill にメールで “失礼かもしれないけど、本当に CARCASS の再結成を考えるべきだ” と言ったんだ。俺はその時 BRUJERIA と演奏していたんどけど、プロモーターから CARCASS について聞かれてね。自分のバンドに需要があるのに、なぜ俺は雇われているのかという気持ちが湧いてきたんだ。ちょうど Michael Amott も俺に声をかけてきていたしね。それで、俺と Michael は Bill に相談し始めたんだ。人生で一度も見たことのないような金額のオファーを受けていた。結局俺たちは、CARCASS が人々にとってどれほど重要な存在であるかを知らなかったんだ」
自身が貴重な存在だと知りながらも、Jeff は “Kelly’s meat emporium” を “Under The Scalpel Blade” と同様自虐的に “ストック・カーカス” “過去の亡霊” と称しているようです。バンドの自己言及的な手法の自然な延長線上にあるようにも思えますが。
「”ストック・カーカス” というのは、Bill がリフをリハーサル・ルームに持ち込んだときに言ったことに過ぎない。非常にストレートな、高速スラッシュの CARCASS の曲なんだ。
俺らがこの曲を “ストック・カーカス” と呼ぶのは、皮肉なことだ。でもそう、この曲は “Reek of Putrefaction” 以来、ギターのリードがない曲の一つなんだ。俺が言わなければ気づかなかっただろう? 1996年の “Swansong” が気に入らない理由が、アルバムに速いパートが全くないことだと皆に気づかれなかったのと同じだ。アルバムの中で最も速いビートは、”Child’s Play” で “Children of the Grave” のペースになるときだ。それがいつも不思議なんだ。誰も “このアルバムはブラストビートがないから最悪だ” とは言わない・・・というか、誰も聴こうとしないんだよな、アレを」
実は、Jeff にとって “Swansong” は思い入れの深いアルバムでした。
「”Reek Of Putrefaction” や “Heartwork” と同じくらい、”Swansong” には思い入れがある。このアルバムに悪意を持ったことはない。このアルバムはかなり評判が悪いと思われているんだけど、現実にセールスはそうじゃないことを示しているし、ファンは概してこのアルバムを気に入っているという事実もある。というか、”Reek Of Putrefaction” よりも悪いアルバムだと言われることは、想像の範囲を超えているからね」
つまり、どの時代にいくつ否定的な意見が寄せられようとも、CARCASS は CARCASS であり続けます。
「21世紀になってからのことだと思うんだけど、人々がフォーラムや何かにコメントできるようになった。そうすると、それが事実上のムードになるようなんだよな。人々はインターネット上でポジティブな言葉を入力しないからな。
面白いことに、80年代には、誰もわざわざ紙にペンを走らせ、切手を払って、最も嫌いなバンドに手紙を送り、なぜそのバンドが嫌いなのかという高説を説こうとはしなかったんだ。だけど今では、ただタップしているだけで、自分の意見が空虚な世界で重要であると信じてしまう。クレイジーなことさ。でもそれが現実なんだよ」

参考文献:REVOLVER:CARCASS’ JEFF WALKER ON BAND’S GRISLY “MULTIVERSE,” SAVAGE NEW ‘TORN ARTERIES’ LP

REVOLVER:CARCASS’ BILL STEER: 5 CRIMINALLY UNDERRATED GUITAR HEROES YOU NEED TO KNOW

LOUDERSOUND:Jeff Walker: “Tom Hanks used to play Carcass to his friends”

RADIOMETAL: Jeff Walker Interview

BLOOKLYNVEGAN:Carcass’ Bill Steer talks 10 albums that influenced their new LP ‘Torn Arteries’

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【IRON MAIDEN : SENJUTSU】


COVER STORY : IRON MAIDEN “SENJUTSU”

Photo copyright by JOHN McMURTRIE

“You Only Have To Look At Those Top Comments To Find Out How Fractured People’s Psychologies Are. This Is Not a Political Issue, I Think It’s a Psychological Issue. There’s a Collective Schizophrenia In The World And The Internet Is Feeding It And Fueling It.”

戦術 -THE ART OF WAR-

Bruce Dickinson は、メタル世界の異端児です。イギリスの巨人、IRON MAIDEN のフロントマンである Bruce は、63歳にもかかわらず今でも旗を振りながら大声で叫び、バンドのマスコットであるエディと剣戟を交わし、若いころといささかも変わらぬ情熱を持ってステージを飛び回っています。背景が変わり、炎が上がると、彼は愛してやまない世界の歴史からインスピレーションを得た古来の衣装を着て、芝居がかった派手な演出で聴衆を釘付けにするのです。
Bruce は、レコーディング・アーティストとして、ライブ・パフォーマーとして、メタル世界最高のボーカリストの一人として当然広く知られています。ただし、同時に彼は、メタル世界においてレジリエンス (心理学における外力による歪み、ストレスを跳ね返す力) の第一人者としても長く記憶されるに違いありません。
2016年、Bruce は舌癌を克服した数ヶ月後に “The Book of Souls World Tour” に参加し、IRON MAIDEN は6大陸で100回以上の公演を行いました。Bruce Dickinson の声は、癌を克服し恐ろしいことにその強靭さを増しています。
「ツアーを3、4ヵ月やってみて…すべてオリジナルのキーで、40年前に使っていたのと同じ音を出している。声のトーンは少し太くなったし…。より頑丈になった。俺は確かにテナーの音域にいるけど、テナーにはさまざまなタイプがある。俺が好きなテナーの一人が、Ronnie James Dio だ。Ronnie は一種のハイブリッドで、年を重ねるごとに彼の声はより頑強になっていったよね。初期の作品、特に RAINBOW 以前の作品に “Butterfly Ball(and the Grasshopper’s Feast)” というアルバムがあってね。彼はゲストとして参加し、DEEP PURPLE の Roger Glober が多くの曲を書き、プロデュースしている。その中に “Love Is All” という曲があるんだけど、彼の声はガラスのようなんだ。とても透明感があって、素晴らしいんだよね。この曲は、アルバムではなくライブでカバーしたいと思っていたんだよ。
11月にハンガリーで Roger と一緒にオーケストラ演奏をすることになっているんだ。去年、ケベック・シティでオーケストラとやったのと同じで、2晩かけて Jon Lord の “Concerto for Group and Orchestra” を演奏して、最後にパープルの曲を5曲演奏したんだ。ハンガリーでも同じことをやるだろうね。
とても楽しいし、オーケストラと一緒に仕事をするチャンスもあるからね。指揮者のポール・マンが他のこともやってみたい?と聞くから、俺は、”メイデンの “Empire of the Clouds” という絶対にやらない曲があるんだけど、これはオーケストラのために作られていて…” と言ってみた。彼はその曲を聴いて、”ああ、これは素晴らしい!” と感動していたよ」

2019年に後に “Senjutsu” となる2枚組の新作アルバムをレコーディングした際には、アキレス腱を痛めながら、手術の翌日にはボーカルを撮り終えました。Bruce はその時のことを、ブーツを履き、松葉杖をついてスタジオに入り、足は “クソ風船” のようになっていたと語っています。そこから彼はツアーに戻り、キャリアを網羅した “Legacy of the Beast World Tour” を継続。毎晩、戦略的にステージを歩き回り、医師がかかとを縫い合わせた直後にもかかわらず懸命に動き回って聴衆を鼓舞しました。
「動き回っていたけど、違う動き方をしていたんだよ。ふくらはぎの筋肉を使わずに動くことを覚えたんだよね。これがなかなか難しくて、従来のやり方ではできないんだ。だから、ジャンプもできないし、走ることもできないし、早く歩くことも問題だった。でも、カニのように歩けば大丈夫だったんだ!」
IRON MAIDEN は、コロナウイルスの流行により、レガシーツアーの残りを2022年に延期することを余儀なくされましたが、さらに Bruce 自身もこの “Senjutsu” リリースの大事なタイミングで軽度のCOVID-19に感染してしまいました。しかし、機長でありレジリエンスの達人はもちろんその心を折られてはいません。
「とても素晴らしいレコードだから、これ以上座って待っているわけにはいかないからね。人々はロックンロールの棚から何かが落ちてくるのを待っていたんだ。だから、このアルバムをリリースするのは、ある意味素晴らしいタイミングだと思うんだ。
体調は全く問題ない。COVIDに感染したから、10日間の自宅隔離を余儀なくされているが。ちょうど1週間前に陽性反応が出たんだ。症状としては、2~3日前から少し気分が悪くなり、少し汗をかき、少し鼻が詰まって、俺の場合は小さな咳が出て、嗅覚も鈍っていたけど、今は少し戻ってきているね。
感染したからといって、ワクチンには全然懐疑的になっていないよ。2回とも接種したし、もし誰かにもう2回接種してほしいと言われたら、真っ先にその列に並ぶだろうな。俺とパートナーは、俺がファイザー、彼女はアストラゼネカのワクチンを接種し、二人とも感染した。でも、彼女はそれを乗り越えたし、基本的に俺も今、かなり克服しているよ。
ワクチンを打っておいたから、症状が軽かったんだろうな。それに、俺の知り合いでワクチンを接種した人は皆、副作用がとても軽いんだよ。ワクチンを接種していない人でコロナになった人を何人か知っているけど、彼らは相当酷い目にあっているよ。たとえ死ななかったとしても、その後かなり長い期間、体調が優れないんだよな。これは50歳以上の人だけではなく、30歳以下の若い人たちにも言えることなんだ」
家に閉じこもるのは退屈で、”Netflixをすべて見てしまった” と告白する Bruce にとって、メイデンの世界に戻ることは、普通の生活に戻ることを意味しています。
「世界が早く常識的なものに戻れば、誰にとっても良いことだよな。俺たちは、その一環として “Maiden is Back” を求めているんだよ」

80分以上という壮大な長さで、最後の2曲だけで30分近くかけてレコードの片面を占める。そんな型破りな音楽とテーマは IRON MAIDEN だけが実現可能な魅力的なメタルドラマでしょう。プログ、フォーク、ブルース、サウンド・トラックなどの影響が随所に現れる、41年の歴史を持つメイデンのタペストリー。”Senjutsu” はそんな匠の伝統に独自の挑戦の形を刻んでいます。
パリのギョーム・テル・スタジオ( “Brave New World” や “The Book Of Souls” を制作したのと同じ場所)で長年のプロデューサーであるケヴィン・シャーリーと再度タッグを組んだ “Senjutsu” の創作過程は、このような全能感に満ちた聴きごたえのある作品にしては、非常にゆるやかなものでした。
「2枚組というのも、自分たちの手の中にあるものに気づくまで、実際には計画されていなかったんだよ。このように濃密で時折挑戦的な作品を作ることが、歴史的なツアーの強壮剤になるという指摘さえも、さりげなく受け流していた。本当に、”アルバム” 以外の計画はなかったんだ。何か決まったアイデアや先入観を持って臨んだわけではないんだよ。
Steve は文字通り2、3日家に閉じこもっていて、その間俺たちはみんなでピンボールをしている。そして彼はこう言うんだ。”おーい!みんなスタジオに来てくれ!” ってね。
Adrian と一緒に作った曲は、もう少しオーソドックスなものだったな。何かができたと思うまで、ギターを弾いたり歌ったりしていたんだ。それからリハーサルをして、そのまま曲にした。言ってみれば、もっとオーガニックなんだよね。逆に Steve は、かなり細かいところまでこだわる傾向がある」
実際、Bruce はこのアルバムで Adrian Smith とのみ楽曲を書いています。
「彼と一緒に書いていると、すぐに物事がうまくいくんだよ。そういう意味では、彼は一緒に作曲するのにとても適した人だよね。彼は、歌いやすいコード構造を考えてくれるし、そこには音楽的な色が含まれているので、俺の頭の中で絵を描き、その上に言葉や曲を書くのも簡単なんだ。
時には、少しずつ入れ替えていくこともある。彼がコーラスだと思っていたものが、途中で何かに変わるかもしれない。コーラスだと思っていたものがギターになるかもしれないけど、それはアイデアを出し合っているうちにわかることさ。Adrian はテニスの名選手なんだけど、彼と一緒に曲を作るのは、ボールを前後にノックするようなものだ。良いラリーになると、”これは良い!” “あれはクリエイティブだ!” となる。実際、エイドリアンとの曲作りはまさにそんな感じなんだよ。
でも、別に Janick と共作しなかったからって意図的なことじゃない。Steve はスポンテニュアスにやるのが好きじゃない。”サプライズだ!俺が全部仕上げた!”というのが彼のやり方なんだ。俺たちは40年以上も一緒に仕事をしているから、お互いの仕事のやり方や長所、短所などを理解しているんだ。
俺と Adrian は、”The Writing on the Wall” 作ったとき、とても驚いたんだよ。彼は、”これは1曲目にするべきだ!” と言った。この曲は俺たちにとっては異色だよ。ある意味では、もう少しメインストリームで、クラシック・ロックのようなものだからな」

JETHRO TULL のような感じもあります。
「JETHRO TULL や DEEP PURPLE みたいな、子供の頃に着ていた “服” を “着せ替え箱” の中から掘り出して、何年も経ってから表に出しているんだよ。俺がバンドに参加していなかった頃の “Prodigal Son” を聴いてみるといいよ。ちょっと待った!と思うだろうね。とても JETHRO TULL 的だから。
俺と Steve は JETHRO TULL の大ファンだけど、好きなアルバムはそれぞれ違うんだよね。俺は初期のフォーク・ロックのファンだけど、彼は “Thick as a Brick” やプログレッシブなものが好きなんだ。あとは “Passion Play” とか。俺はそれほど好きじゃないんだよね。短い曲の方が好きだ。
彼は GENESIS の大ファンなんだけど、Phil Collins の GENESIS ではなく、Peter Gabriel の初期を好んでいる。一方、俺はどちらかというと Peter Gabriel のソロのファンでね。GENESIS を離れてからの彼の作品はよりエッジが効いていると思うからね。”Peter Gabriel III” は、なんて素晴らしいアルバムだろう。”Intruder”, “No Self Control” みたいな不吉さがいい。
あと、俺は VAN DER GRAF GENERATOR というイギリスのプログ・バンドの大ファンでね。彼らは GENESIS と同時代のバンドだったけど、彼らほどビッグではなかったんだ。VDGG はもっとプログレッシブでアート・ロックなタイプなんだけど、俺は彼らと Peter Hammill から歌詞の面で大きなインスピレーションを受けているよ。
まあつまり、俺たち2人の間には、かなりの量の “プログレ” が潜んでいるんだ。ここ数枚のアルバムにはそれが表れているよね」

コロナで始まった2020年代。それだけではなく、IRON MAIDEN に加入したころとはさまざまなことが大きく変化しています。
「今までとはまったく違う方法でプロモーションを行っているよ。リリースの告知には、インターネット上で、イースターエッグ・ハントのようなものを用意したんだ。それに、ミニムービーのようなアニメーション・ビデオもある。
アニメーションは音楽に匹敵するよ。バイクが通ると音がする、人が銃をロックしたりロードしたりすると音がする。男がヤギに変身すると、ベロベロと音がして、バリバリと壁に叩きつけられる。大きなサウンドシステムを使えば、それは素晴らしい音になる。映像に命が吹き込まれたように感じるんだ」
長い間、話題になるようなビデオを作っていないので、人々が想像できないような壮大なものを作りたいと考えていた Bruce を駆り立てたのはドイツのあるバンドでした。
「メイデンのマネージャーであるロッド・スモールウッドに、”RAMMSTEIN の “Deutschland” のビデオを見たことがあるか?”と言ったんだ。あれは、俺にとっては画期的なビデオでね。驚くべきことだよ。俺たちは RAMMSTEIN ではないから、同じことを提案しているわけではなかったんだ。でも、同じくらいのインパクトを与えることができるものが欲しかったんだよ。
画期的なビデオを作りたかった。俺はアニメーターではないからすべてを担当したわけではないけど、ストーリーを書き、元ピクサーのマーク・アンドリュースとアンドリュー・ゴードンが事実上のエグゼクティブ・プロデューサーとして、全体に深く関わっているんだよ」
かつて “トイ・ストーリー” を手がけた人物が、今は IRON MAIDEN のマスコット、エディが政治家の首を切るシーンを書いているのも驚きです。
「俺が脚本を考えたとき、マークはガイドとしてフルカラーの美しい絵コンテを8枚描いてくれた。特に気に入っているのは、最後のシーンでエディがアダムとイブをキャデラックに乗せて、4人のバイカーにエスコートされているところだね。背景にはスタンリー・キューブリックや “ドクター・ストレンジラブ” へのオマージュが描かれていて、まさに俺がこのラストシーンを書いたかのようだった。すぐに、”この仕事をするのにふさわしい人たちだ ” とおもったね。
最初の会議で、マークは “聞いてくれ、僕は勝手にこのオープニングシーンを考えたんだが、バイカーたちはもっと早く登場するべきだと思うんだ。たぶん、ハゲタカのように旋回しているんじゃないかな” と言った。俺は “ロード・オブ・ザ・リングのナズグルだな” と思ったよ。素晴らしいね。
クリエイティブな人たちと一緒に仕事をしていると、すぐに理解しあえるのがとても楽しいんだ。大虐殺で人々を排除する方法を検討していたとき、”実際にどんな銃を持つべきか” というディテールにまでこだわったよ。武器のマイクロデザインをしていたんだよね。
四頭身の死神のようなバイクの男たちが、有害廃棄物の中を走り、逆さまになったアメリカ国旗が、大食いで身なりの悪い政治家を乗せた車に掲げられている…おそらくドナルド・トランプだろうな。まあトランプである必要はないんだけど。これは一般的な比喩だから」

そして、その後ろにはお尻を出したイギリス人の男たちがいます。
「彼らは顔のない公務員で、まだ大英帝国があると思っている愚か者だ。ズボンからお尻を出しているけど、誰も教えてくれないんだよね。
その背後には、明らかに核ミサイルを突き出した中国のドラゴンのようなものがある。多くの人に聞かれるのは、一番上の皇帝が実際に何を持っているのかということなんだ。というのも、(中国の)習近平国家主席が一時的に不人気になったとき、地元の人たちが習近平の外見をくまのプーさんに例えたんだよね。その結果、習近平は “くまのプーさん” を中国で禁止することにしたんだよ。わかるかい?
このビデオには小さなイースター・エッグがたくさん潜んでいるんだ。特定の政治体制を支持するものではないよ。善人はいない、悪人ばかりだ。最初の絵コンテでは、大虐殺が終わり、エディが黙示録のバイカーに護衛されて走り去り、爆弾が爆発するところまでしか描いていなかったんだ。でも、実際には、吸血鬼の王様(試験管の中に入れられた死体の汁で生き返る男)は生き延びて這い回り、闘技場の外ではヤギになっていたんだ。ネブカドネザル2世がしたとされるように、地面に伏せて草を食べている。というのも、彼は気が狂ったようになって錯乱し、自分が獣になったと思い、外に出て、草の中で草を食べていたんだよね。傲慢の罪でね。
そして、彼がロバに目をやると、ロバが “おい、あれは俺の草だぜ “と言ったんだ。王様はロバと同じレベルになってしまった。すべてが滅んだ後、エディがサタンになって、実際彼はサタンではないけど、新しいリンゴを作ってしまうというのはいいアイデアだよね。
ポジティブな結末が必要だったから、最後にアダムとイヴをビデオに挿入したんだよ。スタンリー・キューブリック監督の映画 “Dr.ストレンジラブ” を意識したようなエンディング。エディはただ世界を終わらせるだけで、何もしないの?最後にアダムとイヴが必要で、エディは彼らにリンゴを与えるんだ。
良いことかもしれないし、悪いことかもしれないけど、確実に人間はそれを食べることになる。もしかしたら、また同じことを繰り返してしまうかもしれないけど、どうなるだろうね」
重要なのは、これが “Alexander the Great” のようなメイデンお得意の歴史大作ではなく、現代のアポカリプスな物語だということでしょう。
「これは歴史ではなく、現代の悪夢なんだ。国家が行うゲームの寓意なんだよ」

Bruce の中には難解な歴史の教科書と、スター・ウォーズやロード・オブ・ザ・リングが同時に存在しています。だからこそ、リスナーに届きやすいのかもしれません。
「そうだね。でも、そういった娯楽作品がアイデアをどこから盗んで来たと思うかい?ほとんどはシェイクスピアが作ったもので、その前はギリシャ人が作っていたね。その前には、聖書をそのまま引用したものもたくさんあるし。すべてがリサイクルされて、同じ巨大なメディアの洗濯機に入り、新鮮な状態でマーベル・コミックになって出てくるんだ。
俺は神話が好きだよ。特に、ある程度の寓話性があって、今の時代の良き参考書となるようなものがね。邪悪な帝国が常に勝利するわけではないという希望を人々に与えるようなね。救いを得ることができるのだから」
“Death of the Celts” は、1998年のメイデンの楽曲 “The Clansman” には関連性があるようにも思えますが。アイルランドとスコットランドという違いはあるにせよ。
「スカートをはいた男性のことはよくわからないんだけど、Steve (Harris) にはそういうところがあるんだよね (笑)。 “Death of the Celts” は Steve の曲だけど、彼は部族のアイデンティティを脅かすような人たちの曲を書くのがとても好きなんだよね。彼は以前にもネイティブ・アメリカンや少数民族についての曲を書いている。アイデンティティを脅かされているグループに親近感を持っているんだろうな。そして、自分たちが脅かされているときには、変化するよりも死んだほうがましだと思っている。その考え方は、ある意味ではとてもロマンティックだけど、同時にそれがどれほど歴史的なものなのかはわからないよね。なぜなら、実際に一夜にして死滅する民族はいないから。恐竜もそうだった。何が起こるかというと、人々が吸収されるんだよ。バイキングは絶滅したわけではないけれど、吸収され、同化された。最終的には、イングランド北部に住む、金髪で青い目をした人たちになったんだ」

Adrian Smith と共作した “Darkest Hour ” は、息子を埋葬した男たちの話や、浜辺に流れる血といった暗く陰鬱な楽曲です。
「この曲は、うつ病に苦しんでいたウィンストン・チャーチルの頭の中を少しだけ覗いてみようという試みだった。彼は明らかに天才的な人物だったけど、それだけではなかった。アルコール依存症で、うつ病で、彼が “黒い犬” と呼んでいたものに悩まされていたんだよね。それは彼なりの “うつ病” の表現方法だったんだ。
だけど、彼がいなければ自由世界は基本的に自由ではなかっただろうな。ヨーロッパに関する限り、世界は現在のような形では存在しなかっただろう。もし、彼が頑固な年寄りではなかったら、ヒトラーだけでなく、ヒトラーと和解しようとしていた自分の党の人々にも立ち向かうなんてことはしなかっただろうから。
英国の政治家にしてみれば、面倒なことになるだけだからね。”ヨーロッパのことはナチスに任せておけばいい、我々のことは放っておいてくれれば何をしてもいい” というわけさ。ヒトラーはイギリスの帝国やその他のものに大きな憧れを抱いていたから、その考えに納得していたんだ。
つまり、ヒトラーはイギリスを追い出したいのではなく、実際にはイギリスと同盟を結びたかったんだけど、チャーチルが立ちはだかってこう言ったんだよ。”あなたは野蛮人だ。あなたは文明を破壊し、我々が価値があると考えているすべてのものを破壊するだろう” とね。だから俺たちはチャーチルに大きな感謝の念を抱いている。だけど、その過程で何百万人もの人々が亡くなってしまった…アメリカ人もだけどね。
この曲は浜辺で始まるんだ。冒頭の浜辺は、ダンケルクの浜辺で、基本的には逃げなければならなかった撤退戦の場面なんだ。そして、曲の最後には再び血が赤く染まるんだが、今度はD-Day (ノルマンディー上陸作戦を行った1944年6月6日) のビーチで、俺たちが戻ってきたときのことなんだよ。
その間に語られるのは、基本的には圧倒的に不利と思われる状況下で、ある国が「いや、お前なんかくそくらえ!」と立ち上がった物語なんだよ。第二次世界大戦のバストーニュ(ベルギー)でのアメリカ軍の司令官だったと思うけど、ドイツ軍からの降伏勧告に単純に4文字の言葉で、”Nuts” “おバカさん” と返したんだ。
チャーチルの反応もよく似ていて、”我々は降伏するつもりはない。海岸でも戦う。浜辺でも、丘でも、何を使ってでも戦い抜く” と断言した。これにはナチスも困惑したと思うよ。何を言っているんだ?我々を止めることはできない、我々は圧倒的な力を持っている!のにって感じだっただろうな。しかし、そうはならなかった。これは、一人の人間が作ることのできる違いなんだよ。それが、この曲のテーマなんだ」

今アメリカでは、自分のチームや教団に属すると思われる人たちに対して反対の声を上げることを、人々はとても恐れています。
「世界全体が二極化しているのを見るとがっかりするね……いや、二極化どころではないね。AとB、左と右、北と南…分断されているんだよな。
それが無責任なソーシャルメディアによって増幅されているんだよ。ソーシャルメディアは自分自身を、”そうか、我々は実際にこの怪物を生み出し、事実上制御不能にさせてしまったが、それは我々のせいではない、それがインターネットなのだ、それが進歩なのだ” と考えてしまっている。
だけど、これは制御可能であり、人々は責任を取ることができるんだよ。小さな小さな極端な意見をメガホンで叫んだところで、SNS と同じようには広がっていかないだろうね。だけどメガホンで叫んだほうが、イデオロギー間の対立ではなく、実際の言論を可能にするかもしれないよね。イデオロギーとは、政治的なイデオロギーではなく、事実に基づくイデオロギーのことだよ。
例えばある人は、”チーズはマインドコントロールの方法である” という信念を持っているかもしれない。それをインターネットで公開すれば、バカな男たちがそれを信じるんだよ。なぜなら、それに対抗する反応がないからね。
かつては、新聞社や信頼できる情報源に行って、”チーズについての本当の話は何か?微生物が私たちの脳に侵入するように再プログラムされたのか、それともただのチーズなのか?” といった具合にソースを確認することができた。だけど、それはますます難しくなっている。俺たちのビデオ “The Writing on the Wall” につけられたコメントを見ればわかるよ。興味深いことに、このビデオは左翼から右翼まで、そしてその間のあらゆる意見からさまざまな主張を受けている。
誰かが “これは終わりの時に関するものだ!”といえば、聖書に詳しい人たちは “そうだ、これはイエス・キリストのことで、彼が我々を救うために戻ってくるんだ” と言い、他の人たちは “いや、これは悪の帝国のことだ” “これはトランプのせいだ” “ああ、これはバイデンのせいだ” “ああ、これはワクチンに関わることだ “とさまざまなコメントがあるんだよね。
正直言って、信じられないことだけど、人々は自分なりの解釈で意見を押し付けていくんだ。これらのトップコメントを見れば、人々の心理がいかに分裂しているかがわかるだろう?これは政治的な問題ではなく、心理的な問題だと思うよ。世界には集団的な統合失調症があり、インターネットがそれに拍車をかけているんだよね」
“Hell on Earth” という曲は、まさにそんな地獄のような世界を反映しているようにも思えます。
「どうだろう。それは Steve の歌詞だからね。彼は俺が言うことを気にしていないと思うけど、ちょっとした象徴主義者なんだよね。彼は主流にはならないんだよ。もしかすると、彼は厄介な集団の一員であるかもしれない。彼は俺が信じていないことも信じているけど、人は自分の信じたいことを信じることができ、それが自由な世界と呼ばれるゆえんだからな。だから “Hell on Earth” で彼は明らかに世界を見てこう言っている。”俺が死んでこの世を去ったら、別の世界に戻ってきて、すべてが悪い夢だったと思えるかもしれない。もう一度やり直せるかもしれない。でも、それまでの間、地球上の地獄にいなければならない” とね」

新しいアルバムのタイトルに日本語の “戦術” を選んだ IRON MAIDEN。これは、相手がどこに力を注いでいるかを見極め、それを利用して勝利のための対応策を構築するという考え方です。Bruce が言うように、”サムライ・エディ” と繋がっているのも重要なポイントです。
「Steve が最初の曲を考えて、”Senjutsu” という曲だと言ったんだ。彼は、日本語で “戦争の術 “という意味だと言った。俺は本当かな?と思ってグーグル検索で調べてみたら、いくつかの異なる意味があるみたいだった。俺らはその中から “The Art of War” でいくことにしたんだ。
何の戦争なのかはよくわからない。歌詞を見て、”これは誰かがゲーム・オブ・スローンズを見まくっているみたいだ!” と思ったんだ。草原から北方民族が降りてきて、そこには壁があって、彼らは何としてもその壁を守らなければならない…」
“Senjutsu” のジャケットには、鎧に身を包んだエディが描かれています。つまり、Bruce にはステージ上で鎧を着たり、サムライ・エディと戦ったりする可能性があるということなのでしょうか?
「国際フェンシング連盟は、特にフランスを中心とした西洋のフェンシング連盟で、ライトセーバーの国際的な競技会を公認しているんだ。冗談ではなく、ライトセーバーの大会だよ。彼らのトレーニングを1、2回見たことがあるんだが、実際に競技用のライトセーバーを持っていて、それが最高にかっこいいんだよ。ジュニアフェンシング用のライトセーバーを買ったんだけど、これが地球上で最もクールなものでね。完全な戦闘用ライトセーバーなんだ。徹底的に叩きのめすことができる。壊れることもないしね。
これをホテルのロビーに持ち込んで、ロビーでライトセーバー合戦をしたことがあるんだけど、誰も止めなかったんだよ。だから、ステージ上でサムライ・エディとライトセーバーで決闘するというアイデアは、ぜひ実現したいね!」
IRON MAIDEN が孤高であり続けられる秘訣。Bruce は最後にそのヒントを語ります。
「IRON MAIDEN は、デビューから41年、17枚のアルバムをリリースしてきたけど、いまだに挑戦し続け、人とは違うことをしたいと思っているし、ファンに対して知的に接したいと思っているんだ。それには根性が必要だし、自分の仕事に信念を貫く勇気も必要だ。このアルバムをライブで全曲演奏したいと思っている。それはかなり野心的かもしれないね。しかし、実際のところ、2枚組アルバムをライブで演奏することによる驚きは、それほど大きな提案ではないんだよ。それは、メイデンがメイデンらしく、反抗的に、確実にやっているだけなんだよね。
驚くようなことをするための鍵は、人々を驚かせようとすることではなくてね。むしろ、IRON MAIDEN であろうと意識するときに、危険が生じる。俺たちが情熱を持ってやっていることは、定義上、すべて IRON MAIDEN になる。しかし、それを考えすぎてしまうと、自分自身を窮地に追い込み、自分自身の決まり文句を再利用してしまう危険性があるんだよ。それはカラオケバンドに任せておけばいい」

参考文献: FORBES:Iron Maiden Singer Bruce Dickinson Chats New Album ‘Senjutsu’ And Society’s Great Psychological Divide

LOUDWIRE:INTERVIEW – IRON MAIDEN’S BRUCE DICKINSON DIVES INTO ‘SENJUTSU,’ TIME TRAVEL DESTINATIONS + MORE

KERRANG!:The Way Of The Samurai: Uncover the secrets of Iron Maiden’s new album, Senjutsu

日本盤のご購入はこちら、WARNER MUSIC JAPAN

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【BLAZE BAYLEY : WAR WITHIN ME】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH BLAZE BAYLEY !!

“If You Are Weak You Can Grow Strong. If You Are Broken You Can Mend. If You Are Different You Are Not Alone.”

DISC REVIEW “WAR WITHIN ME”

「良い時も困難な時も、俺のファンは俺と一緒にいてくれたからね。俺が自分自身を信じられなくなったときだって、彼らは俺のことを信じてくれたんだから。絶望的な気持ちになったときには励ましてくれた。だから、ファンが俺に作曲やレコーディング、演奏を求めてくれる限り、俺はやり続けるだろうな」
Blaze Bayley は、世界最大のメタルバンド IRON MAIDEN で5年という決して短くない時間を過ごしました。ミッドランドの小規模バンド WOLFSBANE からまさかの加入。誰もが羨むシンデレラ・ストーリー。しかし、そんな栄光の裏側で Blaze は一人、もがき苦しんでいました。偉大なる万能のシンガー、前任者 Bruce Dickinson の後任という重圧。がむしゃらが力となった WOLFSBANE よりも、丁寧に音程を追わねばという不自由な足枷。鳴り止まぬファンからのバッシング。
「当時、メイデンのファンの多くは俺を嫌っていたし、25年経った今でも嫌っている人は多いと思う。でも、この2枚のアルバムでは素晴らしい曲が書けたと思うし、この2枚はメイデンを語る上で重要な意味を持っているんだ」
25年の月日を経た現在でも、Blaze の中に巣食う仄暗い感情は拭い去れてはいないようです。それでも、Blaze があのバンドにいた意味はきっとありました。たしかに、”X-Factor” はアルバムの暗い荘厳と Blaze の不安定な音程がミスマッチの感はありましたが、”Virtual Ⅺ” のよりキャッチーでカラフルな音使いは彼のガッツやエナジーと調和を見せ始めていましたし、Steve Harris の奮戦も相俟って現在の大作化した “エピック・メイデン” への礎を築いたようにも思えます。実際、今 “Virtual Ⅺ” を聴けばメイデンのプログサイドとキャッチーサイドが完璧に交わった快作以外の感想が出てきませんし、仮に Bruce が歌っていたとしたら壮大になりすぎて別物の作品となっていたはずです。
「俺のファンが落ち込んでいるとしたら、このアルバムは彼らに力を与えるものでなければならない。俺がメタルを続けるため自分自身に言い聞かせていることの一部をファンに伝えたかった。もし君が弱っていても、強くなって戻ってこられる。もし君が壊れてしまっても、治すことはできる。もし君が他の人と違っていても、決して一人ではないんだよ」
あれから四半世紀。Blaze Bayley はただひたすらその人生を、ピュア・メタルとファンのために捧げ続けてきました。そんな英国のメタル侍の姿はある意味、Blaze にとっての恩返しでもあります。批判を浴びても決して自分を無下に扱わなかった IRON MAIDEN への恩返し。苦しい時も自分を信じてサポートを続けてくれたファンへの恩返し。そうして Blaze は、このコロナ禍で苦悶の時を過ごすファンのために最大の恩返しとなる “War Within Me” を贈りました。
「”War Within Me” の制作を始めたとき、俺たちは興奮と自由を感じたんだ。10曲ができあがった。10曲が互いに関連している必要はなかったけれど、残忍で力強く、真実を示していて、俺たちが作れる最高の曲でなければならなかった。そして楽曲のアレンジは、それぞれのストーリーに忠実なものでなければならなかった。妥協なく、勇気と誠実さを示さなければならなかった」
Blaze Bayley が IRON MAIDEN から巣立って25年。その歩みの結晶こそ “War Within Me”。内なる葛藤を乗り越えた侍の逆襲には、メタルのすべてが詰まっています。Blaze にとって作曲のパートナーであり卓越したギタリストでもある Chris Appleton との出会いは、さながらそのエンジンにハイオクとナイトロを搭載したようなものでした。ACCEPT のように勇壮で、IRON MAIDEN のように知的で、MEGADETH のようにテクニカルで、MOTORHEAD のように粗暴。これほどメタルらしいメタルをしたためるアーティストが今日どれほど存在するでしょうか。それにしても素晴らしいギタープレイヤーですね。
インタビュー中では Tim “Ripper” Owens に向けたシンパシーについて言及していますが、もしかすると、Blaze Bayley にとって目指すべきは Udo Dirkschneider なのかもしれませんね。特異すぎるその声、勇壮を体現したかのような容姿、そして時に本家を凌ぐような凄まじい楽曲とパフォーマンス。さらに、ウィリアム・ブラックのSFトリロジーにしても、チューリング、テスラ、ホーキンスの科学者をテーマとした組曲にしても、さながら “Aces High” のような303部隊の攻防にしても、Blaze Bayley は何よりメタルのロマンを誰よりも深く理解しています。インタビューでは Blaze の、意外なほどの知への探究心を感じられるでしょう。
18歳のころ、清掃の夜勤をこなしながらホテルで “The Number of the Beast” を聴いていた少年は夢を叶え、今度は叶えさせてくれたファンのためにメタル道を突き進んでいきます。今回、弊誌では Blaze Bayley にインタビューを行うことができました。「実は、彼らが俺を選んだことにとても驚いたんだ。彼らが電話をかけてきて、俺が選ばれたと言ったんだけど、あの時俺はショックを受けたんだ。嬉しいけど、ショックだった」 どうぞ!!

BLAZE BAYLEY “WAR WITHIN ME” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【WIZARDTHRONE : HYPERCUBE NECRODIMENSIONS】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH MIKE BARBER OF WIZARDTHRONE !!

“Children Of Bodom Played At Tuska Festival And Alexi Dedicated “Bodom Beach Terror” To Me And My Friends, And I Went Home To The UK Feeling More Motivated Than I Ever Had To Follow this path”

DISC REVIEW “HYPERCUBE NECRODIMENSIONS”

「私たちは基本的に過去15年間の音楽を無視していたんだよね。エクストリーム・ウィザード・メタルはうまく機能していると思うよ。レビュアーがこのバンドをパワー・メタル、メロディック・デス、テクニカル・デス、シンフォニック・ブラックと表現しているのをよく目にするけど、結局私たちの音楽はそれらのどれにも当てはまらず、すべての要素を少しずつ取り入れているんだよね」
WIZARDTHRONE は、宇宙から来たテクニカル・パワー・デス・シンフォニック・ブラック・メタルの名状し難き混合物で、いくつもの多元宇宙を越えた魔法使いの王。
カラフルで印象的な音楽性と純粋な不条理の間を行き来する複合魔法の創造性は、ALESTROM, GLORYHAMMER, AETHER REALM, NEKROGOBLIKON, FORLORN CITADEL といったメタル世界のファンタジーを司る英傑を依り代として生まれています。そうして、何百万光年も離れた銀河から地球に到達した彼らのデビュー・アルバム “Hypercube Necrodimensions” には、激しさと情熱、そして知性とファンタジーが溢れているのです。
「歌詞を見てすぐにはわからないかもしれないけど、このアルバムは、現代の政治的な音楽と同じように、同じくらい、強い声明を出していると思うんだよ。これは世界が悲しみと怒りに満ちている時代に作られた情熱と生命の祭典であり、作りながら僕たちにも未来への希望を与えてくれたんだ」
暗く歪んだ2020年を経て、メタル世界でも政治的な発言やリリックは正義の刃を構えながら確実に増殖しつつあります。メタルにおけるファンタジーやSFの役割は終わったのか?そんな命題に、GLORYHAMMER でも “ハンマー・オブ・グローリー” を手に暗黒魔術師ザーゴスラックスと戦う Mike Barber は堂々たる否をつきつけました。
「2007年にフィンランドを旅行した際、共通の友人から Alexi と Janne を紹介されたんだけど、彼らは親切で純粋で、何時間も私たちと一緒にいて、質問に答えたり、ビールを一緒に飲んだり、ミュージシャンになるためのアドバイスをしてくれたんだよね。翌日、CoB はTuskaフェスティバルで演奏し、彼はなんと “Bodom Beach Terror” を私と私の友人に捧げてくれたんだ。私は、この道を進むことにかつてないほどのモチベーションを感じながら英国に帰ったんだよ」
COB + EMPEROR などと陳腐な足し算ですべてを語る気はありません。ただし、未曾有のメタル・メルティングポットでありながら、ここ15年間の方程式をあえて捨て置いた WIZARDTHRONE の魔法には、たしかに亡き Alexi Laiho と CHILDREN OF BODOM の遺産が根づいています。
Mike と Matthew Bell (FORLORN CITADEL)。そのギターのデュエルは “Frozen Winds of Thyraxia” の凍てつくような風速を越えて、まばゆいばかりの爆発的なエネルギーをもたらします。さながら Alexi と Rope のコンビにも似た魅惑のダンス。タイトル・トラック “Hypercube Necrodimensions” では、その場所に ALESTORM や GLORYHAMMER の怪人 Christopher Bowes の高速鍵盤乱れ打ち、フォルクローレの瞬きが加味されて、”Wildchild” の面影がノスタルジアの星砂へと込められます。それは、テクデスのテクニカルな威圧をのみもってしても、パワー・メタルの勇壮をのみをもってしてもなし得ない、奇跡の瞬間でしょう。
一方で、”The Coalescence of Nine Stars in the System Once Known as Markarian-231″ の冷徹で黒々としたシンフォニックな響き、ナレーションを加えた “Black Hole Quantum Thermodynamics” のドラマティックなメタル劇場、”Forbidden Equations Deep Within the Epimethean Wasteland” の複雑を超越した音世界といった、様々なサブジャンルを予測不可能にシームレスに横断するハイパーキューブな黄泉の多次元体は、宇宙の真実を物語る現実を超えた壮大なサウンドに到達しているのです。もちろんそれは、メンバー各自が自身のバンドから持ち寄った “種” を育てた結果でもあり、スーパーバンドとしての理想形をも提示しているのではないでしょうか。
今回弊誌では、Mike Barber にインタビューを行うことができました。「サウンドよりも、彼らのアティテュードがこのアルバムの制作に影響を与えたと思う。ただし、タイトル曲には、CoB の解散に敬意を表して、明らかな影響をいくつか入れているよ。Alexi が亡くなってから、彼らは私にとってまた新たな意味を持つようになったんだ」 どうぞ!!

WIZARDTHRONE “HYPERCUBE NECRODIMENSIONS” : 9.9/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【BLACK MIDI : CAVALCADE】


COVER STORY : BLACK MIDI “CAVALCADE”

“The Whole Album Sounds Like Drama, The Music Is Designed Around Being As Exciting As Possible By Having Constant Tension And Release, And The Same With The Stories, They Are Funny But There’s Also a Dramatic Core To Them”

CAVALCADE

BLACK MIDI は、人々がバンドに抱く期待のすべてではないにしろ、そのほとんどを覆す第二の波と共に戻ってきました。大きな変貌はジャムを捨てること、メロディを受け入れること。シンガーでギタリストの Geordie Greepは、「デビューアルバムはみんな気に入っていたようだけど、しばらくするとその全員が飽きてしまった。だから、今度は本当にいいものを作ろうと思ったんだ」と語ります。
高く評価されているデビューアルバムを、まるで彼らの周囲を飛び回る厄介なハエのようにすでに一部放棄したその胆力こそ、この若いバンドの勢いを物語ります。そして耳をつんざくノイズ、マスマティカルな知性、ジャジーなプログ、広大なポストロックが融合したデビュー作 “Schlagenheim” の混沌とした旋風に巻き込まれた人にとっては、BLACK MIDI がダイナミックな軌跡を描きながら探求を続ける音世界こそが欲する刺激なのです。
2枚目のアルバム “Cavalcade” は、その勢いに磨きをかけ、時に前作のトーンから別の惑星へとシフトしたような作品に仕上がっています。「全く違うことをやってみたかったんだ」と Greep は続けます。「1stアルバムの後、僕たちは新しい方向性を定めようと曲を書いていたんだけど、コロナ禍の発生で、個人的にさらに詳細を煮詰める機会が訪れた。変化はすでにあったんだけど、別々にやる必要性が出てきたことで、その変化が加速したんだよね」
かつては即興演奏の無限の力とその可能性を説いていたバンドが、今では構造化された曲作りのために即興演奏を捨て去りました。パンデミックによる強制的なダウンタイムは、彼らにとって必要な休憩と反省のための休止期間となったのです。「慌ただしい日々が続いていたから、歓迎すべき変化だったとドラマーの Morgan Simpson は語ります。「ここ数年は、新しいものを作るため数週間一緒に過ごす時間さえなかったからね。だから、ジャムやリハーサルを行うパターンに陥っていたんだけど、朝5時のフライトに間に合わせなきゃって焦るから生産性はそれほど高くなかったんだよね」
Greep も同意します。「演奏やツアーをずっと続けていると、物事をある程度コントロールしたい、間違ったことをしたくないという感覚に陥るものだ。だけど、時間が無限にある状況になると、自分が音楽で何をしたいのか、どんな音楽を作りたいのかを真剣に考えるようになる。実際に何度もそのことを考えて正直に話しあったよ。だから、僕たちは意識的に音楽を変えようとしていたんだと思う」

では、皮肉なことに、バンドは即興演奏の限界につまずいたのでしょうか?Picton が説明します。「即興演奏の良いところは、くだらない音になってしまうリスクと、本当に良い音になったときの見返り、その両方があることだよね。でも、お客さんに良いショーを見せようと思ったら、たいていの場合、何が良い音になるかはわかっているものなんだ。一方でリスクとリターンを両立させたければ、ときには失敗することも必要だ。僕たちはリスクを犯すことをやめて、同じ6つか7つのリフに落ち着いて、クソみたいな音になるストレスを感じることなく、違う順番で演奏することを繰り返していたんだと思うね」
瞬発力のあるライブで口コミで話題になっていたバンドが、短期間でバズバンドの帝王のような存在になったことを考えると、人気と観客の期待が高まる中、定型的な演奏をしなければならないというプレッシャーが生じたのでしょうか。「いや、そうじゃない」と Greep は言います。「それよりも、自分たちの中で、自分たちのやっていることに自信が持てなかったんだ。バンドがどうありたいのか、皆がそれぞれの考えを持っていた。何でもありの姿勢でやり始めたけど、アルバムを出したら、即興的なノイズロックバンドだということになって、それが神話化されてしまったんだから。時には、そんな罠に陥り、基本的には同じようなやり方でプレイしてしまうこともある。だからある時点で、”それは忘れよう “と言わなければならないんだよね」
ある意味でははじめて曲を作ったといえるかもしれないと、Greep は続けます。「ファースト・アルバムでは、ほとんどの曲が、伝統的なものというよりも、もっと質感のあるものだった。誰かがリフを弾いて、それをみんなで重ね合わせてクールなサウンドを作るという感じ。”Cavalcade” では、ジャムセッションも行ったけど、より伝統的な意味での曲のアイデアを各自が持ち寄って作曲したんだよね。今回のアルバムでは、よりメロディックに、そしてよりクレイジーに仕上げることを目指したわけさ。より親しみやすく、より具体的でありながら、より狂気に満ちた、より面白いものにしたかったんだ」
リスナーが彼らなりのジョークを理解し得ないこともストレスとなりました。
「大きな意味を持つのはユーモアであるはずなのに、多くの人がそれを理解できなかったり、深刻すぎると思ったりしたんだよね。だから今回の作品では、もう少しわかりやすく、これは絶対にジョークであるとか、おかしなことをしているということがわかるようにしたんだよ」


アルバムのオープナーでリードシングルの “John L” を聴くと、バンドの革命的なステップというよりは、プログレッシブなステップを踏んでいる思うかもしれません。しかし、津波のような不協和音の海辺にあるプログ・オペラの風が去った後、次の7曲にはかなり驚くべき変化が見られます。
“Marlene Dietrich” では、Greep が「パフォーマンスの喜びを体現している」と語るキャバレー・シンガーをイメージさせる、牧歌的なムードが漂い、彼の声はこれまでになく純粋にゴージャスなトーンを帯びています。
「この曲では、Scott Walker と WILD BEAST の Hyden Thorpeの中間のような歌い方で、”メタモルフォーゼは存在する” と優しく歌いかけている」
このレコードの中で、バンドには以前の彼らとは見分けがつかないほどの、まさに “メタモルフォーゼ” な音を出す瞬間が存在します。
「曲にはきちんとしたコード・シーケンスがあり、実際にメロディが存在する」と Greep は語ります。「前作でも少しはあったんだけど、多くの場合、エフェクトをかけてただ燃えているだけのモノリシックな曲では、メロディックに歌うことができないからね。このスタイルで、僕の声はこういった曲に適しているよ」
Picton は、2曲で作曲と歌唱を担当しています。ヒプノティックで深いテクスチャーを持つ “Diamond Stuff” は、その荒々しさからスローコアのようにも聞こえます。これに対するアンチテーゼが “Slow” で、怒れるジャズコアを体現しています。
アルバムを通して、バンドのトレードマークである張りつめた強烈なギターワークはふんだんに盛り込まれていて、獰猛さとプログの巧みが融合していますが、両者の境界線が驚きを運んでくるのです。そして真の優美が存在し、初期の作品を嫌っていた人は一体何が起こっているのかと疑問に思うかもしれません。しかし、より穏やかで美しい世界に吸い込まれる直前に、物事は再び爆発して混乱します。”Chondromalacia Patela” で聴けるように、ジャズ的ポストロックの穏やかなグルーヴから、SWANS と MAGMA が合体したような爆発的な力へと変化していく様は圧巻です。

同時にこのレコードでは、より多くの楽器が使用されています。「最初のアルバムは、音色的にかなり狭い感じがしました」と Simpson は告白します。「だから僕たちは、さまざまにサウンドやカラーを広げたいと思っていたんだよ」
Pal Jerskin Fendrix がバイオリンで登場したかと思えば、チェロ、サックス、ピアノ、ブズーキ、マルクソフォンと呼ばれる19世紀末のチター、フルート、ラップスチール、シンセ、さらにはバンドがバイオリンの弓を使って奏でる中華鍋まで登場します。
「1stアルバムは、ライブよりも広がりのあるサウンドのレコードを作るというミッションだった」と Greep は証言します。「スタジオを可能な限り活用すること。でも、あまりにも混沌としているので、多くの楽器に気づかなかったり、気づいてもそれが何なのかわからなかったりしたよね。今回のアルバムでは、ピアノやストリングスのパートがより明確になっている。しかし、”真に劇場的で、映画的な、広がりのあるアルバムを作る “という使命は同じだったんだよ」
たしかに、このアルバムはたくさんの劇場を備えています。Greep がその要素を表現するため使った言葉は、”ドラマ” でした。「アルバム全体が、まるでドラマのようだ。その音楽は常に緊張と解放を繰り返すことで、可能な限り刺激的なものになるようにデザインされている。ストーリーも同様で、面白いけれど、ドラマチックな核心が存在する。主に三人称で語られるアルバム全体のストーリーが、このアルバムのタイトルになっているんだ。キャバレーの歌手、カルト教団の指導者、ダイヤモンド鉱山で発見された古い死体など、物語をまとめてみると、ある種の “パレード” のようになるということに、後々気づいたんだよね」
アルバム制作の背景は、デビュー時とは正反対でした。プロデューサーのダン・キャリーとロンドンの地下スタジオにこもるのではなく、ダブリンの南、ウィックロー山脈にあるアイルランドの施設、ヘルファイア・スタジオでジョン・’スパッド’・マーフィーと作業を行いました。Greepが以前から “hell fire “という言葉にこだわっていたことを知っている人にとっては(デビューアルバムのタイトルにもこの言葉が使われていた)、偶然にしては出来過ぎでしょう。

ほとんど予期せずにフルアルバムを作ることになったのは、実り多いセッションのおかげでした。「計画では、5日間で数曲を録音することになっていた」と Greep は振り返ります。「どんなサウンドになるのかを確かめるためにね。そして、それをどんどん積み上げていったら、とてもいいサウンドになったんだ」
プロデューサーの交代は、新しい領域を開拓したいというバンドの願いの延長線上にありました。「1stアルバムでは Dan が完璧だった。しかし、今回の新作では、すべての作業を新しい感覚で行いたいと思ったんだ。そのため、これまでに書いた曲は、別の耳で聴いたほうがいいかもしれないと思ってね。デビュー・アルバムの前から、僕たちは常に異なるプロデューサーのアイデアを受け入れていたし、物事を新鮮に保ち続けていたからね」
スタジオでは、バンドの自主性と信念がより強くなりました。「Dan と一緒に仕事をする前は、あまりスタジオに入ったことがなかったんだ」と Simpson は言い、Picton は「ファーストアルバムでは、ダンがセッションをリードしたり、彼がアイデアを出したりすることが多かったと思うけど、今回はみんなで協力することが多かったね」と付け加えます。さらに Greep はこう続けます。「スタジオではより自信が持てたんだ。このアルバムの音楽は全体的に、バンドとしての自信を表していると思う。明日死ぬかもしれないんだから、今日はこの音楽を作ろう。失うものは何もないという気持ちなんだ」
では、セカンドアルバムがどのように評価されるかという不安はないのでしょうか? Greep は、「アルバムに対する現代の反応はあまり意味を持たない」と言います。「レビューの良いものが常に良いというわけでも、レビューの悪いものが悪いというわけでもなく、相関関係はないと思っているから、あまり考えないようにしているんだ。アルバムを聴いてくれる人がいるのはとてもラッキーだけどね。何を出しても誰かが聴いてくれるのだから、文句は言えないよね。ファンがいるということは素晴らしいことだ」
BLACK MIDI が作る音楽の種類を考えると、彼らがこれほどの評価を得て、熱狂的なファンを獲得し、プライムタイムのラジオのプレイリストに滑り込み、マーキュリーミュージックプライズにノミネートされたことに戸惑いを覚える人もいるだでしょう。他の多くのオルタナティブ・バンドが直面しているような障壁を、なぜ自分たちが突破できたのか考えたことがあるかという質問に対して、Picton は「適切な場所、適切な時期だったから。加えて舞台裏での適切な判断と良いチームがあったからだろうな」と反応しています。

有名なBRITスクールに一緒に通っていたという恵まれた環境も彼らを後押ししました。BRITスクールとは、アデルやジェシー・Jなどのポップスターを輩出したことで知られる政府系の音楽学校で、訓練されたミュージシャンが英国のレコード業界全体に多大な影響を与えていることでも知られています。Picton が説明します「2年間、大学で好きなときに自由にリハーサルができたからね。その2年間で、くだらないことやしょうもないことをすべてやって、それを解消することができたんだ」
学校の中でも特に奇抜な趣味を持つ子供たちの一部だったと Simpson は付け加えます。「僕たちの学年は、特に、さまざまなタイプのプレーヤーがさまざまなタイプの音楽を演奏していて、非常に多様性に富んでいたんだ。あの学年じゃなきゃ、このバンドが存在していたかどうかもわからないくらいだよ」
ビデオゲームにインスパイアされたバンド名のわりに、彼らはインターネットから音的にインスパイアされた音楽を作っているわけではありませんが、ジャンルミックスやインスピレーションの採掘については非常に現代的なアプローチをとっています。ジップアップのフリースを着て、ドレッドヘアにビーニーを被った Simpson は、ロンドンで生活している間に経験した、万華鏡のように多様な文化が彼らの音楽習慣に影響を与えていると言います。
「この2、3年の間にロンドンに住んでいる若者は、様々な影響を受けることができた。ウィンドミルでのライブに行けば、ダブをたくさん聴くことができるし、別のライブに行けば、ファンクやジャズをたくさん聴くことができる。僕たちの周りにはたくさんの音楽があり、そこから影響を受けないということは不可能なんだよ」

では、BLACK MIDI を形成したのはどういった音楽だったのでしょうか?Greep は真っ先に、ストラヴィンスキーの “Cantata” を挙げています。
「幼い頃、両親がストラヴィンスキーの曲をよくかけていたんだ。12歳か13歳のとき、学校にとても好きな音楽の先生がいてね。とても仲が良くて、クールな音楽をいろいろと教えてくれたんだよ。僕は “この人はすごい人だ” と思ったね。ところが、その先生が辞めてしまって、代わりに年配の気難しい先生が来た。あまり尊敬できない人だったよ。僕は、”この年寄りは、ダメだ “と思った。元々の音楽の先生とは、昼休みに音楽談義をすることが多かった。そこから多くのことを学んだんだよ。新しい先生は、それができなかった。でもね、ゆっくりと、しかし確実に、僕は新しい先生がそれほど悪くないことに気づいていったんだ。彼はいろいろなことを知っていたんだ。
ある日、彼は「春の祭典をかけてみよう」と言った。彼が勧めたから、僕はこの曲を嫌いになりたかったし、まったくの駄作だと思いたかった。だけど聴いてみると衝撃的だったよ。クレイジーな音楽だからね。僕は「ああ、アイツはおかしい」と思ったけど、本当は、”これはとてもいい” って感じたんだ。何かがあったから。
1年後くらいにまた「春の祭典」を見つけて、何度も何度も聴いて、10代の頃は本当に夢中になっていたね。その後、ストラヴィンスキーの音楽はすべて好きになったよ。最近では、数年前に、この “Cantata”という作品にたどりついた。音楽の素晴らしいところは、聴いていて、それが始まりでもあり、終わりでもあり、永遠に続くようにも感じられるところだよね」
春の祭典はオリヴィエ・メシアンのオペラ “Saint François d’Assise Opera” とあわせて “Ascending Force” のインスピレーションとなりました。
「このメシアンの作品は、最近ハマっているオペラのひとつ。4時間のオペラだよ。すべてフランス語で書かれているので、ストーリーを追うことはできないし、ストーリー自体難解だと思う。それよりも、ただ聴いているだけでいいんだよね。音楽的には非常に高度なものだよ。メシアンの音楽には親しみやすいものもあるけど、これはそうじゃない。一度ハマると、とても催眠的で中毒性があるんだよね。
この2つの作品をよく聴いたことが、アルバムの最後の曲 “Ascending Forth” のインスピレーションになっている。この曲のメロディのほとんどは、この2つの音楽がベースになっているからね。直接的ではないけれど、コードを確認しながら、この2つの曲から得られる催眠的、循環的、かつロマンチックで魅力的な感覚を模倣しようとしたんだよ。
これまでより野心的な試みだった。だけど「クラッシックが知的な音楽だから、あれをインスピレーションにしようとは思わないし、あんなレベルになろうとは思わない」とは考えなかったね。もし自分の好きな音楽であれば、そこから学んだり、自分の音楽に取り入れたりしてみるべきだろ?なぜ、気取っていると思うの?誰も気にしないよ。失敗したら失敗したでいいじゃない」

Picton は El Lebrijano の “Saeta al Cantar” を挙げました。
「彼はもっと成功した別のアルバムを出していて、それはより北アフリカ的な側面を持っていたんだ。でもこのアルバムは、フラメンコと北アフリカの音楽を融合させたもので、かなり実験的な演出がなされている。僕は、この演出がとても気に入っているんだ。狂ったようなボーカルサウンド。本当によくできていると思うな。
このアルバムは、フラメンコの枠を超えた、完全に別世界のものだと思ったよ。フラメンコ・ヌエボは、ロックとフラメンコを融合させようとする試み。だけど、これは完全に別のもので、独自のレーンを持っているね。この世のものとは思えないほど、刺激的なプロダクションと巧みなアレンジが施されている。”Dethoned” のイントロなど、”Cavalcade” に影響を与えた部分があるんだよね」
Miles Davis は Simpson のみならず、バンド全員にとって重要な存在です。
「”In a Silent Way” を聴くと、午後8時、ニューヨーク、繁栄している、周りにはたくさんの人がいる、というような感覚を覚える。”What’s Going On” と同じように、特定の空間や環境に身を置くことができるアルバムだと思う。最初の5秒を聞いただけで、すぐにその世界に入っていけるんだよね。マイルスの旅という意味では、”Miles In The Sky” や “Filles de Kilimanjaro” の直後にこのアルバムがリリースされているのは非常に興味深いよね。そして、彼は「ああ、いや、あんなものはどうでもいい、元に戻そう」と言ったわけさ。それを同じミュージシャンと一緒にやるなんて、最高にクールだと思うよ。それは、彼らがいかに素晴らしい存在であるかを証明している。ハービー・ハンコック、トニー・ウィリアムス、デイヴ・ホランド、マイルスといったミュージシャンたちが、これほどまでに抑制された演奏をするのを聞いて、とても謙虚な気持ちになったよ。このアルバムは、音楽的成熟がいかに強力であるかを気づかせてくれた最初のアルバムのひとつさ。
彼らは好きな時に好きなものを演奏できるのに、そうしないことを選んだのだということがよくわかるよね。もちろん、このアルバムは最初のエレクトリック・アルバムであると言われているけど、僕はそうは思わない。 抑制と規律といえば、このアルバムが真っ先に思い浮かぶよ。特にトニー・ウィリアムスは、最も無茶苦茶なドラマーで、ほとんどのアルバムでハイハットだけを演奏しているんだ。他の誰もそんなことはしないだろう。僕にとっては気が遠くなるような話さ。彼は、ポピュラー音楽の中で最もクリエイティブなドラマーだと思うよ。でも、そう言えるのは、彼が両極端なことができるから。彼は、とんでもなくテクニカルなこともできるし、40分間ハイハットを演奏するだけでも、音楽に貢献し、必要なことをすることができるんだから」

音楽だけがインスピレーションとなるわけではありません。Greep は、”タンタンの冒険” について熱く語ります。
「僕が最初に夢中になったもののひとつだよ。子供の頃、本を読むことは、はじめての趣味だった。10代の頃はあまり興味がなかったけど、子供の頃は大好きだった。文字が読めるようになると、それはまるで魔法の呪文を知っているような感じでね。最初は、ロアルド・ダールの本やその類のものだった。タンタンを見つけたときは驚いたよ。本当に素晴らしい物語なんだ。タンタンは世界中を旅している。テンポが速くて、それが今振り返ってみると好きなところなのかや。海の真ん中で遭難して、海賊に助けられて、無人島に連れて行かれて、鎖につながれて捕虜になって、飛行機が来て空を飛んで、ジャングルに落とされて……それが10ページで終わるんだ。そんな感じで、彼はいつも狂ったような冒険をしているんだ。今となってはかなり時代遅れだし、今の基準では悪い態度もある。だけど、若いときには、歴史や世界のさまざまな地域についての基本的な感覚を得ることができたんだ。
今回のアルバムに関して言えば、これまで行ってきたプレスショットは、「タンタンの冒険」から直接インスピレーションを受けたものだよ。描き方だけでなく、できるだけテンポの良いコミックパネルを使って、1ページの中でさまざまなシナリオを描いてね」
バンドは、ブリクストンにあるThe Windmill を支援するための資金集めに参加してきました。The Windmill は、かつて彼らがレジデントとして活動し、評判を高めたライブハウスです。これらは、仲間であるBlack Country、New Roadとのライブでのコラボレーションもそのひとつ。この先、彼らとコラボレーション・アルバムを作ることはできるのでしょうか? 「おそらくいつかは」と Greep は語ります。「もし、同じ街にとてもいいバンドがいて、そのバンドと意気投合したら、一緒になって何かをやらない理由はないからね。ただ、目的のためにやるのではなく、しっかりとした理由があるかどうかを確認する必要があるはずだよ」
ただし、BLACK MIDI を BC, NR や SQUID といった他のバンドと一緒にするのは意味がありません。彼らは完全に独自の存在だからです。そして完全に新しいことをやっているというプロパガンダを行うこともありません。だからこそ、我々はロックの未来について楽観的にならならざるを得ないのです。「何事も新しいことはないと思うよ。影響を受けたものが違う形で組み合わされているだけなんだから。チャートに載るような音楽でも何でもないんだ。でも、ライブ音楽、楽器を使って演奏される音楽、そういったニッチなものは常に存在していくと思う。なぜなら、結局みんな、そういうものが好きだから」

今のところ、バンドは自分たちの作品に集中していますが、すでにセカンドアルバムを超えた段階に差し掛かっているのかもしれません。「願わくば、ライヴを再開する頃には、さらに多くの新曲を演奏して次のアルバムに臨みたいね」とGreep は言い、Picton はアルバム3がすでに40%ほど完成していると示唆しています。
「ライブでどのように演奏するかを考える必要がないから、このアルバムを作ることに喜びを感じたんだ。ライブを、バンドとして事前に完全にイメージできるような製品にはしたくないからね。ライヴに行って、始まる前から何が見られるかわかってしまうほど最悪なことはない」
話を次のアルバムに戻すと、Greep はネット上で、21世紀最大のアルバムは今年中に発売されるという不可解な発言をしています。それは、”Cavalcade”のことだと考えていいのでしょうか? 「僕の計算によると、このアルバムは、TBE – The Best Everに到達するための出発点なんだ」この3文字は、Greep がしばらくの間かぶっていた帽子に飾られていたもので、大胆な宣言でもあり、皮肉でもあります。BLACK MIDI の大部分がそうであるように、ユーモアとクリエイティブな野心はしばしば重なり合っています。「いずれにしても、僕たちはこの作品に満足しているよ。野心的で挑戦的なことができたと思うのはいいことだ。僕らはまだ20歳かそこらなんだから」

参考文献: THE QUIETUS: The Road To The Best Ever: Black Midi Interviewed

VANITY FAIR:Black Midi Isn’t Losing Its Edge Just Yet

STEREOGUM:Black Midi On Miles Davis, The Adventures Of Tintin, And Other Inspirations For Their Wild New Album

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