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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【MAYHEM : DAEMON】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH GHUL OF MAYHEM !!

“We Definitely Had In Mind That We Wanted Daemon To Be Some Sort Of Return To a Certain Mood From a Certain Era. Of Course Playing De Mysteriis So Many Times Over The Past Years Means It Bled Into The Creative Process For Sure.”

DISC REVIEW “DAEMON”

「俺もじきに Euronymous を殺ってやろうと思っていた。だからあの朝新聞であのニュースを読んで、家に帰って武器やドラッグを隠さねーとと思ったんだ。おそらく俺が第一容疑者だったはずだから。」
Necrobutcher が今年発したこの言葉は、ブラックメタルを司るノルウェーの闇司祭 MAYHEM に刻まれた、逃れられぬ呪われし過去の暗影を再び浮かび上がらせることとなりました。
MAYHEM 初期の歴史には死と犯罪の禍々しき臭気が立ち込めています。教会への放火は連鎖の序幕。オリジナルボーカル Dead は自らでその命を断ち、バンドの中心人物 Euronymous は Dead の死体写真を撮影し、彼の “死” をある種利用して MAYHEM の神秘性を高めました。ただしその宿悪は、1993年、MAYHEM でベースをプレイしていた BURZUM の Varg による Euronymous 殺害という狂気の終着駅を導く結果となったのです。
しかし一方で、その凄惨と背教、サタニズムに根差す闇の神秘が、異端に焦がれる数多の使徒を惹きつけ、今日の巨大で邪悪なメイヘム像を建築する下地となったのも確かでしょう。
「間違いなく、俺らの中には “Daemon” である特定の時代の、特定のムードへといくらか回帰したいという気持ちが存在したんだ。もちろん、ここ何年にも渡って “De Mysteriis Dom Sathanas” を何度もプレイしたことは、今回のクリエイティブプロセスに影響を与えたよ。それは確かだね。」
BEHEMOTH の Nergal をして “エクストリームメタルのマグナムオーパス” と言わしめる “De Mysteriis Dom Sathanas”。完全再現ツアーを続ける中で、MAYHEM は自身のマイルストーンを再発見し、拡散する音楽の進路を原点へと向かわせる決断を下したと Ghul は語ってくれました。
ただし5年ぶりとなる最新作 “Daemon” は、単純に “De Mysteriis Dom Sathanas” PT.2 を目論んだレコードではありません。何より、古典のインテグラルパートであった Euronymous と 歌詞を残した Dead は世界から失われて久しいのですから。
“De Mysteriis” は例えるならば悲愴と熾烈を意図的に掛け合わせたキメラ獣でした。ハンガリーのアクセントでさながら病んだ司祭のように歌い紡ぐ Attlia のシアトリカルでオペラ的なパフォーマンス、Euronymous のアイデアを基にしたエコーとリヴァーブ、マルチトラックの音の壁、Hellhammer の恐怖と抑制のドラミング。
圧倒的に悪意が貫かれたアルバムはブラックメタルのスタンダードでありながら、決してジャンルへの入り口となるようなアクセシブルな作品ではなく、むしろ部外者を拒絶し謝罪も譲歩も受けつけない唯一無二の無慈悲な威厳を纏っていました。
もちろん、旅路の果てに “Daemon” で取り払った装飾と実験性、そして時代を超えたプリミティブな獰猛と邪悪はオールドスクールな MAYHEM の姿を投影しています。しかし究極的には、”Daemon” で受け継いだと言われる “De Mysteriis” の遺産とは、原始的なピースとしての楽曲が、集合体として底知れない深み、知性を得る “De Mysteriis” のスピリット、構造そのものだと言えるのかもしれませんね。
そうして可能となった、内なる “悪魔” とのチャネリング。 Necrobutcher は “Daemon” こそがここ15年で MAYHEM の最高傑作だと断言します。
「2004年に “Chimera” をリリースしてから最も誇れる作品だ。ここ15年で最高のものだよ。おそらくそれは… “ライブフレンドリー” な仕上がりになったからだ。”Esoteric Warfare” や “Ordo Ad Chao” にはそこが決定的に欠けていたからね。
その2作も良いアルバムだったけど、ライブで再創造するのが難しかった。”Daemon” はそうじゃない。半数の楽曲はこれからライブでプレイする予定だよ。だから前2作とは全く関連がないとも言えるね。現行のメンバーで9, 10年は続けている。そうして成熟した成果なんだ。」
「俺らはこのレコードで全てを取り払い、”本質” へと戻したのさ。」”Daemon” に求めたものはブラックメタルの “本質”。ライブの原衝動は確かに本質の一部でしょう。では細分化、複雑化を極める現代のブラックメタル世界で Ghul の語る本質とは何を意味するのでしょう。初期の禍々しき “メイヘム” な記憶?
「俺にとってブラックメタルとは、いつだって精神を別の世界、領域へと誘う音楽なんだ。だから様々な表現方法があって然るべきだと思う。」
そう、彼らにとってサタニックテロリストの過激な姿はそれでも過ぎ去りし過去。それは Necrobutcher がかの “Lord Of Chaos” ムービーに放った 「全部でたらめだ。映画を見たけどただ悲しくなったね。良い映画じゃないよ。」 の言葉に投影されているようにも思えます。ブラックメタルの “本質” とは思想、信条にかかわらずリスナーを非日常の別世界、精神領域へと誘うパスポートだと言えるのかもしれませんね。
今回弊誌では、ギタープレイヤー Ghul にインタビューを行うことが出来ました。「彼らにとって大きな意味を持つ作品なんだと痛感したよ。だから、”De Mysteriis Dom Sathanas” を可能な限り忠実に、俺たちがライブで再創造することが重要だったんだ。」 どうぞ!!

MAYHEM “DAEMON” : 9.9/10

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