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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【WORMHOLE : ALMOST HUMAN】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH WORMHOLE !!

“SF, Video Games, And Heavy Metal…These Are All Things Nerds Like. We Are All Some Kind Of Nerd.”

DISC REVIEW “ALMOST HUMAN”

「SF、アニメ、ゲーム、そしてヘヴィ・メタルはすべて、オタクが好きなものなんだよ。僕らはみんなある種のオタクなんだ」
VOIVOD や PERIPHERY の例を挙げるまでもなく、ヘヴィ・メタルは古来より、SFやアニメ、ビデオゲームと非常に親和性の高い音楽ジャンルとして名を馳せてきました。そこに共通するのは、何かに夢中になり熱狂する力、”オタク力” だとバルティモアの WORMHOLE は胸を張ります。ストイックなまでに己の好奇心を追求するそのパワーこそが、創作の原動力であり、インスピレーションの源となる。そうして様々なジャンルの “オタク力” を集結したメタルのワームホールは、遂に独自のメトロイド・メタル、そして “Tech-Slam” を発明するに至りました。
「”メトロイド・プライム” に惹かれたんだ。8歳と9歳の僕らにとって、一番あのゲームが “ホラー” だったんだよね。それに、かなり暴力的だから、8歳なら当然クールだと思うだろう。それから、雰囲気、キャラクター・デザイン、メトロイド・ヴァニア・タイプ (メトロイドとキャッスル・ヴァニアをあわせた造語。横スクロール・アクションの総称) のゲームデザイン、そしてサムスに惚れ込んだんだ」
では、”テック・スラム” とは一体何なのでしょうか? それは彼らがメトロイドやドゥームといったSFビデオ・ゲームを何千時間もプレイする中で発見し、完成させたエトスです。WORMHOLE の変幻自在で不定形なスタイルは、そうしたビデオゲームの名作と同じく、オールマイティの狂気と挑戦を孕んでいます。テック、メロディ、ブレイクダウン、アトモスフェリック、不協和音…つまり彼らの “Almost Human” な “テック・スラム” は、暴力、ホラー、おどろおどろしいメタルのファンが求めるどんな空白も埋めることができるのです。
「”ルイージ・マンション” は、”Data Fortress Orbital Stationary” の曲の一部にインスピレーションを与えてくれたね。例えば、ルイージが吹く調子ハズレの笛とかね。遊戯王や、屍鬼のようなホラー・ミステリー系のアニメも大好きなんだよね。屍鬼は最高だ!」
そうして彼らのワームホールはメトロイドのみならず、アニメやカード・ゲームなど日本が生んだサブカルチャーをことごとく飲み込みながら、その不協和を巧みに調和させていきます。メトロイドのサウンド・トラックや世界観には、暗くて陰鬱な雰囲気の一方で、美しく幻想的なイメージも多く存在します。そして怪談から続く日本のサブカルチャーには、そうした恐怖と審美の二律背反が巧みに共存を続けてきました。そうした日本の審美眼に薫陶を受けた彼らは、アグレッシブで露骨なアプローチの曲の中で、その美しくも技巧的で、ある種突拍子もないサウンドを取り入れる方法を見つけたのです。
だからこそ、彼らの “テック・スラム” には、あまたのテクデスやスラムにはほんの少しだけ欠けている、成熟度、ニュアンス、オリジナリティが完璧に備わっています。ARTIFICIAL BRAIN や DYSRHYTHMIA の不協和なデスメタルに、NECROPHAGIST の卓越した技巧、そしてSFホラーのサウンド・トラックが三位一体となり共栄するメトロイドのメタルは、まさにメタルのバウンティ・ハンターとして恐怖の探索を担っていきます。
今回弊誌では、WORMHOLE の Kumar 兄弟にインタビューを行うことができました。「僕たちの福音だと言えるかもしれないよね。僕たちはテックが好きだし、スラムも好きだ。僕たちが本当に求めている、そうしたフレーバーの組み合わせを聴いたことがなかったから、それを作ろうとしたんだよ」 どうぞ!!

WORMHOLE “ALMOST HUMAN” : 10/10

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COVER STORY 【VAI : SEX & RELIGION】 30TH ANNIVERSARY


COVER STORY : VAI “SEX & RELIGION” 30TH ANNIVERSARY

“At The Core Of All Religion And At The Core Of All Sex, There’s Love. It’s Just Interesting To See How That Gets Perverted And Transformed.”

SEX & RELIGION

「”セックス” と “宗教” はとてもパワフルな言葉だ。”宗教のセックス” は、”Passion of Warfare” “戦争の情熱”のようなものだ。最も純粋な形のセックスは、2人の個人が意識の最前線で神との親密な関係を見出す場所なんだ。それは神聖な愛の行為だ。そしてもう一方の端には、欲望という倒錯がある。殺人のようなものまである。私たちの多くは、その中間に位置していると思う。
宗教も同じだ。宗教の基本は純粋なインスピレーションであり、ある個人が現れて神を悟り、その指示を世界に与えるところから始まった。しかし、それがエゴや関係者のニーズに合わせてねじ曲げられる。すべての宗教の核心には愛があり、すべてのセックスの核心にも愛がある。それがいかに曲解され、変容していくのかを見るのは興味深い。つまり、宗教は歴史上、戦争の最大の原因のひとつなんだよ。
誤解しないでほしいが、私はどんな宗教も非難しているわけではない。しかし、世の中には宗教やセックスで金儲けに走っている連中もいる。彼らはお金で希望の約束を売る。信じてほしいが、神の美しい青い地球上で、宗教的な変質者ほど危険なものはない。とにかく、私はこの2つのコンセプトに非常に興味をそそられる。それに、多くの人がセックスと宗教にこだわっているしね」
30年前の Steve Vai の言葉です。さて、彼は預言者でしょうか?それとも占星術師?とにかく、今やギター世界すべての人から敬われ、愛されるようになったギターの魔術師は、30年前の時点で倒錯した現代の暗闇を予見していました。特に、日本に住む私たちはつい最近、統一教会の横暴を目にし、DJ SODA の性被害を目撃したばかりです。Vai の言うように、核となるべきは愛、探るべきは要因であり、曲解の理由であるはずなのに、私たちはしばらく祭のようにSNSで大騒ぎして、被害者も加害者も焼け野原のごとく断罪して、そうしてすぐに何もかも忘れてしまいます。実際、このレコードのワーキング・タイトルは “Light Without Heart”、心なき光だったのですから。
最近日の目を見た Vai のバイカー・カルチャー作品 VAI/GASH のアルバムを差し置いて、Vai が唯一、リーダーとしてバンド形式で制作した “Sex & Religion” は真のゲームチェンジャーでした。それはもちろん、音楽的な革新性、多様性のみならず、扱ったテーマの深淵とも密接に関連しています。つまり、”Sex & Religion” は音楽とコンセプト、その両輪が激しく火花を散らしながらもガッチリと噛み合って、”ヘヴィ・メタルでも実験や哲学が可能” であることを証明した先駆的な作品だったのです。

加えてこの7弦ギターの悪魔は、ベースの怪人 T.M. Stevens やドラムの名手、Terry Bozzio と意気投合してアルバムの異様な基盤を固めました。最後のピースは Devin Townsend。分身となるボーカルに選んだのは、20歳で、カナダのバンクーバー出身の無名のシンガー/ギタリスト。後に、STRAPPING YOUNG LAD やソロ・プロジェクトでメタル世界を背負う鬼才の発掘でした。
David Lee Roth のバンドや ALCATRAZZ, WHITESNAKE でプレイしてきた Vai は、派手で優秀なリード・シンガーを知らないわけではありません。キッズ・ロックの Bad 4 Good をプロデュースしたことで、レコーディング・スタジオでの若者のハイテンションに対する対処法も学んでいました。しかし、奔放で運動神経が旺盛な Devin には、事前の経験ではまったく歯が立たなかったのです。しかしこの噴火直前のキッズは、ダンテの地獄篇の最下層における迷える魂のように叫ぶことも、ゲーテのように神々しくもロマンチックに唄うこともできました。
「彼のギターケースにウンコをした。タッパーにウンコを詰めてギター棚に忍ばせたりね。感情的に未熟すぎてそんなやり方でしか不満を表せなかった。彼は唖然として、なんで…?って感じだったけど、今も見守ってくれてるよ」
Vai が Devin に手を焼いたのは、Devin が Steve Vai 式裕福なロックライフが気に入らなかったから。それでも巨匠は決して匙を投げたりはしませんでした。そんな Vai の寛容さは、自身のヒーロー Allan Holdsworth に会った時の体験が元となっています。
「Allan はとても優しかった。とても優しく話しかけてくれた。もし自分が有名になったり、誰かから尊敬されたりしたら、こんな人になりたいって思ったんだ。だからこそ、今もそういう人間になりたいんだ。誰かに気を配り、興味を持ち、心配し、柔らかく、ね。完全に傲慢じゃない。僕は、路地にいる18歳か19歳の子供だったにもかかわらず、だ。そしてショーは驚異的だった」

“Sex & Religion” のほとんどの曲はメタル/ハードロック/ポップスの領域から始まりますが、Vai のトレードマークである破天荒なアックスワークに後押しされ、すぐにハーモニーやリズムが奇妙な方向へと逸脱していきます。”Frank Zappa のせいだよ” と巨匠は師匠の名をあげて笑います。
Vai がまだバークリー音楽院の多感な3年生だった頃、Frank Zappa はこの若いギタリストの天才的な献身ぶりを高く評価し、Zappa のバンドの複雑なアレンジをすべて書き写すという困難な仕事を任せました。Vai はその知識を手に、卓越した技術と才能、狂信的とも言えるほどの献身的な努力によって、偉大な存在へと上り詰めたのです。
“Sex & Religion” 以降、時に歌も活用しつつ魅惑のインスト・アルバムを連発することとなる Vai ですが、93年当時は歌モノに戻ることを自然な流れだと語っていました。
「コンセプトとしては、ヴォーカリストと、強力で明確なスタイルを持つプレイヤーたちと一緒にレコードを作りたかった。ロックの要素もありつつ、私が普段やっているようなひねりのあるものを作りたかった。そもそも、”Passion And Warfare” 以外は、ボーカルを使ってきたんだ。ボーカル・アプローチに戻るのは自然な流れだと思ったんだ。だからといって、今後私がやることすべてにボーカルが入るというわけではない。だから私はミリオンセラー・アーティストにはなれないだろう」
Devin Townsend はテープの山の中からまさに “発掘” されました。それは、Vai がかつて “David Coverdale ほど歌がうまい人はいないし、David Lee Roth ほどショーマンな人もいない。でも、両方のシンガーの長所を兼ね備えたシンガーが必要なんだ” と語っていたその要求を完全に満たす人物でした。
「ゴミ袋5つ分くらいのシンガーのテープがあるんだ。みんな素敵で、歌がうまくて、安全でいい曲を書くんだ。でも、Devin が作った “Noisescapes” というテープは、インダストリアルでヘヴィだけどメロディアスという、想像を絶するハードコアな音楽だった。テープを作ったときはまだ19歳だった。彼はそれを私のレコード会社(Relativity)に送り、私はその会社を通してそれを手に入れた。1分間そのテープを聴いた瞬間、彼は特別な人だと思った。私たちはタホの私の家に集まった。私と彼とエンジニアのリズだけで、雪の中を転がったり、ジャグジーでジャンプしたりした。彼には本当に素晴らしい、何にでも挑戦しようとするアティテュードがある。彼は本当に外向的で、素晴らしいリード・シンガーだった」

異形ドレッドの Vai と、全身にマジックで何かを書き散らしたスキンヘッドのイカれたサイコ野郎の組み合わせは衝撃的。パワーがあり、音域が広く、風変わりで、しかも独自のスタイルを持った Devin は、さながらドーピングをブチかました Mike Patton のように、Devin の言葉を借りれば “金玉で” 叫んでいました。さらに蓋を開けてみれば、Devin Townsend は素晴らしいリード・シンガーであるだけでなく、素晴らしいギタリストでもありました。
「彼は素晴らしいギタリストなんだ。本当に驚異的なスウィープをやることができる。彼はおそらくライブでたくさんギターを弾くだろう。でもこのアルバムでは、ギターは全部自分で弾いた方がいいと思ったんだ。将来的には、もっとライブ・ジャムを録音するかもしれない。でも、このアルバムがフュージョンみたいにならないように気をつけたかったんだ」
実際、Steve Vai はギター・インストの第一人者ですが、その楽曲のほとんどはフュージョンではなくあくまでロックやメタルです。
「まあ、私が言いたかったのは、悪いフュージョンもできるということだ。私にとってフュージョンはディスコと同じで、ある種のテイストなんだ。フュージョンは私の生い立ちの大部分を占めているし、フュージョンから得られる素敵な瞬間もあると思う。6分の曲の中で、特定の2小節のフレーズがとてもうまく機能しているとかね。でも、曲全体がギターソロで埋め尽くされ、蛇行するようなオーギュメント・ナインスコードで構成されてしまうと、典型的なフュージョンになってしまうからね」
たしかに、このリズム隊で典型的なフュージョンをやってしまうと、Steve Vai にしてはあまりに “安全” なコンセプトとなってしまったでしょう。
「T.M. Stevens については、スペインでジョー・コッカーと一緒にテレビ・コンサートで演奏しているのを見た。彼が演奏できることは知っていたが、あれほどうまく演奏できるとは知らなかったね。それに、彼は本当にうまくなりそうなルックスをしていた。Terry Bozzio は、ずっと一緒に仕事がしたかったんだ。ずっと好きなドラマーだった。彼は普段ロックンロールが好きではないから、このプロジェクトに参加させるのはとても奇妙な挑戦で、でも彼はやってくれた」

もちろん、Vai 自身の挑戦も継続して行われました。
「まあ、”Rescue Me Or Bury Me” という曲があって、これはギター・アルバムから最も遠いところにある曲なのに5分間も蛇行する長いギター・ソロがあるんだ(笑)。そこでは本当に奇妙なテクニックに触れていて、ある音をタップし、ワーミー・バーを引き上げて、バーを引き上げたままメロディーを弾くんだ。それからバーを押し下げ、バーを押し下げたまま演奏する。バーを上げたり下げたりしながら演奏する。これはとても難しい。見事なイントネーションが必要だしね。クールなのは、ギターではとても不自然に聞こえる音符のベンドが自然にできることだ。
あのソロの一番最初にやったもうひとつのことは、ピックの代わりに指で弾くことだった。そうすると、Jeff Beck にとても似ていることに気づいたんだ。同じ音でも、弦の太さでトーンが変わったりするテクニックも使ったね。”Touching Tongues” では、ハーモニクスとワーミーペダルを組み合わせて天空の音を創造したし」
Vai はギターを弾く際、自分を律するために瞑想をすることで知られています。
「まあ、みんな瞑想していると思うよ。私が瞑想を意識するようになったのは、Zappa のために採譜をしていたときだ。自分の心の別の部分を使っていることに気づいたんだ。意識がぶれることなく何かに集中すると、本当に新しい世界に入り込むことができる。テープ起こしをするときもそうだし、練習するときも、ギターのテクニックに集中する。気が散ることなく集中できたとき…それはとても難しいことだけど…望む結果を得ることができる。”Sex & Religion” には、瞑想の賜物である瞬間があったと思う」
ただし、瞑想もギターも、Vai にとっては手段の一つでしかありません。
「音楽は素晴らしいし、心から愛している。でも、それは私にとっては手段なんだ。私の目的は、ギターをファンタスティックに弾けるようになることではない。素晴らしい演奏に触れたことはあるよ。でも、ギターを弾くことは私にとって大切なことではあるけれど、人生で最も重要なことではないんだ。
もし私が手を失ったらどうなるだろう?培ってきたものすべて失う可能性がある。耳が聞こえなくなったり、目が見えなくなったり……。そしたらどうなる?ギターの腕前は?君には何がある?あるのは自分自身、つまり意識だけだ。だから、私の次の戦いはギターとの戦いではない。自分自身と自分の意識との戦いだ。それはいつも自分とともにあるものだから」

Vai の言うとおり、”Sex & Religion” の革新性はギター以上にそのコンポジションにあるのかもしれません。ロックやメタルでは通常聴くことのないハーモニーやモードが溢れているのですから。
「他のレコードやロックでは聴いたことのないようなモードが聴こえるだろう。例えば “Deep Down In The Pain” の最後、奇妙な誕生のシークエンス。何が起こっているかというと、子供が子宮から出てくるんだよ。神性の声を聞いたり、質問したり、奇妙なことばかりしている。でも、バックで聞こえてくるのは、私が考案した音階に基づいた荒々しい音楽なんだ。
私はそれを “Xavian” “ザヴィアン” スケールと呼んでいる。私がやったのは、12音列をキーボードでサンプリングして音を作ること。そこから、いろいろな音律を試すのが好きなんだ。(ヨーロッパの12音音階は、オクターブ間の周波数帯域を分割する1つの方法に過ぎない。他の文化や、ラモンテ・ヤングやウェンディ・カルロスといった作曲家の作品には、異なるシステムが存在する。現代のシンセサイザーの中には、別の音律を提供するものもある)
オクターブを9段階か10段階に分けた、さまざまな音階があって、私はそれを “フラクタル” と呼んでいる。”Deep Down In The Pain” の最後では、オクターブを16等分したスケールを使った。つまり、その中の各半音階は、従来の半音階とはちょっと違っていて、100微音階に対して60微音階なんだ。私はこれを半音階と呼ばず、”クエーサー” と呼んでいる。
その異なる音程が、この16音列から私が抽出した10音音階であるザヴィアン・スケールを作り出す。このスケールを使って和音を弾くと、まるで神の不協和音のようになる。ザヴィアン・スケールから広がる、ねじれた感情の世界を想像してみてほしい!私たち人間は、進化の過程で音楽によって形作られてきた。より多くの人がこのようなフラクタルの実験に没頭するようになれば、まったく違った感情の状態が生まれると思う。しかし、METALLICA がザヴィアン・スケールでジャムるのを聴くことはないだろうね (笑)。Kirk に16フレットのギターを貸すよ。普通のフレットの楽器ではこんなことはできない。オクターブまで16フレットのギターがあるんだ。スティーブ・リプリーが何年も前に作ってくれたんだ。彼はオクターブに対して24分割のものも作ってくれたよ」
一方で、”Sex & Religion” には類稀なるフックとポップ・センスが宿っています。
「あの “In My Dreams With You” のように、フックのあるポップなコーラスは、実は僕の友人でロジャー・グリーンウォルドという男が書いた曲からきているんだ。彼は本当に優れたギタリストであり、プロデューサーでもある。私が大学生の頃に彼が書いた曲の一部なんだけど、私はずっとこの曲で何かやりたいと思っていたんだ。
基本的に曲の構成は全部書き直したんだけど、それからデズモンド・チャイルドと一緒に歌詞を考えたんだ。デズモンドは本当にユニークな作詞家だ。彼は BON JOVI や AEROSMITH のようなバンドで大金を稼いだから、多くの人は彼のことをシュマルツ・ポップの帝王だと思っている。でも、彼は本当に何でもできるんだ。”In My Dreams With You” はこのアルバムに収録された彼との唯一の曲だけどね」

Devin は歌詞に関して何か意見を言ったのでしょうか?
「”Pig” は Devin と一緒に書いたんだ。すごくいい曲だよ。かなり奇妙な曲だね。”Pig” は、ある日MTVで BLACK CROWS を見ていて生まれたんだ。私は彼らが好きなんだよ。彼らが “Remedy” という曲を演奏していて、すごくいい曲だと思ったんだ。で、誰もが共感して一緒に歌えるような、ストレートな曲が必要だと思った。それで “Pig” を書いたんだ。
それに当時はよく PANTERA を聴いていたんだ。Dimebag Darrell は、私のお気に入りのギタリストになったよ。彼はどうかしている。カミソリの刃のような独特のトーンを持っている。
だから、このアルバムはおそらく現存するレコードの中で最もラウドなミックスになった。カオティックなハーモニーのフリー・フォー・オールだ。彼らが街に来たときに一緒にプレイしたかったんだけど、残念ながら私はその時街にいなかったんだ。
彼が TIN MACHINE と一緒に演奏するのを見たんだけど、今まで見た中で最も楽しいギター・コンサートのひとつだったよ。彼はとてもアウトなんだ。彼は本当にクレイジーで神経質なビブラートを持っている。もし彼が “Remedy” のような曲を書こうとしたら、おそらく “Pig” のようなレフトフィールドなものを書くだろうね」
2人のクリエイティヴな巨人が集まれば、傑作が生まれると同時に、大量のカオスと対立も生まれるもの。「僕らはコインの裏表みたいなものなんだ。僕らは仲がいいんだけど、お互いに潰瘍を作ってしまうんだ」と1993年のインタビューで Devin は語っていましたが、近年 “Modern Primitive” での共演などで雪解けは確実に進んでいるようです。
「私たちは2人とも、自分たちの好きな音楽に対する強いビジョンと願望を持っている。”Sex & Religion” に取り組み始めた頃、私はそのビジョンにかなり集中していた。素晴らしいシンガーが必要で、Devin を聴いたとき、すぐに “この人だ!” と思った。でも、当時私は、これが私のビジョンであり、私が集中したいことという非常に厳格なアプローチをしていたから、曲作りやプロデュースに関して、クリエイティブなコラボレーションはあまりなかったんだよ。日本盤のボーナストラックの “Just Cartilage” と、Devin と私が一緒に書いた “Pig” 以外はね。実はこの2曲は私のお気に入りの曲で、私がコントロールを固く握っていたのを緩めたゆえに良いものができた。でも残念ながら、あの時は誰もが私の神経質な要求に従うことになった。当時は、Devin がどれほど才能があり、創造的であったかを理解していなかったんだ」

たしかに、Terry Bozzio も当時の “やりすぎ” な Vai の姿を鮮明に記憶してきます。
「Steve とは “Sex and Religion” で一緒に仕事したが、ちょっと問題があって、辞めさせてもらった。今でも仲は良いけどね。彼は仕切りたがるんだよ。俺とは音楽へのアプローチが全く違う。俺は即興を重んじる。彼はあらかじめ全部組み立てておいて、メンバーにいちいち指示する。なんだか工場で働いてるみたいな気分だった。ほとんど全ての小節ごとに喧嘩してたような感じで、ちっともクリエイティヴじゃなかったんだ」
Devin はしかし、Vai の当時の “コントロール・フリーク” ぶりを擁護します。
「ちょっとだけ悪魔の代弁をさせてもらえば、僕は当時19歳で、16歳のときに Steve のレコードを聴きまくっていた。両親の寝室で “クロスロード” を見て、大好きになったのを覚えているよ。Steve と一緒にやるとなったとき、それは僕にとって突然の公然の出来事で、だから彼と別のアイデンティティを持つことに必死だったと思う。僕は僕でありたかった。で、僕が持っていたのは、完全な好戦性だった。その多くは Steve とは直接関係なく、物事に対する自分の反応に関係している。”Sex & Religion” の経験を経て、僕は何かを誰かに指図されるのが嫌になった。その好戦的な態度が、最終的に STRAPPING YOUNG LAD になった。だから、僕の音楽的成長、そしてそのメンタリティに根ざした多くのことに大きく影響しているんだ。40代半ばになった今でも、20代前半の頃と比べれば、好戦的な感情はずいぶん減ったかもしれない。でも、すべてをコントロールするという点では、それに共感できる人がいるとすれば、それは僕もそうだ。だから、あの時 Steve がしたことは、そのビジョンのために必要なことだったと思う。同じ立場なら、僕もまったく同じことをしたと思うよ」
Devin に不満があったとすれば、それは音楽産業そのものに対してでした。
「僕は最初から、少なくとも自分の音楽的思考をまとめ始めたときから、音楽の本質は人間を超えたもの、ある意味で神聖なものに根ざしていると感じていた。そして、LAで突然、目が覚めたんだ。Steve のせいでも、彼の周りの人間のせいでもない。言ってみれば、音楽業界と俳優業界のせいだ。もちろん、そこには Steve のように努力して、地に足をつけた人も多い。だけど一方で、名声や地位、コネクションが幅を利かせているのも事実だからね」

Vai は “Sex & Religion” 以降の Devin の活躍に目を細めています。
「Devin の作品は多様だ。そして、その多様性の中に、声という糸がある。アンビエントのレコードであろうと、準カントリーのレコードであろうと、メロディーと Devin のプロダクション・サウンドの発泡性がある。すべてが美しく包み込まれている。私が最も注目したことのひとつは、Devin の音楽は、Devin の人生を通しての個人的な変容に深く根ざしているということだった。
例えば、”Truth”。私にとってこの曲は、おそらく Devin のカタログのどの曲よりも、ただ爆発している。Devin が今いる場所、そしてこの曲が今の Devin にとって何を意味するのかに折り合いをつけるために、この曲を再訪し、再録音したことはとても興味深い。音楽は、自らの内面を映し出す結果のようなものだから。浸透しているよ。Devin がやっていることを、多くのファンは本当に理解している。私自身、自分自身の成長の捉え方と類似している部分もあって、とても興味深いね。そのひとつは “Truth(真実)” にある。心の無知に身を委ねることで、真実が見えてくる。その言葉を口にするだけでも、そこにはたくさんの知恵が詰まっているよ」
Devin はこの30年で音楽業界が衰退して、”Truth” を見失い、”クソ” になったのは幸せな偶然だと考えています。
「ラジオを追いかける理由がなくなって、その時点で “さて、どうしよう?”という感じで。それは大きな重みから解放されるようにも思えた。架空のマーケットを喜ばせる必要がある?どうせ売れるものは売れるんだから、売れないものは売れないんだから、いっそのこと街に繰り出そう!みたいな感じ。僕の前では多くの “売春” が行われている。僕は絶対的な強迫観念を持つ完璧主義者で、これまで何一つうまくいったことがないし、これからもうまくいくことはないだろう。でもね、この苛立ちの底流が推進力になっているんだ」
Vai も目的は “売ること” ではないと同意し、音楽業界本来のあるべき姿を見据えます。
「私が気づいたのは、”Sex & Religion” の、あれだけの音楽をレコーディングしたとき、自分がいかに自由で無邪気だったかということだ。何の期待もしていなかった。自分以外の誰かを喜ばせようとしないでね。あの頃の私は、”自分を楽しませるために何ができるか?” だけを考えていた。ある面では、何年もの間、音楽業界から遠ざかっていた。なぜなら、それが何かを創作することの価値であり、まず重要なのは自分自身を喜ばせることだからだ」


参考文献: GUITAR WORLD:Steve Vai Discusses Devin Townsend and New Album, ‘Sex And Religion,’ in 1993 Guitar World Interview

PREMIER GUITAR:PG Exclusive! Devin Townsend Interviews Steve Vai

EON MUSIC: STEVE VAI

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【FLESHVESSEL : YEARNING : PROMETHEAN FATES SEALED】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH FLESHVESSEL !!

“Super Adventurous Music And Very Traditional Music Should Be Able To Exist Harmoniously Within Any Genre, Be It Death Metal Or Celtic Folk Music.”

DISC REVIEW “YEARNING: PROMETHEAN FATES SEALED”

「僕にとって、音楽的な面白さの多くは、さまざまな音色とテクスチャーの無限の組み合わせが生み出す色彩にある。メタルは、多くの場合、音色的に精彩を欠くことがあるから、さまざまな音や楽器を使うことで、もう少し音楽的な面白さを取り入れたいと思っているんだ」
モダン・メタルの多様化は、ジャンルの壁だけでなく、文化の壁も取り払います。ギター、ベース、ドラムという “メタル楽器” だけが正義の時代は終焉を迎え、サックスやフルート、シンセサイザーはもちろん、メタルが感染した様々な土地の様々な伝統楽器もヘヴィ・メタルは喰らい、その血肉としているのです。それでも、プエルトリコのクアトロ、フルート、ピッコロ、オカリナ、ヴィオラ、ハープ、ピアノ、タイのピン、グロッケンシュピール、スレイベル、フィンガー・シンバル、トランペット、クラリネット、ダルブカと無限の “ノン・メタル” 楽器を喰らい尽くしたメタル・バンドは FLESHVESSEL がはじめてでしょう。加えて、Alexander Torres, Amos “Troll” Hart, Gwyn Hoetzer, Sakda Srikoetkhruen はその大半を自らで奏でているのです。
「僕たちは、自分の作りたいアートやサウンドを作ることができ、オープンであるべきだと信じている。あえて逆らい、型にはまらず、やりたいことをやる。でも、超冒険的な音楽と非常に伝統的な音楽は、デスメタルであろうとケルトの民族音楽であろうと、どんなジャンルの中でも調和して存在できるはずなんだよ」
伝統と実験、冒険と安心、異端と常識、メタルとノン・メタル。”Yearning: Promethean Fates Sealed” は、そのすべての逆説がアートのために調和したようなレコードです。繊細な瞬間から幕を開けるアルバムは、鮮やかな色彩と奇妙なフォルムで描かれ始め、メタルの異世界で恐怖と熱情と安らぎを見つけるまで止まることはありません。そうして、たしかに映画的ではありますが、このアルバムはそれ自体が物語を語り、命を吹き込むため、映像媒体を必要としていません。
4人の鬼才が築き上げた55分の巨塔は7つのトラックに分かれ、4曲の長大なプログレッシブ・ソングがインストゥルメンタルの “ヴィネット” で区切られています。このヴィネットがアルバムの各所からメロディックなテーマを引用し、思索と内省の中でモチーフを再考。繊細、重厚、爽快、瞑想が同居し、死の淵に押し潰され、風の蝶に魅了され、前衛的な騒乱にまみれるアルバムは、パッケージ全体がジグソーパズルのように不思議と集積し、印象的な1枚の名画としてまとまっているのです。
オープナー “Winter Came Early” はまさにこの類稀なる音の美術館への招待状。クラシカルで繊細なイントロからブラックメタルの絶望が炸裂し、伝統的な激しさが強調され、さらにプログの空想飛行、落ち着きのあるフォークのパッセージ、陽気なジャズのベースライン、アヴァンギャルドな悪夢のようなサウンドなど、色彩のパレットは200色以上の豊かさを誇ります。
「プロメテウスの物語は、世界をより良くしようとする僕たち人間の闘いのアナロジー (似ていることを根拠に異なることを推し量ること) として、このアルバムで使われているよ」
これだけのエピックに、秘められた意味がないはずがありません。プロメテウスとは、神々の火を盗んで人類にもたらし、その裏切りによって罰せられたタイタン。アルバム・タイトルはこのよく知られた神話を、悟りを求め、より良い、より寛容な世界を作り出そうとする人類と、その目標に到達するため障壁となる人類自身との戦いの寓話として扱っています。結局のところ、この分断された世界で私たちを救ってくれる巨人は存在しません。運命の封印を解き、善に心を開くためには、私たち自身の内側から解き放たれる炎を守る必要があるのです。
今回弊誌では、FLESHVESSEL にインタビューを行うことができました。「重要なのは、僕たちはオーケストラ音楽の “メタル版” やメタルの “シンフォニック版 “を作ろうとしているのではなく、さまざまな影響を受けた深い井戸の中から作曲し、演奏することができるということなんだだ」 どうぞ!!

FLESHVESSEL “YEARNING: PROMETHEAN FATES SEALED” : 10/10

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COVER STORY 【CORY WONG (VULFPECK) : WONG’S CAFE 】FUJI ROCK 23′


COVER STORY : CORY WONG “WONG’S CAFE”

“Everybody Wants To Be a Lead Player, But If You’re a Working Musician, 95 Per Cent Of It Is Rhythm!”

WONG’S CAFE

Cory Wong はいつも楽しそうに見えます。米ファンク界のセンセーション VULFPECK でリズムを刻んでいても、エリートとしてセッション・ギタリストとして活動していても、あるいは自身のソロ・プロジェクトを遂行していても、ミネソタ育ちの彼のおどけた笑みと無限のエネルギーは、人を惹きつけてやみません。実際、彼は “The Optimist” “楽観主義者” というアルバムまで作っているのですから。
そして、その楽観主義が彼を音楽世界において一層興味深い存在にしているのです。その笑顔が Fuji Rock の大舞台で日本のファンを惹きつけたのです。評論家が毎年のようにギターの死を宣告する時代に、Cory Wong は楽しさでギター・ヒーローの意味を進化させています。
ド派手なソロやハードロックのクリシェといったクラシックな定番の代わりに、Cory を筆頭とする新種のギタリストたちは、ヒップ・ホップ、ソウル、R&B、ファンクのやり方を取り入れて印象的な独創性をもたらしています。特に Cory の場合は、リズム・ギタリストを極めるという、普通では考えられない方法で独創性を実現しているのです。
「ポップミュージックにおけるギターの役割、その道を切り開く旅が続いてきた。 ディスコから始まり、ナイル・ロジャースや CHIC, EARTH WIND & FIRE, OHIO PLAYERS、そして PRINCE に至る。でも、そういうものの系譜としては、すべてがナイル・ロジャースから来たような気がするね」

「面白いよね。伝統的に “リズム・ギタリスト” という肩書きは、名誉の証というよりも蔑称なんだから!
でもね、僕のギターにおける最大のインスピレーションは、David Williams と Michael Jackson の共演だ。90年代前半か80年代後半の David のインタビューを見たことがあるんだ。その中で、彼は人生をかけてリズム・ギターを前面に押し出したと語っていた。”ああ!まさに僕が思い描いていたことだ!” と思ったね。
もう1人の大きなインスピレーションは、これも Michael Jackson の作品にも参加している Paul Jackson Jr. だ。10代の頃、”Paul Jackson Jr: The Science Of Rhythm Guitar” という古いDVDを持っていたんだ。
彼は、誰もがリード・プレイヤーになりたがっているが、リードの練習に90パーセントの時間を費やし、リズムの練習は10パーセントしかしないというやり方は、現実の世界とは完全に逆転している!といつも言っていた。だって、ミュージシャンが演奏する95パーセントはリズムで、5パーセントだけがリードなんだから。僕はそのことにとても共感したんだよね。
リズム・ギターのパーカッシブなパートを、フックになるようなキャッチーなもの、フックになるようなメロディックなものにすることを学んだんだ。そうやって、リズム・ギターが “リード”楽器になるというジレンマを解決したんだ」

リズムをリードに変えるその公式が、Cory 3枚目のソロ・アルバム、”Motivational Music For The Syncopated Soul” というタイトルの基盤となっています。彼のトレードマークであるパーカッシブなリードとリズムのフュージョンに、ホーンやオルガン、そして時折歌声がアクセントを添える、容赦なくファンキーで陽気なアルバムは、2019年のポップ・ミュージックにおけるギターの位置づけを示す、説得力のあるマニフェストでした。
「それまでのレコードやアルバムでは、”自分はどんな芸術的な主張をしたいんだろう?自分の指紋は何だろう?” と探っていた。そしてこのアルバムでそれを発展させ、自分の声を発見したんだ。
“ギター”のレコードをたくさん聴くと、そのほとんどが文字通り “ギター・アルバム” だ。それは印象的だし、もちろんクールだよ。僕はそういうのも好きだし、そういうこともできる。でも、それは必ずしもミュージシャンとして、そして一人の人間としての僕を感動させるものではない。
大好きなギタリストたちのライブを見たことがある。彼らは2時間でも3時間でも、とにかく “ギター・ショー” をやっている。そして90分経ったとき、僕はこう思った。”ギターだけじゃダメだ!” ってね。一日中チョコレートケーキを食べるわけにはいかないじゃないか!
それをやっている人全員がエゴだとは言わないけど、僕がやったらそうかもね!もし僕が、”ギターでこんなことができるんだ!見て見て!みんな僕の才能にひれ伏せ!”みたいなことをやったら…ああ、それはしっくりこない……」
それでも Cory はギター中心のレコードを作らなければなりません。燃え上がるようなソロやフラッシュという松葉杖に寄りかからず、それでいて興味深く、独創的で、技術的に印象的な作品を。
「僕がやっていることの多くは、”あからさまなチョップ” とは違うんだ!あいつはクレイジーだ!みたいなものじゃなくてね。僕はもっと “隠密なチョップ” をやっていたい。聴いていて、”わぁ、かっこいい” って思うし、とても親しみやすいもののように思える……でも、いざ演奏してみると、”あぁ……これ、実はすごく難しいんだ!” ってなるようなもの。
というのも、リードだけをやっている人がたくさんいて、彼らはリードをやりつくしているから!なぜわざわざその領域に入らなければならないの?!それなら、僕がリズムギターの役を引き受け、輝かせ、このタイプのプレーが素晴らしいことを世界に示し、どうすれば脇役を主役に押し出すことができるかを示せばいいじゃないか」

“Motivational Music For The Syncopated Soul” の中で、Cory のコンセプトを最もダイナミックかつ説得力のある形で表現しているのは、英国のジャズ・ポップ・センセーション Tom Misch とのデュエット曲 “Cosmic Sans” でしょう。
「Tom と僕は、ミレニアル世代的な2019年の方法でつながったんだ…インスタグラムでね!(笑)。インターネット・ギター仲間になったんだ!そんなことができるなんて、とても面白くてクールなことだよ。10年前でも、そんなことはなかったんだから。
彼はLAに2週間ほど滞在していたんだけど、直接会って、30分後には曲が録音されていた。ジャムを始めてすぐ、彼が “レコーディングしようか?そうしよう!”って。俺たちは大人だ。プロなんだ!これは、プロセス全体を考えすぎてしまってはダメなんだ」
Cory の最も注目される仕事である VULFPECK のリズム・ギタリスト(ツアーやアルバムで常に存在感を示しているにもかかわらずバンドの正式メンバーではない)でも、この臨機応変な対応力は磨かれています。
「誰かが曲のアイディアを持ってきたり、Jack Stratton が “デモを送ってくれ…” と言って、彼がそれを聴くと、突然、”よし、Aセクション、演奏しよう。Bセクション、演奏しよう!”となる。10分後にはアルバムで聴ける曲が完成しているんだ」
Cory は若い頃、地元ミネアポリスを離れ、ナッシュビルのセッション・シーンという、ミュージシャンにとっておそらく最も競争の激しい、厳しい環境でカッティングに挑戦しました。
「とても素晴らしい環境だったし、良い指導者にたくさん恵まれたことに感謝している。セッションの世界では、一瞬で磨かなければならない要素がたくさんあり、その奥深くに入り込む必要があるからね。
多くの場合、プロデューサーはデモを一度聴かせてくれる。だから、曲が完成したらすぐにその部屋に行って、完璧に演奏できるようにそのチャートを作る必要がある!
ただ、曲を弾きこなすだけでなく、同時に “特徴的な” ギター・パートを弾きこなす必要がある。G→C→Em→D…っていうような曲で、そんなの何百曲あるんだろう?何がこの曲を “特徴的” にするのか?みんながこの曲を聴いたときに、僕のパートを際立たせるものは何だろう?って考えながらね。
それが本当にうまくなる唯一の方法は、たくさんの反復練習とたくさんの直感なんだ。たくさん練習すればするほど、直感は磨かれていくんだよ」

要求が高く、ナンセンスなセッションの世界で働くことで、Cory はギター演奏に関して多くの引き出しを身につけることができました。自分のためではなく、誰かのためにパートを作ることを受け入れ学んだからです。
「”私が求めているのはそれじゃない” と言われたら、それは君が下手なギタリストという意味ではなく、彼らが何か違うものを求めているということなんだ。1曲のために1時間もオーバーダビングするようなギタリストにはなりたくないでしょ?
プロデューサーが違うものが欲しいって言ってるのに、気分を害し始めて……突然、個人的な問題になる。でも、個人的なことだと思わないで!アーティストとプロデューサーはメッセージを伝えたいと思っていて、今君が弾いているギター・パートとトーンはそのメッセージを伝えていないだけなんだから。
君のプレイが悪いからじゃない。音楽や芸術の多くは主観的なものであり、彼らは自分たちが望むメッセージを伝えるために、何か別のものを探している。僕が学んだこれらの教訓はすべて、バンドのリーダーとしてすべての決断に役立っている」

ファンクのグルーヴィーな海を深く泳ぐ男にふさわしく、Cory がストラトキャスターを持たずにステージに立つことはほとんどありません。ただし、そのサファイア・ブルーの “Highway One” モデルは、世界中を飛び回るギタリストが毎晩信頼するギターとしては、最もハイエンドなものではないかもしれません。
「このギターは高校時代から持っている。初めて手にした本物のギターはストラトだったんだ。ギターをすごく弾きたかった。小学6年生の時に質屋に行って、グレッチのトラベリング・ウィルベリーズのギターを買ったんだ!それは75ドルの中古ギターで、チューニングが合わなかった。本当はいいギターなんだろうけど……質屋に座っていたのには理由があるんだ!
中学1年生でパンク・ロック・バンドを結成した。友達と一緒に演奏していて、”これだけお金が貯まったんだ。クリスマスとか誕生日とか全部合わせたら……”って。ミネソタに住んでいたから、”.この冬、車道を100回雪かきしたら……ギターを買ってくれる?” って父に頼んだんだよ。
ならストラトキャスターが必要だろ?って。スティーヴィー・レイ・ヴォーン、ジミ・ヘンドリックス、エリック・クラプトン、ナイル・ロジャース…レッチリのフルシアンテもね。それで僕は、”オーケー、クールだ” って思ったんだ。
それでストラトを手に入れた。ティーンエイジャーの頃、もっと素敵で高級なストラトが欲しかった。でも、そんな余裕はなかったから、300ドルの “Highway One” を買ったんだ。ギターは、自分が求めている音をすぐに出せるものでなければならない。僕はどんなギターを弾いても自分の音になるけど、ある種のギターはすぐにしっくりくるんだ。自分のクリエイティビティを最も簡単に引き出してくれる楽器を見つける必要がある。ストラトを弾くと、自分の声のように感じるんだ。他のギターも大好きだけど、ストラトは僕のまさに家なんだ」

2021年は Cory にとって大きな年でした。初のシグネチャー・ストラトを発表し、YouTube番組 “Cory and the Wong Notes” も彼の名を世界に知らしめました。昨年はファンク・スーパーグループ、VULFPECK と再びタッグを組み、”Vulf Valut 005: Wong’s Cafe” をリリースしました。
「”Vulf Valut” はヴァイナル・オンリーのコンピレーション・シリーズとして始まったんだ。Jack とパンデミックの前にやったレコーディングで、気に入っていたけれど前作には収録されなかったものがたくさんあると話したんだ。彼と書いたものもあれば、他のメンバーと書いたものもあった。彼は “プロデュースして、好きなようにやって、Cory Wong らしくしてくれ!” と言ってくれた。だから、その音源をもらって、プロデュースを始めたんだ。
ギター中心になるように、いろいろなテクスチャーを加えて……クラシックなオールドスクールの VULFPECK の雰囲気を、ギターで表現したかったんだ。通常のアルバムではいつもやらないようなギターの見せ方をするために、新しいレコーディングを始めたんだよ。
いつもは Jack がバンドリーダーだから、僕はそれにふさわしいパートを演奏する。Joe Dart はバンドのアンガス・ヤングで、彼のベースがすべてを引っ張っている。このアルバムで僕はエディ・ヴァン・ヘイレンに少し近づけたよ。
“Wong’s Cafe” というタイトルになったことで、自分のレシピを披露することができた!何も気にしないで、ギターを前面に押し出した作品にしようと決めたんだ。今までで一番ギターが主役の VULFPECK のプロジェクトなんだ!」

“Smokeshow” のギターソロは出色の出来でしょう。
「ああ、あれはいつもとかなり違っていて、もっとロック的なものだと思う。ほとんどの人は僕をクリーンなサウンドのリズム・プレイヤーとして知っている。でも、リード・ギターも子供の頃から弾いていたんだ。セッションや多くのバンドでリードを弾いてきた。
僕は STEELY DAN のマニアで、John Scofield のフリークなんだ!この曲で影響を受けたのはこの2つだ。STEELY DAN の “Peg” における Jay Graydon のソロを聴いて、それから僕のソロを聴いてみてよ。この曲は、彼へのオマージュなんだ。
Gミクソリディアンで下降するモーダルなリックがあり、最後にクロマティックを入れて緊張感と解放感を出している。これは “Peg” のソロから得たものなんだ。面白いシェイプの動きなんだけど、強い音で解決されるし、モーダルで解決感がある。
実は John Scofield とこのことについて話す機会があったんだ。そして彼は、多くの場合、気に入ったメロディーの形を見つけると、それを1フレット戻し、解決したいときに戻ってくるのだと教えてくれた。そうすることで、クールな効果が生まれるんだ
ギター・プレイヤーはシェイプが大好きだ。でも、半音階的なテンションを加えてみて、何が起こるか見てみよう。内側に入り込んで、外側に出て、そしてパッと戻ってくるかもしれない」

ベース・ギターの伝説 Victor Wooten との共演も果たしました。
「Victor は僕の音楽的ヒーローのひとりだ。10代の頃から彼を見てきたし、数年前から好きなバンドは Béla Fleck and the Flecktones だった。18歳のとき、ミネソタ動物園の円形劇場で彼らのライブを観たんだけど、彼らの演奏に圧倒されたよ。以前は、伝統的な楽器をあまり使わず、異なるスタイルを融合させたインストゥルメンタル・ミュージックをやっていることを知らなかったし、なんだか変だと思っていたけど、彼らのライブを見て “そうだ、説得力があれば何をやっても許されるんだ” と確信した。初めて Victor に会ったときは衝撃だったね。彼は伝説的なミュージシャンで、地球上で最も好きなミュージシャンの一人だ。やがて、僕は自分のことをやり始め、音楽シーンで有名になり、時々起こることだが、幸運にも知られるようになった。
僕が YouTube でやっている音楽バラエティ番組は、レイト・ショーとサタデー・ナイト・ライブを足してミュージシャン・バージョンにしたようなものなんだけど、彼はそれに興味を持ってくれて、とても気に入ってくれたんだ。僕は、ぜひ出演してほしい、インタビューもしたいし、一緒に演奏したいと言ったよ。
彼は “もちろん!” って。彼とは1時間のインタビューをした。彼はずっと知恵を絞っていて、僕の質問は彼にとっても僕にとっても重要なことだったので、とても楽しんでくれた。このツアーを計画したとき、僕は今、プラットフォームを持っていて、ある程度の成功を収めているのだから、自分のヒーローたちを招待することができるだろうと考えていた。ツアーに Victor を特別ゲストとして招き、ベースを弾いてもらい、バスに乗り、彼の知恵を吸収することは夢だった。今まで生きてきた中で最高のミュージシャンの一人であり、僕の絶対的なヒーローの一人である彼と一緒に演奏できることに興奮しているし、同時に、Victor Wooten と1ヶ月間バスの中で一緒に過ごし、彼の持っている知恵、知識、経験のすべてを吸収できることにも同じくらい興奮しているよ」

実際、Cory は9歳のときにピアノを弾き始め、10代で RHCP や PRIMUS の影響を受けてベースを弾き始め、今はフェンダー・ストラトキャスター・ギターを弾いています。
「もともとはベーシストになりたかったし、今でもベーシストになりたいと思っているんだけど、ギターを弾くことから抜け出せないんだ(笑)。小学校6年生のとき、バンドでベースを弾きたかった。ベースを持っていたし、ベーシストだった。でも、バンドに入りたいと興味を示す友達の中で、ギターをやりたがる子はいなかった。
結局、友人のアーロンにベースを教えて、お金を貯めて、ギターを買ったんだ。それ以来、ギターにはまり込んでしまった。実はとてもスリリングなんだけど、ベースを弾くのも大好きで、スタジオで自分のレコードのベースを弾くこともあるんだ」
ギタリスト、ベーシスト、ピアニスト、エンターテイナー、インタビュアー兼司会者。Cory Wong の才能に限界はありません。
「子供の頃から深夜テレビに夢中だった。見てはいけないかもしれないけど、部屋にテレビがあって、夜遅くまでトーク番組や深夜番組を見ていたんだ。生バンドが出演し、番組にエネルギーがあり、時事問題を語り、時代の流れに沿った興味深いゲストを迎え、バンドが来てパフォーマンスをする。深夜帯のバンドリーダーになりたいというのは、僕の大きな夢だった。司会者にもなるから、プレゼンターやエンターテイナーとしての才能があることを示せるし、音楽ディレクターとしての才能も。自分のクリエイティビティの一部を発揮しながら、自分が取り組んだスケッチ・コメディーのセグメントをやったり、自分のやっていること、興味のあることを披露したりするんだ。
僕は単なるギタリストやミュージシャンではない。僕の脳内には他にもいろいろなことが渦巻いていて、それを吐き出すのは楽しいことなんだ」


参考文献: GUITAR.COM:“Everybody wants to be a lead player, but if you’re a working musician, 95 per cent of it is rhythm”: Cory Wong

GUITAR WORLD :Cory Wong: “Most people know me as a rhythm player with a clean sound. But I’ve been playing lead guitar since I was a kid, too”

THE DIG:“It’s all about our lives, the stuff that I do, there’s music themes, there’s exploring music topics and things like that that I’ve seen done before and I always wanted that to exist.”

COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【I PREVAIL : TRUE POWER】NEX-FEST


COVER STORY : I PREVAIL “TRUE POWER”

“I Want To Write Something That Stands The Test Of Time.”

TRUE POWER

失恋は個人の成長を促すとも言われています。I PREVAIL のボーカル Brian Burkheise は、2013年5月1日の夜の体験が、その言葉を裏付けていると証言します。
当時20歳の Brian は、その約束をデートだと思って出かけました。1925年にステート・シアターとしてオープンした伝説的な会場フィルモアに、PIERCE THE VEIL, MAYDAY PARADE, YOU ME AT SIX が出演するライブに若い女性を連れて行った時のこと。
PIERCE THE VEIL のセットの途中で Brian は、自分の夢を彼女と分かち合うことに決めます。「俺はいつかこれをやりたいんだ…」Brian は2,900人収容のハウスを満員にすることと、ライブの観客を魅了することを彼女に誓ったのです。
Brian は自身の言葉を固く信じていましたが、しかし彼の愛情の対象は彼の言葉をあまり信じてはいませんでした。
「彼女はにやりと笑い、絶対にありえないと思っているような目で俺を見ていた。ライブが終わると、彼女は別の男に会いに行ったんだ。自尊心を傷つけられたね」
落胆しながらも Brian は一人で家に帰る途中、自分の将来を考え始めます。
「起こったことはモチベーションの源となる。なぜ自分はこれほどハードにプッシュしなければならないのか、その理由にね。自分ならできる、夢は実現可能だということを人々に示すための力になると自分に言い聞かせたのを覚えているよ」

あの運命的な夜から10年。Brian と彼のバンド I PREVAIL に起こったことを考えれば、その言葉が真実であることを証明できるでしょう。2度のグラミー賞ノミネート、3枚のフル・アルバム、そしてモダン・メタルで最も鋭いキャリアの軌跡。それだけではありません。バンドのサード・アルバム “True Power” を引っ提げた北米ツアーのクライマックス、PIERCE THE VEIL の後に出演した彼らはフィルモアでヘッドラインを飾ったのです。それはまさに、ヘヴィ・メタルのレジリエンス、回復力、反発力を証明する出来事でした。
「自分が尊敬していた人たちとステージを共有できた。これからも、常に自分自身をプッシュしなければならないと感じさせるね」
Brian は現在、3年連れ添った妻 Caylin と暮らしています。彼女とは、苦渋を舐めたあの夜の数カ月後に知り合いました。では、彼を裏切った女性はどうなったのでしょう?
「あれから、彼女はレコードを出すたびにメールをくれるのがおもしろくてね。結婚してからは、メッセージは来なくなったよ」

Brian には、自信なさと生意気さが混在しています。ミシガン州南東部のランドマーク・アカデミーという “超小規模 “高校を40人クラスで卒業した彼は、ESCAPE THE FATE の曲を車の中で歌って仲間に声の強さを指摘されるまで、自分に才能があることに気づいてはいませんでした。両親は彼の願望を応援してくれましたが、一方で友人や家族からは、よく言えば非現実的、悪く言えばクレイジーだと思われ、それが彼自身へのプレッシャーを強めることにもなっていました。
しかし Brian はそのプレッシャーまでも反発力でモチベーションに変換しました。成功を収めるために彼は、歌や照明、アートワークや舞台裏の仕組みに至るまで、自分が関わりたいと思う世界を科学的に研究に研究を重ねたのです。Brian は、ミュージシャンであると同時にマーケッターの頭脳を持っていたおかげで、バンドという乗り物を “超分析” し、悪名や宣伝材料の不足など、将来の成功を阻むかもしれない要因を特定していったのです。
I PREVAIL が今日のように、自分たちの活動の細部にまで気を配り、それが全体的なゲームプランの中で果たす役割に気を配るようになったのは、まさに Brian の現実的な哲学が浸透していったから。あくまでも彼らは長期的な視野で活動していて、単に自分たちの事業の将来性を確保したいだけなのです。
「音楽が僕らの根源であるのと同じくらい、僕らはみんなビジネスマンなんだ。バンドは発展し、成長しなければならない。人脈を作り、可能な限り多くのことを学ばなければならない。30年後、僕らが60歳になっても、この仕事を続けていたいからね」

Brian とボーカルを分け合う Eric Vanlerberghe のインスタグラム・アカウントは彼のレコード・コレクションに捧げられています。
「自分が手掛けた作品が誰かの手元に届くというのは、特別なことなんだ。誰かがそのレコードをコレクションしていて、その友人や子供たちが、何年か後にそのコレクションを手にとって、僕たちが作ったものを発見するんだからね」
Eric は昔ながらのロマンチックな音楽鑑賞を愛していますが、ストリーミングがもたらす影響にもしっかりと気を配っています。I PREVAIL は2022年に182カ国で2億4690万回のストリーミングを得ています。
「誰かが自分の音楽に人生の多くを捧げているのを目の当たりにするのは…正気の沙汰じゃない。A DAY TO REMEMBER の “Homesick” や MY CHEMICAL ROMANCE の “Black Parade” を聴きながら、自分の人生のどれだけの時間を過ごしたか、過去に戻って確かめたいものだよ」
Eric の足には “Black Parade” のタトゥーがあり、CDを聴きすぎて “燃え尽きて” しまったのだといいます。ゆえに、MY CHEMICAL ROMANCE がヘッドライナーを務めた “When We Were Young” フェスティバルに出演することは Eric にとって光栄以外の何物でもありませんでした。彼が初めて行ったライブは FALL OUT BOY で、すぐにカリフォルニアのデスコア・アウトフィット、CARNIFEX が続きました。エモもデスコアも同時に包容するのが彼らのやり方。
「この前のツアーでは、SLAYER の “Raining Blood “をカバーしたんだ。毎晩、みんなを驚かせるためにね。特に、みんなが演奏するとは思っていないような曲を演奏したいよね。I PREVAIL が SLAYER を演奏すると思うかい?」

I PREVAIL がデビューEP、2014年の “Heart vs. Mind” を準備していた頃、最初の注文は1,000枚にすべきだという提案に反対したのも Eric でした。「そして今、僕たちはここにいる」それ以来、彼らは目標を常に “高い” ものに再設定し、常にハングリーで追い求める姿勢を崩していません。
彼らの成功の雛形は LINKIN PARK の影響によるものです。重いリフをポップなフックと融合させ、寛容にさまざまな形に変化させながら、音楽ファンがヘヴィ・ミュージックへの愛を発見する “門” として重要な役割を果たした Nu-metal 界のレジェンド。ただし、”入門バンド” には入門バンドの苦悩もあります。I PREVAIL もテイラー・スウィフトの曲をカヴァーしたことで、早い時期にジャンルの “門番” たちから大きな非難を浴びています。
「気にしてないよ。誰かが僕らを “入門バンド” だと言っているコメントを読むと、侮辱のつもりで言っているんだろうけど笑ってしまう。でも、僕たちは人々をメタルに引き込んでいるんだ。いいかい? 人々は自分を引き込んでくれたバンドを、この先何年もの間、いつも近くに置いておくものだ。METALLICA は、僕にメタルとは何かを教えてくれた最初のバンドだった。そこから SLIPKNOT、Underøath、SYSTEM OF A DOWN と続き、2年も経たないうちにデスメタルやグラインドコア、その他諸々を聴くようになった。メタルに対する飽くなき渇望があったんだ。だけど、そうやって世界が広がった今でも、最初に僕をメタルに引き込んでくれたバンドやアルバムは大好きなんだ」

まだ嫌われ者たちとの付き合いは終わっていませんが、彼らはむしろその戦いを反発力で自分自身を奮い立たせる追い風に使っています。I PREVAIL が2019年のセカンド・アルバム “Trauma” を完成させたとき、メンタルヘルスと喪失というテーマを赤裸々に扱ったこの作品に彼らはすべてを注ぎました。だからこそ、その知識は、荒らしが押し寄せてきたとき、バンドにある程度の防御策を与えてくれたのです。ありがたいことに、現段階では Eric は否定的な意見に免疫があります。
「人々は自分たちがうまくいかなかったことに嫉妬している。夢を持っていたのに、チャンスを得られなかったとか、努力が報われなかったとか。笑っちゃうよ。それで、髪の長さとか、曲の単語の発音とか、くだらないことで僕を嫌うんだ。だから僕は、そうした批判も追い風にするよ」
“Trauma” を書いた理由は、バンド自身が本当に暗闇の時期を経験したから。だからこそ、Eric は自分たちのメンタリティをできる限り良い方向に保とうと努力しています。
「難しいけどね! “Trauma” では学ぶことが多かった。Brian が喉を怪我して、ツアー中に親友の一人を自殺で亡くしたんだ。だから “Trauma” は、自分たちが経験した暗闇、そしてどん底についてオープンにしたものだ。巨大な高揚感に包まれながら、予想もしていなかったような本当の低空飛行に対処しようとしている。”Trauma” を書き、レコーディングし、その過程を経て、パンデミックで家に閉じこもり、たくさんのことを学び、考え抜いた。でも、僕の場合は、ガールフレンドや家族、グループチャットをする故郷の友人たちなど、特定のグループがいて助けになった。
僕は大のオタクなんだ。ツアー中は、トレーディングカード店や本屋、レコード店を探すようにしている。演奏や I PREVAIL での活動以外でも自分の個性を発揮して、自分の一日や自分の時間を持ちたいんだ。それは大きなものだと思うよ。”True Power” はそういうところから生まれたんだ。困難や小康状態、低空飛行をどのように処理するか、そしてどのように光を見出すかを学んでいるんだ。より強く立ち直り、そこから学び、成長し、それを維持し、そこから花を咲かせ、その中で自分自身の強さを見つけ、成長する方法もあるんだから」

I PREVAIL の先見性は作品のテーマにまで及びます。Eric がクリストファー・ノーラン監督を愛し、同監督の作品の中で “インターステラー” がお気に入りの作品であることは有名な話。マシュー・マコノヒー主演の “インターステラー” は、地球が住めなくなる中、人類の新しい故郷を探そうとする宇宙飛行士を描いた、先見の明のあるSF映画の傑作です。Eric 風に言えば、 “インターステラー” のテーマの濃密さ、感情の生々しさ、五感の饗宴は、”Trauma” に相当します。そう考えると、Eric のもうひとつのお気に入りであるタイムトラベル・スリラー “テネット”、”True Power” に似ているのかも知れませんね。期待通りのスケールとスペクタクルが実現されていながら、そこに必ずしも簡単な答えが用意されているわけではないのですから。
「”Trauma” は、自分たちが壊れていくことを探求したアルバムだったから、完全にオープンで正直に、自分たちが感じていることを書いていたんだけど、”True Power” の曲の具体的な内容については、もっとベールに包まれているんだ。”True Power” は、僕らにとって新しい章の始まり。過去には、外部からの影響によって、成功とはどのようなものなのか、成功に到達するためにはどのようなルールに従わなければならないのかを教えられようとしてきた。僕たちはそれに抵抗してきたけど、今は完全に自信を持ち、人々は僕たちの決断に疑問を抱くよりも、支持してくれている」

Brian がステージから I PREVAIL の観衆を見渡すと、彼らを見に来た多くのファンの傾向を確認できます。彼らはたいてい6~8人のグループでやってくる、かつて LINKIN PARK や A7X のようなバンドを見に行った年月を懐かしむ30~35歳の兄弟たち。とはいえ、それだけではありません。
「僕らは誰でも聴くことのできるバンドになりたいんだ」 ラッパーのジョイナー・ルーカスとコラボしたトラック “DOA” や、EDM界の大御所 Illenium とコラボしたシングル “Feel Something” など、I PREVAIL は外部からの影響を幅広く取り入れ続けていることを誇りに思っています。
「僕たちが常に目指しているのは、どんな年齢、どんな人種、どんなジャンルの人でも聴いてインスピレーションを得られるバンドであることだからね。”True Power” はロックでありメタルであり、これまでで最もヘヴィなアルバムだと感じているけど、それでも非常に多様なサウンドが収録されている。そのおかげで、じっくりと腰を据えてこのアルバム全体を見渡すことができたと思う。”これまでにやったことのないことで、やってみたいことや、既成概念にとらわれないアイデアは何だろう?” ってね。振り返ってみて、とてもクリエイティブで、いろいろな側面を持つことができて、とても楽しかったんだ」

Eric はこの作品が時の試練に耐えうる “True Power” を有していると胸を張ります。
「時の試練に耐えるものを書きたかった。子供たちが10年後にこのレコードを聴いても、友達みんなに見せてくれるようなバンドになりたい。でも僕は、聴いてくれる子供たちにどんな概念も押し付けたくはない。彼らが音楽の旅の中で経験したことを、いつか自分の音楽に置き換えることができるような、音楽との深いつながりを与えたいんだよ。オープンエンドな性質、アトモスフェリック、容赦ないヘヴィネス、そして新鮮なアイデア…」
多くの熱心なミュージシャンがそうであるように、Eric は “良いものなら何でも聴く” 音楽愛好家。具体的には、FIT FOR AN AUTOPSY, SLIPKNOT の “Iowa”、PANTERA の “Vulgar Display Of Power” を最近でもよく聴いています。
「”時代を超越した音楽” というのは、まさにそういうことなんだ。20年後に聴いても、その音楽のエネルギーや怒りを感じることができる」
I PREVAIL は明らかに、自身の継続的な成功のためではなく、ヘヴィ・ミュージック全体が音楽の他の大物と同じテーブルに座ることを願い、シーンのためになりたいと思っています。2020年に I PREVAIL がグラミー賞に出席した際、ロック部門は生放送されませんでした。
「BRING ME THE HORIZON と僕たちは、お互いに顔を見合わせたんだ。そうして、10年後にまたグラミーに戻ってくることができるように、そしてロックが再び大きく受け入れられて、かつてのようにテレビの生放送で放送されるようにやっていこうと誓ったのさ」

彼らの創造性、情熱、そして意志の強さを宿した音楽は、様々なリスナーの人生を変えています。最近、あるファンが Brian に、大事故で骨折して入院していたことを話しました。彼は、”True Power” を聴くことで、最低の瞬間や耐え難い痛みを乗り越える力が湧いてきたと Brian に伝えました。「それが僕たちにとっての成功なんだ」
共同ボーカル Brian と Eric のダイナミックな関係もまた、I PREVAIL の中心軸となっています。
Brian が語ります。
「僕たちは偶然出会ったんだ。ロックの神様かメタルの神様か、どう呼ぼうと勝手だけど、僕らをペアにすることに決めてくれてラッキーだったよ。僕ら2人がいなかったら、このバンドは成り立たなかったと思うし、彼もそう言うと思う。安っぽいかもしれないけど、僕たちは兄弟のようなものなんだ。兄弟のような関係というのは、お互いのことを一番に考えているということ。特に初期の頃は、2人のボーカルがいることで、外部の影響によって、関係が難しくなりそうになったこともあったからね」
Eric は、ツアー中の混沌とした生活の中で、チームのメンバーのように4人の仲間と、じっくりと一杯の酒を味わうことほど好きなことはありません。
「もしお互いを信頼し、自分たちのやり方でやっていなかったら、今の自分たちはなかっただろう。僕たちは確かに個人だが、それでも、I PREVAIL が人々の記憶に残る名前になることを全員が望んでいるんだ」
今のところ、彼らはかなりいい仕事をしています。

http://NEX-FEST JAPAN

参考文献: I Prevail’s Eric Vanlerberghe: ‘I Want To Write Music That Stands The Test Of Time’

KERRANG!I Prevail: “Thirty years from now when we’re all 60, we want to still be doing this for a living”

BILLBOARD:I Prevail Reflect on the Pandemic, ‘Trauma’ and New LP ‘True Power’

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【Kostnatění : Úpal】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH D.L. OF Kostnatění !!

“I Think The Bands That Are Currently Pushing Black Metal Forward Are The Ones Who Don’t Make It About Satanism Because They Think It Is Mandatory.”

DISC REVIEW “Úpal”

「現在ブラックメタルを前進させているバンドは、サタニズムをテーマにしていないバンドだと思う。それを強制させられた時点で、創造的とはいえないからね。ブラックメタルは、歪んだギターで演奏されるエネルギッシュな音楽であれば、どんなものにも適応できるし、同様に幅広いテーマやムードを取り入れることができる」
モダン・メタルはその生命力、感染力、包容力で世界中に根を張り、多様な文化を吸収して、今も拡大を続けています。その最先端に位置するのがブラックメタルであることは、もはや公然の秘密でしょう。そして、その多くがもはや原初のサタニズムを強制されてはいません。強制とは創造の反対語。米国ミネアポリスを拠点とする Kostnatění も、全身全霊で創造の限りを尽くします。
「僕は単純にトルコの音楽に長い間興味を持っていて、それをメタルに取り入れた結果を楽しんできたんだ。”Úpal” にはトルコ音楽の影響だけでなく、マリのティショマレンや中東・北アフリカの民族音楽、ポップス、クラシック音楽からの影響もある」
灼熱の太陽、砂漠の熱砂、地獄の乾燥。蜃気楼の踊る異国のアルバム “Úpal” は、チェコ語で “熱射病 “を意味し、極限に咲く美しさと激しさの二律背反を表現しています。Kostnatění が目指すのは、”砂漠の太陽、その灼熱の光と正気の融解”。威厳と殺戮を伴って移り変わる砂の上の文明に焦点を当て、酷暑に屈っせず進化する人々の強さに敬意を表します。
ゆえに、そのブラックメタルには音楽の進化の証であるポップスやクラシック、現代音楽とともに、中東やトルコ、北アフリカの音楽が共存しているのです。
「僕はいつも、今ある既存のものとはまったく違うサウンドを作ることを目標に音楽に取り組んできた。いろいろな音楽を聴いて、それを組み合わせることで、簡単に他とは異なる目立つ音楽を作ることができる。それに加えて、僕はポップ・ミュージックの感性を曲作りに生かすようにしている。どんなに激しく邪悪な音楽であっても、記憶に残るものでなければならないと思うからね」
Kostnatění(チェコ語で “骨化” の意)は、アメリカ人 D.L. を中心としたバンドです。アメリカ人でありながら、チェコ語とチェコ文化を中心に据え、中東やアフリカの音楽を奏でるその異端は D.L. に言わせれば実に自然な営みでした。
結局のところ、D.L. はアーティストとして、自分が興味の向くものを、好奇心のままにアートとして創出しているだけ。そこには、モダン・メタルに宿る強制されない創造性が多分に反映されていて、最終的に D.L. 本人を軸として、不思議にまとまりのある百鬼夜行として収束していくのです。
Kostnatění は伝統的なサウンドをより深く、理論に基づいて解釈することで、ブラックメタルを新たな次元へと昇華させていきます。リズムはメタル・ルールブックの理解を超え西洋音楽とは異質の次元で時を刻み、フレットのないマイクロトーナル・ギターは死の谷の暑さの中でゆっくりと干からびていく蛇のように、ジワリジワリとリフの命を捻じ曲げます。
そうして、エキゾチックと無慈悲の綱渡り、幻覚的で予測不可能な “Úpal” は、アフリカン・フォークと砂漠のブルース、中東のダンス、トルコ民謡の微分音、邪なノイズ・ロックの影響を受けながら、不安と強迫観念の蜃気楼を不協和音の楼閣に描いていきます。その不協和は、しかし魅惑の異世界旋律で、さながらサハラの太陽のごとくリスナーの心を溶かし、揺さぶり、いつしか焼きつくしてミイラ取りをミイラにしていくのです。とはいえ、Kostnatění の音楽を完全に解析するには、難解な学位が必要でしょう。
今回弊誌では、D.L. にインタビューを行うことができました。「メタル文化の中で、入門バンドから成長しなければならないという考えに賛同したことはないよ。だって、結局、入門編となるメジャーなバンドは曲作りが良いから人気なわけでね。アンダーグラウンドの音楽はメインストリームから学ぶべきことが多いと思う。その逆もまた然りだけど」 どうぞ!!

Kostnatění “Úpal” : 10/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【EXTREME : SIX】 JAPAN TOUR 23′


COVER STORY : EXTREME “SIX”

“The Great Bands That We Love, They Still Wrote Simple Rock Songs, But There Was a Complexity If You Wanted To Look Deeper. So What I Call It Is Simplexity!”

EXTREME: SIX

今年のポップ・カルチャーな圧倒的にエレキ・ギターがモメンタムです。そして EXTREME 待望の新作 “Six” にはまさに、シュレッダー志望者なら誰もが弾きたいと思うソロと、ハードロック的なグルーヴに包まれたキラー・リフのオンパレード。3月3日に公開されて以来、ファースト・シングル “Rise” の再生回数は300万回を超え、多くのプレーヤーが練習に戻って自分のプレーを見直すことになったはずです。同世代で最もダイナミックなプレイヤーの一人である Nuno Bettencourt は、ここにきてまた一段とレベルアップしているのですから。
そしてそれが、Bettencourt の “Six” に対するアプローチ、原動力の1つでした。
「”Six” では、エネルギーとコミットメントを持って物事を投げかけることが重要だった。炎や情熱という言葉は俺の日常だ。ギタリストとして、どのアルバムでも、俺は常に偉大なプレイヤーからインスピレーションを受けてきた。でも、いつかは彼らを倒したいと思わなければならない。俺はまだ倒せると信じている。 “ヒーロー” と肩を並べられると信じていないのに、なぜ誰かと何かを共有したいと思えるんだ?そうやって俺は人々とつながり、ギターの楽しい面を見せたいんだよ」

同じく MV となった “#Rebel” と “Banshee” を聴けば、”Six” が2023年最高のギター・アルバムの一つであることは疑うまでもありません。しかし、このバンドが EXTREME である以上、アルバムは当然、ハードなロックばかりではありません。彼らのサウンドには弾力性があり、Bettencourt が7弦ギターに挑戦した “X Out” のような大胆な柔軟性も備えています。”Beautiful Girls” のような VAN HALEN 的常夏ポップなスタイルもあり、バラードもあれば、アンセムもあります。Bettencourt が言うように、EXTREME では “予期せぬことを予期しなければならない” のですから。
壮大なギター、親しみやすいメロディ、ジャンルの横断、誰も思いつかなかったようなギミックや展開。このアルバムをプロデュースした Bettencourt は、バンド・メンバーをかつてないほど追い込んだといいます。中でも、当然のことながら、Bettencourt は自分自身を最も追い込みました。だからこそ、実に30年ぶりくらいに、”ギタリスト” があれほど注目を集め、興奮をさらった “Rise” の “ワイルド” なソロが生まれたのです。
「一言でいえば “ワイルド” だ。ファンの反応そのものがね。ほら、エゴイスティックに、自信たっぷりに、俺はいつも、”Porno” でも “III Sides” でも何でも、すべてのアルバムに情熱と炎を持って臨み、それが何らかの反応を得るべきだと信じていたけどね。そうでなければ、やらないよ。
最近、ある人から “More Than Words” はあなたたちにとって祝福なのか呪いなのかと聞かれたんだよな。面白い。一方では、”More Than Words” が世界的に1位を獲得し、世界ツアーを行うことができた。それはとても素晴らしいことだ。おかげでまたアルバムを作り、たくさんのクールな音楽を生み出すことができる。そして、俺たちは住宅ローンを払い、実際に最終的に生き残ることができた。だから、もし “More Than Words” が成功しなかったら、俺はバーガーキングで働くことになっていたかもしれない。だから、ヒットを恥ずかしいと思ったり、呪いだと思ったりしてはいけないということは言える。俺たちは、どのアルバムに収録されている曲も、まさにその理由で誇りに思っているんだ。そして、人々が俺のギターに共感してくれることを願う。
でも、俺は56歳になって、バンドは15年間音楽活動をしていなかったから、さすがにこれほど反響があるとは思いもしなかった。本当にワクワクする。なんだか目が回るような気分だよ。以前は、何かを発表するとき、人々がそれを好むかどうかがわかるまで、何カ月も待たなければならなかった。ラジオに出演して、チケットを売って、お客さんが来てくれるかどうか…チャートも見る。そのすべてに時間がかかる。今は、何かをリリースすると、24時間、48時間以内に、好きだとか、嘘っぱちだとか、すぐに結果が出る!」

それにしても、かつて “More Than Words” でポップ・カルチャーの頂に立った EXTREME がここにきて再度その場所に戻り、話題を独占するとは驚きです。
「10日間で100万回再生され、発売以来200万回近く再生されている?これは予想外だったし、とても感謝しているんだ。同業者やギタリスト、Steve Lukather や Brian May のような人たちが、”ヘイ、バディ、グッジョブ!君の新作が大好きだ!” みたいな反応じゃなくて、長いテキストメッセージのようなものを返してくれた。アルバムにちゃんとしたソロがあって、ちゃんとした曲があることに関係しているのだろうけど。
そしてもっと重要なのは、彼らの反応は、もしかしたらみんな知らないかもしれないけど、ここ8~10年、本当に素晴らしいギタリストの大半は、俺もフォローしている驚異的なプレイヤーは、みんな部屋に座っているってこと。俺は舞台の上にいる。エネルギーが違うんだ。
彼らは一人でスタジオに座って、ギターを弾きながら、SNS が何かで俺たちを驚かせる。彼らと俺の違いは、バンドが登場すること。だからこそ、感情的で、フィジカルなものになる。バンドの誰かが曲の途中でハーモニーやボーカルをとるし、歌詞もあるし、アレンジも、ブリッジも、とにかくオールインで、情熱的に演奏している。それこそが、人々を再び興奮させるレシピなんだよ」
Bettencourt はポップ・カルチャーに再びギターを取り戻した事で、感謝さえされています。
「ある人からメールをもらったんだけど、そのほとんどがお礼のメールだった。再びロックンロールを届けてくれてありがとう!というお礼のメール。ビデオの中でギタリストがソロを弾くのを見て、あんなに興奮したのはいつ以来だろう?ってね。それが人々を興奮させているのだと思う。
もし俺が座って同じソロを演奏したら、人々は “オーケー、クールだ” と思うだけだろう。”かっこいい。彼は何か面白いことをやっている” と思うだけだろう。俺はそういう演奏はしない。例えば、”Other Side Of The Rainbow” だ。あのソロは俺のお気に入りの1つだけど、みんなはそれほど興奮しないかもしれない。たしかにベスト・ソロではない。でも、あんなソロ、他にないだろ?つまり、あの曲にとって最高のソロなんだ」

Eddie Van Halen に捧げた “Rise” のソロも完璧ではないと Bettencourt は語ります。
「冒頭のベンド!あれは音符じゃないから、何の音を出しているかは分からない。15年前なら、”あのクソ音符をやり直そう” と、直していたかもしれない。でも、俺の中の何かに響いたんだよな。つまり、キックドラムの音に、車の衝突音を混ぜたような音だったからな。不完全さに惹かれるというかね…」
Bettencourt のソロはいつもダンサブルで、リズミカルです。
「その理由はただひとつ。俺はドラムから始めているからね。ドラムは俺にとってすべて。誰かが俺をジャムに誘うたびに、”ああ、君が望むならドラムを叩くよ!” と言うから、嫌われているくらいでね。でも、それが俺の楽器のやり方のすべてなんだ。パーカッシブに演奏するというね。ソロを演奏するときでさえも、俺にとって重要なのはリズムであり、フィーリングであり、バウンスなんだ。リズムギターの上にさらにリズムギターを重ねるような感覚でソロを弾いている。わかるかな?ドラムを叩いて、すべてのパターンを書き出すことができるような感じ。わざとじゃないんだけど、”Rise” の冒頭で音を曲げたときでも、信じてほしいんだけど、その後まで流れがあって、それがリズミカルということなんだよな」
ただし、Bettencourt にとってこれはずっと続けてきたことでもあります。
「みんな “Rise” のソロを聴いて、まるで神の再来だ、ギターのハードルが上がった!みたいなことを言ってるんだ。待てよ、俺はこれを30年ずっとやっているんだけど…。”Peacemaker Die” を聴いたことないのかよ!って思うね。”Rise” のソロと同じような感じで、”Peacemaker Die” はかなり見落とされてきたソロだ」

EXTREME には、80年代のヴァイブ、90年代のヴァイブ、どんなものでもありながら、とても EXTREME らしい存在感が常にあります。ヘヴィな曲の一方で、”Small Town Beautiful” のような映画化目前の楽曲もあって、その対比がダイナミックさを生んでいます。
「このアルバムには、映画のサウンド・トラックに収録されそうなシネマティックな楽曲がたくさんあるよね。俺が曲を書くときは、紙とペンであろうと、コンピューターであろうと、その瞬間に最初に考えるのは映像。俺は音を見る。音がもたらすビジュアルを見て、どんな映像が考えられるか、俺が見ているものは何か、そしてその感情は何かということを書いていくんだ。俺たちが撮影した “The Other Side Of The Rainbow” のビデオを見ると、場所的にとても “虹の向こう側” なんだよな(笑)。そうやって、俺たちは生身の人間であり、名声の栄枯盛衰を描いていったんだ」
EXTREME はアルバムが少ないことにも理由があります。
「”Chinese Democracy'” にあやかって、”Portugal Democracy” と名づけようかと思ったくらいでね (笑)。まあでも、アルバムが出る、あるいは音楽が出るということは、それなりの理由があるわけで、それはたいてい俺にとって良い理由なんだ。俺たちがあまりアルバムを出さないのには理由があるんだ。
とてもとても若い頃、Gary Cherone に “音楽を出すために音楽を出すのは絶対に嫌だ” と言ったんだ。たしかに、アルバムを出すたびにお金が入り、世界中をツアーすることができる。しかし、それは本当に誇りに思うものでなければならないと思う。みんなに嫌われようが愛されようが、そんなことは自分にとって結局は何の意味もない。ファンが気に入ってくれるのは、いつもオマケのようなものだ。自分がやったことが好きじゃなかったのに、みんなが自分のやっていることを気に入ってくれることほど悪いことはないんだ」

それは、THE WHO の英雄から学んだ哲学です。
「何年も前の90年代半ばに、Pete Townsend のラジオ・インタビューを聞いたんだ。深夜に車を運転していたら、DJ がこう言った。THE WHO が復活してツアーをするのはクールだ。ファンのためにやってくれるなんて最高だってね。そして、Pete がこう言ったんだ。”そんなの全くのデタラメだ。どんなアーティストであろうと、ファンのために何かをやることはない。ファンのためにアルバムをレコーディングしたとか、ツアーをやったとか言うアーティストは嘘だ” とね。
当時は、すごい攻撃的で冷たいなと思った。でも今なら、彼の言いたいことがわかる。ファンは俺たちに物事をコピーしたり、ファンに合わせることを望んでいないんだよ。何でもいいからやってみよう、そうすれば彼らは興奮する。この人たちは今、何をやっているんだろう?ってファンは、予測不可能なアッパーカットを求めているんだ。だから、アーティストとしては、自分たちのバブルの中にいて、自己中心的でわがままになり、好きなことをやらなければならないと学んだんだ。それが、ファンが俺たちに本当に求めていることなんだよ」
“Six” の制作にあたって、Bettencourt はギターのレベルアップも明言していました。
「ギタリストの友人の一人に、ギターそのものが、俺とまるで人間のような関係を持っていると話したことがあってね。ギターは置いておくだけの木の塊ではないんだよ。友人と一緒にいるのが楽しみなときもあれば、そうでないときもある。そんな友人は誰にでも一人や二人はいるもので、1年や2年会わないかもしれないけれど、会ってランチをすると、まるで離れたことなどなかったかのように、絆と理解が深まるんだ。俺はいつもギターとそんな関係だった。しばらく離れてもいいんだ。しばらくは誰かから離れる必要がある。そして、時には夢中になり、6ヶ月間ずっと一緒にいることもある。そしてそれが今の状況なんだ。
あとは、ジェネレーション・アックス・ツアーに参加したことにも刺激を受けたよ。素晴らしいギタリストやヒーローたちと一緒に演奏することで、また少し火がついたんだ」

ヒーローといえば、Bettencourt は最愛のギターヒーロー、Eddie Van Halen を失いました。
「アルバムを作っているときにも、Eddie が俺の家に来て、アルバムを聴いてくれた。もちろん、Eddie Van Halen の王座を継ぐ者はいないと言わざるを得ないよ。誰もその王座を奪えない。 Eddie は単なる “ギタリスト” ではなかったから。文化やギターの弾き方を変えてしまった人なんだ。それで、”Eddie が亡くなった時、”クソっ!俺らの世代にはもう分かり合える人たちがあまり残っていない…”と思ったんだ。若い世代で素晴らしいギタリストはたくさんいるけど、バンドで曲を作り、曲の中でソロを弾き、その曲のトーンの中でクリエイティブになれる人はあまりない。バンドの中のギタリストという”聖火”をつなげる責任と炎を感じたんだ。
このアルバムは楽しいものにしたい、ギターで楽しいものにしたい、リズムの中にソロがあるという意味で血を求めていきたいとみんなに言ったんだ。それは、Eddie Van Halen, Brian May, Jimmy Page に由来するもの。彼らは、たとえリズムを演奏していても、その下にセクションやコード的なものがあっても、ただクリエイティブだった。俺たちはジャズをやっているわけではないからね。ロックンロールをやっていて、3分半の曲で、曲はシンプルであるべきなんだけど、その中で天才的なことをするのは悪いことじゃないんだ。俺らが大好きな偉大なバンドたちは、やはりシンプルなロックソングを書いていたけど、深く見ようと思えばそこに複雑さがあったんだ」
Bettencourt はその複雑性を “層” と例えます。
「曲の中に剥がせる “層” があり、発見できるものがあった。”だから俺はそれを “Simplexity “と呼んでいるんだ (笑)。Simplicity (単純性) と “Complexity” (複雑性) をかけ合わせた造語だよ」

Bettencourt に言わせれば、ロックは過剰に知的化されすぎています。
「ロックンロールやロックバンドは、みんな自分たちがすごく手が込んでいて、すごく知的だと思いたがるが、それが何であれ、申し訳ないが、結局は大人向けの童謡を書いてるだけなんだ。それが俺らのやっていることなんだ。そして、みんなで一緒に歌う。アンセムなんだ。歌詞とメロディがちょっと大人向けってだけなんだ。それでも、もし詩を書きたいなら、ギターでやりたいことがあるなら、この “Simplexity” の世界に行きたいなら、そうすればいい!
例えば、RADIOHEAD は “Creep” という曲が大嫌いだけど、あの曲は俺の人生を変えたんだ。なぜなら、あの曲こそが “Simplexity” 究極の形だから。RADIOHEAD はそれを芸術としてやっている。でも、歌詞があり、メロディーがあり、奇妙なハーモニーがあり、プロダクションがあり、それでいて、少しスマートだから、オルタナティブと呼ぶんだ」
ポップでロックな曲の中に、大きなアイデアを盛り込むことができるという意味で、EXTREME 常に破壊的な存在でした。金曜の夜にビールを飲みながら、月曜の朝にヘッドホンをして細部まで分析できるような曲をたくさん持っています。
「その通りだ。そして、音楽はムードなんだ。曲を作る時に、テンポを選ぶのが一番の悪夢さ。曲はできたけど、この曲のテンポをどうしよう?2クリック速く、2クリック遅くすることで、全体が変わってしまうんだ。曲の雰囲気も、リフも全く変わるんだ。難しいのは、スタジオにいると心拍数が変わり、曲を作るときと認識が変わるんだよな。心境、心拍数、アドレナリン、それが変わると、曲の聴こえ方も変わってくる。ライブに行くと、全部知っているはずのプリンスやマイケル・ジャクソンの曲が、知らない曲ばかりになる。”Wanna Be Startin’ Somethin'” とかね。でも、彼らの頭の中では、録音通りなんだよな。興奮しているからなんだ」

Bettencourt は Van Halen だけでなく Prince にまで愛されていました。
「EW&F のトリビュート・ライブで Prince が Nikka Costa と座っていた。で、耳元で彼女に何か囁いたんだ。”下手くそ野郎”とかかな…って落ち込んだよ。次の日 Nikka が家に来た。”あのギタリストは世界で3本の指に入る”だって…」
プロデューサーとしても有能な Bettencourt ですが、かつては Michael Wagner といった有名人にプロデュースを任せたこともありました。
「まあ、ひとつだけはっきりさせておくと、EXTREME のアルバムは全部俺がプロデュースしたんだ。Michael Wagner は大好きだし、彼のプロダクションが好きだったから依頼したんだ。でも、結局彼を雇ったのは、彼は、俺がやっているすべての仕事を、それが曲やアレンジメントにとってどれほど重要であるかを認めてくれる人だったから。彼はそれを認めてくれたんだ。”Porno” のレコーディングのとき、彼はスタジオにいなかったんだ。あのアルバムの8割は、LAに行く前に完成していた。優れたプロデューサーは、仕事の99パーセントをやるときと、1パーセントをやるときを心得ている。だから “Porno” の時の彼は天才だったんだ…邪魔をしないという意味でね」
なかでも、今回の仕事は最高だったと、Bettencourt は胸を張ります。
「”Six” は、おそらくこれまでで最高の仕事だと思う。俺はいつも、アレンジやサウンド、演奏、技術的に優れたプロデューサーだった。でも今回は、”感情的なプロデューサー'” としてみんなを苦しめたんだ。感情やそういうものを学ぶには何年もかかる。Gary Cherone が言うには、このアルバムは彼の歌唱中で最高のアルバムだそうだ。その理由のひとつは、プロデューサーであるクソ野郎、俺だ!
良いプロデューサーは、必要なときに、怒らせるんだ。”おい、”Small Town Beautiful’、お前、きれいに歌ってるじゃないか” と言う。美しく歌っているが、感情はどこにあるんだ?っめね。Tom Morello や Steve Vai は俺が “Hurricane” を歌うのを聴いて涙を流した。もちろん、完璧なボーカルじゃないけどそこに感情があったから。技術的なことではなく、ピッチでもなく、でも…亡くなった親友 Eddie のことを歌っていたから…」

“X Out” では、人生で初めてN7の7弦を使用しました。
「ギアに関しては、長年俺と話してきた人なら誰でも、クソほど退屈な人間であることを知っている。俺は習慣の生き物なんだ。マーシャルのDSL(JCM)2000も持っている。DSLを手に入れた人は、”冗談だろう?DSLなんて。DSLなんてクソみたいな音が普通だ” と言われる。多くの人がそう言うんだ。でも、高音が2、中音が2、低音が4、プレゼンスが2で、それを大きくすると、俺の音になるんだ。俺にとってはそれがキーポイントなんだ。”X Out” では、人生で初めてN7の7弦を使った!生まれて初めて7弦ギターを使ったんだ」
EXTREME には、何も制限を受けないという内部哲学があります。”X Out” を聴いて “Beautiful Girls” を聴くと、本当に何でもありという感じが伝わります。
「最近、ある人に “Rise” は今までと違うよねと言われたんだ。そうだね、EXTREME のアルバムだからね。予想外を予想するんだ。俺らはどんなクソ忙しい時でも、アルバムを作っている時はバブルの中にいて、自分たちが好きなことをやっている、それだけなんだ。EXTREME のアルバムは、QUEEN のように自分に忠実で、自分のやるべきことをやらなければならない。
もちろん、俺たちは QUEEN とは違うが、哲学的には QUEEN によく似ている。俺たちは、自分たちがベストだと思う曲を選ぶ。とてもシンプルなことで、それぞれがとても違っていて、何でもありなんだけど、そんなことは気にしない。今こそ、古き良きロック・アルバムが必要な気がするんだ。”Six” は確かにモダンな音だけど、ヘッドフォンをして最初から最後まで旅に出ることができる。昔の名作みたいにね。つまりこれは、EXTREME 2.0 みたいなものなんだ」
QUEEN といえば、アルバムは “We Are The Champions” の逆再生で締めくくられています。
「だからまさに “Here’s To The Losers” なんだ。これはアンセムなんだ。クリスタル・パレスのためにアンセムが必要だった!(笑)」

日本盤のご購入はこちら。VICTOR ENTERTAINMENT

EXTREME JAPAN TOUR 23′ : UDO 音楽事務所

参考文献:MUSIC RADER:Nuno Bettencourt: “I told the guys, ‘I wanna go for blood on this album.’ 

METAL EDGE: Nuno Bettencourt talks Extreme’s new album, ‘Six,’ the legacy of ‘More Than Words’ and the band’s most overlooked song

BLABBERMOUTH:EXTREME’s NUNO BETTENCOURT: ‘There’s A Reason Why We Don’t Put Out A Lot Of Albums’

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【VICIOUS RUMORS : THE ATLANTIC YEARS】 JAPAN TOUR 23′


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH GEOFF THORPE OF VICIOUS RUMORS !!

“Saint Albert Was a One Of a Kind. We Were All Like Brothers…Sharing The Stage And Creating Music With Him Was Something Artist Dream About.”

DISC REVIEW “ATLANTIC YEARS”

「我々はスピードとメロディーをミックスしている。とにかく自分たちに忠実でありたいと思ったんだ!VICIOUS RUMORS はパワー・メタルのパイオニアだと言う人もいるけど、ある意味、我々はヘヴィ・メタルにスラッシュ、ブルース、アトモスフィア、真のメタル的なシンガロング・アンセムをオリジナルな方法でミックスしていたんだよ。我々は決してフェイクな何かになろうとしたわけではない。そこには常にパワーがあったからパワー・メタルなんだ」
サンフランシスコのベイエリアは、1980年代初頭におけるメタルの揺籠でした。この街の雰囲気は実験的な試みを許容し、特にスラッシュ・メタルはこの地の自由な追い風に乗って成功を収めていきました。スラッシュは確かにこの地で飛躍し、世界を征服していったのです。
「スラッシュは常に私たちの周りにあったよ。スラッシュとの相性は今日でも強力だよ。私はそれが大好きだからね…ただ、私たちはより幅広いバリエーションを持っていて、LED ZEPPELIN のようなアプローチを自分たちのヘヴィ・メタルに適用したかったんだ!」
現在のエクストリーム・ミュージックの基準からすると、当時のバンドのほとんどは今よりずっとメロディックに聴こえます。つまり、エクストリームとメタルの基準がまだ曖昧だった逢魔時。そんなベイエリアで産声をあげた VICIOUS RUMORS は完全なスラッシュ集団になるつもりこそありませんでしたが、それでもスラッシュと同等のエッジがあり、同時にメロディがあり、新しい、よりハードな音楽の辛辣さだけでなく伝統的な要素もあり、音楽的な幅の広さでは彼の地でも群を抜いていたのです。
「”Digital Dictator” は、クラシックなラインナップの始まりであり、Carl Albert の最初のアルバムだったから、いつだって特別なアルバムと言えるだろう。あの頃は、とてもエキサイティングな時間だった!アトランティック・ブルー (90年のセルフタイトル “Vicious Rumors”) のアルバムは、ある意味、最初のメジャー・レーベルからのリリースということで特別だね…」
硬軟の傑出したギター・チーム Geoff Thorpe と Mark McGee、ドラマーの Larry Howe、ベースプレイヤーの Dave Starr、ボーカリストの Carl Albert からなる5人組はすぐに有名になり、絶えずツアーを行い、JUDAS PRIEST の “Screaming for Vengence” をスラッシーにドーピングしたような名作 “Digital Dictator” で巨大企業アトランティック・レコードの目に留まることになりました。そうしてバンドは緊密なユニットとなり、精密機械のように動作して、”アトランティック・ブルー” と呼ばれるセルフタイトルを90年にリリースします。
“90年代を定義するメタル・アルバム” と称された “Vicious Rumors” は、タイトなリフとリズムが火山のように噴火し、5オクターブの並外れたボーカルが雷鳴のように轟きます。オープニングの “Don’t Wait For Me” が激烈でスラッシーな一方、”Down To The Temple” では DIO 時代の RAINBOW、”The Thrill Of The Hunt” では IRON MAIDEN を彷彿とさせ、その輝かしい伝統と新風のミックスはメタル・コミュニティ全体に広く、素直にアピールする魅力的なものでした。
「私たちは VICIOUS RUMORS のヘヴィ・メタルでパワフルな日本の夜を過ごし、最初のショーの後、楽屋に向かったんだ。するとプロモーターがやってきて、”もう一度だけアンコールをお願いします” と言うんだ!誰も会場を出ていないからとね!私たちはとても驚いたよ!再び出ていくと客電はついているのに、まだ満員のままだった!!! 私たちは再びライブハウスを揺るがしたよ。この経験は決して忘れることはないだろうね!」
91年の “Welcome to the Ball” も好評のバンドはその勢いを駆って1992年に来日し、ライブ・アルバム “Plug In and Hang On – Live in Tokyo” をリリースします。オーバーダビングのない、生の興奮と情熱を反映した作品は間違いなく VICIOUS RUMORS の絶頂期を捉えたもので、ダイナミックな演奏の中でも特に、生前の Carl Albert の “凄み” を存分に見せつける絶対的な記念碑となったのです。
「聖アルバートは唯一無二の存在だった。彼の半分ほどの才能しか持たないようなボーカリストたちが、巨大なエゴを持ち、小切手を切っているんだ。その才能はお金に値しないのにね。彼は後世の多くの人に影響を与えた。私たちは皆、兄弟のようだったよ…彼とステージを共有し、音楽を創り出すことは、アーティストとして夢のようなことでさえあった」
1994年に5枚目のアルバム “Word Of Mouth” をリリースした翌年、Carl Albert が交通事故で亡くなり、バンドは兄弟を失い、メタル世界はずば抜けたボーカリストを奪われました。それでも VICIOUS RUMORS は絶望の淵で踏みとどまり、インタビューイ Geoff Thorpe を中心に今日までコンスタントに、諦める事なく、”意味のある” メタルを届け続けています。そんな彼らの不屈は “アトランティック・イヤーズ” における再評価の波と共に実を結び、遂に今回、16年ぶりの来日公演が決定したのです!VICIOUS RUMORS is Baaaaack!!
今回弊誌では、Geoff Thorpe にインタビューを行うことができました。「日本のファンのみんなも素晴らしかった。空港や駅で私たちを待ってくれて…彼らがどうやって私たちの居場所を知ったのかわからないよ!」 Geoff が歌っていたアルバムも悪くないし、隠れた異才 Mark McGee をはじめとして、Vinnie Moore, Steve Smyth, Brad Gillis など彼のギター・パートナーとの対比の妙もこのバンドの聴きどころ。どうぞ!!

VICIOUS RUMORS “THE ATLANTIC YEARS” : 10/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【AVENGED SEVENFOLD : LIFE IS BUT A DREAM…】


COVER STORY : AVENGED SEVENFOLD “LIFE IS BUT A DREAM…”

“We Kind Of Know The Rules Of Music, And This Record, We Were Able To Just Go Break All The Rules”

LIFE IS BUT A DREAM…

AVENGED SEVENFOLD は、常に自分たち独自の方法で物事を進めることで、モダン・メタル最大のバンドのひとつとなりました。それでも、フロントマン M. Shadows にとって最新作 “Life Is But A Dream…” の変化は我ながら衝撃でした。
「ショックだった!プログレッシブなザッパのようなものから、突然ファンク、DAFT PUNK、そしてフランク・シナトラやオズの魔法使いのようなものへと変化していく。こんなの初めてだよ。よし、これはすごいぞ!という感じだった。最近では、100 gecs とかと同じ衝撃。彼らの曲を聴いたら、”脳みそが花火になったみたいだ” って思ったんだ。でも、とてもうまくできている。音楽を作る人間として、”これは表面上のものではない” と思ったんだ」
しかし、彼は常にそう確信していたわけではありません。ギタリストの Synyster Gates と一緒に車に乗っていたとき、Shadows はバンドメンバーに向かってこう尋ねたのです。
「このアルバムはそんなに突拍子もないのか?」 と。Shadows はあまりに長い間、このアルバムとともに生きてきたため、衝撃はいくらか薄れて “普通” に感じられていたのです。
しかし、Synyster は友人の心配とは違う解釈をしていました。
「このアルバムは、アレンジやプロダクションの観点から、奇妙でクレイジーでファックな作品だよ。そして多分、Shadows が言いたかったのは、ソングライティングの構造。今までは考えもしなかったんだけど、このアルバムは僕らの中で最も子守唄的で親しみやすいアルバムかもしれないということなんだ。ソングライティングは、私たちのベストだと思う。40歳が18歳の道具を使っているような音にならないように、どれだけめちゃくちゃにできるか試してみたかったんだ!」
Shadows と Synyster は、以前 “論争的” なレコーディング過程を経験しているため、今ではほとんどすべてにおいて意見が一致するようになりました。むしろ、お互いのことを “いい人” とさえ思っていると、Synyster は笑います。つまり、AVENGED SEVENFOLD は、”Life Is But A Dream…” で極限まで自分たちを追い込みましたが、全員が同じ方向を向いているのです。
最近の彼らは、可能な限り “小さなことは気にしない” というアプローチをとっており、新曲は絶対的な真剣さで扱われたものの、人生とキャリアに対しては常にポジティブな意思が貫かれています。

人工知能やビッグバンといったテーマに思慮深く取り組んだ2016年のプログ大作 “The Stage” のあと、パンデミックで深い実存的危機を経験したフロントマンは、”人間の完全な経験” について思いを巡らせはじめました。
「AIのオーバーロードの可能性について語るよりも、ずっとエモーショナルなレコードだよ。いつか必ず起こるであろう “自分が存在しない世界” について考え始めると、その衝撃が心に響いて、フリーズするんだよね」
今作はより心に響く内省的な作品だと、Synyster も同意します。
「実存主義。この言葉を知っている人も知らない人も、みんなそれを経験している。ある時点になると、”人はみんな死ぬんだな…待てよ…みんな死ぬのか!” って思うでしょ。そして、子供ができて、”子供もいつか死ぬんだ…” と思う。そして、それはあまりにショッキングな事実だ。人生で感じる “平凡” は、実は人生の報酬なんだよな。子供たちと映画鑑賞を楽しんだり、練習に連れて行ったり、感謝祭に両親を訪ねたり。めんどくさくてつまらないことが実は、人生をより楽しいものにするための鍵になる。だって、長生きすれば、愛する人を全員失うか、自分が死ぬか、どちらかになるからね。その覚悟が必要だし、その意味を知る必要がある」

Shadows は、このアルバムの実存的な歌詞のテーマを十分に生かすために、5-MeO-DMT(ガマの毒として知られる)というサイケデリックドラッグに手を出しました。その高揚感は、信じられないほど洞察力に富ませ、目を見開かせるものでしたが、自我を破壊するような体験は、彼を精神的な危機に陥れることにもなりました。
「あの体験は、俺が必要としていた “転機” だった。だけどおかげで、6~8ヶ月間、実存的な危機に陥ったんだ。家から出られず、スポーツもできず、ジムにも行けず、何もできない、今までで一番深い鬱状態になったよ」
フロントマンはそこから、重要な意味を持つ啓示を受けました。
「俺たちは短い間しか生きられないんだ。だから、大胆に音楽を作らなきゃ!俺たちは、人生においても、芸術においても、映画においても、本当に大胆な瞬間を探し求めていたんだよ。究極的には、人生に目的なんてない。そのことに気づけば、あとは好きなことをすればいい。すべての扉を開けたようなものだよ。道徳は崇高な存在から与えられるものじゃない。人は本来、善良な存在で、何が正しくて何が間違っているのか、誰かに教えてもらう必要はないんだよ」
Synyster は、良い曲ばかりを集めたアルバムは地球上に存在しないと考えています。彼のお気に入りのレコードでさえ、”完璧なものではない” と。その理由はインストゥルメンタル・トラックが含まれているから。
「インストは、気に入りのアルバムをAプラスからBにする。俺はいつも完璧なレコードを書きたいと思っていたんだ。4,000万枚売れるようなレコードではなく、2、3年後に振り返って、”無駄な脂肪がある” と言われないようなレコードをね。インストは脂肪だよ。だから、”The Stage” の15分のほとんどインストな “Exist” にもボーカルパートがあるんだ!」

ただ皮肉にも、A7Xのニューアルバムにはインストゥルメンタル・トラックが収録されています。4分半の見事なエンディング・タイトル・トラックで、Synyster は武器のギター・アックスではなく、ピアノでその音楽的才能を披露しています。彼はクラシック音楽の教育を受けていないため、1日2時間以上練習し、数年かけてこれを完成させました。それだけでも大変なことですが、そこにはさらに複雑な問題がありました。Synyster は自分のピアノでしか演奏ができなかったので、プロデューサーのジョー・バレッシが彼の家に来て、そのピアノを録音するためのスタジオを作らなければならなかったのです。Shadows は、なぜ A7X が7年間もアルバムの間隔を空けなければならなかったのか伝わるだろ?と笑います。
「あれは、Synyster が長男の出産の影響で MIDI(プログラム)で書いていた時だから、10年前、ほぼ11年前だ。そして、彼は俺と妻にそのデモを送ってくれたんだ。毎晩、ヘッドフォンで MIDI バージョンを聴いていたよ。このレコードはとても重く、感情的で、最後の方は、ジャック・ニコルソンの “シャイニング” を想像していたね。最後のシーンを思い浮かべながら、このシンプルなピアノ、つまり生のむき出しのピアノを聴いたんだ。そして、この曲をレコードの最後に入れる必要があると Synyster を説得したんだ」
Synyster は Shadows の気持ちを受け止めました。
「とても光栄に思うと同時に、とても心配になったよ!最近はあまり恥ずかしさを感じないだけど(笑)、これはさすがに “俺を見て” という感じだから、ちょっと恥ずかしかったな。自分が書いて弾いたクソみたいな蛇行したピアノ曲を AVENGED SEVENFOLD のレコードに入れるというサポートがあったことに、とても感謝しているんだ。つまり、これ以上の友人、これ以上のバンドメイトを求めることができるだろうか?そういうサポートがあることにどれだけ感謝しているか、言葉にできないよ。だから、このアルバムは完璧じゃない。でも、俺はそれを冷静に受け止めているし、心から誇りに思っている」

バンドが “Life Is But A Dream…” が “完璧” でないことを指摘する理由は他にもあります。例えば、Shadows がアルバムの中で最も感動的なリサイタルを披露する壮大な “Cosmic”。
「あれは俺の最高のボーカル・パフォーマンスではない。でも、リアルに感じられるだろ?こういう作品を作る上で、それは重要な側面だと思うんだ。完璧でなければならないとか、パワフルでなければならないとか、そういう昔の、昔の、昔の作品とは全く違う哲学があるんだ。完璧ではない真のパフォーマンスをすることの方が、長期的には愛着が湧くし、クールだと思うんだ。俺は今、完璧さがまったく気にならない場所にいて、それがとても気に入っている。技術的に優れているかもしれない完璧なテイクよりも、今あるものを映し出せたらなって」
Synyster にバンドメイトの “リアル” なボーカルについて尋ねると、彼は文字通り鳥肌が立つような表情を見せます。
「彼の歌唱は、とても信じられるものだ。そして、彼の歌詞はとてもフリーキーだ。このレコードで彼が言っていること全てに感動したんだ。彼が触れている様々な事柄は、すべて心と魂から伝わってくるものだ。ある意味、昔の彼のような音にはならないように意識的に努力した部分もある。あの時代に入り込んでしまい、自分たちがどこから来たのかを思い知らされるような気がするからね。俺たちは、この作品を自分たちのものにして、一から作り直したいと思っていたんだ」
しかし、このバンドのルーツが無視されているわけではありません。実際、”Life Is But A Dream…” は、パンク、メタル、フラメンコ、スラッシュ、ハードコアの融合である “Game Over” で幕を開けるのですから。しかし Shadows は、次の50分間も同じことが続くとは限らないと嘯きます。
「紆余曲折の末に完成した作品だ。俺らが影響を受けたのは、アビーロードみたいなもので、途中まではビートルズっぽいんだけど、そこからまたカオスに追い込まれる。そこが俺らのマインドセットだった。騙したわけじゃないよ (笑)!いかに人生が短く速いものなのかを示したかった。ある日、瞬きをしたら、80歳の死に際で、”どうしてこうなった?自分が望んでいたことができたのだろうか?” ってね。

アルベール・カミュの1942年の小説 “異邦人” やアウトサイダー・アーティストのウェス・ラングの作品にもインスパイアされています。
「”Mattel” のコンセプトは、マッシュルームを少しやって、犬を散歩させていたときに思いついたんだ。”他の国ではそれが普通なのかどうかわからないが、南カリフォルニアでは水を節約するためにみんなフェイクグラスを使う。家は完璧に見えるけど、外にいる人たちはまるでトゥルーマン・ショーみたいだ」
インダストリアルなリフから、オーケストラやオペラのような要素、そして曲の後半にあるプログレッシブなソロのブレイクまで、”Nobody” は生まれ変わった A7X を象徴するような楽曲。
「俺にとって、”Nobody” はアルバムのちょうど中心に位置していると思う。歌詞の中にとても深みがある。この曲は、俺たちがどんなコンセプトで、どんな精神状態から作ったかを完全に表現しているね。
俺たちはこの惑星に生まれ、成功とはお金であり、成功とは素敵なもの、金の鎖などであると教えられてきたということがよく描かれている。そして現実は、”もっと勉強を、もっと仕事を、もっと金を!” みたいな苦行の中に置かれる。家族や教師は、”あなたは素晴らしい!” と言い続ける。そしてある日、目が覚めると56歳で、”俺は人生をかけて働いてきた…それで?” と思うんだ。
つまり、人生は旅なんだ。目的地なんてないんだよ。”We Love You” は、俺たちが生きているこの世界の窮屈さ、何を成功と受け止め、何を勝者と受け止めるかを、とても皮肉に表現しているね。”Nobody” はリフがとてもキラーで、まるで虫のよう頭に穴を開けると思うんだ。プログレを意識することなく、とても面白いアレンジになっているし、シリアスな雰囲気が漂っている。意味のある、重みのあるものを提供しようとしているんだ。とても重みがあるんだよ」

アルバムのフィナーレを飾る “GOD” の3曲は、Shadows にとっても “攻め” た組曲です。
「”Life Is but a Dream…” は、”G”, “(O)rdinary”, “(D)eath” の3曲からなるめくるめく組曲で締めくくられる。これは A7X の全作品の中で最も野心的だと言えるかもしれない。このアルバムのジャンルを超えた折衷主義を象徴するというかね。この3曲は1つの曲として作ったんだけど、横になって続けてボリュームを下げて聴いていたら、突然心臓発作を起こしそうになったんだ。OK、これはあまりに変だと思った。STEELY DAN と Zappa から、Stevie Wonderと DAFT PUNK, そしてシナトラへあっという間に変わってしまう。自分の音楽で自分をビビらせたことは今までなかったんだ」
完璧ではないと言いながらも、”Life Is But A Dream…” のすべては100%意図的に作られています。信じられないほどの緻密さは、今も昔もA7X のやり方であり、特に Synyster はそれを気に入っています。
「俺は世界一偉大なソングライターではないけれど、自分には容赦がないんだ。心の底から好きで、アレンジして、作るのが待ちきれないようなものに出くわすまでは止めないよ。そしてそれは、膨大な時間と、エネルギーと、執念と、少しでもアレルギーのあるものに対するクソみたいな態度が必要なんだ!今日ここに座って、純粋に “自分たちが作ったアートが大好きだ” と言えるくらいにはね。ロックは少し型にはまった音楽になってしまったと思う。このアルバムが、その限界を超えるためのインスピレーションになればいいなと思っているんだ」
LINKIN PARK の Mike Shinoda もこの壮大でガッツ溢れる作品を気に入っていると Shadows は興奮します。
「”4歳児がキャンバスに絵の具を投げつけているのとは違うんだ。君らは何をやっているのか理解しているんだから。君らは今まで美しい絵を描いてきたけど、今、キャンバスに絵を描くと、それは芸術になっている” と言ってくれた。つまり、音楽のルールを知りながらすべてのルールを破ったから、より意味があるんだとね」

Mike の言葉はまったくもって的確です。8枚のアルバムをリリースした AVENGED SEVENFOLD。Synyster は同じメタル作品を何度も何度も焼き直すよりも、芸術を追求することを望み、この場所にたどり着いたことに喜びを感じています。
「俺たちはこんなにも奇抜でイカれたアイディアを持っているのに、”なぁ、Johnny、これを演奏してくれないか?” と言えるんだから、このバンドは本当にすごいよ。Zacky Vengeance のような男のところに行って “クレイジーなコードなら何がある?” あるいは Brooks のところに行って “モダンなグルーヴのザッパが必要なんだが、どうだ? DAFT PUNK が欲しいんだ。初期の METALLICA が欲しい” とかね。パートをこなすだけでなく、革新的で新鮮な空気を吹き込むことができる男たちがいるんだ」
しかし、ファンのすべてが Mike Shinoda の波長に合わせられるというわけではありません。実際、Twitter で定期的にファンと交流している Shadows は、SNS の陰鬱な面を見るのに慣れていて、時々投げかけられるくだらない言葉を受け流すことができます。
「コメント欄で、”こいつら、もう曲の作り方を知らないんだな” とかね。”Bat Country みたいな曲をもっと作ってほしい” とかもある。あるいは、”彼らは(故ドラマーの)The Rev と一緒に死んでしまった” と言う人さえいる。そして、俺が書いた曲の数々まで、The Rev が作ったことになる。それは誰かが死んだときに起こることで、 “彼がこれとこれとこれを書いたから…” と言われて、”いや、本当は俺が書いたんだけど、まあいいか” みたいなことになる。でも、Rev はこのアルバムに興奮すると思うよ。ヤツはいつも新しいことに挑戦する先導者だったから。”Mattel” には Rev が昔書いたパートも使われていれる。だから、この先、新しいことをやっていく中で、ネガティブなものばかりが目につくようになることはないだろう」

つまり、Synyster に言わせれば、A7X は自分たちや自分たちのヒーローを “再利用” することをもうやめたのです。
「新しい領域、新しいアプローチ、新しいテクニックを探求する時期だったんだ。バンドの誰もアンプに繋いで、音を大きくして、俺たちのリフ、PANTERA のリフ、METALLICA のリフの焼き直しを書きたくなかったんだ。でも、だからといって、ギター中心であってはいけないというわけではないよ。今回、オーケストラ以外のもの、シンセパートまで全部ギターなんだ」
Shadows はまた、バンドの特定の時代のファンが新曲にどう反応するか、様々なアルバムへの愛着が今のA7X の活動を受け入れるか拒むかをよく考えています。例えば、2003年の “Waking The Fallen” や2005年の “City Of Evil” にしか興味がない場合、それは場合によっては “妨げ” になるのではないかと彼は考えています。
「俺らのやることはすべてメイクアップとデュエル・ギターとスピード・ドラムだと思っている人たちがいるけれど、俺たちは12年間それをやめているよね? だけど、人々はまだ俺たちをその箱に入れたがる!
もちろん、純粋なメタルシーンは常に存在すると思う。常に脈を打っている。ただ、革新性はないと思うし、ファンが革新的なものに対してオープンマインドでいられる能力もないと思う。素晴らしいソングライティングも少し失われてしまったように思うね。同じようなアルバムを出すだけというのは、ファンに対して失礼だと思う。再利用というか。レコードを聴き、AIを装着して “こんなレコードが欲しい” と言えば、それはおそらく作ることができる。
だから、バンドが同じものを何度も提供しようとするのは罪だよ。彼らは創造的でないだけでなく、リスナーを馬鹿にしているのだから。レコードを作らなければならないからアルバムを作っているだけかもしれないね。俺はバンドが “言いたいことがあるとき” にアルバムをリリースすることを望んでいる。メタル以外にも世の中には素晴らしいアートがたくさんあって、素晴らしいポップス、素晴らしいヒップホップ、素晴らしいR&B、そして本当にエキセントリックなことをやっているアーティストもいるんだよ」

ただし、このアルバムの背景、人生の壮大な計画の中で、そんなことはどうでもいいということを、Shadows は理解しています。コメント欄、ソーシャルメディア、速いペースで進む世界…しかし M.Shadows はそれよりももっと大きなことを抱えています。
「今の世の中、俺は不安でいっぱいで、注目を浴びることができず、何らかの牽引力を得ることができないかもしれない。でも俺はそれを美しいと思うし、選択肢がたくさんあることを面白いと思う。だから、自分のメッセージを言って、アートを出すだけでいい。アーティストが自分のやりたいことをやり続け、より深く掘り下げることができるのは、自由なことだよ。なぜなら、今は80年代でも90年代でも2000年初頭でもないのだから、自分が思っていたようなフィードバックやトラクションを得ることはできないよ。大丈夫」
しかし、最終的には、”Life Is But A Dream…” は、意図した場所に届くはずです。
「”メイクアップとデュエルギター” の枠に入れられたら、その枠が好きでない人たちがこのアルバムを気に入るチャンスがなくなってしまう。昔の作品を求めている人も大勢いる。で、どうするんだ?(笑) また昔のような曲を書くのか?それとも、他の人たちに聴いてくれるように頼むのか?結局、何もすることはできないんだ。だけど、ただ存在していれば、きっとみんな見つけてくれる」

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参考文献: KERRANG! Avenged Sevenfold: “Just say your message and put the art out there. Artists should do what they want and explore deeper rabbit-holes”

REVOLVER: 5 THINGS WE LEARNED FROM OUR AVENGED SEVENFOLD INTERVIEW

Avenged Sevenfold’s Synyster Gates Explains One Thing That’s Wrong With Rock Music Today

M. SHADOWS: AVENGED SEVENFOLD Was Able To ‘Break All The Rules’ Of Music On ‘Life Is But A Dream…’ Album

COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【KING’S X : THREE SIDES OF ONE】


COVER STORY : KING’S X “THREE SIDES OF ONE”

“I wrote lyrics with my age in mind, so it has become sort of my mantra for what I’m doing for the rest of my life”

THREE SIDES OF ONE

これまで、KING’S X ほど見過ごされてきたバンドはいないかもしれません。ただし、dUg Pinnick, Ty Tabor, Jerry Gaskill の3人は、チャートのトップに立つことはなかったかもしれませんが、熱心なファンの心には深く刻まれ続けています。
80年代半ば、このトリオはテキサス州ヒューストンに渡り、メガフォース・レコードと契約。”Out of the Silent Planet”(1988)、”Gretchen Goes to Nebraska”(1989)、”Faith Hope Love”(1990)と、口紅とロングヘアのゴージャスな時代において、あらゆるジャンルの規範を無視した伝説のアルバムを3枚録音しました。
だからこそ、90年代初頭には、多くの仲間のロックバンドを虐殺したグランジの猛攻撃から免れることができたのかもしれません。音楽界の寵児として、また “次の大物” として、KING’S X はアトランティック・レコードに移籍し、セルフタイトルのアルバム(1992)を録音しましたが、残念ながらビルボードに並ぶほどの成功は得られませんでした。それでも彼らは、90年代から2000年代にかけて、感情を揺さぶる、音楽的に豊かなアルバムを次々と発表し続けました。
そうしてロックミュージックで最も露出の少ないバンドは、2008年に突然沈黙するまで、自らの道を歩み続けたのです。
休止中も、dUg は KXM や GRINDER BLUES で音楽を作り続け、自身の名義でレコードをリリースするなど、ゲリラ戦士として戦いを続けていました。クリエイティビティに溢れるベーシストは KING’S X の終焉を考えることはありませんでしたが、一方で、次のアルバムも必ずしも期待しているわけではありませんでした。こうして14年という長い間、KING’S X はただ沈黙を守り続けました。世界は変遷し、新しい現状が形成され、KING’S X はもはや時代の一員ではなくなったかに思われました。
しかし、14年という長い年月を経て、その門戸は開かれます。ついに彼らは再び一緒に作曲し、レコーディングすることを決断したのです。その経緯を dUg が語ります。
「72歳になるんだけど、歳を重ねた実感があるんだ。自分の年齢を意識して歌詞を書いたから、アルバムは残りの人生をどうするかという詩的なマントラのようなものになった。基本的に、私は人生が終わるまでなんとか乗り切るつもりだ。世の中が見えてきてね。友達のこと、Chris Cornell, Chester Benington, Layne Staley…死んだり自殺したりした人たちのことを考えると、ただただ痛くて、”自分は絶対にそんなことはしない” といつも思っている。人生を乗り切るためには、麻酔をかけられなければならないだろう。けど、あの世で何が起こっているのかわからないし、この世で惨めで痛い思いをしてまで、何も知らないあの世に移りたいなんて馬鹿げてる…それが私の論理なんだ。だから、アルバムはそういうところから生まれたものなんだ」

たしかに、”Three Sides of One” は、一見すると瞑想的な作品に見えます。
「まあ、メンバーはレコードを作りたくなかったんだ。なぜなら、作るなら今まで作ったどの作品よりも良いものでなければならなかったから。これまでは、自分たちがやったアルバムのレパートリーに加えるべきものがあるとは感じていなかったんだ。だから、14年かかってようやく “よし、これはいけるぞ” と思えたんだ。私自身は、初日から準備万端だった。14年の間に、いくつかのサイド・プロジェクトを立ち上げたり、いろいろなことをやっていたからね。私が持ち込んだ曲は27曲で、全部新曲だし、Jerry と Tyも何曲か持ち込んでいて、それも全部新曲だ。それで、リストに載っているものを全部、十分な量になるまで実際に覚えていったんだ」
アルバムのタイトル、”Three Sides of One” は3人が共有する生来のケミストリーを表現しています。
「いつもは、アルバムの名前は決まっているんだけど、今回は誰も思いつかなかったんだよね。それで、マネージャーが “Three Sides of Truth” と言ったんだけど、私は、なら “Three Sides of One” はどうだろうと思って、みんなが、ああ、それならいいと言って。そして、そこから出発したんだよ。しばらくすると、子供を持つのと同じで、名前はそれほど重要ではなくなるものだ (笑)」
アルバムには、歳を重ねた3人の自然な姿がさながら年輪のごとく刻まれています。
「Jerry は、基本的に臨死体験から多くの曲を書いている。そして Ty は、今の生活を観察して曲を書いた。私も同じで、72歳になるんだけど、世界が今までの人生とは違って見えてきたんだ。だって、今まで生きてきた距離に比べたら、もうそんなに長くは生きられないんだとやっとわかったからね。そして、そのことについて話したり歌ったりしたかったんだよね。70歳を迎えて、私にとって一番大きなことは、今の世界をどう見ているかを詩的に歌詞にすること、そして同時に自分の周りで起こっていることを書くことだった。政治や人々が憎しみ合う様子など、でたらめなことが起きていることは分かっていたんだ。それを歌うんだけど、ただ説教しているように聞こえたり、すでに聞いたことのあるようなことを言ったりしないように、工夫しているつもりなんだ。
今は、言葉に気をつけないと、アメリカでは自動的に批判される。私は問題を解決するのが好きなんだ。私の問題は、直せないものを直そうとすること。私はいつも、なぜ世界がうまくいかないのかを論理的に解明しようとしてきた。ある意味、人は全員とは分かり合えないというのが結論なのかもしれない。だから、年齢は私たち全員に影響を与えたと思うんだ。また、Jerry はバンドに曲を提出することはあまりない。でも実際は、彼の曲が全員の中で一番いい曲だと思うこともあるんだ。だから曲を持ってきてと言ったんだ。自分たちのアルバムにするために、本当に頭を使ったんだよ」

dUg は今回、”慣れ親しんだバンドでありながら、新しいバンドにいるような気がする” という言葉を残しています。
「新しいバンドに入ったという感じではなく、自分たちを再発見したという感じだと思う。なんというか、”自分は実はいいやつなんだ” と気づくような感覚なんだ。わかるかな?結局、スタジオからずっと離れていて、演奏し始めると、疑心暗鬼になるんだよね。つまり、私たちはいつも自分たちのやることなすこと全部が嫌で、本当のアーティストらしく、自分の芸術に対して否定的なんだ。でも今回は、最初に作った曲のとき、スタジオに行ってベーシックなトラックを聴いたら、生まれて初めて “おお、すごいな!” 思ったのを覚えているよ。やっとわかったよ…と。私たちの演奏には、欠点ばかりに気を取られていて気づかなかった何かがあるんだよな。だから、とてもエキサイティングで、もっともっと探求したくなったんだ」
その新たなマインドは、アルバムの歌詞の内容にも表れています。
「絶望的に見える世界の状況も、人類に何らかの救済や和解があることを願いつつ、それが歌詞に深く刻み込まれている。まあ、自分の周りで起こっていることを考えただけなんだけど。”Give It Up” は、私の気持ちを代弁してくれているような気がするね。私はライトが消えるまで、絶対に諦めない。Layne, Chris, Chester…友達が自殺していくのを見てきたんだ。クリスが死んだ頃にこの歌詞を書いていて、思ったんだよ。”ライトが消えるまで、絶対にあきらめないぞ” と。だって、死後の世界に何があるのかわからないし、そこを好きになれないかもしれないから。だから死ぬことは考えないよ。今できることを精一杯やりたい。最後に麻酔をかけられるまで、ずっとここにいたい。これが私の知っているすべてで、終わるまで乗り切るつもり。それが私にとっての知恵だから。それ以外のことは、他の人が決めることだけどね」

“Swipe Up” は時代を反映した楽曲。
「この曲は Jerry がジョン・ボーナムのスイッチを入れているね。インターネットや iPhone を利用しているときの体験がテーマになっているんだ。私たちはただスワイプし続けるだけで、アルゴリズムが自分だけの小さな世界の中で欲しいものを与えてくれる。だから、この曲は全部それについて歌っているんだ。iPhoneの小さな世界で生きていることについて」
テクノロジーの進歩は、音楽全般に対して悪影響を及ぼしているのでしょうか?
「進歩が起これば芸術も変わる。そういう観点では考えていないよ。例えば、最初のドラムマシンが登場した時、多くのドラマーが職を失った。しかし、突然、ドラムマシンのような安定性とタイミングを持った機械が登場したことで、私たちは皆変わり、クリックトラックで演奏するようになり、ドラマーはより良くなったんだ。オールドスクールはまだ存在して、まだレコードを買い、CDを買っている人もいるけど、新しい世界では音楽の見方や聴き方が違うよね? 彼らは iPhone で音楽を聴くし、彼らが好きな音楽も全然違う。それが “彼ら” の音楽なんだよ。
私が若い頃、THE ALLMAN BROTHERS を聴いていたら、親が “そんなのブルースじゃない” と言うようなものさ。よく、”BB KING を聴きなさい” と言われたものだよ。つまり、進歩とは、そこから何を学ぶか、そして自分の芸術をどのように変化させるかということなんだ。私は、すべてのことをポジティブにとらえるようにしている。難しいけどね。ナップスターが登場したとき、みんなが我々の音楽を配り始めて、それは最悪だった。それで、私たちはひどい目に遭ったよ。でもね、それでどうなったか?私たちは、人々が買ってくれるような素晴らしい商品を作る方法を学ばなければならなかったし、人々が私たちのライブを見に来るような良いコンサートをやらなければならなくなった。自分に起こることはすべて、自分なりの方法で適応していくしかないんだ。あの出来事で泣く人がいるなんて、そんなの戯言だ。泣いてばかりじゃダメだ。立ち上がって、やり遂げるんだ」

ネットがもたらしたものとその弊害にも言及します。
「人との関係において私が常に念頭に置いているのは、相手の行動を理解し、自分の気持ちを明確にして、争いのない方法でお互いに共存できるようにすることなんだ。私はいつも、平和を作るための新しい方法を探している。昔、このことを歌にしたことがあってね。私の人生は、どうやって人と良い友達になるかの積み重ねだった。彼らを知り、彼らを理解し、彼らを愛するようになることのね。
私は、人と一緒にいて、同意したり、反対したりして、みんながうまくやっていけることに心地よさを感じていたし、そのことに満足していた。だけど突然、アルゴリズムが入ってきて、みんながYouTube やスマホなどを見ていると、ビッグブラザーが私たちの行動をすべて見ていて、私たちの好みをフィード、与えてくるようになった。それが始まって10年ほど経ったよね。遂に私たちは、スマホの向こうに同じ現実を持っている人は一人もいないというところまで導かれてしまった。一人もね。一つの信念に溺れるまでとことん与えられる。そして、突然、誰も信用できなくなり、それぞれが快適で同じ意見を持つ人だけが集まる洞穴の”部族”に戻ってしまうんだ。
インターネットがもたらしたもの、それは私たちが原始人だった頃のような “部族”を生み出したということなんだ。
私には出口がわからない。今のところ、出口は見えないよ。たとえコンピュータを全部止められても、私たちにはすでに強固な”部族”がある。そのどれもが外部からの影響を受けないようになっているんだよ。変えることができる唯一のものは、洪水や宇宙人の侵路で、全員が警戒心を捨てて人類のために戦い、何か統一的な危機が訪れることしかないよね」
アルバムのクローサー “Everything Everywhere” はまさに完璧なエンディングです。
「ビートルズのようなサウンドの曲を書きたかったんだ (笑)。観客たちが叫びながら歌っているような感じで、私のアンセムという感じ。大勢の人が手を挙げて歌っているのを見れたらいいなと思うんだ。そうしたら気持ちいいからね。この曲には真実の要素が含まれていると思う。なぜなら、私たちは皆、愛を探しているから。愛には、たわごとをかき分け、すべてを癒し、すべてを乗り越える力がある。この曲は私の家路であり、私の癒しだから」

他の作品よりも優れていなければ、必ずしもアルバムを作る必要はないということは、14年経った今、この作品はこれまでやってきたことをすべて上回るということなのでしょうか?
「ああ、そうだね、このアルバムは今までのどの作品よりも優れているね。というのも、私たちは43年間バンドとして活動してきたわけだから、何をするにしても、すでにやったことよりも良くなければならない。あらゆる意味でそう思っているよ。例えば、子供にマーカーを持たせて、 “毎日、壁に直線を引きなさい” と言うと、50歳か60歳になる頃には、その直線があまりにもまっすぐで、びっくりするくらいになるはずだ。だから、私が考えるに、自分のやっていることを続けていれば、必ず良くなる。それは当たり前のことなんだよ。
ZZ TOP や MESHUGGAH など、私たちと同じくらい長く活動しているバンドを観に行って、20年、30年前に書かれたものを今聴くと、”ああ、同じ曲なのに、どうしてこんなに素晴らしく良く聞こえるんだろう” と思うことがある。だから、私たちも同様に良くなっていると思う。曲作りに関しては、とにかく曲を作り続けて、みんながそれを気に入ってくれることを祈るしかないけどね。でも、シンプルな曲の書き方や、複雑な曲の書き方を学び、それを成功させるために、あらゆる方法で限界に挑戦し続けているんだ。それでも、誰かがつまらないと文句を言うかもしれない。だから、結局は、自分の頭の中に何があるのか、そして、世界中が納得するような曲を書きたいと思ったときに何をやり遂げることができるのか、ということなんだ。たとえそれが、おそらく実現することのない盲目的なファンタジーであっても、それは私の目標であり、実行するだけでもやりがいがあるんだ。つまり、人に伝わろうが伝わらなかろうが、音楽をやり続けること、それが僕にとって最も意味のあることなんだ」
心の中で、KING’S Xはもう二度とレコードを作らないかもしれないと思ったことはあるのでしょうか?
「本当に考えなかったよ。唯一、もう二度とレコードを作らないかもと考えたのは、Jerry が初めて心臓発作を起こしたとき。彼の奥さんからメールが来て、”Jerry が心臓発作を起こした。生きられる確率は50/50″ と。それを見て、私はベッドから飛び起き、”ああ、大変だ…私たちはもう終わってしまうのか” と思ったよ。”全世界で最高の親友の一人がいなくなるのか?バンドができなくなるのか?私が持っているもの、私たちが持っているもの、すべてを失ってしまうのか?” とね。その時に書いたのが “Ain’t That The Truth” で、これはソロアルバムの “Naked” に収録された。1週間後くらいに書いたんだけど、1行目に50/50の可能性みたいなのがあって、すごく影響を受けたんだよね。それ以外は、KING’S X の終わりを意識することはないね。だから、考えたこともないんだと思う。すごい。そう考えると、ちょっとクレイジーだよね!」

2022年はバンドが1992年にリリースしたセルフタイトルのレコードから30周年にあたりました。
「まあ、Sam Taylor との最後のレコードだったわけで、それはそれで意味があった。それまでは、KING’S Xのサウンドを最大限に追求していたと思うんだ。最初の3枚は、インスピレーションを受けたものを何でも書いて、自分自身を見つけようとしていたし、自分自身のサウンドを見つけようとしていたから、いろんな意味で実験的だったと思うんだ。でも、4枚目のアルバムになると、ある程度定まってきたよね。曲作りに関して言えば、”The World Around Me” のような曲は、私が “バックス・バニーのリフ” と呼んでいるもので、ああいうカートゥーンのサウンドが好きなんだ。あのレコードが完成したとき、私たちは気に入っていたし、サウンド的にも良かったと思うんだけど、バンドにとってはひとつの終わりであり、ある種のサウンドの終わりでもあったんだ。Sam Taylor が抜けた後、次のアルバムは “Dogman” で、Brendan O’braien は “このアルバムに何を求めているんだ” と言ったんだ…”ライブで鳴っているような音を出したいんだ。ロックバンドのようなサウンドにしたいんだ” と答えたね。だから “Dogman” では、Brendan はすべてのレイヤーを取り払って、ただひたすらレコードを作らせてくれたんだ」
KING’S X はメジャーレーベルであるアトランティック・レコードから初めて作品をリリースしたバンドでもあります。
「我々はレコード会社からプレッシャーを感じたことはない。なぜなら、我々はレコード会社に “勝手にしろ” と言えるくらい反抗的だから (笑)。私たちはいつもそうだったんだ。アトランティックの子会社だったメガフォースに所属していたんだけど、”Over My Head” が出たときに、彼らが我々に電話してきて言ったんだ。”ラジオで流れてヒットしそうな曲を書くと、いつもその真ん中に何かを入れて、すべてを台無しにするのはなぜだ?”って。こう答えたよ。 “それが私たちの音楽の書き方だからな。ピクニックの真ん中に列車の事故を置いたり、その逆が好きなんだ” ってね。だから、私たちのことを説明したり、カテゴリーに入れたりするのは苦労したよ。ある時期、私たちは音楽業界の寵児で、誰もが私たちが大成することを応援していた。でも、要するに、世の中は茶色いコーラを飲み続けるということなんだ。透明なコーラの味がまったく同じであっても、未知の味に乗り換えることはないでしょう。茶色のコーラを飲み続けるんだ。私に言わせれば、何百万も売り上げているバンドのほとんどは、自分のやりたいことをやっていない。そのようなバンドは、もう一度、本当のことをやりたいと願っているんだ」

反抗的といえば、dUg はかつてキリスト教という “権威” にも牙を剥いています。”Let It Rain” の歌詞はまさにそんな dUg の心情を反映した楽曲。”世界の終わりか新しい始まりか?救世主は?神々は? 今こそ私たちを救ってはくれないのか? 誰もが権利を主張し誰もが戦いたがっている 誰もが自分を正当化して だから雨を降らせよう 恐れを洗い流すために”
「ゲイであることを公表したとき、ハードロック・コミュニティからの反発はなかったんだ。私は声明を出したり、プレス発表をしたことはなくてね。ただ、メジャーなクリスチャン雑誌のインタビューを受けたんだ。彼らが延々と話すから、私はただ思ったんだ。”クリスチャンの偽善にはうんざりだ。私はゲイだと言って、それで終わりにしよう” とね。
今日、それは問題ではない。誰からも反発されたこともないしね。ただし、あの記事が出たときは別だった。KING’S Xのレコードがキリスト教系の店で販売禁止になったんだ。その時、私たちは “素晴らしい!これでキリスト教の汚名から逃れられる”と思った。なぜか、KING’S Xはクリスチャン・バンドと思われていたからね。当時の私たちの信仰がそうだったからかもしれないけど、今はもう誰もそうではない。イエス・キリストは救世主ではないからね。70歳になったとき、世界を見渡してみたんだ。人々にはもっと思いやりと愛が必要だと思った。”雨を降らせて恐怖を洗い流せ” というのは、いい例えだよ。つまり、私たちが問題を抱えているのは、私たちが恐怖を恐れているから。立ち上がり、”怖がるのをやめよう!” と歌う、それが私の仕事なんだ」
しかし、dUg が3歳の時、連れ去られた宇宙人はキリストのようだったとも。
「3歳だって記憶しているのは、母がまだ一緒に住んでいたから。母は私が3歳のとき去ったからね。私が寝ていると、その人が部屋に入ってきたんだ。長いブロンドの髪の毛でローブを着て、それに銀色のベルトを巻いていた。すごく背が高かったのを覚えてる。足に巻き付けるサンダルを履いていたよ。裏口から外に出て、舞い上がったのを覚えてる。私は目が覚めたばかりだったが、外はとても明るかった。その時点で何かおかしいって思って、その人物から離れようとあばれたんだ。ようやく、彼は私の手を放した。次に覚えているのは、母の膝の上にいたこと。それって、ずっと、クレイジーで馬鹿げたことだと考えていた。でも40を過ぎたとき、”Ancient Aliens” を見ていて、わかったんだ。彼らは、人間がコミュニケーションを取ったり、拉致されたという4つのエイリアンのタイプについて話していた。その一つ、Nordic と呼ばれているエイリアンが、まさに彼だった。それまでは、夢を見てたんだって思ってた。でも、40年が経ち、理解したよ。私は拉致されたんだ」

宗教は dUg にとっていつしか虐待へと変わっていました。
「ゲイは忌み嫌われる存在で、神はそれを聖霊への冒涜以外の何ものでもないと嫌ってる。聖書によれば、男は他の男と寝てはならない。私はずっとそう言われてきたけど、でも同性愛者だ。
だから、誰にも言えなかったんだよ。ある時、”じゃあ、イエスがしたようにやってみよう” と決心したね。3日間断食して、自分を”ストレート”に変えてくれるよう神様にお願いしようと思ったんだ。田舎のトレーラーに座って、2日間断食して、食べずに水だけ飲んでたよ。祈って、祈って、泣いて、神が私を変えてくれるように懇願したけど、私は何も変化を感じなかった。そして、私は立ち止まって、”あきらめます” と言ったんだ。心の奥底にあったのは、人々が言う『神をあきらめるな』『神はまだ終わっていない』『神を待たねばならない』『神のタイミングで物事を得ることはできない』という聖句のことだった。だからその時は、何をやってもうまくいかないのは、すべて自分のせいだと思った。
ほら、私にとって宗教は抑圧的なものでしかなかったから。宗教は私に何もさせてくれなかった。4、5歳の頃、教会で曾祖母と一緒に最前列に座って、牧師が “踊ったり、酒を飲んだり、夕バコを吸ったりしたら、地獄に落ちるぞ。悪魔がお前を捕まえるぞ” と叫んでいるのを聞いたのを憶えている。悪魔がやってきて私を苦しめるんじゃないかと、子どもの私は毎晩死ぬほど怖くてベッドに入った。悪夢にうなされ、叫びながら目を覚ましたものだよ。
つまり私にとっては、宗教は虐待だった。他の人はそうではないし、私はそれでいいと思う。でも、私にとっては、そうなんだ。誰かが、”ああ、神はあなたを愛し、あなたの罪のために死んだ” と言ってきたら、心の中で “くたばれ” と言いたくなる。でもその代わりに、他のみんなにそうであってほしいと思うように、その人が誰で、何を信じているかを受け入れて、その人を愛するだけだよ。
私は、多くの、多くの、多くの、多くの、真の信者がいると信じているし、彼らを賞賛し、拍手を送るよ。だけどね、宗教でお金を要求する人たちはみんな、デタラメで、うそつきさ。彼らは、人からお金を搾り取る方法を見つけた、ナルシストの集団だ。私は彼らに嫌悪感を抱いている。そして、それを信じていた人たち、今も信じている人たちに対して、悲しみを覚えるんだ。嫌悪感ではなく、悲しみなんだよね。さらに悲しいことに、私は彼らが受け入れないようなタイプの人間だから、離れていなければならないんだよね。それが悲しいんだ。でも、それが人生なんだよね」

自身では、KING’S X のサウンドをどのように “カテゴライズ” しているのでしょうか?
「私たちはスリーピースのロック・バンド。ただそれだけだよ。パンクの曲も、ロックの曲も、ファンクの曲も、同じように演奏できるんだ。ドラム、ギター、ベースさえあれば、どんな曲でも演奏できる。私たちは本当に良いリズムセクションが根底にあって、それが KING’S Xのマジックだと思う。お互いのニュアンスの中で演奏する。音楽だけではなくてね。実際、KING’S Xは、私がこれまで演奏してきたバンドの中で唯一、みんながお互いの話をよく聞いているバンドなんだ。今まで一緒に演奏した他のバンドでは、周りを見渡すとみんな話を聞いていない。お互いの言うことを聞かないし、私の言うことも聞かない。でも私たちは皆、自分たちのやっていることに耳を傾けていて、その結果、違いを見分けることができるんだ」
最近では、”ロックは死んだ” というミームも使い古されてきたようです。
「ロックは死んでいない。ただ、怠け者が外に出て音楽を探さなくなっただけだ。GRETA VAN FLEETの曲は最低だけど、でも、ああした音楽を再現している子供たちがいる。20代の若者たちがサバスや BON JOVI を同時に吸収して、本物の何かを作り出しているんだ。問題は、それをやるための場所がないことだ。彼らを拾ってくれるレコード会社もない。MTVもない。新しいロックを聴かせるFMラジオもない。誰も彼らにチャンスを与えようとしないから、みんなツアーに出ている。そういうバンドを見に行くと、会場は満員になるんだけど、誰もそのことを知らない。”ロックは死んだ” 論者たちに言いたいのは、”おい、泣くなよ。彼らはそこにいるんだ。決して変わっていない。YouTube や Tik-Tok で見るような天才たちが素晴らしい音楽をやっているんだから、そこにいるんだよ” とね。私たちが子供だったころは、MTV はあったけど、Tik-Tok や YouTube がない時代だった。だから、まったく新しい世界、新しい世代の子供たちがいて、世界に対して違う見方をしていて、私が経験することのない違う経験をしている。才能はこれからも変わらず現れるだろう。ロックは決して止まらない」

dUg は世界的に名の知れたロックスターですが、決して裕福な暮らしを送っているわけではありません。
「金がなければサイドプロジェクトをやるだけだ。レコード契約を結んで、2、3ヶ月の間、支払いをするんだ。私たちは誰も9時から5時までの仕事には就いていない。でも、私たちにできることは何なのか。私たちは市場において価値があるから、クリニックとかそういうことができる。手書きの歌詞を作ることもできる。黒い紙に銀色のインクで書き出し、サインと日付を入れるんだ。何百枚も書いたよ…それでうまくいく。それに、この歳になると、ソーシャル・セキュリティーを受けることができる。3年ほど前に社会保障を受け始めたんだ。社会保険で家賃が払えるから、心配することはなくなった。それ以外のことは、自分でできる。街角でギターを弾けば、5ドルが手に入る。友だちに電話して、”お金がないんだ。今日、ご飯を食べさせてくれないか?” と言えば、OK! となる。それに、私にはシグネチャー・ペダルと、シグネチャー・ベースがあって、みんな買ってくれるんだ。だから、時々、6ヶ月分の小切手をもらって、助かっているよ」
ロックの精神は健在でも、同時代の多くのアーティストが降参したり撤退する中で、KING’S Xが長生きできたのはなぜでしょう?
「バカだからだよ (笑)。どんな困難にも負けず、自分たちのやるべきことをやり続けたし、今もそうだ。そして、ステージに上がると、世界に対して私たちが立ち向かうことになる。このバンドは誰も解散するつもりがない。私はこのバンドを辞めないし、Ty も Jerry も辞めない。誰も辞めないよ、だってバンドを解散させる責任を取るつもりはないんだから。私たちはそんなことするつもりはない。そんな愚かなことをするには私たちは優秀すぎるんだ。だから、誰かが死ぬしかないんだ、それでおしまい。この3人のいない KING’S Xは存在しない。それはあり得ないよ。もちろん、KING’S Xのトリビュート作品は常に存在しうるし、もし私が生きていれば、それに出演することもあるかもしれない。でも、私と Ty と Jerry のいない KING’S Xは存在しないだろうし、それは私の心の中で感じていることなんだ。他の人は違う意見を持っているかもしれないけど、これが私の気持ちなんだ」

参考文献: VW MUSIC:An Interview with dUg Pinnick of King’s X

DEFENDER OF THE FAITH:dUg Pinnick (King’s X) Interview

BLABBERMOUTH:DOUG PINNICK Says KING’S X Has ‘Never Been Profitable’: ‘We All Have To Do Outside Things To Make Ends Meet’