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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【KARDASHEV : LIMINAL RITE】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH NICO MIROLLA OF KARDASHEV !!

“Young People Will Inevitably See The Cognitive Decline Of Someone Close To Them Beit a Grandparent, Aunt, Uncle, Or Parent In Their Life At Some Point And We Wanted To Capture That Moment In An Album.”

DISC REVIEW “LIMINAL RITE”

「基本的に僕たちは、ブラックメタルよりもデスメタルやデスコアの要素が強いと思っている。例えば、歌メロにしても、メタルコアとは明らかに違うからね。それに、アトモスフェリックな要素もあるけど、アトモスフェリックなブラックメタルとは違っている。最終的に、少なくとも僕にとって KARDASHEV は、デスメタルのリフやドラムワークとシューゲイザーのカスケード・リバーブを組み合わせたものだと判断し、”Deathgaze” “デスゲイズ” と呼ぶことにしたんだ」
KARDASHEV は、デスメタルとシューゲイザーの婚姻を祝いつつ、様々なフレーバーの独特なコンビネーションを生み出し、リリースごとに革命的な進化を遂げてきました。その名に仰ぐガルダシェフ・スケールでいえば、さながらメタルのタイプⅢ、銀河文明と言えるでしょうか。セカンド・フル “Liminal Rite” で彼らは、メタルの境界線をさらに押し広げ、極端にヘヴィでありながら、繊細で壊れやすい、不可能にも思える二律背反の音楽でとめどない感情の頂きに至ったのです。
「ナレーションには、リスナーが実際に向かい合う現実の認知症の人物とストーリーをつなぐ役割を果たし、アルバムを抽象的ではなく、より現実的なものにする役割があるんだよ。若い人たちは、祖父母、叔父、叔母、親など、身近な人の認知機能が衰えていくのを必ず目にするはずで、その瞬間をアルバムに収めたいと思った」
KARDASHEV は、”デスゲイズ” という独創的なジャンルの創始者であるだけでなく、歌詞の面でもヘヴィ・メタルの常識を覆します。その高齢化とは裏腹に、これまで多くのメタル戦士が避けて通ってきた “加齢” “認知症” という重さの種類が異なるテーマを、KARDASHEV は深々と掘り下げているのです。
過去に生きるとはどういうことなのか?過度のノスタルジーはいつ強迫観念となり、現在の妨げとなり、罪悪感という牢獄となるのか? “Liminal Rite” は、過度に美化された過去がいかに現在を傷つけ、誘惑し、自己破壊の道へと導くのかを探求し警鐘を鳴らしているのです。そして、リスナーが作品と現実をより強固に結びつけられるように、彼らはメタル世界ではそう馴染みのないナレーターを導入したのです。
インタビューに答えてくれた Nico は、このアルバムが忘れられた過去を喚起することで、今一度子供を強く抱きしめたり、長年話していなかった友人に電話をしたり、昔ハマっていた趣味を再開させたリスナーがいることをうれしく思っています。ただ、過去を反芻しすぎた結果、現在の混沌に圧倒されるノスタルジアのスパイラルにはまり込み、少し強迫観念的になってしまうことを怖れています。それは認知症の優しいはじまりかもしれないのですから。実際、”Luminal Rite” は、日々の生活が徐々に現実と乖離していく老人の物語。
「僕たちはポップなメタルを書いているわけではない。それは確かだ。でも、GOJIRA や ANIMALS AS LEADERS のようなアバンギャルドでもなく、ただ感情と興奮の瞬間を積み重ねる音楽を書いているだけなんだ。それが慣習を破壊することであるならば、それはそれでよいのだけど、僕たちはただ意味のある音楽を作りたいだけなんだよ」
音楽的にも、明らかに KARDASHEV はメタルの過去や慣習を破壊していますが、それはただ吐き出される感情や興奮が積み重なっただけ。まずはエモーショナルなトーン、それから他のすべてが続く。それが KARDASHEV のやり方です。”The Approaching Of Atonement” のゴージャスなドローン、”Silvered Shadows” の緻密なレイヤー、そこから悲劇の空気がアルバムの大部分を覆い、その文脈において彼らは様々な音楽の領域をカバーしていきます。プログレッシブ・デスメタルの世界から、”Lavender Calligraphy” のようなポストメタルの音の葉へシームレスに移行する彼らの破天荒な才能は、さながらフリーフォーム・ジャズや前時代のプログレッシブ・ロックのようでもあり、流星のようなサクスフォンとシンセの海を交えながら狂気のエナジーで意図的な物語を紡いでいくのです。
中でも、ブラックメタルの喉をかきむしるような騒めき、獣のようなデスメタルの咆哮、ポストハードコアの叫び、ガラスのような高音のクリーンなど、様々なスタイルをマルチトラックで表現する Garrett が、”Glass Phantoms” で見せる痛々しいまでの怒り、やり場のない絶望に心を動かされない人はいないはずです。KARDASHEV はまぶしいほど明るい場所と、心を奪われるほど暗い場所、そしてその美醜の中間を見事に支配して、最初から最後まで、心が痛むほど美しく、事実上、完璧な作品を作り上げました。
今回弊誌では、ギタリストで中心人物 Nico Mirolla にインタビューを行うことができました。「今は、まるで数年前よりも STEM (化学、技術、工学、数学) 分野で驚くべき進歩がまったく遂げられていないかのように、”優れている” “良い” 生活のあり方にまつわる時代錯誤があるように思えるんだよね。昔の方が良かったって。さらに、ノスタルジアはとんでもない麻薬であって、対処しないままだとひどく有害なものになりかねないということに、全員が同意したんだよ」 ライブより昼間の仕事を優先するというのも、これまでにはなかったタイプのバンドかもしれませんね。TesseracT のファンにもおすすめしたい。どうぞ!!

KARDASHEV “LIMINAL RITE” : 10/10

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COVER STORY 【FAITH NO MORE : ANGEL DUST 30TH ANNIVERSARY】


COVER STORY : FAITH NO MORE “ANGEL DUST”

30th ANNIVERSARY OF “ANGEL DUST”

1992年。その音楽の風景は1990年とは劇的に違っていました。NIRVANA の急成長によってアンダーグラウンド・ロックの水門は開かれ、メジャー・レーベルは MELVINS, MEAT PUPPETS, Daniel Johnston といった、80年代には1ミリも触れられなかったような Kurt Cobain が認めたアーティストにプラットフォームを与えていったのです。では、チャート上位のアーティストが全員、薄汚れた変人フリークになってしまった時、FAITH NO MORE はどうしたのでしょう? 結果は、Kerrang! が “史上最も影響力のあるアルバム” と呼んだレコードが誕生しました。それは完全な真実ではないかもしれませんが、90年代後半から2000年代にかけて、”Angel Dust” ほどポピュラーなロックに大きな影響を与えたアルバムはほとんどなく、RAGE AGAINST THE MACHINE のセルフタイトル、REFUSED の “The Shape of Punk to Come”、そして NIRVANA の “Nevermind” といった他の革新的レコードと肩を並べているのはまちがいないでしょう。
それに、FNM が Nu-Metal という “嫌われ者” のジャンルへの影響をいくら否定しようとしても、例えば “Midlife Crisis” のうなり声のラップ・ヴァースは KORN のヴォーカルの下地を作り、”Everything’s Ruined” の劇的なピアノリフと轟音のグルーヴは LINKIN PARK のプロト・タイプのよう。また、”Kindergarten” や “Crack Hitler” といったトラックにおける Patton のフリーキーなヴォーカルと、DISTURBED の象徴的な “OH WAH-AH-AH!” は直系でつながっているともいえるでしょう。そして、1年後に NIRVANA がそうするように、FNM も本能に従って、最大のヒットに続く反抗的で “アン・コマーシャル” な傑作をリリースし、嫌われること、反応を引き起こすこと、境界を広げることの大切さを今に伝えているのです。
“Angel Dust” のプロダクションは、当時の他のロックレコードよりもオールドスクール・メタルとの共通点が多く、鮮明さを犠牲にして鈍重なヘヴィネスを実現し、アルバムに独特の陰険な雰囲気を与えています。ギターはより太く、ドラムはより洞窟的で、ボーカルの一部が他のバンドに滲んでいても、演奏と個性は輝き、音楽はしばしば容赦ない音のハンマーへとシームレスに収束していくのです。本作のギターソロは METALLICA というよりは PINK FLOYD に似た傾向があり、激しいシュレッドをやめて記憶に残る構成になっているのです。

1991年に入ると、FAITH NO MORE は RIP や Kerrang! を含む多くの音楽誌でバンド・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、有名なミュージシャンとなりました。高い評価を得たアルバム “The Real Thing” のプロモーションのため、バンドは89年から2年間ツアーに出続け、プレスやファンから注目され続け、新しい曲を作るどころか息つく暇もないほどの状況でしたが、この年の彼らのスケジュールはよりリラックスしたもので、ほんの数回のショーが行われただけでした。そのため、バンドは混沌とした状況から一歩引いて、次のアルバムのアイデアを練ることができたのです。 ゆえに、”The Real Thing” が1983年という早い時期に書かれたアイデアを含んでいたのとは異なり、”Angel Dust” はこのアルバムのために書かれた新鮮なマテリアルが中心となって構成されているのです。
バンドがサンフランシスコに戻った3週間後、Bill Gould, Roddy Bottum, Mike Bordin がリハーサル・スタジオに入り、キャリアの中で最も注目すべき作品を作り上げるために作曲を開始します。
Gould は Jello Bafra や覆面デスメタルバンド BRUJERIA と付き合いながら、同時にイージーリスニングからもインスピレーションを受けていました。一方、Bottum はエレクトロニック・ポップやテクノ・サウンドからインスピレーションを得ており、もちろん、Mike Patton は休むことなくアヴァンギャルド・シーンに関わり続けていました。John Zorn と過ごし、NAKED CITY と共演し、Mr. BUNGLE のデビュー・アルバムをレコーディングしながら。
この時期バンドは、GODFLESH, WEEN, YOUNG GODS, THE SUGARCUBES, Henry Manciniに影響を受けたと語っています。”Angel Dust” のデモが届くと、Patton は孤独を感じ、様々な実験に着手し、これまでで最も創造的な歌詞を書くためのインスピレーションを得ます。Jim Martin はしかしこの新しいアイデアに難色を示し、リハーサルを放棄してトラックでラテン語の練習をするようになりました。
“RV”、”Caffeine”、”The World Is Yours” の初期バージョンは、ブラジルからの帰国時に行われたいくつかのショーと、その年の後半に行われた初の東京でのショーでセットリストに加えられました。
「ベースラインとメロディーとリズムを使った新しい曲をジャムり始めたんだ。でも、キーボードとベース、キーボードとドラム、ドラムとキーボード、そういう組み合わせが多いんだ」- Mike Bordin 1992年
より大きな予算とレコード会社から許されたより多くの自由で、FNM は1991年12月にサンフランシスコのコースト・レコーダーズ・スタジオを借り入れることになります。Matt Wallace がバンドにとって4枚目のアルバムのプロデュースに戻ってきます。
「彼は僕らに手を貸さず、ただ僕らのやりたいようにやらせてくれるんだ。彼は以前にも僕らと一緒に仕事をしているから、僕らと同じように “拷問” を受ける可能性があるし、それは心地よいことだよ」- Mike Patton 1992
「彼は良い音を出そうとするし、それが彼のすべきことだと思う。スタジオに入るまでに、自分たちのやりたいことがある程度まとまっていればいいんだけど。そうすると、彼がそれをいじくり回すのは難しくなる。バンドに5人いれば、もう十分だからね。キーボードとギターとたくさんのベースとたくさんのドラム、そのバランスを取るのは簡単なことじゃないんだ」- Mike Bordin 1992
「共同プロデューサー、エンジニア、ミキサーという立場からすると、”The Real Thing” のサウンドは薄く、圧縮されすぎで、ハイエンドが強すぎると感じていたから、自分なりには距離を置いていたんだ。それがラジオやMTVでは有利に働いたんだけど。 だから、”Angel Dust” ではより充実した、より自然なサウンドのレコードを作ろうと努力したんだ” – Matt Wallace 2012年
Wallace は “Angel Dust” のレコーディングが非常に困難な経験であったため、アルバムが完成した後休みを取り、FNM から距離を置かなければならなかったものの、その結果を誇りに思ったと語っています。
「”Angel Dust” の終わりには、こうした難しいレコードを作るために、バンド内、特に皆と Jim Martin の間でかなり激しい軋轢があり、本当に激しい論争があった。Bottum は依存症の問題と格闘していたし、レコーディング・スタジオは全く協力的でなく、僕は基本的にプロデュース、エンジニア、アシスタント・エンジニア、電話応対をしなければならず、本当にストレスの多いレコードだった。それで、このアルバムの最後に、僕は2ヶ月ほど休んで、もうしばらくこの音楽はやめるよと言ったんだ。で、そのレコードの最後に、私は彼らに言ったんだ。”いいか、君たちは新しいプロデューサーか、新しいギタリスト、あるいはその両方を見つける時期だと思う “とね」Matt Wallece 2015年

FNM の意図は、必ずしもファンを混乱させるようなアルバムを構成することではなく、自分たちとリスナーに挑戦するような知的な進化にありました。しかし、その結果は一部の人にとって不愉快なものとなったのかもしれません。彼らは、”頭の中にあるものを聞いて演奏する方法を学んだ” と告白しています。
「曲作りに関して言えば、無意識にやっていることなんだ。僕たちはミュージシャンで、バンドをやっていて、曲を書く。自然にやっていることを分析するのは難しい、本当に難題だ。特に、面白い言い方をするのは、ちょっと近すぎるから難しい。自然に見える、自然にやっていることなんだ」- Bill Gould 1992年
「このアルバムには中間がない。絶対に大ヒットするか、大失敗するかのどちらかだ」- Bill Gould 1992年
既に巨大なファン・ベースを増やすために(そして銀行に現金を入れるために)、最も簡単なことは、バンドが “The Real Thing” と同じように “Epic part 2” のアルバムを続けることでしょう。 しかし、これが FNM なのです……信じられないほど個性的な5人が一緒になって爆発的な結果を出し、決して “簡単な” ことは常にしてこなかったのですから。
FNM は常に、それがポジティブなものであれネガティブなものであれ、反応を引き起こすことを楽しんできました。BLACK SABBATH の “War Pigs” のカヴァーを演奏するよう観客が要求すると、コモドアーズの “Easy” を完璧に演奏し、大衆を見下しながらニヤリと笑う。 それが FAITH NO MORE。
つまり、”Angel Dust” の多彩な音楽性は、彼らがファンを獲得したアルバムとは明らかに一線を画していました。”The Real Thing” は、そのユニークなサウンドを分類する方法を持たないプレスによって、”ファンク・メタル” というタグを付けられ、狭い穴蔵に押し込められることになっていました。ある意味、FNM はより挑戦的なレコードを作ることで、ファンク・メタルとそれが魅了した群集から意図的に距離を置こうとしたのですが、同時にそれは、単に音楽が自然に取った方向でもあったのです。
「このファンク・メタルというものには、本当にうんざりする。俺が一番やりたくないのはファンク・メタル・バンドなんだ、俺たちはそれ以外のものになろうと思っているんだ。ファンク・メタルを演奏するバンドはすべて嫌いだし、ほとんどのバンドが同じように感じていると言ってもいい」 Bill Gould 1992年
実際、彼らはこの新譜が人々に嫌われることを確信しており、”Alienating Your Public” というタイトルにするべきだと冗談を言っていたくらいです。
「おそらくこの新譜は、ファンを混乱させ、大衆を遠ざけるために、前作より少し奇妙なものになるだろう。少なくとも、僕たちはそう非難されてきた。別に何かの主張を押し通そうとしたわけではなく、ただ僕らが書きたい音楽なんだ」 – Roddy Bottum 1992年
「僕たちは人を怒らせて喜んでいるなんて言うべきじゃない。ただ、自分たちがやりたいことをやりたいだけであって、必ずしも彼らが期待しているようなことをやりたいわけじゃないんだよな。このレコードが “The Real Thing Part II” になると期待している人は、目を覚ました方がいい!すでに怒っているファンもいる。もうすでに腹を立てているファンもいるんだ」- Mike Patton 1992年
バンドはミキシングの段階まで、Slash のレコード会社の重役に楽曲を隠していましたが、ついに “Angel Dust” を聞かせたとき、彼らも自分たちの投資の結果を信じられないほど心配していました。
「レコード会社の社長がスタジオにやってきて、こう言ったんだ。”誰も家を買わなければよかったのに” とね。 部屋の空気が一変した。あれは、現実を突きつけられるいい瞬間だった。僕の仲間の何人かはすでに家を買っていたからね」- Jim Martin 2012年
「レコード会社は完成したアルバムを聴いて、本当に怖くなった。それが、自分たちが正しいことをしたのだと知る唯一の方法だった。もし、彼らが気に入ってくれたら、何かが間違っていることになる。ミキシングを始める前は心配そうな顔がたくさんあったよ」- Roddy Bottum 1992年
「誰かが痙攣するのを見るのは素晴らしいことだと思わないか?本当に緊張しているのを見るのは素晴らしいことだと思わないかい?僕らのレコード会社でそういうことがあったんだ。彼らは僕ら一人一人に働きかけて、自分たちが何をやっているのかわかってるのか?と説得してきた。彼らは “The Real Thing” のファンを遠ざけることになると言った。理想を言えば、どこかにもうひとつ “Epic” を入れて欲しいということだ。どうやって売り出したらいいかわからないだとよ」- Mike Patton 1992年
このレコード会社の無関心、反発は、FNM を決して動揺させるものではなく、より一層 “Angel Dust” を誇りに思うようになります。
「このレコードは、僕たちをさらに一歩前進させるものだと思う。より自信に満ちたユニットとして、また、まだ学び、成長していることを示している。これは間違いなく進歩だよ。今回は、より良いレコードを作りたかっただけで、必ずしもプレスや他の人たちが並べようとするガイドラインに従う必要はなかったからね。自分たちの内面を掘り下げて、挑戦的で、対立的で、極めてユニークなものを出そうとしたんだ。僕はこの作品にとても満足しているよ」- Mike Bordin 1992年

では、これまでとは何がそんなに違っていたのでしょうか?
まずはよりシアトリカル。曲は断片的で、伝統的なヴァース/コーラス/ミドルの構成に従うのではなく、アルバムの各曲は、クラシックの序曲と同じように、音楽が激変する時に対立するセクションをしばしば持つ旅でとなります。そこには信じられないほど中毒性の高いメロディーがある一方で、激しいリフやドローン、病的なムードの変化もあったのです。Bottum はこれまでにないようなサウンドと、様々なソースからのサンプルの数々で実験をしていました。ギターソロは制限され、あるところではリフが残忍に露出し、あるところではほとんど聴こえません。ヴォーカルはより複雑で、パットンはその強大な声域をフルに使い、歌詞はより不穏で工夫されたものに化けました。結局このアルバムは、前作から完全に脱線したわけではなく、単に境界線をさらに押し広げただけだったのです。
「同じバンドがもう1枚アルバムを作っているんだ。もしみんなが少し変わったと言うなら、明らかに僕たちは何か正しいことをしているんだ。いつもと同じことをやっているんだけど、みんながそれに気づくくらいに面白くしているんだから」 – Bill Gould 1992年
「僕は “Surprise! You’re Dead” は前作の中でも特に過激なものだったと思う。このアルバムには、人々を驚かせるような極端な方向性のものが含まれている。つまり、何が不穏なのかよくわからないし、それが不穏なのだと思う。今回は自分たちのあり方を無茶苦茶に伸ばしたんだよな。それは素晴らしいことだよ。このレコードを家に持ち帰って、”これは一体何なんだ!” と思ってくれたら、僕たちは本当に嬉しい。そうなるだろうし、それはいいことだ。今回はレコード会社が少しきつめにネジを回そうとしたのは認めざるを得ない。サンプルも多いから、ちょっとビビったんだ。『おや、これにはたくさんの “サンプリング” が使われているじゃないか!ロックの聴衆はこのサンプリングに混乱すると思わないか?』ってね。あとは、『ちょっとレフトフィールドすぎる』とか、『ボーカルが役者じみてる』とかね。つまりロックじゃないってことだよ」- Mike Patton 1992

「シンガーというのは俳優と同じだ。人は歌手の言うことをそんなに真剣に受け止めるべきではない」- Roddy Bottum 1992年
加入して初の “The Real Thing” のプロモーション・ツアー中、Patton が新しい生活スタイルになかなか馴染めなかったことは周知の通り。 彼のあらゆるものに対する嫌悪感は明らかでした。 彼は仲間のバンドメンバーやプレスに擦り寄り、甘やかされたガキ大将のように振る舞い、Mr.Bungle に集中するためにいつでもバンドを脱退することを示唆し続けていたのです。
「あの頃は、受けるべきではないインタビューにたくさん答えていた時期だったんだ。FAITH NO MORE にうんざりしていたんだ。誰もアルバムを買ってくれないし、ただツアーを続けるだけだった。幻滅したんだ。ツアーをしていると、バンドとしてネズミのような生活をしているような感覚に陥ることがある。一時的に忙しくさせられたり、バカにされたり。ポン引きが売春婦を扱うように扱われるんだ。そして、その一員になりたくないと思えば、フラストレーションが溜まる。僕は這ってでも逃げ出したかった」
しかし、1991年になると変化が待っていました。Patton は徐々に FNM の一員であることに納得し、自分の役割に満足していくようになります。まだひねくれ者ではありましたが、だんだん大人になってきたのです。
「人間関係も、初めのうちは、いろいろなことを我慢している。でも、しばらくすると、そういうのが全部なくなって、一緒にいて落ち着くんようになる。たぶん、そういうことなんだと思う。相手の前でオナラや罵声を浴びせる方法を学ぶんだ。それが健全なんだ。いつも何かを恐れていたら、何もできない。みんなが少し楽になれば、どんなアイデアでも引き出せるし、それを操作したり、レイプしたり、バカにしたり、何でもできるようになる。でも、それでも……いいんだ。なぜなら、そうやってクソが作られるからだ。僕はそう確信している」- Mike Patton 1993
「どんなバンドなのか分からなかった。僕らはデフォルトでハードロック・バンドになった。それは偶然だった。でも美しいのは、僕ら全員が大事なことを知っていたことだ。僕たちはお互いに顔を見合わせて、どんなに悪くなっても、どんなにペットの猿になったとしても、どんなにペットのファンク・メタル・ロック・バンドになったとしても、それに対処しなければならない他の4人がいるんだと言うことができたから。そして、それぞれの人がそれぞれのやり方で、それに対処していた。僕がバンドに残ることに何の疑問も抱いたことはなかった。このアルバムのための曲作りを始め、確信に変わった。”The Real Thing” の時は他の誰かの音楽、他の誰かのバンドのようで、義務的なもののように感じていた」
「このアルバムの前にも、僕はアイデアを投げかけていた。それが愚かな勇気であれ何であれ、僕はいつも勇気をもっていたんだ。ただ、しばらくは誰かと一緒に刑務所にいたような気分だった。そして今、僕たちはちょっと奇妙な方法で友達になっているんだ」- Mike Patton 1994
Patton の外見の変化も明らかで、1992年の最初のプロモショットでは、ヘアメタル的なイメージは消え、シリアスなフロントマンの外見に変わっていることが確認できます。しかし、最も顕著な変化は彼の声。”The Real Thing” で彼に大きな注目をもたらしたファンク由来の鼻声は消え、ラップもなくなります。彼の歌声は、その声帯を駆使した極限のサウンドを聴かせてくれるようになったのです。うなり声、叫び声、悲鳴、激しい息づかい…数え上げたらきりがないほどに。
小便を飲む、タンポンを食べる、暴れる、叫ぶ、侮辱する、冗談を言う、歌詞を書く、1989年の暗い面を持つ。彼は、世界中のやんちゃで好奇心旺盛で歪んだ若者の定義となり、ただ地獄を見るために何でもやってみるという人物に見えました。しかし、そこからの Patton 最大の躍進は、FAITH NO MORE のメンバーとして幸せになったことか大きな要因でしょう。
「最初は果実が熟していなかったんだ。実は、バンドについて知りたいこともあったし、知りたくないこともたくさんあったから、それを無視していたんだ。問題に直面するよりも、無視する方がずっと簡単だと思ったんだ。 好戦的で反感を買うのは、本能なんだよ。全体が地獄に向かってスパイラルしているような不安定な状況に入った時、もう少しかき混ぜるんだ。このLPで、ようやく全員が同じ方向にスパイラルすることができたんだ」
歌の中のキャラクターになりきり、怒りを吐き出すのはセラピーになるのでしょうか?
「いや、怒りを公にするのは良いことではないから。作詞家やシンガーには、常に “自分の内面を投影している” という神話があるけど、そんなの嘘っぱちだ。歌い手は最悪だ。僕らは楽器の後ろに隠れることができないんだ……」Mike Patton 1992
Matt Wallece は、”The Real Thing” から “Angel Dust” へと成長を遂げた Patton に畏敬の念を抱きました。
「僕にとって、Patton の中の大きな変化は、”The Real Thing” の間、彼はまだ100% FNM にコミットしていなかったということにある。これは僕の読みで、間違っているかもしれないけど、彼が自分を守る方法、自分がまだ Mr. BUNGLE の一部だと感じる方法は、”The Real Thing” でほとんど別の人格になり、それによって、”ああ、僕はこのバンドにいるけど、本当は一員ではない” と簡単に言えるようにすることだったんだろう。でも、”Angel Dust” になってから彼は曲の成り立ちにずっと関わっていて、作曲中もその場にいたし、アレンジの指導もしていた。つまり、自分の声を楽器として使い、深く歌い、声域のあらゆるスペクトルを使うようになれたんだ。彼はチベットの詠唱やエスキモーの鼻歌など、あらゆるものを聴いていて、ヘヴィロックやオルタナティブ、プログレッシブ・バンドの文脈の中で、自分のボーカルがどうあるべきかというアイデアをレコードに持ち込んでいたんだ。このアルバムの後、多くのバンドが彼の後を追ったんだよ。でも、Patton は臆することなく、異なるボーカル・アプローチや歌詞、中にはかなり挑戦的な歌詞にも挑戦していたからね。彼が前面に出てきて旗手になったのは、本当に見事なことだと思ったよ。あれはスリルだった。あのレコード全体がスリルだったんだ」- Matt Wallece 2015年
1988年に Patton が FNM に参加したとき、”The Real Things” の音楽はすでに完成しており、彼は2週間の間に付随するメロディと歌詞を書き上げただけでした。”Edge Of the World” や “Zombie Eaters” の曲で試みたキャラクターの発明やロールプレイは、今や本格的な芸術形式となっています。
「歌詞を通して自分自身を明らかにする義務はないと思うんだ。というか、立ち位置が違う。歌詞がスリーブに印刷されているのは残念なことだよ。世間は啓示を期待しているのだから。歌詞は、僕たちの過去や人生について何かを語っているはずで、そして、歌詞を通してそのようなつながりを持つことは、ほとんど危険なことなんだ」- Mike Patton 1992年

Jim Martin と他の4人のメンバーとの間に亀裂が入ったのは、アルバム制作の最中でした。
「僕は何も違うことをしようとはしていない。ただ、僕が見たとおりの、あるべき姿でこれらの曲を演奏しようとしているだけだ。自分たちを再発明しているわけではない、そう断言できる。だから、”新しいことをする” なんてたわごとを持ち込まないようにね」Jim Martin 1992年
FNM は、自分たちの音楽がどのようなものであるべきかについての相反する個性やアイデアから常に成功を収めてきました。こうしたありえないような組み合わせが、常に素晴らしい結果を生んできたのです。
Martin の “Angel Dust” に対する態度は最初から緊張していて、曲からレコーディング、アルバム・タイトルに至るまで、すべてに納得がいかないようでした。リハーサルが始まる数週間前に彼の父親が亡くなり、バンドは彼のためにスタジオをサンフランシスコからオークランドに移したのですが、それでも Martin は参加しないことに決めたのです。
「バンドのメンバーも僕も、”一時中断して、数ヶ月後に再集結して、お父さんを悼んで落ち着く時間を作ろうよ” と言っていたんだけど、彼はもっとマッチョな人生観を持っていて、”いや、僕のプライベートな話はいいから、このアルバムを作ろう” って言ったんだ。それでバンドはオークランドにリハーサル場所を確保したんだけど…」- Matt Wallece 2015年
そのため、Martin は自宅でギター・パートを作り込むことになりました。
「変なテンションになるんだよ。彼は家で作業しているけど、僕たちが曲を作るときはギターも含めて全部をイメージするんだから。でも、彼が初日からそこにいなかったら、彼の心を読むことは期待できないでしょ?」。Bill Gould 1992年
「Martin と僕は両極端なんだ。天秤のバランスを保つために、僕が僕の方向に進めば進むほど、彼は彼の方向に進まなければならない。もし、彼が今のままで、僕がさらに進み続ければ、物事はおかしくなってしまう。だから、現状では、僕たちは少し微妙な関係になっているけど、これから解決していくだろうね」Roddy Bottum 1993年
曲作りに参加していなかったため、Martin は他のメンバーがどのような方向に進んでいるのか理解することが難しく、「とても作為的で、バンドが一生懸命になりすぎている」と感じていたのです。「自分がどこにフィットするのか理解するのに時間がかかったよ」とも。そのため、Gould はアルバムの一部でギターを弾いています。
「唯一苦労したのは、ギター・パートだった。Martin は僕らがやっていることをあまり理解していなかったから、ちょっとパニックになってしまって、自分たちでやってしまったんだ。いくつかのギター・パートは、ベースの Gould が演奏したんだ」 Mike Patton 1992年
「ギター・パートは僕のもので、すべてのトラックで僕がギターを弾いている。曲作りとアレンジにはかなり貢献した。Gould は “Midlife Crisis” と “Midnite Cowboy” に少しフワッとした感じのギターを加えてくれた。”The Real Thing” に続くという変なプレッシャーがあり、その結果、アルバム “Angel Dust” は僕が必要だと思う以上に音楽的に作り込まれたものになってしまった。僕はこのアルバムをもっとスタジオで作りたかったし、Gould はスタジオに入る前に最後の一手まで釘付けにしておきたかったんだ。僕は時間をかけて作りたかったんだけど、マネージメントとレコード会社は急いで作りたかったんだよ」 Jim Martin 2012年
「Martin はこのレコードを “ゲイ・ディスコ” と呼び続けた。何か演奏するたびに、”これはゲイ・ディスコの集まりだ” と言うんだ。で、僕は言ったんだ。”おい、もしお前がそのクソデカいギターを入れたら、それは “ゲイ・ディスコ” じゃなくなるだろう。だから、このプロジェクトに参加する必要があるんだ” ってね。それで、彼はギターのパートを担当するんだけど、翌日にはバンドがやってきて、そうじゃなくて彼に Jim Martin のままでやってほしいと思っていたんだ。だから、怒鳴り合いや意見の相違がたくさんあった。かなり醜かったね」- Matt Wallece 2015年
レコーディングはさらに拷問のようで、バンドと Martin の溝はエスカレートし、怒りが爆発していきました。
「最初から不愉快な経験だった! とても不愉快だったけど、これまで FNM とレコードを作ってきた経験と大差はない。いつもとても不愉快な経験だった。多くの人が子分を味方につけるために奔走し、愚かなゲームをして、状況を煙に巻く」 Jim Martin 1992年
“Angel Dust” のすべてが Martin を怒らせたわけではなく、彼は Patton のボーカルと歌詞をとても褒めています。 また、ギターが以前の FNM のレコードよりもずっと目立たなくなっていますが、それも全体のテイストには合っています。この作品でギターが脚光を浴びると、あるところでは非常に激しく、またあるところでは楽しくメロディアス。”Angel Dust” はソロが少ないものの、ギターのリフやメロディーはとても良いのです。
「曲作りに携わるときは、ギターのために書く。いつもそうしていればいいんだけど、今回のアルバムではキーボード・パートを先に書いていることが多かったから、それに合わせてギター・ラインを書こうとすると、”タフ” になってしまうんだよな。それは確かにチャレンジングなことで、いろいろと試行錯誤の末、結局は最もシンプルなものを使うことになるんだ」- Jim Martin 1992年

“Angel Dust” というタイトルは Bottum のアイデアで、レコーディングの早い段階で決まりました。薬物そのものとの関連はなく、「本当に恐ろしい薬物のための本当に美しい名前」というアイデアが気に入ったのです。
アルバムのジャケットは、Werner Krutein による飛翔前の白鷺の写真。裏面は Mark Burnstein による屠殺場に吊るされた牛の頭と肉の写真。美とグロテスクの極限を表現したタイトルとイメージは、彼らの音楽の中に完璧なまでに映し出されています。
「バンドそのもの、バンドの音、レコードの音、収録曲、タイトル、ジャケットなど、幅の広いものから狭いものまで、ここにはいろいろな要素がある。このバンドは多くの要素を持っていると思うんだ。重いものもあれば、美しいものもある。このアルバムは、アグレッシブで不穏なものもあれば、とても落ち着くものもあり、バランスがとれていると思う。レコードのタイトルは、もしドラッグに詳しくなければ、美しく聞こえるだろう。美しいようで恐ろしいものなんだ。表ジャケットは美しいもので、裏ジャケと合わせると不穏なものになる。そういうものにしたかったんだよ。レコードのジャケットとレイアウトは自分たちでデザインして自分たちで組み立てたんだ」” – Mike Bordin 1992年
当時、Martin はこのレコードのタイトルにも反対していましたが、2012年にさらに説明し、赤の広場にいるロシア兵にバンドの頭を重ねた写真を担当した経緯も語っています。
「このアイデアは Bottum のもので、他の誰も関わっていないんだ。彼は、フロントが鳥、バックが肉用ロッカー、そしてタイトルがエンジェルダストという基本的なコンセプトを持ってやってきた。問題は、”どうやってそのアイデアをレコードジャケットに反映させるかだった。”The Real Thing” と “Introduce Yourself” はレコード会社が考案しデザインしたジャケットで、僕たちは単にそのツケを払ったというだけのこと。これは芸術的な表現の機会であり、最終的に僕たちのうちの誰かが、誰もが納得するようなアイディアを持っていただけなんだ。スリーブにロシア軍を入れるというアイデアは、当時ハマっていた THE POGUES のアルバム “Rum Sodomy and The Lash” にインスパイアされたもの。結局、僕たちはリソースをコントロールし、人材を活用し、クリエイティブなコントロールを維持することができたんだ」 Jim Martin 2012年

1. Land of Sunshine
ワーキングタイトル : The Funk Song
「大好きだ、本当に高揚感がある。ほとんど天使のようだ」- Roddy Bottum 1992年
“Angel Dust” のオープニング・トラックは、FNM の伝統であるアップビートで騒々しいエネルギーの爆発。 Patton はこの曲を “グロテスクでポジティブな曲” と表現しています。歌詞は十分に楽しいにもかかわらず、ヴォーカルは皮肉なトーンで表現されているのです。
3日間寝ないでコーヒーを飲み、深夜のテレビ番組に没頭し、フォーチュン・クッキーを何袋も買って睡眠不足の実験中に思いついたのがこの曲の歌詞。 “Angel Dust” のなかでも特に誇りに思う歌詞の一つです。
「アメリカでは、深夜にセミナーやサイエントロジー、伝道のテレビ番組が放送されている。これは大掛かりな詐欺で素晴らしい。30分のコマーシャルでセミナーを全部買わせようとする。そしてもちろん、俺の本当のヒーロー、伝道師のロバート・ティルトンのような奴らのことを歌っている。ロバート・ティルトンには、何ものも、そして誰も触れることができないよ。彼はかなりの人物だ。テレビの上に手を置いてください、テレビの力であなたを癒しますと頼む。テレビの悪霊を使って、悪魔の頭を切り落とすために。ダラスに行ったら、彼の教会を訪ねよう!」 – Mike Patton
Patton は歌詞の一部をテレビ局のアナウンサーのような深い声で叫び、この曲の捕食的資本主義のインチキに対する批判に個性を与えています。最初の歌詞は、明るい未来への漠然とした約束で埋め尽くされていますが、最終的に、この曲のメインテーマである “弱者が利用される” ことに踏み込むのは2番目のヴァースで、彼はサイエントロジストの性格診断から直接引用したセリフを口にしているのです。
「感情的な音楽は、あなたにかなりの影響を与えますか?」
「あなたはよく遊び半分で歌ったり口笛を吹いたりしますか?」
自分の笑い声が響く中、Patton はコーラスを歌います。
「人生は価値あるものに見えますか?」
2. Caffeine
ワーキング・タイトル:Triplet
ギターはブルータル、キーボードはアトモスフェリックで夢のよう、ドラムはワルツの拍子を難なくこなす。Patton は唸り声と爆音の間を行き来し、あちこちで厳しい囁きも聞かせています。
歌詞は、Patton の睡眠遮断実験中に書かれたもので、3日目には幻覚を見るようになり、彼が唯一使用を認めた覚せい剤に敬意を表しています。
3. Midlife Crisis
ワーキング・タイトル : Madonna
“Midlife Crisis” は軽妙なラップで始まり、ジャジーでアル・ジャロウ風の弧を描いて上昇し、純粋なハードコアの接近戦で激突。歌詞は、中流階級で、安全で快適な繭を作り上げた、”安全な遊び人” のような人たちを非難し、なじります。Simon & Garfankel “セシリア” をサンプリングして作られた魅力的なグルーヴを持つこの曲は、”Epic” といくつか類似点があります。どちらもシンプルなベースライン、ラップのヴァース、そしてかなり難解な歌詞の内容を持っており、アルバムの中でも特に楽しい曲の一つであることは間違いありません。バンドはインタビューで、この歌詞がマドンナにインスパイアされたものであることや、有名人の下らない自己中心的な性質についてだと話しています。
「君は完璧だ、そう、その通りだ。でも、私がいなければ、あなたはあなたでしかない。
君の生理中の心/ 二人のための十分な出血はない」
自己執着というテーマは、歌詞にも反映されており、ほとんど間違いなく抽象的なオナニーの引用で満たされています。
Gouldは1998年、この曲の作曲過程についてこう語っています。
「この曲はみんなに責任がある。キーボードのパートから始まったんだ…みんなが僕らが次のレコードを出すのを待っていて、世界制覇を約束していた時期だった。で、彼らの目には、僕らが少し反抗的に映ったようで、それがある意味歌詞に反映されていると思うんだ。僕の立場からすると、全体が1音しかないような、でも歌になるような曲をやりたかった。だから、ベースパートが1つだけで変わらないものにしたかったんだ。レコーディングして初めて、プロデューサーが僕の意図を理解してくれたんだけど、当時は自分の足を撃つようなものだと思ったよ……」- Bill Gould1998年
Patton は歌詞の内容を少し話しています。
「この曲は、たくさんの観察とたくさんの推測に基づいている。でも、ある意味、マドンナのことを歌っているんだ…テレビや雑誌で彼女のイメージに溢れていた時期だったと思うし、彼女のやり方は僕に語りかけてくるようなところがある…まるで彼女がある種の問題を経験しているようなね。ちょっと自暴自棄になってるみたいなんだよ」- Mike Patton 1992年
4. RV
ワーキング・タイトル : Country & Western
このアルバムの中で最も不思議な曲の一つで、最初に書かれた曲の一つで。完璧なカントリー&ウエスタンの小曲をFNMの作法に合うように醜くねじ曲げたもの。
「最初は僕がピアノでやっていたんだけど、Gould と一緒に遊び始めて、ブラジルのツアーの時に完成させて、ライブで演奏するようになったんだ」- Roddy Bottum 1992年
Patton が自分の歌詞を伝えるために、キャラクターになりきった最も分かりやすい例で、この場合は嫌な中年で貧乏な白人です。
「この曲の歌詞は本当にめちゃくちゃで、ホワイト・トラッシュ (貧乏な白人) の武勇伝なんだ。 多くの曲はキャラクター・スケッチみたいなものだよ。僕はそれが悪いとは思わない。多くの人がそのことで僕に文句を言いたくなるかもしれないけどね」- Mike Patton 1992年
「R.V.とはレクリエーショナル・ビークルのことだ。アメリカの典型的な文化で、人々は休日はキャラバンに住んでいる。我々は彼らを “ホワイトトラッシュ” と呼んでいる。アメリカでは、誰もがR.V.に住んでいる人を知っている。この人たちは見下されているが、誰もが社会の一員であることを知っている。このような人々はたいてい太っていて、一日中テレビを見て、テレビを見ながら夕食を食べている。R.V.という歌は、あの豚たちの名誉の象徴のようなもの。私の家族もそうだ。一日中キャラバンの中にいて、”もう誰も英語を話さない” と文句を言うような人たち。誰も彼らの話を聞いてあげないから、独り言ばかり言っている」 – Mike Patton 1992年
5. Smaller and Smaller
ワーキング・タイトル : Arabian Song
キャッチーなキーボードのメロディーと雰囲気のあるストリングス、動悸のするリズムに研ぎ澄まされたギター、サンプリングに歌声と鳴き声の間を行き来するボーカル。他に類を見ないほど、お馴染みのFNM 成分が全て揃っています。
「退屈な曲だ。自分が何をやっているのかよくわからなかった。曲全体が中東のように聞こえたから、頭の中で聞こえる音を見つけるまで、指板を上下させた。僕はいつもそうしている。あまり教育を受けているプレイヤーではないからね」- Jim Martin 1992年
搾取される労働者階級のための革命の歌でしょうか。中盤にはサンプルをふんだんに使ったセクションがあり、特にネイティブ・インディアンの聖歌が素晴らしく配置されています。
「…Shameless culture rape。僕たちはインディアンの聖歌を取り上げて、それをめちゃくちゃにすることに決めたんだ。”ダンス・ウィズ・ウルブズ” の美学のようなものさ」 – Mike Patton 1992年
「僕らにとって FNM は2つの異なるバンドのようなもので、1つは音楽を作って録音するために存在し、もう1つは70~90分のセットを出来るだけパワフルなものにしようとするライブバンドなんだ。なぜか、僕らの曲はいわゆる “ミドルテンポ” …つまり、速くはないけれどバラードでもない曲に惹かれる傾向があるんだよね。聴いている分にはいいんだけど、ライブで演奏するとなると、ミドルテンポの曲が多すぎると、僕らもお客さんも本当に退屈してしまう。そうなったら、もう最悪だ。最悪の悪夢は、セットの途中で勢いがなくなってしまうことだ…その時点でハード・ワークになってしまい、楽しみが減ってしまう。”Smaller and Smaller” はかなり壮大なコンセプトではあるけれど、ライブでやるには長すぎるし、地道すぎる気がした。それに、実を言うと、この曲には他の曲ほど思い入れがなかったんだ……」- Bill Gould 2012年
6. Everything’s Ruined
ワーキング・タイトル|Carpenter’s Song
多幸感あふれるコーラスとメランコリックなヴァースという、対照的なムードを持つ素晴らしい曲。また、唯一ギターソロが全編にわたってフィーチャーされている曲のひとつでもあります。
「このアルバムには、とても奇妙な曲がいくつかある。その多くは絶望的で、とても不穏な雰囲気を持っている。”Everything’s Ruined” はその良い例だ。この曲は、このアルバムに収録されている曲の中でも、よりストレートなロックの一つ。前作の “Surprise You’re Dead” と聴き比べてみてほしいね。僕らがどう変化したかがわかると思う。自分たちがイメージしているものを演奏するのが上手くなっているんだ」 – Mike Patton 1992年
7. Malpractice
ワーキング・タイトル : Patton’s Song
「これはデスメタルの映画音楽だ」Patton のみによって書かれた、恐ろしくて映画的な楽曲。複雑なセクションを持つ彼らしい手法で、一撃必殺のインダストリアル・メタルと不気味なオルゴールがミックスされている。完璧な音楽的悪夢。
1992年、Patton は FNM での作曲スタイルについてこう語っています。
「僕たちは任天堂キッズだから、スタジオに入るとダイヤルを回してボタンを押すだけなんだ。Mr. BUNGLE は基本的に曲の作り方を知らないんだ。だから、ヴァース/コーラス/ヴァース/コーラスという直線的な曲の上に何かを乗せようとするのは、僕にとって奇妙なこと。それはそれでいいんだけど、何をするにももっともっと時間をかけて、もっともっと打ち込んでいこうと心に誓っている」- Mike Patton 1992年
この歌詞は、Pattonのひねくれたキャラクターが繰り広げる、手術のゴシック・ホラー。
「そうだな、ある女性が外科医のところに行って手術を受けているんだけど、彼女は自分の中に入ってくる外科医の手が好きなんだと気づく、という内容の曲を書いたことがある。彼女は治すことに興味もなく、ただ誰かの手が自分の中に入ってくるのを望んでいるんだ。彼女はそれの中毒になるんだ」- Mike Patton 1992年

8. Kindergarten
ワーキング・タイトル : F Sharp
予想外のメジャーからマイナーへのコードを配置することで、FNM のソングライティングをひねり出す好例。この曲では、Gould が音を奇妙な形にひねっていく素晴らしいベースソロがあります。
9. Be Aggressive
ワーキング・タイトル : I Swallow
ハモンド・オルガン、ド迫力のベースライン、ワウワウ・ギターが特徴的。コーラスはシュガーヒル・ギャングの1983年の曲 “Winner Is” から引用していて、チアリーダー(バンドの女友達)が「B-E A-G-G-R-E-S-I-V-E 」という今では不滅のフレーズを唱えているという、かなり倒錯した内容です。Roddy Bottum はこの年、ゲイであることを告白。
「”Be Aggressive” のいいところは、同性愛的なマッチョな曲なのに、FNMのリスナーの多くは、男性ではなく女性がひざまずいて飲み込んでいる姿を想像することだろう。かなり過激だろう?ゲイっぽい歌だと思った?それがいいところなんだ。ある人は “なんだこれは!” と声を上げるだろうし、ある人は気味悪がるだろうし」- Roddy Bottum 1992年
10. A Small Victory
ワーキング・タイトル : Japanese
オリエンタルなキーボードとギターのデュエットがメロディックな螺旋を描く、野心的でドラマチックな曲。メイン・ボーカルのラインは “Angel Dust” の中では最も “The Real Thing” の声に近いでしょう。
「あの曲では、プログラム、ストリングス、ピアノとは対照的に、音源は “マテリアル” だった。そのほとんどは DAT プレーヤーで、外を歩きながら録音したもので、それをキーボードそのものに入れ込んだんだ」- Roddy Bottum
Patton は、この曲が父親との関係について歌ったものであることを明かしています。「父がコーチをしていたから、僕の人生最初の16年間は勝つことばかり考えていたようだ。でもね、僕は勝ち続けられないとわかったんだよ。畜生!」
11. Crack Hitler
ワーキングタイトル: Action Adventure
FNM の中で最も映画に近い曲。パットンの圧縮され歪んだメガホンの効果は、後に続く全ての Nu-metal バンドが真似をすることになります。イントロのサンプルは、リオデジャネイロ・ガレアン国際空港のフライトアナウンスを読むブラジル人女優イリス・レティエリで、この人の声に Patton は惚れ込んだのです。彼女はこの曲を聴いた後、バンドを訴えようとしましたが、失敗に終わります。
「ブラジルでかなり有名なこの女性の声をサンプリングしたんだ。彼女は Varig 航空のフライトのアナウンスをしていて、僕たちはその声が本当に好きだったし、彼女の声は僕たちのブラジルでの経験をすべて集約しているようなものだった。それで彼女を録音して、その声を使ったんだけど、今になって、彼女の声を無断で使ったとして訴えられているんだ」- Roddy Bottum 1992年
この曲の歌詞は、またしても Patton の別人物。「ヒトラーのようになった麻薬ディーラーの話なんだ。ドラッグの影響でヒトラーのような気分になった黒人のね。この曲は、バンドがシナリオを視覚化することによって曲のアイデアを発展させていった例だ。例えば、事前に曲のビジュアルイメージを考えておくこともあったよ。例えば、ヒトラーの口髭を生やしたクラック・ディーラーがスーパーマンキャップをかぶって、路地を走りながら警官を撃っているようなイメージ。そのビジュアルイメージを音楽的に解釈するんだ。それがバンドが曲を作るときのやり方なんだ」- 1992年
12. Jizzlobber
ワーキングタイトル : Jim’s Song
「素晴らしい曲だ。拷問された魂のようなもの」 – Mike Patton 1992年
Jim Martin の血に飢えたメタル曲は、アンセム的なドラム、”サイコ” なキーボードのリフで始まり、Martin の最も残忍なギタークランチに乗せて Patton が言葉を吐き出していき、Gould によって作曲された壮大なチャーチオルガンのエピローグで終わります。
「アルバムに自分の曲を入れたかったし、本当に恐ろしくて醜いものを書きたかったんだ。このタイトルは僕が考えたジョークで、僕は本当の意味での “ギタージジー” な音楽は好きではないからだ。もちろん、サトリアーニやヴァイみたいな演奏はどうやってもできない。あの人たちは全く別の楽器を弾いているような気がするんだ」- Jim Martin 1992年
歌詞の内容は、パットンが繰り返し見る投獄された悪夢を扱ったもの。
「刑務所に入ることへの恐怖を歌っているんだ。いつかそうなることは分かっているんだ…。一度行ったことがあるけど、いつかすごく長い間行くような気がするんだ」- Mike Patton 1992年
13. Midnight Cowboy
「イージーリスニングが好きな Gould のアイデアで、僕も好きなんだ。この曲は本当にハイパーな美しい曲で、聴くのに苦労するほどだ。エレベーターで聴くようなソフトな音楽が、ヘビーな音楽であることもあると思うんだ。ラウドロックにはない深遠さと力強さがある」 – Roddy Bottum 1992年
最後のトラックは、1969年に公開された同名の映画からジョン・バリーのテーマをカバーしたもので、陶酔させられる。この曲もデジタルサウンドとは一線を画し、Bottum はアコーディオンを使ってリードメロディーを演奏しています。
「”Midnight Cowboy” のカバーには本当に満足している。これからは、イージーリスニングが主流になる。もうすぐエレベーターのための音楽のEPを出す予定なんだ」- Roddy Bottum 1992年

参考文献: ANGEL DUST 25 | MAKING OF THE ALBUM

FAITH NO MORE’S ‘ANGEL DUST’: 10 THINGS YOU DIDN’T KNOW ABOUT ALT-METAL CLASSIC

Faith No More’s Angel Dust & The Art Of Following Up A Phenomenon

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【GOSPEL : THE LOSER】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH ADAM DOOLING OF GOSPEL !!

“I Think Both Hardcore And Prog Are High Energy Forms Of Music. It Makes Sense To Me That You Could Play Progressive Rock Loose And Fast Like Punk…Or Play Punk With Odd Chords And Scales Like Prog.”

DISC REVIEW “THE LOSER”

「バンドが一度終わったのは、自分たちが燃え尽きてしまったからだよ。一生懸命やってもうまくいかなかった。当時のリスナーは今とは違って、このバンドを好きではなかったんだ。喧嘩も多かったし、ツアーやいつも一緒にいることにも疲れていたんだ。若い頃は問題を解決できるほど成熟していなかったし、みんな生活の安定を望んでいた。だから、一度バンドが終わると、また演奏できるようになるまで GOSPEL を振り返ることはなかったんだ」
本来あるべき姿を失ってもなおとどまり続けるのもバンドであれば、一瞬の煌めきを残し閃光のように消え去るのもまたバンド。ひとつ確かなことは、GOSPEL が描いた美しき肖像画は時の試練に耐え、虚ろでねじ曲げられた虚構のアートとは明らかに一線を画していることでしょう。
「僕たちは宗教家や宗教的なバンドではなく、その逆なんだ。子供の頃、カトリックの学校に通っていたから、宗教や権威に反抗したくなったんだ。GOSPEL という名前は、社会が神聖視するものを破壊することを意味したんだよ。それに、みんなが覚えてくれるシンプルな名前でもある。ゴスペルの定義が “原則と信念” であるならば、僕たちはその原則と信念に疑問を投げかけたいんだ。それを覆したいんだ。なぜなら僕たちはパンクバンドなんだから!!」
2005年。ブルックリンを拠点とするこの4人組は、突如としてアンダーグラウンドのスクリーモ・シーンに参入し、このジャンルに新たな高みを築いただけでなく、シーンの “原則と信念” を破壊する偉大なる自由を残しました。バンド唯一の遺産であった “The Moon is a Dead World” は8曲からなるユニークな迷宮で、その反抗という名の魔法によってプログとハードコアの境界を鮮やかに消し去ったのです。しかし、登場するやいなや、彼らは姿を消しました。
「今日、誰もが音楽を説明するための基準点、またはレッテルやジャンルを必要としている。でも GOSPEL の音楽は、僕らにとってはただラウドでヘヴィでヘンテコなだけなんだ。僕たちは今日スクリーモと呼ばれるアンダーグラウンドのハードコアシーンからやってきて、奇妙なロックを演奏しているだけ」
熱狂的なカルトファンを持ち、プログレッシブ/ハードコアの頂点に立つ可能性を秘めたバンドは、自分たちが “これ以上ないもの” を作り上げたことを悟り、あまりにも潔く幕を閉じることを選びました。しかし、スタジオの外で充実した生活を送っていた彼らは、どこかで何かが足りないとも感じていました。そうして友人の結婚式で再会した彼らは、17年の隠遁の後、ラウドでヘヴィでヘンテコな待望の2ndアルバムを作る必要があると決意したのです。
「僕はハードコアもプログもハイ・エナジーな音楽だと思うんだ。だから、プログをパンクのようにルーズに速く演奏したり、パンクをプログのように変則的なコードとスケールで演奏するのは理にかなっていると思う。それに、僕らには4人で演奏しているときにのみ機能する、非常に特殊な演奏スタイルがある。僕たちの楽器が僕たちの個性を反映しているようなものでね。GOSPEL とはこの4人が一緒に演奏しているときの音なんだ」
ダンボールに殴り書きされた “敗者” の文字は、彼ら自身のことなのでしょうか? 少なくとも、長い間待ちわびていたリスナーにとって、”The Loser” はすべての期待に応えた傑作であり、GOSPEL は再び勝者の地位へと返り咲いたにちがいありません。
解散後も衰えるどころか、むしろ、そのケミストリーはこれまで以上に強烈強力。GOSPEL といえば Vincent Roseboom の千変万化なパーカッションですが、彼は期待通りバンドを支えるエンジンとして、迷宮を支配する猛烈なフィルの数々を配置。Adam Dooling の悲痛な叫びは痛みと感情を増して、よりハスキーなトーンで眼前に迫ります。
プログレッシブ・ロックへの移行が顕著になり、従来のスクリーモからは若干離れたものの、サウンドは前作と同様にフレッシュで活気に満ちています。彼らのルーツである70年代のプログ・ロック は、CITY OF CATERPILLAR や CIRCLE TAKES THE SQUARE のようなポストロックを抱いたスクリーモが使用するパレットよりもさらに直接摂取するのが難しく、ひとつ間違えばピント外れでダサい音楽にもなりかねません。
しかし、”The Loser” はレトロスタイルのオルガンと薄暗い電子ピアノの爆音へ果敢に挑み、その幻想的な広がりとハードコアな獰猛との間でえもしれない緊張感を醸し出すことに成功しています。17年前に私たちが目にした、知的に濁った陽気な騒動はかくも完璧に研磨され、洗練され、本来あるべき姿の完成品として届けられたのです。
今回弊誌では Adam Dooling にインタビューを行うことができました。「僕は2017年に日本に短期滞在していたんだ。2017年の1月から5月まで、淡路島で4ヶ月間、日本に住んでいたんだよ!ガーデナーの研修生として働き、日本のガーデニングを学んでいたんだ。その時僕は ALPHA キャンパスの寮に住んでいたんだけど、素晴らしい先生がいてね。彼女は “関西のオバチャン” と自称していたよ」どうぞ!!

GOSPEL “THE LOSER” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【MOON TOOTH : PHOTOTROPH】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH NICK LEE OF MOON TOOTH !!

“I Liked The Idea Of Putting Something Out In The World That Might Give People Some Release From Their Anxiety And Frustration Right Now Instead Of Just Mirroring It With More Anger And Existentialism.”

DISC REVIEW “PHOTOTROPH”

「僕たちは、ロックのヒーローたちと、彼らがそれを実現するために果たさなければならなかった道のりに敬意を表しながら、何か新しいことをしようとしているんだ。 レミーならどうしただろう?ってね」
ロングアイランド出身の MOON TOOTH による目まぐるしきサード・アルバムは、過去25年間にオルタナティブ・ロックが果たしてきた奇妙で先進的な音楽の扇動に対する解答のように感じられるかもしれません。
ALICE IN CHAINS や SOUNDGARDEN にはじまり、DEFTONES の絹のような感情表現、QUEEN OF THE STONE AGE の石器時代の鼓動、MASTODON の知的な砂漠、そして TOOL の複雑怪奇なグルーヴ。”Phototroph” には、たしかにこうした瞬間が散りばめられています。しかし、”次の METALLICA になりたい” と宣言する MOON TOOTH の特異性や野心は、彼らにとっての “始まりの地” からすでに “約束の地” へと舵を切っています。
「チャック・ベリーから MOON TOOTH まで、ロックのひとつのラインをたどれるようにしたいというのが本音なんだ。他のバンドが今何をやっているかなんて、どうでもいい。僕の頭の中と心の中では、真のロックンロール・バンドでありたいんだよ」
MOON TOOTH が次の METALLICA となるために必要だったのは、”ユニーク” を超えること。METALLICA のように、他の誰もやっていないことをやること。そのために彼らは、メタル以前の音楽をもモダン・メタルで再調理して、アルバムの中でロックの歴史を一つにつなげる荒唐無稽を実現しました。
ここには、オーティス・レディングの躍動も、ヘンドリクスのリフ革命も、QUEEN のハーモニーも、クリムゾンの難解なパズルでさえ存在し、再び命を得ています。
「ギターソロを早送りで聴く?ハァ?15秒~30秒のギターソロを聴くことができないほど忙しいの? ソロを早送りするのに、なぜバンドを聴いているんだ?!?!失礼ながら、君が言うような人たちは、おそらくギターソロそのものを聴くよりも、ギターソロに反応する人の YouTube ビデオを見る方が好きなんだろうな。冗談じゃないよ!」
重要なのは、この作品にロックの不純物がひとかけらも混入してはいないことです。あの RIOT V にも所属する Nick Lee の左腕にはスリルとエモーション、それにかつて誰もがギターに期待していたスペクタクルが存分に宿っていますし、自然保護施設でも働く John Carbone の表現力、感情を高めた歌声には人知を超えた野獣が降臨。ロックの王道が忘れ去られた世界で、ロックの王道を一人、むき出しの感情、むき出しのサウンドで歩んでいます。
さらに、タイトル・トラック “Phototroph” を聴けば、RUSH を思わせる千変万化なコンポジションに、FOO FIGHTERS もたじろぐほどのアリーナ・サイズのフックを刻み込んでいることが伝わるはず。”Nymphaeaceae” では、歪んだリフの曲がりくねった迷路に THE ALLMAN BROTHERS の遺志を込め、その奥深くにボーカル・フックを丁寧に埋め込んでいます。MOON TOOTH は実験とポップのシーソーを誰よりも巧みに乗りこなすのです。
「30のアイデアのうち、この11曲がとてもうまくまとまったんだ。楽観的で希望に満ちた感じがするから。今の時代の不安やフラストレーションを、怒りや実存主義に置き換えるのではなく、そこから解放されるようなものを世に送り出したいという思いがあったんだ」
パンデミック、戦争、政治の腐敗、独裁者の台頭。混乱と混沌の20年代においても、MOON TOOTH は人間の強さを信じています。”Phototroph” “光栄養生物” と訳されるアルバム・タイトルには、希望という光に向かって進んでいく私たちの姿が重ねられています。
たしかに今、誰にとっても、”聖域” は消え去りました。しかし逆に今こそ、Nick の言葉を借りれば、これまで自覚することのなかった、目を背けていた私たち自身の “不寛容” と向かい合うチャンスなのかもしれませんね。”Phototroph” はそんな私たちの “光合成” を促すような作品ではないでしょうか。
2012年に結成された MOON TOOTH は、初期にタグ付けされたプログ・メタルというタグをいまでは取り払ったように見えます。それは彼らの音楽が十分にプログレッシブでもなく、十分にメタルでもなかったからではなく、その二つ以上のものを兼ね備えていたから。今回弊誌では、Nick Lee にインタビューを行うことができました。「人間は時に、ポジティブなことに集中したり、目標を設定してそこに向かって進んだりすることを、自分で選択しなければならないことがある。それを伝えたかったんだ」 三度目の登場。スケール感が倍増しています。どうぞ!!

MOON TOOTH “PHOTOTROPH” : 10/10

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COVER STORY + INTERVIEW 【IBARAKI : RASHOMON】


COVER STORY : IBARAKI “RASHOMON”

“In Japan,There’s This Thing About Karoshi, Salarymen Who Work Themselves To Death. I Don’t Talk About This Much, But My Uncle Kiichi Killed Himself. His Name Is My Middle Name.”

RASHOMON

ブラックメタルがヘヴィ・メタルの境界を押し広げるトップランナーであることに疑いの余地はありません。その重苦しく凍てつくような壮大さ、悪魔のような地獄の炎、耳障りなノイズはエクストリーム・ミュージックの最暗部にありながら、ねじれた空想家が最も先鋭的で予想外の音を解き放つことができる創造の魔窟となっています。だからこそ、TRIVIUM の英雄にしてメタル世界きっての探求家 Matthew Kiichi Heafy がこの地下城に足を踏み入れるのは、ある意味必然でした。
ブラックメタル・プロジェクト IBARAKI のデビュー・アルバム “Rashomon” は、Heafy にとって10年以上に渡る努力の結晶です。ブラックメタルへの愛を常に口にしていた Heafy は、2009年にはすでにこのプロジェクトに着手することを決定していました。当初のプランは、ブラックメタル界の “門番” たちが TRIVIUM のような比較的メインストリームなバンドに関連した作品を受け入れることはないだろうと想像して、別名で活動し、純粋なセカンドウェーブの攻撃性を持つ匿名作品を作ることでした。しかし Heafy が Ihsahn と接触し彼のソロ作品を探求し始めたとき、このアプローチは劇的に変化したのです。
このアルバムの至る所で、Ihsahn からの影響は息づいています。”angL” から “Arktis” までの素晴らしき Ihsahn の落とし胤のように、IBARAKI はブラックメタルに根ざしてはいますが、はるかに広い展望を持っている創造性の塊へと変身を果たしました。Ihsahn の存在は大きく、アルバムのプロデュースだけでなく、いくつかの曲を共同で書き、ボーカルとギターで何度も登場していますが、それでも “Rashomon” は非常にユニークかつ独自の存在。ただその実験的かつ感情的な到達点という意味では、両者は同じような考え方を共有しているのです。

和を感じさせるオープナー最初の爆発的なクレッシェンドに至る道のりでは、エクストリームでニヒルなブラックメタルを作ろうという当初の計画を鮮やかに感じ取ることができます。90年代のローファイで禁欲的な美学に陥ることはありませんが、生々しい叫び声が絡みつき、鋭くどう猛なギターとともに、Heafy は内なる獣を解き放っていきます。しかし、プログレッシブなパッセージが現れると、続く “Ibaraki-Doji” では豊かなオーケストラのうねりと予想外の拍子とともに、威厳ある “皇帝” のようなシンセサイザーが厳かに響き渡ります。この作品には、トラックを通しての波と流れがあって、その満ち引きは Heafy の Heafy たる所以とも言えるダイナミズムにつながります。TRIVIUM で重さとメロディーの巧みなバランスを司る Heafy はその教訓を、全く異なる方法であるにせよ、ここでも活かしきっているのです。
例えば、”Akumu” は BEHEMOTH の Nergal を意識して書かれたにちがいない闇の威厳に満ちていますが、続く “Komorebi” には OPETH や ULVER の哀愁やアトモスフィア、静謐が佇み、そうして Gerard Way をフィーチャーした一際衝撃的な “Ronin” へと到達します。初期の MY CHEMICAL ROMANCE では、彼の絶叫が示唆されることもありましたが、このような痛烈なパフォーマンスを20年間も温めていたとは驚きの一言。
ただし、それぞれの楽曲自体にも、ローラーコースターのような緩急、重軽、硬軟のコントラストがあって、その対比の妙を Heafy のパワフルな Mikael Akerfeldt 的クリーンボーカルが激しく美しく引き出し、IBARAKI 世界のドラマ性を格段に高めていきます。もっと言えば、OPETH や ENSLAVED がその矜持ゆえに踏み込めなかった、踏み込まなかった、完全にキャッチーでドラマティックなエクストリーム・プログレッシブを実現しているのではないでしょうか。
Ihsahn の家族(妻で Peccatum のパートナーである Heidi Tveitan を含む)”Ronin” にバッキング・ボーカルで参加していて、TRIVIUM の家族、ドラマー Alex Bent、ベーシスト Paolo Gregoletto、ギタリスト Corey Beauliei も様々なトラックで登場し作品の黒色を豊かに彩ります。ポーランド語で歌う Nergal, 「俺は素戔嗚。使命はわかってる!」と日本語で吠える “Susanoo no Mikoto” と言語的にも豊かな作品。


TRIVIUM 初期のインタビューからこのジャンルへの愛を告白し、2003年の “Ember To Inferno” や2008年の “Shogun” ですでにそのサウンドの片鱗を表現していた Heafy の情熱を疑う者はほとんどいないでしょう。しかし、EMPEROR のフロントマン Ihsahn や BEHEMOTH の Nergal といった巨人をも巻き込んだ果敢な傑作の完成には、最も熱心な信者ですらきっと驚かされるはずです。10年以上の年月を経て、Heafy は黒く塗りつぶされた地面に堂々と自身の旗を立て、自身の文化的背景に基づいた曲を作ることの重要性を理解するようになりました。
「ブラックメタルは、メタルがすべて同じと言われることに対する反応であるはずなんだ。だから、ブラックメタル・ファンにとって TRIVIUM の奴がブラックメタルをやるなんてめちゃくちゃ衝撃なんだよね。それがブラックメタルの精神だよ。だからこそ、僕はこのプロジェクトに責任があるんだ」
Heafy はいかにしてメタルの最も暗い深みへの道を発見したのでしょうか?
「15歳の時、Napster にハマったんだ。今でこそ、あのプラットフォームはかなりの汚名を着せられているけど、僕はいつも新しいバンドを発見するための方法としてそれを見ていたんだ。いわば、僕にとっての “テープトレード時代” だ。最初にハマったのは IN FLAMES, CANNIBAL CORPSE, CRADLE OF FILTH の3つのバンドだった。デスメタル、メロディック・デスメタル、ブラックメタルという3つのサブジャンルを発見したのは、メタルに目覚めたばかりの僕にとって、本当にエキサイティングなことだったんだよね。
同じ頃、オーランド出身の MINDSCAR というバンドの Richie Brown という地元のミュージシャンに出会った。彼と初めて一緒に遊んだとき、彼は “Emperial Live Ceremony” の DVD(当時は VHS だったかもしれない)を見せてくれたんだ。EMPEROR ライブインロンドン。僕は即座に夢中になったよ。それから Richie はDISSECTION の PV や DIMMU BORGIR の “Enthrone Darkness Triumphant” ツアーのライブなど、彼の古いテープを全部見せてくれるようになった。アートワークと音楽を通してのストーリーテリング、シンフォニックなパッセージとエクストリームな音楽が組み合わさっていて、その鮮やかさがとても気に入ったんだよね。METALLICA, MEGADETH, TESTAMENT, SLAYER といったバンドを聴き慣れていた僕には、まるで別物のように感じたよ…」

どのようなレコードが、Heafey のサブジャンルへの愛を形成したのでしょう?
「これらのアルバムは、最後の2枚を除いて、僕がブラックメタルにハマり始めた頃のもの。まず最初に、ストックホルムの MORK GRYNING の2001年の “Maelstrom Chaos”。このレコードはプロダクションとスタイルの面で僕にとても影響を与えている。このアルバムに収録されている “My Friends” という曲はとても奇妙で、”ブラック・メタルではない” と感じると同時に、とてもブラックメタルだと感じるんだ。
ウメオの NAGLFAR による2003年の “Sheol”。ストックホルムの DARK FUNERAL による2001年の “Diabolis Interium”。彼らは半伝統的なオールドスクール・サウンドにこだわっている。プロダクションに重点を置いていることが、僕にとって意味があったんだ。1995年、DISSECTION による “Storm Of The Light’s Bane”。1997年のオスロの OLD MAN’S CHILD による “The Pagan Prosperity”、DIMMU BORGIR の別バンドのGALDER。信じられないほどメロディアスで、バロックとネオクラシカルを同時に表現している。1997年の DIMMU BORGIR の “Enthroned Darkness Triumphant”。もちろん、1997年の EMPEROR の “Anthems To The Welkin At Dusk” と1996年の SATERICON の “Nemesis Divina” も名盤だ。これらは僕の “ブラックメタル少年時代” のアルバムなんだよ。
それから、ENSLAVED による2012年の “RIITIIR”、BEHEMOTH による2014年の “The Satanist” だ。”The Satanist” は新しいし、人々は基本的にノルウェーとスウェーデンのバンドをこのジャンルの “リーダー” として見る傾向があるけれど、この作品はブラックメタル史上最高のレコードのトップ10に入るよ」
Heafey は、ブラック・メタルの物語が、魂を震わせるサウンドを高めていると指摘します。
「ブラックメタルにのめり込んでいくうちに、なぜ彼らがああいった見た目をしているのか、なぜ曲やアートワークがこうなっているのかが分かってきて、本当にいろいろなもので構成されていることで好きになったんだ。彼らはもともとはスラッシュに傾倒していたんだけど、その後、クラシック音楽の要素やスカンジナビア民謡など、さまざまな影響を持ち込むようになった。そういう民俗的なストーリーは本当に魅力的だと思うんだ。
TRIVIUM の初期の曲で、”Oskoreia” という北欧の伝説にまつわる曲がある。白い顔をした幽霊の騎兵が超高音で叫び、人々の魂を奪っていくというものなんだけど、これは僕がどれだけブラックメタルの伝説にハマっていたかを示しているね。あらゆる本を読み、あらゆるバンドについて調べ、あらゆるシャツやCDを手に入れていたからね。このアルバムのターニングポイントは、Ihsahn と話していて、”もし僕がスカンジナビア人だったら、ThorとRagnarok について書けたのに…” と言った時だったんだ。
彼は2つのことを教えてくれた。1つは、僕にもルーツが存在すること、もう1つは、自分の日本的な面をもっと見るべきだということ。背中にタトゥーしている神道の八岐大蛇(やまたのおろち)のようなものを参考にできるとわかったとき、状況が一変したんだよね」

IBARAKI の既成概念にとらわれないアプローチに道を開いた先駆者は誰にあたるのでしょう?
「ブラックメタルのパイオニアたちは、メタルは商業的になりすぎて、同じようなことばかりやって言っていると言っていた。この音楽はその対抗策だったんだ。でも、その後、自分が作ったものに固執すると、結局、それをまた別のものに変えるための反抗が必要になるんだ。EMPEROR は、僕がこのジャンルを発見したときの最大のバンドのひとつだった。TRIVIUM のどこにブラックメタルがあるのかと聞かれたとき、僕はいつも、サウンド面では必ずしもそうではないけれど、EMPEROR は僕にすべてのレコードを前とは異なるものにする自信を与えてくれたと説明してきたんだ。
“In The Nightside Eclipse” にはじまり, “Anthems To The Welkin At Dusk”, “IX Equilibrium”, Prometheus”, “The Discipline Of Fire & Demise” まで、彼らはそれが可能であることを証明してくれた。ULVER の “Perdition City” はブラックメタルではないけれど、正反対であるからゆえに、ブラックメタルとして非常に重要なレコードなんだ。WARDRUNA もそうだ。あのバンドはブラックメタルとは似ても似つかないけど、同じ素材を使っているから、同じように重要だと感じる。一方で、BEHEMOTH の “The Satanist” は、このジャンルに回帰しているにもかかわらず、とても異なっているように感じられた作品だね。僕にとっては、”O Father O Satan O Sun!” が BEHEMOTH の曲の中で一番メロディが良いんだよ!
そして、Ihsahn の2010年のソロ・アルバム “Eremita” を聴くと、まるで初めて “Anthems” を聴いた時のような感覚になる。あのレコードがきっかけで、IBARAKI が別名義から自分名義のプロジェクトにシフトしたんだ」
教会の焼き討ち、ファシスト思想、殺人など、ブラックメタルの残忍な裏の顔はたしかに問題視されています。
「正直なところ、若い頃は、ブラックメタルの暗さに惹かれたんだ。別に肯定も宣伝もしているわけではないんだけど、音楽的な対立でバンドメンバーが殺し合うようなジャンルがあったというのは、若い人には絶対に響いてしまうと思うんだよ。だけど大人になってみると、このジャンルには人種差別や偏見に固執する、本当に問題のある側面があることがわかってくるし、それは僕が強く反対していることでもある。最初に若さゆえの “目隠し” が取れたとき、”信じられない!” と思う反面、”なんてこった、これが見えてなかったなんて!”とも思ったものだよ。でも、それは僕がブラックメタルを書き直す手伝いをしたいということでもあるんだ。
“Rashomon” の制作を終えた頃、(COVIDの無知が原因で)世界中で反アジアの感情が高まっていたんだ。だから、このアルバムは、日本の文化にスポットを当てて、その物語についてもっと知ろうと思ってもらえるようにするためのミッションだと考えるようになった。そして、中国や韓国の物語、ヨーロッパの物語、アフリカの物語など、地球上に学びのボキャブラリーを広げていきたいんだよ。僕にとって “Rashomon” は、ブラックメタルについて僕が好きなものを維持し、そうでないものを超越するための作品なんだ」

日本にルーツを持つ Heafy が、日本のゲーム文化に惹かれていったのはある意味自然な成り行きでした。
「4歳くらいのときに “マリオ1” が発売されたから、その頃からゲーム機で遊んでいたね。僕はずっと “任天堂キッズ” で、マリオのゲームばかりやっていたよ…。それからスーファミで “ドンキーコング”、”ファイナルファンタジー”、もちろん “スーパーマリオワールド”、”ゴールデンアイ 007″…。”ゴールデンアイ” のおかげで、シューティングゲームにハマり始めた。あと、1997年に発売された “ファイナルファンタジーVII” は、今でも一番好きなゲームだよ。それから “コール オブ デューティ” にハマったね。
ゲームは常に身近にあって、ゲームや音楽に関するインタビューも多く受けるようになった。その中で、僕が好きなゲームは常に “ファイナルファンタジー” だったことに気づかされていったね。あのゲームの音楽はとてもメタルなんだ。メタルの要素もあるし、ロックの要素も、クラシック音楽の要素も、エレクトロニックの要素もある。それらはすべて、後に僕が愛するようになるものだった。だから、ファイナルファンタジーが僕の好きなものをすべて植え付けてくれたのだと思う。音楽は何でもあり。エレクトロニック、クラシック、ロックに映画のような音楽。僕の音楽にあるドラマのような壮大な要素も、ゲームからきているのだと思うね」
愛する日本のビデオゲームのストーリーや背景にも、そんな伝承の数々は必ず存在しています。だからこそ、自身のルーツである日本の伝承をブラックメタルに込めた Heafy。さらにその世界は、子供のための絵本にまで広がっていきます。絵本に付属のCDは、IBARAKI とは別物で、Heafy が作詞・作曲・演奏した心地よいアコースティックソング。この貴重な物語をより多くの方法で体験してもらえるよう、本を補完するための音楽CDとなっています。
「”Ibaraki And Friends” は、僕が幼少期に親しんだ物語が詰まった本。日本の民話は、ビデオゲーム、アニメ、映画、歌など、今日ある多くの素晴らしい物語の根底にあるんだよ。日本人の母親が教えてくれた日本の古典的な物語。その中に登場する多くの伝説的ヒーロー、神秘的な生き物を見開きで紹介している。猿と人と鳥のハイブリッドである天狗、八岐大蛇、九尾の狐などが、イラストレーターの鮮やかなイラストと妻の美しいデザインによって描かれているんだ。
何年もの間、僕はできるだけ多くの日本の物語を研究し、そのうちのいくつかを体に彫ってきた。そして、TRIVIUM、IBARAKI、そして今回の “Ibaraki And Friends” の曲の中でそのテーマを探求しているんだ。こういった日本の素晴らしい物語の探求を通して、読者が日本の文化についてもっと学びたくなり、そして周辺のアジア諸国の文化をもっと学びたいと思い、世界中の物語について学ぶ意欲を広げ、僕たちが地球上で共有するべき多くの文化に対する好奇心を刺激できればと思っているんだよ」

ただし、ここに描かれているのは遥か昔の日本だけではありません。Heafy にとって、IBARAKI は単に日本の神話や民話にインスパイアされたアルバムというよりも、日本らしい “本音と建前” のように、想像上のものと文字通りのもの、現実と想像の両方の妖怪が存在する作品なのです。
「日本には、死ぬほど働くサラリーマンがたくさんいて、”過労死” というものがある。これはあまり話さないんだけど、僕の叔父の喜一は自殺したんだ。彼の名前は僕のミドルネームになっているんだけどね。彼は日本で警察官をしていて、家族もいた。家に帰ると、母が泣きじゃくっていたのを覚えているよ。なぜ彼が死ななければならなかったのか、その理由を探ってみたくなったんだ。日本は自殺が多いんだよ。表面的には幸せそうに見えるんだけど、実はそうじゃない。
母に相談したところ、僕が自分に課しているのと同じようなプレッシャーや不安感を日本の人たちも抱いているってわかったんだ。音楽を仕事にすることは夢の国だと思われているけど、実際はそうではない。このアルバムで、そのテーマを追求したかったんだ」
IBARAKIにユニークな美学と影響を与えたのは、日本の豊かな神話と民俗学だけではなかったのです。そう考えれば、この国に住む当事者である私たちは、”悪夢”, “魂の崩壊” といった楽曲のタイトルにも共感するところは必ずあるはずです。そしてそれは、Heafy 自身のアイデンティティについて考えるきっかけとなり、アメリカでの最近の悲劇、反アジアの暴力と偏見の増加について熟考する機会にもなりました。
「アメリカにおけるアジア人に対する暴力、人々の心の狭さによるアジア人へ殺人。ハーフだから白人でいいという感覚はなかったけど、今、このことについて話すことが重要だと感じているんだ。すべてのものには、その背後に豊かで素晴らしい、美しい文化がある。あらゆる文明、あらゆる文化、あらゆる生活の歩みがそう。だから、アジアのメタルヘッズやアジアの音楽ファンが、少しでも誇りを感じられるようになればいいと思う。”ここが私の出身地だ” “これが私の出自だよ” と言えるのは素晴らしいことだ」

ブラックゲイズ、ブラックンロール、DSBM。近年、ブラックメタルの “黒” にも様々な色合いが滲み出るようになりました。
「サブジャンルが大好きなんだ。メタルで一番好きなものの一つだ。以前は自分がとても精通していると思っていたけれど、今はたくさんありすぎて僕でも全部が何なのか分からないのがクールだね。食べ物や、もっと伝統的な音楽、ドラムのビート、ギターの奏法、ゲーム、漫画、映画などを分類するような感じで、とにかく楽しいんだよ。例えば、GHOSTEMANE は Baader Meinhof というブラックメタルのプロジェクトを持っているんだけど、GHOSTEMANE の最新作ではブラックメタルの断片を混ぜてきているよね。CARPENTER BRUT はエレクトロニック・アーティストでありながら、ブラックメタルを聴いているような気分にさせてくれる。
IBARAKI が今後、さらにサブジャンルを開拓していく可能性はあるかって? 僕が Ihsahn と Candlelight Records に送った一番最初のブラックメタルの曲を振り返ってみると、それは本物のオールドスクールのセカンドウェーブのように聴こえるんだ。そして今、僕はここにいる。いつか1991年のブラックメタルみたいな音楽を作りたいと思うかもしれない。あるいは1997年のような。あるいは全く新しいものを。マジック:ザ・ギャザリングのサウンドトラックや “Elder Scrolls Reimagined” のような他のプロジェクトに関しては、自分が何をしなければならないか分かっているけど、でも、IBARAKI と TRIVIUM では、常に “瓶の中の稲妻” を捕獲できるかどうかということなんだよ」
THE RUINS OF BEVERAST から PANOPTICON, NOCTULE まで、ブラックメタルは多くのアーティストが独自の道を歩んできました。
「他のジャンルのレイヤーと複雑さに対して、ブラックメタルのプロジェクトは一人の人間で成り立っているものが多い。EMPEROR, BEHEMOTH, ULVER, DARKTHRONE のようなバンドでさえ、一人の主要メンバーのビジョンを中心に展開する傾向がある。TRIVIUM では、常に自分たちが作りたいと思うレコードを作ってきたけど、それでも4人でひとつの頭脳として、常に考えているよね。
IBARAKI は、この12年間、誰のことも考えずに100%自分の好きなように音楽を作ってきて、イントロとアウトロを除いたトラックリストはその間の自分の成長を時系列で追ったものでもあるんだよ。それはとても自由なことで、次作がどうなるかとても楽しみだね。”東欧のダニー・エルフマン” 的なものがあって、それをもっと追求するかもしれない。あるいは、日本から伝統的な製法で作られた三味線を送ってもらったから、独学で弾き方を勉強して、1曲か2曲、あるいは全曲、僕が三味線を弾いて日本語で歌っているかもしれないね!」

特にメタルにおいては、厳しい顔をしたファンという門番の審判を超えなければなりません。
「ブラックメタルにおける門番は常に存在すると思う。自分がそうだったから、その考え方は理解できる。16歳の時、僕は超ロングヘアで、XLの長袖 DIMMU BORGIR のシャツとカットオフの白い戦闘服、戦闘ブーツを着て、トラックの窓を開けてブラックメタルを鳴らしながら高校に通っていたんだ。学校の友達はポップパンク、ハードコア、エモだったんだけど、僕は “歌のあるものは全部クソだ” と思っていた。”音楽はノルウェー産でなければ、最悪だ!” と思っていた。でも、今は Ihsahn と Nergal に注目している。ブラックメタル界の偉大な2人は、伝統的なブラックメタルとは違うことをやってきた。IBARAKI が TRIVIUM の人の音楽だからといって、聴かないという人は必ずいるはずだ。でも、それはそれでいいんだ。
だけど僕は、このジャンルを愛し、理解し、どんなエリートよりも深く知り、このジャンルの中で育ってきたからこそ、ブラックメタルを扱うことができる。創造性を大胆に飛躍させる必要があるんだ。2005年の TRIVIUM でも、 “Ascendancy Part 2” を作るのはきっと簡単だっただろうが、僕は正反対のアルバム “The Crusade” を作ることを選んだね。それが僕やリスナーを不快にさせるのなら、むしろそれは良いことだよ!」
新しい世代が音楽的、社会的、政治的な状況を変化させる中、ブラックメタルにはどのような未来が待っているのでしょうか?
「ブラックメタルには明るい未来があると信じている。デンマークの Møl のようなバンドがやっていること、僕らがここでやっていること、もっと大きな意味では Ihsahn のようなこのジャンルのパイオニアだった人が、80年代のメタルのような曲とサックスソロやクリーンジャズのパートが入ったレコードを作っているのを見ると、僕らはすでに未来にいると感じる。ブラックメタルには常にサブジャンルが存在し、その裏側には厄介なものもあって、僕らがやっていることがブラックメタルだとは思っていない人たちもいる。でも、僕は気にしない。
結局のところ、伝統主義者をなだめたり、何かを維持しようとするのではなく、人々は常に自分たちが聴きたいもの、演奏したいものを作る必要があると信じているんだ。何かを書こうとするとき、その輪の中に入ってしまうと、物事が作為的になってしまう危険性があるんだ。アメリカのロック・ラジオ向けに組み立て式のロックを作っているバンドがたくさんあるのと同じようにね」

参考文献: KERRANG!:Matt Heafy’s guide to black metal

IBARAKI: BIO

ULTIMATE GUITAR:Trivium Frontman Matt Heafy Explains What Video Games Mean to Him, Reveals His Favorite Game Ever

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【SAIDAN : ONRYO Ⅱ: HER SPIRIT ETERNAL】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH SAIDAN !!

“America Used To Have an Obsession With Remaking The Famous Japanese Horror Films, And To Me, They Were Never Scary, Because It Placed Those Stories In Our Culture. To Me What Makes Japanese Horror Stand Out, And What Makes It Scarier, Is The Differences In Our Surroundings, And Cultures.”

DISC REVIEW “ONRYO Ⅱ: HER SPIRIT ETERNAL”

「当初はバンド名に、宗教的な意味合いから英語の “Altar” (祭壇) を使おうと考えていたんだ。でも、その名前を使ったバンドはすでにたくさんあるし、日本をテーマにしたものを書き始めていたから、”Saidan” の方がしっくりくるかなと思ったんだよね」
ナッシュビルから登場した USBM の雄、SAIDAN のメンバー Saidan と Shadosai は、日本文化への大きな愛と興味を持ち続けています。例えば、TRIVIUM の Matt Heafy がそうであるように、日本の神話、芸術、大衆文化において恐怖の概念がどのように表現され、それがいかに西洋の手法、恐怖と異なるのかに彼らもまた着目しているのです。
もちろんこれまでも、日本のフォルクローレ、その表層をテーマとした海外のバンドは少なからず存在しました。しかし、Matt の IBARAKI や アルゼンチンの IER、そして SAIDAN のように、日本の民俗的伝承や日常の深層までふみこんで音に委ねるアーティストが近年増えています。これぞメタル好奇心の生命力と感染力のたまもの。
「アメリカはかつて、日本の有名なホラー映画をリメイクすることに執着していたよね。でも、僕にとってそれは決して怖いものではなかったんだ。だから、日本のホラーを際立たせ、より怖くしているのは、おそらく僕たちを取り巻く環境と文化の違いだと思うんだ」
人間が持つ恐怖の感情は、おそらくその対象が未知のものであればあるほど増大する。そういった意味からも、およそ恐怖や狂気、死を描くブラックメタルのテーマとして西洋には馴染みの薄い日本の怪談を選ぶことはなるほど、理にかなっています。ただし、興味深いことに SAIDAN は、精神疾患や社会病質といった見えざる恐怖を引き起こす日本の悪霊、幽霊、妖怪、呪いと西洋の魔女を恐怖のスープでコトコトと煮込んで混交させているのです。
「BALZAC, LOUDNESS, DOG inThe PWO, X Japan、ANTHEM, 神聖かまってちゃんといったバンドにね。そして、Mrs.GREEN APPLE、DISH//、PassCode、Dizzy Sunfist、YOASOBI みたいな新しいグループにも影響を受けている。その他にもたくさんの日本のアーティストが、僕の作品作りに大きな影響を与えてくれているよ」
驚くべきことに、SAIDAN の異文化交流は恐怖だけではありません。まさに日本との架け橋となるべく、彼らは日本のロックやポップス、メタルからの影響まで大胆に料理して、鍋の中へと放り込みました。それはさながら恐怖を際立たせるためのイヤー・キャンディー。それとも生への渇望でしょうか。”Onryo” のサウンドや構成はブラックメタルであるにもかかわらず、生き生きとした、喜びさえ感じさせる多幸感のスパイスが用意されているのです。
「日本のポップスには独自のスタイルとフィーリングがあるんだよね。コード進行やメロディーも独特で、本物の楽器が使われている。一方、アメリカのポピュラー音楽は、ほぼ100% “フェイク” なんだ」
ポップでフレンドリーなリフ、ダンスホールのリズム、叫び声と極北のアンビエンスの奇妙な組み合わせでハイテンションな “Kissed by Lunar’s Silvery Gleam” で幕を開けるアルバムは、とてつもなく多くの音楽を提供してくれる怨霊の玉手箱。J-Rock、J-Pop, パンク、ポスト・ブラック…そしてドリーミーなシューゲイザーまで、あらゆる影響を SAIDAN のスタイルに取り込み、それがどんなに矛盾していても必死ですべてを成立させていきます。この包括的な精神は、他の楽曲にも波及し、エネルギッシュでポップなリフ、チャギーなリズム、冷たいアンビエンス、苦悶の叫び、神々しき多幸感、儚さと喪失感、つまり黒さと白さが等しく溢れかえっているのです。
重要なのは、ただポップであるのではなく、生々しく肉感的ブラックメタルの嗚咽に沿ってメロディックであることでしょう。シンセのキラキラとあいまって “Queen of the Haunted Dell” には COB の華やかささえ感じますし、”Yuki Onna” の素晴らしきJ-POP感も出色。
今回弊誌では、SAIDAN にインタビューを行うことができました。「日本の怪談やホラー映画について書き始めたのは、それらを読んだり見たりすることで、当時の人生で起こっていたすべてのことを忘れることができたからなんだ。西洋の音楽の中では、日本の怪談をテーマとしたストーリーはほとんど語られていない気がしたしね」 どうぞ!!

SAIDAN “ONRYO Ⅱ: HER SPIRIT ETERNAL” 9.9/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【THE LINDA LINDAS : GROWING UP】


COVER STORY : THE LINDA LINDAS “GROWING UP”

“Punk Is Anything We Want It To Be. I Like ‘Do-it-yourself’ Because It’s Whatever You Feel Like. It Doesn’t Have To Be a Certain Way.”

GROWING UP

「言いたいことは何でも言うべきだし、言えたらそれを誇りに思うべき」
まだ若く、会場によっては客として入れないかもしれませんが、LA のパンクバンド THE LINDA LINDAS はシーンに特別注目されています。昨年の大ヒット “Racist, Sexist Boy” で Epitaph にピックアップされた後、強さと10代特有の青を持った彼女たちは、すでに世界を相手にする準備が整っているのです。
ニーハイソックスとグラフィックTシャツに身を包んだアジア系とラテン系の4人の少女は、パンデミックの中で急増した反アジアの憎悪に対して、勇ましくも正当で、活気ある雄叫びを上げました。
自分の10代を振り返ってみればわかるでしょうが、ティーンエイジャーの多くは夏休みの過ごし方をあまり考えてはいません。数ヶ月に及ぶ授業、宿題、試験の後、一年のうちで最も晴れやかな時期を気ままに過ごせる自由はあまりに優雅です。綿密な計画は必要ありません。友達に会ったり、日光浴をしたり、学校の時間割にはない楽しさとリラックスを詰め込むためのシンプルな時間。
しかし今年、Lucia と Mila の De La Garza 姉妹、いとこの Eloise Wong、長年の友人 Bela Salazar は、THE LINDA LINDAS 初のヘッドライン・ツアーに出発し、他に類を見ない冒険の夏休みを過ごすことに決まっています。BIKINI KILL の Kathleen Hanna が彼女たちの母親に直接メールを送り、彼女のバンドの再結成ツアーの前座を務めてもらえないか頼んだという逸話も。彼女たちはリラックスしている場合ではないのです。

多くのバンドとは異なり、THE LINDA LINDAS にはフロント・パーソンがいません。4人全員が歌い、作詞作曲をすることで、それぞれの声がほぼ均等に聞こえるようになっています。ベーシストの Eloise は最も熱狂的な性格で、怒りに満ちた楽曲にぴったりの力強いシャウト・スタイルを持っています。ギタリストの Bela はビッグなリフを奏でながら、メランコリックで物思いにふけったり、ヒステリックな叫び声をあげるのに適した硬質な歌声を披露。
一方で、同じくギターの Lucia は、晴れやかな楽観主義で、世界をありのままにとらえながらも、そこに喜びを見出すような曲を書き連ねます。ドラマーである Mila の歌詞は、姉の Lucia でさえ 「彼女がまだ11歳だなんて信じられない!12歳、いや15歳くらいに感じる時もあるわ!」 と語るほど自己認識と思慮深さに秀でています。
昨年半ば、LA市立図書館で “Racist, Sexist Boy” を披露した動画は予想外に拡散され、この4人組はシーンに突如現れることとなりました。Mila の同級生が、父親から、彼女のような中国系には近づくなと言われたことがすべてのはじまりでした。ジョージ・フロイドの殺害事件と BLM で世界が変化を求めているときに、反ヘイトの気迫に満ちた彼女たちの賛歌が心を打ったのでしょう。彼女たちが見せた強さと希望は、まもなく伝説的なパンクレーベル、Epitaph へと4人を導くことになりました。
「BAD RELIGION, DESCENDENTS, RED AUNTS, L7 など、私たちが大好きなバンドがたくさん所属しているレーベルの一員になれるなんて、シュールな話ね。SOUL GLO と THE MUSLIMS が Epitaph と契約したことにも興奮しているわ」

そして、”RSB” の拡散は、同じように “嫌な奴” の無知に悩まされた見知らぬ人たちから多くのメッセージが殺到することにもつながりました。
「この曲が人々をひとつにするのは素晴らしいことだけど、多くの人が共感してしまう状況は本当に悲しいことだわ」
Mila と Eloise は、2020年11月にロックダウンが始まる1週間前に Mila がクラスメートと交わしたやりとりを受けて、この曲を書き下ろしました。
「彼は、お父さんに中国人に近づくなと言われたと、ピンクの大きなパーカーから頭を覗かせながら言うの。なぜそんなことを言われるのか、とても困惑したわ。何が起きているのかわからなくて、私が中国系だと言ったら、彼は私から離れ始めたの」
Mila は家に帰り、家族とバンド仲間にその出来事を話しました。”Racist Sexist Boy “が誕生したのは、それからズームコールによって誕生していきます。虐げられてきたすべての人の力になることを願いながら…
「”Racist Sexist Boy” が爆発的にヒットした直後は、バンドにいるアジア人ってどんな感じなのかって質問されたよ…音楽で自分を表現することは、私にとってとても大切なこと。怒っているときに怒ったり、悲しんでいるときに悲しんだりすることができるのが、音楽のいいところなの。音楽があれば、他の方法では封じ込めてしまうようなことも話すことができる。政治的、社会的な問題であろうとなかろうと、吐き出したいことは何でも書くわ」と Eloise は打ち明けます。
「自分たちの声を、声をもたない人たちのために使いたかった」と Mila も頷きます。
当初、この曲は “Idiotic Boy” と呼ばれ、「馬鹿で愚かな」男の子について歌っていましたが、彼女たちは能力主義について学び、Eloise はその言葉がいかに人を傷つけるかを学んだと言います。
「この歌は、人種差別的で性差別的な男の子に対抗するためのものだったけど、私たちが差別的なことをしては元も子もない。だから、言葉を変えたの。私たちは知性についてではなく、いじめっ子であることについてより多く語ることにした。9歳の少女に実際に起こったことを物語にしたかった。そうすれば、世界は無視できなくなるから」
今でも少年からの謝罪はありません。しかし、Lucia たちにとってそれはもうすでに重要なことではないのです。
「もう、彼のことはどうでもいいの。より良くなるため、やってはいけないことを人々に伝えるため、そして私たち全員がより良くなるためのものになったから。私たちは完璧ではない。たとえ男の子でなくても、人種差別や性差別をしないこと。ホモフォビック(同性愛嫌悪)であってはならない。ただ、悪い人にならないように。そして能力主義にも陥らないように」

THE LINDA LINDAS の4人は、BEST COAST, THE CLASH, THE ADOLESCENTS, YEAH YEAH YEAHS といった反抗の音に囲まれて育ちました。「私は “子供の音楽” を聴いたことがなかったの」 と語る彼女たちは、まだ幼稚園に通っているときでさえ、分厚い耳栓で武装して初めてコンサートに参加しました。その多くは、世界最大の独立系レコード店と自負する Amoeba Records で行われた全年齢対象の昼間のショーでした。音楽的な生い立ちとしては、かなり印象的でしょう。
4人は2018年、Girlschool LA festival のピックアップ・バンドに誘われ、そこで BEST COAST の Bethany Cosentino と YEAH YEAH YEAHS の Karen O に初めて会った後、一緒に音楽を作るようになります。さらに、Lucia と Mila は、父親であるグラミー賞受賞プロデューサー兼サウンドエンジニア Carlos De La Garza が、PARAMORE の最新アルバム2枚と Hayley Williams のソロ・アルバム2枚を手掛けていることから、PARAMORE からも恩恵を受けることになります。実際、二人がこれまでに受けた音楽業界に関する最高のアドバイスは、Hayley からのもの。
「いつノーと言うべきか。そしてノーは時としてイエスと同じくらいパワフルであることを知ること。クールな両親を持ったわ。パンクのライブに行ったり、ミックステープを作ったり、誰でも何でもできるというパンクの DIY 文化とともに育ったから。パンクは、私たちが望むものなら何でもできる。決められたやり方なんてないの」
THE LINDA LINDAS が代表曲 “Rebel Girl” をカバーしたのを見た Kathleen Hanna は、30年前に BIKINI KILL が歩んだのと同じ攻撃的でフェミニストなパンクの道を歩むバンドにチャンスを与えるべきだと考え、2019年に彼女たちをツアーに帯同します。Lucia が振り返ります。
「あれは大きなチャンスだった。BIKINI KILL がいなかったら、私たちはおそらくバンドをやっていなかったと思う。彼女たちは、女性がバンドに参加し、コンサートに行くことについて、それほど批判されることなく受け入れられるようになるという革命を起こしたの。これは本当に特別なことよ。そして、初日から私たちを信じて、応援してくれた人たちがたくさんいる。私たちが望むような方法で、クリエイティブになれると教えてくれたの」

誰もがそうではありませんが、インターネット上のある種の人々は、楽器を演奏する4人の女の子を見て、彼女たちのメッセージには興味を示さずただ、”かわいい” と切り捨てています。当然、それは THE LINDA LINDAS を苛立たせ、Mila は見下すようなコメントよりも憎しみを感じるくらいだと言います。「男だけのバンドにそんなこと言わないでしょ」とルシアは指摘します。
「私たちは自分たちがしていることを真剣に受け止めている。この仕事を長く続けているわけではないけれど、音楽を作ることは私たちにとってとてもとても大切なことだとわかっているのだから」
視野の狭いキーボード・ウォーリアーたちは、本当に見逃していることがあります。この4人の仲間は、今、私たちの時代に対するあまりにダイレクトなメッセージを持っていることを。THE LINDA LINDAS の “パンク” を疑ってかかると、きっと後悔することになるはずです。”Racist, Sexist, Boy” はたしかに THE LINDA LINDAS を成層圏まで押し上げて、彼女たちの道筋を決めました。しかし、Lucia は単に表現と寛容のために戦うだけではないことを強調しています。
「私たちは、人種差別や性差別について話すことを期待される立場に置かれることが多くなった。もちろん、それについても話したいと思っているけど、それが私たちのすべてではないのよね。私たちが有色人種の若い女性だからといって、それが私たちの責任になることを望んではいないのよ。誰かに話をする義務があるわけではないの」

デビュー・アルバム “Growing Up” は、自分たちが発見している世界に目を向けながら、10代の経験がいかに混乱し、恐ろしいものであるかに焦点を当てた作品です。自分自身と向き合い、間違いを犯しながら、激しい新しい感情を扱い、自分自身のアイデンティティを確立していく時期の “成長” を描くアルバム。それは誰にでもある普遍的な葛藤ですが、THE LINDA LINDAS は信じられないほどユニークで前例のない状況で、”成長の葛藤” に直面しなければならなかったのです。
「私たちは思春期に多くのことを経験してきたの」Bela は言います。「パンデミックはその最たるもので、ただでさえ困難な成長に拍車がかかって困難になったわ。”普通の” 日々の心配や危機に加えて、新たな不安が加わったのだから。パンデミックを経験し、学校にも通い、さらに何百万もの問題に対処しなければならないなんて、どうかしているわ。でもおかげで、私たちは考える時間が増え、自分の感情に触れることができるようになったのかもしれないわね。特にここ(LA)の生活のペースはとても速いから、普通に生きていれば考える時間がないことも多いから。パンデミックで私たちはもっとたくさん考える時間ができて、自分の感情と触れ合うことができたの」
この2年間の出来事と向き合いながら、多くの人が、心の中に閉じこもって失ってしまった経験への憧れを感じているのではないでしょうか。特に若い世代は、人生で一番楽しいはずの時間を1年以上も失ってしまったのですから、切ない気持ちにもなります。しかし、THE LINDA LINDAS にとって、バンド活動でできることが少なくても、ロックダウンによって曲作りの練習や上達を促進することは普段以上に可能となりました。それが学生時代の喪失感を軽減し、自分たちの “何か” を作る機会を得ることもできました。
「監禁されるのは怖いし、ストレスがたまる。家族にも会えなかったし、お互いにも会えなかった」と Lucia は振り返ります。「だけと、私たちはより良い音楽家となることでこのパンデミックから抜け出すことができたのよ」

しかし、COVID-19がアメリカの海岸に届く前から彼女たちは、メキシコ人を犯罪者、麻薬の売人、強姦魔と決めつけ、COVID-19を “中国のウイルス” と呼んだホワイトハウスの老人のおかげで、かなり複雑で、物議を醸す状況で育つことを余儀なくされました。
「毎日何かあったのは確かよね。パンデミック、大統領選挙、Stop Asian Hate や Black Lives Matter みたいなことが立て続けにあったわ。何が起こっているのか、自分には何もできないと感じながら、家で座っているのは本当につらかった。そんな時には、自分が自分自身の最大の敵にならないように、心の中で何が起こっているのか、つまり、内面的に何かを理解する方法を見つけなければならないの。それがソングライティングなのよ」
ゆえに、彼女たちが音楽を通じて共有している世界観の形成に、アメリカの前政権は極めて大きな影響を及ぼしました。ホワイトハウスの横暴もあって、彼女たちは “Racist, Sexist Boy” を書き上げ、2020年の大統領選でついにトランプが大統領から解任されたその渦中に楽曲を完成させたのです。
彼女たちは投票するには若すぎたために(そして今も)トランプの横暴に対して何もできないままでした。だからこそ、THE LINDA LINDAS での活動は、彼女たちが感じた無力感に対する解毒剤になったのです。大人たちは、この困難な時代に育つ子供が若すぎて政治的なレトリックや意味、立場を理解できないと思っているかもしれません。しかし、それは真実から遠く離れていることを Mila は主張しています。
「でも、私たちは毎日状況を見ているんだよ。私たちは政治を理解しているの。わからないことがあれば、説明をしてほしい。難しくても理解したいと願うから」

投票権はなくても、少なくとも音楽はある。その熱い思いが、4人の若きパンクスを初期のシングル “Vote!” の制作に駆り立てました。これこそが、THE LINDA LINDAS のすべてなのです。人種、性別、年齢に関係なく、すべての人の声が重要であり、変化をもたらす “権利のない” 人はいないという彼らのミッション・ステートメント。そのバックボーンは Lucia の主張と共にここにあります。
「言いたいことは何でも言って、それを誇りに思えばいい。私たちの中には、本当に特別なものがあるの。私たちからインスピレーションを得てほしいと思うわ」
パンデミック、世界的な政治の混乱、そして彼女たち自身に常につきまとう心の成長の痛みなど、様々な影響はすべて “Growing Up” のレコーディングセッションで一つに溶け合いました。アルバムとしては、作曲していた当時の世界の悲しみが反映され、より怒りに満ちた側面を見せていますが、決してふさぎ込むような暗い雰囲気にはなっていません。ここには、バンドが楽しんで作った曲を文字通り粉にしてレコードに詰め込んだような、前向きで陽気な力があるのです。
それは、オープニング曲の “Oh!”(Eloise がいじめに遭っているクラスメートを助けようとして失敗したことに着想を得ている)がゲートから飛び出した瞬間から伝わります。”Talking To Myself” では、Mila が自分の考えを消化しようと、自分の心の中をさっそうと渡り歩く旅路。このアルバムで最も怒りが爆発する瞬間は、Eloise が映画を観て腹立たしく思った後に書いた “Fine” でしょう。
「主人公が友だちにする仕打ちに、私はとてもとても腹が立った。利用されるのは、一人は有色人種で、もう一人はクィアのキャラクター。彼女はずっと彼らを利用し、利用される側には何の見返りもない。特権を持つ人がマイノリティを踏み台にするというのは、ある意味、世の中の常。あの映画はフェミニストの映画と言われているけど、それが私はイライラしたの。曲名を “Fine” にしたのは、”こんな問題があるけど、大丈夫だよ” と言われ続けているような気がしたから。大丈夫じゃない。どうしたらいいんだろうと思ってしまうわ。時々、物事がうまくいかないことを認識することが重要な気がするの」

Lucia は、このアルバムに収録されている曲のうち、よりハッピーな曲を好んで提供しました。アッパーなタイトル”Growing Up” は、成長という潮流に流されることを受け入れ、可能な限りその中から楽しみを絞り出すという内容です。彼女は、スタジオでは悲しい曲も書いていましたが、自分の感情をさらけ出す準備が出来ていないようでした。それでも懸命に絞り出したのが、パンデミックの暗い雰囲気の中で希望を見出そうとする Mila との共作、”Remember”。
「パンデミックにおける “Zoom スクール” の日々では、すべての日が同じで1つにぼやけているように感じられ、何も把握することができなかった。ある日に、何もしなかった自分を許すにはどうしたらいいか、生産的になれないことに罪悪感を持たないようにするにはどうしたらいいか、それを考えるのが大変だったわ。時には、何もしないことを受け入れることも必要なのよね。自分にとってそれが必要な時もあるのだから」
Bela は曲作りの際、自分の感情を深く掘り下げることに抵抗がありました。彼女は、自分の感情を世界と共有することは、難しく苦しいと認めていて、”Nino” のように、より幸せで簡単なトピックにこだわることを好んでいます。掘り下げたい感情があっても、公にするのが怖いと感じたとき、彼女は “Cuantas Veces (How Many Times)” を書くことでその方法を見つけました。歌詞はスペイン語で書かれています。
「スペイン語は誰もが理解できるわけではないので、自分の感情を共有するのにより神聖で安全なことだと感じていたわ。私はスペイン語を話して育ち、スペイン語と英語を同時に学んだかは、スペイン語は私という人間の本当に深い部分だと言えるの」
パンクらしい DIY の精神も貫かれています。Eloise が解説します。
「ジャケットアートは、私たち一人一人の紙人形を作って、友達の Zen Sekizawa さんが撮影してくれた。ニッキ・マクルーアの切り絵や、テ・ウォンユの紙の彫刻にインスパイアされたの。パンクは単なる音やスタイルではない。好きなことを好きな人とやって、自分にとって重要なことを貫くこと。誰もやらないなら、自分でやること。ただクリエイティブでいて、楽しむこと」

THE LINDA LINDAS の成功はあっという間に高々と聳え、彼女たちはまだそのすべてを吸収しきれてはいません。彼女たちは、自分たちがアルバムを作ったという事実さえもまだ頭の中で整理できていないのですから。2005年の日本映画 “リンダ リンダ リンダ” で、女子高生が THE BLUE HEARTS の “リンダ・リンダ” を習うシーンにインスパイアされた THE LINDA LINDAS は、その後、Netflixのドキュメンタリー映画でオリジナル曲を披露し、今では完全に “バイラル” な状況に置かれています。
「ただ楽しかっただけなのに……”うぉー、ハリウッド・パラディアムで演奏したぞー” って。それから、”すごい、映画に出たぞ!” って。そして今、私たちはバイラルな状態。学校に行けば歓声が上がる。正直、ついていくのが大変よ」
当然、期待に胸を膨らませていますが、何よりもこの4人は、このアルバムが自分たちの夢の扉を開く鍵になることを望んでいます。
「より多くの人に聴いてもらえるように、そして世界のいろんな場所で演奏できるように。旅をしたいし、もっと音楽を発表したい。でも、それ以上に大切なことがある。それは、自分たちが好きなことをやりつづけること」
彼女たちは “かわいい” と言われるのが嫌いで、Lucia は自分たちの名声がいつまで続くのか心配になることがあるといいます。
「私たちが若くて、女の子で、アジア系で、ラテン系だから、みんなに好かれるのだろうか?私たちが年をとったらどうなるんだろう?私はいつも起こっていることを否定して悲観的になっている気がする。でも、ここ数日は楽しくて仕方がない。だから、楽しもうって感じ。そして、もっともっと曲を書いて、続けていくつもりよ!」

参考文献:KERRANG!:The Linda Lindas: “Whatever you have to say, you should say and be proud of it”

The Future Five: The Linda Lindas are the young punks reviving the spirit of riot grrrl

THE GUARDIAN:The Linda Lindas on their viral song Racist, Sexist Boy: ‘It’s good to let the anger out and scream’

INDEPENDENT:The Linda Lindas: Meet the punk-powered school girls rising to rock’s feminist forefront

日本盤のご購入はこちら。SILENT TRADE

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【ZEAL & ARDOR : ZEAL & ARDOR】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH MANUEL GAGNEUX OF ZEAL & ARDOR !!

ALL PHOTOS BY GEORGE GATSAS

“For The Moment I Just Make Music That I Personally Enjoy. There Was No Intention Of Revitalising a Genre Or The Hubris Of Thinking I Can Rebirth Anything. Only Time Will Tell If It Has Any Impact. Until Then I’ll Just Keep Making Music.”

DISC REVIEW “ZEAL & ARDOR”

「すべてクロスオーバーしているんだ。全く違う分野での経験や視点が、別の分野での新しいアプローチにつながることも多いんだよね。それは私のクリエイティビティにとても役立っているよ」
Manuel Gagneux は、あまり考えることが好きではありません。というより、考えすぎることが嫌いなのです。物事の仕組みに興味を持ち、一時期は物理学を専攻し現在は VR の開発に携わるほど知的な人物であるにもかかわらず。ただし、異なる視点や異なる考え方を受け入れることが創造性をふくらませ、人が “傲慢” になることの抑止力であることを知っています。Manuel はすべてにおいて、傲慢が人類の敵であることを本能的に知っているのです。
「これほどの人気になるとは思ってもみなかったよ。見ていて楽しいバンドと一緒にツアーができたことは、この上ない成果なんだ。すべてが私たちにとって驚きなんだよ」
Manuel は、ZEAL & ARDOR の成功が “滑稽” だと語っています。なぜなら、成功は彼が求めていたものではなかったから。バンドを始めようさえとしたわけでもありません。というのも、このバンドは、ウェブ・フォーラムで、一緒になるはずのないジャンルをミックスするという奇抜なアイデアを募集したのがきっかけだったから。ZEAL & ARDOR は、抑圧された黒人奴隷の歌とブラックメタルを混ぜようという提案から生まれたものです。しかし、それは彼にとって多くの音楽的実験のひとつでした。
「”成功 “が定義される限り、音楽はポピュラリティに過ぎない。そして、人気というのは永久に続くものではないんだ。それが、私がずっと前に理解したこと。だから、私はそれを考えないことにしている。そして、人気はいつ崩れ落ちるかもしれないし、長い時間をかけて消えていくかもしれないことも承知している」
それでも、マニュエルはこの成功にとても感謝をしています。それは、芸術的に解放され、重荷にならないものである限り。MESHUGGAH, OPETH といったビッグネームとの共演や、今年のArcTanGent フェスティバルのトップを飾るなど、もはや Manuel の進撃をとめるものはどこにもないように思えます。
「今のところ、私は個人的に楽しめる音楽を作っているだけなんだよ。ジャンルを活性化させようという意図も、何かを再生させることができるという傲慢さもないんだ。インパクトがあるかどうかは、時間が経ってみないとわからない。それまでは、ただ音楽を作り続けるよ」
1989年、スイスで音楽家の両親のもとに生まれた Manuel の家では、音楽はある種の象徴でした。彼の母親はソウルとジャズのシンガーで父親はパーカッショニスト。「サルサ・パーカッションね。変なポリリズムで、音楽を聴きたくない人には迷惑な話だよ。両親は私にサックスを吹くことを強要したんだ。大嫌いだった。子供の頃の話だけど。 そしてパンクに出会った。想像以上に醜いBCリッチを買って、それから数年間、部屋に閉じこもったんだ」
バーゼルには巨大で活発なパンク・シーンがあることを知った彼は、10代でそこに参加し、メタルやグラインドコアのより過激なサウンドにすぐに耳を傾けるようになりました。子供の頃、Manuelと彼の仲間は毎週末ライブハウスに行き、ドイツのグラインドバンド Japanische Kampfhörspiele のようなショーを見てぶらぶらしていたのです。Manuel が最初のバンドを結成したのはその頃で、ブラックメタル系のバンド名で、”Ateraxie Austere Assumptionのようなもの” でした。
「他のメンバーの一人がその名前に固執していたんだ。ライブは一切やらなかった。基本的には、リハーサル室で一番安いビールを飲んで、クソみたいなマイクで叫んでいただけなんだ。それは素晴らしいことだったけど」
学問的には、Manuel は「全く教育を受けていない」と言います。彼は頭が良く、文学にとても貪欲でしたが、16歳の時に学校を辞めます。ただし、物理を勉強したいという思いがあり、そのために軍隊に入隊し、その軍隊を通じて大学に入るという道を選んだのです。
「軍に入隊した時、自分のやりたいことを言えるようになっていて、それが核防衛研究所で、そこから大学へ行けるかもしれないと思ったんだよな。でも、ただただ拘束され、怪しげなことをやらされるだけ。楽しかったかって?いやいや、ひどいもんだよ。怒鳴られるし。あそこで何をしたかなんて、本当は話すことも許されないんだ。辞めたくて仕方なかったんだよ」

結局、”祖国への別れも告げずに脱走” し、ニューヨークへと Manuel は急行します。ここで、彼は音楽に専念しました。
偶然にも、年配のブルース・ミュージシャンと一緒に暮らすことになり、スイス人の下宿人がミキシングの仕事をする代わりに、彼が所有する家に家賃なしで住めるように計らってくれました。この頃から、彼はインターネットでアイデアを募集するようになったのです。トライバル・メロディック・ハードコア、グレゴリアン・ポストロック、ナッシュヴィル・パワーエレクトロニクス、バロック・ブローステップなど計47枚の作品が作られましたが、その中で定着したのが ZEAL & ARDOR だったのです。
「初めてインタビューを受けることになったんだけど、”なんでこんなことしなきゃいけないんだ “って思ったんだ。とても馬鹿げていたんだけど、その時点では、本当に突飛な提案の嵐の中で、こういうことに無感覚だった。そして、ロードバーンの質問が来る頃には、信じられないという気持ちで、ただただ笑っていた。それが、今も続いているような感じさ。つまり唖然としてる」
セルフタイトルのニューアルバム。その制作状況は、デビュー作”Devil Is Fine” や、その次の”Stranger Fruit” とは少々異なるかもしれません。Manuel は今や有名人であり、車輪はよりしっかりと道を進み、好奇心よりもむしろ期待が大きい状況ですが、ただし彼はそれでもまだ初期のシンプルさからそれほど離れていないのです。つまり、重要なのは閃きとそれに従うこと。
「アルバムは私の愚かなアイデアをただ凝縮したもの。つまり、何かを得て、試してみて、脚光を浴びたらそれを完成させ、そして、あまりいじりすぎないようにするだけさ。クリエイティブな面では、”ああ、これをやったらどうなるんだろう “と考えることに夢中なんだ。こういう風にアレンジしたらどうだろう?とか鍵盤を入れたらどうだろう?とか。夢中になる子供みたいなものさ。そういう喜びはあるよね」
ZEAL & ARDOR は、アフリカ系アメリカ人のスピリチュアル・ミュージックとブラックメタルを融合させるというコンセプトに本質的に忠実でありながら、いまだに挑戦的であると感じられるバンドであることをセルフタイトルで証明します。
インダストリアルなリズム、優しく奏でられるギター、シンセサイザーのサウンドスケープを新たに纏いながら、歴史の暗い回廊に響く血と炎の濃度は不変。彼らの音楽的特異性はクロスオーバーの魅力を発揮しながらも、これまでで最もヘヴィーなサウンドをまざまざと見せつけました。
“Death To The Holy” や “Church Burns” といった曲名は、ブラックメタルの伝統を意識したものですが、奴隷時代の労働歌のようなスタイルも携え、過去の恐怖をより深く再現します。一部で使用されるドイツ語は、ワーグナーのオペラ、その恐ろしい大災害さえ思い起こさせます。
“Emersion” の美しいエレクトロニクスは、ブラックゲイズの猛風によって容赦なく遮られ、一方で “Golden Liar” はメタリックな重さを湿度の高いアトモスフィアに変換する度量を見せます。ブルースと同様にヒップホップを思わせるリズムとリリックが特徴的な “Bow” を聴けば、Run The Jewels のスリーブに似たアートワークにも納得。”A-H-I-L” のドローンがこの野心的なアルバムを曖昧に終わらせるまで、クリエイターは風変わりで鋭いまま凛としてその才を発揮し続けます。

「例えば、”Death To The Holy” の、あの奇妙でうるさい音が、このアルバムから最初に出てきたものの一つだったんだ。この音はとても迷惑で不愉快だから、これを中心に曲を作らないといけないと思ったんだ。それでこうなったんだよ。私がひとつの音を中心に曲を作り、何千人もの人々がその迷惑なものを聴かなければならないということを考えると、笑わずにはいられないよね。そして、それを楽しまずにはいられない。そのクスッと笑える感覚がない曲を頑なに作ろうとすると、十中八九、悪い音になっちゃうんだよな」
これらすべてをまとめているのが、ZEAL & ARDOR に欠かせない2つの要素です。1つ目は、これらの奇妙な枝が広がる音楽の幹で、何にもまして重要なこと。そうでなければ、全体が機能しないもの。
「私にとって、アトモスフィアは最も重要なもの。その雰囲気が半永久的に続いている限り、不快なノイズやジャンルの変更も許容されるんだ。このアルバムでは、カットされたり、合わなかったりした曲をたくさん書いた。何がこのアルバムの一部となり得るか、何が耳障りでなく面白いリスニング体験になるかを選んだんだよ。それがタイトロックなんだ」
このバンドのもうひとつの重要な部分は、物語性です。奴隷制と解放という概念は見た目よりも緩やかですが、それでも ZEAL & ARDOR を生き生きとしたものにするために非常に重要な役割を果たしています。
「”Devil Is Fine” のテーマは “奴隷のような生活” で、Stranger Fruitは “脱出、脱獄” だったんだ。このアルバムは、実際に逃亡生活を送りながら、あるいはある程度自由になりながら、”これからどうすればいいんだ?”と考えるものなんだよ。新しいフロンティアなんだ」
新しいフロンティア。つまり、くだらない古い概念や常識、権威を疑いブラックメタルのように “燃やしてしまう” こと。ただし Manuel はそれを暴力的なやり方ではなく、同調者を増やしながら達成したいと考えています。破壊というよりも創造で。
「古い権威を燃やす。その意図は大いにあったね。だけどね、ここでも私は、それでオーソリティの見解や権力者のやり方が変わることはないと自覚しているんだよ。だから何かを変えたいというよりは、むしろこれは私自身と、すでに私に同意している人たちの、過去に決別を告げる “宣言” なんだよね」
ZEAL & ARDOR がより直接的で完全に明確な態度を示したのは、2020年にリリースした “Wake Of A Nation EP” の時だけでした。警察官によるジョージ・フロイド殺害事件後の反人種差別デモをきっかけに書かれ、リリースされたこの作品のアートワークは、2本の警棒でできた逆十字であり、6曲は意図的に “ここ数ヶ月で私の仲間に起こったことに対する反応” でした。
「まさにあの事件が原点だった。当時はアメリカにいる家族のことがとても心配で、基本的には自分へのセラピーとしてあの EP を書いたんだ。あのような不確かな時代にいることは本当に恐ろしいことで、他の方法で対応する方法を知らなかったんだ」
ただし、便乗や売名とは程遠い、静かな抵抗でしたが。
「BLM 運動の理念は正しくて当然だと思うよ。どこでもそうだけど、一番悪い人が一番うるさいことが多いよね。私も職業柄、よく叫ぶ人という皮肉があるんだけど (笑)」
Manuel の音楽に対する動機は今も純粋で、他人が喜ぶものを作れば嘘くさくなる。まずは自分が楽しみ、満足するものを作るという方針はいささかもブレることはありません。だからこそ、メタルのリスナーだけでなく、様々なジャンルの信奉者がこの音楽に惹かれるのでしょう。多様性を掲げた多様な音楽で、人々はさらに予想外のこと、驚きを期待するようになりました。そんな上がりきったハードルの上を飛び越えていくのが ZEAL & ARDOR のやり方です。地に足をつけ、傲慢とは程遠い謙虚で寛容なやり方で。
「音楽を作ることは、私にとってとても地に足がついた経験なんだよ。派手なことは何もないし、気張ってもいない。ただ幸運なことに、それに対して人々が感情移入してくれることはあるんだよね。だけど、彼らの経験は私とは異なるもので、異なるけれどそれは両方とも同じように意味があることなんだよね。それが私の音楽が潜在的にできることのすべて。私が世界を変えられると言うのは傲慢で、率直に言って事実ではないよ」

参考文献: KERRANG!:Zeal & Ardor: “I just want to take people by surprise”

ZEAL & ARDOR “ZEAL & ARDOR” : 10/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【STEVE VAI : INVIOLATE】


COVER STORY : STEVE VAI “INVIOLATE”

“It’s Always Good To Push Your Boundaries. It’s Fun! The Feeling Of Accomplishment Is The Feeling Of Fulfillment.”

INVIOLATE

Steve Vai 最後のスタジオ・アルバムから6年が経ちました。エレクトリック・ギターの巨匠は、確かに他の追随を許さない驚異の作品群を有していますが、意外にもその数は決して多くはありません。彼のファンが望むことはただ一つ。「もっと!」
そして遂にその望みが叶います。”Inviolate” は Steve の最も冒険的で妥協のない演奏に満ちながら、シュレッド以上に彼のトレードマークとなった独特のニュアンスとアヴァンギャルドな個性を前面に押し出しています。
肩の手術のため片手で演奏した “Knappsack” や、ホローボディのジャズギターを使った “Little Pretty”、それに目玉のヒドラギターといった異常事態も謳歌する威風堂々。むしろ挑戦のために自ら異常事態に飛び込むその創造性は驚異的。そうして、万華鏡のようなエキゾチックなヴィジョンで、”Apollo in Color” や “Zeus in Chains” といった楽曲はリスナーの心中に喚起的な絵を描きだしていきます。それにしても、アポロやゼウス、ヒドラとはまるでギリシャ神話の世界です。
「そうなんだ。不思議な感じだよね。それって偶然の産物で、意図的なものではなかったからね。まあその後、意図的になったんだけど。”Zeus in Chains” を作ってレコーディングした後、タイトルが決まっていなかったんだよね。面白いことに、私は聴くだけで、その曲がタイトルを教えてくれることが多いんだ。それで、中間部の巨大で低音のギター・リフがハモりながら、その上に超絶不協和音の音が浮かんだところで、あの曲が “これは Zeus in Chains という曲だ”と言ったんだ(笑)
“Apollo in Color” は、妻の馬の名前なんだ。ただ、その名前を、いつも素晴らしい曲のタイトルになるぞと思っていたんだ。”Apollo in Color” ってタイトルは、基本的に僕があの曲を作るのを助けてくれた。だから、ある時は曲がタイトルを教えてくれるし、またある時はタイトルにその曲がどんな風になるかを左右されるという、逆の状況が起こり得るんだ」

同じく、神話上の存在であるヒドラをギターになぞらえたのはなぜだったんでしょうか?
「ヒドラというのは神話に出てくる竜のような生き物で、頭がいくつもあって、一つを切り落とすともう一つ生えてくるからね。だからピッタリだった。そうだ、このギターはそういう名前にするべきだ!と思ったんだ。でも、このギターのもともとのアイデアは5年ほど前に始まったんだ。マッドマックスの映画を見ていたら、砂漠を飛んでいるシーンがあって、トラックの前に縛り付けられた男があんな感じのサイバー・パンクなギターを抱えていて、それを演奏しているんだ(笑)」
映画で有名になったギタリストが、映画の中のギタリストに感化されるとは。
「あの男を見て、”あのギターはたしかにかっこいいけど、偽物だ” と思ったんだよね。それで、”あれは偽物なんだから、本物を作らなきゃ!” と思ったんだ。そこで、複数のネックとハープ弦を持つギターを作り、そのギターで曲を作ることができるようにしようというアイデアが生まれたんだよ。とんでもないギターを持ちながら、そのギターで曲を書いて、音楽を生み出す。完全にそのギターだけで演奏できる、そんな曲を作りたいと思ったのがすべての始まりだったんだ。オーバーダブもループも何もなしでね。その挑戦は、基本的にすべての弦楽器をジャグリングするような音楽を書くことだといえるだろうね」
ネックを3本にしたのはなぜなのでしょう?
「元々、3つのネックを持つギターを作るというアイディアがあったんだ。半分フレットレスになっている12弦のネック、7弦のネック、2弦がフレットレスになっている3/4サイズのベースネック、そして (ピックアップをまたぐ) 13本のハープ弦という感じかな。当時はスチーム・パンクのファッションにもハマっていたから、資料と自分のアイデアを集めて Ibanez に送ったんだ。彼らはとても興奮して、まさに壁を打ち破り、そのアイデアを実現させてくれたんだよ。最初はレンダリングが送られてきたんだけど、私はそのレンダリングを見て、”本当に作るつもりなのか?” と聞いた。そうしたら、”やるよ!” って。でも、ヒドラが家に届いてケースを開けたときは、ただただ唖然としたよ。すごかったけど、威圧感もあった。このギターで曲を作らなければならないと思ったんだ」
Ibanez の技術力は凄まじいものがありますね?
「Ibanezのデザイナーは、私が期待していた以上のことをやってのけたんだ。シンセサイザーのギター・セクションを丸ごと楽器に取り込んで、ピエゾ、サンプルホールド、サスティナー…本当に驚嘆に値する技術だよ」
すぐヒドラに馴染めたのでしょうか?
「このギターが届いて、スタジオに立てかけていたんだけど、1年半くらい、このギターの前を通るたびに不安の発作が起きるんだよね!(笑) 。このギターとしっかり向かい合って、曲を考えなければならないと思ったよ。それで、6週間かけてヒドラと共に過ごし、まず思ったのは、”なんてことをしちゃったんだろう” ということだったな。どうしてこんなことに巻き込まれてしまったんだろう?私の手足はこんなに自立していない。手が二本しかないのに、どうやって完全にシームレスなメロディーを作るんだ!ってね」

それでも、不可能を可能にするのが Steve Vai という男です。
「10秒くらい強烈な懸念があったんだけど、それから別の声が聞こえてきたんだ。こういうときはたいてい自信に満ちた自分の声が聞こえてくる。そしてその声は、”黙ってやれよ、Vai! お前ならやれる! 時間をかければできるんだ!黙ってやってみろ!” ってね。”黙ってやれ!始めろ!”。そして私は、”わかったよ…” という感じでゆっくりと曲を書き始めたんだ。面白いのは、多くの場合、不可能に思えることでも一度始めてしまえば不可能に思えなくなるということなんだ。ただ、始めるだけでいい。だから、私はそうしたんだよ」
“The Teeth of the Hydra” はまさにヒドラギターのための楽曲です。
「”The Teeth of the Hydra” を聴くと、面白いことにベース、7弦、12弦、ハープ弦のすべてが、あのギターで一度に演奏されているから、非常にリニアなんだよね。イントロができたところでヴァースに入り、エレガントでシームレスなサウンドになるまで作業を続けていった。バラバラな音楽ではダメなんだ。そうではなく、ギターの、そして私自身の可能性に敬意を表したかったんだ。そして、それができたと思っているよ」
“The Teeth of the Hydra” が、ヒドラギターで作られたことは理解していたとしても、同時に通して演奏していると気づいた人は多くはないでしょう。誰もがマルチトラックでのレコーディングだと考えるはずです。
「このギターがあれば、全部できるんだ。録音した後にやったことは、ハープの弦が全てを拾ってしまいノイズが多いので、トラックをもう1つレイヤーしただけだよ」
リニアな演奏といえば、片手だけで弾ききった “Knappsack” は超絶でした。
「私にとって、楽曲の中で最も重要なのはメロディーだ。 “Knappsack” のように、片手で録音するというアイデアは必要に迫られてのことだったんだ。そして、自分にはそれができると思っていた。片手でレガートとハンマリングを駆使したギターを弾くのは、それほど難しくも、不思議なことでもないんだよ。でも、メロディーは Vai ならではのものでなければならないし、私が音楽を作る理由は、メロディーを書くのが好きだからなんだからね。”Knappsack” をレコーディングするときに、メロディとヴァースのコード・チェンジを書き出して、何かわかったような気がしたんだ。このメロディーを作れば、あとは楽勝だと思ったんだ。狂喜乱舞できる! ってね。この曲で実現したかったことのひとつは、容赦のない感じだった。私はそれが好きなんだ。執拗さの中にエネルギーがあり…Zakk Wylde と一緒にステージに立つと、それはもう容赦ないんだよね。彼のパワーは半端じゃないから、ごまかしがきかないんだ!(笑)。でも、作った後にあのビデオを見るのは本当に楽しかったし、それこそが僕の目的であるエンターテイメントなんだ。僕はエンターテイナーなんだよ!」
音楽家が片方の腕を失うというのは、一時的とはいえ大変なことで、自分の力の半分が失われたようなものでしょう。そんな中でも Vai は実にポジティブかつ楽観的です。
「そうだね、とても簡単に受け入れたよ。それは挑戦だけど、何が起きても自分の利益になるようにと考える。結局それは自分のためになっているんだよ。だから、肩が痛くなったとき、まず、現状を受け入れた。なぜなら、現状を受け入れないと深い苦しみが生じるから。戦っても決してうまくいかないけど、受け入れることでうまくいくんだよね。だから、右手が使えないこと、肩がこることを受け入れたら、片手でやるという決断も視野に入ってきたんだよ。そして、私はただ、レモンからレモネードを作ったんだ」

しかし、多くの音楽家が病気や怪我の深い悩みを抱えているのも事実です。有効な対処法はあるのでしょうか?
「私がやっているのは、楽しい時間を損なうことなく、手と体の安全を意識してベストを尽くすこと。私たちの生活の中ではいろいろなことが起こる。この41年間のツアーでも、いろいろなことがあった。だから起こったことをただ理解するんだ。人生の中でやっていることと同じだよ。不幸だと思っても、それが違う方向を示してくれることだってある。だから、ただ進むだけさ」
怪我だけではなく、例えば、”Little Pretty” という曲では、ホロウボディのグレッチで演奏するという “意識的な制限” を加えていますし、”Candlepower” ではゲインもハムバッカーも使わず、指だけで演奏しています。ジョイント・シフティングという新たな技法も生み出しました。
「この曲は、私が見つけた小さなリフから始まったんだ。私は何千ものリフを持っていて、寝る前にギターを持って演奏し、何か見つけたらそれを録音している。この曲もそんな、ちょっとした断片から始まったんだよ。このジョイントシフトのアイデアは、何年も前から頭の中にあったんだ。まず、ハードテイル・ギターが必要だった。ワーミー・バー付きのギターでは、ある音を曲げると他の音がフラットになってしまうからね。事実上不可能なんだ。そうして、音符が異なる方向に進むような一連のベンドを続けようと考えた。だから、私が他の音や開放弦などを弾いている間に、複数の音がベンドされているんだ。音を曲げながら演奏するというのは、それほどユニークなコンセプトではなく、カントリー・プレーヤーならよくやることだ。しかし、2つの音を異なる方向にベンドし、さらに3つ目の音も曲げるというのは、このコンセプトから生まれたものだよ。この奏法は私が発明したと言われているけど、どうだろうね。ジェリー・ドナヒューというギタリストがいて、彼も同じようなことをやっていたからね。でも、彼はカントリーの巨匠だから、メタルは弾かない。
時間はかかったけど、きっとワイルドなサウンドになると思ったんだ。これは変だから、やらなきゃって思った。それが、僕がギターで一番好きなことなんだ。従来のサウンドとは違う、しかし音楽的なものを考え出すこと。重要なのは、ただのギミックじゃなく、音楽的でなければならない。このジョイント・シフティングのテクニックは、いくつかのパッセージで使ったけど、私が期待しているのは時間のある若いプレーヤーがこのテクニックを見て、その可能性を理解し、さらに別のレベルに持っていってくれることなんだよね。私の頭の中には、このテクニックとそれ以上のものを使って演奏される音楽の全貌が見えている。ただ、私が本当に行きたいところに行くには時間が足りなかったんだ。完全な集中力が必要なんだよ。私が考えているところに到達するためには、1年間は集中しなければならないからね。だから、私がそれをやるかどうかはわからないけれど、若いプレイヤーたちが、Vai が持ってきたものはこれだ、これをどこに持っていけばいいんだろう?と考えてくれたらうれしいね」

“Avalancha” は Steve が今まで書いた中で最高の曲のひとつではないでしょうか?
「素晴らしいメロディーを持つ、本当にヘビーなものが欲しかったんだ。凶暴で、激しく、熱狂的なサウンドにしたかったんだけど、同時に良いメロディーが欲しかったんだ。ベースは Billy Sheehanなんだけど、”Real Illusion”(2005)時代に録音したもので、”Building the Church” とこの曲で迷った時に前者を選び、 “Avalancha” はしばらく棚にしまっておいたんだ。完成させたいとずっと思っていたから、これはいい機会だったね。基本的にベースとドラムはできていて、あとはメロディーを書いて肉付けしていったよ」
“Greenish Blues” は Peter Green へのオマージュなのでしょうか?
「そうじゃないんだ。Peter のことはもちろん尊敬しているけど、私はそういうブルース・プレイヤーではないからね。グリーニッシュ・ブルースと名付けたのは、コード・チェンジがブルースのコード・チェンジに似ているからで、この曲での私の演奏はブルース的ではあるけれど、従来のブルースというよりは私の奇妙な偏屈さが出ているんだ。グリーンという色は、私のキャリアを通じて、ほとんど最初から使っていた色なんだよね。”Alien Love Secret” のタイトルもあの緑色だよね。だから、この曲を “Greenish Blues” と名付けたのは、”Vai Blues” と言うのと同じことなんだ」
以前、Stevie Ray Vaughan にオマージュを捧げていたことがありますね?
「Stevie へのトリビュート(”The Ultra Zone” 収録の “Jibboom”)は、彼がやりそうなことを私もやっていたからなんだけど、Peter Green の場合は彼のことを考えていたわけじゃないんだ。もしそうなら、彼の演奏を聴いてその感性を自分の演奏に反映させ、偉大なアーティストに敬意を表し自分の声を出すかもしれないけど、そんなことはしなかったからね。もちろん、彼のことは知っているけど、私のお気に入りのギタリストというわけではないんだ。どうせブルースなんて弾けないしね(笑)」
明らかに Steve Vai は今でも “Little Stevie” の冒険心を持っていて、長い間ギターに熟達しているからこそ、新鮮さと興味を高く保つために新しい挑戦を行なっているようにも思えます。
「プレイヤーとしてどんな状態であろうと、実績があろうとなかろうと、自分の限界に挑戦することは常に良いことだ。何より、楽しいよね。達成感があるからこそ、充実感があるんだから。12歳のときに初めてギターを手にしたとき、すぐに病みつきになったんだ。楽譜の読み方はわかるけど、ギターの弾き方はまったくわからないという、何もできない状態だった。LED ZEPPELIN の曲集を買ってきて “Since I’ve Been Loving You” の弾き方を覚えたら最高の気分になった。そして、その感覚はずっと続いている。できないことを想像して、でもそれを実行に移せば手が届くとわかっていて、そしてそれを成し遂げて予想以上にうまくいったときは、まるでパーティーを開いているような気分になるんだ! 爆発しそうなくらいにね。いつもそうなるとは限らないよ。でも、次に進むんだ!(笑)。自分らしい表現ができたときの達成感は、喜びだね。それが病みつきになるんだよ。だって、世の中がどうであろうと関係ない。人がどう思うかなんて関係ない。政府が何をしていようが、宗教が何をしようが、経済がどうであろうが・・・自分自身の小さな秘密が進行中で、そこに集中し、それを尊重するとき、そんな時間は本当に楽しいものだ。それを尊重するべきだよね」

楽器とのコミュニケーション、あるいは楽器との関係は、プロになってから40年あまりで変化を遂げたのだろうか?それとも、20歳の頃と同じなのだろうか?
「ミュージシャンと楽器の関係はミュージシャンによって異なると思う。とても知的なアプローチをする人もいれば、とても感情的なアプローチをする人もいる。そのどれもが有効であり、そのどれにもリスナーがいるわけだから。ある人は、感情的な部分をうまく表現できず、そのような刺激を好む知的な人たちから支持されるでしょう。ある人はその逆かもしれない。私は、そのすべてが欲しいんだ。中でも私は、素晴らしいメロディーの感覚を味わいたい。それが、自分にとっては一番大事なことなんだ。泣いたり、笑ったり、ズタズタにしたり……”Inviolate” を聴くと、前作ほどシュレッドしているとは思えないだろう? だけど、それはシュレッドから離れたからではなく、単にメロディーを刺激することに興味があるんだと思うんだ。
私の場合、人生の中で演奏について、より知的なことを考えた時期がとても長かったんだ。自分のスキルを磨いたともいえる。でも、それは楽器とのつながりではなく、自分自身とのつながり、そしてそれを弦と指板のでどう表現するかということなんだ。もちろん、楽器に個性を持たせることはあるよ。でも、長年にわたってツアーに出たり、演奏したりしてきた結果、私が身につけたもの、そして今も身につけ続けているものは、楽器の上で、自分の内耳とつながることなんだ。それは、即座に創造的な表現ができるようになることと言い換えてもいいだろうね」
Vai が演奏するときの仕草や表情はとても印象的です。
「何年も前から、自分にはちょっと風変わりな動きやおかしな表情があることに気づいていて、それを叩かれることもあった。なぜ、そんな動きをするんだ?どうしてそんな変な顔をするんだ?(笑)。でも、やめられないんだよ。勝ってにそうなってしまうんだ!だから、数年前にそれに身を任せたんだよ。なぜなら、自分の自然な傾向に身を任せるって、本当に自分自身であることだし、それはとても気持ちのよいものだから。実際のところ、批判する人たちにエサを与えない限り、彼らは君に対して何の力も持たないよ。私は馬鹿にするのが大好きな人たちに、そのエサを与えてしまった。そんなことをしていたら、肝心なことを見逃してしまうよ。だから、もう今の私にとって重要なのは、楽器や観客、自分の身体とのつながりを、自然に感じられるようにすることなんだ。そして、もうそれについて言い訳はしない。それがありのままの姿だから(笑)」

かつて、Steve Vai は12時間ぶっ続けで練習をしている、なんて噂がありました。
「よく自分の練習や規律について質問されることがあるんだけど、正直言って、何もないんだよ(笑)。やりたくないことはできないからね。重要なのは情熱さ。情熱は、規律よりもはるかに優れた創造のエンジンだから。規律というのは、何かをしなければならない、苦労しなければならないということを意味する。”やりたくないことでも、絶対にやるんだ!”、誰が何と言おうと、私はそんなやり方が嫌いだよ。ここに座って2時間音階の練習をする、それが私の鍛錬だとか、私はそんな風に思ったことはないんだ。ただ自分にとって、ギターから離れることが、唯一、規律を必要とする時だったといえるね。ギターの技術やエクササイズを演奏し、30時間のワークアウト、それは喜びでしかなかったよ。好きでなければ、そんなに長い時間座ってギターを弾くことはできないからね。他のことはすべて気晴らしで、ギターが一番。なぜだかわからないけど、そういうものなんだよね。
自分自身のユニークな創造性に、自然で熱狂的だと感じられる時だけ、情熱を味わうことができるんだ。幸せをつかむためには、”偉大でなければならない”、”成功しなければならない” と信じるプレッシャーやストレスから君を解放してくれる、本当に素敵な鍵が必要だ。自分自身の創造的な喜びを表現すること。それが鍵なんだよ。そして、成功はその結果で、オマケでしかない。プリンスやボウイ、あるいはベートーベンといった偉大な芸術家を見ればわかるよね?」
とはいえ、手癖と楽しいだけでは上達しないのも事実でしょう。
「もちろん、自分の情熱のためには、ある種の規律を用いなければならないこともあるよ。ヒドラの後ろに座ったときもそうだった。訓練は必要だったけど、そのビジョンは情熱的で、達成できるとわかっていたんだ。自分の手の届かないところにあるアイデアに触発され、でもがんばればそれを手に入れられるとわかっているとき、君ならどうする?それは、宇宙が君のために特別に作り上げた本物のアイデアなんだよ。幸せになるために到達しなければならないと信じていることを、未来に先送りしてもしかたがない。今が不幸なら、いつになったら幸せになれるというんだい?幸せになれるのは、今だけなんだよ。もし君がギターを弾いていて、自分の音楽が好きならば、名声や成功への希望をすべて捨てて、今まさに演奏している喜びに全神経を注げば、それこそが成功へ邁進する創造のエンジンなんだよ」
それでも、若いギタリストにはある種の “手引き” が必要でしょう。
「”Alien Guitar Secrets” というライブストリームをやっている。そこでは音楽やギターについて、一般のギタリストが興味を持ちそうなことをすべて話しているんだ。もう一つのライブストリーム、”Under it all” では、スケールやその他のものよりも、自分自身について理解することがより重要だといった、心理的なものに焦点を当てているんだ。自分の欲求や能力など、自分自身についてどう感じているかということが、すべてに優先するからね。そして、その感じ方は、音楽家を前進させ、育成し、進化させる上で最も重要なもの。すべては、君が頭の中で自分に言い聞かせる言葉の中にあるんだからね」

“Inviolate” のツアーに私たちは何を期待すればよいのでしょう?
「ライブに来た人たちに体験してほしいのは、ただ楽しい時間を過ごしたい、楽しませたいという人たちと同じ環境に身を置くこと。音楽と完全に一体となったバンドを見ることができ、興味深く、魅力的で、楽しく、美しいメロディーを奏でるパフォーマーを見てほしい。それが、私が望む体験だよ。ショーにかんしては、もし自分が観客としてショーを見ていたらどんな感じだろう、自分が見たいもの、感じたいもの、体験したいことは何だろう、と想像しながら作るのが好きなんだ。音楽に関して言えば、今回のツアーでは、過去のセットリストを洗い直すことができる。”For the Love of God”, “Tender Surrender”, “Bad Horsie” など、みんなが聴きたいと思っている曲をいくつか、それから、カタログの中から演奏したことのない曲を入れたいと思ってるんだ。リストの中の1曲は “Dyin’ Day”(1996年の “Fire Garden” 収録、オジー・オズボーンとの共作)という曲で、一度も演奏したことがなくて、ずっとやりたいと思っていたものさ。ライブではダイナミックな流れを作ろうと思っているから、重いノイズばかりではなく、眠いバラードばかりでもなく、エネルギーを生み出したいね」
“Passion and Warfare”(1990年)は今も名盤として高く評価されている一枚です。
「とても光栄なことだよ。本当にとてつもなく光栄なことだし、稀有な存在だからこそ、それに対する評価も高いんだ。ある特定のジャンルにぴったり符号するレコードは、たとえそれが古くて名盤であっても、若い人たちでさえ少なくともチェックする必要があると見てくれるんだ。若いギタリストの中には、”Steve Vai はあまり好きじゃないけど、このレコードは名盤と言われ、みんな素晴らしいと言っているし、ウィキペディアを見ても素晴らしいと書いてあるから、とにかくチェックしてみようかな” と思う人もいるかもしれないね。だから、そういう人たちがチェックすることで、必然的にその価値を理解してくれるなら、ネットもいい場所だよね」
そして、”Windows to the Soul”(”The Ultra Zone” 収録)は、今でも Vai にとって特別な一曲です。
「私のカタログの中の多くの楽曲は、他のアーティストの楽曲よりも私の心に触れる。それはたいてい、レコーディングしているときに、自分がつながっていたからなんだ。すべての要素が一緒になっていたからね。サウンド、メロディ、ソロ、フレージング。そのつながりの深さが、効果を持続させるんだ。その曲を聴くと、その曲とのつながりが聴こえるからね。ストーリーがあり、波があり、流れがある。今までやったことのないようなテクニックも入っている。もうひとつ、僕にとって本当に特別な曲、おそらく最も革新的な曲だと思うのは、”Modern Primitive”(2016年)の “And We Are One” だね。あれがソロなんだよ、私にとっては。独特で、全部メロディで、全部フレージングなんだ。あそこでやったことには、聴いたことがない要素がたくさん含まれていた。とても繊細だ。でも、それが好きなんだ。このような小さな変化は、私にとって小さな秘密となり、時には他の人がそれを発見することもあるんだよ」

“For the Love of God” で使用した Ibanez Universe はプリンスに贈られました。
「私はプリンスが大好きで、大ファンだったんだけど、彼が7弦を持つべきだと思ったんだ、彼が7弦を使って何かするのを見たいから。どのギターを何に使うかなんて考えもしなかったよ。何本も持っていたから、言ったんだ。”彼に7弦をあげたいんだ。あれはどうだろう?” ってね。それが “For the Love of God” を弾いたものだとも知らなかったんだ。でもいいんだ、彼はとても親切で、とても感謝してくれて、こう言ったからね。”今度、みんなが送ってくれたギターを置く部屋を作るから、そこに置くんだ”ってね。最高だったよ」
彼は “Tender Surrender” をカバーしたそうですが?
「確かそうだったと思う。それか “Villanova Junction” (Jimi Hendrix) か。あまり自信はないんだけど。CDの箱には ‘Tender Surrender’ by Steve Vai と書いてあって、彼は最初のヴァースを何度も何度も弾いているんだけど、私にはジミのように聞こえるんだ。でも、どうだろうね」
Yngwie Malmsteen、Zakk Wylde、Nuno Bettencourt, Tosin Abasi と行ったGeneration Axe ツアーはどう受け止めているのでしょう?
「私のお気に入りだよ。彼らは兄弟みたいなもので、ツアーでは本当に楽しい時間を過ごしたよ。彼らは完全にプロフェッショナルだ。いい意味で非常識で(笑)、みんな自分の仕事に自信を持っていて、長年にわたって究極の形で結果を出してきた。バンドやソロ・プロジェクト、その他もろもろを離れて、ただ外に出るという素晴らしい機会なんだ。簡単な仕事だよ。あの人たちと一緒にいるだけで、とても楽しいよ。みんな大好きだし」
Frank Zappaと共演した時期は、その後のキャリアにとってどのように役だったのでしょうか?
「Frank と一緒に仕事をしていたとき、私はとても若かったんだ。だから、とても観察力が鋭かった。彼のやることなすことすべてを見ていたから、その後の自分行動の多くは Frank を見ていたことに起因しているんだ。彼の仕事の進め方を見ていたんだ。Frank はいつも公平で、人をだましたり、嘘をついたりすることはなく、正直で、いつもクリエイティブだった。すべてがクリエイティブになるチャンスだった。彼はいつも賢くて機知に富んでいた。フランクの口から何が出てくるかわからないけど、みんながそれを待っていた。彼は、自分の仕事に完全に専念していた。私が Frank から得たものの中で、私のキャリアに深く関わっていると思うのは、彼が自由な思想家であったということ。彼は、他人の信念や恐怖心に縛られることなく、自分の考えで真っ直ぐ進んでいたんだよ。だから、私は思ったんだ。”これこそ、音楽をやる方法、やりたいことをやる方法だ” とね。
また、Frank はビジネス面でも、ミュージシャンとして自分を守る術を心得ていて、私も多くを学んだよ。スタジオについても、編集やレコーディングのやり方など、すべて彼を見て学んでいった。つまり、数値化できないんだ。18歳のときに Frank のテープ起こしを始め、20歳のときにバンドに加わり、3年間一緒にツアーをし、常にレコーディングをしていたからね。その年頃はとても感受性が豊かだから」

Eddie Van Halen も Vai にとって重要な人物です。
「素晴らしい思い出がいくつかある。ある時、ソフトボールをやっていて、その時に初めて彼の兄(Alex)に会ったんだけど、彼はとても印象的な男で、彼の奥さんと私の子供も一緒に遊ぶようになったんだ。Eddie の家に行った時、スタジオを見せてもらったんだけど、彼があるアンプを指差して言ったのを覚えてる。”あのアンプを見ろ、あのヘッドでデビュー・アルバムの全曲を録音したんだ、2曲は除いてな”ってね。それから全然知らない曲のテープにあわせて演奏を始めた。私はこの曲を聴いて、こう言ったんだ。”これはすごいぞ!” ってね。つまり、彼がバンドでやっていたこととは似ても似つかぬものだったんだ。もちろん、彼のタッチは入っているんだけど、いくつか素晴らしい曲を聴いて、私はこう言ったんだ。”ソロのレコードを作ったらどう?” ってね。だけど、それは彼の趣味じゃなかった。彼が好きなのは “VAN HALEN のために作ったギター・パートが自分のソロ・レコードだ” というやり方だったからね。彼はそんな風に思っていた。
もうひとつ、Eddie との素晴らしい思い出がある。私は自分のスタジオで、ギターとペダルとスピーカーとアンプを使ってレコーディングしていたんだけど、Ed が入ってきたんだ。私たちはぶらぶらしていて、ただ話をしていたんだけど、彼が今やっていることについて話してくれて、私のギターを掴んで弾き始めたんだ。それは驚くべきことだった。まさに Ed の音で(笑)、私は思ったんだ。”俺の機材を使って、よくもまあ、完全に VAN HALEN な音を出してくれたな!”ってね。すべては自分の頭の中にあるということを、改めて認識する機会になったよ。結局、大事なのは機材でもなんでもないんだよ。もちろん、一部はそうなんだけど、自分のサウンドの大部分は自分の頭の中にあるんだよ。自分の頭の中で、物事がどのように聞こえているかということなんだ。Ed が私のスタジオで、私の家で、私の機材を使ってギターを弾いたとき、それがはっきりとわかったんだ」
アコースティック・アルバムの制作も行われているようですね?
「まだ完成には遠いんだけど。パンデミックの時に始めたんだ。15曲あって、そのうち13曲はシンプルなアコースティックギターで録音したんだ。それからボーカルを始めたんだけど、途中から肩の手術を受けなければならなくなったんだ。手術が終わってから、演奏ができるようになるまでしばらくかかった。その頃には、ツアーに出て、ロック・インストゥルメンタルのアルバムをサポートしたいと思うようになっていた。だけど、アコースティックと歌のツアーをいつかやるかもしれない。絶対にないとは言えないよ。Jeff Beck は80年代にフィンガーピッキングを始めた。彼は40歳の時に、これだけの名盤を残していながら完全に奏法を変えたんだ。人生はこれからだよ」
Steve Vai の創造性は尽きることがありません。
「あからさまにクリエイティブというわけではないよ。でも、自分の心に響く創造的なアイデアは必ず実現できる、それを邪魔するものは何もないという確信があるんだよね。多くのクリエイティブな人たちは、自分の熱意を信じていないんだよ」

参考文献: GUITARGUITAR: THE INVIOLATE INTERVIEW

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