COVER STORY : VAI “SEX & RELIGION” 30TH ANNIVERSARY
“At The Core Of All Religion And At The Core Of All Sex, There’s Love. It’s Just Interesting To See How That Gets Perverted And Transformed.”
SEX & RELIGION
「”セックス” と “宗教” はとてもパワフルな言葉だ。”宗教のセックス” は、”Passion of Warfare” “戦争の情熱”のようなものだ。最も純粋な形のセックスは、2人の個人が意識の最前線で神との親密な関係を見出す場所なんだ。それは神聖な愛の行為だ。そしてもう一方の端には、欲望という倒錯がある。殺人のようなものまである。私たちの多くは、その中間に位置していると思う。
宗教も同じだ。宗教の基本は純粋なインスピレーションであり、ある個人が現れて神を悟り、その指示を世界に与えるところから始まった。しかし、それがエゴや関係者のニーズに合わせてねじ曲げられる。すべての宗教の核心には愛があり、すべてのセックスの核心にも愛がある。それがいかに曲解され、変容していくのかを見るのは興味深い。つまり、宗教は歴史上、戦争の最大の原因のひとつなんだよ。
誤解しないでほしいが、私はどんな宗教も非難しているわけではない。しかし、世の中には宗教やセックスで金儲けに走っている連中もいる。彼らはお金で希望の約束を売る。信じてほしいが、神の美しい青い地球上で、宗教的な変質者ほど危険なものはない。とにかく、私はこの2つのコンセプトに非常に興味をそそられる。それに、多くの人がセックスと宗教にこだわっているしね」
30年前の Steve Vai の言葉です。さて、彼は預言者でしょうか?それとも占星術師?とにかく、今やギター世界すべての人から敬われ、愛されるようになったギターの魔術師は、30年前の時点で倒錯した現代の暗闇を予見していました。特に、日本に住む私たちはつい最近、統一教会の横暴を目にし、DJ SODA の性被害を目撃したばかりです。Vai の言うように、核となるべきは愛、探るべきは要因であり、曲解の理由であるはずなのに、私たちはしばらく祭のようにSNSで大騒ぎして、被害者も加害者も焼け野原のごとく断罪して、そうしてすぐに何もかも忘れてしまいます。実際、このレコードのワーキング・タイトルは “Light Without Heart”、心なき光だったのですから。
最近日の目を見た Vai のバイカー・カルチャー作品 VAI/GASH のアルバムを差し置いて、Vai が唯一、リーダーとしてバンド形式で制作した “Sex & Religion” は真のゲームチェンジャーでした。それはもちろん、音楽的な革新性、多様性のみならず、扱ったテーマの深淵とも密接に関連しています。つまり、”Sex & Religion” は音楽とコンセプト、その両輪が激しく火花を散らしながらもガッチリと噛み合って、”ヘヴィ・メタルでも実験や哲学が可能” であることを証明した先駆的な作品だったのです。
加えてこの7弦ギターの悪魔は、ベースの怪人 T.M. Stevens やドラムの名手、Terry Bozzio と意気投合してアルバムの異様な基盤を固めました。最後のピースは Devin Townsend。分身となるボーカルに選んだのは、20歳で、カナダのバンクーバー出身の無名のシンガー/ギタリスト。後に、STRAPPING YOUNG LAD やソロ・プロジェクトでメタル世界を背負う鬼才の発掘でした。
David Lee Roth のバンドや ALCATRAZZ, WHITESNAKE でプレイしてきた Vai は、派手で優秀なリード・シンガーを知らないわけではありません。キッズ・ロックの Bad 4 Good をプロデュースしたことで、レコーディング・スタジオでの若者のハイテンションに対する対処法も学んでいました。しかし、奔放で運動神経が旺盛な Devin には、事前の経験ではまったく歯が立たなかったのです。しかしこの噴火直前のキッズは、ダンテの地獄篇の最下層における迷える魂のように叫ぶことも、ゲーテのように神々しくもロマンチックに唄うこともできました。
「彼のギターケースにウンコをした。タッパーにウンコを詰めてギター棚に忍ばせたりね。感情的に未熟すぎてそんなやり方でしか不満を表せなかった。彼は唖然として、なんで…?って感じだったけど、今も見守ってくれてるよ」
Vai が Devin に手を焼いたのは、Devin が Steve Vai 式裕福なロックライフが気に入らなかったから。それでも巨匠は決して匙を投げたりはしませんでした。そんな Vai の寛容さは、自身のヒーロー Allan Holdsworth に会った時の体験が元となっています。
「Allan はとても優しかった。とても優しく話しかけてくれた。もし自分が有名になったり、誰かから尊敬されたりしたら、こんな人になりたいって思ったんだ。だからこそ、今もそういう人間になりたいんだ。誰かに気を配り、興味を持ち、心配し、柔らかく、ね。完全に傲慢じゃない。僕は、路地にいる18歳か19歳の子供だったにもかかわらず、だ。そしてショーは驚異的だった」
異形ドレッドの Vai と、全身にマジックで何かを書き散らしたスキンヘッドのイカれたサイコ野郎の組み合わせは衝撃的。パワーがあり、音域が広く、風変わりで、しかも独自のスタイルを持った Devin は、さながらドーピングをブチかました Mike Patton のように、Devin の言葉を借りれば “金玉で” 叫んでいました。さらに蓋を開けてみれば、Devin Townsend は素晴らしいリード・シンガーであるだけでなく、素晴らしいギタリストでもありました。
「彼は素晴らしいギタリストなんだ。本当に驚異的なスウィープをやることができる。彼はおそらくライブでたくさんギターを弾くだろう。でもこのアルバムでは、ギターは全部自分で弾いた方がいいと思ったんだ。将来的には、もっとライブ・ジャムを録音するかもしれない。でも、このアルバムがフュージョンみたいにならないように気をつけたかったんだ」
実際、Steve Vai はギター・インストの第一人者ですが、その楽曲のほとんどはフュージョンではなくあくまでロックやメタルです。
「まあ、私が言いたかったのは、悪いフュージョンもできるということだ。私にとってフュージョンはディスコと同じで、ある種のテイストなんだ。フュージョンは私の生い立ちの大部分を占めているし、フュージョンから得られる素敵な瞬間もあると思う。6分の曲の中で、特定の2小節のフレーズがとてもうまく機能しているとかね。でも、曲全体がギターソロで埋め尽くされ、蛇行するようなオーギュメント・ナインスコードで構成されてしまうと、典型的なフュージョンになってしまうからね」
たしかに、このリズム隊で典型的なフュージョンをやってしまうと、Steve Vai にしてはあまりに “安全” なコンセプトとなってしまったでしょう。
「T.M. Stevens については、スペインでジョー・コッカーと一緒にテレビ・コンサートで演奏しているのを見た。彼が演奏できることは知っていたが、あれほどうまく演奏できるとは知らなかったね。それに、彼は本当にうまくなりそうなルックスをしていた。Terry Bozzio は、ずっと一緒に仕事がしたかったんだ。ずっと好きなドラマーだった。彼は普段ロックンロールが好きではないから、このプロジェクトに参加させるのはとても奇妙な挑戦で、でも彼はやってくれた」
もちろん、Vai 自身の挑戦も継続して行われました。
「まあ、”Rescue Me Or Bury Me” という曲があって、これはギター・アルバムから最も遠いところにある曲なのに5分間も蛇行する長いギター・ソロがあるんだ(笑)。そこでは本当に奇妙なテクニックに触れていて、ある音をタップし、ワーミー・バーを引き上げて、バーを引き上げたままメロディーを弾くんだ。それからバーを押し下げ、バーを押し下げたまま演奏する。バーを上げたり下げたりしながら演奏する。これはとても難しい。見事なイントネーションが必要だしね。クールなのは、ギターではとても不自然に聞こえる音符のベンドが自然にできることだ。
あのソロの一番最初にやったもうひとつのことは、ピックの代わりに指で弾くことだった。そうすると、Jeff Beck にとても似ていることに気づいたんだ。同じ音でも、弦の太さでトーンが変わったりするテクニックも使ったね。”Touching Tongues” では、ハーモニクスとワーミーペダルを組み合わせて天空の音を創造したし」
Vai はギターを弾く際、自分を律するために瞑想をすることで知られています。
「まあ、みんな瞑想していると思うよ。私が瞑想を意識するようになったのは、Zappa のために採譜をしていたときだ。自分の心の別の部分を使っていることに気づいたんだ。意識がぶれることなく何かに集中すると、本当に新しい世界に入り込むことができる。テープ起こしをするときもそうだし、練習するときも、ギターのテクニックに集中する。気が散ることなく集中できたとき…それはとても難しいことだけど…望む結果を得ることができる。”Sex & Religion” には、瞑想の賜物である瞬間があったと思う」
ただし、瞑想もギターも、Vai にとっては手段の一つでしかありません。
「音楽は素晴らしいし、心から愛している。でも、それは私にとっては手段なんだ。私の目的は、ギターをファンタスティックに弾けるようになることではない。素晴らしい演奏に触れたことはあるよ。でも、ギターを弾くことは私にとって大切なことではあるけれど、人生で最も重要なことではないんだ。
もし私が手を失ったらどうなるだろう?培ってきたものすべて失う可能性がある。耳が聞こえなくなったり、目が見えなくなったり……。そしたらどうなる?ギターの腕前は?君には何がある?あるのは自分自身、つまり意識だけだ。だから、私の次の戦いはギターとの戦いではない。自分自身と自分の意識との戦いだ。それはいつも自分とともにあるものだから」
Vai の言うとおり、”Sex & Religion” の革新性はギター以上にそのコンポジションにあるのかもしれません。ロックやメタルでは通常聴くことのないハーモニーやモードが溢れているのですから。
「他のレコードやロックでは聴いたことのないようなモードが聴こえるだろう。例えば “Deep Down In The Pain” の最後、奇妙な誕生のシークエンス。何が起こっているかというと、子供が子宮から出てくるんだよ。神性の声を聞いたり、質問したり、奇妙なことばかりしている。でも、バックで聞こえてくるのは、私が考案した音階に基づいた荒々しい音楽なんだ。
私はそれを “Xavian” “ザヴィアン” スケールと呼んでいる。私がやったのは、12音列をキーボードでサンプリングして音を作ること。そこから、いろいろな音律を試すのが好きなんだ。(ヨーロッパの12音音階は、オクターブ間の周波数帯域を分割する1つの方法に過ぎない。他の文化や、ラモンテ・ヤングやウェンディ・カルロスといった作曲家の作品には、異なるシステムが存在する。現代のシンセサイザーの中には、別の音律を提供するものもある)
オクターブを9段階か10段階に分けた、さまざまな音階があって、私はそれを “フラクタル” と呼んでいる。”Deep Down In The Pain” の最後では、オクターブを16等分したスケールを使った。つまり、その中の各半音階は、従来の半音階とはちょっと違っていて、100微音階に対して60微音階なんだ。私はこれを半音階と呼ばず、”クエーサー” と呼んでいる。
その異なる音程が、この16音列から私が抽出した10音音階であるザヴィアン・スケールを作り出す。このスケールを使って和音を弾くと、まるで神の不協和音のようになる。ザヴィアン・スケールから広がる、ねじれた感情の世界を想像してみてほしい!私たち人間は、進化の過程で音楽によって形作られてきた。より多くの人がこのようなフラクタルの実験に没頭するようになれば、まったく違った感情の状態が生まれると思う。しかし、METALLICA がザヴィアン・スケールでジャムるのを聴くことはないだろうね (笑)。Kirk に16フレットのギターを貸すよ。普通のフレットの楽器ではこんなことはできない。オクターブまで16フレットのギターがあるんだ。スティーブ・リプリーが何年も前に作ってくれたんだ。彼はオクターブに対して24分割のものも作ってくれたよ」
一方で、”Sex & Religion” には類稀なるフックとポップ・センスが宿っています。
「あの “In My Dreams With You” のように、フックのあるポップなコーラスは、実は僕の友人でロジャー・グリーンウォルドという男が書いた曲からきているんだ。彼は本当に優れたギタリストであり、プロデューサーでもある。私が大学生の頃に彼が書いた曲の一部なんだけど、私はずっとこの曲で何かやりたいと思っていたんだ。
基本的に曲の構成は全部書き直したんだけど、それからデズモンド・チャイルドと一緒に歌詞を考えたんだ。デズモンドは本当にユニークな作詞家だ。彼は BON JOVI や AEROSMITH のようなバンドで大金を稼いだから、多くの人は彼のことをシュマルツ・ポップの帝王だと思っている。でも、彼は本当に何でもできるんだ。”In My Dreams With You” はこのアルバムに収録された彼との唯一の曲だけどね」
“Everybody Wants To Be a Lead Player, But If You’re a Working Musician, 95 Per Cent Of It Is Rhythm!”
WONG’S CAFE
Cory Wong はいつも楽しそうに見えます。米ファンク界のセンセーション VULFPECK でリズムを刻んでいても、エリートとしてセッション・ギタリストとして活動していても、あるいは自身のソロ・プロジェクトを遂行していても、ミネソタ育ちの彼のおどけた笑みと無限のエネルギーは、人を惹きつけてやみません。実際、彼は “The Optimist” “楽観主義者” というアルバムまで作っているのですから。
そして、その楽観主義が彼を音楽世界において一層興味深い存在にしているのです。その笑顔が Fuji Rock の大舞台で日本のファンを惹きつけたのです。評論家が毎年のようにギターの死を宣告する時代に、Cory Wong は楽しさでギター・ヒーローの意味を進化させています。
ド派手なソロやハードロックのクリシェといったクラシックな定番の代わりに、Cory を筆頭とする新種のギタリストたちは、ヒップ・ホップ、ソウル、R&B、ファンクのやり方を取り入れて印象的な独創性をもたらしています。特に Cory の場合は、リズム・ギタリストを極めるという、普通では考えられない方法で独創性を実現しているのです。
「ポップミュージックにおけるギターの役割、その道を切り開く旅が続いてきた。 ディスコから始まり、ナイル・ロジャースや CHIC, EARTH WIND & FIRE, OHIO PLAYERS、そして PRINCE に至る。でも、そういうものの系譜としては、すべてがナイル・ロジャースから来たような気がするね」
「面白いよね。伝統的に “リズム・ギタリスト” という肩書きは、名誉の証というよりも蔑称なんだから!
でもね、僕のギターにおける最大のインスピレーションは、David Williams と Michael Jackson の共演だ。90年代前半か80年代後半の David のインタビューを見たことがあるんだ。その中で、彼は人生をかけてリズム・ギターを前面に押し出したと語っていた。”ああ!まさに僕が思い描いていたことだ!” と思ったね。
もう1人の大きなインスピレーションは、これも Michael Jackson の作品にも参加している Paul Jackson Jr. だ。10代の頃、”Paul Jackson Jr: The Science Of Rhythm Guitar” という古いDVDを持っていたんだ。
彼は、誰もがリード・プレイヤーになりたがっているが、リードの練習に90パーセントの時間を費やし、リズムの練習は10パーセントしかしないというやり方は、現実の世界とは完全に逆転している!といつも言っていた。だって、ミュージシャンが演奏する95パーセントはリズムで、5パーセントだけがリードなんだから。僕はそのことにとても共感したんだよね。
リズム・ギターのパーカッシブなパートを、フックになるようなキャッチーなもの、フックになるようなメロディックなものにすることを学んだんだ。そうやって、リズム・ギターが “リード”楽器になるというジレンマを解決したんだ」
リズムをリードに変えるその公式が、Cory 3枚目のソロ・アルバム、”Motivational Music For The Syncopated Soul” というタイトルの基盤となっています。彼のトレードマークであるパーカッシブなリードとリズムのフュージョンに、ホーンやオルガン、そして時折歌声がアクセントを添える、容赦なくファンキーで陽気なアルバムは、2019年のポップ・ミュージックにおけるギターの位置づけを示す、説得力のあるマニフェストでした。
「それまでのレコードやアルバムでは、”自分はどんな芸術的な主張をしたいんだろう?自分の指紋は何だろう?” と探っていた。そしてこのアルバムでそれを発展させ、自分の声を発見したんだ。
“ギター”のレコードをたくさん聴くと、そのほとんどが文字通り “ギター・アルバム” だ。それは印象的だし、もちろんクールだよ。僕はそういうのも好きだし、そういうこともできる。でも、それは必ずしもミュージシャンとして、そして一人の人間としての僕を感動させるものではない。
大好きなギタリストたちのライブを見たことがある。彼らは2時間でも3時間でも、とにかく “ギター・ショー” をやっている。そして90分経ったとき、僕はこう思った。”ギターだけじゃダメだ!” ってね。一日中チョコレートケーキを食べるわけにはいかないじゃないか!
それをやっている人全員がエゴだとは言わないけど、僕がやったらそうかもね!もし僕が、”ギターでこんなことができるんだ!見て見て!みんな僕の才能にひれ伏せ!”みたいなことをやったら…ああ、それはしっくりこない……」
それでも Cory はギター中心のレコードを作らなければなりません。燃え上がるようなソロやフラッシュという松葉杖に寄りかからず、それでいて興味深く、独創的で、技術的に印象的な作品を。
「僕がやっていることの多くは、”あからさまなチョップ” とは違うんだ!あいつはクレイジーだ!みたいなものじゃなくてね。僕はもっと “隠密なチョップ” をやっていたい。聴いていて、”わぁ、かっこいい” って思うし、とても親しみやすいもののように思える……でも、いざ演奏してみると、”あぁ……これ、実はすごく難しいんだ!” ってなるようなもの。
というのも、リードだけをやっている人がたくさんいて、彼らはリードをやりつくしているから!なぜわざわざその領域に入らなければならないの?!それなら、僕がリズムギターの役を引き受け、輝かせ、このタイプのプレーが素晴らしいことを世界に示し、どうすれば脇役を主役に押し出すことができるかを示せばいいじゃないか」
“Motivational Music For The Syncopated Soul” の中で、Cory のコンセプトを最もダイナミックかつ説得力のある形で表現しているのは、英国のジャズ・ポップ・センセーション Tom Misch とのデュエット曲 “Cosmic Sans” でしょう。
「Tom と僕は、ミレニアル世代的な2019年の方法でつながったんだ…インスタグラムでね!(笑)。インターネット・ギター仲間になったんだ!そんなことができるなんて、とても面白くてクールなことだよ。10年前でも、そんなことはなかったんだから。
彼はLAに2週間ほど滞在していたんだけど、直接会って、30分後には曲が録音されていた。ジャムを始めてすぐ、彼が “レコーディングしようか?そうしよう!”って。俺たちは大人だ。プロなんだ!これは、プロセス全体を考えすぎてしまってはダメなんだ」
Cory の最も注目される仕事である VULFPECK のリズム・ギタリスト(ツアーやアルバムで常に存在感を示しているにもかかわらずバンドの正式メンバーではない)でも、この臨機応変な対応力は磨かれています。
「誰かが曲のアイディアを持ってきたり、Jack Stratton が “デモを送ってくれ…” と言って、彼がそれを聴くと、突然、”よし、Aセクション、演奏しよう。Bセクション、演奏しよう!”となる。10分後にはアルバムで聴ける曲が完成しているんだ」
Cory は若い頃、地元ミネアポリスを離れ、ナッシュビルのセッション・シーンという、ミュージシャンにとっておそらく最も競争の激しい、厳しい環境でカッティングに挑戦しました。
「とても素晴らしい環境だったし、良い指導者にたくさん恵まれたことに感謝している。セッションの世界では、一瞬で磨かなければならない要素がたくさんあり、その奥深くに入り込む必要があるからね。
多くの場合、プロデューサーはデモを一度聴かせてくれる。だから、曲が完成したらすぐにその部屋に行って、完璧に演奏できるようにそのチャートを作る必要がある!
ただ、曲を弾きこなすだけでなく、同時に “特徴的な” ギター・パートを弾きこなす必要がある。G→C→Em→D…っていうような曲で、そんなの何百曲あるんだろう?何がこの曲を “特徴的” にするのか?みんながこの曲を聴いたときに、僕のパートを際立たせるものは何だろう?って考えながらね。
それが本当にうまくなる唯一の方法は、たくさんの反復練習とたくさんの直感なんだ。たくさん練習すればするほど、直感は磨かれていくんだよ」
2021年は Cory にとって大きな年でした。初のシグネチャー・ストラトを発表し、YouTube番組 “Cory and the Wong Notes” も彼の名を世界に知らしめました。昨年はファンク・スーパーグループ、VULFPECK と再びタッグを組み、”Vulf Valut 005: Wong’s Cafe” をリリースしました。
「”Vulf Valut” はヴァイナル・オンリーのコンピレーション・シリーズとして始まったんだ。Jack とパンデミックの前にやったレコーディングで、気に入っていたけれど前作には収録されなかったものがたくさんあると話したんだ。彼と書いたものもあれば、他のメンバーと書いたものもあった。彼は “プロデュースして、好きなようにやって、Cory Wong らしくしてくれ!” と言ってくれた。だから、その音源をもらって、プロデュースを始めたんだ。
ギター中心になるように、いろいろなテクスチャーを加えて……クラシックなオールドスクールの VULFPECK の雰囲気を、ギターで表現したかったんだ。通常のアルバムではいつもやらないようなギターの見せ方をするために、新しいレコーディングを始めたんだよ。
いつもは Jack がバンドリーダーだから、僕はそれにふさわしいパートを演奏する。Joe Dart はバンドのアンガス・ヤングで、彼のベースがすべてを引っ張っている。このアルバムで僕はエディ・ヴァン・ヘイレンに少し近づけたよ。
“Wong’s Cafe” というタイトルになったことで、自分のレシピを披露することができた!何も気にしないで、ギターを前面に押し出した作品にしようと決めたんだ。今までで一番ギターが主役の VULFPECK のプロジェクトなんだ!」
“Smokeshow” のギターソロは出色の出来でしょう。
「ああ、あれはいつもとかなり違っていて、もっとロック的なものだと思う。ほとんどの人は僕をクリーンなサウンドのリズム・プレイヤーとして知っている。でも、リード・ギターも子供の頃から弾いていたんだ。セッションや多くのバンドでリードを弾いてきた。
僕は STEELY DAN のマニアで、John Scofield のフリークなんだ!この曲で影響を受けたのはこの2つだ。STEELY DAN の “Peg” における Jay Graydon のソロを聴いて、それから僕のソロを聴いてみてよ。この曲は、彼へのオマージュなんだ。
Gミクソリディアンで下降するモーダルなリックがあり、最後にクロマティックを入れて緊張感と解放感を出している。これは “Peg” のソロから得たものなんだ。面白いシェイプの動きなんだけど、強い音で解決されるし、モーダルで解決感がある。
実は John Scofield とこのことについて話す機会があったんだ。そして彼は、多くの場合、気に入ったメロディーの形を見つけると、それを1フレット戻し、解決したいときに戻ってくるのだと教えてくれた。そうすることで、クールな効果が生まれるんだ
ギター・プレイヤーはシェイプが大好きだ。でも、半音階的なテンションを加えてみて、何が起こるか見てみよう。内側に入り込んで、外側に出て、そしてパッと戻ってくるかもしれない」
ベース・ギターの伝説 Victor Wooten との共演も果たしました。
「Victor は僕の音楽的ヒーローのひとりだ。10代の頃から彼を見てきたし、数年前から好きなバンドは Béla Fleck and the Flecktones だった。18歳のとき、ミネソタ動物園の円形劇場で彼らのライブを観たんだけど、彼らの演奏に圧倒されたよ。以前は、伝統的な楽器をあまり使わず、異なるスタイルを融合させたインストゥルメンタル・ミュージックをやっていることを知らなかったし、なんだか変だと思っていたけど、彼らのライブを見て “そうだ、説得力があれば何をやっても許されるんだ” と確信した。初めて Victor に会ったときは衝撃だったね。彼は伝説的なミュージシャンで、地球上で最も好きなミュージシャンの一人だ。やがて、僕は自分のことをやり始め、音楽シーンで有名になり、時々起こることだが、幸運にも知られるようになった。
僕が YouTube でやっている音楽バラエティ番組は、レイト・ショーとサタデー・ナイト・ライブを足してミュージシャン・バージョンにしたようなものなんだけど、彼はそれに興味を持ってくれて、とても気に入ってくれたんだ。僕は、ぜひ出演してほしい、インタビューもしたいし、一緒に演奏したいと言ったよ。
彼は “もちろん!” って。彼とは1時間のインタビューをした。彼はずっと知恵を絞っていて、僕の質問は彼にとっても僕にとっても重要なことだったので、とても楽しんでくれた。このツアーを計画したとき、僕は今、プラットフォームを持っていて、ある程度の成功を収めているのだから、自分のヒーローたちを招待することができるだろうと考えていた。ツアーに Victor を特別ゲストとして招き、ベースを弾いてもらい、バスに乗り、彼の知恵を吸収することは夢だった。今まで生きてきた中で最高のミュージシャンの一人であり、僕の絶対的なヒーローの一人である彼と一緒に演奏できることに興奮しているし、同時に、Victor Wooten と1ヶ月間バスの中で一緒に過ごし、彼の持っている知恵、知識、経験のすべてを吸収できることにも同じくらい興奮しているよ」
実際、Cory は9歳のときにピアノを弾き始め、10代で RHCP や PRIMUS の影響を受けてベースを弾き始め、今はフェンダー・ストラトキャスター・ギターを弾いています。
「もともとはベーシストになりたかったし、今でもベーシストになりたいと思っているんだけど、ギターを弾くことから抜け出せないんだ(笑)。小学校6年生のとき、バンドでベースを弾きたかった。ベースを持っていたし、ベーシストだった。でも、バンドに入りたいと興味を示す友達の中で、ギターをやりたがる子はいなかった。
結局、友人のアーロンにベースを教えて、お金を貯めて、ギターを買ったんだ。それ以来、ギターにはまり込んでしまった。実はとてもスリリングなんだけど、ベースを弾くのも大好きで、スタジオで自分のレコードのベースを弾くこともあるんだ」
ギタリスト、ベーシスト、ピアニスト、エンターテイナー、インタビュアー兼司会者。Cory Wong の才能に限界はありません。
「子供の頃から深夜テレビに夢中だった。見てはいけないかもしれないけど、部屋にテレビがあって、夜遅くまでトーク番組や深夜番組を見ていたんだ。生バンドが出演し、番組にエネルギーがあり、時事問題を語り、時代の流れに沿った興味深いゲストを迎え、バンドが来てパフォーマンスをする。深夜帯のバンドリーダーになりたいというのは、僕の大きな夢だった。司会者にもなるから、プレゼンターやエンターテイナーとしての才能があることを示せるし、音楽ディレクターとしての才能も。自分のクリエイティビティの一部を発揮しながら、自分が取り組んだスケッチ・コメディーのセグメントをやったり、自分のやっていること、興味のあることを披露したりするんだ。
僕は単なるギタリストやミュージシャンではない。僕の脳内には他にもいろいろなことが渦巻いていて、それを吐き出すのは楽しいことなんだ」
“I Want To Write Something That Stands The Test Of Time.”
TRUE POWER
失恋は個人の成長を促すとも言われています。I PREVAIL のボーカル Brian Burkheise は、2013年5月1日の夜の体験が、その言葉を裏付けていると証言します。
当時20歳の Brian は、その約束をデートだと思って出かけました。1925年にステート・シアターとしてオープンした伝説的な会場フィルモアに、PIERCE THE VEIL, MAYDAY PARADE, YOU ME AT SIX が出演するライブに若い女性を連れて行った時のこと。
PIERCE THE VEIL のセットの途中で Brian は、自分の夢を彼女と分かち合うことに決めます。「俺はいつかこれをやりたいんだ…」Brian は2,900人収容のハウスを満員にすることと、ライブの観客を魅了することを彼女に誓ったのです。
Brian は自身の言葉を固く信じていましたが、しかし彼の愛情の対象は彼の言葉をあまり信じてはいませんでした。
「彼女はにやりと笑い、絶対にありえないと思っているような目で俺を見ていた。ライブが終わると、彼女は別の男に会いに行ったんだ。自尊心を傷つけられたね」
落胆しながらも Brian は一人で家に帰る途中、自分の将来を考え始めます。
「起こったことはモチベーションの源となる。なぜ自分はこれほどハードにプッシュしなければならないのか、その理由にね。自分ならできる、夢は実現可能だということを人々に示すための力になると自分に言い聞かせたのを覚えているよ」
あの運命的な夜から10年。Brian と彼のバンド I PREVAIL に起こったことを考えれば、その言葉が真実であることを証明できるでしょう。2度のグラミー賞ノミネート、3枚のフル・アルバム、そしてモダン・メタルで最も鋭いキャリアの軌跡。それだけではありません。バンドのサード・アルバム “True Power” を引っ提げた北米ツアーのクライマックス、PIERCE THE VEIL の後に出演した彼らはフィルモアでヘッドラインを飾ったのです。それはまさに、ヘヴィ・メタルのレジリエンス、回復力、反発力を証明する出来事でした。
「自分が尊敬していた人たちとステージを共有できた。これからも、常に自分自身をプッシュしなければならないと感じさせるね」
Brian は現在、3年連れ添った妻 Caylin と暮らしています。彼女とは、苦渋を舐めたあの夜の数カ月後に知り合いました。では、彼を裏切った女性はどうなったのでしょう?
「あれから、彼女はレコードを出すたびにメールをくれるのがおもしろくてね。結婚してからは、メッセージは来なくなったよ」
Brian には、自信なさと生意気さが混在しています。ミシガン州南東部のランドマーク・アカデミーという “超小規模 “高校を40人クラスで卒業した彼は、ESCAPE THE FATE の曲を車の中で歌って仲間に声の強さを指摘されるまで、自分に才能があることに気づいてはいませんでした。両親は彼の願望を応援してくれましたが、一方で友人や家族からは、よく言えば非現実的、悪く言えばクレイジーだと思われ、それが彼自身へのプレッシャーを強めることにもなっていました。
しかし Brian はそのプレッシャーまでも反発力でモチベーションに変換しました。成功を収めるために彼は、歌や照明、アートワークや舞台裏の仕組みに至るまで、自分が関わりたいと思う世界を科学的に研究に研究を重ねたのです。Brian は、ミュージシャンであると同時にマーケッターの頭脳を持っていたおかげで、バンドという乗り物を “超分析” し、悪名や宣伝材料の不足など、将来の成功を阻むかもしれない要因を特定していったのです。
I PREVAIL が今日のように、自分たちの活動の細部にまで気を配り、それが全体的なゲームプランの中で果たす役割に気を配るようになったのは、まさに Brian の現実的な哲学が浸透していったから。あくまでも彼らは長期的な視野で活動していて、単に自分たちの事業の将来性を確保したいだけなのです。
「音楽が僕らの根源であるのと同じくらい、僕らはみんなビジネスマンなんだ。バンドは発展し、成長しなければならない。人脈を作り、可能な限り多くのことを学ばなければならない。30年後、僕らが60歳になっても、この仕事を続けていたいからね」
Brian とボーカルを分け合う Eric Vanlerberghe のインスタグラム・アカウントは彼のレコード・コレクションに捧げられています。
「自分が手掛けた作品が誰かの手元に届くというのは、特別なことなんだ。誰かがそのレコードをコレクションしていて、その友人や子供たちが、何年か後にそのコレクションを手にとって、僕たちが作ったものを発見するんだからね」
Eric は昔ながらのロマンチックな音楽鑑賞を愛していますが、ストリーミングがもたらす影響にもしっかりと気を配っています。I PREVAIL は2022年に182カ国で2億4690万回のストリーミングを得ています。
「誰かが自分の音楽に人生の多くを捧げているのを目の当たりにするのは…正気の沙汰じゃない。A DAY TO REMEMBER の “Homesick” や MY CHEMICAL ROMANCE の “Black Parade” を聴きながら、自分の人生のどれだけの時間を過ごしたか、過去に戻って確かめたいものだよ」
Eric の足には “Black Parade” のタトゥーがあり、CDを聴きすぎて “燃え尽きて” しまったのだといいます。ゆえに、MY CHEMICAL ROMANCE がヘッドライナーを務めた “When We Were Young” フェスティバルに出演することは Eric にとって光栄以外の何物でもありませんでした。彼が初めて行ったライブは FALL OUT BOY で、すぐにカリフォルニアのデスコア・アウトフィット、CARNIFEX が続きました。エモもデスコアも同時に包容するのが彼らのやり方。
「この前のツアーでは、SLAYER の “Raining Blood “をカバーしたんだ。毎晩、みんなを驚かせるためにね。特に、みんなが演奏するとは思っていないような曲を演奏したいよね。I PREVAIL が SLAYER を演奏すると思うかい?」
I PREVAIL がデビューEP、2014年の “Heart vs. Mind” を準備していた頃、最初の注文は1,000枚にすべきだという提案に反対したのも Eric でした。「そして今、僕たちはここにいる」それ以来、彼らは目標を常に “高い” ものに再設定し、常にハングリーで追い求める姿勢を崩していません。
彼らの成功の雛形は LINKIN PARK の影響によるものです。重いリフをポップなフックと融合させ、寛容にさまざまな形に変化させながら、音楽ファンがヘヴィ・ミュージックへの愛を発見する “門” として重要な役割を果たした Nu-metal 界のレジェンド。ただし、”入門バンド” には入門バンドの苦悩もあります。I PREVAIL もテイラー・スウィフトの曲をカヴァーしたことで、早い時期にジャンルの “門番” たちから大きな非難を浴びています。
「気にしてないよ。誰かが僕らを “入門バンド” だと言っているコメントを読むと、侮辱のつもりで言っているんだろうけど笑ってしまう。でも、僕たちは人々をメタルに引き込んでいるんだ。いいかい? 人々は自分を引き込んでくれたバンドを、この先何年もの間、いつも近くに置いておくものだ。METALLICA は、僕にメタルとは何かを教えてくれた最初のバンドだった。そこから SLIPKNOT、Underøath、SYSTEM OF A DOWN と続き、2年も経たないうちにデスメタルやグラインドコア、その他諸々を聴くようになった。メタルに対する飽くなき渇望があったんだ。だけど、そうやって世界が広がった今でも、最初に僕をメタルに引き込んでくれたバンドやアルバムは大好きなんだ」
Brian がステージから I PREVAIL の観衆を見渡すと、彼らを見に来た多くのファンの傾向を確認できます。彼らはたいてい6~8人のグループでやってくる、かつて LINKIN PARK や A7X のようなバンドを見に行った年月を懐かしむ30~35歳の兄弟たち。とはいえ、それだけではありません。
「僕らは誰でも聴くことのできるバンドになりたいんだ」 ラッパーのジョイナー・ルーカスとコラボしたトラック “DOA” や、EDM界の大御所 Illenium とコラボしたシングル “Feel Something” など、I PREVAIL は外部からの影響を幅広く取り入れ続けていることを誇りに思っています。
「僕たちが常に目指しているのは、どんな年齢、どんな人種、どんなジャンルの人でも聴いてインスピレーションを得られるバンドであることだからね。”True Power” はロックでありメタルであり、これまでで最もヘヴィなアルバムだと感じているけど、それでも非常に多様なサウンドが収録されている。そのおかげで、じっくりと腰を据えてこのアルバム全体を見渡すことができたと思う。”これまでにやったことのないことで、やってみたいことや、既成概念にとらわれないアイデアは何だろう?” ってね。振り返ってみて、とてもクリエイティブで、いろいろな側面を持つことができて、とても楽しかったんだ」
Eric はこの作品が時の試練に耐えうる “True Power” を有していると胸を張ります。
「時の試練に耐えるものを書きたかった。子供たちが10年後にこのレコードを聴いても、友達みんなに見せてくれるようなバンドになりたい。でも僕は、聴いてくれる子供たちにどんな概念も押し付けたくはない。彼らが音楽の旅の中で経験したことを、いつか自分の音楽に置き換えることができるような、音楽との深いつながりを与えたいんだよ。オープンエンドな性質、アトモスフェリック、容赦ないヘヴィネス、そして新鮮なアイデア…」
多くの熱心なミュージシャンがそうであるように、Eric は “良いものなら何でも聴く” 音楽愛好家。具体的には、FIT FOR AN AUTOPSY, SLIPKNOT の “Iowa”、PANTERA の “Vulgar Display Of Power” を最近でもよく聴いています。
「”時代を超越した音楽” というのは、まさにそういうことなんだ。20年後に聴いても、その音楽のエネルギーや怒りを感じることができる」
I PREVAIL は明らかに、自身の継続的な成功のためではなく、ヘヴィ・ミュージック全体が音楽の他の大物と同じテーブルに座ることを願い、シーンのためになりたいと思っています。2020年に I PREVAIL がグラミー賞に出席した際、ロック部門は生放送されませんでした。
「BRING ME THE HORIZON と僕たちは、お互いに顔を見合わせたんだ。そうして、10年後にまたグラミーに戻ってくることができるように、そしてロックが再び大きく受け入れられて、かつてのようにテレビの生放送で放送されるようにやっていこうと誓ったのさ」
彼らの創造性、情熱、そして意志の強さを宿した音楽は、様々なリスナーの人生を変えています。最近、あるファンが Brian に、大事故で骨折して入院していたことを話しました。彼は、”True Power” を聴くことで、最低の瞬間や耐え難い痛みを乗り越える力が湧いてきたと Brian に伝えました。「それが僕たちにとっての成功なんだ」
共同ボーカル Brian と Eric のダイナミックな関係もまた、I PREVAIL の中心軸となっています。
Brian が語ります。
「僕たちは偶然出会ったんだ。ロックの神様かメタルの神様か、どう呼ぼうと勝手だけど、僕らをペアにすることに決めてくれてラッキーだったよ。僕ら2人がいなかったら、このバンドは成り立たなかったと思うし、彼もそう言うと思う。安っぽいかもしれないけど、僕たちは兄弟のようなものなんだ。兄弟のような関係というのは、お互いのことを一番に考えているということ。特に初期の頃は、2人のボーカルがいることで、外部の影響によって、関係が難しくなりそうになったこともあったからね」
Eric は、ツアー中の混沌とした生活の中で、チームのメンバーのように4人の仲間と、じっくりと一杯の酒を味わうことほど好きなことはありません。
「もしお互いを信頼し、自分たちのやり方でやっていなかったら、今の自分たちはなかっただろう。僕たちは確かに個人だが、それでも、I PREVAIL が人々の記憶に残る名前になることを全員が望んでいるんだ」
今のところ、彼らはかなりいい仕事をしています。
“The Great Bands That We Love, They Still Wrote Simple Rock Songs, But There Was a Complexity If You Wanted To Look Deeper. So What I Call It Is Simplexity!”
それにしても、かつて “More Than Words” でポップ・カルチャーの頂に立った EXTREME がここにきて再度その場所に戻り、話題を独占するとは驚きです。
「10日間で100万回再生され、発売以来200万回近く再生されている?これは予想外だったし、とても感謝しているんだ。同業者やギタリスト、Steve Lukather や Brian May のような人たちが、”ヘイ、バディ、グッジョブ!君の新作が大好きだ!” みたいな反応じゃなくて、長いテキストメッセージのようなものを返してくれた。アルバムにちゃんとしたソロがあって、ちゃんとした曲があることに関係しているのだろうけど。
そしてもっと重要なのは、彼らの反応は、もしかしたらみんな知らないかもしれないけど、ここ8~10年、本当に素晴らしいギタリストの大半は、俺もフォローしている驚異的なプレイヤーは、みんな部屋に座っているってこと。俺は舞台の上にいる。エネルギーが違うんだ。
彼らは一人でスタジオに座って、ギターを弾きながら、SNS が何かで俺たちを驚かせる。彼らと俺の違いは、バンドが登場すること。だからこそ、感情的で、フィジカルなものになる。バンドの誰かが曲の途中でハーモニーやボーカルをとるし、歌詞もあるし、アレンジも、ブリッジも、とにかくオールインで、情熱的に演奏している。それこそが、人々を再び興奮させるレシピなんだよ」
Bettencourt はポップ・カルチャーに再びギターを取り戻した事で、感謝さえされています。
「ある人からメールをもらったんだけど、そのほとんどがお礼のメールだった。再びロックンロールを届けてくれてありがとう!というお礼のメール。ビデオの中でギタリストがソロを弾くのを見て、あんなに興奮したのはいつ以来だろう?ってね。それが人々を興奮させているのだと思う。
もし俺が座って同じソロを演奏したら、人々は “オーケー、クールだ” と思うだけだろう。”かっこいい。彼は何か面白いことをやっている” と思うだけだろう。俺はそういう演奏はしない。例えば、”Other Side Of The Rainbow” だ。あのソロは俺のお気に入りの1つだけど、みんなはそれほど興奮しないかもしれない。たしかにベスト・ソロではない。でも、あんなソロ、他にないだろ?つまり、あの曲にとって最高のソロなんだ」
Eddie Van Halen に捧げた “Rise” のソロも完璧ではないと Bettencourt は語ります。
「冒頭のベンド!あれは音符じゃないから、何の音を出しているかは分からない。15年前なら、”あのクソ音符をやり直そう” と、直していたかもしれない。でも、俺の中の何かに響いたんだよな。つまり、キックドラムの音に、車の衝突音を混ぜたような音だったからな。不完全さに惹かれるというかね…」
Bettencourt のソロはいつもダンサブルで、リズミカルです。
「その理由はただひとつ。俺はドラムから始めているからね。ドラムは俺にとってすべて。誰かが俺をジャムに誘うたびに、”ああ、君が望むならドラムを叩くよ!” と言うから、嫌われているくらいでね。でも、それが俺の楽器のやり方のすべてなんだ。パーカッシブに演奏するというね。ソロを演奏するときでさえも、俺にとって重要なのはリズムであり、フィーリングであり、バウンスなんだ。リズムギターの上にさらにリズムギターを重ねるような感覚でソロを弾いている。わかるかな?ドラムを叩いて、すべてのパターンを書き出すことができるような感じ。わざとじゃないんだけど、”Rise” の冒頭で音を曲げたときでも、信じてほしいんだけど、その後まで流れがあって、それがリズミカルということなんだよな」
ただし、Bettencourt にとってこれはずっと続けてきたことでもあります。
「みんな “Rise” のソロを聴いて、まるで神の再来だ、ギターのハードルが上がった!みたいなことを言ってるんだ。待てよ、俺はこれを30年ずっとやっているんだけど…。”Peacemaker Die” を聴いたことないのかよ!って思うね。”Rise” のソロと同じような感じで、”Peacemaker Die” はかなり見落とされてきたソロだ」
EXTREME には、80年代のヴァイブ、90年代のヴァイブ、どんなものでもありながら、とても EXTREME らしい存在感が常にあります。ヘヴィな曲の一方で、”Small Town Beautiful” のような映画化目前の楽曲もあって、その対比がダイナミックさを生んでいます。
「このアルバムには、映画のサウンド・トラックに収録されそうなシネマティックな楽曲がたくさんあるよね。俺が曲を書くときは、紙とペンであろうと、コンピューターであろうと、その瞬間に最初に考えるのは映像。俺は音を見る。音がもたらすビジュアルを見て、どんな映像が考えられるか、俺が見ているものは何か、そしてその感情は何かということを書いていくんだ。俺たちが撮影した “The Other Side Of The Rainbow” のビデオを見ると、場所的にとても “虹の向こう側” なんだよな(笑)。そうやって、俺たちは生身の人間であり、名声の栄枯盛衰を描いていったんだ」
EXTREME はアルバムが少ないことにも理由があります。
「”Chinese Democracy'” にあやかって、”Portugal Democracy” と名づけようかと思ったくらいでね (笑)。まあでも、アルバムが出る、あるいは音楽が出るということは、それなりの理由があるわけで、それはたいてい俺にとって良い理由なんだ。俺たちがあまりアルバムを出さないのには理由があるんだ。
とてもとても若い頃、Gary Cherone に “音楽を出すために音楽を出すのは絶対に嫌だ” と言ったんだ。たしかに、アルバムを出すたびにお金が入り、世界中をツアーすることができる。しかし、それは本当に誇りに思うものでなければならないと思う。みんなに嫌われようが愛されようが、そんなことは自分にとって結局は何の意味もない。ファンが気に入ってくれるのは、いつもオマケのようなものだ。自分がやったことが好きじゃなかったのに、みんなが自分のやっていることを気に入ってくれることほど悪いことはないんだ」
それは、THE WHO の英雄から学んだ哲学です。
「何年も前の90年代半ばに、Pete Townsend のラジオ・インタビューを聞いたんだ。深夜に車を運転していたら、DJ がこう言った。THE WHO が復活してツアーをするのはクールだ。ファンのためにやってくれるなんて最高だってね。そして、Pete がこう言ったんだ。”そんなの全くのデタラメだ。どんなアーティストであろうと、ファンのために何かをやることはない。ファンのためにアルバムをレコーディングしたとか、ツアーをやったとか言うアーティストは嘘だ” とね。
当時は、すごい攻撃的で冷たいなと思った。でも今なら、彼の言いたいことがわかる。ファンは俺たちに物事をコピーしたり、ファンに合わせることを望んでいないんだよ。何でもいいからやってみよう、そうすれば彼らは興奮する。この人たちは今、何をやっているんだろう?ってファンは、予測不可能なアッパーカットを求めているんだ。だから、アーティストとしては、自分たちのバブルの中にいて、自己中心的でわがままになり、好きなことをやらなければならないと学んだんだ。それが、ファンが俺たちに本当に求めていることなんだよ」
“Six” の制作にあたって、Bettencourt はギターのレベルアップも明言していました。
「ギタリストの友人の一人に、ギターそのものが、俺とまるで人間のような関係を持っていると話したことがあってね。ギターは置いておくだけの木の塊ではないんだよ。友人と一緒にいるのが楽しみなときもあれば、そうでないときもある。そんな友人は誰にでも一人や二人はいるもので、1年や2年会わないかもしれないけれど、会ってランチをすると、まるで離れたことなどなかったかのように、絆と理解が深まるんだ。俺はいつもギターとそんな関係だった。しばらく離れてもいいんだ。しばらくは誰かから離れる必要がある。そして、時には夢中になり、6ヶ月間ずっと一緒にいることもある。そしてそれが今の状況なんだ。
あとは、ジェネレーション・アックス・ツアーに参加したことにも刺激を受けたよ。素晴らしいギタリストやヒーローたちと一緒に演奏することで、また少し火がついたんだ」
ヒーローといえば、Bettencourt は最愛のギターヒーロー、Eddie Van Halen を失いました。
「アルバムを作っているときにも、Eddie が俺の家に来て、アルバムを聴いてくれた。もちろん、Eddie Van Halen の王座を継ぐ者はいないと言わざるを得ないよ。誰もその王座を奪えない。 Eddie は単なる “ギタリスト” ではなかったから。文化やギターの弾き方を変えてしまった人なんだ。それで、”Eddie が亡くなった時、”クソっ!俺らの世代にはもう分かり合える人たちがあまり残っていない…”と思ったんだ。若い世代で素晴らしいギタリストはたくさんいるけど、バンドで曲を作り、曲の中でソロを弾き、その曲のトーンの中でクリエイティブになれる人はあまりない。バンドの中のギタリストという”聖火”をつなげる責任と炎を感じたんだ。
このアルバムは楽しいものにしたい、ギターで楽しいものにしたい、リズムの中にソロがあるという意味で血を求めていきたいとみんなに言ったんだ。それは、Eddie Van Halen, Brian May, Jimmy Page に由来するもの。彼らは、たとえリズムを演奏していても、その下にセクションやコード的なものがあっても、ただクリエイティブだった。俺たちはジャズをやっているわけではないからね。ロックンロールをやっていて、3分半の曲で、曲はシンプルであるべきなんだけど、その中で天才的なことをするのは悪いことじゃないんだ。俺らが大好きな偉大なバンドたちは、やはりシンプルなロックソングを書いていたけど、深く見ようと思えばそこに複雑さがあったんだ」
Bettencourt はその複雑性を “層” と例えます。
「曲の中に剥がせる “層” があり、発見できるものがあった。”だから俺はそれを “Simplexity “と呼んでいるんだ (笑)。Simplicity (単純性) と “Complexity” (複雑性) をかけ合わせた造語だよ」
Bettencourt は Van Halen だけでなく Prince にまで愛されていました。
「EW&F のトリビュート・ライブで Prince が Nikka Costa と座っていた。で、耳元で彼女に何か囁いたんだ。”下手くそ野郎”とかかな…って落ち込んだよ。次の日 Nikka が家に来た。”あのギタリストは世界で3本の指に入る”だって…」
プロデューサーとしても有能な Bettencourt ですが、かつては Michael Wagner といった有名人にプロデュースを任せたこともありました。
「まあ、ひとつだけはっきりさせておくと、EXTREME のアルバムは全部俺がプロデュースしたんだ。Michael Wagner は大好きだし、彼のプロダクションが好きだったから依頼したんだ。でも、結局彼を雇ったのは、彼は、俺がやっているすべての仕事を、それが曲やアレンジメントにとってどれほど重要であるかを認めてくれる人だったから。彼はそれを認めてくれたんだ。”Porno” のレコーディングのとき、彼はスタジオにいなかったんだ。あのアルバムの8割は、LAに行く前に完成していた。優れたプロデューサーは、仕事の99パーセントをやるときと、1パーセントをやるときを心得ている。だから “Porno” の時の彼は天才だったんだ…邪魔をしないという意味でね」
なかでも、今回の仕事は最高だったと、Bettencourt は胸を張ります。
「”Six” は、おそらくこれまでで最高の仕事だと思う。俺はいつも、アレンジやサウンド、演奏、技術的に優れたプロデューサーだった。でも今回は、”感情的なプロデューサー'” としてみんなを苦しめたんだ。感情やそういうものを学ぶには何年もかかる。Gary Cherone が言うには、このアルバムは彼の歌唱中で最高のアルバムだそうだ。その理由のひとつは、プロデューサーであるクソ野郎、俺だ!
良いプロデューサーは、必要なときに、怒らせるんだ。”おい、”Small Town Beautiful’、お前、きれいに歌ってるじゃないか” と言う。美しく歌っているが、感情はどこにあるんだ?っめね。Tom Morello や Steve Vai は俺が “Hurricane” を歌うのを聴いて涙を流した。もちろん、完璧なボーカルじゃないけどそこに感情があったから。技術的なことではなく、ピッチでもなく、でも…亡くなった親友 Eddie のことを歌っていたから…」
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH GEOFF THORPE OF VICIOUS RUMORS !!
“Saint Albert Was a One Of a Kind. We Were All Like Brothers…Sharing The Stage And Creating Music With Him Was Something Artist Dream About.”
DISC REVIEW “ATLANTIC YEARS”
「我々はスピードとメロディーをミックスしている。とにかく自分たちに忠実でありたいと思ったんだ!VICIOUS RUMORS はパワー・メタルのパイオニアだと言う人もいるけど、ある意味、我々はヘヴィ・メタルにスラッシュ、ブルース、アトモスフィア、真のメタル的なシンガロング・アンセムをオリジナルな方法でミックスしていたんだよ。我々は決してフェイクな何かになろうとしたわけではない。そこには常にパワーがあったからパワー・メタルなんだ」
サンフランシスコのベイエリアは、1980年代初頭におけるメタルの揺籠でした。この街の雰囲気は実験的な試みを許容し、特にスラッシュ・メタルはこの地の自由な追い風に乗って成功を収めていきました。スラッシュは確かにこの地で飛躍し、世界を征服していったのです。
「スラッシュは常に私たちの周りにあったよ。スラッシュとの相性は今日でも強力だよ。私はそれが大好きだからね…ただ、私たちはより幅広いバリエーションを持っていて、LED ZEPPELIN のようなアプローチを自分たちのヘヴィ・メタルに適用したかったんだ!」
現在のエクストリーム・ミュージックの基準からすると、当時のバンドのほとんどは今よりずっとメロディックに聴こえます。つまり、エクストリームとメタルの基準がまだ曖昧だった逢魔時。そんなベイエリアで産声をあげた VICIOUS RUMORS は完全なスラッシュ集団になるつもりこそありませんでしたが、それでもスラッシュと同等のエッジがあり、同時にメロディがあり、新しい、よりハードな音楽の辛辣さだけでなく伝統的な要素もあり、音楽的な幅の広さでは彼の地でも群を抜いていたのです。
「”Digital Dictator” は、クラシックなラインナップの始まりであり、Carl Albert の最初のアルバムだったから、いつだって特別なアルバムと言えるだろう。あの頃は、とてもエキサイティングな時間だった!アトランティック・ブルー (90年のセルフタイトル “Vicious Rumors”) のアルバムは、ある意味、最初のメジャー・レーベルからのリリースということで特別だね…」
硬軟の傑出したギター・チーム Geoff Thorpe と Mark McGee、ドラマーの Larry Howe、ベースプレイヤーの Dave Starr、ボーカリストの Carl Albert からなる5人組はすぐに有名になり、絶えずツアーを行い、JUDAS PRIEST の “Screaming for Vengence” をスラッシーにドーピングしたような名作 “Digital Dictator” で巨大企業アトランティック・レコードの目に留まることになりました。そうしてバンドは緊密なユニットとなり、精密機械のように動作して、”アトランティック・ブルー” と呼ばれるセルフタイトルを90年にリリースします。
“90年代を定義するメタル・アルバム” と称された “Vicious Rumors” は、タイトなリフとリズムが火山のように噴火し、5オクターブの並外れたボーカルが雷鳴のように轟きます。オープニングの “Don’t Wait For Me” が激烈でスラッシーな一方、”Down To The Temple” では DIO 時代の RAINBOW、”The Thrill Of The Hunt” では IRON MAIDEN を彷彿とさせ、その輝かしい伝統と新風のミックスはメタル・コミュニティ全体に広く、素直にアピールする魅力的なものでした。
「私たちは VICIOUS RUMORS のヘヴィ・メタルでパワフルな日本の夜を過ごし、最初のショーの後、楽屋に向かったんだ。するとプロモーターがやってきて、”もう一度だけアンコールをお願いします” と言うんだ!誰も会場を出ていないからとね!私たちはとても驚いたよ!再び出ていくと客電はついているのに、まだ満員のままだった!!! 私たちは再びライブハウスを揺るがしたよ。この経験は決して忘れることはないだろうね!」
91年の “Welcome to the Ball” も好評のバンドはその勢いを駆って1992年に来日し、ライブ・アルバム “Plug In and Hang On – Live in Tokyo” をリリースします。オーバーダビングのない、生の興奮と情熱を反映した作品は間違いなく VICIOUS RUMORS の絶頂期を捉えたもので、ダイナミックな演奏の中でも特に、生前の Carl Albert の “凄み” を存分に見せつける絶対的な記念碑となったのです。
「聖アルバートは唯一無二の存在だった。彼の半分ほどの才能しか持たないようなボーカリストたちが、巨大なエゴを持ち、小切手を切っているんだ。その才能はお金に値しないのにね。彼は後世の多くの人に影響を与えた。私たちは皆、兄弟のようだったよ…彼とステージを共有し、音楽を創り出すことは、アーティストとして夢のようなことでさえあった」
1994年に5枚目のアルバム “Word Of Mouth” をリリースした翌年、Carl Albert が交通事故で亡くなり、バンドは兄弟を失い、メタル世界はずば抜けたボーカリストを奪われました。それでも VICIOUS RUMORS は絶望の淵で踏みとどまり、インタビューイ Geoff Thorpe を中心に今日までコンスタントに、諦める事なく、”意味のある” メタルを届け続けています。そんな彼らの不屈は “アトランティック・イヤーズ” における再評価の波と共に実を結び、遂に今回、16年ぶりの来日公演が決定したのです!VICIOUS RUMORS is Baaaaack!!
今回弊誌では、Geoff Thorpe にインタビューを行うことができました。「日本のファンのみんなも素晴らしかった。空港や駅で私たちを待ってくれて…彼らがどうやって私たちの居場所を知ったのかわからないよ!」 Geoff が歌っていたアルバムも悪くないし、隠れた異才 Mark McGee をはじめとして、Vinnie Moore, Steve Smyth, Brad Gillis など彼のギター・パートナーとの対比の妙もこのバンドの聴きどころ。どうぞ!!
アルバムのフィナーレを飾る “GOD” の3曲は、Shadows にとっても “攻め” た組曲です。
「”Life Is but a Dream…” は、”G”, “(O)rdinary”, “(D)eath” の3曲からなるめくるめく組曲で締めくくられる。これは A7X の全作品の中で最も野心的だと言えるかもしれない。このアルバムのジャンルを超えた折衷主義を象徴するというかね。この3曲は1つの曲として作ったんだけど、横になって続けてボリュームを下げて聴いていたら、突然心臓発作を起こしそうになったんだ。OK、これはあまりに変だと思った。STEELY DAN と Zappa から、Stevie Wonderと DAFT PUNK, そしてシナトラへあっという間に変わってしまう。自分の音楽で自分をビビらせたことは今までなかったんだ」
完璧ではないと言いながらも、”Life Is But A Dream…” のすべては100%意図的に作られています。信じられないほどの緻密さは、今も昔もA7X のやり方であり、特に Synyster はそれを気に入っています。
「俺は世界一偉大なソングライターではないけれど、自分には容赦がないんだ。心の底から好きで、アレンジして、作るのが待ちきれないようなものに出くわすまでは止めないよ。そしてそれは、膨大な時間と、エネルギーと、執念と、少しでもアレルギーのあるものに対するクソみたいな態度が必要なんだ!今日ここに座って、純粋に “自分たちが作ったアートが大好きだ” と言えるくらいにはね。ロックは少し型にはまった音楽になってしまったと思う。このアルバムが、その限界を超えるためのインスピレーションになればいいなと思っているんだ」
LINKIN PARK の Mike Shinoda もこの壮大でガッツ溢れる作品を気に入っていると Shadows は興奮します。
「”4歳児がキャンバスに絵の具を投げつけているのとは違うんだ。君らは何をやっているのか理解しているんだから。君らは今まで美しい絵を描いてきたけど、今、キャンバスに絵を描くと、それは芸術になっている” と言ってくれた。つまり、音楽のルールを知りながらすべてのルールを破ったから、より意味があるんだとね」
ただし、このアルバムの背景、人生の壮大な計画の中で、そんなことはどうでもいいということを、Shadows は理解しています。コメント欄、ソーシャルメディア、速いペースで進む世界…しかし M.Shadows はそれよりももっと大きなことを抱えています。
「今の世の中、俺は不安でいっぱいで、注目を浴びることができず、何らかの牽引力を得ることができないかもしれない。でも俺はそれを美しいと思うし、選択肢がたくさんあることを面白いと思う。だから、自分のメッセージを言って、アートを出すだけでいい。アーティストが自分のやりたいことをやり続け、より深く掘り下げることができるのは、自由なことだよ。なぜなら、今は80年代でも90年代でも2000年初頭でもないのだから、自分が思っていたようなフィードバックやトラクションを得ることはできないよ。大丈夫」
しかし、最終的には、”Life Is But A Dream…” は、意図した場所に届くはずです。
「”メイクアップとデュエルギター” の枠に入れられたら、その枠が好きでない人たちがこのアルバムを気に入るチャンスがなくなってしまう。昔の作品を求めている人も大勢いる。で、どうするんだ?(笑) また昔のような曲を書くのか?それとも、他の人たちに聴いてくれるように頼むのか?結局、何もすることはできないんだ。だけど、ただ存在していれば、きっとみんな見つけてくれる」
“I wrote lyrics with my age in mind, so it has become sort of my mantra for what I’m doing for the rest of my life”
THREE SIDES OF ONE
これまで、KING’S X ほど見過ごされてきたバンドはいないかもしれません。ただし、dUg Pinnick, Ty Tabor, Jerry Gaskill の3人は、チャートのトップに立つことはなかったかもしれませんが、熱心なファンの心には深く刻まれ続けています。
80年代半ば、このトリオはテキサス州ヒューストンに渡り、メガフォース・レコードと契約。”Out of the Silent Planet”(1988)、”Gretchen Goes to Nebraska”(1989)、”Faith Hope Love”(1990)と、口紅とロングヘアのゴージャスな時代において、あらゆるジャンルの規範を無視した伝説のアルバムを3枚録音しました。
だからこそ、90年代初頭には、多くの仲間のロックバンドを虐殺したグランジの猛攻撃から免れることができたのかもしれません。音楽界の寵児として、また “次の大物” として、KING’S X はアトランティック・レコードに移籍し、セルフタイトルのアルバム(1992)を録音しましたが、残念ながらビルボードに並ぶほどの成功は得られませんでした。それでも彼らは、90年代から2000年代にかけて、感情を揺さぶる、音楽的に豊かなアルバムを次々と発表し続けました。
そうしてロックミュージックで最も露出の少ないバンドは、2008年に突然沈黙するまで、自らの道を歩み続けたのです。
休止中も、dUg は KXM や GRINDER BLUES で音楽を作り続け、自身の名義でレコードをリリースするなど、ゲリラ戦士として戦いを続けていました。クリエイティビティに溢れるベーシストは KING’S X の終焉を考えることはありませんでしたが、一方で、次のアルバムも必ずしも期待しているわけではありませんでした。こうして14年という長い間、KING’S X はただ沈黙を守り続けました。世界は変遷し、新しい現状が形成され、KING’S X はもはや時代の一員ではなくなったかに思われました。
しかし、14年という長い年月を経て、その門戸は開かれます。ついに彼らは再び一緒に作曲し、レコーディングすることを決断したのです。その経緯を dUg が語ります。
「72歳になるんだけど、歳を重ねた実感があるんだ。自分の年齢を意識して歌詞を書いたから、アルバムは残りの人生をどうするかという詩的なマントラのようなものになった。基本的に、私は人生が終わるまでなんとか乗り切るつもりだ。世の中が見えてきてね。友達のこと、Chris Cornell, Chester Benington, Layne Staley…死んだり自殺したりした人たちのことを考えると、ただただ痛くて、”自分は絶対にそんなことはしない” といつも思っている。人生を乗り切るためには、麻酔をかけられなければならないだろう。けど、あの世で何が起こっているのかわからないし、この世で惨めで痛い思いをしてまで、何も知らないあの世に移りたいなんて馬鹿げてる…それが私の論理なんだ。だから、アルバムはそういうところから生まれたものなんだ」
たしかに、”Three Sides of One” は、一見すると瞑想的な作品に見えます。
「まあ、メンバーはレコードを作りたくなかったんだ。なぜなら、作るなら今まで作ったどの作品よりも良いものでなければならなかったから。これまでは、自分たちがやったアルバムのレパートリーに加えるべきものがあるとは感じていなかったんだ。だから、14年かかってようやく “よし、これはいけるぞ” と思えたんだ。私自身は、初日から準備万端だった。14年の間に、いくつかのサイド・プロジェクトを立ち上げたり、いろいろなことをやっていたからね。私が持ち込んだ曲は27曲で、全部新曲だし、Jerry と Tyも何曲か持ち込んでいて、それも全部新曲だ。それで、リストに載っているものを全部、十分な量になるまで実際に覚えていったんだ」
アルバムのタイトル、”Three Sides of One” は3人が共有する生来のケミストリーを表現しています。
「いつもは、アルバムの名前は決まっているんだけど、今回は誰も思いつかなかったんだよね。それで、マネージャーが “Three Sides of Truth” と言ったんだけど、私は、なら “Three Sides of One” はどうだろうと思って、みんなが、ああ、それならいいと言って。そして、そこから出発したんだよ。しばらくすると、子供を持つのと同じで、名前はそれほど重要ではなくなるものだ (笑)」
アルバムには、歳を重ねた3人の自然な姿がさながら年輪のごとく刻まれています。
「Jerry は、基本的に臨死体験から多くの曲を書いている。そして Ty は、今の生活を観察して曲を書いた。私も同じで、72歳になるんだけど、世界が今までの人生とは違って見えてきたんだ。だって、今まで生きてきた距離に比べたら、もうそんなに長くは生きられないんだとやっとわかったからね。そして、そのことについて話したり歌ったりしたかったんだよね。70歳を迎えて、私にとって一番大きなことは、今の世界をどう見ているかを詩的に歌詞にすること、そして同時に自分の周りで起こっていることを書くことだった。政治や人々が憎しみ合う様子など、でたらめなことが起きていることは分かっていたんだ。それを歌うんだけど、ただ説教しているように聞こえたり、すでに聞いたことのあるようなことを言ったりしないように、工夫しているつもりなんだ。
今は、言葉に気をつけないと、アメリカでは自動的に批判される。私は問題を解決するのが好きなんだ。私の問題は、直せないものを直そうとすること。私はいつも、なぜ世界がうまくいかないのかを論理的に解明しようとしてきた。ある意味、人は全員とは分かり合えないというのが結論なのかもしれない。だから、年齢は私たち全員に影響を与えたと思うんだ。また、Jerry はバンドに曲を提出することはあまりない。でも実際は、彼の曲が全員の中で一番いい曲だと思うこともあるんだ。だから曲を持ってきてと言ったんだ。自分たちのアルバムにするために、本当に頭を使ったんだよ」