タグ別アーカイブ: us

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【CRIMSON GLORY : TRISKAIDEKA】 REUNION 2024 !!


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH JEFF LORDS OF CRIMSON GLORY !!

“To Me, Progressive Suggests Innovation, But If a Given Band Tries To Innovate Or Change Too Much, They Will Be Discredited Because They Ventured Too Far Out Of The “Prog” Box. I Find That As Sad As I Do Ironic.”

DISC REVIEW “TRISKAIDEKA”

「”プログレッシブ” と呼ばれるロックやメタルのファンの多くは、自分が聴くものに関しては決してその主張を曲げないということだ。私にとっては、プログレッシブとは革新的であることを意味するのだが、もしあるバンドが革新的であったり変化しすぎたりすると、”プログレ” の枠からはみ出しすぎたという理由で信用されなくなる。それは皮肉であると同時に悲しいことだと思う。しかし要するに、音楽は主観的なものであり、誰もが自分の好きなものを好むということなんだよね」
80年代後半、メタルの多様性が花開く瞬間の前夜。”正統派” の枠組みの中で、いかにメロディックに、いかにプログレッシブにメタルは進化できるのかという挑戦を重ねたバンドが登場し、人気を博しました。FATES WARNING の “Perfect Symmetry” や IRON MAIDEN の “Seventh Son of a Seventh Son”、そしてもちろんその筆頭が QUEENSRYCHE の “Operation: Mindcrime” であったことに疑いの余地はありません。
いわゆる “プログ・パワー” の誕生。そしてその “プログ・パワー” の定着と拡大に、QUEENSRYCHE の傑作と同じくらいの貢献を果たした作品があります。CRIMSON GLORY の “Transcendence” です。
「Todd は QUEENSRYCHE に参加するために CRIMSON GLORY を去ったのではなく、バンドの “惰性” のために去ったのだよ」
“Transcendence” の音楽は、QUEENSRYCHE と比較してもずば抜けて完璧な “プログ・パワー” でした。まさに “超越的”。あまりに壮大で、あまりにメロディックで、知性を抱擁し、緩急自在、実にプログレッシブ。驚異のシンガー Midnight が持ち込んだ、次作のよりカラフルで実験的な傑作 “Strange & Beautiful” につながるアルバム後半の LED ZEPPELIN 的な実験も魅力的で、これほど好奇心を誘う80年代のメタル・アルバムはそう多くはないでしょう。
しかし、残念ながらこのミステリアスな仮面集団はあまりに “怠惰” でした。活動休止期間も長く、1983年から2013年の30年で残したアルバムはわずか4枚だけ。シアトリカルなファーストからエスニックな “Astronomica” まで、そのすべてがいかに素晴らしくとも、バンドは徐々に忘れ去られ、バンドの顔だった超絶ハイトーンの Midnight は亡くなり、新たな才能 Todd LaTorre は QUEENSRYCHE へと引き抜かれ、ピカピカだったシルバーの仮面は色褪せていきました。
「新しい CRIMSON GLORY は、最初に私たちをメタルの地図に載せたスタイルに意図的に戻ることになるだろう。しかし、同時に私たち全員がミュージシャンとしてどのように成長したかを明らかにし、現代的なエッジを加えながらもルーツに忠実であることが可能であることを示すことができればと思うよ。過去を再現することばかりにこだわっていては、アーティストとして成長できない。逆に、トレンディであること、時流にこだわりすぎるのも欠点がある。だから、バランスを取ることが大切なんだ」
それでも、仮面と薔薇の騎士は時を超えて戻ってきました。ここには Midnight も、Wade Black も、Jon Drenning もいませんが、それでも歴戦の強者たち、リズム隊とギターの片翼は今も健在。そして新たな血となるボーカリスト Travis Wills とギタリスト Mark Borgmeyer が加わりました。特に、Midnight の超絶ハイトーンからアペアランス、ペルソナまで完全にコピーして、”超越” を志す Travis の存在は驚異的。プログ・パワーの勇壮や正義、そしてファンタジーが必要とされる時代に、CRIMSON GLORY は再びその神秘と審美を世界に注ぐため復活を決めたのです。
今回弊誌では、ベーシスト Jeff Lords にインタビューを行うことができました。「日本食は大好きだよ!音楽では、BAND MAID は素晴らしいバンドだと思う。とくにドラマーの Akane は尊敬しているよ。和楽器バンドも好きでね。とてもクールなアクトだ。三味線奏者が好きなんだ」 どうぞ!!

CRIMSON GLORY “TRISKAIDEKA” : 10/10

続きを読む NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【CRIMSON GLORY : TRISKAIDEKA】 REUNION 2024 !!

COVER STORY 【MASTODON : LEVIATHAN】 20TH ANNIVERSARY !!


COVER STORY : MASTODON “LEVIATHAN 20TH”

“If You Play Jazz, You Should Listen To Metal. If You Play Metal You Should Listen To Jazz. If You Play Country You Should Listen To Classical, You Know What I Mean?”

LEVIATHAN

「地上の愚かさで人間の狂気に勝るものはない。水にはすべての人を惹きつける魔力がある」
2004年。今から20年前の夏、メタル・リフに革命をもたらし、リフの歴史を変えた2枚のアルバムがリリースされました。MASTODON の “Leviathan” と LAMB OF GOD の “Ashes of the Wake”。奇しくもその20年後、2つのバンド、2つのアルバムは邂逅し、共に旅をはじめます。

MASTODON のセカンド・アルバム “Leviathan” は2004年8月31日にリリースされました。その衝撃は津波のように伝わり、ジョージア州アトランタとその周辺のDIYシーンからバンドを大舞台へと連れ出しました。2004年の Unholy Alliance ツアーで SLIPKNOT, SLAYER のサポートを務め、2005年のOzzfest ではセカンド・ステージに登場。ライターや掲示板のユーザーたちは、彼らが次の METALLICA ではないかと推測し始めました。
この比較は、音楽的成長の質の高さからいえば適切なものでした。もちろん、2002年にリラプス・レコードからリリースされたファースト・アルバム “Remission” は、見事なまでにニヒルで野心的なデビュー作でした。バンドはヘヴィ・メタルの頂点に臆することなく立ち向かい、奇妙で伸びやかなメロディック・パッセージ、恐ろしいほどヘヴィな血の激流、そして先見性のある歌詞のアプローチなど、独自の特徴的なサウンドを見せつけていました。
しかし、”Leviathan” はそれ以上のまさに津波でした。傲慢、強迫観念、狂気を描いたハーマン・メルヴィルの古典小説 “白鯨” を軸にしたこのコンセプト・アルバムは、よりフォーカスされた、より大胆な作品となりました。IRON MAIDEN から THIN LIZZY, MELVINS まで、様々な影響が渦潮のごとく渦巻いていながら、彼らのリフやサウンドは完全にオリジナルでした。そして、オープナーのエクストリーム・アンセム “Blood and Thunder” から、海の底から蘇ったエイリアン的コーダ “Joseph Merrick” まで、モダン・メタルの叙事詩はリスナーを冒険の船旅へと誘います。

今では、”21世紀最高のメタル・アルバム” と呼ばれることも少なくない “Leviathan”。20年経った今、ドラマーでボーカリストの Brann Dailer はこのアルバムを “僕らのディスコグラフィーの柱のひとつであり、僕らのすべてを変えたアルバム” だと語っています。
「”Leviathan” で自分たちが新しい場所に行ったような気がして興奮したんだ」
興味深いことに、MASTODON はこのアルバムの制作にあたって、特に強い音楽的野心を持っていたわけではありませんでした。彼らが出すアルバムはどれも、”その時たまたま取り組んでいた曲” を反映しているだけなのです。楽曲で十分にジャムり、強力だと判断した時、バンドはアルバムをレコーディングします。”Leviathan” の音楽は比較的早くまとまりました。そして彼らの音楽的ヒーローである NEUROSIS の例に倣い、彼らは2004年初頭に CLUTCH をサポートしたアメリカの東海岸から西海岸にまたがるツアーを利用して、狂気の試みを実行に移しました。
「よし、”Leviathan” の全曲を演奏しよう。そして、基本的に毎晩、ライブの観客の前でアルバムのリハーサルをするんだ。レコーディング地、シアトルに着くまでに、すべてを把握しよう!」
サポート・アクトとして、メインのバンドの観客にまったく未知の曲をぶつけるのは、狂気か天才かのどちらかでしょう。MASTODON の場合は、おそらくその両方でした。そのツアーでバンドが “Blood and Thunder” をジャムっている動画が出回っていますが、ベーシスト兼シンガーの Troy Sanders は、この曲のリード・ボーカルの音程を試しながら、大混乱の中で歌詞にもならない無意味なことを叫んでいるだけでした。
2、3ヶ月のツアーを終えてシアトルに着く頃には、エンジニアの Matt Bayles はこうぶっきらぼうに言ったそうです。
「2度とこんなことはするな。オマエらもうヘトヘトじゃねーか!」

メルヴィルの小説の中で、エイハブ船長がモビー・ディックと呼ばれる巨大な白いマッコウクジラを追い求めざるを得なかったように、彼らは自らの可能性を追い求めました。
「何が自分たちの地平線の上にあるのか、見当もつかなかった。でも、僕たち全員が、自分たちの想像力のさまざまな面や、自分たちが好きなさまざまな影響を実験することに興味を持っていたんだ」
後年のリリースで MASTODON はより表現力豊かな “プログ” に接近したといわれています。しかし、このプログレッシブな感覚は、マストドン・プロジェクトに最初から備わっていたものでした。”Leviathan” は、型にはまらないという意味でも間違いなくプログレッシブなレコードです。長年ライヴで愛されている “Megalodon” では、ギタリストの Brent Hinds が中盤でブルー・グラスの長めのリリックを披露し、その後、急転直下、METALLICA の “Welcome Home (Sanitarium)” の後半を強く想起させる怒涛のスラッシュ・パートに突入する場面はその象徴でしょう。
「奇妙な並置が僕らのお気に入りなんだ。リスナーの意表をつくようなことは何でも大歓迎だ」
MASTODON はメタルなのでしょうか?
「有機的でヘヴィでソウルフル。音楽的に複雑で挑戦的なものもあれば、頭脳的な意味でヘヴィなものもある。自分たちがメタルだと言うことを恐れてはいない。メタルというジャンルには、いろいろな形があると思う。たぶん、世の中にある他のどんな種類の音楽よりも多くの形があると思う。ダイナミックに、メタル・ミュージックでできることはたくさんある。本当にソフトに演奏することもできるし、クソほどヘヴィに演奏することもできる。ハードの中のハードとヘヴィの中のヘヴィが同時に存在できる。メタルではそれが可能なんだ」

“Leviathan” で MASTODON は現代的なリフの可能性、つまりリズミックな挑戦を追求しました。言いかえれば、MASTODON と LAMB OF GOD の登場で、一般的なメタルのリスナーまでも複雑さを包容し、欲しがり始めたともいえます。そうした意味でも、”モダン・メタル” における MASTODON の貢献は計り知れません。では、そうした複雑さ、”プログレッシブ” な影響はどこから現れたのでしょうか?
「特に70年代のプログレッシブ・ロックに影響を受けた。例えば、”Colony of Birchmen” という曲名が “The Colony of Slippermen” へのオマージュであるように。GENESIS の “The Lamb Lies Down on Broadway”。あのコンセプト・アルバムは僕の一番好きなアルバムなんだ。
赤ん坊の頃から僕の人生の大部分を占めている。僕の両親は初期の GENESIS に夢中だった。母の昔のバンドは “Supper’s Ready” をよくカバーしていたんだ。僕にとって GENESIS はおばあちゃんのミートローフのようなもので、最初の数音をピアノで聴くと心が安らぐんだ」
Brann はドラマーとしても Phil Collins の大ファンです。
「彼のドラミングは大好きだし、彼が出した Peter Gabriel 以降のアルバム、”Abacab” も好きだ!GENESIS のドラマーとして、彼は驚異的だと思う。
多くの人が彼のことを “GENESIS をダメにした男” としか思っていなかったり、偉大で革新的なドラマーというよりは、ジャケットとネクタイ姿のラウンジ・シンガーとしてしか知らなかったりする。
僕が Phil Collins と Stevie Wonder が好きな2人のドラマーだと話すと驚かれるよ。多くの人は Stevie Wander が自分のアルバムでドラムを叩いていることさえ知らないんだ。ドラムは彼が最初に手にした楽器なんだ。Stevie は、Peter Gabriel, David Bowie と並んで、僕の一番好きなミュージシャンだ」

加えて、ジャズからの影響が MASTODON の複雑さと重さの架け橋になっています。
「ジャズで影響を受けたのは Elvin Jones, Billy Cobham, Tony Williams。この3人がトップ3だね。この3人のキットの動かし方が好きなんだ」
まさにモダン・メタルの多様性。では、メタル・プレイヤーにとって、ジャズを学ぶことは重要なのでしょうか?
「僕も勉強したことはないけれど、ミュージシャンとして一般的に何でも聴くべきだと思う。ジャズを演奏するなら、メタルを聴くべきだ。メタルをやるならジャズを聴くべきだ。カントリーをやるならクラシックを聴くべきだ。もし音楽をやっているのなら、音楽的な状況やセッティングに入るときに、自分が何を話しているのかを知っておくべきだからね。そうすれば、何が何に合うかを頭の片隅に置いておくことができる。あらゆる種類の音楽について一般的な知識を持っておくべきだ。世の中にはどんなジャンルにも宝石がある。それを探すんだ。Willie Nelson のように、多くの人がその音楽について語り、クラシック・アーティストとして賞賛されていれば、きっとその音楽は素晴らしいものであるはずだ。今はピンとこないかもしれないけど、後でピンとくるかもしれない。
若いうちは少し閉鎖的になりがちかもしれないけれど、あるスタイルの音楽に対して “絶対ダメ” とは言わない方がいいと思う。たとえ好きでなくても、その音楽について何か知っておくべきだと思う。13歳か14歳の頃、スラッシュ・メタルをよく聴いていたんだけど、その時は家では他のものを聴いていることを認めることができなかった。聴いていたけど、カッコつけてたんだよな」
THE MARS VOLTA のメンバーだった Jon Philip Theodore と比較されることも多い Brann。
「Jon は僕の相棒なんだ!ライブで知り合ったんだ。彼は僕の親友で、よく話をする。僕らのスタイルは絶対に似ていると思う。初めて Jon の演奏を聴いたとき、いろんな意味で自分を思い出したよ。似ているところがたくさんあると思うし、彼のスタイルが大好きなんだ。彼は本当に流動的で、最高においしいビートを持っている。彼がキットを動き回る様子はとても流動的で、でも僕には彼がやることすべてが正しい場所にあるように思える。ドラマーに聴かせたいものは何でも、彼がやってくれる。彼は私を幸せにしてくれるんだ」

とはいえ、MASTODON と Brann は別段突拍子もない特別なことをしたわけではありません。解放弦を多用したカントリー風のリック、ツインギターのハーモニー、バディ・リッチのような手数の多いドラム・マシンガン、幾何学的な変拍子。彼らはこれまであったものを活用し、うまく溶け合わせることで難解でヘヴィでありながらオーガニックという MASTODON のユニーク・スキルを築き上げました。特に、当たり前のようなリフ、古臭いカントリーのリック、シンメトリーなパターンを、雷のようなドラミングで磨き上げ、リズムのトリックを生み出し、現代的に仕立て上げる Brann の手練手管はもはやリフの一部でした。
こうした音楽にしては、Brann のドラムは驚くほどルーズでしなやか。死ぬほどハードに叩いているわけではないのに、ブルータルなサウンドを生み出しているのは驚異的です。
「すべてのパートで基本的なビートを作ってからいじくり回す。基本の枠にはとらわれない。ストレートなビートでないとうまくいかないリフもある。でも、多くの曲では、自分のやりたいことをやって、2秒後にそれを戻すことができるんだ。
若い頃、たぶん16歳か17歳の頃、ツーバスに頼りすぎていると感じていた。シングルベースだけでビートをフルにするようにしたんだ。ツーバスは、必要なときにアクセントとして入れるんだ。軍艦や戦車が転がってくるようなリフもあって、そこで必要になる。
僕が演奏しているときの目標は、飛び立つことなんだ。飛び立ってどこかに行く。毎回そうなるわけではない。でも、もしその場所に行くことができたら、音楽を演奏することで得られる、ほとんど体の外にいるような体験がしたいんだ」

当時、スピードと”正確性” へと向かっていたメタルのトレンドを揺り戻したのも MASTODON でした。
「演奏にもっと多様性が出てくるといいよね。僕は超高速のツーバスが得意じゃないから、手を開発したんだ。手を鍛えるのと一緒に、クレイジーなフィルとかもたくさんできるようになった。僕のドラムの多くは、僕ができなかったことを許容した結果なんだ(笑)。そういうプレイをする連中が一番上手いんだから、わざわざ僕がいじろうとする必要はないだろう。僕はただ自分のことをするだけで、自分自身のオリジナリティを保ち、できる限り挑戦し、自分がプレーできる最もクールなものを考えるようにしたい。時には AC/DC のPhil Rudd になることも必要だ。僕はただ、自分が演奏しても面白いし、リスナーが聴いても面白いパートを作るように心がけている。音楽を中心にビートを組み立てているんだ。その時に鳴っているリフからインスピレーションを受けるんだ。そうすると、トランジションを作りたくなるし、クレッシェンドを作りたくなる。ドラマーとして求めている激しさが曲の中で起こるようにしたいんだ。次のレベル、”ランナーズ・ハイ” のようなものをね。それをいつも探しているんだ」
Brann はそれでも “ただドラムを叩いていただけ” と自身の貢献を軽視しますが、”Iron Tusk” の冒頭のドラム・ブレイクは、明らかに MASTODON が偉大なメタル・バンドの仲間入りを果たした瞬間でした。しかし、Brann にとってより重要だったのは、”感情にフックする” ことであり、偉大なヘヴィ・ミュージックを生み出した “原始的な場所” に行くことでした。そして、Brann にはその夢を分け合った盟友が存在したのです。
「彼は僕のハイハット・スタンドにメモをテープで貼っていた。演奏する前にね。それは、”Seabeast”…”Seabeast”はやらないの?せめて最後のリフだけでも……お願い……”って感じだった」
SLIPKNOT とツアーを共にした際、Joey Jordison がBrann のサウンドチェックを見ていた時の話。モダン・メタル界で最も偉大なドラマーである2人が、互いのプレイを見守り、賞賛し合っていたのです。両者とも “忙しない” ドラマーとして名を馳せましたが、スネアを鳴らして楽曲を作り上げた Brann に対して、足とバスドラで主張する Joey はまさに好対照の好敵手でした。
ともあれ、Joey の懇願は十分に理解できます。”Seabeast” は、異世界のように蛇行したギターラインとのトリッピーで漂うようなボーカルから、一風変わった音階の轟音コーラスで推進力を得て進む海獣。最後のリフは、そのギザギザの牙で強襲しながらバンドが今日まで忠実に守っている激しさを見せつけます。
「他の作品がよりポップになったり、スーパー・プログレッシヴになったとしても、少なくとも1枚のアルバムに2、3回は、常に牙を見せようとしているんだ」

とはいえ、MASTODON には怒りや激しさだけがあるわけではありません。
「妹は僕が15歳の時に自殺した。妹は14歳だった。それから13年。僕が心の中に抱えていたすべての痛み。姉を失った痛みはいつもそこにあった。TODAY IS THE DAY では怒りが込み上げてきた。それ以降は、怒りたくない。MASTODON で活動を始めてアトランタに移ったとき、個人的に大きな癒しがあった。それには MASTODON が大きく関係している。それが、”Remission” を作った大きな理由のひとつだ。Remission とは、許しと癒しという意味だ。MASTODON が助けてくれた。人生に起こった多くのことを許してくれた」
彼らの音楽が複雑になるにつれ、バンドは “Leviathan” ほど直接的な攻撃性を見せることはほぼなくなりました。だからこそ、シンプルかつ強烈な “Blood and Thunder” のメイン・リフを思いついた瞬間は、まさに奇跡でした。MASTODON 流 “Paranoid”, “Enter Sandman”, “Highway Star” のようなアンセムで、シンプルで、即効性があり、誰も否定することはできません。
「”Blood and Thunder” の最初のリフが出来上がったとき、全員が部屋に集まって、100時間演奏し続けたよ!」
Brann に言わせれば、バンドはあのリフで宝くじに当たったようなもので、そこからリスナーは MASTODON に病みつきになるのです。
“Blood and Thunder” が天才的なのは、その原作である “白鯨” のエッセンスを巧みに抽出しているところでもあります。”Blood and Thunder!” という絶叫自体が、18世紀に一種の誓いとして生まれたもの。小説では、ペレグ船長が叫び、彼が所有するペコッド号の乗組員たちに、エイハブ船長の指揮の下、急いで出港するよう促す呼びかけの言葉でした。
1984年の “Powerslave” に収録された IRON MAIDEN の名曲 “Rime of the Ancient Mariner” が、基本的にコールリッジの同名の詩を自分たちのために書き直したのとは異なり、MASTODON は白鯨をテーマのバックボーンとして使用しています。”Aqua Dementia” (ボーカルは NEUROSIS の Scott Kelly)では、彼らはさらに踏み込んで、船室の少年ピップがクジラ船から飛び降り、一時的に海に捨てられている間に精神に異常をきたした経験を詳しく説明しています。
「水とか火とか、いろんなものを使いたかった。純粋な攻撃性も欲しかったし、美しさも欲しかったし、すべてが混ざり合っていたかった」

この曲のもうひとつのイメージである “大地を燃やす完璧な火” は、アルバムの水のテーマに反するもの。MASTODON の最初の4枚のアルバムがそれぞれ元素のひとつをテーマにしているのは、”Remission” のリリース後に考案されたものでした。”Remission” の火のシンボルを認め、そして彼らは、次の作品に水を求めたのです。
水というテーマは、その性質上、絞り込むのが難しく、Brann は2003年のハワイ滞在中に “白鯨” を購入しました。この本がハワイに由来することも、ハワイの火山の女神ペレの燃えるようなイメージがリヴァイアサンの歌詞に残っていることもそれが理由。また、このアルバムの中で最も過酷で不協和音が多い “ĺsland” に描かれているように、1973年にアイスランドのハイマエイ島で起きた噴火にも言及しています。
そして “Hearts Alive”。この曲は言葉ではとても言い表せません。まるで海そのもののようなサウンド。海水は揺れ動き、沸騰し、重厚なリフと揺らめくアルペジオが互いに重なり合う。そして高揚感あふれるギター・ソロ。さながらメルヴィルの小説の最後に出てくるペコッド号の沈没に対する鎮魂歌のように、最後の3分間で鳴り響く勝利の和音と湧き上がるリズムの波動。白鯨とマストドンが共に水面を突き破り、海は墓場となり、空に向かって上昇していきます。
さらに白鯨と鯨狩りの道具は、Brann とジャケット・アーティストのポール・ロマーノとの会話に完璧なインスピレーションを与えました。バンドは、”M” の後ろに交差した銛をバンドのロゴ兼海上の紋章のように使用。ロマノがこのアルバムのために制作したアートワークは、MASTODON の歌詞と音楽に加え、小説や関連する原典、学術的なリサーチなど、多くの素材に恵まれました。そうして、船を背負った巨大な白鯨の威厳は、音楽史上最も壮大なアルバム・ジャケットのひとつとなったのです。
「アルバムが完成したとき、駐車場に座ってビールを1ケースくらい飲みながら、”Leviathan” を何度も何度も聴いたのを覚えている。出来上がりにとても興奮していた。みんながどう思うかはわからなかった。”Blood and Thunder” については、シンプルでストレートすぎると怒っていた人たちがいたのを覚えている。でも、自分たちが書きたいこと、好きなことを書いていただけなんだ」
そうして “白鯨” を捕まえた “Leviathan” から20年。結成から四半世紀が経とうとしていますが、MASTODON のもうひとつの特筆すべき点は、2000年以降メンバーを一人も失っていないことでしょう。エイハブのような執念が、彼らをこれまで以上に強く結び付けているのです。
「同じ4人組がずっと活動を続けているのは、確かに最近では珍しいことだと思う」

参考文献: INK19:An Interview with Brann Dailor of Mastodon

LOLIPOP MAG: MASTODON

KNOTFEST:Of Fire and Water: Twenty years of Mastodon’s ‘Leviathan’

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【SAIDAN : VISUAL KILL: THE BLOSSOMING OF PSYCHOTIC DEPRAVITY】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH SPLATTERPVNK OF SAIDAN !!

“Our Goal Was To Have Something Similar In Style To Suehiro Maruo. One Of My Favorite Bands “BALZAC” Used His Art On One Of Their Early Albums And It Really Stood Out To Me And I Wanted Something Like That.”

DISC REVIEW “VISUAL KILL: THE BLOSSOMING OF PSYCHOTIC DEPRAVITY”

「このアルバムは、僕らのファースト・アルバム以来、最もJ-Rockの影響を受けたリフを持っているかもしれないね。ちょうど X JAPAN, L’arc-en-Ciel, Versailles, その他多くのヴィジュアル系バンドをよく聴いていて、それがアルバム・タイトルにもインスピレーションを与えたんだ。でも、BALZAC や Hi-STANDARD のような日本のパンク・バンドも、このアルバムの多くの部分に影響を与えているよ」
SAIDAN は、その名の通りプリミティブなブラック・メタルの祭壇に、日本の音楽やアートの生け贄を捧げ、メロディックな恐怖と狂気を錬金する米国の司祭。まさにスタイルを創造し、カテゴライズを無視し、規範からの逸脱を掲げる21世紀のブラック・メタルを象徴するような存在でしょう。
実際、彼らの創造物が発散する波動にステレオタイプなものは何もなく、ブラック・メタルの新たなオルタナティヴの形として唯一無二の呪怨を放っています。このアルバムには、ドメスティックでメロディックな J-Rock の純粋が、嘔吐を誘うような害虫スプラッターに染まる瞬間が克明に映し出されています。言いかえれば、”生の” ブラック・メタルが “生” でなくなる前に、どれほどメロディックになれるのか?そんな命題に “Visual Kill: The Blossoming of Psychotic Depravity” は挑戦しているのです。
「アートワークを丸尾末広に似たようなスタイルにすることが目標だったんだ。僕の大好きなバンド BALZAC の初期のアルバムに丸尾末広のアートが使われていて、それがすごく印象的で、ああいうのが欲しかったんだよね」
“見てはいけないもの” ほど人の関心をかうのは世の常でしょう。それはアートにおいても同じ。そして、純粋無垢が穢れる、悪意に染まる、発狂する瞬間ほど、”見てはいけないもの” やタブーとなりやすいものは他にないのかもしれませんね。丸尾末広のアートはまさにそんな瞬間をまざまざと描いていました。だからこそ、旋律美に蟲が沸き、血が滴る SAIDAN の音楽に、彼をオマージュしたアートワークは必要不可欠だったのです。
「”SICK ABDUCTED PURITY” という曲は、古田順子さんが殺害された事件 (1989年に足立区で起こった女子高生コンクリート詰め殺人事件) を題材に書いたもの。その事件を初めて知ったとき、僕は本当に心が傷つき、大きな悲しみを覚えたんだ…そしてずっとあの事件について書きたかった。もし歌にするのであれば、ある種の敬意を表しつつも、彼女に起こったことから逃げないようにしたいと思ったんだ」
そんな SAIDAN にとって、最も “見てはいけないもの” のひとつが、日本の足立区で起こった悍ましき “女子高生コンクリート詰め殺人事件” でした。人間はこれほどまでに獣になれるのか。そもそもは純粋だったはずの若者たちが、狂気と悪意に突き動かされ残酷残忍を極めたこの事件から、彼らは目を背けることができませんでした。
切り刻まれ、冒涜され、熱を帯びたシンフォニックな恐怖は、人間の貪欲さ、悪意、獣性、狂気によって複雑化されたメロディックな暴力によって蹂躙されていきます。いえ、きっと目を背けてはいけないのです。忘れてはいけないのです。風化とはすなわち、あまりにも無惨な被害者の魂を忘れ去ってしまうこと。きっと私たちは、この残忍なブラック・メタルと華麗な X JAPAN のアーティスティックな交差点で、人の残忍と純粋をいつまでも噛み締めておくべきなのでしょう。誰だって、ほんの少しの掛け違えで堕落の底まで落ちてしまう可能性をはらんでいるのですから。
今回弊誌では、SAIDAN にインタビューを行うことができました。「ブラック・メタルは、パンクのように他のジャンルのヘヴィ・ミュージックにも応用できる能力を持った、数少ないジャンルのひとつだと思う。僕の意見は、”メタル” の部分がメタルである限り、そのジャンルを自分のものにするために、好きなことをすればいいと思っているよ」 二度目の登場! どうぞ!!

SAIDAN “VISUAL KILL: THE BLOSSOMING PSYCHOTIC DEPRAVITY” : 10/10

続きを読む NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【SAIDAN : VISUAL KILL: THE BLOSSOMING OF PSYCHOTIC DEPRAVITY】

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【OMERTA : CHARADE】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH OMERTA !!

“Even Many Of The Biggest Japanese Mainstream Hits Tout Musical Penmanship With Such Finesse That It Makes Western Music Look Amateur And Incompetent By Comparison.”

DISC REVIEW “CHARADE”

「日本のメディアは欧米のメディアよりも常にエッジが効いているんだ。だから、オルタナティブな文化に憧れを抱いて育った子供時代には、当然その方が魅力的だった。題材がより成熟していたのか、アートスタイルがそうだったのか、何にせよ、欧米で普通に見られるものよりも奥深さや意図があるように思えた。また、僕たちはインターネットとともに成長し、日本のメディアは多くのオンライン・コミュニティに信じられないほど強い影響力を持っている。日本の技術力は言うまでもないしね。だから自然と、今日のインターネット文化は、日本にルーツがあるだろうものの下流にある作品が多くなったんだよ」
先日、来日を果たし大盛況のうちにツアーを終えた BLIND EQUATION が最も影響を受けた音楽が、ZUN による東方サウンド・トラックでした。そう、現代ほど日本のサブカルチャーやアンダー・グラウンドの文化が世界中に “飛び火” し、花開いた時代はなかったはずです。なぜそんな状況が訪れたのか。今、日本のネット音楽界隈で最も “バズって” いるアメリカのバンド OMERTA は、その理由を日本のアートが異質で尖っていたから、そうした日本文化を敬愛するオンライン・コミュニティで育ったから、そしてそんなファンタジーの世界が、メタルと同様に暗い世界で増えつつある心を病んだ “メンヘラ” な人たちの逃避場所となっているからだと説明します。つまり、同時多発的な日本文化礼賛バンドのバイラルは、決して偶然ではなく必然なのでしょう。
「アメリカで育ってきた僕にとって、アメリカのメインストリーム音楽はとても “安全” な傾向があるんだよ。西洋音楽と非西洋音楽の断絶は驚くほど明白だよ。平均して、西洋の曲は不協和音、調の変化、半音階的表現、ポリリズムなどを避け、非常に無難な旋律とリズムの慣習に従っている。これとは対照的に、日本の音楽は曲作りやプロダクションのデフォルト・モードとして複雑さやテクニックを用いることが多い。日本ではメインストリームの大ヒット曲の多くでさえ、西洋音楽が素人や無能に見えるほど精巧な音楽的巧妙さを売り物にしている」
さらに、ラテン系やアジア系をルーツに持つ OMERTA にとって、欧米のメインストリーム・ミュージックはあまりに安全で、耳に馴染まず、冒険心のない音楽に聴こえました。移民の国アメリカのメインストリームは、すでに誰からも愛される音楽ではありません。
一方で、吸収と研究が得意な日本。様々な場所から無節操に思えるほど多くの影響を取り入れ、コード感や変調、リズムの豊かさを強調し、それでいて日本らしいポップなメロディを備える  J-Rock やアニメ、ゲームの音楽こそ、OMERTA にとってはよほど魅力的な挑戦に見えたのでしょう。
「メタルコアや Nu-metal、あるいは僕たちより前に存在していたかもしれない他のジャンルの既存の基盤の上に、僕たちの音楽を構築することではない。これらのジャンルにはそれぞれ理論的な天井があり、それを突破することはできないから。僕たちの作曲に対するアプローチは、ラベルを無視して、最も適切と思われるものをただ書くというもの。僕たちは、アーティストとは神のインスピレーションを直感し、解釈し、伝える媒介物に過ぎないと固く信じている。ジャンルの枠に自分を縛ることは、唯一無二の美しさを歪めてしまう危険性があるからだ」
そんな、BLIND EQUATION や OMERTA といった日本文化の “下流“ にある Z世代のアーティストが口を揃えて主張するのが “ジャンルの破壊” です。実際、OMERTA の音楽にジャンルのラベルを貼ることは決して簡単ではないでしょう。巨大なバイラルを得た最新シングル “Charade” を聴けば、メタルコアや Nu-metal はもちろん、プログレッシブ、J-Rock, K-Pop, ボカロやアニメ、ヒップホップなど実に多様な音のパレットが反発することもなく耳下に広がっていきます。
そう、ネット世代の若さは壁をたやすく突き破りました。彼らの使命は、芸術とはこうあるべきだという期待やステレオタイプに挑戦すること。結局、暴力的な芸術とは慣例の破壊。粉々に吹き飛ばされた瓦礫の上に、何か美しいもの、何か新しいものを構築することこそ “Hyperviolence” なのです。
今回弊誌では、OMERTA にインタビューを行うことができました。メタル魔法少年オメルたん。薄い本にも期待です。Vincente Void が生んだ、アメリカで “一番嫌われている” ボーイズ・バンドだそうですよ。どうぞ!!

OMERTA “CHARADE” : 10/10

続きを読む NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【OMERTA : CHARADE】

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【EXIST : HIJACKING THE ZEITGEIST】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH MAX PHELPS OF EXIST !!

“I’d Say I Acquired Language From Listening To Cynic And Death Which Seeped Its Way Into Many Of My Musical Tendencies, I Listened To That Stuff a Ton Because It Spoke To Me On a Deep Level.”

DISC REVIEW “HIJACKING THE ZEITGEIST”

「Paul Masvidal はまさに師匠のような存在で、僕が初めて行ったツアーは CYNIC と一緒だったし、彼や Sean Reinert と関わるようになって、僕の世界は大きく広がった。そして僕は CYNIC と DEATH を聴くことで、今自分の音楽的傾向の多くに染み込んでいる “言語” を身につけたと言える。本当に何度も何度も聴いたからね。それは、深いレベルで彼らの音楽が僕に語りかけてきたからなんだ」
Max Phelps は今や、プログレッシブ・デスメタルの宇宙にとってなくてはならぬ存在です。それはもちろん、DEATH TO ALL の声として亡き Chuck Schuldiner の影を追い、CYNIC では Paul Masvidal をメンターとしてその師事を受けているからだけではありません。Max はその二大巨頭から受け継いだ哲学やスピリットを、自らのやり方で羽ばたかせようとしています。
「ヘヴィーとキャッチー、テクニカルとシンプル。本当にそれ自体が目的だったのかどうかはわからない。なぜなら、それが僕たちの書き方にとってごく自然なことだと思うからね。でも、そういった要素を、より伝統的な曲構成で、よりタイトで短いアレンジに落とし込むというのは、ひとつの目標だったと言えるかもしれないね」
Max はカルト・ヒーローたちの遺伝子を色濃くその身に宿しながらも、より幅広い層にアピールしたいと願っています。そしてその願いは、EXIST の最新作 “Hijacking the Zeitgeist” で成就するはずです。濃縮還元されよりコンパクトとなった曲構成、耳を惹くメロディとフックの応酬、それでいてジャンルの門番をも唸らせるテクニックと複雑性を兼ね備えたアルバムはまさに、プログレッシブ・デスメタルの前代未聞。
実は、その EXIST の新たな冒険は Max もうひとつのヒーロー RUSH の影響で幕を開けました。プログ・デスと同じくらいに RUSH を愛し、RUSH オタクと公言する Max は、このアルバムは彼らにとっての “Permanent Waves” であり、”Moving Pictures”、さらにいえば “Power Windows” であると明言しています。それらは、RUSH にとっての “プログレッシブ” が変化した瞬間。そして、RUSH により幅広いリスナーへの “窓” が開いた瞬間。
「メリーランド州出身ということで、PERIPHERY や ANIMALS AS LEADERS がスタートするのを見ることができたし(昔、地元で一緒にライヴをやったこともある)、それは本当にクールで刺激的だった。Djent という言葉は、コピー商品ばかりで過飽和になり、軽蔑的な言葉になってしまったと思う。でも、そのムーブメントを牽引していたバンドは本当に素晴らしくて、みんな自分の声を持っていた。好むと好まざるとにかかわらず、現代のギター・プレイにも非常に大きな影響を与えたと思う」
アルバムに収録された “Window to the All” が仄めかす通り、この作品はすべての人への窓となりえます。それは、プログ・デスはもちろん、RUSH のようなキャッチーなプログ・ロック、PINK FLOYD や TOOL のような浮遊するサイケデリア、そして THE CONTORTIONIST や PERIPHERY のようなポリリズミックで現代的な Djent の流れまで組み込んだ膨大なる窓。
そこで歌われるのは、人類の新たな “窓” となったインターネット、SNS への執着とそこにある欺瞞。
「多くの人が、SNS で自分と関係のない物事の状況について非常に落ち込んだり、怒ったりしているのは、それが常に自分の目の前にあるからだと思う。自分の身の回りのことや、自分が実際にコントロールできることにもっと集中した方がいいこともあるし、少なくともそこでバランスを取る方がいいのかもしれないよね」
我々はあまりにも、無関係なものごとに左右されすぎるようになりました。それはきっと、ネットという窓が常に覗きすぎているからでしょう。ヘヴィ・メタルという窓は常に開いていますが、覗こうが覗くまいがそれはリスナーの自由。楽器だって、真摯に深く取り組もうが、ネットに動画をアップするだけだろうがそれはプレイヤーの自由。そんな今の寛容なメタルのあり方を Max Phelps はきっと、世界の理想としているのです。
今回弊誌では、Max Phelps にインタビューを行うことができました。「昨年末、CYNIC で来日したとき、僕は初めて日本に行ったんだ。妻も一緒に来てくれて、東京と京都で過ごしたんだけど、本当に楽しかった。正直、今までで一番好きな旅行体験のひとつで、今はいつも日本に引っ越したいと冗談を言っているくらいだよ。日本文化が本当に好きで、僕たちが慣れ親しんでいるカオスと比べて、みんなが親切で礼儀正しく、すべてがスムーズに進んでいることが信じられなかった。また何度も訪れたいよ!」OBSCURA, EQUIPOISE, そしてエンジニアに Anup Sastry という最強の布陣。どうぞ!!

EXIST “HIJACKING THE ZEITGEIST” : 10/10

続きを読む NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【EXIST : HIJACKING THE ZEITGEIST】

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【CHET THOMPSON : STRONG LIKE BULL】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH CHET THOMPSON !!

“On The Piano The Bass Lines Are Played With The Left Hand And Treble Lines Are Played With The Right Hand. I Had To Turn The Guitar Upside Down On Its Headstock So I Could Tap Out The Lines The Same Way a Pianist Would.”

DISC REVIEW “STRONG LIKE BULL”

「僕のサウンドは、人と違う音を出したいという欲求から生まれているんだ。僕のギターはアクションが高く設定されていて、とても弾きにくいんだ。アクションを低く設定すると、他の多くのプレイヤーと同じような演奏になってしまうからね。僕はスケールやアルペジオ、弦のスキッピングをとても速く弾けるから、もし弾きやすいギターを自由に弾かせたら、他の人と同じようなサウンドになってしまう。だからその代わりに、自分が欲しいトーンを得るためにギターと戦わなければならないようにしている。自分にとって弾きにくいギターを作るんだ。もしそれが、太いトーンのためにリードの流動性を犠牲にすることを意味するなら、そうすればいいとね」
SNSやストリーミングの普及によって、ギターの探求はより身近で、簡単なものへと変わりました。音や弾き方の正解がそこかしこにあふれる世界で、ギターの敷居はかつてないほどに下がり、誰もが最速で上達できる環境が整っています。しかし、正解だけが、効率だけが、ステレオタイプだけが求められるギター世界は、本当に魅力的なのでしょうか?
「1980年、兄がピアノでモーツァルトを弾いているのを聴いているときに、逆さ両手タッピング奏法を思いついたんだ。ピアノでは低音は左手、高音は右手で弾く。だから私は、ピアニストと同じようにラインをタッピングできるように、ギターのヘッドストックを逆さまにしなければならなかったんだよ」
Randy Rhoads の弟子として知られる Chet Thompson は、決して効率的なギタリストではありません。ギターは重くて速弾きに向かないレスポール。太い弦を張り、さらにその弦高をわざと高く設定して、流動性を犠牲にしながらファットなトーンを追求します。それはギターとの戦い。効率や正解などクソ食らえ。自分が思い描いた理想を具現化することこそがギタリズム。そこから生まれる個性こそがギターの楽しさであり、多様性。そうして、Chet の類まれなる個性、反効率の精神はついにギターを担ぐことに集約しました。
ギターをピアノに模して弾く。Stanley Jordan をはじめ、両手タップでギターを奏でるプレイヤーは何人かいます。しかし Chet はそれだけでは飽きたりません。ピアノと同様、右手で高音を、左手で低音を奏でるためにギターを肩へと担ぎ上げたのです。効率は最悪でしょう。誰もそんなことはやりません。しかし、誰もやらないからこそ意味がある。すぐに彼の音だとわかる。それは、今のギター世界から失われてしまった魔法なのかもしれません。
「Youtuber から音楽を学ぶことについてどう思うか、という質問に対する僕の答えは簡単。ただ楽しんで曲を覚えるだけならいいけど、自分のスタイルを作りたいなら、自分だけのサウンドとスタイルを作る長い旅に出なければならない。Randy Rhoads はいつも、彼から学んだことを自分のものにしなさいと言っていた。だから、Randy のそのアドバイスを受けとることを勧めるよ」
妻の死に衝撃を受け、セラピーのため久々にギターを手に取り生み出したソロアルバム “Strong Like Bull”。アルバムには、喪失に打ち勝つ牛のような強さと共に、教えを受けた Randy Rhoads, Eddie Van Halen の哲学が織り込まれています。Djent やギターの進化を認めながらも、記憶に残るソロや耳に最も心地よいノーマルチューニングでのグルーヴにこだわる Chet のギタリズムは、よりポップに、流麗に、その歌声と共に明らかな進化を遂げています。実際はそんなにギターを担がないけれど、それでも十二分に個性的かつ魅力的。あの時代にこれをやっていれば、また違う未来もあったのかもしれません。それでも Chet はまだギターを置いてはいません。もしかすると、それだけで十分なのかもしれませんね。
今回弊誌では、Chet Thompson にインタビューを行うことができました。「Randy に学んでいたとき、ジャムったときにとてもクリエイティブなリードを思いついたから、彼に最高の生徒だと言われたんだ。どうやってアイデアを思いつくのかと聞かれたから、クラシック・ギターも勉強していると答えたよ。すると彼は目を輝かせて、そのクラシック・ギターの先生を紹介してくれと言ったんだ。僕は Randy にクラシック・ギターの先生を紹介し、彼はその先生に師事することになった。だから Randy の Ozzy とのプレイや、HELLION の “Screams in the Night” のレコードに収録されている僕の曲のいくつかには、クラシックの影響が見て取れるわけさ」 どうぞ!!

CHET THOMPSON “STRONG LIKE BULL” : 9.9/10

続きを読む NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【CHET THOMPSON : STRONG LIKE BULL】

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【FRIKO : WHERE WE’VE BEEN, WHERE WE GO FROM HERE】FUJI ROCK 24!!


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH FRIKO !!

“I Personally Am Obsessed With Whatever That Magic Is That Makes Records “Classic”. So I Spent a Lot Of Time Over The Past Few Years Listening To All These Records That We Give This Honor And Taking In What They Had To Say.”

DISC REVIEW “Where we’ve been, where we go from here”

「レコードを “クラシック” にする魔法、それが何であれ、それに取り憑かれている。だから、ここ数年、僕たちはそうした “名盤” だと思えるレコードを聴き、そのレコードが語っていることを受け止めることに多くの時間を費やしてきた。僕にとって、これらの “名盤” たちに共通しているのは、彼らが何かを語っているということ。それが言葉であれ音楽的なものであれ、そこには目に見える即効性があった。”Pet Sounds” における即効性は、”OK Computer” における即効性とはまったく違うけれど、それでも僕の中では同じカテゴリーのものなんだ」
“friko4u”。みんなのためのFRIKO。それはシカゴのインディー・ロック・シーン、HalloGallo 集団から登場し、瞬く間に世界を席巻した FRIKO のインスタグラムにおけるハンドル・ネーム。FRIKO が何者であろうと、彼らの音楽は世界中から聴かれるために、つまり音楽ファンの喜びのために作られているのです。
そのために、FRIKO のフロントマン Niko Kapetan とドラマー Bailey Minzenberger は、THE BEACH BOYS から RADIOHEAD まで、自らが名盤と信じる作品を解析し、”目に見える即効性” という共通点へとたどりつきました。カラフルであろうと、難解であろうと、先鋭であろうと、名盤には必ずある種の即効性が存在する。そうして彼らは、その信念を自らのデビュー・フル “Where we’ve been, where we go from here” へと封じ込めました。
「シカゴのシーンがとにかくフレンドリーであるところだと思う。たとえば他の3つのバンドと一緒にライブをすると、みんなお互いのセットに残って見てくれる。みんなコラボレーションしたり、他のバンドで演奏したりする。シカゴは、LAやニューヨークのような他のアメリカの主要都市と違って、20代から30代前半の人たちが手頃な家賃で住めるということもあると思う。だから、ここでの生活をエキサイティングなものにしようとする若者がたくさんいるんだよ」
アルバムに込められた想い。それは、”私たちがいた場所、そしてここから進む場所”。シカゴのインディー・シーンは決してLAやNYCのように巨大ではありませんが、それを補ってありあまるほどのエナジーと優しさがありました。競争ではなく共闘。その寛容さが彼らを世界規模のバンドへと押し上げました。DINASOUR JR? ARCADE FIRE? THE CURE? レナード・コーエン?ショパンにワグナー?!比較されてもかまわない。彼らは “名盤” のタイムマシンでただ世界を笑顔にしたいだけなのです。
FRIKO のオフィシャル・サイトの URL は “whoisfriko.com”。そこには ARCTIC MONKEYS が2006年に発表したEP “Who the Fuck Are Arctic Monkeys” を彷彿とさせる不敵さがあります。きっとFRIKO って誰?の裏側には、誰だって構わない、私たちは私たちだという強い信念が存在するはずです。
「SQUID, BLACK MIDI, BLACK COUNTRY, NEW ROAD の大ファンなんだ。彼らは、私たちよりもっとヴィルトゥオーゾ的なミュージシャンだと思うし、だから技術的なレベルでは太刀打ちできないから、エモーショナルでタイトなソングライティングの面でアクセントをつけようとしているんだ (笑)。でも、そうした新しいエネルギーが再びロック・ミュージックに戻ってきているのを見るのは素晴らしいことだし、若い人たちにとってはエキサイティングなことだと思う」
そうして FRIKO は、ポスト・ロックやプログまで抱きしめた新たな英国ポスト・パンクの波とも共闘します。いや、それ以上に彼らの寛容さこそが、長年すれ違い続けたアメリカと英国のロックの架け橋なのかもしれません。なぜなら、そこには David Bowie や QUEEN、そして THE BEATLES の魂までもが息づいているのですから。FRIKO は誰?その質問にはこう答えるしかありません。大西洋を音楽でつなぐエキサイティングな時計の “振り子” だと。
今回弊誌では、FRIKO にインタビューを行うことができました。「僕は宮崎駿の映画で育った。ジブリ映画は、僕が書く音楽に、音楽以外のどの作品よりも影響を与えている。宮崎駿には、世界中の人々に通じる特別な何かがあるんだ」 どうぞ!!

FRIKO “WHERE WE’VE BEEN, WHERE WE GO FROM HERE” : 10/10

続きを読む NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【FRIKO : WHERE WE’VE BEEN, WHERE WE GO FROM HERE】FUJI ROCK 24!!

COVER STORY 【REMEMBERING VITALIJ KUPRIJ (ARTENSION, RING OF FIRE, TRANS-SIBERIAN ORCHESTRA)】


REMEMBERING VITALIJ KUPRIJ (ARTENSION, RING OF FIRE, TRANS-SIBERIAN ORCHESTRA)

“Knowledge, Experience, and Confidence Are The Tools That I Use To Improve Myself. Knowledge Is Something You Gain As You Do It. You Apply Your Knowledge And Get Experience Out Of It. Confidence Is Something You Need In Your Vision To Survive And To Defend Your Point Of View As An Artist. Otherwise You Are Just a Copy Machine Or a Shallow Artist.”

HIGH DEFINITION

ウクライナ系アメリカ人のマエストロ、Vitalij Kuprij が亡くなりました。享年49歳。Vitalij は、コンサートホールのグランド・ピアノでベートーヴェンの協奏曲第4番を弾くのも、アリーナでフル・ロック・バンドに囲まれてネオクラシカル・メタルを披露するのも、両方お手のものでした。
Vitalij はクラシック、メタル、どちらのジャンルにも精通しており、クラシックの楽曲を演奏するソロ・アルバムと、コルグのキーボードでロックするプログ・メタル ARTENSION や RING OF FIRE でも存在感を発揮。のちに、あの TRANS-SIBERIAN ORCHESTRA にも加わり、メタル世界にとって不可欠な存在となっていきました。ARTENSION のファーストは本当に斬新で、キャッチーで、変態で、あの時代に消えかけていたプログ・メタルの炎を再燃させてくれました。
特筆すべきは、彼が教育をしっかりと受けたプロのクラシック奏者だったことで、当時メタル世界の演奏者に彼のような背景を持つ人物はほとんどいませんでした。だからこそ斬新で、個性的な作曲術、特殊なミキシング、鍵盤を打ちのめすような演奏、強烈なアイデンティティまで愛されるようになりました。アルバムを聴けば、音を聞けば、クレジットを見るまでもなく彼だとわかる。
だからこそ、あまりに早すぎるのです。ただでさえ、メタル世界にカリスマ的キーボーディストはほとんど残されていませんし、新たに登場してもいません。Jens Johansson, Andre Anderson, Jordan Rudess, Derek Shrenian…残念ながら、明らかに両手に収まるほどの人数です。Vitalij がこれから残すはずだった音楽、育てるはずだった人たち…あまりにも大きな喪失です。せめて、彼の言葉、ストーリー、メソッドをここに残しておきましょう。音楽は永遠に消えませんが、物語は語り継がねば消えてしまうのですから。

Vitalij の家はミュージシャンの家系でした。
「父はプロのトロンボーン奏者だった。彼はたくさんの役割があってね。トロンボーンが主な楽器だったけど、音楽教師でもあり、音楽学校の校長でもあり、文化会館の館長でもあった。 自分のバンドも持っていて、ベース奏者でもあったね。父は私をトラブルに巻き込んだ張本人さ (笑)。
最初は父の親友が、私にアコーディオンを習わせようとしたんだ。アコーディオンは、ウクライナではとてもとてもポピュラーな楽器だこらね。父はその年の9月のアコーディオン・レッスンに申し込んだ。レッスンを始める前日、父は私を仕事場に連れて行った。そこでフォーク・バンドのために作曲をしていて、私はそこにあったアップライト・ピアノに駆け寄ったんだ。後で父に聞いたんだけど、私はそこでジャムを始めたらしい!私の指は自然にピアノの鍵盤に触れた。 父はその友人に電話して、私をアコーディオンのレッスンからピアノのレッスンに変えることを告げた。 私の人生は完全に変わったんだ! 本当に感謝しているよ。アコーディオンは嫌いじゃないけど、ピアノは王様だからね!」
そうして Vitalij は、ウクライナでクラシックの訓練を受けることになりました。
「クラシックの訓練は基本的に伝統的な西洋音楽だったね17~18世紀の偉大な作曲家を学んでいった。モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスとかね。ウクライナにも偉大な作曲家が何人かいて、学校では彼らの曲も教わったよ。 その中には今日まで心に残っている素晴らしいピアノ曲がいくつかある。 もちろん影響を受けたよ。 レフコ・レヴツキーという偉大な作曲家がいた。彼の音楽は、とても民俗的なものだ。とはいえ、私の訓練の主な基礎はドイツとフランスの音楽だったね」

最も影響を受けたクラシックの作曲家は誰だったのでしょう。
「いつも変わるんだ。自分の楽器や真のクラシック・トレーニングの技術をマスターしたければ、視野を広げ、一つのことに集中しないこと。ただ私にとって際立っていた作曲家はショパンかな。 ショパンは主にピアノのために作曲した。幼い私にとって、ショパンは憧れの存在だったよ」
11歳の時、Vitalij は音楽的訓練を続けるために家を出てモスクワに行き、その後、全ユニオン・ショパン・コンクールに史上最年少で出場して優勝しました。
「当時のソ連では、どんな訓練を受けてもスパルタだった。軍事であれ、音楽であれ、絵画であれ何であれ、軍隊のように行われていたんだ。とても厳しかった。 狭い部屋に5人という寮生活で、プライバシーはなく、すべてが公開されていた。シャワーは週2日。それは最も奇妙なことだったけど、同時に感謝しているんだ。私は必要な規律を得たからね。レッスンは、西欧やアメリカで行われているような週1回ではなかった。私は1日に2、3時間のレッスンを2日おきに受けていた。残りの時間は練習に充てたね。
すべての作曲家を勉強したけど、先ほども言ったようにこの頃の私はショパンに惚れ込んでいて、他の曲は弾きたくなかった。 それは政府に “ファック・オフ” と言っているようなものだった。 先生に “他の曲は弾きたくない” と言ったので、学校の先生たちは、ショパンだけに専念させていいかどうかで議論になった。最終的に、学校の代表としてショパン・コンクールに出場するなら、ショパンの曲だけに専念してもいいということになったよ。
そのコンクールで優勝したことで、本当に道が開けた。 13歳の時に3ヶ月間、列車でソ連をツアーしたんだ。
ショパン・コンクールはロシアの北にあるカザンで開催されてね。私は初めて飛行機に乗ったのだけど、ひどい吹雪の中だったよ。まあだから、良い思い出もあるんだけど、ロシア人と思われることもあるのは困るね。私はウクライナ出身だから」

そんなクラシックの申し子が、他のジャンルに目を向けるきっかけが、Yngwie Malmsteen でした。
「たしかに父がフォーク・バンドで演奏したりするのは見ていたけれど、私は完全にクラシック・オタクだった。 当時、ソ連にはメロディヤというレコード会社しかなかったんだ。兄が Yngwie のアルバム “Trilogy” を買ってきてくれたんだ。それをかけて、あの素晴らしき “Liar” を聴いた。 すぐにバンドを組みたくなった。友達に頼み始めたんだ。
Yngwie のアルバムに心を掴まれたけど、THE BEATLES の “A Taste of Honey” というアルバムもあったし、QUEENのアルバムもあった。 それらすべてをいつも聴くようになったんだ」
Yngwie のどこに惹かれたのでしょう?
「Yngwie はそれほどキーボードをフィーチャーしていなかった。 初期のアルバムではもっと多かったかもしれないけどね。だから結局は、Yngwie の演奏だった!とてもテクニカルで、同時にメロディアスだった。表現力とハーモニーが大好きだった。
それから何年も経ってから、イングヴェイから電話があって、彼のバンドに誘われたんだ。彼のアルバム “Alchemy” に参加してくれってね。彼は電話してきて、私をフロリダに呼んで、このアルバムでキーボードを弾いてくれと言ってくれたんだ。
でも当時私はすでにソロアルバムを2、3枚出していて、ARTENSION のアルバムも2、3枚出していた。そしてクラシックの世界でもブレイクしようとしていたんだよね。だから、そのオファーを丁重に断ったんだ。
Yngwie と一緒に仕事をしたかったけど、彼がシュレッドしている間に2つか3つのコードを弾くために、自分のレコードや ARTENSION のレコードでやっていたことを諦めたくなかったんだ。でも、ギターとキーボードの革命的なシュレッドでネオ・クラシックのモンスターを作れたら最高だと思う!そのレコードは音楽的に素晴らしいと思う。
ただね、気がつくと、彼は日本のマスコミで私のことを “経験がない” と酷評していた。私はロックの世界に入ったばかりで、まだ何も発表していないとね。彼は私のことをよく知りもしなかった。私が “イエス” と言わなかったからって、マスコミで私をゴミ扱いしないでよ (笑)」

ウクライナやソビエトでは、メタルを学ぶことも簡単ではありませんでした。
「徐々に学んで行ったよ。私の国では何でも手に入るわけではなかったからね。西洋のロックバンドのほとんどは、ずっと後になってから来るようになった。私の国にはロック文化がなかったんだ。 でも結局、兄が洋楽をたくさん集めていたので、それを聴いて自分の音楽スタイルを確立していったんだ」
コンクールで優勝した後、Vitalij はソビエトで国内ツアーを行いその後、スイスでさらに修行を積みました。
「バーゼル音楽院で4年間、全額奨学金をもらって勉強したよ。有名なオーストリアのピアニスト、ルドルフ・ブッフビンダーに師事してね。彼は西洋の演奏スタイルや規律について多くのことを教えてくれたんだ。私はロマン派的でロシア的な環境で育ったので、ブッフビンダーは西欧的な規律ある態度で私を磨いてくれたんだよ」
ARTENSION のギタリスト Roger Staffelbach に出会ったのもスイス留学中でした。
「Roger はもう25年来の友人だよ。夏の間、スイスの小さな町に住んでいたんだけど、そこにピアノ・バーがあって、よく通ってジャムっていたんだよ。そこに Roger が入ってきて、自己紹介してくれたんだ。私はドイツ語が話せなかったから、少し言葉の壁はあったけど、彼はキーボード奏者を探していてね。彼と私は意気投合し、一緒に演奏するようになった。月曜日から金曜日まで、私は電車で1時間のところにある音楽アカデミーで音楽を学び、金曜日の夜、電車で Roger の家に行き、週末は彼のガレージでリハーサルをした。 日曜の夜はまたアカデミーに戻る。
Roger と私は、さらに2人のスイス人奏者と素晴らしいインストゥルメンタル・カルテットを結成したんだ。ATLANTIS RISING という名前だった。私はネオクラシックの曲を書き始め、カセットテープを作るためにお金をつぎ込んだ。カセットテープを300本は作ったと思う。私たちはスカンクのように無一文で、CDを作りたいだけのハングリーな少年だった!」

このカセットの一つが、シュレッドの総本山、シュラプネル・レコードに届くことになりました。
「シュラプネルの Mike Varney が聴いてくれたよ。Roger と私は2人ともアメリカに行くことになった。Roger が西海岸にいる間に、私はカーティス音楽院のオーディションを受けるためにフィラデルフィアに行ってね。 オーディションの後、私は Roger のところへ飛んで行き、その後2人でカリフォルニアのノバトへ飛んで Mike に会ったんだ。当時、シュラプネルは、私たちがやっていることと似たような音楽をたくさんリリースしていたからね。そして彼らは私たちと契約し、それが ARTENSION となったんだ」
世界でも有数の難関音楽学校に入学し、ARTENSION を結成してファースト・アルバムをリリースし、翌年にはファースト・ソロ・アルバムをリリース。カーティスに通いながら、どのようにすべてのバランスをとっていたのでしょう。
「大きなキャリアを築くのは、2つの分野を情熱的にターゲットにすると難しい。でも、私はそれがどんなに難しいことであっても気にしなかった。学期を終えて、他の学生が休みに入っている間、私はピアノで作曲をし、自分が何を書いていたかを思い出す。そしてカリフォルニアに飛び、ARTENSION でレコーディングをし、また戻ってクラシックの勉強に戻る。カーティスは厳しい学校で、おそらく世界ナンバーワンだろうな。
ARTENSION だと、”Phoenix Rising” は素晴らしいと思うし、もちろん “Into the Eye of the Storm” は最も印象に残る作品だけど、私は “Forces of Nature” が本当に好きなんだ。新しいベーシストとドラマー (John Onder と Shane Gaalaas が加わって、また違った雰囲気になった」

ARTENSION でツアーは行ったのでしょうか?
「いや、ARTENSION はライブをやったことはないんだよ。でも、日本での成功が大きかったので、ほとんどやれそうだった。ファースト・アルバムはゴールドになるところだったからね。日本でのツアーを計画したんだけど、ツアー・マネージャーが私の書類をめちゃくちゃにしたんだ。 当時私はまだ若く、ソ連のパスポートを持っていて、アジアを旅行するときにどんな特典があるのか知らなかった。 私はサンフランシスコのホテルで就労ビザが下りるのを待っていた。で、結局私はそのツアーに出られなかったので、他のメンバーはプロモ出演をして、飛行機で帰ってきたんだ」
ARTENSION のアルバムには、”I Don’t Care”, “I Really Don’t Care”, “I Really, Really Don’t Care” というピアノ曲が収録されていました。
「最初のアルバムでは “I Don’t Care” だった。座ってジャムったんだ。Mike が私の才能を高く評価してくれていたから、ちょっと披露したかったんだ。アルバムにピアノ・ソロの曲を入れなければならなかった。 そして次の作品では、そのコンセプトを続けたいと思った。安っぽいけど面白い(笑)」
2001年にボーカリストの Mark Boals のソロアルバム “Ring of Fire” で彼と一緒に仕事をするようになりました。
「Mark とやれることで興奮はしなかったが、もちろん賞賛はした!彼は僕にとってとても重要なアルバム “Trilogy” で歌っていて、一緒に演奏しようと誘ってくれたんだからね!楽しかった。そのソロ・アルバムにちなんで、実際のバンドになったんだ。私が曲を書き、Mark が歌詞とメロディーを書いた」

バンドは2枚のスタジオ・アルバムと、日本で録音された2枚組の素晴らしいライヴ・アルバムをリリースしました。ただ、Vitalij が参加していない作品もあります。
「Mark と私はいくつかの点で誤解しあっていた。大げさなことではなく、私たちが同意できなかったことがあっただけなんだ。ARTENSION は、キャリアの始まりという点で、私の心に少しだけ近かったので、私は ARTENSION と自分の作品に集中し続ける一方で、Mark には他のプレイヤーと一緒にやるように伝えたんだ」
Vitalij のソロアルバムはほとんどがインストゥルメンタルで、ソロのための十分なスペースがあり、鍵盤を前面に出しています。ARTENSION はボーカルを起用していますが、RING OF FIRE ほど大人しくはありません。
「ソロ作は私がほとんどの曲を書いたので、常にキーボード中心だ。ボーカルを書く機会も模索していたけどね。ボーカルものでは、私が派手になるという点では限界があったかもしれないけれど、ソロ・アルバムを通してならそれができる。 アルバムが進むにつれて、バンド自体のパワーに集中するようになったから、私が目立つことは少なくなった。でも、どのアルバムにも必ず私らしさがあるよ。
それに、ARTENSION では John West の音域を知り、バンドのスタイルを知り、バンド内のプレイヤー同士の相性を知りながら書くことも意識した。RING OF FIRE でも同じだ。
今は、ただ書いて、とてもパワフルでエモーショナルな感じの音楽にしたいと思っている。より作曲に集中し、より成熟したレベルに持っていく。自分が経験したことから集めた知識をすべて活用し、特定のバンドやプロジェクトをターゲットにすることなく、淡々と書いている。私はただ自分の書いたものを捕らえ、保存し、発展させ、変化させ、また戻ってきたいだけなのだ。 音楽を書くことは、とにかく驚異的だ。とても無邪気なプロセスで、新しい情報が生まれるから大好きだ。 何もないところから始めて、音楽的でスピリチュアルな情報を得る」

例えば、RING OF FIRE アルバムの中を見ると、”All music written by Vitalij Kuprij” と書かれていますが、ギター、ベース、ドラムのパートも Vitalij が書いているのでしょうか?
「すべての曲、すべてのパートをキーボードで書いているよ。だから、ギター、ドラム、ベースがキーボードで演奏され、他のメンバーが何を演奏すべきかの明確な方向性を示しているんだ。 特に後期のアルバムでは、より考え抜かれたものになっている。即興的なものはなるべく省いて、自分自身に任せるようにしている。 だからレコーディングのためにメンバーが集まったときには、構造的にはかなり練られているんだ。
ただ、決まった公式があってはならないと考えている。何かを目指さなくてはならないが、物事は自然に起こるものだ。それがあなたなのだから」
TRANS-SIBERIAN ORCHESTRA での最初のツアーは2009年のイースト・ツアーでした。
「あれは完全に “青天の霹靂” 。ある朝起きてコーヒーを飲み、メールをチェックした。彼らのマネジメントから、Paul O’Neill と会うためにフロリダまで来てほしいというメールが来ていた。 彼らがどのようにして私のことを知ったのかはわからない。Paul が何でもできてフレキシブルなキーボーディストを探していたのは知っている。彼はレコード業界で一緒に仕事をしたことのある人に電話して、その人が私を推薦してくれたんだ。数週間後、私はそこにいた」

TSOや SAVATAGE のことは知っていたのでしょうか?
「SAVATAGE は知っていたよ!なんて素晴らしいバンドなんだ!Burrn! 誌の SAVAGAGE 特集に載ったこともあるんだ。SAVAGAGE の曲を演奏するのは楽しいよ。もし彼らと一緒にツアーに出て、彼らの曲だけを演奏できるのなら、今すぐにでもやりたいよ。とてもロックで楽しくて、本当に僕の好みなんだ。Chris Caferry は John West と仲が良かったので、彼のことはよく聞いていたしね」
2015年の Wacken では、その SAVATAGE の一員とさはてプレイしました。
「うれしい依頼だった!私は彼らと彼らの音楽が大好きなんだ。これも私にとって忘れられない瞬間だった。それが Wacken だったことも、イベントの規模も忘れて。SAVATAGE の音楽を演奏することは、僕にとってとてもスリリングなことだった。Roger と初めて会って、ATLANTIS RISING を結成したときのことを思い出すよ。フロリダでリハーサルをやっていたんだけど、演奏しながら文字通り飛び跳ねていたよ。
“Jesus Saves” を演奏しているとき、私は飛び跳ね、汗をかき、ただとても楽しかった。2014年のヨーロッパTSOツアーで SAVATAGE の曲を演奏したのは素晴らしかったけど、SAVATAGE の一員として、SAVATAGE を愛し、SAVATAGE を観に来てくれたファンのためにここで演奏するのは本当に特別なことだった」

ウォームアップのルーティンなどはあるのでしょうか?
「楽屋にキーボードがあって、指の運動をして血の巡りをよくするんだけど、それはクラシックで訓練されたキーボード奏者としてはごく普通のことなんだ。でも、本番前の精神集中が大事なんだ。 ステージに上がる10分くらい前からシャットダウンして、目を閉じてアドレナリンと責任感に苛まれるモードに入るんだ」
Vitalij のアルバムのライナーノーツには、たいてい、”知識、経験、自信” を使っていると書かれています。
「それは私が自分自身を向上させるために使うツール。知識はやっていくうちに得られるもの。知識を応用して経験を積む。自信は、アーティストとして生き残り、自分の視点を守るために必要なものだ。そうでなければ、ただのコピーマシンか、浅薄なアーティストになってしまう」
クラシックの方だけに専念して、クラシックのピアニストとして名を馳せることを考えたことはあるのでしょうか?
「もちろん、若い頃はね!ヴラジミール・ホロヴィッツは私のアイドルだからね!ヨーロッパでオーケストラと共演したこともある。リサイタルもやったし、マスタークラスも開いた。ブラームスのピアノ協奏曲第1番、ラフマニノフの第2番、ベートーヴェンの第4番を演奏したよ!でも、そう、私は木のように自分を広げている。 私は音楽の力と喜びを感じられることをしたいんだ。私はクラシックの訓練を受けているので恵まれているけど、選択肢はたくさんある。クラシックを演奏することもできるし、ネオクラシカルなシュレッドを演奏することもできる。 私に音楽の喜びをもたらしてくれるものなら何でもいいんだ」

ホロヴィッツをアイドルとして挙げていますが、ロック面では誰に影響を受けているのでしょうか?
「ロックをあまり聴くことができなかった国から来たので、そのような影響という点では、本当にスクエア・ゼロからのスタートだった。尊敬する偉大なロック・キーボードのレジェンドたちのディスコグラフィーを研究していたら、自分自身の何かを失ってしまうということに気づいたんだ。私は完全に暗闇の中で狩りをするような気持ちでやっている。 偉大な音楽の一部が無意識のうちに沁み込んでしまい、”生の自分” を少し失ってしまうことが怖いんだ。
確かに Keith Emerson, Jon Lord, Rick Wakeman には大きな愛と敬意を抱いている。そして現役のプレイヤーでは、Jens Johansson を尊敬している。昔の彼はとても面白くて、とてもクールだった。彼自身も素晴らしい。Mike Pinella の大ファンでもある。Jordan Rudess も大好きだ。以前は、テクノロジーに重点を置く彼の芸術へのアプローチに懐疑的だった。 私は作曲してからスタジオでレコーディングするのが好きなんだ。しかし、そうしたプレーヤーに憧れているにもかかわらず、私は彼らから影響を受けてはいない。よくアーティストに尋ねると、”この人やこの人がいなかったら、私は今やっていない” と言うだろうが、私はそうではない。 自分の要素に集中する余地がなくなるから、頭の中にあまり詰め込みたくないだけなんだ」
メタルで好きな作品はあるのでしょうか?
「私は DREAM THEATER が大好きだ。すべてのアルバムを知っているし、メンバー全員にも会ったことがある。まだスイスにいた1993年に彼らのアルバム “Images and Words” にハマったんだ。Gary Moore, QUEEN, Sting も大好きだ」
クラシック以外の音楽を探求したことはありますか?
「もちろん。 常にね。ジャズでもヒップホップでも何でも、いろいろなジャンルの音楽を探求するのが好きなんだ。私はいつも作曲をしているし、これらのスタイルの音楽を演奏したり書いたりしてきた。音楽に限界はないんだよ」 安らかに…


参考文献: MUSIC AND ART: INTERVIEW VITALIJ KUPRIJ

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【SOULMASS : PRINCIPALITY OF MECHANICAL VIOLENCE】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH SOULMASS !!

“Gundam’s Anti-war Message Has Endured Long Enough To Affect Many Generations Now And We Are Glad If We Introduced Others To It With This Album.”

DISC REVIEW “PRINCIPALITY OF MECHANICAL VIOLENCE”

「僕たちが年を重ねるにつれて、ガンダムを厳密に善と悪の物語として見なくなった。例えば、EFSFとジオンの二項対立だけじゃなく、その両組織内のさまざまな人々の人間ドラマは、良い例だと思う。”どちらの側にも良い人がいる” という議論ではなく、腐敗はどのようなスペクトラムにも起こり得るというテーマ。それは最初からメタルにおいてかなり語られていたと言えるね。権力を持つことによる腐敗、戦争に誇りなどないこと。今のところ、KREATOR と METALLICA が思い浮かぶね」
数あるロボット・アニメ/特撮ものの中で、ガンダム・シリーズが常にトップを走り続ける理由。それは、善と悪で割り切れる単なる勧善懲悪のストーリーではなく、何層にも折り重なる複雑かつ深淵な世界設定の中で、権力や腐敗に振り回される、抑圧を受けて苦悩する近未来の私たちの姿が描かれているから。ガンダム・シリーズはそして、例えばバスク・オムの暴走で、例えばミハルの悲惨な最後によって、権力の腐敗と戦争の無惨を浮き彫りにしていきました。
これはまさに、KREATOR が “Flag of Fate” で、METALLILA が “One” で語ってきたテーマそのものでしょう。すなわち、反戦、反権力、反抑圧はガンダムとメタルの間で長く共有されてきた重要なミノフスキー・核融合炉だったわけです。だからこそ、デスメタルのホワイトベースであるフロリダから、”ガンダムのメタル” を描く SOULMASS がこの時代に登場することは、ある意味必然でした。
「こうした世界で絶望を感じたり、無力感を感じたりするのは普通のことだよ。ガンダムの曲を作ることは、権威主義や社会的不公正の問題を現実に直接取り上げることに、間違いなく最も近いところにいる。ガンダムの反戦のメッセージは、今や多くの世代に影響を与えるほど長く続いているし、このアルバムで他の人たちにそれを紹介できたならうれしいね」
オープナーの “Jet Stream Attack” は、まさに権力が暴走し、抑圧が放置される2024年に向けて繰り出された黒い三連星の強撃。そうしてアルバムは、星の屑作戦からのコロニー落としで、平穏な暮らしを営む普通の人々が、いかに権力の欲望や歪んだ理想の犠牲となるのかをドゥーム・デスの獰猛で描き出していきます。
「力強さや残虐さを描いていることもあるけれど、僕らのアルバムの根底にあるのは、想像を絶する恐怖に直面してもアイデンティティーの感覚を保つということで、それは偶然にもガンダムと見事に合致していると思う」
バンドは BOLT THROWER や ENTOMBED、そしてもちろん往年のスラッシュやドゥーム・クラシックにインスパイアされていますが、それ以上に人間の暗い思考を反映した陰鬱と冷徹、そして暴力性をその身に宿しています。以前彼らがテーマとした “Bloodborne” 的死にゲーを思わせるその中毒性の高さは、まさに “重力に魂を惹かれた” 者たちの心も、”地球を知らぬ” 者たちの心もを鷲掴みにしていきます。
スペースノイドにも、アースノイドにも、いや誰にだってそれぞれの主張があり、それぞれに一理があるのは当然。重要なのは、どんな理不尽や恐怖に晒されても、一人一人が人間性を失わないこと。自分であり続けること。いつでも調和を目指すこと。ソロモンよ、SOULMASS は帰ってきた。
今回弊誌では、SOULMASS の二人にインタビューを行うことができました。「”Ζガンダム” は全シリーズの中で最も美しく、大仰な音楽だけど、最近の “鉄血のオルフェンズ” や “水星の魔女” の音楽も大ファンだね。Man With A Mission の “Raise Your Flag” は間違いなく僕の心に残るアンセムだ。アイナ・ジ・エンドの “Red:birthmark” も大好きだね」 どうぞ!!

SOULMASS “PRINCIPALITY OF MECHANICAL VIOLENCE” : 10/10

続きを読む NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【SOULMASS : PRINCIPALITY OF MECHANICAL VIOLENCE】

COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【BERRIED ALIVE : BERRIED TREASURE】


COVER STORY : BERRIED ALIVE “BERRIED TRASURE”

“Balenciaga Or Moschino Are Great Examples In Fashion For Being Incredibly Technical Clothing That Doesn’t Take Itself Too Seriously. That’s Really What We Want The Most In Music, To Connect With People.”

BERRIED TREASURE

「Charles Caswell というギタリストがいる。彼は奥さんと BERRIED ALIVE というデュオをやっている。彼は、私が今まで聴いた中で最もクレイジーなギターを弾いている。彼のプレイスタイルは、私がこれまで聴いた中で最も速いプレイヤーなんだ」
ギターレジェンド Joe Satriani がこれほど興奮して紹介するギタリスト。その人物が凡庸なはずはありません。そして当然、世界中が注目します。そのギタリストとは、BERRIED ALIVE というデュオでの活動で知られる Charles Caswell です。
BERRIED ALIVE は、Charles と妻の Kaylie Caswell によるデュオ。彼らのジャンルを説明するのは少し難しいかもしれません。一応、彼らのウェブサイトには、”トラップ、ハードロック、メタル、ヒップホップ、アバンギャルドの要素を取り入れたEDMポップ” のようなものだと書かれています。
Satriani は興味深い比較をしながら、こう付け加えました。
「BERRIED ALIVE の音楽は、Tosin Abasi とかと同じくらい複雑だ。しかし、彼が何を選択し、どのように作曲するのか…それは他の誰とも違っている。人生は挑戦だ。そうして若いギタリストたちは、今この現代を生きることがどういうことなのか、私たちに教えてくれているんだ。美しいことだよ。インスタグラムを見に行って、スマホの前で誰かが僕が弾けないものを弾いているのを見るたびに、”やったー!” って思うんだ。誰かがギターを前に進めているんだからね!」
Satriani の賛辞に、Charles も応えます。
「Joe Satriani は偉大なレジェンドだ。僕が初めてギターを手にして “Surfing With The Alien” を弾いて以来、多大なインスピレーションを受けてきた人物からこんな優しい言葉をかけてもらえるなんて、信じられないほどうれしくて勇気づけられるよ!」

BERRIED ALIVE の芸術的な活動は、2012年に “音楽ベンチャー” という冒険的な形態で始まりました。それ以来、2人はレコードやシングルを精力的にリリースしています。現在までに、BERRIED ALIVE のカタログは、7枚のスタジオ・アルバムと30枚以上のシングルにまで及んでいるのです。その音楽はたしかに、トラップ、ハードロック、メタル、ヒップホップ、アヴァンギャルドの要素を取り入れたEDMポップという表現がぴったりなのかもしれません。バンドの大胆不敵で感染力のある楽曲、まばゆいばかりの音楽性、そしてシアトリカルなセンスは、YouTubeの総再生回数950万回、Spotifyのリスナー数12万人以上という数字に直結し、多くのリスナーを魅了しています。そして、Satriani のみならず、RAGE AGAINST THE MACHINE の Tom Morello, AVENGED SEVENFOLD の Synyster Gates, MOTLEY CRUE の Tommy Lee といったアイコンたちからの喝采までも集めているのです。
「僕たちは普段、いつもギターを弾いているわけでもなく、ただ好きな音を見つけているだけなんだ。ギターで音を模倣する方法を学んだから、音を見つけたら、それがどんな音なのか、たとえクレイジーな音のドラムか何かであっても、それを自分なりに再現することができる。
自分自身や自分たちに対して批判的になるのは好きではないんだ。厳しいやり方は健康的じゃない。僕はギターに3時間、ボーカルに3時間、作曲に2、3時間、マーチャンダイズやソーシャルメディアに2、3時間といった具合に。グッズの注文もすべてこなさなければならない。ギターを弾いているだけじゃなく、何かを作り、リハーサルをし、人々とつながる。運動などで心身の健康に気を配りながらね。1日の中で少しずつでもすべてのことをやっていれば、終わる頃にはかなり満足感があるし、自分を過小評価しなかったように感じる」

重要なのは、彼らがただ驚異的で “リディキュラス” なバンドであるだけでなく、”音楽ベンチャー” という形態をとっている点でしょう。BERRIED ALIVE は、冒険的な音楽と多感覚的なグッズの厳選された世界を構築していて、最近ではビール会社との提携までも行っています。
「空港のレンタカーで、カウンターのお姉さんにおすすめのお店を聞いたんだ。彼女は Heathen Brewing を勧めてくれた。料理も雰囲気もビールも気に入った。数年後、彼らから連絡があり、ビールのコラボをしないかと誘われた。僕たちは彼らの醸造所で会い、数ヶ月かけてすべてのロジスティクスを考え、ビールを造った。かなりクレイジーだったよ!
乳糖を混ぜて、ろ過した後の穀物をすくい取って…僕たちがワインやシャンパンが好きだと知っていたので、自家ぶどう園のぶどうを収穫してくれて、自家栽培のぶどうを使うことができた!醸造所の文化にも本当に感化されたね。みんな協力し合い、助け合うことを厭わないから、僕が音楽の世界で経験してきたことと比べると新鮮だ。Heathen とも将来的にもっとコラボできる可能性がある。そこから生まれたビールの名前が、アルバム “The Mixgrape” にちなんでいるんだ」
マーケティング用語で言えば、BERRIED ALIVE 社は気まぐれでカラフルなライフスタイル・ブランドであり、彼らが提供する商品メニューは拡大し続けているのです。ただし、創業者である Caswell 夫妻は、それほど計算高くはありません。ジャンルにとらわれない音楽、遊び心がありながらも高級感のある服、巧みなマーケティングのアイデアの裏には、自由奔放な芸術的対話がつねにあります。
「僕たちは聴かれて、着られて、berry だけに味あわれるものなんだ (笑) 。すべての感覚にクリエイティブなものを提供したいんだよ!最近、友人が DEFTONES のコンサートに行ったとき、少なくとも10人以上の人が BERRIED ALIVE のグッズを身に着けていて、とても目立つから気づいたと言われてね。たしかに目立つ!僕たちはあまり外に出ないから、反響を知るのはとても楽しいよ」

BERRIED ALIVE の服は明るくポップで遊び心があり、常に人気のあるイチゴと十字架のデザインがトレードマークです。Supreme を彷彿とさせる高級ストリートウェア・ラインとして作られていますが、それは夫妻の甘く歪んだ心と密接に結びついているのです。
2人は、曲作り、服のデザイン、商品ラインにそれぞれ意見を出しながら、流れるようにいつも一緒に創作しています。Charles は、BERRIED ALIVE の楽曲のプロデュース、ミックス、マスタリングを担当し、ブランドとバンドの予算を洋服や没入型ビデオ、将来の作品に充て、Kaylie が歌詞、服のデザイン、ベースラインを担当し、一緒にマーケティング・コンセプトを考えています。実は、そうした阿吽の呼吸には確固たる理由がありました。
BERRIED ALIVE の幻想的な世界のはじまりは、おとぎ話のような出会いにまでさかのぼります。2人が出会ったのは中学1年生のときでしたが、付き合い始めたのは高校に入ってからでした。付き合い始めて早々、Charles は Kaylie がファッションの溢れんばかりの才能と適性を持っていることに気づいたのです。
当時、Charles はバンドやツアーで演奏するテック・メタル・ギターの魔術師 (あの REFLECTIONS にも在籍していた) でしたが、バンドでのドラマや苦労から離れ、孤独なアーティストへと進化していきました。そんな中で、BERRIED ALIVE という音楽団体は当初、Kaylie が提案したサイドプロジェクトのようなものだったのです。
「名前は当時のメタル界にあったダークな名前をもじったダジャレのようなものだったわ。私は芸術としての服がずっと好きだったの。私たちは本当に小さな町の出身で、そこではみんな同じような服を着ていた。そこで私が着ている服について人々が話しているのを耳にすることがあって、それは必ずしも良いことばかりではなかったのよね。でも、服装は自己表現で、人と話す前にその人について知ることができる大事なアイデンティティ。同時に、いつでも脱ぐことができる、表面的なものでもある」

2人の美学はやがて融合し、既存のバンドTシャツを超えたユニークな商品ラインを開発しようと試みます。これが BERRIED ALIVE のアパレル・ラインとなっていきました。彼らがこだわるのは、”深刻になりすぎないこと”。
「僕たちがやっていることはとても深い要素を持っているけど、決して深刻に考えすぎることはない。深刻になりすぎると、どんなメッセージや音楽からも命が吸い取られてしまうと思うからね。それをうまくやっている芸術は他にもあるよ。ドラマを見ても笑える瞬間があるし、漫画を見ても絵が美しいと思う一方で笑ってしまう。
バレンシアガやモスキーノは、ファッションの世界では信じられないほどテクニカルな服でありながら、深刻になりすぎず、時には派手であることに感動するという素晴らしい例だね。派手でありたいときもあれば、ソフトでありたいときもある。それが僕たちが一番望んでいることで、結局は人々とつながりたいんだよ」
そうして今日に至るまで、BERRIED ALIVE は、ビジョンを持ち、それを追求するために努力した2人のマーケティング能力によって、自立したビジネスとなっています。彼らの成功はすべて、直感と芸術的ビジョンに基づくもの。
「レコード・レーベルを持ち、ツアーをするという伝統的な道を歩むことなく、自分たちの夢を叶えることができたのは、大きな成果だと思っているよ。僕たちが一緒にこの仕事をできるのはとても意義深いことだし、フルタイムの仕事になったのはとても特別なこと。とても感謝しているんだ」

実際、Charles がかつてのようにツアーとレコーディングで疲弊するメインストリームの音楽業界にまだいたとしたら、彼らの夢は叶わなかったでしょう。
「あのころ僕はツアー生活をしていて、いつも大事なものから離れていて、自分のベッドで寝たことがなかった。”Melon-choly” は、”スマホを見ながら、君に電話できたらいいなと思う” という一節から始まったんだけど、この曲を書いたとき、その生活の大変な部分をたくさん思い出していたんだ。
今はインターネットがあるから、内向的な人や、何らかの理由で家族と家にいなければならない人でも、アートを作ったり音楽を作ったりできる方法がある。ある意味 DIY でパンクだよね。Kaylie はヴィヴィアン・ウエストウッドが大好きなんだ (笑)。
僕もパンク・ロックがきっかけでギターを弾くようになった。そうやって楽器を愛するようになったし、ルールなんてクソくらえで、みんながやれと言うことの反対をやればいいんだと学んだ。それが BERRIED ALIVE の本質なんだ!僕たちがツアーやライブをやらないことは、ギター界の門番たちを怒らせた。でも僕たちは気にしていないし、それは何の問題にもなっていない」
結局、彼らが求めるのは好きな人たちとつながること。
「ギター世界を敵に回してもかまわないさ。僕らがレコーディングしたものをスピードアップしてるなんていう陰謀論者のいる世界なんだから (笑) 。ボブ・ディランじゃないけど “Go Where They’re Not”。年々、それが身に染みていると思う。僕はただ、歌がうまくなること、より強力な曲を書くこと、そして人々とつながることに集中するようにしている。目標のひとつは、音楽が上手になることとは関係ないレベルで、もっと多くの人とつながろうとすることだ。以前はCNCの機械工で、調剤薬局でも働いていたんだけど音楽とはまったく関係のない、信じられないほどクールな人たちによく会ったよ。音楽の趣味よりも、性格が一致する方が話したいと思うんだよな」

とはいえ、Charles はギターに対する情熱をなくしたわけではありません。
「スタイルは本当に様々。とてもアバンギャルドなんだ。頭の中にアイデアが浮かんだら、それを演奏できるようにするためにまったく新しいテクニックを編み出さなければならないこともある。ある日は超クレイジーなテクニックを駆使した曲を書き、次の日はアコースティックで伝統的な構成のシンガーソングライターの曲を演奏する。完全に自由な表現なんだよ。
ギターや音楽に何か新しいものをもたらすことは、僕にとって本当に重要なことなので、作曲や練習をするときは、今まであまり見たり聴いたりしたことのないようなものになるよう最善を尽くす。そうすることで、より多くの人に聴いてもらえるから。僕は自分の音楽にできる限りの価値を込めたいと思っている。そのためには、楽器をいじったり、練習したり、プロデュース・スキルを磨いたりすることが必要なんだ」
そして、音楽世界を改革し続けることにも熱心です。
「僕たちはエルトン・ジョンが大好きで、マーチャンダイジングをしながらよく聴いているよ。それから SPARKS!僕が彼らにインスパイアされたのは、80年代、もしかしたら70年代後半かもしれないけれど、彼らが自分でレコーディングする方法を学んだからなんだ。当時は前代未聞だった。今では誰でもできる。でも、そんな前例がなかった時代に努力を重ねたことは先進的だし、今もそれを続けているのは超クールだよ!
彼らは自分たちを改革し続けている。何年もかけて、いろんなフェーズやスタイルを作り上げてきた。Jimi Hendrix もそう。彼がギターで話すことに興味を持たせてくれた。それかOzzy Osbourne, PANTERA, BLACK SABBATH でメタルにのめり込んだ。今はあまり音楽を聴いていなくて、オーディオブックや瞑想的なものを聴いている。友人の曲がリリースされたときなどはチェックするけど、ほとんどは頭の中でクレイジーなものを作っているだけだよ!(笑)」

彼らの理想の音楽世界には、エゴも嫉妬も憂鬱もありません。
「僕たちは自分たちが世界最高のギタリストであることを証明したいわけじゃない。もし普通の仕事に戻らなくてはならなくなったとしても、僕らが作る音楽に十二分に満足しているし、お金を稼ぐためにそれを変えようとは思わないから、全然平気だよ。お金儲けのために自分たちの音楽を変えようとは思わない。
自分たちがやっていることにとてもポジティブなメッセージを持つようにしている。そしてみんなにも、自分たちがやっていることが何であれ、自分たちの芸術性や創造性だけで十分だと感じてほしいんだ。メタル世界では、ポジティブであることは一般的ではないけれど、それが僕たちの気持ちなんだよ」
では、BERRIED ALIVE にとっての “成功” とは?
「”ヒーローが友達になったとき、お前は到達したんだ “って父が言っていた。それは究極の成功だ。そもそも自分がやっていることをやりたいと思わせてくれた誰かに認められることがね。
そうしたサポートは、誰かにひどいことを言われたとしても、それを帳消しにしてくれる。最小限のストレスの中で、アートを通して自分たちを維持できることだけが望んでいたことなんだ。誰が見ているかわからないし、誰とつながるかもわからない。数年前には、こんな人生になるとは想像もしていなかったからね!」

BERRIED ALIVE Bandcamp

参考文献: CURIOSITY SHOT:Berried Alive | Feature Interview

OUTBURN:BERRIED ALIVE: In Praise