THE 30 MOST IMPRESSIVE ALBUMS OF 2024: MARUNOUCHI MUZIK MAGAZINE
1. LOWEN “DO NOT GO TO WAR WITH THE DEMONS OF MAZANDARAN”
「このアルバムは、それを聴く人々への警告なの。戦争には絶対に勝者などいないし、戦争で利益を得る人間が最大の悪党となる。私はいつも、ウィリアム・ブレイクのような予言的人物に魅了されてきた。彼らは詩や芸術を使って、近未来の可能性について人々に警告を発している。このアルバムが歴史を変えることはないとわかっているけど、私たちの周りで起こっていることの愚かさを鮮やかな色彩で浮き彫りにせざるを得ないと感じている自分がいるのよ」
これほど、メタルの寛容さと回復力、そして多様性を象徴した作品はないでしょう。明らかに、世界は多くの人の意思に反して “勝手に”、暴力と強欲の時代に進んでいます。”声” を上げなければより大きな怒声に引っ張られる。そんな感覚を覚える恐怖の時代に、メタルの情熱、優しさ、包容力以上に信頼できるものがあるでしょうか。イラン革命の亡命者の血を引く Nina Saeidi は、イスラム世界で虐げられる女性であり、ヘヴィ・メタルと自由の信奉者。だからこそ、”声” をあげます。
このアルバムは戦争をけしかける愚かなる王、支配者、権力者たちへの芸術的な反抗であり、英雄に引っ張られる市民たちへの警告でもあります。いつの時代においても、戦争に真の勝者はなく、そこにはただ抑圧や痛みから利益を貪るものが存在するのみ。ただし、彼女には、そうした考えに至る正当な理由がありました。
「中東の最近の歴史は、100年以上にわたる不安定化と植民地化によって、悲劇的で心が痛むものになってしまった。今のイラン政府はイランの人々や文化を代表するものではなく、芸術の弾圧や女性への抑圧はイラン文化のすべてに反するものだと思っているわ。私たちの文化は、独裁政権以前の何千年もの間、女性と芸術を祝福してきたのだから」
Nina にとって、現在のイランのあり方、独裁と芸術や女性に対する抑圧は、本来イランやペルシャが培ってきた文化とは遠く離れたもの。本来、女性や芸術は祝福されるべき場所。そんな Nina の祖国に対する強い想いは、モダン・メタルの多様性と結びついてこのアルバムを超越的な輝きへと導きました。
何よりその音楽的ルーツは、彼女の祖先の土地に今も深く刻み込まれていて、ゴージャスで飛翔するような魅惑的な歌唱は、パートナーのセム・ルーカスの重戦車なリフの間を飛び回り、大渦の周りに蜃気楼を織り成していきます。”クリーン” な歌声が、これほどまでにヘヴィな音楽と一体化するのは珍しく、また、奈落の底への冒険をエキゾチシズムと知性で表現しているのも実に神秘的で魅力的。多くのメタル・バンドがアラブ世界のメロディを駆使してきましたが、LOWEN のプログレッシブ・ドゥームほど “本物” で、真摯に古代と今をまたにかけるバンドは他にいないでしょう。そして、この荒廃した時代に、荒廃した時代だからこそ、メタルは彼女たちを旗手として、芳醇なメロディや鍵盤の復権へと進むのです。
2. BLOOD INCANTATION “ABSOLUTE ELSEWHERE”
「”Absolute Elsewhere” のサウンドは断固としてブルータルで、これまでのどの作品よりも飛躍的にテクニカルでプログレッシブだ。ただ、その過激さとは裏腹に、よりメロディアスでキャッチーで親しみやすい。この巨大で残酷なものの泥沼の中で、キャッチーな部分があればそれでいい。BLOOD INCANTATION の影響範囲は常に外に向かっているのだから。だから、僕たちが最初の範囲から外れたのものから学び始めることは避けられないし、常にそれらを大きな血の呪文のピラミッドに組み込んでいくんだよ」
“Absolute Elsewhere” の核心には、BLOOD INCANTATION の核心と同じように二律背反が存在します。一見、このアルバムは近寄りがたく、謎めいた作品でしょう。曲は2曲だけで、両者とも3つの楽章に分かれており、そのそれぞれが20分を超えています。そして BLOOD INCANTATION の過去のどのリリースよりも、デスメタルの攻撃性にクラウト・ロック、ダーク・アンビエント、70年代プログからの大胆なアイデアを加えており、作品の最も密度の高い部分では、アイデアからアイデアへと奔放に自由気ままに飛躍していきます。
その一方で、ギター・パートは、エクストリームであっても豊かなメロディーを奏で、かつてはミックスの奥深くに埋もれていた Paul Riedl のボーカルは鮮明。そのフレージングとアーティキュレーションを重視した彼の歌は、間違いなく BLOOD INCANTATRON 史上初めて、キャッチーを極めています。さらに Riedl はクリーン・ボーカルを多く披露もしています。そして広がる鍵盤の海。つまり、”Hidden History” が、ほとんど偶然に広く一般的なファン層を見出したとすれば、”Absolute Elsewhere” は、より多くの人々に届く態勢をしっかりと整えているのです。コズミックな旋律と鍵盤で、人の欲では届かない宇宙の壮大を伝えるために。
「多くの人が、”私はメタルをまったく聴かないのに、このレコードはなぜか聴いてしまう” と言うんだ」
3. MOISSON LIVIDE “SENT EMPERI GASCON”
MOISSON LIVIDEの音楽は、ブラックメタルやヘヴィ・メタル、さらにはパワー・メタルを基調としながら、伝統的な中世の楽器やフォーク的な部分も持ち込んだ実に多様な農夫のメタル。
「”We don’t care” はアルバムの雰囲気をよく表しているね(笑)。私を突き動かしている哲学であることは間違いない。反商業的な精神が大好きなんだ。自分たちの好きなことをやって、誰がそれを好きなのか見る。既成のジャンルの基準に100%固執して自分たちを芸術的に制限することは考えられないし、それは無意味だからだ。きれいなコーラスを思いつくたびに、私はこの言葉を口にしてきた。誰が気にするんだ?!ってね。ブラック・メタル純血主義者に嫌われる?ああ、でも私は気にしない!」
Lavenne が恐ろしいのは、農家であることをメタルに活用しているところでしょう。まさに農家とメタルの二刀流。
「私は頭を使ってよく書く。本当にほとんど楽曲は頭で書いている。アイデアは何の前触れもなく浮かんでくるので、ボイスレコーダーアプリを取り出し、赤いボタンを押してラララと歌う。夕方家に帰ると、自分が書いたものを聴いて、アコースティックギターかピアノでコードを練る。ほとんどすべて仕事中に書いている。私はワイン生産者なので、多くの時間をブドウ畑で手作業に費やしている。ブドウの木は1本1本違うが、やるべきことを覚えたら、他のすべてのブドウの木で同じ作業を繰り返す。これを疎外感と捉える人もいるかもしれないが、私は脳の時間を解放する素晴らしい機会だと考えている。
数年のノウハウとブドウ畑の知識があれば、ある種の自動操縦モードに入ることもある。楽器を手にして座り、何か書かなければと自分に言い聞かせることは、本当にめったにない。だから同時に2つのことができる。そのおかげで膨大な時間を節約できる。さまざまな影響について話を戻すと、このようにたくさんの曲をミックスするときに一番難しいのは、”コラージュ” 的な嫌味を出さずに、すべての曲を調和させる一貫性、共通の糸を保つことだ。
だから私は、長尺にもかかわらずかなりシンプルな構成に特に注意を払っている。フック、節、繰り返されるテーマ、コーラス……私はビッグなコーラスが大好きなんだ!パワー・メタル派は、メタルにあまりにも深い足跡を残しすぎた!ありがとう、トビアス・サメット!」
歌詞はガスコーニュ地方の昔話、寓話と現代の出来事に対する批判、さらには未来的な推測の間で揺れ動きます。
「いつもメロディーが先に作られる。それからコード。歌詞はその連鎖の最後のリンクにすぎない。実際、デモを作るときは、曲を完成させるために、何でも歌ったり、思いつきで書いたりすることがよくあるんだ。本当の歌詞は、曲がアルバムの選考段階を通過してから、後で書く。これが一番難しい作業で、なかなか進まないこともある。それでも、美しく、よく書かれた文章を最終的に完成させるのはとても満足感がある……少なくとも形としてはね、内容がくだらないこともあるから(笑)。
ただ、テーマを最初に思いつくということはよくあるんだ。それが曲の内容に大きく影響する。実際、最も非定型的な作曲はそうやって生まれることが多い。主題に変化をつけるのに役立つからだ。また、あらかじめテーマがあると、イメージを思い浮かべることができ、とても刺激になる。最終的には、それをメモに書き写すだけ」
これだけ潤沢なメロディが、田舎と農家の反抗精神、個性的なアイデアから生まれる。これもまた、実にヘヴィ・メタルなのです。
4. OPETH “THE LAST WILL AND TESTAMENT”
「僕の見方では、OPETH の曲は陰と陽のようなものなんだ。とてもアグレッシブなパートと、よりメランコリックなパートが出会って、一方が他方のパートを糧にする。これはレコーディングの方法でどのように演奏し、どのようなサウンドを使うかによって、音楽にそうした極端な変化を生み出すことができるんだ。
ヘヴィなものから森のような夢のようなサウンドスケープまで。それは “Orchid” 以来、OPETH の一部になっているものだと思う。しかし、それは常に発展し、様々な方法で行われてきたんだよ」
ヘヴィでアグレッシヴなパッセージと、幽玄でメランコリックな瞬間がぶつかり合う OPETH の特徴的なサウンドは、グロウルが復活したこのアルバムの中核をなしています。この両極端の間の複雑なバランスは、バンドが長年かけて習得してきたもので、彼らはアイデンティティを失うことなく、幅広いサウンドパレットを探求できるようになりました。
「私たちが目指しているのは完璧さではない。バーチャルの楽器を本物の楽器に置き換えるとき、欠点を探すのではなく、人間的な面を探している。不完全さの中にこそ人間性がある。それはデモにはないものだ。私のデモを聴けば、クソ完璧だ。私は、繰り返しになるが、人間的なサウンドの擁護者なのだ。完璧は私にとっては正しい音ではないんだ。完璧なテンプレートがあるのはいいことだけど、それをレコーディングするときにちょっと失敗して、最終的に人間的なサウンドのレコードになるんだ」
旋律と鍵盤の海を取り戻すヘヴィ・メタルにおいて、もうひとつ必要なのはきっと人間味。ちょっとしたミスや個性を容認し味わうこと。Yes か No に割り切れる完璧な音楽世界は、きっと今の世に似て脆くて危険すぎるから。
「かつて Gary Moore が言ったように、”あなたが弾くすべての音色は、人生で最後に弾く音色のようであるべきだ”。そういうメンタリティなんだ。人生を当たり前だと思ってはいけない。常にベストを尽くしたいと思うだろう。それがいいモデルだと思うし、できればそれ以上になりたい。ちょっと野心的に聞こえるかもしれないけど、ある意味、少なくとも僕が目指していたのはそういうことなんだ。みんながどう思うかはこれからだけど、かなりいい出来だと思うよ」
5. BEDSORE “DREAMING THE STRIFE OF LOVE”
「”Karn Evil 9″ 以上にメタルなものがあるだろうか?そして H.R. ギーガーによるジャケット・アートも!組曲タルカスはなぜ、実際にはメタルでないのに、どうしてあんなにヘヴィで重厚に聴こえるのだろう?通常のメタルの定型に従った要素でなくても、何かが迫ってくるような雰囲気感を出すことができるんだ!」
YES, PINK FLOYD, KING CRIMSON, それに RUSH といったプログレッシブ・ロックから影響を受けたメタル・バンドは少なくありません。プログ・メタルという “プログレ” の系譜を受け継ぐジャンル以外でも、メタルはプログの恩恵を常に受けてきました。ただし、メタル世界で EMERSON LAKE & PALMER の名前が挙がることは、他の偉人と比べれば明らかに少なく思えます。それは当然、メタルの花形であるギターがそこにほとんどなかったから。
しかし、音楽そのものを考えれば、ELPこそメタルに最も親和性があるのではないでしょうか? “Karn Evil 9” や “Tarkus” の暗がり、重厚さ、そして圧倒的な迫力はまさにヘヴィ・メタルが目指す場所。一方で、”The Endless Enigma” や “Pirates” で見せた壮大なキャッチーさもまた、メタルが育んできたジャンルの魂。BEDSORE は、ELP と70年代のプログ、ダーク・メタル、旋律と鍵盤、そして母国イタリアへ “心からの愛を込めたファンファーレ” を贈るメタルの新鋭です。
「1970年代にはジャズ、フォーク・ロック、クラシック音楽が融合していたプログレッシブという考え方が、20世紀後半におけるこのジャンルの進化を通じて、半世紀後にエクストリーム・メタルと自然に融合するようになるとは誰が想像できただろうか。しかも、それは可能な限り有機的な方法で起こった。それこそが、僕らがプログが死なないと言った素晴らしい証明なんだよ」
OPETH が、BLOOD INCANTATION が、そして BEDSORE がメタルとプログを自然に融合させた事実こそ、”プログレ” が死なない理由。プログレが今も “プログレッシブ” である証明。そう彼らは信じています。彼らが願うのは、伝統と未来の有機的な融合。実際、その機運は BLOOD INCANTATION の大成功により、完璧に満ちました。
6. MIRAR “MARE”
「”Thall” とはトーンであり、アンビエンスであり、君がそうとりたいならジャンルでもある。僕が MIRAR でやっていることは全て VILDHJARTA と HLB にインスパイアされているんだ」
メタルはリズムの面白さも、さらに探求を進めています。Thall とは何なのか?Thall とは魂であり、ユーモアであり、重力であり、アトモスフィア。Thall の解釈は千差万別、人それぞれでしょうが、いつしかこの魔法の言葉は Djent の宇宙を超えた超自然的ジャンルを形成するようになりました。もちろん、その根源にして黎明は Thall 生みの親である VILDHJARTA。その分家である HUMANITY’S LAST BREATH も含まれるはずです。そして、彼らの音楽に心酔し、バンドを始めたフランス&ノルウェーの混合軍 MIRAR もまた、間違いなく “Thall” なのです。
「”Thall” は Calle Thomer と Daniel Adel のゲームに過ぎないんだ。山の中でも、夜でも、水辺でも、嵐の中でも。まるで魅惑の世界を探検しているような気分だった。彼らのギターの音は、まるで生き物のようで、魔女のようで、僕には小さな妖精に取り憑かれた風景や森が見えた。分析的なアプローチを超えて、ただ夢中になることができた。僕は “Thousand of Evils” の続編を作曲したいと思うほど夢中になったよ。特に彼らが何年も行方不明になっているときはね。
彼らのスタイルで作曲したいと思ったのは、彼らが音楽をリリースしていないことが悔しかったからだ。僕のパソコンには VILDHJARTA 風のリフが何十曲も入っていて、個性がなくてもいいから彼らのサウンドを真似しようと何年も費やしたんだ。だから、VILDHJARTA には感謝しているよ! 」
どうやら、MIRAR にとって Thall とは、MESHUGGAH→Djent→Thall という進化系統ではなく、MESHUGGAH→Djent、MESHUGGAH→Thall という考えのようです。そして、その MIRAR が提唱する Thall の進化論は彼ら自身の音楽によって証明されました。
MIRAR は敬愛する VILDHJARTA と同様、無機質なポリリズムの海に風景を持ち込みました。000 の重低音に感情を持ち込みました。それはさながら、暗い北欧の森に住む怪しい魔女の見せる幻影。魔法。怪異。
「高校卒業後は音楽学を学び、偉大な作曲家を発見した。最初によく聴いたのはルネサンスのポリフォニー(オッケム、トマス・タリス、ジョスカン・デ・プレ、マショー、パレストリーナなど)と中世の歌曲だ。一方で、ダブやダブステップのコンサートも見に行く。
それから、ヘンリー・パーセル、バッハ、ヴィヴァルディ、ラモー、クープラン、リュリ、そして全く違うスタイルではラフマニノフに没頭した。彼らは今でも僕のお気に入りの音楽家たちだ。
なぜかわからないが、僕はクラシックの時代にはあまり敏感ではない。でも、アーノルド・シェーンベルクやリゲティのような現代の音楽家は本当に好きだ」
そう、MIRAR は彼らがアートワークとして使用したカラヴァッジョの絵画のように、飽和した Djent のステレオタイプを断罪していきます。ここには、ルネサンスがあり、現代音楽があり、ジャズがあり、ダブステップがあります。そして何より、彼らのリフは Thall 発祥の由来となった World of Warcraft に巣食う夜のエルフのように悲しく、トロールのように畏怖めいていて、もちろん人狼のように雄々しく、アンデットのように怪しく蠢きます。そのピッチシフトは生命の証。彼らのリフ、彼らの音楽にはうねりがあり、胎動があり、命が込められているのです。
7. DEFILED “HORROR BEYOND HORROR”
「情報過多の中、限られた時間で好みの音楽を選別する慣習ができ、最初の30秒でジャッジされる軽薄な時代になったという憂いはあります。何度も聴かないと良さがわからない音楽、最初の30秒では把握できない音楽の中にも優れた音楽は沢山あります。それらがスキップされる時代になるのは音楽文化の退行にすらつながると思います。それは寂しい話です」
ストリーミング、SNS、切り抜き動画が溢れるインスタントな時代において、だからこそ DEFILED の音楽と哲学はギラリと異彩を放っています。”最初の30秒では把握できない音楽”。それはまさに DEFILED の作品のこと。
DEFILED の音楽はさながら、モナコGPのように知性とスリルと驚きを兼ね備えています。時速300キロのストレートから40キロのシケインへと減速し、曲がりくねったコースを闘牛士のように絶妙にいなし、シフト・チェンジを重ねながら前へ前へと突進を続ける。
もちろん、楽曲の中でストップ&ゴーを駆使するバンドは少なくありませんが、彼らのようにオフ・キルター (意図的にズラした) なリズムで混乱と好奇心を誘いつつ、フレーズやパッセージの端々で巧みにスピードをコントロールできるバンドは他にいないでしょう。そこはまるでランダムに見えて精巧な設計図のあるフリージャズの世界。そしてそのカタルシスは当然、何度も何度も聴き込まなければ得ることのできない失われたアークです。だからこそ、尊い。
「デスメタルというジャンルも勃興からすでに30年以上の歳月が経ちジャンル内における歌詞表現、世界観の幅も多様化し広がった感はあるかもしれません。音楽性だけでなく歌詞もいろんなアングルからの表現があるのはデスメタルというジャンルの発展によい事ではないでしょうか。ハードコアやクロスオーバー・スラッシュでは社会的問題などを直接的に歌うバンドも多く、それらのファンだった私にはそういう歌詞を自身のバンドに取り込む事に抵抗感はありませんでした」
その音楽同様、DEFILED の哲学や扱うテーマもジャンルのステレオタイプに安住することはありません。”Horror Beyond Horror”、”ホラーを超えたホラー”、そう題されたアルバムで彼らは、デスメタルの主要テーマであるホラー以上に恐怖を誘う、現代社会や世界の暗い状況を的確に描写しています。
8. SAIDAN “VISUAL KILL: THE BLOSSOMING OF PSYCHOTIC DEPRAVITY”
「このアルバムは、僕らのファースト・アルバム以来、最もJ-Rockの影響を受けたリフを持っているかもしれないね。ちょうど X JAPAN, L’arc-en-Ciel, Versailles, その他多くのヴィジュアル系バンドをよく聴いていて、それがアルバム・タイトルにもインスピレーションを与えたんだ。でも、BALZAC や Hi-STANDARD のような日本のパンク・バンドも、このアルバムの多くの部分に影響を与えているよ」
SAIDAN は、その名の通りプリミティブなブラック・メタルの祭壇に、日本の音楽やアートの生け贄を捧げ、メロディックな恐怖と狂気を錬金する米国の司祭。まさにスタイルを創造し、カテゴライズを無視し、規範からの逸脱を掲げる21世紀のブラック・メタルを象徴するような存在でしょう。
実際、彼らの創造物が発散する波動にステレオタイプなものは何もなく、ブラック・メタルの新たなオルタナティヴの形として唯一無二の呪怨を放っています。このアルバムには、ドメスティックでメロディックな J-Rock の純粋が、嘔吐を誘うような害虫スプラッターに染まる瞬間が克明に映し出されています。言いかえれば、”生の” ブラック・メタルが “生” でなくなる前に、どれほどメロディックになれるのか?そんな命題に “Visual Kill: The Blossoming of Psychotic Depravity” は挑戦しているのです。
「アートワークを丸尾末広に似たようなスタイルにすることが目標だったんだ。僕の大好きなバンド BALZAC の初期のアルバムに丸尾末広のアートが使われていて、それがすごく印象的で、ああいうのが欲しかったんだよね」
“見てはいけないもの” ほど人の関心をかうのは世の常でしょう。それはアートにおいても同じ。そして、純粋無垢が穢れる、悪意に染まる、発狂する瞬間ほど、”見てはいけないもの” やタブーとなりやすいものは他にないのかもしれませんね。丸尾末広のアートはまさにそんな瞬間をまざまざと描いていました。だからこそ、旋律美に蟲が沸き、血が滴る SAIDAN の音楽に、彼をオマージュしたアートワークは必要不可欠だったのです。
「”SICK ABDUCTED PURITY” という曲は、古田順子さんが殺害された事件 (1989年に足立区で起こった女子高生コンクリート詰め殺人事件) を題材に書いたもの。その事件を初めて知ったとき、僕は本当に心が傷つき、大きな悲しみを覚えたんだ…そしてずっとあの事件について書きたかった。もし歌にするのであれば、ある種の敬意を表しつつも、彼女に起こったことから逃げないようにしたいと思ったんだ」
そんな SAIDAN にとって、最も “見てはいけないもの” のひとつが、日本の足立区で起こった悍ましき “女子高生コンクリート詰め殺人事件” でした。人間はこれほどまでに獣になれるのか。そもそもは純粋だったはずの若者たちが、狂気と悪意に突き動かされ残酷残忍を極めたこの事件から、彼らは目を背けることができませんでした。
9. AZURE “FYM”
「物語や音楽、芸術、文化のない世界は実に退屈だろう。僕たちがやっていることは単なるエンターテインメントかもしれないけど、喜びや美的体験には価値があるし、プログレッシブ・ミュージックやパワー・メタルが持つ力、現実からの逃避力と回復力はとても意味がある。利益のため、AIの助けを借りて芸術という名の心なきまがいものが冷笑的に生み出される世界では、本物の人間による創造性と魂がさらに必要とされているんだ」
みなさんはメタルやプログレッシブ・ミュージックに何を求めるでしょうか?驚速のカタルシス、重さの極限、麻薬のようなメロディー、複雑怪奇な楽曲、華麗なテクニック、ファンタジックなストーリー…きっとそれは百人百様、十人十色、リスナーの数だけ理想のメタルが存在するに違いありません。
ただし、パンデミック、戦争、分断といった暗澹たる20年代において、これまで以上にヘヴィ・メタルの“偉大な逃避場所”としての役割が注目され、必要とされているのはたしかです。暗い現実から目をそらし、束の間のメタル・ファンタジーに没頭する。そうしてほんの一握りの勇気やモチベーション、”回復力”を得る。これだけ寛容で優しい“異世界”の音楽は、他に存在しないのですから。そして、英国の超新星AZUREは、その2020年代のメタルとプログレッシブ・ミュージックのあり方を完璧に体現するバンドです。
「自分たちを“アドベンチャー・ロック”、”アート・ロック”、”ファンタジー・プログ”と呼ぶこともあるし、友人たちから“フェアリー・プログ”と呼ばれることもある。全て良い感じだよ! 僕たちは冒険に行くための音楽を作っている。そこにはたくさんの魔法が関わっているし、それでも現代的で個人的な内容もあるんだよね」
ヴァイやペトルーシも真っ青の驚嘆のギター・ワーク、デッキンソンとクラウディオ・サンチェスの中道を行く表情豊かなボーカル、チック・コリアを思わせる綿密な楽曲構成、そして大量のポップなメロディーと豊かなシンセが組み合わされ、彼らの冒険的で幻想的なプログ・メタルは完成します。まさに冒険を聴く体験。
AZUREの音のアドベンチャーは、まるで日本のRPGゲームさながらの魅力的なプロットで、リスナーの好奇心をくすぐり、ファンタジー世界へと誘います。それもそのはず。彼らのインスピレーション、その源には日本の文化が深く根づいているのですから。
「このアルバムの最初のコンセプトは、”ダンジョン・クローリングRPG”をアルバムにしたものだった。そこからコンセプトが進んでいったのは明らかだけど、僕らが幼少期にプレイした日本のRPGゲームは、このアルバムの音楽構成や美学に大きな影響を与えている」
10. ZEMETH “MIREN”
「こんな闇鍋みたいなアルバムがあってもいいんじゃないかという気持ちで “Miren” を仕上げまして、本当にメタルを自称していいのか…?と疑問に思うような曲もありつつ、これも新時代のメタルとして世間に受け入れて頂きたい気持ちもあります。個人的に何を持って”メタル”とするのかはジャンルよりもマインドの方が大切だと思っております。演歌をメタルという人も居るわけですし、メタルとは非常に深い概念だと思いますね」
何をもって “メタル” とするか。それはもしかしたら、フェルマーの定理を解き明かすよりも難解な問いかもしれません。しかし少なくとも、メタルに対する愛情、情熱、そして知識を持つものならば、誰でもその定理へとたどり着くための挑戦権を得られるはずです。北海道を拠点とする JUNYA は、まるでピタゴラスのようにその3平方を自在に操り、メタルの定理を新時代へと誘います。
「閉鎖的なコミュニティで”わかってる”音楽を披露するのも楽しいかもしれませんが、とにかく誰でもいいから僕の音楽が届いて欲しいという思いが一番強いです。ライブの感動や音楽を通した人の温かみを知らずに北海道の辺境で生きてきた自分が初めて音楽に目覚めてイヤホンやスピーカーを通して感じた感動を誰かにもZemethで味わってほしいと思っています。メロディが持つ力というものは自分の中で何事にも代え難いものなので、それを皆様にも体感して頂く為にもこれからもメタルというマインドを携え色々な挑戦をしていきたいと思っております」
JUNYA がメタルの定理を新たな領域へと誘うのは、ひとりでも多くのリスナーに自分の魂ともいえる音楽を届けたいから。何もない僻地で暮らしてきた彼にとって、音楽の神秘と驚異はイヤホンとスピーカーからのみもたらされたもの。しかし、だからこそ、JUNYA はその冷たい機械を介して音楽がどれほどの感動や温もりを届けられるのか、孤独の隙間を埋められるのかを骨身に沁みて知っています。
もはや、ZEMETH の音楽を聴くために “メタル” の門を開ける必要はありません。メロディに酔いしれていたら、それがメタルだった。そんな感覚で世界は ZEMETH の虜になっていくでしょう。
「メタルが無いっていうのはメタラーとしてどうなんだとは思いますが、Falcom、村下孝蔵、ZABADAKが僕の中の3大人生を変えたアーティストなんです。やっぱり世の中のアーティストはもっと音楽の話をするべきだと思いました。ルーツや影響を提示してこそ、その人の音楽の真意が見えるのだと思います。だって自撮りとか音楽関係無い自分語りばっか上げて音楽の話をしないアーティストって中身が見えなくて何考えてるかまるでわからない!僕は自分が生んだ楽曲が生まれた過程は大公開したいですし、僕自身の人となりよりも音楽的な部分を楽しんでほしいです」
10. VIOLET ETERNAL “RELOAD THE VIOLET”
「自分も満足出来て尚且つファンの人が喜んでくれるであろう夢のような音楽を作り続ける為に人脈を広げていく努力は惜しみなくしていますが、なによりも人間関係に恵まれたという部分が大きいと思います」
かつて、日本のメタル・アーティストが、海外のプレイヤーと共闘することはほとんどありませんでした。それは、言葉の壁、文化の壁、そして文字通り “海” という壁が大きく立ちはだかっていたから。もちろん、だからこそ日本のメタルは独特の “味” を持つようになったといわれる一方で、世界で認知されるには少しばかりドメスティックになりすぎたのかもしれませんね。
やはり、歴史を変えるのは若い力です。聳り立つ壁の数々を、ギタリスト Jien Takahashi はいとも簡単に薙ぎ倒していきます。Timo Tolkki に見出され、MAJUSTICE で颯爽とシーンに登場した Jien は、Kaz Nakamura, Kotaro Tanaka, Kelly SIMONZ という日本の百戦錬磨と共に、海外の烈士たち、Iuri Sanson, Ralf Scheepers, Vitalij Kuprij を従えていました。その姿はさながらメタル世界の坂本龍馬。インターネットという新たな海を自在に泳ぎ、Jien は信頼できる仲間を世界中で見つけました。
まさにメタルの生命力、感染力、そして包容力。彼にとって、国籍、人種、文化、性別は一切壁にはなり得ません。重要なのは、自らの才能を具現化できるパーティ。そして、その力を余すことなく使い切って、リスナーに極上の個性的なパワー・メタルを届けること。
「トルキとはかなりコンスタントに連絡を取るようになり、STRATOVARIUS 時代の楽曲をどのように作り上げたかなど色んなことを教えて頂けました。そして彼から独自の作曲方法を伝授されてからは一貫して彼の方法論を踏襲しています。しかし、それはあくまで方法論に過ぎず彼から学んだ最も大切な事は”個性的であれ”という事です。このジャンルに於いて”独創的”でいる事は難儀ですが、個性的であることを大切にしてこれからも精進していきます」
パワー・メタルはたしかにステレオタイプになりがちなジャンルで、飽和と定型化が衰退を招いたこともありました。しかし近年、TWILIGHT FORCE や GLORYHAMMER, FELLOWSHIP, IMMORTAL GUARDIAN といった若い力は、振り切った個性とテクニックで再びこのジャンルに活力を取り戻しています。Jien の新たな冒険となる VIOLET ETERNAL もそうしたバンドのひとつでしょう。
「村下孝蔵さんや弘田三枝子さんのような歌謡界のレジェンドから、私立恵比寿中学やアンジェルムのようなアイドル音楽など幅広く日本のポピュラーミュージックを愛しています。
太鼓の達人でお馴染みのナムコオリジナルやロマンシング・サガシリーズの楽曲を手がける伊藤賢治さんの作る音楽も大好きです。ヨーロッパっぽいメロディも大好きなのですが、ぼくは日本的なメロディで曲を作っていくのが楽しいしその点に生き甲斐を覚えています」
思い返してみれば、かつてパワー・メタルの銀河帝国を築き上げた綺羅星たちには、それぞれのユニーク・スキルが備わっていました。VIOLET ETERNAL のそのスキルはおそらく、欧州と日本の融合。実に耽美的でヨーロピアンでありながら、戦隊もの、アニメの主題歌、J-Rock で慣れ親しんだ日本的なコード進行や勇壮な旋律が五感を刺激するカタルシス。バンドのアンセムである “Under the Violet Sun” は、後半の転調を含めてまさしくその象徴でしょう。平坦になりがちな海外のパワー・メタルに比べて、VIOLET ETERNAL の楽曲はコード進行や転調の魔法が実に鮮やか。
DERDIAN の盟友 Ivan Giannini をはじめとした海外のパワーと、GALNERYUS の YUHKI をはじめとする繊細な日本のメタルが交わる様もまさに Jien が理想とするパワー&メタルの有り様。リスナーはただ、タクトを振るいながら美技を連発する Jien の紫に踊らされればよいのです。
12. ARKA’N ASRAFOKOR “DZIKKUH”
「メタルはもともとアフリカのものだ。だからこそインスピレーションをブレンドしやすい。アフリカのメタルは、長い海を越えて帰ってきた放蕩息子を迎えるようなものなんだ」
彼の主張を理解するには、祖先が遠く離れた土地に無理やり連れ去られたという歴史を思い返す必要があります。
「西アフリカ人が奴隷として米国に連れて行かれ、その子孫がブルースを発明し、それがロックに進化し、さらにそれがメタルに進化した。そう考えれば、たしかにメタルはそもそもアフリカのものだろ?」
その誇りは音楽にもあらわれています。
「私たちの音楽は、アフリカで接ぎ木したヨーロッパのメタルではない。私たちは地元の言葉であるエウェ語を話すので、人々は私たちが歌うことの精神的な意味を理解できるからね。私たちが演奏するリズムも純粋なヨーロッパ的なものではなく、アフリカの人々はそれに共感する。ときどき村の人に我々の音楽を聴かせると、故郷のいい音楽だと言ってくれる。私たちのやっていることは、ある種ユニークで、ポップな傾向に縛られていないから、聴衆は年齢層で分けられることもない。誰でも聴くことができる」
サハラ砂漠以南のメタルのアイデンティティを描いた著書 “Scream for me, Africa” で、アメリカ人作家のエドワード・バンチスが彼らを主役に抜擢します。ハック誌のインタビューで、アフリカの荒々しいサウンドを聴き始めるのに理想的なバンドについて尋ねられたとき、バンチスは躊躇しませんでした。
「Arka’n Asrafokor の音楽はクレイジーだ。聴く者を別世界に誘う。今まで誰も聴いたことのないものを聴くには、気合いが必要なんだ」
ボツワナの SKINFLINT のような他のアフリカン・メタル・バンドも、アフリカ大陸の音の遺産に敬意を表しているのはたしかです。
「アフリカのメタルは今やそれほど珍しいものではなくなった。ケニア、ガーナ、ナイジェリア、南アフリカ、ボツワナ、ウガンダ、アンゴラ……から推薦できるバンドはたくさんある。アフリカのデスメタルシーンの守護者であるボツワナの OVERTHUST と WRUST, OverthrustとWrust、ボツワナのヘヴィ・メタル SKINFLINT。ケニアの SEEDS OF DATURA や LAST YEAR TRAGEDY, 素晴らしき DIVIDING THE ELEMENTS, そしてもちろんチュニジアの MYRATH は最も世界的に知られたアフリカン・メタル・バンドのひとつだね。我々は皆、”訛りのあるメタル” をやっているし、そうあるべきなんだ」
メタルの種子と感染力、包容力は、ついにアフリカへと到達し、芽吹いたのです。
13. DIAMOND CONSTRUCT “ANGEL KILLER ZERO”
「KORN や LINKIN PARK のようなバンドは、当時の新しいものをうまく融合させていた。だからこそ、僕たちは Nu-metal というジャンルが本当にユニークなものであることを常に尊敬してきたんだ。僕たちは、ああいうことを今の現代的なやり方でやりたいんだ。誰かが僕らの音楽を聴いたときに、”あれは DIAMOND CONSTRUCT だ!”と言ってもらえるような、新しくてすぐ認識できるものを作りたいんだよ」
CODE ORANGE, VEIN, SPIRITBOX, LOATHE, VENDED, TETRARCH といった新鋭の登場、 MADVAYNE や SATAIC-X の復活、そして SLIPKNOT や KORN, DEFTONES の奮闘によって Nu-metal は再びメタルのトレンドへと返り咲いてきました。興味深いのは、あの奇妙で雑多な電子的重量感が、近年メタルの原動力となった “ノイズ” と絶妙な核融合を起こしていることでしょう。オーストラリアの DIAMOND CONSTRUCT は、そのノイズと Nu-metal の核融合を使って、メタルコアの原石をダイヤモンドの輝きへと磨き上げました。
「メタルコアというジャンルが非常に規則的で、特定のサウンドやリフの書き方があるせいで門戸が閉ざされているようだということには、僕たちもまったく同意見だよ。だからこそ、僕たちは常にオリジナリティを大切にしてきた。DIAMOND CONSTRUCT を他の誰かのように聴かせたくない。だから、他のバンドが残してくれたサウンドから影響を受けつつも、自らのサウンドを拡大させようとベストを尽くしているんだ」
実際、DIAMOND CONSTRUCT は、ヘヴィ・ミュージックの暗闇に多様でエレクトロニックな光の華を咲かせることに成功しています。それは、メタルコアという箱の鍵を解き放ち、”ニュー・メタルコア” の潮流を押し進めることにもつながりました。だからこそ彼らは、SPIRITBOX, THOUSAND BELOW, そして HARPER といった印象的なバンドを擁するあの Pale Chord における最初のオーストラリア人ロースターとなることに成功したのです。
そして、EMMURE, ALPHA WOLF, DEALER を源流とし、DIAMOND CONSTRUCT や DARKO US を巻きこんで大きな津波へと成長したその波は、日本にまで到達して PALEDUSK, PROMPTS のようなバンドが海を渡る力にもなったのです。
「Braden はとてもユニークな人だ。時代の流れに逆らうのが好きで、期待されることをするのが嫌いなんだ。Wes Borland, Josh Travis, Jason Richardson のようなギタリストへの愛が、彼をペダル・ダンスというニッチなテクニックを見つけるまでに成長させたんだ。彼は、自分が最もシュレッディでテクニカルなギタリストではないかもしれないことを知っているからこそ、他の多くの人ができないことをやっているんだ。僕たちは、全員がギターという楽器の限界を押し広げるのが好きなんだ」
そんなトレンドを “開拓” した彼らが世界から注目を集めた一因が、ギタリスト Braden Groundwater の “ペダル・ダンス” でした。シュレッドとテクニックが溢れるインターネットの世界で、DIAMOND CONSTRUCT は楽器の扱いにおいても常識にとらわれず、ノイズと色彩の新たな潮流を生み出していきます。Braden は驚異的スピードや奇抜なテクニック以外にも、ギターには様々な可能性があることをペダルのタップダンスで巧みに証明していきました。白には200色ありますが、Braden のサウンドはきっとそれ以上に万華鏡の可能性を秘めています。
「アニメやゲームが持つオーラといかにマッチしているかということに、多くの共通点やつながりがあることに気づいたんだ。個人的な成長や失恋、恋愛、グループとの境界を乗り越える物語。それがこのアルバムのテーマだ。ファイナル・ファンタジーのようなゲームがもたらすストーリーに似ているよね。だからそれと連動させるために、ゲームから抜粋した声でインタールードを書いたんだ。僕たちが作った音楽とテーマにマッチしたビジュアルを表現することは、すべて理にかなっていたんだ」
14. UNDEATH “MORE INSANE”
「僕たちは非常にグロテスクでタブーなことを歌っているけど、皮肉混じりで、ユーモアがあり、舌を巻くような態度でそのテーマを扱おうととしているのさ」
アンデッドの進撃、悪魔のような賞金稼ぎ、殺人、恐ろしく失敗した倒錯的な人体実験、血の涙を流して泣き叫ぶ死者、そして殺人(再び)。ドラマーの Matt Browning の手による狂気のジャケット・アートを抱いた狂気より狂気な “More Insane” で、UNDEATH が “Lesions Of A Different Kind” で始めたグロテスクな3部作は終わりを告げます。
「”More Insane” のアートワークはタイトル曲の歌詞にインスパイアされたもので、サビに “My head/a catacomb” “俺の頭はカタコンベ” という一節があるんだ。ANTHRAX の “Fistful of Metal” は、かなり強烈で明らかなインスピレーションだよ!」
UNDEATH がオールドスクール・デスメタルをリバイバルするバンドの中でも際立っているのは、彼らがデスメタルの中にあるユーモアやグロテスクを深く抱きしめ、理解している点でしょう。例えば、CANNIBAL CORPSE のアートワークやリリックが発禁ものの悍ましさを宿していても、巨首のフロントマンはクレーンゲームでぬいぐるみを集めて子供たちに寄付しています。
つまり、デスメタルの中の内臓やゾンビに血飛沫はホラー映画的な空想の世界であって、お化け屋敷のようにはしゃいで楽しむべきもの。むしろ、暗い現実を忘れられる逃避場所のファンタジー。”インターネット音楽オタク” である UNDEATH の面々は、特にその “シリアスでありながらシリアスでない” デスメタルの長所をあまりにもよく理解していて、地獄の音楽をポジティブに奏でる天才なのです。
「僕たちは皆、単純にこのバンドをできる限り遠くまで、ビッグになるまで運ぶことを目指しているんだ」
そのポジティブな哲学は、UNDEATH の楽曲にまで深く浸透しています。CANNIBAL CORPSE, MORBID ANGEL, AUTOPSY といったデスメタルの礎石に敬意を表しながらも、彼らはよりキャッチーで口ずさめるデスメタルを目指しています。インディ・ロックの達人 Scoops Dardaris とのコラボレーションもその一貫。そしてなにより、リード・シングル “Brandish The Blade” を聴けば、そこに JUDAS PRIEST や IRON MAIDEN といった古き良き “アリーナ・メタル” の遺産を感じるはずです。
実際、彼らはこのアルバムで、”70年代半ばから現代までのメタルの道のりをなぞる” 旅を目論んでいました。その理由は、より多くの人に UNDEATH のデスメタルを届け、より多くの人に楽しい時間を過ごしてもらうため。ダークで抑圧的な雰囲気を作り上げるメタル・バンドは少なくありませんが、彼らはこのニッチなジャンルに対する期待を遥かに超えたメタルの共同体に訴えかけ、より祝祭的な “Fun” なメタルを創造したいのです。
15. HOUKAGO GRIND TIME “KONCERTOS OF KAWAIINESS: STEALING JOHN CHANG’S IDEAS, A BOOK BY ANDREW LEE”
「萌えアニメを伝道するのに最適な方法かどうかはわからないけど、これが僕が知っている唯一の方法だから。自分には同人誌を描く能力がない。だから、音楽やグッズで愛を表現するしかないんだよ。京アニでアニメ化されるようなシリーズを書いて、そのために作曲をする…というのが僕の最終目標かな」
オッサンがオッサンというだけで抑圧される時代。それでもオッサンは、艱難辛苦に耐え忍び生きて行かなければなりません。オッサンがそうした辛い現実や抑圧から逃避する場所。その代表こそ、萌えアニメであり、ヘヴィ・メタルなのです。
Kawaii に癒され、メタルで首を振る。間違っても、オッサンが Kawaii で腰を振ることは許されません。とにかく、オッサンにだって、心のオアシスは必要です。HOUKAGO GRIND TIME の Andrew Lee は、DISCORDANCE AXIS や GRIDLINK で有名な “先輩” に敬意を表しつつ、そんなオアシスとオアシスの悪魔合体に挑み、そして成功を収めました。
「やっと日本でライブができて本当に感謝しているよ!アメリカ国内でライブをする場合、観客の年齢層は少し高めで、アニメ文化に馴染みがないことがほとんどだ。”遊戯王” や “ぼくのぴこ” のもっと有名なミームならわかる人も何人かいるかもしれないけど、ほとんどの人にとってアニメのサンプルはただの面白い音でしかないんだ。日本でショーに来てくれた人たちはみんな真のオタクで、イントロやサンプルをしっかり理解してくれていた。それは本当にうれしいことだったんだ」
Andrew の悪魔合体。しかしそれは、母国アメリカでは少し孤独な戦いでもありました。グラインド・コアと萌えアニメの両方を等しく愛する彼にとって、強烈なグラインド・コアだけを求めるアメリカのファンには、少し違和感を感じていたのかもしれませんね。そんな中で、大成功を収めた日本ツアーは、Andrew にとって自らのアートが完璧に認められた瞬間で、孤独から解放された瞬間で、生きがいを得た瞬間でもありました。わかりあえる、認め合えるというだけで、孤独なオッサンやオタクにとっては奇跡のような “めたる・タイム・きらら” が生まれることもあるのです。
「いろいろなアニメのサウンドトラックを楽しんでいるけど、特に菅野よう子さんの “天空のエスカフローネ” のOSTが大好きでね。もちろん、”Just Communication”、”Irony”、”sister’s noise”、”only my railgun”、”Don’t Say Lazy” など、OPやEDの名曲もたくさんあるよね。ただ、あのスタイルで書くのは自分には難しいので、基本的にはギターソロくらいで、僕の曲に影響を与えていることはないかな。また、”響け!ユーフォニアム” や “ぼざろ” には、ひどい演奏がいくつか入っているのもいい!コンサート・バンドの最初の演奏は学生が録音したのに、最後の演奏はプロが作ったとか、ぼっちちゃんのの最初のバンド・シーンで聴ける意図的なミスや突っ込みとかね」
“Koncertos Of Kawaiiness: Stealing Jon Chang’s Ideas, A Book By Andrew Lee” は、まさにわかりあえるオタク、認め合えるオッサンだけに贈られた Kawaii のメタル・コンチェルト。萌えメタてぇてぇ。Moe to the Gore。腸が煮えくり返るようなボーカルとハイパー・ブラストなゴミ箱スネアの旋風に刻み込まれた萌えアニメの尊いわかりみ、そしてウルトラ・テクニカルなギター・ソロ。そのアンバランスはしかし、まるでこの分断された世界で Kawaii とメタルだけが世界をつないでくれるような不思議な期待感を持たせてくれます。
そう、世界がこれほどまでに分断され、激動している今、唯一の処方箋はわかりみと Kawaii の二重奏に違いありません。オッサンだって自己実現してもいい。オッサンだって美少女になりたい。Kawai くないようじゃ、無理か。オッサンもね、Kawai くしておかないと。オッサンがすべからく HENTAI だと思うなよ!盲点。むしろ久しい。