COVER STORY : EXTREME “SIX”
“The Great Bands That We Love, They Still Wrote Simple Rock Songs, But There Was a Complexity If You Wanted To Look Deeper. So What I Call It Is Simplexity!”
EXTREME: SIX
今年のポップ・カルチャーな圧倒的にエレキ・ギターがモメンタムです。そして EXTREME 待望の新作 “Six” にはまさに、シュレッダー志望者なら誰もが弾きたいと思うソロと、ハードロック的なグルーヴに包まれたキラー・リフのオンパレード。3月3日に公開されて以来、ファースト・シングル “Rise” の再生回数は300万回を超え、多くのプレーヤーが練習に戻って自分のプレーを見直すことになったはずです。同世代で最もダイナミックなプレイヤーの一人である Nuno Bettencourt は、ここにきてまた一段とレベルアップしているのですから。
そしてそれが、Bettencourt の “Six” に対するアプローチ、原動力の1つでした。
「”Six” では、エネルギーとコミットメントを持って物事を投げかけることが重要だった。炎や情熱という言葉は俺の日常だ。ギタリストとして、どのアルバムでも、俺は常に偉大なプレイヤーからインスピレーションを受けてきた。でも、いつかは彼らを倒したいと思わなければならない。俺はまだ倒せると信じている。 “ヒーロー” と肩を並べられると信じていないのに、なぜ誰かと何かを共有したいと思えるんだ?そうやって俺は人々とつながり、ギターの楽しい面を見せたいんだよ」
同じく MV となった “#Rebel” と “Banshee” を聴けば、”Six” が2023年最高のギター・アルバムの一つであることは疑うまでもありません。しかし、このバンドが EXTREME である以上、アルバムは当然、ハードなロックばかりではありません。彼らのサウンドには弾力性があり、Bettencourt が7弦ギターに挑戦した “X Out” のような大胆な柔軟性も備えています。”Beautiful Girls” のような VAN HALEN 的常夏ポップなスタイルもあり、バラードもあれば、アンセムもあります。Bettencourt が言うように、EXTREME では “予期せぬことを予期しなければならない” のですから。
壮大なギター、親しみやすいメロディ、ジャンルの横断、誰も思いつかなかったようなギミックや展開。このアルバムをプロデュースした Bettencourt は、バンド・メンバーをかつてないほど追い込んだといいます。中でも、当然のことながら、Bettencourt は自分自身を最も追い込みました。だからこそ、実に30年ぶりくらいに、”ギタリスト” があれほど注目を集め、興奮をさらった “Rise” の “ワイルド” なソロが生まれたのです。
「一言でいえば “ワイルド” だ。ファンの反応そのものがね。ほら、エゴイスティックに、自信たっぷりに、俺はいつも、”Porno” でも “III Sides” でも何でも、すべてのアルバムに情熱と炎を持って臨み、それが何らかの反応を得るべきだと信じていたけどね。そうでなければ、やらないよ。
最近、ある人から “More Than Words” はあなたたちにとって祝福なのか呪いなのかと聞かれたんだよな。面白い。一方では、”More Than Words” が世界的に1位を獲得し、世界ツアーを行うことができた。それはとても素晴らしいことだ。おかげでまたアルバムを作り、たくさんのクールな音楽を生み出すことができる。そして、俺たちは住宅ローンを払い、実際に最終的に生き残ることができた。だから、もし “More Than Words” が成功しなかったら、俺はバーガーキングで働くことになっていたかもしれない。だから、ヒットを恥ずかしいと思ったり、呪いだと思ったりしてはいけないということは言える。俺たちは、どのアルバムに収録されている曲も、まさにその理由で誇りに思っているんだ。そして、人々が俺のギターに共感してくれることを願う。
でも、俺は56歳になって、バンドは15年間音楽活動をしていなかったから、さすがにこれほど反響があるとは思いもしなかった。本当にワクワクする。なんだか目が回るような気分だよ。以前は、何かを発表するとき、人々がそれを好むかどうかがわかるまで、何カ月も待たなければならなかった。ラジオに出演して、チケットを売って、お客さんが来てくれるかどうか…チャートも見る。そのすべてに時間がかかる。今は、何かをリリースすると、24時間、48時間以内に、好きだとか、嘘っぱちだとか、すぐに結果が出る!」
それにしても、かつて “More Than Words” でポップ・カルチャーの頂に立った EXTREME がここにきて再度その場所に戻り、話題を独占するとは驚きです。
「10日間で100万回再生され、発売以来200万回近く再生されている?これは予想外だったし、とても感謝しているんだ。同業者やギタリスト、Steve Lukather や Brian May のような人たちが、”ヘイ、バディ、グッジョブ!君の新作が大好きだ!” みたいな反応じゃなくて、長いテキストメッセージのようなものを返してくれた。アルバムにちゃんとしたソロがあって、ちゃんとした曲があることに関係しているのだろうけど。
そしてもっと重要なのは、彼らの反応は、もしかしたらみんな知らないかもしれないけど、ここ8~10年、本当に素晴らしいギタリストの大半は、俺もフォローしている驚異的なプレイヤーは、みんな部屋に座っているってこと。俺は舞台の上にいる。エネルギーが違うんだ。
彼らは一人でスタジオに座って、ギターを弾きながら、SNS が何かで俺たちを驚かせる。彼らと俺の違いは、バンドが登場すること。だからこそ、感情的で、フィジカルなものになる。バンドの誰かが曲の途中でハーモニーやボーカルをとるし、歌詞もあるし、アレンジも、ブリッジも、とにかくオールインで、情熱的に演奏している。それこそが、人々を再び興奮させるレシピなんだよ」
Bettencourt はポップ・カルチャーに再びギターを取り戻した事で、感謝さえされています。
「ある人からメールをもらったんだけど、そのほとんどがお礼のメールだった。再びロックンロールを届けてくれてありがとう!というお礼のメール。ビデオの中でギタリストがソロを弾くのを見て、あんなに興奮したのはいつ以来だろう?ってね。それが人々を興奮させているのだと思う。
もし俺が座って同じソロを演奏したら、人々は “オーケー、クールだ” と思うだけだろう。”かっこいい。彼は何か面白いことをやっている” と思うだけだろう。俺はそういう演奏はしない。例えば、”Other Side Of The Rainbow” だ。あのソロは俺のお気に入りの1つだけど、みんなはそれほど興奮しないかもしれない。たしかにベスト・ソロではない。でも、あんなソロ、他にないだろ?つまり、あの曲にとって最高のソロなんだ」
Eddie Van Halen に捧げた “Rise” のソロも完璧ではないと Bettencourt は語ります。
「冒頭のベンド!あれは音符じゃないから、何の音を出しているかは分からない。15年前なら、”あのクソ音符をやり直そう” と、直していたかもしれない。でも、俺の中の何かに響いたんだよな。つまり、キックドラムの音に、車の衝突音を混ぜたような音だったからな。不完全さに惹かれるというかね…」
Bettencourt のソロはいつもダンサブルで、リズミカルです。
「その理由はただひとつ。俺はドラムから始めているからね。ドラムは俺にとってすべて。誰かが俺をジャムに誘うたびに、”ああ、君が望むならドラムを叩くよ!” と言うから、嫌われているくらいでね。でも、それが俺の楽器のやり方のすべてなんだ。パーカッシブに演奏するというね。ソロを演奏するときでさえも、俺にとって重要なのはリズムであり、フィーリングであり、バウンスなんだ。リズムギターの上にさらにリズムギターを重ねるような感覚でソロを弾いている。わかるかな?ドラムを叩いて、すべてのパターンを書き出すことができるような感じ。わざとじゃないんだけど、”Rise” の冒頭で音を曲げたときでも、信じてほしいんだけど、その後まで流れがあって、それがリズミカルということなんだよな」
ただし、Bettencourt にとってこれはずっと続けてきたことでもあります。
「みんな “Rise” のソロを聴いて、まるで神の再来だ、ギターのハードルが上がった!みたいなことを言ってるんだ。待てよ、俺はこれを30年ずっとやっているんだけど…。”Peacemaker Die” を聴いたことないのかよ!って思うね。”Rise” のソロと同じような感じで、”Peacemaker Die” はかなり見落とされてきたソロだ」
EXTREME には、80年代のヴァイブ、90年代のヴァイブ、どんなものでもありながら、とても EXTREME らしい存在感が常にあります。ヘヴィな曲の一方で、”Small Town Beautiful” のような映画化目前の楽曲もあって、その対比がダイナミックさを生んでいます。
「このアルバムには、映画のサウンド・トラックに収録されそうなシネマティックな楽曲がたくさんあるよね。俺が曲を書くときは、紙とペンであろうと、コンピューターであろうと、その瞬間に最初に考えるのは映像。俺は音を見る。音がもたらすビジュアルを見て、どんな映像が考えられるか、俺が見ているものは何か、そしてその感情は何かということを書いていくんだ。俺たちが撮影した “The Other Side Of The Rainbow” のビデオを見ると、場所的にとても “虹の向こう側” なんだよな(笑)。そうやって、俺たちは生身の人間であり、名声の栄枯盛衰を描いていったんだ」
EXTREME はアルバムが少ないことにも理由があります。
「”Chinese Democracy'” にあやかって、”Portugal Democracy” と名づけようかと思ったくらいでね (笑)。まあでも、アルバムが出る、あるいは音楽が出るということは、それなりの理由があるわけで、それはたいてい俺にとって良い理由なんだ。俺たちがあまりアルバムを出さないのには理由があるんだ。
とてもとても若い頃、Gary Cherone に “音楽を出すために音楽を出すのは絶対に嫌だ” と言ったんだ。たしかに、アルバムを出すたびにお金が入り、世界中をツアーすることができる。しかし、それは本当に誇りに思うものでなければならないと思う。みんなに嫌われようが愛されようが、そんなことは自分にとって結局は何の意味もない。ファンが気に入ってくれるのは、いつもオマケのようなものだ。自分がやったことが好きじゃなかったのに、みんなが自分のやっていることを気に入ってくれることほど悪いことはないんだ」
それは、THE WHO の英雄から学んだ哲学です。
「何年も前の90年代半ばに、Pete Townsend のラジオ・インタビューを聞いたんだ。深夜に車を運転していたら、DJ がこう言った。THE WHO が復活してツアーをするのはクールだ。ファンのためにやってくれるなんて最高だってね。そして、Pete がこう言ったんだ。”そんなの全くのデタラメだ。どんなアーティストであろうと、ファンのために何かをやることはない。ファンのためにアルバムをレコーディングしたとか、ツアーをやったとか言うアーティストは嘘だ” とね。
当時は、すごい攻撃的で冷たいなと思った。でも今なら、彼の言いたいことがわかる。ファンは俺たちに物事をコピーしたり、ファンに合わせることを望んでいないんだよ。何でもいいからやってみよう、そうすれば彼らは興奮する。この人たちは今、何をやっているんだろう?ってファンは、予測不可能なアッパーカットを求めているんだ。だから、アーティストとしては、自分たちのバブルの中にいて、自己中心的でわがままになり、好きなことをやらなければならないと学んだんだ。それが、ファンが俺たちに本当に求めていることなんだよ」
“Six” の制作にあたって、Bettencourt はギターのレベルアップも明言していました。
「ギタリストの友人の一人に、ギターそのものが、俺とまるで人間のような関係を持っていると話したことがあってね。ギターは置いておくだけの木の塊ではないんだよ。友人と一緒にいるのが楽しみなときもあれば、そうでないときもある。そんな友人は誰にでも一人や二人はいるもので、1年や2年会わないかもしれないけれど、会ってランチをすると、まるで離れたことなどなかったかのように、絆と理解が深まるんだ。俺はいつもギターとそんな関係だった。しばらく離れてもいいんだ。しばらくは誰かから離れる必要がある。そして、時には夢中になり、6ヶ月間ずっと一緒にいることもある。そしてそれが今の状況なんだ。
あとは、ジェネレーション・アックス・ツアーに参加したことにも刺激を受けたよ。素晴らしいギタリストやヒーローたちと一緒に演奏することで、また少し火がついたんだ」
ヒーローといえば、Bettencourt は最愛のギターヒーロー、Eddie Van Halen を失いました。
「アルバムを作っているときにも、Eddie が俺の家に来て、アルバムを聴いてくれた。もちろん、Eddie Van Halen の王座を継ぐ者はいないと言わざるを得ないよ。誰もその王座を奪えない。 Eddie は単なる “ギタリスト” ではなかったから。文化やギターの弾き方を変えてしまった人なんだ。それで、”Eddie が亡くなった時、”クソっ!俺らの世代にはもう分かり合える人たちがあまり残っていない…”と思ったんだ。若い世代で素晴らしいギタリストはたくさんいるけど、バンドで曲を作り、曲の中でソロを弾き、その曲のトーンの中でクリエイティブになれる人はあまりない。バンドの中のギタリストという”聖火”をつなげる責任と炎を感じたんだ。
このアルバムは楽しいものにしたい、ギターで楽しいものにしたい、リズムの中にソロがあるという意味で血を求めていきたいとみんなに言ったんだ。それは、Eddie Van Halen, Brian May, Jimmy Page に由来するもの。彼らは、たとえリズムを演奏していても、その下にセクションやコード的なものがあっても、ただクリエイティブだった。俺たちはジャズをやっているわけではないからね。ロックンロールをやっていて、3分半の曲で、曲はシンプルであるべきなんだけど、その中で天才的なことをするのは悪いことじゃないんだ。俺らが大好きな偉大なバンドたちは、やはりシンプルなロックソングを書いていたけど、深く見ようと思えばそこに複雑さがあったんだ」
Bettencourt はその複雑性を “層” と例えます。
「曲の中に剥がせる “層” があり、発見できるものがあった。”だから俺はそれを “Simplexity “と呼んでいるんだ (笑)。Simplicity (単純性) と “Complexity” (複雑性) をかけ合わせた造語だよ」
Bettencourt に言わせれば、ロックは過剰に知的化されすぎています。
「ロックンロールやロックバンドは、みんな自分たちがすごく手が込んでいて、すごく知的だと思いたがるが、それが何であれ、申し訳ないが、結局は大人向けの童謡を書いてるだけなんだ。それが俺らのやっていることなんだ。そして、みんなで一緒に歌う。アンセムなんだ。歌詞とメロディがちょっと大人向けってだけなんだ。それでも、もし詩を書きたいなら、ギターでやりたいことがあるなら、この “Simplexity” の世界に行きたいなら、そうすればいい!
例えば、RADIOHEAD は “Creep” という曲が大嫌いだけど、あの曲は俺の人生を変えたんだ。なぜなら、あの曲こそが “Simplexity” 究極の形だから。RADIOHEAD はそれを芸術としてやっている。でも、歌詞があり、メロディーがあり、奇妙なハーモニーがあり、プロダクションがあり、それでいて、少しスマートだから、オルタナティブと呼ぶんだ」
ポップでロックな曲の中に、大きなアイデアを盛り込むことができるという意味で、EXTREME 常に破壊的な存在でした。金曜の夜にビールを飲みながら、月曜の朝にヘッドホンをして細部まで分析できるような曲をたくさん持っています。
「その通りだ。そして、音楽はムードなんだ。曲を作る時に、テンポを選ぶのが一番の悪夢さ。曲はできたけど、この曲のテンポをどうしよう?2クリック速く、2クリック遅くすることで、全体が変わってしまうんだ。曲の雰囲気も、リフも全く変わるんだ。難しいのは、スタジオにいると心拍数が変わり、曲を作るときと認識が変わるんだよな。心境、心拍数、アドレナリン、それが変わると、曲の聴こえ方も変わってくる。ライブに行くと、全部知っているはずのプリンスやマイケル・ジャクソンの曲が、知らない曲ばかりになる。”Wanna Be Startin’ Somethin'” とかね。でも、彼らの頭の中では、録音通りなんだよな。興奮しているからなんだ」
Bettencourt は Van Halen だけでなく Prince にまで愛されていました。
「EW&F のトリビュート・ライブで Prince が Nikka Costa と座っていた。で、耳元で彼女に何か囁いたんだ。”下手くそ野郎”とかかな…って落ち込んだよ。次の日 Nikka が家に来た。”あのギタリストは世界で3本の指に入る”だって…」
プロデューサーとしても有能な Bettencourt ですが、かつては Michael Wagner といった有名人にプロデュースを任せたこともありました。
「まあ、ひとつだけはっきりさせておくと、EXTREME のアルバムは全部俺がプロデュースしたんだ。Michael Wagner は大好きだし、彼のプロダクションが好きだったから依頼したんだ。でも、結局彼を雇ったのは、彼は、俺がやっているすべての仕事を、それが曲やアレンジメントにとってどれほど重要であるかを認めてくれる人だったから。彼はそれを認めてくれたんだ。”Porno” のレコーディングのとき、彼はスタジオにいなかったんだ。あのアルバムの8割は、LAに行く前に完成していた。優れたプロデューサーは、仕事の99パーセントをやるときと、1パーセントをやるときを心得ている。だから “Porno” の時の彼は天才だったんだ…邪魔をしないという意味でね」
なかでも、今回の仕事は最高だったと、Bettencourt は胸を張ります。
「”Six” は、おそらくこれまでで最高の仕事だと思う。俺はいつも、アレンジやサウンド、演奏、技術的に優れたプロデューサーだった。でも今回は、”感情的なプロデューサー'” としてみんなを苦しめたんだ。感情やそういうものを学ぶには何年もかかる。Gary Cherone が言うには、このアルバムは彼の歌唱中で最高のアルバムだそうだ。その理由のひとつは、プロデューサーであるクソ野郎、俺だ!
良いプロデューサーは、必要なときに、怒らせるんだ。”おい、”Small Town Beautiful’、お前、きれいに歌ってるじゃないか” と言う。美しく歌っているが、感情はどこにあるんだ?っめね。Tom Morello や Steve Vai は俺が “Hurricane” を歌うのを聴いて涙を流した。もちろん、完璧なボーカルじゃないけどそこに感情があったから。技術的なことではなく、ピッチでもなく、でも…亡くなった親友 Eddie のことを歌っていたから…」
“X Out” では、人生で初めてN7の7弦を使用しました。
「ギアに関しては、長年俺と話してきた人なら誰でも、クソほど退屈な人間であることを知っている。俺は習慣の生き物なんだ。マーシャルのDSL(JCM)2000も持っている。DSLを手に入れた人は、”冗談だろう?DSLなんて。DSLなんてクソみたいな音が普通だ” と言われる。多くの人がそう言うんだ。でも、高音が2、中音が2、低音が4、プレゼンスが2で、それを大きくすると、俺の音になるんだ。俺にとってはそれがキーポイントなんだ。”X Out” では、人生で初めてN7の7弦を使った!生まれて初めて7弦ギターを使ったんだ」
EXTREME には、何も制限を受けないという内部哲学があります。”X Out” を聴いて “Beautiful Girls” を聴くと、本当に何でもありという感じが伝わります。
「最近、ある人に “Rise” は今までと違うよねと言われたんだ。そうだね、EXTREME のアルバムだからね。予想外を予想するんだ。俺らはどんなクソ忙しい時でも、アルバムを作っている時はバブルの中にいて、自分たちが好きなことをやっている、それだけなんだ。EXTREME のアルバムは、QUEEN のように自分に忠実で、自分のやるべきことをやらなければならない。
もちろん、俺たちは QUEEN とは違うが、哲学的には QUEEN によく似ている。俺たちは、自分たちがベストだと思う曲を選ぶ。とてもシンプルなことで、それぞれがとても違っていて、何でもありなんだけど、そんなことは気にしない。今こそ、古き良きロック・アルバムが必要な気がするんだ。”Six” は確かにモダンな音だけど、ヘッドフォンをして最初から最後まで旅に出ることができる。昔の名作みたいにね。つまりこれは、EXTREME 2.0 みたいなものなんだ」
QUEEN といえば、アルバムは “We Are The Champions” の逆再生で締めくくられています。
「だからまさに “Here’s To The Losers” なんだ。これはアンセムなんだ。クリスタル・パレスのためにアンセムが必要だった!(笑)」
日本盤のご購入はこちら。VICTOR ENTERTAINMENT
EXTREME JAPAN TOUR 23′ : UDO 音楽事務所
参考文献:MUSIC RADER:Nuno Bettencourt: “I told the guys, ‘I wanna go for blood on this album.’
BLABBERMOUTH:EXTREME’s NUNO BETTENCOURT: ‘There’s A Reason Why We Don’t Put Out A Lot Of Albums’