彼らのデビュー・アルバム、2019年の “The Language Of Injury” は、EMPLOYED TO SERVE, SVALBARD, CONJURER, PUPIL SLICER, DAWN RAY’D といった多様でスペシャルなアーティストを擁する最近の英国メタルシーン、その頂に ITHACA が君臨することを知らしめたレコードでした。ツアーでは、ハマースミス・アポロのような大きなステージで演奏し、何も知らない観客には、ITHACA を見る人は耳栓を用意した方が良いという警告が会場に掲示されたこともありました。ギザギザのハードコアに口ずさむメロディーをちりばめたことで絶賛を浴びた “The Language of Injury”。それに続く “They Fear Us” は、バンドのヘヴィネスとアティテュードを損なうことなく、シューゲイザーに近いレベルの輝きを加えた、今年最も野心的でカリスマ的なジャガーノートに仕上がっています。
当然、今の時代の苦難もありました。パンデミックです。Djamila が回想します。「もう二度とライブを取り戻せないんじゃないかと心配になったわ」
しかしバンドはゆっくりと、書き、作り、録音をはじめ、すぐに新しいレコードに入れるべきものがたくさんあることに気がつきます。ロックダウンに加え、悲しみ、精神的な問題、内紛、そして暗い状況下でのレーベルの崩壊といった激動は、再考と成長の機会も意味していたのです。Sam はそれを “再生” と呼び、さらに ITHACA は “6回ほど再生した” と付け加えています。
「前作は辛いことを歌っていたんだ。おそらく、人生のどん底の一つだった。私生活でもバンドでも、何度も何度も不運に見舞われたような気がした。いつになったら僕らにとって正しいことが起こるんだろう?って感じだった。だけどこのアルバムは、パワーや強さ、自信を手に入れるためのもの。エンパワーメントのアルバムさ!」
実際、この2つのアルバムが意図するところは大きく異なっています。”The Language Of Injury” は、熱狂的で血まみれ、傷だらけのレコードでした。無軌道な怒りから生み出されたこの作品は、有刺鉄線で編んだ布団のような痛みと心地よさを与えてくれます。Djamila はその内容を “多くの自己嫌悪” と表現していました。自分とバンドメンバーの人生に起きていることに対する “直感的な反応” を直感的に描いた作品だと言います。
Sam にとって、このアルバムは母親の死後間もなく取り掛かった作品でした。自分のパートを録音することになったとき、彼は「血まみれのアルバムを作るために、ベッドから起き上がるのが精一杯だった」と言います。
「本当に、とても生々しい悲しみの中にいたんだ。レコーディングに没頭することで忘れようとしていた。あのアルバムは、僕たちが感じていた深い痛みに対する直接的な感情的反応だった。基本的に吐いているような感じだったよ」
一方で、”They Fear Us” は再び立ち上がることをテーマにしています。痛々しい暴力性を伴った再起の音牙。オープニングの “In The Way” では Djamila の「あなたの血を流し台で洗いなさい 私たちは記念品を取っておかないから」という不穏な宣言が、意図的かつ明瞭に、ふさわしい敵に向けられます。
「曲の多くは復讐をテーマにしているの。もし、あなたを傷つけた人たちに償わせることができるとしたら、あなたはそうする?」
Sam によれば “冷笑やニヒリズムはとても安い通貨だ” そう。彼らは、傷や恐怖を深く浴びることに何の意味があるのか、反撃する方法を教えないでどうするのか、と考えたのです。
「怒りや自己嫌悪をすべて外に向けるべき。私のせいではないんだ、と気づくことが大事なの」 と Djamila は言います。
「一番深いところまで落ち込んで、でもそこから立ち直ることが大事だ。そして実際、この作品は非常に暗いアルバムではあるけれど、特に最後のほうになると楽観的な部分も多くなってくると思うんだ。多くのレコードがそうであるようにね。個人的には、これは過激な反抗の行為だと感じている」と Sam は結論付けました。
“ラディカルな反抗” について語るとき、”They Fear Us” の多くがクローズアップされます。Djamila は虐待、人種差別、性差別、その他あらゆる問題に取り組む必要があると考える人物であり、それらを拒否することは、バンドに期待されるクリエイティビティに疑問を投げかけることにも繋がります。ITHACA では、歌詞、写真、テーマ、音楽的影響、映像など、あらゆる要素に何重もの注意が払われ、あらゆる角度が芸術的あるいは意味深いものとなって深みを持って語られるのです。それは、多くの人がヘヴィ・バンドに期待するものとは違うのかもしれませんが。
アルバムには “Healing” “癒し” という言葉が何度か登場します。Sam は、パンデミックによって、レコードを書きアイデアを徹底的に追求するために、通常よりも時間をかけることができただけでなく、精神的に多くのことを解明する機会を得たと言います。母親を亡くした傷を癒したのは、母親の葬儀のためにインドを訪れ、ガンジス川のほとりで僧侶がガンガー・アールティの祝福の儀式を行う様子を録音したこと。
「僕たちは皆、パンデミックの始まりと前後して、個人的な悪魔に立ち向かわなければならなかった。そして、パンデミックによって、深い内なる仕事が始まりまったんだ。僕自身は、自宅で、自分自身とどう向き合っていたのか、頭の中の声とどう向き合っていたのかに直面させられた。精神的な面でも、自分が対処できていないことがたくさんあったし、それはバンドの他のメンバーも同じなんだ」
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH STEPHEN BRODSKY & JOHN-ROBERT CONNERS OF CAVE IN !!
“I Guess Heavy Pendulum Could Mean How One Decides To Use Their Time Navigating These Hardships. The More Weight That We Allow Things To Have In Our Lives, The Heavier The Pendulum Swings.”
DISC REVIEW “HEAVY PENDULUM”
「Caleb が命を吹き込んだ曲を演奏することで、この2つのバンド (CAVE IN と OMG) 全員が彼の思い出を一緒に祝うことができて、とても感慨深いものがあったんだ。そして、あのイベントを企画し、参加してくれたすべての人々から受けたサポートは、とても心地よく、僕たちが創造性を前進させ続けるべき理由を思い出させてくれたんだよね」
マサチューセッツのヘヴィ・ロック・カルテット CAVE IN は、度重なる活動休止、ラインナップの変更、そして長年ボーカル/ベースを務めた Caleb Scofield の急逝など、重く苦しい経験と戦い続けてきました。Caleb の死をきっかけにリリースされ、彼がバンドのため最後に尽力した2019年の “Final Transmission” がそれでもバンドのほろ苦いスワンソングとならなかったのは、CAVE IN が養ってきた強さと共に、世界が彼らを求め、喪失の苦しみを共有し、サポートしたからに他なりません。
「”Heavy Pendulum” の制作では、20年代の暗い世界を尋常ないほど意識していたんだ。このアルバムのタイトルには、そうした苦難を乗り越えるために時間をどう使うかを決める、そんな意味もあるんだろうね。人生における物事の重みが増せば増すほど、振り子の揺れは重くなるのだから」
“重い振り子” と名付けられたアルバムには、苦闘と革新を続けてきた CAVE IN の折れない心、粘り強い才能が見事に投影されています。人生は振り子のようだ。良い時もあれば、悪い時もある。多くのトラウマに耐えた後、これほどの傑作で “幸福” に振り戻すことは決して容易ではないでしょう。巨大なリフとアンプを最大限活用した純粋なヘヴィ・ロックは、優雅と複雑のサブリミナル効果を活用しながら、悲しみと喪失があふれる世界に一筋の光を投げかけます。
「このレコードでは、2017年、 “Final Transmission” となった作品のスタート時に、Caleb が僕たちに勧めたビジョンを完全に具体化したかったんだ。だからある意味、借りを返すというか、約束を果たす意思こそがバンドが今回、より高いレベルに昇りたいと思う原動力となったんだ」
2000年代初頭、CAVE IN は90年代のハードコアを取り入れた作品群に続いて、新しいサウンドを模索。2000年にリリースされた “Jupiter” では、Brian McTernan 指揮のもと、スペースロックとアバンギャルドの影響を大きく取り入れるように変化。2003年、RCAレコードというメジャーに移籍すると、ポップとも捉えられる音楽性で大舞台での可能性を追求。
カオスもエモも、メタリック・ハードコアもドゥームもオルタナも捕食し、カラフルな繭で巣作りを続けてきた肉音獣。そのターゲットの変遷には常に確固とした理由がありましたが、Relapse に移籍を果たした “Heavy Pendulum” の原動力は故人との固い約束でした。
「悦生さんと彼のバンドやプロジェクトに直接触発された、僕の最近のノイズへの旅の始まりのいくつかは、実際に CAVE IN の新曲で聴くことができるよ。”Blinded by a Blaze” の終わりと “Nightmare Eyes” の終わり近くは、彼と彼の仲間を念頭に置いて演奏したんだよね」
CAVE IN が失ったのは、Caleb だけではありません。彼の追悼イベントともなった “Leave Them All Behind 2020” で共演し感銘を受けた ENDON の那倉悦生氏、そして POWER TRIP の Riley Gale。きっと亡き二人の実験魂もこの作品には生きています。
“CAVE IN は、実験とリスクを冒すときに最高の状態になる” そんな格言が生まれそうなほどに、この大作は挑戦的。もちろん、スラッジやポストメタルの “重力”、”Floating Skulls” や “Careless Offering” のような銀河系プログレッシブ・メタルはこのアルバムの基軸でしょうが、それだけではありません。
例えば、”Reckoning” は、ダーク・アメリカーナと FLEETWOOD MAC の蜜月を堪能できる CAVE IN の枠を超えた逸品ですし、タイトル曲の “Heavy Pendulum” はブルースのリズムをグランジの色合いで染め抜き、彼ららしい特徴的なギター・サウンドを使用した感情の洞穴。”Blinded by a Blaze” は SOUNDGARDEN や ALICE IN CHAINS と “Jupiter” における冒険が、ENDON を触媒に融合しているようにも思えます。
一方で、メタルマシーン “New Reality” や “Blood Spoiler” で新加入 Nate Newton が吠える喉をかき切る印象深いハウリングも見事。12分のフィナーレ “Wavering Angel” はまさに現在の CAVE IN を物語る真骨頂でしょう。もしかするとこの完全無欠に構築されたアートは、21世紀における LED ZEPPELIN、そんな異次元の領域を引き寄せたのかもしれません。時間もジャンルも、生と死さえも超越した音楽という深い好奇心の湖。
今回弊誌では、Stephen Brodsky と John-Robert Conners にインタビューを行うことができました。「悦生さんをはじめ、ENDON のメンバーの皆は、僕にとても親切にしてくれたんだ。悦生さんは “マッドマックス” に出てくるようなメッセンジャー・バッグのような楽器を演奏していたんだけど、僕はアレが今でもどんなものなのかわかっていないんだ。彼は、それだけでも非常にユニークなバンドのルックスとサウンドに、さらに特別なものを加えていたね」
苦難を乗り越えて前進することを決意し、轟くような激情と高鳴るフックの狭間で素晴らしいバランスを確保。サイクルの終わりにして始まりの作品は、CAVE IN の過去に敬意を表しながら、豊かな未来を予感させてくれますね。どうぞ!!
CAVE IN “HEAVY PENDULUM” : 10/10
CAVE IN are (associate acts)
STEPHEN BRODSKY: Guitar / Vocals
スティーヴン・ブロッズキー (NEW IDEA SOCIETY, CONVERGE, MUTOID MAN, OLD MAN GLOOM)
JOHN-ROBERT CONNERS: Drums
ジョン-ロバート・コナーズ (NOMAD STONES, DOOMRIDERS)
ADAM McGRATH: Guitar / Vocals
アダム・マッグラス (CLOUDS)
NATE NEWTON: Bass / Vocals
ネイト・ニュートン (CONVERGE, OLD MAN GLOOM, DOOMRIDERS)
CALEB SCOFIELD
ケイラブ・スコフィールド (ZOZOBRA, OLD MAN GLOOM)
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH ADAM DOOLING OF GOSPEL !!
“I Think Both Hardcore And Prog Are High Energy Forms Of Music. It Makes Sense To Me That You Could Play Progressive Rock Loose And Fast Like Punk…Or Play Punk With Odd Chords And Scales Like Prog.”
DISC REVIEW “THE LOSER”
「バンドが一度終わったのは、自分たちが燃え尽きてしまったからだよ。一生懸命やってもうまくいかなかった。当時のリスナーは今とは違って、このバンドを好きではなかったんだ。喧嘩も多かったし、ツアーやいつも一緒にいることにも疲れていたんだ。若い頃は問題を解決できるほど成熟していなかったし、みんな生活の安定を望んでいた。だから、一度バンドが終わると、また演奏できるようになるまで GOSPEL を振り返ることはなかったんだ」
本来あるべき姿を失ってもなおとどまり続けるのもバンドであれば、一瞬の煌めきを残し閃光のように消え去るのもまたバンド。ひとつ確かなことは、GOSPEL が描いた美しき肖像画は時の試練に耐え、虚ろでねじ曲げられた虚構のアートとは明らかに一線を画していることでしょう。
「僕たちは宗教家や宗教的なバンドではなく、その逆なんだ。子供の頃、カトリックの学校に通っていたから、宗教や権威に反抗したくなったんだ。GOSPEL という名前は、社会が神聖視するものを破壊することを意味したんだよ。それに、みんなが覚えてくれるシンプルな名前でもある。ゴスペルの定義が “原則と信念” であるならば、僕たちはその原則と信念に疑問を投げかけたいんだ。それを覆したいんだ。なぜなら僕たちはパンクバンドなんだから!!」
2005年。ブルックリンを拠点とするこの4人組は、突如としてアンダーグラウンドのスクリーモ・シーンに参入し、このジャンルに新たな高みを築いただけでなく、シーンの “原則と信念” を破壊する偉大なる自由を残しました。バンド唯一の遺産であった “The Moon is a Dead World” は8曲からなるユニークな迷宮で、その反抗という名の魔法によってプログとハードコアの境界を鮮やかに消し去ったのです。しかし、登場するやいなや、彼らは姿を消しました。
「今日、誰もが音楽を説明するための基準点、またはレッテルやジャンルを必要としている。でも GOSPEL の音楽は、僕らにとってはただラウドでヘヴィでヘンテコなだけなんだ。僕たちは今日スクリーモと呼ばれるアンダーグラウンドのハードコアシーンからやってきて、奇妙なロックを演奏しているだけ」
熱狂的なカルトファンを持ち、プログレッシブ/ハードコアの頂点に立つ可能性を秘めたバンドは、自分たちが “これ以上ないもの” を作り上げたことを悟り、あまりにも潔く幕を閉じることを選びました。しかし、スタジオの外で充実した生活を送っていた彼らは、どこかで何かが足りないとも感じていました。そうして友人の結婚式で再会した彼らは、17年の隠遁の後、ラウドでヘヴィでヘンテコな待望の2ndアルバムを作る必要があると決意したのです。
「僕はハードコアもプログもハイ・エナジーな音楽だと思うんだ。だから、プログをパンクのようにルーズに速く演奏したり、パンクをプログのように変則的なコードとスケールで演奏するのは理にかなっていると思う。それに、僕らには4人で演奏しているときにのみ機能する、非常に特殊な演奏スタイルがある。僕たちの楽器が僕たちの個性を反映しているようなものでね。GOSPEL とはこの4人が一緒に演奏しているときの音なんだ」
ダンボールに殴り書きされた “敗者” の文字は、彼ら自身のことなのでしょうか? 少なくとも、長い間待ちわびていたリスナーにとって、”The Loser” はすべての期待に応えた傑作であり、GOSPEL は再び勝者の地位へと返り咲いたにちがいありません。
解散後も衰えるどころか、むしろ、そのケミストリーはこれまで以上に強烈強力。GOSPEL といえば Vincent Roseboom の千変万化なパーカッションですが、彼は期待通りバンドを支えるエンジンとして、迷宮を支配する猛烈なフィルの数々を配置。Adam Dooling の悲痛な叫びは痛みと感情を増して、よりハスキーなトーンで眼前に迫ります。
プログレッシブ・ロックへの移行が顕著になり、従来のスクリーモからは若干離れたものの、サウンドは前作と同様にフレッシュで活気に満ちています。彼らのルーツである70年代のプログ・ロック は、CITY OF CATERPILLAR や CIRCLE TAKES THE SQUARE のようなポストロックを抱いたスクリーモが使用するパレットよりもさらに直接摂取するのが難しく、ひとつ間違えばピント外れでダサい音楽にもなりかねません。
しかし、”The Loser” はレトロスタイルのオルガンと薄暗い電子ピアノの爆音へ果敢に挑み、その幻想的な広がりとハードコアな獰猛との間でえもしれない緊張感を醸し出すことに成功しています。17年前に私たちが目にした、知的に濁った陽気な騒動はかくも完璧に研磨され、洗練され、本来あるべき姿の完成品として届けられたのです。
今回弊誌では Adam Dooling にインタビューを行うことができました。「僕は2017年に日本に短期滞在していたんだ。2017年の1月から5月まで、淡路島で4ヶ月間、日本に住んでいたんだよ!ガーデナーの研修生として働き、日本のガーデニングを学んでいたんだ。その時僕は ALPHA キャンパスの寮に住んでいたんだけど、素晴らしい先生がいてね。彼女は “関西のオバチャン” と自称していたよ」どうぞ!!
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH CHERI MUSRASRIK & DEREK WEBSTER OF SUCCUMB !!
“Including a Song About The Boxer Rebellion Was a Personal Choice Though It Does Have a Tie To The Album In Its Being Against Westernization And Christianity In Their Rejection Of Ancestor And Nature Deity Worship.”
DISC REVIEW “XXI”
「私には、リアルな部分でとても男性的な面があって、それが演奏するときに姿を現すことは認めるわ。そうやって生の感情や暴力的な態度を表現する自由があることに感謝しているのよ。ただ、ジェンダーを考慮することで私は男性と女性の興味深いダイナミクスを加えることができるわけだけど、だからといってジェンダーを考慮することが常に必要だとは思っていないわ」
人生の選択、クリエイティブな仕事をする上での選択、音に対する選択にかんして、SUCCUMB のボーカリスト Cheri Musrasrik は女性であることに囚われることはありません。それ以上にもはや、エクストリーム・メタル界の女性をめぐる会話は少し陳腐だと言い切る彼女の喉には、性別を超越した凄みが宿り、”The New Heavy” の旗手としてアートワークの中性神のように自信と威厳に満ち溢れています。
「ベイエリアとカナダのシーンから受けた影響を否定することはできない。この2つのシーンに共通しているのは、彼らは常にそれぞれのアートを新しい領域に押し上げる努力をしているということだよ」
超越といえば、SUCCUMB の放出するエクストリームな音像もすべてを超越しています。ベイエリア、カナダというヘヴィな音楽のエルドラドを出自にもつメンバーが集まることで、SUCCUMB は突然変異ともいえる “The New Heavy” を創造しました。洞窟で唸るブラストビートと野蛮なデスメタルから、ハードコアの衝動と五臓六腑を締め付けるノイズまでスラッシーに駆け抜ける SUCCUMB の “エクストリーム” は、最新作 “XXI” においてより混迷の色合いを増し、くぐもっていた Cheri の声を前面に押し出しました。同時に、BRUTAL TRUTH や NAPALM DEATH のようなグラインドコアから、フューネラル・ドゥームの遅重までエクストリームなサブ・ジャンルを網羅することで、遅と速、長と短、獰猛と憂鬱をまたにかける不穏な混沌を生み出すことに成功したのです。
「様々なジャンルのある種のお決まりをコピーペーストするだけでは、あまりにあからさまだし、必ずしも素晴らしい曲作りになるとは限らない。その代わりに、僕たちはそれらの異質なサウンドの間に存在する音の海溝を掘り下げようとしているんだ」
とはいえ、SUCCUMB の “クロスオーバー” は単なる “いいとこ取り” ではありません。だからこそ彼らの発する “無形の恐怖” はあまりに現代的かつ唯我独尊で、基本的はよりアンビエントで実験的なアーティストを扱うレーベル The Flenser にも認められたのでしょう。そう、このアルバムにはリアルタイムの暴力と恐怖が常に流れているのです。その源流には、環境破壊や極右の台頭、世界の分断といった彼らが今、リアルタイムで感じている怒りがありました。
「義和団の乱を選んだのは個人的な選択だけど、祖先や自然の神への崇拝を否定する西洋化やキリスト教に反対しているという点では、このアルバムの趣旨と関係があるのよね。私は太平洋の小さな島の出身なんだけど、その島は恐ろしい宣教師と彼らの間違った道徳によって、固有の文化や習慣の多くが一掃されてしまったの」
アルバムの中心にあるのは、自然や大地を守っていくことの大切さ。アルバム・タイトル “XXI” は21番目のタロットカード “The World” を指し示していますが、正位置では永遠不滅、逆位置では堕落や調和の崩壊を意味するこのカードはまさに SUCCUMB が表現したかったリアルタイム、2021年の “世界” を象徴しているのです。
特に、義和団の乱を扱った “8 Trigrams” には彼らの想いが凝縮しています。中国の文化や貿易だけでなく、自然崇拝や宗教まで制圧し植民地化した列強と、それに激しく対抗した義和団。中でも、道教の自然や四元素へのつながりと敬愛を基にした八掛結社は、先住民の文化や習慣を抑圧し軍事基地や核実験の場として使用された太平洋の島を出自にもつ Cheri にとっては共感をせずにはいられない歴史の一ページに違いありません。そうして、世界がまた抑圧を強いるならば、私たちが音楽で義和団になろう。そんな決意までも読み取れる壮絶な7分間でアルバムは幕を閉じるのです。
今回弊誌では、太平洋の島からベイエリアに移住した Cheri Musrasrik とカナダ出身 Derek Webster にインタビューを行うことができました。「90年代は音楽業界で “成功する” 可能性についての妄想を捨てるというメタル界の考え方の変化により、多くの実験が行われたんだよ。アーティストが自分たちのサウンドを進歩させるために外部のインスピレーションを求めるようになり、その結果、TYPE O NEGATIVE などのバンドが大成功を収めることになったように思えるね」どうぞ!!
“This Record Is Just Very Pro-good Human Being. Pro Spirituality. Pro progress…”
RADICAL
アルコール依存症、結婚生活の困難、そして悪化する実存的危機と闘いながら、EVERY TIME I DIE のフロントマン Keith Buckley はどん底に落ちていました。バッファローの英傑たちが満を持して発表した9枚目のアルバム “Radical” はそんな地獄からの生還を綴ったロードマップであり、Keith にとって重要な人生の変化を追った作品と言えます。
前作 “Low Teens” からの数年間で、Keith は自分の人生と目標を再評価する時間を得られました。それは Keith にとって大きな転機となり、より健康的で楽観的な生活態度を取り戻すことにつながりました。同時にその変化は新譜にも深く刻まれ、プロジェクトに新鮮な音楽的アプローチをもたらすこととなるのです。”Radical” は、バンドのスタイルにおける限界を押し広げると同時に、彼らの特徴である視点を、より賢明で全体的な世界観へと再構築することになりました。鮮やかなカバーアート、狂気じみた新曲、そして迫真の演奏のすべてが、”ラディカル” な時代の “ラディカル” な心に寄り添う、2021年に相応しい作品でしょう。
あまりにも長い間、Keith Buckley は自分自身よりも、バンドやソング・ライティングに対して正直で居続けてしまいました。2020年3月に9枚目のアルバム “Radical” の制作を終えたとき、EVERY TIME I DIE のフロントマンはまだ酒に飲まれていて、家庭生活の静かな平穏とツアーの喧騒なる混沌を調和させるのに苦労し、何かが正しくないという逃れられない感覚と格闘し苦戦していました。ニューヨーク州バッファローにある GCR Audio の赤レンガの要塞の中で、信頼するプロデューサー、Will Putney と共に彼が絞り出した歌詞は、閉所恐怖症と限界に達した魂の不満が滲んでいましたが、それでも彼はまだなされるべき変化と折り合いをつけたばかりであったのです。
「自分の居場所がないことを知るために、自分の人生の惨めさを書く必要があったんだ」
Keith は率直に語ります。「一度アルバムが出たら、以前の自分には戻れないとわかっていた。だからこそ、”急進的な革命” なんだよ」
2016年にリリースした8枚目のLP “Low Teens” まで時を巻き戻しましょう。当時の妻Lindsay と娘 Zuzana の命を救った緊急帝王切開は成功しましたが、そのストレスと不安によって煽られた節目、その感情と衝動は Keith の曲作りに対する鮮明さと即応性を変化させました。彼は、アイデアをバラバラにするのではなく、生きたシナリオ、あるいは潜在意識の奥底から抜き出したシナリオを描くようになったのです。そうして彼は、これからの作品には引き金となる何か同様のトラウマ的な出来事が必要だろうとつぶやいていました。
2019年後半には EVERY TIME I DIE にとってのルーティンである2~3年のアルバム・サイクルは終了していました。一見、そのようなトラウマや傷は存在しないようにも思えましたが、Keith が自分の皮膚の下を掻きむしると、刺激の欠如がより深く、より深い不満の症状であることを伝え始めたのです。
「自分を見つめ直し、自分がどん底のアルコール依存症であることに気づいた。最悪の夫であり、おそらく最悪の父親だった。間違いなく最悪の自分だったんだ」
19ヵ月後、すべてが変わりました。Keith は1年間断酒を続け、妻とは別居しています。晴れた日の午後、都会から100マイル離れた森の中で娘の Zuzana とキャンプを楽しんでいます。そして、”Radical” がようやく日の目を見ることができたのは、16曲のアルバムに込められた自分の意志による変化を完全に理解し、それを実現する時間があったからだと、彼は強調するのです。「以前の自分に戻るつもりはなかったんだ…」と。
“AWOL”(「私たちの間の空間は、血も指紋もない犯罪現場のようだ」)や “White Void”(「暖かさが消えれば、終わりはただ永遠に続く/ここにいる必要はない、このまま生きる必要はない」)といったトラックには、ほとんど解釈の余地はありません。
「正直なところ、このアルバムには、自分が答えを出さなければならないと思って書いたことがあるんだ。このアルバムには道徳的な宣言が詰まっているよ。曖昧さがないんだ。脇道へそれることもない。花形的な比喩もない。俺は、人々がクソのように扱われ、俺自身もクソのように扱われることにうんざりしていると言っているんだよ」
当初、このパンデミックは立ち止まって考えるきっかけになりました。Keith は何年も前から家族を残してツアーに出ることを心配していました。だからこそ、今5歳になる Zuzana とロックダウンで一緒に過ごす時間は、次にいつ荷物をまとめなければならないかという心配をせずに済むとてもほっとするものだったのです。
「自分の人生を思い切って変えてみたんだよ。パンデミックですべてが頭打ちになったんだ。というのも、このアルバムはその時すでに作曲とレコーディングを終えていたからね。パンデミックは、実際にはレコードにまったく影響を与えなかったけど、レコードの生き方には影響を与えたよ。”Post-Boredom” のような曲は、パンデミックの後、新しい意味を持つようになった。”Dark Distance” のような曲は、パンデミックの前に、疫病が起こるように頼んでいることを今思えば少し奇妙に見えるな。
これらの曲は、俺が抱いていた恐れを顕在化させなければ、充実した人生を送れないと思ったことを歌っている。俺はパンデミックに耐え、その間に自分の人生を本当に変える必要があることに気づいたんだ。何かが間違っていると思った。そして、自分自身の真実を見つけ、それを受け入れ、それに従って生きていこうと決めたんだよな。まさにラディカルな時期だった」
実際、”Post-Boredom” は、バンドがこれまでに作った曲の中で、最も奇妙で最もキャッチーな曲かもしれません。パンク・ロックのエネルギーに満ちたこの曲は、異世界のブリッジセクションを誇り、強烈なクレッシェンドと “私の消滅” というリフレインがリスナーの精神に深く入り込むサビが特徴的で、絶対的に耳に残る曲。Keith はこのフレーズを信頼できる歌詞ノートに書き留め、ずっと曲の中で使いたいと考えていました。
「正直言って、このフレーズを歌うのは楽しいんだ。FALL OUT BOY のJoe Trohman と Andy Hurley と一緒に THE DAMMNED THINGS に参加して学んだことの一つは、彼らは文字通りナンバーワンのヒットシングルを出していて、時に人々は言葉の意味より語感を好むということを理解しなければならないということ。曲の意味という十字架に、いつも釘付けになる必要はないんだ。このフレーズは俺にとってとても中毒性があるように思えたし、それを使うことができてうれしいよ」
Keith はボーカリストですが、ゲストボーカルを招いてアルバムをさらに向上させることに躊躇がありません。
「MANCHESTER ORCHESTRA の Andy Hull は俺の世代におけるアート・ガーファンクルのような存在だから、本当に感謝している。サイモン&ガーファンクルが大好きだから、これは最高の賛辞として言っているんだ。Andy と俺との間には、友達以上の深いつながりがあるように感じるんだ。何に対しても同じような視点を持っているんだ、わかるだろ?それで、”Thing With Features” ができたんだ。Andy はスピリチュアルな人だし、たぶん宗教的でもあると思うんだ。この曲は亡くなった俺の妹のことを歌っているんだ。だから彼が参加することは俺にとって重要だった。なぜなら、彼なら歌詞を理解し、その内容を伝えれば、それを感じてくれると思ったからだ。そう、彼はそれを感じてくれたんだ。スタジオでそれを聴いた人たちはみんなそれを感じて、涙が出ていたよ。だから、本当に素晴らしい経験だったよ」
I Asked If We Could Do a Telepathic Meeting, Where We All Stopped And Closed Our Eyes At The Same Moment — No Matter Where We Were Doing — And Channeled Our Energies Into The Center Of This Project
BLOOD MOON
パンデミックにより、バンド・メンバーがアメリカの両端で隔離されている場合、どのようにコラボレートするのがベストでしょうか? インターネットは互いの距離を縮める強力なツールですが、コラボレーターの一人が Chelsea Wolfe のようにゴシックな要素を抱えている場合は、より形而上的な方法で意味のあるつながりを見いだすことになります。
「私は、テレパシー会議ができないかと尋ねたの。アメリカのどこで何をしていようと、全員が同じ瞬間に立ち止まって目を閉じ、エネルギーをこのプロジェクトの中心に注ぎ込むというものよ。私たちはそれを “テレパシー・ズームコール “と呼ぶことにしたのだけも、これはとても面白いと思うわ」
そのプロジェクトとは “Bloodmoon”。ハードコアの先駆者 CONVERGE の4人、Jacob Bannon, Kurt Ballou, Nate Newton, Ben Koller, マルチ奏者 の Ben Chisholm、CAVE IN のフロントマン Stephen Brodsky、そして Wolfe のジョイント・プロジェクト。
「テレパシーでそれぞれが異なる経験をしたわ。Ben Koller は、ステージで曲を演奏している私たちを想像していた。Stephen Brodsky は、ニューヨークの街を歩きながら曲を聴き、立ち止まって私たち全員の努力に感謝していた。私は瞑想をして、私たちが円になって座っているところを想像していたわね…。それはちょうど、心の中の甘い出会いのようなものだったわ」
CONVERGE のヴォーカリスト、Jacob Bannon は、”スピリチュアルでソウルフルな” Wolfeについて、「彼女は、世界の物事が白か黒かだけではないことをとてもよく理解している人だ」と語っています。
「彼女の軽やかなアプローチは、CONVERGE が慣れ親しんできたものとは全く異なるものだ。俺たちはそういったものを嫌っているわけではないけど、パンクのバブルの中で生きているから、肉や骨ではないもの、目の前にないすべてのものを拒絶している。だから、そういったスピリチュアルなものに触れることもあまりないんだよね」
一方の Wolfe は CONVERGE との融合をどう捉えているのでしょうか?
「CONVERGE は、音楽的に自分たちの道を切り開く、そんな世界に存在しているわ。もちろん、ハードコアに根ざしていることは確かだけど、彼らはそれを使って独自の道を歩んで、自分たちの領域のリーダーになったの。私自身のプロジェクトは、常にさまざまなジャンルでやっぱり独自の道を歩んできたように思うわ。ロックの世界が基本だけど、エレクトロニクスを試したり、フォークミュージックを取り入れたりしてきた。つまり、私たちは自分たちのやり方を試すことに前向きで、ある意味、音楽的な感性がうまく融合したんだと思うの。2016年のショーのために初めて集まってセットを作り始めたとき、その相性の良さは明らかだった。いとも簡単に融合したの」
Wolfe は自身の歌声と Bannon の叫びを陰と陽に例えます。
「最終的な結果という意味では、陰と陽の関係になったわね。それが面白いところよ。というのも、私たちは CONVERGE の確立されたサウンドと存在感を知っているから。それは私にとって魅力的で、その逆もまた然り。この二つの世界を融合させたいと思ったわ。でも同時に、私たちがやっていることをもっと浄化したり、少なくとも深みやダイナミクスを加えたりしたいとも願ったの」
哲学的にも、音楽的にも、あるいはラインナップの充実からも、”Bloodmoon: I” は、CONVERGE にとって、ユニークで、大きな変化をもたらすアルバムとなりました。まさにブラッド・ムーンを仰ぐ部分月食の11月19日に発売されたこの作品は、90年代初頭からバンドが磨き上げてきた、メタリック・ハードコアの唸りや地響きをバイブルに、スパゲッティ・ウエスタン・ゴス(”Scorpion’s Sting”)、コーラルでメランコリックなプログレッシブ(”Coil”)、空想的なサバティアン・スラッジ(”Flower Moon”)といった “部外者” との多様なケミストリーも頻繁に顔をのぞかせます。LED ZEPPELIN の遺伝子をひく “Lord of Liars”のようなクラシック・ロック回帰も含めて。CONVERGE 本体とコラボレーターとの間の相乗効果はシームレスで、作品をビーストモードでアップ・グレードしています。もちろんCONVERGE の幅広いディスコグラフィーは常にハードコア以上のものを示唆してきましたが、”Bloodmoon.I” で赤の月の軌道は拡張され、最もその異変を如実に知らしめます。つまりこのアルバムは、CONVERGE の “何でもあり” のアプローチを、最も贅沢に表現した作品なのです。
「俺たちはダイナミックなバンドで、そのサウンドには様々なものがあるんだが、主に、翼竜をバックにしたチェーンソーのようなサウンドで知られている(笑)」
Bannon の言葉通り、このフロントマンは作品の中で最も人間離れした悲痛な遠吠えを持っているに違いありません。Wolfe も Bannon に対して同様に原始的な印象を持っており、彼のボーカルを「虚空に向かって叫ぶ朽ち果てた頭蓋骨」と表現していますが、これは二人の共同ボーカルに対する完璧なメタル的表現でしょう。しかし、何十年にもわたってその力強さを維持することは、Bannon 自身も認めるように、肉体的な犠牲を伴います。
「この30年間、叫び続けてきたことで自分自身に大きなダメージを与えてきたんだけど、今でもやってきたことはやれるぜ。喉に瘢痕組織がたくさんあるから、気持ちよく歌える音やコントロールできる音はほんの一握りしかないし、混乱しているけどな。俺には広い声域はないし、長い時間をかけて研ぎ澄まされ、調整された筋肉でもないだけど、全く別のものがあるから、俺はそれで満足しているんだ。俺はラウドなボーカリストだけど、ラウド・ボーカルは他のスタイルに比べてインパクトやパーカッションとの関係が深いんだよな。というのも、一般的にはビートに合わせて歌うことになるし、音声的にも、自分の中から何かを引き出すために強く押し出さなければならないから硬くなってしまう。だから、伝統的なボーカリストのように、コミュニケーション・ツールというよりは楽器になってしまう。まあ、Chelsea も、やりたいときには残忍なことをやっているし、Stephen はもちろん、Kurt も Ben も時には歌っている。俺たちはこのダイナミクスに賭けていて、レコードの中でいろいろなところを行ったり来たりしているわけさ」
Bannon は “Bloodmoon.I” での自らのパフォーマンスを過小評価しているようです。しかし、自分の限界を知ることには強さにつながります。Bannon がこの作品を “全員が自らのエゴを封印した” と語るように、限界を知り、自分一人では到達できなかったであろうメロディーを、コラボレーターである Wolfe と Brodsky に委ね、彼らが具現化してくれたことに感謝しているのです。
「俺の頭の中では、いつも Ronnie James Dio のためにボーカル・メロディーを書いているんだけど、俺は彼のように歌うことはできないからな。Ronnie James Dio の知り合いでもなかったし、彼は死んでしまった。だから、Stephen Brodsky に任せたんだ」
“Bloodmoon” プロジェクトが本格的に始動したのは2016年のこと。当時、CONVERGE は Wolfe、Chisholm、Brodsky の3人に声をかけ、ハードコア・グループのカタログの中で、よりムードのある、あまり知られていない部分を強調するため短期間のヨーロッパ・ツアーを行い、オランダの Roadburn Festival で今では伝説となっているセットを披露しました。Bannon が Wolfe との出会いを振り返ります。
「彼女のセカンド・アルバム “Apolaklypsis” を手にしたのは2009年くらいだったと思うけど、すっかり魅了されてしまったね。すばらしいレコードだと思った。その後、俺たちがツアーに出ているときに会うことになったんだが、シアトルか、少なくともシアトルの近くで Chelsea も Ben もそのあたりにいて、ライブに来てくれたんだ。それ以来、さまざまな形で連絡を取り合っていた。Ben とはいくつかのプロジェクトで一緒に仕事をしたし… CONVERGE でもっと広がりのあるダイナミックな活動をして自分たちの世界を広げていくには、他の創造的な声を持ったミュージシャンと一緒に演奏することが必要だと常に考えていたんだ。そんな話をしていたら、二人と一緒に仕事をするというアイデアが頻繁に出るようになった。2009年から今まで、ずいぶん長い時間が経ったように感じるけど、人を集めるにはスロー・バーンが必要なんだよな。2016年にはヨーロッパでいくつかのショーを行ったけど、そのうちの1つがイギリスのロンドンで “Converge Bloodmoon” として行ったもの、これが本質だ。CONVERGE の曲をベースにアイデアを膨らませたもので、幸運にも Ben と Chelsea 、そして Stephen Brodsky がその最初のライブに同行してくれたんだ。相性はとても良くて、みんなとても仲良くなれた。だから、その後も続けていきたいと思えたんだ」
Brodsky をメンバーに加えたのは、彼がすでに CONVERGE ファミリーの一員であったことから、自然な流れでした。Brodsky は、1998年に発表された CONVERGE のアルバム “When Forever Comes Crashing” でベースを担当しており、さらに2009年に発表された “Axe to Fall “では、CAVE IN と CONVERGE のメンバーが合体して大規模なレッキングクルーとなり2曲を演奏しています。さらに Brodsky は、CONVERGE のメンバーと他にも2つのバンドで共演しています。Koller との MUTOID MAN と、CAVE IN。長年ベーシストであった Caleb Scofield の死後、2018年に Newton を招き入れたのです。Bannon が回想します。
「Stephen とは10代の頃からの付き合いだよ。俺の意見では、彼は俺が知っている中で最も才能のある、自然なプレーヤーの一人だと思う。それは、彼が技術的なスキルを磨いてきたからで、一見すると何の苦労もないように見えるけど、実際には10代の頃にベッドルームで100万時間も練習を重ねていたから。 実は彼は、90年代後半に CAVE IN が活動を休止していたときに、初期の段階で俺たちのバンドにベースで参加していたんだ。彼が CAVE IN の活動を再開したことで、俺たちは別々の方向に進んだよ。でもずっと仲が良くて、彼は俺たちのドラマー Ben Koller とも親しくしていた。それに彼は、Kurt の昔のルームメイトでもあり、Nate と一緒にバンド活動をしているんだ。Stephen はこのプロジェクトにとてもパワフルな音楽的感性をもたらしてくれた。彼のリフやメロディのアイデアは、とてもパワフルだよ。このバンドでも、彼の他のすべての活動でも、特別な線で俺とつながっている。まあ俺は彼のただのファンだから、彼と一緒に仕事ができたことは本当に特別なことだったよ」
Chisholm も同様に、数年前から CONVERGE の近くにいて、”Revelator” という名前で、Bannon のポストロック・プロジェクト WEAR YOUR WOUNDS とのスプリット7インチをリリースしています。また、Chisholm は過去10年間に Wolfe と共演したり、アルバムを制作したりもしていて、彼女に CONVERGE の音楽を紹介した人物でもあるのです。
さらに、Wolfe と MUTOID MAN がともに Sargent House Records と契約していたこともあり、Wolfe はパーティーやフェスティバルで何度も Brodsky と遭遇していて、プラハの街を歩き回っている時、彼と意気投合したこともありました。
「ビートルズが演奏したこともあるアリーナに忍び込んで、Stephen に METALLICA の曲か何かを歌ってもらったの。あの時の音は最高だったわ」
“It’s About Using This Often Abrasive, Sometimes Pretty Music, To Paint a Picture Of Internal Turmoil And Use The Band As a Healthy Release Of That, And Maybe Help Someone In The Process Who May Be Going Through The Same Things.”
DISC REVIEW “THE CRIMSON CORRIDOR”
「たしかにメタリック・ハードコアのシーンは長い間、画一的で飽和状態に “あった” と思うよ。俺たちもおそらく一度や二度はそのような状況に陥って、罪悪感を抱いたことがあるんだから」
ウェストバージニア州の英雄 ZAO は、今年結成28年目を迎えました。彼らは90年代半ばのメタリック・ハードコアの死や、自らが生み出したテクニカル・メタルコアの盛衰を乗り越え、何度も解散、再結成、メンバーチェンジを繰り返しながら、ホラー映画の悪役のように繰り返し蘇り、今もこの場所にいます。
「多数のメンバーチェンジが行われる前から、クリスチャンだったメンバーたちは信念を変えたか、もしくは変えなかった人たちも “俺たちはクリスチャン・バンドだ” というメッセージを押し通すことは、俺たちが伝えたいことを伝えるのに適していないと判断したんだよね」
ZAO は1993年、キリスト教に焦点を当てたハードコアを作ることを目的に結成されました。ハードコアというジャンルは、テーマに関わらず極論を唱える傾向がありますが、ZAO は彼らの宗教観を前面に押し出していました。祭壇に呼ばれたり、ステージ上で説教が行われたりするのが初期のライブの特徴。
2代目ヴォーカル、Shawn Jonas は、1996年初頭のライブ映像で、「我々はイエス・キリストを崇拝し、彼の前に出るためにここに来た」と熱心に宣言しているほど。そうして若いキッズにとって想像が現実を超越し、神話のような存在となった ZAO は、数多の内部抗争を克服し、リアリティーを伴った “蔵王” の復活を成し遂げたのです。
「ZAO は、自分たちの本能に従って正しいと思うことをするときにこそ、いつも最高の仕事をやってのけるんだ。最近の “メタリック・ハードコア” には、メタルやハードコアとは関係のない外部の要素がたくさん入り込んできているけど、それはとても良いことだよ。俺たちは様々なタイプの音楽が好きだし、ZAO のように聴こえるなら何をやってもいいという自由は、俺たちにとって大きな意味を持っているんだよ」
自らのレーベルを立ち上げ、売り上げや権力を気にかけない自由を得た ZAO は、例えば自らより若い YASHIRA や THOU のような多様性を遺憾なく発揮することになりました。大御所として神話の中の存在でありながら、あくまで自らの本能に従い正直に音楽と対峙し挑戦し続ける ZAO の姿勢こそハードコアであり、CODE ORANGE など現在のシーンを牽引する若手からリスペクトを浴びる理由なのでしょう。
もちろん、”Sprinter Shards” や “Blood and Fire” といった名曲は今でも健在ですが、2016年に発表されたアルバム “The Well-Intentioned Virus” でネクスト・レベルへと到達したコンポジションは、5年の月日を経た “The Crimson Corridor” で一つの究極へと達しました。
「俺たちにとっての ZAO は、攻撃性を解放するためのものだ。バンドとして、俺たちは “重い” 音楽を作りたいと思っている。ヘヴィーといっても、いろいろな意味があるんだ。俺たちにとっては、ハードコア、メタル、デスメタル、さらにはラウドではないけれど “エモーショナル・ヘヴィー” “感情的にヘヴィー” なものまで、すべてが語彙の一部なんだよ」
長い年月で培った豊富な語彙によって、映画のようなメタルコアの世界が現実のものとなりました。一つのリフごとにすべての破壊を目指すのではなく、よりムードを重視したアプローチを交え真綿で首を絞めるように、”感情的にヘヴィー” な情景をそのフィルムへと収めていきます。”Into The Jaws of Dread” のポスト・メタルやサイケデリカな色彩、”Croatoan” の瞑想的で冷ややかな質感、タイトルトラック “The Crimson Corridor” の陰鬱でドゥーミーな音の葉、”R,I.P.W.” のひりつくようなエスニック・プログレッシブ、”Nothing’s Form” の慟哭は、バンドが今でも進化を続けている美しき証明でしょう。しかし同時に、どの楽曲にもメタルコアの矜持を盛り込むことで、対比の美学は凛然とその輝きを増していきます。
「今、音楽に何ができるのかはわからない。世界に会話がないから、もう音楽を通しても会話をすることができないように思えるんだ。自分の言っていることに同意してくれる人たちに向けて歌を歌うか、自分に同意しない人たちを排除するかのどちらかだから」
文字通り、真紅の廻廊のように幻滅からニヒリズムのスパイラルを辿るアルバムは、メロディアスなベースライン、メランコリックなバイオリン、そしてスローモーションのようなドラミングに駆動する圧倒的なリフワークなど、あらゆる要素が盛り込まれた “The Web” でその幕を閉じます。熟成を極めたエレガントなレコードを集約した “The Web” はまるで上質なワインのごとき輝きを秘めています。それでも野蛮で野心的なアルコールの攻撃がリスナーをジワジワと悩殺していくのですが。
今回弊誌では、ドラマー Jeff Gretz にインタビューを行うことができました。「このバンドの全体的なメッセージは、感情的な正直さだよ。それは、この時に耳障りな、時に美しい音楽を使って、内面的な混乱の絵を描き、それを健全に解放するためにバンドで演奏し、その過程で同じようなことを経験しているかもしれない誰かを助けることなんだ」 どうぞ!!