“On The Piano The Bass Lines Are Played With The Left Hand And Treble Lines Are Played With The Right Hand. I Had To Turn The Guitar Upside Down On Its Headstock So I Could Tap Out The Lines The Same Way a Pianist Would.”
DISC REVIEW “STRONG LIKE BULL”
「僕のサウンドは、人と違う音を出したいという欲求から生まれているんだ。僕のギターはアクションが高く設定されていて、とても弾きにくいんだ。アクションを低く設定すると、他の多くのプレイヤーと同じような演奏になってしまうからね。僕はスケールやアルペジオ、弦のスキッピングをとても速く弾けるから、もし弾きやすいギターを自由に弾かせたら、他の人と同じようなサウンドになってしまう。だからその代わりに、自分が欲しいトーンを得るためにギターと戦わなければならないようにしている。自分にとって弾きにくいギターを作るんだ。もしそれが、太いトーンのためにリードの流動性を犠牲にすることを意味するなら、そうすればいいとね」
SNSやストリーミングの普及によって、ギターの探求はより身近で、簡単なものへと変わりました。音や弾き方の正解がそこかしこにあふれる世界で、ギターの敷居はかつてないほどに下がり、誰もが最速で上達できる環境が整っています。しかし、正解だけが、効率だけが、ステレオタイプだけが求められるギター世界は、本当に魅力的なのでしょうか?
「1980年、兄がピアノでモーツァルトを弾いているのを聴いているときに、逆さ両手タッピング奏法を思いついたんだ。ピアノでは低音は左手、高音は右手で弾く。だから私は、ピアニストと同じようにラインをタッピングできるように、ギターのヘッドストックを逆さまにしなければならなかったんだよ」
Randy Rhoads の弟子として知られる Chet Thompson は、決して効率的なギタリストではありません。ギターは重くて速弾きに向かないレスポール。太い弦を張り、さらにその弦高をわざと高く設定して、流動性を犠牲にしながらファットなトーンを追求します。それはギターとの戦い。効率や正解などクソ食らえ。自分が思い描いた理想を具現化することこそがギタリズム。そこから生まれる個性こそがギターの楽しさであり、多様性。そうして、Chet の類まれなる個性、反効率の精神はついにギターを担ぐことに集約しました。
ギターをピアノに模して弾く。Stanley Jordan をはじめ、両手タップでギターを奏でるプレイヤーは何人かいます。しかし Chet はそれだけでは飽きたりません。ピアノと同様、右手で高音を、左手で低音を奏でるためにギターを肩へと担ぎ上げたのです。効率は最悪でしょう。誰もそんなことはやりません。しかし、誰もやらないからこそ意味がある。すぐに彼の音だとわかる。それは、今のギター世界から失われてしまった魔法なのかもしれません。
「Youtuber から音楽を学ぶことについてどう思うか、という質問に対する僕の答えは簡単。ただ楽しんで曲を覚えるだけならいいけど、自分のスタイルを作りたいなら、自分だけのサウンドとスタイルを作る長い旅に出なければならない。Randy Rhoads はいつも、彼から学んだことを自分のものにしなさいと言っていた。だから、Randy のそのアドバイスを受けとることを勧めるよ」
妻の死に衝撃を受け、セラピーのため久々にギターを手に取り生み出したソロアルバム “Strong Like Bull”。アルバムには、喪失に打ち勝つ牛のような強さと共に、教えを受けた Randy Rhoads, Eddie Van Halen の哲学が織り込まれています。Djent やギターの進化を認めながらも、記憶に残るソロや耳に最も心地よいノーマルチューニングでのグルーヴにこだわる Chet のギタリズムは、よりポップに、流麗に、その歌声と共に明らかな進化を遂げています。実際はそんなにギターを担がないけれど、それでも十二分に個性的かつ魅力的。あの時代にこれをやっていれば、また違う未来もあったのかもしれません。それでも Chet はまだギターを置いてはいません。もしかすると、それだけで十分なのかもしれませんね。
今回弊誌では、Chet Thompson にインタビューを行うことができました。「Randy に学んでいたとき、ジャムったときにとてもクリエイティブなリードを思いついたから、彼に最高の生徒だと言われたんだ。どうやってアイデアを思いつくのかと聞かれたから、クラシック・ギターも勉強していると答えたよ。すると彼は目を輝かせて、そのクラシック・ギターの先生を紹介してくれと言ったんだ。僕は Randy にクラシック・ギターの先生を紹介し、彼はその先生に師事することになった。だから Randy の Ozzy とのプレイや、HELLION の “Screams in the Night” のレコードに収録されている僕の曲のいくつかには、クラシックの影響が見て取れるわけさ」 どうぞ!!
“I Personally Am Obsessed With Whatever That Magic Is That Makes Records “Classic”. So I Spent a Lot Of Time Over The Past Few Years Listening To All These Records That We Give This Honor And Taking In What They Had To Say.”
DISC REVIEW “Where we’ve been, where we go from here”
「レコードを “クラシック” にする魔法、それが何であれ、それに取り憑かれている。だから、ここ数年、僕たちはそうした “名盤” だと思えるレコードを聴き、そのレコードが語っていることを受け止めることに多くの時間を費やしてきた。僕にとって、これらの “名盤” たちに共通しているのは、彼らが何かを語っているということ。それが言葉であれ音楽的なものであれ、そこには目に見える即効性があった。”Pet Sounds” における即効性は、”OK Computer” における即効性とはまったく違うけれど、それでも僕の中では同じカテゴリーのものなんだ」
“friko4u”。みんなのためのFRIKO。それはシカゴのインディー・ロック・シーン、HalloGallo 集団から登場し、瞬く間に世界を席巻した FRIKO のインスタグラムにおけるハンドル・ネーム。FRIKO が何者であろうと、彼らの音楽は世界中から聴かれるために、つまり音楽ファンの喜びのために作られているのです。
そのために、FRIKO のフロントマン Niko Kapetan とドラマー Bailey Minzenberger は、THE BEACH BOYS から RADIOHEAD まで、自らが名盤と信じる作品を解析し、”目に見える即効性” という共通点へとたどりつきました。カラフルであろうと、難解であろうと、先鋭であろうと、名盤には必ずある種の即効性が存在する。そうして彼らは、その信念を自らのデビュー・フル “Where we’ve been, where we go from here” へと封じ込めました。
「シカゴのシーンがとにかくフレンドリーであるところだと思う。たとえば他の3つのバンドと一緒にライブをすると、みんなお互いのセットに残って見てくれる。みんなコラボレーションしたり、他のバンドで演奏したりする。シカゴは、LAやニューヨークのような他のアメリカの主要都市と違って、20代から30代前半の人たちが手頃な家賃で住めるということもあると思う。だから、ここでの生活をエキサイティングなものにしようとする若者がたくさんいるんだよ」
アルバムに込められた想い。それは、”私たちがいた場所、そしてここから進む場所”。シカゴのインディー・シーンは決してLAやNYCのように巨大ではありませんが、それを補ってありあまるほどのエナジーと優しさがありました。競争ではなく共闘。その寛容さが彼らを世界規模のバンドへと押し上げました。DINASOUR JR? ARCADE FIRE? THE CURE? レナード・コーエン?ショパンにワグナー?!比較されてもかまわない。彼らは “名盤” のタイムマシンでただ世界を笑顔にしたいだけなのです。
FRIKO のオフィシャル・サイトの URL は “whoisfriko.com”。そこには ARCTIC MONKEYS が2006年に発表したEP “Who the Fuck Are Arctic Monkeys” を彷彿とさせる不敵さがあります。きっとFRIKO って誰?の裏側には、誰だって構わない、私たちは私たちだという強い信念が存在するはずです。
「SQUID, BLACK MIDI, BLACK COUNTRY, NEW ROAD の大ファンなんだ。彼らは、私たちよりもっとヴィルトゥオーゾ的なミュージシャンだと思うし、だから技術的なレベルでは太刀打ちできないから、エモーショナルでタイトなソングライティングの面でアクセントをつけようとしているんだ (笑)。でも、そうした新しいエネルギーが再びロック・ミュージックに戻ってきているのを見るのは素晴らしいことだし、若い人たちにとってはエキサイティングなことだと思う」
そうして FRIKO は、ポスト・ロックやプログまで抱きしめた新たな英国ポスト・パンクの波とも共闘します。いや、それ以上に彼らの寛容さこそが、長年すれ違い続けたアメリカと英国のロックの架け橋なのかもしれません。なぜなら、そこには David Bowie や QUEEN、そして THE BEATLES の魂までもが息づいているのですから。FRIKO は誰?その質問にはこう答えるしかありません。大西洋を音楽でつなぐエキサイティングな時計の “振り子” だと。
今回弊誌では、FRIKO にインタビューを行うことができました。「僕は宮崎駿の映画で育った。ジブリ映画は、僕が書く音楽に、音楽以外のどの作品よりも影響を与えている。宮崎駿には、世界中の人々に通じる特別な何かがあるんだ」 どうぞ!!
FRIKO “WHERE WE’VE BEEN, WHERE WE GO FROM HERE” : 10/10
REMEMBERING VITALIJ KUPRIJ (ARTENSION, RING OF FIRE, TRANS-SIBERIAN ORCHESTRA)
“Knowledge, Experience, and Confidence Are The Tools That I Use To Improve Myself. Knowledge Is Something You Gain As You Do It. You Apply Your Knowledge And Get Experience Out Of It. Confidence Is Something You Need In Your Vision To Survive And To Defend Your Point Of View As An Artist. Otherwise You Are Just a Copy Machine Or a Shallow Artist.”
HIGH DEFINITION
ウクライナ系アメリカ人のマエストロ、Vitalij Kuprij が亡くなりました。享年49歳。Vitalij は、コンサートホールのグランド・ピアノでベートーヴェンの協奏曲第4番を弾くのも、アリーナでフル・ロック・バンドに囲まれてネオクラシカル・メタルを披露するのも、両方お手のものでした。
Vitalij はクラシック、メタル、どちらのジャンルにも精通しており、クラシックの楽曲を演奏するソロ・アルバムと、コルグのキーボードでロックするプログ・メタル ARTENSION や RING OF FIRE でも存在感を発揮。のちに、あの TRANS-SIBERIAN ORCHESTRA にも加わり、メタル世界にとって不可欠な存在となっていきました。ARTENSION のファーストは本当に斬新で、キャッチーで、変態で、あの時代に消えかけていたプログ・メタルの炎を再燃させてくれました。
特筆すべきは、彼が教育をしっかりと受けたプロのクラシック奏者だったことで、当時メタル世界の演奏者に彼のような背景を持つ人物はほとんどいませんでした。だからこそ斬新で、個性的な作曲術、特殊なミキシング、鍵盤を打ちのめすような演奏、強烈なアイデンティティまで愛されるようになりました。アルバムを聴けば、音を聞けば、クレジットを見るまでもなく彼だとわかる。
だからこそ、あまりに早すぎるのです。ただでさえ、メタル世界にカリスマ的キーボーディストはほとんど残されていませんし、新たに登場してもいません。Jens Johansson, Andre Anderson, Jordan Rudess, Derek Shrenian…残念ながら、明らかに両手に収まるほどの人数です。Vitalij がこれから残すはずだった音楽、育てるはずだった人たち…あまりにも大きな喪失です。せめて、彼の言葉、ストーリー、メソッドをここに残しておきましょう。音楽は永遠に消えませんが、物語は語り継がねば消えてしまうのですから。
ウクライナやソビエトでは、メタルを学ぶことも簡単ではありませんでした。
「徐々に学んで行ったよ。私の国では何でも手に入るわけではなかったからね。西洋のロックバンドのほとんどは、ずっと後になってから来るようになった。私の国にはロック文化がなかったんだ。 でも結局、兄が洋楽をたくさん集めていたので、それを聴いて自分の音楽スタイルを確立していったんだ」
コンクールで優勝した後、Vitalij はソビエトで国内ツアーを行いその後、スイスでさらに修行を積みました。
「バーゼル音楽院で4年間、全額奨学金をもらって勉強したよ。有名なオーストリアのピアニスト、ルドルフ・ブッフビンダーに師事してね。彼は西洋の演奏スタイルや規律について多くのことを教えてくれたんだ。私はロマン派的でロシア的な環境で育ったので、ブッフビンダーは西欧的な規律ある態度で私を磨いてくれたんだよ」
ARTENSION のギタリスト Roger Staffelbach に出会ったのもスイス留学中でした。
「Roger はもう25年来の友人だよ。夏の間、スイスの小さな町に住んでいたんだけど、そこにピアノ・バーがあって、よく通ってジャムっていたんだよ。そこに Roger が入ってきて、自己紹介してくれたんだ。私はドイツ語が話せなかったから、少し言葉の壁はあったけど、彼はキーボード奏者を探していてね。彼と私は意気投合し、一緒に演奏するようになった。月曜日から金曜日まで、私は電車で1時間のところにある音楽アカデミーで音楽を学び、金曜日の夜、電車で Roger の家に行き、週末は彼のガレージでリハーサルをした。 日曜の夜はまたアカデミーに戻る。
Roger と私は、さらに2人のスイス人奏者と素晴らしいインストゥルメンタル・カルテットを結成したんだ。ATLANTIS RISING という名前だった。私はネオクラシックの曲を書き始め、カセットテープを作るためにお金をつぎ込んだ。カセットテープを300本は作ったと思う。私たちはスカンクのように無一文で、CDを作りたいだけのハングリーな少年だった!」
このカセットの一つが、シュレッドの総本山、シュラプネル・レコードに届くことになりました。
「シュラプネルの Mike Varney が聴いてくれたよ。Roger と私は2人ともアメリカに行くことになった。Roger が西海岸にいる間に、私はカーティス音楽院のオーディションを受けるためにフィラデルフィアに行ってね。 オーディションの後、私は Roger のところへ飛んで行き、その後2人でカリフォルニアのノバトへ飛んで Mike に会ったんだ。当時、シュラプネルは、私たちがやっていることと似たような音楽をたくさんリリースしていたからね。そして彼らは私たちと契約し、それが ARTENSION となったんだ」
世界でも有数の難関音楽学校に入学し、ARTENSION を結成してファースト・アルバムをリリースし、翌年にはファースト・ソロ・アルバムをリリース。カーティスに通いながら、どのようにすべてのバランスをとっていたのでしょう。
「大きなキャリアを築くのは、2つの分野を情熱的にターゲットにすると難しい。でも、私はそれがどんなに難しいことであっても気にしなかった。学期を終えて、他の学生が休みに入っている間、私はピアノで作曲をし、自分が何を書いていたかを思い出す。そしてカリフォルニアに飛び、ARTENSION でレコーディングをし、また戻ってクラシックの勉強に戻る。カーティスは厳しい学校で、おそらく世界ナンバーワンだろうな。
ARTENSION だと、”Phoenix Rising” は素晴らしいと思うし、もちろん “Into the Eye of the Storm” は最も印象に残る作品だけど、私は “Forces of Nature” が本当に好きなんだ。新しいベーシストとドラマー (John Onder と Shane Gaalaas が加わって、また違った雰囲気になった」
バンドは2枚のスタジオ・アルバムと、日本で録音された2枚組の素晴らしいライヴ・アルバムをリリースしました。ただ、Vitalij が参加していない作品もあります。
「Mark と私はいくつかの点で誤解しあっていた。大げさなことではなく、私たちが同意できなかったことがあっただけなんだ。ARTENSION は、キャリアの始まりという点で、私の心に少しだけ近かったので、私は ARTENSION と自分の作品に集中し続ける一方で、Mark には他のプレイヤーと一緒にやるように伝えたんだ」
Vitalij のソロアルバムはほとんどがインストゥルメンタルで、ソロのための十分なスペースがあり、鍵盤を前面に出しています。ARTENSION はボーカルを起用していますが、RING OF FIRE ほど大人しくはありません。
「ソロ作は私がほとんどの曲を書いたので、常にキーボード中心だ。ボーカルを書く機会も模索していたけどね。ボーカルものでは、私が派手になるという点では限界があったかもしれないけれど、ソロ・アルバムを通してならそれができる。 アルバムが進むにつれて、バンド自体のパワーに集中するようになったから、私が目立つことは少なくなった。でも、どのアルバムにも必ず私らしさがあるよ。
それに、ARTENSION では John West の音域を知り、バンドのスタイルを知り、バンド内のプレイヤー同士の相性を知りながら書くことも意識した。RING OF FIRE でも同じだ。
今は、ただ書いて、とてもパワフルでエモーショナルな感じの音楽にしたいと思っている。より作曲に集中し、より成熟したレベルに持っていく。自分が経験したことから集めた知識をすべて活用し、特定のバンドやプロジェクトをターゲットにすることなく、淡々と書いている。私はただ自分の書いたものを捕らえ、保存し、発展させ、変化させ、また戻ってきたいだけなのだ。 音楽を書くことは、とにかく驚異的だ。とても無邪気なプロセスで、新しい情報が生まれるから大好きだ。 何もないところから始めて、音楽的でスピリチュアルな情報を得る」
例えば、RING OF FIRE アルバムの中を見ると、”All music written by Vitalij Kuprij” と書かれていますが、ギター、ベース、ドラムのパートも Vitalij が書いているのでしょうか?
「すべての曲、すべてのパートをキーボードで書いているよ。だから、ギター、ドラム、ベースがキーボードで演奏され、他のメンバーが何を演奏すべきかの明確な方向性を示しているんだ。 特に後期のアルバムでは、より考え抜かれたものになっている。即興的なものはなるべく省いて、自分自身に任せるようにしている。 だからレコーディングのためにメンバーが集まったときには、構造的にはかなり練られているんだ。
ただ、決まった公式があってはならないと考えている。何かを目指さなくてはならないが、物事は自然に起こるものだ。それがあなたなのだから」
TRANS-SIBERIAN ORCHESTRA での最初のツアーは2009年のイースト・ツアーでした。
「あれは完全に “青天の霹靂” 。ある朝起きてコーヒーを飲み、メールをチェックした。彼らのマネジメントから、Paul O’Neill と会うためにフロリダまで来てほしいというメールが来ていた。 彼らがどのようにして私のことを知ったのかはわからない。Paul が何でもできてフレキシブルなキーボーディストを探していたのは知っている。彼はレコード業界で一緒に仕事をしたことのある人に電話して、その人が私を推薦してくれたんだ。数週間後、私はそこにいた」
“Balenciaga Or Moschino Are Great Examples In Fashion For Being Incredibly Technical Clothing That Doesn’t Take Itself Too Seriously. That’s Really What We Want The Most In Music, To Connect With People.”
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH JOEY CONCEPCION OF ARCH ENEMY !!
“Guitar Kids have to do it for the love of the music and find music that inspires them. In doing that, they will find their own sound. They should practice guitar every single day, and do it with passion or not at all.”
SHRED WITH PASSION
「音楽への愛情を原動力とすること。そしてインスピレーションを与えてくれる音楽を見つけることだね。そうすることで、自分の音を見つけることができる。毎日毎日ギターを練習し情熱を持ってやるべきで、それ以外は全くやらないのと同じだと思うよ」
“Shred With Passion”。情熱を秘めたシュレッド。それが新たに ARCH ENEMY に加わった新進気鋭、33歳のギタリスト Joey Concepcion の座右の銘です。コネチカット州出身のアメリカ人ギタリストは、メロデスへの愛とシュレッドへの情熱でついにビッグ・バンドへの挑戦権を勝ち取りました。しかし、栄光までの道のりは決して平坦なものではなかったのです。
「この10年間、たくさんのバンドとツアーをすることができて、信じられないような旅だった。ARMAGEDDON, THE ABSENCE, JASTA、そして SANCTUARY は、ツアー・ミュージシャンとしての僕を形成し、現在の僕へと導いてくれたんだ」
2008年、敬愛する LOUDNESS にも参加していた Mike Vescera からの依頼で、Joey のキャリアは幕を開けます。当時まだ17歳だった Joey は、アルバム “Sign of Things To Come” でギター・ソロを披露し、その若さとルックス、そしてハイパー・テクニカル&クラシカルなシュレッドで、あの偉大なる Jason Becker の後継者と目されるようになります。そう、彼のギターには、Jason 同様、天使と悪魔が宿っています。
「2012年に Christopher Amott から Skype でギターのレッスンを受け始めて、すぐに彼と親友になったんだ。その時に ARMAGEDDON に加入して、何年も一緒にプレイする中で、ARCH ENEMY と一緒にライヴをしたこともあったんだ。2015年のラウド・パークでの来日公演や、2016年のメキシコ・シティでの公演もあった。その時に、みんなでつるんで素晴らしい時間を過ごし、ARCH ENEMY のメンバーと仲良くなったんだ」
ただし、物事は、人生は決して一足飛びには進みません。THE ABSENCE, Jamie Jasta の JASTA, SANCTUARY と流浪し渡り歩く中で、徐々にその確かな才能と輝きが認められた Joey は、ギターの師匠で親友、ARMAGEDDON のバンド・メイトでもあった Christopher Amott の橋渡しによって ARCH ENEMY とのつながりを築きました。
2018年には Jeff Loomis の代役として ARCH ENEMY と欧州ツアーを敢行。そこで信頼を得た Joey が、Jeff の脱退に際してリストのトップにあがるのは当然でした。もちろん、あの NEVERMORE でテクニカル・メタルの真髄を極めた Jeff の後任というポジションは生半可なものではありません。それでも、Joey のシュレッドに対する情熱の炎は、きっと ARCH ENEMY をさらに前進させることでしょう。
同時に Joey は、自身のソロ・アルバムも2枚発表しています。デビュー作 “Alignment” のリリースに際して、Joey はこんな言葉を添えていました。
「このアルバムを、強迫性障害、不安障害、うつ病の患者たちに捧げたい。自分を信じ、ポジティブに、忍耐強く、常に最終的な結果を考えながら前に進めば、夢は必ず叶う。運命や宿命が生まれた時から決まっているかどうかはわからないよ」
そう、彼も多くのメタル戦士たちと同様に、不安と共に傷ついた心を抱える孤独なたちの味方です。それはきっと、自らも不遇な時代を過ごしてきたから。そう、どんなに世界から見放され、1人だと感じたとしても、愛するものを信じてやり続ければ、Joey のようにきっと夢はかなうのです。
今回弊誌では Joey Concepcion にインタビューを行うことができました。「LOUDNESS, CRYSTAL LAKE, EZO といったバンドも大好きだよ。ARCH ENEMY が日本ツアーで制作したライブ・アルバムは僕のお気に入りのひとつだし、武道館での Yngwie Malmsteen のライブ・アルバムや、Paul Gilbert と Mr.BIG のライブ・アルバムも大好きだ。僕の最も大切な瞬間のひとつは、ラウド・パーク15で ARCH ENEMY の演奏を観ることができた時なんだ」 どうぞ!!
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH BEN SHANBROM OF EARTHSIDE !!
“We Didn’t Want Anyone To Be Able To Question The “Cinematic” Description This Time. Seeing Hans Zimmer Live The Summer Before We Started Recording This Album Was a Huge Influence.”
DISC REVIEW “LET THE TRUTH SPEAK”
「このアルバムには、全く異なるプロダクションが必要とされた10曲が収録されているんだ。ほとんどすべての曲で異なる楽器編成と異なる制作アプローチが必要で、それはほとんどのバンドが1枚のレコードで対処する必要のないことだよ。また、このアルバムでは、僕たちが想像していたよりもはるかに野心的で、創造的なリスクを冒す必要もあった。”噛み切れないほど噛み切った”ということわざを地でいったんだ」
アメリカのシネマティック・メタル EARTHSIDE がデビューLP “A Dream in Static” でこのジャンルのファンを驚かせてから約10年。ラジョン・ウィザースプーン(SEVENDUST)やダニエル・トンプキンス(TesseracT)といった一流ゲストの協力のもと、知的なインストゥルメンテーションと荘厳な歌唱、息を呑むようなシンフォニックな要素を多彩かつ特異にブレンドしたこの作品は、2015年ベスト・アルバムのひとつとなりました。
「今回は、”シネマティック” という表現に誰も疑問を抱かないようにしたかったんだ。”Let The Truth Speak” においては、クラシック/スコアの要素をより統一感のあるものにしたかったんだよ。このアルバムのレコーディングに入る前の夏、ハンス・ジマーのライヴを観たことは大きな影響となったね」
幸運なことに、待望の続編 “Let the Truth Speak” はついに登場し、前作以上の評価を受けはじめています。待てば海路の日和あり。この作品はグループの成長と革新への貪欲さを示す類まれなる “2枚目” となり、前作で注目された点の多くを維持しながらも、よりシネマティック “映画的” となったアルバムで、リスナーはメタル版ハンス・ジマーの圧倒的な壮大と没入感を手に入れることとなりました。
「僕たちは人間として、民族として、そしてバブルの中で、たくさんの言葉を発している。そうして、必ずしも有意義に関与する資格も勉強もしていない事柄について、全員が発言することを自らに課してきたんだ。真実はそこらじゅうにあるのに、僕たちはそれを自分たちでノイズの中に埋没させてきたわけだよ。真実はそれ自体で語られるべき神聖なもの。だからこそ、常に報われるとは限らないけど、僕たちは様々な問題に関して最も耳を傾けるべき声を知り、その声が自分たちのものでないときには一歩下がる謙虚さを持つことが責任だと信じている。このアルバム・タイトルは、この作品を通して表現されている重要なテーマなんだ」
“狂気だが、美しい” と評されるアルバムにおいて、EARTHSIDE は現代の狂気を追求します。作品で上映される美しき天国、荘厳な聖歌、悲痛な咆哮、不吉な音の葉、そして激情と後悔と残忍。そのすべては、ノイズの中から真実を掘り出すための大いなるヒント。”真実を語らせろ”。
そう、テレビやSNS、インターネットには神聖なる “真実” を知りもしないのに、すべてを知っているかのようにまことしやかに偽や想像の真実を語る民衆があふれています。そうした憶測、嘘、欺瞞は、憶測、嘘、欺瞞を呼び、いつしかゴミの山のようにふくれあがり、そこにある真実を覆い隠してしまう。
我が国で起こった2024年初頭の悲劇。北陸の大地震や飛行機事故を見ればわかるはずです。専門家でも、当事者でもない人間の発する言葉はほとんどがノイズで、むしろ状況をひどく悪化させます。
ここ10年で世界に定着したノイズの海。EARTHSIDE はそうした分断と欺瞞の世界に危機感を感じ、だからこそ、世界の様々な文化、人生、背景を持つ語り部たるシンガーたちに、”真実” を語らせることにしたのです。そう、これは “私” だけの作品ではありません。”私たち” すべてにむけた世界を良くするための “音画” なのです。
今回弊誌では、Ben Shanbrom にインタビューを行うことができました。「10代の頃から日本の芸術性は、Dir en grey や宇多田への深い愛であれ、碇シンジとその仲間の実存的な葛藤であれ、僕に大きなインスピレーションを与えてくれたんだ」 二度目の登場。 どうぞ!!
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH BLIND EQUATION OF JAMES MCHENRY !!
“The Largest Influence On Our Music However Is The Touhou Soundtrack By ZUN. Especially Touhou 8 – Imperishable Night. Yume Nikki And It’s Fangames Have Also Been Largely Influential To Me For The Last Two Albums.”
“I grew up listening to a mix of American and Persian music, and I think that’s where my sound comes from. As I got older, I started exploring music more and now I listen to pretty much everything from all over the world. Actually, one of my friends just got me into Japanese prog music from the 1960s. It’s good! I still don’t know much about it, but it’s something I’m learning more about these days.
It would take me way too long to name all the artists that have inspired me, but I wouldn’t say they influenced my writing because I try not to emulate other artists. I want to create original sounding music with my own style. I think copying another artists is a waste of time. That’s just doing a worse version of something that already exists. I don’t want to do that. I want to enjoy their music, and then create my own. I probably do subconsciously draw from artists I listen to, but I try not to.”
“I don’t know if they consider it “devil’s music” but they do say it’s “against Islam” and therefore it is banned. I disagree with this idea, and I would say most Iranian people do as well. Their current government is anti-western culture, so they ban anything that is western influenced, like rock and metal music. But suppressing music just makes people want to engage with it more, so it’s a silly idea to me. I’ll leave it at that.”
“I’d like to know more about what is happening in Japan to spark these kinds of discussions. I think the best way to get along with a group of people you’re not familiar with is to get to know them. Once you scratch the surface, you will find more similarities between people than differences. We all want the same things, and we all have the same kinds of struggles, desires, etc. They just have different flavors to them. But to aliens, we all look the same, like big talking monkeys.
Unfortunately, you can’t force people to be tolerant of one another. I don’t know how to get those kinds of people to accept immigrants. But if someone wants to immigrate to your country, they probably have a love or admiration for it, so take it as a compliment. They’re not here to ruin your country. Immigrants just want to live their lives in peace, just like everyone else. It’s oftentimes scarier for them to move to a new country than it is for the natives to welcome them in. So be kind to them and they will probably be kind to you too.”
“Absolutely! One of my best friends is Japanese. After high school he moved back to Tokyo. I visited him while I was in college. We explored Tokyo and Kyoto together. It was one of the most important experiences in my life. I love Japanese culture. The food is amazing, the people are kind, and the history is rich. Most of my musical instruments were made in Japan too. My guitar is a Caparison, hand-made in Japan. I also have a Korg synthesizer, and a few Yamaha instruments. I love all of them.
And yes, I do like video games and anime, most of my friends do. I’m a master at the original Super Smash Brothers for Nintendo 64, and I will never back down from a challenge. I do enjoy anime as well. I think it’s very imaginative and often quite thought-provoking. The enthusiasm of Japanese voice acting is fun to listen to. Hayao Miyazaki films are my favorite anime, but I’ve enjoyed plenty of others as well. Howl’s Moving Castle is probably my favorite Miyazaki film.
To our Japanese fans I would say, thank you so much for listening to our music. It’s really amazing to learn it has made its way to Japan. I appreciate every single one of you and I hope we can meet soon. I’ve been wanting to come back to Japan for a while now, and playing music for our fans there would be a great reason to do so. Please feel free to reach out! Arigatou gozaimasu!”
“I see it all as a tragedy. I don’t know enough about world politics or the history between Israel and Hamas to really give an informed opinion on this particular issue. All I know is that it’s sad to see. I don’t know anything about Iran’s involvement in it either, or if they’re backing Hamas, but it wouldn’t surprise me. America is backing Israel in this fight, so I’m sure Hamas is getting support from other countries as well.”
“People enjoy and connect with music, which can enrich a person’s life. And that certainly is important. However, I don’t think music itself necessarily does anything to create change for a peaceful or better world; it’s people who do that. Music, just like any artform, can inspire a person to act, but it’s still up to the person to put one foot in front of the other.
A great example of this is the song “Baraye”, written by Iranian artist, Shervin Hajipour. It is a song inspired by the death of Mahsa Amini, who was killed by the Iranian government last year. Her death sparked a protest in Iran, and that song was so moving that it became the anthem of the protest. I think it inspired people to get engaged with the movement, and it also helped spread awareness of what was happening. In those regards, music can help create a better world, but it’s still up to people to take action.”