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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【THE CHRONICLES OF THE FATHER ROBIN : THE SONGS & TALES OF AIROEA】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH ANDREAS WETTERGREEN OF THE CHRONICLES OF FATHER ROBIN !!

“We Think It’s Sad If Someone Wants To Live And Express Themselves Only Through «New Formulas» And Dogmatic Only Seek To Do Something That No One Has Done Before. Then You Forget History And The Evolution Of Things, Which In Our Opinion Is At The Core Of Human Existence.”

DISC REVIEW “THE SONGS & TALES OF AIROEA – BOOK Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ

「最初は若いワインのように最初は有望で実り豊かなバンドだったけど、やがて複雑さを増し、私たち集団の心の奥底にある濁った深みで数年間熟成され、エレジオンの森のオーク樽で熟成されたとき、ついにそのポテンシャルを完全に発揮することになったのさ」
アルバムの制作に長い時間をかけるバンドは少なくありませんが、それでも30年を超える月日を作品に費やすアーティストはほとんど前代未聞でしょう。ノルウェー・プログの粋を集めた THE CHRONICLES OF FATHER ROBIN は、ロビン神父の数奇なる物語に自分たちの人生や経験を重ね合わせ、四半世紀以上かけてついに壮大な3部作を完成させました。
「90年代に親が着ていた70年代の古着に身を包み、髪を伸ばし、1967年から1977年の音楽ばかりを聴いていたんだ。当時のポップ・ミュージックやポップ・カルチャー・シーンにはとても否定的で、RUSH や YES, そして DOORS の音楽は、例えば RED HOT CHILLI PEPPERS や RAGE AGAINST THE MACHINE, NEW KIDS ON THE BLOCK など他のバンドが聴いている音楽よりもずっと聴き応えがあると、パーティーで長い間議論していたほどでね。私たちは、自分たちが他人よりより高い位置にいると確信し、できるだけ多くの “失われた魂” を救おうとしていたんだ。だけどそれからしばらくして、私たちは他人がどう思うかとか、彼らが何に夢中になっているかということに疲れ、ただ自分たちの興味と、ミュージシャンとして、バンドとしての成長にエネルギーを集中させていくことにした」
70年代が終焉を告げて以来、プログレッシブ・ロックはつねに大衆から切り離された場所にありました。だからこそ、プログの世界に立ち入りし者たちはある種の特権意識に目覚め、あまつさえ大衆の啓蒙を望む者まで存在します。90年代のカルチャーに馴染めなかった TCOFR のメンバーたちも当初はカウンター・カルチャーとしてのプログに惹かれていましたが、しかしワインのように熟成され、長い年月を重ねるにつれて、ただ自分たちが夢中になれる音楽を創造する “道” へと進んでいきました。
3部作のコンセプト最初の芽は、民話、神話、幻想文学、サイケデリア、冒険的な音楽に共通の興味を持つ10代の仲間から生まれ、最新の発見を紹介し合ううち、徐々にノルウェーの仲間たちは独自の糸を紡ぎ、パッチワークやレンガのように新たな色彩や経験を積み重ねるようになりました。それは30年もの長きにわたる壮大なブレイン・ストーミング。
「確かに、私たちはプログ・ロックの穴を深く這いずり回ってきたけど、クラシック・ロック、フォーク・ロック、サイケ、ジャズ、クラシック音楽、エスニック、ボサノヴァ、アンビエント・エレクトロニック・ミュージックなどを聴くのをやめたことはない。たとえ自分たちが地球上で最後の人間になったとしても、こうした音楽を演奏するだろう。私たちは、お金や “大衆” からの評価のために音楽をやったことはない。もちろん、レコードをリリースして夢を実現できるだけのお金を稼ぎたいとは思っているけど、どんなジャンルに属するものであれ、音楽を通じて自分たちの考えや感情を顕在化させることが最も重要であり、これからもそうあり続けるだろう。そしてそれこそが、極めてプログレッシブなことだと私たちは考えているんだ」
WOBBLER, WHITE WILLOW, Tusmørke, Jordsjø, IN LINGUA MORTUA, SAMUEL JACKSON 5など、ノルウェーの実験的でプログレッシブなバンドのアーティストが一堂に会した TCOFR は、しかしプログレッシブ・ロックの真髄をその複雑さや華麗なファンタジーではなく、個性や感情を顕在化させることだと言い切ります。
とはいえ、プログの歴史が積み重ねたステレオタイプやクリシェを否定しているわけではありません。学問もアートもすべては積み重ねから生まれるもの。彼らは先人たちが残したプログの書を読み漁り、学び、身につけてそこからさらに自分たちの “クロニクル” を書き加えようとしているのです。
表現力豊かな和声のカデンツ、絶え間なく変化するキーボードの華やかさ、ジャンキーなテンポ、蛇行するギター・セクションの間で、TCOFR の音楽は常に注意力を翻弄し、ドーパミンの過剰分泌を促します。ここにある TCOFR の狂気はまちがいなく、ノルウェーにおける温故知新のプログ・ルネサンスの成果であり、大衆やトレンドから遠すぎる場所にあるがゆえに、大衆やトレンドを巻き込むことを期待させるアートの要塞であり蔵から発掘された奇跡の古酒なのです。
今回弊誌では、WOBBLER でも活躍する Andreas Wettergreen にインタビューを行うことができました。「芸術の発展は、決して1969年の “In The Court of the Crimson King” やバッハのミサ曲ロ短調から始まったわけではない。芸術と芸術を通した人間の表現力は非常に長い間続いており、それは何世紀にもわたって展開し続けている。イタリアの作曲家カルロス・ゲスアルドは、16世紀に複雑で半音階的な難解な合唱作品を作ったが、一方で今日作られるもっとシンプルな合唱作品も美しく興味深いものである。両者は共存し、決して競い合うものではない。
心に響くなら、それはとても良いスタートだ。それが知性も捉えるものであれば、なおさらだ。音楽と芸術はシステムの問題ではなく、感情と気持ちの問題なんだよ。最も重要なことは、良い音楽に限界はないということだ」 ANEKDOTEN, ANGLAGARD に追いつけ、追い越せ。どうぞ!!

THE CHRONICLES OF FATHER ROBIN “THE SONGS AND TALES OF AIROEA” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【AZURE : FYM】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH AZURE !!

“I Was Introducing Chris To Hunter X Hunter While We Were Writing The Storyline For The Album, So I’m Sure There Was Some Sort Of Indirect Inspiration Going On There.”

DISC REVIEW “FYM”

「物語や音楽、芸術、文化のない世界は実に退屈だろう。僕たちがやっていることは単なるエンターテインメントかもしれないけど、喜びや美的体験には価値があるし、プログレッシブ・ミュージックやパワー・メタルが持つ力、現実からの逃避力と回復力はとても意味がある。利益のため、AIの助けを借りて芸術という名の心なきまがいものが冷笑的に生み出される世界では、本物の人間による創造性と魂がさらに必要とされているんだ」
みなさんはメタルやプログレッシブ・ミュージックに何を求めるでしょうか?驚速のカタルシス、重さの極限、麻薬のようなメロディー、複雑怪奇な楽曲、華麗なテクニック、ファンタジックなストーリー…きっとそれは百人百様、十人十色、リスナーの数だけ理想のメタルが存在するに違いありません。
ただし、パンデミック、戦争、分断といった暗澹たる20年代において、これまで以上にヘヴィ・メタルの“偉大な逃避場所”としての役割が注目され、必要とされているのはたしかです。暗い現実から目をそらし、束の間のメタル・ファンタジーに没頭する。そうしてほんの一握りの勇気やモチベーション、”回復力”を得る。これだけ寛容で優しい“異世界”の音楽は、他に存在しないのですから。そして、英国の超新星AZUREは、その2020年代のメタルとプログレッシブ・ミュージックのあり方を完璧に体現するバンドです。
「自分たちを“アドベンチャー・ロック”、”アート・ロック”、”ファンタジー・プログ”と呼ぶこともあるし、友人たちから“フェアリー・プログ”と呼ばれることもある。全て良い感じだよ! 僕たちは冒険に行くための音楽を作っている。そこにはたくさんの魔法が関わっているし、それでも現代的で個人的な内容もあるんだよね」
ヴァイやペトルーシも真っ青の驚嘆のギター・ワーク、デッキンソンとクラウディオ・サンチェスの中道を行く表情豊かなボーカル、チック・コリアを思わせる綿密な楽曲構成、そして大量のポップなメロディーと豊かなシンセが組み合わされ、彼らの冒険的で幻想的なプログ・メタルは完成します。まさに冒険を聴く体験。
AZUREの音のアドベンチャーは、まるで日本のRPGゲームさながらの魅力的なプロットで、リスナーの好奇心をくすぐり、ファンタジー世界へと誘います。それもそのはず。彼らのインスピレーション、その源には日本の文化が深く根づいているのですから。
「このアルバムの最初のコンセプトは、”ダンジョン・クローリングRPG”をアルバムにしたものだった。そこからコンセプトが進んでいったのは明らかだけど、僕らが幼少期にプレイした日本のRPGゲームは、このアルバムの音楽構成や美学に大きな影響を与えている」
影響を受けたのは、ゲーム本体からだけではありません。
「日本のゲーム作曲家もこのアルバムに大きな影響を与えた。ファイナル・ファンタジーの植松伸夫、ゼルダの近藤浩治、そしてダークソウルの桜庭統。彼のプログ・バンドDEJA-VUも大好きだよ」
そうして AZURE の日本に対する憧憬は、サブカルチャー全般にまで拡大していきます。
「日本にはクールなサブカルチャーがたくさんあるから、影響を受けないのは難しいよ!僕たちはJ-Rockバンドや、そのシーンの多くのプロジェクトに大きな愛着を持っているんだよね。高中正義やIchikoroは素晴らしいし、ゲスの極み乙女や Indigo La End など、僕たちが好きな他のバンドともリンクしている。あと、日本のメタル・シーンにも入れ込んでいて、MONO、SIGH、GALNERYUS、Doll$Boxx、UNLUCKY MORPHEUSが大好きなんだ!」
そうしたAZUREの好奇心にあふれた眼差しこそ、21世紀のメタルやプログを紐解く鍵。寛容で多様、生命力と感染力、そして包容力を手にしたこのジャンルは、国や文化、人種、性別、宗教、そして音楽の檻に閉じこもることはありません。
音楽ならつながれる。だからこそ、AZUREの音楽は多くのパワー・メタルやプログレッシブ・ミュージックのステレオタイプな楽観主義とは一線を画しているのです。だからこそ、人間的で、憂鬱に閉ざされたリスナーの心に寄り添えるのです。ここでは、想像上の脅威に対する輝かしい勝利について歌うだけでなく、登場人物たちがクエストに奮闘している音楽、寄り道で一喜一憂する音楽、パーティー内の人間関係の感情を投影した音楽まで描かれます。
そうした情景描写に多くの時間を費やしているのは、リスナーに”Fym”の世界へとより没入してほしいから。ひと時だけでも浮世の痛みを忘れ、逃避場所で回復力を養ってほしいから。今を生きるメタルやプログの多様さに抱かれてほしいから。さあ旅に出よう。まだだれも聴いたことのない冒険が君を待っている!

1.The Azdinist // Den of Dawns
2.Fym
3.Mount, Mettle, and Key
4.Sky Sailing / Beyond the Bloom / Wilt 11:07
5.Weight of the Blade
6.Kingdom of Ice and Light
7.The Lavender Fox
8.Agentic State
9.Doppelgänger
10.The Portent
11.Trench of Nalu
12.Moonrise
Bonus Track
13.Spark Madrigal
14.Demon Returns
Chris Sampson – Vocals, Electric Guitar, Mandolin
Galen Stapley – Electric Guitar, Nylon String, Theremin
Alex Miles – Bass
Shaz D – Keyboards, Grand Piano
Andrew Scott – Drums
Adam Hayes – Bongos, Congas, Fish Guiro on tracks 1, 7, and 11
Nina Doornenstroom – Trumpets on track 3
Camille De Carvalho – Oboe D’amore, Clarinet, and Basson on tracks 4 and 6

日本盤は5/22にMarquee/Avalonからリリース!私、夏目進平によるライナーノーツ完全版とともにぜひ!!

前作リリース時のインタビュー!

AZURE “FYM” : 10/10

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COVER STORY 【MARILLION : BRAVE 30TH ANNIVERSARY】


COVER STORY : MARILLION “BRAVE” 30TH ANNIVERSARY !!

“We Knew It Wasn’t Immediate, We Just Hoped That People Would Give It The Time Of Day And Allow It To Grow On Them.”

BRAVE


30年前、”Brave” というレコードが全英アルバム・チャートで10位を記録しました。その9年前にヒットしたシングル “Kayleigh” で知られていたバンドが、別のシンガーをフロントマンに起用した作品です。今となってはすっかり昔の話ですが、バンドは今でも精力的に活動を続けていて、今でも最高到達点を更新し、今でも筋金入りのファンたちは “Brave” 記念日を盛大に祝っているのです。しかし、そのバンド、MARILLION はなぜこれほど強力なファンベースを今でも維持できるのでしょうか。そして、”Brave” リリース後に何が起こり、彼らはプログの新境地におけるパイオニアとなったのでしょうか。MARILLION の長く奇妙な旅路を振り返ります。
まず事実の整理から。MARILLION は1979年に結成され、1982年から1988年の間に4枚のスタジオ・アルバムをリリース。ポスト・パンクから現れた変則的なプログ・バンドから、ヒット曲を持ちテレビ出演を果たす正真正銘のロック・バンドへと成長していきました。Fish は、GENESIS 時代の Peter Gabriel のようなシアトリカルな雰囲気を漂わせながら、愛、薬物乱用、パラノイアをテーマにエッジの効いた現代的な歌詞を放つスコティッシュとしてバンドの顔となります。そうして彼らは、パンクに挫折したロック・ファンや、その鋭いフックに魅了されたポップ・ファンを取り込み、瞬く間に支持を得ていったのです。
1985年のアルバム “Misplaced Childhood” では、シングル “Kayleigh” が2位を記録する大ヒットとなり、アルバムはチャートのトップに躍り出ました。しかし、Fish の歌詞にある薬物によるパラノイアが単なる演技以上のものであることが判明するなど、舞台裏ではすべてがうまくいっていたわけではありませんでした。もう1枚アルバムを出した後、Fish は脱退し、MARILLION はすべてを使い果たしたように見えました。しかし、これは驚くべき第2幕の始まりに過ぎなかったのです。

1989年、バンドは新しいシンガー Steve Hogarth を迎えて “Season’s End” をリリースします。Fish 時代の忍び寄るメロドラマは、成熟し洗練された絵画に変わり、アルバムはヒット。バンドにまだ命があることを示しました。Fish は紛れもなくカリスマ的ポップ・スターで、ウィットに富み、物知りで、名声ゲームに惹かれると同時に反発するような人物でしたが、Hogarth は目を見開き、誠実で、正直な情熱を音楽に注ぎました。
ただし、その後のアルバムはチャートへの食い込みが弱くなり、ヒット、ポップ・スターダムは遠い過去の出来事のように思えました。レコード・レーベルであるEMIも、ヒット作を出すことができなかったバンドのコストが急騰するのを防ぐため、安価なその場しのぎのアルバムを望んでいました。
1994年。そうした背景の中で MARILLION は、セヴァーン橋で彷徨っているところを発見された少女をテーマにしたコンセプト・アルバムを携えて再登場しました。Hogarth はこれまでで最も感情的な歌詞を掘り下げ、この悲劇的な少女のあらゆる側面を探求しました。一方バンドは、ギタリストの Steve Rothery が心を揺さぶるソロと魅惑的なテクスチャーを何度も繰り出しながら、最も鋭敏な音楽を作り上げたのです。それは MARILLION が個人的なテーマから社会的なテーマへと、商業的な成功から芸術的な成功に舵を切った瞬間でした。

80年代半ば、Hogarth は地元のラジオ放送で、イギリスのセヴァーン橋で一人でさまよっているところを発見された10代の少女についての、警察の説明を聞きました。発見されたとき、彼女は誰とも話すことができなかったか、あるいは誰とも話さないことにしていたのです。しばらくして、警察はラジオで少女の身元を知る人に対して呼びかけることにしました。結局、少女は家族に引き取られ、家に戻されたのですが、Hogarth はこのことをメモし、MARILLION が後のアルバム “Brave” の制作に取りかかるまで、何年もあたためておいたのです。
制作に入ると Hogarth は橋の上の少女のことを思い出し、アルバムが彼の頭の中で形になっていきます。バンドは “Living with the Big Lie”と “Runaway” の2曲を書き、前者は人々がいかに物事に慣れてしまい、すっかり鈍感になってしまうかを歌ったもので、後者は機能不全の家庭から抜け出そうとする少女の苦境を歌ったものになりました。Hogarth はこのストーリーをバンドに話し、性的虐待(当時メディアでますます報道されるようになったテーマだった)、孤立、薬物中毒、そして自殺を考えたり試みたりするほどの衰弱といった問題や恐怖を持つ人生という架空の物語を提案したのです。
セヴァーン橋は1966年に開通して以来、自殺の名所となっており、名もなき少女のような悩める魂を惹きつけてやみません。彼女は自分の名前を名乗ろうとせず、話すことさえ拒否しました。警察はラジオやテレビで情報提供を呼びかけ、その時、Hogarth は彼女のことをはじめて耳にしました。
「まるで推理小説の最初のページのようだと思った。走り書きして、そのことはすぐに忘れたんだ」
しかし、”飛び降りなかった少女” の物語は、Hogarth の心の奥深くに留まり、潜在意識の波のすぐ下に浮かんでいたのです。

Hogarth が再び彼女のことを考えたのは1992年のこと。その頃、彼は数年前に加入したバンド MARILLION のシンガーになっていて、バンドが新しいアルバムのために曲作りをしていたとき、彼はバンドメンバーに “飛び降りなかった少女” の話をしたのです。
この物語を中心に作られたアルバム “Brave” は、彼らのキャリアの中で最も重要な作品となりました。このアルバムによって、彼らの将来が決まったのです。”Brave” は、バンドとしての彼らを最終的にひとつにまとめましたが、同時に長年のレーベルであるEMIとの関係を取り返しのつかないほど悪化させ、彼らの以前からのファン層を一気に遠ざける結果も伴いました。痛みを伴う改革。それが現在の彼らをもたらしたのです。
当時 “Brave” が大失敗した大博打に思えたとしても、今日では1990年代の偉大なコンセプト・アルバム、傑作として語り継がれているのは痛快なものがあります。知性と深みのある踏み絵のようなアルバム。つまり、セヴァーン橋の少女の物語は、MARILLION のメタファーとして読むこともできるのです。少女は飛び降りませんでしたが、MARILLION は飛び降りたのです。
「”Brave” は、ジグソーパズルのピースがついに揃ったアルバムだった。MARILLION は、私を加えた別のバンドになった。今のバンドになったんだ」
Hogarth と MARILLION のパートナーシップは、1989年の “Season’s End” で軌道に乗りましたが、それはある意味、反抗的な行為でもありました。
「多くの人が、Fish なしでは失敗すると思っていた。でも、メンバーはみんな一緒に仕事ができることに興奮していたし、あっという間だった。”今、自分たちはどんなバンドになりたいのか?”ということを考えるために立ち止まることはなかったね」

キャリアを始めて10年以上が経ち、MARILLION は貴重な教訓を得ていました。「EMIのやり方で商業的なレコードを作ろうとしたが、うまくいかなかった。売れても売れなくても、少なくとも芸術的には満足できる作品を作ろう」
彼らの次の行動は、正反対の方向に進むこと。”Holidays in Eden” が素早く、きらびやかで、最終的にはある種の妥協だったとすれば、”Brave” はそうではありませんでした。
“Holidays In Eden” と “Brave” の間に、MARILLION の世界ではいくつかの重要なことが変化しました。その中には、彼らがコントロールできるものもあれば、そうでないものも。ただ、彼らが下した重要な決断のひとつは、オリジナルのラケット・クラブに新しい機材を導入し、次のアルバムのために前金を使うことでした。
「レーベルは大反対だった。でも僕らは、”複数のアルバムに使えるよ” って言ったんだ。そのおかげで、後にEMIから契約解除された時のための準備ができたんだ。私たちは、ゆっくり仕事をし、あらゆる選択肢を模索し、音楽について熟考し、あごをひっかいたり、頭をなでたりするのが好きなんだ。そして、ここだけの話、”次のアルバムは好きなだけ時間をかけよう “と思ったんだ。そしてそうしたんだ」
そうして MARILLION は、南フランスの正真正銘のシャトーでレコーディングする機会を突然与えられました。ドルドーニュ地方のマルアットにあるその城は、バンドのUSレーベルIRSの代表であり、POLICE のドラマー、Stewart Copeland の弟の所有物件でした。
「そのアイデアが気に入ったんだ。そうだ、家を探そう、そうすれば費用も抑えられるし、雰囲気のある場所を探して、そこで仕事をしよう。僕らはみんな、それが面白いレコードになるし、冒険になると思ったんだ。夜が明けてすぐに着いたんだ。丘の上に見えて、基本的にのホラーハウスだったよ」

“Brave” は、実際に5人で書いた初めてのアルバムだったと Rothery は言います。
「コンセプト・アルバムであったからこそ、このアルバムは、私たちにとって、とても重要な作品となった。コンセプト・アルバムだったから、他のメンバーも私たちがやろうとしていることを理解しやすかった。私が思うに、今回はレコードを作るか、傑作を作るかのどちらかだ。だから、どうしてほしいか言ってくれとね。それでみんな、”傑作を作ろう” となった」
作業を進めるにつれて、曲は焦点が定まり始め、包括的なコンセプトも定まっていきました。橋の上の少女についての直接的な物語というよりは、彼女がそこにたどり着くまでの一連のスナップショット。さらに Hogarth によれば、歌詞の多くには自伝的な要素が薄っすらと隠されていたといいます。”Living With The Big Lie”, “Brave itself” そして特に “The Hollow Man”。
「私は動揺していた。外見はますますピカピカになり、ジャン・ポール・ゴルチエを身にまとっていた。小さな子供2人の父親でありながら、それに向いていない、そう感じていた。そのすべてのバランスを取りながら、バンドの運命を復活させるような素晴らしい作品を作り上げようとしたんだ」
すべての曲がコンセプトに合っていたわけではありません。”Paper Lies” の脈打つハード・ロックは、レーベルの強い要望でアルバムのムーディーな音楽の流れに刺激を与えるために収録されたもの。もともとは悪徳新聞王ロバート・マクスウェルの死にインスパイアされたもので、後付けで既存の物語に組み込んだに過ぎません。この曲の主題である、ヨットからの転落事故で謎の死を遂げたロバート・マクスウェルにちなんで、この曲は巨大な水しぶきで終わります。「この曲には VAN HALEN からの影響があるかもしれないね」

“完成したときでさえ、それが何なのかわからなかった” そう Hogarth は言います。
「ミックスを聴いて、とても緊張したのを覚えている。興奮すると同時に、”これは THE WHO の “Quadrophenia” か何かに似ている。みんなにどう評価されるかわからない” って思ったね」
地平線には他にも嵐が立ち込めていました。EMIは、MARILLION が “Brave” の制作に要した時間の長さに良い印象を抱いていませんでした。この 生々しい アルバムは、数ヶ月遅れで、しかも決して安くはなかったからです。Rothery は言います。
「その7ヶ月が終わるころには、レーベルとの関係には壁が立ちはだかっていた。素晴らしいレコードを作ったことが、この莫大な出費とレーベルとの関係の悪化を正当化できるほど成功することを願わなければならなかった」
EMIの失策。それはリスニング・パーティーで起こります。彼らは、さまざまなジャーナリストやラジオの重役を招待し、聴いているのが誰なのかを知らせないというやり方をとりました。
「あれはEMIの大失態だった。EMIは人々に PINK FLOYD の新しいアルバムだと思わせようとした。そうすれば、より多くの人がプレイバックを聴きに来てくれると思ったからだ」
しかし長い間、批評家の捌け口となってきたグループにとって、”Brave” は驚くほど好評でした。”Q” 誌は、このアルバムを “ダークで不可解” と絶賛。Hogarth はその表現にほほえみます。「私はそれが気に入った。褒め言葉だよ」
しかし、”ダークで不可解 “は、伝統的に商業的な成功とはイコールではありません。”Brave” は、ギリギリのところでUKトップ10に食い込みましたが、ファーストシングルの “The Hollow Man” は30位。続いてリリースされた軽快な “Alone Again In The Lap Of Luxury” はトップ50にすら入りませんでした。

ただ公平に見て、”Brave” のタイミングは最悪でした。”Brave” がリリースされたのは、ブリットポップ・ムーヴメントが花開き始めた頃。自殺願望のある少女をテーマにした70分のコンセプト・アルバムは、BLUR や OASIS の前では常に苦戦を強いられることになりました。
「即効性がないことはわかっていた。私たちはただ、人々がこのアルバムに一日の時間を与え、彼らの中で成長することを望んでいた」
ツアーでバンドはアルバムを最初から最後まで演奏し、Hogarth は Peter Gabriel 流に曲の登場人物を演じました。ある時は、髪をおさげにして口紅をつけ、女の子自身を演じます。これは意図的な挑戦でした。
「コンサート会場の雰囲気は、”クソッタレ、これは何だ?”という感じだった。アンコールで “Brave” 以外の曲を演奏したときは、まったく違うショーになった。人々が安堵のため息をついているのが体感できたよ」
ツアーもアルバムも、MARILLION のオーディエンスを増やす、あるいは維持することにはあまり貢献しませんでした。”Brave” のセールスは30万枚ほどで、今となっては良い数字ですが、5年前の “Seasons End” の半分以下だったのです。セールス的には、確かに以前より落ち込んでいました。
“Brave” が長引いたことと、明らかに成功しなかったことは、所属レーベルのトップも気づいていました。少なくとも次のアルバムではより速く仕事をすることを考えるべきだとバンドは認め、そのアルバム “Afraid Of Sunlight” は、”Brave” のちょうど1年後にリリースされました。しかし、すべては遅すぎました。彼らの予想通り、レーベルは間もなく彼らを切り捨てました。
「メディアから嫌われるバンドに戻ってしまった。メインストリームの音楽メディアを見る限り、私たちは生きる価値がなかった。いつも通りのね」

しかし、”Brave” には後日譚が。この “ダークで不可解 ” なレコードは、当時は売れ行きが芳しくなかったものの、今では独自の余生を過ごしています。彼らは過去20年の間に2度このアルバムを再訪し、2003年と2011年にアルバムをフルで演奏しています。
「”Brave” で多くのファンを失った」そう Hogarth は言います。「評判は良くなかった。だけど今では誰もが振り返って “なんて素晴らしいアルバムなんだ” と言う。発売された日には誰もそんなことは言わなかったのにね」
その長寿の理由のひとつは音楽的なもの。慎重なテンポ、移り変わるムード、日本語の使用や南仏の洞窟で岩が水しぶきを上げる音を録音するような細部へのこだわり。それは、究極の負け犬バンドによる究極の負け犬レコード。
「僕らを聴いてくれた人たちは、時間を投資することを厭わないんだ。彼らは、”よくわからなかったから次の作品に移る” のではなく、”ああ、よくわからなかったからもう1回聴いてみよう” と思ってくれるんだ」
結局、”Brave” は当時のチャートに知的で複雑なコンセプチュアル・ミュージックのスペースがまだあることを証明したのです。このアルバムから、わずか3年後にリリースされたレディオヘッドの “OK Computer”、そして ANATHEMA の傑作 “The Optimist” へと知性を求める音楽ファンは一本の線をたどることができるはずです。”The Optimist” は、無意識のうちに “Brave” のサイコ・ジオグラフィックな旅路と呼応しており、MARILLION が20年の後に発表する “F.E.A.R.” は “Brave” と非常に多くの特徴を共有するアルバムになりました。
Pete Trewavas は言います。「僕たちは、どこでも聴けるようなキラキラした音楽を演奏するためにここにいるんじゃない。何か違うことをやって、木々を揺らして、人々に考えさせるためにここにいるんだ。そうであってほしいし、今もそうでありたいよ」
橋の上の少女は結局、MARILLION のストーリーを知っているのでしょうか?Hogarth は、彼女の両親が彼女を迎えに来て、ウェスト・カントリーに連れ帰ったという記事を読んだことを覚えています。
「彼女はその後、それなりに幸せに暮らしたと思う。連絡は取っていないが、アルバムのことは知っているのではないかな」

後に小さなレーベルに移籍した彼らは、商業的な成功との闘いを続け、ついにはアメリカ・ツアーをする余裕がないことを認めざるを得なくなり、どん底に達します。しかしその後、非常に驚くべきことが起こりました。
そうした変化にもかかわらず、バンドには依然として強力なファンベースがあり、そのファンはますます熱狂的になっていました。MARILLION を見ることができなくなることを覚悟したアメリカのファンは、バンドをアメリカ国内で活動させるために6万ドルを出資。実質的に MARILLION はクラウド・ソーシングに成功した最初のバンドとなったのです。インターネットの台頭に注目した MARILLION は、自分たちのファン層と関わる前例のない方法を発見し、それまでは想像もできなかったレーベルを通さない “個人的な” つながりを築くことに成功したのです。
このファンとのつながりは、バンドだけでなく、音楽ビジネスのあり方にも大きな影響を与えました。ファンとの絆を築き、ファンのことを知り、ファンがバンドに何を求めているかを理解することで、MARILLION はレコーディング前にアルバム代金を支払ってもらうという前代未聞の過激な行動に出ることができました。1万枚以上の予約注文を受け、”Anoraknophobia” はファンによって支払われる、多くのメジャー・レーベルのアーティストが切望するような自主性を得ることができました。”ヒット” レコードを作らなければならないというプレッシャーがなく、すでに制作費用をまかなっていた MARILLION は、自分たちが望む、そしておそらくより重要なことですが、ファンが求める音楽を作ることができたのです。熱心なスポンサー (ファン) には、レコードに写真や名前を載せたり、アルバムの特別なヴァージョンを提供することで、彼らは自分たちのために新しい道を切り開くことをやってのけました。

この試みがバンドの新時代の幕開けとなった一方で、メインストリームのメディアで MARILLION は今だにオールディーズ・アクトとして一括りにされ、世間一般の認識も Fish の全盛期から真に前進していないというイメージに固執していました。ラジオやテレビで流されることはめったになく、バンドはカルト的で、流行に乗り遅れた存在だと思われていたのです。プログというジャンルがもはや消えかかっていたために、例え MARILLION について言及されたとしても、中世の吟遊詩人の一団で、リュートを演奏し、トロールについて歌っているのだと言われることも珍しくはありませんでした。彼らがもはや論理的には RADIOHEAD の “OK Computer” と接近していたことなど気にすることもなく、世間一般では、MARILLION のファンであることは最も時代遅れなロートルだと見なされていたのです。
クラウド・ファンディングが以前は手の届かなかった安全性を保証した一方で、バンド、特に Hogarth は、真剣に受け止められようとする試みに苦痛を感じていました。音楽がまだビッグ・ビジネスだった時代、MARILLION のメインストリームからの追放と彼らの熱狂的なファンは、奇妙で場違いな存在と見なされました。音楽プレスはバンド名を見て80年代を思い浮かべ、それに従って判断するだろうという諦めもありました。インタビューのたびに、Hogarth はジャーナリストたちに、先入観を捨てて、ただ恣意的に彼らを切り捨てるのではなく、実際に音楽を聴いてほしいと懇願しましたが、それは無駄骨でした。
その後、マリリオンは2004年の “Marbles” と2007年の “Somewhere Else” でヒット・アルバムとトップ20シングルを獲得し、チャートの上位に返り咲きました。しかし、チャートでの成功でさえも、バンドが以前のような地位を取り戻すことは簡単ではありませんでした。レコード・チャートは上位にランクインしていましたが、これは、自分たちの好きなバンドが特別な存在であることを世界中に知らしめようとする、ファン層の断固とした努力によるところが大きかったのです。ファンは MARILLION を広めるために極限まで努力する用意があり、こうしたチャートの順位は、バンドに対する外部からの純粋な関心というよりも、むしろファンの意志の強さを表していたのかもしれません。

この時期までに、MARILLION はファンの間でほとんど神のような地位を築いており、ファンもまた、グループに対する強烈な、時には極端なまでの愛情を示していました。Hogarth の指揮の下、このバンドは人生をサウンドトラック化するようになり、彼の複雑で情熱的なソングライティングは多くの人々にとってほとんどスピリチュアルな尊敬の念を抱かせるようになっていたのです。コンサートは、バンドへの愛を通して生涯の友情を築き、世界中の様々な場所で開催されるコンベンションに参加し、バンドはファンの好きな曲を演奏することで愛情に応えました。
多くのファンにとって、MARILLION は本当に重要な唯一のバンドであり、他のバンドが恐れをなして踏み入れないような場所に行く存在となりました。ここ数年、バンドに対する雪解けは進み、音楽メディアの間でも、バンドを受け入れようとする明確な動きが出てきました。バンドの成熟したロック・ブランドには “プログレ” の面影はほとんどなく、その一方で、最近のアラン・パートリッジの映画でバンドは小さいながらも重要な役割を果たすなど、否定的な人たちよりも長生きすることで、MARILLION の正しさが証明されたと言えるかもしれませんね。
MARILLION はロックの歴史に自分たちの特別な場所を残しました。彼らはあらゆる変化を乗り越えて、80年代の MARILLION に対する先入観が過去のものとなりつつある今、さらに多くの人々を、増え続けるファンの一員にしようとしています。ANATHEMA や PORCUPINE TREE のようなバンドがこのバンドに脱帽しているように、彼らが “Brave” で勇気を持って橋から飛び降りたことは、長い目で見れば奇跡的な “Made Again” だったのです。

参考文献: THE THIN AIR:20 Years of Being Brave – How Marillion Crawled Back From Obscurity

CLASSIC ROCK REVIEWMarillion Brave (1994) – The inside story behind Brave

MARUNOUCHI MUZIK MAG: FEAR INTERVIEW

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【NOSPUN : OPUS】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH NOSPUN !!

“The Truth Is That We Write Prog Music Because It’s What We Love. Basically We Are Writing Songs That We Want To Hear.”

DISC REVIEW “OPUS”

「10代の頃に DREAM THEATER を聴きはじめたんだけど、彼らの音楽はプログレッシブ・ミュージックを作り始めるという僕たちの決断に間違いなく影響を与えたんだ。だからこそ、自分たちの楽器を使いこなすために本当に時間をかけなければ、彼らのような音楽は作れないと思っていた。何時間も、何時間も練習して、今に至るんだよ!」
SNSやストリーミングの伸長でインスタントになった音楽世界。さらにAIまでもが音楽を生み出し始め、すべてが “ワン・クリック、ワン・セカンド” を要求される現代の音楽世界において、プログレッシブ・ミュージックは、主流とは真逆の異端です。長時間の練習、長い産みの苦しみを経ることでしか誕生し得ない、複雑で知的な音楽は今や風前の灯なのかもしれません。
「僕たちがプログを書くのは、自分たちが好きだからという部分が大きいね。だから基本的には、自分たちが聴きたい音楽を書いているんだ。そして、このスタイルが好きな人が他にもいることを期待して、想定して、その曲を世に送り出す。例え誰にも聴いてもらえなくても、僕たちはプログをやるだろう。だからこそ、それを楽しんでくれる人がいるというのは、本当にうれしいことなんだ!」
しかし、だからこそ、現代でプログレッシブ・ミュージックを綴る音楽家には本物の情熱、本物の才能が存在します。苦労のわりにまったくあわない報酬や名声。その差額を埋めるのは “好き” という気持ちしかありません。アメリカに登場した NOSPUN は、自分の愛する音楽を徹底的に突き詰めながら、プログの延命措置に十分すぎる電気ショックをお見舞いしました。
「予想外のことをやってみようというバンドとしての意欲。メタル・バンドが曲の途中にポルカ・セクションを入れるのは普通じゃないけど、僕らにとってしっくりくるなら、やってみたいんだよね。”Earwyrm” のスキャット・セクションは、実はスタジオでふざけていて、そのまま使おうと決めただけなんだ」
明らかに、NOSPUN の音楽は DREAM THEATER と SYMPHONY X、つまりプログ・メタル二大巨頭の遺伝子を平等に受け継いでいます。例えば、”Change of Seasons” で唸りを上げる Russell Allen のような “夢の共闘”。それを体験できる機会は、実はこれまでほとんどなかったと言えます。なぜなら、多くの後続たちは巨頭のどちらかに寄っていたから。その点、NOSPUN の旋律と重さ、テクニックとカタルシス、伝統とモダンのバランスは実に優れていて、HAKEN のやり方とつながる部分も見え隠れします。
一方で、NOSPUN はシリアスなムードが支配するプログ世界に笑顔をもたらし、その意外性をトレードマークとしていきます。突然のポルカ、突然のディスコ、突然のスキャット。彼らの目指す “予想外” は、クリシェと化したプログ・メタルの定型に風穴を開け、リスナーに新鮮な驚きを届けます。そう、彼らはそもそも、スプーンをないものだと思いたいのです。
用意された物語も、この “Opus” に相応しいもの。”若い作曲家が両親や他の入居者たちと下宿している。傑作を作曲するという破滅的な強迫観念が、彼と世界や周囲の人々とのつながりを断ち切ってしまう。ある日下宿人が殺されているのが発見される。徐々に他の入居者も姿を消し始め、ついには彼はこの家にひとり閉じ込められる。彼を取り巻く宇宙は崩壊し、残されたのは彼と彼の傑作、そして家だけとなる。そのすべてがひとつの球体の中に閉じ込められ、孤立した空っぽの宇宙となる。そして彼の前に見覚えのある目が現れ、犠牲を払わなければならなくなる” 彼らの “傑作” は世界に評価されるのでしょうか?それとも、小さな球体に閉じ込められたままなのでしょうか?
今回弊誌では、NOSPUN にインタビューを行うことができました。「映画 “マトリックス” の中で僕らが好きなシーンのひとつに、ネオが予言者のもとを訪れるシーンがある。そこには小さな修道僧の子供がいて、心でスプーンを曲げているんだ。ネオがスプーンを曲げようとすると、その子供が “スプーンを曲げようとするのではなく、スプーンなど存在しないという真実を悟るんだ” という意味のことを言うんだよ。そこで僕たちは、その “No Spoon” の部分をユニークな綴りにして、ネット上で簡単に見つけられるようにしたんだ」 どうぞ!!

NOSPUN “OPUS” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【PRESS TO ENTER : FROM MIRROR TO ROAD】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH PRESS TO ENTER !!

“When We Came Up With The Band Name, We Did Have a Video Game Main Menu Screen Running In The Background. So Yeah, The Name Really Came From That Whole Idea Of Pressing a Button To Enter a Virtual World.

DISC REVIEW “FROM MIRROR TO ROAD”

「実はバンド名を考えていたとき、後ろでビデオゲームのメインメニュー画面が開いていたんだ。だから、ボタンを押せば、ワクワクするようなバーチャルな世界に入れるという発想がバンド名の由来になった。僕らの場合、その世界は音楽のサウンドスケープなんだけどね」
ビデオ・ゲームで育った世代なら、”Press Enter” の文字を見るだけで血湧き肉躍るに違いありません。カートリッジを装着して、未知なる冒険へと繰り出すその入り口こそ、”Press Enter” なのですから。ゲームの中で私たちは、いつも無敵で全能でした。
同様に、未知なるバンドの始まりのリフやメロディが天高く、もしくは地響きのようにアルバムの幕開けを告げる瞬間はいつもワクワクするものです。どんな音がするのだろう?想像を絶するスリルやサスペンス、もしくは狂気はあるのだろうか?歌われるのは希望?それとも絶望?内なる五感を熱くさせるのだろうか?…おもちゃ箱をひっくり返したようなデンマークのプログレッシブ・トリオ PRESS TO ENTER は、そのワクワク感、ロックやメタルの全能感を何よりも大事にしています。
「HAKEN の “1985” という曲と、彼らが現代のプログレッシブ・ミュージックに80年代のサウンドを使っていることにすごくインスパイアされたんだ。それに、Dua Lipa はそういったオールドスクールなサウンドをとてもうまく料理して、新しい新鮮な方法で使っている。面白いことに、僕たちは80年代に直接インスパイアされるというよりも、80年代にインスパイアされたサウンドを使う現代のアーティストに影響を受けているんだと思う」
PRESS TO ENTER の音楽には、ゴージャスで全能感が宿っていた80年代の世界から飛び出してきたような高揚感と華やかなポップネスが蔓延しています。ただし、彼らのアルバム “From Mirror to Road” はただ過去の焼き直しではなく、モダンな Djent のセオリーや洗練されたプロダクション、ネオ・ファンクやネオ・フュージョンのグルーヴ、それに21世紀の多様性を胸いっぱいに吸い込んだごった煮の調理法で、独自の個性と哲学をデビュー作から披露していきます。あの ARCH ECHO 肝入りの才能に納得。
「私は不安症と身体的苦痛障害と呼ばれるものを抱えていて、4年前に顎の手術を受けることになったの。その後、長い間落ち込んでいて、しばらく歌うこともやめていたの。Lucas と Simon が “Evolvage” のボーカルに誘ってくれたとき、私は新たな希望を得たわ。あの曲をレコーディングしたとき、私は本当に音楽とつながることができた。自分にとって自然な感じだったし、新しい方法で自分を表現する機会を与えてくれたのよ。私のボーカルは、このバンドの音楽に新しい色を加え、特別な味わいを与えていると思う」
PRESS TO ENTER がこの暗澹たる2020年代にロックの全能感と期待、そして希望を蘇らせたのは、自らも一度は傷つき不安と共にあったから。他人と自分を比べることで鬱状態に陥り、極度の不安を抱えていたボーカルの Julie は、自らの歌声がこの奇抜で好奇心に溢れたプログレッシブ・メタルに命を吹き込むことを知り、前へと進み始めました。実際、マドンナから始まり、アギレラ、ペリー、レディ・ガガの系譜につながる彼女のポップで力強い歌声は、プログの世界にはないもので、だからこそ輝きを放ちました。
「僕らの曲 “Cry Trigger” のアンビエント・セクションは、”バイオハザード・ゼロ” のテーマ ”Save Room” に非常にインスパイアされているんだ。それに僕は、日本のアニメの大ファンでもある。”ワンパンマン” や “進撃の巨人” は大好きな作品だよ。僕らの曲 “Frozen Red Light” の一部は、間違いなくアニメ音楽の影響を受けている。あと日本の音楽では、CASIOPEA と彼らの昔のベーシスト、櫻井哲夫が大好きなんだ。彼は僕のベースプレイに大きなインスピレーションを与えてくれた。それに、RADWIMPS も大好きだよ」
最後のピースとして、PRESS TO ENTER は日本の文化を隠し味に加えました。それは、日本のアニメやゲーム、音楽の中に、失われつつあるワクワク感が存分に残っているから。そうして PRESS TO ENTER の軽快で複雑でポップな世界は、視覚的にも広がりを得て3次元の立体感を得たのです。もちろんそれは、彼らが敬愛する地元の英雄 DIZZY MIZZ LIZZY と同じトリオだからこそ、得られた自由。
今回弊誌では、PRESS TO ENTER にインタビューを行うことができました。「DIZZY MIZZ LIZZY の Tim Christensen、Tosin Abasi, Plini が僕のスーパー・ヒーローだね。彼らをたくさん聴いたことで、自分のサウンドや音楽におけるクリエイティブな考え方が形成された気がする」 Tosin というより、かの Manuel Gardner Fernandes 直伝のスラッピング、それに曲中の魔法のようなテンポ変化が実にカッコいいですね。どうぞ!!

PRESS TO ENTER “FROM MIRROR TO ROAD” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【HENGE : ALPHA TEST 4】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH ZPOR OF HENGE !!

“Since Landing On Earth, We Aim To Create Benevolent Sonic Weaponry To Combat Sadness And Bring Joy To Humanity.”

DISC REVIEW “ALPHA TEST 4”

「なぜ地球に降り立ったのか?それは、この星からの遭難信号を受信したから。深刻なレベルで危険なピークに達し、地球の住民の間に悲しみの伝染病が蔓延していることは明らかだった。イギリスのマンチェスターは、僕たちのミッションを開始するには良い場所のように思えた… 僕たちは、この都市を震源地とする “レイヴ” と呼ばれる最近の社会的/音楽的ムーブメントを知っていた。レイヴ・ミュージックは、異なる社会的背景を持つ人々を団結させることで知られているからね。だから、この場所から始めようと思ったんだ」
張本人には見えないことが、世界には多々あります。例えば、夏休みの宿題に手をつけていない、危険な男にひっかかる、タバコや酒をやめられない。周りから見ればヤバよりのヤバなのに、当の本人には危機感がまったくなくあっけらかんとしている。今の地球はもしかしたら、そんな状況なのかもしれませんね。
だからこそ、宇宙の音楽と地球の “プログレッシブ・レイヴ” で悲しみを癒しにやってきた地球外生命体 HENGE には、この星の危機的状況がよく見えています。
「音は強力な力になる。実際、僕たちの宇宙船マッシュルーム・ワンは音で動いているんだ。だからノム、グー、そして僕は、深宇宙を航行する毎日の日課として、いつも音楽を演奏してきたんだ。常に音楽を流してきた。地球に着陸して以来、僕たちにはエイリアンの周波数を人間の耳に適合させるのを手伝ってくれる人間がいる。そうして共に悲しみと闘い、人類に喜びをもたらす善意の音波兵器を作ることを目指しているんだ」
音楽は力になる。惑星アグリキュラーで生まれた異星人 Zpor は、アグリキュラー音階の海で育ち、音楽を栄養として摂取してきました。だからこそ、アグリキュラーの音楽 “コズミック・ドロス” にシリウス星系や金星の音楽を取り入れ、さらに地球のプログレッシブ・ロック、レイヴ、ゲーム・ミュージックとシンクロさせることで、唯一無二のポジティブな音波兵器 “Alpha Test” を完成させることができたのです。
“Alpha Test 4″ のA面には、刺激的でエネルギッシュな地球外サウンドが収録されていて、それぞれがリスナーの想像をはるかに超えた冒険的へと誘い、ポジティブなエナジーと希望を増幅します。”Get A Wriggle On” という地球に迫りつつある気候危機への早急な対策を呼びかける陽気なエレクトロ・プログを筆頭として、サイドAには銀河系と精神世界の両者における美徳に対するグリッチ賛歌や、最も回復力のある生き物のひとつであるクマムシに対するトリッピーなトリビュートまで収められています。
一方、心を解き放つサイドBで彼らは、宇宙的で蕩けるようなメロディーの叙事詩を集めています。”Ra” のコズミックなアルペジオから “Asteroid “のスペース・ロックまで、リスナーはサイケデリックな宇宙旅行へと誘われ、”First Encounter”、地球へのラブレターにたどり着きます。
「人類がその歴史において重大な局面にあることは明らかだ。分断と憎しみの力に屈しないように、愛と喜びの音を増幅させることが、今、これまで以上に不可欠なんだよ。手遅れになる前に、人類は団結して種を救わねばならない。まだ希望はある…希望はあるが、その実現のために君たちはこの使命に取り組まなければならない。君たちの未来は君たちの手の中にあるんだから」
そう、私たちは HENGE の音楽で愛と喜び、そして優しさを増幅させて、今そこにある危機に立ち向かわなければなりません。宇宙人だけに任せておくわけにはいかないのです。アグリキュラー星から来たアグリキュラン、Zpor です。どうぞ!!

HENGE “ALPHA TEST 4” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【MOON SAFARI : HIMLABACKEN VOL.2】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH MOON SAFARI !!

“We Actually Never Aimed For The Prog-genre. We Just Want To Create Art, And That Every Note We Write Has a Purpose.”

DISC REVIEW “HIMLABACKEN VOL.2”

「プログレというジャンルを目指したことはないよ。私たちはただ芸術を創り出したいだけで、私たちが書く一音一音には目的がある。どの曲もそれ自体がアートなんだ。だからこそ、ある曲は3分の短くエネルギッシュなものでなければならないし、ある曲は壮大で長いものでなければならないんだ。変拍子の方が合うと思う曲もあるけれど、決して複雑さのためだけに使っているわけではないんだよ。変拍子の方がグルーヴ感が出るのであれば、例えば9/8でもいいんだけどね」
かのメタルの帝王 Ozzy Osbnurne が最近、”私はメタルをやっているつもりはない。昔はすべてがロックと呼ばれていたし、私もその中にいると思う” と発言して物議を醸しましたが、スカンジナビアの良心 MOON SAFARI もきっと同じ哲学の下にいます。
複雑怪奇な “プログレ” と呼ぶには甘すぎて、ビーチ・ボーイズ由来のポップスと呼ぶには知的すぎる。そんな定まらぬジャンルは彼らにとって足枷であり、魅力でもありました。そして今回、10年ぶりにリリースした “Himlabacken Vol.2” で、彼らは周りの目には気もくれず、ただ自らの創造性とアートにしたがってさらにその世界を広げました。
「歌詞の多くは、現在の世界と、それが歩んできた間違った道についてだから。私たちの子供たちもその間違った歩みの世界にいるわけだよ。だからこそ、私たちは人間の愚かさについて歌い、世の中には悪いこともたくさんあることも描く。だけど、一番大切なのは、未来の世界にとって何が良い面なのかを知ってもらうことだと歌っているんだ。今の子供たちがこの世界の良さを信じ続ければ、いつか世界を良い方向に変えることができるかもしれないからね」
戦争、分断、パンデミック。前作をリリースした10年前とは変わり果てた世界で、それでも MOON SAFARI は優しさと寛容さの中に生きています。だからこそ、現代における人類の愚行を子どもたちに伝えたい、より良い世界を目指してほしいという願いはその音楽に宿りました。
もちろん、FLOWER KINGS を彷彿とさせるシンフォニー、表現力豊かなムーグとクワイアのオペラ、青く美しきコーラス・ワークスに洒落た変拍子は今でもここにありますが、自らの子供時代を通して現代の子どもたちを映し出した “Himlabacken Vol.2” には明らかに、暗くてメタリックな瞬間が存在します。
「私たちはみんな80年代生まれだし、このアルバムはノスタルジアの感覚で書かれているから、この曲は偉大な Eddie Van Halen へのオマージュなんだよ。彼は私の大好きなギタリストの一人でもあるしね」
MESHUGGAH 由来のヘヴィ・ポリリズム、Yngwie も舌を巻くクラシカルな光速リード、DREAM THEATER のメタル・イズム。MOON SAFARI は間違いなく、これまでとは異なる一面を垣間見せながら、スター・ウォーズやスタンド・バイ・ミーが “ジョーカー” へと変異した現代の闇をあらわにしていきます。そう、今みんなが心待ちにしているのは、きっと溢れんばかりの笑顔で夢を紡ぐ新たなエディ・ヴァン・ヘイレンの登場なのです。
「私たちは皆、同じ小さな教会で同じ経験をしてきたんだ。学校の最終日に教会で座っているときの、あの魔法のような感覚。”Epilog” から得られる感覚は、何年も前、小学生の時に私たちが感じたものだけど、今でもとても最近のことのように感じられるよ」
アルバムは、スウェーデン語で歌われる天上の讃美歌で幕を閉じます。昔は良かったなどと口にしようものなら即座に老害認定される世界で、MOON SAFARI はロマンチックなノスタルジーを隠そうとはしません。いえ、むしろ前面に押し出していきます。
それはきっと、自転車を手に入れた、ギターを手にした、ゲーム機をクリスマスに買ってもらった、CD をお小遣いで買いに行った…あの時の胸の鼓動と全能感を今の子供たちに分けてあげたいから。重要なのは、どこまでも行けるという無限の可能性を信じること。ネットで即座に手に入るものだけが、便利で評価の高いものだけが宝物ではないことを、彼らはきっと世界に思い出させたいのでしょう。
今回弊誌では、MOON SAFARI にインタビューを行うことができました。「スーパーマリオ、TMNタートルズ、ロックマン、ソニック、トランスフォーマー、スタージンガー、ポケモン、ゲーム&ウォッチ、任天堂、セガ、ソニープレイステーションの世界。子供の頃はずっとトヨタのカムリに乗っていたよ! 」  二度目の登場。どうぞ!!

MOON SAFARI “HIMLABACKEN VOL.2” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【TEMIC : TERROR MANAGEMENT THEORY】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH DIEGO TEJEIDA OF TEMIC !!

“I Think There Is a New Generation Of Bands That Are Focusing On The Emotional Content Rather Than The Technical. I Think That This Is Real Prog.”

DISC REVIEW “TERROR MANAGEMENT THEORY”

「制度化され、ほとんど強制的な変拍子、速いソロ、意図的に作られた支離滅裂な構成など、一部の “プログレ” はとんでもないところまで行ってしまっていると思う。このジャンルは感情やインパクトのある実際の曲よりも、テクニックや名人芸の誇示を求めるミュージシャン、それにアカデミックに酔った音楽になってしまうことが多い。音楽とは何かという根本的な原則、つまり人間の魂の直感的な表現をないがしろにしてしまうんだよね。そうした “プログレ” は結局、予測可能なものとなってしまった」
従来の “ロック” に、アカデミックな知性、予想不能な展開、多様なジャンルの婚姻を加えて “進化” を試みたプログレッシブ・ロック。70年代には革命的で、新しかったジャンルは、しかし今や形骸化しています。
「ある時点で、僕たちは間違った方向に進み、プログレの “プロセス” を誤って解釈してしまったのだと思う。例えば、1970年代の PINK FLOYD のようなバンドを思い浮かべてほしい。彼らの曲は3分のときもあれば、10分のときもあった。それは、その曲は10分である必要があり、他の曲は3分である必要があったからだ。彼らは従来のルールを破って、ただ音楽のために、音楽にまかせて、曲の長さや複雑さを決めていたんだ。 でも幸いなことに、技術的なことよりもエモーショナルな内容に重点を置く新しい世代のバンドが出てきたと思う。これこそが真の “プログレ” だと思う。なぜなら、彼らはこのジャンルのために設定され制度化された期待や慣習を破ろうとしているからね」
難解な変拍子、テクニックのためのテクニック、そしてお約束の長尺のランニング・タイム。きっと、そうした “規範” ができた時点で、プログレはプログレの役目を終えたのでしょう。それでも、ジャンルの初期にあった好奇心や知性、挑戦の炎を受け継いでいきたいと望むアーティストは存在します。そうして、英国の希望 HAKEN で長く鍵盤とサウンド・メイキングを手がけた奇才 Diego Tejeida は、むしろ若い世代にこそ真の “プログ魂” が宿っていると力説します。
「2020年に Eric と最初に電話をしたとき、僕たちは TEMIC の音楽的ビジョンについて合意したんだ。力強いボーカルのメロディ・ライン、誠実でインパクトのある歌詞、色彩豊かなハーモニー、そしてハートビートのような絶え間ない鼓動。僕たちは、自分たちの技術的な能力を誇示するために大げさな音楽を書くことには興味がないということで意見が一致したんだよ。それどころか、音楽そのもののエモーショナルな内容に奉仕するための曲を書きたかった」
そして Diego の出自であるメキシコ、アステカ文明の言葉で “夢” を意味する TEMIC をバンド名に抱いたこのバンドもまた、真のプログの追求者でしょう。実際、このバンドはプログのドリーム・チームでしょう。Diego にしても、Neal Morse のもとでマルチな才能と天才的なギタリズムを披露した Eric Gillette にしても、そのテクニックや音楽的素養は世代でも飛び抜けたものがあります。他のメンバーも、SHINING, INTERVALS, 22 とそうそうたるバンドの出身。しかし、彼らは決してそのテクニックを誇示することはありません。すべては楽曲のために。すべてはエモーションのために。
「このアルバム “Terror Management Theory” でも、メタルギア・ソリッドのサウンド・トラックの影響を実際に聴くことができる。あのゲームのサウンド・トラックとセリフの組み合わせは、幼い頃から僕に大きな影響を与えたよ。僕の人生の目標のひとつは、ビデオゲームのために音楽を書くことなんだ。そのためには日本に引っ越す必要があるかもしれないね!」
実際、メメントモリ、この人生の有限を知る旅において、Diego の音楽と言葉のシンクロニシティは最高潮を極めます。そして、ゲームから受け継いだ旋律の妙とエレクトロニクスの波は、Eric の滑らかなギターワークと融合して絶妙なタペストリーを織り上げていきます。
2人の仲人となった賢人 Mike Portnoy の教え。テクニックよりも野心とアドレナリン、直感に細部までの拘り。TEMIC の音楽は、そうして確実に、プログレッシブの次章を切り開いていくのです。
今回弊誌では、Diego Tejeida にインタビューを行うことができました。「メキシコ・シティで行われた DREAM THEATER のライブ。僕は最前列で、歌い、叫び、飛び跳ね、ヘッドバンギングをしていた。 言うまでもなく、DREAM THEATER は僕のミュージシャンとしての初期において非常に重要な役割を果たしたんだ。例えば、”Awake” は、中学校に通う途中、毎日聴いていたアルバムだからね」 どうぞ!!

TEMIC “TERROR MANAGEMRNT THEORY” : 10/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【PLINI : MIRAGE】


COVER STORY : PLINI “MIRAGE”

“I Guess I’m Trying To Change The Weather In My Songs.”

MIRAGE

オーストラリアのギター・マジシャン Plini は、これまでもドリーミーでエセリアルなその音楽と、際立ったトーンに華麗なハイテクニックでその名を轟かせてきました。そして最新EP “Mirage” では、蜃気楼の名の通り、これまで以上に常識と典型を破壊しています。Plini は決して一つの場所に留まるようなギタリストではなく、新しい領域を探求する生来の欲求が、この作品ではこれまで以上に直感的に表現されているのです。
「あるひとつの方向に進むのであれば、可能な限りその方向に進みたい」と、Plini はその情熱をのぞかせます。「EPに収録されている奇妙な曲については、純粋に奇妙であることを理解していた。HUNAN ABSTRACT のギタリストだったA.J. Minette と一緒に仕事をしたんだけど、彼は物事が奇妙で間違っていることにすごく抵抗がないんだ。だから、ギターや弦楽器のチューニングは微妙にずれているし、演奏される音は必ずしも直接的なキーではないし、ギターの音色は擦れている。でもそれが興味をそそるんだ」
彼のトレードマークである明るいサウンド・テクスチャーと美学を歪めたいという願望は、オープニング・トラックの “The Red Fox” で明らかとなります。スキップするようなリズムとしなやかなフュージョン・リードを土台に、陰影とリバーブのかかったリード・トーンと繊細だが不穏なストリングスの色合いを経て、曲はよりダークな展開を見せます。
「ÓlafurArnaldsというアイスランドの作曲家がいるんだけど、彼は弦楽器が普通のオーケストラではやらないようなアレンジをたくさんしているんだ。ミュージシャン全員が同じ音をランダムなタイミングで演奏することで、群がるようなサウンドを生み出しているんだよ。ストリングスは、ハリウッド映画のような超甘美なアレンジにする必要はないんだ」
“Mirage” は、10月のサプライズ・シングル “11 Nights” を除けば、2020年のアルバム “Impulse Voices” 以来の新作となります。このアルバムで、彼はフォーマットの自由を受け入れました。EPはインスト向きのフォーマットだと Plini は気づきました。
「20分以上のインストゥルメンタル・ミュージックを書くのは難しいんだ。歪んだギターが歌詞になるんだから、まったく違うことを言うのは当然難しくなる。
でも、EPというフォーマットはインストを探求するのにとても楽しい方法だと思う。アルバムよりも敷居が低いように思える。いろいろなことを試してみて、何が有意義で楽しいと感じるかを知るチャンスなんだ。音楽ファンとして、バンドが同じことを繰り返し始めると、僕は興味を失う。一方で、バンドが思い切った新しいことをするのを見ると、必ずしもその新しい方向性のすべてが好きでなくても、興奮するんだ」

インストゥルメンタル・ミュージックがリスナーの注意を引きつけるには限界があることを自覚しているPlini は、だからこそ、リスナーの期待を裏切るようなひねりや驚きを常に探していることを認めています。
「それが僕の作曲の大きな原動力なんだ。”Red Fox” では、アレンジの色は変わらない。ドラム、ベース、リズム、クリーン・ギター、リード・ギターも同じで、ギターのトーンも変わらない。でも、あの曲は甘いハーモニーから、より半音階的でダークなサウンドになる。視覚的な例で言えば、座って広大な景色を眺めていて、とても明るかったとしたら、突然雲が流れてきて雨が降り始める。同じ景色を見ているのに、天気が変わってしまったような音楽。僕は自分の曲で天気を変えようとしているんだと思う」
曲がりくねった7/4の唸り “Still Life” から、狂ったチューニングの迫り来る雷が鳴り響く “Five Days of Rain” の曇天まで、EPの5曲は悪意という名の意外性と奇抜な創造性で彩られています。しかし、彼が愛するリディアン・スケールの夢想的な響きは健在で、それが喧噪の中に光を散りばめているのです。リディアン・スケールは、彼が “クレイジーなエレクトリック・ギター・ミュージック” と呼ぶ音楽にのめり込み始めた頃、Steve Vai や Joe Satriani を夢中になって聴いているうちに好きになった魔法で、そのシュールな美学こそがリディアン・スケールの魔法だと Plini は疑いません。
「なぜだかわからないけど、(スケールで) 4番目の音を半音上げるとファンタジーのように聞こえるんだ。普通の4番目の音が僕たちの住む世界だとしたら、半音上げた4番目の音は、すべてがもう少しカラフルになった世界。それが僕が時間の大半をかけて喚起したいムードなんだよ。
アートワークもそう。現実的ではないけど、認識できるものが含まれているジャケットはたくさんある。でも、”Mirage” はもっと抽象的で、それは音楽でもやろうとしていることだと思う。ピカソの絵を見て、それが音楽としてどう聞こえるかを考えるようなものだ。どうすれば抽象的になれるのか?ってね」
典型の破壊といえば、前述の “Still Life” では、Plini が中東の弦楽器ウードを演奏しています。
「ロックダウン中に覚えたら楽しいと思ったんだけど、クッソ難しかった」

さらに重要なのは、この曲には ANIMALS AS LEADERS の Tosin Abasi がコラボレートしていること。彼もまた、このEPの捻くれた性格に拍車をかけています。
「彼は、僕とは全く違う、とても独特なひねくれた、エッジのある声を持っている。ソロを分け合う時、それは重要なことなんだ。
Tosin と一緒に仕事をするのは、必然的なことだった。彼は僕らの世代のギタリストの最前線にいる。なぜなら、彼は可能な限りクレイジーなことをやってきたし、前の世代と比べて新しいことをたくさんやってきたからだ。もちろん、僕は最高のギタリストとコラボレーションしたいからね」
Steve Vai が Plini を “卓越したギター・プレイの未来” と称賛したのは記憶に新しいところ。しかし、そのような “十字架” が、のんびりとしたオージーにプレッシャーを与えることはないのでしょうか?
「それはとても非現実的な出来事だった。でもね、僕にとって彼の言葉は、心配するよりも、今やっていることを続けろというサインだった。
ヴァーチュオーゾ的に演奏しなければならないというプレッシャーを感じることもあるかもしれない。でもね、結局人々がそれを期待するというよりも、僕が無意識のうちにギターの狂ったような演奏を聴くのが好きだから、そうなるんだ」
Vai と同様、Joe Satriani も Plini にとっては “師匠” の1人。2人とも、ギターをまるでボーカルのように扱います。
「サッチの演奏の好きなところはそこなんだ。彼は最もシンプルなメロディーを弾くし、フレージングも完璧だ。ビートに対する音の置き方が、いつも完璧で、ビブラートもいつも素晴らしい。
彼は本当に音を選んでいるのではなく、レモンのようにギターをジュースにして音を絞り出しているような気がする。彼は私に大きなインスピレーションを与えてくれた。だから、比較されるのはとてもうれしいよ」

もっといえば、Plini にとってギターとは声そのもの。
「僕はリード・ギターはボーカルだと思っているんだ。もちろん、テクニカルな音楽も好きだけど、シンプルな音楽も好きだ。ギタリストが何か派手でクールなことをするまでに数分かかる方が、ノンストップでクレイジーなことをするよりもエキサイティングだと思うんだ。だから、シンプルな部分と複雑な部分をミックスさせるのが好きなんだ」
メタルが背景にあることも、Plini の強みです。
「普通の人はライブに行ってまずはシンガーの歌を聴くだろう。だから、そのシンガーが突然叫んだらかなり耳障りだろう。でも、僕のような人間にはそれがまったく普通で、ただそこに立って微笑んで楽しむだけだ。僕は音楽全般に対して同じような態度を持っていると思う。不協和音的なソロやコードも、本当にシンプルなものや高揚感のあるポップなメロディに劣らず心地よいと思えるほど、いろいろな種類のものを聴いているんだ」
インスピレーションの源は、音楽だけではありません。Plini は音楽家になる前は、建築家になるために勉強を続けていました。
「あらゆる種類の芸術を見て、それが音楽であるかのように分析してみるのはいつも興味深い。素晴らしい教会なら、小さなドアから巨大な部屋に入り、静かなイントロから100の楽器のコーラスが広がるような、そんな感じかもしれない。多くの素晴らしい建築物には、2つか3つの素材が使われているかもしれないけれど、曲の中では2つか3つの楽器がその能力をフルに発揮しているかもしれない。
そうしたアートの類似性を作るのは非常に漠然としている。でも、偉大な画家が偉大な絵を描くように、あるいは偉大なシェフが偉大な料理を作るように、自分が曲を作っているかどうかを確認する方法として、少なくとも相互参照するのは面白いと思う」

以前、”Ko Ki” という楽曲では、NGO と提携して寄付を募りました。
「僕は大学で建築を学んだんだけど、その授業のひとつにロー・インパクトとの提携があった。その授業では、カンボジアの貧しい村のためのコミュニティ・シェルターをデザインしたんだけど、その授業の最後に優勝したデザインには、そのクラスの誰もがカンボジアに行って建設を手伝えるというオプションがあったんだ。僕はどんなチャンスにも “イエス” と言うのが好きな人間になったんだと思う。だからそうして、素晴らしい時間を過ごした。人生を変えるような経験だった。
このプロジェクトは、政府によって買い取られようとしている土地を買い戻すというものだった。なぜか覚えていないんだけど、たぶんNAMMに行ってオタクになってギターを弾くのに忙しかったんだと思う。それで、資金集めのために曲を書こうと思ったんだ。音楽で面白いことをする、それが音楽でできる最も価値のあることだと思う。ボートに乗って、なんとなく知っている人たちと一緒にビールを飲むのは、寝室でギターを弾いていた僕にとって、本当に楽しいことなんだ。僕が寄付したお金で建てられた家に、世界中の家族が住んでいるのを見ることができるのは、真剣にビブラートに取り組んだことの素晴らしい成果なんだよ!」
そうやって、Plini はプログ世界の価値観や活動のサイクルさえも壊していきます。
「現代のプログレッシブ・メタル・バンドというのは、バンドをやっていて、自分の楽器がすごく上手で、気持ちの悪い曲を書いて、それがアルバムになってレコード会社からリリースされ、母国をツアーして、それから世界中をツアーして、また母国をツアーして、2ヶ月後とかにミュージックビデオをリリースして、疲れ果てて家に帰って、しばらく待ってからまたやる、というようなことになりがちだと思う。現代のプログ・メタル・バンドというのは、そういうものだと思う。それに対して僕は、それとは正反対の状況に自分を追い込もうとしているんだと思う。ボートの上で演奏したり、慈善活動をしたりね。
プログという言葉自体、価値観や主義主張というよりも、特定のサウンドを表現するための言葉になってしまっている。”djent” という言葉と同じでね。僕にとっては、サウンドやバンドなどの説明を伝えるための手っ取り早い方法ってだけ。でも、僕は自分の楽しみのために音楽を書いているし、ただ楽しくて奇妙な人生を自分のために作ろうとしているから、アルバムとツアーのサイクルだけにならないように、できることは何でもしているんだと思う。新しい車を買うための、ベストな方法じゃないけどね (笑)」

現代のインストゥルメンタル・ギター界は想像力と独創性に溢れています。Tim Henson, Tosin Abasi, Ichika, Manuel Gardner Fernandes, Jakub Zytecki, David Maxim Micic, Aaron Marshall, Yvette Young のようなミュージシャンは、アクロバティックな演奏だけではなく、技術性と音楽性が共存できることを証明しています。Plini がその一員であることを誇りに思うシーン。
「多くの進化と才能に囲まれているのは素晴らしいことだ。ANIMALS AS LEADERS にしても、UNPROCESSED の曲にしても、テクニカルでありながら、シンプルなメロディのようにエモーショナルでキャッチーなんだ」
このシーンは、DIYが主流であり、ビジネスやレーベルを重視していないことも Plini は気に入っています。
「ビジネスにかんして、僕はできるだけ人を避けるようにしているんだ。僕にはレコード会社もマネージャーもいない。そうすることで、僕と同じ目標を持っていないような人たちと話す時間を無駄にしなくてすむからね。ツアーに出るときも、一緒にいるのはみんな友達だから、何か問題があってもすぐに話せる。一緒に仕事をする人たちはみんな、自分の仕事を愛し、本当にいい仕事をしたいという同じ姿勢を持っている。
僕は幸運なことに、典型的な音楽業界のしきたりやならわしの多くを避けてきた。でも、特にこのシーンやジャンルでは、観客がそれでもアーティストのハードワークを評価してくれるから良いよね。生半可なプログ・バンドが有名になっても、ギター・オタクの人たちはみんなわかっていて、”そんなに良くないよ。聴く気にならない” ってなるからね。だから、このシーンで活動するのはとても正直なことなんだ」

つまり、Plini にとっては音楽業界の “しきたり” も破壊すべき壁の一つ。
「僕は知識や人脈はおろか、特定の目標や計画を持って音楽業界に入ったとは言えない。だけど今振り返ってみると、それがレコード会社やマネージメントに頼らずに自分のオーディエンスを開拓する上で最も役に立ったことがわかる。
約10年前、僕は制作中の曲のクリップやデモをアップロードし、音楽フォーラム(DREAMTHEATER のファン・フォーラムなど)で共有するようになった。Misha が自分のバンド PERIPHERY を立ち上げたのを見たことがきっかけだったし、DREAM THEATER は間違いなく僕が初期の頃最も影響を受けたバンドの一つだ。
DREAM THEATER の大ファンになったのは、Mike Portnoy が彼のフォーラムを通じてファンと連絡を取り合っていたこと、アルバムとツアーの合間に”公式”のブートレグをリリースしたり、アルバムのアートワークやビデオに謎を隠したり、バンドの舞台裏の映像を大量に共有したりと、ほぼカルト的なレベルの関心を維持していたことが理由なんだ。
それは PERIPHERY も同様で、常に制作中の作品を共有し、SNSでファンと交流していたからね。SNSでのプレゼンスを維持し、ファンベースと連絡を取り合うことは、2020年のミュージシャンにとってはかなり一般的な活動だけど、2010年頃の僕にとって、フォーラムに何かを投稿したりメッセージを送ったりして、自分の音楽的アイドルに直接メッセージを送ることができ、彼らが実際に反応してくれる可能性がかなり高いというのは、かなりの衝撃だったんだ。
ここで学ぶべき教訓は、オーディエンスを見つけるために、独自のマーケティング部門を持つレーベルは必要としないということだと思う。ただ自分の好きなアーティストに注意を払い、分析するだけで良いんだ。なぜ彼らが人気なのかをね。それが、YouTubeにもっと舞台裏の映像を投稿したり、Instagram でQ&Aをしたり、毎週メーリングリストを作ったりするきっかけになるかもしれないからね。
僕が駆け出しの頃は、音楽フォーラムでアクティブな状態を維持し、一貫してFacebookのメッセージやコメントに返することが、今日の僕のオーディエンスを構築するのにとても役立っていたね。プラットフォームからプラットフォームへとオーディエンスの注目を集め、維持し、フォローしていくことは、駆け出しのアーティストにとって多かれ少なかれ必須であると思うよ。
2015年までに3枚のEPをリリースして、オンラインで十分なオーディエンスを築き上たことでやっと、バンドを組んでライブをするのもクールだと思った。過去数十年の間、ライブをすることはバンドが”ブレイグするための重要な方法の一つだったけど、最近では音楽をリリースしてオンラインで話題になるまではライブをしない方が理にかなっていると思う。
初めてのショーで観客を沸かせたことが初のオーストラリアツアーにつながり、全国各地のショーで安定した観客動員を得たことで、より大きなブッキング・エージェンシーと仕事をするようになり、より大きな会場やより良いサポート枠への道をゆっくりと歩むことができるようになった」

では、彼は今現在、ギターシーンのどのような位置にいるのでしょうか?
「僕たちは皆、自分自身のベストを尽くそうとしていると思う。僕は特に練習に打ち込んだことはないから、テクニックを押し付けることが自分の居場所だとは思っていない。でも同時に、僕の周りにはあらゆるテクニックに長けた人たちがいるから、もっとうまくなりたいと思うし、彼らとは違う新しいことに挑戦したくなる。僕は、クレイジーなアイデアをすべて自分の音楽に取り入れて、意味のある面白いものを作りたいんだよ」
Plini は常に謙虚な向上心を持っていますが、それでもモダン・ギター・シーンにおける彼の地位は議論の余地がありません。Abasi の革新性や Jakub Zytecki の “超ワイド・ヴィブラート” はたしかに魅力的ですが、色彩と感情に満ちたメロディーに対する Plini の耳は他の追随を許しません。”Mirage” で彼は、音楽情景が奇抜で荒々しく波乱に満ちたものになったとしても、彼の音楽は相変わらずカラフルで美しいままであることを証明したのです。
「作曲に “正解” などはなく、頭の中のスナップショットとして存在するだけだと信じている。完璧なんてとんでもないことだと受け入れることが、何をするにも楽しいことだと思うんだ」


参考文献: GUITAR.COM:Plini on new EP ‘Mirage’ and writing his most out-there music yet

GUITAR. COM:“My fanbase was amazingly angry”: Plini on his new album, signature guitars and ‘that’ Doja Cat controversy

NUSKULL:„Perfection is kind of ridiculous” – an interview with Plini

MUSIC RADER:Plini: “Satch has been hugely inspirational to me so it’s very cool when I’m told people can hear that in there”

PLINI 来日公演の詳細はこちら!SMASH

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【MOHINI DEY : MOHINI DEY】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH MOHINI DEY !!

“People Can Steal Everything But Not Your Art”

DISC REVIEW “MOHINI DEY”

「私はインド人で、カルナティック・ミュージックで多くのコナッコルを学んだわ。それをスラップ・ベースに取り入れ始めたら、みんなとても楽しんでくれたし、それがみんなにとってとても新鮮で新しかったのだと思うわ。私は様々に異なるスタイルやヴァイブをベースで表現するのが好きだから」
ムンバイ出身のかわいいとおいしいを愛する26歳のベーシスト、Mohini Dey は、Forbes Indiaによって “30歳未満で最も成功したミュージシャン” と評されています。9歳で世界への扉をこじ開けた Mohini は、それから18年間、類稀なる才能と努力で Steve Vai, Simon Phillips, Stanley Clarke, Jordan Rudess、Quincy Jones, Mike Stern, Marco Minneman, Gary Willis, Dave Weckl, Tony Macalpine, Stu Hamm, Plini, Guthrie Govan, Chad Wackerman, Chad Smith, Gergo Borlai, Victor Wooten など、本当にそうそうたるアーティストと共演を果たしてきました。日本のファンには、B’z との共演が記憶に新しいところでしょう。
インドは今や、ロックやメタル、プログレッシブにフュージョンの新たな聖地となりつつありますが、確実にその波を牽引したのは Mohini でした。そして音楽の第三世界がまだ眠りについていた当時、彼女がムンバイから世界への特急券を手に入れられたのには確固たる理由があったのです。
「並外れた存在になりたければ、並外れた時間を費やし、才能を磨く必要がある。才能は報酬ではない。報酬とは、才能を磨くために懸命に努力した結果、実りを得ることだから。人は何でも盗めるけど、あなたの芸術までは盗めないの」
アルバムには “Introverted Soul” “内向的な魂” という、Mohini が10年間にわたって温め続けた楽曲が収録されています。友達と遊ぶことも許されず、父の夢を背負いひたすらベースだけに打ち込んだ学生時代。そもそもがとても恥ずかしがり屋で、内向的だった彼女はしかし、音楽で抜きん出ることによってその世界を広げ、今では率直で社交的で経験が大好きな人として成長を遂げました。
才能は誰にでも与えられているが、磨かなければ意味がない。そんな父の教えと、彼女自身の弛まぬ努力が、いつしか彼女の世界を広げるだけでなく、インドの音楽シーン全体をも拡大する大きなうねりとなっていったのです。
「私のライブが終わると、たくさんの子供たちや若い女性ミュージシャンが私のところにやってきて、”Mohini は私のアイドルよ。あなたは私のインスピレーションの源で、私がベースを弾けるようになったのもあなたのおかげ” って伝えてくれるのよ。世界は変わりつつある。今の私の目標は、インドからもっと多くの女性奏者を輩出することなの」
同時に、性別や宗教、人種の壁に対する “反抗心” も Mohini の原動力となりました。インドを含む世界の多くの地域では、白い肌は依然として最も望ましいまたは美しいものとして祝われています。特にインドでは、女性は今でも肌の色について多くの差別を受けているのです。だからこそ、音楽を通して世界を旅した彼女は、あらゆる人種、宗教、文化の人々に会い、すべての文化の美しさを目にし、さまざなま壁を取り払いたいと願うようになりました。”Coloured Goddess” はそうした差別に苦しむ美の女神たちすべてに捧げた楽曲。
一方で、”Emotion” は Mohini 自身が受けてきた、女性であることに対する過小評価への反発です。”女性である私がどんな男性よりも上手にベースを弾くことが可能であることを世界に示したかった” と語る彼女は、幼い頃から、女性はベースを極めるのに力が足りない、強さがないという批判を浴び続けていたのです。
世界で羽ばたいた彼女は今や、そうした姿の見えない “批判者” たちに感謝の “感情“ さえ持っています。そうした批判がなければ、これほど練習することはなかっただろうと。怒りと感謝の入り混じった感情の噴火はすさまじく、ベースを弾き狂う中で彼女は後進たちに、語るよりも行動で示せとメッセージを放ちました。
「18年半の仕事を通じて、私は信じられないほど才能のある伝説的なミュージシャンに会ってきた。彼らと仕事をするとき、実は私は彼らに自分のアルバムに参加してもらうことを念頭に置いていたのよ。それぞれが自分の経験、声、旅を私の曲にもたらしてくれたの。だから、そうね!私は自分の多様な選択を非常に意識していて、各曲ごとに慎重に各ミュージシャンを選んでいったの」
そうした背景を湛え、彼女自身の名を冠したデビュー・フル “Mohini Dey”。この作品で Mohini は、まるで人種や性別、文化や宗教の壁を壊すかのごとく、世界のあらゆる場所に散らばるトップ・アーティストを集めて、前代未聞のカラフルな音の融合を生み出しました。Simon Phillips、Guthrie Govan、Marco Minneman、Steve Vai, Jordan Rudess, Gergo Borlai、Bumblefoot、Scott Kinsey、Narada Michael Walden、Gino Banks、Mark Hartsuch、Mike Gotthard…すべての名手たちは団結し、Mohini の音楽を通して愛と物語を表現していきました。
ここには、かつて WEATHER REPORT や MAHAVISHNU, Chick Corea が培った名人芸とエモーションの超一流二刀流がたしかに存在しています。ただし、彼女の夢は一番になることではなく、自分自身であり続けること。新たな世代を育てること。寛容と反発、そしてムンバイの匂いをあまりに濃くまとった “Mohini Dey” は彼女の決意を体現する完璧な意思表明でしょう。
今回弊誌では、Mohini Dey にインタビューを行うことができました。「B’z と活動した後、私は日本で多くの名声を得て、日本のファンから私の音楽性、ミュージシャン・シップをたくさん愛してもらえるようになった。それに、B’z のおかげでヘヴィなロック・ミュージックも大好きになったのよ」肉への愛を綴った “Meat Eater” や、カリフォルニアのダブルチーズバーガーと恋に落ちる “In-N-Out” など彼女の真摯な食欲もパワーの源だそう。どうぞ!!

MOHINI DEY “MOHINI DEY” : 10/10

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