“The Odd Thing About Djent Is That It Is Supposedly a Subgenre Of Progressive Metal, But While Progressive Metal Is All About Breaking The Boundaries Of Genres And Musical Norms, Djent Seems To Be More Focused On Copying a Specific Style And a Specific Sound, And Where Is The Progressiveness In That?”
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH MIKE BARBER OF WIZARDTHRONE !!
“Children Of Bodom Played At Tuska Festival And Alexi Dedicated “Bodom Beach Terror” To Me And My Friends, And I Went Home To The UK Feeling More Motivated Than I Ever Had To Follow this path”
DISC REVIEW “HYPERCUBE NECRODIMENSIONS”
「私たちは基本的に過去15年間の音楽を無視していたんだよね。エクストリーム・ウィザード・メタルはうまく機能していると思うよ。レビュアーがこのバンドをパワー・メタル、メロディック・デス、テクニカル・デス、シンフォニック・ブラックと表現しているのをよく目にするけど、結局私たちの音楽はそれらのどれにも当てはまらず、すべての要素を少しずつ取り入れているんだよね」
WIZARDTHRONE は、宇宙から来たテクニカル・パワー・デス・シンフォニック・ブラック・メタルの名状し難き混合物で、いくつもの多元宇宙を越えた魔法使いの王。
カラフルで印象的な音楽性と純粋な不条理の間を行き来する複合魔法の創造性は、ALESTROM, GLORYHAMMER, AETHER REALM, NEKROGOBLIKON, FORLORN CITADEL といったメタル世界のファンタジーを司る英傑を依り代として生まれています。そうして、何百万光年も離れた銀河から地球に到達した彼らのデビュー・アルバム “Hypercube Necrodimensions” には、激しさと情熱、そして知性とファンタジーが溢れているのです。
「歌詞を見てすぐにはわからないかもしれないけど、このアルバムは、現代の政治的な音楽と同じように、同じくらい、強い声明を出していると思うんだよ。これは世界が悲しみと怒りに満ちている時代に作られた情熱と生命の祭典であり、作りながら僕たちにも未来への希望を与えてくれたんだ」
暗く歪んだ2020年を経て、メタル世界でも政治的な発言やリリックは正義の刃を構えながら確実に増殖しつつあります。メタルにおけるファンタジーやSFの役割は終わったのか?そんな命題に、GLORYHAMMER でも “ハンマー・オブ・グローリー” を手に暗黒魔術師ザーゴスラックスと戦う Mike Barber は堂々たる否をつきつけました。
「2007年にフィンランドを旅行した際、共通の友人から Alexi と Janne を紹介されたんだけど、彼らは親切で純粋で、何時間も私たちと一緒にいて、質問に答えたり、ビールを一緒に飲んだり、ミュージシャンになるためのアドバイスをしてくれたんだよね。翌日、CoB はTuskaフェスティバルで演奏し、彼はなんと “Bodom Beach Terror” を私と私の友人に捧げてくれたんだ。私は、この道を進むことにかつてないほどのモチベーションを感じながら英国に帰ったんだよ」
COB + EMPEROR などと陳腐な足し算ですべてを語る気はありません。ただし、未曾有のメタル・メルティングポットでありながら、ここ15年間の方程式をあえて捨て置いた WIZARDTHRONE の魔法には、たしかに亡き Alexi Laiho と CHILDREN OF BODOM の遺産が根づいています。
Mike と Matthew Bell (FORLORN CITADEL)。そのギターのデュエルは “Frozen Winds of Thyraxia” の凍てつくような風速を越えて、まばゆいばかりの爆発的なエネルギーをもたらします。さながら Alexi と Rope のコンビにも似た魅惑のダンス。タイトル・トラック “Hypercube Necrodimensions” では、その場所に ALESTORM や GLORYHAMMER の怪人 Christopher Bowes の高速鍵盤乱れ打ち、フォルクローレの瞬きが加味されて、”Wildchild” の面影がノスタルジアの星砂へと込められます。それは、テクデスのテクニカルな威圧をのみもってしても、パワー・メタルの勇壮をのみをもってしてもなし得ない、奇跡の瞬間でしょう。
一方で、”The Coalescence of Nine Stars in the System Once Known as Markarian-231″ の冷徹で黒々としたシンフォニックな響き、ナレーションを加えた “Black Hole Quantum Thermodynamics” のドラマティックなメタル劇場、”Forbidden Equations Deep Within the Epimethean Wasteland” の複雑を超越した音世界といった、様々なサブジャンルを予測不可能にシームレスに横断するハイパーキューブな黄泉の多次元体は、宇宙の真実を物語る現実を超えた壮大なサウンドに到達しているのです。もちろんそれは、メンバー各自が自身のバンドから持ち寄った “種” を育てた結果でもあり、スーパーバンドとしての理想形をも提示しているのではないでしょうか。
今回弊誌では、Mike Barber にインタビューを行うことができました。「サウンドよりも、彼らのアティテュードがこのアルバムの制作に影響を与えたと思う。ただし、タイトル曲には、CoB の解散に敬意を表して、明らかな影響をいくつか入れているよ。Alexi が亡くなってから、彼らは私にとってまた新たな意味を持つようになったんだ」 どうぞ!!
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH MATT KING OF PORTRAYAL OF GUILT !!
“At The End Of The Day, You Have No One To Depend On But Yourself. That’s Just My Opinion. Being Alone And Having To Do Things On Your Own Brings a Lot Into Perspective Sometimes.”
DISC REVIEW “WE ARE ALWAYS ALONE”
「そうだね、部屋から出ないというのはほとんどまちがってないよ。自分の部屋で一人で生きているというかね。だって、そこが一番快適な場所だから」
Matt King は、自分の部屋から出るのが好きではなく、 一日中パソコンに向かいながらオースティンの PORTRAYAL OF GUILT で “クソ悲しい音楽” を作ることが使命だと表明しています。それでも、「僕はなるべく楽観的にいようとしているよ。でも、同時に現実的でもあるんだよ」 との言葉通り、彼は自身が落ち込んでいるわけではないと、少なくとも本人はそう考えています。
たしかに孤独の中で社会と馴染まず生きているとしても、少なくとも Matt はクリエイティブであり続けています。実際、彼は自分のアンニュイな気持ちを表現することに長けており、PORTRAYAL OF GUILT のデビューアルバム “Let Pain Be Your Guide” では、Robotic Empire やEbullition Records の黄金時代以来、最も激しいスクリーモ/ポスト・ハードコア作品の1つを生み出すことに成功しました。
過酷で幅広いジャンルを1つの熱狂的なサウンドに融合させた彼らの冒険は、複数の “Best of 2018” リストに掲載され、人気者 TOUCHE AMORE からパンクのベテラン SCREANING FEMALES まで、百戦錬磨のツアーアクトをサポートしながらシーンの中へと完璧に融合することができたのです。
ギターはクラッシックなスクリーモを意識しながら、Matt のヴォーカルは通常よりも殊更低い音域に沈むことが多く、ノイズがあり、エレクトロニカがあり、パワーバイオレンスの断片があり、まるで井戸の底に鎖でつながれながら水が着実に迫ってきて、ついに目に入るものすべてを悲しみの暗闇が包み込んでくるようなイメージを植え付けます。
「結局、自分以外に頼れる人はいないんだよ。これは僕の意見だけどね。一人でいること、一人で何かをしなければならない状況によって、時に多くの視点を得ることができる。孤独をネガティブにとらえる人もいるけど、僕はポジティブでもネガティブでもないと思っているんだ。それよりもむしろ、人生の教訓を得られると考えているよ」
PORTRAYAL OF GUILT で語られるテーマは Matt のカタルシスを表現しており、世界に対する不満や無力感を叫んでいます。Matt の人生観とはまさに新たな作品のタイトル通り “We Are Always Alone”、自分以外に頼れる人がいないこと、そしてそれが現実であること。
結局、他人は何もしてくれない。つまり、世界で起こっているパンデミック、大統領が誰であるかとか、狂ったようなサイコな事象に対して私たち一人一人はあまりに無力であるという感覚…何よりもただ一人であるという感覚が、このアルバムの世界観を締めつけています。それでも Matt はただ “悲しい” 男だとは言えません。自分はわざわざ誰かに話しかけたりしない。誰かと一緒にいるよりも、一人でいる方が好きだから。
2017年に PORTRAYAL OF GUILT は MAJORITY RULE の Matt Michelle に誘われて、彼らと PAGENINETYNINE (PG.99) とショウを行う機会に恵まれました。初期の伝説的スクリーモはたしかに Matt の原点であり、この出会いがバンドをさらなる高みに引き上げましたが、それでも PORTRAYAL OF GUILT の音楽にはただの懐古主義ではなくこのジャンルを進化させたいという願望に満ちています。
例えば、UNDEROATH や THRICE がこれほど陰鬱なアトモスフィアやブラック・メタルに傾倒したことはありません。John Carpenter の “Halloween” にもリンクするインダストリアルな雰囲気から、教科書のようなブラストビートとノイジーなリフの黒い攻撃を伴う “Garden of Despair” はまさに PORTRAYAL OF GUILT の真骨頂と言えるはずです。
重要なのは、PORTRAYAL OF GUILT がこの10の悪夢に、心理的な絶望感をたっぷりと注入している点でしょう。その残忍さは単なるニヒリズムを超えて、純粋に悲しく絶望的な旅路へと到達しています。特に、”It’s Already Over” の歌詞は、ひどい鬱病を患っている人の視点から語られていて、重く、悲しく、動揺を伝えます。「投薬につぐ投薬。これから始まる朝に備えて、体を折り曲げ、痛みに悶える。まわりには誰もいない」
「僕は NINE INCH NAILS を愛しているんだ。僕たちのアルバムが彼らを思い起こさせてくれたというのは、嬉しい賛辞だね。彼らの音楽が僕に様々な面でインスピレーションを与えてくれたことはたしかだけど、まあその要素を僕たちのアルバムに盛り込もうとするほどではないと思うよ」
スクリーモに吹き込まれる新たな命。サンプリングは確かにスクリーモの一部ではありますが、ほとんどの場合、映画の引用のイントロや間奏に限定されていて、ランダムに個性を加えているに過ぎません。しかし、PORTRAYAL OF GUILT の音楽においてはエレクトロニカは DNA の不可欠な部分であり、音に完全な奇妙の階層を加え、Matt がバンドの将来に対して見ている幅広い可能性を表現しています。NINE INCH NAILS のように、多種多様な楽器を使ってシネマティックな世界を構築する。それが彼の狭い部屋から生まれた大きな夢なのかもしれませんね。
今回弊誌では、Matt King にインタビューを行うことができました。「僕は日常的に罪悪感を感じているとは言えないし、バンドとしても人としての罪悪感を “描いている” とは思っていないからね。それは僕たちのバンドの名前に過ぎないんだよ」 どうぞ!!
“We Don’t Want To Be The Guys Who Give New Life To Rock-n-Roll, We’re Just Four Guys Who Love To Play”
ROCK IS NOT DEAD
「お互いがいるからラッキーなんだよ…」
2014年にKISSのジーン・シモンズが “ロックンロールは死んだ” と宣言したとき、その理由は、現代の自らを “ロックンロール” と称するバンドには、”グラマラスでエキサイティングでエピックなもの” を生み出すクリエイティブな才能が欠けているというものでした。
その2年後、まるでシモンズが理想のバンドを顕在化させたかのように、Damiano David, Victoria De Angelis, Thomas Raggi, Ethan Torchio の4人からなるイタリアのロックグループ、MÅNESKIN が結成されました。シモンズが好むと好まざるとにかかわらず、このバンドはそれまでの無数のロック・アーティスト以上にグラマラスでエキサイティングな冒険をやってのけています。
リード・ヴォーカルの Damiano David はロックの有り様について語ります。
「僕らはロックンロールに新しい息吹を与えるような存在になりたいなんて思っていないし、ただ演奏することが好きな4人なだけなんだ。みんなが演奏しなければならないと思い込んでいる普通のポップ・ソングに飽きていたのかもしれないけど、ロックは僕たちにとってとても大切なものだよ。ロックはみんなに評価されているものやラジオで流れているものに常に合わせる必要はなくて、自分自身でいられるからね。そして自分のロックを好きになってもらえれば、自分自身まで好きになってもらえる。もうみんなは他人のふりをすることに飽きていて、本物を求めている。みんなが僕たちの音楽を本当に楽しんでくれるということは、僕たち自身が認められたということだから。新しい人々に届くことを嬉しく思うよ」
MÅNESKIN の音がただ新しい人たちに届いているという表現は、控えめな気もします。2016年に正式に結成されたデンマーク語で月光を意味する (Victoria がデンマークとのハーフであるため。発音は “Morn-e-skin”) MÅNESKIN は、最初の1年をイタリアの路上で大道芸人と肩を並べながら過ごした後、X-Factorのイタリア版で2位を獲得し、デビューアルバム(2018年の「Il ballo della vita」)をリリース。今年の初めにはサンレモ音楽祭で優勝し、先月、”Zitti e buoni” でユーロビジョンの制覇を成し遂げました。決勝パフォーマンスの YouTube 再生数は5,000万回に達します。
芸術的な好奇心と爽やかな率直さを併せ持つ MÅNESKIN は、英語で歌わないミュージシャンにとってユーロビジョンがいかに重要であるかを認識していますが、コンテストのファンとして育ったわけではありません。1999年から2001年に生まれた彼らは、ユーロビジョン世代ではありませんでした。1990年にトト・カットーニョが優勝した後、イタリアではユーロビジョンの存在感が薄れ、1998年から2010年の間コンテストに参加さえしませんでしたから。
「Xファクターもサンレモもロックバンドにはふさわしくないと言われるかもしれないけど、僕たちはそんな堅苦しい考え方をしないように心がけている。イタリアに住んでいると、世界的なオーディエンスを獲得するのは難しいけど、いったん機会を得ればあとは音楽が語ってくれるものだから」
今や、MÅNESKIN は世界的な現象となっています。アルバム “Teatro d’ira Vol.I” に収録されている “Zitti e buoni” と “I Wanna Be Your Slave” は、ヨーロッパのチャートにランクイン。特に “I Wanna Be Your Slave” は、イタリアのロックバンドがイギリスでトップ10入りした最初の曲となり、2017年にカバーした “Beggin” とあわせて、オフィシャル・シングル・チャートでトップ10入りを2回果たすという歴史を作りました。また、このバンドが世界すべての Spotify チャートとすべての TikTok ユーザーの “For You” ページを完全に掌握していることも見逃せない事実でしょう。
ベーシストの Victoria De Angelis は、そうした評価を本当の意味でまだ実感できていないと語ります。
「私たちが今までにやったことのないことで、他の人もやったことのないことで、どう表現したらいいのかもわからないの。これが本当のことなのか、それとも単なる夢なのか、まだ頭をグルグル回っている気がするわ。私たちの音楽が多くの人々に届くこと。そのことに興奮しているの。それが私たちにとっての最大の関心事だから。たとえ歌詞を理解していなくても、人々が気に入ってくれて、私たちの音楽を楽しんでくれることは素晴らしいことよ」
Damiano もその振る舞いに変化はないと言います。
「スターだなんて、いやいや (笑) ユーロビジョンの前は、インスタグラムをあまり使っていなかったけど、今は使おうとしているよ。正直なところ、僕はソーシャルメディアにあまり興味がないから、いつまで続くかはわからないけど。でも、一生懸命やっているよ。一番うれしいのは、ウクライナ、ロシア、トロント、マンチェスターなど、世界中からメッセージが届くことだね」
MÅNESKIN の音楽が世界中の人々の心に深く響くのには理由があります。彼らの2ndアルバム “Teatro d’ira Vol.1″ には、イタリア語と英語の曲が数曲収録されており、抑圧者と抑圧された者の間の関係を探り、あらゆるタイプの適合性に反抗し、脱却することを奨励しているのです。全体としてこのレコードは、社会の期待や圧力から脱却したいと切に願う人への呼びかけであり、バンド自身もステージ上で、音楽の中で、普段の日常生活の中でさえ、抑圧からの脱却を実現しようと努力しているのです。
「このバンドを始めたとき、私たちの見た目や演奏する音楽について、多くの批判や愚かなコメントを受けたわ」と Victoria は言います。「もし誰かが私たちの全員または一人について馬鹿げたことを言ったとしても、他のメンバーが介入し守ってくれる。私たちは何を言われても気にしないけど、誰かが言ったことで他の多くの人が傷つくことになる。だから私たちは、”ありのままの自分でいいんだよ” という統一したメッセージを伝えようとしているの。他の人が望むもの、期待するものに合わせる必要はないんだから」
アルバムは、ライブでの確固たるエンターテイナーとしての彼らの評判を高め、作家としての野心をも加えています。MÅNESKIN の音楽は、70年代のロックに世紀末のノスタルジーを加えたもので、LED ZEPPELIN, RED HOT CHILI PEPPERS, ARCTIC MONKEYS の間を絶妙な感覚で行き来しています。ダンサブルでキャッチーでグルーヴィー。彼らはこのアルバムを、これまでの多くの偉大なロックバンドと同様に人里離れた田舎のスタジオで、ライブでレコーディングを行いました。Damiano が振り返ります。
「最初のアルバムを出した後、僕らはまだとても若かった。立ち止まって 自分たちはどんなバンドになりたいのか?と問い続けたんだ。この模索は2年間続いたよ」
Thomas は、Damiano のソウルフルなボーカルに焦点を当てるのをやめ、バンド全体で演奏しているような感覚を生み出したと語ります。
「作品には、より芸術的な成熟が見られるね。僕たちの芸術的なビジョンは、ますます鮮明になってきているよ。僕たちは楽器を徹底的にテクニカルに研究したんだ。同じ目標に向かって懸命に努力したからこそ、僕たちのクオリティーは飛躍的に向上したんだよ」
Spotify 総再生数が一億回を突破。5月だけで1800万人のリスナーを惹きつけた “Zitti e Buoni” の成功は、イタリア語とメインストリームの組み合わせによるものだと Damiano は考えています。
「”Zitti e Buoni” は、僕たちにとって本当に古い曲なんだ。ボーカルとギターだけのアコースティックなバラードだったんだけど、説得力のあるコーラスが思いつかなかったんだ。だけど数年後、Thomas が持ち込んだリフのおかげで、この曲が復活したんだよ。プシューッ! と魔法がかかったようだったな」
イタリアでは、ポップスやインディー・トラップが圧倒的な強さを誇っていましたが、そこに今、MÅNESKIN が加わりました。”Zitti e Buoni” と同じく全英トップ30に入っている英語版のアンセム “I Wanna Be Your Slave” も、緩やかに火がついた楽曲だと Victoria は証言します。
「Damiano は、私たちのグループチャットにオーディオノートを送ってきたことがあるの。そこには、『おい、俺がピアノで作ったこの曲を見てくれ』と書いてあったわ。私は Thomas と一緒にいたんだけど、二人で『これはひどい音だ』と言っていたのよ。彼のオーディオは本当に酷かった。後から彼は、想像力でなんとかしろと言ってたけどね」
“まだ20歳だから” という免責事項で始まるバラード “Vent’Anni(20 Years)” は、自分自身に忠実であることについての楽曲。「”Vent’Anni” は、僕たちのもうひとつの側面。僕たちは若く、怒りや憤り、攻撃性もあるけど、より内省的な一面もあるんだよ」と Damiano は語ります。
イタリアのシンガーソングライターの伝統である詩的なイメージをロックと組み合わせた “Coraline” は、イタリアのカンタウトーリへのオマージュです。”赤いバラのような” “銅線のような” 髪の毛を持つ少女の描写から始まったこの楽曲は、まだ若者でありながら、最終的には世界を背負っていくであろうメンバー Victoria のイメージが重なります。「彼女は海を求めているが、水を恐れている。しかし、海は彼女の中にあるのかもしれない。一つ一つの言葉は斧であり、彼女の背中を切るものだ」
MÅNESKIN の成功は、イタリアでもユーロビジョンでも、彼らがポップスではなくロックバンドであるがゆえに、奇異なものとして扱われてきました。たしかに、過去にユーロビジョンで優勝したロック・グループは、2006年にフィンランドの LORDI が “Hard Rock Hallelujah” という壮大なスペクタクルで優勝しただけでした。しかし、それでもロックのエントリーはユーロビジョンの定番となっています。
エトロ社がデザインしたメタリックレザーのグラムロック風ユニタード (David Bowie に深いインスピレーションを受けている) を着用し、背景に堂々とした影を落とすセットを使って、MANESKIN はエネルギッシュかつエレガントなパフォーマンスで観客を楽しませ、ユーロビジョンでロックが記憶に残ることを証明したのです。
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH Øyvind Hægeland OF TERRA ODIUM !!
“We Didn’t Want To Sound Like The Newer Progressive Bands, Where The Guitar Is More Percussive, And The Keyboard Is Dominating. Nothing Wrong With That, We Just Wanted To Sound Different Than Those Bands.”
DISC REVIEW “NE PLUS ULTRA”
「SPIRAL ARCHITECT は死んでいないよ。新曲もたくさんあるし、全員が次のアルバムを作りたいと思っているんだ。次のアルバムを作るために必要な時間と作業量は恐ろしいほどに大量だけど、いつか何とかして実現したいと思っているからね。せっかくの音楽的なアイデアが日の目を見ないのはもったいないしね」
螺旋の建築。その名に違わぬ SPIRAL ARCHITECT のメタリックな捻れは、テクニックの狂気とアンバランスな歌唱を伴って、唯一のアルバムが今なお語り継がれる伝説となりました。そんな本来あるべきプログ・メタルの喜悦と陶酔を求めるならば、TERRA ODIUM の血統は完璧です。
「TERRA ODIUM ではメンバー全員がそれぞれの個性を発揮できるようにしたかったから、Steve は完璧にフィットしていたよ。もちろん、私は彼が DEATH でプレイしていた頃からのファンで、DEATH は私たちにとって重要なバンドだからね。昔からフレットレスの音が好きで、彼の音と演奏で TERRA ODIUM を他のバンドともっと差別化できると思ったんだ」
ノルウェーの SPIRAL ARCHITECT の元メンバー、ボーカル/ギターの Øyvind Hægeland とドラマーの Asgeir Mickelson。2人が率いるこの新組織は、名前こそ違えど、彼らがかつて創造した幾何学建築の精神を素晴らしく受け継いでいます。MANITOU の達人、ギタリストの Bollie Fredriksen、AMORPHIS のような英雄にオーケストレーションを施してきた Jens Bogren の申し子 Jon Phipps、そして DEATH や TESTAMENT で知られるメタル・アイコン、フレットレス・モンスター Steve Di Giorgio によって完成された TERRA ODIUM は、プログ・メタル愛好家にとって、音を聞く前から食欲をそそられような逸材に違いありません。
「私たちは、新しいプログレッシブ・バンドのように、ギターがよりパーカッシブで、キーボードが支配的なサウンドにはしたくはなかったんだよ。もちろんそれは悪いことではないんだけど、私たちはそういったバンドとは違ったサウンドにしたかったんだ」
エレクトロニカやシンセサウンドの大胆な導入、0000の麻薬はアトモスフェリックで中毒性の高いモダンなプログ・メタル建築を乱立させました。その方法論はシーンに活況をもたらすとともに、定型化や飽和を要因とする終わりの未来も同時に映し出したのです。ただし、プログメタル世界は、車輪の再発明から動き出す鼓動に再び熱を帯びつつあります。
「私たちが曲を作るときは、いつもギターのリフから始まるんだ」
TERRA ODIUM は、永遠に続く誇示よりもドラマ性を優先し、偏執的にディテールにこだわりながらも簡潔で記憶に残る無数のメロディーに彩られた、うっとりするようなギター・サーガを展開していきます。”これ以上はない” 究極のプログ・メタル “Ne Plus Ultra” は、DEATH, CYNIC, VOIVOD, WATCHTOWER, PSYCHOTIC WALTZ といった天才のエキセントリックで探求心を胸に、さらに数トンの音の筋肉、真実のオーケストレーション、壮大なドゥームの威厳をドーピングした異端のタワーマンションとしてその全貌をあらわしたのです。
7分間のヒプノティックな時間の中で、膨大なリフを惜しげもなくドゥームとスラッシュに捧げる “Crawling”、死を招くグルーヴとオーケストラの装飾がうねりの波にそびえ立つ “The Road Not Taken”。氷のように妖しく黒い “Winter” では、目まぐるしいプログレッシブでテックな迷宮でフレットレスの狂気を見せつけます。
中でも、CANDLEMASS や KING DIAMOND の不気味なシアトリカルに浸りながらも、プログレッシブの名手としてその矜持を見せつける “The Thron” は、驚異的なメタルの嗚咽であると同時に、非常に巧妙で変態的な12分の不均衡として TERRA ODIUM の本懐を遂げた楽曲にも思えます。これ以上のものがあるでしょうか?
今回弊誌では、Øyvind Hægeland にインタビューを行うことができました。「音楽業界には、ビッグなライブや当時のバンドが持っていたクールなイメージ、そしてもちろん女の子やお金など、私を惹きつけるものがたくさんあったからね。プログレッシブ/テクニカル・メタルはほとんど、あるいはまったくお金にならないし、ほとんどの女の子はこういった音楽が好きではないという真理に気づくには遅すぎたね!(笑)」 どうぞ!!
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH COLIN H. VAN EECKHOUT OF AMENRA !!
“It’s Sad To See That Empathy And Solidarity Are Vanishing Concepts. It’s Easy To Be Unkind And Coldhearted Towards Eachother From Behind a Computerscreen. The World Seems To Become Harsher And Harsher To Live In. Even Having Eye Contact Will One Day Become Something Hard To Do. Heart To Heart, That Is What We Need.”
DISC REVIEW “DE DOORN”
「すべてのパートを完成させて録音したとき、これは “Mass VII” ではないかと自問したよ。だけど、皆がそうではないと分かっていた。それは新しいものだった。ダイナミクスが変化し、以前は単に目撃者、私たちの個人的な物語の目撃者として招かれていたリスナーが、コミュニケーションの積極的なメンバーとなっていたんだよ」
AMENRA は結成以来20年間、痛みと苦しみを紡ぎ続けています。ポスト・メタルの壁のようなサウンドと、Colin Van Eeckhout のひりつくような叫び。彼らのミサは犠牲と傷跡の荘厳な儀式です。
ミサの書は AMENRA のメンバーの1人または複数が、人生を変えるような経験をした後に書かれてきました。時には酷いトラウマになるような経験。ただし、今この時、彼らはその闇の儀式から離れる運命を感じていました。
「このパンデミックは、自分自身だけでなく、周りすべての人間と内省し、つながるためのプラットフォームだよ。人類はかつてないほど分裂し、個人に焦点を当てている。今ある共感と連帯感は、私たちが種として存続していくためには十分ではないだろう。物事はシフトし、変化する必要があるんだよ」
AMENRA は、他の多くのバンドのように、プロモーションやライブが困難なパンデミックの独房を避け、内省の時から逃げることなどは当然よしとしませんでした。この暗く孤独な時間をむしろ、分断された世界を再びつなげるための有効なプラットフォームとして活用しようと決めたのです。仮初めのつながりではなく、真のつながりを求めて。
「共感や連帯感という概念が消えつつあるのは、とても悲しいことだよ。コンピュータの画面の向こうでは、お互いに思いやりのない冷淡な態度をとることが簡単にできるからね。世の中はどんどん生きづらくなっているようだ。目を合わせることさえ、いつかは難しいことになるだろうな。心と心を通わせること。それが私たちに必要なことなんだ」
身の回りの苦難や危機に対応して有機的に構築された個人的な苦悩の記録ではなく、リスナーと痛み、苦しみ、そしてほんの一握りの希望を共有するための作品。それが “De Doorn” の正体です。
英語で “The Thron” 棘と題された作品のアートワークには荊が描かれています。アートワークは作品のストーリーを映し出す鏡と公言する Colin。そしてこの無骨で非対称な植物の武器は、そのまま人間が他者に感じる不信感や警戒感をあらわしているのです。私たちは、その尖って攻撃的な鋭い棘を、ゆっくりと、一つ一つ丁寧に取り除いていかなければなりません。
「”誰かに話しかける” というのは、最も純粋なストーリーテリングの形。別の人に直接語りかけるという行為がね。私たちはアルバムにおける語りを、必要以上に大きな音でミックスしたんだよ。誰かが君の隣に立っているように感じられるように。誰かがそこにいて、必要であれば導いてくれるということを感じられるようにね」
OATHBREAKER のシンガーとして活躍する Caro Tanghe と Colin は、2人の故郷フランドル地方の言葉フレミッシュで歌われたアルバムで、これまでのどの作品よりも優しく、悲しく、痛々しく、労わるようにリスナーに向けて文字通り語りかけました。
オープナー “Ogentroost” は、ギター、ノイズ、メロディーの波によって感情が剥き出しにされる10分間の大作で、母親の穏やかなまなざしに見つめられながら、Colin は永遠にも思える戦争の恐怖についてやるせなく憤慨し、思いの丈をリスナーと共有します。”De Dood in Bloei”(直訳すると “花咲ける死”)のリリックはより直接的。”灼熱の太陽が沈み/すべての光が失われ/埋葬された遺体が/塵と化す…愛が否定され/すべての美しさが/枯れて死んでいく”。争いの悲劇を語る、美しくも呪われた言葉の重みはそのまま私たちの心へとつながり、反戦への創造的な輪を生んで行きます。
闇を抜けた AMENRA が見出した敬虔なる希望。それは “De Evenmens” の中にありました。「人生とはほんの一瞬、美しさと幸せを伴う悲しみの旅。人と人の相互的な関わりの中で、あるがままを受け入れること。歴史にとって私たちはほんの一瞬の存在、だからこそ “居場所” を大切にしなければならない」個人主義や分断とは真逆の価値観が、世界を溶かしていきます。
アルバムは LINGUA IGNOTA との火の儀式に捧げられた “Voor Immer” でその幕を閉じます。スポークンワードのスローバーンは、いつしかドゥーミーな壮大さを起爆し、まさにファイア・リチュアルとして燃え上がります。カリヨンの鐘を伴奏に大地と空を結びつける奇跡は、第一次世界大戦終結100周年の記念式典のために書かれたものでした。息子を失った母親。破壊された都市、放置された死体。そんなフランドル地方の悲しみは、100年の時を経て AMENRA の手によってすべてが燃やされました。高らかな炎は希望の象徴。その希望を見出すための歌には、平和を続けていくための強さも込められて、現代社会へと念入りに届けられたのです。
今回弊誌では、Colin H. van Eeckhout にインタビューを行うことができました。「人類が混乱している中、私たちは他のバンドのようにパンデミックの終わりを “待つ” ことはしたくなかった。私たちの音楽は、このような瞬間のために書かれたものだと思っているからね」二度目の登場。日本盤は Daymare Recordings から。どうぞ!!
AMENRA “DE DOORN” : 10/10
INTERVIEW WITH COLIN H. VAN EECKHOUT
Q1: In our last interview, you said, “We need to have a real reason to write a new mass album.” This time it’s not a mass album, but could you tell us the reason first?
【COLIN】: Thats because we didn’t have the right reasons to write a “Mass album”. A Mass has always been written following a period, where one or more of AMENRA’s members endured a life altering experience. Traumatic sometimes. That’s where we came together to actively work on a new Mass.
This time around the album formed itself, without us realizing it. In 2018 we started writing music for a special ceremony we had to create for the commemoration of the end of the first world war. Then several live and fire rituals followed throughout our country, which we also wanted to accompany with specific music and sounds. And when we had done with that our guitar player made us realize that we actually had written an album. When we finalized and recorded all the parts, we asked ourselves if this was Mass VII and we all knew it wasn’t. It was something new. Dynamics had shifted, the listener was now an active member in the communication, whereas in the past they were merely invited in as witnesses. Witnesses to our personal story.
Q2: Since the release of the last record, the world has witnessed and experienced various distortions such as pandemics, powers getting out of control, and BLM. Did those events give you a reason to make a new album?
【COLIN】: I believe BLM is actually advocating for a less divided society.
No, they haven’t, the album was written in the years before all these shifts started to happen. We merely mixed and mastered the album in the first months of the pandemic.
These endtimes did make us realize that this was the right time to release it. In the middle of humanity’s turmoil, we also did not want to “wait out” the pandemic as most bands do. We know that our music is written for these moments. Collective trauma. Solitary confinement if you will. It is a platform for introspection and connection, not only with the self but also all humans around you. Humanity has never been so divided and focused on the individual. Empathy and solidarity are not present enough for us as a species to continue and survive. Things need to shift and change.
Q3: For Amenra, this interval was marked by the 100th anniversary of the end of World War I, the 20th anniversary of the band, and the departure of longtime member Levy Seynaeve… could it be said that the event at the SMAK Museum Of Contemporary Art tied it all together?
【COLIN】: No, I can’t say it did. What it did do is make us realize that we are slowly getting where we wanted to be as a “band”. More than a band. Connecting different media and kindred spirits, artists. Mixing music and all the arts, healthcare even. To use music to its full extent or potential.
All these special events in our 20th year of existence celebrated our profound friendship above anything. And “ De doorn” became the document of that time period. The possibilities given to us by the musea, arts centers here proved us that we are touching a universal emotion and demand.
The fire rituals made it possible for us to connect with our audience in a way more profound than we ever did. Everybody there felt aligned in the moment, connected in ways that our modern society has forgotten.
Q3: このインターバルで、AMENRA 自体はバンドの20周年、WWI終戦100周年、そして長年のメンバーだった Levy Seynaeve の離脱を経験しましたね?
先程お話しにも出ましたが、SMAK Museum of Contemporary Art でのイベントがその点と点を繋げたとも言えるのでしょうか?
Q4: In the last interview, you said about the artwork of the swan, “Like with everything we want to tell a story, we want to lay out a blueprint to a ‘world'”. The artwork for this album is briar. What did you mean by that?
【COLIN】: I grew fascinated by thorns, in all different sizes and forms. Thorn branches I loved its rugged beauty, its perfect non symmetric imperfection. Nature had formed a weapon for its creations, to protect themselves from outside harm. Flowers can protect their beauty, plants, bushes can protect their seeds, their fruits. I transposed that idea on humans. Throughout life we all grow our own specific thorns. We arm ourselves against potential harm, put up our guard and grow to mistrust.
And at the same time we all walk around with wounds and scars that were created by other peoples thorns.
With the help of friends, I casted 6 different thorn branches in bronze. Each branch symbolizing a musician that cooperated on the album. Bronze, gold colored to emphasize its value to the whole.
Q4: 前作のインタビューであなたは白鳥のアートワークについて、「アートワーク以外にもストーリーを伝えるための全てに言えることだけど、私たちは作品 “世界” への青写真を描きたいと思っている」 と仰っていましたね。
“De Doorn” (The Thron) と題された今回のアルバムには、荊が描かれています。
Q5: In the album, there were many scenes where you narrated the story, and sounds like a live performance which was impressive. It seems to me that you are showing the importance of interactive dialogue to the world, a world that is connected only by smartphone to smartphone, machine to machine. Would you agree?
【COLIN】: I agree completely, that is why there is a focus on basic human interaction. “Talking into someone” the purest form of storytelling. A direct line into another person. We even mixed it a little louder than it should be. So it would really feel like someone is standing next to you. Its about feeling that someone is there, offering guidance if wanted.
It’s sad to see that empathy and solidarity are vanishing concepts. Its easy to be unkind and coldhearted towards eachother from behind a computerscreen. The world seems to become harsher and harsher to live in. Even having eye contact will one day become something hard to do.
Heart to heart, that is what we need.
Q5: 今回のアルバムには、あなたと Caro がストーリーを朗読する場面が多いですよね。ライブ・パフォーマンスを間近に感じるようなサウンドも素晴らしいですね。
このやり方は、機械と機械、スマホとスマホだけで繋がる現代の人間関係に対して、直接的で相互的な会話の重要性を示しているようにも感じました。
Q6: This time in particular, I feel that it reflects the sadness and pain of Flanders. Still, I felt that the combination of you and Oathbreaker’s Caro Tanghe gave me a sense of divine hope. Could you talk about her role in this record?
【COLIN】: Hope. I am always pleased to hear people hear the hope in our music. It means they have dived in there deep enough. To see through all the darkness. It has always been and always will be about finding light in that darkness.
It was only after it was finished that we thought of Caro. It have been a few years since we had cooperated on anything. And as Lennart had written most of this album, and played with her in Oathbreaker, all arrows pointed direction Caro to join us on this one. We met up with her in Providence US in January 2020 and recorded her vocal parts there. It was nice to see eachother again and hangout. as it was all flemish and she is an amazing artists, we are very happy all of this came together so perfectly.
Q6: 同時に、”De Doorn” では特に、フランドル地方の悲哀を反映しているようにも感じられました。
それでも、同郷 OATHBREAKER の Caro Tanghe とのデュエットでは、僅かな希望も滲ませていますよね?
【COLIN】: 希望。私たちの音楽の中にある希望を聞いてもらえると、いつも嬉しくなるよ。それは、君が十分に深く私たちの音楽に潜ったという証だから。すべての暗闇を見通すためにね。これまでも、そしてこれからも、その闇の中に光を見出すことが私たちの目的なのさ。
Caro のことを考えたのは、楽曲が完成してからだった。私たちが協力して何かを作るのは、数年ぶりのことだったね。そして、Lennart がこのアルバムのほとんどを書き、OATHBREAKER で彼女と一緒に演奏していたから、すべての矢印はこのアルバムへの Caro の参加を指し示してていたと言えるだろうな。
2020年1月にアメリカのプロビデンスで彼女と会い、そこで彼女のヴォーカルを録音したよ。お互いに、再会して一緒に過ごすことができて良かった。すべてがフラマン語で、彼女は素晴らしいアーティストだから、このように完璧にまとまったことをとても嬉しく思っているんだ。
Q7: I interviewed a band called Neptunian Maximalism, who said about the concept of their work “It turns out that we are mistaken to think of the human being so unique in his process of evolution.” They are also from Belgium like you, what do you think about their way of thinking?
【COLIN】: Every creation is as unique as the other. That is nature.
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH HUNTER GINN OF CANVAS SOLARIS !!
“As Far As Djent Goes, I Hate It. I Think It’s a Watered-Down, Trash Version Of Meshuggah That Captures None Of That Band’s Invention, Intensity, Or Imagination. That Whole Scene Can Drift Offer Into Oblivion, For All I Care.”