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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【ELECTRIC CALLBOY : TEKKNO】 FOX_FEST 24 SPECIAL !!


COVER STORY : ELECTRIC CALLBOY “TEKKNO”

“You Listen To With Your Ears But Feel In Your Heart. You’d Never Predefine The Type Of Person You’d Fall In Love With, So Why The Songs?”

TEKKNO

「僕たちが考えた他の新しい名前はどれも間違っていると感じた。ESKIMO CALLBOY は10年以上僕らの名前だったから、新しい名前にするのは違和感があったんだ。でも、僕らにはバンドとしての責任があることは分かっていた。他人のことを気にしないバンドにはなりたくない。人々を分断したり分離させたりするのではなく、ひとつにまとめなければならないんだ」
長く親しんだ名前を変えること。それは容易い決断ではありません。大人気のバンドならなおさら。それでもドイツのヤング・ガンズは改名に踏み切りました。 彼らは “Eskimo” という単語を “Electric” に変更しましたが、これはエスキモーという言葉が北極圏のイヌイットやユピックの人々に対する蔑称と見なされるため。その後、彼らは過去のアルバムのアートワークを新名称で再リリースしたのです。
「僕は初めて父親になったが、すでに存在するバンドに新しい名前をつけるのは難しいよ。だから、僕たちは “EC” というイニシャルを残したかった。”エレクトリック” ならかなり流動的だったし、イニシャルも残っていた。そうでなければ、リブランディングは大きな問題になると思ったんだ。みんな受け入れてくれるだろうか?多くの不安があった。でも、たぶん受け入れられるのに1ヵ月もかからなかったし、みんなそんなことは忘れてしまったよ。この新しい名前はとてもクールだよ」

改名のタイミングも完璧でした。最新作 “Tekkno” のリリース前、ロックダウン中。彼らのインターネットでの存在感を通してファンとなった人たちは、”Hypa Hypa” で津波のような畝りとなります。何よりも、ネオン輝くエレクトロニック・ミュージックとメタルの鋭さは、人々が最も暗く、そしておそらく最も慢性的に憂鬱をオンラインで感じているときに必要なものだったのです。
この曲の大成功は、すでに5枚のアルバムをリリースし、新時代の到来を告げるドイツのグループにとって強力な基盤となりました。
ラインナップの変更も発生。クリーン・ボーカリストの Nico Sallach が加入し、それに伴いグループ内に新たなケミストリーが生まれました。Sallach ともう一人のボーカリスト兼キーボーディスト Kevin Ratajczak の間には紛れもない絆が生まれ、それは ELECTRIC CALLBOY のライブ体験の特別な基盤となっています。そんな絶好調の彼らを “ドイツ最大の輸出品” と推す声も。
「今は2年前のような、みんながすごく期待していたような感じではないんだ。パンデミックの間に高まっていたバブル(誇大広告)だよ」

バブルは弾けるものですが、この人気の津波は決して彼らが儚い泡のようなアーティストではなかったことを証明しています。極彩色をちりばめた “Tekkno” のリリースは、バンドにとってスターダムへの最後の後押しとなりました。
重厚なブレイクダウンと自信に満ちたメタルコアのリフ、大胆にポップへと傾倒した予測不能なボーカル・メロディ。”Tekkno” は、ELECTRIC CALLBOY にドイツで初のアルバム・チャート1位をもたらしただけでなく、ヨーロッパやイギリスの他の地域のアルバム・チャートでもトップ20の栄誉を与えました。
さらに、このアルバムはソングライター、プロデューサーとしての彼らの洗練された芸術性をも実証しました。曲作りからプロダクション、ビデオへの実践的なアプローチに至るまで、そこに彼らの一貫した意見と指示がないものはありません。
「僕たちはお互いを高め合っている」 と Ratajczak は言います。「多くのバンドは、プロデューサーとバンドの1人か2人で曲を作っている。でも僕らは、みんなで曲について話し合うんだ。みんな、自分たちのアイディアを持っている」

つまり、ELECTRIC CALLBOY は、バンドだけでなく、音楽的にも生まれ変わったと言っていいのでしょう。
「Nico を新しいシンガーに迎え、以前のシンガーが辞めたこと。これは新たなスタートであり、かつてのバンドの死でもあった。新しいスタートを切り、2010年に戻ったのだから、何が起こるかわからなかった。 でも、少なくとも “Tekkno” で何をしたいかはわかっていた。”再生” という言葉がぴったりだと思う。これが自分たちだと胸を張って言える。これが僕らの音楽なんだ」
“Tekkno” に込めたのは、純粋さと楽しさ。シリアスなテーマのメタルコア・バンドが多い中、より楽観的なサウンド・スケープにフォーカスして作られたこのアルバムで彼らは、たまには解放されてもいいと呼びかけました。
「人生でやりきれないことがあったら、そのままにして人生を楽しもう。自分のために何かをしよう。
バンドを始めたとき、僕らは20代半ばだった。パーティーと楽しい時間がすべてだった。他のことはあまり気にしていなかった。責任感もなかった。ただその瞬間を生き、楽しい時間を過ごした。それは音楽にも表れていた。
しかし、成功とともに責任も重くなった。僕はいつもスパイダーマンとベンおじさんの言葉を思い出す。”大いなる力には大いなる責任が伴う”。だから多くのバンドが、政治的なテーマであれ、その他さまざまな深刻なテーマであれ、シリアスなテーマを取り上げるようになる。
でも僕たちは、たとえ嫌な気分、仕事で嫌なことがあったり、配偶者とケンカしたりしたときでも、その状況から気持ちを切り離して、そのままにしておいて、楽しい時間を過ごしたり、映画を観たり、例えばエレクトリック・コアを聴いたり、ただ放心状態になったりすると、日常生活の問題に再び立ち向かえるほど強くなれることに気づいたんだ。哲学的に聞こえるかもしれないけど (笑)。でも、これは普通の行動だと思う。自分のために何かをする、自分を守るためにね」

“パーティー・コア” “エレクトリック・コア” というジャンルに今や真新しい輝きがないことは多くの人が認めるところですが、彼らは改名を機に、このジャンルに再度新たな命を吹き込みました。
「5人全員が同意して、またこのジャンルをやってみたいと思った時期があって、再び書き始めたんだ。
“Rehab” は悪いアルバムだった (笑)。好きな曲もあったけど、あれはひとつの時代の終わりだった。あのアルバムを仕上げるのは、ほとんど重荷だった。昔のシンガーと妥協点を見出すのは不可能に近かったから。もうスタジオには行きたくなかった。その結果、僕たちは以前のボーカリストと決別することになった。正直なところ、これは僕たち全員にとって最高の出来事だった。というのも、僕たちは皆、バンドを愛し、10年以上もこのために懸命に働いてきた。だからそれがすべて崩れ去ることを恐れていたんだ。
恐怖だけではなかった。どうやって続けるのか?ファンは新しいボーカリストを受け入れてくれるだろうか?僕たちは新しいボーカリストを受け入れるのか?言っておくけど、前のボーカルのせいにはしたくない。彼は彼自身のことをやっている。彼も同じ話をするだろう。その後、5人全員がスタジオに来て、”2010年のように音楽を作ろう” と言ったんだ」
THY ART IS MURDER, SCOOTER, THE PRODIGY が彼らの中で同居することは、それほど奇妙ではありません。
「僕たちは、ジャンルの境界線が難しいと信じたことは一度もない。もちろん思春期には、自分が何者で、何を聴くかによって自分がどう違うかを定義しようとするものだ。でもね、音楽に説明はいらない。耳で聴き、心で感じる。どんな人と恋に落ちるかは決められないのに、なぜ好きになる歌はジャンルで決めるの?」

ゆえに、ELECTRIC CALLBOY にとって “メインストリームになる”、あるいは “メインストリームに引き寄せられる” といった揶揄は、いささかも意味をなしません。それは彼らのインスピレーションの源は、ほとんど無限であるだけでなく、ブラックメタルやデスコアのようなジャンルに閉じこもるバンドが、現実的には世界人口の1%にも届かないことを痛感しているからでしょう。
「僕の経験では、ヘヴィ・バンドが “メインストリームになる” というのは、バンドが自分たちの音楽を変えるということなんだ。彼らはよりソフトになり、より親しみやすくなり、より多くのリスナーを積極的に求めている。僕らはそんなことはしていない。確かに、ELECTRIC CALLBOY がメタル・ミュージックを “非メタル・ファン” の人たちにも親しみやすいものにしていると言われれば、それはとても美しいことだと思う。それでも、世界人口の60%以上にリーチできるかもしれないポップ・アーティストに比べれば、誰もが僕らを知る機会があるわけじゃない。僕たちは、すべての人々にリーチしたいし、その可能性があると信じている。だけどね、そのために変わることはない。大事なのは、僕たちのショーに参加した人たちが、友達みんなに伝えてくれて、次にその人たちも来てくれるようになることなんだよ」


参考文献: KERRANG! :Electric Callboy: “We’re living our best lives right now. This is the time to celebrate that”

OUTBURN:ELECTRIC CALLBOY: Rebirth

LOUDERSOUND:”We have to bring people together not divide them”: Electric Callboy don’t mind being tagged a ‘novelty’ band so long as they can make metalheads smile

FOX_FEST JAPAN 特設サイト

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【LOHARANO : VELIRANO 】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH LohArano !!

“One Of Our Major Objectives Is To Restore The Value Of Malagasy Culture, Which We Feel Is Being Lost Over Time. Our Language, Our Musical Sound, Our Ancestral Wisdoms, We Have So Many Extraordinary Things That We Tend To Devalue In Comparison With Western Culture, It’s Sad.”

DISC REVIEW “VELIRANO”

「私たちの大きな目的のひとつは、時間の経過とともに失われつつあると感じているマダガスカル文化の価値を回復することなのだから。私たちには言語、音楽、先祖代々の知恵など、素晴らしい文化がある。だけどそれらは西洋文化に比べて軽視されがちなんだよね。悲しいことだよ」
ヘヴィ・メタルの感染力は、もはやとどまることを知りません。文化や言語、人種に宗教の壁を越えてアジアや南米を侵食したメタルの種子は、ついにアフリカの南端の島までたどり着きました。そう、インド洋のグルニエことマダガスカルに。
マダガスカルといえば、まず私たちは色とりどりの豊かな自然と、独自の進化を遂げた固有種を思い浮かべることでしょう。そんなメタルらしからぬ場所にまで、今やメタルは届いています。そして、首都アンタナナリヴォを拠点とする新鋭トリオ LohArano は、島のシンボルであるワオキツネザルのように、ヘヴィ・メタルを独自に、魅力的に進化させていくのです。
メタルの生命力が傑出しているのは、世界各地で芽吹いたメタルの種を、その土地土地が育んだ文化の色に染め上げていくところ。LohArano は、ツァピキーやサレギーといった人気の高いマダガスカル音楽のスタイルを、オルタナティブなメタルを融合させた非常にユニークなサウンドを得意としています。それは文化を守ること。それは伝統を抱きしめること。LohArano は、培われた文化は平等に尊いこと、そして消えてはならないことを肌で感じて知っているのです。
「そう、ここでメタルをやるのはとても大変なんだ。日々の食事に事欠くくらいに大変なのだから、楽器を買い、スタジオを借り、演奏することがどれほど大変か想像してみてほしい。もしそうすることができたとしても、ここでのコンサートはお金にならないし、メタルは社会のステレオタイプに対処しなければならない。マダガスカルの多くのスタジオは、ハードロック/ヘヴィ・メタルのバンドを受け入れることを拒否しているんだから」
そうした “楽園” のイメージが強いマダガスカルですが、そこに住む人たちにとってこの国は決して “楽園” ではありません。世界最貧国のひとつと謳われるマダガスカルは、貧困と病が深刻な状況で、抑圧的な政治も機能せず、そうした権力に反抗する暴動も頻発しています。そんな苦難の中で、RAGE AGAINST THE MACHINE や SYSTEM OF A DOWN のような “プロテスト・メタル” と出会った彼らはメタルで状況を変えよう、世界を良くしようと思い立ちます。
「”Velirano” “誓い” は、政治家たちが国民をいかにぞんざいに扱っているか、生存のわずかな望みのためなら何でも受け入れる国民に対する不条理で馬鹿げた誓いの風刺なんだよ」
だからこそ、LohArano のモッシュ・ピットは散々な目に遭わされ、打ちのめされ、騙され、不条理を受け止め続けた人たちの、もうたくさんだという正義の怒りにあふれています。そうして、さながらLIVING COLOUR の “Cult of Personality” や、暴力的でディストピア的な独裁ファンタジーを暴露する “The Wall” のマダガスカル版ともいえるこの曲で、彼らはついに世界的な大舞台 Hellfest に到達します。
「私たちがその名を知られ始めているのは事実で、もうそれがすでに大きな一歩。だって、私たちの言葉に耳を傾ける人が増えるんだから。同意する、しないにかかわらずね」
そう、彼らはマダガスカルの “声” を届けるため、この場所まで進んできました。そうして長い苦闘の末、ついに彼らの声は世界に届き始めたのです。私たちは、メタルの寛容さ、包容力で、今こそ LohArano の戦いを、声を、音楽を、抱きしめるべき時でしょう。
今回弊誌では、LohArano にインタビューを行うことができました。「Hellfest の出演は素晴らしいニュースだし、Lovebites と一緒にプレーできることを光栄に思うよ!Lovebites はロックだ!素晴らしいバンドとステージを共有できることに興奮している!あとは Maximum The Hormone の大ファンなんだ!彼らはクレイジーさ!大好きなんだ!」 どうぞ!!

LohArano : “Velirano” : 10/10

INTERVIEW WITH LohArano

Q1: When I think of Madagascar, I first think of its rich nature and many endemic species. I feel like there has no connection to heavy metal and that is why I am surprised to see a metal band of your great talent! How did you come across metal in Madagascar?

【LohArano】: Rock came to Madagascans’ ears in the 50s, and that’s when our elders started exchanging the rare albums that some of them were able to bring back from abroad, and a movement of rockers began to emerge in Madagascar. In our case, we’re from the 90s generation, so when we were growing up, we were already hearing Malagasy maintsream rock bands on the radio, like Doc Holliday (rock fusion) or Tselatra (hard rock), or more extreme bands like Kazar (thrash metal)… We always worked by exchanging albums, cassettes or records, until the arrival of the Internet era when total access to the world’s music became feasible. And here we are!

Q1: マダガスカルといえば、まずその豊かな自然と多くの固有種を思い浮かべます。ヘヴィ・メタルとは無縁の場所のような気がしていたので、あなたのような素晴らしい才能を持ったバンドがいることに驚いていますよ!まずは、マダガスカルでメタルと出会ったきっかけから教えていただけますか?

【LohArano】: ロックがマダガスカル人の耳に入るようになったのは50年代のことで、年長者の何人かが海外から持ち帰ったレアなアルバムを交換するようになり、マダガスカルにロックのムーブメントが生まれ始めた。私たちは90年代世代だから、私たちが育った頃にはすでにラジオからマダガスカルのメインストリーム・ロック・バンド、例えば DOC HOLIDAY(ロック・フュージョン)や TSELATRA(ハードロック)、あるいは KAZAR(スラッシュ・メタル)のような過激なバンドまで流れていたんだ。
私たちはいつもアルバムやカセットテープ、レコードを交換することで活動していたんだけど、インターネットの時代が到来し、ついに世界中の音楽にアクセスできるようになった。そして私たちは今、ここにいる!

Q2: On the other hand, we have heard that Madagascar has many problems such as poverty, disease, and government repression and riots against it. It is not easy to continue playing metal music in such a situation, would you agree?

【LohArano】: Yes, it’s hard enough. Getting enough to eat on a daily basis is hard enough, so imagine how difficult it is to buy instruments, hire studio time and perform. Even for those who manage to do so, concerts don’t pay, we still have to deal with society’s stereotypes, and many studios refuse to accept hard rock/heavy metal bands, and so on.

Q2: 一方で、マダガスカルには貧困や病気、政府による弾圧やそれに対する暴動など多くの問題があると聞いています。そうした状況の中でメタルを続けていくのは、簡単ではないですよね?

【LohArano】: そう、とても大変なんだ。日々の食事に事欠くくらいに大変なのだから、楽器を買い、スタジオを借り、演奏することがどれほど大変か想像してみてほしい。
もしそうすることができたとしても、ここでのコンサートはお金にならないし、メタルは社会のステレオタイプに対処しなければならない。マダガスカルの多くのスタジオは、ハードロック/ヘヴィ・メタルのバンドを受け入れることを拒否しているんだから。他にもいろいろあるんだよ…。

Q3: “Velirano” really moved me as much as when I first heard Rage Against The Machine or System of a Down! Like them, it’s a protest song against authority and government, right?

【LohArano】: Yes, VELIRANO (“Oath”) is a caricature of how our politicians treat our people, of absurd and ridiculous oaths to a people willing to accept anything for the small hope of survival…

Q3: “Velirano” には、RAGE AGAINST THE MACHINE や SYSTEM OF A DOWN を初めて聴いたときと同じくらい、本当に心を揺さぶられました!この曲は彼ら同様、権力や政府に対するプロテスト・ソングですよね?

【LohArano】: そう、”Velirano” “誓い” は、政治家たちが国民をいかにぞんざいに扱っているか、生存のわずかな望みのためなら何でも受け入れる国民に対する不条理で馬鹿げた誓いの風刺なんだよ…

Q4: “Andrambavitany” satirizes the younger generation’s pursuit of instant pleasure on social networking sites. You are in wonderful harmony with your Madagascar heritage, while at the same time taking on new challenges, aren’t you?

【LohArano】: We know so many people who don’t drink for pleasure, but because their buddies want them to, and so many girls who show off to feel good about themselves, bearing in mind that this is what society demands. ANDRIAMBAVITANY says above all: “Don’t do it if you feel soiled, respect your body, respect your soul. “.

Q4: “Andrambavitany” では、SNS でインスタントに快楽を追い求める若い世代を風刺していますね?一方であなたたちは、マダガスカルの伝統と見事に調和しながら、同時に新しい挑戦も続けています。

【LohArano】: 私たちは、楽しむために飲むのではなく、仲間に飲めと言われるから飲む人をたくさん知っている。
そして、若さが社会が求めていることであることを念頭に置きながら、自分自身が良い気分になるために自分を見せびらかす多くの女の子たちを知っている。だからこそ ANDRIAMBAVITANY は何よりもこう伝えているんだ。”自分の体と魂を大切にしなさい” とね。

Q5: In fact, your music is a wonderful blend of intelligent metal like RATM, SOAD, Tool, and the traditional music of Madagascar. Can you explain to our readers about Madagascar’s traditional music?

【LohArano】: Traditional Malagasy music is very varied depending on the region and ethnic group, so to try and generalize would be a mistake hahaha. Here are a few broad examples: in the north, we have Salegy, a festive, ambient music whose icon, JAOJOBY, is nicknamed the King of Salegy; in the south, we have Tsapiky, Beko and Kilalaky, also ambient but with a more melancholic, sad theme… There’s also Vakodrazana, Hira Gasy in the highlands.

Q5: 実際、あなたたちの音楽は RATM、SOAD、TOOL のようなインテリジェントなグルーヴ・メタルとマダガスカルの伝統音楽が見事に融合しています。マダガスカルの伝統音楽について弊誌の読者に簡単に説明していただけますか?

【LohArano】: 伝統的なマダガスカル音楽は、地域や民族によって実に様々なんだよ。だから簡単に説明するのは難しい (笑)。北部にはアンビエントなサレギーがあり、その象徴である JAOJOBY はサレギーの王というニックネームを持っている。南部にはツァピキー、ベコ、キララキーがあり、これもアンビエントだが、よりメランコリックで悲しいテーマを持っているよ。高地にはヴァコドラザナ、ヒラ・ガシーもあるんだ。

Q6: I understand that the band name LohArano means “source” in the Madagascar language. Why did you choose this word?

【LohArano】: Loharano (“source”) because it’s each of us who creates and shapes the world, just as our ancestors did and our descendants will do. We are all a source in our own way.

Q6: “LohArano” というバンド名はマダガスカルの言葉で “源” という意味だそうですね?

【LohArano】: “LohArano” “源” を選んだのは、私たちの祖先がそうであったように、そして私たちの子孫がそうであるように、世界を創造し形作るのは私たち一人一人だからなんだ。私たちは皆、それぞれのやり方、それぞれのあり方でこの世界の源なんだよ。

Q7: But still, you guys gained tremendous popularity overnight, didn’t you? I believe that by being active in the world, you will promote the good aspects of Madagascar, such as its traditions and nature, expose the bad government to the world, and improve the status of women in Africa. Would you agree?

【LohArano】: It’s true that we’re starting to make a name for ourselves, and that’s already a big step, because more people are hearing what we have to say, whether they agree or not. Indeed, one of our major objectives is to restore the value of Malagasy culture, which we feel is being lost over time. Our language, our musical sound, our ancestral wisdoms, we have so many extraordinary things that we tend to devalue in comparison with Western culture, it’s sad. As far as the status of women is concerned, whether in Africa or elsewhere in the world, women are sacred, just like men. We can talk about differences, which isn’t a bad thing, but there’s no question of hierarchy.

Q7: それにしても、あなたたちは一夜にして絶大な人気を獲得しましたね。あなたたちが世界で活躍することで、マダガスカルの伝統や自然といった良い面を広めたり、悪政を世界に知らしめたり、アフリカの女性の地位を向上させたりすることができるのではないですか?

【LohArano】: 私たちがその名を知られ始めているのは事実で、もうそれがすでに大きな一歩。だって、私たちの言葉に耳を傾ける人が増えるんだから。同意する、しないにかかわらずね。そして実際、私たちの大きな目的のひとつは、時間の経過とともに失われつつあると感じているマダガスカル文化の価値を回復することなのだから。
私たちには言語、音楽、先祖代々の知恵など、素晴らしい文化がある。だけどそれらは西洋文化に比べて軽視されがちなんだよね。悲しいことだよ。女性の地位に関して言えば、アフリカであろうと世界の他の地域であろうと、女性は男性と同じように神聖な存在だ。違いについて話すことはできるし、それは悪いことではないが、絶対に上下関係はないんだからね。

Q8: I heard that you will play with the Lovebites from Japan at Hellfest. Are you interested in Japanese anime, video games and music?

【LohArano】: Yes it’s great news and an honor for us to play with them! The Lovebites rock! We’re excited to share a stage with such a great band! As far as anime, games and Japanese music are concerned, we watch, play and listen from time to time, but we’d have to say not as much as real enthusiasts, because we know some people here who really are. On the other hand, we’re big fans of one of your local bands, Maximum The Hormone-they’re crazy! We love them!

Q8: フランスで行われる Hellfest にも出演されるそうですね?Lovebites のような日本のバンドも出演しますが、日本の文化、アニメやゲーム、音楽に興味はありますか?

【LohArano】: そうなんだよ。Hellfest の出演は素晴らしいニュースだし、Lovebites と一緒にプレーできることを光栄に思うよ!Lovebites はロックだ!素晴らしいバンドとステージを共有できることに興奮している!
アニメ、ゲーム、日本の音楽に関しては、時々見たり、遊んだり、聴いたりしているけど、本当のマニアほどではないと言わざるを得ないね。ただ、Maximum The Hormone の大ファンなんだ!彼らはクレイジーさ!大好きなんだ!

FIVE ALBUMS THAT CHANGED LohArano’S LIFE!!

PANTERA “Vulgar Display of Power”

SEPULTURA “Roots Bloody Roots”

SYSTEM OF A DOWN “System Of a Down”

GOJIRA “The Way of All Flesh”

SLIPKNOT “Iowa”

MESSAGE FOR JAPAN

It’s wonderful to see how you keep and nurture your culture! We know that rock/metal is a big part of your culture, and we look forward to playing with you soon, meeting you and having a great time! Keep rockin guys!

あなたたちが自国の文化を守り育てていく姿勢は素晴らしいよ!ロック/メタルがあなたたちの文化の大きな部分を占めていることを私たちは知っているし、近いうちに日本で演奏し、日本のファンに会い、素晴らしい時間を過ごすことを楽しみにしているよ!Keep Rockin’ Guys!

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【EIGENFLAME : PATHWAY TO A NEW WORLD】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH FERNANDES BONIFACIO OF EIGENFLAME !!

“Angra Was In Fact The Band That Most Influenced Me As a Musician, In Terms Of The Musical Direction I Followed, But On The Other Hand, At No Point Did We Intend To Try To Sound Like Angra”

DISC REVIEW “PATHWAY TO A NEW WORLD”

「ANGRAはミュージシャンとして、僕が辿った音楽の方向性という点で、最も影響を受けたバンドだったから。ただ一方で、ANGRA のようなサウンドを目指したことは一度もないよ。僕らの音楽に対する彼らの影響はとても強いけれど、彼らのやっていたことはユニークだったし、僕らもまた、大多数のパワー・メタル・バンドとは違うサウンドを出そうとしている。簡単なことではないが、努力しているよ」
ちょうど30年前。ANGRA の登場は二重の驚きでした。まずは、クラシックを大々的に取り入れた美しくも壮大でウルトラ・テクニカルなそのパワー・メタルに。そして、ブラジルというメタル第三世界から遣わされた天使である事実に。
時代は流れ、かつて ANGRA が証明したメタルの多様性や感染力は、今や当たり前のものとして受け入れられています。インドやアフリカ、そしてここ日本でも、世界で戦えるバンドが続々と登場しているのですから。そんなメタル世界の総復習、総決算として、再度感染源のブラジルから EIGENFLAME が登場したのはある意味宿命だったのでしょうか。
「ボサノヴァやサンバについては、絶対にないだろうね (笑)。でも、僕らのファースト・アルバムにはブラジル音楽や先住民音楽の要素が控えめに入っているし、バンドが活動し続ける限り、こうした要素はおそらく僕らの曲の一部になるだろうね」
ANGRA が後に再度世界を驚かせたのは、サンバやボサノヴァといったブラジルの代名詞に加えて、ブラジル先住民族の響きをメタルに溶け合わせた点でしょう。”Holy Land” はそこに、”Angels Cry” から引き継いだ流麗壮大なクラシックのシンフォニーまで未だ存分に残していたのですから、まさにメタル多様性の原点の一つであったにちがいありません。そうして、EIGENFLAME もその偉大な足跡を、自らのやり方で推し進めていきます。まさに EIGENFLAME。自分自身の炎。
「一番好きなアルバムは “Rebirth” と “Temple Of Shadows” だろうな。だから Andre が大好きで、”Holy Land” や “Angels Cry” のようなアルバムを愛しているにもかかわらず、バンドの時期を選ぶとしたら、Edu Falaschi がいた時期 になるだろうな」
EIGENFLAME のギタリスト Fernandes Bonifacio が、Andre Matos への敬意を表紙ながらも、Edu Falaschi 時代をフェイバリットに挙げる理由。それは彼らの音を聴けば理解できるでしょう。まさにあの傑作 “Temple of Shadows” を現代にアップデートしたかのような、ウルトラ・テクニカルでウルトラ・プログレッシブなメタル十字軍。
初期の ANGRA にあった、良い意味での “遊び” が排除された宗教画のような荘厳のモザイクは、明らかに EIGENFLAME が受け継いでいます。そうして、一片の曇りもなく天上まで歌い上げる Roberto Indio の迷いなき、揺るぎなき歌声。そこに加わる DRAGONFORCE や KAMELOT のパワー・メタル・カーニバル。ここには、我々が求めるカタルシスがすべて存在します。
「僕たちが経験したあの困難な時期にみんなが望んでいたことを表現するには、とてもいい名前だと思ったんだ。”Pathway To A New World” はコンセプト・アルバムではないけれど、ある意味、曲と曲がつながっている。宇宙、自然、スピリチュアルなエネルギーといったトピックを取り上げているんだよ。”つながる” ことがテーマなんだ。アルバムのアートは “Way Back Home” という曲に基づいている。この曲は、部族を探して放浪していた先住民の戦士が、新しい世界への道を見つける姿を描いているんだ」
ドラマーの Jean は2023年の EDU FALASCHI と NORTHTALE の来日公演にも参加していましたね。新たな未来へ、つながっていきましょう。Fernandes Bonifacio です。どうぞ!!

EIGENFLAME “PATHWAY TO A NEW WORLD” : 10/10

INTERVIEW WITH FERNANDES BONIFACIO

Q1: First, can you tell us what kind of music you grew up listening to?

【FERNANDES】: Well, in my case, I grew up listening to old music with my uncles. I was around 10 years old. They always really liked bands like Queen, Scorpions, Dire Straits, and the sound of the guitars always caught my attention, and there I started to enter the world of rock, and a little later, I discovered metal. Here in Brazil there were also many rock bands that were well known and in a way made enthusiasm for rock grow, and I believe it was similar with the other members of the band.

Q1: まず、どんな音楽を聴いて育ったのか教えていただけますか?

【FERNANDES】: 僕の場合は、叔父さんたちと一緒に古い音楽を聴いて育ったんだ。10歳くらいだったかな。彼らはいつも QUEEN, SCORPIONS, DIRE STRAITS のようなバンドが好きで、そうしたギターのサウンドはいつも僕の心をとらえていたんだ。それに、ここブラジルにも有名なロック・バンドがたくさんあって、そうしたバンドもある意味ロックへの熱意を高めてくれたよね。これは他のメンバーも同じだと思うよ。

Q2: Why did you choose the band name Eigenflame?

【FERNANDES】: Choosing the band name wasn’t easy… At the beginning of the project we used the name “Eigenstate”,but after a while we realized that it was a complicated and difficult name to assimilate, and so we started looking for a new name, but it was difficult to reach a conclusion. Then Roberto suggested “What if we used Eigen together with another name?!” and then Fabio suggested the name Dragonflame, and a few minutes later he came with the name Eigenflame. Eigen in german means “own”,so the name means we all have our own flame,and it’s reported in the last song o the álbum,called “ Innerflame”. We all liked the name Eigenflame. It sounds a lot more power metal haha.

Q2: “Eigenflame” というバンド名を選んだのはなぜですか?

【FERNANDES】: バンド名を決めるのは簡単ではなかったよ…。プロジェクト開始当初は “Eigenstate” という名前を使っていたんだけど、しばらくして、複雑で同化しにくい名前だということに気づいて、新しい名前を探し始めたんだ。そこで Roberto が「アイゲンと別の名前を併用したらどうだろう!」と提案したんだよ。同時に Fabio が “Dragonflame” という名前を提案し、その数分後に彼が “Eigenflame” という名前を思いついたんだ。
Eigen はドイツ語で “自分自身の “という意味だから、この名前は僕たちみんなが自分自身の炎を持っているという意味なんだ。僕らはみんな、Eigenflame という名前が好きなんだよね。よりパワー・メタルに聞こえるからね (笑)。

Q3: Many people have compared you to ANGRA, the heroes of your homeland. Frankly, how do you feel about that comparison?

【FERNANDES】: In a way, we were very happy with this comparison, because Angra was in fact the band that most influenced me as a musician, in terms of the musical direction I followed, but on the other hand, at no point did we intend to try to sound like Angra. Ok, their influence on our music is very strong, but what they did was unique and we are also trying to do that, something that doesn’t sound like the vast majority of power metal bands. It’s not easy, but we’re trying.

Q3: 多くの人があなたたちを母国の英雄、ANGRAと比較しています。率直に、その比較についてどう思いますか?

【FERNANDES】: ある意味、この比較はとても嬉しかった。というのも、ANGRAはミュージシャンとして、僕が辿った音楽の方向性という点で、最も影響を受けたバンドだったから。ただ一方で、ANGRA のようなサウンドを目指したことは一度もないよ。
僕らの音楽に対する彼らの影響はとても強いけれど、彼らのやっていたことはユニークだったし、僕らもまた、大多数のパワー・メタル・バンドとは違うサウンドを出そうとしている。簡単なことではないが、努力しているよ 。

Q4: Angra has had various eras: Andre Matos, Kiko Loureiro, and now. Which period and album do you have a particular attachment to?

【FERNANDES】: My favorite albuns are Rebirth and Temple Of Shadows and despite loving Andre and loving albums like Holy Land and Angels Cry, if I had to choose a phase of the band, I prefer the phase with Edu Falaschi. I believe Jean would also say the same thing. Roberto likes the Andre Matos phase more and his favorite album is Holy Land. About Fabio, I can’t say haha he likes Angra but it was never one of his favorite bands. He is a big fan of Nightwish and Kamelot.

Q4: ANGRA には様々な時代がありました。Andre Matos, Edu Falaschi, Kiko Loureiro, そして現在。あなたはどの時代、どのアルバムの彼らに特に思い入れがありますか?

【FERNANDES】: 一番好きなアルバムは “Rebirth” と “Temple Of Shadows” だろうな。だから Andre が大好きで、”Holy Land” や “Angels Cry” のようなアルバムを愛しているにもかかわらず、バンドの時期を選ぶとしたら、Edu Falaschi がいた時期 になるだろうな。Jean も同じことを言うと思う。
Roberto は、Andre Matos のフェーズの方が好きで、一番好きなアルバムは “Holy Land” なんだよ。Fabio は ANGRA も好きなんだけど、NIGHTWISH と KAMELOT の大ファンなんだ。

Q5: What was great about Angra and Sepultura was that they presented their roots firmly by fusing traditional Brazilian music with metal. Will you guys someday incorporate bossa nova, samba, or other Amazonian music?

【FERNANDES】: Well, about Bossa Nova and Samba, definitely not haha In our first album we discreetly have some elements of brazilian music and indigenous music and these elements probably will be part of our songs as long as the band remains active.

Q5: ANGRA と SEPULTURA が素晴らしかったのは、ブラジルの伝統音楽とメタルを融合させ、自分たちのルーツをしっかりと提示したことでしょう。あなたたちも、いつかボサノヴァやサンバ、アマゾンの音楽を取り入れることはあるでしょうか?

【FERNANDES】: まあ、ボサノヴァやサンバについては、絶対にないだろうね (笑)。でも、僕らのファースト・アルバムにはブラジル音楽や先住民音楽の要素が控えめに入っているし、バンドが活動し続ける限り、こうした要素はおそらく僕らの曲の一部になるだろうね。

Q6: In the 2020’s, we have been enveloped in dark clouds of war, division, pandemics, and climate change.” Does “Pathway to a New World” express your wish to move forward from such a dark world to a better new world?

【FERNANDES】: In fact, that wasn’t the idea for the album’s name, but it would actually be a good name to represent what everyone wanted during that difficult time we were going through. Pathway To A New World is not a concept album, but in a way, the songs manage to connect with each other. We cover topics such as the universe, nature, spiritual energy. These are themes that connect. The album’s art was based on the song “Way Back Home”, which portrays an indigenous warrior who is wandering in search of his tribe, but ends up finding a way to a new world.

Q6: 2020年代、私たちは戦争、分断、パンデミック、気候変動といった暗雲に包まれているようです。” Pathway to a New World” は、そんな暗い世界からより良い、新しい世界へと前進したいという願いを表現しているのでしょうか?

【FERNANDES】: 実は、これはそもそもアルバム名のアイデアではなかったんだけど、僕たちが経験したあの困難な時期にみんなが望んでいたことを表現するには、とてもいい名前だと思ったんだ。
“Pathway To A New World” はコンセプト・アルバムではないけれど、ある意味、曲と曲がつながっている。宇宙、自然、スピリチュアルなエネルギーといったトピックを取り上げているんだよ。”つながる” ことがテーマなんだ。
アルバムのアートは “Way Back Home” という曲に基づいている。この曲は、部族を探して放浪していた先住民の戦士が、新しい世界への道を見つける姿を描いているんだ。

Q7: For those experiencing depression and loss in such a dark world, isn’t power metal fantasy the perfect escape? Isn’t that what the world needs now more than ever?

【FERNANDES】: For sure. Power metal is a style that will always lift you up. The vast majority of the lyrics are full of messages of positivity, which encourage you to seek what you want. Sometimes you also encounter epic battles, dragons destroying castles and imagine yourself in a Lord Of The Rings movie. Okay, we love that too hahaha.

Q7: こうした暗い世界で憂鬱や喪失感を味わっている人々にとって、パワー・メタルのファンタジーは完璧な逃避場所に思えます。世界は今、かつてないほどパワー・メタルを必要としているのではないでしょうか?

【FERNANDES】: 確かにね。パワー・メタルは、常に僕たちを元気づけてくれるスタイルだよね。歌詞の大半はポジティブなメッセージに満ちていて、自分が望むものを求めるよう励ましてくれる。この音楽を聴けば、壮大な戦いやドラゴンが城を破壊するシーンに遭遇し、ロード・オブ・ザ・リングの映画の中にいる自分を想像することもある。オーケー、僕たちもそういうのが大好きだよ (笑)。

Q8: Speaking of fantasy, Japan is a mecca for fantasy, including games, animation, and music. Are you interested in such Japanese culture?

【FERNANDES】: Yes definitely!! Every Brazilian born in the 80s and 90s is in a certain way influenced by Japan because of animes and tokusatsus. I love it! Brazil has the largest Japanese colony outside of Japan. When you walk through the Liberdade neighborhood in São Paulo, it’s like a piece of Japan in Brazil. It’s amazing.

Q8: ファンタジーといえば、日本はゲーム、アニメ、音楽などファンタジーのメッカです。そんな日本文化に興味はありますか?

【FERNANDES】: うん、もちろん!80年代、90年代生まれのブラジル人はみんな、アニメや特撮を見ていて、ある意味日本に影響を受けているよ。僕は大好きだよ!ブラジルは日本以外だと、最大の日本人移民のコロニーがある。サンパウロのリベルダーデ地区を歩くと、ブラジルの中に日本があるような感じがするんだ。素晴らしいよ。

FIVE ALBUMS THAT CHANGED FERNANDES’S LIFE!!

ANGRA “Rebirth”

DREAM THEATER “Images And Words”

DRAGONFORCE “Inhuman Rampage”

SYMPHONY X “The Odyssey”

ANDY JAMES “Andy James”

MESSAGE FOR JAPAN

Firstly, I would like to thank you for the interview and say that we are very happy to have our music in Japan. We hope with all our hearts that we can play there one day. It would be a dream come true to play our music there and get to know this incredible country.

まず、インタビューをありがとう!僕たちの音楽が日本で聴いてもらえることをとても嬉しく思っているよ。心から、いつか日本でプレイしたいんだ。もしそうなれば夢が叶うし、君たちの素晴らしい国を知れることにもなるよね。

FERNANDES BONIFACIO

EIGENFLAME

EIGENFLAME Instagrum

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【JUDAS PRIEST : INVINCIBLE SHIELD】


COVER STORY : JUDAS PRIEST “INVINCIBLE SHIELD”

“In The World Of Heavy Metal, The Band, The Fans, The Metal Community, It’s All About The Invincible Shield. It’s Defending The Faith. We’re Still Defending The Faith, All These Years Later.”

INVINCIBLE SHIELD


「でも、それがヘヴィ・メタルだろ?」
Rob Halford の口癖です。Rob にとっては、すべてがヘヴィ・メタル。正しくて、善良で、適切で、生命の活力に満ちたものはすべて。メタル・ゴッドであることは、そのクールな肩書きと同じくらい責任重大だと Rob は言います。ただそこに浸っているだけではダメなんだと。挑戦し続けろと。心配はいらない。メタルには困難や逆境を跳ね返す “回復力” が備わっているのだから。
「人生で困難に直面し、それを乗り越え、以前よりも強くなって戻ってくることができたとき、自分の中で何かが変わる。これは、世界中のパンデミックに巻き込まれた多くの人々に起こったことだと思う。私たちは皆、同じような経験をした。友人に会えず、家族に会えず、メタルのショーに行けないのはとても辛いことだった。音楽が私たちを生かしてくれた。みんな家で音楽を聴き、テレビを見たり、映画を見たりしていた。
もちろん、Richie の人生を変えるような心臓の病は、彼を人間として変えた。そして、おそらく私の癌も同じだった。どちらも人生を奪う可能性があるのだから。がんは命を奪い、心臓病は命を奪う。でも、素晴らしい医療チームや素晴らしい人たちが一緒に働いてくれているからこそ、まだここにいることができる。だから、このアルバムには、これまでになかったような要素が含まれているのかもしれない。たくさんの感情があって、”復讐の叫び” 以上に人生を少し違った形で理解できるようになったんだ。だから、JUDAS PRIEST というバンドにとって、私たちのメタルにとって、これはとても特別なことなんだ。”Invincible Shield” に収録されている曲の全てに、人生を上昇させる力を感じることができる」
Rob の出立ちはすでにメタルを体現しています。黒いシャツ、室内でサングラス、スキンヘッド、大きな白いサンタヒゲにピアス。しかし、それよりも彼の態度や物腰、そして哲学にこそ、メタルの何たるか、なぜ彼がメタル・ゴッドなのかが詰まっているのです。

JUDAS PRIEST のデビュー・アルバム “Rock-A-Rolla” から半世紀を経た72歳の Rob は、今でもヘヴィ・メタルに夢中です。
「今は SLEEP TOKEN に夢中なんだ。彼らは本当に面白いと思う。ネットで調べて、彼らが誰なのかとか調べたんだ。メタル・ゴッドと Vessel のセルフィーが撮りたいよ。音楽的にも、彼らを特定するのはとても難しい。彼らの音楽を聴いていると、ミュージシャンとして興味をそそられるんだ。いろいろなところに行っているし、それができるバンドは今のところメタル世界には他にいないと思う」
あとは今でも猫に夢中。
「今、猫のTシャツを100枚くらい持っていると思う。以前、ベンという美しい猫を飼っていたんだけど、長生きして、突然亡くなってしまったんだ。家族を失うような感じ。でも、いつも旅に出ていて、家には誰もいないから、飼うのはちょっと大変だった。
うちの猫は猫用のホテルがあまり好きじゃなかったんだ。だから、毎週土曜日に私のインスタグラムで猫のTシャツを着て、その埋め合わせをしているんだ。いつまで続くかわからないけどね。
メタルと猫には共通点があるよ。それは、自立心だ。それがわかったのは、特にメタル・ミュージシャンが猫と一緒に写っている写真集を見たときなんだ。本当に強い男たちが猫を飼っている。でもね、私たちは は自分の猫のことを知っていると思っているけれど、猫はもっと私たちのことを知っている。そして、彼らはとても個性的で、まるで “俺の能力を見ろ” と言っているかのようにこちらを見ている。まさにメタルだ。私はそれが好きなんだ。彼らは美しい生き物だよ」

“Stranger Things” でメタルが注目を集めたことにも、うれしさを隠せません。
「私は、2wo が Kate Bush が “Strangre Things” で弾けたような瞬間を迎えるのを待っている。TikTok世代の子供たちは、それがどこで作られ、何年前に作られたかなんて気にしない。素晴らしい曲だ。そして2wo のアルバムにも同じような本当に強い瞬間がいくつもある。私はボブ・マーレットと知り合った。彼は John Lowery (John 5) というギタリストのことを教えてくれた。私は彼に、”一緒に何かできないか?”と言ったんだ。あのデモは素晴らしいよ。
それから数週間後、私はニューオーリンズにいた。街を案内してくれる友人と一緒だった。彼は “あれが Trent Reznor のスタジオだよ。入って挨拶したら?”。それでスタジオに入った。そして Trent がやってきて、”ああ、最高だ!君に会えてよかったよ、僕はプリーストの大ファンなんだ!” って。一緒にお茶を飲んで、ケーキを食べて、話をした。
2wo のデモ音源をかけると、Trent が乗り気になってきた。アルバム全部を聴いて、彼が言ったんだ。”これをコピーして、僕に預けてくれないか?”
最終的なミックスを手にしたとき、私はただただ仰天したんだ。オリジナルのデモから確実に変化していた。”I Am A Pig”, “Leave Me Alone”, “Water’s Leaking”…これらは今でもいい曲だ。だからね、TikTokの瞬間を2wo にも持ってこよう!」
72歳となった Rob は、今でもこれだけ精力的に活動できるのは、メタルのおかげだと考えています。
「メタルは若さを保つ…それは真実だと思う。メタルの感情は、体にも心にも魂にも精神にも、とても大きな報酬を与えてくれる。そして、エネルギーに満ち溢れ、熱意に溢れ、闘志を燃やし続け、メタル信仰を維持し続ける。
私は幸運な男だ。50年以上もメタルを歌い続けてきたし、その声はいまだに、自分がやりたいと思う仕事をこなせるだけの能力を保っている。それでも、このアルバムでは、ファンに最高のヴォーカル・パフォーマンスを提供するために、本当に懸命に働いたんだ」

メタルには、宗教や人種、性別に文化の壁を越える生命力や感染力が秘められています。
「私たちは、メタルと共に世界中を旅する機会に恵まれている。とても感謝しているんだ。おそらく、最も最初のユニークな経験のひとつは、かなり昔に遡るが、初めて日本に行ったときだ。日本の文化について少しは知っていたけれど、実際に行ってみて、日本は伝統や文化がまだ非常に強力でありながら、この種の音楽が受け入れられていることのバランスを見ることは、とても特別で驚きだったんだ。JUDAS PRIEST は、日本に行った最初のバンドのひとつで、最初メタル・バンドだった。時は他のバンドはほとんど来日していなかった。私たちは日本のメタルの扉を開いたんだ。
子供の頃は夢物語でしかなかったような場所に実際に行ってみると、世界がいかに小さいかがわかる。そして、私たちはみんなつながっているんだということを教えてくれる。同じ言葉を話さないかもしれないけれど、私たちは皆、人生の中で似たようなことをたくさん経験し、それが私たち人類を結びつけている。浮き沈みがあり、笑いがあり、涙があり、葛藤があり、成功がある。世界のどこへ行っても同じだよ。
このことは、私が何年も前に刻んだ、偉大で美しい祝福のひとつ。この祝福によって、私は人生に対する理解を深め、人間に対する理解を深め、私たちは皆同じなのだということを理解することができた。宗教が何であるか、性的アイデンティティが何であるか、政治的信条が何であるか、それは問題ではないんだよ。私たちは皆、人間であり、この地球上にいる短い時間の中で、皆同じような人生を歩んでいる。だから、私たちはできる限りのことをしなければならないんだ。
だから、世界中を旅して、美しいメタル・マニアたちにたくさん会えることは喜びであることを表現できればと思うよ」
ロックの殿堂入りスピーチでは、メタルの寛容さと多様性、包容力を声高に主張しました。
「私はゲイのメンバーだ。性的アイデンティティが何であろうと、見た目がどうであろうと、何を信じていようと信じていまいが、すべてを受け入れるヘヴィ・メタル・コミュニティと呼ばれる場所で。ここでは誰もが歓迎されるんだ!」

メタル世界では、アーティストもファンを包容し、ファンもアーティストを包容します。
「ライブでファンとつながるのはいつだって大事なことだ。というのも、JUDAS PRIESTは最も古いメタル・バンドの一つだからね。だから、好きなバンド、JUDAS PRIEST を観に来るのは、ひとつのイベントなんだ。何度も言っていることだけど、私たちはファンなしでは何もできないんだ。どんなバンドでも、ファンなしには何もないという事実を忘れてはならない。PRIESTは50年以上もの間、そのつながりを作り続けてきたんだ。
そして完全な包容力というのは、私たちメタル・コミュニティの中でも大好きなところだ。どんなバンドにハマろうが、どんな外見だろうが、誰を愛していようが、何だろうが、どれだけお金を持っていようが、そんなことは関係ない。ここでは皆がメタルを愛しているのだから。その重要性は、音楽よりもずっと先まで及んでいる。もし君がメタル・ヘッズなら、メタル・ファンなら、より良い精神状態になるためのすべての特性を持っている。人生のあらゆる場面において、アーティキュレーションがより強く働くようになる。メタルは、私たちが人間であるための、とてもとてもパワフルな要素なんだ。
私がメタル・マニアを愛していると言うとき、それは本当に心から純粋に言っているんだ。なぜなら…… “ファミリー” という言葉を使うのは大げさだけど、それこそが私たちが作り出しているもので、ヘヴィ・メタル・コミュニティというファミリーを作り出しているんだ。バンドに関係なく、ファンひとりひとりと特別な関係があるんだよ。
何千人もの群衆を眺めるとき、私は君たち一人一人を見ている。なぜなら、君たちがこのバンドの音楽を自分の人生に取り込んでいることを知っているからだ。多くの PRIEST ファンにとって、自分の人生の物語は音楽と共にある。
うまく言えないけど、私が何を言いたいかわかる?このバンドと長く一緒にいて、私たちが “Breaking The Law” を演奏したら、突然80年代に戻り、”Painkiller” を演奏したら、突然90年代に戻る。こんなタイムマシンのような感動が共にあるんだ。そしてまた、そのことを私は忘れてはいない。だから、ファンを大切にし、ファンを見守るという責任は、どんなバンドに所属していても、本当に重要なことなんだよ」

徹頭徹尾ヘヴィ・メタルな JUDAS PRIEST 19枚目のアルバム “Invincible Shield” に関しては、熱意に加えて、大きなプライドも加わることになりました。
「自分を高みに置きたくないんだけど、アルバム・タイトルはいつも私が考えているんだ。ヘヴィ・メタルの世界では、バンド、ファン、メタル・コミュニティ、すべてが “Invincible Shield” “無敵の盾” なんだ。それは信念を守る “Defenders of the Faith” ことだ。私たちは、何年も経った今でも、そしてこれからも、信念を守っていく」
これは Rob 心からの本心。しかし、”Invincible Shield” は、どんな逆境にも決して引き下がらない、決して負けないという JUDAS PRIEST の価値観、メタルの回復力を如実に反映した作品でもあるのです。
2018年の “Firepower” でバンドはギタリストの Glenn Tipton がパーキンソン病を患っていることを発表しました。そして彼らはアルバムでの Glenn の仕事を称え、彼はフルタイムのツアーには参加しないが、ステージには随時参加すると付け加えました。
今でも Glenn がスタジオにおける殺戮機械の中心的存在であり続けていることは明らかな光。しかし、それだけではありません。現在に至るまで、Rob は前立腺がんの手術と治療を受けていて、一方、ギタリストの Richie Faulkner は、2021年にケンタッキー州で開催された Louder Than Life フェスティバルで演奏中に大動脈瘤で九死に一生を得ます。医師は、彼が生きているのはただただ幸運だと告げました。「彼の心臓は爆発し、メタル・ハートになった」と Rob は言います。

逆境に真っ向からぶつかり、今を全力で生きることを常にモットーとしてきた JUDAS PRIEST。”Invincible Shield” にはその哲学すべてが注がれています。古典的なメタルの繰り返しとは程遠く、すべてをバフアップし、アップデートし、全体を新素材で強化しています。
「死を免れたとき、人生観が変わるんだ。何が起こったのか、Richie とじっくり話したことはない。でも、私自身の個人的な経験から言うと、癌から命を救ってくれた素晴らしい人たちのおかげで、普通なら直面する必要のないような考え方が、自分の中で再調整されるんだ。このアルバムを書いているとき、その生存本能は、おそらくこれまでやったどのアルバムよりも強く働いている。
バンドをやっていると、自分の感情についてあまり語らないものだ。たぶん、それは男らしさとか、そういうものなんだろう。でも、演奏では確かに全員からその感情を感じることができる。みんな全力なんだ。みんないつも全力なんだけど、今回はただ感情的な言及があるんだ」
不屈の魂が間違いなく、”Invincible Shield” に異様なまでの重厚さとパワーを与えています。加えて、やはりメタルに対する愛と喜びがここにはあります。
「いつもまだやれるのか?と自問自答するよ。だけどね、レーベルが契約上、もう1枚アルバムを出せと言うからレコードを作っているんじゃない。もっとメタルを作りたいという、本物の愛と欲望のためなんだ」

Richie と Glenn の関係にも、Rob は目を細めています。
「彼らの関係は本当に美しい。ヨーダとルークを見ているようだった。これは、私が感じたことを表現しようとする滑稽な方法だけど、本当なんだ。プロデューサーの Tom Allom は大佐だから、Richie は Glenn のことをメタル将軍と呼び始めたんだ。これは、50年前の最初の瞬間から、”Invincible Shield” に至るまで、Glenn がヘヴィ・メタルに残した足跡への美しいオマージュだと思うんだ。
私は Richie が Glenn に育てられたのを見られたし、遂には Glenn が “どうやるんだ?そんなことをするギタリストは見たことがない” とまで言うようになった。だから、音楽的な意味でも、個人的な意味でも、2人の関係が発展していくのを見るのは、とても深く、とても感動的だった。パーキンソン病が Glenn の明瞭な表現を残酷なまでに奪ってしまった。だけど素晴らしいのは、彼がまだこのアルバムに参加していることだ。作曲という意味では、彼は初日から参加している。私たち3人ですべての曲を書いた。シンガーとギター2人の編成は、私たちにとってとてもうまく機能しているように思うし、今でもそうだ。そこから始まって、レコードを作るためのあらゆる障害を乗り越えていくんだけど、Glenn はそのすべての過程に立ち会ってくれるんだ」
2024年に、JUDAS PRIEST が存在する意味とは?
「今を生きている、”Relevant” であることだ。Relevant でなければ意味がない。昔はノスタルジーとか、ヘリテージ (遺産)・バンドとか、クラシック・メタルとか言われるのが大嫌いだったんだ。今はそれを受け入れている。なぜなら、それが自分たちの一部だからだ。たしかにそうした言葉はこのバンドに付けられるべきだ。でも、その言葉のリストの一番上にあるのは、”今を生きる” だと思う。このアルバムは2024年のメタルだ。人々は、このバンドがすべてであり、常に本当の目的と妥当性を求めてまだここにいる。それを管理することで、この言葉が現れる。それこそが今を生きることなんだ」

挑戦的といえば、Rob は “Nostradamus” での挑戦が正当に評価される日を待ち望んでいます。
「”Nostradamus” は眠れる巨人だと感じている。本当にそう思う。私の頭の中では、この作品はクラシック・オペラとして創作された。交響楽器の演奏があってもいい。私の中では、シルク・ドゥ・ソレイユがノストラダムスの物語を語るサウンドトラックとして作られるのが見えている。こうしたチャンスはすべて、探求されるのを待っている。おそらく、私が死んだあとに実現するだろうね。素晴らしい。プリーストのレパートリーの中でも、非常に過小評価され、過小露出されている作品であり、真剣にもう一度見直す必要があると感じている。このアルバムは、私個人にとって、とても重要な意味を持つものだから。あのアルバムのボーカル・パフォーマンス、全員の演奏、アレンジ、制作したすべてのことが、とても楽しかった。傑作だよ。本当にそうだ。私は音楽について詳しいから、この言葉は滅多に使わないんだ。でも、メタル界における位置づけとしては、本当に重要な作品だ」
現在、アリゾナに本籍を置き、メタル界で最も知名度が高く象徴的な人物の一人である Rob Halford は、ある意味では英国ミッドランズ出身の一人の男にすぎない。英国訛りが残っていて、非常に英国的なユーモアのセンスだけでなく、彼は自分のやっていることを真剣に受け止め、他の誰かにやってもらうことを期待しない自他ともに認める職人なのですから。
「私が誰で、どこから来たのかという事実は、私の人生にとって絶対に欠かせないものだ。ウェスト・ミッドランズ、ブラック・カントリー、メタルの故郷。それは素晴らしい場所だ。ここにいて、キッチンに座っているだけで、こんな場所は他にない。LED ZEPPELIN, BLACK SABBATH, MOODY BLUES, DURAN DURAN など、ここから生まれた音楽は美しい。アメリカにいる時間は長いけど、家に帰るのが待ちきれないこともある。飛行機を降りると、ヒースロー空港まで迎えの車が来て、それに乗って荷物を置いて、チップス屋まで歩いて行って、ピクルス・エッグを買うんだ」
平凡もまた彼の、メタルの一部なのです。それでも平凡は決して長くは続きません。ヘヴィ・メタルの引力、興奮と冒険、生きている実感、そして時間を無駄にしたくないという感覚は、あまりにも強く強烈です。
「今日は “HOMES UNDER THE HAMMER” を観ようって思う日もあるんだ。年寄りがやるようなクソ映画をね。でも20分後には、早くスーツケースに荷物を詰めて旅に出たいと思うんだ。
スーツケースを取り出してドアに鍵をかけ、12ヵ月間戻ってこないということが、どれだけ恵まれているか、どれだけありがたいことか。それが自分の仕事に対する愛と情熱でないとしたら、何がそうなのか私にはわからない。私たちはまだバンに乗っている。ヘヴィ・メタル、それが私たちのやるべきことなんだ」


参考文献: KERRANG!:“When you’ve cheated death, it changes your outlook on life”: Rob Halford takes us inside Judas Priest’s powerful, emotionally real new album

STEREOGUM:We’ve Got A File On You: Judas Priest’s Rob Halford

GQ:Rob Halford: ‘I loved drinking and drugging… even though the end game was self-destruction’

日本盤のご購入はこちら : SONY MUSIC

COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【BRUCE DICKINSON : THE MANDRAKE PROJECT】


COVER STORY : BRUCE DICKINSON “THE MANDRAKE PROJECT

“I Try To Be More In Control And Analytical When I’m Fencing, Which Is Not Really 100 Percent My Nature, But In Music I Can Be The Opposite – I Can Be The Creative.”

THE MANDRAKE PROJECT


「何年も前にリリースされるべきだったのだけど、このプロジェクトがより強く、より大きくなったので、遅れたことを喜んでさえいる」
Bruce Dickinson 65歳。世界最大のヘヴィ・メタル・バンド IRON MAIDEN のボーカリストにして、マーケティング・ディレクター、ビジネスマン、コマーシャル・パイロット、DJ、脚本家、作家、音楽の博士号、歴史教授、サラエボの名誉市民、フェンシングの達人、英国空軍名誉中隊賞など100の顔を持つ才能の塊であり、癌サバイバーでもあります。まさにメタルの回復力。
“1843” 誌は、ビジネス、文化、人間性、そして何よりも国際的に傑出したさまざまな著名人の知識に関する世界規模の調査を実施し、彼らは Bruce を正しく定義できる言葉は “ポリマス(polymath)” “博学者” であると結論づけました。この言葉は、例えばレオナルド・ダ・ビンチのように人生を通してさまざまな分野で広範な情報を持っている人物を指します。そして、間違いなく、Bruce とポリマスは特別な関係にあるのです。
そんな Bruce が話しているのは、2024年、ついに世に送り出された全く新しいソロ・アルバム “The Mandrake Project” のこと。当初は10年前にリリースされる予定でしたが、咽頭癌の診断がその計画を頓挫させ、回復後はIRON MAIDEN のワールドツアーが続き、そして “世界が突然奇妙な病気にかかり、我々は全員閉じ込められてしまった” のです。
しかし、彼の副業と本業に偶然の隙間ができたことで、2005年のLP “Tyranny Of Souls” からギタリストの Roy Z、ドラマーの Dave Moreno、天才キーボード奏者 Maestro Mistheria とタッグを組んで、7枚目のソロ・アルバムに取り組む時間ができました。

Bruce は The Mandrake Project を IRON MAIDEN の作品と比較して “とても個人的な旅” だと語っています。
「まず第一に、より長いプロセスだ。このアルバムは、何層にも重なったロックを通して浸透していったんだ。ある曲は一度に浮かび上がり、ある曲は時間がかかり、ある曲は20年前から掘り出した。素晴らしいのは、それらがすべてフィットしていることだ。サウンド的にはすべてフィットしている。どれも明らかに私が作ったか、私が貢献している。Roy とのコラボレーションもかなりあるし、ギターも何もかも完全に一人で書いた風変わりなものもある。まあ俺は、”Powerslave” や “Revelations”, “Flash Of The Blade” も完全にひとりで作ったんだがね」
とはいえ、明らかに IRON MAIDEN のクラシックなサウンドとは全く異なります。
「ヘヴィ・ロック・アルバムだけど、ニッチに収まらなければならないという制約はないんだ。ここには、好きなだけヘヴィになる自由があるし、様々な方法でヘヴィになる自由もある。5分しかないからどうする?みたいな制約もない。このアルバムには、理由もなくそこにあるものは何もない。他の曲と調和しているからそこにあるんだ。それはとても珍しいことだ。どのアルバムを作っても、2、3曲は “ああ、この曲はちょっと違うな” っていう曲があるんだ。でも、このアルバムには、聴いて好きにならない曲はひとつもない。
“The Number Of the Beast” だってそうじゃなかった。あのアルバムには名曲がたくさんあるけど、”Invaders” とかについてはいつも “うーん…” って感じだったからね。でも、他の曲は本当に素晴らしいから、そんなことは忘れてしまうんだ。
ほとんどの人は、俺の最高傑作は “The Chemical Wedding” だと言うだろうし、もっとストレートなメタルが好きなら “Accident Of Birth” もいい。それから、”Skunkworks” は本当にめちゃくちゃ良い、良すぎるという人も時々いる。”Skunkworks” は実際、かなり良かったけど、当時の人々の感覚からすると、それはとても大きな変化だった。多くの人たちは、メイデンがメイデンであることを評価していたけど、だからといって他のすべてがメイデンのようである必要はない。この15年で本当に変わった。より多くの人たちが、音楽に関してより既成概念にとらわれない考え方をするようになった。まあだから、一方で彼らは物事にうるさく、プレイリストを作り、アルバム全体を聴くことはめったにない。このアルバムがその例外になることを願っているんだ」
Rob Halford の FIGHT と、SKUNKWORKS はほぼ同時期に行われたメタルの異端審問会でした。
「結局みんな同じ穴のムジナなんだ。Rob は FIGHT をやったし、俺は SKUNKWORKS をやった。どちらもクールなプロジェクトだった。どちらもうまくいかなかったけど、クールなものがあった。つまり、SKUNKWORKS でたくさんのことを学んだし、それは自分でやってみて見つけるしかない。歌詞の書き方の違い、歌のアプローチの違い。邪悪で、グランジで、メタルの終焉だ!なんて言われたけどね。頼むから消えてくれ!これは音楽だ!SKUNKWORKSの後、俺はとても落ち込んでいた。もう消えてあきらめようかと思った。棚を積み上げる仕事に就くとか、民間航空会社のパイロットになるとか、本気で考えていた。自分には、誰も興味を持ってくれるような何かが残っているのかどうか、わからなかったんだ。そこに Roy が現れた」

IRON MAIDEN の作品とは異なり、Bruce Dickinson のソロ・アルバムでは、エンニオ・モリコーネを呼び起こしたり、ボンゴを叩きまくったり、ベートーヴェンにインスパイアされた10分に及ぶアンビエント曲を聴くことができます。Bruce の違った一面を垣間見る喜びは、メイデンのギグでアドレナリンがほとばしるのとは違う、より繊細で複雑なもの。つまり “ポリマス” なアルバム。
「”Sonata (Immortal Beloved)” はもう25年も前の曲だ。ゲイリー・オールドマンがベートーヴェンを演じた “Immortal Beloved” を観た後、Roy は映画から遅く帰ってきて、この10分のアンビエント・サウンドトラックを作ったんだ。ギターとシンセのベッドにドラムマシンが入っていて、大きなドラムフィルも何もなく、ドラムマシンだけが変化する。”眠れる森の美女” のひねったバージョンなんだ。王女ではなく、女王が登場する。ちょっと待てよ、”Taking The Queen” (1997年の “Accident Of Birth” 収録)の女王じゃないかと思ったんだ。”Taking The Queen” で女王は死んだ。今、彼女は死んでいて、従者たちがまだ彼女の周りにいて、彼女を見ている。そして暗い森から王がやってくる。王だ。王が暗い森から出てくる。なぜ?彼女を愛しているから?ああ、そうかもしれないが、それ以上に、彼は彼女が必要なのだ。彼女がいなければ、彼はもう王ではないからだ。その話はすぐに思いついた。楽曲の話し言葉はすべてその場で作られたもので、オリジナルのパフォーマンスなんだよ。
あまりに違う曲だったから、どうしたらいいかわからなかったんだ。そしてついに、妻が車の中で聴いていたんだ。彼女は “最高に美しいわ” と言った。彼女は泣きそうになって、とても感動し、”アルバムに収録されなかったら離婚する” って言うんだ。だからアルバムに入れたんだ。
“Fingers In The Wounds” を作ったとき、Mistheria がキーボードを送ってきてくれて、すべてが変わった。大きくて瑞々しいキーボードの曲から、まばらなキーボード、ビッグなロックのコーラス、そしてモロッコに入り、カシミールかどこかに行く。モロッコじゃないのは明らかだけど、ツェッペリンの影響という意味では “Kasymir” だね。何かリズミカルで奇妙で、完全にレフトフィールドだった。アルバムの中にもそういう瞬間がいくつかある。
“Resurrection Men” は Roy に言ったんだ。”スパゲッティ・ウエスタンから飛び出してきたようなギターのイントロにしたい” って。サーフ・ギターみたいな感じで。それができた途端、”自分たちがクエンティン・タランティーノだと想像してみよう。クエンティン・タランティーノなら次に何をするだろうか?答え:ボンゴ。ボンゴに決まってる!” というわけで、ボンゴの演奏デビューした。テクニックがないから凄く痛かったよ。
“Eternity Has Failed” もそう。本当は、エンニオ・モリコーネのような雰囲気のある本物のマリアッチ・トランペットが欲しかったんだ。シェイカーとガラガラヘビをバックにね。マリアッチ・トランペットを手に入れるところまではいかなかったが、ロイはフルートで同等のことをするペルー人のフルート奏者を見つけたんだ」

The Mandrake Project にとって、”旅” いう言葉は重要です。このアルバムは物語の円環。ネクロポリス博士やラザロ教授のような彼自身が創作したキャラクターや、怪しげな悪役プロジェクトの卑劣な所業が詳細に描かれた、ねじれたオカルトとSFの融合したストーリー。
「コミックとメタルが関係あるべきものであることは、以前から明白だった」
ただし、この世界観はオーディオだけにとどまりません。The Mandrake Project は音楽以上のもの。3年にわたる創作活動で、12冊のコミックに渡って物語を広げています。Bruce は、IRON MAIDEN が同名のビデオゲームと連動してリリースしたコミック “レガシー・オブ・ザ・ビースト” には少し失望したと認めています。
「グラフィックは素晴らしかったけど、そこに本当のストーリーはなかった。でも、そのとき思ったんだ。俺がアルバムを作ったら、アルバムと一緒にコミックも作れるかもしれない。よし、じゃあストーリーを考えよう……」。
IRON MAIDEN の “The Writing On The Wall” の壮大なバイカー・ビデオで初めて絵コンテに挑戦した Bruce は、次のステップに進み、音楽とは別の才能を具体的で大きなものにできたのです。
The Mandrake Project のコミックは、ブラジルのサンパウロで開催されたCCXPコミック・コンベンションで発表されました。このサーガは、薬物を摂取し、オカルトに取り憑かれ、入れ墨をした20代の科学者、ネクロポリス博士を中心に展開します。ネクロポリス博士は、極秘プロジェクト Mandrake で、瀕死の金持ちから魂を採取し、新しい健康な肉体に戻すまで保存しようと試みます。
Bruce はコミコンの主賓として、リード・シングル “Afterglow Of Ragnarok” の長編ビデオを満員の観衆の前で初公開します。ラグナロクとは本来、北欧神話の数々の戦い、自然災害、そしてオーディン、ソー、ロキといった神々の死による世界の終焉のこと。しかし、Bruce が興味を持ったのは、凍てつくようなハルマゲドンではなく、浄化と贖罪の物語で、”太陽が再び昇る” その後に起こることでした。
「この世の終わりではなく、ただ今の世の終わりなだけなんだ。ラグナロクの物語でさえ、”よし、世界は滅び、ビフレストは消え、神々と人間の結びつきは砕け散り、世界の終わり、大洪水……さあ次を始めよう” という楽観主義を持っているんだよ」

これまでに存在したあらゆる常識の破壊は曲作りのための肥沃な土台。The Mandrake Project は、鮮やかで絶えることのない想像力から生まれた、さらなる物語や情景で溢れています。例えば、”Many Doors To Hell” は、ただ死にたいと願う女性ヴァンパイアの話。
「何が何でも人間に戻りたい。どうでもいい、永遠に生きたくない、こんなクソみたいなことはもうたくさんだ。永遠の命がありながら、永遠の死もある。何世紀も生きるより、現実に生きる方がいい」
“Rain On The Graves” は、ブルースが死者と一緒に過ごした経験から生まれた曲です。
「この曲、あるいはその一部を書いたのは墓場だった。湖水地方にあるワーズワースの墓の前に立っていたんだ。教会のそばに立っていて、そこに彼の墓があったんだけど、霧雨が降っていて、灰色だった。墓の上に雨が降っていたんだ。これが何なのかわからないけど、これは一瞬の出来事で、続きを書いたら何なのかわかるだろう…って思ったんだ。
それがたぶん2008年かそのくらいのことだった。引き出しの中に、歌詞の断片や、いつかは表に出てくるようなものばかりが散らばっていたんだ。墓場で悪魔に出会った男の話なんだけど、悪魔が “何のためにここにいるんだ” と言うんだ。なぜ俺たちは墓地に入るのか?何を探しているのか?墓地には死人がたくさんいるのに!でも、俺たちは墓地に入ることで、何か不気味なものを感じたり、インスピレーションを得たりすることがあるんだよ」
詩人ワーズワースの墓を訪ねたとき、何を探していたのでしょう?
「わからない。あれだけ伝説的な存在でありながら、ただ土の中に埋もれていることについて、ある種のメランコリーを感じたんだ。あれほど素晴らしい詩を作った人が、今はただの四角い岩になっているのは皮肉なものだ。そして、俺はそれを物語に変えていくことにした。俺と悪魔の会話から、とてもクールな言葉が生まれたんだ。その中に “祭壇や司祭ではなく、詩人の前にひざまずく” というセリフがあるんだけど、これは俺のことなんだよ!俺は墓石からインスピレーションを得ようとしているんだ。それがアーティストのすることだ。アーティストはすべてから盗み、あらゆるところからインスピレーションを得る。それが見つからなければ、墓地に座って誰かの死霊を借りればいい(笑)」
死、神々、死後の世界、そして究極の終末への言及は、レコードのあちこちに散りばめられています。”Resurrection Men” は、その解決策を提示します。世界中のハイテク億万長者たちが、飢えた人々や病人、ホームレスを助ける代わりに、永遠の命にお金を浪費する話。
「この歌は人間の魂を取り出し、それを保存することについて歌っている。死ぬ瞬間にスラブの上にいなければ手遅れだ。それは一瞬のことであり、魂を収穫するためにはそこにいなければならない。もちろん、永遠に生きるというアイデアには、人々は大金を払うだろう」

死といえば、1994年12月14日、Bruce は人生で最も危険なライブを行いました。ボスニア・ヘルツェゴビナ独立直後の首都サラエボは、1992年2月にセルビア軍に包囲されていました。それは4年近く続く戦争で、第二次世界大戦の悪名高いスターリングラード包囲戦よりも3年長く、約14,000人(その多くは民間人)の死者を出した地獄、ジェノサイド。
こうした状況の中、文字通り地球上から街を消し去ろうとする殺戮者によって砲撃されている街で、Bruce は街の中心部にある小さな会場のステージに立ち、4つの不滅の言葉を叫びました。”Scream For Me, Sarajevo!” “俺のために叫べ、サラエボ!”。
それから30年経った今でも、Bruce はあの夜の反応に驚かされ続けています。
「すべてサラエボの人々のためだったんだ。俺がいたのは数日間だった。でも、あのギグでのリアクションは他に類を見ないものだった」
Bruce は知りませんでしたが、そのライブはファンによって撮影されており、さらに驚いたことに、その場にいたファンたちは、それから数年後、そのライヴと、その場にいた人々を記録した映画 “Scream For Me Sarajevo” の制作に取りかかったのです。この映画は、音楽がどんなに耐え難い状況にも入り込み、力を与えることができることを証明しました。
「それから俺の人生は変わった。テレビのニュースを見て、今も同じような境遇にいる人たちを見て、俺も同じような境遇にいたことがある。わかるよって思うね」
それは Bruce の人生を変えることになったギグとなりましたが、それでも彼の人生における膨大なギグのうちの一つに過ぎません。彼はこの40年間、文字通り何千ものギグ、途方もない旅、歴史を刻んできました。そう、Bruce が愛してやまない “歴史”を。

Bruce が15歳か16歳の頃、彼の関心は演劇に向けられていました。そのため、彼はこの芸術についてもう少し学ぼうと、学校のアマチュア劇作家協会に入ることにしたのです。そこで彼は、文学、歴史、政治、普遍哲学など、さまざまな知識で心を育て始めます。その後、Bruce はロンドン大学のクイーン・メアリー校とウェストフィールド・カレッジで古代史を学び始めました。
ここで彼は、大学レベルの古代史教授としての学位を得ます。しかし、ロンドン大学が伝説の Bruce Dickinson の人生に加えたものはこれだけではありません。。2011年7月19日、同大学の教育機関は彼に名誉音楽博士号を授与します。この名誉称号は、メイデンのヴォーカリストが長い時間をかけて世界に与えてきたすべての音楽と作曲に対する報酬の象徴。そうして Bruce はその報酬を、再度世界へと還元していきます。
2016年、英仏海峡に浮かぶジャージー島という島の海岸でカメの群れが座礁。生き残ったのはたった1匹。推定年齢6〜8歳のその個体は、傷を負い、漁網に絡まり、危険な低体温症の症状を示していた。
地元住民が発見した後、動物病院に移されたこのカメは親しみを込めて “テリー” と名付けられ、その物語は英国で大きな注目を集めました。テリーの回復と海への帰還のための資金を集めるキャンペーンが開始され、約8000ユーロが集まります。
テリーの状況を知り、登場したのが Bruce Dickinson。パイロットの知識を生かし、ブルースはテリーをジャージーからグラン・カナリア島まで自家用機で運び、すべての費用を負担すると申し出たのです。
スペインに到着後、カメは経験豊富な専門家から1カ月以上にわたって治療とケアを受け、その後、テリーは旅を追跡するGPS装置とともに海に戻されました。この出来事はBBCでも放送され、テリーは Bruce の支援のおかげで自然の生息地に戻り、人類は地球上の他の種に対する思いやりと誠意を示すことができたのです。

Bruce は自らもサバイバーです。喉頭癌からの生還の後、この2年間で Bruce はアキレス腱を断裂し、2度の人工股関節置換術を受けています。65歳になった今、Bruce は、あと50年現役を続けるためにさらなるお金を払うのでしょうか?
「いいコンディションでいられるのなら、そうしたいね。俺たちは皆、本来想定されていたよりもずっと長生きしているし、活動時間も長くなっている。医療技術のおかげで俺は生きている。昔は癌と診断されれば、基本的に死の宣告だったが、今はそうではない。俺の腰は両方ともすり減ったが、今は新しいものを使っている。テクノロジーは、俺たちがより長く、より効果的に生きられるよう、さまざまな点で進歩している。それは素晴らしいことだ」
そもそも Bruce には、時間がいくらあっても足りないでしょう。先に挙げた副業以外でも、Bruce は人生の大半をフェンシングにも捧げていて、1987年には英国ランキング7位となり、ナショナルチームのメンバーにもなりました。昨年、彼は英国フェンシング・ベテランズの正式メンバーとなっています。一方で、1年のうち何カ月もステージを何時間も飛び回り、アンデッドの巨人と戦い、火炎放射器を振り回す65歳は、驚異的です。
「フェンシングの好きなところは、スキーのような他のスポーツと同じで、そこだけに集中できるところなんだ。逃避するには最高の方法だよ。ボクシングのようなものだが、脳へのダメージはない。ボクシングは好きだけど、頭を殴られるのは好きじゃないんだ」
フェンシングと音楽の取り組み方を Bruce はほとんど正反対だと説明します。
「フェンシングをしているときは、よりコントロールし、分析的になろうとするんだ。でもソロアルバムではもっとクリエイティブだ。コントロールと分析には Roy がいるし、そのためにプロデューサーがいる。だから歌の仕事をしているときは、本能に頼っているし、いい意味でうまくいかないことも恐れない。ハッピーアクシデント。このアルバムには、そういう瞬間がたくさんある。最後の曲 “Sonata(Immortal Beloved)” のように、ボーカルの90パーセントは無意識の流れだった。ワン・テイクでね。
そういう魔法みたいなものがあるときは、いじっちゃいけない。ミスがあったとしても、それはミスじゃない。極端な話、曲の生命をすべてコントロールしようとする人もいる。技術的な理由で、彼らの目には以前より完璧になったように見えても、生命はすべて消えてしまっている。誰かがピカソを見て、”バカバカしい、人間はあんな形じゃない!”と言うのと同じだ。的外れだよ」

純粋なイマジネーションに浸れるアルバムで、本能の赴くままに行動し、幻想的な世界とつながるアルバムの中の異端児。”Face In The Mirror” という曲は、壮大なイメージとは関係なく、アルコール依存症というタブー視されがちなテーマと、それが個人とその周囲の人々にもたらす荒廃を提起しています。
「この曲は、アルコール中毒者をたくさん知っていることから生まれたんだ。俺は自分自身に多くの質問を投げかけていた。俺は酒を飲むけど、一般の人とアル中の境界線はどこにあるのだろう?酒に溺れた人間には、時に偉大で深遠な真実を語る奇妙で危険な知恵がある。
鏡を見て、自分自身を見て、あれは誰?でもそれは、公園でスペシャル・ブリューの缶を持って座っている男を見下す人々の偽善でもある。人々は “ああ…彼は弱すぎる” と言う。弱すぎるって?彼の人生を知らないくせに。この男はすごい作家だったかもしれないし、投資銀行家だったかもしれないし、戦争の英雄だったかもしれない。世間は批判的なことばかり言う。そんなこと言わなくても、わかっているんだ」
自伝の制作と、”An Evening With Bruce Dickinson” という自らの半生を語るライブも行いました。
「自伝から始めたんだ。するとみんなが俺に自伝のストーリーを読みきかせてほしいと言ったんだ。自伝を読むのは誰にでもできる。もう少し構成があるはずだし、Q&Aみたいにすることもできる。
率直に言って、手探りでやったんだけど、うまくいったから、それが今の一人芝居の骨格になったんだ。生まれたときから、ガンにかかったり、シエラレオネで傭兵と漁に出たり、道に迷ってあれこれ逮捕されたり、ドラッグを初めて経験したり、イギリスの寄宿学校に通ったり、初めて歌を習ったり、そんな俺の人生を描いたものなんだ。音楽的な内容もあるけれど、基本的には、誰も聞いたことがないような町から来た背が低い子供が、世界最大のロックバンドでとんでもないズボンを履くことになるまでを描いている。
IRON MAIDEN を知っている人も知らない人も、ファンでも何でもないかもしれないけど、俺にとってのリトマス試験紙は、何も知らない人が入ってきて、終わった後に気分が良くなって帰っていくことなんだ。それがショーの後に感じてもらいたいことなんだ」

60年半の間に誰よりも多くのことを成し遂げてきた Bruce は、ようやく人生と遺産について考える時間を持ったようです。彼は鏡を見て何を思うのでしょうか?
「自分が期待しているのと同じくらいの年齢の顔を見たいものだ (笑)。ああ、神様、お願いだから、目の下の袋と皺をなくしてくれないかな って感じで鏡を見るんだ。同年代の人たちほどではないかもしれないけど、それでも俺の顔には生活感がある。でも、結構満足しているよ。物事はうまくいっている。他の選択肢を選ぶよりはいい。
この数年で、たくさんのことを学んだ。好奇心が尽きないということは、自分自身について知らなかったことを知ることができるということだ。自分でも気づかなかった能力があることに気づくんだ。若すぎて、忙しすぎて、テストステロンでいっぱいで、走り回っていたから、完全に無視していた人生の他の塊があることに気づかなかったのかもしれない。このアルバムはその一部なんだ」
音楽以外では、パイロット、航空会社の機長、航空起業家、ビール醸造家、やる気を起こさせる講演者、ポッドキャスター、映画脚本家、小説家、ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラー作家、ラジオ司会者、テレビ俳優、スポーツコメンテーター、国際的なフェンシング選手など、挙げればきりがない才能の数々で、Bruce が最も誇りに思う業績は何でしょうか?
「そうだね、これらのことはすべて、自分が実際にできるかどうかを確かめたかったからやったことなんだ。ずっと飛行機を飛ばしたいと思っていたけど、学生時代は数学が大の苦手だったから無理だと思った。文字通り、”このボタンは何をするものなんだろう” という気持ちで始めて、そのうち自分にもできるかなと思った。フェンシングも同じようなもので、学校では唯一、一貫して得意なスポーツだったんだけど、他のみんなは俺よりずっと体格が良くて、ラグビーをやっていたら座られてしまいそうだったから、フェンシングは俺にもできることだったんだ。だからきっと誰もがフェンシング選手になれるし、誰もが航空会社のパイロットになれる。
それが面白さであり、俺にとっては、そういった特殊な道や職業、そういったものに対する興味深い見方を提供してくれる。俺の人生で唯一まともな仕事は、航空会社のパイロットだった。17年間出勤し、スマートな格好をし、テストやチェックを受け、その他もろもろをこなさなければならなかった。自然に身につくものでもないし、俺は経験を大いに信じている。できないと思っていることが何であれ、まずはやってみることが大事なんだ」
そして現在はコミック作家まで多彩な経歴とポリマスの才能を持つ Bruce は、それでも自身にとって音楽は特別だと信じています。
「時折、音楽が競技スポーツのように感じられることもある。だけど音楽は愛と喜びについてのもので、さまざまなアプローチ方法がある。時には競技であったこともあるけれど、現実にはそういうことではないんだ。この年のこの日に、俺たちがこのバンドや他のバンドよりチケットが売れたなんて誰も覚えていない。愛と喜びが唯一重要なことで、音楽すべてにおいて唯一実在すること。それがこの仕事を続ける原動力なんだ。このソロアルバムは、俺にとって本当に特別なもの。この “旅” を楽しもうじゃないか」


参考文献: KERRANG!:Bruce Dickinson: “We’re all living longer and more effective lives, which is great – as long as you do something with it”

STEREOGUM:We’ve Got A File On You: Iron Maiden’s Bruce Dickinson

METALHEAD COMMUNITY:10 Reasons Why Bruce Dickinson of Iron Maiden is a Great Man

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【FRIKO : WHERE WE’VE BEEN, WHERE WE GO FROM HERE】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH FRIKO !!

“I Personally Am Obsessed With Whatever That Magic Is That Makes Records “Classic”. So I Spent a Lot Of Time Over The Past Few Years Listening To All These Records That We Give This Honor And Taking In What They Had To Say.”

DISC REVIEW “Where we’ve been, where we go from here”

「レコードを “クラシック” にする魔法、それが何であれ、それに取り憑かれている。だから、ここ数年、僕たちはそうした “名盤” だと思えるレコードを聴き、そのレコードが語っていることを受け止めることに多くの時間を費やしてきた。僕にとって、これらの “名盤” たちに共通しているのは、彼らが何かを語っているということ。それが言葉であれ音楽的なものであれ、そこには目に見える即効性があった。”Pet Sounds” における即効性は、”OK Computer” における即効性とはまったく違うけれど、それでも僕の中では同じカテゴリーのものなんだ」
“friko4u”。みんなのためのFRIKO。それはシカゴのインディー・ロック・シーン、HalloGallo 集団から登場し、瞬く間に世界を席巻した FRIKO のインスタグラムにおけるハンドル・ネーム。FRIKO が何者であろうと、彼らの音楽は世界中から聴かれるために、つまり音楽ファンの喜びのために作られているのです。
そのために、FRIKO のフロントマン Niko Kapetan とドラマー Bailey Minzenberger は、THE BEACH BOYS から RADIOHEAD まで、自らが名盤と信じる作品を解析し、”目に見える即効性” という共通点へとたどりつきました。カラフルであろうと、難解であろうと、先鋭であろうと、名盤には必ずある種の即効性が存在する。そうして彼らは、その信念を自らのデビュー・フル “Where we’ve been, where we go from here” へと封じ込めました。
「シカゴのシーンがとにかくフレンドリーであるところだと思う。たとえば他の3つのバンドと一緒にライブをすると、みんなお互いのセットに残って見てくれる。みんなコラボレーションしたり、他のバンドで演奏したりする。シカゴは、LAやニューヨークのような他のアメリカの主要都市と違って、20代から30代前半の人たちが手頃な家賃で住めるということもあると思う。だから、ここでの生活をエキサイティングなものにしようとする若者がたくさんいるんだよ」
アルバムに込められた想い。それは、”私たちがいた場所、そしてここから進む場所”。シカゴのインディー・シーンは決してLAやNYCのように巨大ではありませんが、それを補ってありあまるほどのエナジーと優しさがありました。競争ではなく共闘。その寛容さが彼らを世界規模のバンドへと押し上げました。DINASOUR JR? ARCADE FIRE? THE CURE? レナード・コーエン?ショパンにワグナー?!比較されてもかまわない。彼らは “名盤” のタイムマシンでただ世界を笑顔にしたいだけなのです。
FRIKO のオフィシャル・サイトの URL は “whoisfriko.com”。そこには ARCTIC MONKEYS が2006年に発表したEP “Who the Fuck Are Arctic Monkeys” を彷彿とさせる不敵さがあります。きっとFRIKO って誰?の裏側には、誰だって構わない、私たちは私たちだという強い信念が存在するはずです。
「SQUID, BLACK MIDI, BLACK COUNTRY, NEW ROAD の大ファンなんだ。彼らは、私たちよりもっとヴィルトゥオーゾ的なミュージシャンだと思うし、だから技術的なレベルでは太刀打ちできないから、エモーショナルでタイトなソングライティングの面でアクセントをつけようとしているんだ (笑)。でも、そうした新しいエネルギーが再びロック・ミュージックに戻ってきているのを見るのは素晴らしいことだし、若い人たちにとってはエキサイティングなことだと思う」
そうして FRIKO は、ポスト・ロックやプログまで抱きしめた新たな英国ポスト・パンクの波とも共闘します。いや、それ以上に彼らの寛容さこそが、長年すれ違い続けたアメリカと英国のロックの架け橋なのかもしれません。なぜなら、そこには David Bowie や QUEEN、そして THE BEATLES の魂までもが息づいているのですから。FRIKO は誰?その質問にはこう答えるしかありません。大西洋を音楽でつなぐエキサイティングな時計の “振り子” だと。
今回弊誌では、FRIKO にインタビューを行うことができました。「僕は宮崎駿の映画で育った。ジブリ映画は、僕が書く音楽に、音楽以外のどの作品よりも影響を与えている。宮崎駿には、世界中の人々に通じる特別な何かがあるんだ」 どうぞ!!

FRIKO “WHERE WE’VE BEEN, WHERE WE GO FROM HERE” : 10/10

INTERVIEW WITH FRIKO

Q1: First, can you tell us what kind of music you guys grew up listening to?

【NIKO】: I grew up listening to a lot of my dads favorite bands, like The Cure, The Smiths, Led Zeppelin, Yes. My mom loved 70s soft rock so I also heard a lot of Hall and Oates and Fleetwood Mac. The biggest for me though is probably when my parents took me to see LOVE in Las Vegas (A Beatles centered play/musical) when I was 8 and I immediately fell in love with the Beatles and pretty much only listened to them from 8-12 years old.

【BAILEY】: Growing up, my dad would play a lot of music for my sister and I. My dad is a great musician and he would practice classical guitar around the house. He introduced me to Alan Holdsworth, John Abercrombie, Pat Metheny, and other great guitar players. He also used to burn CD’s for my sister and I; a song that I rediscovered recently from one of these CD’s is “Let Go” by Frou Frou.

Q1: まず、お二人がどんな音楽を聴いて育ったのか教えてください。

【NIKO】: 父が好きだったバンド、例えば THE CURE, THE SMITHS, LED ZEPPELIN, YES などを聴いて育ったね。母は70年代のソフト・ロックが好きだったので、HALL & OATES や FLEETWOOD MAC もよく聴いていた。8歳のときに両親に連れられてラスベガスの “LOVE”(ビートルズを中心とした演劇/ミュージカル)を観に行って、すぐに THE BEATLES が大好きになり、8歳から12歳までは彼らしか聴かなくなったんだ。

【BAILEY】: 父は偉大なミュージシャンで、家の中でいつもクラシック・ギターの練習をしていたわ。Allan Holdsworth, John Abercrombie, Pat Metheny、その他の偉大なギタリストを紹介してくれたんだ。彼はまた、私と妹のためによくCDを焼いてくれた。最近、このCDの中から再発見した曲は、Frou Frou の “Let Go” だよ。

Q2: How did you two meet and how was Friko born? What’s the meaning behind your band name Friko?

【NIKO】: Me and Bailey went to the same high school, and actually sat next to each other in a class, but never talked until after high school. Bailey and Jack (the engineer for the record) asked me to play bass in their band, and after my high school band broke up I asked Bailey to join what would become Friko. I knew Bailey was an amazing drummer ‘cause I’d see them playing with our high school band all the time haha.

Q2: では、お二人の出会いについて、お話ししていただけますか?

【NIKO】: 僕と Bailey は同じ高校に通っていて、実際にクラスで隣の席になったんだけど、高校を卒業するまで話したことはなかった。でも、Bailey と Jack (レコードのエンジニア)が、彼らのバンドでベースを弾いてみないかと誘ってくれた。そうして僕の高校のバンドが解散した後、僕は Bailey に一緒にやろうと誘ったんだ。彼女が素晴らしいドラマーだということは、高校のバンドで演奏しているのをいつも見ていたから知っていたんだ。それが FRIKO になったんだよ。

Q3: There are some great bands coming out of the Chicago indie rock scene, the Hallogallo collective right now, and you guys are probably part of it. What is it about Chicago that nurtures talent like yours?

【FRIKO】: Yes! So many good Chicago band within that group of folks and outside of it like Horsegirl, Lifeguard, sharp pins, Finom, Chaepter, Sick Day, VV Lightbody (I could go on)
But I think what nurtures that is how friendly the scene is in Chicago. You’ll play a show with three other bands and everyone will stay for each others sets. Everyone collaborates too or plays in each others bands. I think it also comes down to the fact that Chicago, unlike other major US cities like LA and New York, has affordable rent for people in their 20’s and early 30’s. So there’s a lot of young people trying to make life here exciting.

Q3: シカゴのインディー・ロック・シーン、Hallogallo集団から素晴らしいバンドが生まれています。あなたたちもその一員でしょう。シカゴの何があなたたちのような才能を育てるのでしょうか?

【FRIKO】: そうだね!Horsegirl, Lifeguard, sharp pins, Finom, Chaepter, Sick Day, VV Lightbody など、そのグループ内にも外にもシカゴの良いバンドがたくさんいる。
それを育んでいるのは、シカゴのシーンがとにかくフレンドリーであるところだと思う。たとえば他の3つのバンドと一緒にライブをすると、みんなお互いのセットに残って見てくれる。みんなコラボレーションしたり、他のバンドで演奏したりする。シカゴは、LAやニューヨークのような他のアメリカの主要都市と違って、20代から30代前半の人たちが手頃な家賃で住めるということもあると思う。だから、ここでの生活をエキサイティングなものにしようとする若者がたくさんいるんだよ。

Q4: That’s what’s really great about you guys, you’re bridging eras that are relevant to everything from The Beach Boys to Radiohead, Dinasour Jr, Arcade Fire. Do you consciously try to make music that is “like a time machine”?

【NIKO】: I personally am obsessed with whatever that magic is that makes records “classic”. So I spent a lot of time over the past few years listening to all these records that we give this honor and taking in what they had to say. And for me what all these “classic” albums have in common is they just had something to say. Whether that is verbally or musically, there was something urgent in the music that was tangible. And that urgency in Pet Sounds is totally different than the urgency in OK Computer, but it’s still the same thing in my mind.

Q4: あなたたちが本当に素晴らしいのは、THE BEACH BOYS から RADIOHEAD, DINASOUR JR, ARCADE FIRE に至るまで、すべての時代を音楽で橋渡ししていることです。意識的に “タイムマシンのような” 音楽を作ろうとしているのですか?

【NIKO】: 個人的には、レコードを “クラシック” にする魔法、それが何であれ、それに取り憑かれている。だから、ここ数年、僕たちはそうした “クラシック” だと思えるレコードを聴き、そのレコードが語っていることを受け止めることに多くの時間を費やしてきた。
僕にとって、これらの “名盤” たちに共通しているのは、彼らが何かを語っているということ。それが言葉であれ音楽的なものであれ、そこには目に見える即効性があった。”Pet Sounds” における即効性は、”OK Computer” における即効性とはまったく違うけれど、それでも僕の中では同じカテゴリーのものなんだ。

Q5: More to the point, you guys have a very British flavor despite being an American band, don’t you? I have never heard an album that comes so close to The Beach Boys’ masterpiece “Pet Sounds,” which I love, and your music has the taste of the artists who once carried England on their shoulders, such as David Bowie, Elton John, and Queen, would you agree?

【NIKO】: I grew up listening almost entirely to British music. Bands like The Cure, The Smiths, Queen, Bowie etc. We’re all so essential to my childhood that I think I took that in very subconsciously. The British brought that emotion to rock music and that’s why I think there’s been so much passing between the US and UK in music over the past 5 or 6 decades.

Q5: もっと言えば、あなたたちはアメリカのバンドでありながら、とてもイギリス的なテイストを持っていますよね? THE BEACH BOYS の名作 “Pet Sounds” にこれほど接近したアルバムを聴いたことがありませんよ。他にも、David Bowie, Elton John, QUEEN など、かつて英国を背負っていたアーティストのテイストが、あなた方の音楽にはあると思います。

【NIKO】: 僕はほとんどイギリスの音楽を聴いて育ったからね。THE CURE, THE SMITHS, QUEEN, David Bowie みたいな音楽をね。みんな僕の子供時代に欠かせない存在だから、無意識のうちにそれを取り込んでいたんだと思う。イギリス人はロック・ミュージックにそのエモーションをもたらしてくれたし、だからこそ過去5、60年の間に、音楽におけるアメリカとイギリスのすれ違いはとても多かったんだと思う。

Q6: Speaking of the UK, a new wave of post-punk that embraces prog and even post-rock, such as Squid and Black Midi, is gaining great popularity. Are you inspired by them?

【FRIKO】: We’re big fans for sure of both of those bands and BCNR. I think we consider them to be much more virtuosic musicians and that’s why we try to accent the emotional and tight-nit songwriting side of our music since we can’t compete on a technical level haha.
But it’s great seeing all this new energy being brought back into rock music again, I think it’s exciting for young people. We really want to find more Japanese bands though so please send us reccomendatuons if you have!

Q6: 英国といえば、プログやポスト・ロックさえも取り込んだポスト・パンクのニュー・ウェーブ、SQUID や BLACK MIDI が今人気を博しています。彼らからもインスピレーションを得ていますか?

【FRIKO】: 私たちは、その2バンドと BLACK COUNTRY, NEW ROAD の大ファンなんだ。彼らは、私たちよりもっとヴィルトゥオーゾ的なミュージシャンだと思うし、だから技術的なレベルでは太刀打ちできないから、エモーショナルでタイトなソングライティングの面でアクセントをつけようとしているんだ (笑)。
でも、そうした新しいエネルギーが再びロック・ミュージックに戻ってきているのを見るのは素晴らしいことだし、若い人たちにとってはエキサイティングなことだと思う。私たちはもっと日本の新しいバンドを見つけたいと思っているから、もしオススメがあるならぜひ推薦状を送ってほしい!

Q7: Why did you decide on the album title “Where we’ve been, where we go from here”?

【FRIKO】: The title came straight from that same lyric in the song “Where we’ve been”. That was the one song on the album that came to me in one sitting and it was pretty much done in a couple hours. Because of that, it has this magic for us, and that title just describes the process of making this album in that it encapsulates our friendships, living together, and making music for the past three years.

Q7: アルバムタイトルを “Where we’ve been, where we go from here” としたのはなぜですか?

【FRIKO】: タイトルは、”Where we’ve been” という曲の中の同じ歌詞から取ったんだ。この曲はアルバムの中で速攻で思いついた曲で、2、3時間でできたんだ。そのおかげで、この曲には私たちにとっての魔法がかかっているし、このタイトルは、この3年間のバンドの友情、共同生活、そして音楽制作のプロセスを表しているんだ。

Q8: As we enter the 2020s, the world is being overshadowed by increasingly dark shadows of war, pandemics, division, and oppression. Your music seems to be a relief for those who feel the pain in such a world, world you agree?

【FRIKO】: I mean we would love for that to be the case! It feels like the least we can do to contribute to helping others. We want to do more and more active work in that realm of things as we gain traction too because we think being an artist in this day and age should go hand in hand with philanthropy. In fact it HAS to. So once we gain our footing in the sense of making a living wage off of music we want to dive into that headfirst.

Q8: 2020年代に入り、戦争、パンデミック、分裂、抑圧など、世界はますます暗い影に覆われています。FRIKO の音楽は、そうした世界で痛みを感じている人々の救いになれるような気がします。

【FRIKO】: そうであってほしいよね!人を助けることが、私たちにできるせめてもの世界に対する貢献だと感じているよ。私たちも牽引力を得ながら、そうした領域でもっともっと積極的な仕事をしていきたい。今の時代、アーティストであることはフィランソロピー、慈善、奉仕、利他的活動と手を取り合うべきだと思うから。実際、そうしなければならないんだ。だから、音楽で生計を立てるという意味で足場を固めたら、真っ先にそこに飛び込みたいんだよ。

Q9: Are you interested in Japanese subcultures such as anime, games, music, or traditional culture?

【NIKO】: I’m just about to be finished with FullMetal Alchemist and it’s quickly become my favorite TV series of all time. It was my first foray into anime TV shows, but now I’m gonna be digging muchhh deeper.
I also grew up on the Hayao Miyazaki movies. Those movies have influenced the music I write more than any other non musical piece of art. He’s got something very very special that can get through to people all over the world.
Also I loveee Hiroshi Yoshimura, and every artist on the Kankyo Ongaku compilation LP. Japan no doubt has the best ambient music.

【BAILEY】: I stumbled upon Chihei Hatakeyama a year or so ago and love his album ‘A Long Journey’ from 2010.

【DAVID (New Bassist)】: I’d say generally speaking most of my favorite media comes from Japan, and that’s been the case since I was very young. A ton of my favorite music ever comes from Japan ― Haruomi Hosono is a huge influence on how I play bass, as Happy End is one of my very favorite bands. Outside of that, I’ve spent an embarrassing amount of money on older Japanese records by Anri, Tatsuro Yamashita, Ryuichi Sakamoto, and so many more people I’d call my personal heroes. I play so much Japanese music in the van while we’re on the road, it’s a huge part of my musical DNA.
I would also argue I’m the biggest gamer in the band (and I’m sure I’ll get challenged on that). I play a ton of JRPG’s, my favorite games of all time are Persona 5 and Chrono Trigger. I just beat Like a Dragon 7, and am currently in the very beginning of Persona 3 Reload! Some of my other favorite games are Metal Gear Solid (2 is my favorite) and Silent Hill 2

Q9: 最後に、アニメ、ゲーム、音楽、伝統文化など、日本のサブカルチャーに興味がありますか?

【NIKO】: “鋼の錬金術師” はもうすぐ見終わるところなんだけど、今までのテレビ・シリーズで一番好きな作品になったよ。これは僕が初めてハマったテレビ・アニメ作品なんだけど、これからはもっと深く掘り下げていきたいと思っている。
僕は宮崎駿の映画で育った。ジブリ映画は僕が書く音楽に、音楽以外のどの作品よりも影響を与えている。宮崎駿には、世界中の人々に通じる特別な何かがあるんだ。
また、吉村弘や環境音楽のコンピレーションLPに収録されているすべてのアーティストも大好きだ。日本には間違いなく最高のアンビエント・ミュージックがあるね。

【BAILEY】: 1年ほど前に偶然見つけた畠山地平の2010年のアルバム “A Long Journey” が大好きなの。

【DAVID (新ベーシスト)】: 一般的に言って、僕の好きなメディアのほとんどは日本から発信されている。はっぴいえんどは大好きなバンドのひとつだし、細野晴臣は僕のベースプレイに大きな影響を与えている。それ以外では、杏里、山下達郎、坂本龍一など、個人的なヒーローと呼べる人たちの古い日本のレコードに、恥ずかしいくらいお金を費やしてきた。移動中はバンの中で日本の音楽をたくさんかけていて、それは僕の音楽的DNAの大部分を占めているんだ。
また、僕はバンドの中で一番のゲーマーだとも言える(この点については、きっと異議を唱えられるだろう)。JRPGをたくさんプレイしていて、一番好きなゲームは “ペルソナ5” と “クロノ・トリガー”。ちょうど “龍が如く7″ をクリアして、”ペルソナ3 Reload” をやりはじめたばかりさ!他に好きなゲームは “メタルギア・ソリッド(2が一番好き)と “サイレント・ヒル2” かな。

FIVE ALBUMS THAT CHANGED FRIKO’S LIFE!!

Modest Mouse “The Lonesome Crowded West”

Radiohead “In Rainbows”

Philip Glass “Glassworks”

The Beach Boys “Pet Sounds”

Donny Hathaway “Donny Hathaway Live”

MESSAGE FOR JAPAN

It’s been so surreal to see how much people in Japan are enjoying the record and it really means the world to us! We worked so hard for so long on this record and it was really just the band and two other friends who helped make it. It was such a homegrown effort, and to see it resonating across the world is just amazing! We’ve also always said our number one spot we want to tour is Japan, so hopefully see you very very soon!

日本のみんながこのレコードを楽しんでくれているって知るのはとてもシュールで、私たちにとって本当に意味のあることなんだ!このアルバムは、バンドと2人の友人だけで作ったんだ。だからこの手作りの努力の結晶が世界中で反響を呼んでいるのを目の当たりにして、本当に驚いている!私たちはいつも、ツアーで一番行きたい場所は日本だと言っているんだよ!だからすぐに、本当にすぐに会えたらいいね!

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COVER STORY 【REMEMBERING VITALIJ KUPRIJ (ARTENSION, RING OF FIRE, TRANS-SIBERIAN ORCHESTRA)】


REMEMBERING VITALIJ KUPRIJ (ARTENSION, RING OF FIRE, TRANS-SIBERIAN ORCHESTRA)

“Knowledge, Experience, and Confidence Are The Tools That I Use To Improve Myself. Knowledge Is Something You Gain As You Do It. You Apply Your Knowledge And Get Experience Out Of It. Confidence Is Something You Need In Your Vision To Survive And To Defend Your Point Of View As An Artist. Otherwise You Are Just a Copy Machine Or a Shallow Artist.”

HIGH DEFINITION

ウクライナ系アメリカ人のマエストロ、Vitalij Kuprij が亡くなりました。享年49歳。Vitalij は、コンサートホールのグランド・ピアノでベートーヴェンの協奏曲第4番を弾くのも、アリーナでフル・ロック・バンドに囲まれてネオクラシカル・メタルを披露するのも、両方お手のものでした。
Vitalij はクラシック、メタル、どちらのジャンルにも精通しており、クラシックの楽曲を演奏するソロ・アルバムと、コルグのキーボードでロックするプログ・メタル ARTENSION や RING OF FIRE でも存在感を発揮。のちに、あの TRANS-SIBERIAN ORCHESTRA にも加わり、メタル世界にとって不可欠な存在となっていきました。ARTENSION のファーストは本当に斬新で、キャッチーで、変態で、あの時代に消えかけていたプログ・メタルの炎を再燃させてくれました。
特筆すべきは、彼が教育をしっかりと受けたプロのクラシック奏者だったことで、当時メタル世界の演奏者に彼のような背景を持つ人物はほとんどいませんでした。だからこそ斬新で、個性的な作曲術、特殊なミキシング、鍵盤を打ちのめすような演奏、強烈なアイデンティティまで愛されるようになりました。アルバムを聴けば、音を聞けば、クレジットを見るまでもなく彼だとわかる。
だからこそ、あまりに早すぎるのです。ただでさえ、メタル世界にカリスマ的キーボーディストはほとんど残されていませんし、新たに登場してもいません。Jens Johansson, Andre Anderson, Jordan Rudess, Derek Shrenian…残念ながら、明らかに両手に収まるほどの人数です。Vitalij がこれから残すはずだった音楽、育てるはずだった人たち…あまりにも大きな喪失です。せめて、彼の言葉、ストーリー、メソッドをここに残しておきましょう。音楽は永遠に消えませんが、物語は語り継がねば消えてしまうのですから。

Vitalij の家はミュージシャンの家系でした。
「父はプロのトロンボーン奏者だった。彼はたくさんの役割があってね。トロンボーンが主な楽器だったけど、音楽教師でもあり、音楽学校の校長でもあり、文化会館の館長でもあった。 自分のバンドも持っていて、ベース奏者でもあったね。父は私をトラブルに巻き込んだ張本人さ (笑)。
最初は父の親友が、私にアコーディオンを習わせようとしたんだ。アコーディオンは、ウクライナではとてもとてもポピュラーな楽器だこらね。父はその年の9月のアコーディオン・レッスンに申し込んだ。レッスンを始める前日、父は私を仕事場に連れて行った。そこでフォーク・バンドのために作曲をしていて、私はそこにあったアップライト・ピアノに駆け寄ったんだ。後で父に聞いたんだけど、私はそこでジャムを始めたらしい!私の指は自然にピアノの鍵盤に触れた。 父はその友人に電話して、私をアコーディオンのレッスンからピアノのレッスンに変えることを告げた。 私の人生は完全に変わったんだ! 本当に感謝しているよ。アコーディオンは嫌いじゃないけど、ピアノは王様だからね!」
そうして Vitalij は、ウクライナでクラシックの訓練を受けることになりました。
「クラシックの訓練は基本的に伝統的な西洋音楽だったね17~18世紀の偉大な作曲家を学んでいった。モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスとかね。ウクライナにも偉大な作曲家が何人かいて、学校では彼らの曲も教わったよ。 その中には今日まで心に残っている素晴らしいピアノ曲がいくつかある。 もちろん影響を受けたよ。 レフコ・レヴツキーという偉大な作曲家がいた。彼の音楽は、とても民俗的なものだ。とはいえ、私の訓練の主な基礎はドイツとフランスの音楽だったね」

最も影響を受けたクラシックの作曲家は誰だったのでしょう。
「いつも変わるんだ。自分の楽器や真のクラシック・トレーニングの技術をマスターしたければ、視野を広げ、一つのことに集中しないこと。ただ私にとって際立っていた作曲家はショパンかな。 ショパンは主にピアノのために作曲した。幼い私にとって、ショパンは憧れの存在だったよ」
11歳の時、Vitalij は音楽的訓練を続けるために家を出てモスクワに行き、その後、全ユニオン・ショパン・コンクールに史上最年少で出場して優勝しました。
「当時のソ連では、どんな訓練を受けてもスパルタだった。軍事であれ、音楽であれ、絵画であれ何であれ、軍隊のように行われていたんだ。とても厳しかった。 狭い部屋に5人という寮生活で、プライバシーはなく、すべてが公開されていた。シャワーは週2日。それは最も奇妙なことだったけど、同時に感謝しているんだ。私は必要な規律を得たからね。レッスンは、西欧やアメリカで行われているような週1回ではなかった。私は1日に2、3時間のレッスンを2日おきに受けていた。残りの時間は練習に充てたね。
すべての作曲家を勉強したけど、先ほども言ったようにこの頃の私はショパンに惚れ込んでいて、他の曲は弾きたくなかった。 それは政府に “ファック・オフ” と言っているようなものだった。 先生に “他の曲は弾きたくない” と言ったので、学校の先生たちは、ショパンだけに専念させていいかどうかで議論になった。最終的に、学校の代表としてショパン・コンクールに出場するなら、ショパンの曲だけに専念してもいいということになったよ。
そのコンクールで優勝したことで、本当に道が開けた。 13歳の時に3ヶ月間、列車でソ連をツアーしたんだ。
ショパン・コンクールはロシアの北にあるカザンで開催されてね。私は初めて飛行機に乗ったのだけど、ひどい吹雪の中だったよ。まあだから、良い思い出もあるんだけど、ロシア人と思われることもあるのは困るね。私はウクライナ出身だから」

そんなクラシックの申し子が、他のジャンルに目を向けるきっかけが、Yngwie Malmsteen でした。
「たしかに父がフォーク・バンドで演奏したりするのは見ていたけれど、私は完全にクラシック・オタクだった。 当時、ソ連にはメロディヤというレコード会社しかなかったんだ。兄が Yngwie のアルバム “Trilogy” を買ってきてくれたんだ。それをかけて、あの素晴らしき “Liar” を聴いた。 すぐにバンドを組みたくなった。友達に頼み始めたんだ。
Yngwie のアルバムに心を掴まれたけど、THE BEATLES の “A Taste of Honey” というアルバムもあったし、QUEENのアルバムもあった。 それらすべてをいつも聴くようになったんだ」
Yngwie のどこに惹かれたのでしょう?
「Yngwie はそれほどキーボードをフィーチャーしていなかった。 初期のアルバムではもっと多かったかもしれないけどね。だから結局は、Yngwie の演奏だった!とてもテクニカルで、同時にメロディアスだった。表現力とハーモニーが大好きだった。
それから何年も経ってから、イングヴェイから電話があって、彼のバンドに誘われたんだ。彼のアルバム “Alchemy” に参加してくれってね。彼は電話してきて、私をフロリダに呼んで、このアルバムでキーボードを弾いてくれと言ってくれたんだ。
でも当時私はすでにソロアルバムを2、3枚出していて、ARTENSION のアルバムも2、3枚出していた。そしてクラシックの世界でもブレイクしようとしていたんだよね。だから、そのオファーを丁重に断ったんだ。
Yngwie と一緒に仕事をしたかったけど、彼がシュレッドしている間に2つか3つのコードを弾くために、自分のレコードや ARTENSION のレコードでやっていたことを諦めたくなかったんだ。でも、ギターとキーボードの革命的なシュレッドでネオ・クラシックのモンスターを作れたら最高だと思う!そのレコードは音楽的に素晴らしいと思う。
ただね、気がつくと、彼は日本のマスコミで私のことを “経験がない” と酷評していた。私はロックの世界に入ったばかりで、まだ何も発表していないとね。彼は私のことをよく知りもしなかった。私が “イエス” と言わなかったからって、マスコミで私をゴミ扱いしないでよ (笑)」

ウクライナやソビエトでは、メタルを学ぶことも簡単ではありませんでした。
「徐々に学んで行ったよ。私の国では何でも手に入るわけではなかったからね。西洋のロックバンドのほとんどは、ずっと後になってから来るようになった。私の国にはロック文化がなかったんだ。 でも結局、兄が洋楽をたくさん集めていたので、それを聴いて自分の音楽スタイルを確立していったんだ」
コンクールで優勝した後、Vitalij はソビエトで国内ツアーを行いその後、スイスでさらに修行を積みました。
「バーゼル音楽院で4年間、全額奨学金をもらって勉強したよ。有名なオーストリアのピアニスト、ルドルフ・ブッフビンダーに師事してね。彼は西洋の演奏スタイルや規律について多くのことを教えてくれたんだ。私はロマン派的でロシア的な環境で育ったので、ブッフビンダーは西欧的な規律ある態度で私を磨いてくれたんだよ」
ARTENSION のギタリスト Roger Staffelbach に出会ったのもスイス留学中でした。
「Roger はもう25年来の友人だよ。夏の間、スイスの小さな町に住んでいたんだけど、そこにピアノ・バーがあって、よく通ってジャムっていたんだよ。そこに Roger が入ってきて、自己紹介してくれたんだ。私はドイツ語が話せなかったから、少し言葉の壁はあったけど、彼はキーボード奏者を探していてね。彼と私は意気投合し、一緒に演奏するようになった。月曜日から金曜日まで、私は電車で1時間のところにある音楽アカデミーで音楽を学び、金曜日の夜、電車で Roger の家に行き、週末は彼のガレージでリハーサルをした。 日曜の夜はまたアカデミーに戻る。
Roger と私は、さらに2人のスイス人奏者と素晴らしいインストゥルメンタル・カルテットを結成したんだ。ATLANTIS RISING という名前だった。私はネオクラシックの曲を書き始め、カセットテープを作るためにお金をつぎ込んだ。カセットテープを300本は作ったと思う。私たちはスカンクのように無一文で、CDを作りたいだけのハングリーな少年だった!」

このカセットの一つが、シュレッドの総本山、シュラプネル・レコードに届くことになりました。
「シュラプネルの Mike Varney が聴いてくれたよ。Roger と私は2人ともアメリカに行くことになった。Roger が西海岸にいる間に、私はカーティス音楽院のオーディションを受けるためにフィラデルフィアに行ってね。 オーディションの後、私は Roger のところへ飛んで行き、その後2人でカリフォルニアのノバトへ飛んで Mike に会ったんだ。当時、シュラプネルは、私たちがやっていることと似たような音楽をたくさんリリースしていたからね。そして彼らは私たちと契約し、それが ARTENSION となったんだ」
世界でも有数の難関音楽学校に入学し、ARTENSION を結成してファースト・アルバムをリリースし、翌年にはファースト・ソロ・アルバムをリリース。カーティスに通いながら、どのようにすべてのバランスをとっていたのでしょう。
「大きなキャリアを築くのは、2つの分野を情熱的にターゲットにすると難しい。でも、私はそれがどんなに難しいことであっても気にしなかった。学期を終えて、他の学生が休みに入っている間、私はピアノで作曲をし、自分が何を書いていたかを思い出す。そしてカリフォルニアに飛び、ARTENSION でレコーディングをし、また戻ってクラシックの勉強に戻る。カーティスは厳しい学校で、おそらく世界ナンバーワンだろうな。
ARTENSION だと、”Phoenix Rising” は素晴らしいと思うし、もちろん “Into the Eye of the Storm” は最も印象に残る作品だけど、私は “Forces of Nature” が本当に好きなんだ。新しいベーシストとドラマー (John Onder と Shane Gaalaas が加わって、また違った雰囲気になった」

ARTENSION でツアーは行ったのでしょうか?
「いや、ARTENSION はライブをやったことはないんだよ。でも、日本での成功が大きかったので、ほとんどやれそうだった。ファースト・アルバムはゴールドになるところだったからね。日本でのツアーを計画したんだけど、ツアー・マネージャーが私の書類をめちゃくちゃにしたんだ。 当時私はまだ若く、ソ連のパスポートを持っていて、アジアを旅行するときにどんな特典があるのか知らなかった。 私はサンフランシスコのホテルで就労ビザが下りるのを待っていた。で、結局私はそのツアーに出られなかったので、他のメンバーはプロモ出演をして、飛行機で帰ってきたんだ」
ARTENSION のアルバムには、”I Don’t Care”, “I Really Don’t Care”, “I Really, Really Don’t Care” というピアノ曲が収録されていました。
「最初のアルバムでは “I Don’t Care” だった。座ってジャムったんだ。Mike が私の才能を高く評価してくれていたから、ちょっと披露したかったんだ。アルバムにピアノ・ソロの曲を入れなければならなかった。 そして次の作品では、そのコンセプトを続けたいと思った。安っぽいけど面白い(笑)」
2001年にボーカリストの Mark Boals のソロアルバム “Ring of Fire” で彼と一緒に仕事をするようになりました。
「Mark とやれることで興奮はしなかったが、もちろん賞賛はした!彼は僕にとってとても重要なアルバム “Trilogy” で歌っていて、一緒に演奏しようと誘ってくれたんだからね!楽しかった。そのソロ・アルバムにちなんで、実際のバンドになったんだ。私が曲を書き、Mark が歌詞とメロディーを書いた」

バンドは2枚のスタジオ・アルバムと、日本で録音された2枚組の素晴らしいライヴ・アルバムをリリースしました。ただ、Vitalij が参加していない作品もあります。
「Mark と私はいくつかの点で誤解しあっていた。大げさなことではなく、私たちが同意できなかったことがあっただけなんだ。ARTENSION は、キャリアの始まりという点で、私の心に少しだけ近かったので、私は ARTENSION と自分の作品に集中し続ける一方で、Mark には他のプレイヤーと一緒にやるように伝えたんだ」
Vitalij のソロアルバムはほとんどがインストゥルメンタルで、ソロのための十分なスペースがあり、鍵盤を前面に出しています。ARTENSION はボーカルを起用していますが、RING OF FIRE ほど大人しくはありません。
「ソロ作は私がほとんどの曲を書いたので、常にキーボード中心だ。ボーカルを書く機会も模索していたけどね。ボーカルものでは、私が派手になるという点では限界があったかもしれないけれど、ソロ・アルバムを通してならそれができる。 アルバムが進むにつれて、バンド自体のパワーに集中するようになったから、私が目立つことは少なくなった。でも、どのアルバムにも必ず私らしさがあるよ。
それに、ARTENSION では John West の音域を知り、バンドのスタイルを知り、バンド内のプレイヤー同士の相性を知りながら書くことも意識した。RING OF FIRE でも同じだ。
今は、ただ書いて、とてもパワフルでエモーショナルな感じの音楽にしたいと思っている。より作曲に集中し、より成熟したレベルに持っていく。自分が経験したことから集めた知識をすべて活用し、特定のバンドやプロジェクトをターゲットにすることなく、淡々と書いている。私はただ自分の書いたものを捕らえ、保存し、発展させ、変化させ、また戻ってきたいだけなのだ。 音楽を書くことは、とにかく驚異的だ。とても無邪気なプロセスで、新しい情報が生まれるから大好きだ。 何もないところから始めて、音楽的でスピリチュアルな情報を得る」

例えば、RING OF FIRE アルバムの中を見ると、”All music written by Vitalij Kuprij” と書かれていますが、ギター、ベース、ドラムのパートも Vitalij が書いているのでしょうか?
「すべての曲、すべてのパートをキーボードで書いているよ。だから、ギター、ドラム、ベースがキーボードで演奏され、他のメンバーが何を演奏すべきかの明確な方向性を示しているんだ。 特に後期のアルバムでは、より考え抜かれたものになっている。即興的なものはなるべく省いて、自分自身に任せるようにしている。 だからレコーディングのためにメンバーが集まったときには、構造的にはかなり練られているんだ。
ただ、決まった公式があってはならないと考えている。何かを目指さなくてはならないが、物事は自然に起こるものだ。それがあなたなのだから」
TRANS-SIBERIAN ORCHESTRA での最初のツアーは2009年のイースト・ツアーでした。
「あれは完全に “青天の霹靂” 。ある朝起きてコーヒーを飲み、メールをチェックした。彼らのマネジメントから、Paul O’Neill と会うためにフロリダまで来てほしいというメールが来ていた。 彼らがどのようにして私のことを知ったのかはわからない。Paul が何でもできてフレキシブルなキーボーディストを探していたのは知っている。彼はレコード業界で一緒に仕事をしたことのある人に電話して、その人が私を推薦してくれたんだ。数週間後、私はそこにいた」

TSOや SAVATAGE のことは知っていたのでしょうか?
「SAVATAGE は知っていたよ!なんて素晴らしいバンドなんだ!Burrn! 誌の SAVAGAGE 特集に載ったこともあるんだ。SAVAGAGE の曲を演奏するのは楽しいよ。もし彼らと一緒にツアーに出て、彼らの曲だけを演奏できるのなら、今すぐにでもやりたいよ。とてもロックで楽しくて、本当に僕の好みなんだ。Chris Caferry は John West と仲が良かったので、彼のことはよく聞いていたしね」
2015年の Wacken では、その SAVATAGE の一員とさはてプレイしました。
「うれしい依頼だった!私は彼らと彼らの音楽が大好きなんだ。これも私にとって忘れられない瞬間だった。それが Wacken だったことも、イベントの規模も忘れて。SAVATAGE の音楽を演奏することは、僕にとってとてもスリリングなことだった。Roger と初めて会って、ATLANTIS RISING を結成したときのことを思い出すよ。フロリダでリハーサルをやっていたんだけど、演奏しながら文字通り飛び跳ねていたよ。
“Jesus Saves” を演奏しているとき、私は飛び跳ね、汗をかき、ただとても楽しかった。2014年のヨーロッパTSOツアーで SAVATAGE の曲を演奏したのは素晴らしかったけど、SAVATAGE の一員として、SAVATAGE を愛し、SAVATAGE を観に来てくれたファンのためにここで演奏するのは本当に特別なことだった」

ウォームアップのルーティンなどはあるのでしょうか?
「楽屋にキーボードがあって、指の運動をして血の巡りをよくするんだけど、それはクラシックで訓練されたキーボード奏者としてはごく普通のことなんだ。でも、本番前の精神集中が大事なんだ。 ステージに上がる10分くらい前からシャットダウンして、目を閉じてアドレナリンと責任感に苛まれるモードに入るんだ」
Vitalij のアルバムのライナーノーツには、たいてい、”知識、経験、自信” を使っていると書かれています。
「それは私が自分自身を向上させるために使うツール。知識はやっていくうちに得られるもの。知識を応用して経験を積む。自信は、アーティストとして生き残り、自分の視点を守るために必要なものだ。そうでなければ、ただのコピーマシンか、浅薄なアーティストになってしまう」
クラシックの方だけに専念して、クラシックのピアニストとして名を馳せることを考えたことはあるのでしょうか?
「もちろん、若い頃はね!ヴラジミール・ホロヴィッツは私のアイドルだからね!ヨーロッパでオーケストラと共演したこともある。リサイタルもやったし、マスタークラスも開いた。ブラームスのピアノ協奏曲第1番、ラフマニノフの第2番、ベートーヴェンの第4番を演奏したよ!でも、そう、私は木のように自分を広げている。 私は音楽の力と喜びを感じられることをしたいんだ。私はクラシックの訓練を受けているので恵まれているけど、選択肢はたくさんある。クラシックを演奏することもできるし、ネオクラシカルなシュレッドを演奏することもできる。 私に音楽の喜びをもたらしてくれるものなら何でもいいんだ」

ホロヴィッツをアイドルとして挙げていますが、ロック面では誰に影響を受けているのでしょうか?
「ロックをあまり聴くことができなかった国から来たので、そのような影響という点では、本当にスクエア・ゼロからのスタートだった。尊敬する偉大なロック・キーボードのレジェンドたちのディスコグラフィーを研究していたら、自分自身の何かを失ってしまうということに気づいたんだ。私は完全に暗闇の中で狩りをするような気持ちでやっている。 偉大な音楽の一部が無意識のうちに沁み込んでしまい、”生の自分” を少し失ってしまうことが怖いんだ。
確かに Keith Emerson, Jon Lord, Rick Wakeman には大きな愛と敬意を抱いている。そして現役のプレイヤーでは、Jens Johansson を尊敬している。昔の彼はとても面白くて、とてもクールだった。彼自身も素晴らしい。Mike Pinella の大ファンでもある。Jordan Rudess も大好きだ。以前は、テクノロジーに重点を置く彼の芸術へのアプローチに懐疑的だった。 私は作曲してからスタジオでレコーディングするのが好きなんだ。しかし、そうしたプレーヤーに憧れているにもかかわらず、私は彼らから影響を受けてはいない。よくアーティストに尋ねると、”この人やこの人がいなかったら、私は今やっていない” と言うだろうが、私はそうではない。 自分の要素に集中する余地がなくなるから、頭の中にあまり詰め込みたくないだけなんだ」
メタルで好きな作品はあるのでしょうか?
「私は DREAM THEATER が大好きだ。すべてのアルバムを知っているし、メンバー全員にも会ったことがある。まだスイスにいた1993年に彼らのアルバム “Images and Words” にハマったんだ。Gary Moore, QUEEN, Sting も大好きだ」
クラシック以外の音楽を探求したことはありますか?
「もちろん。 常にね。ジャズでもヒップホップでも何でも、いろいろなジャンルの音楽を探求するのが好きなんだ。私はいつも作曲をしているし、これらのスタイルの音楽を演奏したり書いたりしてきた。音楽に限界はないんだよ」 安らかに…


参考文献: MUSIC AND ART: INTERVIEW VITALIJ KUPRIJ

COVER STORY 【MARILLION : BRAVE 30TH ANNIVERSARY】


COVER STORY : MARILLION “BRAVE” 30TH ANNIVERSARY !!

“We Knew It Wasn’t Immediate, We Just Hoped That People Would Give It The Time Of Day And Allow It To Grow On Them.”

BRAVE


30年前、”Brave” というレコードが全英アルバム・チャートで10位を記録しました。その9年前にヒットしたシングル “Kayleigh” で知られていたバンドが、別のシンガーをフロントマンに起用した作品です。今となってはすっかり昔の話ですが、バンドは今でも精力的に活動を続けていて、今でも最高到達点を更新し、今でも筋金入りのファンたちは “Brave” 記念日を盛大に祝っているのです。しかし、そのバンド、MARILLION はなぜこれほど強力なファンベースを今でも維持できるのでしょうか。そして、”Brave” リリース後に何が起こり、彼らはプログの新境地におけるパイオニアとなったのでしょうか。MARILLION の長く奇妙な旅路を振り返ります。
まず事実の整理から。MARILLION は1979年に結成され、1982年から1988年の間に4枚のスタジオ・アルバムをリリース。ポスト・パンクから現れた変則的なプログ・バンドから、ヒット曲を持ちテレビ出演を果たす正真正銘のロック・バンドへと成長していきました。Fish は、GENESIS 時代の Peter Gabriel のようなシアトリカルな雰囲気を漂わせながら、愛、薬物乱用、パラノイアをテーマにエッジの効いた現代的な歌詞を放つスコティッシュとしてバンドの顔となります。そうして彼らは、パンクに挫折したロック・ファンや、その鋭いフックに魅了されたポップ・ファンを取り込み、瞬く間に支持を得ていったのです。
1985年のアルバム “Misplaced Childhood” では、シングル “Kayleigh” が2位を記録する大ヒットとなり、アルバムはチャートのトップに躍り出ました。しかし、Fish の歌詞にある薬物によるパラノイアが単なる演技以上のものであることが判明するなど、舞台裏ではすべてがうまくいっていたわけではありませんでした。もう1枚アルバムを出した後、Fish は脱退し、MARILLION はすべてを使い果たしたように見えました。しかし、これは驚くべき第2幕の始まりに過ぎなかったのです。

1989年、バンドは新しいシンガー Steve Hogarth を迎えて “Season’s End” をリリースします。Fish 時代の忍び寄るメロドラマは、成熟し洗練された絵画に変わり、アルバムはヒット。バンドにまだ命があることを示しました。Fish は紛れもなくカリスマ的ポップ・スターで、ウィットに富み、物知りで、名声ゲームに惹かれると同時に反発するような人物でしたが、Hogarth は目を見開き、誠実で、正直な情熱を音楽に注ぎました。
ただし、その後のアルバムはチャートへの食い込みが弱くなり、ヒット、ポップ・スターダムは遠い過去の出来事のように思えました。レコード・レーベルであるEMIも、ヒット作を出すことができなかったバンドのコストが急騰するのを防ぐため、安価なその場しのぎのアルバムを望んでいました。
1994年。そうした背景の中で MARILLION は、セヴァーン橋で彷徨っているところを発見された少女をテーマにしたコンセプト・アルバムを携えて再登場しました。Hogarth はこれまでで最も感情的な歌詞を掘り下げ、この悲劇的な少女のあらゆる側面を探求しました。一方バンドは、ギタリストの Steve Rothery が心を揺さぶるソロと魅惑的なテクスチャーを何度も繰り出しながら、最も鋭敏な音楽を作り上げたのです。それは MARILLION が個人的なテーマから社会的なテーマへと、商業的な成功から芸術的な成功に舵を切った瞬間でした。

80年代半ば、Hogarth は地元のラジオ放送で、イギリスのセヴァーン橋で一人でさまよっているところを発見された10代の少女についての、警察の説明を聞きました。発見されたとき、彼女は誰とも話すことができなかったか、あるいは誰とも話さないことにしていたのです。しばらくして、警察はラジオで少女の身元を知る人に対して呼びかけることにしました。結局、少女は家族に引き取られ、家に戻されたのですが、Hogarth はこのことをメモし、MARILLION が後のアルバム “Brave” の制作に取りかかるまで、何年もあたためておいたのです。
制作に入ると Hogarth は橋の上の少女のことを思い出し、アルバムが彼の頭の中で形になっていきます。バンドは “Living with the Big Lie”と “Runaway” の2曲を書き、前者は人々がいかに物事に慣れてしまい、すっかり鈍感になってしまうかを歌ったもので、後者は機能不全の家庭から抜け出そうとする少女の苦境を歌ったものになりました。Hogarth はこのストーリーをバンドに話し、性的虐待(当時メディアでますます報道されるようになったテーマだった)、孤立、薬物中毒、そして自殺を考えたり試みたりするほどの衰弱といった問題や恐怖を持つ人生という架空の物語を提案したのです。
セヴァーン橋は1966年に開通して以来、自殺の名所となっており、名もなき少女のような悩める魂を惹きつけてやみません。彼女は自分の名前を名乗ろうとせず、話すことさえ拒否しました。警察はラジオやテレビで情報提供を呼びかけ、その時、Hogarth は彼女のことをはじめて耳にしました。
「まるで推理小説の最初のページのようだと思った。走り書きして、そのことはすぐに忘れたんだ」
しかし、”飛び降りなかった少女” の物語は、Hogarth の心の奥深くに留まり、潜在意識の波のすぐ下に浮かんでいたのです。

Hogarth が再び彼女のことを考えたのは1992年のこと。その頃、彼は数年前に加入したバンド MARILLION のシンガーになっていて、バンドが新しいアルバムのために曲作りをしていたとき、彼はバンドメンバーに “飛び降りなかった少女” の話をしたのです。
この物語を中心に作られたアルバム “Brave” は、彼らのキャリアの中で最も重要な作品となりました。このアルバムによって、彼らの将来が決まったのです。”Brave” は、バンドとしての彼らを最終的にひとつにまとめましたが、同時に長年のレーベルであるEMIとの関係を取り返しのつかないほど悪化させ、彼らの以前からのファン層を一気に遠ざける結果も伴いました。痛みを伴う改革。それが現在の彼らをもたらしたのです。
当時 “Brave” が大失敗した大博打に思えたとしても、今日では1990年代の偉大なコンセプト・アルバム、傑作として語り継がれているのは痛快なものがあります。知性と深みのある踏み絵のようなアルバム。つまり、セヴァーン橋の少女の物語は、MARILLION のメタファーとして読むこともできるのです。少女は飛び降りませんでしたが、MARILLION は飛び降りたのです。
「”Brave” は、ジグソーパズルのピースがついに揃ったアルバムだった。MARILLION は、私を加えた別のバンドになった。今のバンドになったんだ」
Hogarth と MARILLION のパートナーシップは、1989年の “Season’s End” で軌道に乗りましたが、それはある意味、反抗的な行為でもありました。
「多くの人が、Fish なしでは失敗すると思っていた。でも、メンバーはみんな一緒に仕事ができることに興奮していたし、あっという間だった。”今、自分たちはどんなバンドになりたいのか?”ということを考えるために立ち止まることはなかったね」

キャリアを始めて10年以上が経ち、MARILLION は貴重な教訓を得ていました。「EMIのやり方で商業的なレコードを作ろうとしたが、うまくいかなかった。売れても売れなくても、少なくとも芸術的には満足できる作品を作ろう」
彼らの次の行動は、正反対の方向に進むこと。”Holidays in Eden” が素早く、きらびやかで、最終的にはある種の妥協だったとすれば、”Brave” はそうではありませんでした。
“Holidays In Eden” と “Brave” の間に、MARILLION の世界ではいくつかの重要なことが変化しました。その中には、彼らがコントロールできるものもあれば、そうでないものも。ただ、彼らが下した重要な決断のひとつは、オリジナルのラケット・クラブに新しい機材を導入し、次のアルバムのために前金を使うことでした。
「レーベルは大反対だった。でも僕らは、”複数のアルバムに使えるよ” って言ったんだ。そのおかげで、後にEMIから契約解除された時のための準備ができたんだ。私たちは、ゆっくり仕事をし、あらゆる選択肢を模索し、音楽について熟考し、あごをひっかいたり、頭をなでたりするのが好きなんだ。そして、ここだけの話、”次のアルバムは好きなだけ時間をかけよう “と思ったんだ。そしてそうしたんだ」
そうして MARILLION は、南フランスの正真正銘のシャトーでレコーディングする機会を突然与えられました。ドルドーニュ地方のマルアットにあるその城は、バンドのUSレーベルIRSの代表であり、POLICE のドラマー、Stewart Copeland の弟の所有物件でした。
「そのアイデアが気に入ったんだ。そうだ、家を探そう、そうすれば費用も抑えられるし、雰囲気のある場所を探して、そこで仕事をしよう。僕らはみんな、それが面白いレコードになるし、冒険になると思ったんだ。夜が明けてすぐに着いたんだ。丘の上に見えて、基本的にのホラーハウスだったよ」

“Brave” は、実際に5人で書いた初めてのアルバムだったと Rothery は言います。
「コンセプト・アルバムであったからこそ、このアルバムは、私たちにとって、とても重要な作品となった。コンセプト・アルバムだったから、他のメンバーも私たちがやろうとしていることを理解しやすかった。私が思うに、今回はレコードを作るか、傑作を作るかのどちらかだ。だから、どうしてほしいか言ってくれとね。それでみんな、”傑作を作ろう” となった」
作業を進めるにつれて、曲は焦点が定まり始め、包括的なコンセプトも定まっていきました。橋の上の少女についての直接的な物語というよりは、彼女がそこにたどり着くまでの一連のスナップショット。さらに Hogarth によれば、歌詞の多くには自伝的な要素が薄っすらと隠されていたといいます。”Living With The Big Lie”, “Brave itself” そして特に “The Hollow Man”。
「私は動揺していた。外見はますますピカピカになり、ジャン・ポール・ゴルチエを身にまとっていた。小さな子供2人の父親でありながら、それに向いていない、そう感じていた。そのすべてのバランスを取りながら、バンドの運命を復活させるような素晴らしい作品を作り上げようとしたんだ」
すべての曲がコンセプトに合っていたわけではありません。”Paper Lies” の脈打つハード・ロックは、レーベルの強い要望でアルバムのムーディーな音楽の流れに刺激を与えるために収録されたもの。もともとは悪徳新聞王ロバート・マクスウェルの死にインスパイアされたもので、後付けで既存の物語に組み込んだに過ぎません。この曲の主題である、ヨットからの転落事故で謎の死を遂げたロバート・マクスウェルにちなんで、この曲は巨大な水しぶきで終わります。「この曲には VAN HALEN からの影響があるかもしれないね」

“完成したときでさえ、それが何なのかわからなかった” そう Hogarth は言います。
「ミックスを聴いて、とても緊張したのを覚えている。興奮すると同時に、”これは THE WHO の “Quadrophenia” か何かに似ている。みんなにどう評価されるかわからない” って思ったね」
地平線には他にも嵐が立ち込めていました。EMIは、MARILLION が “Brave” の制作に要した時間の長さに良い印象を抱いていませんでした。この 生々しい アルバムは、数ヶ月遅れで、しかも決して安くはなかったからです。Rothery は言います。
「その7ヶ月が終わるころには、レーベルとの関係には壁が立ちはだかっていた。素晴らしいレコードを作ったことが、この莫大な出費とレーベルとの関係の悪化を正当化できるほど成功することを願わなければならなかった」
EMIの失策。それはリスニング・パーティーで起こります。彼らは、さまざまなジャーナリストやラジオの重役を招待し、聴いているのが誰なのかを知らせないというやり方をとりました。
「あれはEMIの大失態だった。EMIは人々に PINK FLOYD の新しいアルバムだと思わせようとした。そうすれば、より多くの人がプレイバックを聴きに来てくれると思ったからだ」
しかし長い間、批評家の捌け口となってきたグループにとって、”Brave” は驚くほど好評でした。”Q” 誌は、このアルバムを “ダークで不可解” と絶賛。Hogarth はその表現にほほえみます。「私はそれが気に入った。褒め言葉だよ」
しかし、”ダークで不可解 “は、伝統的に商業的な成功とはイコールではありません。”Brave” は、ギリギリのところでUKトップ10に食い込みましたが、ファーストシングルの “The Hollow Man” は30位。続いてリリースされた軽快な “Alone Again In The Lap Of Luxury” はトップ50にすら入りませんでした。

ただ公平に見て、”Brave” のタイミングは最悪でした。”Brave” がリリースされたのは、ブリットポップ・ムーヴメントが花開き始めた頃。自殺願望のある少女をテーマにした70分のコンセプト・アルバムは、BLUR や OASIS の前では常に苦戦を強いられることになりました。
「即効性がないことはわかっていた。私たちはただ、人々がこのアルバムに一日の時間を与え、彼らの中で成長することを望んでいた」
ツアーでバンドはアルバムを最初から最後まで演奏し、Hogarth は Peter Gabriel 流に曲の登場人物を演じました。ある時は、髪をおさげにして口紅をつけ、女の子自身を演じます。これは意図的な挑戦でした。
「コンサート会場の雰囲気は、”クソッタレ、これは何だ?”という感じだった。アンコールで “Brave” 以外の曲を演奏したときは、まったく違うショーになった。人々が安堵のため息をついているのが体感できたよ」
ツアーもアルバムも、MARILLION のオーディエンスを増やす、あるいは維持することにはあまり貢献しませんでした。”Brave” のセールスは30万枚ほどで、今となっては良い数字ですが、5年前の “Seasons End” の半分以下だったのです。セールス的には、確かに以前より落ち込んでいました。
“Brave” が長引いたことと、明らかに成功しなかったことは、所属レーベルのトップも気づいていました。少なくとも次のアルバムではより速く仕事をすることを考えるべきだとバンドは認め、そのアルバム “Afraid Of Sunlight” は、”Brave” のちょうど1年後にリリースされました。しかし、すべては遅すぎました。彼らの予想通り、レーベルは間もなく彼らを切り捨てました。
「メディアから嫌われるバンドに戻ってしまった。メインストリームの音楽メディアを見る限り、私たちは生きる価値がなかった。いつも通りのね」

しかし、”Brave” には後日譚が。この “ダークで不可解 ” なレコードは、当時は売れ行きが芳しくなかったものの、今では独自の余生を過ごしています。彼らは過去20年の間に2度このアルバムを再訪し、2003年と2011年にアルバムをフルで演奏しています。
「”Brave” で多くのファンを失った」そう Hogarth は言います。「評判は良くなかった。だけど今では誰もが振り返って “なんて素晴らしいアルバムなんだ” と言う。発売された日には誰もそんなことは言わなかったのにね」
その長寿の理由のひとつは音楽的なもの。慎重なテンポ、移り変わるムード、日本語の使用や南仏の洞窟で岩が水しぶきを上げる音を録音するような細部へのこだわり。それは、究極の負け犬バンドによる究極の負け犬レコード。
「僕らを聴いてくれた人たちは、時間を投資することを厭わないんだ。彼らは、”よくわからなかったから次の作品に移る” のではなく、”ああ、よくわからなかったからもう1回聴いてみよう” と思ってくれるんだ」
結局、”Brave” は当時のチャートに知的で複雑なコンセプチュアル・ミュージックのスペースがまだあることを証明したのです。このアルバムから、わずか3年後にリリースされたレディオヘッドの “OK Computer”、そして ANATHEMA の傑作 “The Optimist” へと知性を求める音楽ファンは一本の線をたどることができるはずです。”The Optimist” は、無意識のうちに “Brave” のサイコ・ジオグラフィックな旅路と呼応しており、MARILLION が20年の後に発表する “F.E.A.R.” は “Brave” と非常に多くの特徴を共有するアルバムになりました。
Pete Trewavas は言います。「僕たちは、どこでも聴けるようなキラキラした音楽を演奏するためにここにいるんじゃない。何か違うことをやって、木々を揺らして、人々に考えさせるためにここにいるんだ。そうであってほしいし、今もそうでありたいよ」
橋の上の少女は結局、MARILLION のストーリーを知っているのでしょうか?Hogarth は、彼女の両親が彼女を迎えに来て、ウェスト・カントリーに連れ帰ったという記事を読んだことを覚えています。
「彼女はその後、それなりに幸せに暮らしたと思う。連絡は取っていないが、アルバムのことは知っているのではないかな」

後に小さなレーベルに移籍した彼らは、商業的な成功との闘いを続け、ついにはアメリカ・ツアーをする余裕がないことを認めざるを得なくなり、どん底に達します。しかしその後、非常に驚くべきことが起こりました。
そうした変化にもかかわらず、バンドには依然として強力なファンベースがあり、そのファンはますます熱狂的になっていました。MARILLION を見ることができなくなることを覚悟したアメリカのファンは、バンドをアメリカ国内で活動させるために6万ドルを出資。実質的に MARILLION はクラウド・ソーシングに成功した最初のバンドとなったのです。インターネットの台頭に注目した MARILLION は、自分たちのファン層と関わる前例のない方法を発見し、それまでは想像もできなかったレーベルを通さない “個人的な” つながりを築くことに成功したのです。
このファンとのつながりは、バンドだけでなく、音楽ビジネスのあり方にも大きな影響を与えました。ファンとの絆を築き、ファンのことを知り、ファンがバンドに何を求めているかを理解することで、MARILLION はレコーディング前にアルバム代金を支払ってもらうという前代未聞の過激な行動に出ることができました。1万枚以上の予約注文を受け、”Anoraknophobia” はファンによって支払われる、多くのメジャー・レーベルのアーティストが切望するような自主性を得ることができました。”ヒット” レコードを作らなければならないというプレッシャーがなく、すでに制作費用をまかなっていた MARILLION は、自分たちが望む、そしておそらくより重要なことですが、ファンが求める音楽を作ることができたのです。熱心なスポンサー (ファン) には、レコードに写真や名前を載せたり、アルバムの特別なヴァージョンを提供することで、彼らは自分たちのために新しい道を切り開くことをやってのけました。

この試みがバンドの新時代の幕開けとなった一方で、メインストリームのメディアで MARILLION は今だにオールディーズ・アクトとして一括りにされ、世間一般の認識も Fish の全盛期から真に前進していないというイメージに固執していました。ラジオやテレビで流されることはめったになく、バンドはカルト的で、流行に乗り遅れた存在だと思われていたのです。プログというジャンルがもはや消えかかっていたために、例え MARILLION について言及されたとしても、中世の吟遊詩人の一団で、リュートを演奏し、トロールについて歌っているのだと言われることも珍しくはありませんでした。彼らがもはや論理的には RADIOHEAD の “OK Computer” と接近していたことなど気にすることもなく、世間一般では、MARILLION のファンであることは最も時代遅れなロートルだと見なされていたのです。
クラウド・ファンディングが以前は手の届かなかった安全性を保証した一方で、バンド、特に Hogarth は、真剣に受け止められようとする試みに苦痛を感じていました。音楽がまだビッグ・ビジネスだった時代、MARILLION のメインストリームからの追放と彼らの熱狂的なファンは、奇妙で場違いな存在と見なされました。音楽プレスはバンド名を見て80年代を思い浮かべ、それに従って判断するだろうという諦めもありました。インタビューのたびに、Hogarth はジャーナリストたちに、先入観を捨てて、ただ恣意的に彼らを切り捨てるのではなく、実際に音楽を聴いてほしいと懇願しましたが、それは無駄骨でした。
その後、マリリオンは2004年の “Marbles” と2007年の “Somewhere Else” でヒット・アルバムとトップ20シングルを獲得し、チャートの上位に返り咲きました。しかし、チャートでの成功でさえも、バンドが以前のような地位を取り戻すことは簡単ではありませんでした。レコード・チャートは上位にランクインしていましたが、これは、自分たちの好きなバンドが特別な存在であることを世界中に知らしめようとする、ファン層の断固とした努力によるところが大きかったのです。ファンは MARILLION を広めるために極限まで努力する用意があり、こうしたチャートの順位は、バンドに対する外部からの純粋な関心というよりも、むしろファンの意志の強さを表していたのかもしれません。

この時期までに、MARILLION はファンの間でほとんど神のような地位を築いており、ファンもまた、グループに対する強烈な、時には極端なまでの愛情を示していました。Hogarth の指揮の下、このバンドは人生をサウンドトラック化するようになり、彼の複雑で情熱的なソングライティングは多くの人々にとってほとんどスピリチュアルな尊敬の念を抱かせるようになっていたのです。コンサートは、バンドへの愛を通して生涯の友情を築き、世界中の様々な場所で開催されるコンベンションに参加し、バンドはファンの好きな曲を演奏することで愛情に応えました。
多くのファンにとって、MARILLION は本当に重要な唯一のバンドであり、他のバンドが恐れをなして踏み入れないような場所に行く存在となりました。ここ数年、バンドに対する雪解けは進み、音楽メディアの間でも、バンドを受け入れようとする明確な動きが出てきました。バンドの成熟したロック・ブランドには “プログレ” の面影はほとんどなく、その一方で、最近のアラン・パートリッジの映画でバンドは小さいながらも重要な役割を果たすなど、否定的な人たちよりも長生きすることで、MARILLION の正しさが証明されたと言えるかもしれませんね。
MARILLION はロックの歴史に自分たちの特別な場所を残しました。彼らはあらゆる変化を乗り越えて、80年代の MARILLION に対する先入観が過去のものとなりつつある今、さらに多くの人々を、増え続けるファンの一員にしようとしています。ANATHEMA や PORCUPINE TREE のようなバンドがこのバンドに脱帽しているように、彼らが “Brave” で勇気を持って橋から飛び降りたことは、長い目で見れば奇跡的な “Made Again” だったのです。

参考文献: THE THIN AIR:20 Years of Being Brave – How Marillion Crawled Back From Obscurity

CLASSIC ROCK REVIEWMarillion Brave (1994) – The inside story behind Brave

MARUNOUCHI MUZIK MAG: FEAR INTERVIEW

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【SOULMASS : PRINCIPALITY OF MECHANICAL VIOLENCE】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH SOULMASS !!

“Gundam’s Anti-war Message Has Endured Long Enough To Affect Many Generations Now And We Are Glad If We Introduced Others To It With This Album.”

DISC REVIEW “PRINCIPALITY OF MECHANICAL VIOLENCE”

「僕たちが年を重ねるにつれて、ガンダムを厳密に善と悪の物語として見なくなった。例えば、EFSFとジオンの二項対立だけじゃなく、その両組織内のさまざまな人々の人間ドラマは、良い例だと思う。”どちらの側にも良い人がいる” という議論ではなく、腐敗はどのようなスペクトラムにも起こり得るというテーマ。それは最初からメタルにおいてかなり語られていたと言えるね。権力を持つことによる腐敗、戦争に誇りなどないこと。今のところ、KREATOR と METALLICA が思い浮かぶね」
数あるロボット・アニメ/特撮ものの中で、ガンダム・シリーズが常にトップを走り続ける理由。それは、善と悪で割り切れる単なる勧善懲悪のストーリーではなく、何層にも折り重なる複雑かつ深淵な世界設定の中で、権力や腐敗に振り回される、抑圧を受けて苦悩する近未来の私たちの姿が描かれているから。ガンダム・シリーズはそして、例えばバスク・オムの暴走で、例えばミハルの悲惨な最後によって、権力の腐敗と戦争の無惨を浮き彫りにしていきました。
これはまさに、KREATOR が “Flag of Fate” で、METALLILA が “One” で語ってきたテーマそのものでしょう。すなわち、反戦、反権力、反抑圧はガンダムとメタルの間で長く共有されてきた重要なミノフスキー・核融合炉だったわけです。だからこそ、デスメタルのホワイトベースであるフロリダから、”ガンダムのメタル” を描く SOULMASS がこの時代に登場することは、ある意味必然でした。
「こうした世界で絶望を感じたり、無力感を感じたりするのは普通のことだよ。ガンダムの曲を作ることは、権威主義や社会的不公正の問題を現実に直接取り上げることに、間違いなく最も近いところにいる。ガンダムの反戦のメッセージは、今や多くの世代に影響を与えるほど長く続いているし、このアルバムで他の人たちにそれを紹介できたならうれしいね」
オープナーの “Jet Stream Attack” は、まさに権力が暴走し、抑圧が放置される2024年に向けて繰り出された黒い三連星の強撃。そうしてアルバムは、星の屑作戦からのコロニー落としで、平穏な暮らしを営む普通の人々が、いかに権力の欲望や歪んだ理想の犠牲となるのかをドゥーム・デスの獰猛で描き出していきます。
「力強さや残虐さを描いていることもあるけれど、僕らのアルバムの根底にあるのは、想像を絶する恐怖に直面してもアイデンティティーの感覚を保つということで、それは偶然にもガンダムと見事に合致していると思う」
バンドは BOLT THROWER や ENTOMBED、そしてもちろん往年のスラッシュやドゥーム・クラシックにインスパイアされていますが、それ以上に人間の暗い思考を反映した陰鬱と冷徹、そして暴力性をその身に宿しています。以前彼らがテーマとした “Bloodborne” 的死にゲーを思わせるその中毒性の高さは、まさに “重力に魂を惹かれた” 者たちの心も、”地球を知らぬ” 者たちの心もを鷲掴みにしていきます。
スペースノイドにも、アースノイドにも、いや誰にだってそれぞれの主張があり、それぞれに一理があるのは当然。重要なのは、どんな理不尽や恐怖に晒されても、一人一人が人間性を失わないこと。自分であり続けること。いつでも調和を目指すこと。ソロモンよ、SOULMASS は帰ってきた。
今回弊誌では、SOULMASS の二人にインタビューを行うことができました。「”Ζガンダム” は全シリーズの中で最も美しく、大仰な音楽だけど、最近の “鉄血のオルフェンズ” や “水星の魔女” の音楽も大ファンだね。Man With A Mission の “Raise Your Flag” は間違いなく僕の心に残るアンセムだ。アイナ・ジ・エンドの “Red:birthmark” も大好きだね」 どうぞ!!

SOULMASS “PRINCIPALITY OF MECHANICAL VIOLENCE” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【MADDER MORTEM : OLD EYES, NEW HEART】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH AGNETE M. KIRKEVAAG OF MADDER MORTEM !!

“Globalisation Means a More Diverse Culture Generally, Which Also Goes For Metal. It’s Not Only a White Male 18-25 Scene Anymore, Which Suits Me Fine.”

DISC REVIEW “OLD EYES, NEW HEART”

「私たちはますます個人主義になり、自分の内面や感情に焦点を当てるようになっている。その良い面は、人々が自分の課題や悩みをより自由に共有できるようになったことだと思う。また、世界のグローバル化は多様な文化を促進し、それはメタルにも当てはまる。メタルシーンは18~25歳の白人男性だけのシーンではなくなっているの。私にとっては素敵なことだわ。みんな自分の経験を書く傾向があるからね」
ノルウェーのメタル・バンド、MADDER MORTEM とそのボーカル Agnete M. Kirkevaag のドキュメンタリーが話題を呼んでいます。彼女は、ステレオタイプなイメージに取り憑かれていたメタル世界で過食摂食障害と闘い、内なる悪魔と闘うために手術を受けることを決意します。新曲のレコーディング、ヨーロッパ・ツアー、オスロでの元メンバー全員によるライブなど、バンド結成20周年記念の年に撮影した本作は、そうしたバンドの日常を追いながら内なる悪魔、スカンジナビアの文化的規範、イメージに取り憑かれたメタル世界との齟齬と葛藤を巧みに描いていきます。
「私にとっては、ブラックメタルの音楽的アプローチの一部、特にダーティなサウンドと雰囲気が好きだった。でもね、シーンの半ファシズム的、人種差別的な側面は本当に好きではなかった。社会不安を抱えた18歳の男たちが自分たちのことを “エリート” だと言っていたのよ。バカらしく思えたわ。女性として、そのシーンには私が興味を持てるような部分はなかった。私が感じたところでは、自己主張の強い女性ミュージシャンが活躍できる場はほとんどなかったと思うわ」
“私たちは社会やメタル・エリートの中では負け犬かもしれない。でもね、負け犬は負け犬なりに吠えることができるのよ” はみ出し者にははみ出し者の意地がある。社会とも、メタルの伝統ともうまくやれなかった Agnete が、いかにして世界中のファンに届く感動的な音楽を生み出したのか。それはきっと、21世紀に花開いたメタルの多様性に対する寛容さ、そしてメタルに宿った “回復力” と密接に関係しているはずです。そう、もはやメタルは限られた “メタル・エリート” だけのものではないのですから。ドキュメンタリーのタイトルは “Howl of the Underdogs” “負け犬の遠吠え”。しかし、もはや彼女は負け犬ではありませんし、彼女の声は遠吠えでもありません。
「このアルバムは父に捧げられたものなんだよ。彼の思い出を称えるには、それが一番だと思った。彼はいつも私たちの活動を誇りに思ってくれていたし、このアルバムには彼のアートワークも入っているから、とてもしっくりきたの。でも、同じような喪失感を感じている人たちが、この音楽の中に慰めを見出すことができれば、それが最高の結果だと思う。だれかに理解されたと感じることが最高の慰めになることもある」
回復力といえば、喪失からの回復もメタルに与えられた光。MADDER MORTEM の中心人物 Agnete と BP 兄弟は多才な父を失い悲嘆に暮れましたが、その喪失感を最新作 “Old Eyes, New Heart” で埋めていきました。バンドのゴシック、ドゥーム、プログレッシブ、ポストメタル、アメリカーナとジャンルの垣根を取り払った “アート・メタル” は、あまりにも美しく、哀しく、そして優しい。そうして亡き父の描いた絵をアートワークに仰ぎながら、MADDER MORTEM は、同様に喪失感に溺れる人たちが、この音楽に慰めを、光を見出すことを祈るのです。
今回弊誌では、Agnete M. Kirkevaag にインタビューを行うことができました。「音楽は精神を高揚させ、慰める最も偉大なもののひとつであり、耐え難いことに耐えるための方法だと思う。そして願わくば、私たちの周りにある醜いものすべてに美を見出す方法でもあればいいわね」 どうぞ!!

MADDER MORTEM “OLD EYES, NEW HEART” : 9.9/10

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