EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH SERGIO VICTORIANO FROM VICTORIANO !!
“I Fell My Selfattracted By The Originality Of Japanese Music, The Way They Mix Many Styles Into One Piece, That’s Absolutely Outstanding, For Example I Really Like Acid Black Cherry, Cause They Have Songs In Different Styles, From Rock, Jazz, Ballad, Pop. etc…”
COVER STORY : HARAKIRI FOR THE SKY “SCORCHED EARTH”
“Even If I Am Generally Lucky, I Have a Very Cool Band, I Have a Very Cool Wife And All That, But In The Meantime All That Is Happening In The World, Gets Me In a State Of Mind Where I Should Not Be And It May Be The Answer If People Ask How I Get Into This Sad Mood To Write Those Lyrics.”
SCORCHED EARTH
絶望、喪失、愛、そして実存的葛藤は、常にHARAKIRI FOR THE SKY の特徴的なサウンドの基盤。そうして2011年の結成以来、マルチ・インストゥルメンタリストのM.S.とボーカリストのJ.J.は、アトモスフェリックなエクストリーム・メタルとメロディアスなポスト・ロック、グランジ、モダン・ハードコアを融合させたエモーショナルなサウンドで音楽の境界を押し広げ、独自のジャンルを確立してきました。HARAKIRI FOR THE SKY は、ある意味過小評価されているバンドだと言えます。このオーストリアのデュオのメロディに対するこだわりは誰にも引けを取らず、憧憬のアトモスフィアと黒々とした攻撃性、そして瞑想的なテンポを組み合わせながらも、決して “虚弱さ” に陥ることはありません。あくまでもメタルの文脈の中で、筋肉質な重さとメロディックなモチーフにその情熱を注いできました。このスタイルのトレードマークであるゆっくりと燃え上がる “スロウ・バーン” を追求しながら、彼らは常に “ポスト・ブラック” という形容の落とし穴を避け、弱々しくきらびやかでしかし “簡単な” 道を選ぶことはなかったのです。
つまり彼らは小手先の技に頼らず、美しさ、憂鬱さ、残虐さのバランスを保ちながら、その中に光と希望を輝かせる卓越したソングライティングで、音楽の限界を押し広げてきました。感情を揺さぶるという使い古された言葉では言い表せないほどに。
それにしても、日本人としてはこの突拍子もないバンド名が気になります。
「Harakiri とは割腹自殺のこと。そう、経験したくはないことだ。これはボーカル J.J. のアイデアで、彼の夢と関係があるんだ。自殺は彼にとってとても重要なテーマで、彼は崖から落ちるような夢を見たんだけど、自分を刺しそれから飛び始めたんだと思う。僕の知っている限り、彼はそうやってこの名前を思いついたんだと思う。だから、彼の歌詞の中にも、いろいろなことの比喩があると思ったんだ」
HARAKIRI FOR THE SKY を10年以上続けてきたその原動力とはなんだったのでしょう?
「他人やファンとのコミュニケーションのためにやっているとは思わない。でも、僕らの作る歌詞や音楽の中に、同じような心の重荷というか、なんというか……そういうものを感じて、自分自身を見出すことがあるとしたら意義深いことだ。僕らははいつも、ある種のセラピーとして、自分自身を表現するためにやってきた。でも、他の人たちが僕たちの作るアートに共感してくれるのは、いつだって嬉しいことだし、そう、僕たちの曲のすべてに通じる特定のテーマや問題があるんだ」
それはどんなテーマなのでしょう?
「僕らの歌詞は常に自伝的なもので、つまり、書けるのはそれしかない。歌詞のほとんどは、人生のマイナス面、憂鬱、失恋、疎遠、薬物乱用などについてのものだ。でも、それは人間の心の奥底に宿っているもので、僕たちは多かれ少なかれ、そうしたネガティブな感情を処理しなければならない。そこでアートが生まれる。良い芸術や良い音楽は、通常、優雅な時に生まれるのではなく、憂鬱や悲しみから生まれるものだから」
人間嫌いと噂されることも少なくありません。
「人間嫌いかどうかはわからない。なぜなら、人間関係で何か不快なことや嫌な経験をしたとき、それをただ飲み込むのではなく、僕らは吐き出す必要があるからだ。音楽はそのための素晴らしいフィルターであり、そういったことに対処するための個人的なカタルシスなんだ。もちろん、世界でいろいろなことが起きている中で、ポジティブなことを見つけるのは難しいけど、それよりも、個人的に起きた悪いことに対処しているんだ」
彼らの音楽からは明らかに “冬” の景色が聴こえます。
「僕は完全に秋冬派だね。春も好きだけど感動するというわけではない。月並みな言葉だけど、寒くなり、自然が死んで、数ヵ月後の春にまた生まれ変わるとき、いつも何か重要なことが起こるという意味でね。つまり、多くのアルバムや音楽が四季に言及しているのは、それが感動的なものだからだ。僕は個人的には寒い季節が好きだ。僕は山の中腹出身だから、雪や氷が好きだったんだ」
動物を使ったアートワークの数々も、彼らの美学を彩ります。
「最初のアルバムでカラスを使ったときから、それが僕たちのコンセプトであり、意図となった。動物には、メランコリックな音楽にぴったり合う特別な美学があるんだ。こうしたジャケットやイラストは絶対に残していくよ。”Scorched Earth” の新しいアルバム・ジャケットには、過去5枚のアルバムの動物をすべて集めた。これは、新しいアルバムが過去に書いたすべての音楽的なコレクションであることを示すためだ。僕たちの音楽の旅を示しているんだ」
2021年の “Maere”(ドイツの公式チャートで4位を記録)の後、4年の歳月をかけて次なる壮大な章 “Scorched Earth” を作り上げた HARAKIRI FOR THE SKY。このアルバムは、私たちが生きている世界のスナップショットといえます。私たちの社会は根底から分断され、ここ数十年、平和からかつてないほど遠ざかっています。危機が次から次へと押し寄せてくるような、そんな差し迫った破滅の予感が “Scorched Earth” には込められているのです。
4年というインターバルは彼らにとってこれまでなかったことでした。それは、パンデミックが及ぼした影響でした。
「コロナのために多くのコンサートやツアーが延期され続けたことも関係している。結局、この2年半で、2020年の初めからやるべきことをほぼすべてやり遂げた。年間80本ものコンサートを行い、さらに移動とその周辺のすべてをこなすとなると、継続的に新曲に取り組む時間とエネルギーはあまり残されていない。作曲はツアーの休憩時間に限られていた。
それに、あまり外に出ず、家にいる時間が長いと、インプットがなければアウトプットもない。インスピレーションを与えてくれるものがないんだ。だから全体的に時間がかかるんだ。それに6枚目のアルバムでは、物事が迅速に進まないということもある。同時に何千ものアイデアを思いつくことはなくなり、全体的に内省的になる」
一方で、パンデミックのおかげで、初期の “Harakiri For The Sky” と “青木ヶ原” を再録することができました。
「最初のロックダウンは本当にクールだった。でもある時点で、おそらくほとんどの人がそうであるように、ある種の無気力に陥ってしまった。結局、最初の2枚のアルバムを再レコーディングして再リリースすることで、時間を使うことにした。無理に新曲を作るのではなく、このようなプロジェクトに時間を使おうと考えたんだ。
何度もライブで演奏し、現在のサウンドを実感しているからね。Ver. 2.0ではまったく違うサウンドになっている。僕の声色はこの10年で大きく変わった。当時のアルバムは、ドラムをプログラムして自宅でレコーディングしていた。ノスタルジックに言えば、それはそれで魅力的なのだが、これらのアルバムが今の HARAKIRI FOR THE SKY のようなサウンドだったら、どんなにクールだろうと思った。特に本物のドラムで、プロのスタジオで録音され、宅録のクオリティを損なうことなくね。
バンドを始めたとき、僕たちはバンドがどこに行くのかわからなかった。DIYのミュージシャンで、家ですべてを解決していた。でも、ある時点で僕たちは話し合ったんだ。リマスター?いや、それだと本物のドラムをミックスできない。リミックス?だったらアルバムを完全に録り直すことにしたんだ。この決断にはとても満足している。オリジナル・バージョンはYouTube や Spotify などに残っているから、ファンにとって問題はない。だから、どのバージョンが好きかは君たちが決めればいい」
“Scorched Earth” はプレス・リリースによれば、”悲惨なまでに壊れてしまった世界 ” にインスパイアされたものだといいます。それは “内省的” なものから離れているようにも聞こえます。
「このアルバムは政治的なアルバムかとよく聞かれるんだ。でも政治的なアルバムではないんだよ。ただ、ここ数年、特にロシアのウクライナ侵攻以来、そして一昨年の10月7日以降、実は “コロナ” 以降なんだけど、世界の出来事がどれだけ僕らの精神的にネガティブな影響を及ぼしているかに気づいたんだ。朝から晩まで悲惨なヘッドラインにさらされ、そのどれもが自分を落ち込ませる。政治的なアルバムではないけど、このような世界の出来事がアルバムのムードに自然に影響を与えているんだよ。
でも、HARAKIRI FOR THE SKY では、いつも僕ら自身が経験した自伝的なトピックについて書いている。ファンタジーは書けないし、書きたくない。2020年の半ばか終わりに、僕の人生はかなり破綻した。当時のガールフレンドは6年間付き合った僕を捨てたんだ…理由はともかく。コロナがやってきて、ライブもなく、僕は文字通り実存的な危機に陥った。そのすべてがこの作品反映され、だから歌詞には悲痛な思いが強く表れているんだ
アルバムのトラックリストを発表したとき、ある人から “エモい” と言われたんだ。”Without You, I’m Just a Sad Song ” や “Too Late for Goodbyes” のような曲やタイトルは、実際とてもエモく聞こえる。曲目が一緒にリストアップされているのを見たことがなかったから、そのことに気づかなかった。しかし、そう、最初から最後まで失恋ソングなんだよ。それは HARAKIRI FOR THE SKY にとって目新しいことではない。薬物乱用、メンタルヘルス、うつ病、壊れた人間関係といったトピックは、僕たちの音楽の重要な部分だ。そうしたテーマは僕らを夢中にさせるし、おそらくこれからもずっとそうだろう。人生は楽にはならないし、年を取れば取るほど、別れは頻繁に訪れるようになる。今は幸せな恋愛をしているし、結婚して1年になるけれど、そういう経験はいつも心に響く。幸運にも僕はとてもクールなバンドをやっていて、とてもクールな奥さんがいて、いろいろなことに恵まれているんだけど、その間に世界で起こっているすべてのことが、僕を本来あるべきでない精神状態にしてしまう。簡単に言うと、僕は繊細すぎるんだ」
古き良き、もしかしたら今よりも平和で気楽だった過去へのノスタルジーも、彼らの音楽にはタペストリーのように織り込まれています。
「HARAKIRI の音楽はいつも、すべてがより良かった過去への強い憧れの感情、究極のメランコリーを反映している。人類の歴史には常に、すべてが非常に悪いと思われた時代があり、その後、より良い時代がやってくる。個人的にも初めての恋とか、今はもういない人間関係とか、そういうことを思い出すと、メランコリックな気持ちになることは誰にでもあると思う」
また同じプレスリリースには、”Scorched Earth” は、すべてのアルバム、”HARAKIRI” が象徴するもの、音楽的、歌詞的なすべての結論のようなものとも書かれています。
「このアルバムは “HARAKIRI FOR THE SKY” の長所を1枚にまとめたものだと思う。瞑想的なポスト・ブラックのパートに、ブラスト・ビート、トレモロ・ギターといった、僕らがいつもやっているようなサウンドは健在だ。同時に、インディー・ロックやグランジ、ポスト・パンク的なアプローチなど、より実験的な要素も多く含まれている。
基本的に、このアルバムはファースト・アルバム以来の僕たちの音楽的な旅を要約したものであり、これまでのアルバムのベストを総括したものでもある。でも、これからもスタイルを根本的に変えることはないと思う。基本的に自分たちが進みたい方向は決まっている。もちろん、新しい影響は僕たちに影響を与えるけど、例えば “Scorched Earth ” で単なる “Mære 2.0 ” を作りたくはなかった。さらなる発展が僕らにとって重要だったんだ。
ただし、バンドが自分たちのスタイルを見つけるのはいいことだが、同じことを繰り返したくはない。だからこのアルバムを “Conclusio” と呼んでいるんだ。アルバム・ジャケットには、過去に登場した5匹の動物が描かれている。動物たちは燃え盛る森から逃げ惑い、そのうちの何匹かはすでに燃えている。つまり、これは終わりではなく、HARAKIRI FOR THE SKY がこれまでやってきたことの論理的帰結なんだ」
アルバムには多くのゲスト・ボーカルが参加しています。
「時系列で説明しよう。まずは AUSTERE の Tim から。AUSTERE に出会ったのは彼らのファーストアルバムが出たときで、2006年か2007年のことだった。当時18歳か19歳で、ほとんどアンダーグラウンドのブラックメタルばかり聴いていた。AUSTERE, LIFELOVER, NYKTALGIA…憂鬱なブラックメタルばかりだった。ポスト・ブラック・メタルが登場する前は、それが僕のちょっとした宗教だった。その15年後、あるライブで Tim に会った。彼は HARAKIRI のジャンパーを着ていて、僕らのファンだったんだ。彼の歌声は素晴らしかったね!
SVALBARD はもう知ってるよね。少なくとも今は、ALCEST とのツアー以来だけどバンドとの付き合いはかなり長い。2015年にウィーンのコンサートで彼らを見たときからのファンだからね。Serena は美しくクリーンな歌唱もできるし、非常にクールなハーシュ・ヴォーカルもできる。そのコンサート以来、僕はSVALBARD のファンになった。以前からスクリームもできる女性と仕事をしたいと思っていたので、彼女は第一候補だった。M.S.も、クリーン・ボーカルとのコンビネーションという点に惹かれたんだ。それに彼女は超超超素敵な女性だよ!
GROZAのP.G.は、今では親友だ。彼はザルツブルクのすぐ近くに住んでいて、しょっちゅう会っている。一緒にコンサートをしたバンドはとても少ないんだ。P.G.はもともと僕と一緒にスクリーム・ヴォーカルをやるはずだったんだけど、彼は自発的に ALICE IN CHAINS のようなスタイルでやってみたんだ。僕たち全員がかなりのグランジ・ファンであることは周知の事実だ。この曲はとてもいい仕上がりになったと思う。僕らのファンのための曲でもあると思う。
最後の曲についてだけど、M.S.はもう少し KATATONIA の流れを汲む曲を書きたかったようだ。僕も KATATONIA のファンだけど、M.S.は本当にファン・ボーイなんだ。その路線で何か書いてみたいと。僕は歌えないことはないけど、音域は信じられないほど広くはないんだ。この曲でボーカルを務めた Daniel は、実は KARG と自身のバンド BACKWARDS CHARM のギタリスト。かなり古典的なシューゲイザー・バンドだと思うよ」
“Melodic Hard Is My ”Backyard” And My Home! I Will Continuing Doing This Til The Day I Die. Doesn’t Matter If It’s Popular Or Not – For Me It’s My Music Lifestyle – Love It !!!”
DISC REVIEW “THE SECOND 1”
「メロディック・ハードロックは私の “バックヤード” であり、私の家なんだ!だから、死ぬまでやり続けるつもりだよ。人気があろうがなかろうが関係ない!私にとって、この音楽はライフスタイルなんだ。ただ、愛しているんだよ!」
“ダサい” 音楽とは何でしょうか?流行や時代にそぐわない音楽のことなのでしょうか?だとしたら、たしかにメロディック・ハードロック、通称メロハーは “ダサい” 音楽なのかもしれません。ただし、もし、”ダサい” が情熱や信念もなくただ時流に乗るだけの、名声、金、モテを欲するポーザーを指すとしたらどうでしょう?明らかにメロハーは “ダサい” から最も遠い場所にいます。なぜなら、大きな名声や金銭は今の時代、メロハーでは得られないものだから。
それでも北欧の貴公子 Mikael Erlandsson がこの音楽をやり続けるのは、メロハーが、美しい旋律がただ好きだから。あの傑作 “The 1” から30年。ついにリリースされる続編 “The Second 1” には、長い月日を経ても枯れることのなかったメロハーに対する愛や情熱が溢れています。
「私は美しいメロディーがただただ大好きなんだ。そしてそれは、私の頭の中で常に鳴っている。メジャー・キーでもマイナー・キーでも、音楽のルールにとらわれず、自分なりのやり方でやるのが好きなんだよ」
1994年、ゼロ・コーポレーションからリリースされた “The 1” はメロハーを定義づけるレコードの一枚となりました。ハードな曲もソフトな曲も、メジャー・キーでもマイナー・キーでも貫かれる旋律の審美。
もちろん、アップテンポでハード、北欧の哀愁が浸透した “It’s Alright” は特にここ日本で爆発的な人気を得ましたが、それだけではありません。例えば “Show me”, “Reason” のようなおおらかなメロディの泉や、”Wish You Were Here”, “Life is a Hard Game to Play” のようなクリスタルで澄み切った北欧の景色に “We Don’t Talk Anymore” のタンゴまで、Mikael のハスキー…ボイスが紡ぎ出すメロディはすべてが珠玉で、ジャンルの醍醐味を心ゆくまで見せつけてくれたのです。
「私は自分をシンガーソングライターとして見ているんだ。そして自分のやっていることを愛している。そうした有名になることについて、ただ興味がないんだよ。だから、人気があろうとなかろうと、これからも音楽を続けていくつもりだよ。自分のため、そして私に興味を持ってくれる人のために」
世界が音楽だけに収束していくような “C’est la vie” を聴けば、メロディがゆっくりと密やかに孤独を癒してくれるような “Paper Moon” を聴けば、Mikael のメロハーに対する情熱が些かも衰えず、むしろ今もなお燃え盛っていることが伝わるはずです。
ここには、LAST AUTUMN’S DREAM, AUTUMN’S CHILD, SALUTE など紆余曲折を経ても守り続けた美旋律の牙城が堂々と鎮座しています。メロハーは今や万人受けでも、時代の万能薬でもありませんが、それでも “Put Some Love In the World”、ほんの一欠片の愛情を、優しさを世界にお裾分けすることならできるはず。暗い時代に Mikael はそう信じて、明日も歌い続けるのです。
今回弊誌では、Mikael Erlandsson にインタビューを行うことができました。「日本は私にとって…本当にすべてなんだ。私の音楽を最初にリリースしてくれた国だから。”The 1” がすべての扉を開けてくれた。このアルバムをとても誇りに思っている。最初からね。もともとはただのデモだったものなんだ。でも、なんとかリリースにこぎつけることができた。その日から、私はほぼ毎年アルバムをリリースしているんだ!」 どうぞ!!
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH JOHN BAILEY OF UTOPIA !!
“Allan Holdsworth Is My Biggest Musical Influence By a Long Way. I Studied Allan’s Music Eligious For Many Years. I Actually Had a Tribute Quartet And We Used To Go Out Playing Allans Music Round The UK.”
DISC REVIEW “SHAME”
「SikTh は大好きだったよ。よく聴いていたよ。THE DILLINGER ESCAPE PLAN のほうが中心だったけど。彼らの暴力性と攻撃性は本当に僕に語りかけてきたし、そのヴァイヴと僕のジャズの知識を融合させようとしたんだ」
“実験的” という言葉は、ヘヴィ・ミュージックのテクニカルな側面においてよく使用される言葉です。ただし、ただ速く、複雑なフレーズを乱立することが本当に “実験的” な音楽なのでしょうか?むしろ、ジャンルの殻を破るような破天荒にこそ、実験という言葉は相応しいようにも思えます。そうした意味で、メタル・コア、プログ・メタルの殻を完全に突き破った SikTh は実に実験的なバンドでした。四半世紀の時を経て、SikTh の志を継ぐ UTOPIA は、同じ UK の鬼才 Allan Holdsworth の遺伝子をも取り入れて、世界に再び実験の意味を問います。
デスメタル、グラインドコア、ドゥーム・メタル、ハードコア、プログレッシブ・ロック、ジャズ、そして時には “謎” としか言いようのないものまで、多様性のモダン・メタルを象徴する楽園 UTOPIA は、実際あまりにも前代未聞です。
「Allan Holdsworth は、僕の音楽的な最大の影響者だ。僕は何年も Allan の音楽を熱心に研究した。実際にトリビュート・カルテットを持っていて、イギリス中で彼の音楽を演奏していたんだ。彼のソロを書き写したり、彼の曲を学んだりするのに、文字通り何千時間も費やしたよ。 同時に、Pat Metheny, Mike Morenom Julian Break, Kurt Rosenwinkel, Nelson Veras, Jonathan Kreisberg も僕に大きな影響を与えているんだ」
Allan Holdsworth の影響を受けたメタルといえば、もちろん真っ先に MESHUGGAH が浮かぶはずです。ただし、彼らの場合はどちらかといえば Fredrik Thordental のソロイズムに Allan の影を見ることのほうが多かったような気がします。一方で、プロのジャズ・ギタリストでもあり、Holdsworth 研究に何千時間も費やしてきた UTOPIA のギタリスト John Bailey はソロのみならず、アトモスフィアやリズムの意外性にまで大きく踏み込んでいます。
それは、MESHUGGAH 的なポリリズミック、整合を不整合に見せるテクニックではなく、まさに奇想天外、青天の霹靂なオフキルター、不穏と破綻の一歩手前、ズレたリズムの面白さ。
「最近は、人々が僕らを発見しようがしまいが、本当にどうでもいいんだ。僕個人としては、自分たちのアウトプットにとても満足しているし、みんながそれを気に入ってくれるなら最高だけど、僕にも尊厳があるし、ソーシャルメディアやインスタント・カルチャーに自分の音楽人生をどう構成するかを左右されるようなことはしたくない。君のような人たちが僕らにメールをくれたり、インタビューを申し込んでくれたりするのは、とても個人的なことなんだ。それを聴いて気に入ってくれる人が何人かでもいれば、それは僕にとって素晴らしいことなんだ」
フィレンツェの哲学者マキャベリについて考察したオープナー “Machiavelli” は、そんな破綻寸前のスリルを醸し出す UTOPIA の真骨頂。デスメタルとハードコアで即座に惹きつけ、段階を踏んで展開し、不協和音のギター・ワーク、フレットレスの魔法、様々な拍子、そしてクジラの鳴き声に似たリラックスした不気味なアンビエント・インタールードまで、その破天荒は破綻寸前。だからこそ面白い。
目的のためには手段を選ばない、力の信奉マキャベリズムは、政治から人々の個人的な生活にまで広げることができる興味深い概念です。それはおそらくほとんどの人の中に存在し、権力や影響力のある地位にしがみつくために道徳的な行動や才能を堕落させます。UTOPIA の “実験性” はそんなマキャベリズムとは真逆の場所にいて、自分たちの才能ややりたい音楽だけを信じて邁進し続けるのです。だからこそ尊い。
今回弊誌では、John Bailey にインタビューを行うことができました。「15年間は、ほとんどジャズとクラシック音楽一筋だったんだ。ジャズの修士号を取得し、さまざまなジャズ・アンサンブルを結成した。クラシック・ギターのツアーも何度かやったし、ジャズのライブもたくさんやった」 どうぞ!!
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH PROFESSOR CAFFEINE & THE INSECURITIES !!
“Everyone Forgets That Yamcha And Tien Are The Unsung OG Heroes Of Dragon Ball, By The Time You Get Around To Dragon Ball Z Everybody Is So Overpowered You Lose That.”
DISC REVIEW “PROFESSOR CAFFEINE & THE INSECURITIES”
「Thank You Scientist はあまり聴いたことがなかったんだ。2019年に彼らのオープニングを飾ったし、本当に素晴らしい人たちだったからあまり言いたくないけど、彼らにハマったのは僕らがすでに地位を確立したずっと後だったんだ。その時点で、僕たちの2枚目のリリース “The Video Game EP” は少なくとも1年前にリリースされていたからね。でも今聴くと、確かに似ているところがあるね」
2011年、ニュージャージー州モントクレア。Thank You Scientist は “The Perils of Time Travel” でジャジー&サックスを前面に押し出した複雑性と、エモーショナルで人を惹きつけるパワーポップのメロディが同居した革命的で魅力的なデビューEPをリリースしました。彼らはキャリアの道のりでますますジャズ・フュージョンの影響に傾き、ますます複雑なインストゥルメンタルと、メロディアスでありながらより複雑なソングライティングを聴かせてくれています。しかし、もしTYSが複雑なジャズよりも、音楽性をキャッチーでエモいコーラスをシームレスに折り込むという天性の才能に集中していたとしたら?ニューイングランドを拠点とするプログ/ポップ/マス/エモ・アンサンブル、Professor Caffeine & the Insecurities のセルフタイトルはまさにその “IF” を実現します。
「SEVENDUST, ALTER BRIDGE, ANIMALS AS LEADERS といったバンドに出会ったとき、彼らは僕にもっと音楽を追求するよう背中を押してくれたんだ。CALIGULA’S HORSE からビリー・アイリッシュへ、CARBOMB から BOYGENINUS へ、といった具合だ」
印象的なフックや曲作りと、興味深く進歩的な音楽的アイデアのバランスを取る最高で最初のバンドが RUSH だとしたら、Professor Caffeine はこの指標で非常に高いスコアを獲得するはずです。それはきっと、彼らを “プログ” の世界に誘った偉人たち、CALIGULA’S HORSE や ANIMALS AS LEADERS が常に複雑性とメロディの美しさを両立させていたから。
リスナーは、どうしようもなくキャッチーで甘ったるくなりそうなコーラス、”Wolf Fang Fist!” や “Astronaut” を口ずさむ一方で、ほぼすべての曲にまるでクッキーの中のチョコレート・チップのように、トリッキーで小さなアルペジオが隙間なくちりばめられていることに気づくはずです。
“The Spinz” に組み込まれた狂ったようなピアノ・ランや、陽気なサウンド “Dope Shades” のバックボーンを形成する驚くほど複雑なジャズ・ハーモニーのように、時には繊細なものもあれば、”That’s a Chunky” でのクランチーなリフとシンセの爆発的なバーストや、”Make Like a Tree (And Leave)” のコーラスに充満する不条理なほどヌケの良いギター・リードなど、より明白な場合も。リスナーが一瞬でも、このバンドのパワー・ポップの才能に導かれてプログであることを忘れてしまうたびに、彼らはまた複雑なユニゾン・ラン、突然のテンポ・シフトや様々な小道具で絶妙のバランスを構築していきます。
そう
「この曲はヤムチャにちなんでいるんだ!ヤムチャはDBZサーガではあまり活躍しなかったけれど、子供の頃から大好きなキャラクターだった。ヤムチャは悟空に対抗できる最初のキャラクターの一人で、彼が “狼牙風風拳” という拳の技をキックから始めるのがいつもコミカルだと感じていたんだよね (笑)。僕たちはドラゴンボールの世界が大好きだから、Dan もこのネーミングを気に入ってくれると思ったんだ。バンドに見せたオリジナルのデモはBPMが20も速くて、想像するのも乱暴なんだけど、もともと最初のアイデアは、ぶっ飛んだ、容赦のない “Kick You In the Face” なライブ・ソングやアルバムのオープニングを作ることだったんだ」
アルバムのハイライトは、ドラゴンボールのヤムチャをテーマとした “Wolf Fang Fist!” “狼牙風風拳” でしょう。物語が進むにつれてインフレしていくキャラクターの強さと “気”。しかし、私たちは原点を忘れてはいないだろうか?ヤムチャの狼牙風風拳や天津飯の気功砲が、ドラゴンボール初期のコミカルな笑いの中で、シリアスに絶妙なバランスを生み出していました。アルバムはフック対複雑、光と影、ユーモアとシリアスの対立が常に存在していますが、まさにドラゴンボール初期のように絶対にどちらかが勝ちすぎることはないのです。
今回弊誌では、Professor Caffeine & the Insecurities にインタビューを行うことができました。「放課後はDBZのセル編やゾイドを見るために急いで家に帰ってたし、サムライチャンプルーは夜遅くまで見てたよ。植松伸夫は、ダークソウル、メトロイド、バイオハザード、そしてソニーと任天堂のほとんどすべてのゲームとともに、作曲家として僕に大きなインスピレーションを与えてくれた」 どうぞ!!
PROFESSOR CAFFEINE & THE INSECURITIES “S.T.” : 10/10
特大のお年玉。NEVERMORE が2025年に復活することを発表しました。ギタリストの Jeff Loomis とドラマーの Van Williams は、”Resurrecting The Dream(夢の復活)” と “A New Chapter Rises(新たな章の幕開け)” というフレーズを使用したティーザーを彼らの SNS ページで発表したのです。
「僕は自分たちを何かのカテゴリーに分類したことはないんだ。パワー・メタル、プログ・メタルと呼ぶかどうかもわからない。ただ、僕らの頭から飛び出したものだと思う。僕たちは、できる限りオリジナリティを出そうとしているだけなんだ。僕らがオリジナルに見えるという点では、多くの人を納得させることができると思う。普通のメタルバンドとはかなり違うサウンドだと思う- Jeff Loomis」
NEVERMORE は、プログレッシヴ・メタル界で最もユニークで前衛的でエモーショナルなバンドのひとつでした。1990年代初頭、シアトルのスラッシュ・ムーブメント、その灰の中から生まれた彼らはプログ・メタル、スラッシュ、陰鬱でアトモスフェリックな楽曲とメロディを融合させることでその個性を確立し、テクニカルな芸術性、深遠な歌詞、激しく感情を揺さぶる送葬の音楽でたちまち評判を確立しました。伝説的な両巨頭、Warrel Dane と Jeff Loomis のもと、バンドは新たなメタルの道を切り開き、後の世代にインスピレーションを与え、永遠の遺産を残したのです。
「確かに私たちは、今流行っているものを演奏しているわけではない。NEVERMORE の音楽はメロディックなエッジを持ったヘヴィ・メタルで、それこそが私たちが常に夢中になってきたものなんだ。多くのバンドが売れっ子になって、流行に乗っかっている。成功している大物バンドほど、軟化し、より受け入れられるようになっているように思えるし、自分たちが始めたときに信じていたこと全てに逆らっている。彼らは、自分たちがなりたくなかったものになってしまった。
だからメタルは停滞した。これからは、より多くのバンドが、自分たちのジャンルの中で、周りで起こっていることよりももっと独創的なサウンドで、違うことをしていくと思う-Warrel Dane」
NEVERMORE のルーツは、Warrel をリード・ヴォーカルに、Jim Sheppard をベースに迎えた1980年代後半のスラッシュ・バンド SANCTUARY に遡ります。SANCTUARY は、MEGADETH の Dave Mustaine がプロデュースした1988年のデビュー作 “Refuge Denied” でなかなかの成功を収めます。しかし、90年代初頭、グランジの台頭により、彼らのスラッシュ・メタル・スタイルはレコード会社から不評を買い、バンド内部も緊張状態に陥ることに。1992年に解散に至りました。
「僕はスウェーデンのバンドに夢中なんだ。特に MESHUGGAH!オフタイムのものとポリリズムが大好きなんだ。それ以外は、70年代の音楽、ジャズ、クラシック…… 16歳のときに MEGADETH のオーディションに挑戦したんだ。皮肉なもんだよ。彼らのような過激なバンドに入るには若すぎるけど、がんばればキラー・プレイヤーになれると丁寧に言われたんだ-Jeff Loomis」
Warrel と Jim はそれでも共に音楽を創り続けたいと考え、まだ10代だったギターの新星 Jeff Loomis と手を組み、メタルの限界に挑戦する新しいバンドを結成したのです。それが NEVERMORE でした。プログ・メタルの複雑さと実験性、スラッシュの激しさ、そして Warrel の送葬の旋律を融合させたサウンドを生み出すべく、彼らはドラマーの Van Williams と共に1992年に新たな旅に出たのです。
NEVERMORE は1995年、センチュリー・メディア・レコードからセルフタイトルのデビュー・アルバムをリリース。このアルバムで彼らは、ヘヴィでグルーヴ感溢れるリフ、複雑怪奇なギターワーク、そしてデインの怪しくもオペラティックなボーカルというバンドの特徴的な組み合わせをお披露目しました。特に、”What Tomorrow Knows” や “Garden of Gray”, “C.B.F.” といった曲は、伝統的なプログ・メタルよりもヘヴィでダークでありながら、典型的なスラッシュよりもメロディアスで複雑な、バンド独自のスタイルをファンに知らしめました。
「トレンドは、私の好みからすると本当に平凡なんだ。ギターソロがある音楽の方が好きなんだ。今の時点では、それが NEVERMORE の使命かもしれないと思っている。クラシックなギター・ソロを復活させつつ、その中に現代音楽の要素を取り入れること。それをやり遂げるのに、ここに十分なギタリストがいるのは確かだ-Warrel Dane」
セカンド・アルバム “The Politics of Ecstasy” (1996年)のリリースで、彼らの音楽は新たな高みに達します。この作品で彼らは、実存主義、社会的操作、個人の自由といったテーマを、より力強く、テーマ性を重視した形で取り上げました。”Next in Line” や “The Seven Tongues of God” といった楽曲では、より凝ったソロや複雑なアレンジで Jeff の卓越したギター・スキルが開花します。後に CANNIBAL CORPSE で頭角を表すギタリスト Pat O’Brien も参加。
「とても親しかった人を亡くしたことがあったんだ。私は幸運にもその出来事を乗り越えて、前に進み、対処することができた。でも、私がここで触れたかったのは、人は時として、そのようなトラウマ的な経験を乗り越えることができず、基本的に一生を台無しにされてしまうこともあるということ。アウトプットはただそれを吐き出すための方法なんだ、ということが伝われば同じような問題を抱えた人たちの心に響いて、気持ちが楽になるかもしれない。これは奇妙な精神療法であり、私にとってはちょっとしたカタルシスなんだと思う-Warrel Dane」
そして、”Dreaming Neon Black”。1999年にリリースされたアルバムで、彼らはついに飛翔します。精神的な危機、悲しみ、喪失をテーマにした作品は、親しい友人の死のような Warrel の個人的な体験が、アルバムの陰鬱なトーンと重苦しい歌詞のインスピレーションとなり、批評家とファンの両方にアピールしたのです。”Beyond Within”, “The Death of Passion”, そしてタイトル曲 “Dreaming Neon Black” で彼らは、技術的な熟練と純粋な情熱、感情を結びつけることに成功します。しかし、ストーリーの結末は悲劇的。
「悲劇的な結末は、常に私が望んでいたことなんだ。憂鬱で暗い話だとは思うけれど、暗い題材を書く方が面白いんだ。エンディングはもっと明るいものにすべきだったと言われるけど、どうして?人生はいつもそうなるとは限らない。人生のちょっとした問題が悲劇的な結末を迎えることもある-Warrel Dane」
このアルバムは、恋人を失った男の狂気へのスパイラルを描いたストーリー。NEVERMORE が深く感情的でテーマ性のある複雑な音楽を生み出せるバンドであることを世界に知らしめました。Jeff が織りなす速度と旋律のイリュージョン、そして Warrel の不気味に印象的なストーリーテリングの脳裏は、NEVERMORE を最もアヴァンギャルドでしかしキャッチーなメタル・バンドのひとつに押し上げたのです。Jeff が振り返ります。
「まあ、間違いなく最高の作品だったよ。”Politics” とは少し違って、より歌に重点を置いた作品だと思う。かなり誇りに思っているよ。一番好きなのは、 “Deconstruction” で Tim のソロの前にやったフラメンコ・ギターだね。あれは本当にクールだった。あれは自然発生的なものだった。あの曲にいい色を加えてくれたと思う。”No More Will” のソロもそうだ。いろいろなタイム・チェンジがあるんだ。本当にクールだよ-Warrel Dane」
2000年の “Dead Heart in a Dead World” で彼らは新機軸を打ち出しました。をリリースした。7弦ギターの使用によって、より複雑な曲構成とメロディックな深み、劇場型の低音を追求し続けたこのアルバムは、彼らのスタイルに大きな変化をもたらしました。特に、The River Dragon Has Come”, “Narcosynthesis”, “We Disintegrate” など、複雑なリズム、高らかに歌い上げるヴォーカル、変化に富んだリフを含む曲では、Jeff の卓越したギター・ワークが主役の座を得たのです。
「”Dreaming Neon Black 2″ を作るのは簡単だったし、多くの人がそれを期待していたのかもしれない。でも、Chuck Schuldiner の不朽の名言を借りれば、 “人々は予想外のことを期待すべきだ” ということ。このバンドでは、人々が期待するようなことは決してしない。私たちは常に前へ進もうとしているし、レコードを出すたびに少し違ったものを作ろうと自分たちを駆り立てている。安全策を取ることもできたが、それのどこが楽しいんだ?安全策を取ることに楽しみはないと思う。メタルが境界線を本当に広げるべきなのであれば、安全策を取ることは正しいアプローチではないと思う」
このアルバムはさらに広く称賛を浴び、NEVERMORE を世界のメタル・シーンにおける脇役から主役へと引き上げました。同時に、実存的な恐怖、社会の腐敗、内面の混乱といった暗いテーマの探求は、リスナーの共感を呼び心を打ちました。実際、”Dead Heart in a Dead World” は、しばしば史上最高のプログレッシブ・メタル・アルバムのひとつとして挙げられ、プログ・パワーというジャンルを確立し、無数のバンドやミュージシャンに影響を与えたのです。
「この世界にいると、誰もが常に何かを与えようとしているし、人々は常にいろいろなクソを手渡してくる。酒やドラッグ。そしてシラフになると、現実それ自体が大きなドラッグになるんだ。”Enemies of Reality” にこんな歌詞がある。”現実ほど大きな麻薬はない”。これは麻薬中毒のときに書いたんだけど、皮肉なもんだね。他にも知ってる?私はいつもショーの前に少しの酒に頼っていたんだけど、ショー中に完全にシラフで歌っていると、ずっと歌がうまくなることがわかった。私は、バンドの他のメンバーもそうであるように、完全にめちゃくちゃな酔っ払いだった。でもこれまで散々飲んできたから、もし私が止めなかったら、これから生まれてくる若い子たちは何も飲めなくなる。だから今、誰かからウォッカのボトルを渡されるたびに、CHILDREN OF BODOM に渡しているんだ (笑)-Warrel Dane」
Van と Jeff からのオープンレター。
NEVERMORE のティーザーは、多くの肯定的な意見と、予想された否定的な意見を呼び起こした。私(Van )はまず否定的な意見に対処させてほしい。
ベーシストの Jim を巻き込まず、私たちの計画を知らせないのは失礼だと考える人もいる。でも、そう感じる人たちは、このバンドの歴史やこの決断に至った舞台裏の力関係を知らないんだ。最も理想的な方法ではなかったかもしれないが、現実には彼とのコミュニケーションは何年もなかった。
私たちは、新たなスタートのためには、もはや成長や新たな出発につながらないかもしれない関係から離れることも時には必要だと感じた。 私たちは、バンドのレガシーを尊重しながら、その時の私たちにとって正しいと思える方法で前進するつもりで、この決断を下したんだ。
とはいえ、私たちは彼の健康を祈っているし、彼がどんな道を選ぼうと自由だ。あまり詳しく説明するのはやめておくが、リスペクトは双方向のものであり、ある種のことは私たちにとって時間の経過とともに和解できないものとなった。私の人生の現時点では、これ以上説明する必要はないと思っているので、好きなように解釈してほしい。
なぜNEVERMOREを再結成するのかというと、単純な話、このバンドはずっと私の夢だったからだ。一緒にバンドをやる仲間を見つけて、世界中を旅しながら音楽を作ること。オーディションから加入が決まった瞬間まで、音楽、芸術、創造性、冒険、楽しみ、仲間意識の渦だった。
何年もの間、私たちは一緒に素晴らしい音楽と素晴らしい思い出を作った。しかし、時が経つにつれ、物事は制御不能になり、信頼、尊敬、そしてその喜びが消え始めた。
最終的な分岐点は、SYMPHONY Xとのヨーロッパ・ツアーの最後に訪れた。何年もかけて自分たちで最高のバンドを作り上げてきたのに、それを修正するために同じページに立つことができなかった。Jeff と私、そして Warrel と Jim は別の道を歩んだ。和解はなかった。Warrel はブラジルに行き、Jim はアラスカに引退し、連絡を取らないまま何年も過ぎた。
この間、妻が卵巣がんと診断され、私の私生活は壊滅的な状況に陥った。私たちは幼い息子のために平穏な日々を送れるようあらゆる手を尽くし、妻が快適に過ごせるよう最善を尽くした。
Warrel は時折ブラジルから電話をかけてきて、その際に優しい言葉を交わしたが、過去を消し去ることはできなかったし、ある種のことは変わっていないと言える。でと彼は2020年に他界してしまった。その喪失感は私と息子に大きな衝撃を与えた。私自身は、本当のことを言えば、昏睡状態から覚め始めたところだと感じていて、神に感謝しながら、ようやく光が見えてきたような感じだ。
暗黒の日々を乗り越え、私と家族を助けてくれた家族、親しい友人、そしてファンへの感謝の気持ちは、言葉では表せないだろう。辛い時期を乗り越えさせてくれて、本当にありがとう。
そんな中でも Jeff はいつも私の強力なサポーターであり続け、私たちの絆は深まった。時が経つにつれ、私たちは共に創作し、演奏する喜びを懐かしむようになった。NEVERMORE はその喜びの大きな一部であり、私はそれを非常に誇りに思っている。
これを “金目当て “だと言う人たちには、同意しかねる。ほとんどのミュージシャンは、お金のためにやっているわけではない。ただ好きだから、汗を流し、リハーサルをし、演奏し、レコーディングしてきた。これが私たちが人生で選んだことなんだ。音楽への情熱、ファンとのつながり、創造的なプロセス、それが私たちを突き動かしている。もしそこからお金が生まれるなら、それは素晴らしいことだけど、それが焦点になったことは一度もない。
Jeff と私は、Warrel と Jim がバンドにもたらしたものを尊重しつつ、新しい章を築く手助けをしてくれるミュージシャンを見つけることで、NEVERMORE の遺産を尊重したいと考えている。Warrel の代わりを探すことではない。それは誰にもできないことなんだ。しかし、彼の作品に敬意を払いつつ、新しいことに貢献できる人を見つけたい。私たちは、ファンが集まり、音楽を祝福し、あの素晴らしい歌詞を再び歌うチャンスを与えたい。そして願わくば、クラシックと肩を並べるような新しい音楽を作りたい。
Jim の状況が違っていればよかったのだが、過去が私たちをここまで連れてきてしまった。私自身はポジティブさとポジティブな人々に焦点を当てており、過去のネガティブな感情に絡め取られることは拒否するつもりだ。Jeff と私が適切なヴォーカリストとベーシスト、つまり遺産を尊重し、私たちとともに前進したいと思うミュージシャンを見つけることができれば、この新しい章は、私たちとともに来ることを選んだすべての人にとって、本当に特別なものになるだろう。これはカヴァー・バンドでもトリビュート・バンドでもなく、NEVERMORE と呼ばれるバンドの旗を掲げ、それを受け継いでいくことを決意したバンドの次の進化・章になるんだ。
またみんなに会えるのを楽しみにしているよ。
Van Williams
Van の発言に同意するよ。NEVERMORE の過去の歴史には、明らかに多くの浮き沈みがあった。Van と共にバンドの新たなレベルへと聖火を運びながら、良いことだけを覚えていたい。
私の心はいつも音楽、ツアー、パフォーマンスのためにある。この10~11年間、他のミュージシャンと一緒に演奏して素晴らしい時間を過ごしてきたけど、NEVERMORE は、僕がこれまでしてきたこと、そして創り上げてきた最高の音楽への個人的な入り口であり、これからもずっとそうあり続けるだろう。
誰も Warrel Dane の代わりにはなれない。それが結論。彼の興味深いメロディーとステージ上でのカリスマ性で、彼は詩的にも精神的にもバンドの大きな部分を占める力だった。だから彼のクローンを探しているわけではない。
私たちは、彼のヴォーカル・スタイルで古い NEVERMORE の曲を歌いこなせる人、そしてバンドの次の章に何か新しく新鮮なものを加えられる人を探しているんだ。明らかに、これは最も簡単なことではないだろう。
以上のことから、私たちは2人の並外れたミュージシャンを求めてWORLD SEARCHを行うよ。1人はメイン・リード・ヴォーカリスト、もう1人はベース奏者で、私たちの遺産を受け継いでくれる人。その後、2人目のギタリストのポジションも埋まりましたが、それについてはまた後日、別の更新で!
Jeff Loomis
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH PETTERI SCYTHE FROM SCYTHE OF SORROW !!
“From The Moment I First Heard CoB, Alexi Became My Greatest Idol And Role Model As a Musician. His Music And Lyrics Have Helped Me Through Many Difficult Moments In Life.”
DISC REVIEW “RAVEN’S DRY OF DESPAIR”
「彼の死を知った日のことはよく覚えている。妻と僕はヘルシンキで大晦日を祝った後、ポーランドに戻ったところだった。当時、僕はヘルシンキにいたけど、まだここには住んでいなかった。僕のアイドルが亡くなったとき、同じ街にいたことを知り、とても恐ろしい気持ちになったんだよ。
その日は受け入れることができなかった。彼はまだ若く、これからの人生もあった。僕は彼の新しいプロジェクト、BODOM AFTER MIDNIGHT に大きな期待を寄せていたし…。ああした結果になってしまったのは悲劇だよ。特にコンサートの前夜は、よく墓地に彼を訪ねるんだ。 彼が恋しいよ…」
伝説が、英雄が亡くなった時、私たちは大きな喪失感に襲われます。心にポッカリと穴が空いたような、空虚で無力で無気力な日々。押し寄せるのはただ悲しみだけ。4年前の年の瀬、ヘヴィ・メタル・コミュニティ全体がそんな状態に陥りました。CHILDREN OF BODOM の心臓で、唯一無二のメタル・ヒーロー Alexi Laiho がこの世を去ったのです。依存症というヘヴィな話題も、私たちの心を突き刺しました。
喪失感や痛み、空虚な心はある程度、時間が癒してくれます。あれから4年の月日を経て、私たちはそれでもやっと、CHILDREN OF BODOM がもう決して戻らないことを受け入れ始めました。彼らの音楽を聴き継いでいくことで、ありし日の姿を語り継いでいくことで、Alexi はずっと心の中に生き続けると。そしてもちろん、Alexi は自らの音楽以外にも、”影響” という大きな遺産を残してくれています。あの日、同じ悲しみに身を裂かれた Petteri Scythe はまさに Alexi の大いなる遺産で今、彼らの穴を埋めようと奮戦しています。
「CHILDREN OF BODOM を初めて聴いた瞬間から、Alexi は僕のミュージシャンとしての最大のアイドルで、ロールモデルになった。彼の音楽と歌詞は、人生における幾多の困難な場面で僕を助けてくれたんだ。もし彼と彼の音楽がなかったら、SCYTHE OF SORROW を作るためにポーランドからフィンランドに移住することもなかっただろう。彼はミュージシャンとしての僕にとって、常に究極のインスピレーションであり続けるだろうね」
Petteri の言葉通り、SCYTHE OF SORROW は CHILDREN OF BODOM の大いなる息子であり、Alexi の目指した未来を切り開く者。もちろんこれは彼らのデビュー作で、偉大なるレジェンドのレベルにはまだ及びませんが、それでもフレーズの端々に、テクニックの切れ味に、メロディの輝きに、私たちは “影の口付け” を垣間見ます。
「僕の一番ははいつもこれ。”Something Wild”。文字通り…ワイルドだからね。すべてから怒り、攻撃性、情熱が感じられる。 特に “In The Shadows” と “The Nail” が大好きなんだ。
次に “Follow The Reaper”。ちょっと皮肉なことに、ほとんどの人が “Hate Crew Deathroll” を選ぶだろうけど、僕はこのアルバムこそが世界への扉を開いたと信じているんだ」
もちろん、”赤青緑が好きなんだったらもっとネオクラに振ってくれ!” とか、”バカクソ長いソロセクションやインタープレイがあってもいいんだよ?” とか、”もうちょっと歌に説得力が欲しいなあ” とかいろいろあるでしょうけど、このキラキラなメロディック・デスメタルとあのギター、あのシルエットがもう一度私たちの前に降臨した…まずはその奇跡を喜ぼうではありませんか。
Petteri が EUROPE や Alexi の愛した GUNS N’ ROSES の大ファンというのも、ポイントが高いですね。今はまだ “Follower the Reaper” かもしれませんが、あの大鎌はいつか我々の喉元にきっとズブリと突き刺さるはずです。
今回弊誌では、Petteri Scythe にインタビューを行うことができました。「世界で最も人気のあるジャンルではないかもしれないが、ここフィンランドではかなり好調だ。 トラディショナル・ヘヴィ・メタルのニュー・ウェーブのように、メロディック・デスメタルのニュー・ウェーブが来るかもしれない。僕たちがその一部になれることを願っているよ!」 もうね、曲が疾走を始める寸前のアジテーション…あれだけで涙腺ダバダバですね。どうぞ!!
SCYTHE OF SORROW “RAVEN’S CRY OF DESPAIR” : 9.9/10