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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【INDUCTION : MEDUSA】JAPAN TOUR 24′


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH TIM HANSEN OF INDUCTION !!

“Power Metal, Or Heavy Metal Just Seems Like The Most Versatile Metal Genre To Me. I Love The Focus On Great Melodies And The Freedom To Go Slow And Heavy, Or Fast And Hard. Power Metal To Me Is a Feeling, Not a Genre. And I Try To Embody That With Induction.”

DISC REVIEW “MEDUSA”

「パワー・メタル、あるいはクラシックなヘヴィ・メタルは、僕にとって最も汎用性の高いメタル・ジャンルに思えるんだ。素晴らしいメロディーを重視し、スローでヘヴィーな曲も、速くてハードな曲も自由自在なところが好きなんだよ。僕にとってのパワー・メタルは、ジャンルではなくフィーリングなんだ。そして、僕は INDUCTION でそれを体現しようとしているんだよ」
かつて、ヘヴィ・メタル、そのステレオタイプの象徴だったパワー・メタルを、”柔軟で汎用性の高い自由なジャンル” と言い切るジェネレーションが遂にあらわれました。それだけでももう隔世の感がありますが、その言葉があのミスター・パワー・メタル Kai Hansen の息子 Tim Hansen から発せられたのですから、時代と価値観の変化はたしかなものに違いありません。
「音楽的には父の世代より間違いなく一歩進んでいるし、いわゆるジャーマン・メタルのバンドたちとはサウンドは違う。でも、もしかしたら僕たちは “ジャーマン・メタルのニューウェーブ” と言えるかもしれないね。僕はそのサウンドが好きだ」
実際、Tim は自身のバンド INDUCTION で “ジャーマン・メタルのニューウェーブ”、そのアンバサダーに就任しました。INDUCTION がその称号に相応しいのには確固たる理由があります。Tim が “ディズニー・メタル” と称賛する TWILIGHT FORCE の完璧にオーケストレートされたシンフォニー、BEAST IN BLACK のダンス・パーティー、POLYPHIA や PERIPHERY まで想起させるモダンなギター・テクニック、硬軟取り揃えた曲調の妙。そんな現代的なアップデートを、80、90年代のクラシックなジャーマン・メタルに落とし込む。
「たしかに父がいなかったら、音楽とギターにのめり込むことはなかったと思う。でも、ギターを手にしたいと思わせる要素はもっとたくさんあったんだ。特定のギター・ヒーローがいたわけではないんだけど、お気に入りのギタリストは、Guthrie Govan, Teemu Mäntysaari, Kasperi Heikkinen。僕は人生の困難な時期に、自分自身に新しい使命が必要だと思った。そして、そのときから僕は完全に音楽にコミットし始め、自分の道を歩むようになった。でも、何かヒントが必要なときに、父のように側に助けてくれる人がいるのはいつもありがたかったよ!」
パワー・メタルを自由の土地とみなし、明日を見据えて狂気と才気を発電する。楽しい音楽を作ること。もちろん、その偉業の達成は Hansen 家の血が後押ししていますが、それだけではないでしょう。そもそも、メタル世界は政治や会社のように世襲制ではありません。継ぐべき地盤も資産もないのですから。それでも、Tim Hansen は父と同じパワー・メタルという夢の国で反乱を起こすと決めたのです。それは、パワー・メタルが好きだから。パワー・メタルへの情熱があふれるから。パワー・メタルが使命だから。ジャーマン・メタル。その過去へのトリビュートと未来への才狂を実現できるのは、Tim Hansen しかいないのですから。
今回弊誌では、Tim Hansen にインタビューを行うことができました。「とにかく楽しい音楽を書きたい。ライヴに来て、日常や普段の生活をすべて忘れて、ただ一晩放心状態になれる。そんな音楽をね。そういう意味で、僕はリスナーに逃避を提供しようとしているんだ。でもそれだけじゃなく、音楽をもっと深く掘り下げると、寓話やファンタジーだけでなく、曲の中にたくさんの実体と意味があることに気づくはずだよ」 親子での来日も決定!あの Ralf Scheepers も GAMMA RAY に帯同します。どうぞ!!

INDUCTION “MEDUSA” : 10/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【ELECTRIC CALLBOY : TEKKNO】 FOX_FEST 24 SPECIAL !!


COVER STORY : ELECTRIC CALLBOY “TEKKNO”

“You Listen To With Your Ears But Feel In Your Heart. You’d Never Predefine The Type Of Person You’d Fall In Love With, So Why The Songs?”

TEKKNO

「僕たちが考えた他の新しい名前はどれも間違っていると感じた。ESKIMO CALLBOY は10年以上僕らの名前だったから、新しい名前にするのは違和感があったんだ。でも、僕らにはバンドとしての責任があることは分かっていた。他人のことを気にしないバンドにはなりたくない。人々を分断したり分離させたりするのではなく、ひとつにまとめなければならないんだ」
長く親しんだ名前を変えること。それは容易い決断ではありません。大人気のバンドならなおさら。それでもドイツのヤング・ガンズは改名に踏み切りました。 彼らは “Eskimo” という単語を “Electric” に変更しましたが、これはエスキモーという言葉が北極圏のイヌイットやユピックの人々に対する蔑称と見なされるため。その後、彼らは過去のアルバムのアートワークを新名称で再リリースしたのです。
「僕は初めて父親になったが、すでに存在するバンドに新しい名前をつけるのは難しいよ。だから、僕たちは “EC” というイニシャルを残したかった。”エレクトリック” ならかなり流動的だったし、イニシャルも残っていた。そうでなければ、リブランディングは大きな問題になると思ったんだ。みんな受け入れてくれるだろうか?多くの不安があった。でも、たぶん受け入れられるのに1ヵ月もかからなかったし、みんなそんなことは忘れてしまったよ。この新しい名前はとてもクールだよ」

改名のタイミングも完璧でした。最新作 “Tekkno” のリリース前、ロックダウン中。彼らのインターネットでの存在感を通してファンとなった人たちは、”Hypa Hypa” で津波のような畝りとなります。何よりも、ネオン輝くエレクトロニック・ミュージックとメタルの鋭さは、人々が最も暗く、そしておそらく最も慢性的に憂鬱をオンラインで感じているときに必要なものだったのです。
この曲の大成功は、すでに5枚のアルバムをリリースし、新時代の到来を告げるドイツのグループにとって強力な基盤となりました。
ラインナップの変更も発生。クリーン・ボーカリストの Nico Sallach が加入し、それに伴いグループ内に新たなケミストリーが生まれました。Sallach ともう一人のボーカリスト兼キーボーディスト Kevin Ratajczak の間には紛れもない絆が生まれ、それは ELECTRIC CALLBOY のライブ体験の特別な基盤となっています。そんな絶好調の彼らを “ドイツ最大の輸出品” と推す声も。
「今は2年前のような、みんながすごく期待していたような感じではないんだ。パンデミックの間に高まっていたバブル(誇大広告)だよ」

バブルは弾けるものですが、この人気の津波は決して彼らが儚い泡のようなアーティストではなかったことを証明しています。極彩色をちりばめた “Tekkno” のリリースは、バンドにとってスターダムへの最後の後押しとなりました。
重厚なブレイクダウンと自信に満ちたメタルコアのリフ、大胆にポップへと傾倒した予測不能なボーカル・メロディ。”Tekkno” は、ELECTRIC CALLBOY にドイツで初のアルバム・チャート1位をもたらしただけでなく、ヨーロッパやイギリスの他の地域のアルバム・チャートでもトップ20の栄誉を与えました。
さらに、このアルバムはソングライター、プロデューサーとしての彼らの洗練された芸術性をも実証しました。曲作りからプロダクション、ビデオへの実践的なアプローチに至るまで、そこに彼らの一貫した意見と指示がないものはありません。
「僕たちはお互いを高め合っている」 と Ratajczak は言います。「多くのバンドは、プロデューサーとバンドの1人か2人で曲を作っている。でも僕らは、みんなで曲について話し合うんだ。みんな、自分たちのアイディアを持っている」

つまり、ELECTRIC CALLBOY は、バンドだけでなく、音楽的にも生まれ変わったと言っていいのでしょう。
「Nico を新しいシンガーに迎え、以前のシンガーが辞めたこと。これは新たなスタートであり、かつてのバンドの死でもあった。新しいスタートを切り、2010年に戻ったのだから、何が起こるかわからなかった。 でも、少なくとも “Tekkno” で何をしたいかはわかっていた。”再生” という言葉がぴったりだと思う。これが自分たちだと胸を張って言える。これが僕らの音楽なんだ」
“Tekkno” に込めたのは、純粋さと楽しさ。シリアスなテーマのメタルコア・バンドが多い中、より楽観的なサウンド・スケープにフォーカスして作られたこのアルバムで彼らは、たまには解放されてもいいと呼びかけました。
「人生でやりきれないことがあったら、そのままにして人生を楽しもう。自分のために何かをしよう。
バンドを始めたとき、僕らは20代半ばだった。パーティーと楽しい時間がすべてだった。他のことはあまり気にしていなかった。責任感もなかった。ただその瞬間を生き、楽しい時間を過ごした。それは音楽にも表れていた。
しかし、成功とともに責任も重くなった。僕はいつもスパイダーマンとベンおじさんの言葉を思い出す。”大いなる力には大いなる責任が伴う”。だから多くのバンドが、政治的なテーマであれ、その他さまざまな深刻なテーマであれ、シリアスなテーマを取り上げるようになる。
でも僕たちは、たとえ嫌な気分、仕事で嫌なことがあったり、配偶者とケンカしたりしたときでも、その状況から気持ちを切り離して、そのままにしておいて、楽しい時間を過ごしたり、映画を観たり、例えばエレクトリック・コアを聴いたり、ただ放心状態になったりすると、日常生活の問題に再び立ち向かえるほど強くなれることに気づいたんだ。哲学的に聞こえるかもしれないけど (笑)。でも、これは普通の行動だと思う。自分のために何かをする、自分を守るためにね」

“パーティー・コア” “エレクトリック・コア” というジャンルに今や真新しい輝きがないことは多くの人が認めるところですが、彼らは改名を機に、このジャンルに再度新たな命を吹き込みました。
「5人全員が同意して、またこのジャンルをやってみたいと思った時期があって、再び書き始めたんだ。
“Rehab” は悪いアルバムだった (笑)。好きな曲もあったけど、あれはひとつの時代の終わりだった。あのアルバムを仕上げるのは、ほとんど重荷だった。昔のシンガーと妥協点を見出すのは不可能に近かったから。もうスタジオには行きたくなかった。その結果、僕たちは以前のボーカリストと決別することになった。正直なところ、これは僕たち全員にとって最高の出来事だった。というのも、僕たちは皆、バンドを愛し、10年以上もこのために懸命に働いてきた。だからそれがすべて崩れ去ることを恐れていたんだ。
恐怖だけではなかった。どうやって続けるのか?ファンは新しいボーカリストを受け入れてくれるだろうか?僕たちは新しいボーカリストを受け入れるのか?言っておくけど、前のボーカルのせいにはしたくない。彼は彼自身のことをやっている。彼も同じ話をするだろう。その後、5人全員がスタジオに来て、”2010年のように音楽を作ろう” と言ったんだ」
THY ART IS MURDER, SCOOTER, THE PRODIGY が彼らの中で同居することは、それほど奇妙ではありません。
「僕たちは、ジャンルの境界線が難しいと信じたことは一度もない。もちろん思春期には、自分が何者で、何を聴くかによって自分がどう違うかを定義しようとするものだ。でもね、音楽に説明はいらない。耳で聴き、心で感じる。どんな人と恋に落ちるかは決められないのに、なぜ好きになる歌はジャンルで決めるの?」

ゆえに、ELECTRIC CALLBOY にとって “メインストリームになる”、あるいは “メインストリームに引き寄せられる” といった揶揄は、いささかも意味をなしません。それは彼らのインスピレーションの源は、ほとんど無限であるだけでなく、ブラックメタルやデスコアのようなジャンルに閉じこもるバンドが、現実的には世界人口の1%にも届かないことを痛感しているからでしょう。
「僕の経験では、ヘヴィ・バンドが “メインストリームになる” というのは、バンドが自分たちの音楽を変えるということなんだ。彼らはよりソフトになり、より親しみやすくなり、より多くのリスナーを積極的に求めている。僕らはそんなことはしていない。確かに、ELECTRIC CALLBOY がメタル・ミュージックを “非メタル・ファン” の人たちにも親しみやすいものにしていると言われれば、それはとても美しいことだと思う。それでも、世界人口の60%以上にリーチできるかもしれないポップ・アーティストに比べれば、誰もが僕らを知る機会があるわけじゃない。僕たちは、すべての人々にリーチしたいし、その可能性があると信じている。だけどね、そのために変わることはない。大事なのは、僕たちのショーに参加した人たちが、友達みんなに伝えてくれて、次にその人たちも来てくれるようになることなんだよ」


参考文献: KERRANG! :Electric Callboy: “We’re living our best lives right now. This is the time to celebrate that”

OUTBURN:ELECTRIC CALLBOY: Rebirth

LOUDERSOUND:”We have to bring people together not divide them”: Electric Callboy don’t mind being tagged a ‘novelty’ band so long as they can make metalheads smile

FOX_FEST JAPAN 特設サイト

COVER STORY 【NECROPHAGIST : ONSET OF PUTREFACTION / EPITAPH 25TH, 20TH ANNIVERSARY】


COVER STORY : “ONSET OF PUTREFACTION” / “EPITAPH” 25TH, 20TH ANNIVERSARY

“I Don’t Think Every Death Metal Maniac Should Buy My Album, But Anyone Who Is Tired Of All These Average Shit, Where One Band Sounds Like The Other.”

NECROPHAGIST

「”ネクロ “を名前に持つバンドは多すぎる。でも、1988年当時、”ネクロ” を含む名前を選んだバンドはほとんどなかった。今となっては、そんなことをするバンドはクソつまらないし、バカげてる。
僕らの名前が “Necrophagist” だからといって、世間からつまらないと思われるのは良くない。”Necropha-gist” は、音楽にのみ優先順位を設定し、それを改善し、独自の新しいスタイルのデスメタルを開発するためのバンド。だから僕のせいにしないで、ネクロを使っているデスメタル・バンドの “新時代” のせいにしたいね。君たち、想像力は一体どこにあるんだ?」
今からちょうど四半世紀前。Muhammed Suiçmez は、ギターとマイクとコンピューターを持ってスタジオに閉じこもり、史上最もユニークで影響力のあるメタル作品のひとつを録音しました。今にして思えば、 “Onset of Putrefaction” が1999年という前世紀に発表されたことが信じられません。音楽的なスタイルもプロダクションも、明らかに未来。案の定、この作品は、来るべき現代のテクデス・ワールドほとんどすべての規範となったのです。

「リハーサル・ルームで録音したんだけど、プロフェッショナルなサウンドに仕上がったよ。レコーディングに使った機材もプロ仕様。ミックスも最終的に、その道のプロと一緒にやったんだ。だから、リハーサル室で作ったとは思えない仕上がりになっている。そう、とても大変だったんだ。時間も神経も使ったけど、それだけの価値はあったよ」
2000年代に入る前、SUFFOCATION のようなデスメタル・バンドは、ハイゲインの氾濫とカオティックなエネルギー、そしてブルータルな重量が本質的ににじみ出る音楽を生み出していました。ただし、彼らのデスメタルはテクニカルな複雑さとは裏腹に、オーガニックな人間味が多く残されていたのです。NECROPHAGIST は、テクデスを次のステップに進め、より臨床的で冷たく、マシナリーで極めて正確なスタイルを打ち立てました。
「多くの人はデスメタルにおけるドラム・マシーンを好まないが、ドラム・ラインをプログラムするのに3週間、毎日12時間かかった。その結果、このCDはほとんど自然なサウンドになったんだよ」

それまでもテクデスは、もちろんある種の几帳面さを好む傾向がありましたが、”Onset of Putrefaction” は、強迫的な細菌恐怖症と例えられるほどに、無菌状態の完璧主義が貫かれています。プログラムされたドラムは、ロボットのような正確さと非人間的な冷たさを加え、偽物のように聞こえる以上にデスメタルのエッジとAIの無慈悲を獲得するのに役立っています。一方で、テクデスの命ともいえるリフは、当時の常識以上に可動性が高く、慌ただしく、細部まで作り込まれていました。さらにそれらはすべて、ディミニッシュ・アルペジオ、ホールトーン・スケール、クロマティック・ムードといった異端を最大限に活用して、流動的かつリズミカルな魅惑的な”音楽” に加工する魔法に覆われています。
そんな高度に機械化された無菌室は、デスメタル本来の穢れを祓い、過度に衛生化されるという懸念を、次から次へと収録される楽曲の超越したクオリティで薙ぎ払っていきます。一方で、ステレオタイプな低いうなり声のボーカルは、単に楽曲の意味を伝えるものとなり、リズム楽器の一つとして有効に機能しています。
「歌詞のほとんどは昔の CARCASS のようにゴアなテーマを扱っているけど、もっとセンスのあるものもある。これらはより新しいものだ。新しい歌詞はもっと哲学的なものになると思う」

NECROPHAGIST(ギリシャ語で「死者を喰らう者」の意)は、トルコ系ドイツ人のギタリスト/ボーカリスト Muhammed Suiçmez が結成し、フロントを務め、彼がすべてを決定するワンマン・バンドでした。
彼らのデビュー・アルバム “Onset of Putrefaction” は、Hannes Grossmann が制作したドラム・サンプルを使った新版が作られています。
「僕はドイツで生まれたので、1975年からここに住んでいる。ドイツの社会は奇妙で退屈だ。大学を卒業したら、この国を離れると思う。母国にはあまり行ったことがないし、トルコとの関係が希薄なんだ。
偏見を感じることはある。人々は異なる文化を恐れ、偏見を持ち、奇妙な振る舞いをする。とはいえ、僕はここで何人かのドイツ人と友好関係を築いた。彼らとの間には常に距離があるけれどね。私の親友は非ドイツ人であることを明言しなければならないよ。ドイツ人は、僕を自分自身や友人とは異なるものとして理解しているのだ」

そうしたある種の “孤高” と “孤独” の中でも、Muhammed は2010年の解散までに Christian Münzner, Hannes Grossmann, Marco Minnemann, Sami Raatikainen といったドイツの才能を次々と発掘し、彼らが OBSCURA のような次世代の旗手となっていったのはご承知の通り。そうした人を活かすアルバムとして発表された2004年の “Epitaph” は、その完璧な仕上がりとは裏腹に、文字通りバンドの墓標となってしまっています。アルバムでは、Muhammed自身も、7弦と27フレットを備えた新しいカスタムショップのIbanez Xiphosギターで攻めていました。唯一無二であることにこだわるが故の、消滅。
「昔から他のバンドをコピーするバンドはいたし、オリジナルなバンドもいた。その点では何も変わっていないが、レーベルが生き残るために利益を上げる必要がある限り、彼らは手に入るものは何でもリリースするだろう。少なくとも一部のレーベルはそうだ。特にアンダーグラウンドの小さなレーベルは、今でも利益を最も必要としている。それがビジネスであり、ある程度は理解できるが、これでは音楽の発展はない。
NECROPHAGIST は主に自分自身のためにやっているが、もちろん、人々が我々の音楽に影響を受けていると聞くのは光栄なことだ。
音楽的には、確かに僕らのルーツはデスメタルの最初の時代にある。それを除けば、僕たちはどんな音楽にもオープンだし、みんなかなり多様な音楽を聴いている。自分のことしか言えないけど、マルムスティーンのソロ・スタイルはかなり影響を受けていると思う。あとは、パワーメタルは影響を受けているが、それはある程度までだ。SONATA ARCTICA 以外によく聴くパワー・メタル・バンドは思いつかない。とにかくさまざまな角度から影響を受けてもいるよ。重要なのは、自分たちの音楽がどう聞こえるかだ」

“Onset of Putrefaction” から25年。”Epitaph” から20年。年月を経た2枚のアルバムは、今やテクデスの聖典として、様々な後続に崇め奉られています。
「まあ、すべてのデスメタル・マニアが僕のアルバムを買うべきだとは思わないけど、他のバンドと同じように聴こえるような、平均的なクソにうんざりしている人なら誰でも買うべきだよ。申し訳ないけど、バンドはギターやドラムスティックを持てるようになったら、すぐにCDをレコーディングするべきではないと思うんだ。だから、NECROPHAGIST が10年前から存在し、音楽が年々向上していることを知っておいてほしい。新しい、あるいは違ったスタイルの音楽を聴いてもらいたいんだ。”Onset” が他のバンドに似ていると言っている人は、みんなよく聴いていない。だから、この音楽は間違いなくデスメタル・マニアのために作られたものだけど、ブラストビートやダウンチューニングのギターだけがここにあるわけじゃないんだ」

デスメタル・アルバムにおいて、ラジオ・ソングのように、すべての曲が他の曲とまったく違うと自信を持って断言できることがどれほどあるでしょう?NECROPHAGIST は魔法の公式を見つけたと思い込んで、それを繰り返し、同じようなサウンドの濫用になるようなバンドではありませんでした。すべての異なるトラックを全く異なる雰囲気で収録し、そのどれもが地獄のようにキャッチーであるという最も野心的な目標を達成してきました。つまり、彼らが残した2枚の聖典はジャンルを超越し、デスメタルの専門家でない人にとっても潜在的な興味対象であるという特殊性を持つ、史上数少ない真に偉大なアルバムとなったのです。
「ハードドライブのどこかに新しいアルバムは録音してある。でも今はもうバンドをやる気はないんだよな」
これが2019年、Muhammedからの最後の便り。今はエンジニアの資格をとって BMW でエンジニアとして働いているとも噂されていますが、このアニバーサリーの年に何か動きはあるでしょうか…


参考文献: MASTERFUL MAGAZINE : NECROPHAGIST

NIHILISTIC HOLOCAUST: NECROPHAGIST

ZWAREMETALEN Interview

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【ATROCITY : OKKULT Ⅲ】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH ALEXANDER KRULL OF ATROCITY !!

“Atrocity And Myself Were There When It All Started!”

DISC REVIEW “OKKULT Ⅲ”

「80年代に、私の家でも何度かパーティーを開いたんたけど、メタルヘッズとゴスキッズたちはお互いに少し離れたところにいようとしたんだ。別の部屋にいることさえあって、私が走って行き来しなきゃならなかったこともあったくらいでね (笑)。だからこそ、90年代半ばに ATROCITY でメタル、ニュー・ウェーブ、ゴシックのクロスオーバーを行い、彼らを引き合わせるというアイデアが当時生まれたのかもしれないよね」
INSTIGATOR の名でドイツにおけるハードコアの煽動者となった最初期から、ATROCITY と Alexander Krull はその音楽性をカメレオンのように変化させつづけています。テクニカル・デスメタルの一大叙事詩 “Todessehnsucht” を作り上げた時代、ゴシックやインダストリアルを咀嚼し PARADISE LOST や SENTENCED の先を歩んだ時代、 妹の Yasmin と共闘してアトモスフェリックなメタルにおける女性の存在をクローズ・アップした時代、80年代のニュー・ウェーブやポスト・パンクのカバーでポップを追求した時代。ATROCITY は常に時代の先を行き、実験と挑戦の残虐をその身に刻み込んできたバンドです。
「ATROCITY のアーティスト、ミュージシャンとして、私たちは音楽的な自由を持ち、異なるアプローチでアルバムをレコーディングすることが好きなんだ。ファンとしては、常に自分の好きなものを選ぶことができるし、リスナーは気分によって、ブルータルなデスメタルが似合うか、ダークなメロディーを持つアトモスフェリックな音楽が似合うかを決められるんだから、それでいいんじゃないか?」
ATROCITY を語る時、頻繁に登場するのが “Todessehnsucht” が好きすぎてそれ以降のアルバムを認められない問題でしょう。たしかにあの作品は、イカれたテクニカル・デスメタルでありながらどこか気品があり、耽美と荘厳を兼ね備え、暗闇にフックを携えた欧州デスメタル史に残る不朽の名品です。
インタビューで Alex が言及しているように、ドイツ語のタイトルもミステリアスかつ斬新で、ここでも RAMMSTEIN の先を歩んだ早すぎた挑戦でした。音楽の世界では、往々にして真の先駆者が成功を得られないことがありますが、ATROCITY はまさにそうした存在で、ゆえにメタルの地図がある程度定まってきた今こそ、私たちは彼らの旅路を再度歩み直す必要があるのではないでしょうか。当時は突拍子もないで片付けられたアイデアも、今となればすべてが “先駆” であったことに気づくはずです。つまり、ATROCITY は結局、”道” を外れたことなど一度もなかったのです。
「2004年に行った “Atlantis” のコンセプトに関する大規模な作業では、オカルトに関するさまざまな情報や接点が驚くほど豊富にあったんだ。科学的、考古学的な研究、秘教的な理論に対する神話的な視点、第三帝国のオカルティストの不明瞭な解釈、UFO学のような突飛な世界まで、さまざまなものが存在した。そして、次に私たちが思いつくコンセプトは、世界の謎や人間のダークサイドについてかもしれないと、ほとんど明白になったんだよな。そして、1枚のアルバムでは不十分で、ここに “Okkult” 3部作が誕生したわけだ。ダークで壮大で残忍な音楽で、まさにATROCITY のこの10年間を表現しているよ」
祖父がヴァンパイア伝説の震源地、トランシルヴァニア出身であることからオカルトに興味を惹かれた Alex は、そうして世界各地の怪しい場所や伝承、ダークで壮大で残忍なデスメタルを使ってホラー映画のようにダークサイドを描くライフワークに没頭するようになります。”オカルト・シリーズ” と題された深淵もこれが3作目。
この一連の流れでバンドは、遂にデスメタルの最前線に復帰しながらも、やはり実験の精神は微塵も失うことはありませんでした。Elina Siirala (LEAVES’ EYES) と Zoë Marie Federoff (CRADLE OF FILTH) をゲスト・ボーカルに迎えた “Malicious Sukkubus” では暗黒のストンプにシンフォニックな光が差し、”Teufelsmarsch” では90年代のゴス/インダストリアルを逆輸入しつつその邪悪に磨きをかけます。重要なのは、常にオカルティックなエニグマと、地獄の腐臭が共存していること。ATROCITY の闇への最敬礼はやはり、本物の毒と気品を兼ね備えています。
今回弊誌では、レジェンド Alexander Krull にインタビューを行うことができました。「私たちはヨーロッパで最初に結成されたエクストリーム・メタル・バンドの1つとしてスタートし、メタル音楽の新しい地平を開拓するパイオニアとなり、多くの変わったプロジェクトに携わり、メタルで初めて他の音楽スタイルを組み合わせていったんだ」 どうぞ!!

ATROCITY “OKKULT Ⅲ” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【OBSIDIOUS : ICONIC】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH LINUS KLAUSENITZER OF OBSIDIOUS !!

“The Wars And Violence In The World Can Only Make You Feel Depressed. I Try To Still Have a Normal Life By Focusing On The Beautiful Things In Life Without Ignoring What Is Happening In The World.”

DISC REVIEW “ICONIC”

「OBSCURA の Steffen と違って、Javi はギターと歌を同時に演奏する必要がない。だから、もう複雑さにも限界はないんだよ。アルバムのプロダクションはとてもモダンで、音楽の中の情報がよりクリアに伝わってくる。それに、僕たちはパワー・メタルの要素を取り入れているのも特徴だ。テクデスとパワー・メタルのミックスはあまり見かけないものだし、プレイしていて楽しかったね」
Linus Klausenitzer, Rafael Trujillo, Sebastian Lanser, Javi Perera。OBSCURA, ALKAROID, ETERNITY’S END, JUGGERNAUT といったプログレッシブ/テック・メタルの綺羅星から集結した4人。これまでも、複雑かつテクニカルなメタルの迷宮で存分に好き者たちを魅了してきた英傑たちは、それでも飽き足らずに複雑の限界を越えようとしています。ただし、黒曜石でできた新たな惑星 OBSIDIOUS はこれまでの星々とは全く別の美しさを誇ります。”Iconic” と名付けられた集合体の象徴は、ウルトラ・テクニカルでありながら敷居の高い堅苦しさとは無縁。このアルバムは、炎のようなインテンスを保ちながら、耳を捉えて離さないメロディーの洪水に満たされています。さながら、溶岩と濁流がクラッシュして黒曜石が生まれる奇跡の瞬間のように、OBSIDIOUS はパワー・メタルとデスメタルをテクニカルな化学反応で一つにしていくのです。
「僕たちはあの頃のバンドの雰囲気に不満で、もう将来の進展、未来の展望が見えなかったんだ。残念ながら、Steffen は僕たちの脱退にとても腹を立てている。もう連絡は取っていないよ。でも、OBSCURA に対して悪い感情は持っていないし、彼らの成功を願っているんだ」
4人中3人がかつてテック・メタルの巨星 OBSCURA の住人で、なおかつ “OBS” で始まるバンドを結成。これで OBSCURA を意識しないリスナーはいないでしょう。しかし、本人たちはどこ吹く風。巨星の絶対的独裁者 Steffen Kummerer から解き放たれ自由を手にした3人は、新たな挑戦にその身を躍らせます。パワー・メタルの咀嚼ももちろん、その一つ。加えて、Rafael Trujillo と Linus のタッグが永続的に復活したことで、多弦ギターとフレットレス・ベースによる異次元のフレットレス・マッドネスが繰り広げられることにも繋がりました。”フレットレス楽器は人間の歌声に近い” と Linus が語る通り、そうして OBSIDIOUS の音楽はより有機的な人間味を帯びることとなったのです。
「結局、世界の戦争や暴力は、自分を憂鬱にさせるだけ。僕は、世界で起こっていることを無視することなく、人生の美しいものに焦点を当てることで、まだ普通の生活を送れるよう努力しているんだよ」
人間味を帯びたのは、何も音楽だけにとどまりません。宇宙をテーマとしていた巨星を脱出した3人とボーカルの Javi Perera は、ロックダウンによるインスピレーションの “無” や、戦争の暴力を目の当たりにして地面に降り立とうと決意します。日常からあまりにもかけ離れた壮大な宇宙の話から、より人間らしいテーマを扱おうと。性的に加虐嗜好が行きすぎた人の話から、認知症とその周りの苦悩まで、誰にでも起こり得るテーマに焦点を当てながら、OBSIDIOUS は人の営みに黒曜石の輝きを探していきます。その探索に、Javi の看護師としての “体験” が生きていることは言うまでもないでしょう。
それにしても、モダンなテクデスからブラッケンドな息吹、スピード違反のアルペジオ、GOJIRA 風のチャグチャグ、ドラマチックなリード・メロディにジェットコースターのソロワークまで、互いの通れない音の隙間をぬいながら、ジャンルの障壁をいとも簡単にぶち破る弦楽隊の多様な才能には恐れ入ります。特に Linus にとって、その音楽的な寛容さは、OBSCURA はもちろん、様々なセッション・ワーク、パワー・メタルの ETERNITY’S END, そしてより伝統的なプログを摂取した ALKAROID で養われたものに違いありません。
そして、見事なオーケストレーションに、硬軟、単複、自由自在なカメレオンのボーカル。知的でエンターテイメント性の高いヘヴィ・メタルと言うことは簡単ですが、その両極端を勇気を持って結びつけるバンドは決して多くはないのですから。例えば、メタル版オペラ座の怪人とか、ブロードウェイのテクニカル・デスメタル。そんな表現を使いたくなるほど、OBSIDIOUS の挑戦は際立っているのです。
今回弊誌では、Linus Klausenitzer にインタビューを行うことができました。「Warrel Dane のファースト・ソロアルバム “Praises to the War Machine” を再び見つけたんだ。このアルバムには素晴らしい曲がたくさんあって、彼のボーカルはとても個性的に聞こえるね」 4度目の登場。どうぞ!!

OBSIDIOUS “ICONIC” : 10/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【BLIND GUARDIAN : THE GOD MACHINE】


COVER STORY : BLIND GUARDIAN “THE GOD MACHINE”

“I think What We Did Now Is How Speed Metal Has To Sound Right Now And This Is How It Can Be Interesting For The New Generation Of Metal Fans.”

THE GOD MACHINE

1984年、ギタリストの André Olbrich は、高校の同級生だった Hansi Kürsch をロックバンドのリハーサル室に誘います。そこから、BLIND GUARDIAN の歴史は始まりました。
「Hansi と僕は修学旅行で酒を飲んでいたんだ。すると突然、彼は King Diamond のように高音で歌い始め、完全におかしくなった。でも僕は同時に、”なんて声なんだ! 信じられない!圧倒されるし、こんなに高い音も出せるんだ!”と思ったんだ」
André はすぐに Hansi を自分のバンドで歌わないかと誘いましたが、Hansi は自分はシンガーではなくギタリストであると主張して断りました。 André のバンドにはすでに2人のギタリストがいて、3人目を加える計画はありませんでした。しかし、2人の間ですぐに妥協が成立します。Hansi のベース/ボーカルとしての参加です。さらに André は最終的に希望をかなえ、1997年、Hansi はベースを置いてボーカルだけに専念することになります。ここに、BLIND GUARDIAN の前身である LUCIFER’S HERITAGE が誕生したのです。
「Hansi が参加した瞬間から、ロックっぽいバンドからメタル・バンドになったんだ」
Hansi が付け加えます。
「André と一緒にバンドを組もうと決めたときから、とても真剣に取り組んでいた。僕ら二人は、夢を生きられない人たちにうんざりしていたんだ。誰もが有名になることについて話していたけど、話すことと実行することは別なんだから」
リハーサル室での地味な活動から抜け出し、新たに LUCIFER’S HERITAGE と改名した彼らは、2本のデモテープをリリースし、ドイツの小さなメタルレーベル、No Remorse Records の目にとまることになります。1988年、彼らはレーベルとレコード契約を結び、その記念として新しい名前を手に入れます。BLIND GUARDIAN。まもなくメタル世界で最も神聖なバンドのひとつとなる名前です。こうして彼らのオデッセイは幕を開けました。

BLIND GUARDIAN の名で最初にリリースされたのは1988年の “Battalions of Fear” で、この作品はより壮大なものに目を向けたスピード・メタルだったと言えます。 André, Hansi, ギタリストの Marcus Siepen、ドラマーの Thomen Stauch は、1987年10月にプロデューサー Kalle Trapp とレコーディング・スタジオに入り、世界の頂点に立ったような気分になっていたと André は明かします。
「スタジオに入ったとき、僕たちはとても高揚していたんだ。ヘヴィ・メタルのシーンの一部になって、自分たちのアルバムを持つことになるとね。録音するのは僕らのデモの曲で、僕らが大好きな曲だったから、最高のアルバムになると確信していたんだ」
“Battalions” のセッションは、この若いバンドにとってスタジオ・レコーディングの猛特訓となりました。クレーフェルトのリハーサル・ルームでデモを作っていた彼らのやり方は、あらゆるミスが目につく無菌状態のスタジオでは通用しなかったのです。”Battalions” は初期のバンドの奔放な野心を、特に “指輪物語” のアラルゴンに感化された中心曲の “Majesty” で見せつけますが、彼らにはまだ学ぶべきことがたくさんありました。特に André にとって、”ギターソロを作曲するべき” という気づきは、今後の BLIND GUARDIAN にとって重要な指針となっていきます。
「もっと時間があれば、もっと良くなっていたかもしれない」と André は振り返ります。「例えばソロの場合、あの時は一発勝負で、運が良ければ2発で録れた記憶がある。2回で録音できなかったものは?自分の問題だ。このままではいけないと思った。次のアルバムでは、通常のバンド・リハーサルだけでなく、一人でリハーサルをして、ギターソロを作曲する必要があるとね。スタジオで自分が何を演奏したいのか、どの音が必要なのかを考えるのではなく、その前に準備する必要があるとわかったんだよ」

“Battalions” がスタジオ・レコーディングの厳しさに対してバンドが準備不足だったとすれば、1989年の “Follow the Blind” は全く別の問題があったと André は言います。
「”Battalions of Fear” では、曲作りに時間的なプレッシャーはなかった。曲は全部できていたからね。デモテープにあった曲で、あと1、2曲書いて、アルバムは完成したんだ。そしたら突然、レーベル・マネージャーが “OK、次のアルバムは1年以内に出してくれ” って言ったんだ。それで僕たちは、まったくナイーブに、”ああ、問題ない!” と言ってしまった。だって、1年なんて結構長いと思ったから」
しかし、その1年はあっという間でした。André は公務員になり、Hansi も見習いとして働いていました。バンドはまだ BLIND GUARDIAN をフルタイムの仕事にすると決めていなかったので、曲作りとリハーサルは仕事の後の深夜に詰め込まれることになっていました。
「要求に応じて音楽を作るというのは、そんなに簡単なことではないとを初めて知った。だから多くのことが急いで行われ、リハーサル室で数回だけアイデアをまとめて曲をリハーサルしたんだ」
とはいえ、”エルリック・サーガ” に感化された “Fast To Madness” などファンタジックなメタルはより存在感を増しました。”Follow the Blind” のために彼らが最後に書いた曲は “Valhalla” で、André はこの曲を単なる “繋ぎ” だと考え、トラックリストから危うくカットするところでした。André の予想に反して今日、この曲は BLIND GUARDIAN の曲の中で最も人気のある曲の一つとなり、ライブの定番曲として観客のシンガロング欲を常に刺激しています。
「僕たちは素晴らしい曲を書くことができた。”Valhalla” は、あまり考えすぎない方が良いという素晴らしい例だ。自分の中から出てくるものをすべて、最初に受け止めてしまえばいい。最初のアイデアを採用する。2つ目のアイデアを待つという選択肢はなく、ただそこにあるものをつかむんだ。それがとても純粋で、とても本質的なことだと思うし、それこそが “Valhalla” なんだ。そして、これこそが純粋な BLIND GUARDIAN なんだ」

“Tales from the Twilight World” は、BLIND GUARDIAN がすべてをまとめ始めたレコードです。エピカルでありながら、比較的ストレートなスピード・メタルを2枚お見舞いした後、”Tales” でバンドは曲がりくねった曲の構成と綿密に重ねられたアレンジを導入し、以降それが彼らの特徴になることを宣言したのです。公務員と労働はすでにバックミラーの彼方にありました。バンドは André と Hansi の仕事になっていたのです。
「最初の2枚のアルバムで稼いだお金を全部つぎ込んで、自分たちの小さなスタジオを買ったんだ。スタジオと同じプロセスが必要だった。学ぶべきだとね。曲を事前にプロデュースする必要があったけど、これは小さなスタジオでしかできない。だから、スタジオ機材を購入したんだ。そして、この技術的な機材を手に入れた瞬間から、Hansi と僕はリハーサルルームで生活するようになった。機械を使って、一分一秒でも早く曲に取りかかろうとしたんだ」
Hansi も変革の時であったことを認めます。
「僕たちはいつもいろいろなことを試すのが好きなんだ。実験に対する情熱は、僕たちのソング・ライティングには欠かせないからね。”Follow The Blind” の後、自分たちで初めてスタジオ機材を手にしたとき、僕たちの選択肢は無限に広がり始めた。これがあの頃感じていたことだ」
“Tales” のハイライトである “Traveler in Time”, “Lost in the Twilight Hall”, “The Last Candle” といった楽曲は、複雑で重く、しかしメロディックでキャッチーな要素を一度に味わうことができました。”Lord of The Ring” では素直に自らの素性を告白。振り返ってみると、これはパワー・メタルの発明、そしてその体系化の始まりようにも感じられますが、2人は会話の中で、意図的にこの用語を避けていました。どのように呼ぶにせよ、”Tales” は明らかにバンドが自分たちの “声” を発見した瞬間でした。
「僕たちは、ミュージシャンとしての自分たちについて考えていた」 と André は言います。「どうすれば自分の個性を生かせるか?リード・ギタリストとしての音色はどうすればいいのか?そして、Hansi はもちろん、ボーカリストとしての自分の個性を見つけ、初めて、僕たちが知っている Hansi のような、カリスマ的なサウンドを奏でたと思う。”Follow the Blind” では、彼はもう少しスラッシーなサウンドを出そうとしていて、どこに行けばいいのかよくわからなかったんだと思う。でも、”Tales” ではわかっていた。そして僕らも分かっていた。みんな、自分たちがどこにいて、どんな音を出したいのかわかっていたんだ」
そして、”Tales” でメインストリームでの成功がもたらされたと Hansi は言います。
「もはや、誰もが BLIND GUARDIAN が何であるかを知っていた。最初の2枚のアルバムよりも当然優れていることは別として、違いを生んだのは人々の意識だった。次のアルバムに対する人々の期待を実感したことで、”Somewhere Far Beyond” の制作は最も重要で困難な曲作りの期間となったんだ」
期待はソングライターとしての自分たちに大きなプレッシャーを与えたと André も同意します。
「だって、”なんてこった、こんなに成功したアルバムがあるのに、どうやったらこれを超えることができるんだ?”って思ったんだから」

今年30周年を迎え記念のツアーも行われた “Somewhere Far Beyond” で BLIND GUARDIAN は、”Tales” のメロディックなアイデアを発展させると同時に、より多くのサウンド要素を導入しました。バグパイプを使った “The Piper’s Calling” とタイトル曲、シンセサイザーによる “Theater of Pain”、さらに “ホビットの冒険” を踏まえた “The Bard’s Song(In the Forest)” では悲しげなアコースティック・ギターを、続編 “The Bard’s Song(The Hobbit)” ではそれを発展させた中世的なサウンドを披露して、バンドは “Tales” における自己発見を倍加させながら、さらに外界へと拡大していったのです。ちなみに、”The Quest For Tanelorn” は、ムアコックのエターナル・チャンピオンシリーズが元ネタ。
「”Tales” から “Somewhere” へ進む中で、明らかな進化があった」と André は言います。「だから、ギターの音をもっとリッチにして、”Tales” でやったことにすべて上乗せしようとしたんだ」
“Somewhere Far Beyond” は同時に、BLIND GUARDIAN がリハーサル・ルーム時代にお世話になったプロデューサー、Kalle Trappe との関係を終了させる作品ともなりました。「彼はプロデューサーとして非常に保守的で、僕がサウンドやプロダクションに関して革新的なアイデアを思いついても、いつもブロックされた」と André は嘆きます。だからこそ、1995年の “Imaginations from the Other Side” でバンドは、METALLICA の80年代を支えた伝説のエンジニア、Flemming Rasmussen を起用することにしたのです。

「彼はミュージシャンの尻を叩く方法を知っている。前任者は、パフォーマンスとグルーヴとキャラクターにしか興味がなかったんだ。でも Flemming は、僕たちをミュージシャンとして押し上げることを望んでいた。だから、最初は指から血が出るほど演奏していたよ。”もう100%やってるよ!”って言っても彼は、”そんなのは認めないぞ!もっと頑張れ!” と言うんだよ」
Flemming がミキシング・ボードの後ろにいることで、BLIND GUARDIAN はこれまでで最もタイトで、プログレッシブかつ最もダイヤルの合ったアルバムを完成させます。ファンタジー全般を礼賛するタイトルトラックにアーサー王伝説を引用した “Mordred’s Song” まで、”想像のアザー・サイド” を祝賀する “Imaginations” は大ヒットし、バンドにとって待望の国際的なブレイクを成し遂げました。世界のメタル・シーンは、ドイツと日本のオーディエンスがすでに気づいてたことにやっと気づいたのです。また、このアルバムはメロディック・メタルが低迷していた時期に発表された、豊かなレイヤーを持つバロック的なパワー・メタルでした。95年と言えばグランジがまだ優勢で、Nu-metal が徐々に台頭し、アンダーグラウンドの世界はますます過激になるデス・メタルやブラック・メタルに固執していました。それでも、André は気にしませんでした。ロンドンから来た彼のヒーローが、道を示してくれたから。
「僕たちは QUEEN を尊敬していたんだ。彼らは常に、何があろうと自分たち自身のことをやっていた。彼らは個性的で、シーンから完全に独立していた。僕たちも同じようになりたかった。他のバンドを見すぎて、成功したトレンドに自分を合わせようとすると、常に先を行くバンドより少し遅れてしまうから下降する一方なんだ。僕たちは何かを発明するバンドになりたかったんだ」

現在では誰もが認める名盤となっているため、当時 “Nightfall in Middle Earth” がいかに大きな賭けであったかを想像するのは困難かもしれません。BLIND GUARDIAN は常にオタク的な性癖を持っていて、お気に入りの SF やファンタジーの本を基にした歌詞を書いていました。
「僕はオタク的だと思ったことはないし、自分がオタクだとも思っていなかった」と Hansi は抗議しますが。「オタクだったのは、 André と Marcus だ。彼らはコンピュータのロールプレイングに夢中だったからね。でも僕はクールな男だった。彼らがそうしてる間に本を読んでいたんだよ」
“Nightfall” では、トールキンの “シルマリルの物語” をベースにした22曲入りのメタル・オペラを制作し、これまで以上にファンタジーの道を突き進むことになります。
「このアルバムは、トールキンのファンや、僕たちのようなファンタジーが好きな人にとって素晴らしいものになると思ったんだ」と André は回想します。「だから、自分たちのためでもあった。商業的な考えは排除したんだ。レーベルがこの作品をあまり好まないだろうことは、もうわかっていた。このアルバムには、ヒット曲やラジオのシングル曲、MTVのビデオクリップ的なものは入っていないからね。それは分かっていた。でも、”だからどうした?自分たちがやりたいことなんだから” って思っていたよ」
“Nightfall” の構成は、バンドにとって新たな挑戦となりました。”Imaginations” のように単独で成立する曲を作るのではなく、全体の物語とどのように相互作用するかを考えなければならなかったから。 André が回想します。
「Hansi は “メランコリックなものが必要だ”, “戦いが必要だ”, “あれもこれも必要だ” と言っていたよ。ファンタジー世界に深く入り込んで、トールキン的な感覚に合うようなアイデアを出そうとしたんだ。今までとは違う作業工程だったけど、とても興味深く、違う道を歩んだその時から多くのことを学んだんだろうな」
「この作品は新たな BLIND GUARDIAN のソングライティングの出発点だったのかもしれない」 と Hansi は言います。「当時はそう感じなかったけど、今思えばここがポイントだったのかもしれない。曲作り全体が常に進行しているんだ。だから、”Imaginations” から新しいものに向かって自然で有機的な進化を遂げることになったんだ」

“Nightfall” は、 André がクラシック音楽とオーケストラ・アレンジメントに興味を持ち始めたきっかけとしても重要な作品であった。このこだわりは、”Nightfall” の次の作品である2002年の “A Night at the Opera” でさらに実を結ぶことになります。「キーボードでクラシックの楽器を演奏して、それをレコーディングできるなんて、本当に驚いたよ」と André は言います。
「僕たちは、壮大でクラシック志向の曲を作り、実験していたバンドのひとつだったんだ。そして、これらのサウンドの融合は素晴らしいものだと今でも思っている。メタル・ミュージックにとてもよく合うんだ。曲のストーリーやメロディーで作り上げるエモーションは、オーケストラが入ればさらに強くすることができるんだよ」
“A Night at the Opera” で最も大胆な試みは、ホメロスの長編叙事詩 “イーリアス” を14分に渡ってシンフォニック・メタルに翻案した “And Then There Was Silence” でしょう。この曲は、オーケストラの楽器をふんだんに使い、コーラスだけが繰り返されるという、ほとんど圧倒的な音楽的アイデアの洪水を実現しています。”Opera” のレコーディングを開始する頃、2人はクラシック音楽のアルバム “Legacy of the Dark Lands” の制作を始めていました。 André は”Legacy” で採用した作曲スタイルに解放感を覚え、それをメタルの文脈で適用しようとしたのです。
「ルールはない。僕はただ音楽で物語を語りるだけ。もちろん、ドラムとギターを加えなければならなかったけど、とてもうまくいった。ヴァース/コーラス/ヴァース/コーラス/ソロ/コーラス/コーラスみたいな普通の曲の流れから抜け出したかったんだ。それに縛られたくなかったんだ。それに、ヘヴィ・メタルには物語をどこかに導いてくれる自由があると感じている。左の道を通って、またまっすぐな道に戻って、別のところに行くこともできるってね。森の中を歩いていて、木が来たらルートを変えるようなもの。ずっとまっすぐな道である必要はないんだよ」

“Opera” をリリースした後、多くのバンドがレトロなアルバムを制作した時期があったと André は嘆息します。
「彼らは80年代のような音を出そうとしたんだ。僕にとっては、それはひどいことで、そうしたアルバムはすべてひどいと感じた。後ろ向きに歩いているような気がしたんだ。彼らは80年代をもう一度再現したかったんだろうけど、何をバカなことを! 時間は一方向にしか流れていないんだ」
BLIND GUARDIAN のカタログの中で見過ごされてきた逸品、”A Twist in the Myth” がそうしたレトロに回帰するバンドに対する André の答えでした。長年のドラマー Thomas “Thomen” Stauch が脱退し Frederik Ehmke が新たに加入。その厳しい制作スタイル、短くしかし密にミックスされた楽曲、奇妙なシンセ音の多用は、そうしたレトロの風やバンド自身の “A Night at the Opera” からも可能な限り距離を置いていました。 André は、”Twist” について今でも、その最高の曲 -“This Will Never End”, “Otherland”, “Fly” は、トップレベルの BLIND GUARDIAN であると信じています。そして彼は、それらをさらに良くするために手を加え続けたいと思っています。
「今聴くと、もっとこうしたらいいのにと思うことがたくさんある。でも、当時、僕たちはこうした音楽の作り方をこのやり方しか知らなかったし、心の中ではベストだったんだ。でも、いつかこのアルバムの曲のいくつかを作り直したいと思っているんだ。素晴らしいアイデアなんだけど、曲はもっといい方法でアレンジできるし、もっとキャッチーになるはずだからね。このアルバムは、初めて聴く人にとって、とてもとても入り込みにくいものだったということが、今になってよくわかる。情報過多になってしまうし、カッコ悪い。今ならこのアルバムをどうプロデュースするかがわかるんだ」

“Twist” の成果に失望した André は、”And Then There Was Silence” の壮大でシンフォニックな実験に立ち返り、そこから前に進むためのインスピレーションを得ようとしました。そしてその頃、 “Legacy of the Dark Lands” のリリースに向けたセッションに没頭していた André は、本物の人間によるオーケストラを BLIND GUARDIAN のアルバムに使用したくてたまらなくなっていました。
「本物のオーケストラを録音して多くを学んだからこそ、壮大なものを書いてみよう、より良いものを作ろうと言って “And Then There Was Silence” をプログラミングしたからね」
プラハ交響楽団は、”A Night at the Opera” の最大級の衝動をより有機的に感じさせる “At the Edge of Time” で重要な脇役となっています。ゲームの主題歌ともなった “Sacred Worlds” と”時の車輪” がモチーフの  “Wheel of Time” はアルバムの中枢として機能し、”And Then There Was Silence” の圧倒的なスケールをややコンパクトにまとめて提供しています。一方で、”Ride Into Obsession” は André の “作曲された” リードギターがメロディアスなフレーズを奏でなければスラッシュと見紛うばかりのアグレッションを纏います。結局、”At the Edge of Time” は原点回帰という名の一時後退で、 André とバンドの他のメンバーが “Twist” の “失敗” を克服するために必要なリセットであったのです。

2015年の “Beyond the Red Mirror” は、”At the Edge of Time” の自然な伴侶となるべき作品でしょう。この2枚のアルバムはほぼ同じシークエンスとペースで構成されていて、この作品では9分の “The Ninth Wave” と “Grand Parade” を、”Edge” における “Sacred Worlds” と “Wheel of Time” と同じスロットに配置しています。 André は当時、エピックモードで作業し、BLIND GUARDIAN のサウンドを盛り上げるオーケストラの使用に満足していました。
「この2枚のアルバムの間で抜本的な改革はしていないんだ。よし、”Tales” と “Somewhere” の間でやったように、さらに良い音にして、このスタイルをさらに進歩させようという感じだったね。”Beyond the Red Mirror” でピーク・ポイントを設定したかった。ソングライティングはそうできたと思うけど、プロダクションはそうじゃなかったんだ」
確かに、”Mirror” のオーケストラの要素は、”Edge” の力強さに比べて妙に弱々しく感じられ、その結果、アルバムは少しスケールダウンしています。それでも、”Prophecies” のようにいくつかの素晴らしい曲が含まれていますが、 André は “壮大なオーケストラの BLIND GUARDIAN 路線” に行き詰まりを感じていたようにも思えます。
「僕にとっては、その時、この壮大なスタイルを続ける必要はないと思ったんだ。しばらくはこれをやっていたが、今は他のことをやる時だ。もう一度激変が必要なんだとね」

その変化はすぐにやってきますが、その前に André と Hansi は20年以上も温めていた愛の結晶をリリースする必要がありました。BLIND GUARDIAN TWILIGHT ORCHESTRA とクレジットされ、エレクトリック・ギターがゼロである “Legacy of the Dark Land” は、2019年に発売されました。”Legcy” に収録されている最も古い曲は、”Nightfall” 時代までさかのぼります。
「純粋な体験について言えば、常に学び続けるプロセスだった」 と、Hansi は説明します。「音楽家としての能力はもちろん、機能的な曲作りや音楽における物理学について、膨大な知識を得ることができた。それは、実際よりも理論的にね。音楽の魂にとって、その知識は効率的なんだよ」
メタルではないアルバムをリリースし、その理由をファンに理解してもらうことができたのは BLIND GUARDIAN が数十年に渡って築き上げてきた実験の証といえるでしょう。バンドは常にAndré と Hansi の実験室であり、”Legacy” は彼らの最も壮大な実験であったと言えます。だからこそ、二人はこの作品をとても大切にしているのです。
「20年という時間の中で、このような学習プロセスがあったのだから、本当に素晴らしいことだ。こうした時間があったからこそ、このアルバムを作ることができた。何も変えたくないんだ。僕にとってあれは完璧なアルバムで、今までで最高の作品だ」

「長い間、僕らの思考を支配してきたオーケストラ・アルバムの後に、僕らが何か声明を出したかったのは確かだ」と Hansi は言います。「今、僕たちはやりたいことを何でも自由にできるようになったんだ。”The God Machine” は、解き放たれたブラインド・ガーディアンなんだ」
“解き放たれた” という言葉は、”The God Machine” にとって完璧な言葉でしょう。少なくとも “A Twist in the Myth” 以来、あるいはそれ以前から、BLIND GUARDIAN のアルバムの中で最もヘヴィな作品なのですから。このアルバムは、”Deliver Us from Evil”, “Damnation” という2曲の強烈なスピード・メタルで幕を開けます。その後に続く “Secrets of the American Gods” は7分間の音の迷宮で、”The God Machine” の中で最も叙事詩に近いもの。この曲は、Marcus のリズムギターを軸に、アレンジが螺旋状の回廊を下っていくようなうねりを伴っています。Marcus、ドラマーの Frederik Ehmke、ベーシストの Barend Courbois は André や Hansi と同様にアルバムのサウンドにとって重要な存在であることは言うまでもないでしょう。
「久々にバンドとしてリハーサルを再開したんだ。そして、”Legacy of the Dark Lands” に取り組んでいる間、ずっと見逃していたバンドのエネルギーとヘヴィネスを感じたんだ。それは僕らが再び速く、よりハードになった理由のひとつだ」
“The God Machine” はコロナ時代の BLIND GUARDIAN 最初のアルバムですが、彼らの曲は世界的な大災害よりもエルフや魔法使いについての曲の方が未だに多いのはたしかです。ただし、このアルバムは André が今の世界の “世相” と呼ぶものを捉えているようです。
「世界全体が厳しくなったように感じた。人々がお互いにどのように話しているのかがわかった。10代の頃のイライラした気持ちに近いものがあった。そして、それが “The God Machine ” の感覚だった。フラストレーションを全部吐き出して、エネルギーを全部込めたんだ。もっとスピード・メタルなんだ。もっとハードでファストな感じ。僕にとって、それは今の時代を反映しているもので、常に重要なこと。そしておそらく、僕がこの時代に抱いた感情を解消するのに役立つのであれば、それは他の人々にも役立つかもしれない」
今回、BLIND GUARDIAN の挑戦は “スピード・メタル 2022” です。
「もう2017年末のツアーの直後から曲作りを始めていたね。ただアイデアを集めて、すべてをオープンにしておいたんだ、なぜなら、最初のうちは、自分たちを特定の方向に限定したくないから、どんなアイデアがあるか見て、そこから作業するんだ。だから、最初は “American Gods” と “Architects of Doom” に取り組んでいて、その後、”Legacy of the Dark Lands” に集中しなければならない、あるいは集中したいので、曲作りは一旦中断したと思うんだ。それが終わると、オーケストラやアレンジメントと一緒に仕事をするのはとても強烈で、僕にとっては何か別のことをするのが自然だと感じたし、メタル・バンドを再び感じ、残忍さとスピードを感じることができた。だから自然に、最初の1、2曲はスピード感のある曲になった。Wacken Worldwide で演奏して “Violent Shadows” をプレイしたとき、この曲に対して素晴らしいフィードバックを受けた。そして、この直後に、いや、この直後ではなく、すでにこの前に、パンデミックがスタートしたんだ。その瞬間、僕の周りや世界が一変した。よりタフになり、ある種のサバイバルモードに切り替わったような感じ。だから僕もよりタフに、よりハードにならざるを得なかった。すべてが少し混沌としているように見え、その瞬間、よりハードで残忍な音楽を書くことが本物だと感じたんだ。だから、このアルバムは、僕らが今感じている “タイム・スピリット” 世相や瞬間を捉えたものだと思うし、それは僕らの音楽の中に常にあるもので、古いアルバムからずっと、音楽における感覚の大きな部分を占めていたんだ。
このスピード感のあるアルバムは、僕らにとっては自然なことなんだ。レトロなアルバムを作ろうとか、昔を真似しようとは思っていなかった。僕らにとってこの作品は、メタル・バンドとしてスタートしたときの純粋なに、今の知識を加え、バンドとして、作曲家として成長を加えたものなんだ。スピード・メタルを2021年、2022年の時代に移したかった。だから、よりモダンなサウンドにする必要があったし、アレンジに関しても少しトリッキーにする必要があって、それを実行した。振り返ってみて、通用しないような曲は嫌なんだ。そうだね、今回僕らの挑戦は、スピード・メタルが今どう聞こえるべきかということであり、新しい世代のメタル・ファンにとってどう興味深いものになり得るかということだと思う。もし今、16歳や20歳の若者が聴いたら、80年代のオリジナル曲よりもずっと彼らの関心を引くことができると思う」

ある意味、”The God Machine” は BLIND GUARDIAN の新章、その幕開けと言えるのかもしれません。
「どこか別の場所に行きたかった、それは確かだ。いわば、新しい BLIND GUARDIAN のサウンドを定義したかったんだ。”At the Edge of Time” と “Beyond the Red Mirror” はかなり近かったから、あれを1つの章として見ている。そのあと時折、章を閉じ、別の章を開く必要があるんだよ。今がそのタイミングだと思ったんだ。プロデューサーのチャーリーと、どうやったら新しいアルバムをまったく違うサウンドにできるかについて何度も話し合ったんだけど、結論は最初からすべてを変えること。ドラムの録り方も変えたし、ギターの音も完全に変えた。ミキシングも新しい人にやってもらったし、そういうことを全部ひっくるめて、新しい章が始まるんだということがわかるような、今までとは違う作品になったと思う。アートワークについてもね。ファンタジーであることに変わりはないけど、より現代的であることを示すようなアートワークのカットが必要だと」
ただし、BLIND GUARDIAN にとっての “現代化” とは、断捨離で、ミニマライズで、スペースを作ることでした。
「同じダイナミックさ、同じアグレッションを持ちながら、たくさんのスペースが欲しかった…今回の音楽はもっとオープンで、もっとスペースがあるんだ。80の楽器が同時にトリックを繰り広げるような超壮大なものではなく、もっと…僕は70年代のものが好きでね。DEEP PURPLE から LED ZEPPELIN まで、僕の好きなバンドの多くは70年代のロックバンドで、彼らのギターサウンドが本当に大好きなんだ。だから今の僕の基本的なサウンドは70年代のアンプをベースにしていて、それによってよりスペースができて、ある意味ボーカリストがより輝いている。
実際、”The God Machine” はかなり70年代の影響を受けている。今でもライブではこのコンセプトにこだわっていて、うまくいっている。その方がみんなにとってずっといいんだ。僕たちは、基本的なロックっぽいバンドに少し戻っているからね。例えば、ギターから見たアメリカ流のメタル・サウンド、SLIPKNOT, KORN, DISTURBED は、典型的な歪み過ぎ。僕のヒーローは Eddie Van Halen なんだけど、彼のサウンドをいつもチェックしていて、何が好きで何が嫌いなのかっていうのを考えていたんだ。たぶん、それが僕らにとっての進むべき道なんだと思うし、スピード・メタル系の音楽でも、こういうサウンドは気持ちいいと感じるんだ」
“Life Beyond the Spheres” にはたしかに、70年代の音もかなりはっきりと入っています。
「この曲は特殊な奏法で演奏されているんだけど、この奏法を実現するために何度もリハーサルを重ねたんだ。僕は音楽ジャンル全体を何か別のものに前進させる、イノベーションの大ファンなんだ。もしかしたら、今までなかった新しい何かを見つけられるかもしれない。”Life Beyond the Spheres” では、サウンドトラックの方向へ行きたいと思ったんだ。当時は “サイバーパンク 2077″ をやっていたから、ちょっとそこからインスピレーションがあった。サイバーパンクの方向性で、今までよりもスペイシーなメタル・サウンドを持ち込もうとしたんだ。その感覚を Hansi も掴んでくれて、今までやったことのない、このジャンルに近くない曲ができたと思う。いいよね、これはとても革新的な曲で、誇りに思っているよ」
多くのバンドが左に進むと、右に行くのが BLIND GUARDIAN のやり方。
「”Twist in a Myth” のように、遠くへ行ったアルバムもあるし、エレクトロニック・サウンドの実験もたくさんやった。当時はもっとシンセティックなサウンドにしたかったし、シーケンサーで遊んでみたかった。禁止されていることは何もない。自分の頭の中に素晴らしいコンセプトがあれば、何があってもそれを実現させたい。僕らにとってはただ、アルバム全体が調和していることが重要なんだ。曲作りの段階でたくさんの曲を考えたけど、その中には絶対に合わない曲もある。それを入れるのは休憩とか場違いみたいになってしまうから嫌なんだ。だから、曲順を工夫すれば、ストーリーが生まれるような曲ばかりを選んでいった。全く違う方向性の曲もあったよ。ジャズ的な要素も試したし、本当にクールなアイデアもある。ある時点で、リリースする予定だけど、すべては正しく行われなければならない。それでも、オリジナルの BLIND GUARDIAN サウンドにこだわる必要はない。僕の考えでは、BLIND GUARDIAN の本当の最初の定義となったのは “Tales of the Twilight World” だった。だから僕たちはどこへでも行けるんだ」

André は未だに長年連れ添った Hansi と意見が合わないこともあると認めています。”Blood of the Elves” はまさにそんな2人の違いとケミストリーが生んだ曲。
「キャッチーでフックなメロディーを聴く耳は、僕の方が上だと思う。Hansi はそういう意味では、もっと複雑で、プログレッシブな思考を持ちすぎている人。僕は楽器の演奏ではそうなんだけど、壮大でクラシックな曲になると複雑になりすぎてしまうのは嫌なんだ。僕は心に残るようなサビが好きなんだよ。Hansi はこれを壊したがっていたんだけど、僕は絶対にダメだと言ったんだ。彼にとっては、歌詞のセンスを入れることがとても重要なんだよね…全体がコーラス部分に収まる必要があるんだよ。でも僕はリズムもメロディも完璧なんだから、そのままでいいじゃないかと。だから、たまにはそういうこともあるけど、たいていの場合は同意する。僕たちはそんなに離れているわけでもないし、2つの世界が衝突するようなことはない。
結局、BLIND GUARDIAN の成功は、僕と Hansi のケミストリーのおかげだから。それは、愛憎半ばするケミストリー。僕たちは、本当に何でも話し合えるコミュニケーション方法を持っているから。たとえ意見が合わないときでも、すべてを持ち寄る。でも、最終的には一歩引いて、 “やっぱり、君が正しかった” と言えるんだ。それができるのが大事なんだよ。Hansi が思い通りになることもあれば、僕が思い通りになることもあり、時には妥協点を見出すこともできる。でも、僕は妥協があまり好きじゃなくて、妥協すると何かを失うと思ってしまう。だから、100%彼のやり方で行くか、100%僕のやり方で行くか、その方がいいんだ。何かに合意したら、何かを決めたらそれを100%追求する。それが僕らのいいところで、例えば Hansi が何かに反対していたとして、じゃあ君のやり方でやろうと言った瞬間から、そのアイディアに100%賛成することになるし、その反対もある。それが結果的にいい音楽につながっている」

ただ、歌詞のアイデアは、この曲での “Witcher” のように “オタク” である彼と Marcus が Hansi に押し付けることもあります。ただし、正解を出すのはいつも Hansi です。
「Hansi は歌詞について素晴らしい才能を持っているよ。だから彼に任せるよ。彼はボーカリストだから、正しい言葉に対する正しい感覚を持っているし、サビの部分の言葉ひとつで大きく変わるからね。もし、シンガーが嫌がる言葉を入れたら、曲が台無しになることもある。だから、最終的にボーカリストが気に入ったものを演奏することが本当に大事だと思う。Hansi の歌詞は、行間を読ませるような書き方をしていて、大好きだ。彼はいつも、解釈のためのスペースをたくさん残しているんだ。彼がヒントを与えることで、人々は何が起こっているのか、どういう意味なのかを考え始め、より深く、より深く掘り下げていくことができる。そうすることで、BLIND GUARDIAN の音楽は最終的にもっと強烈なものになるんだ。時には、歌詞がきっかけで本を見つけて、本を読んでくれるなんてこともあるくらいでね。
曲作りの時に彼はダミーの歌詞を使うから、時々議論が起こる。そのダミーの歌詞の中で、彼はとても良さそうな言葉を選んでいて、でも最終的に彼はその素敵な言葉を交換しようとするから、いつもまた喧嘩になる。ただ、Hansi は本当にセンスがよくて、曲のフィーリングや音楽に合うトピックを見抜く力があるんだよね。逆に、僕が音楽を作るとき、例えば “Destiny” は、僕が大のRPG好きで、あれは僕にとって、”World of Warcraft” という氷の世界の何かを題材にしたゲームにインスパイアされたものなんだ。そのことを彼に話し、僕のイメージするリッチキングのことを話した。すると彼は、”僕はそのストーリーに興味がないから、これについては書かないけど、同じ感情をキャッチできるようなものを考えてみるよ” と言ったんだ。彼はそれが本当に上手だから、心配する必要はないし、干渉する必要もないんだよね」
パンデミックで文化としての音楽、文化としてのメタルも危機に瀕しました。
「若い人がいきなり2年間も趣味を追求できなくなる。いきなり家に閉じこもってしまう。もちろん、フラストレーションは溜まる。僕が思うに、一番の捌け口は “音楽” だよ。音楽は良い治療法だ。ハードなバンドをいくつか聴いて、それを捌け口にするんだ。若い世代の人たちは昔よりオープンだからね。そんな若いファンにとって、スピード・メタルに親しむことは間違いなく面白いことだと思うんだ。”The God Machine” はスピード・メタルだけど、ただ、非常にモダンなスピード・メタルだから埃をかぶってはいない。そうやってスピード・メタルのエッセンス、エネルギーを今の時代に伝え、若い世代の足元に投げかけて、”ここにいい音楽があるよ” と言うことが大切だと思うんだ。パンデミックで、音楽シーンは社会の中で何のステータスもなく、真っ先にキャンセルされ、サポートされないことが明らかになった。この生じた穴を再び埋めることができればと願っているよ。多くのオーガナイザーやバンドが潰れてしまわないように。文化は重要だし、音楽は政治家が考えている以上に重要だよ。音楽という文化がこのまま、2023年以降も、僕たちが築き上げることのできる確かなものであってほしいと願っているんだ」

参考文献: TUONELA MAG:Interview with Blind Guardian — “We wanted to define a new Blind Guardian sound.”

BANDCAMP :An Introduction to Blind Guardian’s Mighty Power Metal

HARDFORCE:BLIND GUARDIAN Interview André Olbrich

COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【RAMMSTEIN : ZEIT】


COVER STORY : RAMMSTEIN “ZEIT”

I Just Try To Do What I Do Best. Every Musician Craves Freedom. I’m Just Blessed That I’ve Found It.

ZEIT

RAMMSTEIN のフロントマンとして四半世紀を過ごしていながら、Till Lindemann ほど謎めいたミュージシャンはいないでしょう。Lindemann の詩集 “Messer(ナイフ)” には死と腐敗、愛と狂気の黙示録的なイメージに満ちた示唆に富む文章がドイツ語とロシア語で書かれ、気の遠くなるような、荒涼とした美しいイラストが完璧にその謎めいた彼のイメージを補完しています。
しかし、芸術を極限まで追求することを生業とする Lindemann は、ページをめくるうちに、この作品に不完全なものを感じ、鋭いナイフを探し始めます。左腕を1センチほど切開すると、血のついた指紋をつけ、原稿の上に丹念に血を落とします。そうして、ようやくこの詩集を完全なものとしました。
「前はつまらなかった。だから、もっとカラフルにしたんだ」
Till Lindemann にはかつての共産圏と深いつながりがあります。1973年、10歳の時、東ドイツのユース水泳チームのメンバーとして初めてソビエト連邦を訪れました。その5年後、将来のオリンピック選手として期待されていた彼は、1978年にイタリアのフィレンツェで開催された欧州ジュニア水泳選手権大会に東ドイツ代表として選出されます。しかしその週の夜、ポルノ雑誌を売っている風俗店を探すために非常階段を降りているところをコーチに見つかり、代表チームから追放されてしまいます。
この逸話は、Lindemann にとって初めての権威との衝突であっただけでなく、今日まで彼を動かしてきた自由への本能的な憧れ、その初期の兆候だといえます。59歳のカリスマ・シンガーは、RAMMSTEIN のフロントマンとして背中に天使の羽、顔に火炎放射器をつけていないときは、自由詩を書いたり(”詩は魂の飛行だ” とかつて語り、創作過程を “檻” からの脱出に例えた)、釣り、狩り、料理、一人旅に、その自由を見出しています。そして、RAMMSTEIN と並行して行っている音楽プロジェクト LINDEMANN にも、同じような魂の飛行を見いだしているのです。

デスメタルの巨人 HYPOCRISY とワンマン・インダストリアル・クルー PAIN のフロントマンである49歳のスウェーデン人 Peter Tägtgren は、Lindemann との関係を「結婚みたい」と表現しています。Tägtgren の存在感と骨太のユーモアが、Lindemann のやや冷めた態度を和らげているのでしょう。
2015年にリリースされたデュオのデビュー・アルバム “Skills In Pills” の後、Tägtgren と Lindemann は “血の兄弟” となり、昔ながらの友情の儀式で腕を切り、血を混ぜ合わせました。
「2人とも精神的に病んでいるような気がする (笑)。でも、それに対処できるから、僕たちはとてもよく合うんだ。何でも分かち合えるし、分かち合いすぎるくらい。僕らにタブーはないんだよ」そう Tägtgren が朗らかに語れば、Lindemann も同調します。
「完璧なハーモニーを奏でている。RAMMSTEIN での経験から、誰かと一緒に仕事をするとき、友情が損なわれることがあると知っている。でも、私たちは夫婦のようにうまくいっている。残念ながら、性的な関係はないけど……」
レディーボーイやゴールデンシャワー、恋人の肥満を助長することで得られる性的満足感など、嬉々として倒錯した歌がこのプロジェクトの特徴。自発的で自由奔放なプロジェクトの性質は、最新作 “F&M”(ドイツ語で “女と男” を意味する Frau und Mann の略)にも引き継がれています。Lindemann の長女ネレがハンブルクで制作していたグリム童話 “ヘンゼルとグレーテル” の舞台化に際して、3曲の音楽を提供してほしいと依頼したことがこの作品の発端。父とわがままな継母に捨てられた幼い兄妹が、食人鬼の魔女によって森に閉じ込められるという伝説的な物語を、ダークな雰囲気で再構築した舞台に、Lindemann は「良い背景が揃っていた」と語ります。
「ヘンゼルとグレーテルの物語は、病的で残酷だが、とてもロマンチックでもあるからね。親と子の血統という考え方がある。誰が自分の子どもを好き好んで森に送り出すのか?そして、魔女が自分のオーブンに押し込まれる恐怖。グレーテルがラテックスやゴムのフェチだというアイデアを出して、主役にラテックスの衣装を着せたりして。実は、もう一曲お願いできますか?と言われてね。オンデマンドで作曲していたから、楽しくて、新しい仕事のやり方だったな。だから、LINDEMANN のセカンド・アルバムが完成するまで、自分たちがそれを作っていることを知らなかったんだ」

Lindemann が初めて全編英語で歌った前作とは異なり、このアルバムはドイツ語版。つまり、英語を母国語とする人々は、ティルの典型的な破壊的歌詞の意味を自分自身で解き明かして楽しむことを義務付けられています。そして Till Lindemann が関わるすべての作品に共通することですが、この作品には、深く入り込むことで得られる、より重いテーマが存在しています。”F&M” を聴いた人は、この暗いたとえ話、寓話の背後にいる男の真の姿を知ることができるのでしょうか?「”この人は誰だ?”と思うだろうね」
というのも、実のところ、Till Lindemann は、先見性を持つアーティスト、洗練された文人、そして非常に評価の高い企業家として羨望の的となる一方で、25年のキャリアを通じて、”火炎放射器を持ったあのドイツのクソ野郎” というおなじみの二次元的キャラクターを超えた生身の自分を明かすことにはあまりエネルギーを使ってこなかったという事実があります。かつては、インタビューで一言も口を開かないという恐ろしい事態も引き起こしています。
「噂や囁きが Till Lindemann を取り囲んでいる。そのうちのいくつかは真実であり、いくつかはおそらく真実ではない」
2019年、RAMMSTEIN は無題の7枚目のアルバムをリリースし、14カ国以上のアルバムチャートで首位を獲得。フロントマンは世界中のスタジアムで毎晩6万人の観客の注目を集める存在となりましたが、それでも彼はロック界のトップ層の中で最も謎めいた、秘密的なキャラクターの一人であることに変わりはありません。
もちろん、彼のやり方は完全に意図的なもので、RAMMSTEIN の挑発と痛烈な社会批判は、彼らの私生活を隠すために非常に効果的な煙幕ともなっています。同様に、LINDEMANN のレコードに収録されているグロテスクで X-raid なテーマに固執する人々の多くは、それを思いついた作詞家の性格について真に洞察し、見抜くことはできないでしょう。例えば、”Yukon” という曲は、 Lindemann の自然に対する畏敬の念を表していますが、そこにはほとんど注意が払われていません。その結果、Lindemann はどういうわけか25年もの間、もう一人の自分を目立たないように隠して生きていくことができました。「私は2つの人生を持っている」と、彼は英国での最後の主要なインタビューで認めています。

昨年、RAMMSTEIN がロストク (旧東ドイツ最大の港湾都市) の Ostseestadion(3万人収容)凱旋に先立ち、同市の日刊紙 Ostsee-Zeitung は、バンドの地元のヒーローである Lindemann を、彼が人生の形成期を過ごした小さな村で追跡する企画を立ち上げました。彼は今はベルリンに住んでいますが、メクレンブルクには赤レンガのコテージがあり、手入れの行き届いていない庭が魅力的な Lindemann の生家があるのです。しかし、その時、彼は留守。近所の人たちは口を揃えて「彼は一人でいるのが好きなんだ」「放っておいてあげてほしい」地域社会もまた、彼を守っていました。
しかし、Lindemann の母親である Brigit Lindemann(82歳)は、ゲーテやブレヒトなどの文学や絵画、そして自然を愛し、地元で創作活動に励んでいた Lindemann の穏やかな人柄を伝えてくれました。元ラジオ・テレビ局 NDR の文化部長だった彼女は、RAMMSTEIN のライブをオペラにたとえ、ニューヨークの伝説的なマディソン・スクエア・ガーデンで息子のステージを見たことを思い出しながら、誇らしげに語りました。
「何が一番印象に残ったと思う?息子たちの勇気よ!彼らは人がどう思うかなんて気にしない。まったく気にもかけないの!」
Lindemann は当時の東ドイツでの生活を振り返ります。
「私は幸せな子供時代を過ごした。母は共産党員で、父は作家で自由人だった…まあだけど、彼は子供向けの本を書いていたから、当局にとやかく言われることはなかったんだ。実質ロシアに占領されていたから、ロシア料理、ロシア映画、ロシア音楽をたしなみ、学校ではロシア語を読んだり書いたりした。隣人にはロシア兵がいて、子供のころはレモネードや食料を差し入れしたのを覚えている。あのころロシアは私たちの面倒を見てくれる兄のような存在だったんだ」

しかし、こうした牧歌的な子供時代から思春期になると、両親が離れ離れになり、そこから東ドイツの抑圧的な政治に疑問を抱くようになるのは必然だったのかもしれません。1980年のモスクワオリンピックを目前に控え、競泳のナショナルチームから追放された彼は、一般社会への復帰を目指しながらも、大酒を飲み、ストリートファイトに明け暮れたと回想しています。そんな反抗的な若者が、西洋のロックに夢中になるのはある意味必然でした。
「ラジオをよく聴いていたんだ。RAMMSTEIN のアルバムに収録されている “Radio” という曲は、実はそのことを歌っているんだよ。ラジオはとても大きなことだった。土曜の夜にロック・ショーがあると、みんなで集まって聴いていた。例えば LED ZEPPELIN を聴いて、”すごい!”と思うんだ。もちろん、いつか LED ZEPPELIN のメンバーが RAMMSTEIN のライヴに来ることになんて、あのころは想像もつかなかったよ。まあ、私にとっては今でも正気の沙汰じゃないね。
初めて買ったアルバムは DEEP PURPLE の “Stormbringer” で、他のアルバムと同じように闇市で手に入れた。1ヶ月分の給料で買ったんだ。学業を終えて最初の仕事に就いたときの給料は、月580マルク、今でいう10ユーロくらいだったからね。PINK FLOYD の “The Dark Side Of The Moon” が棚に並んでいたけど、誰も買えなかったのを覚えている。ライブにも行けないし、レコードも買えないし、本当に悲しかったね。だからある意味、自分の音楽を作るのは、クラシックな音楽を聴くより簡単だった」
このような環境を考えると、Lindemann の歌詞には逃避への憧れと、恥や謝罪や後悔から自由に生きるという考えへの過激な信念が、糸のように続いていることは容易に理解できるでしょう。

RAMMSTEIN は1994年、Lindemann が現在住んでいるベルリンのプレンツラウアー・ベルク地区にあるリハーサルスタジオで結成されました。バンド独自のサウンドを作り上げた6人のミュージシャンはそれまで、ハードロック、オペラ、ジャズ、クラウトロック、西ベルリンのアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンの異端的、実験的サウンドを学んでいました。彼らはまた、怒りと、型にはまったものに対する憎悪、そしてすべての人々を動揺させ憤慨させるための直感的でしかし完全に意図的な才能を共有していたのです。
「私たちは問題を起こすためにここにいるんだ。私たちを嫌う人がいるという事実が好きなんだよ。私たちはアーティストで、アートはそういう感情を引き起こすべきだ」
あの頃、再統一されたドイツが新たなアイデンティティと折り合いをつける中、イーストサイド出身の6人のミュージシャンもまた自分たちのアイデンティティを発見していました。RAMMSTEIN の鍵盤奏者 Christian “Flake” Lorenz は、ベルリンの壁が崩壊したとき自分がどこにいたかを正確に覚えています。1989年11月9日、彼が所属するパンクバンド、FEELING B は西ベルリンでライヴを行っていました。彼らの出身である東ベルリンは物理的にも政治的にも思想的にも、何十年も西ベルリンから遅れて切り離されていました。
FEELING B は、退廃的で資本主義的な西側に対して、強硬な社会主義の東側が決して “怪物” ではないことを示すため、政府の活動の一環として、街を二分するコンクリートの障壁を通過してギグを行うことを許されていたのです。バンドが演奏していると、Lorenz は観客の中に見慣れた顔があるのに気づきます。
「俺たちは友達が入ってきたのに気づいたんだ。で、俺は言ったんだ、”彼らが西ベルリンにいるなんてあり得るのか?ありえないよ。彼らは壁を飛び越えたのか?” ってね」
その夜、壁が崩壊し、建設から30年近くたったその日壁はデモ隊に粉砕されたことを誰かが知らせました。それは記念すべき出来事でしたが、そのために FEELING B は家に帰ることができなくなりました。
「壁の穴は人で埋め尽くされていた。あまりの混雑に帰ることができなかったんだ。西ベルリンで一晩を過ごさなければならなくなった」


ベルリンの壁崩壊は、世界的に見ても第二次世界大戦後、最も重要な出来事でした。ドイツの再統一、ソビエト連邦の解体、冷戦の終結という連鎖を引き起こしたのですから。しかし、Lorenz と FEELING B にとっては、それ以上にマイナスの影響もありました。
「壁の崩壊は、とても多くのことを変えてしまった。東ドイツでは誰も東ドイツのバンドを聴きたがらなくなったんだ。”本物” が聴けるようになったからね。これまで禁止されていたことが、すべて可能になった。だから、みんな新しいものを作ろうとしたんだ」
Lorenz もその一人となります。わずか数年後、彼は FEELING B のバンド仲間であるギタリストの Paul Landers とドラマーの Christoph Schneider とともに、挑発的なサウンドと無粋な世界観がこの国の分裂した過去と結びつき、同時に明るく統一された未来のシンボルともなる新しいバンドを結成することになったのです。その名は RAMMSTEIN。最も大胆で、最も物議をかもす存在となるバンドの産声があがりました。
もう一人のギタリスト Richard Kruspe は、Lorenz と同じく、東ドイツで育ちました。しかし、Lorenz が社会主義政府の下での生活がわりと好きだったと言うのに対し、Kruspe は母国との関係がより複雑でした。
「生活にはトラブルやプレッシャーがなく、みんな生きていくのに十分なお金を持っていた。つまり、東ドイツについては、12歳まではそこで育つのが最高だったということだよ。10代後半に故郷のシュヴェリンから東ベルリンに移り住んだんだ。そこでは疑問を持たない限り、質問をしない限り機能する、非常に健全な社会という幻想を見せられたのさ」
二人とも、当時の首都東ベルリンには盛んなアンダーグラウンドの音楽シーンがあったということを認めています。権威主義的な東ドイツ政府は、バンドに音楽制作のライセンスを申請させ、そのプロセスで、8人か10人の観客を前にして演奏することを強要しました。ただし、FEELING B のようなアーティスティックで過激なバンドは、歌詞を変えたり、エネルギッシュな曲をトーンダウンさせたりして、オーディションをごまかすことができました。
「たくさんのバンドがいたけれど、みんな友達同士だったんだ。みんなが他の人と一緒に音楽を作っているシーンがここにはあった。僕はその考え方が好きだった。とてもエキサイティングで、たくさんの音楽が繰り広げられていたんだ」 と Kruspe は振り返ります。
壁が崩壊した後、すべてが大きく変わりました。それまでラジオと闇市でのみ聴くことができた西洋音楽が、突然爆発的に普及し、簡単に聴くことができるようになったのです。
「1989年に壁が崩壊したとき、それは僕たち全員にとって新しい時代の始まりだった。しかし、僕たちはすぐに、西側では誰も僕たちを待ってなどいないことに気づいたんだ。東ドイツの音楽産業の構造は完全に崩壊していた。東ドイツのバンドにはほとんど需要がなく、演奏の機会はすべて西側のバンドが独占していた。東ドイツのバンドは、その音楽が体制崩壊のきっかけとなったにもかかわらず、この新しい、徹底的に商業化された音楽ビジネスで足場を築くために、自分たちの位置を変え、再創造することを余儀なくされたんだ」

FEELING B の3人は、他の東ドイツのミュージシャンとジャムセッションを始めていました。Richard Kruspe、ベーシストの Oliver Riedel、そしてドラマーからボーカルに転向した Till Lindemann たちと。そして間もなく、この半ば本気のサイドプロジェクトは、他のすべてを覆い隠してしまうことになります。
Lorenz が Till と初めて会ったのは、東ドイツで行われたギグでした。FEELING Bはよく、観客の誰かに一晩泊めてくれないかと頼むことがあったのです。ある夜、Till も観客の中にいました。5つのベッド、あるいは1つのフロアが必要だという声が上がると、彼は自分の家をそのスペースを提供したのです。
「俺たちはそこに泊まってパーティーをした」と Lorenz は言います。「そして、時々、彼の家に遊びに行って、友達になったんだ」
元天才水泳選手からミュージシャンに転身した Lindemann は、FEELING Bと出会ったときシュヴェリンを拠点とするアートパンク・バンド、FIRST ARSCH で演奏していました。やがて彼は、RAMMSTEIN の種となる課外ジャムセッションに招待されるようになります。
「目的もなく、計画もなく、ただ2時間演奏するために集まったんだ。バンドというより、本業のバンドとは違うことをするためのミーティングだったんだ。セラピー・グループのようなものだった」と Lorenz は振り返ります。
この無名の集団が最初に書いた曲のひとつは、1988年に2機の飛行機が空中で衝突して70人が死亡した航空ショーの惨事、その舞台となったラムシュタインという町の名前にちなんだもの。このサイドプロジェクトについて噂が広まるにつれ、彼らは「ラムシュタインの歌」を持つバンドとして知られるようになったのです。
彼らはすぐにこの名前 Ramstein を採用し、さらに “M” を一つ追加しました。Ramm は英語に訳すと破城槌のような槌、”stein” は “stone” “石” の意。ラム・ストーンは、彼らのサウンドにぴったりな名前だったのです。
大晦日のパーティーのために買っておいた花火を使った火の演出も、初期には試みられていました。Lorenz はこう振り返ります。「あるとき、花火をショーに出したら、”これはすごい!” 思ったんだよね。それで、もう少し増やしてみることにした」

東ドイツの観客は、以前のバンドを知っていて、彼らを愛していました。しかし、西ドイツの観客は彼らが誰なのか知らず、新しくアクセスした西半分での初期のライブの多くは、人はまばらでした。ただし、バンドと母国とのつながりは、観客の数だけでなく、もっと深いところにあったのです。Lindemann は最初から母国語で歌うことにしていました。これは、彼らが学校で英語ではなくロシア語を教えられていたことも一因なのです。
「英語がわからない人たちに向けて下手な英語で歌っている東ドイツのバンドをよく見かけたよ。でも、本当に自分の感情を伝えたいのなら、自分の言葉で話さなければならないんだ。母国語と他の言語で自分の感情を真に伝えるのは不可能なんだから」
最初の曲を完成させるのは、長く、時には険悪なプロセスでした。RAMMSTEIN は民主主義を信条していたからです。食事をする場所から曲のサウンドに至るまで、すべての決定は6人のメンバー全員の同意が必要だったのです。
RAMMSTEIN のデビューアルバムは、1995年9月25日にドイツで発売されました。そのタイトル、”Herzeleid” は英語では “Heartbroken” と訳されますが、これはこのアルバムを書いている間、複数のメンバーが経験していた恋愛問題にちなんでいます。
「ガールフレンドと別れて、とてもつらかった」と Kruspe は振り返ります。「これほど感情的に辛いことはなかった。精神的に追い込まれたよ。同じような経験をした人でなければ、僕が感じたことを理解することはできないだろうね。Till も同じような経験をしていて、仲の良い友人だったから、彼と数カ月間一緒に過ごしたよ。お互いに助け合ったんだろうな。実際、他のメンバーも当時は個人的な問題に悩まされていたんだ。最初のレコードをリリースした後、何も起こらなかった。誰も僕らを知らないから、誰も買おうとはしなかったんだ。俺たちはただ演奏して、演奏して、演奏して、徐々に観客の数が増えていったんだ」
RAMMSTEIN は、あらゆる検閲を排除しようとしていました。他人からも、自分たちからも。当時共演していた CLAWFINGER の Zakk が振り返ります。
「彼らはそれをやりたいと言ったんだ。単純な話だ。最初はとても警戒していたんだ。軍服を着て、ドイツ語で歌い、”r”を連発するバンドだ。ファシストやナチスのバカになるんじゃないかと心配になった。そこで、ドイツ語を話す友人に彼らの歌詞の一部を翻訳してもらい、自分たちが納得できるように理解を深めたのさ」

1996年の中頃には、RAMMSTEIN は自分たちのツアーのヘッドライナーを務めるようになっていました。アンダーグラウンドのバンドがより多くの観客から注目され始めたという実感がありました。バンドの印象的なビジュアル・イメージがステージ上でフォーカスされ始めていたことも手伝って、6人の男が無名の時代は終わりを告げました。また、パイロ(花火)に対するこだわりも、ますます顕著になっていきます。当時、彼らが公式に許可を得ていたかどうかは定かではありません。少しばかり規則を曲げていたのかもしれません。でも、とにかく印象的だったのです。ヨーロッパは、旧東ドイツ出身のこの奇妙なバンドに注目し始めます。その見た目とサウンドは、それまでのバンドにはないもの。6人のメンバーは、RAMMSTEIN が多くの人々にとって理解しがたい存在であったことを最初に認めていました。この謎めいた、そしてしばしば誤解されるバンドにまつわるほとんどのことに狂気が存在するからです。
「RAMMSTEIN があれほどプログレッシブだった理由のひとつは、かつて僕たちが多くの検閲を感じていたからだ。だから RAMMSTEIN では、あらゆる検閲を取り除こうとしていたんだ。他人からも、自分たちからもね。だからみんな、”俺たちは気にしない” となったんだと思う」
その自由に対する一途な思いは、数年後、カルト映画監督のデヴィッド・リンチが1997年に制作した映画 “ロスト・ハイウェイ” のサウンドトラックに彼らを起用したとき実を結びます。突然、このおかしな訛りのある狂気のバンドは、全く新しいオーディエンスに開放されたのです。同年、傑作セカンドアルバム “Sehnsucht” によって、彼らはヨーロッパ全土でスターとなり、その後数年間、ステージ上での逮捕やナチズムに対する見当違いの非難、1999年に起きたコロンバインで起きた虐殺事件をきっかけとした誤った連帯責任など、あらゆる嵐を切り抜け、成功を収めたのです。

2001年初頭、RAMMSTEIN はまだ無名の存在でしたが、彼らの画期的なサード・アルバム “Mutter” は、バンドを、そしてメタルを永遠に変えてしまう金字塔となりました。
レザーと筋肉で身を固めた、世界で最も変態的なバンド。Kruspe と Schneider は、英語での質問を十分理解していたが、意図的に通訳を介して話しました。Lindemann は、まったく口をききませんでした。クラブ・ヒットの “Du Hast” を書き、ドイツ語で歌い、たくさんのパイロを使い、 KORN のUS Family Values Tour で巨大な潮吹きディルドを使ってステージ上でお互いをファックし問題になったバンド。彼らは十分に大きくなりましたが、未だ巨大ではなく、メタルの世界ではまだ外側にいました。Schneider が回顧します。
「他のバンドがやっていることの逆をやったんだ。もしメタル・バンドが長髪だったら、僕らは短髪にする。もし彼らがスポーツウェアを着ていたら、僕らはブーツや他のタイプの服を着るんだ」
“Mutter” は2000年の冬に作曲され、2000年の夏にレコーディングされました。ドイツでの成功はこのアルバムに大きな期待を抱かせ、制作費を増やし、南仏のスタジオ・ミラヴァルで仕事をすることを可能にしました。このスタジオは、PINK FLOYD “The Wall” を、JUDAS PRIEST が “Painkiller” を、AC/DC が “Blow Up Your Video” を制作した場所。
RAMMSTEIN はここで、自分たちのある部分を削ぎ落とし、ある部分を膨らませました。曲の絶対的なエッセンスに集中することで、できる限り雑念を排除し、将来の怠惰なジャーナリストに “ドイツの効率性” を退屈そうに持ち出す機会を与える、そんな芸術的な無駄をできる限り省いたのです。
バックボーンは以前よりもドゥーミーで重厚なリズムで構築され、より壮大な装飾を施すための頑丈な土台となりました。また、以前は機械が多くの力仕事をこなしていたのに対し、より人間的で汗臭いシュトゥルム・ウント・ドラングを輝かせることができるようになったのです。
「テクノやダンス指向のスタイルから離れたいと思ったんだ。もっと自然で、もっとロック・バンドのようなサウンドにしたかったんだ。だから、生ドラムに力を入れ、アコースティックギターで実験し、革新的なギターサウンドを見つけようとしたんだ。そして、初めてオーケストラを使ったね。もう機械の奴隷にはなりたくなかったんだ」

“Links 2 3 4″ のために、バンドが炭鉱で巨大な白雪姫のために働いている映像が作られました。
「グリム兄弟のおとぎ話は、時に残酷で暴力的な面もあるんだ。私たちはいわばドワーフで、この女性を慕う一方で、同時に憎んでいる。なぜなら、小人たちは彼女のために働き、薬を手に入れなければならないからだ。そしてその見返りとして、我々は彼女を見て、彼女の美しさを楽しむことができる」
より直接的となった音楽の性質とともに、”Mutter” の世界や暗さはより翻訳されやすいものとなりました。生き埋めにされた少年を歌った “Spielhur” という曲について珍しく語った Lindemann は、「生き埋めにされるというのは、人が持つ基本的な恐怖なんだ」
作品に曖昧さがなかったのは、バンドに向けられたナチスへのシンパシーへの非難に対処するためでした。
「ナチスと呼ばれることは、ドイツはまだ信用できないという “お父さん” 的な考え方の後遺症であるとも言える」
DEPESCH MODE の “Stripped” をカバーしたビデオで、バンドは帝国時代のドイツ人映画監督レニ・リーフェンタールの作品から、1936年のベルリン・オリンピックの映像を使うことにしていました。リーフェンタールは、1934年のニュルンベルク集会を悪名高いナチスのプロパガンダ映画 “Triumph Of The Will” のために撮影した後、ヒトラーの特別なお気に入りになっていたのです。これは完全に、芸術的な挑発を意図したものでした。しかし、誰もがそう思っていたわけではありません。
「あの状況に関して、僕たちは若くて素朴だったと言えると思う…マスコミに攻撃されて、とても無力だと感じた。でも、僕の目から見れば、僕たちは正しいことをしたんだ。僕たちは常に極端なことをやってきた。極端な文章、極端なショー、極端なやり方で行動し、常に挑発的であろうとしてきたんだ。僕たちの歌詞はさまざまな解釈が可能だけど、決して右傾化することはないんだよ。でも、もし様々に解釈できる歌詞を提示すれば、人々がそれを様々に解釈することを期待するしかない。僕らは意図的に挑発的なバンドなんだ。そして、我々の挑発の頂点は、もちろん、あのレニ・リーフェンシュタールのビデオだった。僕らが右派だと思っている人たちにショックを与えたかったから、あのようなことをしたんだよ。でも、今の時代から見ると、もう二度とやらないかもしれないね」
この曲では、Lindemann がマーチの武骨なビートにのせて、いかに RAMMSTEIN が誤解した左翼と対峙し、彼らの芸術を読み違えた人々によって中傷されてきたかを歌っています
「彼らは私の心を正しい場所に置きたいと思っている/しかし私が下を見ると/それは私の左胸で鳴っていた/彼らの嫉妬は間違っていた」

「最初の頃は、英語で歌おうとしたんだ」と Schneider は当時を振り返ります。「でも Till の歌詞はとても力強いけど、英語にうまく翻訳されないことに気づいたんだ。だから、ドイツ語で歌い続けることにしたんだ。すると、よく人が寄ってきて、”なんて素晴らしいバンドなんだ、ドイツ語で歌っているのが残念だ” と言われたものだよ。ドイツ以外の国では未来がないと言われたんだ。他の国で成功するチャンスはないってね」
20年経った今、RAMMSTEIN ほどこの件について大笑いしている人はいないでしょう。壁の向こう側からやってきたこの6人の不良たちは、想像できる限りのあらゆるトレンドに逆らいながら、25年間を過ごしてきたのです。
「俺たちは西側のバンドにはなれなかった」と Lorenz は言います。「俺たちは若い頃に、協力することが大切で、一人はそれほど重要ではないと学んだからだ。だから今でも一緒にいるんだ」
RAMMSTEIN のアートが彼らの生い立ちに対する反応であったとすれば、Lindemann の個人的な倫理観もまた然り。バンドの初期には、バンドへのコミットメントと、1985年に生まれた幼い娘ネレを育てる片親としての仕事とをしっかり両立させていました。自称カルマの信者である彼は、実の父親が子育てに無頓着で、時には無関心であったことを忘れてはいませんでした。
「父はぜんぜん家にいなかった。彼は朗読会のツアーに出かけていたんだ。でも、ネレとマリーには、芸術的な生活の中で時々起こる混乱にもかかわらず、”普通の” 教育を施そうと懸命に努力した。私は間違いなくいい父親だよ。
まあ、子供が小さかった頃は、RAMMSTEIN に今ほど大きな時間的プレッシャーがかかっていなかったんだ。子供たちはいい子で、自分たちのことは自分たちでやる」

2019年の無題の作品、RAMMSTEIN の真骨頂に続く “Zeit”。大胆にもドイツ語で “時間” を意味するラベルが貼られたアルバムには、様々な時の流れが集約されています。”Liebe ist für alle da” からの10年のブランクを考慮すれば、ましてや Covid の状況を加味すれば、RAMMSTEIN のレコードがこれほどすぐに届くと予想した人はほとんどいなかったはずです。これもまた、時の魔法。前作のリリースから2年あまりの間、ツアーは大幅に制限され、一時は Till Lindemann が(COVIDではない状態で)集中治療室に収容されたこともあり、”Zeit” は時代の移り変わりや空になった砂時計、生命のはかなさをたしかに連想させます。しかしそれよりも興味深いのは、この大物たちでさえ、彼らの独特の方式でさえ、停滞を避けるために時の流れに従って進化を必要とする、その事実を暗黙のうちに認めていることでしょう。
アルバムのオープニングには落ち着いた世界の倦怠感があります。かすかに響くピアノラインと複雑で熟考されたリリック。「私たちは終わりに向かって漂い 急がず ただ前進する 海岸で無限が手招きしている」
“Giftig” は、彼らがパーティーのやり方を忘れていないことを明確に証明しています。”Du Hast” の流れを汲む、6弦とレイヴなシンセサイザーを組み合わせた短編。”Zick Zack” は、重量感溢れるリフに混じってディスコビートを使い、整形手術や永遠の若さに対するセレブの執着を皮肉たっぷりに批評。”腹の脂肪はゴミ箱へ/ペニスは再び太陽を拝む”。”Zeit” の全体的なテーマである “時を超えて繰り返し聴ける” こと。”Zick Zack” はその象徴的な楽曲でしょう。
“OK” は、”Links 2 3 4″ のキャッチーさに加え、より難解な歌詞、よりグルーヴィーなギター、そしてかの GHOST が誇るであろう大規模なクワイアのアウトロを誇る、まさに燃え盛る炎と呼ぶにふさわしい名曲。”Zeit” は単なる大ヒットのリサイクル、ノスタルジックな時の旅ではありません。
シンプルに “Sex” と題されたトラックをフィーチャーした前作と比較して、”Zeit” は彼らがいかに自己反省的で内省的かを改めて発見できる作品なのでしょう。”Angst” のような曲では、おなじみの胸を張った表現でファンが望むものを提供しつつ、同時に彼らの最も暗い恐怖をむき出しにする意志も見え隠れ。”Meine Tränen” (My Tears)と “Lügen” (Lie) では、正直な感情がより率直にむき出しにサウンドに反映されていて、前者のオペラティックなメロドラマは、後者のアンビエンス、ボコーダー、ブラックゲイズと対を成しています。そうしてパーカッシブな “Dicke Titten”(大きなおっぱい)は、ファンが期待するポルノ的な挑発ではなく、本当に膨らんだ胸への暖かい抱擁に意味を見出しているようです。
LED ZEPPELIN や Alice Cooper の雑音混じりの音楽を聞くためトランジスタ・ラジオに耳を傾けた10代の子供が、今や世界的な大スター。その未来は、若き日の Till Lindemann が思い描いた通りのものだったのでしょうか?Till Lindemann は若き日の Till Lindemann に暖かい抱擁をあたえるのでしょうか?
「そんなことは考えずに、ただ自分のベストを尽くすだけさ。音楽家は誰でも自由を渇望している。私は、それを見つけることができただけで幸せだよ」

参考文献: KERRANG!: The Real Till Lindemann: Meet The Man Behind The Flamethrower

LOUDER:Rammstein: The birth of a legend

KERRANG!: Rammstein: How Mutter took the world’s most perverse band to the extreme

REVOLVER:REVIEW: RAMMSTEIN’S SMART, LEWD ‘ZEIT’ HAS BIG BOOBS, COCK ROCK AND MORE

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【FEUERSCHWANZ : MEMENTO MORI】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH HANS PLATZ OF FEUERSCHWANZ !!

“We Wanted To Expand Medieval Rock Into The World Of Metal, We Wanted To Cross German Lyrics With Heavy Metal Riffs, Folk Violin With Wild Guitar Solos, Bagpipes With Powerful Metal And Put This Into a Massive Fantasy World Full Of Swords, Mead And Dragons.”

DISC REVIEW “MEMENTO MORI”

「確かにフォイアーシュワンツ・ドラゴンは成長しているけど、私たちの核となるメッセージは変わっていないんだ。私たちの目にはまだユーモアが宿っていて、人生のポジティブな面を歌い、楽しんでいるよ。だけどたしかに、よりシリアスな意味合いを持ってきたね」
ドイツのメディーヴァル・メタル、炎龍こと FEUERSCHWANZ が新作 “Memento Mori” を2021年12月31日にリリースするとを決めたのは、ある意味宿命でした。近年の人類史において最も暗い1年を締めくくり、多くの人に必要な笑顔をもたらすに適したバンドがあるとすれば、それは FEUERSCHWANZ をおいて他にはないはずですから。98%のメタル・バンドがダークでシリアスなイメージを追求し孤独と闇を分かち合う中で、彼らは一貫してポジティブかつ陽気。優しく楽しく朗らかにリスナーの心へと寄りそいます。
「私たちは常に人生、人間、友情を祝福しているんだ。このアルバムのテーマ “Memento Mori” は、今日がまるで最後の日であるかのように、精一杯生きるんだ!ってことだから」
アルバムのテーマとなったラテン語の慣用句 “Memento Mori” とは、死はいつもそばにある、だから今を全力で生きようという古からのメッセージ。死が当たり前の出来事だった中世から遠く離れた現代でも、多くの人は喪失や憂鬱をかかえていて毎日を自分らしく前向きに生きられていないようにも思えます。FEUERSCHWANZ は初期のコミカルなイメージを捨て、真剣に人間や人生に向き合うことで、リスナーの悩みや憂鬱を炎で焼きつくす美しきドラゴンの姿へと進化を遂げたのです。
「メディーヴァル・ロックの多くのバンドはドイツの大きなお祭りであるルネッサンス・フェアで演奏し、同時に自分たちのツアーもやっているんだよね。私たちはそこから発展させて、ドイツ語の歌詞とヘヴィ・メタルのリフ、伝統のバイオリンとワイルドなギターソロ、バグパイプとメタルパワーを掛け合わせ、剣や蜂蜜酒やドラゴンに満ちた巨大なファンタジー世界に落とし込みたかったんだ」
インタビューに答えてくれた実は凄腕のシュレッダー Hans Platz のギター・サウンドはこれまでよりも遥かに強烈で、キャプテン・フォイアーシュワンツの歌声は威風堂々。ヴァイオリンやハーディー・ガーディー、フルートの助けを借りながらルネッサンス・フェアに始まった緩やかなメディーヴァル・ロックを激しいメタルの頂へと導いていきます。
タイトル・トラック “Memento Mori” の脈打つようなベースライン、胎動するクランチーなリフワーク、炎焔の音の葉が示すように、明らかに FEUERSCHWANZ はこの作品でキャッチーの中にメタリックな印象を著しく強化して、己の陽の信条を真摯にリスナーへと伝えています。音楽的にも哲学的にも、SABATON や POWERWOLF のパワー・メタルに接近した結果と言えるのかもしれませんね。
Johanna とプリンスこと Ben Metzner による伝統楽器の色合いもアルバムを通して驚異的です。”Untot im Drachenboot” における狂気のバグパイプ、血湧き肉躍る “Rohirrim” の角笛、”Am Galgen” の雄弁なヴァイオリンは、ロード・オブ・ザ・リングのファンタジーはもとより、ゲーム・オブ・スローンズの壮大なる激戦をも現代に蘇らせていきます。時にはローハンの騎士の物語を、時には聖ニコラスの伝説を、時にはカルタゴの将軍の逸話をドラゴンの目を通して伝えながら。
「みんなメタルで使われる英語に慣れきってしまっているから、このままドイツ語で歌い続けていたら逆に何か新しいものが生まれるかもしれないと思っているんだよ。音楽という言語は国際的なものだし、歌詞は分からなくても音楽は理解されると信じている」
すべてがドイツ語であることに何か問題があるでしょうか?むしろ、ドイツ語のメロディックな一面に彼らは気づかせてくれるはずです。重要なのは、瞬時にストーリーを理解することはできないにしても、高揚していつのまにか口ずさむ楽曲のコーラス。世界は中世より多少ましになった程度の暗闇かもしれませんが、結局私たちが墓場に持っていけるのは棺桶くらいのもの。失うものは何もない。死が鋭いそのナイフをつきつけるまでは、今を生きよう!FEUERSCHWANZ の音楽はそう語りかけているのです。
今回弊誌では、Hans Platz にインタビューを行うことができました。「音楽が進化することは重要だと思うし、今現在、伝統楽器を持つバンドはメタルに新しいものをもたらしているんだ」 AMON AMARTH から O-ZONE, THE WEEKEND のカバーまで収録したデラックス・エディションも楽しい試みですね。今だからこそアツいマイアヒ。こういったバンドには珍しくギタリストがヴァーチュオーゾ・タイプなのも良いですし、今回はアレンジもフック満載。GLORYHAMMER から飛び出た Thomas 氏もゲスト参加。どうぞ!!

FEUERSCHWANZ “MEMENTO MORI” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【DER WEG EINER FREIHEIT : NOKTVRN】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH NIKITA KAMPRAD OF DER WEG EINER FREIHEIT !!

“I Somehow Always Wanted To Create an Album About The Night, About Dreams And The World Between Being Awake And Asleep.”

DISC REVIEW “NOKTVRN”

「私はずっとクラシック音楽が好きで、フレデリック・ショパンは私に多くのインスピレーションを与えてくれた作曲家の一人なんだ。特に彼のピアノのためのいわゆる “夜の小品” であるノクターンがお気に入りなんだよね」
ヘヴィ・メタルは昼の音楽でしょうか、それとも夜の音楽でしょうか? もちろん、カリフォルニアの真夏の太陽の下、ビーチで美女と組んず解れつ大音量で聴くべきメタルも存在しますが、根本的には暗く、重く、憂鬱な夜行性の音楽であることは誰もが認めるところでしょう。夜行性とはすなわち夜と一体になることです。
夜想曲、ノクターンを書くためには、夜からインスピレーションを受けなければなりません。ポーランドのピアニストで作曲家、フレデリック・ショパンは夜を愛し、1827年から1846年の間に21曲の夜想曲を書き連ね、遂にはその超絶技巧の中で人間の心の複雑さにまで到達して表現しました。つまり、彼の “夜の小品” は、ロマン派の理想を華麗に実現し、技巧的研究の中に類稀なる夜のハーモニーとメロディーの融合を提示していたのです。
「レコードを作る場合重要なのは、バンドの文脈における楽器と音の組み合わせだということなんだ。例えば、シンフォニック・オーケストラでヴァイオリンだけを聴くのと同じように、メタルでギターだけを聴いても、全体は理解できない。”Noktvrn” では、ショパンのノクターンなどクラシックな曲との直接的なつながりはないにしても、こうしたクラシック流のアプローチが最近の私の曲作りに大きな影響を与えているんだよ」
5枚目のアルバムとなる “Noktvrn” で、DER WEG EINER FREIHEIT は独自の革命的な道を歩み始めました。ボーカル/ギターの Nikita Kamprad は、クラシックの整合性やシンフォニーが描き出す全体像の美学に影響を受けながら、さらに敬愛するショパンがのめり込んだ “夜” に心酔し、メタル・ノクターンの具現化に向けて全精力を傾けました。
「私はなんとなく、夜について、夢について、起きているときと眠っているときの間の世界についてのアルバムを作りたいとずっと思っていたんだよ」
きっかけは、深夜から早朝に白昼夢として降りてきた “Immortal” という楽曲でした。もし夢の中で作曲ができたとしたら、もし半分眠っている状態で創造的になれたとしたら。朝日がほんの少しだけ顔を出した紫色の部屋の中で Nikita はそんな夢物語を偶然にも実現し、さらに夜のリズムに惹かれていきました。作曲を夜間に限定して行うようになったのも、飽くなき夜音探求のため。そうして、プログレッシブ・ブラックメタルを指標するドイツの賢者は、そのバンド名と同様に自由を渇望し、実験と挑戦のノクターンを完成させました。
「つい数日前、ある人が DEAFHEAVEN も新しいアルバムで私たちの “Noktvrn” と似たようなテーマを扱っていると言ってきたんだ。例えば、早朝に感じる気持ちや、半分眠っているような気分といったものをね」
偶然とは重なるもので、DER WEG EINER FREIHEIT と同様にブラックメタルの世界を押し拡げる DEAFHEAVEN も奇跡的に”青の時間” をテーマとした作品を昨年リリースしています。ただし、音楽的には双方リスクを犯しながらも DER WEG の “夜” の方がより多彩で実験的なのかもしれませんね。
オープニングを飾る “Finisterre II” のアトモスフェリックな音響はアルバムを侵食し、”Monument” のオーケストラアレンジとホーンセクションが妖しくも美しい夜の音を召喚。別世界を醸し出す “Immortal” のフォーク、”Haven” の夢のようなシューゲイズ、”Gegen Das Lichtの徹頭徹尾アバンギャルドなアートロックと、彼らの夜会は迷宮のように深く入り組みながら、混迷の中に人の複雑を描き出します。
「私たちの社会では、メンタルヘルスや心の病気はいまだに過小評価され、話したくないタブーのような問題とされているように感じているんだ。だから私たちがそれについて話さなければ、精神的な病に苦しむ人々の助けにはならないだろうと思ってね」
“Noktvrn” は一般的なブラックメタルとは異なり、人間の心のあり方を投影した作品です。睡眠時や夢を見ている時の脳の働き、パニック障害、幽体離脱体験にフォーカスしたリリックはショパンのように夜で心を哲学して、パズルのピースのようにアルバムの音楽へと寄り添いました。
暗く、孤独で、憂鬱な夜は、だからこそ時には優しい時間にも変化します。遂にマイルドな英語を解禁すると共にクリーンな歌声を解き放ち、実験的なブラックメタルを多層的なハーモニーの輝きで装飾した彼らの新たな挑戦は、まさに弱さや儚さをも抱きしめる夜の包容力をも認めた結果ではないでしょうか。
今回弊誌では、Nikita Kamprad にインタビューを行うことができました。「音楽を書いたり、ライブで演奏したりすると、ほんの一瞬だけど、自由な気持ちになる。言論、プライバシー、宗教などの自由が制限され、しばしば紛争、腐敗、戦争を引き起こしているのを見ると、今の世界にはあまり自由を感じないからね。だから、音楽とこのバンドは、私にとっての “自由への道” であり、好きなことができる安全な空間に逃避する方法なんだよ」 どうぞ!!

DER WEG EINER FREIHEIT “NOKTVRN” : 9.9/10

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