COVER STORY : SLEEP THEORY “AFTERGLOW”
“Nowadays, Heavy Bands Have Flipped The Script, Making Music For Everyone’s Ears. You Might Be The Sort Of Listener Who Considers Themselves a Pop Fan, But You Could Turn On a Sleep Token Song And Enjoy It.”
AFTERGLOW
「僕たちはアートを作るためにここにいる。 みんなと同じでは何も始まらないからね」
SLEEP THEORY のフロントマン、Cullen Moore の最初の記憶は、リビングのソファーで父とボビー・ブラウンの反抗的なアンセム “My Prerogative” を一緒に歌ったことでした。”誰の許可も必要ない 自分で決断をする それが自分の特権だ”。
このマインドセットは、メタルの境界を破る SLEEP THEORY に結実しました。そのポップな滑らかさとR&B の野性味は前例のない共鳴、共感を呼んだのです。彼らはラジオを支配し続け、今後の大規模なフェスティバル出演が成功を確固たるものにしています。
「ガソリン・スタンドで止まった時、父が “SLEEP THEORY がこんなに大きくなるなんて考えたことある?” と聞いてきた。僕はただうん、と答えて父に “それは僕が決して小さくさせなかったからだよ” と伝えたんだ。僕は僕が関わるものに対しては、競争心が強く、決して自分の水準を下回ることを許さない。そのアティテュードがどこから来たのかは分からない。ただ、ずっとそうだっただけだ。それは他の人より “優れている” ことではない。誰かが何かを成し遂げるのを見て、自分がどれだけできるか試したいという意欲なんだ。SLEEP THEORY が既に到達したレベルに達していなくても、それが実現するまで努力を続けるだけだ」
Cullen のその自信には、作られた要素は一切ありません。 テネシー州とミシシッピ州の州境の南側で音楽に囲まれて育った彼は、その場所を親しみを込めて “メンフィシッピ” と呼びます。その背景が、彼の自信の大きな要因となっているのです。ブルースの発祥地であるビールストリート、メンフィス・ラップの誕生地である粗野な街、そしてエルヴィスのグレースランドの豪華絢爛な世界など、アメリカを象徴する多くのサウンドは、彼の家の玄関から車で 30 分圏内で生まれました。
「みんなは、僕がいつ歌えるようになったのか尋ねてくるけど、正直覚えていない。ただずっと歌っているだけなんだだ。それが唯一、僕ずっとできてきたことだから。父はいつも歌っていた。祖母も。叔父も。もう一人の叔父も。叔母も。大叔母も。僕たちは皆歌手だった。そして皆自然にやっている。人生で経験した多くのことにおいて、音楽が関与していた。そして、それは僕の人格の核心的な部分となった。歌が人生であることを疑ったことは一度もないんだ」
粒子の粗いVHSで父親の音楽ビデオを見たことが、Cullen が歌を職業として実現可能だと確信するきっかけになりました。両親は息子に良い育ちと彼が得るべき機会を与えるために努力しました。時には、勉学を優先して音楽を “プランB” にすべきだと奨励しましたが、それは決して彼の道ではなかったのです。
「12歳から音楽をやっている。そして14歳からスタジオにいる」
まずは、創造的な道を模索することが第一でした。Cullen にとってヒップ・ホップに手を出すことは魅力的ではなく、父親から受け継がれた純粋なR&Bのバトンを継ぐこともありませんでした。そうして彼は、人生のコントロールを握るという別の目標から父親の足跡をたどり、アメリカ軍に入隊しました。ミシシッピ州コリントを拠点とする警備隊での3年間、それは自己肯定感の向上と現実の厳しさを同時に感じた経験だったのです。
「あの瞬間を鮮明に覚えている。軍隊では、自分を正す必要があると感じるから入隊する人もいる。僕はバランスの取れた家庭で育った。悪い子供ではなかった。だけど、大学を中退し、自分がどこへ行きたいのか、何をしたかったのか分からない状態だったんだ。数歳年下の友人と将来の計画について話していた時、彼は軍隊に行くと言った。僕は人生で何をしたいのか分からなかったから、同じように入隊を決意したんだ。父には話さなかった。父が軍に行かせたがっていたことは知っていたけど、もしそれが気に入らないものになったら、彼のせいにするのではなく自分で決めたことだと言いたかったから」
軍での経験は強さを養い、Cullen は自信を磨きました。同時に、日本のアニメは “良い人間” になる手助けをしてくれたと語り、”Naruto” のタトゥーを腕に刻みました。
「僕は常に非常に意志の固い人間だった。非常に頑固で、自然に自分自身に自信を持っていた。しかし、軍隊を経験したことで、すでに制御不能な炎のように感じていたものがさらに強まったんだ。軍隊は僕に冷静な判断力を与え、本当に僕のパーソナリティを1000倍に強化してくれた。そして、忍耐とチームワークを教えてくれたんだ。もし時間を遡れるなら、再び入隊するだろうか?一瞬の迷いもなく、イエスだね!」
2023年初頭、SLEEP THEORY はまだ無名でした。 彼らのラインナップが固まったのはつい最近のことで、名前が決まったのはそのほんの数ヶ月前のことでした。新曲 “Another Way” の17秒のプレビューを気まぐれにTikTokに投稿したときは、ほとんど期待もしていませんでした。しかし、36時間以内に再生回数は50万回を記録し、新たなファンの軍団が続々と押し寄せてきたのです。
その瞬間が SLEEP THEORY の物語から切り離せないのはたしかですが、Cullen は彼らが “一夜の成功” と受け止められることには皮肉を感じています。なぜなら、2018年に軍を退役した彼は、それからずっと地元のプロデューサー、David Cowell と二人三脚で歩んできたからです。
「メタルのブルーノ・マーズになりたいと David に言ったんだ。僕は次に何をするのか全くわからないような、そういう明確なアイデンティティを持ったアーティストになりたかったんだ。 David はその時点でメンフィスで最高のプロデューサーだったと思うけど、まだ注目されていなかった。そして今、彼はプロデューサーとして、そして SLEEP THEORY はバンドとしてブレイクを果たした。彼の天才ぶりが注目されるのはいいことだ!」
最初の数年間はスタジオ・プロジェクトでしたが、2021年にベーシストの Paolo Vergara を迎え入れ、本格的に活動を開始しました。Paolo の紹介でドラマーの Ben Puritt が参加するようになり、素晴らしいシュレッダー/スクリーマーである Ben の弟 Daniel が加わったことで、すべてがかみ合いました。
「俳優、プロデューサー、撮影監督がいる映画を作るとしたら、僕は監督みたいなものかな。 ギターを弾くことはできないけど、物事を見て、物事を聞いて、すべてがどこに向かうべきかを理解することはできる。 また、他の人たちに仕事を任せるために、自分のやり方から離れるべきときも学んできた。 最初のころは、まだ物事を理解しようとしていたけれど、今は、よりよく動くマシーンになったよ」
Cullen にとって、自身の作品にラベルを付けるプロセスは難しいものでした。他のバンド名として “Monolith”(暗すぎる)と “Wavelength”(ポップすぎる)を却下し、オンラインで科学用語を閲覧していた際に、”Sleep Theory” に決めました。
「これが正しいと感じる。口に馴染む。重すぎず、軽すぎず」
2023年にEpitaphからリリースされた “Paper Hearts” はEPでしたが、その6曲に費やされた時間と努力は、それ以上のものを感じさせる作品でした。そうして、David のSupernova Soundスタジオ(メンフィス北東部)と往復しながら “Afterglow” のレコーディングを行った Cullen は、これがそのEP以上の決定的な声明である必要があると悟ったのです。
「”Afterglow” は “Paper Hearts” の続きから始まる。情熱的だが最終的に抽象的な感情の枠組みで、僕たちがこれまで語ってきたストーリーに終止符を打つものだ。愛する誰かと共に多くのことを経験したにもかかわらず、まだ “私とあなた” の間で迷っている感覚を捉えているんだよ。その余韻—アフターグロウ—は僕をまだ悩ませているんだよ。そこには個人的な経験が含まれているけど、それは僕だけに限定されたものではない。このバンドのどのメンバーからも、または僕たちのプロデューサーからも来得るもの。もちろん、スタジオに入って “さあ、愛について話そう!” と言ったわけではないけど、アルバムの曲は共感できるものにしたいと思っていた。誰もが失恋を経験するので、意識的か無意識かに関わらず、そのことを書いたんだよ」
ヒップホップのビートとエレクトロのアトモスフィア、メタルコアの咆哮とR&Bの官能性が融合し、刺激的な作品を構成。緊張感あふれるアドレナリンの爆発、脆い切なさ、魂を揺さぶるカタルシスの瞬間を織り交ぜるアルバムは実にユニークです。例えば “Hourglass” は、A Day To Remember の全盛期を思わせるポップ・パンクとメタルコアの融合。”Stuck In My Head” は、失恋の物語に巨大なフックを埋め込んで煮詰めた共感の一曲。EPからの継続曲 “Numb” はアンセムで、”壊れた夢の目を覗き込む / 縫い目が裂けた新たな計画” と挑発的に歌っていきます。
しかし、最も心に響くトラックは、新曲 “III”(「スリーズ」と発音)でしょう。バンドから奪われた何かが “想像し得る最悪の形で汚された” というストーリー。その耳に残るフックと楽曲の成功は、彼らにとって最も満足のいく復讐となるでしょう。
「人生に酸っぱいレモンを与えられたら、そこからレモネードを作ればいい。そんな悪い経験をしても、それをヒット曲に変えればいいんだ!」
正直さと純粋なビジョンが全て。たとえそれが、彼らの成功が SNS の “バズ” から始まったとしても。
「僕は “TikTokアプローチ” をただ受け入れるつもりはない。トレンドには興味がないんだ。一時的なバズのためにここにいるわけじゃない。みんながやっているなら、僕はやりたくない。TikTokダンスをしたり、他所でよく見かけるような目立つためのクリップを作ったりする人間にはならない。それではただ、大衆に迎合するだけだ。
「”Another Way” の最初のティーザーでも、それは “夏のTikTokソング” を目指すことではなく、僕たちが目指すよりプロフェッショナルなイメージを確立するためだった。僕はTikTokの基準に妥協しない。僕たちはコメディアンになるためにここにいるのではない。アートを作るためにここにいる。それは他の人と同じ場所から始まるものではない」
Cullen には説教臭さも不自然な派手さもありません。急速に成功を収めたアーティストとしては、驚くべきほど傲慢さがないのです。そうして論理、問題解決能力、そして抗いがたい自然な好奇心が存在します。彼は、SLEEP THEORY の急激な上昇だけでなく、より広範な盛り上がるオルタナティブ・シーン全体、そして SPIRITBOX から SLEEP TOKEN まで新たなリーダーたちにも焦点を当て、変化の潮流を見据えています。
「昔の Bring Me The Horizon は、好きか嫌いかの二者択一だった。しかし、最近の新しい Bring Me The Horizon には、多くの異なる要素が絡み合っていて、多くの人々がその中から気に入るものを見つけることができる。歴史は繰り返す。2009年ごろ、ヒップ・ホップとポップが真のブームを迎えていて、ロックはその波についていけなかった。ほとんどのアーティストは、この音楽を幅広い層に受け入れられるようにする努力をしていなかった。もしそうしていたなら、彼らは Thirty Seconds To Mars や Imagine Dragons のようなカテゴリー(ポップサウンドを直接取り入れた)か、Kings Of Leon のようなバンド(ポップな曲作りを重視した本格的なバンド)に分かれてったはずだ。適切なバンドがとてもポップな感覚を学んでね。でも、実際はヘヴィなメタルコアやスクリーモのジャンルに入ると、それははるかに “好みが分かれるもの” だった。
でも現在、ヘヴィなバンドは方針を転換し、誰もが楽しめる音楽を作っている。ポップ・ファンを自認する聴き手でも、SLEEP TOKEN の曲を聴いて楽しむことができる。感情の幅も広くなっている。悲しみや暗いテーマばかりではなく、より共感できる内容で、古いバンドが扱っていた感情の幅を捉えているんだ」
“Stuck in My Head “の野外アコースティック・パフォーマンスにも彼らのポップ・センスが現れています。
「アコースティックで曲を歌うのが大好きなんだ。 このプロジェクトの背景にあるアイデアは、ヘヴィなギターをすべて取り除けば、ポップな曲になるということなんだ。 どんなメタルやロックの曲でも、アコースティック・ヴァージョンを作れば歌えるんだ。
この曲のライティングやメロディが、ポップ・ソングとして問題なく成立させているんだと思う。 もしカントリー・アーティストが “Stuck in My Head” をカヴァーしたら、間違いなく完璧に歌いこなせるだろう」
あの BACKSTREET BOYS でさえ、彼らの栄養となっています。
「”Static”のビデオ撮影で “I Want It That Way” を4人で歌った。バンの中でみんなで歌ってるけど、まあリハーサルするようなことじゃないよ。 ただ歌い始めるだけ! ミュージックビデオの撮影で、僕が “You are my fire/The one desire” と歌い始めたら、他のみんなも歌い始めた。 だからインスタグラム用にちょっと作ったんだ」
あの伝説的なバンドも彼らの一部となっています。
「どのバンド・メンバーも、演奏や作曲に関して最も影響を受けたアーティストがいる。だけど SLEEP THEORY のサウンドに関して言えば、LINKIN PARK は僕らの音楽を形成する上で重要な役割を果たした。サウンドだけでなく、曲作りへのアプローチやオーディエンスとのつながり方にも影響を与えている。 多様性を受け入れること、純粋な感情を表現すること、サウンドで実験すること、そして自分独自の芸術的な声に忠実であること…それはロックとオルタナティヴ・ミュージックの世界に忘れがたい足跡を残したバンドの影響を反映しているんだ」
BEARTOOTH と共に大規模な会場でライブを敢行し、WAGE WAR から NOTHING MORE, HOLLYWOOD UNDEAD まで、あらゆるバンドとステージを共有してきた SLEEP THEORY は、現在のヘヴィ・メタル界のトップクラスと肩を並べる能力を証明してきました。それでも、Cullen は青春時代聴いていたバンドを参考に、自身の道を模索しています。3つのフェイバリットを挙げるよう促されると、彼はさらに多くのバンドを挙げていきました。
「LINKIN PARK, FALL OUT BOY, PARAMORE と言えるかもしれない。でも DISTURBED, THREE DAYS GRACE, SAOSINとも言える。または WOE IS ME, DANCE GAVIN DANCE とも言える。僕にとって、一つに絞るには変数が多すぎる。難しいよ」
まず第一に、Cullen は音楽のファンであり、バンドのファンなのです。だからこそ、自分のバンドに対して他人が感じるファン心を、彼は最も誇りに思っています。たしかにストリーミング指標やチケットの売上は SLEEP THEORY の成功の一端を示すかもしれませんが、人間同士のつながりの電気のような力は、名声や富よりも価値があると信じています。
「”大きなバンド” になることは、人々の心を動かすことだ。それはほんの少しかもしれないけど、人々の生活を変えることだ。SLEEP THEORY の変化に気づいたのは、あるコンサートでのことだった。僕よりずっと年上の男性が写真撮影を求めて近づいてきた。彼が震えているのに気づき、大丈夫ですかと尋ねた。彼は “ヒーローに会うから緊張している” って。音楽が人々に影響を与えていることは知っていたけど、その瞬間、本当に実感したんだ。理解するのが難しかったよ。僕は人生のほとんどを、僕より年上の人々を尊敬してきたけど今や、僕より長く生き、多くの経験を積んだ人々が、僕を尊敬していると言っているんだからね!」
結局、最も重要なのは自分自身を満足させることです。様々な影響の中でも、Cullen はアトランタのメタルコアの先駆者 ISSUES、特に2019年のランドマーク作 “Beautiful Oblivion” を、最も模倣したいテンプレートとして挙げています。彼にとってこれは完璧なアルバムであり、自身のキャリアの終着点として無駄な曲の影も残さないことを理想としています。
「僕はマイケル・ジャクソンのようなアーティストを聴きながら育った。だから、これで十分だと言うような人間にはならない。平均的な曲は欲しくない。ただやり過ごすための曲も欲しくない。人々が僕のカタログを見て “素晴らしいけど、あの曲はもっと良くなれたはず…” と言うような曲も欲しくない。そして、ファンが聴きたいものを作りたいとは思っているけど、自分が作りたくないものは絶対に作らない。
人々はアーティストが聴き手に合わせるという考えに慣れすぎている。僕は誰にも合わせないよ。自分のやりたいことをやる。自分自身に忠実なだけだ。それに共感するかどうかはリスナー次第。僕は決して他人の気まぐれに屈しない。合わせることができない。それが本当に僕の本質だから」
参考文献: KERRANG!:Sleep Theory: “We’re here to make art. That does not begin with being the same as everybody else”