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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【IGNEA : DREAMS OF LANDS UNSEEN】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH HELLE BOHDANOVA OF IGNEA !!

“I’d Say Music Can Definitely Change People’s Mood And Mind. But Changing The World… I’m Afraid, I Cannot Be So Naive Because Of Everything Happened To Me And My Country.”

DISC REVIEW “DREAMS OF LANDS UNSEEN”

「もちろん、音楽は非常に重要なもので、この1年間、ウクライナでもそのことが示された。塹壕の中や負傷したときに歌う兵士、防空壕の中で歌う人々、音楽は人々をより落ち着かせることができたわ。だから、音楽は人の気分や心を変えることはできると思う。でも、世界を変えるなんて……自分や自分の国に起こったことを考えると、そんなにナイーブにはなれないわ」
ロシアとプーチンの侵攻から1年経った今、ウクライナのモダン・メタル旅団 IGNEA はアルバムという自らの分身を世に放つことを決意します。当然、彼らのドッペルゲンガー “Dreams of Lands Unseen” が怒りに満ちた作品でも、暴虐に向けた鋭き矛先でも、リスナーが驚くことはないでしょう。もちろん、音楽は世界を変えられない。音楽で身を守ることはできない。それでも、IGNEA はより芸術家らしい方法で、不条理に抗することを決めたのです。
「Sofia はどこを旅しても、必ずウクライナ文化の一部を持ち込んでいて、自分がウクライナ人であることを強調していたのよ。また、彼女は言葉の使い方が巧みで、歌詞の中のフレーズもそのまま彼女の言葉をウクライナ語で残したかったんだ。最後に、私たちはウクライナ人で、自分たちの言葉を愛しているから、自分たちのルーツへのトリビュートとしてもウクライナ語を使ったのよ」
IGNEA は、暴力に暴力で立ち向かうよりも、見過ごされてきた歴史的な人物の粘り強さと功績に焦点を当て、ウクライナの誇りと強さを描き出しました。”Dreams of Lands Unseen” の主人公、旅行写真家/文筆家の Sofia Yablonska は、祖国ウクライナから世界を旅し、初の女性ドキュメンタリー映画監督となり、ヨーロッパの植民地主義がもたらした悪影響にしっかりと目を向けた偉大な人物。彼女をウクライナの象徴的な女性像として、そして帝国主義の批判者として光を当てるというコンセプトは、最近のロシアの不当な侵略や行き過ぎた暴力と闘うための、より文化的なアプローチであると言えるでしょう。
「戦争が始まって最初の数カ月は、私たちにとって生き残ることだけが重要だったわ。あらゆる音が怖くなって、音楽を聴くことすらできなかった。それでも私たちの地域が占領解除され、この戦時下の状況に慣れたとき(ひどい言い方だけど)、私たちはアルバムを作り続けようと強く思ったの」
ウクライナ人としての誇り。ウクライナが真に戦っている相手。そしてウクライナが今、必要としているものを浮き彫りとしたアルバムは、恐怖であった “音” をいつしか勇気へと変えていました。そしてその IGNEA が手にした勇気は、しっかりとその冒険的な音楽にも反映されています。
シンフォニックなオーケストレーションと伝統音楽が、メタルを介して結びつくその絶景はまさにトンネル・オブ・ラブ。Sofia がモロッコ、中国、スリランカなどを旅したように、東洋や中近東の光景が巡る実に多様で自由なモダン・メタルは、かつての帝国主義や権威主義とは正反対の場所にいます。
そうして、抑圧に抗う可能性と力は、Helle Bohdanova の声を通して世界へと伝播していきます。光と陰を宿した Helle の美女と野獣なボーカルは、大戦中に女性一人で世界を旅することの逞しさと恐怖、その両面を実に巧みに表現しています。そしてその逞しさや恐怖は、そのまま現在の Helle の中に横たわる光と陰でもあるのでしょう。メタル・バンドには珍しい異端楽器の数々はきっと彼らの軍備。ただ一つ、確かなことは、ウクライナの勝利が、IGNEA の冒険と Helle の勇気によって一足早くもたらされたという事実。未到の地の夢は、愛する地があればこそ映えるのです。
今回弊誌では、Helle Bohdanova にインタビューを行うことができました。「アルバムの発売日である4月28日の夜中に、大規模なミサイル攻撃があったわ。そして、その1週間後には、私が住んでいる家のすぐ隣の5つのアパートをドローンが直撃した。もちろん、最前線に近ければ近いほど、状況は悪化するわ。それでも、ウクライナに住む人は皆、翌日が来ることに確信が持てないのよ」 どうぞ!!

IGNEA “DREAMS OF LANDS UNSEEN” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【CRESCENT LAMENT :花殤 & 噤夢】 JAPAN TOUR 23!!


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH CRESCENT LAMENT !!

“Recently, There Are More And More Taiwanese Artists Presenting Notable Creations That Attract Foreigners To Take Notice Of Taiwan. As Long As We Can Keep Showing The Uniqueness Of Taiwan’s Culture And The Good Nature Of Taiwanese People, We Shall Get Positive Support From The World.”

DISC REVIEW “花殤 & 噤夢”

「私たち台湾人にも故郷を語り継ぐ義務がある。二.二八事件や白色テロでは、数え切れないほどの勇敢な台湾人、その多くは若いエリートが、残忍な独裁政権と戦うために命を犠牲にした。しかし、彼らの生涯を記した記録は、白色テロ時代の厳しい検閲のため、ほとんど残っていないんだ。
あと10年もしないうちに、二.二八事件の虐殺と拷問から生き延びた台湾の長老たちは、おそらくもう存在しなくなる。私たちの祖父母は、どのような不幸を目の当たりにしてきたのだろうか。彼らはどんな悲劇を記憶に封印してきたのだろうか。なぜ彼らは、第二次世界大戦中の日々を、第二次世界大戦後よりもまだ良かったと言うのだろうか。掘り下げれば掘り下げるほど、私たちは悲しい気持ちになる。
阿香と明風の物語は、私たちの祖父母の世代に属するもの。かつて台湾を窒息させた権威主義的な前政権によって、彼らは何十年も黙殺されてきた。今、私たちはそれを声高に語る義務があるのだよ」
東洋きっての悲劇の語り部。CRESCENT LAMENT の来日が決定しました。台湾という政治や国の争いに翻弄され続ける場所で、彼らは二胡と台湾語、そしてノスタルジックなアジアのメロディを用いて、メタルで抑圧や搾取に抗い続けています。その旋律は物語で、その物語は旋律。切っても切れない迫真の “オーディオ・ムービー” に、私たちは今こそ目と耳を傾ける時なのかもしれません。
時は昭和初期。阿香と明風の悲劇の物語は、台湾の日本統治時代に幕を開けます。日本人の松子と台湾人ビジネスマン清田が恋に落ち、産まれたのが阿香でした。しかし、当然のように松子と清田は共に両親からの猛反対を受けて別離。阿香は父清田のもとで育てられますが、心の傷を負った清田は自死を選び、阿香は置屋に売られてしまいます。
昭和15年。芸者として働き始めた阿香ですが、その心には将来への不安や仕事への葛藤が渦巻いていました。そんな折、一つの希望が湧き上がります。実業家、明風との出会いです。混沌とした時代に、若い2人は通じ合い、互いを運命の人だと信じます。
帰ってきたら結婚しよう。そんな言葉を残して明風は仕事で1年間、日本へと渡ることになります。しかしみるみるうちに戦況は悪化。何年も連絡のないままに、阿香は女将によって別の人と結婚を決められてしまうのです。
結婚式の当日。突然、明風があらわれます。そして、阿香に終戦まで出国が不可能だったことを涙ながらに告げるのです。すべては遅すぎたのでしょうか。来世での幸せを誓い合って2人は別の道を歩むことになってしまいます。
終戦を期に、日本による台湾統治は終わり、代わりに中国国民党がやってきます。「よく吠える犬が去って豚が来た」 などと言われるように、腐敗し抑圧的な中国国民党の支配は日本以上に台湾の人たちから嫌われるようになります。強姦、略奪、殺人など国民党が起こした事件は日本統治時代の30倍とも言われました。
そうした時代の変化は、裕福な家庭に嫁いだ阿香にとっても無縁ではありませんでした。軍人に強盗に入られ、夫を警官に殴り殺される。妾であった阿香は結局、もとの無一文、宿無し生活に逆戻りしてしまいました。
そんな窮状を再び救ったのが明風でした。新聞で事件の詳細を知り、すぐに阿香のもとへと駆けつけて、彼女を自分の商店へと連れ帰ります。ついに再会を果たした運命の2人。やっと幸せで平穏な時が流れるかに思ましたが、物価の大幅な上昇、搾取、そしてコレラの蔓延で台湾人の怒りが爆発。抗議行動を開始した彼らに浴びせられる機銃掃射。鬱憤は爆発し、二.二八の騒乱が巻き起こります。遂に結婚した若き2人でしたが、明風は台湾人としての誇りを胸に、阿香を残して抗議活動へとその身を投じます。帰らぬ愛しき人。移り変わるは季節だけ。しかし、阿香はいつまでも、いつまでも、明風の帰りを待ち続けるのです。中国国民党は92年までの白色テロで14万人もの知識人を惨殺したと言われています。
今回弊誌では、CRESCENT LAMENT にインタビューを行うことができました。「物理的な国防強化に加え、台湾の色彩豊かな文化を世界に輸出することは、我々普通の台湾人ができる簡単で効果的な方法だ。最近、台湾のアーティストが注目すべき作品を発表し、外国人が台湾に注目することが多くなっている。台湾の文化のユニークさと、台湾の人柄の良さをアピールし続ければ、世界から積極的に支持されるはずだからね」 どうぞ!!

CRESCENT LAMENT “噤夢” : 10/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【DAWN RAY’D : TO KNOW THE LIGHT】


COVER STORY : DAWN RAY’D “TO KNOW THE LIGHT”

“We Are a Black Metal Band, But Worry Not, We Are Anarchists And Antifascists. We Still Want To Be Part Of This Community.”

TO KNOW THE LIGHT

リーズのステーションハウスは、かつて警察署でした。そのため、今でも警察官と話すためにドアをノックする人が後を絶たないほどです。レコーディング・スタジオとして再利用された多くの古い建物と同様に、この場所の特徴は、新しい機能とうまくクロスオーバーしています。The Stationhouse の場合、いくつかの小部屋が、バンドがギターアンプを置いたり、ボーカルを録音したりするためのアイソレーション・ブースになっています。
Fabian Devlin は、「あの部屋は昔の留置場だったんだろうね」と言います。「僕らからするとかつての卑劣な場所でレコーディングして、今はクリエイティブになれる場所、警察を解体するアイデアを探求できる場所になっているというのは、ちょっと不思議な感じだったね」
Fabien と彼のバンド DAWN RAY’D がかつての警察署で録音した曲は、バンドのサードアルバム “To Know The Light” のオープニング・トラック “The Battle Of Sudden Flame” でした。この曲は、 “豚野郎が何もないのに子供を虐待した” 後に子供の父親が炎で反撃する物語。歌詞によると “分断の間違った側に生まれた” 警官の話。この曲は、レコーディングされた場所で行われていた “ビジネス” に対する考えが明確であり、特に「給料をもらっていた警官たちははみんなくたばれ” という宣言に、彼らの思いが込められています。
バンドのシンガー兼バイオリニストの Simon Barr がこの楽曲を微笑みながら紐解きます。
「そこには素敵なメタファーがあると思うんだ」
すでに DAWN RAY’D に目をつけている人たちにとって、こうした過激さは驚きではないでしょう。2015年に “A Thorn, A Blight EP” で登場して以来、リバプールを拠点とするブラックメタル・トリオ Simon、ギターの Fabian、ドラマーの Matthew は今や、政治的な事柄を扱うバンドの代名詞となり、イギリスのメタル・アンダーグラウンドの新星となっているのですから。”To Know The Light” のリリースを控えた彼らは、その音楽の質と発言力の両方において、英国エクストリーム・ミュージック界で最も話題のバンドのひとつとなっています。

DAWN RAY’D は警察が嫌いで、反ファシスト。資本主義はあらゆる戦争と同じくらい破壊的だと考えています。選挙は結局のところ良い方向にはあまり向かわないという思想から、投票参加しません。王室について彼らがどう考えているかは想像がつくでしょう。つまり、DAWN RAY’D は、最も基本的なレベルでの人権、コミュニティ、平等、自分自身と隣人のために周りの世界をより良くすることとそのための努力のみを信じているのです。彼らは、一度や二度ではなく、何度でも、誇りを持ってアナーキズムを実践していきます。
「アナーキズムとはギリシャ語で “指導者のいない人々” を意味する “anarcho” から来ている」と Simon は説明します。「世界で起こっていることを外から見てみると、とにかくすべてが混沌としているよな。資本主義のもとでは、世界は滅びつつある。これほどカオスな世界はないだろう。僕にとってアナーキーとは、矛盾しているようだけど、秩序、協力、組織、そしてもっと全体的な生き方を意味しているんだ」
Fabian が付け加えます。
「他の誰にも悪い影響を与えない限り、誰もが自分にとって正しい生き方をする権利を持っている。そして、それを少し拡大すると、自分が生きたいように生きられるだけでなく、他の人たちが生きたいように生きられるようにベストを尽くすべきなんだよな。人は皆喜びと幸福に満ちた人生を送るべきで、できるだけ多くの苦労を取り除くべきなんだよ」
煽情的なオープニングと、より激しい音楽的な衝動が示すように、”To Know The Light” は政治的な怒りと同じくらい個人的なテーマを扱ったレコードです。Simon は、人はスローガンに惑わされることなく、最終的なゴールを自身が生きるに値する人生であると認識することだと定めています。それが結局は、すべての人のためになると信じて。
「COVIDでは、アナーコ・ニヒリズムに傾倒したんだ」と Simon は言います。「環境は破壊され、すべてが最悪で、革命も起きないかもしれない。しかし、ただ諦めて人間嫌いや絶望に屈するべきじゃない。酷い現実に対処する方法は、とにかく抵抗すること。抵抗のために抵抗し、尊厳と喜びを見出すことなんだ。それは、この世界が何であるかを見つけ、受け入れ、続けることにつながるからね」

実際、”To Know The Light” は、様々な意味で彼らのこれまでの作品とは一線を画しています。政治的な側面は変わりませんが、以前よりも個人的な傾向を帯びていて、怒りから絶望、そして周囲の闇を根本的に受け入れ、解放と喜びという新たな理解に至るまで、アナーコ・ニヒリズムの旅を辿るような歌詞になっているのです。テーマとなる内容の多くは、怒りと抵抗に根ざしていますが、ポジティブな要素も随所に見受けられます。
DAWN RAY’D はフォーク・ミュージックを、労働者階級の人々の傷や虐待、実生活の物語を記録する方法として定義し、他の方法ではアクセスできないような情報を広める方法と目しています。だからこそ、サウンド面でも彼らは伝統的なフォーク・ミュージックの要素を自分たちの音楽に取り入れていて、特に “Requital” や “Freedom in Retrograde” などの曲ではハーモニーやレイヤーにその傾向が見られます。
アルバムのジャケットは、デモの火の前でシルエットになった人物。”To Know The Light” は、単なる叫びではなく、新しい世界の見方を提示する誠実な作品だと彼らは考えてほしいのです。
「労働者が自分たちの人生を語ることができる方法のひとつがフォーク・ミュージックだ。労働争議、革命家の人生、そして権力者が我々に対して行うあらゆる虐待を記録している。過去と現在の間に隔たりはなく、これは最善の方法で語られる真実の物語なのだ。フォーク・ミュージックは “アコースティック” の代名詞ではなく、僕たちの実際の生活の音楽であり、苦労の結晶なんだ。
女性を残酷に扱い、貧しい人々を苦しめ、有色人種を平気で殺し、虐待する金持ちをかばい、反対意見を押しつぶすような組織を憎むことは議論の余地がなく正しい。警察への反対を正当化する必要はない。それは警察を支持する人たちの責任だ」
最近、英国ではもっぱら、最高権力者の金銭スキャンダル、警察での性的暴行、行方不明の移民の子供たち、不法滞在を許さないと下院で叫ぶ現職議員(Fabian は政治の中心にある “残酷さ” を強調するだけだと言う)、給与と条件についてストライキに入った疲れ切った病院スタッフを非難する政治家など、下水のようなニュースが垂れ流されています。
「絶望の中に身を置くのは簡単だ」と Fabian は言います。「このアルバムのテーマのひとつは、絶望を受け入れ、そこに寄り添い、絶望を通過し、でも絶望感を麻痺してしまわないようにすること。絶望に打ちのめされず、そこから喜びを見いだすべきなんだ。それがアナーキズムなんだよ」

当初、DAWN RAY’D はここまで政治的なことをやるつもりはありませんでした。3人はスクリーモのバンド We Came Out Like Tigers で一緒に演奏し始めましたが、このバンドには政治的な傾向があり、政治活動家が運営するスクワットで、同じような考えのバンドとよく演奏していました。このバンドが終わると、彼らは DAWN RAY’D(19世紀のアナーキスト作家 Voltairine de Cleyre の詩から取った名前)を結成し、Simon の不思議なほど効果的なヴァイオリンをトップに、新しい、ブラックメタルの道を歩み始めたのです。政治的な内容は、ブラックメタルとの関係性により、より顕著になりました。
「ヨーロッパ本土では、ブラックメタルは危険な領域だった。ヨーロッパのスクワットでは、国家社会主義とのつながりのせいで、人々はブラックメタルをチラシに載せないんだ。どのシーンでも同じだよ。極右はとっくの昔に文化利用の重要性に気づいていたんだ。ブラックメタルでも全く同じことが起こった。ノルウェーの数人のティーンエイジャーが、物議をかもすために卍を使い、実際のナチスに食い物にされた。だけど、パンク、スカ、テクノ、民族音楽でそうした連中が処分されたように、このシーンのチンカス連中も追放されるはずさ」と Simon は言います。「だから、俺たちは最初から、”俺たちはブラックメタル・バンドだけど、心配するな、俺たちはアナーキストで反ファシストだ、俺たちはまだこのコミュニティの一員でありたいんだ” とはっきり言わなければならなかったんだ」
続けて、ブラックメタルとアナーキズムの親和性について語ります。
「たしかに、ブラックメタルは伝統的にアナーキストと考えられているシーンではないと思うけど、革命、野性、自由、権威への憎悪といった考え方は、ブラックメタルの文脈の中ですべて納得がいくものなんだ。かつて、ブラックメタルがアナーキズムと相容れないものであったとしても、今は相容れるということだよ(笑)。
ネオナチはソーシャルメディアのコメント欄で僕たちに文句を言うけど、僕たちは右翼的なものを削除するのがとても上手で、彼らはライブで僕らに何か言う勇気はないんだ。それに、僕たちの発言には信じられないようなサポートがある。演奏するすべてのショーでこうしたアイデアについて話し、大きな募金活動を何度も行い、出来うる限り声を上げる僕らを人々評価してくれているようだから。僕たちが受ける憎しみは、僕たちが得るサポートによって圧倒的に覆い隠されるのだよ」
つまり、ブラックメタルは音楽的にも、哲学的にも、革命の最中にあります。
「PANOPTICON や ISKARA のようなバンドが道を切り開き、アナーキズムがこのジャンルにさらに踏み込んでいけるような新しい波が来ているように感じるね。
それに、時代の流れでもある。僕たちは絶望的な時代に生きていて、恐ろしい未来に直面している。どんな政治家も決して何かを解決することはできず、僕たちが信頼できるのは自分自身と自分たちのコミュニティだけだということが、これほどはっきりしたことはないだろうから。僕は、今、音楽を含む人生のあらゆる部分に革命への飢えがあると思っていてね。
ブラックメタルはアナーキズムにとても適している。僕は教会が嫌いだ。白人のキリスト教の礼節が嫌いだ。カトリック帝国の犯罪が嫌いだ。それらの建物が燃えても涙を流さない。メタルの右翼は、実は白人のキリスト教的価値観を支持している。それは、我々アナーキストよりもブラックメタルから分離しているように感じるね」

彼らの精神的ルーツは、MAYHEM や EMPEROR よりも、CRASS や CHUMBAWAMBA のアナーコパンクに近いと言えるのかもしれません。しかし、かえってその折衷性が、このリバプールのバンドのメッセージと影響力を高めています。
「パンクのショーでは僕らはメタル・バンドで一部の人には重すぎるし、ブラックメタルのショーでは政治的すぎて少し面食らう人もいるけど、それを楽しんでくれる人は必ずいる」と Simon は説明します。「そういうやり方が好きなんだ。僕たちは、本当に様々なフェスに出演してきた。マンチェスターで行われた反ファシストのフェスティバルに出演したんだけど、ヘヴィなバンドは僕らだけで、ラッパーやDJが出演していたよ」
逆に言えば、”真の” ブラックメタルでないことが、DAWN RAY’D のアイデンティティだと Simon は言います。MY DYING BRIDE を手がけた Mark Mynett の起用もその恩恵の一つ。
「僕たちに対する批判は、”真の” ブラックメタル・バンドではないというものが多かった。なぜなら、僕たちは反ファシストでありアナーキストだから。でも、”真の” ブラックメタル・バンドでなければならないというプレッシャーも感じていた。ブラックメタルはこうあるべきという他の人たちの考えに訴えかけようとしていたのかもしれない。このアルバムでは、それに逆らうような形で、自分たちの言葉で本当に演奏したいレコードを作ったんだ。ブラックメタルがどうあるべきかではなく、DAWN RAY’D がどうあるべきかでね。より親しみやすくメロディック。狂気のシンセサイザー、クリーン・ボーカル、ハーモニーを強調したアカペラ・ソング、そして大聖堂のパイプ・オルガン…”グロッシー” とでも言うべきだろうか。今回のアルバムは全く違うんだ。このレコードはとても違っていて、より多くの努力と時間とお金をつぎ込んでいるんだ」

政治性はすでに長い間、個人として彼らの中にあったもの。Simon はまず学生の反戦デモに参加し、次にリバプールのDIYパンクやハードコアのライブに行き、そこで音楽と政治の意味をしっかりと結びつけていたのです。そんなライブで手にしたアナーコ集団 CrimethInc のZINEは、彼がすでに信じていたものと多くの共通点がありました。
「そこにはアナーキズムとは何かということが書かれていて、”もしあなたがこれらのことをすでに信じているなら、あなたはすでにアナーキストです” と書いてあったんだ。それが僕にとっての啓示の瞬間だった。物事が間違っていることを知り、世界をより良い場所にしたいと思ったんだよな。すでに学生の抗議活動などにも参加していて、皆が世界をより良い場所にしたいというエネルギーを持っているのだとわかっていた。CrimethInc のZINEは、それに名前をつけただけなんだ」
Fabianにとっても、より若い頃の反抗心が種になっているとはいえ、同じようなことが起こりました。
「若いころはよくスケートボードをやっていたんだ。それは、よく不法侵入して、よく追いかけられたということ。それが、権威が必ずしも正しいとは限らないという考え方につながっているんだ。その後、CrimethInc にハマり、学生のデモに参加するようになったね。アナーキストのブロックを見て、すごいと思ったのを覚えているよ。彼らは僕に新聞を売ろうとしたり、自分たちの奇妙なグループに参加するよう説得したりせず、ただ本当に親切で、協力的で、励ましてくれて、決して見返りを求めない人たちだったからね。思いやりがあって、思慮深くて、みんなよりちょっとだけ張り切っていたんだよ。これからは彼らと一緒にやっていこうと思ったんだ」
そして、BLACK SABBATH のおかげで、メタルは “政治的であることから始まった” と断言する Matt。
「ドイツやスイスなど、かなり裕福な国でも、人々は反発し、自分たちの生活を完全に自分たちのやり方で送り、さらに周りのものをより良くしようと努力している」

環境破壊に使われる機械にダメージを与えたり、フードバンクを運営したり、単に隣人が無事かどうか確認したりと、アナーキストの “反撃” とは実際には様々なことを意味します。
「パンデミックのとき、リバプールでは素晴らしい活動が行われたんだ」とFabianは例を挙げて説明します。「政府は、繁栄するコミュニティの一員であり、私達の住むコミュニティに多大な貢献をしながらも、パンデミックで働くことを許されなかったため国の支援に頼っていた難民を、馬鹿げた、執念深い理由で、街から数マイル離れた場所に移して、本当に隔離するというひどい政策をとっていた。アナーキズムの最も良い例のひとつは、つながりを維持することが直ちに必要であると認識し、対応できること。誰かが車で来て、人々が無事かどうか、法的手続きを行っている人々が必要なサポートにアクセスできるかどうか確かめ、店からどれだけ離れているかを知って、すぐに自転車を用意した。こうやって、実践的で即効性のある組織作りを行っているのは、ただ、優れた人々なんだ。委員会や多額の資金は必要ない。必要なのは、僕たちにできるポジティブな活動なんだよ」
一方で、アナーキストを、一部の人たちはただの愉快犯や破壊者だと考えているようです。
「その通りだ」 と Fabian も認めます。「長い間、無力で底辺にいるように感じられてきた人たちが、破壊を通して自分の持っている力を認識すれば、それは人生においても自分の持っている力を認識する良い方法となる。正直なところ、企業の窓ガラスが割れたところで、誰が気にするの?どうでもよいことだよ。でも、それがきっかけで、職場で上司から搾取されないように組織を作ったり、地域社会に貢献したりと、ポジティブな形で物事を実践できるようになれば、それは素晴らしいことだろ?」
「僕が会った中で、破壊で反撃をやっている人たちは、フードバンクを運営している人たちと同じだよ」と Simon は付け加えました。「彼らは同じなんだ。良いアナーキストと悪いアナーキストは存在しないんだ。僕が知っている限り、違法とされるようなことに携わってきた人たちは、思いやりのあることをやっている人たちでもあるんだ」

バンドの反警察的なスタンスについても、多くの人がいろいろと言うでしょう。
「僕たちが主張しているのは、警察の改革とか、資金の削減とか、規則の変更とかではなく、警察を廃止することなんだ」と Fabian は言います。「今日、警察を廃止すれば、世界はより良くなるのだよ」
それはとても強い主張です。それは、誰かに頭を蹴られていても警察官が止めてくれないという事態を意味します。
「でも、警察が実際にそうしているのを見たことある?たいていは、後から現れるだけだ」Fabian は真剣です。「でも、地域の人たちがお互いに気を配っている例ならある。今、僕たちが座っているこのパブでも、誰かが襲われているのを見たら、みんなその人を助けるためにベストを尽くすだろう。何もしないのは、人間として、コミュニティの一員としての義務を放棄していることになるのだから。多くの場合、人々は互いに助け合うもので、警察がいることは事態を単純化するのではなく、むしろ複雑にしてしまうのではないだろうか?
君の家に泥棒が入ったとき、警察はその犯罪を解決してくれるかい?自分のものは戻ってくる?刑務所で凶悪犯罪はなくなるの?薬物使用はなくなるか?警察は真に凶悪な犯罪を犯した人たちを罰することができるのだろうか?警察は財産と金持ちを守るために存在する。家庭内暴力や性的虐待の被害者、貧しいコミュニティ、有色人種のコミュニティに対する扱いを見れば、警察が正義を実現したり、人々を助けたりするために存在しているのではないことは明らかだろ?」
DAWN RAY’D の面々は、こうした疑問について議論し、自分たちの言動に責任を持つことを喜んでいます。同様に、自分たちの意見に反対する人たちを招き、まず話を聞き、対話をすることも厭いません。
数年前、彼らはあるフェスティバルで、政治的にいかがわしいと思われているバンドと共に出演しました。ファンの中には、なぜ彼らが降板しないのかと疑問を持つ人も。その質問に対して、Fabian は、「文化的空間は争われるものであり、もし我々がその中立の領域から一歩下がっていたら、負けを認めたことになる」と言っています。

彼らは、自分たちの意見に反対する人がいることも当然知っています。何人かの人たちから殺害予告を受けたからです。
「彼らは、すべてのひどいことを言ってきた」 と Matt は疲れ果てて話します。「他の誰かが僕たちを好きにならないように、積極的にコメント爆撃をしたり。トランス、クィア、有色人種など、あらゆる人々が僕らのファンになるのは危険だと思わせようとしたんだ。でも、彼らはずっと残ってくれている」
アメリカでのツアー中、彼らは何度も “撃たれるぞ” と脅され、ある公演では武装した警備員がいたほどでした。
「もちろん、嫌なことだ」と Matt は言いますが、脅しに屈するつもりはありません。「でも、右翼を怒らせるということは、何か正しいことをしているということなんだ。彼らは恐ろしい人たちだ!彼らは人々がより良く生きることを望んでいない。彼らの本性に訴えようとしても無駄だ。アナーキストや反人種差別主義を明確に表明するバンドの数は、本当にあっという間に爆発的に増えたんだ。今、メタル・シーンには素晴らしいバンドが沢山いるんだよ。僕たちの負担も少しは軽減されたよ!(笑)」
最終的に、DAWN RAY’D は世界がより良く、より素敵で、より公平な場所になることを望んでいます。もっとぶっきらぼうかもしれませんが、ENTER SHIKARI とそれほど違いはありません。音楽には多くのメッセージが込められていて、その最大のものは連帯とコミュニティなのですから。私たちは皆、誰かに顔をブーツで踏まれることなく、ただ生きていたいのです。アナーキーとは、彼らがそれを実現するために選んだ名前に過ぎません。
「僕らをアナーキズムと呼ぶ必要はない」と Simon は話します。「これは単なるイデオロギーではないんだ。教義を広めることでも、カルトや政党になることでも、BURZUM のシャツを着た人をライブから追い出す現場警察になることでもない。ちなみに、僕らはそんなことはしたことがない、そんなことをするために、やっているんじゃないからね。ただ、近所の人に声をかけ、地域に密着し、直すべきところを見て、自分で直す。実際にやってみれば、それがとても簡単なことだと驚くはずさ」
Fabian も同意します。
「君の持っている力は、すべてどこかで役に立つ。アナーキストである必要はないけど、今こそ世界をより良い場所にするために戦い始めるべき時なんだ。権力に助けを求めるのをやめて、自分たちでやり始める時なんだ。革命に参加する人は誰でも歓迎される。ねえ、みんな。世界を良くするために、誰かの許可を得る必要はないんだよ」

参考文献: KERRANG! Dawn Ray’d: “You don’t have to ask for permission to make things better”

REDPEPPER:Playing on the dark side: An interview with Dawn Ray’d

RUSH ON ROCK:EXCLUSIVE INTERVIEW: DAWN RAY’D

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【PENSEES NOCTURNES : DOUCE FANGE】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH LEON HARCORE A.K.A. VAEROHN OF PENSEES NOCTURNES !!

“Pensees Nocturnes Is Drinking a Glass Of Champagne On The Edge Of The Abyss, Where Everything Is Falling.”

DISC REVIEW “DOUCE FANGE”

「僕は音楽を優先し、バンドをケースバイケースで判断し、なるべくカタログ化しないようにしているからね。インターネットの発達により、国籍という概念は音楽においてもはや意味を持たなくなったと思う。だから、たとえフランスに強力なブラックメタル・シーンがあるように見えても、フランス人であることに特に誇りを持つことはないんだ」
メタルヘッズがブラックメタルを想像するとき、ノルウェーのフィヨルドや教会を思い浮かべるのか一般的でしょう。しかし、”実験好き” な人たちはその限りではありません。PLEBEIAN GRANDSTAND, DEATHSPELL OMEGA, BLUT AUS NORD, CREATURE, そして IGORRR。バゲットとエスカルゴとエッフェル塔の国は、確実に今、そのトリコロールに血と知の漆黒を加えつつあります。
それでも、PENSEES NOCTURNES の首謀者 Leon Harcore A.K.A Vaerohn は、音楽に国籍はないと嘯きます。レッテルを剥がす、固定観念を疑う、欺瞞の美を笑う。それこそが彼らの目的なのですから。ある意味、そのニヒリズムとシニシズムこそ、フランスらしいと言えなくもないでしょうが。とにかく、この夜想と不安の申し子は、圧倒的なブラックメタルの核を、オーケストレーション、ジャズ、フォーク、エキセントリックな装飾、そして皮肉にもセーヌの滸やルネサンス、それにアール・ヌーヴォーでコーティングした裏切りの饗宴を催しています。
「なぜ好きな楽器を使えるのに、3つや4つに楽器を限定してしまうんだい?PENSEES NOCTURNES はライブと違ってスタジオでは常にワンマンバンドとして活動しているから、好きなものを何でも試すことができるのさ」
常識を疑い、当たり前をせせら笑う PENSEES NOCTURNES にとって、”ノン・メタル” な楽器の使用はある意味至極当然。ヴァイオリン、フルート、クラリネット、アコーディオン、トランペット、トロンボーン、サックス、ディジュリドゥ、ティンパニー、コントラバス、ハーモニカなど雑多なオーケストラと通常のメタル・サウンドが混在するインストゥルメントの狂気は、あのシルク・ド・ソレイユさえも凌駕します。ただし、Leon のサーカスは安全と死の狭間を良く知っていて、様々な要素をバランスよく取り入れながら、地獄の綱渡りを渡り切って見せるのです。
「PENSEES NOCTURNES は明らかに唯物論的な音楽であり、今ここで聴くべき音楽だ。憂鬱でもなく、無邪気な喜びでもなく、美しくもなく、酷くもなく、現実的で悲劇的な人生のビジョンだから。むしろ、僕たちの存在に対するニヒリズムと笑いのシニシズム (慣習の否定。冷笑主義)なんだよ」
フランスを笑う狂気のブラックメタル・サーカス “Douce Fange” は人間大砲の音で開演し、”Veins Tâter d’mon Carrousel” ですぐさま狂騒曲の舞台を設定します。芝居がかった叫び声は同じフランスの IGORRR を想起させ、刻々と変化する音の曲芸は無限にアクロバティック。ブラスセクションで始まる “Quel Sale Bourreau” は、DIABLO SWING ORCHESTRA にも似て、曲芸師のように様々な演目を披露。IMPERIAL TRIUMPHANT 的なブラックメタルのカオスとオペラが戦う様は、まさにニューヨークとフランスの決闘。そうして次々に、無慈悲なピエロたちはジャンルの境界線を歪めながらメタル化したワルツを踊り、笑い笑われながら即物的な享楽を与え、漆黒のアトラクションを血と知に染めあげていきます。
「キリスト教が現世の死である以上、ブラックメタルは生でなければならない。つまり、ブラックメタルは物質主義的な快楽であるべきで、それ以上の何かを望むことなく、今あるわずかな人生を楽しむことだ。 神秘的、超越的な側面も、サタンも、神も、どんな信念もない。 ただ、現実が、可能性と限界を伴ってあるがままにある。 その観点からすると、PENSEES NOCTURNES は他のどのバンドよりもブラックメタルなんだ」
Leon にとって、ブラックメタルの反語はキリスト教。天国に行くという目的のために、現世における享楽を放棄して、真面目に粛々と生を全うするその教義は彼にとって全くのナンセンス。美しいとされる “人生を楽しまない” 生き方に Leon は疑いの目を向け、快楽と狂気と反骨の三色に染まったトリコロールの旗を振ります。ブラックメタルこそが生。重要なのは、一見、ふしだらで退廃的で危険で強欲にも思えるこのサーカスには、実のところ何の強制力もありません。
今回弊誌では、Leon Harcore A.K.A. Vaerohn にインタビューを行うことができました。「PENSEES NOCTURNES は、すべてが落ちていく深淵の縁でシャンパンを飲んでいる」名言ですね!タイトルはもちろん、シャルル・トレネの “優しいフランス” のオマージュで  “汚れたフランス”。どうぞ!!

PENSEES NOCTURNES “DOUCE FANGE” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【DYMBUR : CHILD ABUSE / RAPE CULTURE】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH DYMBUR !!

“We Cannot Expect To Change The World. We Are Just a Small Band From a Remote Corner Of The World So If Our Music Can Touch Just a Few Hearts And Bring About Just a Small Change Then We Would Consider Our Duties Fulfilled.”

CHILD ABUSE, RAPE CULTURE

「バンド名の DYMBUR はカシ語源で、英語では “Fig Tree” “イチジクの木” と訳される。カシ族は、インド北東部のメーガーラヤ州に住む先住民族なんだ。イチジクの木とは、古い枝から新しい葉が新しい形を形成する事、乾燥した期間の後に再生し新たに成長する能力から、再生、進歩、闘争の後の勝利への進化を象徴しているんだよ」
インド北東部の高地シロンを拠点とする DYMBUR。雨と雲に愛され、神の庭とも称される熱帯雨林を守るカシ族の申し子は、この10年でそのバンド名イチジクの木のように再生、進歩、そして勝利を手にしてきました。そもそもは、Djent とプログレッシブ・メタルに専念するバンドとして、国内のメタル・シーンで存在感を示していた彼ら。しかし、2020年になり、バンドは自分たちの音楽スタイルを一歩進めることを決め、その場所にカシ族の伝統音楽を融合させるようになったのです。
「僕たちは Djent/Metal とカシ族の伝統楽器を融合させ、独自のサウンドを作り上げることを決意し、ジャンルに “THRAAT” という言葉を加え、”Khasi Thraat Indian Folk Metal” と名づけることになった。例えば、デュイタラ(カシの小型ギター)は、8弦ギターと調和するように改造しなければならない。伝統的なデュイタラには4本の弦が張られているけど、僕たちは6本の弦に変更し、ナイロン弦を使うようにした」
今では、”Khasi Thraat Folk Metal” というアイデンティティで活動している DYMBUR。”Thraat” という新鮮な言葉は、長い年月をかけて、伝えるべきメッセージによってさまざまな形をとりながら熟成されてきました。”3連符の連鎖からの突然の停止”。DYMBUR 特有の音やグルーヴを見事に表現するその語感は、Djent における Thall と近い部分もあるのかもしれません。とにかく、今インドで “Thraat” とタグ付けすれば、それは即ち DYMBUR のこと。”Thraat” の最新形は、イントロにシンセウェーブのフィーリングを加えつつ、民族楽器のデュイタラやボムと融合させ、よりアグレッシブにラップまでをも取り入れています。LINKIN PARK や NU-METAL に対する憧憬を込めながら。
「インドではレイプが “文化” に変わり、人々は被害者に対して何の反省も同情もなく、日常生活を送ってしまっているんだ。場合によっては、被害者さえも、レイプされたのは自分のせいだと思い込んでしまうほど。だからどうしても、DYMBUR はこの曲を書き、制作しなければならなかったんだ」
2019年にリリースしたアルバム “The Legend of Thraat” に続き、2021年11月に社会派の新曲 “Rape Culture” を携え帰ってきた DYMBUR。彼らにとって “Rape Culture” とは、犯罪を矮小化したり常態化したりする行為が当たり前となっているインド社会を、少しでも変えたいという気持ちの現れでした。あまりにも犯罪が多すぎて、犯罪が “文化” となってしまう現実。DYMBUR はその “不都合な免疫” をメタルで洗い流そうとしているのです。
「僕たちは、変化をもたらすために少しでも努力しているだけなんだよ。インドにおける児童虐待は深刻だ。この曲の歌詞には、正確な事実が書かれている。1,000万人の子どもたちが児童労働に従事していて、毎日100人以上の子どもたちが何らかの形で虐待を受けている」
“Rape Culture” のリリース直後から、DYMBUR はインドの社会問題をさらに掘り下げ、”Child Abuse” を完成させます。児童労働、児童婚、児童虐待が蔓延するインドにおいても、特に彼らの出身地シロンは、炭鉱における限界を超えた劣悪な児童労働というデリケートなテーマに直面しています。
必要なのは、きっと国内以上に海外からの反響でしょう。もし BLOODYWOOD のようにこの曲が世界から大きな注目を集めることができれば、きっと世界は黙ってはいないでしょうから。さらに、社会に変化をもたらしたいという願望にとどまらず、DYMBUR はシロンを拠点とする非営利団体 SPARK のため資金集めも行っています。この団体は、社会から疎外された人々、特に女性や子どもたちの権利向上と福祉に力を注いでいます。
今回弊誌では、DYMBUR にインタビューを行うことができました。「僕たちは世界を変えようとは思っていない。僕たちは世界の片隅に住む小さなバンドに過ぎないから。でもだからこそ、僕たちの音楽がほんの少しでも人の心に触れ、ほんの少しの変化をもたらすことができれば、僕たちの任務は果たされたと考えられるんだ」 どうぞ!!

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【HYPER PLANET : TO LIVE WITH WISDOM】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH HYPER PLANET !!

“This Regime Cannot Tolerate Hearing Different Opinions And Voices Outside Their Beliefs Other Than Their Own. And We Believe That The Regime Is an Obvious Example of What Happens To a Nation Based On Religion.”

TO LIVE WITH WISDOM

「僕たちは、最大限の不自由さを持つ、宗教的全体主義体制の中で生きている。思想、言論、表現の自由を投げ捨てて、たった一つの見解、つまり唯一絶対の “真実” を持つ信念、目標、行動を持つよう強制されているんだよ。イスラム政権は、宗教に基づく法律の名の下にそれらを決定し、それを僕たちに押し付けることを正当化しかねない。したがって、イランの政権は、自分たちの信念以外の異なる意見や声を聞くことも許さないんだ。この政権は、宗教に基づく国家がどうなるかを示すわかりやすい例だと考えているよ」
もしかすると、ヘヴィ・メタルの生命力、感染力、包容力は、その地が困難であればあるほど輝きを増すのかもしれません。弊誌 CONFESS のインタビューで明らかになったように、イランはイスラムの教えを基盤とした全体主義の独裁を推し進め、思想、言論、表現の自由を禁止弾圧しています。アートや音楽、中でもヘヴィ・メタルは悪魔の音楽として迫害されており、逮捕や国外追放の恐怖に常にさらされているのです。そう、現在のイラン、その姿は宗教に絡め取られた全体主義の成れの果て。決して、他人事ではありません。
それでも、メタルの生命力は尽きることがありません。一面に撒かれた草枯らしの下から芽を吹いた HYPER PLANET は、プログ・メタルとイランの伝統音楽をミックスする中で、人生、人権、自由、民主主義、女性差別法、政治、社会批判・問題、反発、潜在意識の現実など、より深くて厳しいテーマや曲について語っていくのです。
「僕たちの音楽のユニークさについて言うと、まず、音楽がいかに平和と愛を世界に広めるための強力なツールになり得るかということを示したいんだよね。イランの伝統音楽とプログレッシブ・メタルをミックスすることで、そのメッセージを送りたいんだ」
近々リリースされる HYPER PLANET のデビューアルバムは、イランの伝統音楽をミックスしたプログレッシブ・メタル。つまり彼らは、中東と西洋の音楽、そして哲学の可能性や未来を抽出してメタルの中に投影したのです。”Beyond The Laniakea” はそんな HYPER PLANET のスタート地点であり、マイルストーン。”ラナイケア” とはハワイの言葉で、2兆個の銀河があると推定される観測可能な宇宙のこと。想像していたよりもずっと広い宇宙で、生命がどれだけ広がっているのかを表現し、リスナーに地球や現世を超えた可能性を伝えます。私たちの銀河系は広大な宇宙、その片隅の小さな欠片に過ぎない。狭い世界で恐怖、ストレス、苦難、障害、失望、心配、不安などに苛まれ、圧倒されている人たちが、もっと大きな宇宙を想像して、心の痛みが和らぐように彼らは願っているのです。
「個人を孤立させ、僕たちに大きな圧力をかけ、生活のあらゆる側面を徹底的に支配するために、すべての力を結びつけるこの恐ろしい全体主義政権。それに国家が対処するためには、社会の意識と知恵のレベルを上げる以外にないと僕たちは考えているんだ」
“To Live With Wisdom” では、イランの伝統楽器サントゥールとカーナーンを大々的にフィーチャーすることで、この地に本来備わっていた “知恵” を取り戻し、意識を改革する教育の重要性を訴えます。背景にあるストーリーは、2019年11月にイランで起きた全国規模の抗議デモで命を落とした14歳のギタリスト、ニクタ・エスファンダニの悲しい事件。結果として、この楽曲はイランで自由と民主主義と人権のために命を捧げたすべてのイラン人に捧げられることとなりました。音楽が平和と愛を世界に広めるための強力なツールになり得ることを示したい。西洋と東洋の音楽とその楽器の狭間には、多くの可能性があることを示したい…
イランのネット検閲と遮断により、音楽とメッセージを世界に送るために残された唯一の方法は、VPN を通した Instagram、Facebook、YouTubeなどの SNS と、弊誌のようなウェブサイトを利用することに限られます。ストーリーを内包するプログレッシブ・メタルは彼らにとって、伝えるための、世界と共有するための最高の手段。身の回りの困難や怒り、悲しみ、そして平和への渇望を音楽言語と楽器に翻訳し、生命を吹き込もうとしているのです。
今回弊誌では、HYPER PLANET にインタビューを行うことができました。「僕たちは、あらゆる分野のあらゆる人々が、言論と思想の自由の権利を有し、自由で安全な場所で、逮捕され、投獄され、…という脅威や恐怖から逃れ、自分の望むことや信じることを表現できるべきだと信じる。言論と思想の自由の尊重は、あらゆる場所で維持されなければならないと信じる。誰もがそれを広げるために援助しなければならないと信じるよ 」 どうぞ!!

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【CURARE : PORTALES DE LOS ANDES】METAL ANDINO SAVES ECUADOR


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH CURARE !!

“We Stand With The Native People That Take Care Of The Forest. Sometimes Against Transnational And Ecuadorian Enterprises Protected By The State Which Are The Ones That Pollute The Most. It Seems Totally Stupid To Destroy One Of The Megadiverse Countries Of The World Just To Get More Oil And Minerals.”

METAL ANDIO SAVES ECUADOR

「エクアドルでは13日間に渡ってゼネストが行われていた。これはエクアドルの先住民族を中心とした民衆の反乱ともいえる。僕たちは、この正当な抗議活動(石油や鉱山の開拓地での抗議活動も含む)を、音楽と路上やSNSでの存在感で、できる限りバックアップしてきたんだ。僕たちの国のすべての人にとって、つらい時期だ。でも僕たちは歴史の正しい側に立つことができて幸せだよ」
6月12日に SNS を通じて呼びかけられたエクアドルの人々の抗議行動は長期化の様相を呈しています。物価や燃料価格の高騰、コロナ禍による貧困の進行、労働者の非正規化、そして先住民族が受ける弾圧。そうした一般市民の不安や不満は強烈な渦となって噴出し、状況はラッソ大統領が非常事態令を出すまでにエスカレートしています。
世界中、どんな場所においても、”歴史の正しい側” に立つことは簡単ではなく、常に困難がつきまといます。しかし、CURARE のように、メタルの包容力はそれでも、いつでも、”正しい側”、いや少なくとも “弱いものの味方” “声なきものの味方” でありたいと願っているのです。
「僕たちは、森林を大切にする先住民族の人々とともに歩んでいるんだ。時には、国家によって保護されている多国籍企業やエクアドル企業、つまり最も汚染している企業にも強く反対する。より多くの石油や鉱物を得るためだけに、世界有数の巨大な多様性を持つ国の一つを破壊することは、まったく愚かなこととしか言えないだろ?」
アマゾンの大森林、アンデスの山々、そして太平洋とガラパゴス。3つの異なる大自然に抱擁されたエクアドルはしかし、不安定な政情、貧困と物価の上昇、マフィアの暗躍、そして無造作な自然破壊に苛まれる “悩める国家” でもあります。CURARE は、その研ぎ澄まされた音楽の弓矢に強烈な毒薬を塗りつけて、先住民族、農民、油田や鉱山の労働者、そして恩恵を受けた大自然のために戦い続けるメタルの救世主ともいえる存在です。
「南米の伝統音楽をメタルに取り入れるのが僕たちの義務だと思っているから。南米のシーンで様々なバンドを見てきたけど、僕たちの目の前にある全ての豊かな要素を取り入れたフォーク・メタルのサブジャンルを作ろうとする試みは今までなかったからね。南米の音楽的、神話的な要素を、ここのメタル・シーンでは誰も音楽的な創造に使用しなかったんだ。そのすべてが、僕たちの愛する要素であり、共に生きる要素なのに。だから、何があってもやり遂げたいんだ」
アンデスの民族音楽から、アフロ・エクアドル、パシージョ (エクアドル・ワルツ) など、エクアドルは自然だけではなく音楽も多様。そのすべてを吸収する CURARE のヘヴィ・メタルは想像を遥かに超えた生命力にあふれています。もちろん、南米のトライヴァルとメタルを結びつけた SEPULTURA は偉大ですが、CURARE のフォークメタルは、例えば FINNTROLL や SKYCLAD のようなフォーキーな遊び心がこの地の多様性をしっかりと包容しています。PRIMUS や RED HOT CHILI PEPPERS, RATM, SOAD といったオルタナティブでファンク由来の瞬間も刻々と投影され、時にはマラカスのハードコアからジプシーパンクまで縦横無尽。
カリヨンのようなギター、複雑なドラムパターンで始まり、ケーナが加わり、メタルからジャズに、ジャズからプログレッシブに、そして、ラテン・アコーディオンが加わり、ハードコアの攻撃的な主張で締めくくられる “Machalí” の躍動感は、まさにアンデスとアマゾン、そしてカリブ海をまたにかけるエクアドル・メタルの真骨頂でしょう。それにしても、ケーナの響きの美しさよ。メタルはついに、南米の神秘的な自然にまで到達し、感染したのです。
今回、弊誌では CURARE にインタビューを行うことができました。「CURARE をバンド名にしたのは、アマゾン(地球最後の緑の肺)からの強力な名前で、アマゾンの森の人々の古代の知恵が含まれているからなんだ。そしてもちろん、狩猟や戦争のための武器でもある。
2000年に行われたアマゾンの人々の抗議行動で、僕たちはアマゾンのキチュワ族の戦士たちと出会い、共に歌い、”チチャ・デ・ユカ”(儀式用の飲み物)を飲んだ。それが僕たちの世界観に大きな印象を残したんだよ。僕たちは、自分たちが作る音楽によって彼らに敬意を表そうと努めているんだ。先住民は歴史的に最も搾取されてきた民族で、彼らの多くは今もなお、自分たちの文化や生活様式を守り、石油や金産業から自分たちの土地や森林を守るために戦っているんだよ」 どうぞ!!

CURARE “PORTALES DE LOS ANDES” : 10/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【BLOODYWOOD : RAKSHAK】


COVER STORY : BLOODYWOOD “RAKSHAK”

“This Has Been Our Direction From Day One — Metal Can Be Fun. You Don’t Have To Be Angry All The Time. People Say Metal Is a Way Of Life, So You Do Get Happy, You Get Sad, You Are In a Chilled-out Mode.”


RAKSHAK

今世紀初頭。ムンバイのメタルヘッド、Sahil Makhija、通称 “The Demonstealer” が、シンフォニック・デスメタルの先駆者 DEMONIC RESURRECTION と共に登場したとき、彼らは必ずしもインドで諸手を挙げて歓迎されたわけではありませんでした。
インドでは80年代後半から POST MARK のようなメタルバンドが活動してはいましたが、00年代に入っても依然として地元のメタルはニッチな存在であり、ファンはヨーロッパやアメリカから来たお気に入りのアーティストを聴きたがっていたのです。そんな中で、IRON MAIDEN だけがインドを準定期的にツアーしており、地元のバンドのほとんどはカバー曲を中心に演奏するにとどまっていました。
「私たちはその頃、オリジナル曲を演奏するようになって、観客から瓶や石を投げつけられたものだよ。バスドラのペダルさえも手に入れるのが困難だった。レコード会社もなく、”ロック・ストリート・ジャーナル” という地元のロック雑誌があり、大きな大学では毎年、文化祭でバンド・バトルをやっていたくらいでね。当時はそれしかなかったんだ」
インドにおけるメタルのリソース不足に直面した Sahil は、インドのバンドを実現させたいなら、自分でやるしかないと決意しました。彼は、インド初のメタル専用のレコーディング・スタジオを設立し、その後すぐにインド初のメタル・レーベルである Demonstealer Records を設立します。そこで自身の音楽を発表し、ALBATROSS や今は亡き MyndSnare といったインドのバンドをサポートするだけでなく、彼のレーベルは BEHEMOTH や DIMMU BORGIR といった入手困難なバンドのアルバムをライセンスしリリースしました。また、元 DEMONIC RESURRECTION のベーシストである Husain Bandukwala と共に、インドで唯一のエクストリーム・メタル専門のフェスティバルである”Resurrection Festival” を立ち上げ、長年にわたって運営しました。

インド・メタルシーンの柱としての Demonstealer の地位は議論の余地がありません。しかし、自身の影響力と遺産について彼は実に控えめです。
「でも、もし私がやらなかったら、おそらく他の誰かがやってきて、いつか私の成したことをすべてやっていただろうね。でも、もし私が何らかの形で貢献できたのなら、それで満足だ。私は人生をメタル音楽の演奏に捧げているのだから」
Sahil は、貧困が蔓延している社会構造に加え、意味のある音楽ビジネスのインフラがないため、インドでバンドを存続させるためには基本的な収入が必要だと説明します。また、移動距離が長いためバンに乗って全国ツアーに出ることはできず、飛行機代やホテル代も考慮しなければならないことも。さらに最近まで、独自のPAシステムを備えた会場を見つけられることは稀で、各会場でPAシステムを調達し、レンタルしなければなりませんでした。
「その結果、ほとんどのバンドが赤字になり、長期的には解散してしまうんだ。今はマーチャンダイズで、なんとかやっていこうというバンドもいる。ツアーができるバンドもあるけど、簡単なことではないんだよ」
Sahil は早い時期から、物事を実現するために必要なことは何でもやると決めていました。
「メタル・ミュージシャンを続けられるように、自分の人生を設計したんだ。親と一緒にいること、子供を作らないこと、休暇にお金をかけないことも選んだ。自分がやりたいことはこれだとわかっていたから、そういった犠牲を払った。もし、友人たちのように給料が高くない仕事をするなら、その予算でどうやって生きていくかを考えなければならないだろうからね」

幸運にも、彼は “Headbanger’s Kitchen” というチャンネルと番組で、YouTuberとしてのキャリアを手に入れることができました。当初は一般の料理番組としてスタートした彼のチャンネルは、仲間のメタルミュージシャンにもインタビューを行いながら Sahil が実践しているケト食を推奨するプラットフォームへと発展し、今では彼の主な収入源となっています。
しかし、彼の最愛のものがメタルであることに変わりはなく、彼自身の努力もあって、この10年ほどでインドのメタルシーンは花開き始めています。多くの色彩、創造性、活気を伴いながら。
THE DOWN TRODDENCE は、地元のケララ州の民族音楽の要素をスラッシュとグルーヴ・メタル・アタックに融合させたバンドです。ただし、インドから生まれるバンドは、インドと同じくらい多様でありながら、ほとんどの場合、彼らは民族的なモチーフを過剰に使用することはないと Sahil は語ります。
「というのも、この国のメタルの魅力のひとつは、自分たちの文化に反抗することだからね」
オールドスクールなスラッシュとメタルを演奏する KRYPTOS、ブルータルなデス/グラインドを演奏するGUTSLIT、シッキム州の SKID ROW, もしくは WHITESNAKE とも言われる GIRISH AND THE CHRONICLES、メイデン風の高音ボーカルでホラー・メタルを演奏する ALBATROSS, 弊誌でインタビューを行ったインドの DREAM THEATER こと PINEAPPLE EXPRESS などこの地のメタルは意外にも、伝統への反抗意識から西欧の雛形を多く踏襲しています。

しかし、彼の地の多くのスタイルやサブジャンルが西洋の聴衆になじみがある一方で、社会的・政治的システムへの怒りや、地元の文化や神話を参照した歌詞には、インド独特の風味が際立ちます。ムンバイのスラッシャー、ZYGNEMA の最新シングル “I Am Nothing” は、インドの多くの地域で未だに悲しいことに蔓延している女性差別やレイプ文化に対して憤慨した楽曲。そして、The Demonstealer のバンドである DEMONIC RESURRECTION は、壮大なブラック・シンフォニック・デスメタルを得意とし、前作 “Dashavatar” はヒンドゥー教の神 Vishnu の10のアバターについて論じています。
その “Dashavatar” のリリースから発売から4年以上が経ちました。Sahil が詳述したロジスティックとファイナンシャルの問題により、バンドは過度に多作することができませんが、シンガー/ギタリストの彼自身はその限りではありません。WORKSHOP というコメディロックバンドや、REPTILIAN DEATH というオールドスクールなデスメタルバンドでも演奏し、現在は SOULS Ex INFERIS という国際的なアンダーグラウンド・スーパーグループでもボーカルを担当しています。その無限のエネルギーと情熱をソロ・プロジェクト Demonstealer に注ぎ込み、最新作のEP “The Holocene Termination” をリリースしました。この作品は、タイトルが示すように黙示録的であり、The Demonstealer 自身は、自分のネガティブな感情を全て注ぎ込んだと語っています。
「みんな今日起きて、パソコンを開いて最新の恐ろしいニュースを見るのが怖いくらいだと思うんだ。世界がどこに向かっているのか、自分がどう感じているのかを表現するには、音楽が一番だ。COVID にしろ気候変動にしろ、人々はどんどん頭が悪くなり、とんでもない陰謀論にひっかかり、学校で習った最も基本的な科学も忘れている。まるで進化を逆から見ているようだよ」
Demonstealer にはドゥーム系のダークな雰囲気が漂っていますが、Sahil Makhija はもっとポジティブで、特に彼が愛するヘヴィ・メタルの未来については楽観的です。
「インドのバンドがもっと国外に進出するのは間違いないだろう。10年前と比べると、みんなもっとたくさんツアーをやっているし、国際的なバンドがインドで演奏することも増えてきた。今後数年の間に、インド全土でそれなりのシーンと強力なオーディエンスを築き上げることができると思うよ」

その筆頭格が、ニューデリーの BLOODYWOOD でしょう。スラミング・ラップ・メタルとインドの民族音楽を組み合わせ、英語、パンジャブ語、ヒンディー語を織り交ぜながら、政治的、個人的な問題に正面から取り組む歌詞を描いた彼らのユニークなサウンドは、近年ますます話題になっています。
Sahil は、彼らがインドのバンドの中で最も国際的にブレイクしそうなバンドであり、3月に4回のイギリス公演を含むヨーロッパ・ツアーと、来年末の Bloodstock への出演が予定されていることに期待を膨らませます。
「インドはとても大きく、多様性に富んでいて、これがインドだと断定できるものは何もない。彼らはパンジャブ音楽を使うけど、その音楽はインドの南部では人気がないんだ。言語も文化も音楽も違う。国語もなく、すべてが多様なんだよね。でも BLOODYWOOD は、欧米や世界中の人が “インドのメタルはどんな音だろう?”と興味を持ったときに、聴きたいと思うようなものを捉えているんだ」
BLOODYWOOD が2018年に、”ラジ・アゲインスト・ザ・マシーン” という洒落たタイトルのツアーでヨーロッパを回ったとき、それはギタリスト、プロデューサー、作曲家の Karan Katiyar の言葉を借りれば “人生を変えるような経験” であったといいます。
「あの体験から立ち直れていないまま、もう2年も経ってしまったよ(笑) 俺たちにとっては1ヶ月の映画のようなもので、あらゆる感情が1000倍になっていたからね。友人たちは、俺たちがいつもその話をしていることにうんざりしているくらいでね。なぜなら、パンデミックに襲われる前、俺たちの人生で最後に起こった面白い出来事だったから。アレをもう一度、体験したいんだ」
3月にはヨーロッパに戻り、イギリスでの公演も予定されており、Bloodstook への出演も延期されていることから、彼らはその機会を得ることができそうです。今回は、煽情的なデビュー・アルバム “Rakshak” を携え、バンドを取り巻く興奮は最高潮にまで高まっています。

BLOODYWOOD の広大な多様性の感覚は、”Rakshak” で完璧に捉えられています。ヒンディー語と英語の混じった歌詞、そして常に変化し続けるサウンドで、このバンドを特定することは非常に困難な仕事となります。彼らは亜大陸の民族音楽(といっても北部パンジャブ地方が中心)を使うだけでなく、メタルの様々な要素を取り込んでいるのですから。彼らの曲の多くには明確に Nu-metal のグルーヴが存在しますが、時にはスラッシュやウルトラ・ヘヴィーなデスコアのような攻撃をも持ち込みます。
「俺らを特定のジャンルに当てはめるのは難しいよ。曲ごとにサウンドが大きく変わるから、インドのフォーク・メタルというタグに固執するのは難しいんだ。ジャンルが多すぎて特定できないけど、インドのグルーヴと伝統的なインドの楽器、そしてもちろんヒップホップを取り入れたモダン・メタルというのが一番わかりやすいかな」
そう Karan が分析すると、ラッパーの Raoul Kerr が続けます。
「ワイルドなアマルガムだよ。俺らは東洋と西洋の影響、その間のスイートスポットを探しているんだ」
シンガーの Jayant Bhadula がまとめます。
「これは様々な香辛料を配合したマサラ・メタルなんだよ(笑)」
どように表現しようとも、BLOODYWOOD のサウンドは実にユニークで、しかしそれ故にその開発には時間がかかりました。Raoul が説明します。
「観客の反応を理解し、完璧なバランスを見つけるために、何度も何度も実験を繰り返した結果なんだ。いったんスイート・スポットが見つかると、あらゆる可能性が開けてくる。インドの伝統音楽とメタル、この2つを融合させる新しい方法を見つけるのはまだまだ挑戦だけど、俺たちはこの方向性にとても満足しているんだ。このアルバムでは、そんなサウンドをたくさん聴くことができると思うよ」

2016年にニューデリーで結成されたこのバンドは、まずポップスやフォークソングを “メタライズ” した数々のカバーで、すぐにインターネット上でセンセーションを巻き起こしました。女優の Ileana D’Cruz がバングラ・ポップのヒット曲 “Ari Ari” の彼らのバージョンを何百万人ものインスタグラムのフォロワーと共有したときには、正真正銘のボリウッド・クロスオーバーの瞬間さえ起こしました。Raoul が振り返ります。
「ワイルドな時代だったね! 俺たちは自分たちのサウンドを発見し、オーディエンスを構築するためにカバーを使用したんだよ。それから自分たちの楽曲に集中した。アルバムには自分たちのオリジナルだけを収録したかったからね」
BLOODYWOOD というカレーには、メタル、ヒップホップ、バングラビートに伝統音楽。それ以外にも様々な香辛料が使用されているようです。
「あらゆる種類の音楽を聴いているよ。個人的にはメタル、ヒップホップ、ロックといったジャンルが好きだけど、どこの国の音楽であろうと、良いものは良いというのが俺らの共通認識なんだ。俺たちが作る音楽はそれを体現していて、どんなに異なるジャンルに見えても、全てに共通するものがあることを示している。Karan はThe Snake Charmer(インドで最も有名なバグパイパー)のプロデュースを、Jayant は穏やかな電子音楽とアコースティック音楽に情熱を注ぎ、Raoul は使命感を持って詩的なラップミュージックを作っているからね」
SNS は間違いなく、彼らのような “第三世界” のバンドにとってかけがえのない武器となります。
「間違いなくね。SNS のおかげで、地球上の人々はかつてないほど共感して、俺たちの音楽やメッセージに共鳴してくれるすべての人とつながることができるようになった。SNS は、俺たちが一体となって行動し、音楽の枠を超えてインパクトを与える力を与えてくれるんだ。俺たちのコメント欄をスクロールしてみると、俺たちとともに、インターネット上で最も美しい場所を作り上げている人々がいることがわかる。俺たちの成功は、ソーシャルメディアのポジティブな側面で築かれたものなんだ」

彼らにとって “妊娠期間” とも言えるカバーの時期は、BSB、50 cent、アリアナ・グランデ、そして NIRVANA, LINKIN PARK の曲を残酷にカバーしたアルバム “Anti Pop Vol.1″ で最高潮に達します。しかし、リック・アストリーをリフロールしていないときは(”Never Gonna Give You Up” の見事なヘヴィ・ヴァージョンが収録されている)、彼らは自分たちの楽曲に取り組み、それをよりシリアスなものへとゆっくりと変容させていったのです。
ライブ・セットでは時折騒々しいカヴァーが演奏されることもありますが、バンドは “ポップ・ミュージックを破壊する” という初期の目標よりも、もっと重要な目指すべきものがあることに気づくようになりました。自分たちのサウンドを発展させるだけでなく、自分たちが築いたプラットフォームを使って、自分たちが信じるものについて立ち上がり、発言するようになったのです。
BLOODYWOOD が真のデビュー作と位置づける、ヒンディー語のタイトル “Rakshak” は “保護者” と訳され、彼らの楽曲の多くにこのテーマが宿っています。Jayant が説明します。
「曲を聴いていると、守られているという感覚がある。でも、救世主が助けに来てくれるという意味ではないんだ。アートワークを見ると、子供と象が描かれているよね。象は、人間というこの壊れやすい生き物の中にある強さを表現しているんだ」
Raoul が付け加えます。
「より大きな視点で見ると、より良い世界への希望を象徴する人々、そして信念を守ることを歌っているんだよ。対立する政治をなくすことでも、性的暴行をなくすことでも、腐敗したジャーナリストの責任を追及することでも。何でもいい。大事なのはその希望の感覚を守ることなんだ。俺たちは、プライベートでも仕事でも、より良い世界への希望を与えてくれる多くの人々に出会ってた。俺たちが音楽を作る理由のひとつは、音楽が変化の触媒になり得ると信じているからなんだよ。音楽が俺たちに与えてきたポジティブな影響を考えれば、より良い世界を作る間接的な能力があると信じるに足るからね。
このアルバムは、俺たちが直面しているあらゆる課題から、人と地球全体を守るための共同作業について書いてある。俺たちは、問題を完全に排除することでこれを実現したいと考えているんだ。なぜなら、最善の防御は優れた攻撃であるから。分裂した政治、汚職、有害なニュース、性的暴行、いじめに関するメッセージや、うつ病との闘い、自分の限界への挑戦など、個人的なメッセージも封じながらね」

Karan、Jayant、Raoul の3人が中心となって結成され、ツアー時にはさらにメンバーが加わる BLOODYWOOD は、メンタルヘルスやいじめといった問題についても焦点を当てています。例えば、オンライン・カウンセリングを必要としているファンに無料で提供したり、ツアーの収益を NGO に寄付して、ホームレスの動物を助けるための救急車を提供したり。
例えば “Yaad” は、人間と人間の親友である犬の感動的な物語を通して、愛と喪失という普遍的な人間の経験を祝福するものです。 “Yaad” はヒンディー語で “思い出す”、”記憶の中で” という意味で、Karan の実体験を通して愛する人やペットを失ったことを受け入れて前に進む力について歌っています。
「この歌詞は、彼らが俺たちに与える永久的な影響を祝福し、どんなに離れていても、最高の思い出として彼らを胸に留め続けるという信念を繰り返している。俺は10年前に愛犬を亡くしたけど、今でもその喪失感を感じているんだ。MV では、そのメッセージを強調するために、人間と愛犬の絆を見せたいと思ったんだよ」
この曲とビデオの精神に基づき、BLOODYWOOD は、The Posh Foundationという地元の非営利動物保護施設に動物の救急車を購入する資金を提供しました。同団体が以前使用していた車両は、酷使と故障のために買い替えが必要でした。今後5年間でインドの首都圏にいる27,000匹以上のホームレス動物の命を救うことができるといいます。

一方で、”Machi Bhasad” は、高揚感とエネルギーに満ち、世界を変える声となります。
「元々は Ubisoft のゲーム “Beyond Good and Evil 2” のために作られた曲だ。新しい世代のパワーと、前世代よりも良くなる可能性を称える政治的メッセージのあるトラックなんだよ。ゲームの文脈の外では、この曲はトリビュートと行動への呼びかけ、その両方を意図している。俺たちのような人々に、かつて皆のためになることを考え、行動するようインスピレーションを与えたミュージシャンやリーダーへのトリビュート。同時に、多くの人の犠牲を払って少数のエリートに奉仕する不公平なシステムに疑問を投げかける。俺たちの世代が、先人たちが始めた仕事をやり遂げるための行動への呼びかけでもあるんだよな。世界をより良い方向に変えていくために」
パンジャブ語で “勇者よ生きろ” という意味の “Jee Veerey”は、鬱と戦い、心の健康を提唱するエモーショナルなテーマになっています。また、このシングルに関連して、オンライン・カウンセリングサイト HopeTherapy と提携し、彼らはバンドが負担する50回のカウンセリングセッションを提供しているのです。
「BLOODYWOOD の初日から俺たちは言っているんだが、メタルは楽しいものなんだ。いつも怒っている必要はないんだよ。よく、メタルは人生だと言われている。だから、喜んだり、悲しんだり、冷静になったりしてもいいんだよ。
俺らの曲が好きだという人からメッセージをもらったんだけど、そこには “でも、同性愛嫌悪や女性嫌悪に対するあなたの立場は?”って書いてあったんだ。俺はただ、”好きな人を好きになればいい” と言ったんだ。俺たちは、基本的にとてもオープンなんだよね。そういうメッセージを発信したいんだ」

Raoul にとって、”Raj Against The Machine” のタグ(バンドが最初のヨーロッパ公演の際に撮影したツアードキュメンタリーのタイトルでもある)は、単なるダジャレ以上のものでした。ラッパーである彼は、RAGE AGAINST THE MACHINE から音楽的にも活動面でも最も大きな影響を受けているからです。
「彼らは音楽が政治的、社会政治的な観点からどこまで行けるか、そして理想やアイデアの背後に人々を集結させるという点で、音楽がどれほど強いかを証明したんだよ。ほとんどのアーティストは、自分たちのやっていることで足跡を残したいと思っているし、俺たちも人々の生活にポジティブな影響を与えたいと思っている。それは作曲するときに常に念頭に置いていることで、このバンド全般のテーマは、この世界に価値を与えるものでなければならないということなんだ」
彼らは、そのポジティブさと正義の怒り、そして驚くほどユニークな音楽の組み合わせを、もうすぐ世界を震撼させることになるでしょう。
「どこに行くのか正確にはわからないけど、100パーセント確実に言えるのは、このアルバムにすべてを捧げたということだよ。完璧な嵐のように感じるよ。新しいセットでより高いレベルで戻ってくるし、フェスティバルもあるし、今年は本当に爆発するような、そんな良いポジションにいると思う…..音楽が音楽を超えて現実に影響を与えること、音楽が世界を変えることができることをさらに証明したいんだよ」
最後に、BLOODYWOOD とは結局、何なのでしょう?
「BLOODYWOOD はバンドであると同時にファミリーであり、ムーブメントでもあるんだ。俺らの音楽は、地球に永続的でポジティブなインパクトを与えるためのものなんだよ」

参考文献: KERRANG!:Bloodywood: “The theme of this band is that it has to be something that adds value to this world”

KERRANG!:Meet the man who brought metal to India

REVOLVER:WATCH INDIAN METAL VIRAL STARS BLOODYWOOD’S UPLIFTING NEW VIDEO “JEE VEEREY”

BLOODYWOOD BANDCAMP

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【FEUERSCHWANZ : MEMENTO MORI】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH HANS PLATZ OF FEUERSCHWANZ !!

“We Wanted To Expand Medieval Rock Into The World Of Metal, We Wanted To Cross German Lyrics With Heavy Metal Riffs, Folk Violin With Wild Guitar Solos, Bagpipes With Powerful Metal And Put This Into a Massive Fantasy World Full Of Swords, Mead And Dragons.”

DISC REVIEW “MEMENTO MORI”

「確かにフォイアーシュワンツ・ドラゴンは成長しているけど、私たちの核となるメッセージは変わっていないんだ。私たちの目にはまだユーモアが宿っていて、人生のポジティブな面を歌い、楽しんでいるよ。だけどたしかに、よりシリアスな意味合いを持ってきたね」
ドイツのメディーヴァル・メタル、炎龍こと FEUERSCHWANZ が新作 “Memento Mori” を2021年12月31日にリリースするとを決めたのは、ある意味宿命でした。近年の人類史において最も暗い1年を締めくくり、多くの人に必要な笑顔をもたらすに適したバンドがあるとすれば、それは FEUERSCHWANZ をおいて他にはないはずですから。98%のメタル・バンドがダークでシリアスなイメージを追求し孤独と闇を分かち合う中で、彼らは一貫してポジティブかつ陽気。優しく楽しく朗らかにリスナーの心へと寄りそいます。
「私たちは常に人生、人間、友情を祝福しているんだ。このアルバムのテーマ “Memento Mori” は、今日がまるで最後の日であるかのように、精一杯生きるんだ!ってことだから」
アルバムのテーマとなったラテン語の慣用句 “Memento Mori” とは、死はいつもそばにある、だから今を全力で生きようという古からのメッセージ。死が当たり前の出来事だった中世から遠く離れた現代でも、多くの人は喪失や憂鬱をかかえていて毎日を自分らしく前向きに生きられていないようにも思えます。FEUERSCHWANZ は初期のコミカルなイメージを捨て、真剣に人間や人生に向き合うことで、リスナーの悩みや憂鬱を炎で焼きつくす美しきドラゴンの姿へと進化を遂げたのです。
「メディーヴァル・ロックの多くのバンドはドイツの大きなお祭りであるルネッサンス・フェアで演奏し、同時に自分たちのツアーもやっているんだよね。私たちはそこから発展させて、ドイツ語の歌詞とヘヴィ・メタルのリフ、伝統のバイオリンとワイルドなギターソロ、バグパイプとメタルパワーを掛け合わせ、剣や蜂蜜酒やドラゴンに満ちた巨大なファンタジー世界に落とし込みたかったんだ」
インタビューに答えてくれた実は凄腕のシュレッダー Hans Platz のギター・サウンドはこれまでよりも遥かに強烈で、キャプテン・フォイアーシュワンツの歌声は威風堂々。ヴァイオリンやハーディー・ガーディー、フルートの助けを借りながらルネッサンス・フェアに始まった緩やかなメディーヴァル・ロックを激しいメタルの頂へと導いていきます。
タイトル・トラック “Memento Mori” の脈打つようなベースライン、胎動するクランチーなリフワーク、炎焔の音の葉が示すように、明らかに FEUERSCHWANZ はこの作品でキャッチーの中にメタリックな印象を著しく強化して、己の陽の信条を真摯にリスナーへと伝えています。音楽的にも哲学的にも、SABATON や POWERWOLF のパワー・メタルに接近した結果と言えるのかもしれませんね。
Johanna とプリンスこと Ben Metzner による伝統楽器の色合いもアルバムを通して驚異的です。”Untot im Drachenboot” における狂気のバグパイプ、血湧き肉躍る “Rohirrim” の角笛、”Am Galgen” の雄弁なヴァイオリンは、ロード・オブ・ザ・リングのファンタジーはもとより、ゲーム・オブ・スローンズの壮大なる激戦をも現代に蘇らせていきます。時にはローハンの騎士の物語を、時には聖ニコラスの伝説を、時にはカルタゴの将軍の逸話をドラゴンの目を通して伝えながら。
「みんなメタルで使われる英語に慣れきってしまっているから、このままドイツ語で歌い続けていたら逆に何か新しいものが生まれるかもしれないと思っているんだよ。音楽という言語は国際的なものだし、歌詞は分からなくても音楽は理解されると信じている」
すべてがドイツ語であることに何か問題があるでしょうか?むしろ、ドイツ語のメロディックな一面に彼らは気づかせてくれるはずです。重要なのは、瞬時にストーリーを理解することはできないにしても、高揚していつのまにか口ずさむ楽曲のコーラス。世界は中世より多少ましになった程度の暗闇かもしれませんが、結局私たちが墓場に持っていけるのは棺桶くらいのもの。失うものは何もない。死が鋭いそのナイフをつきつけるまでは、今を生きよう!FEUERSCHWANZ の音楽はそう語りかけているのです。
今回弊誌では、Hans Platz にインタビューを行うことができました。「音楽が進化することは重要だと思うし、今現在、伝統楽器を持つバンドはメタルに新しいものをもたらしているんだ」 AMON AMARTH から O-ZONE, THE WEEKEND のカバーまで収録したデラックス・エディションも楽しい試みですね。今だからこそアツいマイアヒ。こういったバンドには珍しくギタリストがヴァーチュオーゾ・タイプなのも良いですし、今回はアレンジもフック満載。GLORYHAMMER から飛び出た Thomas 氏もゲスト参加。どうぞ!!

FEUERSCHWANZ “MEMENTO MORI” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【NINE TREASURES : AWAKENING FROM DUKKHA】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH ASKHAN AVAGCHUUD OF NINE TREASURES !!

“I Start Practicing Since 2018, Because I Had Pretty Negative Life Before That. I Wanted To Pool Out Myself From Anxiety And I Found That Buddhism Is Very Suit For Me.”

DISC REVIEW “AWAKENING FROM DUKKHA”

「実際のところ、僕たちの曲のほとんどは、モンゴルの歴史や神話をテーマにしたものではないんだよね。古い神話にインスパイアされた曲もあるんだけど、ほとんどの曲は、僕の考えや頭の中にある何かを表現したいと思って書いたものなんだ」
大草原、砂漠、馬、そして匈奴やモンゴル帝国といった母国の自然と歴史、神話をテーマにメタルを侵略したモンゴルのハン、THE HU, TENGGER CAVALRY。一方で、同じく蒙古の血を引く内モンゴルのフォーク・メタルバンド、NINE TREASURES は伝統を次の時代へ導く九連宝燈です。
「僕は内モンゴルのとても小さな街で生まれたんだ。間違いなく、確実にメタルにとっても “砂漠地帯” のね。まあそれでも、かろうじてメタルの CD はお店で買えたんだよね。信じられないだろうけど。僕は、人間はみんな自分の愛する音楽に出会う運命があると信じているんだ。僕にとってその運命の出会いが HURD をはじめて聴いた時だったんだ」
中国の内モンゴル自治区、小さな草原の街で中学教師の息子として育った Askhan Avagchuud は、METALLICA よりも影響を受けたという HURD の音楽を聴いてメタルに目覚めます。HURD はモンゴルにメタルを伝導した偉大なバンド。そうして彼は首都フフホトの大学に通いながら、北京に移ってからは働きながらメタルの道を追求していきました。
「バンドで生活費を稼げるようになるまで、両方を同時に続けるのはとても大変だったよ。世界の他の地域と同じように、中国でもライブだけで生活できるメタルバンドは少ないし、ここではまだアンダーグラウンドな市場なんだ」
転機が訪れたのは2013年。ドイツの名高いメタル・フェス “Wacken Open Air” のバンドバトルで2位を獲得したのです。モンゴルの代名詞とも呼べるモリンホール、そしてウクライナ発祥ロシアの叙情バラライカ。2つの伝統楽器を優美に奏でながら、朴訥としたエピック・メタルを熱演する NINE TREASURES の情熱は、いつしか南は台湾から北はウランバートルまでツアーを行うほどにその人気を確固たるものにしていきました。自然を呼び覚ますメタルのダンスでありながら、TOOL の知性や IN FLAMES の哀愁、時に琴の音色までを盛り込みながら。
「ほとんどのモンゴルのフォークバンドがホーミーの技術を使っているから、逆に僕は自分の歌い方を守った方がいい。そうすれば、観客に違う選択肢を与えることができるからね」
インタビューから伝わるように、Askhan は他のモンゴル由来のバンドほど母国の文化や伝統を重要視はしていません。それでも、神話や歴史を時に引用する彼の重厚な唸りは、モンゴル語の自然なトリルと有機的に結合し、得も言えぬ中毒性、草原絵巻をリスナーへと届けていきます。
「仏教に改宗するまではかなりネガティブな人生を送っていたんだ。だから2018年から仏門の修行を始めたんだよ。不安から解放されたいと思っていたところで、仏教がとても自分に合っていることに気づいたからね」
“Awakening From Dukkha” “一切皆苦からの目覚め” と題された NINE TREASURES の新たな作品は、ネガティヴに生きてきた Askhan が仏教に改宗し新たな世界観でフィルターをかけた、バンド再生のリレコーディング・アルバムです。古代モンゴルの詩に登場する9つの要素をその名に掲げた歴戦の勇者は、達磨に学ぶことで不安や社会、批判といった苦しみから解放されて、真の自由を感じることができました。
つまり “Awakening from Dukkha” は、彼らがこれまで丹念に作り上げてきたメタルとモンゴル、ロシア、中国のフュージョンを、清らかに血の通った仏の門で蒸留した未来への意思表明なのでしょう。きっと、自ら命を絶った TENGGER CAVALRY, NATURE G. の魂を携えながら。
今回弊誌では、Askhan Avagchuud にインタビューを行うことができました。「最近僕は日本語を学んでいて、来年日本に行く予定なんだ。2年前に日本でマネージャーを見つけたので、うまくいけば彼が日本に連れてきてくれるだろうね。とても興奮しているよ」 どうぞ!!

NINE TREASURES “AWAKENING FROM DUKKHA” : 9.9/10

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