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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【LUNAR CHAMBER : SHAMBHALLIC VIBRATIONS】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH BRANDON IACOVELLA OF LUNAR CHAMBER !!

“日本はね…私にとって信じられないぐらい夢みたいなところなんですよ。人生と考え方に大影響を受けて、美しい思い出も出来ました…本当に本当に言葉で表現出来ません。今までで一番お気に入りの場所です!”

DISC REVIEW “SHAMBHALLIC VIBRATIONS”

「Tomarumは普通に Progressive Black Metal をしてて、したことないもっとヘヴィな Progressive Death Metal をしたかったんです。お気に入りの Death Metal バンドを尊敬しながら自分のサウンドを作りたかったんです!」
“Shambhallic Vibrations” はプログレッシブでテクニカルなデスメタルのファンにとって、まさに天啓です。ブルータルでありながら静謐、エピックでありながら親密、難解でしかしスピリチュアルなデスメタルが、煌めきとヘヴィネスを伴って届けられる涅槃。
新進気鋭、アトランタのプログ・ブラック集団 Tómarúm の中心メンバー Brandon Iacovella と Kyle Warburn が Timeworn Nexus と They, Who May Not Be Perceived というペンネームで始めたバンドには、フレットレス・モンスターThomas Campbell、BENIGHTED のドラム・マシン Kévin Paradis という異才が加入して LUNAR CHAMBER の名乗りをあげました。
彼らのスピリチュアルな広がりと深みのあるブルータリティーは、現代のシーンに真の類似品がなく、その豊かできめ細かな質感は、フレットレス・ベースとスペーシーなシュレッドの綺羅星によって殊更際立つものとなっています。そのアプローチ、テクニック、トーン、そして影響の数々はあまりにも無数で、むしろすべてが一体となっていることさえ不思議なくらいですが、そこには、日本や仏教、東洋哲学に由来する調和の精神が大きく作用していました。
「若いころからヒンズー教と仏教に興味があって、歌詞とテーマを作りたかった時にその興味を思い出して、日本に住んでいた時とどのぐらい人生が変われたのかも思い出して、そのテーマについて書きたくなったんです」
実はコロナ禍以前、Brandon は日本が好きすぎて来日し、翻訳家を目指し学生として台東区で2年ほど暮らしていました。そこで日本の人たちと触れ合い、価値観や生き方を理解し、日本文化を受け入れることで彼の人生は大きく変わっていきました。争いよりも調和を、欲望よりも悟りを求める生き方は、そうしていつしか Brandon の創造する音楽へと憑依していったのです。
「日本のメタルシーンはめっちゃ凄くて、大好きです。Lunar Chamber の元々のドラマーは Temma Takahata なんですよ! Strangulation, 死んだ細胞の塊、Fecundation、等々のドラマーです!本当に凄いドラマーなんで、彼のバンドと他の友達のバンドも何回も見に行って、本当に大光栄でした。日本のシーンにも大影響を受けました。Desecravity, Viscera Infest, Anatomia, 等々も見ることが出来て、あれもかなりインパクトがありましたね。日本の音楽と言えば確かに Desecravity, Viscera Infest, Strangulation, 死んだ細胞の塊, Crystal Lake, Disconformity, 明日の叙景とかを考えますよね」
アルバムのフィナーレを飾る12分の “Crystalline Blessed Light Flows… From Violet Mountains into Lunar Chambers” は、今年のメタル界で最も注目すべき成果の1つかもしれません。シンセを多用した神秘的なオープニングから、巨大なフューネラル・ドゥームの睥睨、荘厳でマントラのようなメロディ、地響きのブラストと鋭く研ぎ澄まされたギター、瞑想的な静けさと地を這う重量の邂逅、そして到達する涅槃まで、すべては “菩提樹” で見せた印象的なモチーフとハーモニーをさながら経のように貫徹して、絶妙な結束を保持しているのです。
さらに言えば、LUNAR CHAMBER の体には、日本のメタル・シーンの “細胞” が組み込まれています。死んだ細胞の塊、明日の叙景、CRYSTAL LAKE といった現代日本のメタル世界を象徴するような多様性をその身に宿した LUNAR CHAMBER の “調和” は、その東洋思想と相まって、すべてが祇園精舎の菩提樹へと収束していきます。
今回弊誌では、Brandon Iacovella にインタビューを行うことができました。ほとんどの回答を日本語で答えてくれました。「仏教のメタルは、ある人にとっては間違いなく逃避の手段になり得ると思う。自分の音楽で物語を作るのが好きだし、この作品には内省的なところもあるから、誰かが自分の現実や心を探求し、私たちの物語に共感し、慰めを得ることができたら、それは私にとって大きな意味があるんだよ」 どうぞ!!

LUNAR CHAMBER “SHAMBHALLIC VIBRATIONS” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【CRESCENT LAMENT :花殤 & 噤夢】 JAPAN TOUR 23!!


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH CRESCENT LAMENT !!

“Recently, There Are More And More Taiwanese Artists Presenting Notable Creations That Attract Foreigners To Take Notice Of Taiwan. As Long As We Can Keep Showing The Uniqueness Of Taiwan’s Culture And The Good Nature Of Taiwanese People, We Shall Get Positive Support From The World.”

DISC REVIEW “花殤 & 噤夢”

「私たち台湾人にも故郷を語り継ぐ義務がある。二.二八事件や白色テロでは、数え切れないほどの勇敢な台湾人、その多くは若いエリートが、残忍な独裁政権と戦うために命を犠牲にした。しかし、彼らの生涯を記した記録は、白色テロ時代の厳しい検閲のため、ほとんど残っていないんだ。
あと10年もしないうちに、二.二八事件の虐殺と拷問から生き延びた台湾の長老たちは、おそらくもう存在しなくなる。私たちの祖父母は、どのような不幸を目の当たりにしてきたのだろうか。彼らはどんな悲劇を記憶に封印してきたのだろうか。なぜ彼らは、第二次世界大戦中の日々を、第二次世界大戦後よりもまだ良かったと言うのだろうか。掘り下げれば掘り下げるほど、私たちは悲しい気持ちになる。
阿香と明風の物語は、私たちの祖父母の世代に属するもの。かつて台湾を窒息させた権威主義的な前政権によって、彼らは何十年も黙殺されてきた。今、私たちはそれを声高に語る義務があるのだよ」
東洋きっての悲劇の語り部。CRESCENT LAMENT の来日が決定しました。台湾という政治や国の争いに翻弄され続ける場所で、彼らは二胡と台湾語、そしてノスタルジックなアジアのメロディを用いて、メタルで抑圧や搾取に抗い続けています。その旋律は物語で、その物語は旋律。切っても切れない迫真の “オーディオ・ムービー” に、私たちは今こそ目と耳を傾ける時なのかもしれません。
時は昭和初期。阿香と明風の悲劇の物語は、台湾の日本統治時代に幕を開けます。日本人の松子と台湾人ビジネスマン清田が恋に落ち、産まれたのが阿香でした。しかし、当然のように松子と清田は共に両親からの猛反対を受けて別離。阿香は父清田のもとで育てられますが、心の傷を負った清田は自死を選び、阿香は置屋に売られてしまいます。
昭和15年。芸者として働き始めた阿香ですが、その心には将来への不安や仕事への葛藤が渦巻いていました。そんな折、一つの希望が湧き上がります。実業家、明風との出会いです。混沌とした時代に、若い2人は通じ合い、互いを運命の人だと信じます。
帰ってきたら結婚しよう。そんな言葉を残して明風は仕事で1年間、日本へと渡ることになります。しかしみるみるうちに戦況は悪化。何年も連絡のないままに、阿香は女将によって別の人と結婚を決められてしまうのです。
結婚式の当日。突然、明風があらわれます。そして、阿香に終戦まで出国が不可能だったことを涙ながらに告げるのです。すべては遅すぎたのでしょうか。来世での幸せを誓い合って2人は別の道を歩むことになってしまいます。
終戦を期に、日本による台湾統治は終わり、代わりに中国国民党がやってきます。「よく吠える犬が去って豚が来た」 などと言われるように、腐敗し抑圧的な中国国民党の支配は日本以上に台湾の人たちから嫌われるようになります。強姦、略奪、殺人など国民党が起こした事件は日本統治時代の30倍とも言われました。
そうした時代の変化は、裕福な家庭に嫁いだ阿香にとっても無縁ではありませんでした。軍人に強盗に入られ、夫を警官に殴り殺される。妾であった阿香は結局、もとの無一文、宿無し生活に逆戻りしてしまいました。
そんな窮状を再び救ったのが明風でした。新聞で事件の詳細を知り、すぐに阿香のもとへと駆けつけて、彼女を自分の商店へと連れ帰ります。ついに再会を果たした運命の2人。やっと幸せで平穏な時が流れるかに思ましたが、物価の大幅な上昇、搾取、そしてコレラの蔓延で台湾人の怒りが爆発。抗議行動を開始した彼らに浴びせられる機銃掃射。鬱憤は爆発し、二.二八の騒乱が巻き起こります。遂に結婚した若き2人でしたが、明風は台湾人としての誇りを胸に、阿香を残して抗議活動へとその身を投じます。帰らぬ愛しき人。移り変わるは季節だけ。しかし、阿香はいつまでも、いつまでも、明風の帰りを待ち続けるのです。中国国民党は92年までの白色テロで14万人もの知識人を惨殺したと言われています。
今回弊誌では、CRESCENT LAMENT にインタビューを行うことができました。「物理的な国防強化に加え、台湾の色彩豊かな文化を世界に輸出することは、我々普通の台湾人ができる簡単で効果的な方法だ。最近、台湾のアーティストが注目すべき作品を発表し、外国人が台湾に注目することが多くなっている。台湾の文化のユニークさと、台湾の人柄の良さをアピールし続ければ、世界から積極的に支持されるはずだからね」 どうぞ!!

CRESCENT LAMENT “噤夢” : 10/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【DEMONSTEALER : THE PROPAGANDA MACHINE】


COVER STORY : DEMONSTEALER “THE PROPAGANDA MACHINE”

“Make The Minority The Big Villain That The Majority Should Fear In Any Country, And You’ve Suddenly Got Control. It’s All The Same Tactics; It’s Just That The Country Changes.”

THE PROPAGANDA MACHINE

“The Propaganda Machine” は、エクストリーム・メタルの言葉で叫ばれる戦いの鬨。Sahil Makhija 4枚目のソロ・アルバム “Demonstealer” は、母国インドをはじめ世界中の大衆を操り搾取する右翼政治家、人種差別主義者、偽情報の拡散者、宗教過激派を狙い撃ちしています。Sahil が言葉を濁すことなく、このアルバムに収録されている歌詞はすべて、抑圧に対する抗議の看板となり得るもの。ただし Sahil は、20年前、彼の先駆的バンド DEMONIC RESURRECTION でインドにデスメタルを紹介していた頃には、まだ “The Propaganda Machine” を作ることはできなかったと認めています。
「俺はボンベイ・シティに住む、かなり恵まれた子供だった。そして、ほとんどの子供がそうであるように、俺は政治に興味がなかったんだ」と Sahil は自身の音楽活動の初期を振り返って言います。SEPULTURA の “Refuse/Resist” のような政治的なメタルを聴いていたにもかかわらず、政治を意識することはなかったのです。
Sahil の覚醒は緩やかでした。彼は2015年のシングル “Genocidal Leaders” で遂に DEMONSTEALER に社会的な歌詞を取り入れ始め、前2作 “This Burden Is Mine” と “The Last Reptilian Warrior” では現実世界の問題がより浸透するようになりました。しかし、”The Propaganda Machine” は、彼がこれまで制作した中で、圧倒的に政治色が強いレコードだと言えます。その理由は、周囲を見渡せばわかるでしょう。トランプ、Brexit、目に余る警察の残虐行為、復活したネオナチズム、世界的なパンデミック、ロシアのウクライナ侵攻など、その暗闇のリストは身近で気が滅入るものばかり。

「このアルバムは、プロパガンダ・マシーンというタイトル通り、ここ数年の世界のあり方に完全にインスパイアされているんだ。特に、ヒンドゥー教の右翼過激派政権が誕生してからのインドでの出来事に触発されているよ。”The Fear Campaign” では、多数派が少数派を恐れるように仕向けることで、政府が大衆をコントロールすることについて。”Monolith of Hate” は、憎しみの政治と、恐怖のキャンペーンを通じて多数派が少数派を憎むように仕向ける方法について歌っているよ。正直なところ、世界中でこうしたことが起こっているよな。インドではヒンドゥー教徒が大多数で、ヒンドゥーの政府はイスラム教徒に関する悪いプロパガンダを流し続け、ヒンドゥー教徒がイスラム教徒に恐怖を抱くようにしようとしている。イギリスやアメリカ、ヨーロッパでも同じように、移民を恐れさせるキャンペーンが行われているし、アメリカでは、人種や宗教などでも同じことが行われている。世界的な “戦術” なんだよな。”恐怖を与え続け、従順にさせる” という歌詞は、まさにすべてを要約しているよ。
“The Art of Disinformation” は、テクノロジーがいかに武器になるかについて。インドでは、WhatsApp の偽ビデオが、この憎しみを広めるために使われ、最終的には少数民族への暴力や殺害さえも扇動しているんだ。”Screams Of Those Dying” は、ここ数年、リンチや暴動、警察の横暴、殺人、基本的人権のために戦う人々の暗殺によって失われた実際の命について歌った。”The Great Dictator” は、自分たちの利益のために憎悪と暴力を推進・宣伝する右派の指導者について。”‘The Anti-National” “反国家” は、インドや自国の政府に疑問を持つ人々が、いかに “反国家” と呼ばれているかについて。そして最後に “Crushing the Iron Fist” は、俺たちが力を合わせれば、私腹を肥やし、宗教、カースト、人種によって人々を分断するのではなく、生活の質を向上させるために働く、より良い政府を見つけることができるかもしれないという希望をアルバムに残している。国民のために働くという、本来あるべき姿の政府をね」

世界のリスナーにとってあまり馴染みがないのは、2014年にナレンドラ・モディが首相に就任して以来、インドで起きている混乱かもしれません。NRC(全国市民登録制度)とCAA(市民権修正法)という大規模な政治問題です。CAA では、トランプの人種差別的なムスリム禁止令とは異なり、インドに入ってくるイスラム教徒の移民を制限する一方で、他の宗教のメンバーがより自由に入国できるようにしようとしていました。
「多くの抗議があり、俺もそうした抗議に出向いていた。そして、その抗議は、右翼過激派グループが大学の子供たちを攻撃したり、抗議者に発砲したりすることで頂点に達したんだ。その結果、ニューデリーで大規模な暴動が起こり、ヒンドゥー教の過激派によって多くのイスラム教徒が殺されてしまった。その後、パンデミックが始まった。すると政府は突然、人々の移動を制限するようになった。出稼ぎ労働者は出身地でない都市に取り残され、飛行機で帰ることもできず、結局、何百キロも歩いて村まで帰ることになった。その途中で亡くなった人も少なくないんだよ。社会として、俺たちはより憎しみに満ちた生き物へと変化していってしまう。幼い頃から憎むことを教え込まれ、宗教、肌の色、性的嗜好など、異なる誰かを憎むことを強いられ、憎しみは押し付けられ、憎しみのモノリスを築いている。それは俺たちを蝕んでいくものだ。特にインドでは、現在の右派の政府関係者自身が、憎しみのスローガンを唱え、暴力行為や犯罪を呼びかけるデモを行い、彼らのすべてのアジェンダが憎しみで構築されている。なんとかしなければ」
そんな暗闇が重くのしかかる中、Sahil は自宅のスタジオに入り、”The Propaganda Machine”となる曲を書き始めました。歌詞には、自分がインドで体験したことを反映させたかったのですが、同時にリスナーが世界の他の地域とも簡単に結びつけられるようにもしたかったのです。
「どこの国でも同じようなことが起きているのを見た。どの国でも、少数派を多数派が恐れるべき大悪党に仕立て上げれば、突然コントロールが可能になる。国が変わるだけで、すべて同じ手口なんだ。俺たちがいかにプロパガンダに対して盲目的になりがちであるかを伝えたい。宗教であれ、政治であれ、俺たちはある特定の “信者” になるよう条件付けされてきた。宗教もまた、最大のプロパガンダ・マシンのひとつで、世界中のほとんどの人が信じるように仕向けられ、現実が見えなくなる」

プロパガンダによる洗脳に惑わされないために、教育レベルの向上は必須でしょう。
「ただ、インドは巨大な国で、極度の貧困と社会的不平等が存在するから、効果が出るまでには長い時間がかかる。インドには巨大な国土があり、極度の貧困と社会的不平等が存在するんだ。時間が経てばその地点に到達できるかもしれないという希望はあるけど、ほとんどの場合、堂々巡りになってしまう。インドの生活の質、政府が運営する学校や病院の状況を見れば、その状況がわかると思うよ。本当に、宗教的な洗脳や政府による洗脳、時代遅れの習慣や伝統にしがみつく人々など、長い道のりが待っているんだ」
SNS も今や権力の “武器” と化しています。
「俺たちは、ソーシャルメディアによって物語がコントロールされる世界に住んでいる。インドでは、世界の他の地域と同様にフェイクニュースの大きなな問題があって、SNS のほとんどは、右派の与党政府によってコントロールされている。右派政権に対抗できる政党やまともな野党がほとんどない状態でね。この国で最大の誤報拡散者である Whatsapp を使ってプロパガンダや誤報を拡散するためだけに人が雇われているよ。Whatsapp が原因で、リンチされたり殺されたりした人も。物議をかもした市民権法に対する抗議デモの際も、IT部門はフル回転していた。彼らの最大の自慢は、Twitter で何でも流行らせることができること。どんな話題でも、コピーペーストしたようなツイートが表示されるのは悪夢のようなものだ。ウクライナへの攻撃の際にも、このようなことが起こっていたよな」
“レッテル貼り” も権力お得意の分断の手法。
「特にインドにおける右翼の戦術のひとつは、人々に “反国家” の烙印を押すこと。政府に疑問を持てば反国家、あるイデオロギーを推進しなければ反国家というわけさ。最悪なのは、政治とヒンドゥー教を結びつけてしまったことだ。だから今日、牛肉を食べると、憲法で権利が認められているにもかかわらず、反国民とみなされる。現政権は非常に攻撃的で、親ヒンドゥー的でファシスト的な性格を持ち、非常に暴力的なグループを支持している。現首相を批判する人がいれば、ネット上の荒らしの軍団や、実際のチンピラまで現れて問題を起こし、反国民の烙印を押されてしまうんだ。俺は、批判的で、宗教的・政治的な駆け引きではなく、国民の向上のために政府を後押ししようとする人たちこそ、真の愛国者であると信じている」

Sahil は声を上げるためには、ある程度の人気が必要だと考えています。
「音楽にはたくさんの力がある。音楽がもたらす癒しやポジティブな変化はたくさんあるんだ。だけど、ニッチなジャンルの音楽を、ニッチな国で、しかも人気のないアーティストが演奏するとなると、そんな変化も期待できない。もしかしたら、一部の人に影響を与えるかもしれないけど、本当に影響を与えるためには、もっと多くの人に聴いてもらう必要があるんだよ。だから、今のところは、DEMONSTEALER は俺が目にした世界の間違ったことに対して発言するためのただの道具だ。でも、もしそれが人々に語りかけられ、共感され、音楽が人生の困難な時期を乗り越える助けになるなら、それは俺にとっても世界にとっても意味のあることとなる」
音楽的には、Sahil は DEMONSTEALER を実験室として使用し、頭に浮かんだあらゆるアイデアを探求する傾向があります。”The Propaganda Machine” では、彼のキャリアの中で最も緻密なレイヤーを持つ楽曲を作曲していることに気づくでしょう。もし、Sahil の威厳と自信に満ちたクリーン・ボーカルと、元 CRADLE OF FILTH キーボード奏者の Annabelle Iratni が醸し出すシンフォニックな華やかさがなければ、アルバムはもっとデスラッシュの閉塞空間にあったでしょう。Sahil は、自分の直感を信じることで、荘厳と凶暴の適切なバランスを見つけているのです。
「”次のアルバムは、今までで一番ブルータルなアルバムにしよう、ブラストビートと、最も重厚なリフ、そしてうなり声を出すだけだ” なんて思っていても、実際に曲を書き始めると、突然美しいメロディーを思いつき、”これはこの曲にピッタリだ!” なんて思うんだ」

DEMONSTEALER は厳密には Sahil のソロプロジェクトですが、NILE の George Kollias が “This Burden Is Mine” でドラムを叩いて以来、ゲスト・ミュージシャンはそのサウンドに欠かせない要素となっています。DEMONSTEALER のサポート・キャストは着実に増えており、”The Propaganda Machine” は総勢12人のプレイヤーによって命を吹き込まれているのです。クレジットには、鍵盤の Iratni、Hannes Grossmann を含む4人のドラマー、さらに4人のベーシスト、3人のリード・ギタリストの名前があります。James Payne (Kataklysm, Hiss From The Moat), Ken Bedene (Aborted), Sebastian Lanser (Obsidious/Panzerballett), Dominic ‘Forest’ Lapointe (First Fragment, Augury, BARF), Stian Gundersen (Blood Red Throne, You Suffer, Son of a Shotgun), Martino Garattoni (Ne Obliviscaris, Ancient Bards), Kilian Duarte (Abiotic, Scale The Summit), Alex Baillie (Cognizance), Dean Paul Arnold (Primalfrost), Sanjay Kumar (Equipoise, Wormhole, Greylotus)。Sahil は、彼らの役割について厳格に規定することはありません。ここでは、それぞれのミュージシャンが、それぞれの長所を発揮しているのです。
「各ミュージシャンは、それぞれの個性を生かす。これほど多才なミュージシャンと仕事をするのであれば、俺がプログラミングをしたり、これとこれを演奏しろなんて厳しく指示する意味はない。もちろん、ドラムのパートをすべてサンプルで置き換えるのはとても簡単だが、すべて全く同じ音になってしまう。それに何の意味があるのだろう?だから、ドラムの音はアルバムの曲によって変化するし、ベースのダイナミズムも当然変わってくるさ」
このアルバムは、Sahil の独特なソングライティングだけでなく、彼の思想によっても一貫性を保ちます。右翼のポピュリストが支配する不安定な国で活動することは簡単ではありません。最近、ニューデリーとムンバイにあるBBCのオフィスが、インド特集を放送した後に家宅捜索を受けました。”モディ・クエスチョン”(2023年)は、2002年にグジャラート州で起きた一連の暴動で首相が果たした役割を探るドキュメンタリー。ボリウッドの作品は、過激派の脅迫によって定期的に中断、破壊、閉鎖され、Sahil 自身も、風刺ロックバンド WORKSHOP で政治家と悪徳警官を罵倒した際、検閲に直面しました。Sahil が “偉大なる独裁者” や “鉄拳を砕く” のような曲を書くことの結果を恐れているとしても、彼はそれを表に出すことはありません。恐れよりも、彼は何度も自分の特権と、それを使って抑圧と闘う責任について言及します。
「俺のような人間は、アパートでくつろぎながら、こう言うこともできる。これは俺の戦いではないんだ。普通の平穏な暮らしを送ればいいってね。俺は何気ない生活を送れるのだから。だけど、踏みつけにされそうになっている人たちが大勢いる。いずれは反撃に出るべき人たちが。抗議の力、情報の力によって、俺たちは実際に変化を起こすことができるはずだ。どんな形であれ、善戦する人たちはたくさんいる。そして、願わくば、より多くの人々が目を開き、自分たちが持っている特権や、声を上げる必要があるという事実に気づくことを期待しているんだ。そして、この先、より良い日々が待っていることもね。俺たちは、自分たちが見つけた世界よりも良い世界を残すことができる、すべての人々にとってより公正で平等な世界に住むことができると信じたい。他人を親切に扱い、専制や抑圧に負けることはないとね。しかし、実際には、これは長い戦いで、変化は一夜にして起こるものではない。だからこそ俺は、より良い世界を作るために、時間、エネルギー、努力、時には命さえも犠牲にしてきたすべての人々に敬意を表したいんだ」

実際、Sahil 自身もより良いインドのメタル世界のために戦い続けてきました。
「俺たちも DEMONIC RESURRECTION でオリジナル曲を演奏するようになって、観客から瓶や石を投げつけられたものだよ。バスドラのペダルさえも手に入れるのが困難だった。レコード会社もなく、”ロック・ストリート・ジャーナル” という地元のロック雑誌があり、大きな大学では毎年、文化祭でバンド・バトルをやっていたくらいでね。当時はそれしかなかったんだ」
インドにおけるメタルのリソース不足に直面した Sahil は、インドのバンドを実現させたいなら、自分でやるしかないと決意しました。彼は、インド初のメタル専用のレコーディング・スタジオを設立し、その後すぐにインド初のメタル・レーベルである Demonstealer Records を設立します。そこで自身の音楽を発表し、ALBATROSS や今は亡き MyndSnare といったインドのバンドをサポートするだけでなく、彼のレーベルは BEHEMOTH や DIMMU BORGIR といった入手困難なバンドのアルバムをライセンスしリリースしました。また、元 DEMONIC RESURRECTION のベーシストである Husain Bandukwala と共に、インドで唯一のエクストリーム・メタル専門のフェスティバルである”Resurrection Festival” を立ち上げ、長年にわたって運営しました。インド・メタルシーンの柱としての Sahil の地位は議論の余地がありません。しかし、自身の影響力と遺産について彼は実に控えめです。
「でも、もし俺がやらなくても、おそらく他の誰かがやってきて、いつか俺の成したことをすべてやっていただろうね。でも、もし私が何らかの形で貢献できたのなら、それで満足だ。私は人生をメタル音楽の演奏に捧げているのだから」
Sahil は、貧困が蔓延している社会構造に加え、意味のある音楽ビジネスのインフラがないため、インドでバンドを存続させるためには基本的な収入が必要だと説明します。また、移動距離が長いためバンに乗って全国ツアーに出ることはできず、飛行機代やホテル代も考慮しなければならないことも。さらに最近まで、独自のPAシステムを備えた会場を見つけられることは稀で、各会場でPAシステムを調達し、レンタルしなければなりませんでした。
「その結果、ほとんどのバンドが赤字になり、長期的には解散してしまうんだ。今はマーチャンダイズで、なんとかやっていこうというバンドもいる。ツアーができるバンドもあるけど、簡単なことではないんだよ」

Sahil は早い時期から、物事を実現するために必要なことは何でもやると決めていました。
「メタル・ミュージシャンを続けられるように、自分の人生を設計したんだ。親と一緒にいること、子供を作らないこと、休暇にお金をかけないことも選んだ。自分がやりたいことはこれだとわかっていたから、そういった犠牲を払った。もし、友人たちのように給料が高くない仕事をするなら、その予算でどうやって生きていくかを考えなければならないだろうからね」
幸運にも、彼は “Headbanger’s Kitchen” というチャンネルと番組で、YouTuberとしてのキャリアを手に入れることができました。当初は一般の料理番組としてスタートした彼のチャンネルは、仲間のメタルミュージシャンにもインタビューを行いながら Sahil が実践しているケト食を推奨するプラットフォームへと発展し、今では彼の主な収入源となっています。
しかし、彼の最愛のものがメタルであることに変わりはなく、彼自身の努力もあって、この10年ほどでインドのメタルシーンは花開き始めています。多くの色彩、創造性、活気を伴いながら。ただし、インドから生まれるバンドは、インドと同じくらい多様でありながら、ほとんどの場合、彼らは民族的なモチーフを過剰に使用することはないと Sahil は語ります。
「というのも、この国のメタルの魅力のひとつは、自分たちの文化に反抗することだからね」

オールドスクールなスラッシュとメタルを演奏する KRYPTOS、ブルータルなデス/グラインドを演奏するGUTSLIT、シッキム州の SKID ROW, もしくは WHITESNAKE とも言われる GIRISH AND THE CHRONICLES、メイデン風の高音ボーカルでホラー・メタルを演奏する ALBATROSS, 弊誌でインタビューを行ったインドの DREAM THEATER こと PINEAPPLE EXPRESS などこの地のメタルは意外にも、伝統への反抗意識から西欧の雛形を多く踏襲しています。
彼の地の多くのスタイルやサブジャンルが西洋の聴衆になじみがある一方で、社会的・政治的システムへの怒りや、地元の文化や神話を参照した歌詞には、インド独特の風味が際立ちます。ムンバイのスラッシャー、ZYGNEMA の最新シングル “I Am Nothing” は、インドの多くの地域で未だに悲しいことに蔓延している女性差別やレイプ文化に対して憤慨した楽曲。そして、The Demonstealer のバンドである DEMONIC RESURRECTION は、壮大なブラック・シンフォニック・デスメタルを得意とし、前作 “Dashavatar” はヒンドゥー教の神 Vishnu の10のアバターについて論じています。そして、ニューデリーのBLOODYWOOD。スラミング・ラップ・メタルとインドの民族音楽を組み合わせ、英語、パンジャブ語、ヒンディー語を織り交ぜながら、政治的、個人的な問題に正面から取り組む歌詞を描いた彼らのユニークなサウンドは、近年ますます話題になっています。
「インドはとても大きく、多様性に富んでいて、これがインドだと断定できるものは何もない。彼らはパンジャブ音楽を使うけど、その音楽はインドの南部では人気がないんだ。言語も文化も音楽も違う。国語もなく、すべてが多様なんだよね。でも BLOODYWOOD は、欧米や世界中の人が “インドのメタルはどんな音だろう?”と興味を持ったときに、聴きたいと思うようなものを捉えているんだ」
つまり、Sahil Makhija はもっとポジティブで、特に彼が愛するヘヴィ・メタルの未来については楽観的です。
「インドのバンドがもっと国外に進出するのは間違いないだろう。10年前と比べると、みんなもっとたくさんツアーをやっているし、国際的なバンドがインドで演奏することも増えてきた。今後数年の間に、インド全土でそれなりのシーンと強力なオーディエンスを築き上げることができると思うよ」

参考文献:Bandcamp Daily: Demonstealer Fights For a Better India Through Death Metal

No Clean Singing:AN NCS INTERVIEW: DEMONSTEALER

Demonstealer’s Incendiary Metal Assaults “The Propaganda Machine” (Track-by-Track Rundown)

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【THE ONGOING CONCEPT : AGAIN】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH DAWSON SCHOLZ OF THE ONGOING CONCEPT !!

“When I Do Listen To Music Though It’s Not Heavy Music, I Tend To Listen To More Groovy/funk Style Bands Like Cory Wong And Dirty Loops.”

DISC REVIEW “AGAIN”

「音楽を聴くときは、ヘヴィ・ミュージックではなく、Cory Wong や Dirty Loops のようなグルーヴィーでファンクなスタイルのバンドを聴くことが多いね。で、ヘヴィとファンク、この2つの要素が、僕らの音楽がしばしば異なるジャンルに溶け込む理由だと思うんだ」
THE ONGOING CONCEPT はメタルコア/ポスト・ハードコアシーンにおいて常に謎の存在であり続けています。多くの人は、バンジョーによるカオスな冒険 “Cover Girl” と、それに合わせた愉快なミュージック・ビデオでまず彼らに気づいたはずです。メタルコア、ファンク、ブルース、サザンロック、ポスト・ハードコア、プログレッシブ・メタル、アコースティックなど、様々なスタイルから影響を受けながら、魅力的なブレンドと奇抜な発想でサウンドを形成してきた THE ONGOING CONCEPT のコンセプトはまさに “Ongoing” “進行中”。ワイルド・ウェストをテーマにした “Saloon” や、全ての楽器を一から作り上げた “Handmade” など、彼らのアルバムは常に興味深いコンセプトを携えて、刻々と冒険という名の変化を続けているのです。
「14歳のときに DREAM THEATER に出会って、音楽に対する考え方が変わったよ。プログレッシブ・ロックや DREAM THEATER がやっていた奇妙なことに夢中になった。それが、THE ONGOING CONCEPT の音楽に様々な要素を取り入れたり、アルバムにコンセプトを取り入れたりする理由になっていると思う」
バンドのファンなら、6年ぶりの新作 “Again” の曲名に見覚えがあるはずです。なぜなら、すべてが新曲でありながら “Again” の枕詞はすべてバンドの過去の曲名であり、そうすることでバンドは、過去の作品への言及やイースターエッグを取り入れつつ、過去と現在を融合させた新しい楽曲を作りたかったのです。こうした、遊び心やコンセプト・イズム、過去との邂逅は、まさに DREAM THEATER の優秀な門下生であることの証明でしょう。
どのみち、”Amends Again” ですぐにリスナーは曲名の謎を理解します。オリジナル曲のキャッチーなフックへのコールバックが曲中にちりばめられ、彼らの特徴的なリフはまるで旧友が戻ってきたかのような弾むようなグルーヴでアルバムをスタートさせます。オリジナル・スクリーマーでキーボーディスト Kyle Scholz の象徴的な、高音で混沌とした叫び声は、間違いなく “Swancore” リスナーに歓迎され、バンドのサウンドに再度命を吹き込んでいます。
一方で、”Unwanted Again” では、Dawson Scholz と Andy Crateau のボーカルが前面に出て、インディーズ・スタイルのメロウなロックソングを標榜。Kyle が奏でる複雑なクリーントーンのギターとシンセが、グルーヴィーでヴィヴィッドなこの曲は、アルバムの中でも際立ち、最後は味わい深いクラシックなソロで締めくくられていきます。
「僕らが音楽を作るときは、できるだけ純粋でありたいと思っているからね。周りの世界で何が起ころうとも、僕らの音楽に反映させる必要はないし、僕らの目には重要ではない。重要なのは、その曲がどんな時でもどのような気持ちにさせるかなんだ。10年後、100年後、僕たちの曲は時代を超越したものでありたいと思っているから。僕らが曲を書くときは、携帯電話やテレビ、コンピュータの電源を切って、自分たちがハッピーになれるような曲を書くことを心がけているんだ」
前作に続き、このアルバムもバラエティに富んでいるのが魅力。エレクトロニックな要素を含んだよりチルな雰囲気の曲もあれば、メタルコアとサザンロックのハイブリッドを披露しより激しい顔を生み出す曲もあり、ジャジーなブレイクやファンキーなグルーヴなど予想不可能な瞬間の目まぐるしき目白押しでジャンルに縛られないこと、自らの音楽に正直であることの楽しさを実証していきます。好きこそ物の上手なれ。結局、好きに勝てるモチベーションはないのですから。
今回弊誌では、Dawson Scholz にインタビューを行うことができました。「僕たちはたくさんの “Swancore” のバンドとツアーを行ってきたんだ。その中には、僕たちの大切な友人であるバンドもいる。特に EIDOLA は、一緒にツアーを回った中で最も好きなバンドのひとつだね」 どうぞ!!

THE ONGOING CONCEPT “AGAIN” : 9.9/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【SERMON : OF GOLDEN VERSE】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH HIM OF SERMON !!

“I Am Braced For a Fair Amount Of Eye-rolling To ‘Another Masked Band’, Which Is Fair Comment. But Also, Is It Really So Different To The Legions Of Corpsepaint Coated Black Metal Bands?”

DISC REVIEW “OF GOLDEN VERSE”

「ニュートラルで “小さい” 響きを持つ名前がよかったんだ。そこで、一般的な男性代名詞にしたのだけど、Him には聖書で頻繁に言及される神という意味合いもあって、二重の意味で使うことにしたんだ。それに、讃美歌はキリスト教の説教 (Sermon) で歌われるもの。言葉の響きという点でもつながっているよね」
Him を神として崇める仮面の匿名バンド SERMON は、2019年のデビュー・アルバム “Birth of the Marvellous” で、どこからともなく現れ喝采を浴びました。強烈でエモーショナルなプログレッシブ・メタルの驚異的な完成度は、スタートにしてすでに洗練された宝石で、謎の一団はシーンに凄まじい衝撃を与えたのです。そのメロディックな核心、巧妙な複雑さ、緊張感とメランコリーは、KATATONIA, TOOL, 後期の PORCUPINE TREE, RIVERSIDE に OPETH といったモダン・プログの語り部たちと美的な類似性を持っていました。
ただし、SERMON の鋭くユニークなエッジと巧妙なリズム細工は、プログ・メタルに魅了されていないリスナーにも間違いなくアピールする魅力を備え、群を抜いていました。デビュー作から4年。そうして SERMON 2枚目のLP、”Of Golden Verse” は深紅に染まる世界の奥底へとさらに足を踏み入れます。
「最近は、メタル以外のアーティストに影響を受けることが多いんだ。このアルバムでは、Michael Jackson, WOVENHAND, KILLERS, THE MACCABEES, CAMEL から影響を受けている。このアルバムに影響を与えたと思われるメタル・バンドを考えてみたんだ。SOILWORK は間違いなくそのひとつで、彼らのアルバム “Verkligheten” は僕らのデビューと同じ頃に発売されたんだけど、どの曲も最高の曲ばかりで、圧倒されたのを覚えているよ」
衝撃的なデビュー作で見せたクオリティとポテンシャルは、刺激と説得力を加えながらその洗練を拡大させています。SERMON が作り出す陰鬱で不吉な雰囲気は、血と知に染まりながら肌に染み込んできます。前作同様、”Of Golden Verse” は沸点に達するような緊張感に包まれ、その不吉でほとんど儀式的なムードは、威嚇と不安を誘う序章から高鳴るメロディーと変幻自在のフックへと巧みにシフトしながら、カタルシスの領域まで到達します。つまり、SERMON のユニークで複雑、かつ感情的にパワフルなサウンドはプログレッシブ・メタルの領域をすでに超越しているのです。
ロック、ドゥーム、ブラック、ゴシックの連なるドラマのが、安っぽさやメロドラマ的な場所に陥ることなく、プログレッシブな筋肉にに浸透。プログレッシブ・メタルの特徴を強く持ちながら、メロディック・ドゥームを筆頭に地下音楽の暗がりへと螺旋状に降下する彼らの音楽は、精神的、神学的なバランスの概念を “Sermon”、説くことに捧げられました。この匿名集団は、その音楽と同様に、あらゆる信念の思慮深い交差を作ることに重きを置いています。極論、群集心理、分裂した意見、無謀な信仰に囲まれた世界の中で、すべての信念を等しく受け入れるバランスのとれた中心地を見つけること。世界を取り巻く残虐行為に関するテーマを軸に、”Of Golden Verse” は人類の歴史をたどりつつ、人間本来のあり様を世に問うのです。
今回弊誌では、Him にインタビューを行うことができました。「もちろん、”また仮面バンドか” と言われるのは覚悟の上で、それはそれで正しい意見だよ。しかし、コープスペイントのブラックメタル・バンドの軍団と、本当にそんなに違うのだろうか?」 どうぞ!!

SERMON “OF GOLDEN VERSE” : 9.9/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【LITURGY : 93696】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH RAVENNA HUNT-HENDRIX OF LITURGY !!

“Life Has Been Unbelievably Better Since My Transition. Unfortunately The Politics Of Gender Are Becoming Increasingly Scary In the United States, But It’s Still Much Better To Be Living Out In The Open.”

DISC REVIEW “93696”

「男性から女性に移行してからの生活は信じられないほど良くなっているわ。 残念ながら、アメリカではジェンダーに対する政治的な圧力はますます恐ろしいものになってきているけど、それでも、オープンに生きている方が私はずっといいんだよ」
ブラック・メタルを哲学する革新者、LITURGYのハンター・ハント・ヘンドリクスは現在、ラヴェンナ・ハント・ヘンドリクスへとその名を変えています。
「私は女性よ。ずっとそうだった。様々な拒絶を恐れて明かせなかったの。私は女性として音楽家、神学者、詩人で、生まれるものは全て女性の心から。同時に男性として生まれたことを否定したくもないのよね」
長い間、女性の心を持つ男性として生きてきたラヴェンナにとって、トランスジェンダーの告白は非常に勇気のいるものでした。周りの目や差別、弾圧といった現実のプレッシャーをはねのけて、それでも彼女がカミング・アウトした理由は、自分の人生を、そして世界をより良くしたいから。彼女の理想とする天国であり想像の未来都市”Haelegen”実現のため、ラヴェンナの音楽は、魂は、いつしか抑圧を受ける少数派の祈りとなったブラック・メタルと共に、もう立ち止まることも、変化を恐れることもありません。
「ブラック・メタルはロックという枠組みとその楽器を使ってクラシックを作るものだと考えていたんだ。 みんながそう思っているわけではないけど、私にとってはそこが大きな魅力だから」
21世紀に入ってから、ブラック・メタルはメタルの多様性と寛容さを象徴するようなジャンルへと成長を遂げてきました。DEAFHEAVENの光、ALCESTの自然、SVALBARDの闘志、VIOLET COLDの願い、KRALLICEの異形、ZEAL&ARDORのルーツなど、ブラック・メタルが探求する世界は、新世紀の20年で膨大な広がりと深みを備えることになったのです。
そうしたブラック・メタルの領域においてラヴェンナは、作曲、芸術、哲学を共有する組織LITURGYを設立します。”トランセンデンタル・ブラック・メタル”、”超越的ブラック・メタル”と呼ばれるようになったLITURGYのアートはまさに超越的で、バンドに備わる審美と多様性を純粋に統合。神学、宗教、宇宙的な愛、終末論、性について探求しながら、息を呑むような壮大さで恍惚感を表現していきます。
ラヴェンナはこの場所でブラック・メタルの暗黒から歩みを進め、管楽器、アンサンブル、グリッチ、オペラ、時には日本の雅楽まで統合した唯一無二の音楽性を追求し、変化を恐れない彼女のポジティブな哲学を体現しています。その知性の煌めきと実験性は、”ヘヴィネスの再定義”につながっていきました。つまりラヴェンナは、”重さ”を神聖なもの、物語や哲学への触媒として使用することにしたのです。その方法論として彼女は、メタルと前衛的なクラシック音楽の間のスペース、危険な境界線を常に探っています。
「”93696″は”Origin of the Alimonies”のようにオペラやクラシックを想起させる緻密な構成だけど、どちらかというとロックのような安定したグルーヴがある。だから、両方のジャンルが持つすべてを提供できるような作品になればいい」
神の実在について瞑想し、LITURGYのメタル・サイドにフォーカスした”H.A.Q.Q.”と、世界の創造と人類の堕落をクラシック/オペラの音楽言語で表現した”Origin of the Alimonies”。そして、謎の数字を冠した本作”93696″は、その2枚のアルバムのまさにハイブリッドにも思える現行LITURGYの表裏一体。驚くべきことに、ハードコア・パンクの衝動まで帯電した2枚組の巨編は、LITURGYの集大成でありながら、未来をも見つめています。
「バンドの一体感が欲しかったのよ。だから、今回はよりライブに近い音で録りたいと思ったの。もともとこのバンドのバック・グラウンドがパンクだったということもあるんだけど、アルバム自体がこうしたライブ感で作られることが最近非常に少なくなってきているからね」
そうしてラヴェンナによる”ヘヴィネスの再定義”はここに一つの完成を見ます。”93696″には、おそらくこれまでのLITURGYに欠けていた最後のピース、”人間味”、バンドらしさが溢れています。ただ実験を繰り返すだけでは、ただメタルとクラシックをかけあわせるだけではたどり着けない境地がここにはあります。逆に言えば、だからこそラヴェンナは今回、ハードコア・パンクの衝動を必要とし、デジタルからあのスティーヴ・アルビニの手によるアナログの録音に戻したのかもしれません。
例えば、タイトル・トラック”93696″は、LITURGYのトレードマークである複雑かつプログレッシブなリズムとは対極にあって、ダイナミクスの揺らぎや反復の美学で神聖と恍惚を表現。レオ・ディドコフスキーの叩き出す千変万化で獰猛なグルーヴは、ティア・ヴィンセント・クラークの轟音ベースへと感染し、ラヴェンナのメロディズムと雄弁なハーモニーを奏でます。”ポスト・アポカリプス”を紡ぐLITURGYのサウンドは、あるいはもう、ブラック・メタルというよりもISISやCULT OF LUNAの指標する”ポスト・メタル”に近い音像と言えるのかもしれませんね。そしてその一体感は、さながら人の”和”こそが人類の未来であることを示しているようにも思えます。
とはいえ、もちろんこれはLITURGYの作品です。緻密で細部まで作り込まれたニュアンス豊かな楽曲と、想像力豊かなリリックには驚きが満ち溢れています。弦楽器、聖歌隊、フルート、ホルン、ベルを用いて崇高さの高みへと舞い上がる前衛的グリッチ・メタリック・クラシック”Djennaration”を筆頭に、あらゆる楽器、あらゆるジャンルから心に響く美しさを抽出するラヴェンナの才能は健在。そうして彼女は、探求の先にある未知なるものへの寛容さと未来への希望を、自らの作品で祝福してみせたのです。表裏一体から三位一体への大きな進歩。さて、人類はラヴェンナとLITURGYが想望する”天国”へとたどり着くことはできるのでしょうか?
「これは終末的なアルバムよ。そのほとんどは2020年に構築されたものだから、あの年に起こったことすべてがこの作品に影響を与えている。でもね、最終的には希望があるの。最近の世界を見ているとありえないことかもしれないけど…人類の歴史に対するポジティブな未来への憧れがね」

LITURGY H.A.Q.Q. 弊誌インタビュー

LITURGY ORIGIN OF THE ALIMONIES 弊誌インタビュー

“93696”の解説、4000字完全版は DAYMARE RECORDINGS から発売された日本盤のライナー・ノーツをぜひ!

LITURGY “93696” : 10/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【PERIPHERY : PERIPHERY Ⅴ: DJENT IS NOT A GENRE】


COVER STORY : PERIPHERY “PERIPHERY V: DJENT IS NOT A GENRE”

“They’re All Mad That We Named It That, Because We’re Clearly a Djent Band”

DJENT IS NOT A GENRE

ワシントンDCの “Djent” のパイオニアが7枚目のアルバムの名前を決めようとしたとき、出てきた案はすべて次点でした。結局、タイトルは “Periphery V : Djent Is Not a Genre” に落ち着きます。それは、彼らが自らが作る音楽以外では、まったく何も真剣に考えないバンドである証拠でした。
PERIPHERY の創設者である Misha Mansoor は、Mark Holcomb と Jake Bowen という2人のギタリストと一緒に何も気にしていないことを強調します。
「Djent はジャンルではなく、ライフスタイルなんだ!」Misha は苦笑いと共にタイトルがただのジョークであることを匂わせます。「俺はただ、どこかのデータベースにこう書かれているかもしれないと考えると笑ってしまうんだ。”Periphery V: Djent Is Not a Genre” ジャンル Djent ってね」。そうして幸せそうに笑うのです。「名前なんて人生においては小さなことさ」
「だってそうだろ? KARNIVOOL は昔から大好きなバンドだけど、あれはひどい名前だ!」と、Misha は食人を文字った恐ろしい名前の素晴らしいバンドについて話し続けます。Mark もまけずに笑いを誘うようなパンチラインを交換します。「その最たるものを教えてやろうか?KORN だよ!」
「”Djentはジャンルじゃねぇ!” というタイトルを思いつくのに、アルバム制作期間、つまり3年近くかかったと付け加えておくよ」と Jake も負けずに冗談を飛ばします。「あれは、俺たちが唯一 “うげっ!”てならなかったアイデアなんだ」

それも驚くようなことではありません。PERIPHERY の信奉者であれば、バンドにとってユーモアのセンスは必須条件であることはすでにご存じでしょうから。彼らの前作は “Periphery IV: Hail Stan” というタイトルでしたが、これはタイプミスではありません。それ以前にも、”Ow My Feelings”、”Jetpacks Was Yes”、”Froggin’ Bullfish” という笑いを誘う楽曲を書いているのですから。そして、PERIPHERY がいかに真剣にタイトルを考えていないかというのは、彼らが実際には Djent が今ではジャンルだと考えていることで伝わるのです。
「アルバムを “Djent はジャンルじゃねえ!” と呼ぶ理由は、俺たちが愛情を込めてファンを小馬鹿にするのが好きだからなんだ。愛情を込めて!だよ!」と Mark は主張します。Jake は笑って付け加えます。「俺たちは明らかに Djent バンドだから、みんなそう名付けたことに怒ってるんだ (笑) まあ、Djent については、いろいろな意見があるよね。俺たちの頭の中ではプログレッシブ・メタル・バンドとしてスタートしたのに、そうしたタグに入れられたんだ。俺には、それが奇妙に聞こえたんだよな。そこには、俺が期待していたような美的感覚がなかったというか。でも、何年もかけて、俺はそれを気にしないようになった。グランジを見ればわかるよ。グランジというのは、ジャンル名としては明らかに信じられないほど愚かな名前だと思うけど、それでも、グランジと聞くと、NIRVANA や ALICE IN CHAINS, PEARL JAM, SOUNDGARDEN など、世界的で歴史を変えるようなバンドが思い浮かぶからね」
そもそも、Djent という言葉の誕生に Misha は深く関わっています。
「MESHUGGAH のフォーラムで彼らのサウンドが “Djenty” って形容されてた。だから俺の曲を “Djentyな曲” って紹介してたら、それがジャンルだと思われてしまった。ジョークだったのにね!」

では…実際に “Djent” とは何でしょうか? Wikipedia には “オフビートと複雑なリズムパターンの使用を特徴とするプログレッシブ・メタルのサブジャンル” と書かれていますが、実際にはそれ以上の何かがあります。Djent は2000年代半ばに始まったムーブメントで、MESHUGGAH が使用するポリリズムの多弦低音弦のピッキングに魅了されたギタリストたちが、それを利用したのが始まりです。パーム・ミュートした低音弦が発する音から、このジャンルは “Djent” という擬音で呼ばれるようになり、Misha Mansoor, TesseracTの Acle Kahney, SKYHARBOR の Keshav Dhar などがそのパイオニアとなりました。しかし、それまでのメタルのムーブメントとは異なり、Djent は地理的にも文化的にも固定されておらず、ギター・オタクが世界中の寝室からフォーラムや MySpace, 長じて Bandcamp にリフや楽曲を投稿する良い意味でのカオスが生まれたのです。
Misha は、「ちょうど物事の転換期で、面白い時代だった」と振り返ります。「俺は、”スタジオはもう必要ない” という最初の波に乗った一人なんだ。レコード会社から出る予算は減り、レコードの売り上げはもはや大きな要素ではなく、レコード契約の性質や予算がすべて変わりつつあった。レーベルの若い人たちはみんな “PERIPHERY と契約しろ” って感じだったけど、もう少し年配の、インターネットや MP3 をただの流行と捉えているような上層部の人たちは、俺たちのことをよく理解していなかったんだ。彼らの言葉も、俺たちに出したオファーも、そのことをはっきりと示していたよ。実際、たくさんのオファーがあったけど、どれもひどいものだった。3年くらいは、レコード契約を断ってばかりいたよ」
実際、Misha は大きく変わった今の音楽産業にも前向きです。
「俺は他のメタル・バンドとは考え方が違う。彼らはバンドがお金を産まなくなった事実に対し前向きな変化が勝手に起こる事を期待する。でも俺はメンバーにこのバンドでは稼げないと断言している。そして機材の知識やプロデュース業で収入を確保したんだ。今もしバンドをやっているなら様々な方法で収入を確保しないと生き残れない。でも、正しいアプローチさえすれば、音楽産業には間違いなくまだチャンスはあるよ!」

自らのレーベルも立ち上げました。3DOT Recordings です。
「自分たちのレーベルを作りたいとずっと思っていたんだ。それはいつも冗談みたいなものだった。アルバムを作るたびに、”自分たちのレーベルから出せばいいじゃないか” みたいな感じで。これは俺たち全員の夢がようやく実現したようなもので、実現するとは思ってもみなかったけれど、実現したのだから、これ以上の喜びはない。素晴らしいことさ」
しかし Jake は、決して 3DOT と PERIPHERY で億万長者になりたいわけではないと話します。
「もちろん、何らかの金銭的な補償があることを望んでいるからこそ、これだけの労力を費やしている。でも、現実的に考えて、この仕事で億万長者になることはないだろうとも理解しているよ。俺も音楽試聴には主に Spotify を使っている。これは、今のところ、アーティストにとってタブーな答えだと思うけど。でも、2015年に Spotify を本格的に利用するようになってから、俺の音楽に対する視野が完全に広がったんだ。朝起きると、聴いたことのない曲がたくさん入った新しいプレイリストがあり、それを全部保存している。膨大なプレイリストができあがるからね。そのおかげで、音楽、特にエレクトロニック・ミュージックへの愛情を探求することができたんだ。
同時に俺は、Spotify に登録したアーティストであり、そこから得られる報酬を見なければならないけど、残念で不合理な額だ。問題は、彼らのビジネスモデルがよくわからないことなんだ。もちろん、地球上すべてのアーティストにライセンスを与える権利を支払うには、それなりの費用がかかる。だから、彼らのジレンマはわかるけど、コンテンツにはお金を払うべきだろ? 俺たちはコンテンツ・クリエイターで、彼らは俺たちのコンテンツをライセンスし、サブスクリプションを通じてお金を稼いでいるわけだけど、そのパワーバランスは少しずれているような気がするね。
でも、YouTube がある。Spotify で見つからない曲や、ゲームのサウンドトラックなど、Spotify にはない曲を聴きたいとき、YouTube はとても便利だ。俺は、YouTube にお金を払って、プレミアム…サービスを利用するのが好きなんだ」

PERIPHERY は、2010年にデビュー・アルバムをリリースした Sumerian から、Misha によれと “攻撃的な” レコード契約を結んでもらったおかげで、DIY と寝室を離れることになりました。しかし、皮肉なことに、”Djent Is Not a Genre” は依然として、完全無欠に “Djenty” なアルバムです。オープニングの “Wildfire” は、ドラムロールを合図に、ダウンチューンのチャグにハーモニクスの嘶きが不規則に割り込む、決して穏やかではない、Djent な幕開け。”Atropos”, “Dying Star”, “Zagreus”, Everything Is Fine” も同様に、指板の最も窮屈な場所に夢中になっているようにも思えます。
しかし、PERIPHERY が常に目指している、真のプログレッシブ・ミュージックを示すタッチもここには豊富に存在しています。フロントマンの Spencer Sotelo は、咆哮と歌唱の切り替えで対比の美学を生み出し、両手を広げて “ファック・イット!” と宣言して、シンセウェーブと脈打つ EDM ビートを取り入れます。そうして、”Djent Is Not a Genre” の最後を飾る “Dracul Gras” と “Thanks Nobuo” のデュオロジーでは、プログ、Djent、ポップ、ポストロックのカラフルな饗宴が24分にわたって繰り広げられるのです。
同時に PERIPHERY は自らの栄光の軌跡をもここに織り交ぜています。例えば “Wildfire” は、以前 “The Event” で採用されたメロディを再現したもので、2部構成のロック・オペラ、2015年の “Juggernaut” のインストゥルメンタル・セグエの再来です。
「もともと “Periphery V” は “Juggernaut” の後継作品にしたかったんだけど、それはすぐに廃案になったんだ」 と Mark は明かします。「その後、”関連する部分のいくつかを残すか” という話し合いが行われたんだ”。俺が尊敬するバンド、例えば Devin Townsend のようなミュージシャンは、何の根拠もなく突然18年前に発表した曲に関連させたりする。それって結局、彼の膨大なバック・カタログから感じられる自由さだよね。ミュージシャンとしていつかたどり着きたい、実現不可能な場所のように思えたんだ」

なぜ、”Juggernaut Part 2″ のアイデアは破棄されたのでしょう?
「コンセプト・レコードを作るのは難しいから。レコードの中で有機的に流れるように曲を書くだけでなく、それらを物語に適合させなければならないんだよ。歌詞がすべて一致し、ストーリーを語り、その下に音楽が存在し、そこでも同じようなことをしなければならない。それは長く、拷問のようなプロセスだ」
このコンセプトアルバムを巡る混乱は、”Djent Is Not a Genre” のライティング・プロセスにおける、創造的に息苦しい状況を象徴していたようです。バンド自身によれば、それが彼らをほとんど “壊しかけた” とまで言います。パンデミックが起きたとき、メンバーはリモートで作曲をしようとしましたが、その場でのフィードバックがなく、何も進展しませんでした。Misha が説明します。
「多くのアイデアはあったのだけど、Spencer がそれを気に入ったかどうか、実際に曲としてアレンジできるかどうかを確認する必要があったんだ。それ自体には何の意味もない、曲のセクションばかりがたくさんあったんだよ。パンデミックが核心的な問題であったことは間違いないだろうな。で、結局、重要なのは、批評家やファンの承認ではなく、自分たちの気持ちだとわかった。”Hail Stan” はとても簡単にできたし、あのレコードは俺が本当に誇りに思うものだった。だから、ファンや批評家が “彼らはタッチを失った” と言っても、俺は気にしなかった。自分が誇りに思っていれば無敵になれるんだよ。もし君が何かを信じているなら、もし君が自分の生み出したものを信じているなら、それはきっと君を無敵にしてくれる」
Zoom によるコラボレーションもうまくいかず、その結果、PERIPHERY は孤立した状態で、個々に自分のアルバムを作曲するようになりました。Jake は “The Daily Sun” でエレクトロニカに手を出し、Mark はエクストリーム・メタル・バンド HAUNTED SHORES を復活させ、Misha は伝説的なソロ・プロジェクト Bulb を復活させ、Spencer とドラマーの Matt Halpern はエモプログのチームアップ KING MOTHERSHIP を立ち上げました。しかし、こうした動きも彼らにとっては不利に働きました。曲作りのために、2020年10月にバンドが直接再集結するまでに、PERIPHERY はすでに “燃え尽き症候群” に陥っていたのです。その結果、”Djent Is Not a Genre” は制作に3年近くを要することになります。
Mark は “諸刃の剣だった” と当時を振り返ります。
「このアルバムに長い時間をかけていることは分かっていたし、ファンも不安に思っていた。でも、レコードを作り始めた時を考えると、これが唯一の方法だったと思うんだ。もし、何かの期限に間に合わせるために、急いでレコードを出さなければならなかったら、それは不可能だっただろうね」

そうした停滞を解決したのが、実はビデオ・ゲームでした。ご承知の通り、PERIPHERY はゲーマーのバンドです。ツアー中も、スタジオでも、家でも、ノンストップのガチゲーマー。Mark が解説します。
「2000年代半ばに出会ったとき、PERIPHERY は音楽とファイナル・ファンタジーの2つで結ばれていたんだ。俺は声優(Disco Elysium、Hello Puppets: Midnight Show)に、Misha は作曲(Deus Ex: Mankind Divided、Halo 2 Anniversary)に携わり、ゲームへの親しみはますます強くなっている。そして、ゲームが “Djent Is Not A Genre” の音楽に直接インスピレーションを与えたんだ。いくつかそのタイトルをあげてみよう。
まずは “Hades”。今回のセッションの間、Spencer, Misha, そして俺は、完全にこのゲームに夢中になっていた。仕事の休憩時間には、みんなで Switch に向かって、会話もなくただ黙々とランを繰り返していたくらいでね。この10年で一番好きなゲームのひとつだよ。ゲームプレイのループに酔いしれ、死んだらすぐに、次のランを始めたくなる。”Zagreus” という曲は、このゲームの主人公の名前から取ったもので、最後まで聴いた人なら、この曲の最後の4つのコードが、死んだときに流れるモチーフのなごりであることがわかると思う。死にゲーだから、すぐに脳に焼き付いてしまうんだよな。このゲームはダレン・コルブが全曲を作曲しており、サウンドトラックも素晴らしいんだよ。
次は “Returnal”。Misha が Jake と俺を引き込んだんだけど、どっぷりハマったよ。このゲームもまた、ゲームプレイのループが非常に楽しいローグライク・ゲームで、近年登場したゲームの中で最もフィーリングが良いものの1つだろう。サウンドデザインも素晴らしく、Blue Öyster Cultの “Don’t Fear the Reaper” が繰り返しテーマとしてゲームに使われているのが実に巧い。”Atropos” は、ゲームの舞台となる惑星にちなんで命名されたんだ。
次は、ファイナル・ファンタジー・シリーズ。あまり説明の必要はないだろう。植松伸夫は、このシリーズの主要な作曲家で、俺たちが最も影響を受けた音楽家の一人だからね。初期の PERIPHERY, HAUNTED SHORES, 古い Bulb のデモなど、俺たちの傘下にあるすべての作品に彼の足跡が残っている。最後のトラックは “Thanks Nobuo” というタイトルで、要するに彼への感謝状なんだ。この曲には、FF7のテーマが使われているよ。わかるかな?
そしてもちろん、昨年、俺の人生は Elden Ring に飲み込まれた。あのアート・スタイルがあったからこそ、自分たちの音楽をもっとダークなところに持っていきたいと思ったし、バンドとしてやることすべてが、1/10000でもあのゲームの壮大さを再現できればいいと思っていたんだよな。ラスボス戦になると、メインメニューのテーマがオーケストラで再現されるのも、特にやり込んでいる人なら満足感があったよな。PERIPHERY が過去の作品から様々なテーマやメロディーを引用するのも、その気持ちのほんの一部をリスナーと共有したいからなんだ。
最後は、ブラッドボーン、ダークソウル1~3、デモンズソウル。フロムゲーは俺がこれまでで最も好きな作品群のひとつで、俺が関わるすべての音楽に影響を与えている。HAUNTED SHORES の前作 “Void” では、アルバムアートを “Bloodborne” から切り取ったようなものにしたかったし、音楽もそのゲームと同じくらい敵意を感じるものにすることを目指した。Spencer もこのゲームには深くハマっていて、セッション中、特に作曲の初期は間違いなく2人ともインスパイアされたよ」

実際、”Periphery Ⅱ”の “Muramasa” と “Masamunue” はファイナル・ファンタジーに関連する楽曲でしたし、Misha は “FF7″ のリメイクに真剣に関わりたがっていました。
「植松伸夫は驚異的な才能だよ。彼のメロディーのセンスやテクスチャーの使い方は、俺にとって間違いなく大きな参考になっている。だから一曲でも関わりたいよな…」
苦労したセッションの最終結果は、結局、自分たちの好きなアルバムに落ち着きました。ベタな名前はともかく、”Djent Is Not a Genre” は、バンドが今でも最も折衷的で先鋭的であることを捉えています。そうして、今となってはジャンルのひとつに違いない Djent は、シンセやフック、サックス・ソロにたっぷりのユーモアもあるパイオニアの作品によってやはり牽引されているのです。Spencer はかつてこんな言葉を残しています。
「最高の芸術作品を作りながらユーモアも忘れずいたいね。音楽に個性を反映させないでシリアス一辺倒な奴らは信用できないから。一人の人間でいればいい。どうせ今、メタルで金は稼げないんだから、好きという気持ちだけで音楽を作ろうじゃないか」
ただし、PERIPHERY にとってここは決して全てでもなく、終わりでもありません。
「最終的に、自分たちが満足できなければ、アルバムはリリースしないよ。でも、そうすることで、自分たちが心から誇れるアルバムが完成するんだ。それが、唯一受け入れられる最終目標だった。誇れるアルバムなら、商業的にはどんなものでも手に入れることができるんだ。他の人たちのことは言いたくないけど……俺たちのアルバムを売り尽くしたいんだ。良いと思うなら金をくれ!(笑)」


参考文献:GUITAR.com:“We like to lovingly take the piss out of our fans!” Periphery on why Djent is, actually, a genre

METAL INJECTION:PERIPHERY Names The Video Games They Played While Recording Their New Album

LIVE METAL:INTERVIEW: Jake Bowen of PERIPHERY

COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【ZULU : A NEW TOMORROW】


COVER STORY : ZULU “A NEW TOMORROW”

“We Can’t Be Who We Want To Be”

A NEW TOMORROW

世界は分断されています。左対右、金持ち対貧乏人、私たち対彼ら。ソーシャルメディアやニュースをざっと見ただけでも、私たちの “違い” に関する言説が耳をつんざきます。そして、ヘヴィ・ミュージックのアーティストたちは、何十年もの間、この本質的な怒りと激情を音楽へと注ぎ込み、怒りをぶつけ、反乱を呼びかけてきました。しかし、人生の喜びや、世の中の良いことに焦点を当てたバンドはそれほど多くはありません。
そこでロサンゼルスのパワーヴァイオレンス・クルー、ZULU の登場です。デビューLP “A New Tomorrow” を発表した際、ボーカルの Anaiah Lei は「愛に焦点を当てたポジティブなレコードを作りたい」と語っていました。なぜそれが重要な決断だったのでしょうか。
「愛と希望は人生の主要な部分だから、それについて常に話したいと思っていたんだ。このジャンルでは、もちろん怒りを吐き出すのはクールだし、悩みを打ち明けるのは素晴らしいこと。ヘヴィ・ミュージックは、他の世界から排除され、慰めを求めている人たちが行く場所で、自分が経験したすべての問題を話し、ただそれを吐き出すための場所。歌っていても、ステージに上がっていても、ピットの中にいてもね」
物心ついたときから音楽とバンド活動に携わってきた Anaiah は、自分の発言をよく理解しています。特に ZULU は、2枚の EP とカオティックなライブでハードコア・シーンに衝撃を与え、デビュー・アルバムのプレッシャーと認知度は相当なものでしたから。彼は今度のアルバムについて、時の試練に耐えられるような “大きなステートメント” でありたいと述べています。
「怒りや攻撃性についてだけ語るのであれば、そうすることもできないわけではない。でも人生において、怒りや苦難だけでなく、人々に影響を与えたいとすれば、それは愛から来るものなんだ」

Anaiah は、私生活の変化が自分の考え方に直接影響を与えたといいます。レコード制作の途中で、自分がどうありたいかを自覚するような転換期があり、希望と幸福を見つけることに全力を注ぐことが容易になったというのです。
そして実際、”A New Tomorrow” にはアイデンティティ、連帯感、コミュニティといった概念と同様に、希望という概念が縫い込まれています。コミュニティとは、文字通り家の周辺から、Discordチャンネル、あるいは自分が働く業界など、人にとって様々で大きな意味を持つ存在。そして、そこでは必ずしもあなたが歓迎されるわけではありません。
「コミュニティで最も重要なのは、実際に一緒に何かを行い、お互いを巻き込むこと。ライヴやイベント、コミュニティ内の他のバンドをサポートすること。というのも、この社会では、俺たちはしばしば踏み絵に逆らって歩むことが多いからね。踏めないものを踏んでまで生きたくはない。だからこそ、俺たちのコミュニティは一緒にいて、調和し、団結して生きていくべきなんだ。
そうやって、同じことを考える人たちで、自分たちのシーンを形成したい。基本的には……変化し、良くなってきてはいるけれど、まだまだ先は長いし、それが現実だ。でも、人々がより団結するようになったことは、とてもうれしいことだよ。インターネットでは、簡単に人とつながることができるけど、それは自分のシーンから始まるんだ」

ハードコアへの熱狂的な情熱と、力強さと正義のメッセージにもかかわらず、Anaiah はコミュニティのある一角に受け入れられていると感じたことはなく、必要とされているとさえ思っていません。Soul Glo の Pierce Jordan をフィーチャーした “A New Tomorrow” の代表曲 “Where I’m From” で、彼はZULUのようなバンドに居場所を与えてくれない人々に対して “We can’t be who we want to be” “自分らしくいられねぇ” という言葉を突きつけました。
「あの歌詞が全てを物語っているような気がする。自分たちのシーンでさえ、自分らしくいられないんだ。ジャンルの門番たちにとって、ハードコアやメタルといった彼らが期待する音楽以外のジャンルのファンであろうとすることは奇妙なことで、他の音楽、”自分たちのものでない” 音楽を聴くこと自体が奇妙に感じられる。俺たちは見た目で人から期待されているからな。彼らは、私たちがただ一つの音楽に夢中になっていることを期待している。とんでもない諸刃の剣だよ。だって、外の世界では排除され、抑圧された人々が、逃げ込む場所のように思われているメタルやハードコアのシーンが、その空間の中ではまったく同じことをしているんだから。文字通り、邪魔されることなく、なりたい自分になることができないんだ」
この気の滅入るような皮肉は、Anaiahにとって耐えられないものです。彼は、ヘヴィ・ミュージックやハードコア・パンクに多くの人が惹かれる理由の本質として、多数派や社会に “馴染めない” “馴染みたくない” という考えを共有しています。しかし今、このシーンは “クラブのようになってしまった” と彼は言い、本来の趣旨に事実上反していると主張しているのです。
「だからこそ、ある閉鎖された集団の一部になりたいということではなく、自分のスペースを作り、自分たちのやりたいことをやり、自分たちと同じ波長の人たちと関わりたいと思うようになったんだ。もう、そういう空間には関わろうとしない。”自分たちで作るんだ”」

Anaiah は、貧富の差が激しく、悪名高いギャングの暴力や歴史的な人種間の緊張があるロサンゼルスで生まれ育ちました。幼少期には、ロサンゼルス市内のさまざまな場所に移り住む母親や父親のもとを転々とし、ゆえに “富める者” 以外の残りの半分がどのように暮らしているのかを知ることができたのです。
「郊外に住んでいて、隣人が誰かについて、誰もが異なる “議題 “を持っていた…俺は早い段階で人種差別を理解し始めたんだ。そして、ハードコア・シーンに黒人を歓迎しない雰囲気は今でもある。だから、黒人だけのバンドを作るのは大変だったよ。こういう音楽をやりたがる黒人ミュージシャンはそれほど多くないからね。シーンは主に白人が支配している。そのような場所で演奏するのは、ちょっと気が引けるんだ。だから、シーンに僕みたいなことをやっているミュージシャンが少ないというのはよくわかるよ」
しかし、どこに住んでいても音楽はありました。若い頃、Anaiah はレゲエ、ダブ、ソウルをよく聴いていましたが、やがてイギリスのポストパンクからLAのハードコアまで、よりヘヴィなサウンドに触れるようになります。何がきっかけでハードな音楽に目覚めたのかと聞かれると、「あまりに早い時期だったので思い出せないが、演奏の速さが魅力的に感じた」と笑います。
9歳のとき、Anaiah は兄の Mikaiahと THE BOTS というバンドを結成しました。2人組のガレージ・パンクは早くから注目され、12歳の時には Warped Tour でアメリカ全土を駆け巡るまでになります。10代の頃、友人たちが高校というホルモンに支配された地獄のような場所で過ごしている間、Anaiah はコーチェラやグラストンベリーに出演していたのです。
「あの若さで長い間ツアーをしたことで、音楽業界やツアーについて多くのことを学んだ…今知っていることはすべて、あのバンドで学んだことだ。まあだけど、子供の頃は、ただ成長するための試練や苦難を経験するものだけど、あのような環境で成長することは、期待と成長のバランスをどう取るかわからなかったからまさに異質だったね。どんな子供でも、そんな経験をする必要はないと思う」
Anaiah は、自分の経験をハリウッドの子役と同じように、望むよりも早く成長してしまったと認めています。しかし、そのおかげで、音楽が実際にどのように機能するのかを学び、ZULU に反映させることができたので、後悔はありません。

バンドが解散した後、Anaiah のソロ・プロジェクトとしてスタートした ZULU は、THE BOTS よりもはるかにヘヴィな存在だと言えます。低音のリフ、マシンガンのようなボーカル、パーカッションが飛び交う彼らの楽曲は、短く鋭い衝撃を与えるパワー・ヴァイオレンスで、ほとんどの曲が2分を超えることはありません。
前のバンドと明らかに違うのは、Anaiah がドラムキットの後ろではなく、前に出てマイクを持っていること。
「リズムを刻みながらバックグラウンドに存在し、バンドの他のメンバーをサポートする方がずっと簡単だった。でもね、”フロントにいるとき、自分は何を表現したいのか?” という疑問が浮かんできたんだ。前から見る世界は、自分にはどう見えるのだろう?ワクワクするんだよな。バンドのボーカルになるのは、とてもエキサイティングなことだと思う。それに、文字通り、ただドラムを叩くだけでないバンドをやりたかった。ギターを弾くのは好きなんだけどね。曲作りは今でもドラムからだけど、ますますギターの比率が高まっている。俺はいつもリアルで、自分自身に忠実でありたいと思っている。だから、ステージ上でもそれを伝えたいと思ったんだよ。手放しで音楽を感じなければならないと思った」
ZULU は GULCH や JESUS PIECE と似たような凶暴性を持っていますが、彼らのヘヴィネスというブランドは “全面戦争” というよりも、R&Bやソウル、ジャズの要素を取り入れ、Curtis Mayfield、Nina Simone、John Coltrane といった魂をその闘争に封じています。 たとえば、”Lyfe a Shorty Shun B So Ruff” では、Nina Simone  の”To Be Young, Gifted and Black” をサンプリングしています。この歌は、公民権運動の時代にアフリカ系アメリカ人を勇気づける重要な国歌。さながら今、内面の混乱の時代に自分たちが誰であるかを思い出すように促しているようです。
「彼らは俺たちが現在行っていることをしていた。彼らがいなかったら、俺たちはここにいなかっただろう」
“Music to Driveby” では、Curtis Mayfield  の “We People Who Are Darker Than Blue” が、コミュニティ内暴力についての Anaiah のリリックと皮肉に見事に呼応しています。Curtis の柔らかな軽快さは影の隠喩として機能し、救いは “彼ら” ではなく “私たち” によってのみ決定されるため、コミュニティは対立するのではなく協力しなければならないことを警告していること。” A New Tomorrow” でこうしたのサンプルに注がれた慎重な検討は、Anaiah が過去の世代の自由の闘士を認め、彼らの希望の賛歌を利用していることを示唆しています。
「このバンドはパワー・ヴァイオレンスとしてスタートしたけど、時を経て物事は変わるもの。将来的にはもっと変わるだろう。俺たちができること、俺たちが持っているスキルでできること、知っていることを制限したくはない。ジャンルを変え始めたりするのを見ると、人はいつも少し批判の目で見るけど、実際は誰がどう思うかなんてどうでもいいんだ」

実際、ハードコアやメタルのファン以外にも、ZULU は受け入れられています。
「ZULU のような活動をするのはとてもクールだよ。ハードコアにまったく興味のない人たちが  ZULU に夢中になっているのを見たことがあるからね。認めてくれて、気に入ってくれている。ジャンルが何であれ、クールなものはクールなんだ。俺はそれを疑問にも思わない。異なるタイプのショーや異なるタイプのラインナップで演奏でき、人々がそれをロックしてくれるのはクールなことだよ。24、25 トラックのアルバムを簡単に出すことはできるが、曲の長さが 1 分未満であっても、誰も 24、25 トラックのアルバムなんて聴きたがらない。 それに加えて、いくつかの曲を長くして息を吹き込む余地を与えたいと思っていた。だから最初に始めたとき、重要なのはテンポを少し遅くしたいということだった。 テンポを少し下げて、それほど複雑にならないよう。同時に、レコードを書いているときは、それに合うビジュアルについて考えている。 アルバムジャケットは俺にとってとても重要だから」
TURNSTILE に影響された部分もあります。
「俺たちは普通のハードコア・バンドとは違うことをやろうと思っているんだ。だから、ソウルもあり得るし、R&Bもあり得る。そして限界もある。TURNSTILE はコンテンポラリーなネオソウルや R&B でも少し遊び始めているように感じるけど、これはかなりポジティブな展開だと思うんだ。大好きなバンドのひとつだよ。彼らはドープなものを使って実験している。あのレコードは狂気の沙汰だった。アンタッチャブルだ。たくさんの障壁を打ち破ってくれる」
ブルックリンのアンダーグラウンドなヒップホップからの影響も。
「”Straight from Da Tribe of Tha Moon” だね。90年代にブルックリンで活動していたグループ、BLACK MOON。彼らの曲には “Slave” という曲がある。歌詞の中で、月の部族から来た人のことが出てくるんだ。でも、僕はこの歌詞を、黒人の人たちを指すのに使うことにしたんだ。そんな感じ。ただ、この歌詞を、ちょっとジャジーにアレンジしてみただけだよ。月が出てると暗いから、黒い人のためにあるってね」
“Abolish White Hardcore” 「白人のハードコアを廃止せよ」 と書かれたTシャツで物議を醸したことも。
「ハードコアのショーで白人を追い出すなんてことは言ってない。ただ、そういうショーは、とにかく白人が中心だよね。説明するのは好きではないんだけど、理解できない人たちのために……あまりに明白なことを説明しろというのは、ちょっと嫌な感じだね。とにかく、ハードコアは白人が支配する空間だ。そういうことなんだよ。それを指摘しただけなんだ。俺たちは誰かを排除しようとしているわけではない。ただ、みんなのために道を作りたいんだ。本当にそういうことなんだよ。この空間はみんなのものであるべきだ。白人が中心で、いつもそれを軸にしているという考え方は……もうやめなければならないね。それに文句を言う人がいるとしたら、その人はバカだ。俺は文字通り、そんな文句は気にしない」

ZULU は、Anaiah が彼のソウルフルで野蛮なサウンドを共有する手段であるだけでなく、考えを世界と共有する手段でもあります。この実に扇情的なデビュー・アルバムを通して、彼は自分のプラットフォームの上で、団結、銃の暴力、ブラックカルチャーの流用について語っています。しかし、アルバムのタイトルから、力強い詩の朗読 “Créme de Cassis” の歌詞に至るまで、物語の基盤は楽観主義であり、より良い未来、より良い世界への努力を歌っているのです。
インストゥルメンタルを中心とした2曲の後幕を開ける “Our Day Is Now” は、Anaiah が初日から音楽に込めたかった “一体感” と “力強さ” のアイデアを胸いっぱいに吸い込んでいます。
「この曲は、人々が人間に望んでいることの2つの側面について話している。人々は俺たちが分断することを望み、俺たちが怒ることを望んでいるんだ。つまり、時に人々は、俺たちが調和して生きることを望んでいないように感じることがあるんだよ。変な話だけど。でも、ちょっと待って。俺たちには、人々が見逃している別の側面がある。俺たちが発するたくさんの愛、たくさんの創造性、そしてたくさんの喜びがある。曲の中で言っているように、そうした人々は自分が見たいものしか見ていない。でも、俺たちにはそれ以上のものがある」
“A New Tomorrow” の核となるのは愛と希望ですが、これを弱さと混同してはいけません。なぜなら、Anaiah ほど決意に満ち、知的で、自分が何者であるか、何を目指しているかに自信を持った人はいないでしょうから。そしてこのアルバムは、彼のコミュニティのためだけでなく、外部の人々が彼らの経験を聞き、理解するために作られたのです。
“Music To Driveby” は、人々を分断させようとする銃やギャングの暴力だけでなく、分断を拡大させる社会のシステム的問題についてもコメントしています。
「ギャングの世界に生まれた人たちにとって、それが彼らの当たり前であり、それが彼らのすべてであり、それが彼らが日々直面しなければならない現実なんだ。だから、俺はそのことにほんの少し光を当て、誰にでも起こり得るいかに現実的なことかを伝えているんだよ。そして、それは銃による暴力や殺人だけでなく、精神的な分断も同様。洗脳や、白人至上主義が俺たちを分断させるという影響もある。それも、ドライブバイ (シューティング。車から射撃をする凶悪な犯罪) がそうであるように、どこからともなくやってくる」

そうして、Anaiah の人生に最も強く浸透しているのは、彼のスピリチュアルな部分かもしれません。彼はラスタファリアンとして育ちました。ZULU のグッズやアルバムの付録を見ると、アフロカリビアンやラスタファリアン文化の影響を強く受けており、歌詞の中にはジャマイカのパトワが散りばめられているのがわかります。彼は現在イスラム教徒ですが、彼らの音楽にはラスタの精神性が “根付いている” と言い、特にエンディングの “Who Jah Bless No One Curse”(タイトルは Bob Marley の曲から)はその典型的な例だと言います。
「ラスタで育ち、イスラム教徒であることは、俺の中において文化的にはさほど遠いものではなく、すべてがこのバンドが持つスピリチュアルな側面と結びついている。バンドの始まり、最初のレコードで、君はそれを聞くことができたし、すべての歴史を通して、そこには神の存在があるんだよ」
ただし、Anaiah は ZULU が宗教的なバンドでないことを熱心に指摘します。
「それは全く重要なことではなく、俺の人生の側面をそこに散りばめているだけなんだ。俺は、特にイスラム教徒として、他人が信じるか信じないかで誰かを非難するのは間違っていると考えている。誰もが自分の意思を持つ人間であり、自分自身の人生を歩む権利があるのだから。俺にできることは、イスラム教について話すことだけ。自分の現実について話すことだけで、それがこのアルバムでやっていることだ。音楽と俺の人生に影響を与えるものすべてを含めてね」
彼らはシーンをオープンにし、特定の人たちだけでなく、音楽を愛するすべての人のための空間にすることを目指しています。そして、世界は変わりつつあります。
「変化がある、変化があった、もっと変化がある。俺たちはずっとこうしてきたし、人々はずっと立ち上がり続けてきたし、これからもそうしていくだろう。俺は変化が起こること、起こり続けることを人々に知ってほしい。そして、準備をしてほしいんだ」

参考文献:KERRANG!ZULU: “People expect us to be angry, but there’s a lot of joy that we emit”

NPR:Zulu’s soul-sampling powerviolence shifts the pit toward love

NEW NOISE MAG:INTERVIEW: L.A. POWERVIOLENCE BAND ZULU

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【OUT OF NOWHERE : DEJA VU】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH AMIN YAHYAZADEH OF OUT OF NOWHERE !!

“Iran Is Very Suppressive And Many Things That Are Normal Anywhere Else In The World Is Forbidden Here. This Includes Most Of Music Genres And The “Most Illegal” Of Them All Is Metal.”

DISC REVIEW “DEJA VU”

「残念ながらイランの政府は非常に抑圧的で、他の国では普通のことでも、ここでは禁じられていることがたくさんあるんだ。音楽もほとんどそうで、その中でも “最も違法” なのがメタルなんだ。刑務所に入れられた友人もいたし、その他にもいろいろなことがあってね…。音楽は僕たちを生かしてくれた唯一のもので、決してやめられない。だから、国を出たんだ」
イランからトルコへ。OUT OF NOWHERE という名前を体現する根無草のメタル集団は、母国の厳しい道徳的ルールと対峙しながら10年以上かけて自分たちのサウンドを磨き上げ、常に脅かされながら演奏し、危険と隣り合わせの夢を追い求めてきました。2021年、バンドは自分たちの創造的な可能性をさらに追求し、音楽を作ることで逮捕される心配のない活動をするためにトルコに移住します。そこで起こったあの大地震。彼らの情熱は今、革命の始まりのように純粋なイランの人々、そして大災害にも負けないトルコの人と共にあります。メタルの回復力、反発力と共に…
「僕たちはこのビデオをイランの女性たちに捧げた。基本的な自由のために戦い、政府によって殺されようとしている人たちに。彼女たちは僕たちの姉妹だから。イランの若い世代は、僕たちに大きく勇敢である方法を教えてくれた。彼らは、自分たちの若さと未来が台無しになることを望んでいない。僕たちイラン人は暴力的な人間ではないよ。どこの国の人でも自由を持つ権利があるけど、僕たちは基本的な自由さえ持っていなかった。言論の自由もない。政権の弾圧のために、僕たちの夢のほとんどは6フィートの深さに埋もれてしまった。でも、イランで兄弟姉妹が毎日殺されているのに、黙っているわけにはいかないじゃないか」
“Wrong Generation” は、抗議活動を悩ませた当局の暴力や、イラン人女性から基本的な自由を奪い続ける抑圧的な支配を非難するプロテスト・ソングで、協調のアンセム。彼らの情熱的な抗議の形であり、もううんざりだと判断した女性や若者の怒りを代弁しています。
昨年、22歳のイラン系クルド人ジナ・マフサ・アミニは、イランのガイダンス・パトロール(この地域の迫害警察をより洗練した言葉で表現したもの)に拘束されました。彼女の罪は、政府の基準に従って伝統的なヒジャブを着用していなかったことです。アミニは逮捕後まもなく、テヘランの病院で不審な死を遂げます。この事件をきっかけに、テヘランの女性や若者たちは伝統的な圧制に終止符を打つために街頭に繰り出しました。
デモに参加したことで約18,055人が拘束され、その結果、437人が死亡したと伝えられています。イランのサッカー代表チームも自国の女性たちとの連帯を示し、ワールドカップ初戦のイングランド戦に向けて、世界中の観客が見守る中で自国の国歌を歌うことを拒否しました。そうして、自由への連帯は “最も違法“ で悪魔の音楽とみなされていたヘヴィ・メタルにも広がっていきました。OUT OF NOWHERE はそうして、自由への障害となる壁を、地理的にも、社会的にも、音楽的にも壊していくことを望んでいるのです。
「サントゥールはイランでとても人気のある楽器で、さまざまなジャンルで広く使われているんだけど、エレキギターやメタル・ミュージックのサウンドと組み合わせることは、これまでになかったこと。僕たちは、それを最高の形で実現し、イランの伝統的な楽器のひとつを世界に紹介することに挑戦したんだ」
抑圧的な社会や法律から逃れるためにイランからトルコに移住した OUT OF NOWHERE は、国を超えた境界線だけでなく、音楽における固定観念も打ち破りました。”Deja Vu” の最初の1分間で、彼らの創造的な遺伝子に ARCHITECTS のダイナミズムと POLYPHIA の野心が眠ることをリスナーはすぐに察知するでしょう。同時に彼らは、飽和し、変身の時を迎えたモダン・メタルコアというサブジャンルに対して、その解決策の一つを提示して見せました。自らのアイデンティティであるサントゥールの使用です。あまりにもドラマティックで劇的なルーツの提示は、自分たちが何者で、どこから来たのか、どこへ進むべきなのかを瞬時に知らしめる音の魔法。そうして彼らは、音楽においても、社会においても、適切な変化と自由の重要性を世界へと訴えかけます。
今回弊誌では、フロントマン Amin Yahyazadeh にインタビューを行うことができました。「これまで僕たちは、常に逆風の中生きて来た。でもね、すべてが自分にとって不利でどうしようもないときでも、僕たちはヘッドホンをつければ別世界に行くことができたから。悲しいときやストレスがあるときだけでなく、楽しいときでも、音楽はいつも君のそばにいて、元気にしてくれる。だからこそ、僕たちは音楽を作ることができることに本当に感謝しているんだよ」どうぞ!!

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【DUSK : SPECTRUMS】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH MESHARI SANGORA OF DUSK !!

“Saudi Arabia Is Not Known As Being a Place Where Metal Music Is a Thing, But Music Knows No Boundaries.”

DISC REVIEW “SPECTRUMS”

「たしかにサウジアラビアはメタル・ミュージックが盛んな国としては知られていないけど、音楽には国境がないんだよ。音楽が大好きな僕は、大学進学を機にUAEに移り住み、リスナーとしてだけでなく、音楽に携わりたいと思うようになった。それでまず、DJ としてスタートして、それ以来音楽に対する情熱を燃やし続けている」
プログレッシブ・メタルコアのパンデミックは、北米、南米、ヨーロッパ、そしてもちろんここ日本やアジアの国々にも感染し拡大を続けていますが、さすがにサウジアラビアにまで到達し、これほどの逸材が登場するとは想像もつきませんでした。サウジアラビアの一人プログコア DUSK の首謀者 Meshari Sangora の音楽に対する情熱の焔は、実にユニークかつカラフルなデビュー作 “Spectrums” で国境や困難を燃やし尽くすのです。
「僕の生活は、ヘヴィ・ミュージックとメタルが100%なんだ。そうした音楽は、僕にとってのライフスタイルであり、メタル・ミュージックは、ジャンルとして、あるいは生き方として、僕にとって完璧なものであるといつも感じているんだよ。たしかにサウジアラビアでも本当に長い間、メタルやヘヴィ・ミュージックはタブー視されてきたし、過激なバンドや悪魔的なメタルに傾倒する人もいて、イメージは全く良くなかったんだ。でも人々はゆっくりと、しかし確実にヘヴィ・ミュージックに心を開き、メタルの物語の両面を学んでいるところだよ」
これまでインタビューを行ってきたイスラム教国家のバンドたちは、多かれ少なかれ、何かに不自由を感じていて、時には激しく弾圧を受け国外へと脱出した人たちさえ存在しました。もちろん、文化や伝統を重んじることは重要ですが、それによって生じた歪みで自由や権利が制限され、精神的、肉体的な抑圧や不利益を産むとしたら、きっと変化も必要です。”悪魔の音楽” は少なくともサウジアラビアでは、Meshari のような100%メタル人間の情熱によって、徐々に受け入れられて来ているのかも知れませんね。
実際、CREATIVE WASTED によるサウジ初のメタルライブが行われたところです。バンドのベーシストはこう語っていました。
「当時(2000年)のサウジには、どんな種類の音楽シーンもなかった。本当に何もなかった。アンダーグラウンドの民族音楽ならまだしも、それも家の中で友達に聞かせる程度。基本的に、そういうものだけ。ここには、どんな音楽シーンもなかったんだ。何もない。サウジアラビアのアーティストのほとんどは、レバノンなど、王国の外でレコーディングをしていたよ」
Meshari 息子とも言える “Spectrums” の誕生は、まさに変化の象徴でしょう。
「このアルバムは、メタルヘッズとそうでない人の両方にとっての、入り口になるような作品にしたかった。”Spectrums” は音楽が好きな人なら誰でも興味を持つことができると思うんだ。様々に異なるジャンルをミックスしているからね。このアルバムで僕がやろうとしていることは、すべての人に自分の感情や旅を体験してもらうこと。裏切りや処刑、愛、憎しみ、希望といった現実問題を扱ったテーマもある」
Meshari は、この新作をSide AとSide Bとに分けて制作しました。アルバムの前半、Side A は攻撃的なサウンドで、よりギターに重点を置き、前に進むにつれてさらなる敵意が蓄積されていくような作風。一方、後半 Side B では EDM 的なサウンドを多く取り入れ、DJ として養った現代的なデジタル•サウンドとイヤー・キャンディでメタル以外のリスナーにも広く訴えかけていきます。
「母国語を加えるというアイデアは、ユニークなタッチを加えることができると思ったし、アラビア語は僕のルーツとのつながりを保つ方法でもあるね。だから “Agnes Of Rome” という曲にはアラビア語が使われている」
“Spectrums” というタイトルは伊達ではありません。あの元 SWALLOW THE SUN の偉大な Jaani Peuhu、SOLEMON VISION の Aron Harris をはじめ、英語、ドイツ語、フィンランド語、アラビア語という異なる言語、異なるスタイルを持つボーカリストを集めたアルバムは実に多様で色鮮やか。さらに、EDM、ジャズ、ポップ、インダストリアル、アンビエントの音像が、モダン・プログコアという情熱の炉で溶かされ、再結晶した音楽は独創的でキラキラと耳に残ります。もちろん、オリエンタルな音の葉も存在しますが、それを押し売りのように無理強いしないところも見事。DUSK が蒔いた情熱の種は、この地で芽吹くのでしょうか。
今回弊誌では、Meshasi Sangora にインタビューを行うことができました。「POLYPHIA を聴いてメタルを再発見し、その場で再度メタルに転向したんだ。だから、ギターを弾く人たちに追いつくために、基本的なことをたくさん学ぶ必要があると思ったし、少なくともそうやって自分にハッパをかけて、毎日毎日練習していったんだ」どうぞ!!

DUSK “SPECTRUMS” : 9.9/10

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