EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH ALAIN IBRAHIM OF TURBULENCE !!
“I Wouldn’t Say That The Lebanese Background Is Reflected Directly In Our Music. Because You Know, Rock And Metal Is Rebel Music, And Growing Up, Listening To Western Music Was Our Escape.”
DISC REVIEW “FRONTAL”
「特に “Metropolis Pt.2” が、バンドメンバー全員に与えた影響は否定できないね。このアルバムを聴いた時はまだティーンエイジャーだったんだけど、それがただプログへの愛を増幅させたんだ。あの名作を初めて聴いた時に感じた気持ちを誰かに感じてもらえれば、それはとても嬉しいことだと思うよ。」
DREAM THEATER の後継者と呼ばれるバンドは十指で足らぬほどに登場し、おそらく大半はその大役を果たせずにいます。とはいえ、プログメタルの感染力が増幅し、世界中で逞しく花開いた21世紀の状況に悲観することはないでしょう。これまでプログやメタルの第三世界と思われていた場所にも、魅惑の新緑が咲き乱れているのですから。現在プログメタルが燃え盛る灼熱の中東、レバノンから現れた TURBULENCE は、ジャンルの地図にどんな足跡を記すのでしょうか?
「レバノン人としてのバックグラウンドが直接、僕らの音楽に反映されているとは言わないけどね。みんなも知っているように、ロックやメタルは反抗的な音楽で、洋楽を聴いて育ってきた僕たちにとって、メタルはある意味そうした母国の文化からの逃げ場になっていたんだからね。」
中東や北アフリカといえば、ORPHANED LAND や MYRATH のオリエンタルでエキゾチックなプログメタルを想像するリスナーも多いでしょう。しかし、TURBULENCE の本質はそこにはありません。例えば、日本でも邦楽と距離を置き洋楽にアイデンティティーを求める音楽ファンが少なからず存在するように、TURBULENCE にとって母国の文化に反抗し自らの個性を確立する手段が西欧のメタルだったのでしょう。
「特に西洋の人たちにとっては中東の音楽はエキゾチックで魅力的なんだよね。純粋に商業的な観点から考えれば、僕たちも間違いなくそちらに惹かれると思うんだよ。でも、今は自分たちの音楽のコンセプトやストーリーを第一に考えて、それを提供したいんだ。」
そうして、DREAM THEATER のカバーバンドからはじまった TURBULENCE は、ただ真っ直ぐに己が信じる純粋無垢なプログメタル道を突き進むことになりました。TURBULANCE とはきっと “Six Degrees of Inner Turbulence” から受け継いだ勲章。2作目となった “Frontal” には、DREAM THEATER をはじめとするプログメタルの偉人にだけ許された “コンセプトアルバム” の誇りと血潮、そしてスケール感が宿っています。
「”Frontal” “前頭葉” は、建設作業員のフィニアス・ゲイジの実話に基づいているんだ。彼は、鉄の棒が頭を完全に貫通し、左 “前頭葉” の大部分が破壊され、永遠に肉体的にも精神的にも変化を残した事故を生き延びた。僕たちは、日常の生活が不測の事態に対していかに脆いのか、そこに焦点を当てたんだ。」
QUEENSRYCHE がいかにも気に入りそうな、人間の強さと弱さを同時に描いたアルバムにはプログメタルの現在、過去、未来すべてが収められています。ほとんどの曲が7分から10分程度、時間をかけたイントロダクション、意味深な歌詞、奇妙なリズムやアイデア、競い合う楽器のダンスにテクニカルな大円団。たしかに、TURBULENCE はプログメタルの家系図にしっくりとハマるパズルのピースです。
「僕たちのサウンドをユニークにしているのは、伝統的なストーリーテリングと現代的なモダンプログのリズムやサウンドを融合させて、限界を押し広げようとしている部分だと思うんだ。」
ただし、その場所にとどまらない第三世界の生命力と包容力は実に偉大で、時折見せるテクノ・ビートやテクニカルなチャグ、djentyなリフリズム、そしてクライマックスで漂う異国の風、オリエンタルメロディーは明らかにジャンルの未来を見据えています。
「それでも、僕らの音楽には、東洋的でオリエンタルな背景から生まれたいくつかの特徴が確実に反映されていると思うな。」
現代的なアトモスフィアを蓄えながら内省と高揚を行き来し、音数で楽曲を破壊する暴挙を許さぬ感情の深み。Ray Alder や Einar Solberg を想起させる Omar El Hajj のソウルフルな歌唱も独自性の構築に一役買っていますし、何よりあの Kevin Moore に薫陶を受けた Mood Yassin の温もりに満ちた鍵盤が絶妙。”Crowbar Case” や “A Place I Go To Hide” の表現力、ダイナミズムはまさに現代の “Awake” でしょう。
そして今回弊誌では、中東の Petrucci こと Alain Ibrahim にインタビューを行うことができました。実に流暢で、ジャジーなフレーズが巧みなギターヒーロー。
「”In The Name of God” はとてもパワフルで時代を超越した楽曲で、個人的には DREAM THEATER 屈指の名曲だと思っているんだ。」P-Vineから3/12にリリースされる日本盤には、DREAM THEATER の大曲カバーがボーナストラックとして収録。どうぞ!!
“Dir en grey Is One Of My Main Influences, And Also One Of My Favourite Bands Ever. They Are Really Original And Creative, But Sadly That Kind Of Japanese Bands Don’t Get Much Attention In The West.”
DISC REVIEW “妖怪”
「アルゼンチンでは、僕の世代の多くの子供たちが日本文化に触れて育っているんだ。90年代はアルゼンチンにグローバリゼーションと新自由主義をもたらした。ケーブルテレビではたくさんのアニメが放送され、いくつかの出版社が多くの漫画の権利を取得し国内で商業化を始めたんだ。90年代後半には、スペイン語でアニメを紹介する雑誌まで出版され、アニメやコスプレの大会も開催されるようになってね。」
まさに地球の裏側、アルゼンチンでこれほどまでに日本文化が花開いているなどと誰が想像したでしょうか。IER の首謀者 Ignacio Elías Rosner は、音楽で日本の怪談を紡ぎその流れを牽引する越境の使者に違いありません。
「怪談に関しては、表現しているテーマの多さに魅了されているんだ。日本人は超自然や死後の世界に対する理解が非常に異なっている。西洋の信仰とのコントラストはとても強く、僕たちを魅了し、同時に怖がらせてくれるんだ。個人的には、それらの民話や伝説、伝統が、僕が好きだったアニメや映画の至る所にあったからこそ、自分の子供時代の一部を代表していると言えるんだ。」
ケーブルテレビで目にしたドラゴンボールや聖闘士星矢、エヴァンゲリヲン。プレイステーションでリリースされるサイレント・ヒルやファイナル・ファンタジーの魅力的ソフトの数々。Ignacio はアルゼンチンに放たれたジャパニーズ・サブカルチャーの虜となり、その場所から日本の音楽や伝統文化、哲学へと歩みを進めていきました。
「怪談の復讐、抑圧、永遠の不幸、孤独、憂鬱、怒り、喪失感、失恋などのテーマは、僕が IER で取り組みたいと思っていたものと同じだった。日本文化に立ち返って、同時に比喩で表現する方法を与えてくれたんだよね。登場人物、状況、行為を通して、僕は多くの感情を外に出すことができ、同時に奇妙で不穏な雰囲気を作り出すことに成功したのさ。」
すべてを Ignacio 一人で収録する IER の J-Horror 四部作は完結へと向かっています。”怪談”、”うずまき”、そして95分の狂気 “妖怪” は壮大なコンセプトの第三幕。アルバムや楽曲タイトルを、漢字を含む日本語で表記する時点で Ignacio の本気と知性が伝わりますが、それ以上に伊藤潤二や日本のホラー映画、怪談を読み込み、分析して音に再現するその異能はある意味常軌を逸しています。
「Dir en grey は大きな影響を受けたバンドの一つで、これまでで一番好きなバンドの一つでもある。彼らは本当に独創的で創造的なんだけど、悲しいかな、この手の日本のバンドは欧米ではあまり注目されていないんだよね。例えば、アルゼンチンではほとんどの人が Dir en grey のことを「アニメ音楽」だと言うだろうから。」
西洋で生まれた恐怖と憂鬱の最高峰、ブラックメタルをプログレッシブに奏でながら、日本の音の葉を織り込む手法こそ Ignacio の語り口。原点である凶暴なカオスは、V系の美学、Dir en grey や Sukekiyo の複雑怪奇、邦画やゲームのサンプリング、伝統芸能のしきたりをカウンターとして絶妙なコントラスト、恐怖のジェットコースターを描き出します。
その情緒に、アルゼンチン由来のラテンやアコースティック、フォーク、スペイン語を重ねた唯一無二は、間違いなく西欧の例えば CANNIBAL CORPSE 的ショックホラーや猟奇よりも、不穏で不気味で奇怪に感じられるはずです。中でも、日本語で皿の数を怒号する “皿屋敷” の恐ろしさは白眉。
今回弊誌では、アルゼンチンのメタル法師 Ignacio にインタビューを行うことができました。「”うずまき” の映画化の監督であるヒグチンスキーは、僕が映画からのサンプルを含む “うずまき” アルバムをリリースした後に連絡してきてね。最初は彼が怒るのかと思ったけど…。それどころか、全然違うんだよ。彼は感激してくれて、法的な問題を避けるために、映画の権利を持っていた映画会社に連絡するのを手伝ってくれたんだ。ありがたいことに、僕は著作権侵害をしていなかったし、ヒグチンスキーは自分のSNSでアルバムをシェアしてくれたんだよ!」 どうぞ!!
“Now It’s The Only Way I Play Music. I Feel Naked When I Only Have Just One Of The Guitar Or The Keyboard On Me. It’s How I Think And How I Express Myself The Best Musically.”
DISC REVIEW “PSYCHOSOMATIC”
「ギターとキーボード、どちらか片方だけを持っていると半裸になったような気分になるんだ。それが僕の考え方で、音楽的に最高の自分を表現する方法なんだよね。」
ダブルネックの16弦ギター、モンゴルのホーミーと伝統楽器、アステカの笛に骨のマイク。弊誌ではこれまで、奇想天外なアイデアとメタルの融合をいくつも報じてきました。
どんな突飛な発想とも真摯に向き合うメタルの包容力は、そこから驚くほどドラマティックで獰猛なキメラを多数輩出してきたのです。馬鹿らしさを馬鹿らしさだけで終わらせないメタルの神秘。それでも、ギターとキーボードを同時に演奏という曲芸じみた異能に挑戦する戦士は Gabriel Guardian がはじめてでしょう。
「この2つの楽器を組み合わせることで多くのことが実現できる。音楽的に多くの表現ができるし、そこに無限の可能性を秘めていることも気に入っているよ。」
実際、Gabriel は例えば Alexi Laiho と Janne Wirman の役割を一人で同時にこなすことを究極の目標としている節があります。そのためには、もちろん、基本的にはギターをピッキングなし左手のタップだけでプレイする必要がありますし、鍵盤は右手だけ。ただし、その欠点を補ってあまりある視覚的なインパクト、そしてユニゾンやコード、リズミックなアイデアの広がりがあることは明らかでしょう。他人と意思疎通することなく、自由自在に掛け合いができるのですから。
「僕は昔からメタルにおけるクラシック音楽が好きだったんだ。若い頃はクラシックを聴いていたけど、それからは正直あまり聴いていなかった。だからクラシックの影響というよりも、自分の曲にクラシックの影響を取り入れているメタルバンドから多くの影響を受けたんだ。」
“Read Between The Line” を聴けば、Gabriel の “ギターボード” という発想がメタルとクラッシックのさらなる融合に一役買っていることに気づくはずです。彼はクラシカルなメロディーをその異能で立体的に配置し、構成する技能に優れていますがクラッシックの教育は受けていません。しかしだからこそ、難解複雑な理論よりも、メタル者が欲する “クラシカル” の海へと音楽を没入させることが可能なのでしょう。
「僕たちの曲はパワーメタルで、クラシカルなシュレッドギター/キーを使っているけど、ドラマーとベーシストのリズムセクションはモダンでテクニカルなメタルに傾倒している。この融合が素晴らしくて、このジャンルの名前を思いついた人をまだ見たことがない。」
シンガロングの麻薬 “Phobia” は象徴的ですが、リズムセクションが牽引する djenty なリフワークとパワーメタルの婚姻も想像以上に鮮烈な化学反応をもたらします。フラスコには、メキシコ、ブラジル、カナダ、テキサスの多様な背景、文化がしたたり、メタル革命を指標する “スーパーメタル” が誕生しました。間違いなく、OUTWORLD や HEAVEN’S GUARDIAN で知られる Carlos Zema の強靭な歌声は革命のハイパーウェポンでしょう。
「今回のパンデミックで世界中の人々が受けた心身への影響を目の当たりにして、このアルバムのテーマが思い浮かんだ。その結果、ソリッドでヘヴィで革新的なアルバムになった。今、世界で起きていることと密接に関連している。」
“Psychosomatic”、心身症と名付けられたアルバムは、その名の通りパンデミックが引き起こしたロックダウンや自己隔離といったストレスにより、心や身体に異常をきたす非日常の2020年代をビッグテーマとしています。一時は “Candlelight” 蝋燭の灯で悲しみに沈んだアルバムは、それでも “New Day Rising” の希望に満ちたプログレッシブなパワーメタルで新たな日々の到来を焦がれるのです。
今回弊誌では、Gabriel Guardian, Carlos Zema にインタビューを行うことが出来ました。「欠点は、2つの楽器を常に練習しなければならないこと。2つの楽器を使いこなすために、他のミュージシャンの2倍の練習をしなければならないんだ。2つの楽器をセットアップして、ケアをしなければならないのもめんどうだよね。」 不死の守護者によるメタル革命のはじまり。どうぞ!!
“Wardruna’s Music Is a Way Of Connecting To Those Energies In The Absence Of Nature. It Becomes a Bridge. It Becomes a Way Of Getting In Touch With These Things I Think a Lot Of People In Modern Society Are Feeling a Loss Of, Or a Longing For. Some Form Of Connection To Our Surroundings.”
THE RISE OF NORDIC FOLK
古き良き道を守り続けてきたノルウェーの WARDRUNA は、遠い過去や文化の大仰で滑稽な遺物だと思われるかもしれません。しかし、彼らの音楽が、実際は今日の自分たちを理解する鍵となるのかもしれません。実際、スカンジナビアに行けば、北欧のフォークミュージックが鉄器時代のヨーロッパの公海にバイキングが最後に乗り込んで以来、最大のブームを記録しているのですから。
WARDRUNA は明らかにそのムーブメントの先頭に立っています。彼らのリリシズムの根底には神話や伝説があり、その壮大で瞑想的なサウンドは “Game of Thrones” の中でも特に暴風のエピソードにおいて違和感を感じることはないはずです。彼らのニッチな部分は、毛むくじゃらなジェイソン・モモアと、あごを掻きむしるメタルヘッドの間へ進入しているのです。
WARDRUNA という名前は「ルーンの守護者」と訳され、ニッケルハルパ、ヤギの角、骨笛、西暦500年のドイツ製竪琴のレプリカを使って音楽を奏でます。フロントマンの Einar Selvik は、長い格子状の顎ひげを生やし、ヴァイキング時代のシャープな髪型を整え、凍てつくようなフィヨルドの風景の中で、裸足で自然への頌歌を厳粛に歌い上げるのです。驚くべきことに、”Lyfjaberg (Healing-mountain)” のビデオは1000万回の再生回数を突破しています。
Einar は自らの音楽について「シリアスである必要はないし、深遠である必要もない」と語ります。明るい目をしていて、カリスマ性があり、誠実な人物。シニカルな時代においても、彼の魔法に影響される余地は十分にあるでしょう。彼は、時代や世界を超えて語りかけるような音色、モード、ドラムパターンを採用しています。
「ある意味では、原始の音は俺たちのDNAの中にあると思うし、世界的なものだ。だからどこの国の人であっても、つながることができると思う」
セカンドアルバム “Yggdrasil” がリリースされたあと、WARDRUNA の音楽はヒストリーチャンネルのテレビ番組 “Vikings” で大きく取り上げられ話題となりました。この番組のプロデューサーは最終的に Einar に直接連絡を取り、”Vikings” の シーズン2のサウンドトラックで作曲家の Trevor Morris (The Borgias) とのコラボレーションを依頼したのです。
「音楽業界で成功するには、まず良い音楽を作ること、そして次に聞かれることが重要なんだ。」
少なくとも、WARDRUNA はプログレッシブな音楽を作っています。過去を描き、現在を表現し、未来の予想図を提示する。博物館のケースから古い楽器を取り出しながら。実際、太古の楽器が奏でる刺激的な音に耳を傾けると、多くの海を越える大航海のイメージが浮かんできます。”Assassin’s Creed” のメーカーも確かにそう考えたようで、人気ビデオゲームの最新作 “Valhalla” の音楽に Einar を抜擢しています。新進気鋭の AURORA との共演も実現。
明らかにステレオタイプなポップスターというよりも、頑固な学者タイプである Einar は、北欧の民俗学を掘り下げ、雄鹿、烏、狼への頌歌や、癒しの “薬の歌” と呼んでいる音楽を披露します。新しい歌を研究する際には考古学者、歴史家、言語学者に依頼し、オックスフォードからデンバーまで大学で自らの仕事について講義まで行ってきました。
「自然との関係、お互いとの関係、そして自分自身よりも大きな何かとの関係において、古い文化を利用すること。それが昔話や昔の音を掘り起こす理由だよ。俺は、過去から学ぶ価値があると感じるものに声を与えているだけだからな」
ではなぜ、Einar は古代北欧の神話に惹かれたのでしょうか?
「子供の頃に古代北欧の物語や歴史に心を奪われたんだ。白と黒、善と悪といった一神教的な世界観とはとても違っていたから。それははるかに複雑なものだったよ。10代の頃には、古い伝統の秘教的でスピリチュアルな側面への興味がさらに深まりまったね。でも、それらを音楽的に解釈してくれる人はいなかった。だから俺はそれを試してみたいと思ったんだ。個人的にもっと意味のあることをしたいと思っていたんだよ。古い詩をただ暗唱するだけではなく、その知識を統合することが重要なんだ。」
Einar にとってルーンはどういう意味を持つのでしょうか?
「”ルーン “という言葉には様々な意味がある。書かれた文字の表音系だけじゃなく、秘密、知識、技術、秘教的な知恵、魔法の歌を意味することもある。フィンランドの民間療法の伝統では、魔法の歌は常にルーンと呼ばれているんだ。ルーンの秘密を知ることは、人が持つことのできる最高の知識と考えられていた。だからこそ、俺はとても尊敬の念を持ってアプローチしているんだよ。
ノルウェー語、アイスランド語、アングロサクソン語の3つの異なるルーンの詩がある。それらはことわざやなぞなぞのようなもので、教育するために作られているんだ。その詩を音楽的に表現するにあたって、俺の創造的なコンセプトは、独自の前提で解釈することだったんだ。
つまり、白樺の木を象徴するBのルーンであれば、森に出て白樺の木で遊ぶ。水をテーマにしているのであれば、川の真ん中に立ってボーカルを全部やりながら、水の音を使う。そういった場所を捉えて、それを音楽に反映させていくことだね。」
Einar は自らを「マルチ・ディシプリナリアン」と表現しています。ワークショップで教えたり、レクチャーを行ったり。そして、歴史的に言えば、「確固たる地に立つ」ように努力しています。創造する際、彼は根のない木に登ることに抵抗があるのです。
同時に彼は、教養と素朴さのバランスを求めています。ただ古代の管楽器の起源を理解するだけで、子供のように初めて演奏することの驚きと喜び(そして失敗)を失って何の意味があるのでしょうか?
もちろん、WARDRUNA の音楽は北欧が誇るブラックメタルにも影響を受けています。あの GORGOROTH の元ドラマーという経歴は伊達ではありません。
「スカンジナビアの音楽は、この場所の環境に非常に影響を受けている。非常に重苦しく、メランコリックでダークだけど、俺たちはそこに美しさを見出しているんだ。だから伝統音楽とブラックメタルにも当然通じる所はある。初期のブラックメタルは伝統的な調性に非常に影響を受けているし、もちろんそのテーマは神話やフォークロアなんだからな」
COVER STORY : BLACK COUNTRY, NEW ROAD “FOR THE FIRST TIME”
“Black Country, New Road Is Like Our Very Own ‘Keep Calm and Carry On’ Or Tea-mug Proclaiming That You Don’t Have To Be Crazy To Work Here But It Helps. It Basically Describes a Good Way Out Of a Bad Place. Excited People Sometimes Claim To Have Lived Near The Road And I Keep Having To Explain To Them That It Doesn’t Exist”
BLACK COUNTRY, NEW ROAD
英国最高のニューバンド、世界最高のニューバンド。デビュー作ですでに最高の評価を得て、将来が約束されたかのように思える BLACK COUNTRY, NEW ROAD。しかしこの独創的な、全員がまだ20代初頭の若者たちは地に足をつけて進んでいきます。
「せいぜい、10点中7点くらいの評価だと思ってたよ。誰もが好きになるわけはないからね。大抵、Twitter で音楽を発表しても、2割が熱狂し、5割が知らん顔、残りの3割が嫌うって感じでしょ?」
サックス奏者の Evans がそう呟けば、ベースHyde も同意します。
「私たちはただの7人のベストメイトで音楽を作っているだけなの。注目されることは名誉なことだけど、私はそれとはあまり関係がないのよ」
このケンブリッジシャー出身の7人組モダン・ロックバンドは、プレスの注目を浴びようとはしていません。彼らは結成してまだ2年半ほどしか経っていませんが、今のところプレス、マスコミの必要性を感じていないのです。なぜなら、ライブが、強烈な口コミの熱量を生み出しているからです。
今、南ロンドンのロック・ミュージック周辺で何かが勃発しています。ポストパンクやポストハードコアの枠組みを使って、アシッドフォークからクラウトロック、クレズマー、ジャズ、ファンク、アートポップ、ノイズ、ノーウェーブまで、様々な影響を受けた多様なバンドが、奇妙な新しい方法でそれらを組み合わせて、奇妙な新しい音楽を生み出しているのです。
こういった素晴らしい手腕を持つ若いバンドは、現役または元音楽学生の場合が多く、結果としてお金をかけずに実験や成長ができる練習場へのアクセスが若い才能にとっていかに重要かを示しています。実際、BC,NR のうち3人はクラッシックの教育を受けています。
BLACK COUNTRY, NEW ROAD に参加しているミュージシャンのほとんどは、何人かがそのまだ学生であった2014年にイースト・カンブリッジシャーで結成された NERVOUS CONDITIONS というバンドに所属していました。そのライブパフォーマンスはエキサイティングという言葉でさえ控えめに思え、ダブルドラマーのラインアップは、1982年の THE FALL や1993年の NoMeansNo のような雰囲気を醸し出して、BEFHEARTIAN の喧騒と BAD SEEDS の勢いまで感じさせていました。さらにグラインドコアの激しさと、憎まれ口や軽蔑の念が、瞬時に静謐な美しさに変わるような、煌びやかな輝きを携えていました。
ただし2018年1月にシンガーの Conner Browne がSNSの投稿を通じて2人の別々の人物から性的暴行を受けたと告発され、数日後にバンドは解散を余儀なくされたのです。声明の中で、Conner は告発をした2人の女性に謝罪しただけでなく、バンド仲間にも謝罪しました。
数ヶ月も経たないうちに、ほとんど何の前触れもなく、同じようなラインナップの新しいグループがロンドンと南東部を中心に激しいギグを行っていました。Conner がいなくなり、元ギタリストの Izaac Wood がフロントマンとなり、ドラマーの一人 Johnny Pyke は去りましたが、Chalie Wayne はまだキットの後ろにいます。ベースの Tyler Hyde, サックスの Lewis Evans, シンセサイザーの May Kershaw, ヴァイオリンの Georgia Ellery とお馴染みの顔が新たなバンドを彩ります。セカンドギタリストには Luke Mark が加わりました。
ただし、ラインナップが似ているとはいえ、バンドとしては(全くではないにしても)かなり違ったサウンドになっていました。BC,NR の方が優れていると、数回のライヴで明らかになります。新たにフロントマンとなった Izaac Wood の超越的で文学的なインスピレーションがバンドをさらに進化させたとも言えるでしょうか。
すでにトレードマークとなったシュプレヒコール・ヴォーカルだけではなく、個人的な経験を歌っているというよりも、歌詞の一部または全部がフィクションになっているような、物語性のある曲作り。Wood は散文、詩、韻を踏んだ連歌などを1曲の中で簡単に切り替えています。彼は、視点の変化を伴う複数の物語や、他の曲へのメタ・テキスト的な参照など、ポストモダン的な手法を用いています。
Speedy Wunderground からリリースされたデビュー・シングル “Athen’s France” のセッションで Wood は、1億再生を記録した Ariana Grade の “Thank U, Next” と、彼自身が同年に THE GUEST としてソロでリリースした “The Theme From Failure Part 1” というあまり知られていないシングルをチェックしたと語っています。これらの曲をはじめ、詩的に音楽的に確かな足取りのを並置することは、BLACK COUNTRY, NEW ROAD がどこから来ているのかにかんして、多くの手がかりを提供してくれるはずです。
では Isaac Wood がソングライターになる前は、日記を書いたり、10代の詩人であったり、熱烈なエッセイスト、PCで戦うキーボードの戦士など、文章に馴染み深い人間だったのでしょうか?
「言葉を書くことに関しては、特に長い歴史はないし、豊かな歴史もない。初期の試みはいくつかあったけど、本気で書くことにコミットした最初の記憶は、2018年の “Theme From Failure Pt.1” だった。」
この曲は、歌詞が陽気でメタモダンなシンセポップな作品でした。
「今まで寝たことのある全ての女の子に自分のパフォーマンスを評価してもらったけど、その結果は恐ろしいものだった。 あの曲は、全く同じことを言う方法が50通りもあることを証明しているんだ。」
歌詞の影響力といえば、Wood はブリクストンのザ・ウィンドミル・パブと Speedy Wunderground のレーベルを中心とした狭いシーンの中で同業者、尊敬する人たちを挙げています。南ロンドンの音楽シーンは控えめに言っても今、沸騰しているのです。彼は特に Jerskin Fendrix を称賛しています。
「自分の音楽をやっている時にはほとんど把握していなかった音楽的なコンセプトが、初めて彼を見た時にはすでに Jerskin のセットの中で完全に形成されていたんだ。彼がやったことは面白くて感動的だったけど、決してくだらないものではなかった。僕たちの関係を最も正確に表現するならば、僕は彼の甥っ子ということになるだろうね。」
それに Kiran Leonard の “Don’t Make Friends With Good People” も。
実際、BLACK MIDI, SQUID と共に、BC, NR は単なるポストパンクの修正主義者と定義することはできないにせよ、純粋に優れたポストパンクの復活を祝っているようにも思えます。もちろん、重要なのは彼らがフリージャズやクラウトロックを漂いながら1970年代後半の最高で最も突出したバンドが持っていた精神、ダイナミズム、実験性を備え、新たに開発されたジャンルまで横断している点ですが。コルトレーンの精神から SWANS の異能、TOOL の哲学まで、受け止め方も千差万別でしょう。
「彼らは僕らをもっと良くしようと背中を押してくれるんだ。彼らより優れているというよりも、より良いミュージシャンになって、より良い曲を書けるようにね。もっと練習しなきゃと思うよ」
文学的な影響については、「もちろん、僕はいくつかの本を読んだことがある。明らかに僕は何冊かの本を読んでいて、それらの本が言葉にも不確かだけど影響を与えているんだ。」 と語っていますが、具体的には 数年前に読んでいた Thomas Pynchon (アメリカの覆面作家。作品は長大で難解とされるものが多く、SFや科学、TVや音楽などポップカルチャーから歴史まで極めて幅広い要素が含まれた総合的ポストモダン文学) と Kurt Vonnegut (人類に対する絶望と皮肉と愛情を、シニカルかつユーモラスな筆致で描き人気を博した。現代アメリカ文学を代表する作家。ヒューマニスト) の名前を挙げます。
「芸術の高低の境界線を尊重していない人がいることは問題だけど、少し成功している作家はその境界線を尊重し、それを理解し、それを覆したり、操作したりしているんだよ。彼らは文化についてのつまらない一般化したポイントを作るためにやっているのではなく、実際に人々が共感できるような、感情的に共鳴する何かを言うためにやっているのだから。僕たちは皆、文化的な価値の高低という点では、高いものも低いものも経験しているけど、それらが交差したとき、あるいは境界線が存在するように感じられないとき、その境界線が取り払われたとき、それはその瞬間の感動や感情的な共鳴の一部となるんだ。それが正確に表現できれば、信じられないほどインパクトのあるものになる。だから僕はヴォネガットのような作家に興味を持っているんだ。物語に興味を持ってもらうための安っぽいトリックかもしれないけどね。でも、リスナーが風景を想像するのに美しい言葉や文学的なセンスを使う必要はないんだよ。コカコーラのように、彼らがすでに知っているものを与えて、あとは好きなものを好きなだけ詰めればいい」
意外かもしれませんが、Wood は Father John Misty の大ファンであることも公言して憚りません。
「正直、彼のことをちょっとセクシーな愚か者だと思っていたんだけど、気がつけば彼の後を追いかけていた。彼は世界最高の作詞家ではないけれど、彼の考えていることは完全に、完全に正直だからね」
Wood 自身の初期の文学的な実験としては、”Kendall Jenner” が挙げられるでしょう。ホテルのスイートルームに宿泊するTVスターを、彼らの意志に反して強引にその場を訪れるリアリティーショーの一場面。もちろんフィクションですが、Kendall (カーダシアン家のお騒がせセレブライフで知られるモデル、タレント) は自殺の前に、(私はNetflixと5HTP の申し子/私の青春時代すべてがテレビで放送されている/何も感じることができない/ジュエリーを脱ぐと私は空気よりも軽いのよ)と嘆きます。
「僕はちょうど面白いと思った物語の装置を試してみたかった。音楽の終わりは前のセクションとはかなり対照的で、物語にはある種のクライマックスが必要だと思ったので、多くのものと同じように、死で終わったんだ。この作品は、彼女の立場や場所について、あるいは彼女のファンや視聴者についてのより広い解説を意図したものではないんだ。別に視聴者の共犯性をあげつらってもいない。いつも彼女や彼女の家族の出来事を楽しんでいたからね。ストレートな物語性のある作品を作るのは初めての試みで、今振り返ってみるとちょっと刺激的すぎたかもしれない。もちろん、女性を差別する意図なんてないよ?そんなことは考えたこともなかった。」
“For The First Time” は昨年3月にイギリスがロックダウンに入る前にレコーディングされた最後のアルバムの一つであり、混乱の中で録音されたアルバムとして完全にふさわしいものだと感じられます。屹立したポストロックの冒険と皮肉なポップカルチャーへの言及に満ちたレコードは、反商業的で、リスナーが純粋なポップミュージックを期待していたのであれば間違った作品を手に取ったと言えるでしょう。
では、この作品で Wood はソングライティングの際に実際の自分に近いペルソナを採用したことはあるのでしょうか?
「最初の曲(”Athen’s France” や “Sunglasses”)では、大きな不安の中で自分を守ろうとしたときに現れる、哀れでシニカルな思考に焦点を当ててきた。だから、そうなんだと思うよ…男の内面をキャラクターで書いてきたからね。それは厄介で、時々うまく翻訳できないこともあると思うんだけど…。例えば、初期の曲では女性の描写がやや一次元的だったと思われていたのは間違いなく後悔しているよ」
カニエ、NutriBullets、デンマークの犯罪ドラマへの言及でポップカルチャーへのアイロニーを匂わせながら、不快なほどに生々しく別れの領域を掘り下げる “Sunglasses”。その機能と意味はまるでボックスを踏み続けるダンスのように、9分という時間の中でずっと続いています。傷ついた自我、嫉妬、不安、その他全てを語るこのトラックの強烈さを考えると、当然のことながら、Wood は具体的な解説を避けようとします。
「多くの人の心の中にある特定の視点から書かれている。それは信じられないほど悲観的で傲慢に感じることがある声なんだ。多くの人が初めて’Sunglasses’を聴いた時に、耳障りで擦り切れたような感じがすると思うんだ。でも実際には、音だけじゃなくかなり苛立たしげな声を出していて、かなり馬鹿げた抑揚をつけていて、それはとても泣き言で、演技的で、かなり大げさなんだよね。聞いているとかなりイライラしてしまう。他の多くの人もそうだろうね」
そもそも、ポストパンクやそれに隣接するシンガーで実際誰もが認める実力者など、Ian McCulloch, David Bowie, Scott Walker くらいではないでしょうか。Mark E Smith, Sioux, Ian Curtis, Iggy Pop への評価が突然負から正へと反転したリスナーは少なくないでしょう。
「願わくば、僕のヴォーカルをたくさん聴いて、声に対する経験がある時点で反転してしまえばいいんだけど。そうすれば、リスナーは僕の歌に夢中になり、それを楽しむようになるからね」
“Sunglasses” の異質なアレンジメントについては「この曲は、物語の中で何が起こるのかという点を、音楽的にかなり露骨に設定していると思う。説明するまでもないだろうけど。何かが起こって、最初の道とは別の道で終わる。音楽はそれを追っているだけなんだ。天才的なポップ・コーラスが書けない時には、この書き方が効果的だと思うよ」
最近まで Wood は10代でした。彼にはまだ時間がたっぷりと残されています。そして刻々と変化を続けるはずです。もちろん、だからこそ現在の曲作りには、若者特有の不安感も。
「不安が意識的に影響しているとは全く考えていないけど、とても重要な時にはよく感じるし、自然とそのことについて書いたり歌ったりするね。そして、なにかを放出する時には、単純に自分自身かなり圧倒されていることに気づくことがあるよ」
BLACK COUNTRY, NEW ROAD という奇妙な名前を Wood はプロパガンダだと説明します。
「僕たちなりの『Keep Calm and Carry On』のようなもので、ここで仕事をするのに必ずしも狂っている必要はないけど、助けになることはあると宣言しているんだ。基本的には、悪い場所から抜け出すための良い方法だと説明しているんだよ。興奮した人たちが時々、この道を知ってるなんて言うんだけど、僕はそれが存在しないことを彼らに説明し続けなければならないんだよ」
このバンドの飄々としたウィットは “For The First Time” 全編に現れていますが、特にオープニングの “Instrumental” でのおかしなキーボードリフはその証拠でしょう。通常、待望のバンドのデビュー・アルバムを紹介するような方法ではありません。Evans が紐解きます。
「奇妙だからといって、それが必ずしも悪いとは限らない。シンセのラインが目立つのはおかしいし、曲の中心になるのもおかしい。だけどそれは素晴らしいことだと思うよ。僕たちは4つのリード楽器を持っている。実際には5つかもしれない。2本のギター、ボーカル、サックス、バイオリン、そして鍵盤を使って、みんなで細部にまで気を配る必要があるんだ。細部にまで気を配っていないと、たぶん聴いていて気持ちの良いものにはならないだろうね。僕たちは我慢しなければならない。だからこそうまくいくんだ」
実験的レーベル Ninja Tuneと契約したのは、収穫でした。コンタクトはラブレターという21世紀において脇に追いやられ、枯れ果てたスタイル。型にはまらない契約だったからこそ、完璧にフィットしていたのでしょう。未知の世界への感覚も魅力の一つだったと Hyde は説明します。
「彼らが私たちメンバーの中の誰かを知っているとは思えなかった。とてもエモーショナルになったわ。私たちに契約を申し入れていた他の誰も、このような方法で感情を表現していなかったからね。彼らはわざわざそんなことをする必要はなかったけど、そうしてくれたの」
このグループがすでに若いファンの想像力を掻き立てていることに注目すべきでしょう。”Opus” を制作した最初のセッションでは、新グループと旧グループとの差別化を図るための議論があったのではないでしょうか?
「具体的にいつ、どのようにしてそうなったのかは覚えていないけど、BC,NRで何をしたいのかという理解はあったのだと思う。NERVOUS CONDITIONSを2~3年やっていたんだけど、その間に開発したものをいくつか取り入れたいと思っていたのは確かだよ。でももちろん、それまでとは違う種類の音楽を作りたいという願望もあるし、現在の作品は、僕ら全員にとってよりくつろげるものになっていると思う」
Hyde も同意します。
「感情的にも音楽的にもつながっているんだから、私たちは何かを作り続けるしかなかったの。感情的には脆くなって、もがいていたけどね」
最新シングルとなった “Science Fair” は、前衛的なギターとブラスのモンスター。Evans のお気に入りです。
「この曲はかなりストレートなものだよ。キューバ風のビート・フリップなんだ。科学的に完璧なドラム・ビートだよ」
一方、Georgia は、起源が東欧とドイツ、伝統的なユダヤ人の民族音楽クレズマーがバンドにもたらした影響を説明します。ヴァイオリンとサックスは伝統的なロックの楽器ではありませんが、クレズマーのバックグラウンドは新たな扉を開きました。
「祝賀会の音楽みたいなものよ。パーティーミュージックなの。ユダヤ文化の中で人々が集まる時に演奏されるのよ。悲しい音楽でも、かなりハッピーな音楽。でも、マイナーキーだから悲しそうに聞こえるのよね」
アルバムのタイトルでさえも、奇妙な場所から抜かれています。それは Isaac が偶然見つけた “We’re All Together Again for the First Time” と題されたデイヴ・ブルーベックのジャズ・アルバムからの抜粋でした。
曲作りのプロセスは決まっているのでしょうか?
「具体的なプロセスはないんだけど、最初のアイデアはたいてい Lewis と僕がスケッチをして、それからハーモニーを奏でることのできるメンバーがトップラインなどでそのスケッチを補強していくんだ。その後、グループ全体で肉付けをして分解し、全員が満足できるものに仕上げていくんだよ。その時にテーマを考えて、歌のための言葉をまとめるんだ。曲作りの過程で言い争うことはほとんどないね」
それはバンドのサウンドの断片の組み合わせ方にもはっきりと表れています。”For The First Time” は例えば「エキゾチックな」着色剤を使っただけのロックではありません。クレズマーとポスト・ハードコアという、表向きは全く異なる要素が反復合成されていることを考えると、このバンドにはいくつかの「異なる陣営」が存在しているのではないかと疑いたくもなります。
「確かに相対的な専門知識のポケットはいくつかある。Georgiaと Lewis はクレズマー音楽の経験が豊富で、Georgia は現在 Happy Bagel Klezmer Orkester と共演しているし、Lewis は若い頃に経験豊富なクレズマー音楽家と共演して彼らから即興演奏の仕方を教わり、それが彼の作曲に大きな影響を与えているんだよ。May はクラシックの分野に最も多くの時間を割いているし、僕はARCADE FIRE のアルバムを最も多く所有している。でも、これらの影響を受けたもの同士がお互いに争っているわけではないんだ」
Evans も同意します。
「僕たちはとても仲が良いから、誰かにアイデアがクソだと言われても気が引けることはないよ。ソングライターの中には、音楽は自分の赤ちゃんのようなものだと言う人もいるけど、それは僕たちのエートスではないんだよ。僕らは常に曲を変えているし、7人組のバンドでは手放す能力が本当に重要なんだ。独裁者にはなりたくないんだよね。他にも6人の素晴らしい才能を持った人がいるんだから、彼らを無視して何の意味があるんだろう?それは音楽を悪くするだけだ。もしそれが1人の手によるものなら、僕らの音楽はクソになっていただろうね」
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH Eximperituserqethhzebibšiptugakkathšulweliarzaxułum!!
“When You Can Be Sentenced To 15 Years On a Fictitious Case, Without Any Evidence, Just Because You Think Differently Than They Tell You….Damn It, This Is The Plot For Any Historical Film Or Medieval Novel. But Not The Realities Of The 21st Century!”
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH MARK PALFREYMAN OF ALARUM !!
“Bands Like Atheist And Cynic Were Big Influences On Our Band And Helped Inspire Us To Explore What We Could Do With Music. They Both Covered a Lot Of Ground And Continue To Do So.”
“I’d Like To Get As Far Away As Possible From Any Bands, And Develop a Style Of Music Which Will Make You Go: “Yup, That’s Quasarborn!” Like, When You Hear The Intro To “Reign in Blood”, or “South of Heaven”, You Just Know It’s Slayer.”
DISC REVIEW “A PILL HARD TO SWALLOW”
「自分も含めて、セルビアの人々は東洋と西洋の価値観やライフスタイルの間で、本当に引き裂かれていると思う。この地域全体が20世紀の戦争に引き裂かれたままで、政治はばかげていて、本当にひどいリアリティ番組を思い起こさせるね。」
SPACE EATER の灰から生まれたブラックホール、QUASARBORN は東欧のメロディーと西欧のテクニックを交差させるスラッシュメタルの新宇宙。同様に、コロラドで叙情と技巧をスラッシュの衝動に落とし込み喝采を得た、HAVOK の最新作 “V” に対する欧州からの強烈な回答です。
「できるだけどのスラッシュバンドからも離れた音楽のスタイルを展開していきたいと思っているよ。”そうだ、これが QUASARBORN だ!” と思わせるような音楽をね。例えば “Reign in Blood” や “South of Heaven” のイントロを聴いた時に、曲を知らなくても SLAYER だと分かるようにね」
METALLICA の王道、SLAYER の邪悪、MEGADETH の知性、ANTHRAX の奔放、EXODUS の暴力、TESTAMENT の美麗。
かつてのスラッシュメタルは、ジャンルの特性を超越してありあまるほど、戦士に宿る個性が魅力となり群雄割拠のメタル地図を形成していました。QUASARBORN の最新作 “A Pill Hard to Swallow” には、そんな定型を突破し自由を謳歌するあの時代の野心が投影されているのです。
メタルのエッジが鋭く研ぎ澄まされる開幕の “Mamula” では、熱狂的スピードとスラッシュのキックドラムでアドレナリンを沸騰させながら、東欧の影を深く織り込んだメランコリーでバンドのヘヴィーなペルソナを強調します。
PAIN OF SALVATION を思わせる捻くれた静寂で対比の美学を成立させ、アンセム感を際立たせたタイトルトラックでも、PANTERA 化した SKID ROW と形容したくなるメタリックパンキッシュな “Bastion” でも、ベイエリアの空気を胸いっぱいに吸い込んだ “Identity Crisis” でも、リスナーを導く灯火とはるのはシンガロングを誘う強力な哀愁ライン。
「僕の最大の夢は、世界最高のバンド VOIVOD のオープニングを務めることなんだ。」
一方で、VOIVOD を敬愛するバンドのプログレッシブな側面を象徴するのが、9分を超える陰鬱 “Stalemate With Suicide” でしょう。METALLICA の “One” のようにリアルに、THE BEATLES のようにサイケデリックに幕を開けるエピックは、トランペットの慕情や不協和のカオスを見事に制御しながら無慈悲にも、生への執着を徐々に奪っていくのです。
そうしてアルバムは、スラッシュメタルの特性の中で最大限の複雑性とドラマ性を実現させた “The Humbling” でその幕を閉じるのです。
今回弊誌では、QUASARBORN にインタビューを行うことができました。「僕は幼い頃、よく父と David Maxim Micic と釣りに行っていたよ。それから大人になって、彼のバンド DESTINY POTATO を発見したんだ。とても気に入ったよ。」 どうぞ!!
ALL PICS BY Julia Marie Naglestad & Thor EgilLeirtrø
“If My Work Can Be Considered a Bridge In Music, Nothing Is Better! I’d Love To Be a Bridge Between The Good Qualities In Jazz And The Good Qualities Of Metal. Complexity, Simplicity, Embodied. Like Most Humans.”
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH JACKIE PEREZ GRATZ OF GRAYCEON !!
“I Made a Pact To Myself That If There Are No Women On The Bill I Won’t Go To The Show, Or If I Am The Only Woman On the Stage, I Won’t Accept The Gig. In Doing This, It Makes The Booking Agents Aware That If They Want Grayceon They Better Get At Least One Other Band That Has a Female In It.”
DISC REVIEW “MOTHERS WEAVERS VULTURES”
「GRAYCEON は決してチェロのことを一番に考えたことがないのよ。チェロという楽器のために特別に何かを書いたり、仕立てたりしているわけではないし、バンドにチェロがいるという事実に基づいて作曲を決定しているわけでもないの。」
卓越したチェロ奏者であること。女性であること。親であること。メタル世界にとってこれまで決して当たり前でなかった物事は、GRAYCEON の中ではすでに当たり前として捉えられています。常識を超えて大きな感情を呼び起こすバンドのアプローチは、そうして本来あるべき姿をシーンへと自然体で伝えていくのです。
「ヘヴィーな音楽を弾きたいと思うようになって、少しの間ベースを弾いてみたんだけど、頭の中で聞こえていたものが弾けなくてイライラするようになったのね。ベースを置いてチェロを手に取ることもよくあったわ。そうしてある時点で、自分の弾き方をよく知っている楽器で、もっと重い音楽を弾くことを阻むものは何もないだろうと思ったわけなの。」
NEUROSIS や TODAY IS THE DAY との共演、AMBER ASYLUM, GIANT SQUID と百戦錬磨、クラッシックの教育を受けた Jackie Perez Gratz にしても、当初常識という固定観念は強固な壁でした。愛器のチェロを一度は捨ててベースへと持ちかえた過去、親となることでツアーを諦めた過去、ボーイズクラブに阻害された過去。GRAYCEON はそんな不自然と不条理を自然へと回帰させるプロジェクトです。
「自然こそが世界の魔法であり、私たちは目に見えない神ではなく、地球を崇拝すべきだということについて書かれているのよ。」
かつて Ronnie James Dio が唱えた魔法の呪文は、半世紀の時を経て “Mothers Weavers Vultures” へと形を変えて受け継がれました。「天国も地獄もない」Jackie は “The Lucky Ones” でそう何度も歌い上げます。すべてはまやかしの人工物。痛みや過ちを消し去る、神も死後の世界も存在しない。存在するのは、ただ地球のみ。自然の中で有限の存在として生きる本質的な真実、摂理の魔法。
“Diablo Wind” でカリフォルニアの山火事を憂い自然破壊に怒るのも、”Rock Steady” でパートナーへの愛情を募らせるのも、すべては有限の尊さを伝えるため。ドゥームの暗闇やスラッジの獰猛はプログフォークの神秘と時に反目し、時に融解していきます。それはさながら正義の怒りと愛の気高さを投影しているようでもあり、誰にでも訪れる確実な死が愛の価値を高めるという本質に言葉という歌詞と、チェロという音波の両面から迫っているようにも思えるのです。
生々しくも有機的な Jack Shirley のプロダクション、Zack の印象的なフィルインも不可欠。そうして、NEUROSIS の実験と MASTODON の野心、SUBROSA の陰鬱に Yo-Yo Ma の旋律を宿したメビウスのコンビネーションはその加速度を増していくのです。
今回弊誌では、Jackie Perez Gratz にインタビューを行うことができました。「私は、もし女性が出演していなければショウには行かないし、もし私がショウの唯一の女性であれば(少なくとも3つのバンドが出演している内の)ギグを受けないと心に誓っているの。そうすることで、ブッキングエージェントにもし GRAYCEON が欲しいなら、少なくとも女性が出演している他のバンドを1組は確保した方がいいと認識させることができるでしょ。それに、彼らが女性が出演していればより多くの女性がライヴに足を運ぶとことを知ることで、他のライヴのことも考えることになる。だから、ボーイズクラブの解体はブッキング、そして会場やエージェントがどのようなアプローチで観客を呼び込むかということから始まると思っているの。」 どうぞ!!