EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH KONSTANTIN LAARS NAUMENKO OF SUNRISE !!
“We Remember Life In The Soviet Union Very Well And We Are Happy That Our Country Broke The Chains Of This Prison And Moves In The European Direction. Freedom Is In The Blood Of Our Nation And Our Way Is To Build a Highly Developed European Country.”
DISC REVIEW “EQUILIBRIA”
「ウクライナのメタルシーンは非常に多様で、ほとんどすべてのサブジャンルが存在しているよ。すでに有名なバンドもあれば、世界のメタルシーンでビッグネームになる可能性を秘めたこれからのバンドもあるんだよ」
JINJER, NOKTURNAL MORTUM, DRUDKH。Konstantin Naumenko の言葉を借りればソヴィエトという “牢獄” の鎖を断ち切ってからのウクライナは、ブラック・メタルからプログレッシブ・グルーヴまで個性極まる多様なバンドをゆっくりとしかし確実に輩出し始めました。それでもウクライナ、もしくは東欧から SUNRISE のようなクオリティーとテクニックを兼ね備えたパワー・メタルの申し子が登場したのは初めてでしょう。
「僕たちがインスパイアされたのは、バンドを始めた頃にとても人気があって、今ではレジェンドとなったパワー・メタルのバンドたちなんだ。STRATOVARIUS, SONATA ARCTICA, HAMMERFALL, HELLOWEEN みたいなバンドだよ」
2003年に活動を開始し、オンラインとアンダーグラウンドの世界で徐々に脚光を浴びはじめた SUNRISE は4枚目のフルアルバム “Equilibria” で、東欧メタル世界の常識を覆す大きな一撃を放ちました。
SONATA ARCTICA, そして STRATOVARIUS。北欧パワーメタルの象徴的なバンドを基にしてヘヴィネスとサウンドスケープを増幅した60分強の作品は、20年前のユーロ・パワー成功の要因を探りながら次の世代へとつなぐミッシング・リンクなのかもしれませんね。
フロントマン Konstantin “Laars” Naumenko は、”Ecliptica” や “Silence” の頃の Tony Kakkoが果たした冷静と情熱の間でドラマティックなメタルを語る吟遊詩人の役割を継ぎ、ボーカル/キーボード奏者で妻の Daria “Lady Dea” Naumenko は Jens Johansson を彷彿とさせる見事な鍵盤捌きとともに天使のような囀りで夫の世界観を肉付けしていきます。そうして、リズム・セクションと最近加入したギタリスト Maksym Vityuk まで一丸となり、雷鳴のようなスピードメタル・アタックを繰り広げていくのです。
「僕たちの “We are the Fire” が SONATA ARCTICA にインスパイアされていることには同意するけど、類似性はこの曲で終わっていると思うよ。他の曲では、異なるサウンドと異なるアイデアを披露している。NIGHTWISH や初期の WITHIN TEMPTATION のようなシンフォニックな曲もあれば、 STRATOVARIUS や AVANTASIA に近いサウンドの曲もあるからね。さらに、プログレッシブ・メタル・スタイルで書かれた3曲は、DREAM THEATER の作品を思い出させるかもしれないね」
“Equilibra” が “Reckoning Night” 以降の SONATA ARCTICA、もしくは “Eternal” 以降の STRATOVARIUS の長き沈黙に焦りを感じている層に対する福音であることは言うまでもありませんが、より広義のパワー・メタルやシンフォニック、プログ世界もこの作品を享受するべきでしょう。
“We Are The Fire”や “Life Is A Journey” のような高空飛行のジェットストリームは、”Father Time” や “Fullmoon” の疾走と高揚感を運びますが、心に響く混声のヴォーカル・デュエット “The Only Reason” や、ピアノを中心としたミドルペースの “The Bell” では存分にシンフォニック・プログレッシブの余韻に浸ることが可能。さらに、”Equilibrium” や “Unbroken Dreams” では重厚なリフワークとキーボードの相乗効果で、感染力の高いヘヴィーメタルの根源を探求していくのです。Eではじまり、Aで終わるパワーメタルの金字塔は、四半世紀の時を超えてより壮大により荘厳に進化を果たしました。
今回弊誌では、Konstantin “Laars” Naumenko にインタビューを行うことができました。「僕たちは、ソビエト連邦での生活をよく覚えているよ。そして、僕たちの国があの牢獄の鎖を断ち切り、ヨーロッパの方向に向かって進んでいることを嬉しく思っているんだ。自由は僕たちの国の血の中にあり、これからの道のりは高度に発展したヨーロッパ的国家を築くことなんだ」 どうぞ!!
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH CHRIS LETCHFORD OF SCALE THE SUMMIT !!
“You Have To Diversify Your Income. The Days Of Musicians Making a Living Off Of Just Their One Band Is Long Over, It Was Over Even When We Started Our Band In 2005.”
DISC REVIEW “SUBJECTS”
「6枚のアルバムをリリースし、世界中でツアーを行ってきた。たけど楽器の演奏や作曲に少し飽きていたこと、バンドの規模が大きくなってきたこともあり、お気に入りのシンガーに声をかけてみようと考えるようになったんだ」
かつて、インストでなければ SCALE THE SUMMIT ではないとまで言い切った、ギター世界のミッシングリンク Chris Letchford は実際、彼の言葉通り LIQUID TENSION EXPERIMENT と ANIMALS AS LEADERS をつなぐインストゥルメンタルの覇道を突き進む数少ない才能の一人と目されていました。
シュレッドよりも楽曲にフォーカスし、プログ・メタルの標準的なクリシェを排除。ワイルドで目的のないシュレッドの代わりに、まるで弦が声であるかのように、冒険的でメロディックなリードを自らのジャガーノートとして積み上げてきたのです。一方で、Chris の中で、インストの商業的限界、壁を打ち破れない苛立ちとマンネリの幻影が日に日に膨らんでいたのも事実でしょう。
「8人の異なるシンガーを起用したことで、シンガーと本格的に活動していくことが自分のやりたいことだと気づくことができたんだ。音楽を作ることへの情熱が再び蘇ったんだよ」
前作 “In A World of Fear” で各楽曲にソリストを招聘し、新たな “色” を加える試みが一つの導火線となったのでしょうか。SCALE THE SUMMIT は遂にインストゥルメンタルの旗手という地位を捨て去り、新たな航海に出ることを決意します。船に乗り込むのは8人の多種多様なボーカリストたち。
アルバムは Mike Semeski(ex-INTERVALS)をフィーチャーした “Form and Finite” で幕を開けます。猛烈な勢いのギター・ストリームはそれだけで十分にプログで刺激的ですが、ボーカルが加わることでさらなる波が加えられ、最後に鬼才 Andy James がゲストとして花火のごとき流麗なリードを披露し、新生 SCALE THE SUMMIT号は完璧な条件での船出を迎えます。
Chris Letchford は、数年前にソロプロジェクト ISLANDS で、ボーカルとの婚姻を予見していました。アルバム “History of Robots” にはボーカル曲が2曲収録されていたのですが、そこで歌っていた REIGN OF KINDO の Joey Secchiaroli は “Subjects” でも崇高な “Jackhammer Ballet” に登場しています。煩雑なギターワークとジャジーなボーカルの蜜月。”Subjects” にはインストゥルメンタル・バージョンも存在しますが、STS の新章は、独創的なギターと各ボーカリストの優れたパフォーマンスの組み合わせで、ネクスト・レベルへと進化を遂げたのです。
HAKEN の Ross Jennings をフィーチャーした “Daggers and Cloak” で既存のファンの溜飲を下げる一方で、バンドは新たな海域にも進出していきます。今最も注目されているバンドの一つ、SPIRITBOX から Courtney LaPlante を呼び寄せた “The Land of Nod” は STS のヘヴィーとメロディック双方の最高到達点を更新したような珠玉。
「彼の死は本当に衝撃的だった。アルバムの完成後、Garrett とは誰もあまり話をしていなかったんだ。だからアルバムの発表日に SNS にみんながタグ付けして、その時にはじめて彼が亡くなったことを知ったんだよね。辛かったね…」
アルバムのハイライトは、Garrett Garfield をフィーチャーした “Don’t Mind Me” でしょう。Chris のトレードマークであるクリーントーンのタッピングが、Garrett のソウルフルな歌声とデュエットを繰り広げるような夢見心地。 残念ながら、Garrett は昨年11月に鬱に飲み込まれてこの世を去ってしまいました。Garrett の心の痛みや喪失感を反映した感情の灯火は、インストゥルメンタルでは到達できなかった境地なのかもしれませんね。「うつ病や不安、ストレスに悩んでいる人には食事と運動の改善をお勧めするよ。自分で調べてみるのが大事だよ!」
今回弊誌では、Chris Letchford にインタビューを行うことができました。「ミュージシャンを目指すなら、収入を多様化しなければならないよ。ミュージシャンが一つのバンドだけで生計を立てていた時代はとっくに終わったんだ。2005年に僕らがバンドをはじめた時には、すでに終わっていたんだから」二度目の登場。どうぞ!!
“The Odd Thing About Djent Is That It Is Supposedly a Subgenre Of Progressive Metal, But While Progressive Metal Is All About Breaking The Boundaries Of Genres And Musical Norms, Djent Seems To Be More Focused On Copying a Specific Style And a Specific Sound, And Where Is The Progressiveness In That?”
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH MIKE BARBER OF WIZARDTHRONE !!
“Children Of Bodom Played At Tuska Festival And Alexi Dedicated “Bodom Beach Terror” To Me And My Friends, And I Went Home To The UK Feeling More Motivated Than I Ever Had To Follow this path”
DISC REVIEW “HYPERCUBE NECRODIMENSIONS”
「私たちは基本的に過去15年間の音楽を無視していたんだよね。エクストリーム・ウィザード・メタルはうまく機能していると思うよ。レビュアーがこのバンドをパワー・メタル、メロディック・デス、テクニカル・デス、シンフォニック・ブラックと表現しているのをよく目にするけど、結局私たちの音楽はそれらのどれにも当てはまらず、すべての要素を少しずつ取り入れているんだよね」
WIZARDTHRONE は、宇宙から来たテクニカル・パワー・デス・シンフォニック・ブラック・メタルの名状し難き混合物で、いくつもの多元宇宙を越えた魔法使いの王。
カラフルで印象的な音楽性と純粋な不条理の間を行き来する複合魔法の創造性は、ALESTROM, GLORYHAMMER, AETHER REALM, NEKROGOBLIKON, FORLORN CITADEL といったメタル世界のファンタジーを司る英傑を依り代として生まれています。そうして、何百万光年も離れた銀河から地球に到達した彼らのデビュー・アルバム “Hypercube Necrodimensions” には、激しさと情熱、そして知性とファンタジーが溢れているのです。
「歌詞を見てすぐにはわからないかもしれないけど、このアルバムは、現代の政治的な音楽と同じように、同じくらい、強い声明を出していると思うんだよ。これは世界が悲しみと怒りに満ちている時代に作られた情熱と生命の祭典であり、作りながら僕たちにも未来への希望を与えてくれたんだ」
暗く歪んだ2020年を経て、メタル世界でも政治的な発言やリリックは正義の刃を構えながら確実に増殖しつつあります。メタルにおけるファンタジーやSFの役割は終わったのか?そんな命題に、GLORYHAMMER でも “ハンマー・オブ・グローリー” を手に暗黒魔術師ザーゴスラックスと戦う Mike Barber は堂々たる否をつきつけました。
「2007年にフィンランドを旅行した際、共通の友人から Alexi と Janne を紹介されたんだけど、彼らは親切で純粋で、何時間も私たちと一緒にいて、質問に答えたり、ビールを一緒に飲んだり、ミュージシャンになるためのアドバイスをしてくれたんだよね。翌日、CoB はTuskaフェスティバルで演奏し、彼はなんと “Bodom Beach Terror” を私と私の友人に捧げてくれたんだ。私は、この道を進むことにかつてないほどのモチベーションを感じながら英国に帰ったんだよ」
COB + EMPEROR などと陳腐な足し算ですべてを語る気はありません。ただし、未曾有のメタル・メルティングポットでありながら、ここ15年間の方程式をあえて捨て置いた WIZARDTHRONE の魔法には、たしかに亡き Alexi Laiho と CHILDREN OF BODOM の遺産が根づいています。
Mike と Matthew Bell (FORLORN CITADEL)。そのギターのデュエルは “Frozen Winds of Thyraxia” の凍てつくような風速を越えて、まばゆいばかりの爆発的なエネルギーをもたらします。さながら Alexi と Rope のコンビにも似た魅惑のダンス。タイトル・トラック “Hypercube Necrodimensions” では、その場所に ALESTORM や GLORYHAMMER の怪人 Christopher Bowes の高速鍵盤乱れ打ち、フォルクローレの瞬きが加味されて、”Wildchild” の面影がノスタルジアの星砂へと込められます。それは、テクデスのテクニカルな威圧をのみもってしても、パワー・メタルの勇壮をのみをもってしてもなし得ない、奇跡の瞬間でしょう。
一方で、”The Coalescence of Nine Stars in the System Once Known as Markarian-231″ の冷徹で黒々としたシンフォニックな響き、ナレーションを加えた “Black Hole Quantum Thermodynamics” のドラマティックなメタル劇場、”Forbidden Equations Deep Within the Epimethean Wasteland” の複雑を超越した音世界といった、様々なサブジャンルを予測不可能にシームレスに横断するハイパーキューブな黄泉の多次元体は、宇宙の真実を物語る現実を超えた壮大なサウンドに到達しているのです。もちろんそれは、メンバー各自が自身のバンドから持ち寄った “種” を育てた結果でもあり、スーパーバンドとしての理想形をも提示しているのではないでしょうか。
今回弊誌では、Mike Barber にインタビューを行うことができました。「サウンドよりも、彼らのアティテュードがこのアルバムの制作に影響を与えたと思う。ただし、タイトル曲には、CoB の解散に敬意を表して、明らかな影響をいくつか入れているよ。Alexi が亡くなってから、彼らは私にとってまた新たな意味を持つようになったんだ」 どうぞ!!
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH Øyvind Hægeland OF TERRA ODIUM !!
“We Didn’t Want To Sound Like The Newer Progressive Bands, Where The Guitar Is More Percussive, And The Keyboard Is Dominating. Nothing Wrong With That, We Just Wanted To Sound Different Than Those Bands.”
DISC REVIEW “NE PLUS ULTRA”
「SPIRAL ARCHITECT は死んでいないよ。新曲もたくさんあるし、全員が次のアルバムを作りたいと思っているんだ。次のアルバムを作るために必要な時間と作業量は恐ろしいほどに大量だけど、いつか何とかして実現したいと思っているからね。せっかくの音楽的なアイデアが日の目を見ないのはもったいないしね」
螺旋の建築。その名に違わぬ SPIRAL ARCHITECT のメタリックな捻れは、テクニックの狂気とアンバランスな歌唱を伴って、唯一のアルバムが今なお語り継がれる伝説となりました。そんな本来あるべきプログ・メタルの喜悦と陶酔を求めるならば、TERRA ODIUM の血統は完璧です。
「TERRA ODIUM ではメンバー全員がそれぞれの個性を発揮できるようにしたかったから、Steve は完璧にフィットしていたよ。もちろん、私は彼が DEATH でプレイしていた頃からのファンで、DEATH は私たちにとって重要なバンドだからね。昔からフレットレスの音が好きで、彼の音と演奏で TERRA ODIUM を他のバンドともっと差別化できると思ったんだ」
ノルウェーの SPIRAL ARCHITECT の元メンバー、ボーカル/ギターの Øyvind Hægeland とドラマーの Asgeir Mickelson。2人が率いるこの新組織は、名前こそ違えど、彼らがかつて創造した幾何学建築の精神を素晴らしく受け継いでいます。MANITOU の達人、ギタリストの Bollie Fredriksen、AMORPHIS のような英雄にオーケストレーションを施してきた Jens Bogren の申し子 Jon Phipps、そして DEATH や TESTAMENT で知られるメタル・アイコン、フレットレス・モンスター Steve Di Giorgio によって完成された TERRA ODIUM は、プログ・メタル愛好家にとって、音を聞く前から食欲をそそられような逸材に違いありません。
「私たちは、新しいプログレッシブ・バンドのように、ギターがよりパーカッシブで、キーボードが支配的なサウンドにはしたくはなかったんだよ。もちろんそれは悪いことではないんだけど、私たちはそういったバンドとは違ったサウンドにしたかったんだ」
エレクトロニカやシンセサウンドの大胆な導入、0000の麻薬はアトモスフェリックで中毒性の高いモダンなプログ・メタル建築を乱立させました。その方法論はシーンに活況をもたらすとともに、定型化や飽和を要因とする終わりの未来も同時に映し出したのです。ただし、プログメタル世界は、車輪の再発明から動き出す鼓動に再び熱を帯びつつあります。
「私たちが曲を作るときは、いつもギターのリフから始まるんだ」
TERRA ODIUM は、永遠に続く誇示よりもドラマ性を優先し、偏執的にディテールにこだわりながらも簡潔で記憶に残る無数のメロディーに彩られた、うっとりするようなギター・サーガを展開していきます。”これ以上はない” 究極のプログ・メタル “Ne Plus Ultra” は、DEATH, CYNIC, VOIVOD, WATCHTOWER, PSYCHOTIC WALTZ といった天才のエキセントリックで探求心を胸に、さらに数トンの音の筋肉、真実のオーケストレーション、壮大なドゥームの威厳をドーピングした異端のタワーマンションとしてその全貌をあらわしたのです。
7分間のヒプノティックな時間の中で、膨大なリフを惜しげもなくドゥームとスラッシュに捧げる “Crawling”、死を招くグルーヴとオーケストラの装飾がうねりの波にそびえ立つ “The Road Not Taken”。氷のように妖しく黒い “Winter” では、目まぐるしいプログレッシブでテックな迷宮でフレットレスの狂気を見せつけます。
中でも、CANDLEMASS や KING DIAMOND の不気味なシアトリカルに浸りながらも、プログレッシブの名手としてその矜持を見せつける “The Thron” は、驚異的なメタルの嗚咽であると同時に、非常に巧妙で変態的な12分の不均衡として TERRA ODIUM の本懐を遂げた楽曲にも思えます。これ以上のものがあるでしょうか?
今回弊誌では、Øyvind Hægeland にインタビューを行うことができました。「音楽業界には、ビッグなライブや当時のバンドが持っていたクールなイメージ、そしてもちろん女の子やお金など、私を惹きつけるものがたくさんあったからね。プログレッシブ/テクニカル・メタルはほとんど、あるいはまったくお金にならないし、ほとんどの女の子はこういった音楽が好きではないという真理に気づくには遅すぎたね!(笑)」 どうぞ!!
EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH HUNTER GINN OF CANVAS SOLARIS !!
“As Far As Djent Goes, I Hate It. I Think It’s a Watered-Down, Trash Version Of Meshuggah That Captures None Of That Band’s Invention, Intensity, Or Imagination. That Whole Scene Can Drift Offer Into Oblivion, For All I Care.”
“Syncopated Guitars And Drums… A Lot Of People Were Saying, ‘Well, Meshuggah Made That Popular, Yeah, Meshuggah Didn’t Make It Popular Till Much Later. Fear Factory At That Time Was a Much Bigger Band. We Were The Only Band, Really, At The Time That Was Really Popularizing That Style With The Syncopated Guitars And Drums.”
FEAR FACTORY DEMANUFACTURES AGGRESSION CONTINUUM
FEAR FACTORY の偉業。未来はいつも今、作られ続けています。1995年にリリースされたセカンド・アルバム “Demanufacture” のリリースから25年以上が経過し、読者の中にはもしかすると発売当時生まれていなかった人もいるかもしれません。しかし、そんなリスナーでもこのアルバムを耳にして、時代遅れだとか古臭いといった感想を待つ事はきっとあり得ません。”Demanufacture” は時代を遥か先取りした革新的な作品であり、そして現在でも当時と同じように新鮮に聞こえます。メタルとハードコアの近未来的衝突。
実際、”Demanufacture” はメタルの未来と、インタラクティブ・テクノロジーや人工知能の暴走を、鋭く、力強く予言していました。エクストリーム・ミュージックのサウンドを永遠に変えながら。
実のところ、FEAR FACTORY は広く成功する可能性を持ったバンドではありませんでした。1991年のデビュー作 “Soul Of A New Machine” は、デスメタル、グラインドコア、インダストリアル・ミュージックからヒントを得た、非常に新鮮で独創的なエクストリーム・メタルのレコードでバンドのユニークさを存分に認識させましたが、彼らの音楽的ビジョンが真に生かされたのは、1993年に発表された同様に画期的な “Fear Is The Mindkiller remix EP” でした。FRONTLINE ASSEMBLY の Rhys Fulber が解体・再構築したリミックスの輝きは、喜びに満ちた異種交配によって FEAR FACTORY を正しい方向へと誘い、やがて彼らのキャリアを決定づけるアルバムへと導いたのです。ギタリスト Dino Cazares は当時を振り返ります。
「”Fear Is The Mindkiller” は、俺たちがやりたかったこと。ただ、最初はそのための技術がなかったんだ。キーボードのサンプルもなければ、Rhys が使用するようなコンピュータもなかった。だから、ギター、ベース、ドラム、ボーカルでマシンをエミュレートしようとしたんだ。KMFDM や Ministry のような古いインダストリアル・バンドを聴くと、メタルのリフをサンプリングし、それをループさせて同じリフを何度も繰り返しているよね。僕らはそれを楽器で真似しようとしたんだ」
“Soul Of A New Machine” で礎を築き、その後、リミックスアルバム “Fear Is The Mindkiller” で理想に近づいた FEAR FACTORY。しかし、やはり “Demanufacture” は別格でした。その遺産、今日まで続いている影響、そしてメタルのスタンダードになった手法は多岐に及びます。
まず、クリーン・ボーカルと極端なデス・グラントをミックスした Burton C. Bell のスタイルに注目が集まりました。
「特に、クリーン・ボーカルと極端なデス・グラントをミックスした俺のスタイルは、メタル界のスタンダードとなった。 もしわかっていたら、自分のスタイルを商標登録していただろうね。そんなことはできないだろうけど (笑)。”Fear Is The Mindkiller” の後、俺たちは “Soul Of A New Machine” と “FITM” とのコンビネーションを求めたんだ。完全なエレクトロニックではなく、新しい展開があり、また、多くのハードコア・バンドとツアーをしていたから、ハードコアやメタルの雰囲気も残したかったんだ。そこにさらにもう少し新鮮さを加味したいと思って、ボーカルの幅を広げ始めたんだよね」
そのボーカル・スタイルにはどうやってたどり着いたのでしょう?
「そうだな、正直俺はあまりメタル系の人間ではなかったんだ。好きなメタルバンドはいくつかあったけど、どちらかというと HEAD OF DAVID や SONIC YOUTH, BIG BLACK といったバンドの方が好きだったね。他のバンドの中にもすごく好きな部分があって、例えば GODFLESH では Justin が歌うというより、うめき声のような感じで感情を露わにしている。俺は Justin の真似をしようとしたんだけど、うめき声ではなくメロディーのようなものが出てきたんだ。クールなサウンドだったからそのまま続けてみたら、そのボーカル・スタイルをより多く曲に取り入れることができたんだよね。すべての曲ではないけど、”Pisschrist”, “Self Bias Resistor”, “Zero Signal”, “Replica” みたいな曲では、とても効果的だった。ただ、それはまだはじまりに過ぎず、今でもさらに発展し続けているんだよ」
時代を先取りしていたのは、Burton のボーカルだけではありません。Raymond Herrera のドラムパターンの驚速と激しさは、バンドが本物のドラマーではなく、ドラムマシンを使っていると思われるほどでした。
「彼はスタミナと体力をつけるために、コンバット・ブーツやレッグ・ウェイトを使って演奏していたんだ。人々は、彼が本物のドラマーであることを信じていなかったし、シンガーが一人であることも信じていなかったんだよ。つまり、俺たちには多くの誤解を解いて回らなきゃならなかった。特に初期のツアーでは SICK OF IT ALL や BIOHAZARD のようなハードコア・バンドと一緒に回っていたから、受け入れてもらうのに時間がかかったね」
自身も右手に重りをつけ、左手指の関節を固定してマシンガンピックを養った Dino は、自分たちの音楽にターボチャージャーをかけてパワーアップさせる方法を見つけようとしていました。Rhys Fulber が回顧します。「”Fear Is The Mindkiller” では、それまで演奏されていなかったようなインダストリアルなクラブで演奏するようになったからね」
FEAR FACTORY とロードランナーとの契約に尽力した著名なメタルA&Rのモンテ・コナーは、このバンドの特異なアプローチにいち早く可能性を見出し、革命的だと主張した人物です。
「FEAR FACTORY は最初から先駆的だった。残忍なデスメタル・バンドが、ポップなコーラスを入れていたんだから。しかし、 “Demanufacture” を制作していたときの目標は、デスメタルから完全に新しいものへと進化させることになったんだけどね」
関係者全員の多様な嗜好。FEAR FACTORY はそもそも決して一般的なメタル・バンドになる運命にはありませんでした。デスメタル、インダストリアル、エレクトロニカ、サウンドトラックなど、バンドが愛してやまないものすべてが、スリリングで見慣れない新たなアイデンティティへと集約されていきました。90年代初頭は、商業的にはメタルにとって最も恵まれた時代ではありませんでしたが、SEPULTURA, PANTERA, MACHINE HEAD, KORN などと並んで FEAR FACTORY は新しいやり方とサウンドを考案することで、このジャンルに新鮮な命を吹き込んでいたのです。Burton が説明します。
「俺たちは、FEAR FACTORY をこんなサウンドにしたいというビジョンを持っていたけど、自分たちの技術を理解し、そのポイントに到達する方法を把握するのに時間がかかったんだよね。”Demanufacture” の時点で、すべてがまとまったんだ。歌詞、コンセプト、サウンド、アレンジ、プロダクション…すべてがね。チャンスを逃すことを恐れてはいなかった。だから自分たちの好きなことだけをやっていたよ。コーラスをビッグにしたり、テクノの要素を取り入れたり。自分たちが好きなら、やってみようという感じだった。失うものは何もなかったんだから」
1994年10月から12月にかけてレコーディングされた “Demanufacture” に問題がなかったわけではありません。バンドは、シカゴの Trax スタジオでレコーディングを開始しましたが、すぐに自分たちが期待していたものとは違うことに気づきました。
「次から次へと問題が出てきて、まさに最悪の状態だったな。ドラムを聴き直すと、マイクが機能していなかったせいで多くの音が欠落していた。俺たちは、”この場所はクソだ ” と思い、FAITH NO MORE が “King For A Day” をレコーディングしていたウッドストックに飛んだんだ。空きスペースはあったんだけど、1ヶ月分もはなかったから、結局、シカゴのデイズ・インで1ヶ月間、床に寝ることになったよ。その後、ベアーズビルのスタジオが使えるようになるまで、マネージャーの家に住んでいたね。ここの未完成の地下室を使って、文字通り地面の上でリハーサルをしていたんだ。6月から10月の間、俺たちは宙ぶらりんだった」
ベアーズヴィルは彼らのニーズに合ったスタジオでしたが、バンドには時間がなく、ロンドンのウィットフィールド・ストリート・スタジオでボーカルを完成させました。アルバムの音がちょうどよくなるまで、何度もミックスとリミックスを繰り返しました。また、アルバムにクレジットされてはいますが、ベーシストの Christian Olde Wolbers はバンドに入ったばかりで、Burton によると「十分にタイトな演奏ができなかった」ため、彼のパートはギタリストの Dino Cazares が担当したといいます。その Dino がレコーディングを振り返ります。
「俺たちは、山の中の都会人だった。スタジオでは、FAITH NO MORE と BON JOVI に挟まれていたんだ。FAITH NO MORE とはよく一緒に遊んだと言っておこう。ドラムを始めてからは順調だったんだけど、ギターを始めたところで壁にぶつかってしまった。最初のプロデューサー Colin は俺のギター・トーンが気に入らなかったんだ。2週間も喧嘩して、1音も録れなかったんだよ!」
プロデューサーとの対立の中で、Dino と Burton は、時間がどんどん過ぎていき、予算がどんどんなくなっていくのを感じていました。Colin は、Dino が機材を変えるべきだと断固として主張した。Dino は Colin に「失せろ」と言いました。
「これが俺の音なんだ!ってね。ある日、あまりにもイライラしていたから、スタジオから坂を下ったところにあるフルーツ・スタンドまで歩いて行ったんだ。そこで働いていた男の人に見覚えがあって、それが DC のハードコア・レジェンド BAD BRAINS のギタリスト、Dr. Know だったんだよね。そこで彼と話をして、今の状況を伝えると、彼は『君が使えるものを持っているよ』と言ってくれた。それで、俺のアンプを彼のキャビネットに接続してみたところ、突然、ドーンと音が出てきたんだ。みんな額の汗を拭いていたよ。ハハハ!」
膠着状態が解けたことで、”Demanufacture” の制作が本格的に始まりました。キーボード、サンプル、サウンドエフェクトに重点を置きながらも、リフとキックドラムの同期した機械的ブレンドによって前進するこのアルバムは、11曲で構成され、メタルの新しいマニフェストとなることが約束されていました。しかし、アルバムに対する Dino のビジョンは、その集中力と激しさゆえに、Colin Richadson がミックスを担当するにはもはや適任ではないという結論へと急速に達していました。Rhys Fulber が証言します。
「Colin を悪く言うつもりはないよ。彼は素晴らしい人だけど、俺たちは違う方向に進んでいると感じていた。もし彼がミックスしていたら、典型的なメタルのレコードになっていただろうな。俺たちには既成概念にとらわれないことが必要だった。最初のミックスは最悪でね。キーボードが前面に出ていなくて、俺たちはあの音を大きくしたかったからレコードのコントロールを取り戻したんだ」
誤った情報の宝庫であるウィキペディアによると、”Demanufacture” は、映画『ターミネーター』の第1作目からインスピレーションを得たコンセプト・アルバムであるとされていますが実際はどうなのでしょう? Dino が振り返ります。
「俺たちは最初からSF映画のファンだった。『マッドマックス』は、1979年に撮影されたものでずいぶん昔の話だけど、俺らは子供の頃にそれを見ていたんだ。その後、突然『ターミネーター』が登場して、”Soul of a New Machine” の時に、『ターミネーター2』に出てきた液化したT-1000という新型ターミネーターの記事を読んで、新たな機械の魂ってアルバムのタイトルとしては最高だなと思ったんだ。だから、俺たちは明らかにテクノロジーを受け入れ、それを FEAR FACTORY の大きなコンセプトにしたんだ」
Burton は、SF がインスピレーションのひとつであることに同意するものの、それは多くの源のひとつに過ぎないと語ります。
「俺は『ロボコップ』、『ブレードランナー』、『フォーリング・ダウン』、『アポカリプス・ナウ』のファンだった。あと、”The Closet “という映画があって、そこでは冷戦時代の東側の尋問が描かれていて、それがいくつかの曲のインスピレーションになっているんだ。当時のビデオゲームからもいくつかヒントを得たね。でも、一番のインスピレーションは、92年のLAでの暴動だったと思う。俺たちはアレを経験しているから。殴られたり、裁判を傍聴したりね」
Dino が付け加えます。
「1990年から1995年にかけて、火事、洪水、暴動が起こった。1994年には大きな地震があり、ロサンゼルスが破壊されるのを目の当たりにしたよ。略奪者、銃撃戦、国家警備隊の夜のパトロールなどを目の当たりにね。Burton はそのすべてを “Demanufacture” に注ぎ込むことができたんだよ。このアルバムの最初の行は、”Desensitised by the values of life… ” だからね」
皮肉なことに、暴動が始まった日、バンドはLA南部で “Soul Of A New Machine” の写真撮影を行っていました。その場所は、暴動がはじまったフローレンスとノルマンディーから文字通り3ブロック離れた場所でした。Burton が回顧します。
「人々が集まって抗議活動を始めたとき、ちょうど車でそこを通っていたんだ。これはひどいことになるぞ、早くここから出ようと思っていたね。そして、実際に醜くなった。ピリピリしていたよ。誰もが敵対し、標的になっていた。誰も警察を信用していなかった。シュールだったね。ビルの屋上で自動小銃を持って商品を守っている人もいたんだから。俺たちは “Demanufacture” の時代に生きていて、人間と戦い、生き延びるために必死だった。精神的にも肉体的にも影響を受けたよ。つまり、住んでいた場所を失い、正式にホームレスになって、94年の “Demanufacture” のレコーディングが終わるまで、ソファで暮らしていたんだから」
COVER STORY : ESOCTRILIHUM “DY’TH REQUIEM FOR THE SERPENT TELEPATH”
“It’s a Kantele, a Finnish Instrument. This Stringed Instrument Is Really Incredible, Because There Is Clearly a Mystical Character In The Frequencies Emitted By This Instrument! Actually, I Discovered The Kantele In a Very Surprising Way.”
Q1: First of all, you were born in Israel. From jazz, classical music, to metal, recently Israeli artists are leading the music scene. How does your being born and raised in Israel affect your music?
【TOMER】: I’m not sure it affected me very much aside from those middle eastern influences which for me it’s just the soundtrack of everyday life. We are still getting all the worldwide music like everybody else does but I guess that you could say that there are more traditional elements in our music thanks to the place we live.
Q2: What is the metal/rock scene like in Israel? Is it hard to keep playing rock music in Israel?
【TOMER】: I think it’s all a matter of how strong your willpower is. There are many rock artists in Israel singing in Hebrew and english but most are not breaking the glass ceiling. We have indie rock festivals mixed with other popular music,Metal is definitely less popular but there has been a solid scene for decades and it is expanding mostly towards Extreme metal. In terms of Audience traction, it can be sometimes difficult but if you really believe in yourself and persevere you can get far. This is the advantage of a small country, when you succeed, everyone hears about you immediately. We have a wide range of styles here and a varied scene, a lot of hungry hard working bands. We are very lucky to be able to play overseas, as it’s difficult in our region to tour. Most of our audience is not in Israel, but when we succeed outside of Israel, everyone back home is happy for us and it warms our hearts.
Q3: Israel is famous for Orphaned Land and Salem, but they are more metal than you are, right? How do you feel about being compared to them?
【TOMER】: First of all, we love these guys to pieces. We have a long relationship with Orphaned Land, from their early days (me and Kobi have been working together in an EDM and Trance music label when we were young) and up until today. Matan Shmuely Played Drums on all of our Albums and Idan Amsalem contributed buzuki and a guitar solo on our track “Mangata”. We have been on the road with them for around 43 shows, we see them as brothers and we are proud of their achievements. Also Salem’s, we appreciate the musical history of our scene. Comparisons are a natural thing, especially when the rest of the Israeli scene is not very much known, so we are actually proud to be that next Israeli band that makes waves around the world and that more and more people start talking about and listening to. There were not a lot of Israeli metal/rock Bands since the 90s that got far and we are determined on being the spearhead of the next rock and metal wave from this country.
Q3: イスラエルといえば、あなたたちの他に ORPHANED LAND と SALEM が有名ですよね。
ただ、彼らはあなたたちよりももっとメタル寄りでしょう。比較されることにはどう感じていますか?
【TOMER】: まず第一に、僕たちは彼らのことを心から愛している。ORPHANED LAND とは、彼らの初期の頃(僕とギタリストの Kobi は若い頃、EDM やトランスの音楽レーベルで一緒に仕事をしていた)から今日まで、長い付き合いがあるんだよね。
Matan Shmuely は僕たちのすべてのアルバムでドラムを演奏してくれたし、Idan Amsalem は僕たちの曲 “Mangata” でブズーキとギターソロを担当してくれた。彼らとは43回の公演を共にしてきた。僕たちは彼らを兄弟のように思っており、その功績を誇りに思っているんだよ。
同じく SALEM も、僕たちのシーンの歴史にとって非常に重要なバンドだ。特にイスラエルのシーンがあまり知られていないからこそ、比較されるのは当然のことだよね。だから僕たちは、世界中で話題になり、より多くの人が話題にしたり聴いたりするような、次のイスラエルのバンドになることを誇りと共に誓っているんだ。
90年代以降、イスラエルのメタル/ロック・バンドはあまり活躍していなかったけど、僕たちはこの国の次のロック/メタル・ウェーブの先鋒になることを決意しているからね。
Q4: I really like the band name Subterranean Masquerade, why did you choose it? It seems to be the opposite of the album title “Mountain Fever”, would you agree? haha.
【TOMER】: Truth be told, I wasn’t thinking about that but you are totally right, haha. I came up with the band name around 25 years ago.. Such a long time, i can’t even remember how I came to this. I did think about changing the name into something more accessible a few times but somehow we decided to stick with this one.
Q5: Green Carnation’s Kjetle Nordhus and Novembers Doom’s Paul Khur were out and Vidi Dolev who handles both the clean vocals, and the growls was in. Why was this change made, and what is good about Vidi?
【TOMER】: Long distance relationships are not easy, especially when everybody got few bands. Kjetle was just recording the new Green Carnation album and Paul is living in the USA, very far away from where we are. We also always knew we are a touring band and that requires dedication and time.. It’s not always working for everybody. Vidi is an old friend and a very respected musician in the Israeli music scene.. He entered those big shoes of Paul and Kjetle and worked his way into our hearts and family.
Q5: 今回は GREEN CARNATION の Kjetle Nordhus, NOVEMBERS DOOM の Paul Khur の参加はなく、Vidi Dolev がクリーンとグロウルの両者を兼任して歌っていますね?
【TOMER】: 遠距離でうまくやるのは簡単じゃないからね。特に、みんながいくつかのバンドを持っているときは。Kjetle はちょうど GREEN CARNATION のニューアルバムをレコーディングしていたし、Paul はアメリカに住んでいて、僕たちがいる場所からとても離れているんだよ。
それに、僕たちは常にツアーバンドで、そのための献身と時間が必要であることを知っていたからね…。誰もがうまくいくわけじゃないんだよ。
Vidi は古い友人で、イスラエルの音楽シーンでとても尊敬されているミュージシャンなんだ。彼は Paul と Kjetle の後任として存分な実力を発揮し、僕たちの心に家族のように入り込んでくれたんだ。
Q6: “Suspended Animation Dreams” was crazy experimental metal. “Vagabond” was more traditionally proggy than earlier albums. I think “Mountain Fever” is a mix of those two, along with your usual dose of jazz, and middle-eastern melodies, Would you agree?
【TOMER】: Yes, I totally agree. I think that Mountain Fever got something more to do with S.A.D then with Vagabond though it’s a lot more focused and mature. It is as risky and varied as that album but so much more focused and well executed.
Q7: Percussion and other ethnic instruments are an important part of the album. What are some of the difficulties in combining metal and traditional music?
【TOMER】: It’s all about colors and about how to glue it all together. We have been working very hard on the arrangements for this album, really knit picking every moment of it. Tha main challenge was recording each instrument the best way , meaning, we had to use about 10 different studios to make it the best sounding arrangement possible, for example, the room we recorded the violins at, was not necessarily the best room for percussions, so we went to a different studio to record the percussions and so on. Everything had to be very accurate in the way of recording, otherwise we would be having a lot of trouble mixing into one texture which makes sense. On the other hand, we didn’t want the mix to sound like 10 different rooms, so after recording all the ethnic instruments we actually reamped the guitars to glue it all better. Everything had to work as a macro, but in order to do it, the pre production was full of ants work.
We are very grateful to anyone who takes the time to listen to our music. Life is short and it’s not obvious at all you chose to press play. We hope to come to Japan as soon as possible. Until then – we wish you health and happiness Arigatō gozaimashita!