“Blackwater Park” という言葉は、多様なモダン・プログが話題になる時、さまざまな文脈で必ず出現します。
「 このレコードは、”Blackwater Park” のようにデスメタルとプログを交配しているね?」
「彼らの新作は好きだよ。”Blackwater Park” ではないけど、新しいサウンドで前進している」
Mikael Akerfeldt と Steven Wilson。モダン・プログの二巨星が初めて出会った場所。OPETH にとって5枚目のアルバムが、最も決定的で完璧に構成されたレコードであるという考えに反論するのは困難でしょう。このアルバムが当時のプログレッシブ・メタル界に与えた影響の大きさに反論することも不可能に近いはずです。今日に至るまでこのアルバムは、現代の大半のリリースとの比較対象であり続け、現代のプログレッシブ・ミュージックの重鎮たちが最も高く評価しているレコードでもあるのです。
しかし、21世紀の変わり目にせめぎあったメタルバンドの群れの中で、このアルバムを際立たせたものは何だったのでしょう?なぜこのアルバムはモダン・プログの名盤の一つとして崇められているのでしょう?それを知るためには、千年紀の変わり目、ヨーロッパの重苦しい風景に戻らなければなりません。SNSのナルシスト的な強迫観念や、ブログの前の時代で、新聞が本物のニュースソースであり、CDの売り上げが本物の指標であった時代。
90年代後半、METALLICA がスラッシュのルーツから脱却したことで、メタルの曲作りとイメージ両方に対するアプローチは変化が生じていました。楽曲はより短く、ラジオで流れやすいものに。Nu-metal はMTVを席巻し、ドレッドとトラックパンツがトレンドに。KORN, SLIPKNOT, LIMP BIZKIT, LINKIN PARK といったバンドは、ヒップ・ホップとメタルを融合させたエクストリーム・ミュージックの新たな巨匠となり、テレビやラジオを席巻したのです。
簡単に言えば、プログは完全に過去のものになりました。
1992年に DREAM THEATER が発表した “Images and Words” の成功は、ある種偶然のようなもので、PORCUPINE TREE, SYMPHONY X, MESHUGGAH といったアンダーグラウンド・コミュニティ最高の秘密は、まだ無名のまま。プログは、70年代、80年代の遺産を大事に食い潰しながら生き永らえていたのです。
一方で、厳しい冬のスカンジナビアでは、1990年代半ばに IN FLAMES, AT THE GATES などのメロディックなデスメタルが開花し、80年代半ば、メタルのピーク時から残っていた少数の人々により速く、より重い出口を提供しました。この時期の北欧は、メタルを多様に進化させた鬼才の花園でした。しかし、世紀が変わる頃には、ブラスト・ビート、グロウル、ギター・ソロが時の試練に耐えられず、メロデス自体は世間の目から下降線を辿り始めます。さらに、ダイナミクスの欠如、テーマの同一性、反復性の強調などが相まって、90年代後半にはすでにこのジャンルに対する不満も高まっていたのです。
1999年、OPETH は “Still Life” をリリース。このアルバムでは、デス・メタルとアコースティックな要素を融合させ、プログレッシブな精神をより深く浸透させています。しかし OPETH にとって4枚目のアルバムは、優れたコンセプト・アルバムであったにもかかわらず、彼らが費やした努力と希望に報いるまでの注目は集めることができませんでした。それでも、Peaceville Records と契約しツアーの機会が増えたことで、マスターマインド Mikael Åkerfeldt とメンバーは、大きなブレークがすぐそこまで来ているという希望を感じていました。
その予感は期待を超えて的中します。2001年に発表された “Blackwater Park” は、このスウェーデンのグループにとって大きなステップストーンとなっただけでなく、エクストリーム・メタル全体にとっても大きな飛躍となったのですから。
「最終的に、音楽を店頭に並べ、より多くの人々に届けてくれるレーベルと関わることができて、とても嬉しかったな。それまで僕たちの存在を知らなかったメディアからも注目されるようになり、ついにはきちんとしたツアーに出て、あちこちで演奏できるようになったからね。僕たちにとって重要な時期だったよ。だから外側から見れば、”Blackwater Park” が僕たちにとって大きな変化をもたらしたという感覚があるのも理解できるよ」
その理由の一つは、OPETH がステップアップとなった Peaceville を離れてさらにビッグな Music for Nations に移籍することとなり、流通やプロモーションの見通しが広がったことにありました。当初、 Åkerfeldt はこの義務的な移動に不満を抱いてい増したが、すぐにそれが最善であることに気付きました。Music for Nationsには、プロとしての態度、豊富なスタッフ、運営のためのロジスティック能力が備わっていました。この新しいパートナーシップにより、OPETH はÅkerfeldt とギタリストの Peter Lindgren が敬愛する PORCUPINE TREE の Steven Wilson をプロデューサーとして迎えることができたのです。
「僕たちが抱えていた問題は、ビジネス上のものだった。最初の10年間で4枚のアルバムをリリースしたけど、ツアーは1回しか行わなかった。10年間でツアーは1回だけ! 僕たちの作品を聴いてくれる人がたくさんいることはわかっていたけど、所属していたレーベルが外に出してくれないことに不満を感じていたんだよ。だけど”Blackwater Park” では、イギリスのMusic For Nationsと契約したことで、その状況が一変したんだ。だけど音楽的には、このアルバムはまったく変化していないと思う。注目されているからそう見えるのかもしれないけど、前のアルバム “Still Life” を聴いても、同じスタイルなんだよ」
Wilson は Åkerfeldt にメールを送り、”Still Life” の巧みなスタイルが彼のメタル愛を再活性化させたと伝えていましたが、それでも Åkerfeldt は当初 Wilson の名声と博識に怖気づいていました。しかし、ロンドンのカムデンにあるタコスバーで出会った二人は意気投合し、Wilson は “Blackwater Park” の制作に参加することになりました。
「僕たちは、”Still Life” “My Arms Your Hearse” の両方で、Fredrik Nordstrom というスウェーデン人エンジニアとコラボレーションしていた。メタルシーンでは有名で、多くのバンドをプロデュースしていて、ヨーテボリに自分のスタジオ(Studio Fredman)を持っていたからね。彼は、僕たちが外部のプロデューサーを起用するならば、自分が第一候補になるだろうと常に考えていたんだろう。しかし、残念ながらそうじゃなかった。
Wilson のことを Nordstrom に伝えたとき、彼は少し傷ついていたね。怒りはしなかったけど、明らかに動揺していた。幸いなことに、彼とスティーブンは一度会うととても仲良くなって、スタジオで問題が起こることはなかったね。お互いに理解し合い、素晴らしいパートナーシップを築くことができた。最終的に、僕たちは Nordstrom にアルバムのミキシングを任せたんだ。みんな彼を信頼していたし、仕事も素晴らしかった」
“Book of Opeth” の中でWilson は「当初は、自分に何ができるかもわからず、メタルのこともよく知らないのに、メタルバンドをプロデュースすることに不安を感じていた」と認めています。
「1995年にリリースされたアルバム “The Sky Moves Sideways” を聴いて以来、Wilson のファンだったんだ。一緒になったのは、ほとんど偶然だったけどね。”Still Life” が発売された頃、僕はようやくインターネットを始めたんだ。驚いたことに、最初に受け取ったメールの1つが Wilson からのもので、僕たちの作品をどれだけ愛しているかを綴っていたんだ。とにかく、彼に会うためにガールフレンドと一緒にイギリスに飛んで行って、食事をして、最後に僕たちをプロデュースしてくれないかと頼んだね。そして彼は、僕と同じように熱心に取り組んでくれたんだ」
OPETHのファンを満足させなければならないというプレッシャーと、バンドが必要とする冒険的スタイルも不安の要因となりました。しかし幸いなことに、Wilson は Åkerfeldt の夢の実現に最適な人物でした。熟練したプロデューサーとしての役割と、真に進化的なパフォーマーとしての役割を併せ持つ Wilson は、 “Blackwater Park” をプログレッシブ・デスメタルの歴史において、驚異的に洗練された、不可欠なパートのみで構成された、時代を超えた作品に仕上げたのです。そしてこの作品においての彼の仕事は、OPETH を後の”Deliverance” や “Damnation”、そして PORCUPINE TREE を2002年の “In Absentia” や2005年の “Deadwing” といった場所へと導くことになりました。
「多くのファンが、僕たちがメタル系のプロデューサーと仕事をしていないことを知って心配したことは知っている。だけど、彼は僕たちのサウンドを変えるのではなく、強化してくれたんだ。メタルの世界で、他の人と同じようなビッグネームを起用しても意味がなかっただろうな。僕たちは、リスクを冒したかったんだ。なぜなら、そうすることで、楽曲から最高のものを引き出すことができるからね」
バンドと Wilson はスタジオの狭い部屋に2週間寝泊まりしたあと、DARK TRANQUILLITY の Mikael が所有していたアパートに居を移しました。
「窮屈に見えたかもしれないけど、僕たちの頭の中には音楽のことしかなかったから。気が散るものは何もなく、僕たちは曲で結ばれていたんだよ。それがとても重要だった。家から遠く離れた場所(バンドはストックホルムを拠点としていた)にいると、気が散って仕方がないからね」
アルバムのオープニングを飾る “The Leper Affinity” は、当時 OPETH が得意としていた獰猛で幕を開けますが、楽器の上でボーカルがまさに唸りを上げる姿は、この曲をネクスト・レベルに引き上げています。洗練された激しさの中に、ほろ苦いフォーク・ロックの側面があり、最後には Wilson のアイデアによる哀愁を帯びたピアノのモチーフまで登場。
「Steven Wilson を感動させようとしていたんだ。彼はそれまでメタルバンドをプロデュースしたことがなかった....だから少し緊張していたと思う。俺たちが思いついたアイデアはすべて、彼に使えるかどうか尋ね、修正してもらったね。彼自身も奇妙なアイデアを出してきて、僕たちはそれを気に入り、結局使用することになった」
Akerlfedt は、ウィルソンとの共同作業がバンドのサウンドを「向上」させたと述べ、この決断がもたらしたポジティブな結果についてさらに詳しく説明しています。
「彼は、レコーディングの途中で面白い角度からのアイデアを沢山思いついた。彼のちょっとした仕事が、最も大きな影響を与えたんだ」
そういったアイデアは、Wilson が全曲で演奏したピアノのラインにも見られます。中でも、アルバムの最後に収録されている2分間のアコースティックな小曲 “Patterns In The Ivy” は圧巻です。この曲は、真のデスメタルファンの琴線に触れ、このレコードの奥底に存在する暗く冷たい「ブラック・ウォーター」な感情を象徴しています。
さて、その Mikael と Steven が導火線となったモダン・プログを中心に扱った書籍 PROG MUSIC DISC GUIDE が本日発売となりました。Marunouchi Muzik Magazine 編集長 Sin こと私、夏目進平も執筆で参加しております。弊誌読者様にはかならず訴えかける内容だと思います。お手にとっていただければ幸いです。
“The Last Death Metal I Bought Because I Was Interested Was “Domination” by Morbid Angel. That’s 1995, a Long Time Ago Now. I’m Not Saying It’s Just Been Bad Releases Since Then, Of Course Not, But That’s The Last Time I Felt Like I Wanted To Hear What’s New.”
ただし音楽を先に生み出し、後に歌詞をつけるのが Mikael のライティングスタイルです。普段は50分ほどのマテリアルで “打ち止め” する Mikael ですが、”In Cauda Venenum” のライティングプロセスでは溢れ出るアイデアは留まるところを知りませんでした。
「この作品ではこれまで以上に書いて書いて書きまくった。それで3曲もボーナストラックがつくことになったんだ。」
スウェーデン語のアイデアは、当初メンバーたちの同意を得られなかったと Mikael は語っています。ただし、何曲かのデモを聴かせるとその考えは180度変わりました。
「奇抜なアイデアと思われたくはなかったんだ。いつも通りやりたかったからね。ただ別の言語を使っているというだけでね。」
スウェーデン語バージョンと英語バージョンの違いは Mikael の歌唱のみ。「言葉がわからないからアルバムをスキップしてしまうのでは」という不安から英語でも吹き込むことを決めた Mikael ですが、彼のクリーンボイスはビロードの揺らぎで溶け出し、スウェーデン語の違和感を感じさせることはありません。むしろ際立つのは言葉に宿るシルクの美しさ。
実際、その不安はすっかり杞憂に終わりました。Billbord のハードロックアルバムチャート3位、ロックアルバム9位の健闘ぶりはそのアイデアの魅力を素直に伝えています。
どちらかと言えば Mikael はスウェーデン語のバージョンを推奨しているようです。
「スウェーデン語がオリジナルで最初に出てきたものだから、やはりイノセントだし少しだけ良いように思えるよ。まあ選ぶのはリスナーだけどね。」
故にアルバムタイトル “In Cauda Venenum” はどちらの言語にもフィットするようラテン語の中から選ばれました。「尾には毒を持つ」ローマ人がサソリの例えで使用したフレーズは、フレンドリーでも最後に棘を放つ人物のメタファー、さらには “想像もつかない驚きを最後に与える” 例えとして用いられるようになりました。
Travis Smith が描いたアートワークもその危機感を反映します。窓辺に映るはメンバーそれぞれのシルエット。ヴィクトリア建築の家屋は悪魔の舌の上に聳えます。「悪魔に飲み込まれるんだ。最後には不快な驚きを与えるためにね。」
ではアルバムに特定のコンセプトは存在するのでしょうか?
「イエスと言うべきなんだろうがノーだ (笑)。コンセプトアルバムとして書いた訳じゃない。ただ、”Dark Side of the Moon” みたいなアルバムだと思うんだ。あの作品を聴いてもコンセプトは分からないけど、循環する密接なテーマは感じられる。KING DIAMOND みたいに明確なコンセプト作じゃないけどね。だから俺は言ってみれば現代の “リアル” をテーマにしたんだと思う。」
2016年にリリースした “Sorceress” との違いについて、Mikael は前作はより “イージー” なアルバムだったと語ります。
「”Sorceress” はストレートなロックのパートがいくつか存在するね。構成もそこまで入念に練った訳じゃないし、ストリングスもあまり入ってはいないからね。」
一方で “In Cauda Venenum” は 「吸収することが難しく、”精神分裂病” のアルバム」 だと表現します。その根幹には、深く感情へと訴えかける遂に花開いた第2期 OPETH のユニークな多様性があるはずです。
さらにギタープレイヤー Fredrik Åkesson もここ10年で最も “練られた” アルバムだと強調します。
「”Watershed” 以来初めてレコーディングに入る前にバンドでリハーサルを行ったんだ。僕はいつもそうしようと主張してきたんだけどね。おかげで、スタジオに入る頃には楽曲が肉体に深く浸透していたんだ。そうして、可能な限りエピックなアルバムを製作するって目標を達成することができたのさ。」
そして Mikael からのプレッシャーに苦笑します。
「僕はギタリストにとって “トーン” が重要だと思っている。理論を知り尽くしたジャズプレイヤーでもない限り、トーンを自分の顔に出来るからね。”Lovelorn Crime” では Mikael から君が死ぬ時みんなが思い出すようなギターソロにしてくれって言われたよ。(苦笑)」
では Fredrik は現在の OPETH の音楽性をどう思っているのでしょうか?
「もし “Blackwater Park” のような作品を別のバージョンで繰り返しリリースすれば停滞するし退屈だろう。ただあの頃の楽曲をライブでプレイするのは間違いなく今でも楽しいよ。Mikael のグロウルは今が最高の状態でとても邪悪だ。だからまたいつかレコードに収録だってするかも知れないよ。」
Mikael が OPETH を政治的な乗り物に利用することはありません。それでも、スウェーデンの “偽善に満ちた” 社会民主労働党と右派政党の連立、現代の “リアル” を黙って見過ごすことは出来ませんでした。
「”Hjartat Vet Vad Handen Gor/Heart in Hand” はそうした矛盾やダブルスタンダードについて書いた。俺の社会民主的な考え方を誰かに押し付ける気はないんだけどね。アイツらと同じになってしまうから。だけど奴らの偽善だけは暴いておきたかった。」
Mikael にとってそれ以上に重要なことは、涙を誘うほどにリスナーの感情を揺さぶる音楽そのものでしょう。
「もっとリスナーの琴線にふれたかったんだ。究極的にはそれこそが俺の愛する音楽だからね。ただ暴れたりビールを飲んだり以外の何かを喚起する音楽さ。つまり、このアルバムをリスナーの人生における重要な出来事のサウンドトラックにしたかったんだ。上手くいったかは分からないけどね。」